2011年9月23日金曜日

2011.09.23 わが友に贈る

わが地区から
新しい人材を!
座談会の勢いが
広布拡大の力だ。
希望の明日へ出発!


上野殿御返事 P1574
人のものををしふると申すは車のおもけれども油をぬりてまわりふねを水にうかべてゆきやすきやうにをしへ候なり、仏になりやすき事は別のやう候はず、旱魃にかわけるものに水をあたへ寒冰にこごへたるものに火をあたふるがごとし

◇希望の明日へ
正義を実践するゆえに、世間から迫害を受ける。それが真の宗教人である。法難も入獄もなく、形だけの仏道修行でわが身を安楽に養っているのは、宗教屋である。広宣流布の偉業も、苦難また苦難があってこそ、完成に向かって進むのである。

▽信心が深ければ、生活は一変する−恩師。一念を定めよ。強き祈りで進め
▽少年少女部の結成記念日皆が使命の王子・王女。創価家族の励ましで育成


☆質問11 自分の性格が嫌です。変えたいのですが

生命力が強ければ、性格はよい方向に!
幸・不幸は、どう生きたかという「内容」で決まる


「性格は運命なり」という言葉がある。だれもが自分の性格で悩む。悩むからこそ進歩がある。
その反面、悩んでいるだけでは、どうにも変わらない自分という現実がある。
性格は「人さまざま」だが、桜梅桃李の原理です。桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李と、その人その人に価値がある。内向的だからだめだとか、せっかちだから価値はないとか、そんなことはありません。自分は自分らしく生きていけばいいのです。そうなれることを目的としているのが仏法なのです。
たとえば一本の川があるとする。ある地点では、その川の幅は変わらない。同じように、その人自身というものは変わらない。
しかし、「質」はさまざまである。
浅いか深いか、濁っているか清らかか、魚がたくさんいるかいないか。「内容」は違う。
人生も同じです。性格によって幸・不幸が決まるのではなく、どう生きたのかという「内容」によって決まっていく。その内容を立派にしていくために仏法があり、教育がある。一切の努力・向上・進歩がある。それが人生です。

題目をあげていけば、必ず濁ったものは浄化されます。全部、幸福の方向へと進んでいきます。
たとえば、内向的な人は思慮深さとなって、それが生きる。せっかちの人は、何でもスピーディーに進める力となって表れる。
また、川は、蛇行しながら流れ、行き詰まらない。それが自然です。性格も努力すれば、蛇行しながらもよくしていけるのです。だから、ともかく前へ前へ流れ続けなければいけない。

性格(キャラクター)というのは、ギリシャ語の「彫刻」とか「印象」という言葉から出ている。「刻みつけられたもの」です。
性格も、体質も、医学的に見れば遺伝的に刻みつけられ、決定されている部分もあるかもしれない。しかし、それがわかったからといって何になるものでもない。今、現実に生きているなかで、どのように向上していくかが問題です。
仏法は「現当二世」です。現在と未来が大事なのです。「現在から未来へ」、また「現在から未来へ」と挑戦していくのが仏法の信仰です。

絶対に自分を卑下する必要はない。自体顕照と言って、自分らしく自分の個性を最高度に発揮し、伸ばし、輝かせていける大法なのです。そのためには「生命力」です。生命力が強ければ、自分の性格がよい方向に出ていく。
川それぞれに違いはあっても、海に向かって、ともかく前へ前へ進んでいくことです。そうすれば、いつか必ず、"自他ともに幸福"という大海にたどりつく。
周りの人たちの個性を喜び、生かしながら、自分も輝いていける、広々とした人生となるのです。
(『青春対話I』から)