2022年1月31日月曜日

2022.01.31 わが友に贈る

◇今週のことば
「皆恩ある衆生なれば、
皆仏になれと思うべき」
縁する友の仏性を信じ
幸福を祈り語ろう!
青年勇舞の二月闘争だ。
2022年1月31日

窪尼御前御返事 P1483
『三千大千世界に七日ふる雨のかずはかずへつくしてん、十方世界の大地のちりは知る人もありなん、法華経の一字供養の功徳は知りがたしとこそ仏はとかせ給いて候へ』

【通解】
ひとつの宇宙に7日間、降り注ぐ雨の数は、数え尽くせるかもしれない。十方の世界にある大地の塵の数は、知っている人もあるかもしれない。(しかし)法華経の一文字を供養する功徳は計り知れない、と釈尊は説いておられます。

名字の言 自分の言葉で語る 2022年1月31日
プロ野球の春季キャンプがあす、一斉にスタートする。キャンプの充実度は、そのままシーズンの結果に直結する。選手にとっては"勝負の2月"といえる▼スポーツにはそれぞれ、基本となる理論がある。プロともなれば、微妙な感覚のずれが成績に影響する。調子を崩した時、その「感覚」を正確に言葉で表現できる選手は、調子の波が小さいという。千葉ロッテマリーンズのピッチングコーディネーター・吉井理人氏は「コーチは、選手に自分の言葉で語らせることに、徹底して意識的にならなければならない」と指摘する(『最高のコーチは、教えない。』ディスカヴァー携書)▼参加した座談会で、ある男子部員が語っていた。「難しい仏法理論はまだ語れませんが、自分が感じた学会の素晴らしさを、率直に語っていきます」。壮年が「俺もやるよ!」と応じる。会場に清新な息吹が広がった▼法華経は、弟子の質問を受けるのではなく、仏が自らの意志で法を説く「無問自説」の形で説かれる。これを通して池田先生は、「仏法のすばらしさを、自分の言葉で確信をもって率直に語りきっていく。これが法華経の精神」と▼「伝統の2月」が始まる。ありのままでいい。信心でつかんだ喜びを友に語ろう。

寸鉄 2022年1月31日
学会は世界の人々の新たな心の拠り所に—識者。希望の光で照らす灯台と
池田華陽会が"つながるプロジェクト"。平和と幸の連帯拡大を皆で応援
友の為、法の為の悩みは仏の悩みに通ず—恩師。共に広布の大闘争に邁進
睡眠に不満がある—9割 適度な運動、入浴等、聡明に。健康第一のリズムを
加湿器肺炎に注意。雑菌の繁殖が原因と。清掃や水の入れ替えを定期的に

〈社説〉 2022・1・31 二月闘争から70年
◇「歓喜の春」呼ぶ決意の花を
厳しい冷え込みが続く中、各地から梅の開花の報が届いている。「梅一輪一輪ほどの暖かさ」(嵐雪)。春告草の異名を持つその花を見ると、胸のうちにも明るくともるものがある。
百花に先駆ける梅のごとく、今から70年前の1952年(昭和27年)2月に弘教の花を次々と実らせ、広布の春を呼ぶ戦いがあった。24歳の若き池田先生が指揮を執った「二月闘争」である。蒲田支部の支部幹事に就任した先生は、「組2世帯」の弘教の目標を掲げた。1支部で月100世帯がやっとという当時の状況で、蒲田支部は201世帯を達成。恩師・戸田先生の願業であった「75万世帯」の実現に向けて、それまで遅々として進まなかった弘教の壁を破り、今日の広布の基盤を築いたのだ。
二月闘争の精神とは何か。池田先生は「一対一の絆」を大切にすることだと訴える。当時、先生が重きを置いたのも一人への励ましだった。組織といっても人間の集まりである。悩みも課題も千差万別だ。一人の声に耳を傾け、「なぜ信心で戦うのか」を語り、励ます。納得が生まれた時、人はより深い自覚を持って立ち上がる。
「組2世帯」と掲げたのも、大きな目標を組の数で単純に割ったわけではない。「一番小さな単位が大事」「一人を大切に」とのメッセージを送るためでもあったのだ。「目の前の一人の背後には、家族や友人がいる。無数の縁が広がっている。一人を誠実に励まし、希望を送ることは、私たちがまだ知らない誰かをも勇気づけていく大いなる因となる」——これが先生の確信だった。
現在、コロナ禍の影響もあり、悩みや困難と向き合う友は少なくない。一人一人に励ましを送る意味は、なおのこと大きい。
二月闘争の舞台となった東京・大田区の男子部リーダーは、人間関係が原因で仕事に就けない友に、1年以上寄り添ってきた。周囲にも協力を仰ぎながら支え続けた結果、その友は資格試験に見事合格。成長した彼の姿を見て多くの同志が勇気をもらい、次々と対話拡大に駆けている。
日蓮大聖人は「一花を見て春を推せよ」(新101・全222)と仰せだ。一人が決意の花を咲かせれば、そこから一輪また一輪と開花は続く。愛する地域に「歓喜の春」の訪れを確信させる"わが二月闘争"を始めよう。

☆御書根本の大道 池田大作先生の講義に学ぶ 第2回 壁を破る
◇御義口伝
『御義口伝に云わく、不軽礼拝の行は「皆当作仏(皆当に作仏すべし)」と教うるが故に慈悲なり。既に杖木・瓦石をもって打擲すれども、「而強毒之(しかも強いてこれを毒す)」するは、慈悲より起これり。「仏心とは、大慈悲心これなり」と説かれたれば、礼拝の住所は慈悲なり云々。』(新1070・全769)

◇勇気の源泉 著作から
不軽菩薩は、迫害を受けても、礼拝行を止めませんでした。礼拝行は生命と生命の対話です。その礼拝行を貫き通したのは相手の仏性を信じ抜いているからです。
◆◇◆
祈りと確信を込めた慈悲の振る舞いは、必ず「仏縁」となります。その時は、かりに反発されたとしても、相手の生命の奥深くに仏縁を結んでいるのです。(中略)
相手の機根がどうあれ、私たちが臆さずに仏縁を結べば、相手の仏性をいつか呼び起こしていくことができます。相手の幸せを本気で祈ることは、自他共の仏性を確信することでもあります。だからこそ、目先の反応に一喜一憂せず、不軽菩薩のように聡明に粘り強く仏法を語り抜くのです。
◆◇◆
慈悲は、相手を大切に思う「思いやり」、必ず変わると信じて関わり続ける「忍耐力」、相手が反発するかもしれないという臆病の心を打ち破る「勇気」となって現れるのです。
仏法対話は、最高に相手を尊敬する慈悲の行動です。仏の慈悲の誓願に合致して、仏法対話を広げれば、自身の生命も磨かれます。自行化他にわたる究極の仏道修行です。歓喜踊躍しないはずがない。私たちは、三千諸法というさまざまな境涯の人に対話を重ねていったぶんだけ自身の境涯を広げ、慈悲の生命を強くしていくことができるのです。

◇喜び勇んで歓喜の対話へ!
巴 大輔 総東京青年部長
24歳の若き池田先生が一人立ち、弘教拡大の突破口を開かれた「二月闘争」から70星霜——。本陣・総東京の青年部は、"我、山本伸一なり!"と、使命の舞台で、壁を破る拡大に総立ちとなっています。
今回、不軽菩薩の礼拝行の核心が慈悲であることを教えられた「御義口伝」の一節を拝し、70周年の二月闘争を勝利する要諦を学んでいきましょう。

◇10人の友に
「なぜ、語り掛けるのか?
それは、『目の前の一人』を幸福にするためです」
池田先生は講義の中で、私たちの対話運動の目的をこのように明快に教えてくださっています。
不軽菩薩は、反発されても、迫害されても決して歩みを止めず、"菩薩道に励めば、必ず仏になれる""あなたも絶対に幸せになれる"と、「万人尊敬」のメッセージを、出会う人、一人一人に伝えていきました。
何より、先生ご自身が、不軽菩薩と同じように、「目の前の一人」を信じ抜き、その一人の幸福と勝利のために、命を削るようにして励ましを送り続けてこられたことは言うまでもありません。
総東京男子部書記長として戦っていた一昨年のことです。二月闘争の折、「広布拡大で師匠に恩返しを」と一念を定めました。誓願の祈りに徹する中、先輩から「新たに、10人の友に語っていこう!」と励ましを。その時、"折伏する相手を選んでいた"無慈悲な自分に気付きました。
「そうだ! 足取り軽く、どんどん語り合っていこう」と決め、マンションの管理者や清掃員、近隣の婦人など、2週間で新たに6人と対話。6番目に語った中学時代の同級生に弘教が実ったのです。
不軽菩薩の礼拝行は、全ての人を対象としていました。そこには、「あの人は話を聞いてくれそうだ」「あの人は苦手だからやめておこう」などといった、えり好みはありません。出会う人全員に、こちらから声を掛け、積極的に仏縁を結んでいったのです。
池田先生は二月闘争について、随筆で、「学会歌を一緒に口ずさみながら、もう一人、あと一軒と、対話に向かったことも思い出深い」とつづられました。
対話の結果が、うまくいこうがいくまいが、最高の仏法を語れる歓喜に燃えて、不屈の心で勇んで前進する。そこに壁を破る要諦があることを、この体験を通して学ばせていただきました。

◇「大慈悲心」とは
昨年11月、総東京青年部長の任命を受け、"先陣を切る拡大を"と挑み、去年知り合った方に御本尊流布することができました。
途中、数年間対話を重ねてきた友人が入会をためらうなど、何度も心が折れそうになりました。しかし、そのたびに自分自身の心を折伏する思いで対話に挑戦。動けば動いた分だけ、新たな仏縁が広がり、勇気を奮い起こして真心の対話を重ねる中で、壁を破ることができました。
先生は、御文にある「大慈悲心」について、「慈悲は、相手を大切に思う『思いやり』、必ず変わると信じて関わり続ける『忍耐力』、相手が反発するかもしれないという臆病の心を打ち破る『勇気』となって現れるのです」と講義されています。
困難な社会情勢にあって、仕事等で苦境に直面する友も少なくありません。今こそ私たち創価の青年が、周囲にどんどん声を掛け、励ましの風を送っていきたいと思います。

◇広布こそ最大の報恩
先日の本部幹部会で紹介された、御聖訓を拝しての池田先生の指針に、次のようにありました。
「弟子が戦うことが、師匠への恩返しである。これが仏法である。人間の道である。ゆえに、広宣流布の拡大の闘争こそが、師匠への最大最上の報恩となるのである」
"師匠への報恩の拡大を"との誓願の題目こそ、わが生命に「思いやり」「忍耐力」「勇気」という「大慈悲心」を湧きいだす原動力にほかなりません。
総東京の青年部一人一人が、今いる使命の舞台で、師への報恩に燃え立ち、壁を破る人間革命のドラマをつづっていこうではありませんか!

メモ
「御義口伝」は、日蓮大聖人が、身延で法華経の要文を講義され、それを日興上人が筆録したものと伝えられている。不軽菩薩は、法華経に説かれる釈尊の過去世における修行の姿の一つ。万人を礼拝し続けて成仏の果報を得た。また、不軽菩薩を迫害した逆縁の人々も、やがて成仏の境涯を開いていった。

2022年1月30日日曜日

2022.01.30 わが友に贈る

今がどんなに苦しくとも
明けない夜は絶対ない!
我らが持つは太陽の仏法。
"題目の人""忍耐の人"に
歓喜の朝は訪れる。

四条金吾殿御返事 P1192
『はげみをなして強盛に信力をいだし給うべし、すぎし存命不思議とおもはせ給へ、なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし』

【通解】
いっそう自分自身を励まして、強盛な信力を出していきなさい。先日、命を永らえたのは、まったく御本尊の不思議な功力であると思いなさい。どのような兵法よりも、法華経の兵法を用いていきなさい。

名字の言 きょうは「世界ハンセン病の日」 2022年1月30日
かつて不治とされたハンセン病は「天刑病」とも呼ばれた。無知と恐れから「天罰だ」と信じる人がいたのである▼今では薬を服用すれば完治するものの、人間の心に根を下ろした差別意識を拭い去ることは簡単ではない。現在も世界の新規感染者は年間約20万人いるが、患者が仕事や住む場所を追われる国がある。親が回復者というだけで教育の機会を奪われる子どももいるという▼毎年1月の最終日曜は「世界ハンセン病の日」。治すべき"病"とは人間の「偏見」「無関心」であるというメッセージを、心ある人々が発信してきた。日本もひとごとではない。明治から平成までの約90年間、感染者を隔離政策の対象とするなどの差別があった▼仏法では誰もが「元品の無明」を抱えていると見る。生命への根源的な迷いであり、人間の尊厳と可能性への「不信」ともいえる。一方で、智慧と慈悲にあふれる「仏の生命」が全ての人に具わっているとも説く▼無明に敗れるのか。それとも仏性が勝るのか。御書に「妙法の大良薬をもって一切衆生の無明の大病を治せんこと疑いなきなり」(新1004・全720)と。広宣流布は単なる組織の拡大ではない。自他共の尊厳を信じ、輝かせる挑戦にほかならない。

寸鉄 2022年1月30日
「凡夫は志と申す文字を心えて仏になり」御聖訓。誓願の勇者に無限の力が(新2053・全1596)
思想を貯めることが大切—牧口先生。御書を開け。日々の研鑽が不屈の魂に
大いなる物事は人知れぬ小事が積まれてできる—思想家。地道に一歩ずつ
奮闘続く医療・介護現場。危機への応戦は皆様ありてこそ。健康・安穏を祈念
サイバー犯罪が初の1万件超。身代金要求型が急増。常にシステム更新を

☆御書と未来へ 第4回 仏法対話は自他共の幸福の道
〈御文〉
『菩薩と申すは、必ず四弘誓願をおこす。第一の衆生無辺誓願度の願成就せずば、第四の無上菩提誓願証の願は成ずべからず』(小乗大乗分別抄、新632・全522)

〈通解〉
菩薩というのは、必ず四弘誓願を起こす。その第一の無辺の衆生を度脱させようという誓願が成就しなかったならば、第四の無上菩提を証得しようという誓願も成就することはできないのである。

〈池田先生が贈る指針〉
菩薩道という仏法の精髄を現代に蘇らせたのが、創価の師弟である。友の幸せを祈り、勇んで行動に打って出る生命に仏の智慧が湧き出ずる。殻が破れ、大きく境涯が開かれる。
仏法対話こそ、自他共の幸福を実現する大歓喜の道だ。あの二月闘争から70年。地涌の誓願に胸を張り、朗らかに聡明に仏縁を広げゆこう!

☆共生の地球社会へ〜仏法の英知に学ぶ テーマ:ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)
登場人物
【娘・ミライさん】好奇心旺盛な女性部員。世の中の出来事について、父・ホープ博士と語り合うことを楽しみにしている。
【父・ホープ博士】勉強熱心な壮年部員。毎月1回、家族と一緒に教学を研さんしている。「博士」はニックネーム。本業は会社員。

◇信頼と安心を育む絆を幾重にも
ミライ 長引くコロナ禍の影響で、孤独・孤立の問題が顕在化しているね。

ホープ 「孤独」は、独りぼっちと感じる精神的な状態。「孤立」は、社会とのつながりのない、もしくは少ない状態を意味しているよ。
恒常的な孤独・孤立は、健康にも甚大な負の影響をもたらす、といわれているんだ。
また、児童虐待や引きこもり、貧困といった社会問題の原因の一つとしても考えられているよ。

ミライ そんな影響もあるんだね。社会環境が変化したことで、望まない孤独や孤立に陥ってしまっている人に対して、私たちは何ができるのだろう?

◇健康被害を防ぐ
ホープ 孤独・孤立に悩む人を、誰一人取り残さない社会を目指す上で、「ソーシャル・キャピタル」が注目されているよ。
ソーシャル・キャピタルは「社会関係資本」と訳され、社会や地域での信頼関係や、人と人との結び付きが、どれほどあるかを示す考え方なんだ。

ミライ 資本といえば「人」「物」「お金」を連想するけど、ソーシャル・キャピタルは目には見えない「関係」に着目しているんだね。

ホープ ソーシャル・キャピタルを測る指標は多様で、扱う分野によって定義も変わってくるんだ。
例えば、社会疫学という分野では、人と人との結び付きが強まるほど、健康や幸福が増進されるといわれているよ。
2000年代から本格的に孤独・孤立対策を始めたイギリスでは、サークルやボランティアなど、社会とのつながりをつくることで入院・外来が約20%減り、医療費の抑制につながったんだ。

ミライ 結果に表れているんだ。健康被害のリスクは、特に高齢の方々で、気を付けないといけないよね。

ホープ そうだね。日本では、コロナ禍の中での高齢者の生活実態を調査したところ、顔が見えるビデオ通話の利用が増えた人は、増えていない人に比べて、孤立を感じる割合が30%下がっている。手紙やはがきの利用が増えた人でも24%下がっているんだ(日本老年学的評価研究機構〈JAGES〉の調査)。

ミライ 何げないコミュニケーションを通じて、孤立による健康被害を避けることができるんだね。

ホープ さらに、信仰する宗教を持っている人は、そうでない人と比べて健康であるとのデータもあるんだ。前向きな思考を養う信仰心と、複数人で集まって話す宗教活動が、良い影響を与えるとされているよ。だから、宗教はソーシャル・キャピタルの柱でもあるんだ。

◇一人にさせない
ミライ その他にどんな研究が進んでいるの?

ホープ 災害への備えについて有効であることが指摘されているよ。アメリカの政治学者である、ダニエル・アルドリッチ博士によれば、自然災害からの復興のスピードは、人のつながりがより緊密な地域の方が速いというんだ。
さらに博士は、「宗教団体の強みは他者に尽くすという行為の"日常性"にある」と述べた上で、創価学会の災害支援について、「人を結び、自分らしくいられる場所を創造していく活動が、普段から行われている」「何か特別なことをするのではなく、今まで通りの取り組みを続けてきた」と考察しているよ。

ミライ 私たちの日頃の学会活動が、ソーシャル・キャピタルを育んでいるとも言えるのね。

ホープ その通りだよ。日蓮大聖人は、「そもそも、木を植える場合、大風が吹いたとしても、強い支えがあれば倒れない。もともと生えていた木であっても、根の弱いものは倒れてしまう。弱くふがいない者であっても、助ける者が強ければ倒れない。少し頑健な者でも、独りであれば悪い道では倒れてしまう」(新1940・全1468、通解)と仰せだよ。
この御文では、信仰の実践の上で善知識が必要であることを示されている。その上で、広い意味で言えば、より良い人間関係を育むことの大切さ、さらには、一人にならない、一人にさせてはならないとの意味が拝されるね。

ミライ 人は「社会的動物」といわれるよね。だから、一人で生きていくことはできない。人は支え合い、助け合い、共に生きていくものだよね。

ホープ そうだね。英語で宗教は「religion」と言うけど、その元々の意味は「再びつなぐ」。現代にあって、宗教の重要性は増していると思うよ。
だからこそ、仏法を実践する私たちは、互いに励まし合う豊かな絆を結んでいきたいね。そうする中で、信頼と安心をもたらす社会が築かれていくことを確信していこう。

◇御文
『夫れ、木をうえ候には、大風ふき候えども、つよきすけをかいぬればたおれず。本より生いて候木なれども、根の弱きはたおれぬ。甲斐なき者なれども、たすくる者強ければたおれず。すこし健げの者も、独りなれば悪しきみちにはたおれぬ。』(三三蔵祈雨事、新1940・全1468)

◇メモ
本抄を頂いた西山殿は、さまざまな圧力に耐えながら信心に励んでいたとされます。日蓮大聖人は、その西山殿に"善知識を求めよ"と呼び掛けられました。
「善知識」とは、人々を善に導いて、正しい仏法の軌道へと向かわせる「善友」のことです。どんなに強い人であっても、一人だけで仏道を成就することはできません。善友を求め、善友と共に生きることが幸福の要件なのです。

[コラム:"いま"を知る]防災意識の醸成
今月、トンガ沖の海底火山が噴火し、私たちは改めて、自然災害と隣り合わせで暮らしていることを実感した。阪神・淡路大震災では、助かった人の約8割が「自助」「共助」によるものだった。地域社会での助け合いは、防災・減災の柱とも言える。
仏法では共同体を栄えさせるために、四つの徳目(四摂事)が説かれている。それぞれについて池田先生は、「第一に布施。励ましや哲学を贈り、恐れを取り除くこと。第二に愛語。思いやりのある言葉をかけること。第三に利行。他者のために行動すること。第四に同事。人々の中に入って、一緒に平等に貢献すること」と示されている。
利他の振る舞いこそ、他者と深く結び付き、社会を安定させるための要件と言えよう。ゆえに、災害を「ひと事」ではなく「わが事」として捉え、一人一人が"自らの命は自らが守る""地域住民で助け合う"という防災意識を醸成していきたい。

2022年1月29日土曜日

2022.01.29 わが友に贈る

不安と危機の時代ゆえに
心と心のつながりを
誰もが強く求めている。
共に悩み共に喜ぶ
友情の絆を一段と!

弥源太殿御返事 P1226
『但し石は玉をふくむ故にくだかれ鹿は皮肉の故に殺され魚はあぢはひある故にとらるすいは羽ある故にやぶらる女人はみめかたちよければ必ずねたまる此の意なるべきか、日蓮は法華経の行者なる故に三種の強敵あつて種種の大難にあへり』

【通解】
石はその中に玉を含むゆえに砕かれる。鹿は皮や肉のゆえに殺される。魚は美味のゆえに捕らえられる。翡翠は美しい羽があるゆえに殺される。女性は容姿が美しければ必ずねたまれる。これらと同じことであろうか。日蓮は法華経の行者であるゆえに、三類の強敵があって種々の大難にあったのである。

名字の言 トンガの復旧・復興を祈る 2022年1月29日
「世界一の船乗り」といわれた英国のキャプテン・クック(クック船長)。彼は18世紀後半、当時の西欧世界で未知の領域だった太平洋を3度にわたって探検・調査した▼第2回の航海で初上陸した島がある。現地の人々の親切なもてなしに感激したクック船長は「フレンドリー・アイランド(友情の島)」と名付け、温かな友情の心をヨーロッパに紹介した▼その島の名はトンガ。彼が訪れたトンガタプをはじめ大小170余の島々からなるトンガ王国は、15日に発生した海底火山の大規模噴火で甚大な被害を受け、現在も懸命な救援活動が続く。一日も早い復旧・復興を祈るばかりだ▼「地球上の平和と進歩を約束するのは友情をおいて他にはない」とは、池田先生と深い友誼で結ばれたトンガ王国の故・トゥポウ4世国王の言葉。今も地球のどこかに苦しんでいる人がいる。その苦しみを想像し、「わがごと」として捉える"友情の心"から平和は築かれていく▼一つの国や地域で起きた問題が他の場所に影響を及ぼし、誰もがその当事者になりうる時代でもある。先生が40回目の「SGIの日」記念提言で訴えた通り、その苦しみに同苦し、"生きる喜び"を分かち合える社会を築くために、一歩を踏み出したい。

寸鉄 2022年1月29日
負けてたまるものかと腹を決めよ—恩師。苦難の時ほど学会魂燃やし挑戦
さあ飛躍の二月闘争へ! 励ましの光彩を目の前の一人に。断固、智慧湧かせ
「仏の種は法華経より外になきなり」御書。電話一本でも希望に!必ず開花(新697・全552)
男子部新任幹部が各地で率先の弘教。青年を先頭にわが地域も勇躍前進!
小中生の約半数、SNSの情報信じると。発信源を必ず確認—親子で徹底

〈社説〉 2022・1・29 若者の言葉に見る世相
◇諦めを打破する希望の対話を
昨年の「新語・流行語大賞」で上位に選ばれた言葉で、気になるものがあった。「親ガチャ」だ。
若者がSNSなどで使っている言葉で、子どもが親や家庭を選べないことを、カプセル玩具の自動販売機「ガチャガチャ」に例えて、親にも"当たり外れ"があることを表している。
「うちは貧乏で大学に行けなかった。親ガチャ失敗」「もっと高身長で生まれたかった。親ガチャハズレ」などと言うようである。
なぜ、このような言葉が広まったのだろう。
昔と違い、今はSNSによって、他者の生活が垣間見える機会が増えた。それによって、人との格差を、より感じやすくなったと言える。
そんなときに、自身の境遇に対する不満や愚痴の言葉として使われるようである。
若者としては親を非難したり、責任をなすりつけたりするつもりはないらしいが、意外と根は深そうだ。
この言葉の背景について社会学者の山田昌弘氏は、こう指摘する。
かつては格差があったとしても自分の努力で未来を変えることができると信じられていた。だが生まれた時から不況や危機に慣れた今の若者にとって、「すべてを生まれという『運』のせいにして、不公平な現実を諦めざるを得ない社会にまで行き着いてしまった」「そんな希望格差社会の究極の記号的意識」(「潮」2月号)と。
若者が直面する格差はコロナ禍によって一段と固定化したと受け取られ、自分では対応しがたい現実に対する「諦め」が広がった。「親ガチャ」はそんな世相を反映しているように感じられる。
こうしたネガティブな言葉を、単に若者の不満のはけ口と片付けてはなるまい。
"どうせ自分はダメだ"と常に言い続けることが、どれほど苦しいか。
世の中にそうした言葉があふれ、諦めや無力感がまん延すれば、人々の活力は奪われ、社会は停滞していく。
日蓮大聖人の立正安国の言論戦も、念仏によってもたらされた諦観思想という「一凶」との戦いだった。
それに連なる創価の励まし運動も、「どうせ現実は変わらない」という決め付けや思い込みとの戦いである。
信仰で培った共感力と確信の言葉で、友の心に希望の灯をともしたい。
「私には無理」ではなく、「私にもできる」と、勇気を送る対話を広げる——それが時代精神を変える一歩になる。

☆ストーリーズ 師弟が紡ぐ広布史 第16回 21世紀は女性の世紀 �折々の励まし
◇一心に戦う友を宣揚したい
「私が約束を果たします」
草創の秋田支部の初代婦人部長だった伊藤哲子さん。ある時、数人のメンバーと一緒に、池田大作先生と散歩する機会があった。
この激励は、戸田先生が伊藤さんを励まし、"神宮の外苑あたりを歩こう"と語ったことが始まりだった。外苑の散歩が実現する前に、恩師は逝去した。
そのことを伊藤さんから聞いた池田先生は、「分かりました。私が必ず約束を果たします」と語り、散歩の時間を持ったのである。
先生は学会歌「威風堂々の歌」を口ずさみながら語った。
「戸田先生が言われた一言一言を、私はすべて実現します」
池田先生の胸中には、いつも、どんな時も戸田先生がいる。小さなことでも、恩師が言われたことは全て実現する——。伊藤さんは「弟子の道を全うされる池田先生のお姿に、感動を禁じ得ませんでした」と述べている。
先生は激務の合間を縫って、東北の地で懸命に広布に走る一女性に師弟の大切さを訴えた。

◇幸福への精進
埼玉の茂木輝美さんは、静岡での池田先生との懇談を今も忘れない。
「この中で、お父さんがいない人?」
先生が問い掛けると、茂木さんはそっと手を挙げた。入会は1954年(昭和29年)。先に信心を始めた父・喜代作さんの勧めで、女子部の集いに参加したことがきっかけだった。その父が56年(同31年)に亡くなった。
先生は「きょうから、私を父と思って、しっかり頑張りなさい」と。師の真心は、茂木さんが学会と共に進むことを誓う原点となった。
先生は父を失った茂木さんを、折あるごとに励ましてきた。
59年(同34年)3月4日、大宮支部会館(当時)で行われた会合の前に、「精進」との文字を染め抜いた袱紗を渡した。61年(同36年)8月22日には、書籍に「常に幸福え乃 精進を」と揮毫して贈った。
「精進」——その言葉の意味を、茂木さんが深く心に刻んだのは、夫・磐さんと結婚してからのことだ。
74年(同49年)、磐さんがくも膜下出血で倒れた。長男の和雄さんは2歳、長女の清美さんは1歳だった。
緊張の糸が張り詰める中、宿命転換を懸けて学会活動に励んだ。78年(同53年)には支部婦人部長の任命を受けた。「母(志んさん)が子育てを手伝ってくれて……。義理の両親の介護もあり、母の支えがなければ、とても乗り越えることはできませんでした」
磐さんは左半身にまひが残ったが、リハビリに励み、やがて車いすで地域を回るように。89年(平成元年)に亡くなるまで、自治会の理事を務めた。この年、先生の提案で埼玉文化会館に「茂木桜」が植樹された。毎年、満開の花を咲かせている。
茂木さんは夫の後を継ぎ、28年間、自治会の理事として地域に貢献。市から表彰を受けた。現在、団地の自治会長として近隣との絆を育む。
——父がいたからこそ、信心に巡り合うことができた。
——師の励ましがあったからこそ、幸福の軌道を進むことができた。
2人の"父"への感謝を胸に、茂木さんは「精進」の歩みを重ね続ける。

◇この船たしか
1978年(昭和53年)6月30日、東京の立川文化会館へ、渡辺光子さんら5人の東久留米の婦人が向かった。この月、渡辺さんが婦人部長を務める支部では、204部の本紙の拡大を成し遂げていた。
会館に到着して驚いた。駐車場に池田先生の姿が見えたからだ。5人は急ぎ足で、師のもとに駆け寄った。先生は持っていたカメラを向け、シャッターを切った。
駐車場にござが敷かれ、"座談会"が始まった。「祖母が病気です」と語る婦人に、先生は御書の「転重軽受法門」の一節を拝し、信心の絶対の確信を語った。「不眠症で苦しんでいる年配者がいます」と報告する友には、袱紗を贈った。
激励は続いた。「みんな、お昼はまだだろう」。近くの店からラーメンの出前を取ることになった。それを待つ間、「きょう完成したばかりの歌なんだ」と、自らが作詞・作曲した学生部歌「広布に走れ」を披露した。
先生は歌詞に込めた思いを語り始めた。3番の「歴史を創るは この船たしか」について、「『この船』とは、創価学会のことなんだよ。学会についていけば絶対に間違いない。幸せになる」と強調した。
当時、宗門僧らが師弟の分断を画策していた。先生は、小賢しい邪知の嵐などに、決して揺るがぬ正義の大船こそ学会であるということを、婦人たちの心に刻んだ。
師から5人に、「お軽勘平グループ」との名が贈られた。渡辺さんは"なぜ、お軽・勘平なのか"が分からなかった。先生はその人を一瞬にして見抜くと、先輩から聞いていた。"ならば、私たちの姿を見て、何かを感じられたに違いない"
「お軽」「勘平」は、浄瑠璃や歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」に登場する人物。夫・勘平が主君の仇討ちに参加するために、妻・お軽は尽くすが、ふとした誤解から勘平は追い詰められ、自ら命を絶つ。悲劇の物語である。
「お軽勘平グループ」の名が意味するのは、お軽や勘平のようになれ、ということではない。むしろ逆だ。ちょっとした油断や隙から、人生を棒に振り、肝心な広布の"戦"に集うことができないようなことがあってはならない。渡辺さんは、師からの"戒め"と捉えた。
だからこそ、どんな広布の戦いにも精いっぱい挑んだ。3人の子どもは、その母の姿を見てきた。長男・伸一さんは地区部長、次男・敏之さんは支部長、長女・礼子さんは地区女性部長として、広布の最前線を駆けている。

◇平和を祈り続ける
ヨーロッパ中部から南東へのびるバルカン半島。この地に誕生した初のSGIメンバーは女性である。
ヤスミナ・トゥンペイさん。イギリスの大学で精神医学を学んでいた時、仏法に巡り合った。1983年(昭和58年)、東欧広布の誓いに燃え、故郷のユーゴスラビアに戻る。
2年後、彼女の自宅で、ユーゴスラビア初の総会が開催された。現在のセルビア、クロアチアなどから30人ほどのメンバーが集った。
90年代の前半から、ユーゴスラビアは内戦の悲劇に見舞われる。民族感情のマグマが噴出する中、ヤスミナさんは、一日も早く平和が訪れることを祈り続けた。
内戦が終結した翌年、ヤスミナさんの母・リリアナさんが亡くなった。葬儀は、住んでいたスロベニアで、初となる友人葬で行われた。
葬儀場に、先生からの追悼の花束が届いた。ヤスミナさんは「先生は、たった一人のために、ここまで心を尽くされるんですね」と深い感銘を受けた。
新世紀が開幕した2001年(平成13年)、ヤスミナさんはスロベニアSGIの初代支部長に就任する。心理療法士として働きながら、スロベニアの大地に妙法の種をまいた。
03年(同15年)、同国の文芸誌に先生のインタビュー記事が掲載され、国営テレビがSGIの思想を報道した。その2年後、スロベニアSGIは文化団体として、法人認可を受けた。
スロベニア広布の伸展を見届けるようにして、07年(同19年)、ヤスミナさんの生涯は幕を閉じた。
同SGIの現在の支部長であるアニータ・プレゼリさんは、ヤスミナさんが信心に導いた一人である。

◇スウェーデン広布の一粒種
「私はどこに行っても、その地に難攻不落の城を築く思いで戦っている。一人でもいい。私と同じ精神で戦おうという人を探している」
池田先生がこう切り出したのは、1989年(平成元年)2月、学会の幹部が集まった会合でのこと。この後、先生は一人の女性に言及した。
「スウェーデンの広宣流布を支えたのは、一人の女性なんだ」
「上原鏡子さんという、鹿児島出身の女子部員です。『スウェーデンは、私一人で開いていきます』と言ってくれた」
上原さんは33年(昭和8年)、鹿児島の指宿で生まれた。戦後、神戸で入会する。先生が第3代会長に就任した60年(同35年)、仕事の関係でスウェーデンに移った。
62年(同37年)、先生は書籍に「冥益」と揮毫し、上原さんに贈った。翌63年(同38年)1月には、ヨーロッパ総支部とパリ支部の結成大会で、上原さんを励ましている。
この年、上原さんは「スカンジナビア地区」の責任者になる。スウェーデンに信心の喜びが広がると、同志の激励のため、西部の都市イエーテボリ、南部の都市マルメにも足を運んだ。
スウェーデンで仏法の哲理を語り広げた上原さんだったが、体調を崩してしまう。79年(同54年)、鹿児島に戻り、生涯を閉じた。
先生は上原さんをたたえた。
「頼れる人もいない。言葉もそれほど上手ではない。しかし、彼女は掃除や皿洗いをしながら生活費を切り詰めて戦ったんだ。無名の、このような人々をこそ、私は励まし、宣揚したい」

◇文明史的な意味
21世紀の幕が上がった2001年1月。先生は「生命の世紀へ 大いなる潮流」と題する提言を発表した。その中で次のように述べている。
「二十一世紀における女性の存在の重みは、法律面や経済面での『解放』(それも大事ですが)をはるかに超えた、文明史的な意味をもっています」
「それゆえ、二十一世紀が基調とすべき『生命の世紀』とは、『女性の世紀』の異名でもあるといえましょう」
先生は「21世紀は女性の世紀」と繰り返し訴え、女性のエンパワーメント(内発的な力の開花)に尽くし、無数の励ましの松明をともしてきた。その明かりに照らされ、地涌の使命の舞を舞う女性が世界各地にいる。
自分の宿命に負けないで、地道に誠実に、家庭や地域に幸福の灯をともす創価の女性の連帯は、「生命の世紀」を希望の光で照らしている。

2022年1月28日金曜日

2022.01.28 わが友に贈る

満々たる生命力こそ
幸福勝利の源泉だ。
どんな困難の壁も
絶対に突破できる!
大確信の祈りと行動を!

上野殿御返事 P1575
『其の上わづかの小郷にをほくの公事せめあてられてわが身はのるべき馬なし妻子はひきかくべき衣なし。かかる身なれども法華経の行者の山中の雪にせめられ食ともしかるらんとおもひやらせ給いてぜに一貫をくらせ給へるは貧女がめおとこ二人して一つの衣をきたりしを乞食にあたへりだが合子の中なりしひえを辟支仏にあたへたりしがごとし、たうとしたうとし』

【通解】
そのうえ、わずかの領地なのに多くの公事を課せられて、自身は乗るべき馬もなく、妻子は着るべき衣もない。そのような身であるけれども、法華経の行者が山の中で雪に責められて、食物も乏しいことであろうと思いやられて銭一貫文を送られたことは、貧しい女が夫婦二人で一つの衣を着ていたのを乞食に与え、利叱(りだ)が器の中にあった稗を辟支仏に与えたようなものである。尊いことである。尊いことである。

名字の言 「生きた言葉」を交わす 2022年1月28日
デジタル技術の発達によって、日常生活で他者と連絡をとる機会が格段に増えた。ただ、コミュニケーション手段は豊かになったものの、互いの考えや気持ちを共有する「対話」は、いまだに乏しいとの指摘もある▼文学博士の古田徹也氏は、「生きた言葉が探され、交わされるには、話し手と聞き手双方の待つ努力が欠かせない」と述べている(『いつもの言葉を哲学する』朝日新書)。対話に一方通行はない。双方向であってこそ、言葉に命が宿る▼ある壮年リーダーが、新しく担当する地域をあいさつに歩いた時のこと。一人の友に元気に声を掛けたが、反応がない。"何か失礼なことをしてしまったかな"と心配になった瞬間、相手が笑みを浮かべ、ゆっくり話し始めた。「頑張ってください……」▼その友は昨年、脳梗塞を発症し、リハビリに励んでいた。「頑張って」は、壮年の話に懸命に反応してくれた、心からの一言だった。励ましは、相手の話を聞くことから始まることを、壮年は改めて心に刻んだ▼こちらが熱い思いを語っても、相手が心を開かなければ届かない。"あなたのことを知りたい"との姿勢から納得と共感の語らいは始まる。「生きた言葉」に包まれた人生は豊かになる。

寸鉄 2022年1月28日
会長のアジア初訪問の日 妙法の種は大きく開花!平和建設の大道を我らも
「題目の功徳は大海のごとし」御書。福徳は無量。今を歓喜の中の大歓喜で
青年を中心に提言研鑽の息吹広がる。人類史転換の先駆と自覚し学び語れ
感染禍でも出版市場売上好調と。活字の力で希望を—聖教も更に充実期す
座りすぎは喫煙と同様の影響が体に—研究。30分に1度は立つ等、意識を

☆勝ちゆく君へ 第25回 青春の大飛躍を共々に
◇新出発を朗らかな勢いで
華陽姉妹の新出発を祝福し、初の「華陽カレッジ」が多彩に仲良く朗らかに大成功するよう、妻と祈っています。
広布のための献身は、全てが青春の宝冠となって輝きます。
日蓮大聖人は仰せです。
「竜女が成仏は末代の女人の成仏・往生の道をふみあけたるなるべし」(新101・全223)
女性部1期生の皆さんが、最初の一歩をスクラム固く、勢いよく踏み出すことが、創価家族の未来の前進に、限りない希望と活力を漲らせていきます。
使命も深き皆さんは、一人一人が先駆の翼を伸びやかに広げて、共々に「勝った!」と誇れる、広布と青春の大飛躍を!

◇祈りから始めよう
新鮮な生命を弾ませ、各地で新任リーダーが誕生している。
皆が若き地涌の旗頭です。
70年前の1月、新たに蒲田支部幹事の任命を受けた私が、同志に訴えたことの第一は、「祈りから始めよう」でした。
唱題根本の前進に行き詰まりはありません。真っすぐに御本尊を拝し、「湿れる木より火を出だし、乾ける土より水を儲けんがごとく」(新1539・全1132)強く深く祈ることです。
壁にぶつかったら、題目の師子吼で、「師子王の心」を取り出すのです。「以信代慧の智慧」を湧き立たせていくのです。
この法華経の兵法の実践で、いざ新時代の二月闘争へ!
(創価新報2022年1月19日付より)

☆桂冠詩人は詠う 勇気の舞 凱歌の行進� 第2回 世界平和への誓い
◇永続的な勝利への大道を歩め
人類の英知の
真髄の結論は何か?
それは
この地球世界から
「悲惨」の二字を
なくすことだ!

「自由」があるから
人間は幸福。
「平和」があるから
人間は安全。

平和と自由は
祝福されるべき
人類の血が求め抜いた
宝庫である。

豊かにして堂々たる
全世界の都会には
無数の人間が行動している。
しかし ひとたび
戦争になれば
それらは皆
巨大な牢獄と化してしまう。

多くの民族が融合し
燃え盛る
生命と生命との
音をたてながら
新しい時代を
新しき二十一世紀の舞台を
築きゆかんとする
鋭敏な魂よ!

◆◇◆

君は
驚くほど
強くなるのだ!
君よ
偉大な巨人として
生き抜くのだ!

ありとあらゆる
嫌悪の苦汁を
呑まされゆく苦痛は
断じて打ち破れ!
彼らは
嘆息するような
気の毒な
哀れな道をゆく者なのだ。

おお 人間よ!
おお 人類よ!
偽善者に
断じて騙されるな!

絶対の平和の大道は
庶民の心にあることを
忘れてはならない。

◆◇◆

いかなる
憂鬱なことがあっても
断固たる
創造者であり
先覚者である
私たちは
永続的な勝利への大道を
歩みゆくことを
断じて忘れてはならない。

固い道も
柔らかい道も
生涯 持ち続けた
汝自身の精神を
汝自身の高尚な思想を
堅持しながら
変転極まりない
この社会をば
魂の極致の信念をもって
私たちは進むのだ!

何ものにも屈せず歩む!
恐れを拒否して歩む!
人生の生命の
終わりも忘れて歩む!
そして走る!

我らには
永遠の希望がある。
我らの天下の都市は
恐れも嘆きも終末もない。
人間が人間として
喜び合い 助け合う
連帯の都市なのだ!

そして そこから
「世界平和の道」を
創るべきだ!
「人類の花園」を
築くべきだ!

これを
「一閻浮提の広宣流布」と
大聖人は見通し
予見されたのである。

「末法万年 尽未来際」
この甚深の御聖訓を
私どもは
永遠に忘れてはならない。
その使命があるからだ!

2022年1月27日木曜日

2022.01.27 わが友に贈る

失敗は敗北ではない。
前進している証拠だ!
そこから学び立ち上がり
何度も挑み続ける中で
栄光の逆転劇が生まれる。

妙法尼御前御返事 P1403
『此の経の題目は習い読む事なくして大なる善根にて候』

【通解】
この法華経の題目は、その意味を理解せずに唱えても、大いなる善根になるのです。

名字の言 「捨てず持つは 君の太刀ぞよ」 2022年1月27日
新選組の土方歳三が残した肖像といえば、断髪に洋装姿の写真が有名だろう。現物が東京・日野市の佐藤彦五郎新選組資料館に収蔵されている▼時は幕末から明治への動乱期。最後の戦いに臨む歳三が小姓に託し、物心両面で支えてくれた故郷の義兄に送ったものという。よく見ると、脇に刀を差している。時代とともに髪形や服装は変われど「武士の魂」は捨てない。そんな気概が伝わる一枚だ▼戸田先生が事業で最悪の状況に陥った時、池田先生を刀になぞらえて詠んだ歌がある。「幾度か 戦の庭に 起てる身の 捨てず持つは 君の太刀ぞよ」。池田先生が師を支え抜く誓いを「人は変れど われは変らじ」と詠んだ歌への返歌だった▼当時、池田青年は苦闘の中で御書の一節を日記に記し、自らを鼓舞した。その一つに「太刀・つるぎにてつかう人の臆病なるようにて候べし」(新1547・全1138)と。太刀や剣があっても使う人が臆病であれば意味がない。妙法も勇気をもって実践してこそ偉大な功力が現れ、祈りもかなうとの御指南だ▼私たちには祈りとしてかなわざるなしの信心があり、範を示してくれる師匠がいる。あとは"勇気の刀"を抜くか否か。ここに広布と人生に勝つ要諦がある。

寸鉄 2022年1月27日
広布に勇猛に戦い続けた人が菩薩であり仏—恩師 創立100周年へ共に邁進!
東京・豊島女性部の日。三代有縁の地に輝く太陽 心の絆を結ぶ励まし更に
「道理・証文よりも現証」御書。ありのままの体験が胸を打つ。誠実に拡大
本紙通信員制発足の日。最前線の鼓動を伝えゆく民衆の言論勇者に大感謝
マスク着用率が高い地域は感染率が低い—研究。できる対策を着実に実践

☆池田先生が贈る「無冠の友」への新春メッセージ 大いなる飛躍の第一歩を
◇尊き大誠実の振る舞いに感謝
尊貴なる「無冠の友」の皆さん! 「青年・飛躍の年」、明けましておめでとうございます。
感染症の流行や気候変動に伴う天候不順など、これまでにも増す困難の中、皆さんがどれほど祈り、どれほど心を砕いて配慮を尽くしながら、聖教新聞を配ってくださっていることか。「無冠の友」ありて、広宣流布と立正安国の前進あり!と、感謝は尽きません。
陰で支えてくださっている集金担当の皆さん方も、本当にありがとうございます。
とともに、「無冠」の誇りを胸に、これまで配達を担ってくださった方々に、心より御礼を申し上げます。
御書には、「かくれての信あれば、あらわれての徳あるなり」(新1850・全1527)と仰せです。最も地道にして最も忍耐強い功労を重ねられた皆さんが、大福徳に包まれ、三世永遠に栄えゆかれることは、絶対に間違いありません。
御本仏・日蓮大聖人は、「もし文字を離れば、何をもってか仏事とせん」(新762・全153)とご断言であります。
広宣流布とは、「文字の力」「言論の力」で、何ものにも負けない仏の大生命力を自他共に呼び起こし、民衆の一人一人を救い切っていく究極の聖業であります。
その最大の推進力こそ聖教新聞であり、そして、その最強の旗手こそ「無冠の友」の皆さんにほかなりません。
聖教の波動は、内外の読者の人生に活力と希望を送ると同時に、地域社会にも深く連帯と繁栄を広げていきます。
私も宝友と忘れ得ぬ出会いを刻んだ福島県の土湯では、深き決意の同志が一丸となって走り抜き、地域の数多くの世帯が聖教の愛読者になっておられると伺いました。そこには、実に半世紀にわたって営々と配達を続けてくださった宝のご家族がいます。
ご夫妻は、病も幾たびと勝ち越え、お子さん方も立派に育て上げながら、愛する郷土に貢献を果たされてきました。後継のバトンを受け継いだ息子さんは、こけし職人として日本一に輝いています。
まさに、聖教の旗を高らかに掲げ、誓願の祈りと行動で、「信心即生活」「仏法即社会」の実証を誉れの天地に示し切ってこられたご家族が、いずこにも光っているのです。
聖教新聞を「日本中、世界中の人に読ませたい」との恩師・戸田城聖先生の熱願は、私と不二の心で行進する「無冠の友」の誓願となって結実し、聖教電子版は現在、210カ国・地域からアクセスがあります。
「世界人権宣言」の起草にも尽力された、ブラジル文学アカデミーのアタイデ元総裁の信条を思い起こします。
「新聞は毎日、また常に、民衆の光輝ある力のために、現在と未来の間に立って、歴史の行進を先取りする。そして世界の地平線へ、鋭きまなざしを広げていく」と。
世界の「セイキョウ」は、いよいよ「歴史の行進」を先取りし、世界市民の「光輝ある力」を限りなく高めていきたいと思うのであります。
私は、「無冠」の方々こそ創価の不軽菩薩なりと尊敬し、信頼しております。
皆さん方こそ、「不軽菩薩の人を敬いしは、いかなることぞ。教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞いにて候いけるぞ」(新1597・全1174)との御聖訓を、月々日々にたゆむ心なく実践し抜いておられる方々だからであります。
先日も、大阪・堺の地で、長年「無冠の友」だった方から、「配達50年の掉尾を飾る、本当に嬉しいことがありました」と喜びの便りが届きました。それは、さわやかな挨拶を心掛け、地域活動に努める姿をずっと見ていたご近所の方から、「あなたが誇りとしているその新聞、読ませてもらうわ!」と声を掛けられたというのです。
尊い貴い大誠実の振る舞いの勝利です。
私は妻とこれからも、無冠家族の絶対無事故、健康長寿、そして幸福勝利を、真剣に祈り続けてまいります。地涌の誓願を貫く人は、いつまでも、いかなる立場になっても、「青年の心」で生き生きと境涯を深めながら、所願満足の人生を歩んでいけます。
さあ、今日も、栄光の峰を見つめつつ、大いなる飛躍への第一歩を、堂々と踏み出しましょう! 青年と共に! 私と共に!
2022年 元旦

☆正義と平和の師子吼を 原田会長を中心に各部代表者会議
第12回各部代表者会議が26日、原田会長を中心に、東京・信濃町の広宣会館(学会本部別館内)で行われた。
池田大作先生はメッセージを贈り、「SGI(創価学会インタナショナル)の日」に当たって、全世界の宝友一人一人の健康と幸福勝利、それぞれの使命深き国土の安穏と繁栄を、改めて強盛に祈りたいと強調。
戸田城聖先生の遺訓である「原水爆禁止宣言」を原点に、直弟子として報恩の心で積み重ねてきた記念提言の発表が40回目を数えたことに触れ、一回一回の掲載・発表、翻訳等に携わってきた友の献身に、心からの感謝を述べた。
次いで、法華経の「作師子吼(師子吼を作す)」の深義を説いた「御義口伝」の一節を拝読した。
「『師』とは師匠授くるところの妙法、『子』とは弟子受くるところの妙法、『吼』とは師弟共に唱うるところの音声なり。『作』とは、『おこす』と読むなり」(新1043・全748)
先生は、妙法流布の誓願に燃え、不二の弟子が勇んで「おこす」能動の音声こそ、最も強き師子吼であると力説。闘諍言訟を深める時代にあって、恩師が喝破した世界の民衆の生存の権利を脅かす魔性との戦いから一歩も退くことはできない。だからこそ勇気凜々と正義と人道、平和と尊厳の師子吼をおこし、折伏も励ましも外交戦も、一つ一つ勝ち開いていこうと訴えた。
最後に、「若師子の全青年部と、各部・各地の新任リーダーを先頭に、伝統の2月を決然と飛躍しよう!」と呼び掛け、メッセージを結んだ。
原田会長は、40年前の「雪の秋田指導」の歴史に言及しつつ、聖教新聞を舞台とした池田先生の言論戦と励ましによって、学会は世界宗教へ飛躍を遂げたと強調。師の破邪顕正の闘争に連なり、今いる場所で師弟勝利の歴史を築こうと望んだ。
さらに、今月25日で大阪事件の無罪判決から60年を刻んだことに触れ、民衆が賢明になり、力を持ち、連帯することが権力の魔性を打ち破る要諦であると力説。立正安国へ、広布拡大の実証で我らの「二月闘争」を勝ち飾ろうと述べた。
また長谷川理事長、谷川主任副会長、西方男子部長があいさつ。豊福副ドクター部長が新型コロナ感染防止のポイントを語った。

2022年1月26日水曜日

2022.01.26 わが友に贈る

「法華経は種のごとく、
仏はうえてのごとく」
全民衆に幸福の種を
植え続ける人生を!
希望の花咲く未来へ!

高橋殿御返事 P1467
『其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ、仏種は縁に従つて起る是の故に一乗を説くなるべし』

【通解】
その国の仏法流布は、あなたにお任せする。仏種は縁によって起こる。その故に一乗(法華経)を説くのである。

名字の言 冬を越えるために親が子に伝えたこと 2022年1月26日
東京・立川市の読者から1枚の写真を頂いた。近所の多摩川に飛来した数羽のハクチョウが優雅に泳いでいる場面だった▼数千キロ離れたシベリアから越冬のため日本に渡るハクチョウは世代が変わっても、ほぼ同じ場所に戻ってくるという。その訳を専門家に尋ねると、「家族単位で行動するため、かつて、親と一緒に渡った経路を子が覚えていることも理由の一つと考えられる」とのこと。先の写真のハクチョウも、過酷な長途の旅を共に渡りきった親子かもしれない▼ある女性部員は病院の検査で大病が見つかり、動揺した。帰宅後、母に話そうとするが涙で言葉が出ない。その時、母が言った。「一緒に題目を唱えようか」▼唱題する中、彼女は、はっと思い出した。実は母も以前、同じ病を患い、信心根本に乗り越えたことを……。"母のように、私も宿命転換をしてみせる!"と誓った彼女は一念を定めて祈り抜き、数年後、病を完治させた▼御聖訓に「白馬は日蓮なり。白鳥は我らが一門なり」(新1447・全1065)と。白鳥が鳴くのを聞いて嘶く白馬の声によって、威光勢力を増す輪陀王の故事を引かれ、唱題の偉大な力用を教えておられる。共に題目の声を響かせる創価家族に越せない冬はない。

寸鉄 2022年1月26日
40回目の"SGI提言"を発表。平和と生命尊厳の光を友へ!我らの使命大
広島原点の日。師弟共戦の広布史が誉れ。新たな人材・後継と地域開拓へ
「強敵を伏して始めて力士をしる」御書。苦難は成長の源。題目の師子吼で(新1285・全957)
子の視力1・0未満最多と。スマホ等による目の酷使が因。休憩挟み賢く
家庭内感染が急増。小まめな換気や消毒など基本対策の再徹底を—厚労省

☆御書と未来へ 第3回 生命尊厳の航路を開く船長に
〈御文〉
『生死の大海を渡らんことは、妙法蓮華経の船にあらずんば、かなうべからず』(椎地四郎殿御書、新1721・全1448)

〈通解〉
生死の大海を渡るのは、妙法蓮華経の船でなければ叶わないのである。

〈池田先生が贈る指針〉
生老病死の荒波は、誰人も避けられない。この苦悩の流転の海から、人類を常楽我浄の崩れざる幸福境涯へ導く大船こそ、妙法なのだ。
この希望の極理を学び、語り弘める青春の挑戦が、いかに尊いか。大確信の対話は友の悩みを照らし、時代の闇を晴らす。わが青年部よ、生命尊厳の平和の大航路を開く船長たれ!

☆「教学部教授講座」のために 撰時抄
◇人類の平和と共生開く法理
「教学部教授講座」が、29日(土)、30日(日)に、「SOKAチャンネル」(中継)で開催されます(日時・会場の詳細は各県・区ごとに決定。モバイルSTB・SOKAnet会員サポートでは視聴できません)。対象は「教授」「名誉教授」の資格を持つ壮年・女性部員(師範・準師範資格の方も参加できます)。ここでは、同講座で学ぶ御書の御文、通解、ならびに池田先生の指導を掲載しました(学習の便宜を図るため、講座の中で取り上げる順に合わせて、御文と指導の冒頭に番号を振っています)。受講される方は、御書と教材(本紙面)を持参し、各会場の放映に参加してください。

◇御文1
『第三には、去年文永十一年四月八日、左衛門尉に語って云わく「王地に生まれたれば身をば随えられたてまつるようなりとも、心をば随えられたてまつるべからず。念仏の無間獄、禅の天魔の所為なることは疑いなし。殊に真言宗がこの国土の大いなるわざわいにては候なり。大蒙古を調伏せんこと、真言師には仰せ付けらるべからず。もし大事を真言師調伏するならば、いよいよいそいでこの国ほろぶべし」と申せしかば、頼綱問うて云わく「いつごろか、よせ候べき」。予、言わく「経文にはいつとはみえ候わねども、天の御けしきいかりすくなからず。きゅうに見えて候。よも今年はすごし候わじ」と語りたりき。』(御書新版204ページ15行目〜205ページ4行目、御書全集287ページ14行目〜288ページ1行目)

◇通解
3には、去年すなわち文永11年(1274年)4月8日に、平左衛門尉に「王の治める地に生まれたので、身は服従させられるようであったとしても、心は服従させられることはない。念仏は無間地獄に堕ちる悪業、禅は天魔の振る舞いであることは疑いない。特に真言宗がこの国土の大きな災いなのです。大蒙古国の調伏を真言師には命じてはなりません。もしこの重大な事態に際して真言師が調伏するなら、この国の滅亡はますます早まるにちがいありません」と申し上げたところ、頼綱は「いつごろ大蒙古国は押し寄せてくるのか」と尋ねた。
そこで私は「経文にはいつとは書いてありませんが、天の神々のご様子は、わずかのお怒りではない。差し迫っていると思われます。今年を越すことは決してないでしょう」と語ったのである。

★池田先生の指導から1
この御文は、ユネスコが編纂した『語録 人間の権利』にも収録されている。
つまり、"人間は、国家や社会体制に隷属した存在ではない。人間の精神を権力の鉄鎖につなぐことなどできない"との御言葉である。 

日蓮大聖人がめざされたのは、苦悩にあえいできた民衆の幸せであった。そして、日本一国の広宣流布にとどまらず、「一閻浮提広宣流布」すなわち世界広布という、全人類の幸福と平和を目的とされた。
この御精神に立ち返るならば、おのずから人類の共存共栄や、人類益の追求という思想が生まれる。(小説『新・人間革命』第30巻〈下〉「誓願」の章)

◇御文2
この三つの大事は日蓮が申したるにはあらず。ただひとえに、釈迦如来の御神、我が身に入りかわらせ給いけるにや。我が身ながらも悦び身にあまる。法華経の一念三千と申す大事の法門はこれなり。経に云わく「いわゆる諸法の如是相」と申すは何事ぞ。十如是の始めの相如是が第一の大事にて候えば、仏は世にいでさせ給う。「智人は起をしる。蛇はみずから蛇をしる」とは、これなり。(御書新版205ページ5行目〜8行目、御書全集288ページ1行目〜4行目)

◇通解
この三つの重大なことは、私が申し上げたわけではない。ただ釈尊の魂が、私の体にお入りになり、私と入れ替わったということに尽きるのではないだろうか。自分のことながら喜びが身にあまる思いである。法華経の一念三千という重要な法門はこのことである。
法華経の「(諸法実相とは)具体的に言えば、諸法のこのような相」(方便品)というのは何のことか。十如是の初めの「相如是」が最も重要なことであるから、仏はこの世界に出現されるのである。「智慧のある人は物事の起こりを知り、蛇は蛇自身のことを知っている」というのはこのことである。

★池田先生の指導から2
「釈迦如来の御神」とは、大聖人御自身の生命に躍動する無始無終の仏界の大生命のことです。その仏界の力、精神の力で、三度の予言をなし得たと仰せです。「我が身ながらも悦び身にあまる」です。宇宙大のわが生命を躍動させ、仏界の力が最大に発動された時に、仏は三世を知見する力用を発揮することができる。

どこまでも九界の身を離れず、九界の凡夫の身でありながら仏界の力に生ききることで発揮される、未来への深い洞察です。そのように九界と仏界が一体で働いているゆえに、十界互具・一念三千です。ゆえに「法華経の一念三千と申す大事の法門はこれなり」と仰せなのです。(『池田大作全集』第33巻所収、「御書の世界」)

◇御文3
衆流あつまりて大海となる。微塵つもりて須弥山となれり。日蓮が法華経を信じ始めしは、日本国には一涜一微塵のごとし。法華経を二人・三人・十人・百千万億人唱え伝うるほどならば、妙覚の須弥山ともなり、大涅槃の大海ともなるべし。仏になる道は、これよりほかに、またもとむることなかれ。(御書新版205ページ9行目〜12行目、御書全集288ページ4行目〜7行目)

◇通解
多くの川の流れが集まって大海となる。細かい塵が積もって須弥山となった。私が法華経を信じ始めたことは、日本国にとっては一滴の水や一つの塵のようなものである。
もし二人、三人、十人、百千万億人と法華経を唱え伝えていくようになれば、仏の覚りという須弥山にもなり、大涅槃という大海にもなるにちがいない。仏になる道はこれよりほかに、さらに求めてはならない。

★池田先生の指導から3
「生命尊厳」の潮流は、一人の偉大な人間革命から広がります。
私たちは、一切を蘇生せしめていく妙法の音律を轟かせて、いかなる「暴力の連鎖」にも屈しない「人道の連鎖」をいやまして強め、地球民族の平和と共生の大海原を洋々と開いていこうではありませんか!
そして一人一人を大切にする「人間尊敬」の対話をたゆまず積み重ね、生老病死の苦悩を打開しゆく智慧と力を、一段と発揮してまいりたい。
なかんずく、負けじ魂の頼もしき青年たちを大いに慈しみ励ましながら、人類の境涯を「常楽我浄」という、永遠の幸福と希望と和楽の最高峰へ高めていきたいのであります。(「世界広布新時代第14回本部幹部会」へのメッセージ)

2022年1月25日火曜日

2022.01.25 わが友に贈る

語らなければ
真実は伝わらない。
混迷の社会を照らす
正義の言論戦で
皆を幸福へと導こう!

兄弟抄 P1087
『此の法門を申すには必ず魔出来すべし魔競はずは正法と知るべからず』

【通解】
この法門を説くと、必ず魔が現れるのである。魔が競い起こらなかったならば、その法が正法であるとはいえない。

名字の言 "勝った"と言える日は突然来る——野球漫画の巨匠・水島新司氏 2022年1月25日
野球漫画の巨匠・水島新司氏は、幼い頃から魚屋を営む病弱な両親を支え働いた。中学卒業後、働きながら好きな漫画を描き続け、18歳でデビューする▼当初、絵に満足できず、睡眠を削って描く日々が続いた。人気作『あぶさん』は、3年が過ぎて"ようやくプロの打者らしいスイングになったね"と選手に言われたという。氏はかつて本紙の対談で、"勝った"と言える日は突然来る。私もある日、突然絵がうまくなった。大切なのは"努力し続ける強さ"と語った▼水島氏と親交の深かったプロ野球の名将・野村克也さん。2歳で父を亡くし、病弱な母を兄と支える極貧の幼少期を送った。この逆境が自身を築き、野球界での功績につながる原点と述べている▼自らを「二流」と称した野村さんは、自分の長所と弱点を理解した上で、強みを生かせる選手を「超二流」と呼んだ。一流は無理でも、「超二流」なら努力次第で誰でもなれる。これができる選手は、時に一流をも凌駕し、より長く"結果"を残せると訴えた(『超二流』ポプラ新書)▼試練の嵐に遭っても、その中で苦闘し、未来へ向かって努力を積み重ねる人が、勝利の栄光をつかみ取る。労苦は自らを"一流"へと鍛え上げる、幸福の原動力となる。

寸鉄 2022年1月25日
大阪事件の無罪判決60年 正しい仏法が必ず勝つ—民衆が主役の時代を共に
「関西女性部の日」。常勝の太陽の連帯は赫々と!師弟凱歌の新たな一頁を
大事なのは人々に何をしたか—戸田先生。広布の大目的に生きる人は崇高
「信の一字を詮となす」御書。御本尊への強盛な祈りで勝利の歯車は回転(新266・全339)
運動不足は認知症の危険増大と。少しずつでも足を動かそう—努力は毎日

☆栄光の共戦譜 第1回 1960年(昭和35年)「前進の年」
◇師弟の「闘魂」を青年に託したい
池田先生の第3代会長就任60周年を記念して発刊された年譜『栄光の共戦譜』には、黄金の"師弟の足跡"がとどめられている。本連載では、年譜を一年ごとに追いながら、現在の広布の活動に通じる"学会の原点"を確認していく。第1回は、「前進の年」と銘打たれた1960年(昭和35年)を掲載する。

◇「5・3」第3代会長就任
「若輩ではございますが、本日より、戸田門下生を代表して、化儀の広宣流布を目指し、一歩前進への指揮を執らせていただきます!」
1960年(昭和35年)5月3日、32歳の池田先生の師子吼が、東京・両国の日大講堂に轟いた。第3代会長が誕生し、広布の新たな幕が開けた。
51年(同26年)5月3日、戸田先生は第2代会長就任に際し、「私は、広宣流布のために、この身を捨てます! 私が生きている間に、七十五万世帯の折伏は、私の手でいたします」と宣言した。「われわれ」ではなく「私の手で」との"一人立つ誓い"を叫んだ。
師匠に呼応する池田先生の大闘争によって、恩師の生涯の願業である75万世帯を成就。戸田先生が58年(同33年)4月2日に逝去し、世間が"学会は空中分解する"と騒ぐ中にあっても、池田先生は、ただ一人の総務として立ち、学会の実質的な舵取りを担いながら、友の心に希望の灯をともし続けた。
第3代会長就任式で、池田先生は、戸田先生の七回忌までに300万世帯の折伏を成し遂げることを誓った。
それからわずか2年後の62年(同37年)11月には300万世帯が達成され、その後も創価学会は仏法を根底とした平和・文化・教育の団体として発展を遂げていく。
創価の師匠が示してきた"広布の魂"は、人に頼むのではなく、一人立つ誓いを燃やし、誓願を果たすために徹し抜く不惜身命の実践であった。
第3代会長就任60周年を刻んだ2020年(令和2年)、先生は池田門下の青年部に呼び掛けた。
「地涌の師弟にみなぎる闘魂を、時代の荒波に敢然と立ち向かう頼もしき後継の青年たちに、私は託したいのだ」

◇「7・16」沖縄初訪問
会長就任の以前から、池田先生が心に期していたのは、戦争の不幸の歴史を刻む沖縄をいち早く訪れ、沖縄から世界平和の潮流を起こしていくことだった。
先生が初めて沖縄の地を踏んだのは、1960年(昭和35年)7月16日のこと。この日は、日蓮大聖人の「立正安国論」提出から、ちょうど700年の日に当たっていた。
「私は、沖縄を『立正安国』の模範の天地に築き上げたかった。もっとも苦しみをなめたところが、もっとも幸せにならねばならない。なる資格があるし、必ずなっていく——これが仏法である」と、初訪問の思いを述べている。
7月17日、沖縄支部結成大会に出席した先生は、「日本、世界の幸福と繁栄に貢献するのが学会の使命」と強調。
「文証」「理証」「現証」の三証に言及し、「この三つのなかで、一番大切なのは現証です。現実の生活のうえに、功徳の実証を示し、皆さんが幸福になることが、最大の証明です」と沖縄の同志に指針を示した。
さらに、支部結成を祝う寄せ書きには、「沖縄の同志よ団結せよ」と書きとどめた。
18日には、南部戦跡を視察し、友に語り掛けた。
「沖縄は広宣流布の"要石"だ。この美しき天地を、永遠の平和の要塞にしていこう」「最も悲惨な戦場となったこの沖縄を、最も幸福な社会へと転じていくのが私たちの戦いだ」
先生の初来島以来、沖縄の同志は故郷を"平和の要塞"に転じる闘争を展開してきた。
その原点である7月16日は、師弟の平和の精神が輝く「沖縄原点の日」となっている。

◇「10・2」世界広布の第一歩
10月2日は「世界平和の日」。池田先生が初めて海外訪問に出発した日だ。
この日、先生は羽田の東京国際空港から、最初の訪問地ハワイへ出発。上着の内ポケットには、第2代会長・戸田先生の写真が納められていた。
戸田先生は逝去の直前、池田先生にメキシコに行った夢を語った。
「行きたいな、世界へ。広宣流布の旅に……」「君の本当の舞台は世界だよ。世界は広いぞ」「世界に征くんだ」
初の海外訪問の日を「2日」としたのは、戸田先生の命日に当たるからだ。池田先生は恩師の分身として、世界広布の第一歩をハワイの地に印したのである。
当時はまだ、日常生活の中で"世界"を実感できる場面は少なかったが、池田先生は「世界広布」の理想を同志に訴えてきた。同年10月5日付の聖教新聞1面に初めて「世界広布の第一陣」との見出しが大きく紙面を飾り、全同志に新たな広布の息吹が送られた。
先生はアメリカ、カナダ、ブラジルの3カ国9都市を歴訪。移動距離は地球一周余りに当たる4万数千キロに及んだ。行く先々で、目の前の一人を全魂を注いで励ました。24日間の訪問で、2支部17地区が結成され、先生の手によって、世界広布の種子が植えられた。
以来62星霜——。先生はこれまで54カ国・地域を訪問。現在、広布の大河は世界192カ国・地域へと広がり、地涌の連帯は全地球に希望を届けている。
先生は、初の海外訪問を振り返りながら、"世界広布の要諦"を述べている。
「一人でも同志がいるならば、万里の彼方であろうと、草の根を分けても尋ね当て、励ましたかった。一つの泉から川が生まれるように、その一人から世界平和の大河がつくられる」

◆年表◆ 1960年
〈5月3日〉
創価学会第3代会長就任式(東京・日大講堂)
戸田先生の遺言である300万世帯達成を4年後の七回忌までの目標として掲げる

〈5月8日〉
関西総支部幹部会(大阪)
以後、北海道(22日)、九州(29日、福岡)、東北(6月4日、福島)、中部(10日、愛知)、中国(12日、岡山)の総支部幹部会に相次ぎ出席
新会長誕生による歓喜のなか、弘教の大波を起こす

〈6月26日〉
第3回学生部総会(東京)
「恩師・戸田先生の思想を世界に宣揚、実現してほしい」と期待

〈7月16日〉
沖縄指導(〜18日)
沖縄支部結成大会(17日)
沖縄戦の戦跡を訪ね、犠牲者に追善の題目を送る(18日)

〈7月22日〉
第2回婦人部大会(東京)
「信心とは行き詰まりとの戦いであり、唱題第一で幸福境涯を築こう」と語る

〈7月30日〉
男子部の人材育成グループ「水滸会」の野外研修(千葉)

〈7月31日〉
女子部の人材育成グループ「華陽会」の野外研修(千葉)

〈8月5日〉
夏季講習会(〜8日。静岡)
以後、夏の伝統行事として御書講義、質問会等を通し、人材育成に取り組む

〈8月26日〉
北海道指導(〜29日)
会長就任後初めて戸田先生の故郷・厚田村を訪問

〈9月23日〉
青年部第3回全国体育大会「若人の祭典」(東京・国立競技場)

〈10月2日〉
北・南米訪問(〜25日。アメリカ、カナダ、ブラジル)
初の海外歴訪。ニューヨークで国連本部を視察(14日)
移住者として北南米の各地に点在し、差別や貧困に悩む草創の友を励ます
24日間で3カ国9都市を巡る激闘により、アメリカ総支部、ブラジル、ロサンゼルス支部をはじめ、ハワイ、サンフランシスコなどに17地区を結成

〈11月1日〉
千葉支部結成大会
以後、前橋(4日)、沼津(7日)、甲府(9日)、松本(10日)、長野(11日)、富山(12日)、金沢(13日)、山形(22日)、南秋田(23日)、岩手(24日)、水戸(26日)などの支部結成大会へと全国を駆ける

〈11月6日〉
第9回男子部総会
「男子部の発展が平和実現の力であり、苦楽を共にし前進を」と語る(神奈川)

〈11月18日〉
牧口先生の十七回忌法要(東京)

〈11月20日〉
第8回女子部総会(東京)
「真実の幸福は生涯、自行化他の信心を貫くなかにある」と語る

〈12月3日〉
九州・関西・四国・中国指導(〜8日。大分、大阪、徳島、岡山)
大分(4日)、徳島(6日)で支部を結成
中国本部落成入仏式(7日、岡山)

2022年1月24日月曜日

2022.01.24 わが友に贈る

◇今週のことば
「青年」と語ろう!
誠実に耳を傾け
希望を分かち合う。
「未来までの仏種」を
今日も若き命の大地に!
2022年1月24日

四条金吾殿御返事 P1184
『いよいよ道心堅固にして今度仏になり給へ』

【通解】
いよいよ信心を強盛にして今生に成仏を期していきなさい。

名字の言 進むべき道を見つける 2022年1月24日
飛行機は空を自由に飛んでいるように見える。だが、実際は「航空路」という決まった"空の道"がある。途中には、「ウェイポイント」と呼ばれる通過地点も設定されている。ここを飛ぶことで、空の安全が守られている▼広島の男子部員が10年間の引きこもりを乗り越えた。きっかけは「地道に祈ってみない? 必ず人生が軌道に乗るから」との母の言葉。どんな時も自分のことを思い続ける母の真心を信じて、御本尊の前に座ることから開始した▼"やっぱりダメだ"と思うこともあった。そのたびに、男子部の先輩が声を掛けてくれた。多くの支えがあって、彼は社会人として一歩踏み出すまでに。この蘇生劇は、彼だけではなく周囲にも、信心の喜びを広げた▼文豪・夏目漱石は、自らが進むべき道を見つける喜びを、青年に語っている。「ああ此処におれの進むべき道があった! 漸く掘り当てた! こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたは始めて心を安んずる事が出来るのでしょう」(『漱石文明論集』岩波文庫)▼航空路のように、たとえ目には見えなくとも、確かに存在する道が人生にはある。私たちの信仰は、自由自在に大空を舞うような境涯を築く「幸福の軌道」である。

寸鉄 2022年1月24日
大きな苦難があるから、大きな宿命転換が—戸田先生。師子吼の題目が力
兵庫・尼崎の日。「世界の関西」の電源地。誇りに燃え友情拡大の大波を!
「天晴れぬれば地明らか」御聖訓。信心即生活の勇者、仏法即社会の賢者に(新146・全254)
他者の幸せ願う事が心の健康を維持—研究。試練の時こそ絆を広げる対話
国連「教育の国際デー」。誰もが平等に学べる社会を。そこに平和創る鍵が

〈社説〉2022・1・24 あす「大阪事件」無罪判決60年
◇師弟の魂輝く人権闘争の源流
あす「1・25」は、「大阪事件」無罪判決の日である。
1957年、事実無根の公職選挙法違反容疑で不当逮捕・起訴された池田先生。4年半に及ぶ法廷闘争の末、62年1月25日、正義は厳然と証明された。本年で60年。横暴極まる権力の弾圧に屈せず戦い抜いた、この「民衆勝利の日」の意義を改めて考えたい。
1点目として、そこには創価の師弟を貫く不屈の闘魂が燃える。
戦時中、初代会長・牧口常三郎先生と第2代・戸田城聖先生は軍部政府と戦って投獄され、牧口先生は殉教。先師・恩師の精神を継いだ第3代の池田先生も権力の魔性と対峙し、入獄した。
57年の7・17「大阪大会」で、出獄したばかりの先生は"最後は信心しきった者が必ず勝つ"と師子吼した。会場となった中之島の中央公会堂と川を挟んだ対岸に、法廷闘争の舞台、大阪地裁がある。草創の母たちは、厳粛な正義の叫びを生命に刻んだ。そして、判決の日まで、師の無罪を深く祈り、広布に駆けた。
今、「1・25」は「関西女性部の日」に。地域内に大阪地裁がある常勝北区・常勝正義支部では、池田華陽会やヤング白ゆり世代の活動者が増加。コロナ禍にあっても各部団結の前進を重ね、この2年間で23人が新たに入会し、正義の心を継承している。
2点目として、「1・25」は創価の人権闘争の源流と輝く。
小説『人間革命』第11巻「裁判」の章に池田先生は記した。
「広宣流布とは、人間の尊厳と自由と平等とを勝ち取る人権闘争にほかならないはずである。そして、そこにこそ、創価学会の担うべき社会的使命もあろう」
この不屈の信念を原点として、その後のSGIのヒューマニズム運動が展開される。昨秋、制定された「創価学会社会憲章」でも、「人間の尊厳の尊重」を高く掲げる。関西における師の闘争は、民衆の尊厳を脅かす悪とは徹底して戦い、現実を変革しゆく、強き生き方の規範となっている。
アメリカ公民権運動のリーダーであるジェームズ・ローソン氏は「世界の諸宗教は、SGIの人間革命の実践、平和への献身を模範とするべきです」と本紙で語った。
苦難の時代だからこそ、師弟の魂を胸に、自他共の幸福光る社会の構築を——民衆勝利の旗を打ち立てゆく誓いの日としたい。

◇「旭日の千葉」対話拡大・人材拡大月間(24日〜2月20日)
1974年2月16日、池田先生は千葉を訪れ、"盤石な千葉"を合言葉に前進しようと真心の励ましを。これが「千葉の日」の淵源。月間では、地区ファミリー座談会を開催。聖教愛読の輪を大きく広げながら、対話・人材の拡大に挑みゆく。

☆いのちの賛歌 心に刻む一節 テーマ:生死と向き合う
企画「いのちの賛歌 心に刻む一節」では、御聖訓を胸に、宿命に立ち向かってきた創価学会員の体験を紹介するとともに、池田先生の指導を掲載する。今回は「生死と向き合う」をテーマに、鹿児島県の女性部に話を聞いた。

◇御文
『法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし。「現世安穏、後生善処」とは、これなり。
ただ世間の留難来るともとりあえ給うべからず。』(四条金吾殿御返事、新1554・全1143)

◇通解
法華経を受持する以外に遊楽はない。法華経薬草喩品第5の「現世安穏にして、後に善処に生じ」とはこのことをいうのである。
ただ、世間の種々の難が襲ってきても、取りあってはいけない。

◇夫と出会えたことに感謝
「俺は負けないから。生きるから」
大切にしていた人との死別ほど、悲しいものはない。慶田きぬえさん=鹿児島・薩摩池田県女性部長=は、2017年(平成29年)12月19日、最愛の夫・豊さんを自宅でみとった。
      ◇
「享年67歳でした。肺腺がんで、闘病生活は2年近くに及びましたが、最期まで弱音を吐くことはなかった」
慶田さんは穏やかに語る。
同郷の豊さんとは、地元の婦人部(当時)の紹介で21歳の時に見合い結婚。その後、豊さんの仕事の都合で神奈川県に移り住み、10年間を過ごした後、郷里へ戻ってきた。
そこで豊さんは、訪問マッサージの仕事を起こした。ところが、会社経営は想像以上に難しかった。夫婦で必死に祈りながら苦闘を重ねる日々。そんな中、豊さんは56歳でうつ病を発症する。
「同じ頃に長女が、その後に次女が、それぞれ人生の困難に直面して。私自身、本当に悩みました」
思い起こしたのは、かつて学会の先輩から教えてもらった「法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし」(新1554・全1143)の一節だった。
「その先輩は、法華経の『衆生所遊楽』という言葉を通して、『私たちは人生を楽しむために生まれてきたのよ』と教えてくれたんです。懸命に題目をあげる中、夫の症状は好転していき、娘たちもそれぞれ乗り越えていって……。やっぱり信心はすごいと歓喜した時、題目根本に宿命に立ち向かえること自体が、『遊楽』なんだと思えたんです」
ところが、宿命は容赦なく攻め寄せた。
豊さんが65歳の時。咳が続いたため、病院で検査したところ、レントゲン写真を見た医師が声を上げた。「肺が真っ白です」。後日の検査で肺腺がんと判明。「余命半年」と告げられた。
夫婦で自宅の仏壇の前に座ると、豊さんは、まるで自分に言い聞かせるように語ったという。
「大丈夫だ。俺は負けないから。生きるから」
抗がん剤治療が始まった。夫婦で祈りを合わせ、池田先生の指導や、本紙に掲載された信仰体験を読んでは励まし合った。
1年半ほど入退院を繰り返しながら治療を続けたが、やがて医師から「これ以上の治療は難しい」と言われ、2017年10月末に退院。自宅で訪問看護を受けるようにした。
その頃の豊さんは、ほとんど歩けないほど衰弱していた。それでも、「必ず治す」と希望を手放さず、病魔にあらがった。が、刻一刻と体はむしばまれていく。
同年12月17日、豊さんは、訪問してきた医師に「もういいですよ」と、静かに告げた。医師が帰った後、慶田さんに言った。
「俺は負けたわけじゃないから。また今度、生まれてきたら一緒になろうな」
慶田さんの目から、涙が止めどなくあふれた。迫る現実を直視したくなかった。
2日後の昼過ぎ、集まっていた親族に見守られて、豊さんは眠るように息を引き取った。りりしい顔つきだった。
出棺の日。夫にはスーツを着せた。夫婦で東京・信濃町の総本部を訪れた際に着ていた一張羅。「また、一緒に戦おうね」。夫を永遠の師弟旅に送り出した。
——あれから4年が過ぎた。慶田さんは、死別の悲哀にどう向き合ってきたのだろう。
「心の整理がつくまでに、1年以上はかかりました。今でも思い出せば悲しいし、さみしいというのが正直な気持ちです」
けれど、と慶田さんは言葉を継ぐ。
「それでいいんです。悲哀との向き合い方は人それぞれ。でも、どんな人も、いつか必ず、その出来事に意味を見いだしていける。私自身、信心の偉大さをわが身で教えてくれた夫に、心から感謝しています。『法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし』との仰せは、信心さえあれば、どんな現実にも負けず、悠々と全てを乗り越えていけることを教えられているのだと、私は確信しています」
亡くなる2カ月前、豊さんが病室で、慶田さんに語った言葉がある。慶田さんはそれを、書きとどめていた。
「池田先生の弟子でよかった」「師をもつことは、何よりの宝だ。家族も幸せにしてくださった」「もう一回、先生のために戦いたい」
命の極限にあって、口にしていたのは"師への感謝"だった。病魔と対峙する中で研ぎ澄まされた豊さんの心は、人生の真髄を捉えていたに違いない。
慶田さんは話す。
「闘病中、夫はひたすらに池田先生の指導を学び、御書を拝し続けていました。病状は進むのに、夫は微動だにせず、『大丈夫』と言い切っていて。すごい夫でした。そんな夫と出会えて、一緒に広布に戦えた。私は本当に幸せ者です」
池田先生はつづっている。
「『死』はすべての終わりではない。『生』も『死』も、永遠の生命の一側面である。妙法に根ざした生と死は、永遠常住の大生命を舞台としたドラマなのである。
広布に戦い抜けば、必ず一生のうちに、絶対の幸福境涯を築き、固めていける。その人は、永遠に『生も歓喜』『死も歓喜』という生命の軌道を進んでいくことができる」(池田大作先生の指導選集〈上〉『幸福への指針』)
豊さんが起こした会社は慶田さんが継ぎ、今も続けている。
「夫がいた時は、『今が一番幸せ』と思っていた。けれど、信心を貫く中で、たとえ夫はいなくても、生命の次元でつながり続けているんだと、実感できました。だから私は『今も幸せ』なんです」
生死を超えた生命の絆で固く結ばれ、今日も、師と共に戦い続ける慶田さん夫妻。
慶田さんのメモの最後に、豊さんの言葉でこうあった。「お母さん(慶田さん)は世界一だった。俺は、小さすぎた」

[教学コンパス]
人が喪失の悲哀から立ち直る過程は、"人生の物語の紡ぎ直し"という言われ方をする——津波被災地での調査研究をまとめた『死者の力』(高橋原・堀江宗正共著、岩波書店)では、そう述べる。喪失によって心に痛手を受けた人は、「その体験が自分にとってどのような意味を持つのかを不断に問い直し続ける。その意味を理解する新たな枠組みを発見することで、歩んできた人生全体の意味付けも変わって」いくと。
日蓮大聖人の門下には、最愛の息子に先立たれたことが発心のきっかけとなり、両親ともに信心を深めていった家族もいた。大聖人は、その門下をこう励まされた。
「亡くなられたご子息が仏になられて、父母を仏道に導くために、あなた方の心に入り替わられたのでしょうか」(新2008・全1397、通解)
どれほど深い悲哀であっても、全て、自らの境涯を大きく開く契機であると捉え返していける。ここに、日蓮仏法の精髄はある。そこから、いかなる困難にも負けない希望の物語は紡がれていく。

2022年1月23日日曜日

2022.01.23 わが友に贈る

苦難に直面するたびに
より強い自分になる。
これが創価の負けじ魂!
逆境こそ宿命を転換し
人生を大きく開く時だ。

月水御書 P1199
『仏の智慧のありがたさは此の三千大千世界に七日若しは二七日なんどふる雨の数をだにもしろしめして御坐候なるが只法華経の一字を唱えたる人の功徳をのみ知しめさずと見えたり』

【通解】
仏の智慧のありがたさは、この三千大千世界に七日、もしくは二十七日などの間に降る雨の数ですらご存知なほどであるが、ただ法華経の一字を唱えた人の功徳だけは知ることはできないと経文にあらわれている。

名字の言 「読む」ということについて 2022年1月23日
今では「読む」といえば「黙読」が主流だが、かつては「音読」が中心だった。明治前期には汽車の中でも、新聞や書物を声に出して読む人の姿が見られたという▼出版業が発達したのは江戸時代以降。活版印刷が普及する近代を迎えるまで、本は希少であり、文字の読み書きができる人も多くはなかった。家族や集団の中で特定の誰かが声に出して読み、それを皆で聞くことが珍しくなかったのである▼日蓮大聖人の御在世当時、門下たちが大聖人からのお手紙を読む時も、同じような光景が広がっていたのではあるまいか。御書に「志有らん諸人は、一処に聚集して御聴聞あるべきか」(新1324・全970)と仰せである。弟子たちは声に出すことで師匠の息遣いを感じ、耳から入った一言一句を通して、師と心で対話していたのであろう▼学会の座談会で、皆が声を合わせて御書を拝読してきた意義にも通じよう。オンラインであっても中心者が御聖訓を読み上げ、それ以外の参加者がミュート(消音)した状態で"唱和"する地域もある▼「目」や「口」で読む人も「耳」で読む人も、大事なことは御書を「身」で読もうとする実践だ。「行学の二道をはげみ候べし」(新1793・全1361)である。

寸鉄 2022年1月23日
「依正・福智共に『無量』なり」御書。日々、題目第一。そこに自他共の幸福道が(新1104・全792)
心強き一人一人が、固く手を結べば広布は進む—恩師。勝利の要諦は団結
学会員の決意漲る姿こそ世界の希望の存在—博士 青年を先頭に対話を拡大
終末時計は最短の100秒で据置。核兵器、感染、気候。地球的眼で足元から行動
きょう電子メールの日。ネット犯罪は増加の傾向と。知らぬ相手は要注意

☆池田先生の指針(2002年1月の本部幹部会から) 偉大な歴史を築く一年に!
不惜身命の闘争こそ師弟の魂
戸田先生 勇気をもって仏法を実践せよ
強き信心が変毒為薬の原動力 何があっても断じて勝つ

あけまして、おめでとう! どうか、この一年も、よろしくお願い申し上げたい。
戸田先生が、しばしば、遺言のように語っていた言葉は何か。
それは「勇気」である。
「仏法の真髄は、慈悲であり、われわれにも慈悲は必要だけども、凡夫だから、なかなか慈悲はもてないものである。
この慈悲に代わるのが勇気だ。
『人を救おう』『自分を向上させよう』『人間革命しよう』『日本を、世界を広宣流布しよう』という勇気だ。
勇気をもって仏法を実践することが、慈悲に通じていくのである」
これが戸田先生の厳然たる指導であった。
この一年、自分自身のため、偉大なる歴史の建設のため、勇気をもって前進してまいりたい!
きょう1月8日は、57年前(1945年)、牧口初代会長の獄死の事実を、同じく獄中にあった戸田第2代会長が、判事から初めて告げられた、厳粛な「師弟の日」である。
師の獄死を初めて知った。あまりの悔しさに泣きあかした。師弟というのは、そういうものである。
〈治安維持法違反と不敬罪で投獄された牧口常三郎先生は、1944年(昭和19年)11月18日に獄中で逝去された。厳しい独房生活による栄養失調と老衰のためである。翌45年の1月8日、戸田城聖先生は、取り調べの判事から「牧口は死んだよ」と告げられた。
後年、戸田先生はその時の心中を語っている。
「先生の死をお聞きしたとき、だれが先生を殺したんだと叫び、絶対に折伏して、南無妙法蓮華経のために命を捨てようと、決心したのであります」(『戸田城聖全集』3)〉
この日から、戸田先生は「広宣流布の巌窟王」となった。
自分が偉くなるのではない。殉教の牧口先生の"分身"となって、先生の精神を実現していくのだ——こう決意された。
第3代の私も、寸分たがわぬ「師弟不二の心」で、御聖訓どおりの難を一身に受けながら、戦って戦って戦いぬいてきた。
不惜身命・死身弘法の大闘争。これが、牧口先生、戸田先生、そして私という、創価学会を貫く師弟の魂なのである。
巡り来た「1月8日」のこの日、世界広宣流布の大実証を、私は皆さま方とともに、牧口、戸田両先生にご報告することができた。それが何よりもうれしい。

広布拡大が報恩
「華果成就御書」には、「弟子が妙法を弘める功徳は、必ず師匠の身に帰する」(全900・新1211、趣旨)という原理が御教示されている。
弟子が戦うことが、師匠への恩返しである。これが仏法である。人間の道である。
ゆえに、広宣流布の拡大の闘争こそが、師匠への最大最上の報恩となるのである。
日蓮大聖人は、「撰時抄」に、こう仰せである。
「多くの流れが集まって大海となる。微小な塵が積もって須弥山(最高の山)となったのである。日蓮が法華経を信じて題目を唱え始めたことは、日本の国にとっては、一つのしずく、一つの微塵のようなものである。
やがて二人、三人、十人、百千万億人と、法華経の題目を唱え伝えていくほどならば、妙覚(最高の悟り)の須弥山ともなり、大涅槃という悟りの大海ともなるであろう。仏になる道は、これよりほかに、また求めてはならない」(全288・新205、通解)
「仏になる道」は、どこにあるのか。それは「広宣流布の拡大」にしかない。
大聖人の仏法は「広宣流布の信心」である。
信心即生活である。ゆえに、今がどれだけ厳しくとも、この広宣流布の信心さえ貫けば、すべての努力が生かされ、いくらでも生活の面で、また社会の面で、勝利し、成功していけるのである。
今、世界の同志の連帯は、かけ算のように何倍もの力を発揮し、功徳も増し、人材も増し、威光勢力も増し始めた。
日顕一派と決別し、広宣流布は、大聖人正統の創価学会によって、この地球上に、いやまして速度を加え、伸展してきた。
これもすべて、世界広宣流布を自由自在に進められるようにとの御仏意であり、御仏智であったというほかない。
いよいよ、"太陽の大仏法"が、平和へ、幸福へ、繁栄へ、全人類を本格的に照らす時代に入ったと思えてならない。
大聖人は在家の弟子に、「その国の仏法流布は、あなたにおまかせいたします」(全1467・新1953、通解)と仰せになっている。
大聖人から託された、それぞれの深き使命の天地にあって、世界最高峰の須弥山のごとき大福運を積んで積んで積みきっていただきたい。

全てに意味が
ここで、日蓮大聖人が四条金吾にあてられた、有名な御書の一節を拝したい。
同僚からの讒言によって、主君から領地替えを命じられるなど、苦境に立たされていた金吾への励ましのお手紙である。
「一生は夢の上の出来事のようにはかないもので、明日のことさえわからないものである。たとえ、どんな乞食になったとしても、法華経にきずをつけてはならない。
それゆえ、同じくは、(あなたの決意はすでに定まっているのであるから)嘆いた様子を見せないで、このあなたの誓状に書かれたように、少しもへつらわずに振る舞い、語っていきなさい。
なまじ、へつらうようなことがあれば、かえって(状況は)悪くなるであろう。たとえ、所領を没収され、(土地を)追い出されようとも、それは十羅刹女(諸天善神)の御計らいであるのだろう、と深く信じていきなさい。
もし日蓮が(佐渡に)流罪されないで鎌倉にでもいたならば、あの戦い(文永9年2月の北条一族の内乱=二月騒動)に巻きこまれて、きっと打ち殺されていたにちがいない。今、あなたが江間家を追い出されることも、このまま江間家にとどまっていてはよくないだろう、という釈迦仏の御計らいなのであろう」(全1163・新1583、通解)と。
大聖人は佐渡流罪という大難にあわれた。しかし、そうであったからこそ、戦乱をまぬかれることができ、かえって良かったのだと仰せである。
仏法の眼で見るならば、すべてに深い意味がある。
嘆いてはいけない。「強き信心」「勇気ある信心」さえあれば、あらゆる困難を、必ず「変毒為薬」していける。
どうか、この大聖人の御聖訓を心に刻み、何があっても前へ、また前へ、前進していただきたい。
仏法は勝負である。
断じて勝たねばならない。自身に勝ち、人生に勝利していく。そのための信心である。
雄々しく苦難と闘う皆さま、そして誠実な心で戦う皆さまの姿は、すべて大聖人が御覧になっている。
安心して、使命深き、わが人生を生きぬいていただきたい。
この一生、毅然と、勇敢に、胸を張り、一日一日を、自分らしく進んでいっていただきたい。
皆さま方が、健康で、朗らかで、長生きして、和楽の人生を築かれんことを心よりお祈り申し上げたい。
寒いなか、奮闘してくださっている尊き同志に喜びをあたえゆく、名指導のできるリーダーであっていただきたい。
どうか、この一年、お幸せに! 本当にご苦労さま! ありがとう!

☆学ぼう「黄金柱の誉れ」Q&A 第22回 地域に友好を広げよう
新しい年も、一段と地域に友好を広げていきたいと思います。壮年部指導集『黄金柱の誉れ』から池田先生の指導を紹介します(指導集119ページから121ページまでを抜粋)。

<気持ちのよいあいさつを>
「おはようございます!」「こんにちは!」と、さわやかに声をかける。明るくはつらつと接する。それだけで声をかけられた人はうれしい。信頼関係も築かれる。
気持ちのよい「あいさつ」——私自身、近所でも、職場でも、また学会活動の中でも、きちんとあいさつをしようと決めて、実践してきました。(中略)
友好拡大といっても、広宣流布といっても、すべて足もとから始まります。また、近隣の方々との交流というのは、自分の心を豊かにしてくれる。生活に温かみが出てくるし、何ともいえない安心感も生まれる。
(本紙2012年3月29日付、「若き君へ」)

<自分のほうから先に話しかける>
ある仏典は、釈尊の人となりを、「実に〈さあ来なさい〉〈よく来たね〉と語る人であり、親しみあることばを語り、喜びをもって接し、しかめ面をしないで、顔色はればれとし、自分のほうから先に話しかける人」(『ゴータマ・ブッダ』、『中村元選集〔決定版〕』所収、春秋社)であった、と伝えている。
「何しに来たのか」と渋面を向けたり、冷たい、威張った態度はとらなかった。その身に威厳を具えながら、親しみやすいオープンな雰囲気があったのである。
だから、農民も、商人も、家庭の主婦も、知識人も、貴族も、国王も皆、釈尊と会いたがった。悩みごとの相談にせよ、敵愾心を抱いての論難にせよ、誰もが会って話をしたくて仕方がなかった。
(『池田大作全集』第132巻、「随筆 新・人間革命」)

<「地域社会が求める「人びとを結びつける力」」>
世界各地でも、近年、自然災害の脅威は増加している。そんな中、災害等への地域社会の抵抗力・回復力——すなわち、「レジリエンス」を高めていこうとする動きが活発化している。
最近の研究では、「レジリエンス」が強いとされる地域コミュニティーの共通点の一つとして、ある重要な力を持ったリーダーの存在が認められているそうだ。
その力とは、「人びとを結びつける力」という。政治的、経済的、社会的な立場の異なる様々な人びととの間に協力関係を築き、相互の交流を橋渡しする能力である。
いわゆる剛腕でもない。一人で全ての決断を下し、采配を振るうタイプでもない。多種多様な人びとが互いに理解し合うために、その"橋渡し"を務められる「通訳型リーダー」ともいうべき存在なのだ。
わが友である、ブラジルの大音楽家アマラウ・ビエイラ氏は、東日本大震災に屈しない東北の方々を讃えておられた。
「人と人の間に生まれた最強の連帯感と、同苦と助け合いの心は、全人類の賞讃に値するものであります」と。(中略)
思うに、今ほど地域社会に対話の場が求められている時代はない。
(本紙2014年10月28日付、「随筆 民衆凱歌の大行進」)

2022.01.22 わが友に贈る

勇気が慈悲に通ずる。
「あの人を幸せに!」と
深く祈り抜こう!
自身の殻を打ち破り
友に真心の励ましを!

四条金吾殿御返事 P1182
『日蓮が心は全く如来の使にはあらず凡夫なる故なり、但し三類の大怨敵にあだまれて二度の流難に値へば如来の御使に似たり、心は三毒ふかく一身凡夫にて候へども口に南無妙法蓮華経と申せば如来の使に似たり、過去を尋ぬれば不軽菩薩に似たり、現在をとぶらうに加刀杖瓦石にたがう事なし、未来は当詣道場疑いなからんか』

【通解】
日蓮が心は、まったく如来の使ではない。それはわが身が凡夫であるゆえである。しかし、この法華経に予言されたように三類の大怨敵に憎まれ、伊豆の伊東と佐渡と二度も流罪の難にあったのであるから、経文に説かれた如来の使に似ている。
心は貧瞋癡の三毒が深く、また一身は凡夫であるけれども口には南無妙法蓮華経と唱えているから仏の使いに似ている。

名字の言 座談会で新入会の青年が語ったこと 2022年1月22日
新入会の青年が座談会で話していた。「これまで『本当の友人』と呼べる人はあまりいませんでした」。流行のファッションやテレビ番組など、話題を合わせる付き合いはあっても、人生や悩みについて真剣に語り合う友人は少なかったと。「でも学会活動で対話に挑戦すると、深く信頼し合える友人が増えてきたんです」▼仏法対話をした時、こんな反応が返ってくることがある。「自分の信仰を他人に勧めるのは強制ではないか」。もちろん、相手の状況や対話の場面を考える良識は大切。だが、自分の人生を支える哲学や感動したことを人に伝えたいと思うのは、むしろ自然なことだろう▼仏法では自他共の幸福を祈り、対話することで得られる功徳を「六根清浄」と説く。六根とは視覚や聴覚などの五感と意識を合わせた六つを指し、それが信仰の実践によって浄化され、強化されていく▼視力や聴力が良くなるといった意味ではない。根源的な次元で生命力が増し、自分だけではなく、人々の幸福のためにあらゆる能力を発揮していけるようになる▼互いを敬いつつ、真剣に、誠実に信念や人生観を語った後には、確かな信頼が残る。そうした対話を繰り広げ、豊かな人間関係に満ちた社会を築いていきたい。

寸鉄 2022年1月22日
生命を清く強くする信心—牧口先生。題目根本、御書研鑽。今日も錬磨を
高知青年部の日。対話の波を"志国"の天地から!民衆勝利の魁よ常に前へ
約束は何があろうとやり遂げる—芸術家。信頼を結んだ数だけ広布は伸展
核禁条約発効1年。"魔性の兵器"を否定する思想を市民社会から更に拡大
昨年の還付金詐欺、近年で最多と。益々、巧妙に。皆で声掛け合い強く警戒

〈社説〉 2022・1・22 ホロコーストを忘れない
◇真実を見つめ対話する勇気を
27日は「ホロコースト(大量虐殺)犠牲者を想起する国際デー」。1945年、ドイツのアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所が解放された日に由来する。
ナチスが支配した時代、約600万人ものユダヤ人が虐殺された(他にロマ民族なども命を奪われた)。アウシュビッツは人類への犯罪と断罪された蛮行の象徴的な場所である。
ホロコーストの歴史と犠牲者を忘れてはならない——改めて、この日の意義に思いを寄せたい。
七十数年を経て、生存者・証言者も少なくなっている。記憶の風化による忘却に加え、"虐殺はなかった"などと歴史的真実性を否定する扇動も根強くある。
忘却や否定は、犠牲者を二重に冒涜するものだ。真実を叫び続ける勇気を持たねばならない。
ホロコーストは決して過去のものではない。世界でも、また日本でも、今なお異質な他者への偏見や差別、憎悪は消えず、マイノリティー(少数派)が排斥される事例も後を絶たない。
しかも、こうした排他的な動きが大衆レベルで起こっている。人々の心に、差別や偏見にとらわれない心の砦を築くことは重大な課題である。
そこで、ユダヤ人迫害の加害者は決して"怪物"などではなく、ごく普通の人々であったといわれることに、注意を払いたい。
この視点に立つ時、本紙「スタートライン」で、ドイツで生まれ育った日本人ラッパー、ブルーミオさんが語っていたことが、示唆深い(昨年11月7日付)。
彼がドイツで活動していた頃、国内にはネオナチを批判する楽曲があふれていたという。
その中で、ブルーミオさんはネオナチへの"対話"を試みた楽曲を発表する。
「彼らに考え直してほしいのなら、攻撃するのではなく、自分の心を素っ裸にして向き合うべきだと思った」と。相手を普通の人間と見ているからこその言葉だろう。
そんな彼の思いを乗せた歌は、大きな反響を呼んだ。"ネオナチになりかけていたけど、普通に戻れた"とのメールを、何人もの人々から受け取ったという。
私たちが「ホロコーストを忘れない」理由は、誰かを憎み、果てしない復讐の連鎖を起こすためではない。人間を分断する思考を乗り越え、二度と惨劇が繰り返されないようにと誓うためだ。
謙虚に真実を見つめ、忘れない勇気を、対話する勇気を持とう。

☆ロータスラウンジ——法華経への旅 第32回 妙音菩薩品第二十四
◇妙音とは、真心の声、確信の言葉、正義の叫び
法華経について、皆で学び、深めよう——「ロータスラウンジ——法華経への旅」の第32回は、「妙音菩薩品第二十四」です。

■大要
妙音菩薩が、娑婆世界にやって来て、帰っていった物語です。それでは内容を追ってみましょう。

●シーン1
その時、釈尊は、眉間から光を放って、東方の百八万億那由他恒河沙の諸仏の世界を照らします。
それを過ぎた所に、「浄光荘厳」という世界があり、そこに「浄華宿王智」という名前の仏がいます。その仏は、無量無辺の菩薩たちに尊敬されており、その人たちのために法を説きます。釈尊が、その国を光で広く照らします。

●シーン2
その時、この浄光荘厳という国に「妙音」と名付けられた一人の菩薩がいます。妙音菩薩は、さまざまな徳を積み、無量の諸仏に親しみ、近づき、供養して、甚だ深い智慧を成就し、さまざまな大三昧(心を統一した大境涯)を得ます。
釈尊の放つ光が、妙音菩薩を照らします。すると妙音菩薩は、浄華宿王智仏に申し出ます。
「娑婆世界に行って、釈尊を礼拝し、親しみ、近づき、供養し、さまざまな菩薩にお会いしたい」
その時、浄華宿王智仏が、妙音菩薩に告げます。
「娑婆世界を軽んじて、下劣であるとの思いを生じてはならない。釈尊の娑婆世界には、高低があり、泥や石や山が多く、穢らわしき悪に満ちている。仏の身も、菩薩たちの身も小さく、それに比べ、あなたは、はるかに大きく端正で、福徳にあふれている。だからといって、娑婆世界に行き、その世界を軽んじて、仏や菩薩や国土に下劣であるとの思いを生じてはならない」
妙音菩薩は、浄華宿王智仏に言います。「私が今、娑婆世界に行くのは、全て如来の力によってです」
妙音菩薩は、立ち上がることも、身動きもせずに、霊鷲山の説法の場から遠くない所に、宝でできた八万四千の蓮華を出現させます。

●シーン3
その時、文殊師利菩薩が、蓮華を見て、釈尊に言います。
「どのような理由で、このような瑞相を現しているのでしょうか」
その時、釈尊は、文殊師利菩薩に告げます。
「妙音菩薩が、浄華宿王智仏の世界から、八万四千の菩薩に囲まれて、この娑婆世界に来て、私を供養し、親しみ、近づき、礼拝したいと望み、さらに法華経を供養し、聴きたいと欲しているのだ」
文殊師利菩薩は、釈尊に言います。
「妙音菩薩は、どのような修行をして、大神通力を得たのでしょうか。どうか教えてください。そして、妙音菩薩に会わせてください」
その時、釈尊は文殊師利菩薩に、多宝仏が皆のために願いをかなえてくれると言います。
その時、多宝仏は、妙音菩薩に告げます。「来たれ! 文殊師利菩薩が会いたいと願っている」
妙音菩薩は、八万四千の菩薩と共に「七宝の台」に乗り、通り路を震動させ、宝でできた蓮華を降らし、種々の天の音楽を鳴らしながら、娑婆世界の霊鷲山にやって来ます。
妙音菩薩は、七宝の台を降りて、釈尊のもとへ行き、礼拝し、浄華宿王智仏の言葉を釈尊と多宝仏に伝えます。
その時、華徳菩薩が、釈尊に語ります。「妙音菩薩は、いったい、どんな善根を植えて、このような神通力を得たのですか」
そこで、釈尊が華徳菩薩に、妙音の過去世を明かしていきます。
——昔、雲雷音王仏の時に、仏に十万種の舞踊と音楽、そして八万四千もの七宝の鉢を供養した。その功徳で、妙音菩薩として生まれ、さまざまな神通力や福徳を具えることができた、と。
さらに華徳菩薩に呼び掛けます。
「あなたは、妙音菩薩の身が、ここにあると見るが、妙音菩薩は、種々の身を現して、多くの衆生のために、この経典を説くのだ」
続いて、梵王、帝釈、自在天……と、妙音菩薩が現す三十四の形(三十四身)が示されます。
その中で、「妙音菩薩は、能く娑婆世界の諸の衆生を救護する者なり。是の妙音菩薩は、是くの如く種種に変化し身を現じて、此の娑婆国土に在って、諸の衆生の為に、是の経典を説く」(法華経616ページ)と、娑婆世界の衆生の救済に働くことが記されます。
その時、華徳菩薩が仏に言います。
「妙音菩薩は、どのような境涯を得て、衆生を救済するのでしょうか」
仏は、華徳菩薩に告げます。
「(妙音菩薩の)その境涯を『現一切色身』(十界の一切衆生の姿を自在に現せる)と名付ける。その境涯によって、至る所に姿を変じて現れ、衆生を救済する」
妙音菩薩と共に来た八万四千の菩薩、そして娑婆世界の無量の菩薩は、皆、「現一切色身三昧」を得ます。

●シーン4
その時、妙音菩薩は、釈尊や多宝仏に、あいさつし、本土(浄華宿王智仏の世界)に帰ります。
帰りもまた、通り路を震動させ、宝の蓮華を降らし、百千万億の種々の音楽を奏でていきます。
本土に帰った妙音菩薩は、浄華宿王智仏に、娑婆世界での出来事を語ります。
この品が説かれる時、四万二千の天子は無生法忍(消滅を超えた不変の真理を覚った境涯)、華徳菩薩は法華三昧(法華経による心を統一した境涯)を得ます。
——このように、娑婆世界に行き、自由自在の姿で民衆救済に立ち上がった妙音菩薩の物語が説かれるのが、妙音菩薩品です。

【『法華経の智慧』から】 大宇宙そのものが「生命の交響曲」
宇宙全体が「妙音」を奏でているのです。大宇宙そのものが「生命の交響曲」であり、森羅万象が歌う「合唱曲」であり、セレナーデ(小夜曲)であり、ノクターン(夜想曲)であり、バラード(物語風の歌謡)であり、オペラであり、組曲であり、ありとあらゆる「妙音」を奏で、「名曲」を奏でている。その根源が「妙法」です。「南無妙法蓮華経」です。だから本当は、勤行も、朝は胸中に太陽が昇る「目覚めの歌」であり、夜は胸中を月光で照らす「夜想曲」であり「月光の曲」なのです。

文底から見るならば、妙音菩薩も、苦しみと戦い、戦い、また戦って、題目を唱え、人間革命したのです。(中略)私たちも同じだ。つらいことがあっても、負けないで、題目を唱えながら前へ前へ進むのです。

友を励ます「真心の声」。それが「妙音」です。人の心を揺さぶる「確信の言葉」。それが「妙音」です。悪を破折する「正義の叫び」。それが「妙音」なのです。(普及版〈下〉「妙音菩薩品」)

【コラム】 あえて大変な所へ
「妙音菩薩品」では、仏が、苦悩渦巻く娑婆世界に行きたいと願った妙音菩薩に、そこで暮らす人々や国土を下に見てはならないと戒めます。その後、妙音菩薩は、自在に姿を現して、衆生を救済していきます。
「御義口伝」には、「所用に随って諸事を弁ずるは、慈悲なり。これを『菩薩』と云うなり」(新1077・全774)と仰せです。妙音菩薩が自在に姿を変えたのも、衆生を救いたいとの慈悲の力によってです。 
今、自分が置かれている環境が、どんなに大変であったとしても、そこが自ら望んだ使命の舞台です。
池田先生は、「いちばん大変なところで法を説き、法を弘めている方々を絶対に軽んじてはならない! 見かけで判断してはならない! 最高に尊敬していきなさい!」と語っています。
あえて大変な所へ——悩める人の最大の味方となる時、生命の本源の力を、自由自在に発揮できるのです。

2022年1月21日金曜日

2022.01.21 わが友に贈る

会場提供者とご家族
会合運営に当たる皆様に
最大の配慮と御礼を!
終了時間を厳守し
感染防止策も万全に!

祈祷抄 P1355
『若し証拠なくんば誰人か信ずべきや、かかる僻事をのみ構へ申す間邪教とは申すなり』

【通解】
もしその証拠がなければ、誰が信ずることができようか。このような僻事ばかりを構えるから邪教とうのである。

名字の言 ロケット打ち上げを支える気象予報士の壮年部員 2022年1月21日
イギリスの通信衛星を搭載したH2Aロケット45号機が先月23日、鹿児島県の種子島宇宙センターから打ち上げられた▼これで7号機から39回連続、能力を増強したH2Bロケットを含めると48回連続の成功となった。同センターの打ち上げ成功率は98%。世界最高の水準を支える一人に気象予報士の壮年部員がいる▼ロケット打ち上げには、成功のためにさまざまな気象条件が設定されている。例えば、雲の中の0度からマイナス20度の層を指す「氷結層」が厚みを増せば、発射は延期される。氷結層では氷の粒が衝突し、電気を帯びる。それが機器の故障につながるという▼「打ち上げには、どんな場面にも対応できる平常心が大切です」と壮年。そのために、刻々と変化する気象条件を広い視野で捉え、さまざまな事態を想定する。日々、執念の努力を積み重ねることで、あらゆる状況に冷静に対処できる強さが生まれるのだろう▼法華経寿量品に「毎自作是念(毎に自ら是の念を作す)」(法華経493ページ)と。瞬間瞬間、自らの胸中に何を抱いているか——自身が掲げた目標の成就は、その一念で決まる。大いなる飛翔のために、日々の誓願の祈りがエンジンとなり、たゆまぬ努力の実践が土台となる。

寸鉄 2022年1月21日
生命に仏が現れればもう不幸はない—戸田先生。題目は無明断ち切る利剣
練馬の日。首都に聳える創価の大人材城。凱歌の春へ今こそ励ましの渦を
各地で新リーダー走る! 迅速な報告・連絡・相談、そして感謝の言葉を友に
"10聞いて3話す"で会話は豊かに—精神科医。じっくり聞く事は電話でも
感染拡大で癌の検診控え多しと。自己判断は危険。医師等に相談し受診検討

〈社説〉 2022・1・21 あす核兵器禁止条約発効1年
◇民衆こそ平和建設の主体者
核兵器を全面的に禁止する核兵器禁止条約の発効から、あすで1年を迎える。発効により、「核兵器は違法な兵器」との規範が打ち立てられ、核時代との決別に向けた大きな一歩となった。
今月3日には、核兵器保有国のアメリカ、イギリス、フランス、中国、ロシアの5カ国が共同声明を発表。核戦争を回避し、軍事対立や軍拡競争を防ぐために、外交的アプローチを模索することが明記された。禁止条約の発効によって、核兵器廃絶の声が高まっている証左の一つと言えるだろう。表明した行動を核保有国が速やかに実行することが強く望まれる。
禁止条約の実現に、市民社会は大きく貢献してきた。とりわけ世界のヒバクシャが核兵器の非人道性を語ったことは、「条約を下支えする道義的な推進力」(国連のグテーレス事務総長)となった。ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)は国際会議で市民の声を届け、またSNS等を駆使しながら核廃絶への世論を高めるなど、リーダーシップを担ってきた。その功績をたたえて、2017年にノーベル平和賞が贈られている。
核弾頭の搭載が可能な新型兵器の開発競争が激化する現状にあって、条約の意義の普及と批准国のさらなる拡大が急務である。
折しも、核兵器廃絶を求めるNGOの共同声明が今月10日に発表され、NPT(核不拡散条約)の締約国等に送付。SGIなど91団体が賛同しており、新型コロナや気候危機との戦いだけでなく、核兵器廃絶においても、重要な転換点にあると主張した。今こそ、市民社会の平和を求める声を結集することが肝要であろう。
本年は、創価学会が平和運動の原点とする第2代会長・戸田城聖先生の「原水爆禁止宣言」から65周年。世界の民衆の生存の権利を根底に置き、その権利を脅かす原水爆を否定した宣言を踏まえて、池田先生は訴えた。「一人一人に意識変革の波を起こし、地球大に広げる挑戦の中でしか、核時代を終焉させる地殻変動は起こせない」
本年3月には、禁止条約の第1回締約国会議が開かれ、核兵器廃棄への具体的な道筋や、核使用と核実験による被害者の支援などが議論される予定だ。条約に命を吹き込むのは"われら民衆一人一人"であるとの思いを胸に、平和の心を友と共有する対話に、主体的に励んでいきたい。

☆御書根本の大道 池田大作先生の講義に学ぶ 第1回 師弟の宿縁
新企画「御書根本の大道 池田大作先生の講義に学ぶ」では、各地のリーダーが御書の御文と池田先生の教学著作を教材に、勝利の要諦を語ります。第1回のテーマは「師弟の宿縁」です。『希望の経典「御書」に学ぶ』第3巻を研さんします。

◇寂日房御書
『かかる者の弟子檀那とならん人々は、宿縁ふかしと思って、日蓮と同じく法華経を弘むべきなり。法華経の行者といわれぬること、はや不祥なり、まぬかれがたき身なり。』(新1270・全903)

◇勇気の源泉——著作から
宿縁の深さの自覚とは、決して過去に浸ることではありません。
師と同じ実践に、今この時、勇んで立ち上がること以外の何ものでもありません。
大切なのは「今」です。
「今」「何を」実践するかです。
「師とともに、今の時に適った実践に真剣に取り組んでいるかどうか」です。
◆◇◆
世間一般の価値観から言えば、「法華経の行者」の実践に立ち上がることは苦難の連続かもしれません。
しかし、仏法のうえから宿縁の深さを考えたときには、地涌の菩薩として、大聖人とともに戦う以上に名誉なことはないではないか。それは、まぬかれようのないことであり、心を定めよと、呼びかけられているのです。
「まぬかれがたき身」とは、言い換えれば、避けて通ることのできない「使命深き身」という意味です。
◆◇◆
この激動の時代にあえて「まぬかれがたき身」として、久遠の使命を果たすために願って躍り出た私たち一人一人です。これ以上の喜びはありません。いよいよ、これからです。いよいよ、使命の大道を朗らかに前進してまいりましょう。

◇久遠の使命に勇み立つ!
足立義一 関西青年部長
深き師弟の宿縁に目覚めよ!——日蓮大聖人の魂の叫びが響いてくるような一節です。
この「寂日房御書」では、私たちが人間として生まれ、その上、この仏法に巡り合うことが、いかにまれなことであり、どれだけ福徳のあることかが示されています。
そして、法華経勧持品に説かれる「三類の強敵」と戦い、法華経を身読されたのは、大聖人ただお一人であるという事実を背景に、「日蓮は日本第一の法華経の行者なり」(新1269・全902)と宣言されます。このような大聖人の弟子となった人々は、深い深い宿縁を自覚して、大聖人と同じように妙法を弘めていくべきであると促されているのです。
今年は関西広布70周年。池田先生は、戸田先生との師弟の語らいの中で、自ら志願され、1952年(昭和27年)8月14日、関西に第一歩をしるしてくださいました。
また、1月25日には「大阪事件」の無罪判決から60年を迎えます。先生は、法廷闘争という熾烈な権力との戦いの渦中にあって、公判で関西を訪れるたびに同志を激励してくださいました。あの「第2室戸台風」の時も、まだ水の引かない地域に分け入って、被災した友に渾身の励ましを送られました。
師匠の手作りで築き上げられた常勝関西。その戦いの中心には、若き先生と、先生を慕う青年たちがいました。関西青年部は、"今再び、青年の熱と力で、全てに勝利して千載一遇の本年を慶祝しよう"と燃えに燃えています。

◇斯人行世間
本抄でも触れられている通り、地涌の菩薩のリーダーである上行菩薩は、法華経で「斯人行世間」(この人は世間に行じて)と説かれます。煩悩にまみれた汚泥のような現実世界の中で、仏法を行じるのが地涌の菩薩の振る舞いです。この利他の行動を貫く中に、本当の幸福と大歓喜の人生があります。
これは、先生が関西で示し、教えてくださった姿そのものです。苦悩の現実の真っただ中に飛び込み、一人一人に寄り添い続ける——。私自身、先生が教えてくださった不屈の関西魂を学び、戦ってきました。
学会二世として生まれ、大学時代に発心。小説『人間革命』『新・人間革命』を研さんする中で、山本伸一のようになりたいと魅了されました。2007年11月、先生が関西指導へ。当時、関西学生部書記長として広布拡大に戦い、勝利して、先生をお迎えできた感動は忘れられません。勝ってこそ師匠をお迎えできる。そう命に深く刻みました。
男子部となり、家庭の問題で悩んだ時期がありました。最も苦しかった時、先輩は「大変な時こそ、励ます側にいるんや」と激励を。自分のことを延々と考えて、汲々としていた私は、はっとしました。"自分のことだけを祈っていても、小さい境涯を打ち破ることはできない。利他の祈りと行動の中でこそ、宿命転換ができる!"。そう腹を決めて学会活動にも打って出ました。
家庭や仕事など、現実の課題は尽きません。悩みと学会活動を天秤にかけ、「何かを捨てて何かを取る」という選択は容易でしょう。しかし、そこに本当の人間革命はあるでしょうか。現実から逃げるのでもなく、妥協するのでもない。"広布のために"と一念を定めて行動する中で、地涌の菩薩の大生命力が涌現し、自身の殻を破っていける。悩みを悠々と見下ろしていける自分になれるのだと確信します。
どんなに悩み深い境涯にあったとしても、広布の最前線で戦いを起こすことこそ、人間革命の直道である——まさに、「大阪の戦い」で先生が教えてくださった通りです。
私自身、その後、弘教と訪問・激励に挑み抜く中で、家庭の悩みも解決することができました。

◇広布70周年へ大前進
先生は、御文の「まぬかれがたき身」を、「言い換えれば、避けて通ることのできない『使命深き身』」と、講義されています。
苦悩の連続の日々で、地涌の使命を果たしていこうとする私たちに、ほかの人よりも苦労が尽きないのは当然ともいえます。
しかし、「関西で戦うことができる」——この一点を思うとき、三世の縁に感謝があふれます。常勝の血潮がたぎります。
さあ、師弟の宿縁に、心を定め、「青年・飛躍」の大前進を! 目を見張るような青年部の戦いで、弘教に、人材拡大に、立正安国の法戦に、全てに勝利して、関西広布70周年をお祝いしていきます!

◇メモ
「寂日房御書」は、弘安2年(1279年)9月16日、日蓮大聖人が58歳の時、安房(千葉県南部)方面に住む門下のために認められ、弟子の寂日房に託されたお手紙である。内容から、送り先の人物は、大聖人のご両親と何らかの縁があり、大聖人から幾度も指導を受け、御本尊まで頂いた門下であると考えられる。

2022年1月20日木曜日

2022.01.20 わが友に贈る

信心は持続こそ力だ。
真剣な祈りを弛まずに
御書を日々 繙こう!
何があっても揺るがない
王者の境涯を築くため!

諸法実相抄 P1360
『ほめられぬれば我が身の損ずるをもかへりみず、そしられぬる時は又我が身のやぶるるをもしらず、ふるまふ事は凡夫のことはざなり』

【通解】
ほめられればたとえ自分の身体をいためることもかえりみず、また非難されれば自分の破滅をも忘れて行動するのが凡夫の常なのです。

名字の言 きょうは「大寒」。寒中お見舞い申し上げます 2022年1月20日
きょうは二十四節気の「大寒」。小寒から節分までが「寒の内」。大寒はその中間に当たり、一年で最も寒さが厳しい時期といわれる▼今年の小寒翌日の1月6日、都心でも雪が積もった。童謡詩人・金子みすゞさんの作品「雪に」が頭に浮かんだ。「海にふる雪は、海になる。/街にふる雪は、泥になる。/山にふる雪は、雪でいる。/空にまだいる雪、/どォれがお好き。」(『金子みすゞ童謡全集』JULA出版局)。確かに、雪はどこに降るかを自分では選べない▼「私たち人間も雪と同じです」と言うのは、金子みすゞ記念館の矢崎節夫館長。「生まれる場所も時も、自分では選べないのです。選べないということは、その場所こそが自分の場所だということでしょう。あとは、嬉しいことを見つけやすい自分でいるかどうかです」(館長コラムから)▼御義口伝には「法華経を受持する所を『一生成仏のための修行の場所』というのです。この娑婆世界を去って極楽浄土等の他の国土へ行くことではないのです」(新1086・全781、趣意)と。「今いる場所で幸福になる」のが、日蓮大聖人の仏法である▼読者の皆さま、寒中お見舞い申し上げます。春が待ち遠しい日々、健康第一で前進したい。

寸鉄 2022年1月20日
「随喜する声を聞いて随喜し」御書。一年の決意と体験弾む喜びの座談会に(新1642・全1199)
香川県女性部の日。太陽の心で希望の花園拡大。麗しき連帯に福徳は燦然
「情熱がなくては物事は動きださない」戸田先生。必死の一人から突破口が
『ワールド セイキョウ』第2弾発売。仏勅の世界宗教の実像を分かり易く
防災とボランティア週間 災害は突然来る。"共助"の為の声掛けも日頃から

〈社説〉 2022・1・20 きょう大寒 火の元に注意
◇小事が大事 無事故の日々を
きょうは「大寒」。暦の上では寒さのピークを迎える。空気も乾燥するため、火の元には十分注意していきたい時季である。
総務省消防庁によると、年間で発生する建物火災の月間の平均件数を上回るのが12月から3月であり、空気の乾燥に伴い、火災が多発していることが分かる。建物火災の出火原因は「たばこ」が多い。特徴は無炎燃焼という、炎を出さずに長時間燃え続けることだ。布団や畳などを焦がし続け、気付いたときには煙が充満して危険な状態になっているという。安易に考えず、たばこの火の不始末は絶対厳禁と戒めたい。
一方、どの家庭でも気を付けていきたいのが、コンセントとプラグとの隙間に、ほこりが徐々にたまり、湿気を吸収して発火するトラッキング現象だ。大型家電製品等の陰になっているコンセントは定期的に掃除をしないと見逃してしまいがち。小まめに掃除する習慣付けが大切である。
消防庁は、ホームページで「防災・危機管理eカレッジ」を開設している。これは、災害や危機から身を守るための正しい知識や情報を入門・一般・専門の各コースに分け、動画と文章で紹介し、市民の学びに寄与するもの。
例えば「火災でこわいのは煙による窒息死などです。煙は一酸化炭素などの有害ガスを含んでいます。服などに火が燃え移って焼死するよりも、煙を吸い込んで意識がなくなって死亡することが大変多くなっています」と平易に説明。できるだけ姿勢を低くし、ぬれタオルやハンカチで口をふさいで速やかに逃げることを訴えている。さまざまな場面に合わせた解説があり、子どもの学習教材としても使用できる。いざというときに備えて一読しておくとよい。
御聖訓に「賢人は安きに居て危うきを欲い」(新1323・全969)とある。安全な所にいても、常に危険に備える、賢人の生き方を実践していきたい。
池田先生は「大事故も、その原因は、小事にある。ゆえに、細かいことへの注意が、事故を未然に防ぐ力となるのだ」(小説『新・人間革命』第22巻「命宝」の章)とつづっている。
小事とは、気を付けるべき基本を守ることとも言える。油断を排し、火の元注意の基本に徹してこそ、火事も防げる。無事故即勝利の日々を着実に刻んでいこう。

☆四季の励まし 大いなる目的へ具体的な目標を 2022年1月16日
◇池田先生の言葉
人間には
目標が必要である。
「曖昧な的に向かって
放たれた矢が
当たるわけはない」とは、
牧口初代会長の
箴言である。
漫然とした歩みには
力はこもらぬが、
目標のある人の歩みは
力強い。

今日、
達成すべき目標がある。
今、励まさなくては
いけない人がいる。
時を逃さず、
最大の価値を
生み出す人が、
新しい歴史を創るのだ。

具体的に目標を掲げて
祈っていくことだ。
師匠のため、同志のため、
広宣流布のために——
この一点に心を定める。
これが大前提だ。
自分のための
祈りだけでなく、
「広宣流布のために」という
大願に立ってこそ、
偉大なる仏力・法力は
涌現する。

大いなる目的に
生きゆく人は、
いつまでも若々しい。
年齢を重ねても、
常に「青年」の気概で
前進したい。

深き同志愛で、
苦楽を分かち合い、
励まし合い、題目を
送り合っていく——。
明確なる
広布の大目的に向かって、
祈りを合わせた時、
団結の力は、百倍、千倍、
万倍にもなるのだ。

さあ、出発だ!
黄金の扉を開け!
生命の扉を開け!
新しき世紀の風は
吹き渡り、
青き海原に希望の波は、
金波、銀波と躍る。
新しき人生の
出港の銅鑼を、
力いっぱい、
高らかに打ち鳴らせ!
我らの尊き使命の、
偉大なる決戦の大航海が、
今、始まるのだ。

【写真説明】眼下に広がる緑豊かな街並み。彼方まで続くフリーウエーを、車が行き交う。1996年(平成8年)6月、池田大作先生がアメリカ・フロリダ州を訪れた折に、機中からシャッターを切った。
我らは広宣流布という大目的に向かって、家庭で地域で世界で、和楽の行進を続ける。御書に「須弥山の始めを尋ぬれば一塵なり。大海の初めは一露なり」(新1706・全1237)と。現実社会で、小さな勝利を一つ一つ積み重ねた先に、広布と人生の大飛躍はある。
「必ず勝つ」との一念と具体的な目標をわが胸に、人間革命の大道を朗らかに進もう。師と共に! 同志と共に!

☆第6回本部幹部会 原田会長のあいさつ
◇大いなる飛躍へ新たな挑戦! 本物の友情結ぶ対話を
一、青年の心で、創立100周年への飛躍を誓い合う「第6回本部幹部会」の開催、誠におめでとうございます。はじめに、昨年末の財務につきまして、広布部員の皆さまの尊き真心に、深く感謝申し上げます。大変にありがとうございました(拍手)。

一、さて、本年は、20世紀最高の歴史学者といわれるイギリスのトインビー博士と池田先生が、1972年5月5日に初めて対談されてから50周年の佳節を刻みます。これまで30の言語に翻訳された対談集『21世紀への対話』は、世界の大学で教材に使用されているほか、各国の大統領や大学学長、文化人など多くの識者の座右の書となっております。
このトインビー博士との対談もしかり、池田先生の対話は、常に「目の前の一人」に全精魂を注ぎ、何ものにも揺るがぬ「本物の友情」を結ぶ対話であります。その友情が、国境を超え、時を超え、大きく世界広布の扉を開いたドラマを、幾度も目にしてきました。
例えば、かつてブラジルでは、軍事政権下にあって学会への偏見やデマがまき散らされ、先生が隣国まで行かれながら、ビザが下りずに入国できなかったことさえありました。しかし、時代は変わり、ブラジルが軍事政権から民政へと移行する1984年、18年ぶりに先生のブラジル訪問が実現しました。
先生が当時のフィゲイレド大統領と会見される時です。事前の準備で、学会側スタッフが、行政のトップであるアブレウ文官長と会いました。日本の官房長官のような立場の方です。その時、文官長から、"池田会長は、どういう人物か"と問われました。先生がブラジルに入られる時が近づくにつれ、やはり嫉妬の輩が、妨害の声を立て、騒ぎ始めていました。"事によっては"という緊張の瞬間でした。
この問い掛けに応えて担当者は、文官長に、先生の対談集と写真集を見せて説明しました。その時です。写真集を開いていた文官長が、一枚の写真を見て、"ああ、この方か!"と大変に驚いたのです。それは、先生が大歴史学者トインビー博士と写っていた写真でした。
実は、文官長は以前にロンドンを訪れた際、池田先生とトインビー博士との対談集を自ら買い求めたそうです。そして、その素晴らしい内容に、何度も繰り返し読んだそうです。トインビー博士との写真を見て、文官長の疑問は一気に氷解しました。そして文官長は、こう切り出しました。
「池田SGI会長が大統領と会うために、一つだけ条件がある」
「条件」という言葉に身構える学会側スタッフに、文官長は言いました。
「大統領と会見した後、短時間でいいので、私とも会っていただきたい」と。
すぐさま池田先生にご報告をして了解を頂き、先生は予定通り、フィゲイレド大統領と会って友情を結び、そして、アブレウ文官長とも個別に会見されたのであります。
このフィゲイレド大統領との会見は、日本の昼のニュースでも報道されました。
以来、ブラジルでのSGIを巡る環境は一変。池田先生には、最高の国家勲章「南十字国家勲章コメンダドール章」が授章されたのをはじめ、数多くの顕彰が贈られております。
一人の人と結んだ本物の友情が、広宣流布において、どれほど大きな可能性を秘めているか。私たちは、大いなる飛躍を遂げるために、しっかりと大地を踏み締め、「本当の友人づくり」に挑んでまいりたいと思います。

一、社会学者である早稲田大学文学学術院の石田光規教授が、「創価新報」のインタビューで、若い世代が置かれた"つながり"の現状について、鋭く論じていました。
かつてあった「地縁」や「血縁」は都市部などへの人口集中によって薄れ、それに代わる会社でのつながり——「社縁」も、経済成長に陰りが見え始めた90年代から失われていきました。結果、社会の個人化が進み、かつては何気なく生活していても、それなりに"つながり"がつくられていた——いわば人脈が与えられていたのが、今では自ら"つながり"を選び、つくっていかなくてはならなくなりました。加えて2000年代後半からSNSが普及すると、人々は、"自分を認めてくれる関係性を、いかにつくっていくか"という課題を抱えると同時に、"周りは自分のことを認めてくれないかもしれない"という不安に、常にさいなまれる状況になったといいます。
その上で石田教授は、「人間関係が不安定化する中、『信仰』は、個人のみならず、関係を支える重要な基盤となり得るでしょう」と期待を寄せています。
「青年・飛躍の年」、私たちは、こうした社会状況の大きな変化や、それに伴って創価学会がタイムリーに果たし得る社会的使命について、敏感に察知し、吸収し、私たちもまた、大胆に変化していかねばなりません。
翻っていえば、会内にあっても、90年代に青少年期を送った世代、40代以下の活動者は、「自ら選択して"つながり"をつくっていく社会」を生きており、いわゆる「人脈」というものが、自然と存在する世代ではない、ということです。だからこそ、まずは、新しい出会いを結び、人間関係そのものを広げられるよう、さまざまな友好活動を広宣流布運動の基礎に位置づけ、時間的余裕と、個々の取り組みへの理解が必要となってきます。
各地・各部で工夫しながら、飛躍への新たな挑戦を開始してまいりたいと思います。

一、かつて、ドイツの教育学・哲学の権威であるデルボラフ博士が、池田先生に、こう尋ねられたことがあります。
「識者との対談は、どういうきっかけで実現するのですか?」
この問いに、先生は答えられました。
「世界の平和、人々の幸福を願う気持ちを深く持った人同士は、どこかで自然と出会うものなのです」と。
さあ、私たちもまた、「広宣流布」にわが「心を一にして」、池田先生に「二陣三陣」と続き、地涌の眷属を呼びいだす対話の旋風を巻き起こしていこうではありませんか。

☆質問BOX 御書を「身で読む」とは?
◇回答
御書には、末法の民衆救済を願われた、日蓮大聖人の御精神が脈打っています。その一文字一文字に、"門下をなんとしても幸福にしてみせる"との、御指導や励ましが込められているのです。
「身で読む」とは、御書を遠い鎌倉時代のことや、"人ごと"としてではなく、"現在のこと""自分のこと"として拝し、実践していくことです。
たとえば、「法華経を信ずる人は冬のごとし。冬は必ず春となる」(新1696・全1253)との御文を胸に刻み、いかなる試練にも負けず、信心で乗り越えてきた学会員の体験は、枚挙にいとまがありません。
池田先生は「一節でもいい、御書をわが身で読んだ人は強い。断じて負けない。絶対に幸福の春を呼ぶことができるのだ」とつづられています。
広布に励む中で拝した御書は、人生を勝ち開く原動力となっていくのです。

2022年1月19日水曜日

2022.01.19 わが友に贈る

マスク着用・消毒・換気等
感染予防策の基本を
改めて徹底しよう!
賢明なる創意工夫で
希望の拡大を朗らかに!

同生同名御書 P1115
『人の身には同生同名と申す二のつかひを天生るる時よりつけさせ給いて影の身にしたがふがごとく須臾もはなれず』

【通解】
人の身には同生同名という二人の使いを天はその人が生まれた時からつけられており,この二人の神は影が身に従うように,寸時も離れない。

名字の言 風に負けない強くて太い"糸" 2022年1月19日
この正月、幼い兄弟が空き地でたこ揚げをしているのを見掛けた。久しぶりの光景だったこともあり、しばらく眺めていた。たこが風を受け、空にぐんぐん舞い上がるのを見て、弟は小躍りして喜んでいた▼たこは風がなければ揚がらない。どんなに骨組みがしっかりしていても、風で糸が切れれば飛ばされる▼人生も同じだろう。試練の逆風にも心折れずに耐え、挑んでこそ、自身を飛翔させる力となる。大切なことは、苦難の烈風に吹き飛ばされないよう、強くて太い"糸"があるかどうか。それが、創価の友にあっては師弟の誓い、強盛な信心、同志との絆であろう▼ある壮年部員は、働き盛りの40歳を目前に、勤める会社が倒産の憂き目に遭い、落胆していた。「まさに目の前が真っ暗。この苦悩の暗闇、不遇の嵐は永遠に続くように思えた」。だが、妻は揺るぎない信心の確信で唱題を重ねた。多くの同志も夫妻を支えた▼その真心に壮年は発心。必死に祈る中、前職以上の待遇で再就職を勝ち取った。後年は新築した自宅を広布の会場に提供し、変毒為薬の実証を示した。人生を襲った暴風を乗り越え、さらに使命の大空に高く舞い上がった壮年。その雄姿を支える"糸"は、綱のように太く強かった。

寸鉄 2022年1月19日
共に広宣流布へ戦う中で後継は育つ—戸田先生。皆が「青年の心」で激励!
「幸いなるかな、楽しいかな」御書。広布の人生は極善。何があっても悠々と(新1315・全975)
今日は誰を励ますのか—結んだ絆の分だけ組織は伸展。電話一本も心込め
感謝を形にすることで幸福感は上昇—学者。「ありがとう」の思いを言葉に
毎月19日は「食育の日」。聡明に豊かな食生活を。食品ロス削減も家庭から

☆御書と未来へ 第2回 決めて祈って動いて勝つ!
〈御文〉
『御志は挙げて法華経に申し候い了わんぬ。定めて十羅刹の御身を守護せんこと、疑いなく候か』(富城入道殿御返事、新1343)

〈通解〉
あなた(富木常忍)の真心のほどは、全て法華経に申し上げました。必ず十羅刹があなたを守護されることは疑いないでしょう。

〈池田先生が贈る指針〉
広宣流布のために!——この信心の志から、生命の最も価値ある一年の公転が始まる。そして天体の運行のごとく、妙法のリズムに則り、日々、充実した人間革命の自転を進めるのだ。
牧口先生は「勇猛精進し給え! 仏法は実行だよ。精進だよ」と言われた。新しい年も、決めて祈って動いて勝とう! 仏天を味方に。

☆創価班指導集 池田先生の発刊の辞
◇わが創価灯は「厳護」「正義」「勝利」の光なり
1月6日は「創価班 師弟誓願の日」。第1回創価班総会から45周年を迎えた。ここでは昨秋に発刊された新指導集『地涌の大城』(非売品)に、池田先生が寄せた「発刊の辞」を紹介する。

わが創価灯は「厳護」の光なり。
わが創価灯は「正義」の光なり。
わが創価灯は「勝利」の光なり。
この光を放つ「創価班」の君たちあれば、いかに深い時代の闇も打ち破り、民衆の凱歌を轟かせることができる。
これが私の誇りも高き大確信だ。
結成45周年の佳節を毅然と飾りゆく従藍而青の一人ひとりに、私は最敬礼して題目を送っている。
いつもいつも、本当にありがとう!
戦後の荒廃した社会で、戸田城聖先生という希有の師匠に初めてお会いできた夜、私は尽きせぬ感謝を込めて、一詩を朗詠した。
「夜明け前の混沌に 光 もとめて われ 進みゆく」——
その求めてやまない光の本源が、他のどこでもない、汝自身の地涌の生命に具わっていることを、先生は教えてくださった。広宣流布、立正安国という誓願を掲げ、法のため、民のため、世のため、自他共に青春の生命を輝かせ切っていく最極の正しき人生へ導いてくださったのである。この光は、先生のもとで太陽の仏法を如説修行しゆく月々日々に、強く深く大きくなっていった。
なかんずく先生は、事業が最悪の苦境に立たされた時、一人お仕えしていた23歳の私に、厳粛に後事の一切を託された。70年前の1月6日である。この日この時を転機として、先生と私はいやまして師子奮迅の力で、絶体絶命の局面を一つ一つ打開していった。やがて晴ればれと、あの五月三日の第2代会長就任式を迎えるのである。
御聖訓の通り、一念に億劫の辛労を尽くしゆく精進行の只中で、わが生命に燃え上がらせた炎こそが、まぎれもなく「創価灯」であったといってよい。
そして、それから四半世紀を経た1977年の1月6日、あえて、この日を選んで、第1回の創価班総会を開催した。私が「創価灯」を託し伝えたのは、不二の後継たる創価班の君たちなのである。
創価班は基本精神に——
一、学会を護る
一、会員を大切に
一、陰の戦いに徹する
と掲げて、実践し抜いてきた。
思えば、民衆仏法の正義の凱歌を謳い上げた熱原の法難の折、若き南条時光は矢面に立って正義の和合僧を護り、人知れず陰の労苦を担い、苦境の同志を大切に庇い励ました。
日蓮大聖人は、その功労を労い、「上野賢人殿」と讃えられて、「此れはあつわらの事の・ありがたさに申す御返事なり」(全1561・新1895)と御書を送られている。
今、前代未聞のコロナ禍にあって、勇敢に誠実に聡明に、基本精神のまま貢献を続けてくれている創価班の尊き貴き使命の遂行を、御本仏は全て御照覧であるに違いない。
南条時光に「しばらくの苦こそ候とも・ついには・たのしかるべし、国王一人の太子のごとし・いかでか位につかざらんと・おぼしめし候へ」(全1565・新1901)とお約束の如く、健気なる創価班の一人ひとりが必ずや「陰徳陽報」の大果報に包まれ、人生と社会の勝利の王者となりゆくことを、私はひたぶるに祈り続けている。
結成45周年の11月2日を前に、創価班のリーダーたちから一つの要請があった。それは、伝統の基本精神の3項目に、新たに——
一、邪悪を破る
一、広布の勝利を開く
との2項目を加えさせていただきたい、というのである。
深き使命感と責任感の上からの発露が頼もしく、私は直ちに賛同した。ここに、新時代創価班の「基本精神」5項目が誕生したのである。
「御義口伝」には「悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり」(全762・新1062)と仰せである。
「邪悪を破る」勇気の光からこそ、妙法の大功力は生まれ広がるのだ。その閃光に諸天善神も覚醒し、動き働くのだ。
この秋は、竜の口の法難から750星霜であり、創価の「魂の独立」からも30年となる。
大聖人は「諸天善神等は日蓮に力を合せ給う故に竜口までもかちぬ、其の外の大難をも脱れたり、今は魔王もこりてや候うらん」(全843・新1176)と宣言なされた。
わが本門の創価班は、追撃の手をゆるめずに破邪顕正の師子吼を響かせてもらいたい。
そして「仏法と申すは勝負をさきとし」(全1165・新1585)との御金言のままに、断固として一切の「広布の勝利」を開き、「地涌の大城」を限りなく勝ち栄えさせてもらいたいのだ。
嬉しいことに、今や「SOKAHAN」は誉れの勇者の代名詞となり、若き世界市民の平和・文化・教育の大連帯にあって、中核中の中核と輝く時代に入った。
君たちこそが、私の分身たる新時代の"山本伸一"に他ならない。一人ひとりが「創価灯」の当体として、21世紀の地球社会をいよいよ照らし晴らしてくれ給え!

若鷲よ
 我こそ創価と
  胸を張れ
 邪悪を破りて
  広布の勝利を

☆みんなで学ぶ教学 第24回 行学の二道
◇地道な実践が"飛躍台"に
自身の飛躍のカギは、日々の地道な信仰の実践にあります。今回の「みんなで学ぶ教学」は、信心修行に不可欠な「行学の二道」がテーマです。新年の決意に満ちた新入会者のカツヤくんは、ユタカ支部長にアドバイスを受けているようです。

ユタカ 決意に満ちた、すがすがしい顔をしているね!

カツヤ あ! ユタカ支部長。今年のテーマは「青年・飛躍の年」ですから、僕も飛躍する一年にしようと決めたんです。

ユタカ 何か目標を立てたのかな?

カツヤ はい。仕事では、大きなプロジェクトを企画して、実現していこうと決めました。学会活動も、よりいっそう頑張っていこうと思っています。

ユタカ すごいね! 具体的には何に挑戦するのかな? 

カツヤ それを考えていたんですが、目標が大きすぎて、何から手を付けていいか分からなくなってしまって……。

ユタカ 決意することは大切なことだよね。でも、何かを成し遂げようと思ったら、一つ一つ、地道な努力を積み重ねていくことが根本になるんじゃないかな。
スポーツだって、日々のトレーニングという基礎を積み重ねるから、試合で結果を出すことができる。

カツヤ 確かに、企画書を作るには多くのことを調べなければならないし、職場の同僚とも連携をとっていかないといけないです……。さまざまなことに配慮し、着実に進めることが求められます。

ユタカ 地道な取り組みが大事なのは、信心においても同じだね。
日蓮大聖人は「行学の二道をはげみ候べし。行学たえなば仏法はあるべからず」(新1793・全1361)とつづられているんだ。学会活動も、絶え間ない「行学の二道」に励むことが根本になるんだよ。

カツヤ 「行学の二道」とは、どのようなことでしょうか。

ユタカ カツヤくんがすでに実践していることだよ。
「行」とは、仏法を行ずること。勤行・唱題、そして折伏に挑戦することだね。「学」とは、御書根本に大聖人の仏法を学んでいくことなんだ。
この「行」と「学」は、どちらか一方が欠けてもだめなんだ。「行」と「学」の両輪を絶え間なく回転させていくからこそ、「信」が深まり、自身に具わる可能性を開く「人間革命の道」を、真っすぐに進んでいくことができるんだよ。

カツヤ なるほど。

ユタカ 唱題や研さんは、とても地味なことかもしれない。でも、地道に「行学の二道」に励む中で、自身を大きく飛躍させていけるんだよ。
私も実は、もう一度しっかり御書を学ぼうと決意して、時間を見つけては1ページずつ拝読しているんだ。もうすぐ御書の半分以上を読了することになるよ。

カツヤ 忙しい中でも挑戦しているんですね。

ユタカ 大聖人の御確信に触れて、祈りにも力が入り、信心に臨む姿勢も変わってきたと実感しているよ。"友人に仏法の素晴らしさを伝えたい"との気持ちが、いっそう込み上げてくるんだ。"行学のリズム"が定着したから、仕事にもより意欲的に取り組めるようになったよ。

カツヤ 最近、ユタカ支部長の姿に、生命力がみなぎっていると感じていた理由が分かりました。

ユタカ 池田先生は「御書には無限の希望がある。勇気が湧き、未来がある。人生勝利の智慧が湧き、確信が深まり、戦う心が燃えてくる。ただ御書を身で拝してこそ、いかなる不可能をも可能にしゆく利剣を持つことができるのだ」とつづられているんだ。
「行学の二道」こそが、人生の"飛躍台"となっていくことは間違いないよ。
カツヤくんの企画するプロジェクトが実現するよう、祈っているね。

カツヤ ありがとうございます。着実な"行学のリズム"で、前に進んでいきます!

2022年1月18日火曜日

2022.01.18 わが友に贈る

新任リーダーは
スタートダッシュが大切。
先輩方によく相談し
一日一日 真剣に動こう。
組織に新たな波動を!

立正安国論 P24
『辛きことを蓼の葉に習い臭きことを溷厠に忘る善言を聞いて悪言と思い謗者を指して聖人と謂い正師を疑つて悪侶に擬す』

【通解】
辛い蓼の葉を食べる虫は辛いことに慣れており、厠に長くいると臭いことを忘れてしまうと言われている。ためになる言葉を聞いてひどい発言と思い、謗法の者を指して聖人と言い、正しい師を疑って悪い僧のように思い込む。

名字の言 同志の応援が支えに——壮年の体験から 2022年1月18日
都内の70代の壮年は昨年、腎臓の機能が低下し、透析が必要な状態となった。「信仰で『負けない自分』を築いてきたつもりでしたが、さすがに心が揺れました」▼治療は過酷だった。強い薬の服用と透析の繰り返し。82キロの体重は65キロに。コロナ禍で直接の見舞いはできないため、家族と同志は題目を送り、メール等で激励の言葉を届けた。「皆さんの応援がどれほどの支えとなったか。わが心に仏法の生命哲学を刻み付ける日々でした」▼45日間の入院を終え、座談会に参加した壮年の表情は晴れやかだった。透析ではなく、薬を中心に治療している様子を伝え、「この調子なら薬も減らせる、と医者に言われました。病気に負けない実証を示し、学会創立100周年を目指して強く生き抜きます」▼文豪ゲーテは言う。最も高貴な感情は「運命が私たちを完全な無へと押し流すように思われるときでも、なおかつ生きつづけようとする希望である」(木原武一訳)と。牧口先生と親交があった新渡戸稲造の言葉も実感した。「信仰は勇気であり、勇気は信仰である」(佐藤全弘訳)▼希望を送り、勇気を最大限に引き出す創価家族の世界。その象徴の座談会が各地で始まった。二月闘争70周年へ力強く出発しよう!

寸鉄 2022年1月18日
「蒼蠅、驥尾に附して万里を渡り」御書。師と同志と共に!これ人生勝利の源(新36・全26)
折伏は幸福への最高手段であり平和への最短距離—恩師。さあ勇み語ろう
己を育てぬ人に真の生活はない—文豪。昨日より今日。常に挑戦の気概で
"冬期鬱"増える時期。「短い運動で心は上向く」と。散歩や体操など賢く実践
変異株の最多症状は発熱で嗅・味覚障害は1%。予防対策は不変。油断排し

☆希望の指針——池田先生の指導に学ぶ 友との語らいから
◇人との絆が新たな価値を創る
連載「希望の指針——池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を紹介します。今回は小説『新・人間革命』から、山本伸一と友との語らいを、Q&Aで掲載します。

Q 性格は、信心をしても変わらないのでしょうか?
A 短所を長所に変える信心の力
〈1978年(昭和53年)5月、山口県・大歳支部の座談会で〉
「性格について、仏法では"後世まで変わらないのが性分である"ととらえています。
つまり、その人のもって生まれた性格自体は、変わらないということです。
たとえば、細かいことを気にする人がいます。そういう性格の人は、人に何かひとこと言われただけで、不安になったり、傷ついたりしてしまいがちです。また、他人の小さな欠点が気になって仕方がない。そして、結局、日々、悶々としながら過ごすことになってしまう。では、その人が信心に励み、人間革命していくと、どうなるのか。
細心であるという性格は変わりません。しかし、人に言われたひとことを真摯に受けとめ、自分を向上させる糧にしていくようになります。また、他人の小さな欠点に気づくことは同じですが、その欠点を自分はどうやって補ってあげられるかという心配りができるようになる。さらに、他人の長所にも気づくようになります。
細かいことが気になる人は、こまやかな気遣い、配慮ができるということです。その能力が最大に発揮されることになるんです。
よく戸田先生は、こんな譬えを引かれていました。
——川がある。川幅や流れの形は、基本的には変わらない。これが性格である。しかし、泥水が流れ、飲むこともできなかった川の水を、清浄極まりない水に変えることができる。これが信心の力であり、人間革命ということである。
自分の性格というのは、いわば個性です。そこに自分らしさもある」
(第27巻「激闘」の章、312〜313ページ)

Q 私の母は、私が信心していることを理解してくれません。どうすればよいでしょうか?
A 幸せの実証で学会の理解者に
〈1968年(昭和43年)10月、富士宮市上条での座談会で〉
「お母さんは信心に反対だというけれど、それは、仏法のこと、学会のことが、よくわからないからです。あなたがかわいいから、心配して反対するんです。あなたが信心によって幸福の実証を示し、さらにお母さんが本当に誇りに思える娘さんになれば、必ず信心に理解を示すようになりますよ。娘の幸福を願わない母親なんて、いないんですから。
私の母も、最初は信心しませんでした。でも、私は、母を絶対に幸せにしてみせると決意しました。今では学会員として幸福に暮らしています。
あなたも、何があっても負けないで信心を全うし、お母さんにも仏法を教え、幸せにしていくんですよ。それが、娘としての義務であり、使命であると思ってください」
(第13巻「北斗」の章、182〜183ページ)

Q 人と人のつながりを、仏法では、どのように説いているのでしょうか?
A 互いに助け合う「縁起」の哲学
〈1960年(昭和35年)10月、アメリカの青年たちとの歓談で〉
「仏法の基本には、『縁起』という考え方があります。これは『縁りて起こる』ということで、すべての現象は、さまざまな原因と条件が相互に関係し合って生ずるという意味です。つまり、いかなる物事もたった一つだけで成り立つということはなく、すべては、互いに依存し、影響し合って成立すると、仏法では説いているんです。同じように、人間も、自分一人だけで存在しているのではありません。互いに、寄り合い、助け合うことで、生きているのだと教えています。この発想からは、人を排斥するという考えは生まれません。むしろ、他者をどう生かすか、よりよい人間関係をどうつくり、いかに価値を創造していくかという思考に立つはずです」
(第1巻「錦秋」の章、182〜183ページ)

Q 自分の信じる宗教は正しく、最高の教えであるというのは独善的で危険ではないでしょうか?
A 宗教を検証し「独善」を排する
〈1961年(昭和36年)2月、インドを訪問中、同行の青年からの質問に答える〉
「『自分は信じている。ゆえに正しい』と言うのであれば、それは独善です。だから、学会は、牧口先生以来、徹底して宗教を研究してきた。文献的な証拠のうえから、道理のうえから、現証のうえから、普遍的、客観的な尺度で、あらゆる宗教を検証してきました。そして、現実に百何十万世帯もの人が、幸福になった。
その結論として、私たちは、日蓮大聖人の仏法こそ万人を幸福にできる、最高最大の教えであると主張しているわけです。
さらに、異なる信仰、意見をもつ人と積極的に議論し語り合おうと、座談会という社会に開かれた対話の場をもっている。独善を排するために、語らいの場を大切にしているんです」
(第3巻「月氏」の章、132ページ)


Q 病気などの宿命は、信心で乗り越えることができるんでしょうか?
A 日蓮仏法は全ての宿業を転換
〈1965年(昭和40年)11月、関西で壮年との懇談に臨んで〉

「どんなに深い宿業だろうが、必ず断ち切っていけるのが、日蓮大聖人の大仏法です。

あなたは、"それにしても、これほどまでに苦しまなければならないのか"と思っているかもしれませんが、私たちは、今世の謗法の罪はわかっても、過去世の罪はわかりません。過去世に、大謗法を犯し、深い宿業をもっているかもしれない。

本来、その宿業は少しずつしか出ないために、何世にもわたって、長い間、苦しまなければならない。

しかし、信心に励むことによって、これまでの宿業が、一気に出てくる。そして、もっと重い苦しみを受けるところを、軽く受け、それで宿業を転換できる。『転重軽受』です。

宿業による病苦を乗り越えるには、正法誹謗の罪を、御本尊に心からお詫びし、唱題することです。

提婆達多にそそのかされて仏弟子を殺し、仏を苦しめ抜いた阿闍世王は、その罪によって業病にかかる。だが、悪逆の限りを尽くした阿闍世王でさえも、釈尊にお会いして罪を悔い、お詫びすることで、たちまちのうちに、その病が癒えたと御書にある。

大聖人は、『諸罪は霜露の如くに法華経の日輪に値い奉りて消ゆべし』(全1439・新2062)と仰せですが、それが御本尊の偉大なる功徳力です」

(第10巻「桂冠」の章、300〜301ページ)


Q 信心をする目的とは、なんでしょうか?
A 自他共の幸福と人類の平和を
〈1964年(昭和39年)10月、フランスでの友との語らいで〉

「個人に即していえば、一生成仏です。それは、自分自身の永遠に崩れることのない、絶対的幸福境涯を築くことです。もっと、わかりやすくいえば、何があっても、負けない自分をつくりあげていくことです。つまり、人間革命です。

しかし、それだけではありません。仏法者の使命という観点からいえば、広宣流布ということです。広宣流布というのは、人びとに、正しい仏法を教えて、みんなを幸福にしていくことです。人類の平和を築き上げることです」

(第9巻「光彩」の章、265ページ)

2022年1月17日月曜日

2022.01.17 わが友に贈る

◇今週のことば
「励まし」の積み重ねから
"一人"の発心と蘇生が。
「体験」の語らいから
"歓喜"のエネルギーが。
さあ、春を呼ぶ座談会だ!
2022年1月17日

経王殿御返事 P1124
『師子王は前三後一と申してありの子を取らんとするにも又たけきものを取らんとする時もいきをひを出す事はただをなじき事なり』

【通解】
師子王は前三後一といって、蟻を取ろうとする時にも、また、猛々しいものを取ろうとする時も、全力で飛びかかることは、まったく同じである。

名字の言 人生を彩る対話の思い出 2022年1月17日
かつての対話の思い出を、ある女性から聞いた。40年ほど前、彼女は息子が通う中学校の校長を訪ねた。渡された池田先生の著作を見た校長は、一人の生徒とのことを語り始めた▼校長は小笠原諸島に教員として赴任した経験がある。その学校に一人の素行不良の生徒がいた。生徒を立ち直らせることができなかったことが、それまでの教員生活の中でずっと心残りだった▼後年、小笠原諸島へ旅行に行く機会があった。島に向かう船の中で「先生」と声を掛けられた。あの生徒だった。見違えるほど立派な青年になっていた。女性から受け取った書籍は、その青年もまた、人生の糧としていたものだった。校長は感慨深く、「皆さんは、素晴らしい師匠を持って幸せですね」と。その言葉を、女性は今も忘れないという▼歳月とともに記憶は薄らいでいく。だが、広布のために真心を尽くした思い出は、決して色あせない。その一つ一つの積み重ねが自分の境涯を築く力となり、人生を彩る宝となる▼御書に「心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱え他をも勧めんのみこそ、今生人界の思い出なるべき」(新519・全467)と。真心の対話は、生命に深く刻まれる歓喜と躍動の源泉。きょうも勇んで挑戦したい。

寸鉄 2022年1月17日
釈尊の精神は創価学会によって世界に顕現—博士 生命尊厳の民衆スクラム
本部幹部会のネット配信今日まで。飛躍の決意を固め共に新たな栄光峰へ
人生は強気でいけ—恩師 何事もまず勝つと決めることから。攻めの姿勢で
幹部率先が学会の伝統。最前線の友に信心の息吹を!広布伸展はそこから
阪神・淡路大震災27年。避難場所や防災備品を点検—教訓は実践してこそ

〈社説〉 2022・1・17 きょう「防災とボランティアの日」
◇自他共のための行動を!
地球温暖化の影響で、世界各地で異常気象が発生し、水害、干ばつなどの災害が起きている。その中で日本は、"水害多発国"であることに加え、世界でもまれな四つのプレートが相接する地形から、地震が頻繁に起こる"地震大国"でもある。
防災への高い意識は、日本人一人一人に必要不可欠なものである。自助・共助・公助といわれるように、自らの命を守るのは当然として、地域・社会で助け合う習慣を一層強く持ちたい。
27年前の1995年1月17日に「阪神・淡路大震災」が発生。その後、震災被害の深刻さが全国に伝わり、ボランティア活動の参加者が急増し、延べ138万人に達した(内閣府公表)。こうした背景もあり、95年は"ボランティア元年"と呼ばれ、後の日本の防災意識やボランティア活動に対する考え方に大きな変化をもたらした。98年には「特定非営利活動促進法」が施行され、組織としてボランティア活動ができるようになり、現在その数は約5万団体にのぼる。
兵庫・明石市のある女性部員は大震災で被災し、自宅が全壊。避難所や知人宅での共同生活が半年間も続いた。助かった命をどのように使い、生きていけばいいのか——そう真剣に祈る中で、改めて広宣流布のため、自他共の幸福のために生きると決意。その後、地域友好に走り抜き、高齢者施設でのボランティア活動や自治会役員などを20年以上続けている。
震災当時、被災した多くの学会員は、自らも苦境に立たされながら"利他の精神"で苦しむ地域の友を支え、励まし続けた。その行動は、朝晩の勤行・唱題を通して人々の幸福を祈り、折伏や家庭訪問を重ねるなどの学会活動の実践に裏打ちされている。日々の学会活動は、"困っている誰かのために"との慈悲の心を育む、最も偉大な錬磨の舞台なのである。
池田先生は、学会に脈打つ共助の連帯の源について、「苦しんでいる方々の痛みを共にし、行動せずにはいられぬ『同苦の心』が、同志の胸に燃えていたからこそ、真心のネットワークがフル回転で働いたのだ」と、語っている。
きょうは「防災とボランティアの日」。同苦の心を胸に、誰かを助ける"真心のネットワーク"の担い手として、自覚を新たにする日としたい。

☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第15回 マーチン・ルーサー・キング
〈マーチン・ルーサー・キング〉
私たちは恐れの洪水を阻止する「勇気」という名の堤防を絶えず築き続けなければならない。

「私には夢がある。それは、いつの日かジョージア州の赤土の丘の上で、かつての奴隷の子孫とかつての奴隷主の子孫が、ともに兄弟愛のテーブルに着くことができることである」

1963年8月28日、アメリカ・ワシントンDCのリンカーン記念堂で、34歳の若き青年が大聴衆を前に叫んだ。
彼の名はマーチン・ルーサー・キング。人間の平等と尊厳を求め、人種差別に立ち向かった米公民権運動の英雄である。
同国では、キング博士の誕生日(1月15日)にちなみ、1月の第3月曜日を国民の祝日に制定。自由と平和の魂が脈々と継承されている。
奴隷制度の是非を巡り、アメリカの南北が対立した19世紀。リンカーン大統領による「奴隷解放宣言」を経て、20世紀に入ってからも人種差別の風潮は社会に根強くはびこっていた。
横行する黒人への暴力。抵抗すれば脅され、命が危険にさらされた。
そんな中、1955年12月、アラバマ州モンゴメリーでローザ・パークス氏の不当逮捕を機に「バス・ボイコット運動」が起こる。当時26歳だったキング博士は同運動を主導。後に全米に広がる人権闘争の火ぶたを切ったのである。
キング博士は語っている。
「私たちは、押し寄せてくる恐れの洪水を阻止するだけの、勇気という名の堤防を絶えず築き続けていなければならない」
同じ頃、日本では民衆勢力として台頭する創価学会に迫害の魔手が伸びていた。57年の「夕張炭労事件」「大阪事件」など、不当な弾圧の矢面に立ったのは29歳の池田大作先生だった。
歴史が動く時、そこには理想に燃え立つ青年と名もなき庶民の不屈の闘争がある。
インド・ガンジー研究評議会議長のN・ラダクリシュナン博士は言う。「キング博士は"私には夢がある"と語り、人々を鼓舞しました。そして、池田博士は"私たちには使命がある"と訴えて、民衆を目覚めさせ、立ち上がらせてこられました」

〈マーチン・ルーサー・キング〉
今日も明日もさまざまな困難に直面しようとも、それでもなお私には夢がある。

キング博士は1929年、ジョージア州アトランタの牧師の家に生まれた。高校生の時、弁論大会で黒人の権利について演説し優勝。その帰りのバスで白人に席を譲るよう強制されたことが屈辱の記憶として残った。
名門モアハウス大学を経て神学校に進学。人種対立を解決する方途を探る中、インド独立の父・ガンジーの哲学と出あい、人間愛に基づく「非暴力」こそが社会を変えゆく力であると確信する。その後、コレッタ・スコット氏と結婚し、アラバマ州の教会の牧師に。55年には神学の博士号を取得した。
「バス・ボイコット運動」が始まったのは、この年の12月。「正義というゴールへのステップは、どれも犠牲や苦悩や闘争がつきものである。つまり、献身的な個人の、疲れをいとわぬ骨折りや熱意が不可欠である」。この信念を胸に、博士は正義の人権闘争の先頭に立った。
60年2月、数人の黒人学生が「シットイン(座り込み)運動」を展開。バスターミナルの食堂での人種隔離廃止を求め、何日もカウンターに座り込んだ。
博士も運動に参加し、学生と共に逮捕・投獄される。運動の模様はメディアを通じて全米に知れ渡り、やがて政府は人種隔離の禁止を命令する。
63年5月のアラバマ州バーミンガムのデモ行進では、約1000人の学生や子どもたちが容赦ない暴力の恐怖にも屈せず、不服従の行動を貫き通した。
彼らの原動力——それは「前進への誇りであり、われわれは勝つぞという確信であった」とキング博士は述べている。
青年の勇気が歴史的な「ワシントン大行進」への飛躍台となったことはいうまでもない。
同年8月、「ウィ・シャル・オーバーカム(私たちは必ず勝利する)」の歌声と共に、ワシントンDCのリンカーン記念堂前の広場を埋め尽くしたのは、肌の色や信仰の違いを超えて集った20万人以上の民衆だった。
演説で博士は力強く訴えた。
「私たちは今日も明日もさまざまな困難に直面するでしょうが、それでもなお私は夢を持っています。それはアメリカの夢に深く根ざしている夢です」と。
翌年、公民権法が成立し、ノーベル平和賞を受賞。その後も理想への歩みを止めなかった博士だったが、テネシー州メンフィスで演説を終えた翌日、滞在先で凶弾に倒れる(68年4月)。「私には夢がある」——自由と平等という「夢」に生き抜き、39歳の若さで尊い生涯を閉じた。

〈キング博士を語る池田先生〉
「夢」を失わない限り「希望」は生き続ける。
いかなる嵐が吹こうとも「希望」がある限り、民衆の大行進を押しとどめることはできない。

「池田博士は、ガンジーとキングの非暴力の哲学を、具現化しているのです」

キング博士の母校・モアハウス大学でキング国際チャペルの所長を務めるローレンス・カーター博士は、池田先生の平和貢献をたたえてやまない。
同大学キング国際チャペルは2000年9月、先生に「最高学識者」称号を授与。翌年から「ガンジー・キング・イケダ——平和建設の遺産」展を主催し、世界巡回展として3人の思想と行動を広く発信してきた。
先生自身、キング博士と公民権運動を共にした人権の闘士と交友がある。
先生が創立したアメリカ創価大学ロサンゼルス・キャンパス(当時)では、コレッタ・スコット・キング夫人が「マーチン・ルーサー・キングの遺産」と題して講演(1995年10月)。
キング博士の盟友で、著名な歴史学者であるビンセント・ハーディング博士とは3度の会見を行い、対談集『希望の教育 平和の行進』を発刊した。
先生は対談集で訴える。
「『夢』を失わないかぎり、『希望』は生き続ける。いかなる試練があろうとも、いかなる嵐が吹こうとも、『希望』があるかぎり、我ら民衆の大行進を、正義の大河を、押しとどめることはできない」
また、キング博士の言葉を通し、世界平和という壮大な夢に生きる友を励まし続けてきた。
「『最終の勝利は、短期間の困難に数多く出遭ってこそ得られる』とは、キング博士の確信であった。人生も、歴史も、苦しい困難が一挙に重なる時がある。実は、その時こそ、勝利の道を開くチャンスなのだ」(本紙2010年7月7日付「随筆 我らの勝利の大道」)
「博士は語った。『今まで以上に、立ち上がって、前進する気持ちになろうではないか。私たちの志を継続し、あらためてもっと大きな決意で立ち上がろうではないか』
大事なのは『今から』の決意だ。『これから』の行動だ。その連続闘争が、大きな歴史を築く原動力となる」(10年1月9日、新時代第36回本部幹部会でのスピーチ)
希望輝く創価の民衆運動の勝利——それは「今から」「ここから」「自分から」始まる。

2022年1月16日日曜日

2022.01.16 わが友に贈る

人生の真の充実は
困難に挑み勝つ
戦いの中にある。
何があろうと前へ!
挑戦王の心意気で!

一生成仏抄 P383
『若し心外に道を求めて万行万善を修せんは譬えば貧窮の人日夜に隣の財を計へたれども半銭の得分もなきが如し』

【通解】
もし自身の心の外に成仏の道を求めて万行万善を修めようとするのは、例えば貧しさに窮している人が日夜に隣の人の財産を数えても、半銭たりとも自分のものにならないようなものである。

名字の言 記念日を勝利の飛躍台に 2022年1月16日
タクシーに乗った際、料金メーターの脇に「きょうは○○の日」と書かれたカードを見つけた。運転手に尋ねると、勤務する日の記念日を一つ選んで掲示しているとのこと▼客と会話するきっかけづくりのアイデアだという。「11月は『いい○○の日』が多かったので話も弾みました。記念日は毎年巡ってくるので続けていきます」と語っていた▼誰もが持つ記念日——それは「誕生日」。ある地区では座談会の開催月に誕生日を迎える友が信仰体験を語る企画を続けている。ある月の座談会で、これまで学会活動に消極的だった女性部員が初参加した▼明日が誕生日だという彼女は同志に促され、ぽつりぽつりと話しだした。「私は生まれた時、産声がなかったそうです」と言うと、涙で声を詰まらせた。少しの間があり、彼女は続けた。その時、分娩台の母は必死に胸中で唱題したこと。後に何とか蘇生したこと。おかげで今の自分があること……。そして、彼女は言った。「私、生まれ変わったつもりで信心を頑張ります」▼池田先生は「これまでの歴史も、記念日も、すべて現在の力へと変えていってこそ、意味をもつ」と。現当二世の信心に励む友にとって、記念日は、人生勝利の飛躍台でもある。

寸鉄 2022年1月16日
「我もいたし、人をも教化候え」御書。自他共の幸福へ。弾む生命で勇躍前進(新1793・全1361)
愛知女性部の日。地域を照らす堅塁の太陽!使命の「この道」で友情を拡大
本年初の「未来部の日」。わが子に信心の継承を! ここに100周年を決する鍵
自転車が絡む交通事故が急増と。若年層の死亡も多く。ながら運転は厳禁
寒暖差の関連死に注意。浴室・トイレ等、防寒対策を。水分補給も小まめに

☆勇気の舞 凱歌の行進� 第1回 新年を迎えて
◇「一年」を「十年」の価値ある人生に
また我らの
新しい年が
始まった!

一年を
十年の価値ある人生に
生きる人もいる。
「一生 空しく過して
万歳 悔ゆる」人もいる。

人生は
今日も
生きゆく以外にない。
否 生き抜くことが
人生だ。

◆◇◆

誠実の人間たれ
勇敢なる人間たれ
そして
勝利の人生たれ!

熱烈たる人生王者の
自分の魂を
使命の魂と
深く結び合わせながら
断固として
勝ち誇る人生たれ!

それには
勇気ある信仰だ。
それしか
無数無量の諸天は
祝福してくれない。

人間主義の信仰こそ
恐るべき力を持ち
晴れやかな力を持ちながら
天使たちが
君を護る。
君を讃える。

狂気のごとき
この社会。
癒しがたい
狂いに狂った
愚行を繰り返す
この世界。

怒りの涙を
さらに強き格闘に転じて
暗澹たる怒濤の彼方に
燦然と輝く
自分自身の王国へ
行くのだ。

宿命の嵐に
負けるな!
陰険な波浪に
負けるな!
邪義の陰謀に
負けるな!

◆◇◆

我らには
哀しみなどはない。
我らには
敗北もない。

我らの彼方は
常に
幸福の鐘が
希望の鐘が
鳴りやむことはない。

いかなる
厳しい試練があっても
我らは
すべてを勝ち越えゆく
無量の黄金よりも貴重な
無限の力を持っている。

目には見えない力が
満々として
言葉もなく
常に轟々と
鋭く響いている。
我らは負けない!

君よ
今日も
元気を取り戻せ!

君よ
幸福の魂を引き離す輩とは
今日も厳然と
断固 戦え!

あの美しい
満天の星のごとく
勇気に溢れ
希望に溢れ
勝利に溢れゆく
栄光にふさわしき
人間王者の威厳に満ち満ちて
常楽我浄の王宮の扉を開き
笑みを湛えながら
わが人生の流転を
進みゆくのだ。

我々が信ずる力は
臆せず動ぜず
悠然と安座して
慈光に包まれ
必ず忍耐の彼方に
大勝利の讃歌が待っている。

新しい一年
君の胸にも
また あなたの胸にも
大いなる喜びが流れ込み
偉大なる勝利の
諸天の祝福の輝きに
包まれゆくことを
私は祈りたい。

2022年1月15日土曜日

2022.01.15 わが友に贈る

本部幹部会の視聴から
勢いよく出発しよう!
「根深ければ則ち条茂く」
最初の決意が深いほど
勝利の力が湧き上がる!

佐渡御書 P958
『鉄は炎打てば剣となる賢聖は罵詈して試みるなるべし』

【通解】
鉄は、炎に入れ熱して打てば剣となる。賢人、聖人は罵ってみて真価が試されるものである。

名字の言 「お宅の屋根が壊れています」 2022年1月15日
1人暮らしの87歳の壮年の家に、3人の作業員が訪ねてきた。「お宅の屋根が壊れているのでお知らせにきました」▼作業員はスマホで撮影した写真を見せ、「放っておくと雨漏りなど大変なことになります」。屋根の状態を確認できない壮年の不安をあおり、すぐに修理工事するよう促した。契約書の請求金額に驚いた。約180万円!▼実際、屋根に異常は見られず、法外な費用を請求する詐欺だった。指摘商法という手口だ。賢明な対処で事なきを得たが、消費生活センターは「突然訪問してくる業者を屋根や自宅に上げない」「その場で契約するのではなく、まず信頼できる業者に相談する」などといった対応を呼び掛ける▼人ごとのように思っていたことが、わが身に降り掛かってきて初めて、わが事となる場合が少なくない。「自分は大丈夫」といった油断や過信は禁物。次元は異なるが、日蓮大聖人は主君の信頼を勝ち得た壮年門下に対し、世知辛い世の中ゆえに「心にふかきようじんあるべし」(新1600・全1176)と、具体的な指示をされている▼聡明に生きるとともに、家族や地域などで注意喚起し、絶対無事故を勝ち取りたい。最高に価値ある人生を生きる原動力が信仰である。

寸鉄 2022年1月15日
法華経を信ずるは人界に仏界を具えるが故—御書 全員に仏性。対話で触発(新127・全241)
東京「新宿の日」50周年。日本一の麗しい同志愛で再びの凱歌へ共に前進!
中等部結成記念日。君の使命は22世紀まで!希望胸に自分らしく大成長を
先延ばしこそ生の最大の浪費—哲人。強き祈りで今日の目標に果敢に挑戦
「生活に充実感ある人」感染前から大幅減。励ましを更に。電話一本でも

☆きょう中等部結成記念日 2030年へ「勇気の一歩」を踏み出して
中等部歌として誕生し、今は未来部愛唱歌となって親しまれている歌があります。タイトルは「勇気の一歩」。1995年の中等部結成30周年を祝して同部の有志が作詞したものです。完成の報と併せ、録音された合唱を聞いた池田大作先生は「新世紀 踊り舞いゆけ わが弟子と 若き王子と 若き王女と」「勝ち誇る 歌声 聞こゆる わが丘に 不幸を奪いて 僕らは勝利を」と詠み贈りました。今、コロナ禍にあっても、自身の勝利を誓って負けじ魂の一歩を重ねる列島各地の友がいます。きょう15日は「中等部結成記念日」。

☆勝ちゆく君へ 第24回 さらなる広布の峰へ!
◇感謝の言葉を届けよう
多難の一年、不屈の若人は、試練を越え、地域に社会に、人間主義の「希望・勝利」の連帯を広げてくれました。
青年部を卒業する先輩たちも、よく頑張ってくれて、本当にありがとう! これからも、心を一つに戦い進もう!
日蓮大聖人は、「知恩をもて最とし報恩をもて前とす」(御書491ページ)と仰せになられました。
陰で献身している方々の労苦を知り、感謝し、讃える中に、自身と組織に、歓喜も福徳も広がる。「ほむれば弥功徳まさる」(同1242ページ)です。
感謝の人に行き詰まりなし。
年末年始、真心込めた言葉を、家族、同志、友人に届けよう!

◇誓願こそ「飛躍」の力
40年前、私は若き地涌の友と反転攻勢を開始し、九州の地で長編詩「青年よ 21世紀の広布の山を登れ」を発表しました。
私はあえて基本を訴えました。"広布の山を登るための原動力は、勤行と唱題であることを忘れてはならない"と。
誓願の祈りこそ、烈風に負けない無敵の翼だからです。
「断じて目標を達成する!」「絶対に勝つ」との強き祈りは、因果倶時なるゆえに、必ず明確に結果として現れていきます。
明年のわが目標を具体的に掲げて、新たな広布誓願の峰へ、共に挑もう! わが愛する一人一人の大いなる「飛躍」を楽しみに待っています。
(創価新報2021年12月15日付より)

☆四季の励まし 生き抜く力はわが生命に 2022年1月10日
◇池田先生の言葉
病気をした人は、
その分、
人のことを思いやれる。
慈愛が深まる。
病気は、
いろいろなことを
教えてくれる。
死を見つめたり、
生きる意味を考えたり、
人生のかけがえのなさが
見えてくるものだ。
すべて、
より高い人生の頂へと
登っていくための
通路なのだ。
教科書なのである。

生命には
「生き抜く力」がある。
「治す力」がある。
それを引き出す
最高の「大良薬」が
妙法である。
病気を
宿命転換の好機と定める。
その強き一念が、
一切の障魔を破り、
幸福への軌道を広げる。

人間誰しも
病気になることはある。
肝心なのは
「病気に負けない」ことだ。
「強い心」「負けない心」が
あるかぎり、
人間は、すべてを
プラスに転じていける。

大切なのは、
生きているうちに、
どれだけ「生命の質」を
高めることができるかだ。
長く生きることだけが、
長寿ではない。
大切なのは、
きょう一日を、
広布の前進とともに
悔いなく
生ききることである。
いくつになっても、
生きる目標を
胸中に燦然と
輝かせていくことだ。

たとえ病気になっても、
心は生き生きと!——
絶対に負けてはいけない。
戦う心まで
病魔に
食い破られてはならない。
人生の勝敗は、
途中では決まらない。
最後に勝つ人が、
真の勝利者なのである。

【写真説明】黄色のミモザ、赤紫のキンギョソウ……。色鮮やかな花々の中に、オレンジ色のアマリリスの大輪が、ひときわ輝いている。2010年(平成22年)3月、池田大作先生が都内でシャッターを切った。
人は皆、生老病死から逃れることはできない。しかし、寒風すさぶ試練の冬に耐えるからこそ、幸の花咲く春の喜びを知る。妙法に生き抜く人は「冬は必ず春となる」(新1696・全1253)。御書にはまた、「妙とは蘇生の義なり。蘇生と申すは、よみがへる義なり」(新541・全947)と。妙法は、万人に具わる"生きる力"を引き出す大法である。
苦難と戦う友と家族に、真剣な祈りと、温かな励ましを届けよう。共々に福徳と勝利の人生を目指して。(2020年12月13日付)

2022年1月14日金曜日

2022.01.14 わが友に贈る

相手をよく知り
尊敬することから
心の交流が始まる。
友の胸中に響く
大誠実の語らいを!

顕仏未来記 P509
『天台云く「雨の猛きを見て竜の大なるを知り華の盛なるを見て池の深きを知る」等云云、妙楽の云く「智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る」等云云』

【通解】
天台は法華文句に「雨の降り方の激しさから、その雨を降らしている竜の大きいことを知ることができる。蓮華の咲き方の盛んなのを見て、根を下ろしている池の深さを知ることができる」と説いている。妙楽は法華文句記に「智慧のある人は物事の起こりを知り、蛇は自から蛇を知っている」等と述べている。

名字の言 鹿児島・平島の女性から届いた喜びの報告 2022年1月14日
漆器作りの工房を訪れると、下塗り、中塗り、上塗りといった作業を丹念に行っていた。熟練の職人いわく「漆器は、心を込めて塗り重ねてこそ、美しい光沢、色艶が生まれるんです」。私たちの広布の歩みにも通じよう▼鹿児島県・十島村の平島の女性から喜びの報告があった。これまで同島の会員は彼女1人だったが昨年末、おいを入会に導き2人になった。「島の学会員が2倍になりました!」▼彼女が同島に帰郷したのは20年前。島での生活や学会活動は生易しいものではなかった。火山地帯に頻発する地震、相次ぐ台風被害……。病院や商業施設はない。その中で"池田先生の弟子らしく"と島中の人に明るく声を掛け続けた。病の人や、生活に行き詰まった人がいれば、すぐ駆け付け、親身に相談に乗った▼今、島民(45世帯91人)の多くから信頼を寄せられる灯台のような存在だ。かつて「学会はお断り」と張り紙をした人まで「何でも協力するよ」と理解者になった。今年90歳の彼女は青年さながらの勢いだ。「島の広布はこれからが本番。おいっ子と2馬力で飛躍します!」▼わが地域の幸福責任者は自分自身——この心で祈りを重ね、誠実の対話を重ねる"一人"がいれば、広布は必ず拡大する。

寸鉄 2022年1月14日
大きく明るい希望が青年の特権—戸田先生。勇敢な行動で壁破り新風を!
四国女性部の日。各地に新リーダー誕生。仲良き団結で励まし対話を拡大
「皆ことごとく法華経の妙の一字より出生」御書 諸天をも動かす祈り強く
北日本や北陸で荒天と。最新情報を鋭敏に。今日も無事故・安全を最優先
変異株の拡大、気の緩みが危険—医師。重症化少なくとも基本をもう一重

☆輝きの瞬間 1月の広布史
師弟という"縦糸"と同志の連帯という"横糸"によって織り成された民衆勝利の大絵巻が広宣流布の歴史である。新連載「輝きの瞬間」では、師弟の黄金の歴史を紹介する。今回は1月の広布史を掲載する。

◇1951年1月6日 創価班 師弟誓願の日
「私に、もし万一のことがあったら、学会のことも、事業のことも、いっさい、君に任せるから、全部、引き受けてくれないか」
事業が暗礁に乗り上げ、絶体絶命の窮地に陥っていた戸田先生は、1951年1月6日、池田先生を自宅に招き、率直に語った。恩師は広宣流布の未来を見すえ、最も深く信頼する愛弟子に一切を託そうとしていた。
池田先生は答えた。
「(戸田)先生、決して、ご心配なさらないでください。私の一生は、先生に捧げて、悔いのない覚悟だけは、とうにできております」
そして、南北朝時代の武将・楠木正成が、子の正行に後事を託した故事に、創価の師弟の姿を重ね、その日の日記につづった。
「先生は、正成の如く、吾れは、正行の如くなり。奥様は、落涙。此の日の、感動、厳粛、感涙、使命、因縁、生き甲斐は、生涯、忘るることはない。後継者は、私であることが決まった」
池田先生は、"断じて、戸田先生に、次の会長になっていただく"と誓いを立て、祈りに祈り、阿修羅のごとく逆風の中を突き進んでいった。命を削って師匠を守り抜いた。
その後、事業の整理が劇的に進み、この年の5月3日、戸田先生は第2代会長に就任した。
26年後、77年の1月6日、結成間もない創価班の第1回総会が開催。この日に行うことを提案したのは、池田先生だった。戸田先生の後継者たる自覚を深めた歴史的な日に、学会厳護の気迫みなぎる創価班に、万感の期待を寄せたのである。
池田先生は席上、創価班に対し、「創価学会の未来万年にわたる盤石な基盤を構築することに一切の使命がある」と師子吼。以来、創価班は各地で、成長と勝利の実証を示してきた。
「1・6」は2012年、「創価班 師弟誓願の日」に制定。10周年の今この時、一人一人が史上最高の拡大をと誓う。

◇1982年1月10日〜15日 雪の秋田指導
そこには白銀の世界が広がっていた。
1982年1月10日、池田先生は秋田に降り立った。第1次宗門事件で「東の秋田、西の大分」といわれるほど、秋田では宗門僧らが、聞くに堪えない創価学会への罵詈雑言を繰り返した。
前年の秋から本格的な「反転攻勢」を開始した先生は、「愛する秋田に必ず福徳爛漫の春を呼ぶのだ」と深く心に期していた。
待ち望んだ師匠の訪問に、出迎えた同志の喜びがはじけた。「雪の秋田指導」の始まりである。
空港から"戦い"は開始された。秋田文化会館(当時)までの途上、先生はメンバーを見つけては車から降り、同志と絆を強く結んだ。計9回、"街頭座談会"を行い、記念の写真に納まった。
県幹部会や懇談会など、先生の真剣勝負の激励が続いた。13日には、自由勤行会が行われ、2度にわたって記念撮影会も開かれた。正午過ぎ、前夜からの雪が降る中、先生はマイクを握った。
「この力強い、はつらつとした皆さんの姿こそ、あの『人間革命の歌』にある『吹雪に胸はり いざや征け』の心意気そのものです」
「皆さんの健闘と、大勝利を祝い、勝ち鬨をあげましょう!」
雪空に民衆勝利の凱歌が響き渡った。先生は後に、行事の成功を自宅で祈り、見守った友に「雪の秋田指導 栄光グループ」との名を贈った。
秋田をたつ前日の14日、第1回秋田県青年部総会が開催された。先生はスピーチの後、会場の出口付近で、高らかに宣言した。
「きょう、私は正式に語っておきます。自分が思うと思わざるとにかかわらず、諸君は池田門下生であると思っています。信頼しています!」
15日までの6日間の滞在で、先生は、約1万人の求道の友に激励を送った。会えなかった同志にも、励ましの手を差し伸べた。
今年は「雪の秋田指導」から40周年の節目。寒風に胸張る秋田の友の胸中に、広布飛躍への誓願がいや増して燃え上がる。

◇1965年1月15日 中等部の結成記念日
未来部は、池田先生の会長就任後、初めて結成された部だ。1964年6月1日、高等部と中等部の設置が発表され、7日に高等部が結成。学会は未来への飛翔を加速させていった。
翌65年、小説『人間革命』の連載が、聖教新聞元日号からスタート。2週間後の1月15日に、中等部の結成式が全国各地で行われた。中等部をはじめ未来部のメンバーは発足当初から、『人間革命』の研さんを通し、信心の土台を築いていった。
当時の『青少年白書』には、犯罪の低年齢化などが指摘されていた。青少年へ希望を届けることは、社会の課題だった。
先生は結成式の前日、「信心」「勉強」などの観点から五つの指針を贈った。この年の8月には、中等部の代表と記念のカメラに納まり、激励している。
御書講義や決意署名など、未来部員の成長を願い、先生は具体的な手を打った。その思いを、こう語った。
「すべては真剣さだよ。私は、二十一世紀のことを真剣に考えている。その時に、誰が広宣流布を、世界の平和を、担っていくのか。誰が二十一世紀に、本当の学会の精神を伝えていくのか。それは、今の高等部、中等部のメンバーに頼むしかないじゃないか」
21世紀を目前にした2000年4月、聖教新聞紙上で「希望対話」の連載が開始された。第1回で、先生は中等部への万感の思いを述べた。
「私は、中学生のみなさん全員が、晴ればれと『勝利』してもらいたい。『すばらしい日々だった!』と満足できる青春であってもらいたい。そのためなら、何だってしてあげたい」
友情や進路の悩み、いじめなど、さまざまなテーマで、先生は多感な中学生に渾身のエールを送った。師の言葉は、多くの友の心を鼓舞した。
21世紀の今、かつての中等部員たちが、先生の心をわが心として、後継の宝の友たちに励ましを送っている。

◇1962年1月25日 「大阪事件」の無罪判決
1957年7月3日、池田先生は事実無根の選挙違反容疑で逮捕・勾留された。「大阪事件」である。新たな民衆勢力の台頭を恐れる権力の策謀だった。
同年10月18日から裁判が始まった。先生は日記に記した。「友よ、次の勝利に、断固進もう。俺も、戦うぞ」
日本の司法制度では、起訴されてしまえば、無罪を勝ち取ることは困難を極める。担当の弁護士たちは、池田先生に「有罪は覚悟してほしい」と弱腰だった。
青年部出身の学会幹部たちは憤りを覚えた。彼らは大阪事件の発端から一切の経過を洗い直し、対策を検討した。60年の年末には、弁護団の強化を先生に進言する。
先生は「弁護士陣はそのままで」と述べた後、確信を込めて語った。
「戸田先生は私に、『最後は勝つ。金は金だ。いくら泥にまみれさせようとも、その輝きは失せるものか』と言われた。先生のその言葉が、私に無限の勇気と確信を与えてくれるんだよ。先生の言葉には嘘はないもの」
公判は84回に及んだ。先生は23回、法廷に立った。時には、自ら検事たちに質問し、その証言の矛盾を突いて真実を明らかにした。最終陳述では「学会が選挙運動を行うことは、国民としての権利を行使するものである」と堂々と訴え、拷問に等しい学会員への取り調べを批判した。
62年1月25日、判決の日。池田先生の「無罪」を告げる裁判長の声が法廷に響いた。
裁判を終えると、すぐに先生は関西本部に戻り、恩師の遺影に勝利を報告した。この日、先生は語っている。
「むしろ、戦いはこれから始まるのだ。一つの段階を越えると同時に、次の段階へ向かってスタートする。これが本因妙の仏法のゆえんだよ」
無罪判決の翌日、本部幹部会が開催された。席上、新たに誕生した公明政治連盟(当時)の支援が発表された。次の段階へ、学会はスタートを切ったのである。

2022年1月13日木曜日

2022.01.13 わが友に贈る

「かまえてかまえて
御用心候べし」御聖訓。
大雪・暴風雪などの
気象情報を常に確認し
くれぐれも安全第一で!

御講聞書 P843
『然りと雖も諸天善神等は日蓮に力を合せ給う故に竜口までもかちぬ、其の外の大難をも脱れたり、今は魔王もこりてや候うらん』

【通解】
(第六天の魔王自身が邪魔をしてきても)諸天善神等は日蓮に力を合わせてくださったゆえに、竜の口の法難さえも勝つことができた。
そのほかの大難を切り抜けることができた。今は魔王も、懲りていることであろう。

名字の言 "市の風にあてる"——社会学者の幼少体験から 2022年1月13日
社会学者の加藤秀俊氏は、幼少期の記憶の中でも特に鮮明に残っているのは、さまざまな行商人の姿だと自著に記している。御用聞きに来た魚や酒を扱うあきんどと、家族が玄関先でやりとりをする際、幼い氏を同席させたからだ▼当時は、「市の風にあてたこどもは強くなる」という庶民の思想があったという。"市の風にあてる"とは、家族以外の人と接することで世間を知り、見知らぬ世界への目を開く機会になるという考えである(『暮らしの世相史』中公新書)▼人は他者との関わりを通じて、世間や社会を知っていくものだろう。それが社会の中にいる自分を知ることにもつながる。現代は文明が発達し、生活が便利になる一方、人と直接的に関わる機会が減少傾向にあり、孤立や地域の絆の希薄化の一因になっていると指摘されている▼日頃の学会活動の大切さを改めて思う。老若男女が集う座談会で、未来部や青年部の友は、さまざまな立場の大人と接し、まさに"市の風"にあたっている。訪問・激励、少人数の集いなども、しかりである▼暮らしの場に根差した、地道にして着実な私たちの活動は、人間的成長の確かな大道であり、地域の安心と信頼のオアシス。その誇りを胸に挑戦を重ねよう。

寸鉄 2022年1月13日
「法華経を持つ者は必ず皆仏なり」御書。全員が使命の人。励ましに全力
友の幸せを祈り、妙法を語ることが最高の友情—恩師。勇んで対話拡大を
創大・短大の一般入試出願締切迫る。世界市民を育む学舎に英才よ来れ!
電池の火災事故に警戒。ネット通販に粗悪品も。激安謳う商品は特に注意
"訪問買取"問題多発と。貴金属を強引に安く買い叩く業者も。騙されるな

☆清新な決意にあふれた総千葉の県区長会。2・16「千葉の日」へ、人材の裾野を大きく広げゆく
総千葉の県区長会は11日、船橋池田講堂で朗らかに。中井関東長の後、中嶋同総主事、河村総千葉総合長が人事を紹介。内田智代さん、月田隆さんが新任の抱負を述べた。�木総千葉長、川浪同女性部長が「私の飛躍が地区の飛躍と定め、心一つに励ましの連帯を広げよう」と語った。
杉本総合女性部長は、日蓮大聖人御聖誕の地・千葉から新たな勝利の旭日をと強調。原田会長は一人一人が求道心を燃え上がらせ、圧倒的な行動力で広布拡大の突破口を開こうと呼び掛けた。

☆第6回本部幹部会への池田先生のメッセージ
一、年頭より、日本でも世界でも、わが地涌の青年たちを旗頭として、創価家族は舞を舞うがごとく、「大法弘通」、そして「慈折広宣流布」という人類の幸福と平和への新たな飛躍の大行進を開始しました。
立宗770年の新春に、御本仏・日蓮大聖人の御賞讃は、いかばかりでしょうか。
弘安3年(1280年)の正月、若き南条時光を讃えられた御聖訓を、全宝友に贈りたい。
「花は開いて果となり、月は出でて必ずみち、灯は油をさせば光を増し、草木は雨ふればさかう。人は善根をなせば必ずさかう」(新1897・全1562)と。
22世紀へ「立正安国」の襷を君に 青年よ正義のトップランナーたれ

一、今日は凜々しき新成人の皆さん、晴れの門出、誠におめでとう!(大拍手)
今、私は1・26「SGIの日」に寄せる40回目となる平和提言を、「若者」と「女性」、そして「子ども」の未来に大きく光を当て、準備を進めております。その中でも論及しますが、国連の推計によれば、21世紀の末までに、この地球上には109億人に及ぶ人々が誕生すると言われています。
創価の師弟は、大聖人が「開目抄」に明かされた「法華経を弘めて未来の一切の仏子にあたえん」(新120・全236)という仏の大誓願を、そのまま受け継いできました。そして新成人をはじめ今の青年部、未来部の皆さん方こそ、21世紀から22世紀へ「立正安国」の襷、「令法久住」の襷を担う、正義と人道のトップランナーなのであります。どうか、この誇り高き使命に胸を張って、さっそうと負けじ魂の力走を頼みます。
仏法の永遠の生死観から見るならば、「妙とは蘇生の義なり」(新541・全947)と仰せのように、これまで広布の途上で逝去された同志も、仏縁を結んできた方々も、共に偉大な地涌の生命力をたたえて、必ずや澎湃と世界の平和と共生を築く陣列に躍り出てくることを、私は確信してやみません。

一、思えば、半世紀前に私が対話を開始した、20世紀最高峰の歴史家トインビー博士も、21世紀に照準を合わせておられました。
そして創価学会が実践してきた「中道」こそ、21世紀に生きる人類の歩むべき正しき道であると、絶大なる信頼を託してくださったのです。
妙法の力用は無量無辺 "一切衆生の仏性を喚び顕す"
牧口・戸田両先生が共に御書に線を引いて大切にされていた御金言があります。それは、女性の門下に贈られた「法華初心成仏抄」です。
すなわち、「一度妙法蓮華経と唱うれば」「一切衆生の心中の仏性をただ一音に喚び顕し奉る功徳、無量無辺なり」(新703・全557)との一節です。
妙法には、全人類、さらに過去・現在・未来を貫いて一切の森羅万象から、仏性を喚び顕しゆける計り知れない力用があります。

一、あの70年前の二月闘争の折、私は蒲田支部の同志と報恩の弘教に奔走しながら、凍てつく夜空に冴え光る満天の星を、よく仰ぎました。そして広大な宇宙の中で、久遠からの誓いの友と、妙法流布に生き抜く「歓喜の中の大歓喜」のロマンを朗らかに語り合ったのです。
私たち青年の奮闘に応え、戸田先生が「地球民族主義」という遠大なビジョンを示してくださったのも、この二月闘争のただ中です。
その恩師の大境涯を偲びつつ、かつて元旦に認めた一対の書を、わが同志に贈ります。
一つは「大心」——「大いなる心」。
そして、もう一つは「大桜」であります。
この一年、全世界の宝友と共々に、大きな大きな心で、地域も、国土も、地球も、いやまして妙法の大功力に包んでまいりたい。
そして「冬は必ず春となる」(新1696・全1253)と、広布と人生の「大桜」を福徳満開に咲かせゆくことを決意し合って、新年のメッセージとします。

2022年1月12日水曜日

2022.01.12 わが友に贈る

広布の目標の達成へ
まず自分が挑もう!
この決意と実践に
信仰の歓喜が湧き
無量の功徳が咲き薫る!

船守弥三郎許御書 P1446
『しからば夫婦二人は教主大覚世尊の生れかわり給いて日蓮をたすけ給うか』

【通解】
そうであるなら弥三郎殿夫婦二人は教主大覚世尊が生まれ変わられて日蓮を助けらてたのであろう。

名字の言 悲しみを乗り越えた先に 2022年1月12日
琉球王国を代表する政治家・程順則は、名護間切の総地頭を務め、その功績と人徳から"名護聖人"と呼ばれた。琉球初の学校を設立し、教育者としても名高く、数多くの琉歌を詠んだ▼「意見寄言や 身ぬ上ぬ宝 耳ぬ根ゆ開きてぃ 肝に止みり」(人の意見や教えは宝。耳を開いて心に留めなさい)——"教育こそ国を豊かにする"と訴えた氏は、4人の子に先立たれる悲しみを乗り越え、人材育成と地域の発展に尽力した▼沖縄の名護に、過酷な宿命と戦い抜いた女性部員がいる。彼女は長男を病で亡くし、2人の幼い娘も火事で失った。師の渾身の励ましで失意の底から立ち上がり、夫と共に地域を対話に歩いた▼中傷や冷笑にも決して負けなかった。誠実に語り歩く中、周囲は次第に耳を傾け始める。愛する子を亡くしながら蘇生した夫妻の体験は、沖縄戦で家族を失った多くの人々の胸を打ち、共感を生んだ。後に夫妻は地域の要職に就くなど、地元の発展にも尽くした▼池田先生は「大変な宿命を背負っているということは、同時に大使命を担っていることになる」と。自身の宿命の転換は、万人を奮い立たせる力となる。広布の先人が歩み抜いた「人間革命の大道」に学び、勇気の一歩を踏み出したい。

寸鉄 2022年1月12日
「人法を弘むるが故に、人法ともに尊し」御書。先駆の対話の勇者に福徳燦然
神奈川・湘南総県の日。大聖人有縁の天地で正義の連帯拡大。希望の春へ
集団の中で助け合えれば幸福度は高くなる—学者 地域部の友の活躍が証明
日本海側で大雪の恐れ。無冠の友よ呉々も無事故第一で!健康と安全祈る
年末年始の感染は6割が若年層と。意識と行動の変革を。危機に皆で応戦

〈社説〉 2022・1・12 御書と共に希望の春へ
◇民衆に光送る創価の教学運動
「ずっしりと重い、真新しい御書を開く。『わあ、字が大きい』と思わず声を上げた。『これなら眼鏡なしでも読めるね』と言うと、夫も『そうだね』とうなずいた」。先日、「声」欄に掲載された投稿である。
昨年11月18日の『日蓮大聖人御書全集 新版』の発刊を機に、研さんの息吹が一段と高まっている。新たに全編拝読を始めた方も多い。早速、新しい御書を手に、仏法対話に挑戦した友もいる。
山形市の女性の投稿には、34年前、小学校に入ったばかりの次男を病で亡くした際のエピソードがつづられていた。悲しみに沈んでいた時、同じ体験を持つ先輩に激励され、唱題に励み始めた。
その中で次の一節に出あった。「大地はささばはずるとも、日月は地に堕ち給うとも、しおはみちひぬ世はありとも、花はなつにならずとも、南無妙法蓮華経と申す女人の、おもう子にあわずということはなし」(新1921・全1576)。最愛の子を亡くした上野尼御前への日蓮大聖人の励ましの一文である。「またきっと次男に会える」と思えた女性は、心に光が差し込んできたという。それからは何度もこの御書を拝し、元気に学会活動に取り組んできた。
広布の伸展は、御書と共にあった。池田先生が若き日、戸田先生の命を受け、「地区講義」に臨んだのは1951年(昭和26年)9月。戦後間もない時代。読み書きが難しい人も多い中、受講者は、池田先生の講義を通じて、大聖人の仏法に触れる喜びを知った。「そこには、既成仏教の『僧侶』と『檀家』という関係では成し得なかった、民衆仏法による"新たな教学運動"の光景が生き生きと広がっていた」(本紙12月24日付「君も立て」〈地区講義�〉)
師弟による民衆の教学運動が基盤となって、人々は宿命を乗り越える方途を知り、人生や社会を変えゆく使命に目覚めていった。それが学会の誉れの歴史である。
読者の投稿の中で最も多く取り上げられる御文の一つが、「法華経を信ずる人は冬のごとし。冬は必ず春となる」(新1696・全1253)である。試練の冬を経験した人が思うのは、苦しみの日々も決して無駄ではなく、意味があったということ。桜もまた厳冬に耐えて地中深くに根を伸ばし、花を咲かせる力をたくわえるのだ。
さあ、御書と共に希望の春に向かって、朗らかに進みゆこう。

☆希望の指針——池田先生の指導に学ぶ 仏法対話
◇芽吹きの春は もうすぐそこに
連載「希望の指針——池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を紹介します。今回は仏法対話に挑戦する友へ、折々の随筆から、励ましの言葉を掲載します。

◇不軽菩薩のように
会う人ごとに、「あなた方を敬います、あなた方は皆、菩薩道を行じて必ず成仏するからです」と深く礼拝した不軽菩薩は、皆から猛反発を受け、悪口罵詈、杖木瓦石を浴びせられた。
相手を敬っているのに、反発される。生命の大地を破って眠れる仏性を呼び覚ます精神革命には、それだけ根強い抵抗があるのだ。
しかし、最初は反発があっても、偉大な妙法を説き聞かせたことは、必ず仏性を薫発する縁となる。相手の成仏の因を作ったのである。これが「毒鼓の縁」という法理である。
広宣流布の戦いに無駄なものなど、何一つない。友人の反応に一喜一憂し、前進を止めてしまうことこそが、無慈悲である。
(『随筆 対話の大道』、38ページ)

◇誠実な振る舞い
十九歳で信心した私もそうだったが、広大深遠なる仏法を完璧に理解して入会する人などいない。
「宿命転換」等の哲理を語る学会員の言葉の端々に溢れる確信に、心を動かされた人もいる。何よりも、紹介者の誠実な振る舞いへの信頼や、自分を思ってくれる真心への感動に、背中を押されるものだ。
近年、興味がない、悩みがないなどと、無関心で無気力な反応をする若者も多いといわれる。だが、その人を思う、こちらの真心は必ず伝わっている。
(『随筆 対話の大道』、44ページ)

◇慈悲と勇気
折伏は難事中の難事なりと、御書に明確に説かれている。勇気なくしては、成し遂げられない。
恩師は常々、言われた。
「凡夫には慈悲など、なかなか出るものではない。だから慈悲に代わるものは『勇気』です。『勇気』をもって、正しいものは正しいと語っていくことが『慈悲』に通じる。表裏一体なのです。表は勇気です」
(『随筆 対話の大道』、20ページ)

◇縁によって変わる
人の心は、他者との触れ合いという「縁」によって、大きく変わることができる。
足取り軽く、友のもとへ行こう! 語ろう!
動けば、何かが変わる。直接、会えば心が近づく。誠実に語れば、一歩、強い絆が生まれる。
気どらず、気負わず、誠心誠意の対話で、友の心を開拓していけばよいのだ。
(『随筆 幸福の大道』、96ページ)

◇五十展転の功徳
法華経の随喜功徳品には「五十展転の功徳」が説かれる。法華経の法理を聞いて歓喜した人が、別の人にその話を伝え、聞いたその人がまた次の人に自身の歓喜を語る。そうして五十人目の人が聞いた功徳も甚大であるという法理だ。
「信心はすごいよ!」とありのままに歓喜を語れば、既に立派な折伏である。その体験を語る側も聞く側も、共に福徳の花を爛漫と咲かせる因を積んでいけるのだ。
ゆえに、すぐに対話が実らずとも、落ち込むことも、焦ることもない。
「いよいよ悦びをますべし」(全203・新74)との御聖訓のままに、自信満々と、喜び勇んで次の友へ、また次の友へと、語り広げていけばよい。その弛まぬ実践に、新たな「五十展転」のドラマが生まれるのである。
(『随筆 民衆凱歌の大行進』、102ページ)

◇聞法下種
勇気を奮って、たった一言「この仏法はすごいよ」と語るのが、精一杯の時もあろう。それも、立派な折伏である。
相手がまともに聞いてくれない時もあるかもしれない。それでも、友の胸中に具わる仏性には必ず届き、響いている。深き生命の次元から見れば、仏の種子は蒔かれ、やがて必ず芽吹く春がやってくるのだ。
これが聞法下種である。
誰が見ていようがいまいが、粘り強く、対話を貫くことだ。その人こそが、一切衆生を救済するという「仏の仕事」を、現実の上で行っている最高に尊い「仏の使い」なのである。
(『随筆 平和への大道』、120ページ)

◇友への思いやり
折伏は、友情を深め、信頼を勝ち取っていくものでなくてはならない。
表面的な語らいはあっても、真実の対話がない現代である。
だが、折伏は、ともに真実の充実した幸福の道を歩みゆこうとの、友への深い思いやりの触発の語らいである。
人生の価値とは何か、何が正しく、何が悪なのかを、時に生活に即し、時にみずからの体験のうえから語り合う真心の仏法対話は、これ、人間主義の王道であり、それが折伏だ。
(『池田大作全集』第129巻、232ページ)

◇シビレエイ
ソクラテスは、青年への彼の感化力を、触れる者を皆しびれさせてしまう海の「シビレエイ」に譬えた意見に対し、「自分自身がしびれているからこそ、他人もしびれさせる」と応じた。
自分が燃えずして、どうして人を燃えさせられよう!
自分が戦わずして、どうして人がついてこよう!
皆の魂に、広宣流布に生き抜く「誓い」の炎を点火するのは、わが命を賭した闘魂の炎しかないのだ。
(『池田大作全集』第137巻、127ページ)

2022年1月11日火曜日

2022.01.11 わが友に贈る

近隣や職場の人に
いつも笑顔で挨拶を!
その積み重ねから
友情のドラマが始まり
信頼の花実を結びゆく。

開目抄上 P202
『在世猶をしかり乃至像末辺土をや、山に山をかさね波に波をたたみ難に難を加へ非に非をますべし』

【通解】
釈尊の在世でさえ、なお法華経には怨嫉が多かった。まして像法・末法において、また(日本のような)遠く離れた国においては、なおさらのことである。山に山を重ね、波に波をたたむように、難に難を加え、非に非を増すであろう。

名字の言 創大駅伝部のタスキリレー 2022年1月11日
「駅伝では何が起きるか分からない」といわれる。気温や風などの気象条件、選手が自分のペースを築けるかなどによって、展開は大きく変わる。選手たちは、さまざまなことを想定して、レースに挑む▼創価大学駅伝部は、前走者が次走者の左側に回り、次走者はタスキを左手で受け取ることを徹底している。箱根駅伝では、中継所が走者から見て左側に設置されている。そのため、タスキを受け取った次走者は右側に寄り、走り終えた前走者は左側に逸れる。右側からタスキを渡すと、選手同士がぶつかる危険が少なからずある▼そこで、同部の榎木監督は、先の方法でタスキの受け渡しを行うよう指示。本紙4日付に掲載された今大会のタスキリレーの写真は、全てそうなっている。3年連続のシード権獲得には、細部まで勝負にこだわる工夫が隠されていた▼目標の成就には、必ず小事を積み重ねる執念がある。"これくらいで十分だ"という妥協などない。現状に満足することなく、常に上を目指して挑戦を続ける中で、大きな戦いの勝利は開かれる▼タスキをつなぐ選手たちの力走は、今年も筋書きのない感動を数多く生んだ。私たちは「わが人間革命の力走」で、幾つもの励ましの足跡を刻もう。

寸鉄 2022年1月11日
必ず勝つと決めるかどうかで勝敗は決まる—恩師 若師子よこの気概で進め
副役職の友が動けば組織に勢いが。長と心一つに励ましの大光を隅々へ!
「能く能く諸天にいのり申すべし」御書。環境をも変える仏法だ。大確信で
真の偉大さは、苦にも楽にも喜悦できる力—文豪 勝利の劇の主人公は自分
つながろうとする努力で脳も活発に—医師。人生100年時代を豊かにする鍵

☆御書と未来へ 第1回 幸福と平和の聖典と共に
〈御文〉
『この文には日蓮が大事の法門どもかきて候ぞ、よくよく見ほどかせ給え、意得させ給うべし』(諸法実相抄、新1792・全1361)

〈通解〉
この手紙には日蓮の大事な法門を書いておきました。よくよく読んで理解し、心に刻んでいきなさい。

〈池田先生が贈る指針〉
御書には、全人類の幸福と平和の道が示されている。この聖典を根本とし、御書を身読された先師と恩師を基準として同志と走り続け75星霜。絶対に悔いのない正しき人生がここにあると、宣言したい。
この一年、新たな求道の心で、日々、御書を開いて御本仏と対話しながら、生命の飛躍を! 希望と共生の未来へ!

☆子どもと学ぶ 日蓮大聖人の御生涯 第3回 良観との祈雨の勝負
鎌倉幕府(武家の政府)の人たちは、大あわてです。
「大変だ! このままでは、日本が攻められてしまう!」

日本のすぐ隣の、蒙古という巨大な国から「我々の言うことを聞かなければ、日本に攻め込むぞ」という手紙が届いたのです。

この話を人づてに聞いた日蓮大聖人さまは、口を固く結んで海を見つめています。

実は、大聖人さまが幕府に届けた「立正安国論」の中で、"もし人々がこのまま間違った教えを信じ続けるならば、やがて仲間の中で争いが起こり(自界叛逆難)、他の国からも攻められてしまう(他国侵逼難)"ということを、すでに書いていたのです。

「私が恐れていたことが、現実になってしまった。人々が争いに巻き込まれ、これ以上、苦しむようなことがあってはならない。あらためて、正しい教えを弘めていくべきである」

早速、大聖人さまは、幕府の偉い人たちや鎌倉の大きなお寺の僧侶たちに話し合いを求めましたが、皆、それを無視しました。

それどころか、大聖人さまへ、さらに強い迫害を加えていきます。
その中心に、極楽寺良観という僧侶がいました。

良観は、鎌倉の人々に自分のことを"立派な仏さま"であるかのように思わせておいて、裏では幕府と手を結び、悪いことをしていました。

そんな良観にとって、本当の教えを説く大聖人さまは、邪魔な存在でした。

ある夏のこと。雨が全く降らない日が続きました。
日頃から"雨を降らすことができる"と自慢していた良観は、雨が降るように祈ることにしました。

そのことを知った大聖人さまは、良観に「7日のうちに一滴でも雨を降らせたならば、私は良観どのの弟子になりましょう。もし雨が降らなければ、良観どのが法華経の教えを信じなさい」と、勝負を申し入れました。

良観は「これで日蓮をこらしめられる!」とニヤリ。すぐに多くの弟子を集めて、朝から晩まで毎日、必死になってお経を唱え続けました。

ところが、どれだけ祈っても雨は降りません。
さらに7日間、祈り続けても、雨は降らないどころか、激しい風がビュービューと吹き荒れました。

大聖人さまは、良観に厳しく迫ります。
「あなたは、雨を降らすことさえできないのに、どうして大事な成仏が、かなうというのか」

良観は、恥をかかされたと怒り、顔を真っ赤にします。
「日蓮め、絶対に許さぬぞ!」

後に、良観は幕府の人たちへ、「日蓮という悪い僧侶が、人々をだましている」と、うそを言いふらしました。

その話を信じた幕府の人たちが、大聖人さまをつかまえようと動きだしたのです。

[道しるべ]予言の的中
日蓮大聖人が文応元年(1260年)に北条時頼へ提出した「立正安国論」。そこでは、人々が悪法を信じて正法を用いなければ、やがて「自界叛逆難」と「他国侵逼難」の二難が起こると警告しています。
ところが、幕府はこれを黙殺。その後、「自界叛逆難」は12年後の文永9年(1272年)の二月騒動(北条一門の内部の争い)となって、また「他国侵逼難」は蒙古襲来(14年後の文永の役、21年後の弘安の役)となって現れました。
こうした予言の的中は、大聖人が経文に照らして、現実の社会を深く洞察した結果であるといえます。大聖人は、当時の悪僧と悪政によってもたらされた人々の思想の乱れを鋭く見抜かれた上で、民衆を救済するために、"何としても未然に争いを回避しなければならない"との御心情から、国主を諫暁(諫め暁す)されたのです。
池田先生は語っています。
「大事を事前に察知する力は、まさに智慧の発現です。
その智慧は、真剣にして深い慈悲の結実と言える。民衆に不幸をもたらす大事を未然に察知する智慧は、一切衆生を救済されんとする御本仏の大慈悲に基づくものなのです」
万人の幸福を願う、御本仏の偉大な精神闘争——。ここに、大聖人の予言の本質があると拝せます。

[地図・関連年表]
文永5年(1268年)閏1月(47歳)
蒙古の国書(外交文書)が幕府に届く
同年10月11日
北条時宗らへ諫暁の書(十一通御書)を送る
文永6年(1269年)11月(48歳)
再び各所に諫暁の書を送る
文永8年(1271年)(50歳)
祈雨の勝負で極楽寺良観を破る
(聖寿は数え年)

2022年1月10日月曜日

2022.01.10 わが友に贈る

◇今週のことば
「行学の二道を
はげみ候べし」
新成人よ、希望前進を!
新任幹部よ、先駆常勝を!
幸と平和の大道を楽しく。
2022年1月10日

四条金吾殿御返事 P1151
『申すままにて候あいだいのり叶いたるやうにみえて候』

【通解】
(池上宗仲らの勝利について、日蓮大聖人の)言った通りにされたから、祈りが叶ったようです。

名字の言 新成人の友へエールを 2022年1月10日
池田先生は2007年1月、「全世界の新成人を祝福して、これから10年間、毎年、よき場所に、記念の植樹を」と提案した。以来、2016年まで毎年、国内外の学会施設から植樹する場所を選び、実施。1年目は東京牧口記念会館の敷地内にクスノキが植えられた▼成長は遅いが、やがて大木となるクスノキになぞらえ、進み方はゆっくりでも学問を大成させることを「楠学問」という▼2007年1月に新成人となり、現在35歳の男子部員がいる。彼は小学校教諭として奮闘し、学会では勇気の調べを送る音楽隊で活躍している▼今日まで彼が歩んだ道は険しかった。教員採用試験は9度目の挑戦で合格した。その間、最愛の母を病で亡くしている。先生は先の「新成人の木」を植える意義を語った。「苦労した人が、最後は勝利します。青年には、どんな苦難にも負けないでほしいと願って植樹したものです」。その言葉に彼の姿が重なる▼新成人は"大人の仲間入り"。仏法には「大人」との言葉がある。意味の一つは「大丈夫な人」。御聖訓の「浅きを去って深きに就くは、丈夫の心なり」(新612・全509)の精神のままに、使命の大道を心新たに歩みだした新成人の友へエールを送りたい。

寸鉄 2022年1月10日
秋田・師弟原点の日。雪の激励行40年の佳節。師の雄姿胸に新たな勝ち鬨を
各地で新出発の幹部会。「任命から3カ月が勝負」全員が新幹部との自覚で
「成人の日」おめでとう! 試練の時代に生きゆく皆さんは創立100周年の主役
日常生活に「悩みや不安」77%で過去最高—調査。抜苦与楽の励まし今こそ
110番の日。事件・事故など緊急時は迷わず利用を。相談事は「♯9110」へ

☆トインビー対談開始50周年 「生命論」を世界に開く第一歩
本年5月、池田先生と歴史学者のアーノルド・J・トインビー博士が、イギリスのロンドンで対談を始めてから50年を迎える。"現代の百科事典"とも評される2人の対談は、今こそ智慧の光を放つ。

「創価学会は生命論に始まり、生命論に終わるといってよい」——池田先生は1972年(昭和47年)秋の本部総会でこう述べ、戸田城聖先生の獄中の悟達にこそ「創価学会の原点があった」と強調した。
この年は、3年後に『二十一世紀への対話』(文藝春秋。英語版のタイトルは『生への選択』オックスフォード大学出版局)として発刊されるトインビー博士との対話が始まった年でもある。

◇「いかに人生を生きるべきか」
対談の初日。2人は語り合うべきテーマを三つ定めた。

一、人間とは何か。いかに人生を生きるべきか
二、世界平和を実現する方法
三、生命の根源

先生は語る。「この世の中で、ある分野で専門的に深い人はいるでしょう。しかし、その個々の学問・社会運動の根源となるもの、すなわち〈生命の尊厳とは何か〉とか〈人間とは何か〉について総体的・本質的な視点から見透かす人は少ない。私はこの"根源的なもの"をずっと探究し続けてまいりました。博士も同様と思いますが……」
博士は「実は私も、そこの点の話をだれかとしたかったのです」と。「私はまだ根源なるものをわかったわけではありませんが、このたびの対談でベストを尽くさせていただきます」
2年にわたる対話は、洋の東西を結ぶ生命論になった。人類は「宿命転換を、はたして成し遂げられるでしょうか」(『二十一世紀への対話[上]』聖教ワイド文庫、325ページ)——これは博士から先生への問いである。
とりわけ博士が注目していたのは、仏法で説かれる「菩薩」の生き方だった。
「単独で、じぶんひとりのために、涅槃に入るというだけでは不十分だということを、仏陀は身をもって説いた」。
また、人のために悩むほうが「悩みから自分自身を解放するよりもすぐれた道である」とも(「一歴史家の宗教観」、『トインビー著作集4』社会思想社)。
師匠の仏も弟子の菩薩も「この苦悩の多い世界にとどまるためにあえて安息の境地にはいろうとしないのである」(「現代宗教の課題」、同)——これが博士の大乗仏教観だった。
先生との対話は、国境や世代を超えて共有すべき"人としての道"を探る旅でもあった。

◇「対話に基づく民衆運動」を支える言葉
イギリスSGI副総合婦人部長などを歴任してきたバーバラ・ケイヒルさんは対談の翻訳スタッフとして力を尽くした。
「対談のテープ起こしを手伝った時、私は池田先生が話される視点にとても興味を持ちました」「なぜかというと、私はその時初めて、"創価学会の外側"で、"学会員ではない人"に対して、先生が仏法をどう表現されるのかを聞いたからです」と述懐する。「当時はまだ、ロンドンの私たちが英語で読むことのできる御書は、機関誌に載るわずかな部分だけでしたから」(『民衆こそ王者14』潮出版社)
例えば「十界論」。先生はトインビー博士の愛読書でもあるダンテの『神曲』に言及し、「地獄」「煉獄」「天国」と「十界」のそれぞれを並べて論じた(『二十一世紀への対話[下]』93ページ)。環境問題を巡っては「依正不二」を(同[上]70ページ)、「宿業と自由」がテーマになれば「人間革命」を語った(同[下]205ページ)。
一念三千、色心不二、生死不二。空仮中の三諦、同苦……先生は学会員になじみ深い言葉と道理を駆使しながら、「生きた宗教」の指導者として、地球的問題群の解決の道を探る挑戦を始めたのである。
翻訳スタッフの一人だったスー・ソーントンさんは、池田・トインビー対談こそ、池田先生が創価の連帯を"対話を基にした世界的な民衆運動の団体"に導くための最初の一歩になったと語る。
本格的に日蓮仏法の生命論を切り開く序章となった『二十一世紀への対話』。コロナ禍が続く現代において、本書からくみ取るべき智慧は多い。

◇翻訳された30言語の一覧
さまざまな言語に訳された池田・トインビー対談。同書の目次は「人間の動物的側面」から始まり「至高の人間的価値」で終わる。その中に77のテーマが論じられ、全編を通して「人はいかに生きるべきか」という問いに貫かれている

2022年1月9日日曜日

2022.01.09 わが友に贈る

団結を強める要諦は
自らが一人立つことだ!
燃え上がる信念から
「二人・三人・百人と」
共戦の炎は必ず広がる!

四恩抄 P938
『只法華経の故に罵詈毀謗せられて刀杖を加えられ流罪せられたるを以て大聖の臂を焼き髄をくだき頭をはねられたるになぞらへんと思ふ、是れ一つの悦びなり』

【通解】
ただ法華経を弘める故に、罵詈・毀謗され、刀杖を加えられ、流罪された事をもって、昔の大聖が臂を焼き髄を砕き頭をはねられた事になぞらえようと思う。これが第一の悦びである。

名字の言 「鬼にかなぼう」=「虎に翼」 2022年1月9日
日本で「百獣の王」といえばライオンだが、お隣の中国では虎だという。今年の干支である「寅」は「寅虎」とも書く▼春秋戦国時代の思想書『韓非子』が出典のことわざに「虎に翼」がある。地走るものの王たる虎に空飛ぶ翼を与えると、強い者にさらに力が加わって天下無敵になるという意味だ。それゆえ勇猛な将軍は「虎将」と称された。小説『三国志演義』で「五虎将軍」と呼ばれたのは関羽、張飛、馬超、黄忠、趙雲の5人である▼御書には、有名な「石虎将軍」の故事が引かれている。虎に親を殺された将軍・李広が、その虎を見つけて、仇討ちの一念を込めて一矢を放つ。矢は深々と刺さったが、仕留めたと思った虎は、実は虎に似た石だった。その後、何度も矢を放つが再びは刺さらない。つまり、この故事は「強き一念」の大切さを示している▼御聖訓に「法華経の剣は、信心のけなげなる人こそ用いることなれ。鬼にかなぼうたるべし」(新1633・全1124)と。中国語版の御書では「鬼にかなぼう」が「虎に翼」と訳される▼強い信心の人が、法華経のままに実践を貫けば、どんな障魔をも打ち破れる。無敵の剣を得たようなものである。信心とは勇気の異名。強盛な祈りで進む限り、恐れるものはない。

寸鉄 2022年1月9日
誓い漲る新春の幹部会。私の飛躍が創価の飛躍―青年の心で新時代を疾走
東京・目黒師弟正義の日。壁を破ろう!―師の叫びから40星霜。連続勝利へ
人が成しうる最も偉大な事は人に光を与える事―英雄。自他共の幸福開け
睡眠不足は心身不調の因に。新年の今、生活リズムを改善。聡明に健康第一
夢中で何かに挑む過程で自己肯定感も向上―識者 今日も勇み挑戦の一歩を

〈社説〉 2022・1・9 あす「成人の日」
◇自分らしく負けない人生を
あす10日は「成人の日」。参加者が密にならないよう配慮して成人式が行われる所も多い。
今年の「成人の日」は、"20歳成年"として最後となる。民法が改正され、4月1日から成年年齢が18歳に引き下げられるからだ。改正は、18、19歳の若者の自己決定権を尊重し、積極的な社会参加を促すことになる。一方、親の同意がない契約は取り消すことができた未成年者取消権が行使できなくなるので、消費者トラブルの拡大が懸念されてもいる。
今回、成人を迎える友は全員が"21世紀生まれ"であり、Z世代(1990年代中盤以降に生まれた若者たち)といわれる世代でもある。「9・11」の米同時多発テロ前後に生まれ、世界的な経済危機や東日本大震災等を経験。10代後半はコロナ禍の中で過ごした。学校ではSDGs(持続可能な開発目標)のことも学んできた。
こうした時代背景もあってか、Z世代は、社会的課題に取り組む企業に好印象を抱き、環境問題を自分に関わる課題と捉える傾向が強い。マーケティングアナリストの原田曜平氏は、触れる情報が"信頼できるか否か、本物か偽物か"について、Z世代が繊細な感性を持っていると指摘する(本紙電子版2021年5月14日付)。
激動の時代を歩んだ経験、社会貢献への関心、真偽を見極めようとする姿勢――新しい生活様式が求められるコロナ禍の中で、新成人は活路を開く可能性を秘めているといえよう。
原田氏はさらに、自分に「軸」があると、価値基準が明確になり、多様な選択肢を前にしても、判断に迷いにくいとも語っていた。
確かに、自分の中に、ぶれない「軸」を持つことは、とても大切だ。それは、膨大な情報にも左右されない、自己の根本の生き方を決めることといってもよい。
池田先生は19歳の時、「正しい人生」を探求する中で、戸田城聖先生に出会った。そして、仏法の実践を勧めた師に応え、「嵐に動かぬ大樹求めて/われ 地より湧き出でんとするか」と詠み、新たな人生の道を踏み出した。以来、75年。若き日の誓いを貫いてきた軌跡は多くの青年の希望である。
創価の新成人の皆さんもまた、一人の青年として"21世紀のトップランナー"の誇りも高く、負けない人生を自分らしく走り抜かれることを願ってやまない。

☆地涌の生命力で出発! 創立100周年へ 第6回本部幹部会
◇池田先生が祝福のメッセージ「誓いの友と妙法の大ロマンの道を」
◇原田会長、永石女性部長が各部の代表と共に出席
学会創立100周年の栄光の頂へ、地涌の生命力で、勇躍前進を約し合う第6回本部幹部会が8日午後、「青年・飛躍の年」の開幕を祝賀して、巣鴨の東京戸田記念講堂で開催された。
これには原田会長、長谷川理事長、永石女性部長が各部の代表と出席した。
池田大作先生はメッセージを贈り、「大法弘通」「慈折広宣流布」という人類の幸福と平和への新たな飛躍の大行進が始まったと強調。久遠からの誓いの友と、「歓喜の中の大歓喜」にあふれる妙法流布のロマンに生き抜こうと呼び掛けた。(全国配信は14日から17日〈配信の会場と時間等は各県・区で決定〉。同期間中、「モバイルSTB」「SOKAnet会員サポート」でも視聴可能)

◇人類平和へ飛躍の大行進
新生の息吹に満ちて集い来た全国の同志の気概を映すかのように、東京には澄み切った青空が広がっていた。雪が残る大地に、陽光が降り注ぐ。
「青年・飛躍の年」の開幕を記念する本部幹部会。池田先生はメッセージの中で、日蓮大聖人が明かされた、一切衆生を幸福にするとの仏の大誓願を、そのまま受け継いできたのが創価の師弟であると宣言した。
この創価三代の闘争に連なり、21世紀から22世紀へ、「立正安国」と「令法久住」のタスキをつなぐトップランナーこそ、新しき熱と力にあふれた池田門下の若人にほかならない。
幹部会の冒頭、事前に収録された、新成人の代表3人の清新な誓いが紹介された。
大学2年生の坂田大陸さん(千葉県出身)は、新型コロナウイルスの感染拡大の影響でキャンパスに通えない日々が続いたが、"環境を言い訳にしない"と、多様な活動に率先。
SNSを駆使して、同じ学部に所属する約80人の全ての同期と一人も漏らさず交流を図り、学友同士を結ぶ懸け橋に。昨年には、自粛期間に習得したギターで大学祭のテーマソングを作成するなど、大学建設に携わった。
坂田さんは誓う。
「『自分は勝った』と心の底から胸を張れる人生を歩みます!」
竹中日菜乃さん(岐阜県出身)は、生後間もなく、先天性の心臓病と診断された。
1歳の時に受けた手術は無事に成功。成長した後、病を乗り越える際に、池田先生からの励ましと同志の祈りがあったことを両親から教わった。
"今度は私が命を救う側に"と、現在は創価大学の看護学部で、課題や演習に懸命に励んでいる。
竹中さんは「全ての人との縁を大切に、生きる力を引き出す人間力豊かな看護師になります」と声を弾ませる。
声楽家として、世界に活躍の場を広げる鈴木正彰さん(大阪府出身)。関西男声合唱団などで薫陶を受け、2018年には、第10回「東京国際声楽コンクール」の高校1・2年生部門で優勝した。
常に心掛けるのは、日頃の練習から本番の舞台を想定すること。一音一音に込められた作曲家の意図に迫り、忠実に表現できるよう努力を欠かさない。
「支えてくださる方々への感謝を忘れず、聴衆の心を震わせる歌声を届けます」と、鈴木さんの決意は固い。
さあ、大いなる理想へ生き生きと進む青年と共に、勇気の跳躍を遂げ、目を見張るような飛躍のドラマをつづる時は今!
幹部会では、池田主任副会長が池田先生のメッセージを紹介。その中で、かつて先生が元旦に認めた一対の書「大心」「大桜」が披露されると、参加者の瞳が一段と輝いた。
山口女子未来部長が未来部への激励に全力を注ぐ抱負を述べ、田島学生部長は、勇気の折伏で本年を勝ち飾る決意を披歴した。
次に、アルゼンチンSGI(創価学会インタナショナル)のパウラ・ロペス女子部長のあいさつ動画が映し出された。同女子部長は、徹底して一人を大切にする励ましの行動によって、妙法の人材群が勢いよく躍り出ている喜びを語った。
続いて、音楽隊・創価グロリア吹奏楽団と鼓笛隊・創価シャイニングスピリッツが祝賀演奏を披露(事前収録)。同志を鼓舞する妙音に、万雷の拍手が轟いた。
原田会長は、眼前の一人と真の友情を結ぶ語らいで、世界広布の扉を開いてきた池田先生の闘争に言及。人とのつながりの形式が変化する時代にあって、創意工夫を凝らしながら、地涌の連帯を広げゆく対話の旋風を共々に巻き起こそうと呼び掛けた。
最後に、池田先生のスピーチ(2002年1月の第13回本部幹部会)を収録した、新しいVOD番組「広布拡大こそ報恩の道」を皆で視聴した。

☆御書の旭光を 第68回 「仏の種」植えゆく励まし
〈御文〉
『法華経は種の如く仏はうへての如く衆生は田の如くなり』(曾谷殿御返事、1056ページ)

〈通解〉
(譬えて言えば)法華経は種であり、仏は植え手であり、衆生は田である。

〈池田先生が贈る指針〉
信心の喜びを語れば、友の生命に「仏の種」が必ず植えられる。相手の反応に一喜一憂する必要はない。仏種は時を超え、幸福の花を咲かせ、和楽の園を広げるからだ。
我らは妙法の種を蒔く人だ。最極の仏事に胸を張り、一人一人との縁を大切に育もう!
「いまだこりず候」と、御本仏直結の仏縁拡大を賢く、朗らかに!

☆ONE GOSHO この一節とともに! 祈禱抄
◇誓願の祈りから出発
いよいよ「青年・飛躍の年」の幕が開ける。新たなスタートに当たり、仏法の実践の根幹である「祈り」の姿勢について学んでいく。

◇御文
『法華経の行者の祈る祈は響の音に応ずるがごとし・影の体にそえるがごとし、すめる水に月のうつるがごとし・方諸の水をまねくがごとし・磁石の鉄をすうがごとし・琥珀の塵をとるがごとし、あきらかなる鏡の物の色をうかぶるがごとし』(御書1347ページ)

◇通解
法華経の行者の祈る祈りは、響きが音に応ずるように、影が体に添うように、澄んだ水に月が映るように、方諸(水を得る鏡)が水(露)を招くように、磁石が鉄を吸うように、琥珀が塵を取るように、明らかな鏡が物の色や形を浮かべるように、必ずかなうのである。

◇背景
本抄は、日蓮大聖人が文永9年(1272年)に流罪中の佐渡で著された。
当時、国内では天災が続き、蒙古襲来の危機なども重なった。為政者たちはそうした災難から逃れようと、諸宗に祈禱を依頼していた。
本抄で大聖人は、諸宗の祈りと法華経による祈りを比較。諸宗の誤りを明らかにし、法華経によってこそ、祈りがかなうとの大確信を示されている。

◇解説
「法華経の行者の祈り」は必ずかなう。
日蓮大聖人は"音が鳴れば響きが広がる""体には影が従う""磁石が鉄を吸い付ける""鏡に物が映る"等、森羅万象の原理であり、疑う余地のない事実を譬えとして用い、絶対の確信を教えられている。
御文の「法華経の行者」とは、法華経をその教説の通りに実践する「如説修行の人」である。
直接的には大聖人御自身のことであるが、大聖人の広宣流布の大願を継ぎ、奮闘する真の弟子もこれに当たる。
現代にあっては、まさに折伏や立正安国の対話に駆ける学会の同志こそ、法華経の行者にほかならない。
拝読御文の直前には、「どうして仏前のお誓いと自身が成仏した経の恩を忘れ、法華経の行者を捨てられるであろうか」(御書1347ページ、趣意)とある。
諸天善神は法華経に大恩があり、その恩を報じるために、法華経の行者を守護することを釈尊に誓った。もし、そのことを忘れるようなことがあれば、仏から罰せられるとまで大聖人は仰せである。
広布を推進する、日々の学会活動に挑み抜く私たちの祈りがかなう原理が、ここに示されている。
法華経の行者の祈りがかなうことは約束されている。だからこそ肝心なことは、揺るがぬ確信を持ち続けることである。
御文の譬えを踏まえれば、音は大きければ大きいほど、より遠くまで響き渡る。磁力は強ければ強いほど、より多くの鉄を吸い寄せる。
同じように、御本尊への祈りが強ければ強いほど、それに呼応して御本尊の功力が現れ、祈りが成就するのである。
そして忘れてはならないことは、強き祈りを根本に、法華経の行者として、勇敢に信心の実践を貫くことである。
人は、なかなか思うように進まないと、不安や諦めを抱いてしまうもの。祈りとは、その諦めと迷いを打ち破る"己心の戦い"ともいえる。その闘争を勝ち抜く原動力は何か。それは、深き決意であり、なかんずく"師弟の誓い"である。
池田先生は教えてくださっている。
「妙法の祈りとは、『誓願』です。最も強靱な精神の力です。祈りが心に満ち満ちているところ、いかなる臆病も、あきらめも、弱音も、入り込む隙などありません」
「青年・飛躍の年」の勝利を開く鍵は、男子部一人一人の成長と飛躍にかかっている。勝負となる一年の開幕に当たり、師に応えゆく誓願の題目から、あらゆる戦いを開始したい。
職場や家庭での挑戦、宿命との戦いなど、自身のあらゆる課題の克服へ、そして新たな広布の拡大へ――法華経の行者の祈りを根本に、大いなる飛躍の年としよう!