勇気が慈悲に通ずる。
「あの人を幸せに!」と
深く祈り抜こう!
自身の殻を打ち破り
友に真心の励ましを!
四条金吾殿御返事 P1182
『日蓮が心は全く如来の使にはあらず凡夫なる故なり、但し三類の大怨敵にあだまれて二度の流難に値へば如来の御使に似たり、心は三毒ふかく一身凡夫にて候へども口に南無妙法蓮華経と申せば如来の使に似たり、過去を尋ぬれば不軽菩薩に似たり、現在をとぶらうに加刀杖瓦石にたがう事なし、未来は当詣道場疑いなからんか』
【通解】
日蓮が心は、まったく如来の使ではない。それはわが身が凡夫であるゆえである。しかし、この法華経に予言されたように三類の大怨敵に憎まれ、伊豆の伊東と佐渡と二度も流罪の難にあったのであるから、経文に説かれた如来の使に似ている。
心は貧瞋癡の三毒が深く、また一身は凡夫であるけれども口には南無妙法蓮華経と唱えているから仏の使いに似ている。
名字の言 座談会で新入会の青年が語ったこと 2022年1月22日
新入会の青年が座談会で話していた。「これまで『本当の友人』と呼べる人はあまりいませんでした」。流行のファッションやテレビ番組など、話題を合わせる付き合いはあっても、人生や悩みについて真剣に語り合う友人は少なかったと。「でも学会活動で対話に挑戦すると、深く信頼し合える友人が増えてきたんです」▼仏法対話をした時、こんな反応が返ってくることがある。「自分の信仰を他人に勧めるのは強制ではないか」。もちろん、相手の状況や対話の場面を考える良識は大切。だが、自分の人生を支える哲学や感動したことを人に伝えたいと思うのは、むしろ自然なことだろう▼仏法では自他共の幸福を祈り、対話することで得られる功徳を「六根清浄」と説く。六根とは視覚や聴覚などの五感と意識を合わせた六つを指し、それが信仰の実践によって浄化され、強化されていく▼視力や聴力が良くなるといった意味ではない。根源的な次元で生命力が増し、自分だけではなく、人々の幸福のためにあらゆる能力を発揮していけるようになる▼互いを敬いつつ、真剣に、誠実に信念や人生観を語った後には、確かな信頼が残る。そうした対話を繰り広げ、豊かな人間関係に満ちた社会を築いていきたい。
寸鉄 2022年1月22日
生命を清く強くする信心—牧口先生。題目根本、御書研鑽。今日も錬磨を
高知青年部の日。対話の波を"志国"の天地から!民衆勝利の魁よ常に前へ
約束は何があろうとやり遂げる—芸術家。信頼を結んだ数だけ広布は伸展
核禁条約発効1年。"魔性の兵器"を否定する思想を市民社会から更に拡大
昨年の還付金詐欺、近年で最多と。益々、巧妙に。皆で声掛け合い強く警戒
〈社説〉 2022・1・22 ホロコーストを忘れない
◇真実を見つめ対話する勇気を
27日は「ホロコースト(大量虐殺)犠牲者を想起する国際デー」。1945年、ドイツのアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所が解放された日に由来する。
ナチスが支配した時代、約600万人ものユダヤ人が虐殺された(他にロマ民族なども命を奪われた)。アウシュビッツは人類への犯罪と断罪された蛮行の象徴的な場所である。
ホロコーストの歴史と犠牲者を忘れてはならない——改めて、この日の意義に思いを寄せたい。
七十数年を経て、生存者・証言者も少なくなっている。記憶の風化による忘却に加え、"虐殺はなかった"などと歴史的真実性を否定する扇動も根強くある。
忘却や否定は、犠牲者を二重に冒涜するものだ。真実を叫び続ける勇気を持たねばならない。
ホロコーストは決して過去のものではない。世界でも、また日本でも、今なお異質な他者への偏見や差別、憎悪は消えず、マイノリティー(少数派)が排斥される事例も後を絶たない。
しかも、こうした排他的な動きが大衆レベルで起こっている。人々の心に、差別や偏見にとらわれない心の砦を築くことは重大な課題である。
そこで、ユダヤ人迫害の加害者は決して"怪物"などではなく、ごく普通の人々であったといわれることに、注意を払いたい。
この視点に立つ時、本紙「スタートライン」で、ドイツで生まれ育った日本人ラッパー、ブルーミオさんが語っていたことが、示唆深い(昨年11月7日付)。
彼がドイツで活動していた頃、国内にはネオナチを批判する楽曲があふれていたという。
その中で、ブルーミオさんはネオナチへの"対話"を試みた楽曲を発表する。
「彼らに考え直してほしいのなら、攻撃するのではなく、自分の心を素っ裸にして向き合うべきだと思った」と。相手を普通の人間と見ているからこその言葉だろう。
そんな彼の思いを乗せた歌は、大きな反響を呼んだ。"ネオナチになりかけていたけど、普通に戻れた"とのメールを、何人もの人々から受け取ったという。
私たちが「ホロコーストを忘れない」理由は、誰かを憎み、果てしない復讐の連鎖を起こすためではない。人間を分断する思考を乗り越え、二度と惨劇が繰り返されないようにと誓うためだ。
謙虚に真実を見つめ、忘れない勇気を、対話する勇気を持とう。
☆ロータスラウンジ——法華経への旅 第32回 妙音菩薩品第二十四
◇妙音とは、真心の声、確信の言葉、正義の叫び
法華経について、皆で学び、深めよう——「ロータスラウンジ——法華経への旅」の第32回は、「妙音菩薩品第二十四」です。
■大要
妙音菩薩が、娑婆世界にやって来て、帰っていった物語です。それでは内容を追ってみましょう。
●シーン1
その時、釈尊は、眉間から光を放って、東方の百八万億那由他恒河沙の諸仏の世界を照らします。
それを過ぎた所に、「浄光荘厳」という世界があり、そこに「浄華宿王智」という名前の仏がいます。その仏は、無量無辺の菩薩たちに尊敬されており、その人たちのために法を説きます。釈尊が、その国を光で広く照らします。
●シーン2
その時、この浄光荘厳という国に「妙音」と名付けられた一人の菩薩がいます。妙音菩薩は、さまざまな徳を積み、無量の諸仏に親しみ、近づき、供養して、甚だ深い智慧を成就し、さまざまな大三昧(心を統一した大境涯)を得ます。
釈尊の放つ光が、妙音菩薩を照らします。すると妙音菩薩は、浄華宿王智仏に申し出ます。
「娑婆世界に行って、釈尊を礼拝し、親しみ、近づき、供養し、さまざまな菩薩にお会いしたい」
その時、浄華宿王智仏が、妙音菩薩に告げます。
「娑婆世界を軽んじて、下劣であるとの思いを生じてはならない。釈尊の娑婆世界には、高低があり、泥や石や山が多く、穢らわしき悪に満ちている。仏の身も、菩薩たちの身も小さく、それに比べ、あなたは、はるかに大きく端正で、福徳にあふれている。だからといって、娑婆世界に行き、その世界を軽んじて、仏や菩薩や国土に下劣であるとの思いを生じてはならない」
妙音菩薩は、浄華宿王智仏に言います。「私が今、娑婆世界に行くのは、全て如来の力によってです」
妙音菩薩は、立ち上がることも、身動きもせずに、霊鷲山の説法の場から遠くない所に、宝でできた八万四千の蓮華を出現させます。
●シーン3
その時、文殊師利菩薩が、蓮華を見て、釈尊に言います。
「どのような理由で、このような瑞相を現しているのでしょうか」
その時、釈尊は、文殊師利菩薩に告げます。
「妙音菩薩が、浄華宿王智仏の世界から、八万四千の菩薩に囲まれて、この娑婆世界に来て、私を供養し、親しみ、近づき、礼拝したいと望み、さらに法華経を供養し、聴きたいと欲しているのだ」
文殊師利菩薩は、釈尊に言います。
「妙音菩薩は、どのような修行をして、大神通力を得たのでしょうか。どうか教えてください。そして、妙音菩薩に会わせてください」
その時、釈尊は文殊師利菩薩に、多宝仏が皆のために願いをかなえてくれると言います。
その時、多宝仏は、妙音菩薩に告げます。「来たれ! 文殊師利菩薩が会いたいと願っている」
妙音菩薩は、八万四千の菩薩と共に「七宝の台」に乗り、通り路を震動させ、宝でできた蓮華を降らし、種々の天の音楽を鳴らしながら、娑婆世界の霊鷲山にやって来ます。
妙音菩薩は、七宝の台を降りて、釈尊のもとへ行き、礼拝し、浄華宿王智仏の言葉を釈尊と多宝仏に伝えます。
その時、華徳菩薩が、釈尊に語ります。「妙音菩薩は、いったい、どんな善根を植えて、このような神通力を得たのですか」
そこで、釈尊が華徳菩薩に、妙音の過去世を明かしていきます。
——昔、雲雷音王仏の時に、仏に十万種の舞踊と音楽、そして八万四千もの七宝の鉢を供養した。その功徳で、妙音菩薩として生まれ、さまざまな神通力や福徳を具えることができた、と。
さらに華徳菩薩に呼び掛けます。
「あなたは、妙音菩薩の身が、ここにあると見るが、妙音菩薩は、種々の身を現して、多くの衆生のために、この経典を説くのだ」
続いて、梵王、帝釈、自在天……と、妙音菩薩が現す三十四の形(三十四身)が示されます。
その中で、「妙音菩薩は、能く娑婆世界の諸の衆生を救護する者なり。是の妙音菩薩は、是くの如く種種に変化し身を現じて、此の娑婆国土に在って、諸の衆生の為に、是の経典を説く」(法華経616ページ)と、娑婆世界の衆生の救済に働くことが記されます。
その時、華徳菩薩が仏に言います。
「妙音菩薩は、どのような境涯を得て、衆生を救済するのでしょうか」
仏は、華徳菩薩に告げます。
「(妙音菩薩の)その境涯を『現一切色身』(十界の一切衆生の姿を自在に現せる)と名付ける。その境涯によって、至る所に姿を変じて現れ、衆生を救済する」
妙音菩薩と共に来た八万四千の菩薩、そして娑婆世界の無量の菩薩は、皆、「現一切色身三昧」を得ます。
●シーン4
その時、妙音菩薩は、釈尊や多宝仏に、あいさつし、本土(浄華宿王智仏の世界)に帰ります。
帰りもまた、通り路を震動させ、宝の蓮華を降らし、百千万億の種々の音楽を奏でていきます。
本土に帰った妙音菩薩は、浄華宿王智仏に、娑婆世界での出来事を語ります。
この品が説かれる時、四万二千の天子は無生法忍(消滅を超えた不変の真理を覚った境涯)、華徳菩薩は法華三昧(法華経による心を統一した境涯)を得ます。
——このように、娑婆世界に行き、自由自在の姿で民衆救済に立ち上がった妙音菩薩の物語が説かれるのが、妙音菩薩品です。
【『法華経の智慧』から】 大宇宙そのものが「生命の交響曲」
宇宙全体が「妙音」を奏でているのです。大宇宙そのものが「生命の交響曲」であり、森羅万象が歌う「合唱曲」であり、セレナーデ(小夜曲)であり、ノクターン(夜想曲)であり、バラード(物語風の歌謡)であり、オペラであり、組曲であり、ありとあらゆる「妙音」を奏で、「名曲」を奏でている。その根源が「妙法」です。「南無妙法蓮華経」です。だから本当は、勤行も、朝は胸中に太陽が昇る「目覚めの歌」であり、夜は胸中を月光で照らす「夜想曲」であり「月光の曲」なのです。
◇
文底から見るならば、妙音菩薩も、苦しみと戦い、戦い、また戦って、題目を唱え、人間革命したのです。(中略)私たちも同じだ。つらいことがあっても、負けないで、題目を唱えながら前へ前へ進むのです。
◇
友を励ます「真心の声」。それが「妙音」です。人の心を揺さぶる「確信の言葉」。それが「妙音」です。悪を破折する「正義の叫び」。それが「妙音」なのです。(普及版〈下〉「妙音菩薩品」)
【コラム】 あえて大変な所へ
「妙音菩薩品」では、仏が、苦悩渦巻く娑婆世界に行きたいと願った妙音菩薩に、そこで暮らす人々や国土を下に見てはならないと戒めます。その後、妙音菩薩は、自在に姿を現して、衆生を救済していきます。
「御義口伝」には、「所用に随って諸事を弁ずるは、慈悲なり。これを『菩薩』と云うなり」(新1077・全774)と仰せです。妙音菩薩が自在に姿を変えたのも、衆生を救いたいとの慈悲の力によってです。
今、自分が置かれている環境が、どんなに大変であったとしても、そこが自ら望んだ使命の舞台です。
池田先生は、「いちばん大変なところで法を説き、法を弘めている方々を絶対に軽んじてはならない! 見かけで判断してはならない! 最高に尊敬していきなさい!」と語っています。
あえて大変な所へ——悩める人の最大の味方となる時、生命の本源の力を、自由自在に発揮できるのです。