2011年3月6日日曜日

2011.03.06 わが友に贈る

対話の道を進もう!
今日の勇気の一歩が
広布の未来を開く!
我らの歩んだ足跡に
友情の花は爛漫と!

法華証明抄 P1587
上下万人にあるいはいさめ或はをどし候いつるについに捨つる心なくて候へばすでに仏になるべしと見へ候へば天魔外道が病をつけてをどさんと心み候か命はかぎりある事なりすこしもをどろく事なかれ

◇希望の明日へ
勤行には"生命の整頓""生命の調整"への働きがある。不幸の方向へ行かないように軌道を整えていく。
また唱題は福運の"貯金"となる。雨によって、芝生の緑が生き返るように、生命を生き生きと蘇生させ、開き、円満な完成へとつくり上げていく。
ゆえに、一生涯、御本尊から離れてはいけない。

▽未来部が各地で卒業部員会。君たちの活躍の舞台は世界。希望の翼で飛翔
▽困難があるほど我が心は強く雄々しくなる−ガンジー さあこれから!堂々前進

☆随筆 我らの勝利の大道 「仏法西還」の大光
◆楽しき「座談」を

1992年の2月16日、日蓮大聖人の御聖誕・満770年の日を、私はインドの同志と祝賀することができた。ニューデリーのインド文化会館で記念の勤行会を行い、久遠の家族の如く和やかに懇談した。
まるで大聖人も、釈尊も、ご一緒に見守ってくださっているような、大歓喜のあふれる会座となった。
私は一方的に話すのではなく、質問会として語らいを進めた。自由に何でも聞き合い、語り合っていく座談こそ、まさに釈尊以来の仏法の伝統であるからだ。
質問の一つに──
「SGIの指導として、『雄弁』や『知性』『慈愛』などが目標に挙げられていますが、自分はなかなか実行できません」という率直な問いもあった。
私は申し上げた。
「ありのままの自分でよいのです。題目をあげきりながら、自分らしく、伸び伸びと進んでいけばよいのです。自体顕照です。本来の自分自身を輝かせていくのが、大聖人の仏法です」
「ありのままの『凡夫』そのもので進んでいく。題目根本に、少しずつでも向上していく。これが正しい姿であり、人間らしい生き方ではないでしょうか。仏法は無理のない、万人に開かれた大法なのです」
──私が答えると、友の笑顔が弾け、輝き渡った。
法華経の随喜功徳品には随力演説」(力に随って演説せん)とある。
窮屈に考える必要はない。大事なのは、素直に御本尊に祈ることだ。明るく誠実に語ることだ。その繰り返しの中で、友を自然と包み込める境涯になっていく。友のために尽くそうとの心が湧き起こってくる。
ともあれ、勇気を出して祈り語った分だけ、自他共の幸福への仏縁が広がる。
古代インドの詩人ティルバッルバルも語っている。
「『これは難しい』と言って打ち萎れるべきではない。努めることが偉力をもたらす」
この訪印の折、婦人部の方々から届けられたアルバムを、妻と拝見しながら、私は綴り贈った。
「負けない人は幸福
恐れない人は幸福
信つよき人は幸福
皆さまは幸福の王女なり」