無事故を祈ろう!
会合の行き帰りには
注意の呼び掛けを!
あらゆる油断を拝せ!
四条金吾殿御返事 P1194
『多くの月日を送り読誦し奉る所の法華経の功徳は虚空にも余りぬべし』
◇希望の明日へ
学会は"信・行・学"ともに、御本仏・大聖人の仰せのままの強盛な信仰を貫いてきた。ゆえに、草創以来受けた大難はすべて厳然と乗り越え、正法を世界へとこれだけ拡大することができた。これほどの難を受けたのは学会だけである。これほどの難を受けながら、これほどの広宣流布を成し遂げた。他のだれにできるであろうか。まさに信心の「心」が固かったからである。この事実の姿に、学会の正しさは明白に映し出されている。
☆魂の人間賛歌 〜ジャズと人生と仏法を語る〜 第8回 桜梅桃李の個性
仏法には『桜梅桃李の己己の当体を改めずして』(P784)という御文があります。
すなわち、桜も梅も桃も李も、寒さに負けず、時とともに自らの花を爛漫と咲かせます。他の花を羨んだり、妬んだりなどしない。それぞれが、ありのままに、個性豊かな花を色とりどりに開花させていきます。
人間も皆、尊極なる生命を持っています。その生命を、最大に輝かせ、自分らしく尊き使命の花を咲かせ切っていく。これが「自体顕照」です。そして、互いに尊敬し合い、学び合い、励まし合って、幸福と歓喜の花園を広げていくことです。ここに妙法の世界があります。
戸田先生は、個性について、よく言われました。
「どんなに立派な人間でも、短所がある。また、どんな癖のある人間でも、長所がある。そこを活かしてあげれば、皆、人材として活躍できるのだ」と。
常に、自らの本源的な生命に立ち返って、生まれ変わったように新出発していくのです。
戸田先生は教えてくださいました。
「行き詰まりを感じたならば、大信力を奮い起こして、自分の弱い心に挑み、それを乗り越え、境涯を開いていくことだ。それが、我々の月々日々の『発迹顕本』である」と。
ですから、妙法に生きる私たちは、毎日が久遠元初であり、毎日が元旦です。今日も、わが生命に赫々たる元朝の太陽を昇らせ、無明の闇を打ち破っていける。
その暁鐘こそ、南無妙法蓮華経という音律なのです。
御聖訓には、『一念無明の迷心は磨かざる鏡なり是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし、深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし』(P384)と説かれています。
わが生命を明鏡の如くに磨き上げる−−ここに、たゆみなき仏道修行の意義があります。
私は、ハーバード大学での二度目の講演で、釈尊がどんな人たちとも自在の対話をなしえたのは"あらゆるドグマ(教条、独断)や偏見、執着から自由であったからである"と指摘しました。
そして釈尊の言葉を通し、人の心に刺さっている"差異へのこだわり"という「一本の矢」こそ、克服されるべき悪であると強調しました。それは人間の外ではなく、内面にあります。