2011年9月18日日曜日

2011.09.18 わが友に贈る

仏法を語れば
歓喜が湧き上がる!
いよいよこれからだ。
進み続ける人こそ
最高の幸福者なり!

兄弟抄 P1087
行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る乃至随う可らず畏る可らず之に随えば将に人をして悪道に向わしむ之を畏れば正法を修することを妨ぐ

◇希望の明日へ
難は一生成仏への飛躍台である。人生にあっても、何の苦労もなく、平々凡々と生きていては、成長の高山に登ることはできない。偉大な仕事もできない。偉大な人生も築けない。難に耐え、戦っていってこそ、一生成仏の大道を歩み、幸福の人生を開いていくことができる。数々の大難を受けられた御本仏・日蓮大聖人の門下として連なった学会員である。その緑に、どれほど深い意味があることか。強盛な信心を貫いていけば、成仏は絶対に間違いない。それを思えば、今日の少々の難など、雨が広く全体に降るようなものである。草木も雨が降れば喜び、生長する。各人にあっても、すべてを一生成仏への糧とし、幸福境涯への追い風としていけばよいのである。

▽自分は陰にいて人を立てる人が偉い−恩師。後輩を励まし伸ばす先輩たれ

☆随筆 我らの勝利の大道No.60 信心練磨の教学
御書には無限の希望があり、勇気が湧き、未来がある。人生勝利の智慧が湧き、確信が深まり、戦う心が燃えてくる。
ただ御書を身で拝してこそ、いかなる不可能をも可能にしゆく利剣を持つことができるのだ。
あの「"まさか"が実現」の大阪の戦い──。
私たちは最初に拝した。
何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり』(P1132)
この御金言を皆が深く命に刻みつけ、揺れ動く時代に、大確信の祈り、強盛なる信心から出発した。
仕事をはじめ、経済苦に悩む友とは法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる』(P1253)を拝した。
今は冬のごとき生活であっても、まじめに信心を貫けば、必ず春のような悠々たる未来が開けると励ました。そのように、個人個人の状況や行動に当てはまる御書を拝読し、実践の教学の重要性を伝えていった。燃え上がる求道の心。そして戦う師弟の教学が、勝利を開いたのだ。
この昭和三十一年に行った教学試験も、試験のための試験などではない。幸福勝利のための試験であった。一騎当千の闘士を鍛えるための試験であった。
大聖人は、法華経の文字について『肉眼の者は文字と見る二乗は虚空と見る菩薩は無量の法門と見る、仏は一一の文字を金色の釈尊と御覧あるべきなり即持仏身とは是なり』(P1025ジ)と教えられている。
同じ御文であっても、拝する境涯や一念の作用によって深さが変わる。
御書根本に戦おう!
そう決めて、学び抜く人には、無限の力が涌現するのだ。

戸田先生は、昭和二十五年の暮れ、御書を学ぶ姿勢を教えてくださった。
「太平洋のような境涯で、この御書を拝していくことだ。そうでなければ、御本仏の御心に近づくことはできない」
当時、戸田先生の事業は破たんし、学会の理事長も辞任。多大な負債を抱えて苦闘の渦中であった。
しかし、明日をも知れぬ苦境の中でも、恩師は、悠々たる大境涯であられた。
私たちも、御書を開くたびに、この師の指導の如く、大聖人の御精神を、「仰せの通り」「御文の通り」と、深き信心で拝していくことである。