2011年9月19日月曜日

2011.09.19 わが友に贈る

仏法は「人の振舞」。
人格の輝きは
言葉や挨拶に表れる。
大誠実が光る
広布模範の将たれ!


四恩抄 P938
只法華経の故に罵詈毀謗せられて刀杖を加えられ流罪せられたるを以て大聖の臂を焼き髄をくだき頭をはねられたるになぞらへんと思ふ、是れ一つの悦びなり

◇希望の明日へ
信心の途上で起こってくる苦難は、すべて意味がある。時がたち、長い目で見ていけば"なるほどそうだったのか""このためにあったのか"と、必ず分かるものである。目先の出来事に一喜一憂する必要はない。永遠に続く嵐はないように、永遠に続く苦難はない。大事なことは、どこまでも御本尊を信じ、強い信・行・学を貫いていくことである。信心さえあれば、どのような苦難も、宿命転換の機会としていける。福徳と幸福の人生の宮殿を、さらに盤石に築いていくことができる。一家、一族の繁栄の大道を開くことができるのである。

☆随筆 我らの勝利の大道No.60 信心練磨の教学
今、青年部は十月に行われる「青年部教学試験一級」を目指し、向学の汗を流している。そして、学んだ歓喜を友に語り、友情を大きく広げている。

大鵬の
 空をぞかける
  姿して
 千代の命を
  くらしてぞあれ


この和歌は、「開目抄」の講義録が発刊された折、戸田先生が、その第一号に揮毫して、私にくださったものである。
今回の一級試験の範囲にもなっている「開目抄」は、私も青年時代から生命に染め抜く思いで拝してきた。
入信して数年後、青年部の友人宅に泊まり、月の光が差し込む中で、夜半まで学び合ったことも、金の思い出である。
詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん』(P232)
今こそ一国の罪障を消滅させ、人類の無明を断ち切るのだとの、御本仏の不惜身命の大精神が胸に迫る。
私も第三代会長に就任した日に、この御文を命の奥底に刻印し、広宣流布のために身を捧げてきた。そして、牧口先生、戸田先生の遺言の一切を実現した。
牧口先生は軍国主義に立ち向かい、過酷な取り調べと劣悪な獄中生活を強いられた。しかし、入獄三ヵ月後の昭和十八年十月、クマ夫人と嫁である貞子さんに宛てた書簡で、こう綴られている。
「一個人から見れば、災難でありますが、国家から見れば、必ず『毒薬変じて薬となる』という経文どおりと信じて、信仰一心にしています」
「開目抄」には、『今日蓮・強盛に国土の誘法を責むれば此の大難の来るは過去の重罪の今生の護法に招き出だせるなるべし』(P233)等とある。
この御文のままに、先師は、国土に充満する謗法と命を賭して戦う覚悟であられた。そこに自身の宿命転換があり、その先に、平和な社会を展望されていたのだ。
「開目抄」は、大聖人が御命にも及ぶ流罪の佐渡で認められた重書中の重書である。
三代の会長は死身弘法の精神で、色読してきた。
戸田先生は言われた。
「妙法のゆえに、牢獄に入り、難を受け切ってきたからこそ、大聖人の仏法を本当に会得できた。ここに学会教学の原点がある。
この魂を伝えていかねばならない。わが青年部は、時間を惜しんで、真実の師弟の教学を身につけよ!」