組織発展の要は
リーダーの成長だ。
率先垂範の行動で
広布拡大の道を開き
同志に希望を送ろう!
妙法尼御前御返事 P1402
『人の身の五尺六尺のたましひも一尺の面にあらはれ一尺のかほのたましひも一寸の眼の内におさまり候』
【通解】
人の身は五尺・六尺であっても、魂はの一尺の顔に現われ、一尺の顔に現われている魂も一寸の眼の中に収まっています。
名字の言 "不屈の文人"正岡子規がつづった晩年の言葉 2021年12月9日
正岡子規は、大病と闘い、亡くなる2日前まで筆を執り続けた"不屈の文人"だった。不自由なことも痛みに苦しんだ時もあったが、わが身を嘆いたり、感傷に浸ったりはしなかった▼最晩年の随筆集『病牀六尺』(岩波文庫)につづっている。「病気を楽しむといふことにならなければ生きて居ても何の面白味もない」▼この秋、周囲から惜しまれつつ90歳で逝いた婦人がいる。がんの再発、重い目の疾患に見舞われても「私は池田先生の弟子。転んでも、ただじゃ起きないわよ!」と泰然と振る舞い、他の患者や看護師まで励ました。担当医は「あんな元気な病人は見たことがない」と目を丸くした▼"自分が苦しんだ分、何倍も皆を喜ばせよう"と生け花、俳句、オペラ歌唱、三味線や和太鼓の演奏を披露。時には衣装をまとって、どじょうすくいを演じ、爆笑を誘った。亡くなる直前に残した言葉は「あー楽しかった。じゃあ、またね」。家族や地域の友は、そんな彼女を思い出すだけでパッと笑顔になるという▼人は病になることもある。老いや死も避けられない。その中で何があっても前を向き、試練さえ幸福の糧に転じゆく人生は、生死をも超えて人を励まし続ける。婦人の歩みから教わった。
寸鉄 2021年12月9日
「相手に会った瞬間が勝負だ。大確信で」戸田先生 生命力満々と友のもとへ
御書「人のために火をともせば」。その気高き心が自身の人間革命の道開く
学生の就職先選ぶ条件、社会貢献度の高さが1位 志頼もし。先輩が手本を
料理中の引火事故多し。掃除など、別の作業する"ながら料理"は危険大
ハラスメント撲滅月間。SNSでも相談窓口が。世代超え意識変革も更に
〈社説〉 2021・12・9 "広布の山を登れ"発表40周年
◇新たなる登攀を青年と共に
池田先生の長編詩「青年よ 21世紀の広布の山を登れ」が発表され、あすで40周年を迎える。
発表の舞台は1981年(昭和56年)12月10日の大分県青年部幹部会。師弟の分断を狙った第1次宗門事件の余燼がくすぶる中、先生が13年半ぶりに訪問した大分では、青年たちが悪侶や退転者らによる陰険な策謀に屈することなく、清新な信心を貫いていた。
折しも第2代会長・戸田城聖先生の「青年訓」発表から30周年。"今こそ青年に新たな指針を!"との熱願に応え池田先生が口述。翌日の聖教新聞に直ちに掲載。桂冠詩人として初の長編詩は、電撃のごとく青年たちの胸に響いた。
「なぜ山に登るのか」——400行に及ぶ詩を生命に刻み、多くの青年が試練の峰を越えてきた。
大分・日田市に住む女性部本部長は、高等部の代表として発表の場に参加した。その後、保育士の夢をかなえて、結婚。夫妻で"誓いの道"を歩んできた。
12年前、夫が病で急逝。長編詩を何度も読み返しては、悲哀と苦難の山を乗り越え、信頼を積み重ねた。今、保育園の園長として人間教育の最前線に立つ。3人の子も広布後継の道を進む。
大分市の圏男子部長は10年前、創価青年大会に参加して詩に込められた師匠の思いに感動。学会活動に取り組み始めた。経営する建設会社の苦境、失明寸前の大けがなど、壁にぶつかるたび、「いかなる苦衷の最中に入っても/希望を失うな!」との一節に奮起してきた。現在は経営規模も拡大。さらに成長を期す日々である。
青年部に対する、広布遂行の"責任""お願い""託する"との意義を込めて発表された長編詩。この40年は、師の心をわが心として未来を切り開いてきた弟子と、師匠との共戦の歴史でもある。
そして、この詩は、広布の全責任を担う自覚に立った青年がいる限り、時代を超えて"青年の指標"として輝き続けるに違いない。
「この山を登攀したならば、見える限りの世界がすべて君たちのものだ!」「私はすべてを本門の君たちに託したい!」(「随筆『人間革命』光あれ」〈凱歌の秋へ勇者共戦〉)
明年は「青年・飛躍の年」。学会創立100周年へ向けて「大いなる広布の山」へ、新たなる登攀を開始したい。青年と共に、青年の心で——。
☆希望の指針——池田先生の指導に学ぶ 「魂の独立」(下)
◇皆が「仏」! 皆が勝利者
【死身弘法の誉れ】 軍部政府の弾圧に屈せず正義貫く
〈1957年(昭和32年)6月初旬のある夜、山本伸一は、学会員への不当な圧迫を開始した北海道の夕張炭労への対策の指示を仰ぐために、恩師・戸田城聖の自宅を訪れる。戸田は広宣流布は権力との闘争であることを述べ、戦時中、軍部政府の弾圧に屈した宗門の歴史について語った〉
一九四三年(昭和十八年)六月、天照大神の神札を祭るように、軍部政府から強要された総本山が、牧口常三郎をはじめ、学会幹部に登山を命じたことに話が及ぶと、戸田の声は震えた。
「あの日、牧口先生と共に、私たちは、急いで総本山に向かった。先生は、来るべき時が来たことを感じておられた。列車の中で、じっと目を閉じ、やがて、目を開けると、意を決したように私に言われた。
『戸田君、起たねばならぬ時が来たぞ。日本の国が犯した謗法の、いかに大なるかを諫める好機の到来ではないか。日本を、みすみす滅ぼすわけにはいかぬ!』
『先生、戦いましょう。不肖、この戸田も、先生の弟子として、命を賭す覚悟はできております』
先生は、大きく頷かれ、口もとに笑みを浮かべられた。
私は、謗法厳誡の御精神のうえから、総本山を挙げて、神札を固く拒否されるものと思っていた。しかし……」
ここまで話すと、戸田は、声を詰まらせたが、ややあって、彼方を仰ぎ見るように顔を上げると、言葉をついだ。
「日恭猊下、日亨御隠尊猊下の前で、宗門の庶務部長から、こう言い渡されたのだ。
『学会も、一応、神札を受けるようにしてはどうか』
私は、一瞬、わが耳を疑った。先生は、深く頭を垂れて聞いておられた。そして、最後に威儀を正して、決然と、こう言われた。
『承服いたしかねます。神札は、絶対に受けません』
その言葉は、今も私の耳朶に焼き付いている。この一言が、学会の命運を分け、殉難の道へ、死身弘法の大聖人門下の誉れある正道へと、学会を導いたのだ」
(中略)戸田の語気は鋭く、声には重厚な響きがあった。彼は、伸一の眼を見すえながら、一気に話し続けた。
「ほどなく、牧口先生も、私も、特高警察に逮捕され、宗門からは、学会は登山を禁じられた。日蓮大聖人の御遺命を守り、神札を受けなかったがためにだ。権力の威嚇が、どれほどの恐怖となるか、このことからもわかるだろう。しかし、先生は、その権力に敢然と立ち向かわれ、獄死された。
先生なくば、学会なくば、大聖人の御精神は、富士の清流は、途絶えたのだ。これは、どうしようもない事実だ。学会が、仏意仏勅の団体であるゆえんもここにある」
(『人間革命』第11巻「大阪」の章、228〜230ページ)
【日蓮仏法の根幹】 万人の平等を説く仏法の人間主義
〈宗門は1990年(平成2年)12月中旬、山本伸一のスピーチについて「お尋ね」なる文書で、「大聖人の御聖意に反する」などと難詰してきた。学会は対話を求める一方、「お尋ね」の引用箇所に重要な誤りがあることを指摘。すると宗門は12月末、宗規の改正を理由に伸一の法華講総講頭などの資格喪失を一方的に通知してきた〉
彼らは、学会への理不尽な措置を改めず、僧俗の関係についても、「本質的に皆平等であるとし、対等意識をもって僧俗和合を進めるなどというのは、大きな慢心の表われであると同時に、和合僧団を破壊する五逆罪に相当するもの」とまで言っているのだ。もはや看過しておくわけにはいかなかった。日蓮仏法の根幹を歪め、世界広布を根本から阻む元凶になりかねないからだ。(中略)
宗門は、学会の再三にわたる話し合いの要請を、ことごとく拒否してきたが、大聖人は「立正安国論」で「屡談話を致さん」(御書17ページ)と仰せのように、対話主義を貫かれている。すべての人と語り合い、道理をもって、理解と共感と賛同を獲得していくことを教えられている。武力や権威、権力など、外圧によって人を屈服させることとは対極にある。
対話は、仏法の人間主義を象徴するものであり、それを拒否することは、大聖人の御精神を否定することだ。(中略)
対話主義の根底には、万人尊重の哲学と人間への信頼がある。そして、それは、すべての人が等しく「仏」の生命を具え、崇高なる使命をもっているという、万人の平等を説く仏法の法理に裏打ちされている。
しかし、日顕ら宗門は、その法理に反して、日本の檀家制度以来の、僧が「上」、信徒は「下」という考えを踏襲し、それを学会に押しつけ、隷属させようとしたのだ。
日蓮大聖人が根本とされた法華経は、「二乗作仏」や「女人成仏」が示すように、身分など、あらゆる差別と戦い、超克してきた平等の哲理である。それゆえに、世界の識者たちも、生命の尊厳を説き、人間共和と人類の平和を開く法理として、仏法を高く評価しているのである。
大聖人は、「僧も俗も尼も女も一句をも人にかたらん人は如来の使と見えたり」(同1448ページ)と、僧俗も、性差も超えた、人間の平等を明確に宣言されている。(中略)もしも、宗門によってその根幹が歪められることを放置すれば、横暴な宗門僧らの時代錯誤の権威主義がまかり通り、不当な差別を助長させ、混乱と不幸をもたらしてしまうことになる。
(『新・人間革命』第30巻〈下〉「誓願」の章、300〜302ページ)
【世界宗教の要諦】 「人間」が幸福になるための「宗教」
〈"衣の権威"で信徒を隷属させようと躍起になってきた宗門は、1991年(平成3年)11月末、正法正義を貫く学会に「破門通告書」を送付。学会は30日、全国各地で「創価ルネサンス大勝利記念幹部会」を開催する。山本伸一は創価国際友好会館での集いに参加し、スピーチした〉
「本日は、緊急に"祝賀の集い"があるというので、私も出席させていただいた」とユーモアを込めて切り出すと、爆笑が広がり、拍手が起こった。明るく、伸びやかな、喜びと決意がみなぎる集いであった。
伸一は、宗門が十一月二十八日付で学会に破門通告書を送ってきたことから、こう述べていった。
「十一月二十八日は、歴史の日となった。『十一月』は学会創立の月であり、『二十八日』は、ご承知の通り、法華経二十八品の『二十八』に通じる。期せずして、魂の"独立記念日"にふさわしい日付になったといえようか」(中略)
魂の"独立記念日"——その言葉に、誰もが無限の未来と無限の希望を感じた。
伸一は、日蓮大聖人の仰せ通りに、学会が不惜身命の精神で妙法広宣流布を実現してきたことを再確認し、力を込めた。
「これ以上、折伏・弘教し、これ以上、世界に正法を宣揚してきた団体はありません。また、いよいよ、これからが本舞台です。戸田先生も言われていたが、未来の経典に『創価学会仏』の名が厳然と記し残されることは間違いないと確信するものであります」
まさしく、仏意仏勅の創価学会であり、広宣流布のために懸命に汗を流す、学会員一人ひとりが仏なのである。
「宗教」があって「人間」があるのではない。「人間」があって「宗教」があるのである。「人間」が幸福になるための「宗教」である。この道理をあべこべにとらえ、錯覚してしまうならば、すべてが狂っていく——伸一は、ここに宗門の根本的な誤りがあったことを指摘し、未来を展望しつつ語った。
「日蓮大聖人の仏法は『太陽の仏法』であり、全人類を照らす世界宗教です。その大仏法を奉ずる私どもの前進も、あらゆる観点から見て、"世界的""普遍的"であるべきです。決して、小さな閉鎖的・封建的な枠に閉じ込めるようなことがあってはならない」(中略)
そして彼は、「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」(御書1618ページ)との「日興遺誡置文」を拝した。時の法主であるといっても、仏法に相違して自分勝手な教義を唱えれば、これを用いてはならないとの厳誡である。
伸一は、どこまでも、この遺誡のままに大聖人に直結し、勇躍、世界広布へ進んでいきたいと訴え、結びに、こう呼びかけた。
「どうか、皆様は、『世界一の朗らかさ』と『世界一の勇気』をもって、『世界一の創価学会』の建設へ邁進していただきたい。そして、大勝利の学会創立七十周年の西暦二〇〇〇年を迎えましょう!」
(『新・人間革命』第30巻〈下〉「誓願」の章、330〜333ページ)