2022年1月5日水曜日

2022.01.05 わが友に贈る

新年の号砲は鳴った。
「決意即行動」で
挑戦を開始しよう!
率先垂範の勢いが
栄光への偉大な力に!

星名五郎太郎殿御返事 P1209
『今此の善導法然等は種種の威を現じて愚癡の道俗をたぶらかし如来の正法を滅す』

【通解】
今この(念仏の)善導や法然らは、種々、人を恐れ従わせる不思議な力を現して、道理に暗い愚かな道俗をたぶらかし、如来の正法を滅する。

名字の言 わが最高峰に挑む1年に 2022年1月5日
「睦月」は1月の異称。友と仲むつまじく年始のあいさつを交わし、清新な決意で1年を出発した人も多いことだろう▼ある年の正月、日蓮大聖人は門下にお手紙をしたためられた。冒頭に「新春を迎えた喜びは、お互いにめでたい限りである。めでたい限りである」(新1363・全1002、通解)と記された後、力強く宣言された。「そもそも俗世間も、真実の世界である仏法においても勝負が肝要であり、世間も仏法も勝劣を決することを最も大切とする」(同)と▼「仏法は勝負」である。では何に勝つのか。その究極は「自分自身に」であろう。そして、その勝負に挑むのは誰か。これも「自分自身が」である▼池田先生は語る。「わが最高峰に挑み、自分自身が勝利する。これが、信仰の目的である。人生の正しい勝利の姿である。人間が人間として勝利した姿である」と▼「利のやつこ 位のやつこ 多き世に 我は我身のあるじなりけり」(佐佐木信綱)。目先の利益や地位に振り回される奴(=自由をなくした人)になることなく、自分自身に生き抜く気高い生涯の在り方を教えるのが仏法である。この世で最も仲むつまじい連帯である"創価の世界"で自分らしく奮闘し、勝ち飾る1年を。

寸鉄 2022年1月5日
「ひとえにおもい切って申し始め」御書。さあ師子の心で対話拡大の一波を
本年は「二月闘争」70周年"明確な目標"が勝利への第一歩。皆で共有し飛躍
「真の生命尊厳の思想は仏法しかない」戸田先生。広宣流布は平和への大道
厚着での補助座席利用はベルトが緩む危険あり。確実に固定し幼子守ろう
社会は「脱炭素元年」と。官民の取り組み加速へ。日常での意識変革も更に

〈社説〉 2022・1・5 人類貢献の一年を出発
◇「社会憲章」の理念胸に
人類は今、大きな危機、岐路にあるとは多くの人が共有する認識だろう。
国連のグテーレス事務総長は新年に寄せたメッセージで、世界は「道徳上の試練」に直面していると危機感を募らせた。
深刻化する貧困と不平等、不十分な気候変動対策、新型コロナウイルス感染症のワクチンの不公平な分配などを念頭に置いたものだ。
地球の存続を懸けて掲げられたSDGs(持続可能な開発目標)も、コロナ禍によって、期限である2030年までの達成は一層厳しいとの予測がなされている。地球と人類の存続が危ぶまれているのだ。
折しも本年は「かけがえのない地球」がうたわれた国連人間環境会議から50年。"今さえ、自分さえよければ"といった態度を脱却し、国境を超えた連帯と次世代に対する責任感を育む倫理・道徳の挑戦が焦点になっている。
学会は昨年、「SGI憲章」を改定し、「創価学会社会憲章」を制定した。
憲章には、仏法の生命尊厳観を基調に平和・文化・教育に貢献すること、「世界市民の理念」「積極的寛容の精神」「人間の尊厳の尊重」が高く掲げられ、「非暴力と"平和の文化"に立脚し、人類が直面する脅威に挑みゆく」決意が表明されている。
各国・地域のメンバーは、仏法者の果たすべき社会的使命として同憲章を捉え、家庭、地域、職場などそれぞれの場所で、この理念を実践に移す努力を重ねていく。
先のメッセージでグテーレス事務総長は、2022年を「あらゆる人々にとっての復興の年」にと私たちが決意することができるなら、現下の試練の克服は可能であると訴えた。
誰も置き去りにされることのない社会の建設へ、創価の悲願である"地球上から悲惨をなくす"との誓いを胸に、人類貢献の一年を出発したい。
仏法が説く生命尊厳の哲学、そして学会員が貫く"他人の不幸の上に自らの幸福を築くことはしない"との生き方を広げていくことが、そうした社会を実現する直道である。
本年は、イギリスの歴史家トインビー博士と池田先生の対談開始から50周年。博士はかつて、究極において歴史をつくるのは目を引く事件ではなく、「水底のゆるやかな動き」であるとの比喩を用いた。
一人一人の生命の変革を通し、地道にして着実な平和の潮流を生み出す創価の対話運動を、本年も誇り高く進めていきたい。

☆新年の御書 四信五品抄
『請う、国中の諸人、我が末弟等を軽んずることなかれ。進んで過去を尋ぬれば、八十万億劫供養せし大菩薩なり。あに熙連一恒の者にあらずや。退いて未来を論ずれば、八十年の布施に超過して五十の功徳を備うべし。天子の襁褓に纏われ、大竜の始めて生ずるがごとし。蔑如することなかれ、蔑如することなかれ。』(新270・全342)

◇拝読の手引き
妙法を唱え、広布に生きる人は、最高に尊貴な存在なのです——。
本抄は、下総国(現在の千葉県北部などの地域)の門下・富木常忍に与えられました。日蓮大聖人の力強い励ましに、どれほど歓喜したことでしょう。
同抄では、末法において妙法を信受する人について、過去世で極めて長い間、仏を供養した大菩薩であり、その功徳は、無数の人々に無量の布施をする功徳よりも、想像もつかないほど大きいと仰せです。
偉大な妙法を受持して、広布の師匠と共に、地涌の使命に生き抜く。その人は、まさに産着に包まれた皇帝の子どもが、やがて必ず偉大な皇帝となるように、成仏の軌道を歩み、大功徳を受けていくことが決まっているのです。
私たちは、いや増して若々しい「青年の心」で、さらなる境涯の高みへ飛躍するべく、広宣の使命を胸に、妙法流布の大誓願を貫いていきましょう。

☆1月度座談会拝読御書 持妙法華問答抄
◇御文
『寂光の都ならずば、いずくも皆苦なるべし。本覚の栖を離れて、何事か楽しみなるべき。
願わくは、「現世安穏、後生善処」の妙法を持つのみこそ、ただ今生の名聞、後世の弄引なるべけれ。すべからく、心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱え他をも勧めんのみこそ、今生人界の思い出なるべき。』(御書新版519ページ2行目〜6行目、御書全集467ページ16行目〜18行目)

◇[池田先生の指針から]弘教の行動に信心は凝縮
苦悩の渦巻く悪世の社会である。しかし、この現実の場所を離れて、仏の国土はどこにもない。
ゆえに、日々どこまでも題目を唱え抜きながら、自らの生命の仏界を涌現し、勇気凜々と眼前の環境を切り開いていくのだ。希望の方へ、成長の方へ、団結の方へ、さらに勝利の方へ、変えていくのだ。
そして人間の一念の偉大さを、「今ここ」で、断固と証明していくのである。(『随筆 幸福の大道』)
    ◇ ◇ ◇
折伏は、御書に仰せ通りの如説修行であり、"難事中の難事"である。(中略)
たとえ、思うような結果が出なくとも、くよくよする必要は全くない。
私も同じであった。どうすれば思いが伝わるのか、相手の心に届くのか——その繰り返しだった。
誠意を尽くして書いた友への手紙が、全部、送り返されてきたこともあった。唇を噛んだ悔しさ、悲しさも、今は懐かしい。
「心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき」(全467・新519)との仰せは、人生の年輪とともに深く強く拝される。
祈って動いた一日一日は、もがくような葛藤でさえも、すべて自分自身を鍛える、最高の生命錬磨である。胸中に燦然と輝く"信心の土台"となる。(『随筆 対話の大道』)
    ◇ ◇ ◇
妙法を唱え弘める実践は、相手を幸福の軌道に導くことはもちろん、自分自身も福徳に包まれ、自他共に幸せになる直道です。弘教の行動には、仏道修行の一切が余すことなく含まれ、信心が凝縮されています。(2020年2月号「大白蓮華」〈世界を照らす太陽の仏法〉)

◇広布に生き抜き 永遠の幸福境涯を
[キーワード�]寂光の都
拝読御文の直前には、法華経譬喩品に説かれる「三界は安きことなし、なお火宅のごとし」との経文が引用されています。"三界、すなわち現実世界は煩悩の業火が燃え盛る苦悩の世界である"との法華経の教えを踏まえた上で、日蓮大聖人は「寂光の都」「本覚の栖」を離れて真の幸福はないと述べられています。
「寂光の都」とは、仏が住む清浄な国土のことです。また、「本覚の栖」とは、仏の悟りの境地を意味します。
法華経以外の権大乗教には、阿弥陀仏など、現実を離れた別の国土に住むとされた仏が説かれています。ゆえに、そうした仏の救いを求めようとすれば、苦悩の現実を離れてその仏の国土に行くしかありません。
これに対して、法華経如来寿量品の仏は、別の国土ではなく、まさにこの娑婆世界(=苦悩が充満する現実世界)で説法教化し続けると説かれています。
大聖人は、「我らが居住して一乗を修行せんの処は、いずれの処にても候え、常寂光の都なるべし」(新1784・全1343)と仰せです。
仏国土といっても、どこか遠く離れた別のところにあるのではありません。
どこまでもこの現実世界にあって、信心根本に自らの生命の仏界を涌現し、環境を切り開いていくことで、自分の今いる場所を、最高の常寂光土と輝かせていくことができる——。これが、日蓮仏法の「娑婆即寂光」の法理なのです。

[キーワード�]今生人界の思い出
本抄の結びで日蓮大聖人は、広布に生き抜くことこそ、わが一生を飾る最高の「思い出」となることを示され、「自行化他」の信心に励む大切さを教えられています。
「自行」とは、自分自身が妙法の利益を得るための修行であり、具体的には「勤行・唱題」です。大聖人が顕された御本尊を信心根本に拝することで、大聖人と同じ仏の境涯を、わが身に開くことができます。
また、「化他」とは、周囲の人々に妙法を伝える「折伏・弘教」のことです。私たちが日々、広布のために励んでいる学会活動も、まさに「化他」になります。この「自行化他」の実践を重ねていくことで、自身の胸中に揺るぎない幸福境涯を確立していくことができるのです。
人間として生まれ、妙法に巡り合い、広布の大偉業に連なって、自他共の仏性を開いていく——。人として、これ以上に尊い生き方はありません。
なかんずく、世界192カ国・地域に妙法を弘めるという、仏教史上、未聞の壮挙を成し遂げてきた創価学会に連なり、稀有の師匠と共に戦えることほど、歓喜に満ちた誉れの人生はないでしょう。
拝読御文には「心を一にして」とあります。
まず自らが一心に法を求め抜き、勇気を出して、友人に心を込めて信心の確信を語る。そこに、世界広布の確かな前進もあります。
真剣な祈りで一念を定め、あの友この友に仏法を語り広げながら、喜びあふれる「今生人界の思い出」のドラマをつづっていきましょう。