2011年4月30日土曜日

2011.04.30 わが友に贈る

勇気ある信心が
新生の究極の力
不撓不屈の魂光る
東北の皆様と共に
希望の明日へ前進!

千日尼御前御返事 P1312
たすけんとする日蓮かへりて大怨敵とをもわるるゆへに女人こぞりて国主に讒言して伊豆の国へながせし上又佐渡の国へながされぬ

◇希望の明日へ
学会員はこれまで、法のため、人々の幸福のため、語りに語り、訴えに訴え、心の扉を開いてきた。この地からあの地へ、一人から万人へと、真実の言葉を伝えに伝え抜いてきた。まさしく「広宣流布」という未聞の道程は、"対話""言論"によって開かれてきた。これからもまた同じである。"対話""言論"の停滞、それは「広布」の停滞につながる。「正義」は「正義」、「真実」は「真実」と、どこまでも叫びきっていくことである。沈黙する必要はない。恐れる必要もない。−−その強き一念と行動の大風に、立ちこめた暗雲もいつしか晴れ、勝利の太陽が輝く。そして相手の対応がどうであれ、また一時の状況がどうであれ、正義を叫びきったという事実は、厳然と歴史に残る。

▽未来部こそ創立100周年の主役。一人ももれなく使命の道へ。皆で励ましを

☆新時代第48回本部幹部会へのメッセージ第1に讃えたいことは、「民衆の勝利」であります。
建長5年(1253年)の4月28日に立宗宣言なされた御本仏・日蓮大聖人は、御自身が『民の家』(P1407)から出た『民が子』(P1332)であられることを晴れ晴れと仰せになられました。
日蓮仏法は、全人類に開かれた「人間宗」であり、この太陽の大仏法を、創価学会は世界192カ国・地域の民衆に開いてきたのであります。
殉教の父・牧口常三郎先生が学んでおられた「御義口伝」は、戦時中、特高警察に押収されましたが、そこに、牧口先生が棒線を引かれていた一節があります。
それは『煩悩の淤泥の中に真如の仏あり』(P740)という御文であります。
悟り澄まして戦わない仏などおりません。
妙法のため、人々のため、社会のため、現実の悩みや苦しみの真っ只中に飛び込んで、泥まみれ、汗まみれになって戦い抜く生命こそ、真実の仏であります。
この仏の生命の真髄を発揮しゆく、何ものにも負けぬ民衆の正義の陣列−−これが、創価学会であり、その模範こそ、私の手作りの「常勝関西」なのであります。

2011年4月29日金曜日

2011.04.29 わが友に贈る

一人の女性の
聡明な振る舞いで
環境は大きく変わる!
皆が新時代を開く
幸福博士なり!

富木殿御返事 P978
経に云く「法華最第一なり」と、又云く「能く是の経典を受持すること有らん者も亦復是の如し一切衆生の中に於て亦これ第一なり」と

◇希望の明日へ
戸田先生は、だれとでも率直に、生き生きと対話された。庶民から大臣等まで、多くの語らいの歴史をつくられた。人間だけが社会、世界にかぎりなく「対話」を広げられる。「対話」は、金銭や立場によることなく、大きな価値を生む力がある。私も、数えきれない人々と対話してきた。いわゆる著名人だけでも、約二千人にのぼる。これは私の歴史であるし、広布の歴史でもある。

☆師の大願を果たすのが弟子
「私が担当しております組織は、男子部員が少ないうえに、実態は極めて厳しいものがあります。どうすれば、こうした事態を変えていくことができるのでしょうか」

即座に、伸一の大きな声が響いた。
「君が立ち上がればいいんだ!事態が厳しければ、自分が一人立つ−−常に、私はその精神でやってきた。
蒲田支部の支部幹事として、折伏の指揮をとった時もそうだった。当時は、大支部といっても、折伏は百世帯そこそこだった。
"これでは、戸田先生が掲げた七十五万世帯という大願を果たすことはできない"と、私は思った。
では、誰がやるのか。弟子がやるしかない。ゆえに私は戦いを起こした。そして、一支部で二百一世帯という、当時としては未曾有の布教を成し遂げた。
これは私が、二十四歳の時だ。支部には、もちろん壮年も、婦人もいた。ほとんどの幹部は、私よりも年上だ。しかし、最後は皆、私と心を合わせて動いてくれた。
なぜか。私は真剣であったからだ。誰よりも、必死であったからだ。
"自分たちには、あれほどの活動はできない。この人の言う通りにやれば、必ず壁を破ることもできるだろう"と、みんなが思ったからだ。そして、私は結果を出した。
私の行くところは、事態、状況は、いつも最悪だった。そのなかで、勝って、戸田先生にお応えしてきた。
それが弟子の道だ」

◎今日は英ちゃんの一周忌。共に戦い、共に歩んだ広布の青春の日々は、わが人生の黄金の歴史

2011年4月28日木曜日

2011.04.28 わが友に贈る

さわやかな挨拶が
心と心を結ぶ!
誠実な振る舞いで
信頼の根を張ろう!
徹して一人を大切に。

寂日房御書 P903
かかる者の弟子旦那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり

◇希望の明日へ
広宣流布への信心の喜びに満ちた会合は、たとえ少人数であっても功徳は大きい。むしろ、大変ななかで頑張っている所ほど、福徳に満ちていくことは間違いない。
▽きょう立宗の日。立正安国の太陽は現代に赫々。「日蓮が一門」の誇り高く

☆随筆 我らの勝利の大道No.45 聖教は永遠に師子吼
聡明な華陽の姉妹が決意を込めて届けてくれた箴言集に、アメリカの作家・ストウ夫人の言葉があった。
「進退きわまって、すべてが思い通りにいかなくなり、もう、少しも耐えられないと思うようになっても、決してそこで諦めてはいけない。形勢が一変するのは、まさにその場所、その時からなのだ」
その通りだ。これこそ、人間生命の底力である。
「失望」を「希望」に!
「落胆」を「勇気」に!
「諦め」を「執念」に!
何があってもへこたれず前へ前へ突き進んでいく。その究極の力こそが、「絶対勝利」の信心である。
聖教新聞の最大の強みは何か。尊き母たち、女性たちが温かく支持し、愛読してくださっていることだ。聖教の創刊六十年は、婦人部結成六十年と一体不二の歴史でもある。
めぐり来(きた)る五月三日は、「創価学会母の日」である。目覚しく伸びゆく青年と一緒に、偉大な母たちへ勝利の讃歌を捧げたい。

2011年4月27日水曜日

2011.04.27 わが友に贈る

先駆の青年部が
大きく道を開いた。
若き熱と力に喝采!
広宣流布の未来は
君たちに託す!

四条金吾殿御返事 P1164
すこしもへつらはず振舞仰せあるべし

◇希望の明日へ
世間一般の次元にあっても、「明快な言論」「確信ある言葉」の力はまことに大きい。たとえ短い一言でも、人々の心を開き、一変させていくことができるものだ。まして強い信心の確信に満ちた"真心"と"誠実"の対話は、さーっと太陽の光が差し込むように、人々の心を晴ればれと輝かせていけるのである。逆に、暗く弱々しい語りかけであったり、急所をはずした話であっては、相手の疑心の雲を打ちはらうことはできない。

☆随筆 我らの勝利の大道No.45 聖教は永遠に師子吼
日本は、この大震災を乗り越え、復興への坂を断固として昇り切り、新たな人間共和の「黄金時代」を何としても作っていかねばならない。
聖教新聞は、その言論戦の黄金柱として、いよいよ強く厳然と光っていくのだ。
暗いニュースが打ち続く時代だからこそ、人間の善性に光を当て、民衆の結合を強め、よりよき人生と社会を築くために、励ましのエールを贈りたい。
御手紙を通して、幾多の門下に生きる力を贈られた大聖人の御心を拝し、聖教新聞は、生きる勇気と希望を発信していくのだ。
大聖人の御執筆は、迅速であられた。門下からの急な報告にも、使者を待たせぬよう即座に御返事を認めて託してくださることも、しばしばであられた。
速さは慈悲であり、誠意である。勝利の力である。
創価学会は、これからも万事にわたって、"誠実なスピード"で勝ち進むのだ。

2011年4月26日火曜日

2011.04.26 わが友に贈る

広宣流布とは
無限の挑戦なり!
栄光の「5.3」へ
希望の歌声高く
朗らかに進もう!

四条金吾殿御返事 P1192
此の日蓮は首題の五字を汝にさづく、法華経受持のものを守護せん事疑あるべからず

◇希望の明日へ
対話は地道な活動に見えるが、足元に光を与えていくもので、大変に大事なことである。"千里の道も一歩から"で、着実な対話運動から、平和の道も開かれていくのである。

☆随筆 我らの勝利の大道No.45 聖教は永遠に師子吼
戸田先生は、あの「大阪の戦い」に臨んだ昭和三十一年の年頭の聖教新聞には、「社会に信念の人を」と寄稿された。
先生は、当時の日本の指導者層に蔓延する「頼りなさ」「底の浅さ」を憂慮されていた。ゆえに、民衆が賢明になり、力を持たねばならない。そして、「生き生きしとして、はちきれるような生命力」をもった"信念の人材"を育てなければならない。そのために「正しい宗教によって生命力を強める」のだと、その意義を力説された。
現代の日本社会は、さらに確固たる"信念の人材"を渇望しているといっても過言ではあるまい。
揺るがぬ「生命尊厳」の信念をもって、民衆のために満々たる生命力で貢献しゆく人間指導者を、私たちは胸を張って、地域から社会へ送り出していくのだ。

2011年4月25日月曜日

2011.04.25 わが友に贈る

偉大な全同志の
不屈の闘争に感謝!
我ら青年学会は
勝ちに勝った!
新たな常勝劇を共々に!

聖人等御返事 P1455
各にはおづる事なかれ、つよりもてゆかば定めて子細いできぬとおぼふるなり

◇今週のことば
大勝利おめでとう!
諸仏も諸天も讃嘆。
百周年へ凱歌の開幕だ。
わが偉大なる友に
福徳と栄光あれ!
2011年04月25日

◇希望の明日へ
いかなる相手であれ、いっさいの感情を広く大きく包みながら、どのように心を開き、納得と共感を広げていくか。それはすべて、自身の境涯にかかっているといってもよい。相手の喜怒哀楽に悠々と棹さしながら、自在に、心の奥深くに漕ぎ入っていく融通無礙の境涯を開いていく以外にない。ここに、対話の人間学の精髄がある。

☆随筆 我らの勝利の大道No.45 聖教は永遠に師子吼
「信念とは何ぞや?」
これは、戸田先生が聖教新聞の記念すべき創刊号、すなわち昭和26年4月20日付の一面に執筆された論説の大見出しである。
先生は「われわれの出世の因縁は、広宣流布の大旗を掲げんがためである」と宣言され、今こそ「勇まなくてはならない」と訴えられたのであった。
この世のありとあらゆる悲惨に挑んで、民衆の一人ひとりが絶対的な幸福を勝ち取るため、そして現実の社会に平和と安穏と繁栄を築きゆくため、我ら師弟は「広宣流布の大旗」を掲げて立ちあがったのだ。
いかなる三障四魔の濁流が襲いかかろうとも、我らは正義の使命の旗を断じて手放さない。誉れ高き、その大信念の旗印こそ、聖教新聞である。
御書には、『ついにをそれずして候へば、今は日本国の人人も道理かと申すへんもあるやらん』(P1138)と記されている。
圧迫に屈しない一貫した信念の言論には、時とともに必ず良識からの信頼を勝ち広げる力があるのだ。

2011年4月24日日曜日

2011.04.24 わが友に贈る

「いよいよ強盛に
大信力をいだし給へ」
不撓不屈の心で
愛する地域に
断じて栄光の旗を!

生死一大事血脈抄 P1338
上行菩薩末法今の時此の法門を弘めんが為に御出現之れ有るべき由経文には見え候へども如何が候やらん、上行菩薩出現すとやせん出現せずとやせん、日蓮先ず粗弘め候なり

◇希望の明日へ
正法正義に、さまざまな暴言・悪口があるのは御書、経文に照らして必然である。それらに対しては、厳然と反論し、論駁していく強さがなくてはならない。しかし、強さだけですべての人を、心から納得させることはできない。むしろ、相手の主張もやわらかに受け止め、理解を示してこそ、対話はさらに深まり、実り多いものとなっていく。

▽最高の不幸は諦めること−喜劇王チャップリン。勝利の瞬間まで祈り進め。勝負の鉄則
▽統一選の後半戦が投票日地域の未来決める選択。最後まで絶対に無事故で


☆随筆 我らの勝利の大道No.45 聖教は永遠に師子吼
日蓮大聖人は『仏は文字に依って衆生を度し給うなり』(P153)と仰せである。
文字の力によって民衆を救う−−この蓮祖の大精神のままに、我ら学会は、聖教新聞と共に、世界広宣流布を進めてきた。

2011年4月23日土曜日

2011.04.23 わが友に贈る

「今日」の勝利が
広布の未来を開く。
全員が師子となれ!
「法華経の兵法」で
断じて勝ちまくれ!

諸法実相抄 P1360
末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり

◇希望の明日へ
何事によらず、人の心を開きゆくものは腹蔵のない対話である。友人として、人間として、率直にして誠実な語らいを続けるところに、信仰への契機もおのずと訪れるものだ。

☆御書とともに(18) 幻の虚栄を悠々と見下ろせ
或時は人に生まれて諸の国王・大臣・公卿・殿上人等の身と成って是れ程のたのしみなしと思ひ少きを得て足りぬと思ひ悦びあへり、是を仏は夢の中のさかへ・まぼろしの・たのしみなり唯法華経を持ち奉り速に仏になるべしと説き給へり』(主師親御書、P386)
【同志への指針】
権力や富や名声が、いかに儚く、わびしく消え去るか。幻の虚栄など、悠々と見下ろすのだ。永遠不滅の妙法を流布する我らは、自他共に崩れざる常楽我浄の境涯を開き、絶対勝利の人生を歩みゆく。人間王者の誇りも高く!

☆随筆 我らの勝利の大道No.45 聖教は永遠に師子吼
一日の命は三千界の財にもすぎて候なり』(P986)
病魔と闘う健気な母を励まされた御聖訓である。
日蓮大聖人は、さらに、『而して法華経にあわせ給いぬ 一日もいきてをはせば功徳つもるべし』(同)と強く仰せになられた。
かけがえのない一日だ。我らは今日も妙法を唱え、信心即生活、仏法即社会という最も正しき生命の軌道を、真剣勝負で進み抜く。
どんな苦難が立ちはだかろうと、我らは恐れない。一歩また一歩、勇敢に踏み越え、今日という一日に『極楽百年の修行』(P329)に勝る宇宙大の『心の財』を明朗に積んでいくのだ。
この価値の日々に、弾む活力と息吹を贈り続けているのが、聖教新聞である。

2011年4月22日金曜日

2011.04.22 わが友に贈る

「仏法と申すは
勝負をさきとし」
執念で語れ!
師子吼で勝て!
異体同心で進め!

三大秘法禀承事 P1022
末法に入て今日連が唱る所の題目は前代に異り自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり

◇希望の明日へ
なぜ対話を重視するかといえば、対話や言論というものは、人間が人間であることの誇るべき証であると信ずるからである。より端的にいえば、言葉の"海"の中で、人間は人間になるのである。

☆御書とともに(17) 麗しき歓喜のスクラムを
自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり』(御義口伝、P761)
【同志への指針】
共に思いやり、共に励まし合い、共に学び、共に智慧を出し合いながら前進する。この仏法の本義に則った人間共和の世界が「創価」である。
我らは、人間性の究極の光である麗しき団結で、歓喜の舞を舞いながら勝ち進んでいくのだ。

2011年4月21日木曜日

2011.04.21 わが友に贈る

確信あふれる
真実の叫びが
人の心を動かす!
「声も惜しまず」
強気で語り抜け!

単衣抄 P1514
三十二より今年五十四に至るまで二十余年の間或は寺を追い出され或は処をおわれ或は親類を煩はされ或は夜打ちにあひ或は合戦にあひ或は悪口数をしらず或は打たれ或は手を負う或は弟子を殺され或は頚を切られんとし或は流罪両度に及べり、二十余年が間一時片時も心安き事なし

◇希望の明日へ
テレビやラジオのような一方通行でもない。文字のような静的なものでもない。声と声、人間と人間、生命と生命が、触れ合い、通い合い、そのなかに芯強き民衆文化が脈打っていく。"魂なき情報"が、いれば洪水のごとく流されているのが現代社会である。そうであればあるほど、肉声による"生きた言葉"の交流が、どれほど社会を健全に支えていくか。学会の座談会の意義の一つもここにある。

☆御書とともに(16) 
日蓮も又此の天を恃みたてまつり日本国にたてあひて数年なり,既に日蓮かちぬべき心地す利生のあらたなる事・外にもとむべきにあらず』(四条金吾釈迦仏供養事、P1146)
【同志への指針】
日本の国をあげての大迫害を、大聖人は厳然と勝ち越えられた。創価の我らも、赫々たる太陽の如く、すべてを勝ち切っている。
今年も、晴れわたる五月三日の空に、栄光の勝鬨を轟かせよう!

2011年4月20日水曜日

2011.04.20 わが友に贈る

我らの目的は
世界の平和と安穏!
全民衆の幸福なり!
偉大なる言葉の力で
希望の哲学を発信!

蓮盛抄 P153
仏は文字に依つて衆生を度し給うなり

◇希望の明日へ
何事も、同じことを繰り返していると飽きもくるし、よどみも生まれる。ゆえに大事な会合であればあるほど一回一回を新鮮に、有意義に行っていくべきである。

▽本紙創刊60周年。全読者、配達員、通信員の皆様に感謝。正義の言論を更に

☆御書とともに(15) 威風堂々と信念を叫べ
がうじゃうにはがみをしてむ心なかれ、例せば日蓮が平左衛門の尉がもとにて・うちふるまい・いゐしがごとく・すこしも・をづる心なかれ』(兄弟抄、P1084)
【同志への指針】
この御聖訓通りに、初代・牧口先生も、二代・戸田先生も、そして三代の私も、相手が誰人であれ、正義の信念を叫び切ってきた。これが学会精神である。

2011年4月19日火曜日

2011.04.19 わが友に贈る

新しき時代を
開くのは「青年」!
強盛なる祈りと
執念の行動で
地震の新記録を!

さじき女房御返事 P1231
たとへばはるの野の千里ばかりにくさのみちて候はんにすこしの豆ばかりの火をくさひとつにはなちたれば一時に無量無辺の火となる

◇希望の明日へ
もはや命令や、"ねばならぬ"式の訴えで、人が動く時代ではない。心から納得しなければ、だれも行動しない時代である。また逆に、自分が納得すれば、思いもよらぬすばらしい力を発揮する可能性は大きい。ゆえに、充実した「協議会」が、いよいよ大切であり、一対一の「対話」がかぎりなく重要となる。

☆御書とともに(14) 一切の油断を排せ
さきざき申すがごとく・さきざきよりも百千万億倍・御用心あるべし』(四条金吾殿御返事、P1169)
【同志への指針】
油断大敵である。前進の勢いが増している時ほど、絶対に事故を起こしてはならない。無事故を祈り抜き、細心の注意を払い抜いていくことだ。「百千万億倍」との仰せを、よくよく心肝に染めて、「仏法勝負」の証しを立てるのだ。

2011年4月18日月曜日

2011.04.18 わが友に贈る

妙法と共に
同志と共に
一日一日、前進!
一日一日、勝利!
栄光へ舞いゆけ!

御義口伝巻上 P716
我等が頭は妙なり喉は法なり胸は蓮なり胎は華なり足は経なり此の五尺の身妙法蓮華経の五字なり

◇今週のことば
「いよいよ
はりあげて せむべし」
勝利を決するのは
攻め抜く執念だ。
正義は断じて勝て!
2011年04月18日

◇希望の明日へ
"人を救う文字"を広める。配達する−−その方は、立派な弘法をされていることに通じる。功徳も生々世々に続き、また家族にも及んでいく。仏法の世界は役職で功徳が決まるのではない。行動で決まるのである。信心で決まるのである。

☆御書とともに(13) すべての人に変革の力が
浄土と云ひ穢土と云うも土にニ(ふたつ)の隔(へだて)なし只我等が心の善悪によると見えたり』(一生成仏抄、P384)
【同志への指針】
自分が変われば環境も変わる。一人の人間革命によって、わが地域、わが社会を浄土に変えていく実践こそ、広宣流布という大民衆運動なのである。

2011年4月17日日曜日

2011.04.17 わが友に贈る

さあ勇気凛々と
きょう一日を勝て!
深き祈りを込めた
「声の力」ほど
強いものはない!

船守弥三郎許御書 P1445
法華経を行ぜん者をば諸天善神等或はをとことなり或は女となり形をかへさまざまに供養してたすくべし

◇希望の明日へ
随自意でいけば、当然、反発もある。大聖人も、そうであちれた。あらゆる迫害を一身に受けられた。随他意であれば大難はなかった。あえて随自意で進み、難と戦い、難を乗り越えて仏になっていくのが、大聖人の仏法なのである。最初は反発があっても、妙法を説き聞かせたことが因となって、反発した人も、将来は必ず成仏できる。これを「毒鼓の緑」という。仏法に無知な世間に迎合し、見栄を張lつて、言うべきことも言わない−−それでは、毒鼓の緑すら結べない。結局、無慈悲なのである。いっさいの根本は随自意の勇気である。これが大聖人、日興上人の教えである。そして牧口先生、戸田先生の大精神である。勇気が慈悲に通じ、勇気が知恵に通じる。臆病にては叶うべからず」(P293)との大聖人の御言葉を、今こそ、眼を開いて拝さねばならない。

☆御書とともに(12) 多宝会・宝寿会・錦宝会の友へ
法華経は初は信ずる様なれども後遂る事かたし、譬へば水の風にうごき花の色の露に移るが如し、何として今までは持たせ給うぞ是・偏へに前生の功力の上、釈迦仏の護り給うか、たのもしし・たのもしし』(松野殿女房御返事、P1395)
【同志への指針】
広布に尽くし抜いてこられた功労者の皆様方の大功徳は、絶対であり、無量である。三世十方の仏菩薩の守護と賞讃は厳然である。

2011年4月16日土曜日

2011.04.16 わが友に贈る

広げた仏縁は
わが人生の宝!
勇気、勇気で語ろう!
友の胸に響く
大誠実の対話を!

下山御消息 P349
余法華経の第五の巻の勧持品を拝見したてまつれば末代に入りて法華経の大怨敵三類あるべし其の第三の強敵は此の者かと見畢んぬ、便宜あらば国敵をせめて彼れが大慢を倒して仏法の威験をあらはさんと思う

◇希望の明日へ
何に対しても、目標をもつことは大切である。弘教や会友運動など、広布の活動を推進するうえでの目標もあれば、子どもたちが成績の目標をもったり、家庭で貯金の目標をもつ場合もあろう。目標を決め、それに一歩一歩近づいていくところに進歩がある。

☆随筆 我らの勝利の大道 No.44 「庶民の勝利が学会精神」
1998年の5月、大阪で行われた関西青年部総会で私は申し上げた。
「若いのだ。できないはずがない。諸君は、戦い抜くべきである! 生き抜くべきである! 永遠不滅の歴史をつづるべきである!
未来はすべて諸君に託すのだから」
そして、後継の青年部のためにと、「威風堂々の歌」の指揮を執った。
京都で誕生した庶民の手作りの名曲だ。
"威風堂々の誓い"とは、「最後は絶対に勝つ!」ということである。ここに、学会精神の真髄がある。
今再び、師弟不二の魂を燃え上がらせ、全同志が、威風堂々と前進しよう!

何ものも
 恐れぬ
  創価の魂を
 天下に示さむ
  天下を正さむ

2011年4月15日金曜日

2011.04.15 わが友に贈る

わが地区を
広布の理想郷に!
全員が宝の人材だ。
一人ももれく
使命と勝利の道を!

開目抄下 P230
法華経の行者あらば必ず三類の怨敵あるべし、三類はすでにあり法華経の行者は誰なるらむ、求めて師とすべし一眼の亀の浮木に値うなるべし

◇希望の明日へ
"地域に開き""時代に開く"、新しい、だれもが納得できるあり方、表現が必要である。その知恵と工夫もなく、いたずらに「強義(強硬な義)」を主張すれば、『多くの檀那を損ずる事あり』(P1203)と、大聖人は仰せである。民衆の支持を失ってしまうことになる。

☆随筆 我らの勝利の大道 No.44 「庶民の勝利が学会精神」
◇民は強しの歴史を
阪神・淡路大震災でも。創価の同志は必死に救援の最前線に立つとともに復興の牽引力となった。
甚大な被害の神戸で、「まちづくり協議会」の中心者の一人として、安全で、美しく人情味あふれる郷土の再生に尽力されてきた、わが地域部の壮年は語る。
「あれほどの被害にあっても『もういっぺん、やろやないか!』と団結し、震災に打ち勝った人間の素晴らしさを伝えていきたい」その負けじ魂は今、東北や関東の被災地に脈打つ。
日蓮大聖人は、『当世は世みだれて民の力よわし』(P1595)と嘆いておられた。
荒れ狂う乱世に屈しない正義にして堅固なる「民の力」のネットワークにこそ、蓮祖の願われた「立正安国」の一つの実像があるといっても過言ではない。
大聖人に直結の我らは、「民の力強し」「民衆は強し」と、声を張り上げて宣言できる常勝の歴史を、断じて永遠に残していくのだ。

"威風堂々の誓い"
関西の
 若き同志は
  立ちにけり
 威風堂々
  使命の道をば

2011年4月14日木曜日

2011.04.14 わが友に贈る

わが一念に
偉大な仏の力が。
題目から出発だ!
皆で心を合わせ
栄光の歴史を!

諌暁八幡抄 P585
今日蓮は去ぬる建長五年四月二十八日より今年弘安三年十二月にいたるまで二十八年が間又他事なし、只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり、此れ即母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり

◇希望の明日へ
人で決まる。人が大切である。大聖人は、仰せである。『法自ら弘まらず人・法を弘むる故に大法ともに尊し』(P856)−法が自ら弘まることはない。人が法を弘めるゆえに、人と法はともに尊いのである−。"正法を弘める人"が尊いのである。折伏・弘教に苦労し、広布に励んできた学会員こそ、もっとも尊貴なのである。

☆随筆 我らの勝利の大道 No.44 「庶民の勝利が学会精神」
◇執念・勇舞・団結
なぜ関西で「"まさか"が実現」の民衆の勝利劇が成し遂げられたのか。当時を振り返って、草創の母は、こう語つておられた。
「一つは最後までやり通す執念。もう一つは喜んで実践し抜く姿勢。それと、団結ですわ。みんなホンマに仲が良かったです」
本当にその通りである。
第1に、執念で勝つ。
御書にも『今一日に成りて歩をさしをきては何として都の月をば詠め候べき』(P1440)と、最後まで歩み切る総仕上げの重要性を教えられている。
第2に、喜び勇んで勝つ。
まいをも・まいぬべし』『立って をどりぬべし』(P1300)との御金言のまま、皆が全生命を歓喜に躍動させ、底力を発揮していくのだ。
第3に、団結で勝つ。
君が愁いに 我は泣き
我が喜びに 君は舞う
名曲「嗚呼黎明は近づけり」に謳われる通りの究極の人間の絆が、関西には結ばれている。創価の師弟は、この強靭な絆を広げ抜いてきた。だから強い。絶対に負けないのだ。
昭和31年の8月、大阪の大勝利を受け、新しい16支部が誕生した。
京都をはじめ関西の4支部、札幌をはじめ北海道の4支部、さらに秋田、新潟、大宮、浜松、名古屋、岡山、高知、そして福岡──と直接、新生の支部旗を授与される戸田先生の会心の笑みが脳裏に蘇る。
今年は恩師の第2代会長就任から60周年──。
日本列島を埋め尽くす、勝利の旗の林立をもって、我らの5月3日を荘厳したいと私は祈っている。

2011年4月13日水曜日

2011.04.13 わが友に贈る

苦労している友に
励ましの声を!
太陽の笑顔を!
大変な時にこそ
春風のごとく。

兄弟抄 P1088
設ひいかなるわづらはしき事ありとも夢になして只法華経の事のみさはぐらせ給うべしし

◇希望の明日へ
どんなに立派そうに説法しても、だれもわからないのでは何にもならない。自己満足と権威のための説法にすぎない。それでは仏法ではない。人々を遠ざけ、かえって法を下げてしまう。感動しなければ、人は信じない。納得しなければ、人は本気で動かない。生活の現実に関係ない話に民衆は耳を貸さない。具体性がなければ、法のすばらしさもわからない。これでは大聖人の御遺命である広宣流布は、いつまでたってもできないのである。

☆随筆 我らの勝利の大道 No.44 「庶民の勝利が学会精神」◇一人一人が建設者「やればできる」と皆が自信をもち始め、新しい人材が躍進し始めるなかで、重要な跳躍台があった。昭和31年の4月8日、難波の大阪球場で行われた大阪・堺の連合総会である。
この日は雨であった。
だが、皆、降りしきる雨など物ともせず、『大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし』(P1448)との御文を身で拝しつつ、意気軒昂の大総会を飾ったのである。この愛弟子たちの勇姿を、恩師も嬉しく見守ってくださった。
各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ』(P1190)と仰せの如く、関西の全闘士が「師子王の心」を奮い立たせていったのだ。大阪支部の弘教は3月が5005世帯、4月が9002世帯と躍進した。
そして、戸田先生の会長就任5周年を迎えた5月、不滅の1万1111世帯の金字塔がそびえ立ったのである。
その一世帯一世帯に、誠実と慈愛の人間ドラマがあった。その一人ひとりが、濁世末法に妙法を弘め、証明しゆく尊き地涌の菩薩である。
折伏した人も、新たに入会した人も、全員が妙法の大功力を体得し、幸福になってもらいたい。地域と社会の依怙依託となってもらいたい──私は、そう祈り続け、励まし続けた。
ともあれ、人生に迷い、苦悩に沈んでいた民衆が、今や生きる喜びと自信をもち、毅然として頭を上げたのだ。社会の谷間で孤立していた庶民が明日への希望のスクラムを組んで、新たな社会建設の主役として胸を張って躍り出たのだ。
アメリカの仏教研究家クラーク・ストランド氏は、「学会における師弟の絆は、弟子に根底から自信を与え、成長させるものなのだ」と強調されていた。

2011年4月12日火曜日

2011.04.12 わが友に贈る

全同志の偉大な
歴史に感謝合掌!
広布に尽くした福徳は
三世の生命に燦然!
5月3日へ勝ち進め。

大悪大善御書 P1300
上行菩薩の大地よりいで給いしにはをどりてこそいで給いしか

◇希望の明日へ
学会には、難問答に巧みな"折伏の名人"が、たくさんおられる。邪法邪義を破り、御本尊の偉大さを教え、正法を弘通する"広宣流布の勇者"を、最大にたたえ、尊敬し、宣揚してきたのが学会の伝統である。ゆえに、正法を世界に弘め、正法とともに栄えることができた。

☆随筆 我らの勝利の大道 No.44 「庶民の勝利が学会精神」◇一念に辛労尽くし
昭和31年の「大阪の戦い」に臨むに当たって、私は日記に書き記した。
「仏天の加護を信ずるのみ。いや、美名にかくれた言語でなく、全魂を傾け、全霊を尽くして、初めて、仏天の加護を願うことだ」
師匠の広宣流布の構想を実現するために、何が何でも、断固として勝ってみせる! 滾(たぎ)り立つ闘魂の塊となって、青年の私は関西に突入した。
常に生命に刻む御文は、御義口伝の『一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり』(P790)の一節であった。
通途の仏教では「億劫」という長遠の修行を積み重ねて、初めて成仏できると説かれる。しかし日蓮仏法では、妙法を信受し、立正安国のため、すなわち人びとを幸福にし、社会を安穏にするために、苦難を恐れず勇猛精進することが、既に"億劫の辛労を尽くす"修行を行じているのである。ゆえに、その一念には、本来、わが生命に具わる仏の偉大な力が沸々と湧き上がってくるのだ。
関西の友は、私の心を心として、広宣流布の勝利のため、どんな苦労も厭わぬという決心で、祈り動き、語り戦ってくれた。地面を這うが如き庶民の奮闘によって、いかなる障魔も打ち破る仏の勢力が大結集していったのである。
「決意した民の行進の足を、何ものも押しとどめることはできない」──これは、同時代、アメリカで公民権運動を指揮していたキング博士の信念であった。

2011年4月11日月曜日

2011.04.11 わが友に贈る

さあ太陽の心で
友好の花を
満開に咲かせよう!
勝利 勝利の
栄冠を高らかに!

四条金吾殿女房御返事 P1134
此の経を持つ女人は一切の女人にすぎたるのみならず一切の男子にこえたりとみえて候

◇今週のことば
尊き皆様の大奮闘を
大聖人が御賞讃。
戦った功徳は永遠なり。
民衆の連続勝利で
日本に希望の大光を!
2011年04月11日

◇希望の明日へ
法論に臨んでは、相手が"一"言ってきたら、こちらは"十"言い返す。仏敵の「一の邪論」には「十の正論」で、徹底的に攻め、打ち破っていく。大聖入門下であるならば、この折伏精神がなければならない。学会は、大聖人に敵対する悪侶を、御書に仰せの通り、徹底して打ち破ってきた。一方、宗門は反論するどころか、何一つまともに答えていない。否、答えられない。この一点から見ても、学会の正義は明らかである。

☆随筆 我らの勝利の大道 No.44 「庶民の勝利が学会精神」「負けたらあかん!」
関西魂は世界の光なり


温かく
 また絆も強き
   同志かな
 創価の家族は
  世界の柱と


戸田城聖先生は、烈々と師子吼された。
「ここに、ひとつの覚悟をもって会長になった以上には、つらいも悲しいもあるものか。私のからだは皆さまの前に投げ出して、広宣流布の大闘士として、私は戦います」昭和30年、懐かしき大阪・中之島の中央公会堂での宣言である。
ただ苦しみ悩む民衆のために! これが立正安国を誓願する学会精神である。4月2日、恩師の祥月命日を迎え、いやまして創価の負けじ魂は燃え上がる。
「負けじ魂」とは、そもそも日蓮大聖人が御聖訓に記されている言葉である。
今回の大地震・大津波の後、学会では直ちに各地の会館を一時避難所として開放し、被災者の方々の救援に全力で当たってきた。懸命に助け合い、励まし合ってきた。現地での不眠不休の献身に、感謝は尽きない。学会本部の要請で寄せられた救援物資の中には、関西から届いた「負けたらあかん」と染め抜かれたタオルもあった。それを手に、勇気を湧き立たせた友も多かったと伺っている。16年前、あの阪神・淡路大震災を耐え抜き、不死鳥のように復興を遂げてきた関西である。この不屈の心こそ、関西魂だ。
兵庫が生んだ哲人・三木清は「闇の中へ差し入る光は最も美しい」と叫んだ。
深い闇に覆われた時代だからこそ、我らは手に手を取り合って立ち上がる!
「人間の力がどれほど尊極であるか」を示し、そして「民衆の連帯には勝ち越えられぬ苦難はない」ことを実証し抜いて、世界に希望の大光を贈りゆくのだ。

◎千葉県松戸選挙区で、藤井・秋林が大勝利! ご支援戴きました皆様に感謝!感謝!!

2011年4月10日日曜日

2011.04.10 わが友に贈る

満々たる生命力で
一日を出発しよう!
団結こそ勝利の力!
広布の大理想へ
異体同心の祈りを強く!

道場神守護事 P979
必ず心の固きに仮りて神の守り則ち強し

◇希望の明日へ
気候や経済、文化、国際関係、道徳観などの違いに応じて、各国の人々の考え方や生き方が異なるので、弘教のあり方も異なってくる。仏法は、どこまでも現実に即した教えである。"現地の人"を最大に大切にする。決して一国だけの風習や考え方を押しっけてはならない。それは大聖人の仏法ではない。

☆御書とともに(11)太陽と蓮華のごとく輝け!
明かなる事・日月にすぎんや浄き事・蓮華にまさるべきや、法華経は日月と蓮華となり故に妙法蓮華経と名く、日蓮又日月と蓮華との如くなり』(四条金吾女房殿御書、P1109)
【同志への指針】
「華陽」とは、「日月」(陽)と「蓮華」(華)の両方を包んだ甚深の名前である。どんな逆境をもはね返す妙法の力が備わっている。
女子部の皆さんは一人ももれなく自らの華陽の生命を輝かせて、幸福の勝利者になっていただきたい。

☆信心は持続! 闘魂を! 情熱を!「たとえ、どんな窮地に追い込まれても、絶対に弱気になってはいけないよ。
一番怖いのは、自分に負けてしまうことだ。挑戦、挑戦、挑戦だ。最後まで希望をもって、勇気をもって、挑戦しぬくんだよ。それが学会精神だ。」
それぞれが広布の一つ一つの課題に、全力で挑戦し、勝ち抜いていくことです。
小さな勝利が集まってこそ、大勝利があるんです。
さらに、広布の戦いは持続です。苦労に苦労を重ねて、あと一歩というところまで来ても、気が緩み、手を抜けば、そこから崩れてしまう。
大聖人は、『始より終わりまで弥信心をいたすべし・さなくして後悔やあらんずらん』(P1440)と仰せです。
だから、決して油断したり、あきらめたりするのではなく、闘魂を、情熱を、いや増して燃え上がらせ、一つ、また一つと、着実に勝利の旗を打ち立てていくことです

◎本番当日、全力で最後まで執念の行動で、さくら爛漫の勝利を!

2011年4月9日土曜日

2011.04.09 わが友に贈る

広布のために
自分が先頭に立て!
断じて道を開け!
戦いは勝つと
決めた者が必ず勝つ!

祈祷抄 P1351
大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず

◇希望の明日へ
法を聞いても、その人がすぐに入信するとはかぎらないことは言うまでもない。場合によっては、激しく反対されたり、批判されることもあるだろう。しかし、正法を聞かせた開法下種の功徳は、友人が入信を決意した場合の発心下種の功徳と同じである。また、仏になる種子を、友の"心の田"に植えつけたのだから、いつかは必ず信心が芽生えることを確信して、広い心で、焦らずに、悠々と、着実に、多くの人々の幸福を祈っていっていただきたい。

☆御書とともに(10) わが地域を誉れの寂光土に
日蓮が難にあう所ごとに仏土なるべきか、娑婆世界の中には日本国・日本国の中には相模の国・相模の国の中には片瀬・片瀬の中には竜口に日蓮が命を・とどめをく事は法華経の御故なれば寂光土というべきか』(四条金吾殿御消息、P1113)
【同志への指針】
日蓮大聖人の仰せのまま、最も尊き仏法のため、労苦を惜しまず、我らは戦う!
わが使命の地域も必ず寂光土になる。勝利の旗を打ち立てるのだ!

2011年4月8日金曜日

2011.04.08 わが友に贈る

「いよいよ強盛の
御志あるべし」
執念で壁を破れ!
絶対勝利の人生こそ
わが信仰の真髄だ。

開目抄下 P233
正法を護らんと欲せば彼の貧女の恒河に在つて子を愛念するが為に身命を捨つるが如くせよ
◇希望の明日へ
妙法を根本とした"正義の声"は、大宇宙に響いていく。根本的に、社会に、希望へのリズムを与えていく。とともに、語った分だけ、その法が、その福徳が、自らの生命に、永遠に刻まれていく。"雄弁は生""沈黙は死"である。つねに真実を語らねばならない。正義を叫ばねばならない。

☆御書とともに(9) 友の仏性を呼び覚ます祈りを
一度妙法蓮華経と唱うれば一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵王・帝釈・閻魔・法王・日月・衆星・天神・地神・乃至地獄・餓鬼・畜生・修羅・人天・一切衆生の心中の仏性を唯一音に喚び顕し奉る功徳・無量無辺なり』(法華初心成仏抄、P557)
【同志への指針】
題目を唱え抜きながら前進だ!
我らの広宣流布の戦いは、ありとあらゆる衆生の仏性を呼び覚ましゆく善の大闘争である。

2011年4月7日木曜日

2011.04.07 わが友に贈る

「副役職」の友が
各地で大奮闘!
「私はやりきった」と
勝利の大宣言を
ともどもに残そう!

種種御振舞御書 P910
各各我が弟子となのらん人人は一人もをくしをもはるべからず

◇希望の明日へ
大聖人の仏法は下種仏法である。大聖人の教えを語っていくことが正法流布の前進となる。その行動の中に無量の福徳が備わってくる。発心下種、開法下種といって、語った相手がすぐに信心を起こす場合(発心下種)も、起こさない場合(開法下種)も、その功徳は同じである。ゆえに語り抜くことである。そこに正義がある。正しき令法久住がある。万年への広宣流布の道が開けてくる。

☆御書とともに(8) 「勇気の剣」で勝利を開け
つるぎなんども・すすまざる人のためには用る事なし、法華経の剣は信心の けなげなる人こそ用る事なれ 鬼に・かなぼうたるべし』(経王殿御返事、P112)
【同志への指針】
勇気ある信心にこそ、無敵の妙法の力が現れる。強盛なる祈りと、不撓不屈の「負けじ魂」で、断じて勝利を開きゆけ!

2011年4月6日水曜日

2011.04.06 わが友に贈る

苦難に打ち勝つ
創価の底力を
満天下に示す時!
団結と誠実の力で
偉大な歴史を創れ!

四菩薩造立抄 P988
日蓮は世間には日本第一の貧しき者なれども仏法を以て論ずれば一閻浮提第一の富る者なり

◇希望の明日へ
仏法では『声仏事を為す』(P708)と説く。妙法に基づいて、広布のため社会のために、語りに語り、訴えに訴え、正義の声を広げに広げていくことが、正しい、宇宙の法にかなった道である。特に現代は一見、安定し、強く固まっているかに見えて、そのじつ、極めて流動的な社会である。人々の不安も大きい。このときに堂々たる大音声で"こちらに正しい道がある""こちらに安穏の道がある"と明確に示してあげられたところが、次の時代をリードしていくチャンピオンとなろう。

☆御書とともに(7) 師弟の広布旅は三世永遠
過去の宿縁追い来つて今度日蓮が弟子と成り給うか・釈迦多宝こそ御存知候らめ、「在在諸仏土常与師倶生」よも虚事候はじ』(生死一大事血脈抄、P1338)
【同志への指針】
仏法の師弟の絆は、三世永遠である。この絆は誰人も壊すことはできない。
常に、師と共に使命の天地に生まれ、元初の誓願を果たしていくのだ。苦悩渦巻く娑婆世界を、常楽我浄の仏国土へと忍耐強く変革していくのだ。いつも、心は一緒である。広宣流布のため、共に戦い、断固として勝つのだ。

◎今号が記念の1,500号!、やったね!頑張ったね! 「継続は力なり」

2011年4月5日火曜日

2011.04.05 わが友に贈る

きょうを全力で!
「未来の果」は
「現在の因」にあり。
わが使命の舞台で
粘り強く勝て!

寺泊御書 P953
日蓮此の経文に当れり汝等何ぞ此の経文に入らざる

◇希望の明日へ
弘法についても、焦る必要はない。入信したいという人については、当然それはうれしいことだが、決して無理をしてはならない。一人一人が立派に育っていくことがもっとも重要である。一人の厳たる"灯台"があれば、家族、友人、地城、社会もみな、安心である。自身がその灯台になることである。また折伏が難しいのは、経文と御書に照らし当然といえる。大事なのは、相手を思い、法を弘めようという一念である。祈りである。その一念、祈りがあれば、それ自体が自身の成仏の因となっていく。

☆随筆 我らの勝利の大道 「不撓不屈の民衆城」
ある時、大聖人は御自身の近況を、内外に向かって、こう発信しておられた。
度度の大事にもおくする心なく弥よ強盛に御坐す』(同1451)と。
大難があればあるほど、いよいよ意気軒昂に、いやまして力強く指揮を執っておられるとの宣言である。
東北出身の青年詩人・石川啄木は、日蓮大聖人の御振る舞いに深く学びながら、論じていた。
「この世界の最も堅牢なる城廓」は何か。それは「人の信念也」と。
信念光る東北の同志の城、創価の人材の青葉城は、永久に難攻不落である。
さあ、いよいよ強く、勇気に燃えて前進だ!これが学会精神である。
今こそ、題目を朗々と唱え、永遠に輝く大勝利の歴史を残しゆこう! 「青葉の誓い」の歌とともに。

♪おお新生の 道広く
王者の鼓動は 雄渾に
三世の光と ひらかなん
これぞ元初の 太陽と
ああ東北の凱歌の人々よ

2011年4月4日月曜日

2011.04.04 わが友に贈る

学会家族は
励ましの集いだ。
苦楽をともに
祈り 動き 語り
皆で和楽の前進を!

四条金吾殿御返事 P1185
今度の命たすかり候は偏に釈迦仏の貴辺の身に入り替らせ給いて御たすけ候か

◇今週のことば
「異体同心」こそ
最も強い勝利の力だ。
全同志の団結で
一切を勝ち超えよう!
広宣流布のために!
2011年04月04日

◇希望の明日へ
学会員は、社会的に何か特別な地位や肩書をもっているわけではないし、特権もない。しかし何よりも、折伏を行じている。日々真剣に正法流布に尽くしてきた。これ以上に尊く偉大な"業績"はない。その事実を、御本仏・日蓮大聖人が最大に讃嘆され、お喜びになっていると、確信する。

☆随筆 我らの勝利の大道 「不撓不屈の民衆城」
◇眼前の人を励ませ
エマソン協会の前会長、ワイダー博士も、心を込めて綴ってくださった。
「とりわけ、災難に立ち向かわれる創価学会の女性たちの友情の力、そして人びとに励ましを与えていこうとする決意に、私の心は深く揺さぶられました」と。
人間主義といっても、まず自ら手を差し出し、目の前の人の手を握ることだ。傍らの人と支え合い、励まし合うことだ。そこから、すべてが始まる。
地域に根を張って、身近な一人を大切にしていく、創価の女性のヒユーマニズムほど尊貴な太陽はない。

◇未来を開く勇気を
ナチスに対峙した思想家パウル・ティリッヒは、第2次世界大戦後、核戦争の不安が広がるなか、「存在への勇気」すなわち「生きる勇気」を叫んだ。
今、私たちが要請されているのは「皆で共に生き抜く勇気」である。そして、「未来の世代のために道を開きゆく勇気」であろう。
思えば、わが師・戸田城聖先生は、あの横浜市神奈川区・三ツ沢の陸上競技場での原水爆禁止宣言において、「世界の民衆の生存の権利」を師子吼された。
民衆の生存権を脅かす一切の魔性との大闘争こそ、広宣流布である。ゆえに、断じて勝たねばならない。

2011年4月3日日曜日

2011.04.03 わが友に贈る

さあ友好の春!
勇気の一歩を
勢いよく踏み出そう!
心通う語らいで
地域に安心の光を!

日女御前御返事 P1243
爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉る

◇希望の明日へ
幸福は、だれかが与えてくれるものではない。自分の手でつかむものである。"自分のため"に信心をし、折伏・弘法に励んでいくことが、そのまま大聖人の御遺命たる広宣流布のためであり、末代までも包みゆく福徳の源泉となっている。

☆随筆 我らの勝利の大道 「不撓不屈の民衆城」
日本中、そして世界中の識者や友人、同志から真心あふれるお見舞いと励ましのメッセージを頂戴し、厚く厚く御礼申し上げたい。
お見舞いをくださった各国・各地域も、経済危機をはじめ、地震や津波、台風、洪水、噴火、口蹄疫など、それぞれ深刻な課題に直面し必死で戦っておられる。
世界的な国際法学者で、デンバー大学の副学長であるナンダ博士は、万感の励ましを寄せてくださった。
「創価学会は、長年にわたり、悩める人びとの救済と励ましに戦ってこられました。そして、この大震災にあたり、民衆救済のため、いよいよその本領を発揮されている姿に、深い感動を禁じ得ません」
博士は、私たちが主張してきた「人間の安全保障」の一層の重要性を指摘し、こうも語ってくださった。
「SGI会長は、いみじくも『心の財』だけは絶対に壊されないと励まされました。
であるならば、私たちは今こそ、いかなる脅威にも打ち勝つことができる『精神の安全』を、わが心に深く培わねばなりません。その模範を示し得る創価学会の役割が、ますます不可欠となってくるのです」

「立正安国論」は、西暦1257年に起こった『日本国をふりゆるがす正嘉の大地震』(P266)を機縁として執筆された。その対話では、『国中の難・余独り嘆くのみに非ず衆皆悲む』(P17)と慨嘆されている。
まさに、今も人類の眼前にある苦難と苦悩の姿といわざるを得ない。しかし、750年前と異なるのは、大聖人の御心のままに「立正安国」の精神を実践しゆく民衆のネットワークが、世界192カ国・地域に堅固に築き上げられていることである。災害が打ち続き、人心が揺れ動く社会だからこそ、確固たる生命尊厳の思想と活力ある希望の哲学、他者のために貢献する人間主義の連帯が何よりも大切だ。国は法に依って昌え法は人に因って貴し』(P26)とは、「立正安国論」の一節である。
人間の正しき信仰と行動によって、仏法の尊さが顕現される。その偉大な仏法の力によって、民衆の幸福と国土の安穏が実現していくという法理である。ここに創価の光がある。

2011年4月2日土曜日

2011.04.02 わが友に贈る

歴史を創るのは
青年の熱と力。
勇敢に立ち上がれ!
創価の若人こそ
日本と世界の柱だ。

撰時抄 P283
漢土日本に智慧すぐれ才能いみじき聖人は度度ありしかどもいまだ日蓮ほど法華経のかたうどして国土に強敵多くまうけたる者なきなり、まづ眼前の事をもつて日蓮は閻浮提第一の者としるべし

◇希望の明日へ
弘法は、まず御本尊に、きちっと祈っていくことである。この「祈り」を根本に、決して焦ることなく、無理をすることなく、朗らかに、堂々と、"仏の使い"の使命を自分らしく果たしてほしい。その行動自体が、この世で最高に尊き菩薩の行である。また全部、自分自身のためである。さらに、無量の福徳を、一家一族にまでも開いている。

☆随筆 我らの勝利の大道 「不撓不屈の民衆城」♪風雪越えし 我等こそ
地涌の正義の 旗頭
今 堂々の 陣列は
使命の旗を 高らかに
ああ東北の歓喜の友々よ


「仏」の異名を「能忍(能く忍ぶ)」という。
わが尊き東北の友には、いかなる風雪にも屈しない偉大な能忍の生命が、たゆまず激しく燃えている。
自らの疲労も、悲嘆も、さぞかし深いに違いない。
しかし亡くなった方々を胸に抱きしめながら、創価の精神を発揮して、人びとの大救済に命を懸けて戦い続けてくださっている。
なんと勇敢な、なんと不屈の、なんと慈愛に満ちた仏の振る舞いであろうか。
感謝しても感謝しても、感謝しきれない。
災害に苦しむ民衆のために奔走したゲーテの洞察が思い起こされる。
すなわち、一人の人間が「あらゆる人生試煉のうちの/最も苦しいものを凌いで、自己を克服するとき」──私たちは、「これこそ此の人の真骨頂だ!」と讃嘆すべきだというのだ。
大聖人は、法難の地・佐渡から、鎌倉の弟子たちに書き送られた。
何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり』(P1132)
この御聖訓を拝しつつ、私と妻も、「わが宝友を守り給え!」「わが同志よ負けるな!」と、諸天を揺り動かす一念で、題目を送り続けている。
門下の試練が厳しければ厳しいほど、大聖人は厳然と励ましてくださった。
「太陽の前には、いかなる闇も消え去る。それと同じく、不二の師弟は、たとえ地獄であっても、寂光土に変えることができる」(P1173、趣意)と。
どんなに深い苦悩と悲痛にあろうとも、我らには、妙法がある。同志がいる。学会がある。
信心の光で打ち破れない闇など、断じてないのだ。

2011年4月1日金曜日

2011.04.01 わが友に贈る

さあ 4月が到来!
希望に向かって
心一つに出発しよう!
対話の春風で
わが地域を包め!

聖愚問答抄上 P491
知恩をもて最とし報恩をもて前とす世に四恩あり之を知るを人倫となづけ知らざるを畜生とす

◇希望の明日へ
声仏事を為す』(P708)である。しゃべらなければならない。声で、言論で戦っていかねばならない。民衆が心から納得し、心から語り始める時、時代は音をたてて変わり始める。胸を配り、頭を上げて、朗らかに、何物をも恐れず、語っていかねばならない。その時に知恵が出る。その時に、境涯も開ける。目の前に広々と道も開けてくる。

☆随筆 我らの勝利の大道 「不撓不屈の民衆城」青葉の森に 誓いたる
我等の誇り 忘れまじ
いかに護らん果たさなん
同志の城に 月冴えて
ああ東北の功徳の山々よ


大好きな「青葉の誓い」(東北の歌)の歌声が私の胸に響かぬ日は、一日たりともない。
愛する東北の同志たちと心を一つに、幾たび一緒に歌ったことであろうか。
健気な東北の友の『心の財』が積まれた「功徳の山々」は、絶対に壊されない。
今回の東日本大震災で、東北また関東をはじめ、大切な御家族を亡くされた方々に、私は重ねて心からの哀悼の意を表します。朝な夕な懇ろに追善回向をさせていただいております。南条時光の一家は、働き盛りの父に先立たれた。頼もしき弟も、16歳の若さで急逝した。
その母(上野尼)の悲しみに寄り添われて、日蓮大聖人は『ゆめか・まぼろしか・いまだわきまへがたく候、まして母のいかんがなけかれ候らむ』(P1567)等と、繰り返し哀惜しておられる。
こうも仰せくださった。
同じ妙法蓮華経の種を心に・はらませ給いなば・同じ妙法蓮華経の国へ生れさせ給うべし、三人面をならべさせ給はん時・御悦びいかが・うれ(嬉)しくおぼしめすべきや』(P1570)
いかに不慮の別れであったとしても、妙法に縁した生命は、仏天に厳として擁護され、守護されながら、成仏の軌道を悠々と進まれゆくことは間違いない。
妙法で結ばれた家族の絆は何ものにも切られない。ひとたび離れても、また必ず同じ妙法の国に生まれ合わせ、常楽我浄の不滅の旅を一緒に歩める。これは、御本仏の約束であられる。
ともあれ後継の御家族は、つらいでしょうけれども、すべてを信心の眼で深く見つめ、毅然と前へ進んでいかれることを祈念してやみません。そこに、御一家の永遠の幸福境涯が必ず開かれるからであります。