偉大な全同志の
不屈の闘争に感謝!
我ら青年学会は
勝ちに勝った!
新たな常勝劇を共々に!
聖人等御返事 P1455
『各にはおづる事なかれ、つよりもてゆかば定めて子細いできぬとおぼふるなり』
◇今週のことば
大勝利おめでとう!
諸仏も諸天も讃嘆。
百周年へ凱歌の開幕だ。
わが偉大なる友に
福徳と栄光あれ!2011年04月25日
◇希望の明日へ
いかなる相手であれ、いっさいの感情を広く大きく包みながら、どのように心を開き、納得と共感を広げていくか。それはすべて、自身の境涯にかかっているといってもよい。相手の喜怒哀楽に悠々と棹さしながら、自在に、心の奥深くに漕ぎ入っていく融通無礙の境涯を開いていく以外にない。ここに、対話の人間学の精髄がある。
☆随筆 我らの勝利の大道No.45 聖教は永遠に師子吼
「信念とは何ぞや?」
これは、戸田先生が聖教新聞の記念すべき創刊号、すなわち昭和26年4月20日付の一面に執筆された論説の大見出しである。
先生は「われわれの出世の因縁は、広宣流布の大旗を掲げんがためである」と宣言され、今こそ「勇まなくてはならない」と訴えられたのであった。
この世のありとあらゆる悲惨に挑んで、民衆の一人ひとりが絶対的な幸福を勝ち取るため、そして現実の社会に平和と安穏と繁栄を築きゆくため、我ら師弟は「広宣流布の大旗」を掲げて立ちあがったのだ。
いかなる三障四魔の濁流が襲いかかろうとも、我らは正義の使命の旗を断じて手放さない。誉れ高き、その大信念の旗印こそ、聖教新聞である。
御書には、『ついにをそれずして候へば、今は日本国の人人も道理かと申すへんもあるやらん』(P1138)と記されている。
圧迫に屈しない一貫した信念の言論には、時とともに必ず良識からの信頼を勝ち広げる力があるのだ。