2011年9月29日木曜日

2011.09.29 わが友に贈る

リーダー自らが
弘教や個人指導に
真っ先に取り組むのだ!
必死で道を拓いてこそ
同志は勇み続く!

上野殿後家尼御返事 P1505
法華経の法門をきくにつけてなをなを信心をはげむをまことの道心者とは申すなり、天台云く「従藍而青」云云、此の釈の心はあいは葉のときよりもなをそむればいよいよあをし、法華経はあいのごとし修行のふかきはいよいよあをきがごとし

◇希望の明日へ
どれほど迫害され、どれほどたたかれようとも、大聖人は喜びの大境界であられた。これが仏の御境界である。だれもかなわない。だれも壊せない。人間として最高の生き方であり、人生である。何も苦しみがないのが幸福なのではない。どんな苦しみをも喜びに変えられる自分自身の境涯に幸福はある。その鍛えのなかに充実があり、価値がある。苦労が大きい分だけ、成長も大きい。悩みが深い分だけ、乗り越えた喜びも大きい。難は即悟りであり、大難即仏界である。

☆随筆 人間世紀の光 No.052「君よ 青春の無限の力を!」
五十年前(昭和二十九年)の秋、私は、師弟不二である創価の青年部の一幹部として、連日連夜、怒濤のような戦いの渦中で指揮を執った。その思い出は、一生涯、忘れることは断じてできない。
ことに、この年の十月末から十一月上旬にかけて、三つの大きな学会行事が控えていた。
その一つは、十月三十一日の「青年部一万人の総登山」であった。
次に、十一月三日に開催される、意義深き「本部の総会」である。
さらに十一月七日は、創価の広布の躍動と躍進を示しゆく、初めての歴史的な東京・世田谷の日大グラウンドでの「大体育大会」であった。

日本中の同志が見つめていた。
多くのマスコミもまた、学会に注目し始めていた。
この大きな一つ一つの山の登攀を、私たちは見事に天下に証明し、厳として永遠の歴史を飾った。
日本中の目が、新しい学会の実像を、新しい目で見つめ始めた。

この年の五月、沛然たる豪雨のなか、男女青年部五千人の本山での結集を大成功裏に終えた直後のことであった。
戸田先生が、私に力強く言われた。
「下半期にもう一度、やろうじゃないか。青年部の実質的な"総会"だ。
秋十月に、今度は一万人の大結集で、学会の実力を天下に示してくれないか」

師の瞳は、輝いていた。師の弟子を思う瞳は、微笑みと同時に涙ぐんでおられた。
わずか半年で、倍増の一万人の結集である。多くの幹部連は、唖然として、私の顔を見つめていた。
戦いには「時」がある。
青年部の大躍進のために、今、必要なのは前進また前進だ。今、休んでしまえば、力が衰える。目的が乱れる。向上心が消える。断固として、もう一歩前進して、創価の広布の大地盤を築く時だ。
師と若き弟子は、一致した心であった。
今こそ、青年を鍛える時だ。青年を立派な指導者に育てゆく時である。
それには、訓練だ。苦労だ。機敏な行動を教えゆくことだ。多くの人を結合させ、前進させる指導力を、身をもって教えることだ。 牧口先生とも親交の厚かった新渡戸稲造博士は、「人の力は出せば出す程ふえる」と訴えた(『自警録』)。
「十分に力を出す者に限って、おのれに十二分の力があり、十二分の力を出した者がおのれに十五分の力あることがわかってくる」(同)と。
これは、有名な話である。
私は、全くその通りだと思った。
戦いのみが、青年の力を鍛える。
惰弱な青年が、いくら名門校を出て偉そうに見えても、人間としてそれだけでは負けである。自らの戦いがなければ、人はつかない。自分自身も、魂の自滅である。
青年は鍛えねばならない。責任を持たせ、活動の戦野を広げていくことだ。多くの人びとの心を知り、薫発させていく源泉となっていかなければ、力ある境涯はできあがらないからだ。