2011年9月1日木曜日

2011.09.01 わが友に贈る

進の9月だ。
新しい決意に燃え
新しい挑戦を始めよ!
我ら青年学会こそ
世界の柱なり!

四条金吾殿御返事 P1192
さてもさても敵人にねらはれさせ給いしか、前前の用心といひ又けなげといひ又法華経の信心つよき故に難なく存命せさせ給い目出たし目出たし

◇希望の明日へ
難こそ、信心を鍛え、成長の発条となる。私一人では指導できる青年の数にもかぎりがある。だが学会全体に競う難は、多くの青年の信心を鍛え、育ててくれる。難と戦い、乗り越えていくなかに、真実の信仰の勇者がつくられていくことを忘れてはならない。

☆折々の指導No.008 教学は最高の勝利の武器 〈教学の研鎖に励む友に〉
「教学は絶対に必要である。教学は即、行動である。
御書に『行学た(絶)へなば仏法はあるべからず』(1361ページ)と仰せの通りだ。
教学は最高の勝利の武器である。
とくに青年時代に、教学に取り組んでもらいたい。あらゆる工夫をして。これが学会の伝統だからだ
「皆さんが、大変な中、教学試験(青年部教学試験1級)に挑戦し、御書を心肝に染めている姿を、日蓮大聖人が喜んでおられる。
若い時から教学を研鎖していくことが、一生の幸福の土台となる。その人は、永遠に生命哲学の博士だよ。
子孫末代までの功徳になっていくことを確信してください」
信心とは、御聖訓を勇敢に実践することだ。
信心とは、心の勝利のためにある。
心の勝利とは、永遠の勝利ということだ。
健康で、和楽で、わが人生を飾り、職場にあっては模範となっていくことだ。社会で接する人たちには誠実に、明るく、そして誰からも信頼されていくことだ」

☆随筆 我らの勝利の大道No.57 8月24日の誓い
戸田先生との出会いから十日後の八月二十四日は、日曜日であった。当時の記録を繙くと、東京の最高気温は、この日、三十五・三度となっている。暑い暑い一日であった。入信の儀式の勤行は長くゆっくりで、慣れない正座も辛かった。今も苦しい記憶が蘇る。
しかし私は、戸田先生の人格を信じて前へ進んだ。
世情は騒然としていた。この翌日の朝刊には「収入だけで暮らせない家庭」が九割と、深刻な世論調査の結果が報じられている。
厳格にヤミ食糧を拒否し、配給のみで暮らした東京地裁の判事が餓死するという衝撃的な事件が起きたのは、二ヵ月後である。
地震や台風、浅間山の噴火など、自然災害も相次いだ。東西冷戦の対立が深まり、「核戦争」の危機も忍び寄っていた。
戸田先生が座談会で「立正安国論」を講義され、訴えておられた通り、戦後の混乱の闇を照らし晴らしていくために、いまだ小さな学会であったが、我ら師弟は正法正義の旗を、高々と掲げていったのである。
思えば、日蓮大聖人が、「立正安国論」を提出し、国主諌暁を行われた文応元年七月十六日は、当時の西暦であるユリウス暦では、一二六〇年の八月二十四日に当たっているようだ。
戸田先生は、厳然と叫ばれた。
「人間にとって大切なのは、いかなる思想を持ち、いかなる行動をしているかだ。ゆえに人類最高の思想を学び、人々の幸福のために行動している創価の青年は、どんな人に対しても、胸を張って、堂々と、わが信念を語っていくのだ」
この立正安国の闘争が、十九歳の八月二十四日から、私の一貫した青春、そして人生となったのである。