"もう5分"の努力で
自身の壁を突破せよ!
ベストを尽くし
悔いなき挑戦劇を!
華果成就御書 P900
『常にかたりあわせて出離生死して同心に霊山浄土にてうなづきかたり給へ』
◇希望の明日へ
たった一人でも、現実に、立派な正法の信者をつくる人が、偉いのである。一生涯、初心のままに、広宣流布を進める人が本当の地涌の菩薩である。立場ではない。形ではない。権威ではない。過去の功績でもない。焼き物職人が、焼き物を作らなくなったら、もはや職人ではない。地涌の菩薩が広宣流布に励むことをやめたら、地滴の菩薩ではないのである。
☆御書と青年 冥の照覧の誉れ
創価の未来は、すべて君たちにかかっています。その根幹は不屈の信心であり、御書です。
戸田先生のもとで、私は、日々、御書を一文一文、心肝に染める思いで拝しました。
『つるぎなんども・すすまざる人のためには用る事なし、法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ鬼に・かなぼうたるべし』(P1124)
これは、当時の日記に書き留めた御金言の一節です。この仰せ通りに勇敢に進んできたから学会は勝ったのです。
学会の実像を見せることは、百万言の説明にも勝ります。
御聖訓には、『現在に眼前の証拠あらんずる人・此の経を説かん時は信ずる人もありやせん』(P1045)と仰せです。
仏法は抽象論でもなければ観念でもない。「現証」です。「人の振る舞い」です。
皆のために率先して行動する丈夫の英姿、皆の心に清々しい希望の響きを贈る乙女の声−−、一つ一つが正しい信心の実証であり、尊き仏の如き振る舞いです。