2011年3月21日月曜日

2011.03.21 わが友に贈る

全世界の同志が
祈り見つめている。
創価の不滅の団結で
希望の未来を開け!
今がその時だ!

撰時抄 P260
正像二千年の大王よりも後世ををもはん人人は末法の今の民にてこそあるべけれ

◇今週のことば
苦楽ともに思い合せて
題目また題目だ。
難を乗り越える信心で
変毒為薬の実証を!
立正安国の前進を!
2011年03月21日

◇希望の明日へ
大聖人の仏法は「文底下種の仏法」である。自らが題目を唱えつつ、広く仏縁を結び、妙法に触れさせていくところに、修行の根本もある。したがって相手が信仰するかどうかは、別の問題である。法を聞かせる「聞法下種」も、御本尊を受持させる「発心下種」も、ともに、まったく同じく、立派な弘法である。功徳に変わりもない。まして"謗法の国"である日本以外は、みな"無智の国"である。人類の多くは、まだ、この大法の教義も、名称をも知らない。その人々の心に、「妙法の種子」すなわち幸福と平和への種子を植えていくのが、創価学会の使命である。学会員が友人と親しく交際し、誠実に心を通わせていくならば、それ自体が仏縁につながる場合がある。また、その人々の幸福を祈っていくことが大事であり、あるときには自然のうちに、下種仏法の話になる場合もあろう。しかし、決して、信仰するかどうかで論争したり、無理に入会を勧めるなど互いに感情的になったりしてはいけない。どうしても信仰させてあげたいという真心は真心として、焦ったり、窮屈に考えることは誤りである。一度結んだ仏縁は、時を得て必ず芽を出し、花開いていくのである。

☆新時代第47回本部幹部会へのメッセージ
終わりに、昭和31年(1956年)、あの大阪の戦いに臨んで、関西の同志とともに拝した御金言を、今再び心肝に染めたい。
よき師と・よき檀那と・よき法と此の三寄り合いて祈を成就し国土の大難をも払ふべき者なり』(P550)と。
さあ、無敵なる「師弟不二」の信心、そして「異体同心」の団結で、あの地にも、この地にも、勝利、勝利の創価桜を爛漫と咲かせゆこう!
全同志が『冬は必ず春となる』(P1253)との希望の人生を勝ち開かれることを祈りに祈って、私のメッセージといたします。皆、お元気で!