2021年12月28日火曜日

2021.12.28 わが友に贈る

変化の時代だからこそ
必ず現状を打開するとの
決定した一念が大切だ。
不屈の魂を燃やして
希望の未来を開こう!

千日尼御前御返事 P1312
『たすけんとする日蓮かへりて大怨敵とをもわるるゆへに女人こぞりて国主に讒言して伊豆の国へながせし上又佐渡の国へながされぬ』

【通解】
(一切の女性を救おうとしている)日蓮を、かえって大怨敵と思われるゆえに、女性たちが、こぞって国主に讒言をして、伊豆の国に流罪したうえ、また佐渡の国にも流罪したのである。

名字の言 人にあげればあげるほど増えるものは? 2021年12月28日
タイには、こんな"なぞなぞ"がある。「いくら振りまいてもなくならないものはなんだ?」▼答えは「笑顔」。なるほど、"ほほ笑みの国"らしい発想である。さらにもう一つ。「人にあげればあげるほど増えるものは?」。正解は「幸福」だという。今から20年前、池田先生が同国の「文化芸術貢献賞」を受賞した際、謝辞で紹介したものである。アメリカの同時多発テロから間もない頃だっただけに「平和とは? 幸せとは?」と問いながら、胸にとどめたことを覚えている▼御書に「喜とは自他共に喜ぶ事なり」(761ページ)と。苦しみや悲しみの多くは人間関係の中で生じる。同じように、本当の喜びも他者との関係性の中で育まれていくものである▼仏法では、人も国土も「一つの生命体」と捉え、不可分であると説く。全ての生命は互いに支え合い、大いなる生命の輪を織り成していると見るのだ。ゆえに池田先生は訴える。「人を幸福にした分、自分も幸福になるし、だれか一人でも不幸な人がいるかぎり、自分の幸福も完全ではない」▼笑顔と幸福を友に惜しみなく送り、平和と友情を広げた世界の同志に、感謝と敬意を表したい。地涌の勇者こそ真の「富める者」であり「心の長者」である。

寸鉄 2021年12月28日
「いよいよ」と御書に幾度も。現当二世の信心だ。挑戦やめぬ人は皆、青年
男子部大学校生が年末から仏法対話。気概頼もし。青春の原点を断じて築け
良友にまさる財宝はない—哲人。友情の輪を広げる大充実の交流期間を!
"久しぶりの長距離運転"増える時。呉々も無事故で。焦らず、賢く休憩取り
水で膨らむ玩具を幼児が誤飲する事故多発。遊ぶ時は一緒に。目を離さず

☆桂冠詩人40周年 勇気の舞 凱歌の行進 第21回 未来部の友へ
本年は、「桂冠詩人」の称号が池田先生に贈られてから40周年。連載企画「勇気の舞 凱歌の行進」では、先生がつづった長編詩を紹介します。第21回は、未来部の友に詠んだ「若き君よ 勝ちまくれ! 青春は人生の 一生の土台」(2002年)です。

◇君の使命は君しか持てない
未来は無限だ。
未来は希望だ。
未来は夢だ。
未来は大活躍の劇場だ。

「未来部」は
なんと無限の意味をはらんだ
名前であろうか。

◆◇◆

若き生命の持ち主は
皆が
その魂は
閃光を放っているのだ。

気取る必要もない。
失敗に臆する必要もない。
愚かと言われようが
貧しいと言われようが
そんなことは
弱々しい風が
吹いていると思え!

君の夢は
君しか持てない。
君の宝は
君しか持てない。
君の使命は
君しか持てない。

だから
不思議にして偉大なる
生命の鍵を
持っているのが
君なのだ!

◆◇◆

君の長い生涯の中に
決して希望を
死滅させてはならない。
感情で
逃走してはならない。
邪険な人々の罵りに
人生を
奪われてもならない。

胸を張って
北風に進むのだ。
断固として
自分自身の人生を
勝利するのだ。
父のために
母のために
自分自身のために
平和のために
友情のために
そして
永遠のために!

そこにこそ
幾千人に
痛めつけられても
すべてが
勝ち抜いた君の
長い生涯を飾りゆく
大勲章と光るのだ!

君よ
君の名前を呼ぶ人が
いなくとも
君は君らしく
生きるのだ。

有名になる必要などない。
狂った人間の世界で
褒められる必要もない。
狂乱した嫉妬の世界で
悩む必要もない。

君は君らしく
確かなる人生観を持って
残酷なこの社会を
切り開いていくのだ。
人生は劇だ。
若さは名優だ。

◆◇◆

友よ
不安に行き詰まるような
弱々しい青春であるな!
すべてが
私の人生の
転機ととらえて
偉大なる
正義の目標に向かって
勝利の坂を
勇敢に登っていくのだ!

青春よ
勝ちまくれ!
若き君よ
希望の未来に舞いゆけ!

未来部 万歳!
未来部の成長が
広宣流布だ。
未来部の勝利が
創価の勝利だ。

未来部に
栄光あれ!
勝利あれ!

☆ロータスラウンジ——法華経への旅 第31回 薬王菩薩本事品第二十三
◇末法広宣流布の戦士よ! 薬王菩薩のごとく、命を燃やせ!

■大要
薬王菩薩が一切衆生憙見菩薩だった時、日月浄明徳仏の入滅後に、報恩のため自分の臂(腕)を焼いて灯明として供養したという故事が説かれます。そして、仏滅後に法華経を弘める功徳は、この焼身の供養より大きいことが述べられます。それでは内容を追ってみましょう。

その時、宿王華菩薩が、釈尊に言います。
「薬王菩薩は、どうしてこの娑婆世界を巡り歩くのでしょうか。どれほどの百千万億那由他の難行苦行があったのでしょうか。どうか説明してください。その話を聞いて皆、歓喜するでしょう」
——ここから質問に答える形で、薬王菩薩が一切衆生憙見菩薩だった時代の難行苦行の話が始まります。
その時、釈尊は宿王華菩薩に告げます。
「無量恒河沙劫の昔、日月浄明徳仏がいた……」と、その仏や菩薩たちの寿命、そして国土の様子などが示されます。続いて、「その時、日月浄明徳仏は、一切衆生憙見菩薩、そして多くの菩薩や声聞たちのために、法華経を説かれた」と語ります。
一切衆生憙見菩薩は、願って苦行を習い、精進し、仏を一心に求めること一万二千年を満たして、「現一切色身三昧」の境涯(十界の一切衆生の姿を自在に現せる境涯)を得ます。そこで一切衆生憙見菩薩は、大いに歓喜して思います。
「私が現一切色身三昧を得られたのは、全て法華経を聞くことができた力によるのである。今、日月浄明徳仏および法華経を供養しよう」
そして、一切衆生憙見菩薩は、さまざまな香を降らせるなどして、仏を供養して、さらに思います。
「神通力をもって仏を供養したとしても、私の身をもって供養するのには及ばない」
そこで、一切衆生憙見菩薩は、多くの香や香油を、千二百年にわたって飲み、さらに香油を身に塗るなどして、日月浄明徳仏の前で自分自身の体を燃やします。その光明は、八十億恒河沙の世界を照らします。
多くの仏が、一切衆生憙見菩薩を同時に褒めたたえます。
「これこそ真の精進である。これを『第一の布施』と名づける。多くの布施の中で、最も尊く、最も優れている。法をもって多くの仏を供養するからである」
一切衆生憙見菩薩の身体を燃やす火は、千二百年に及ぶまで続き、燃え尽きます。
一切衆生憙見菩薩は、このように法の供養をなし終わって、命が終わり、また日月浄明徳仏の国の中、浄徳王の家に生まれます。そして再び、仏を供養します。
日月浄明徳仏は、一切衆生憙見菩薩に告げます。
「入滅する時がやってきた」
そして、一切衆生憙見菩薩に命じます。
「仏法を、あなたに付嘱します。一切の弟子、阿耨多羅三藐三菩提(完全な覚り)の法、一切の宝などを付嘱する」
日月浄明徳仏が入滅すると、一切衆生憙見菩薩は悲しみ、仏を恋慕し、その舎利(聖骨)を八万四千の塔を造って供養します。そして思います。
「自分の心はまだ満足しない。さらに供養しよう」
そして、八万四千の塔の前で、自分の臂(腕)を、七万二千年にわたって燃やして供養します。その光景を見ていた声聞を求める人々らは、覚りを求める心を起こします。
多くの菩薩たちは、一切衆生憙見菩薩の臂がないのを見て、憂い、悩み、悲しみ、言います。
「一切衆生憙見菩薩は、私たちの師です。今、臂を焼いて無くしてしまった」
一切衆生憙見菩薩は、誓います。
「私は両方の臂を失ったが、必ず仏の金色の身を得るだろう。それが嘘でない証拠として、私の臂は元通りになるだろう」
臂は元通りになり、世界は六種に振動し、天から宝の花が降り、人々はいまだかつてない思いを得ます。
釈尊は、宿王華菩薩に告げます。
「あなたは、この話を聞いてどう思うか。一切衆生憙見菩薩は、どうして他の人のことであろう。今の薬王菩薩のことなのだ」
そして、法華経、またその中の一つの四句からなる偈(詩の形の経文)を受持する功徳は、計り知れないことを示します。
続いて、具体的に十の譬喩を通して功徳の偉大さを表現します。一切の川の流れなど、多くの水の中で海が第一であるように、この法華経も、多くの仏が説く経の中で最も深く、大きい……。
さらに、十二の譬喩を用いて、法華経が一切衆生を利益し、その願いを満足させることを示します。清涼の池が渇望している者を満たすように、寒い人が火を得るように……。
もし法華経を聞くことができ、もしくは書き、もしくは他の人に書かせるならば、その功徳は仏の智慧をもってしても計り知れない。
続いて、薬王菩薩本事品を聞き、受持する功徳を述べ、付嘱します。
「我滅度して後、後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して、断絶して悪魔・魔民・諸天・竜・夜叉・鳩槃荼等に其の便を得しむること無かれ」「此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なればなり。若し人病有らんに、是の経を聞くことを得ば、病は即ち消滅して、不老不死ならん」等と語ります。
最後に多宝如来が、「あなたは、不可思議の功徳を成就して、釈尊に問い掛け、計り知れない一切衆生を利益した」と、宿王華菩薩を称えます。
このように「薬王品」では、師弟の報恩のドラマを通して、法華経の功徳が賛嘆されています。

【『法華経の智慧』から】 全人類に「癒しの光明」を
法華経はすべて「己心の儀式」です。経文を向こう側においていては、肝心なことは分からない。我が生命の薬王菩薩とは、名前の通り、心身の病気を治し、生命を「健康」にする力用と言ってよい。その本体は「妙法」であり「仏界」です。仏界の大生命力が生命の苦しみを癒す働きを「薬王」と名づける。
ゆえに御本尊に向かって唱題するとき、己心の薬王菩薩が働くのです。

「健康」を象徴する薬王は、信念に「殉教」した菩薩であった。「戦う生命」それが「健康な生命」です。

薬王品も、まさに「末法広宣流布の戦士よ! 薬王菩薩のごとく、命を燃やせ!」と教えているのではないだろうか。そういう青年が陸続と現れたとき、創価学会全体が永遠化される。「不老不死の教団」になっていくのです。
そうなって初めて、永遠の未来にわたって、全人類に「癒しの光明」を燦然と送り続けることができるのです。(普及版〈下〉「薬王菩薩本事品」)

【コラム】 本化と迹化
「薬王品」以降の6品には、迹化・他方の菩薩に弘通を託す意義が込められています。
広宣流布の主役は、あくまでも「本化」の菩薩である「地涌の菩薩」です。その上で、「迹化」の菩薩は、迹仏に化導された菩薩のことで、主役を助ける立場と言えます。つまり、「薬王品」からの6品は、「地涌の使命を助ける」働きを明かしていると考えることができます。
池田先生は語っています。
「『本化』として自行化他に励んで開拓した『仏界』の生命力を、『迹化』としての社会面、生活面で生かしていく。生かし、活躍していこうと努力するなかで、さらに『信心』が深まり『仏界』が固まっていく。この往復作業です。本化→迹化、迹化→本化という、粘り強い往復作業によって、自分の生命を限りなく向上させ、広宣流布を限りなく広げていくのです」
広宣流布へ、それぞれの舞台で、「さすがだ」と、実証輝く活躍をしていきたい。