今日を勝つことだ。
今を勝つことだ。
不撓不屈の信心で
さあ挑戦の一歩を!
撰時抄 P288
『日蓮が法華経を信じ始めしは日本国には一?一微塵のごとし、法華経を二人三人十人百千万億人唱え伝うるほどならば妙覚の須弥山ともなり大涅槃の大海ともなるべし仏になる道は此れよりほかに又もとむる事なかれ』
◇希望の明日へ
障害も何の苦闘もない人生は、ただの木切れや鉄くずのように冷たく味気ないものだ。いずこの世界においても、困難に挑戦し、戦い抜いた人でなければ、現実の勝利の冠と喜びを獲得することはできない。いわんや、広宣流布という未聞の大事業においては、あらゆる困難を乗り越える覚悟と勇気がなければならない。それなくして勝利もなく、栄冠の歓喜もなく、人生の前進も発展もありえない。また難との戦いがあってこそ、成仏への直道も、広布の道も、洋々と開かれていくのである。この「難即発展」「難即前進」の厳然たる道理を、深く銘記していくべきである。
☆随筆 我らの勝利の大道No.59 信心練磨の教学
御聖訓
ひたすら信じて
励みゆけ
大悪起これは
大善来たると
このたびの台風十二号は、日本列島に激しい暴雨の爪痕を残しました。
とくに紀伊半島の和歌山県・奈良県・三重県、また中国の岡山県・鳥取県、四国の香川県・徳島県など、甚大な被害を受けた地域の皆様方に、心より御見舞いを申し上げます。
これまでも幾たびとなく拝してきた御聖訓ですが、日蓮大聖人は『大悪は大善の来るべき瑞相なり』(P1467)と御断言であります。
いかなる災難があっても、永遠の幸福を勝ち開くための試練と転ずるのが、「変毒為薬」の妙法です。
どうか、ますます「異体同心」の同志と励まし合い、支え合いながら、断固と乗り越えていってください。
私も妻も、強盛に題目を送り続けてまいります。
また悪天候の日も、聖教新聞を配達してくださる無冠の友の皆様方に、あらためて感謝申し上げるとともに、決して無理をせず、絶対に無事故第一でありますよう、重ねてお願いします。
我らには
不滅の哲理
持つ故に
三世の財宝
胸にかがやく
「思想はなんという宝であろうか!」
英国の著名な作家ブロンテ姉妹の一人、シャーロットの感慨である。
宝石や邸宅も、美貌や肩書も、大切な宝であろう。しかし、それらは無常の移ろいを免れないものだ。
思想という心の宝は揺るがない。朽ちない。
なかんずく、『法華経は三世不壊の経』(P149)である。この大法と共に生き抜く人生も、「三世不壊の生命」とならないわけがない。
『英雄伝』の著者として名高い、古代ギリシャのプルタークは綴っている。
「哲学を通じて、哲学と共にあってこそ、何が美であり何が醜いことであるか、何が正義であり何が不正であるか、要するに何を選ぶべきか何を避けるべきかを知る」
人は苦難に直面した時、その人の底力、さらには、その人が信ずる精神の柱の真価が明らかになる。
それを、現実の大地にあって証明し抜いている、真の哲人たちは誰か。
あの阪神・淡路大震災や東日本大震災、また今回の記録的豪雨、さらに世界各地の幾多の災害にも勇敢に立ち向かう、創価の誉れの友である。
「人がこの世に生まれてきた大きな目的は、人のために尽くすことにある。
自己の名声や利益のためだけではないのであって、生まれてから死に至るまで、自分の周囲の人が少しでもよくなれば、それで生まれてきた甲斐があったというものである」
岩手県盛岡市出身の偉人・新渡戸稲造博士の信条は、そのまま、わが同志の人生哲学である。
日蓮大聖人は、「立正安国論」の中で、こう認められている。
『世皆正に背き人悉く悪に帰す、故に善神は国を捨てて相去り聖人は所を辞して還りたまわず、是れを以て魔来り鬼来り災起り難起る』(P17)
大聖人が戦われた「悪」の本質とは、何か。
それは、人間の生命を蔑視して、現実から逃避させる諦めの思想であり、民衆を隷属させ、人間を分断する権力の魔性であったといっても過言ではあるまい。
人びとを不幸に陥れる邪義を打ち破るために、大聖人はただ御一人、万人が「善」の生命に目覚め、引き出す方途を示してくださった。そして、民衆が強く賢くなって、「善」の団結を広げゆく道を開いてくださったのである。
大聖人が「立正安国論」を認められた契機は、鎌倉を襲った正嘉の大地震であった。
時移り、今なお社会は、確たる哲学を痛切に欲している。大聖人に直結する、我ら創価学会が共生の仏法哲理を、いやまして勇気凛々と叫ぶ時なのだ。
人間の孤立化という風潮を打ち破り、地域に密接なつながりを築き、利他の精神を涜らせゆく時なのだ。