2022年1月18日火曜日

2022.01.18 わが友に贈る

新任リーダーは
スタートダッシュが大切。
先輩方によく相談し
一日一日 真剣に動こう。
組織に新たな波動を!

立正安国論 P24
『辛きことを蓼の葉に習い臭きことを溷厠に忘る善言を聞いて悪言と思い謗者を指して聖人と謂い正師を疑つて悪侶に擬す』

【通解】
辛い蓼の葉を食べる虫は辛いことに慣れており、厠に長くいると臭いことを忘れてしまうと言われている。ためになる言葉を聞いてひどい発言と思い、謗法の者を指して聖人と言い、正しい師を疑って悪い僧のように思い込む。

名字の言 同志の応援が支えに——壮年の体験から 2022年1月18日
都内の70代の壮年は昨年、腎臓の機能が低下し、透析が必要な状態となった。「信仰で『負けない自分』を築いてきたつもりでしたが、さすがに心が揺れました」▼治療は過酷だった。強い薬の服用と透析の繰り返し。82キロの体重は65キロに。コロナ禍で直接の見舞いはできないため、家族と同志は題目を送り、メール等で激励の言葉を届けた。「皆さんの応援がどれほどの支えとなったか。わが心に仏法の生命哲学を刻み付ける日々でした」▼45日間の入院を終え、座談会に参加した壮年の表情は晴れやかだった。透析ではなく、薬を中心に治療している様子を伝え、「この調子なら薬も減らせる、と医者に言われました。病気に負けない実証を示し、学会創立100周年を目指して強く生き抜きます」▼文豪ゲーテは言う。最も高貴な感情は「運命が私たちを完全な無へと押し流すように思われるときでも、なおかつ生きつづけようとする希望である」(木原武一訳)と。牧口先生と親交があった新渡戸稲造の言葉も実感した。「信仰は勇気であり、勇気は信仰である」(佐藤全弘訳)▼希望を送り、勇気を最大限に引き出す創価家族の世界。その象徴の座談会が各地で始まった。二月闘争70周年へ力強く出発しよう!

寸鉄 2022年1月18日
「蒼蠅、驥尾に附して万里を渡り」御書。師と同志と共に!これ人生勝利の源(新36・全26)
折伏は幸福への最高手段であり平和への最短距離—恩師。さあ勇み語ろう
己を育てぬ人に真の生活はない—文豪。昨日より今日。常に挑戦の気概で
"冬期鬱"増える時期。「短い運動で心は上向く」と。散歩や体操など賢く実践
変異株の最多症状は発熱で嗅・味覚障害は1%。予防対策は不変。油断排し

☆希望の指針——池田先生の指導に学ぶ 友との語らいから
◇人との絆が新たな価値を創る
連載「希望の指針——池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を紹介します。今回は小説『新・人間革命』から、山本伸一と友との語らいを、Q&Aで掲載します。

Q 性格は、信心をしても変わらないのでしょうか?
A 短所を長所に変える信心の力
〈1978年(昭和53年)5月、山口県・大歳支部の座談会で〉
「性格について、仏法では"後世まで変わらないのが性分である"ととらえています。
つまり、その人のもって生まれた性格自体は、変わらないということです。
たとえば、細かいことを気にする人がいます。そういう性格の人は、人に何かひとこと言われただけで、不安になったり、傷ついたりしてしまいがちです。また、他人の小さな欠点が気になって仕方がない。そして、結局、日々、悶々としながら過ごすことになってしまう。では、その人が信心に励み、人間革命していくと、どうなるのか。
細心であるという性格は変わりません。しかし、人に言われたひとことを真摯に受けとめ、自分を向上させる糧にしていくようになります。また、他人の小さな欠点に気づくことは同じですが、その欠点を自分はどうやって補ってあげられるかという心配りができるようになる。さらに、他人の長所にも気づくようになります。
細かいことが気になる人は、こまやかな気遣い、配慮ができるということです。その能力が最大に発揮されることになるんです。
よく戸田先生は、こんな譬えを引かれていました。
——川がある。川幅や流れの形は、基本的には変わらない。これが性格である。しかし、泥水が流れ、飲むこともできなかった川の水を、清浄極まりない水に変えることができる。これが信心の力であり、人間革命ということである。
自分の性格というのは、いわば個性です。そこに自分らしさもある」
(第27巻「激闘」の章、312〜313ページ)

Q 私の母は、私が信心していることを理解してくれません。どうすればよいでしょうか?
A 幸せの実証で学会の理解者に
〈1968年(昭和43年)10月、富士宮市上条での座談会で〉
「お母さんは信心に反対だというけれど、それは、仏法のこと、学会のことが、よくわからないからです。あなたがかわいいから、心配して反対するんです。あなたが信心によって幸福の実証を示し、さらにお母さんが本当に誇りに思える娘さんになれば、必ず信心に理解を示すようになりますよ。娘の幸福を願わない母親なんて、いないんですから。
私の母も、最初は信心しませんでした。でも、私は、母を絶対に幸せにしてみせると決意しました。今では学会員として幸福に暮らしています。
あなたも、何があっても負けないで信心を全うし、お母さんにも仏法を教え、幸せにしていくんですよ。それが、娘としての義務であり、使命であると思ってください」
(第13巻「北斗」の章、182〜183ページ)

Q 人と人のつながりを、仏法では、どのように説いているのでしょうか?
A 互いに助け合う「縁起」の哲学
〈1960年(昭和35年)10月、アメリカの青年たちとの歓談で〉
「仏法の基本には、『縁起』という考え方があります。これは『縁りて起こる』ということで、すべての現象は、さまざまな原因と条件が相互に関係し合って生ずるという意味です。つまり、いかなる物事もたった一つだけで成り立つということはなく、すべては、互いに依存し、影響し合って成立すると、仏法では説いているんです。同じように、人間も、自分一人だけで存在しているのではありません。互いに、寄り合い、助け合うことで、生きているのだと教えています。この発想からは、人を排斥するという考えは生まれません。むしろ、他者をどう生かすか、よりよい人間関係をどうつくり、いかに価値を創造していくかという思考に立つはずです」
(第1巻「錦秋」の章、182〜183ページ)

Q 自分の信じる宗教は正しく、最高の教えであるというのは独善的で危険ではないでしょうか?
A 宗教を検証し「独善」を排する
〈1961年(昭和36年)2月、インドを訪問中、同行の青年からの質問に答える〉
「『自分は信じている。ゆえに正しい』と言うのであれば、それは独善です。だから、学会は、牧口先生以来、徹底して宗教を研究してきた。文献的な証拠のうえから、道理のうえから、現証のうえから、普遍的、客観的な尺度で、あらゆる宗教を検証してきました。そして、現実に百何十万世帯もの人が、幸福になった。
その結論として、私たちは、日蓮大聖人の仏法こそ万人を幸福にできる、最高最大の教えであると主張しているわけです。
さらに、異なる信仰、意見をもつ人と積極的に議論し語り合おうと、座談会という社会に開かれた対話の場をもっている。独善を排するために、語らいの場を大切にしているんです」
(第3巻「月氏」の章、132ページ)


Q 病気などの宿命は、信心で乗り越えることができるんでしょうか?
A 日蓮仏法は全ての宿業を転換
〈1965年(昭和40年)11月、関西で壮年との懇談に臨んで〉

「どんなに深い宿業だろうが、必ず断ち切っていけるのが、日蓮大聖人の大仏法です。

あなたは、"それにしても、これほどまでに苦しまなければならないのか"と思っているかもしれませんが、私たちは、今世の謗法の罪はわかっても、過去世の罪はわかりません。過去世に、大謗法を犯し、深い宿業をもっているかもしれない。

本来、その宿業は少しずつしか出ないために、何世にもわたって、長い間、苦しまなければならない。

しかし、信心に励むことによって、これまでの宿業が、一気に出てくる。そして、もっと重い苦しみを受けるところを、軽く受け、それで宿業を転換できる。『転重軽受』です。

宿業による病苦を乗り越えるには、正法誹謗の罪を、御本尊に心からお詫びし、唱題することです。

提婆達多にそそのかされて仏弟子を殺し、仏を苦しめ抜いた阿闍世王は、その罪によって業病にかかる。だが、悪逆の限りを尽くした阿闍世王でさえも、釈尊にお会いして罪を悔い、お詫びすることで、たちまちのうちに、その病が癒えたと御書にある。

大聖人は、『諸罪は霜露の如くに法華経の日輪に値い奉りて消ゆべし』(全1439・新2062)と仰せですが、それが御本尊の偉大なる功徳力です」

(第10巻「桂冠」の章、300〜301ページ)


Q 信心をする目的とは、なんでしょうか?
A 自他共の幸福と人類の平和を
〈1964年(昭和39年)10月、フランスでの友との語らいで〉

「個人に即していえば、一生成仏です。それは、自分自身の永遠に崩れることのない、絶対的幸福境涯を築くことです。もっと、わかりやすくいえば、何があっても、負けない自分をつくりあげていくことです。つまり、人間革命です。

しかし、それだけではありません。仏法者の使命という観点からいえば、広宣流布ということです。広宣流布というのは、人びとに、正しい仏法を教えて、みんなを幸福にしていくことです。人類の平和を築き上げることです」

(第9巻「光彩」の章、265ページ)