人生に勝つことだ!
信頼も実証も
そこから生まれる。
一日を快活に出発!
御講聞書 P819
『経行若坐臥とは法華経の行者の四威儀の所作の振舞、悉く仏の振舞なり、我等衆生の振舞の当体、仏の振舞なり』
◇希望の明日へ
信心の実践で、もっとも大切なことは何か。それは勇気である。勇気には正義も幸福も同志愛も功徳も含まれる。"仏法は勝負"と説かれる。一生成仏できるかどうか、広宣流布できるかどうか、全部、勝負である。その本質は、御書に仰せの通り、魔との戦いである。戦いは、勇気なくして勝てない。勝たなければ正義は証明できない。
☆御書と青年 創価の連帯・人間の善性の結合
◇わが身が「宝」の存在
ある女子部員から「私たちの創価の対話は、何を目指しているのでしょうか」との質問
大事な質問です。一つの角度から敷衍すれば、私たちの対話は、「人間の結合」を深め、広げていく運動であると言ってよい。それは「善性の連帯」の拡大とも表現できるでしょう。
「御義口伝」には『喜とは自他共に喜ぶ事なり』『自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり』(P761)と仰せです。
私たちの対話が目指しているものは、何か。自他ともの「仏性」の開発です。それは、智慧と慈悲が輝く生命の最高の善性の開放でもある。
不軽菩薩の実践。人間尊敬の哲学を復興し、万人が尊極な存在とされる時代を築くこと
「難信難解」というように多くの人は、自身に尊極の「仏の生命」が具わっていることが信じられません。我が身が、無限の可能性を持つ「宝の存在」であることに気がつかないのです。
自分を卑下する人がいる一方で、「自分は特別だ」と傲って他人を見下し、万人が平等に尊貴だとは認められない人もいる。友人と仏法対話をしても、なかなか理解してもらえないという経験は、皆も多く持っているでしょう。
究極的に言えば、私たちの対話は、不幸と分断を生み出す魔性との戦いであり、人間への不信と憎悪をもたらす無明との闘争といえる。
御書には、その激しさについて『第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして・法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土を・とられじ・うばはんと・あらそう』(P1224)と記されています。
折伏も、友好拡大も、家庭訪問も、すべて相手の仏性を敬うという哲学の実践です。エゴと不信が渦巻く社会の中で、これほど人間を信頼し、行動を重ねている団体が、どこにあるだろうか。