◇今週のことば
「励まし」の積み重ねから
"一人"の発心と蘇生が。
「体験」の語らいから
"歓喜"のエネルギーが。
さあ、春を呼ぶ座談会だ!
2022年1月17日
経王殿御返事 P1124
『師子王は前三後一と申してありの子を取らんとするにも又たけきものを取らんとする時もいきをひを出す事はただをなじき事なり』
【通解】
師子王は前三後一といって、蟻を取ろうとする時にも、また、猛々しいものを取ろうとする時も、全力で飛びかかることは、まったく同じである。
名字の言 人生を彩る対話の思い出 2022年1月17日
かつての対話の思い出を、ある女性から聞いた。40年ほど前、彼女は息子が通う中学校の校長を訪ねた。渡された池田先生の著作を見た校長は、一人の生徒とのことを語り始めた▼校長は小笠原諸島に教員として赴任した経験がある。その学校に一人の素行不良の生徒がいた。生徒を立ち直らせることができなかったことが、それまでの教員生活の中でずっと心残りだった▼後年、小笠原諸島へ旅行に行く機会があった。島に向かう船の中で「先生」と声を掛けられた。あの生徒だった。見違えるほど立派な青年になっていた。女性から受け取った書籍は、その青年もまた、人生の糧としていたものだった。校長は感慨深く、「皆さんは、素晴らしい師匠を持って幸せですね」と。その言葉を、女性は今も忘れないという▼歳月とともに記憶は薄らいでいく。だが、広布のために真心を尽くした思い出は、決して色あせない。その一つ一つの積み重ねが自分の境涯を築く力となり、人生を彩る宝となる▼御書に「心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱え他をも勧めんのみこそ、今生人界の思い出なるべき」(新519・全467)と。真心の対話は、生命に深く刻まれる歓喜と躍動の源泉。きょうも勇んで挑戦したい。
寸鉄 2022年1月17日
釈尊の精神は創価学会によって世界に顕現—博士 生命尊厳の民衆スクラム
本部幹部会のネット配信今日まで。飛躍の決意を固め共に新たな栄光峰へ
人生は強気でいけ—恩師 何事もまず勝つと決めることから。攻めの姿勢で
幹部率先が学会の伝統。最前線の友に信心の息吹を!広布伸展はそこから
阪神・淡路大震災27年。避難場所や防災備品を点検—教訓は実践してこそ
〈社説〉 2022・1・17 きょう「防災とボランティアの日」
◇自他共のための行動を!
地球温暖化の影響で、世界各地で異常気象が発生し、水害、干ばつなどの災害が起きている。その中で日本は、"水害多発国"であることに加え、世界でもまれな四つのプレートが相接する地形から、地震が頻繁に起こる"地震大国"でもある。
防災への高い意識は、日本人一人一人に必要不可欠なものである。自助・共助・公助といわれるように、自らの命を守るのは当然として、地域・社会で助け合う習慣を一層強く持ちたい。
27年前の1995年1月17日に「阪神・淡路大震災」が発生。その後、震災被害の深刻さが全国に伝わり、ボランティア活動の参加者が急増し、延べ138万人に達した(内閣府公表)。こうした背景もあり、95年は"ボランティア元年"と呼ばれ、後の日本の防災意識やボランティア活動に対する考え方に大きな変化をもたらした。98年には「特定非営利活動促進法」が施行され、組織としてボランティア活動ができるようになり、現在その数は約5万団体にのぼる。
兵庫・明石市のある女性部員は大震災で被災し、自宅が全壊。避難所や知人宅での共同生活が半年間も続いた。助かった命をどのように使い、生きていけばいいのか——そう真剣に祈る中で、改めて広宣流布のため、自他共の幸福のために生きると決意。その後、地域友好に走り抜き、高齢者施設でのボランティア活動や自治会役員などを20年以上続けている。
震災当時、被災した多くの学会員は、自らも苦境に立たされながら"利他の精神"で苦しむ地域の友を支え、励まし続けた。その行動は、朝晩の勤行・唱題を通して人々の幸福を祈り、折伏や家庭訪問を重ねるなどの学会活動の実践に裏打ちされている。日々の学会活動は、"困っている誰かのために"との慈悲の心を育む、最も偉大な錬磨の舞台なのである。
池田先生は、学会に脈打つ共助の連帯の源について、「苦しんでいる方々の痛みを共にし、行動せずにはいられぬ『同苦の心』が、同志の胸に燃えていたからこそ、真心のネットワークがフル回転で働いたのだ」と、語っている。
きょうは「防災とボランティアの日」。同苦の心を胸に、誰かを助ける"真心のネットワーク"の担い手として、自覚を新たにする日としたい。
☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第15回 マーチン・ルーサー・キング
〈マーチン・ルーサー・キング〉
私たちは恐れの洪水を阻止する「勇気」という名の堤防を絶えず築き続けなければならない。
「私には夢がある。それは、いつの日かジョージア州の赤土の丘の上で、かつての奴隷の子孫とかつての奴隷主の子孫が、ともに兄弟愛のテーブルに着くことができることである」
1963年8月28日、アメリカ・ワシントンDCのリンカーン記念堂で、34歳の若き青年が大聴衆を前に叫んだ。
彼の名はマーチン・ルーサー・キング。人間の平等と尊厳を求め、人種差別に立ち向かった米公民権運動の英雄である。
同国では、キング博士の誕生日(1月15日)にちなみ、1月の第3月曜日を国民の祝日に制定。自由と平和の魂が脈々と継承されている。
奴隷制度の是非を巡り、アメリカの南北が対立した19世紀。リンカーン大統領による「奴隷解放宣言」を経て、20世紀に入ってからも人種差別の風潮は社会に根強くはびこっていた。
横行する黒人への暴力。抵抗すれば脅され、命が危険にさらされた。
そんな中、1955年12月、アラバマ州モンゴメリーでローザ・パークス氏の不当逮捕を機に「バス・ボイコット運動」が起こる。当時26歳だったキング博士は同運動を主導。後に全米に広がる人権闘争の火ぶたを切ったのである。
キング博士は語っている。
「私たちは、押し寄せてくる恐れの洪水を阻止するだけの、勇気という名の堤防を絶えず築き続けていなければならない」
同じ頃、日本では民衆勢力として台頭する創価学会に迫害の魔手が伸びていた。57年の「夕張炭労事件」「大阪事件」など、不当な弾圧の矢面に立ったのは29歳の池田大作先生だった。
歴史が動く時、そこには理想に燃え立つ青年と名もなき庶民の不屈の闘争がある。
インド・ガンジー研究評議会議長のN・ラダクリシュナン博士は言う。「キング博士は"私には夢がある"と語り、人々を鼓舞しました。そして、池田博士は"私たちには使命がある"と訴えて、民衆を目覚めさせ、立ち上がらせてこられました」
〈マーチン・ルーサー・キング〉
今日も明日もさまざまな困難に直面しようとも、それでもなお私には夢がある。
キング博士は1929年、ジョージア州アトランタの牧師の家に生まれた。高校生の時、弁論大会で黒人の権利について演説し優勝。その帰りのバスで白人に席を譲るよう強制されたことが屈辱の記憶として残った。
名門モアハウス大学を経て神学校に進学。人種対立を解決する方途を探る中、インド独立の父・ガンジーの哲学と出あい、人間愛に基づく「非暴力」こそが社会を変えゆく力であると確信する。その後、コレッタ・スコット氏と結婚し、アラバマ州の教会の牧師に。55年には神学の博士号を取得した。
「バス・ボイコット運動」が始まったのは、この年の12月。「正義というゴールへのステップは、どれも犠牲や苦悩や闘争がつきものである。つまり、献身的な個人の、疲れをいとわぬ骨折りや熱意が不可欠である」。この信念を胸に、博士は正義の人権闘争の先頭に立った。
60年2月、数人の黒人学生が「シットイン(座り込み)運動」を展開。バスターミナルの食堂での人種隔離廃止を求め、何日もカウンターに座り込んだ。
博士も運動に参加し、学生と共に逮捕・投獄される。運動の模様はメディアを通じて全米に知れ渡り、やがて政府は人種隔離の禁止を命令する。
63年5月のアラバマ州バーミンガムのデモ行進では、約1000人の学生や子どもたちが容赦ない暴力の恐怖にも屈せず、不服従の行動を貫き通した。
彼らの原動力——それは「前進への誇りであり、われわれは勝つぞという確信であった」とキング博士は述べている。
青年の勇気が歴史的な「ワシントン大行進」への飛躍台となったことはいうまでもない。
同年8月、「ウィ・シャル・オーバーカム(私たちは必ず勝利する)」の歌声と共に、ワシントンDCのリンカーン記念堂前の広場を埋め尽くしたのは、肌の色や信仰の違いを超えて集った20万人以上の民衆だった。
演説で博士は力強く訴えた。
「私たちは今日も明日もさまざまな困難に直面するでしょうが、それでもなお私は夢を持っています。それはアメリカの夢に深く根ざしている夢です」と。
翌年、公民権法が成立し、ノーベル平和賞を受賞。その後も理想への歩みを止めなかった博士だったが、テネシー州メンフィスで演説を終えた翌日、滞在先で凶弾に倒れる(68年4月)。「私には夢がある」——自由と平等という「夢」に生き抜き、39歳の若さで尊い生涯を閉じた。
〈キング博士を語る池田先生〉
「夢」を失わない限り「希望」は生き続ける。
いかなる嵐が吹こうとも「希望」がある限り、民衆の大行進を押しとどめることはできない。
「池田博士は、ガンジーとキングの非暴力の哲学を、具現化しているのです」
キング博士の母校・モアハウス大学でキング国際チャペルの所長を務めるローレンス・カーター博士は、池田先生の平和貢献をたたえてやまない。
同大学キング国際チャペルは2000年9月、先生に「最高学識者」称号を授与。翌年から「ガンジー・キング・イケダ——平和建設の遺産」展を主催し、世界巡回展として3人の思想と行動を広く発信してきた。
先生自身、キング博士と公民権運動を共にした人権の闘士と交友がある。
先生が創立したアメリカ創価大学ロサンゼルス・キャンパス(当時)では、コレッタ・スコット・キング夫人が「マーチン・ルーサー・キングの遺産」と題して講演(1995年10月)。
キング博士の盟友で、著名な歴史学者であるビンセント・ハーディング博士とは3度の会見を行い、対談集『希望の教育 平和の行進』を発刊した。
先生は対談集で訴える。
「『夢』を失わないかぎり、『希望』は生き続ける。いかなる試練があろうとも、いかなる嵐が吹こうとも、『希望』があるかぎり、我ら民衆の大行進を、正義の大河を、押しとどめることはできない」
また、キング博士の言葉を通し、世界平和という壮大な夢に生きる友を励まし続けてきた。
「『最終の勝利は、短期間の困難に数多く出遭ってこそ得られる』とは、キング博士の確信であった。人生も、歴史も、苦しい困難が一挙に重なる時がある。実は、その時こそ、勝利の道を開くチャンスなのだ」(本紙2010年7月7日付「随筆 我らの勝利の大道」)
「博士は語った。『今まで以上に、立ち上がって、前進する気持ちになろうではないか。私たちの志を継続し、あらためてもっと大きな決意で立ち上がろうではないか』
大事なのは『今から』の決意だ。『これから』の行動だ。その連続闘争が、大きな歴史を築く原動力となる」(10年1月9日、新時代第36回本部幹部会でのスピーチ)
希望輝く創価の民衆運動の勝利——それは「今から」「ここから」「自分から」始まる。