2010年6月29日火曜日

2010.06.29 わが友に贈る

一番苦しい時が
一番楽しい歴史に。
それが人生だ!
「今生人界の思出」を
共々に築き残そう!

妙法尼御前御返事 P1404
されば先臨終の事を習うて後に他事を習うべし

◇希望の明日へ
無理や強制で大勢の人をリードしていけるはずがない。長続きするわけがない。広宣流布どころか、みな、離れていってしまう。結論していえば、すべてにわたって、どこまでも"その国の幸福のため""その人の幸福のため"に、一番よい道を考えてあげるのが、仏法の心である。それが、釈尊の心であり、大聖人の御心なのである。常識のある柔軟な知恵にこそ、仏法の光は輝いている。そこに真の強盛な信心はある。

▽アメリカバージニア州の名門学府ジョージ・メイソン大学から名誉人文学博士号

☆随筆 我らの勝利の大道 「立正安国」と創価の誓い
日蓮大聖人は、文応元年(1260年)の七月十六日、幕府の実質的な最高権力者・北条時頼に「立正安国論」を提出された。民衆の苦悩の声が渦巻き、平和が脅かされる危機の世にあって、"人間の心に正義を打ち立てて、国家・社会を安寧ならしめる"という不滅の原理を明らかにされたのである。
以来、七百五十星霜。人類の永遠平和を決意する創価の青年たちは、「立正安国」への未聞の歴史を開いてくれている。

一体、何を護るというのか。
その内実は、権力者たちの保身であり、わが身の安泰に過ぎなかった。そこには、国土全体を栄えさせゆく哲学も理念もなければ、民衆に尽くしていこうとする慈愛も責任感もなかったのである。それゆえに、あきらめと絶望の闇が、人びとの心を重く暗く覆っていた。その闇を鮮烈に切り裂く、勇気と希望の師子吼こそ「立正安国論」であった。安んずるべき「国」とは、あくまで民衆が暮らす社会であり、民衆が生を営む国土である。護るべきは、民衆なのだ。大聖人は「立正安国論」の中で、通常の「國・国」の字に代えて、しばしば「くにがまえ」に「民」と書く「国」を用いられた。王がいて「くに」があるのではない。民衆がいてこそ「くに」もある。その民衆のために悩み、苦しみ、祈り、戦い、時を逃さず、いかに具体的に心を砕き、手を打っていくか。指導者に問われるのは、常にこの一点である。ここに、我ら創価学会の変わらざる行動がある。