2022年1月24日月曜日

2022.01.24 わが友に贈る

◇今週のことば
「青年」と語ろう!
誠実に耳を傾け
希望を分かち合う。
「未来までの仏種」を
今日も若き命の大地に!
2022年1月24日

四条金吾殿御返事 P1184
『いよいよ道心堅固にして今度仏になり給へ』

【通解】
いよいよ信心を強盛にして今生に成仏を期していきなさい。

名字の言 進むべき道を見つける 2022年1月24日
飛行機は空を自由に飛んでいるように見える。だが、実際は「航空路」という決まった"空の道"がある。途中には、「ウェイポイント」と呼ばれる通過地点も設定されている。ここを飛ぶことで、空の安全が守られている▼広島の男子部員が10年間の引きこもりを乗り越えた。きっかけは「地道に祈ってみない? 必ず人生が軌道に乗るから」との母の言葉。どんな時も自分のことを思い続ける母の真心を信じて、御本尊の前に座ることから開始した▼"やっぱりダメだ"と思うこともあった。そのたびに、男子部の先輩が声を掛けてくれた。多くの支えがあって、彼は社会人として一歩踏み出すまでに。この蘇生劇は、彼だけではなく周囲にも、信心の喜びを広げた▼文豪・夏目漱石は、自らが進むべき道を見つける喜びを、青年に語っている。「ああ此処におれの進むべき道があった! 漸く掘り当てた! こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたは始めて心を安んずる事が出来るのでしょう」(『漱石文明論集』岩波文庫)▼航空路のように、たとえ目には見えなくとも、確かに存在する道が人生にはある。私たちの信仰は、自由自在に大空を舞うような境涯を築く「幸福の軌道」である。

寸鉄 2022年1月24日
大きな苦難があるから、大きな宿命転換が—戸田先生。師子吼の題目が力
兵庫・尼崎の日。「世界の関西」の電源地。誇りに燃え友情拡大の大波を!
「天晴れぬれば地明らか」御聖訓。信心即生活の勇者、仏法即社会の賢者に(新146・全254)
他者の幸せ願う事が心の健康を維持—研究。試練の時こそ絆を広げる対話
国連「教育の国際デー」。誰もが平等に学べる社会を。そこに平和創る鍵が

〈社説〉2022・1・24 あす「大阪事件」無罪判決60年
◇師弟の魂輝く人権闘争の源流
あす「1・25」は、「大阪事件」無罪判決の日である。
1957年、事実無根の公職選挙法違反容疑で不当逮捕・起訴された池田先生。4年半に及ぶ法廷闘争の末、62年1月25日、正義は厳然と証明された。本年で60年。横暴極まる権力の弾圧に屈せず戦い抜いた、この「民衆勝利の日」の意義を改めて考えたい。
1点目として、そこには創価の師弟を貫く不屈の闘魂が燃える。
戦時中、初代会長・牧口常三郎先生と第2代・戸田城聖先生は軍部政府と戦って投獄され、牧口先生は殉教。先師・恩師の精神を継いだ第3代の池田先生も権力の魔性と対峙し、入獄した。
57年の7・17「大阪大会」で、出獄したばかりの先生は"最後は信心しきった者が必ず勝つ"と師子吼した。会場となった中之島の中央公会堂と川を挟んだ対岸に、法廷闘争の舞台、大阪地裁がある。草創の母たちは、厳粛な正義の叫びを生命に刻んだ。そして、判決の日まで、師の無罪を深く祈り、広布に駆けた。
今、「1・25」は「関西女性部の日」に。地域内に大阪地裁がある常勝北区・常勝正義支部では、池田華陽会やヤング白ゆり世代の活動者が増加。コロナ禍にあっても各部団結の前進を重ね、この2年間で23人が新たに入会し、正義の心を継承している。
2点目として、「1・25」は創価の人権闘争の源流と輝く。
小説『人間革命』第11巻「裁判」の章に池田先生は記した。
「広宣流布とは、人間の尊厳と自由と平等とを勝ち取る人権闘争にほかならないはずである。そして、そこにこそ、創価学会の担うべき社会的使命もあろう」
この不屈の信念を原点として、その後のSGIのヒューマニズム運動が展開される。昨秋、制定された「創価学会社会憲章」でも、「人間の尊厳の尊重」を高く掲げる。関西における師の闘争は、民衆の尊厳を脅かす悪とは徹底して戦い、現実を変革しゆく、強き生き方の規範となっている。
アメリカ公民権運動のリーダーであるジェームズ・ローソン氏は「世界の諸宗教は、SGIの人間革命の実践、平和への献身を模範とするべきです」と本紙で語った。
苦難の時代だからこそ、師弟の魂を胸に、自他共の幸福光る社会の構築を——民衆勝利の旗を打ち立てゆく誓いの日としたい。

◇「旭日の千葉」対話拡大・人材拡大月間(24日〜2月20日)
1974年2月16日、池田先生は千葉を訪れ、"盤石な千葉"を合言葉に前進しようと真心の励ましを。これが「千葉の日」の淵源。月間では、地区ファミリー座談会を開催。聖教愛読の輪を大きく広げながら、対話・人材の拡大に挑みゆく。

☆いのちの賛歌 心に刻む一節 テーマ:生死と向き合う
企画「いのちの賛歌 心に刻む一節」では、御聖訓を胸に、宿命に立ち向かってきた創価学会員の体験を紹介するとともに、池田先生の指導を掲載する。今回は「生死と向き合う」をテーマに、鹿児島県の女性部に話を聞いた。

◇御文
『法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし。「現世安穏、後生善処」とは、これなり。
ただ世間の留難来るともとりあえ給うべからず。』(四条金吾殿御返事、新1554・全1143)

◇通解
法華経を受持する以外に遊楽はない。法華経薬草喩品第5の「現世安穏にして、後に善処に生じ」とはこのことをいうのである。
ただ、世間の種々の難が襲ってきても、取りあってはいけない。

◇夫と出会えたことに感謝
「俺は負けないから。生きるから」
大切にしていた人との死別ほど、悲しいものはない。慶田きぬえさん=鹿児島・薩摩池田県女性部長=は、2017年(平成29年)12月19日、最愛の夫・豊さんを自宅でみとった。
      ◇
「享年67歳でした。肺腺がんで、闘病生活は2年近くに及びましたが、最期まで弱音を吐くことはなかった」
慶田さんは穏やかに語る。
同郷の豊さんとは、地元の婦人部(当時)の紹介で21歳の時に見合い結婚。その後、豊さんの仕事の都合で神奈川県に移り住み、10年間を過ごした後、郷里へ戻ってきた。
そこで豊さんは、訪問マッサージの仕事を起こした。ところが、会社経営は想像以上に難しかった。夫婦で必死に祈りながら苦闘を重ねる日々。そんな中、豊さんは56歳でうつ病を発症する。
「同じ頃に長女が、その後に次女が、それぞれ人生の困難に直面して。私自身、本当に悩みました」
思い起こしたのは、かつて学会の先輩から教えてもらった「法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし」(新1554・全1143)の一節だった。
「その先輩は、法華経の『衆生所遊楽』という言葉を通して、『私たちは人生を楽しむために生まれてきたのよ』と教えてくれたんです。懸命に題目をあげる中、夫の症状は好転していき、娘たちもそれぞれ乗り越えていって……。やっぱり信心はすごいと歓喜した時、題目根本に宿命に立ち向かえること自体が、『遊楽』なんだと思えたんです」
ところが、宿命は容赦なく攻め寄せた。
豊さんが65歳の時。咳が続いたため、病院で検査したところ、レントゲン写真を見た医師が声を上げた。「肺が真っ白です」。後日の検査で肺腺がんと判明。「余命半年」と告げられた。
夫婦で自宅の仏壇の前に座ると、豊さんは、まるで自分に言い聞かせるように語ったという。
「大丈夫だ。俺は負けないから。生きるから」
抗がん剤治療が始まった。夫婦で祈りを合わせ、池田先生の指導や、本紙に掲載された信仰体験を読んでは励まし合った。
1年半ほど入退院を繰り返しながら治療を続けたが、やがて医師から「これ以上の治療は難しい」と言われ、2017年10月末に退院。自宅で訪問看護を受けるようにした。
その頃の豊さんは、ほとんど歩けないほど衰弱していた。それでも、「必ず治す」と希望を手放さず、病魔にあらがった。が、刻一刻と体はむしばまれていく。
同年12月17日、豊さんは、訪問してきた医師に「もういいですよ」と、静かに告げた。医師が帰った後、慶田さんに言った。
「俺は負けたわけじゃないから。また今度、生まれてきたら一緒になろうな」
慶田さんの目から、涙が止めどなくあふれた。迫る現実を直視したくなかった。
2日後の昼過ぎ、集まっていた親族に見守られて、豊さんは眠るように息を引き取った。りりしい顔つきだった。
出棺の日。夫にはスーツを着せた。夫婦で東京・信濃町の総本部を訪れた際に着ていた一張羅。「また、一緒に戦おうね」。夫を永遠の師弟旅に送り出した。
——あれから4年が過ぎた。慶田さんは、死別の悲哀にどう向き合ってきたのだろう。
「心の整理がつくまでに、1年以上はかかりました。今でも思い出せば悲しいし、さみしいというのが正直な気持ちです」
けれど、と慶田さんは言葉を継ぐ。
「それでいいんです。悲哀との向き合い方は人それぞれ。でも、どんな人も、いつか必ず、その出来事に意味を見いだしていける。私自身、信心の偉大さをわが身で教えてくれた夫に、心から感謝しています。『法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし』との仰せは、信心さえあれば、どんな現実にも負けず、悠々と全てを乗り越えていけることを教えられているのだと、私は確信しています」
亡くなる2カ月前、豊さんが病室で、慶田さんに語った言葉がある。慶田さんはそれを、書きとどめていた。
「池田先生の弟子でよかった」「師をもつことは、何よりの宝だ。家族も幸せにしてくださった」「もう一回、先生のために戦いたい」
命の極限にあって、口にしていたのは"師への感謝"だった。病魔と対峙する中で研ぎ澄まされた豊さんの心は、人生の真髄を捉えていたに違いない。
慶田さんは話す。
「闘病中、夫はひたすらに池田先生の指導を学び、御書を拝し続けていました。病状は進むのに、夫は微動だにせず、『大丈夫』と言い切っていて。すごい夫でした。そんな夫と出会えて、一緒に広布に戦えた。私は本当に幸せ者です」
池田先生はつづっている。
「『死』はすべての終わりではない。『生』も『死』も、永遠の生命の一側面である。妙法に根ざした生と死は、永遠常住の大生命を舞台としたドラマなのである。
広布に戦い抜けば、必ず一生のうちに、絶対の幸福境涯を築き、固めていける。その人は、永遠に『生も歓喜』『死も歓喜』という生命の軌道を進んでいくことができる」(池田大作先生の指導選集〈上〉『幸福への指針』)
豊さんが起こした会社は慶田さんが継ぎ、今も続けている。
「夫がいた時は、『今が一番幸せ』と思っていた。けれど、信心を貫く中で、たとえ夫はいなくても、生命の次元でつながり続けているんだと、実感できました。だから私は『今も幸せ』なんです」
生死を超えた生命の絆で固く結ばれ、今日も、師と共に戦い続ける慶田さん夫妻。
慶田さんのメモの最後に、豊さんの言葉でこうあった。「お母さん(慶田さん)は世界一だった。俺は、小さすぎた」

[教学コンパス]
人が喪失の悲哀から立ち直る過程は、"人生の物語の紡ぎ直し"という言われ方をする——津波被災地での調査研究をまとめた『死者の力』(高橋原・堀江宗正共著、岩波書店)では、そう述べる。喪失によって心に痛手を受けた人は、「その体験が自分にとってどのような意味を持つのかを不断に問い直し続ける。その意味を理解する新たな枠組みを発見することで、歩んできた人生全体の意味付けも変わって」いくと。
日蓮大聖人の門下には、最愛の息子に先立たれたことが発心のきっかけとなり、両親ともに信心を深めていった家族もいた。大聖人は、その門下をこう励まされた。
「亡くなられたご子息が仏になられて、父母を仏道に導くために、あなた方の心に入り替わられたのでしょうか」(新2008・全1397、通解)
どれほど深い悲哀であっても、全て、自らの境涯を大きく開く契機であると捉え返していける。ここに、日蓮仏法の精髄はある。そこから、いかなる困難にも負けない希望の物語は紡がれていく。