2021年12月4日土曜日

2021.12.04 わが友に贈る

折伏に挑む若き宝友を
皆で最大に応援しよう!
友の奮闘を心から称え
行学の二道を共々に。
強き絆が未来を開く!

乙御前母御書 P1223
『道のとをきに心ざしのあらわるるにやかれは皆男子なり権化の人のしわざなり、今御身は女人なりごんじちはしりがたしいかなる宿善にてやをはすらん』

【通解】
道の遠さに、志があらわれるのであろうか。彼らは皆男子である。仏菩薩の化身した人の行為である。今あなたは女人である。権実の教判は知りがたい身である。いかなる宿縁を持った人なのであろうか。

名字の言 「あれから10年 これから10年」 2021年12月4日
「まだ、10年。」——岩手日報は、東日本大震災からの復興も、傷を負った心の回復も、いまだ途上にあることをそう表現している。節目となる本年も残りわずかとなった▼聖教新聞社提供の新番組「あれから10年 これから10年」も、この節目を節目で終わらせないことを願うもの(BS—TBS、毎週土曜午後8時54分から)。当時10代だった岩手・宮城・福島の若者が、"今"と"10年後の夢"を語るドキュメンタリーである▼ある女性は、当時12歳。祖父は津波にのまれた。家族と避難生活を強いられる中、自分が幼く非力であることを痛感したという。今、地元で小学校教諭を務める彼女は、10年後も変わらず"命を守る大切さ"を子どもたちに伝えたい、とほほ笑む▼御書に「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ」(231ページ)と。今は過去の積み重ねでできているが、同じように過去を振り返っても「そのせいで」と捉えるか、「それがあったからこそ」と考えるかで、今の生き方は異なってくる。大切なのは、心が前を向こうとしているかどうかだろう▼私たちは「これまで」と「これから」の結び目に生きている。過去をバネにして今を懸命に生き、未来を自在に開いていきたい。

寸鉄 2021年12月4日
たとえ一人でも求める人に全力尽くす—戸田先生 妙法流布はこの一念から
「高知女性部の日」。最高に仲良き太陽の大連帯!今日も励ましの最前線へ
「凡夫の忽に仏となる」御書。広布誓願の勇者に無限の功徳。強盛に祈れ
農産品輸出、初の1兆円と。世界で人気の日本の"食"。農漁光の友に感謝
人権週間。人間は誰もが尊極な宝の存在。どんな差別も許さぬ社会を皆で

〈社説〉 2021・12・4 地球温暖化防止に尽力を
◇着実な実践が新たな希望開く
宮沢賢治は童話「グスコーブドリの伝記」で、二酸化炭素のもたらす温室効果により、冷害で苦しむ農民が救われる物語を描いた。1932年の発表。間もなく90年となる。寒冷地での苦悩に胸を痛めた賢治の目には、温室効果は未来への希望と映ったのだろう。
今日、その温室効果が、人類の直面する脅威の一つに挙げられている。海面上昇による島しょ国・臨海都市の水没や、暴風雨や熱波などの極端な気象現象の増加が懸念される。
今こそ地球温暖化の防止への努力を始めよう。1997年12月に京都で開かれた国連気候変動枠組み条約第3回締約国会議(COP3)を契機として、例年、この時期に温暖化防止が呼び掛けられている。また、本年はCOP26が開催され、石炭火力発電の段階的削減を進めることを合意するなど、「脱炭素」が焦点となっている。
今年の冬は、経済産業省の見通しでは電力需給が過去10年間で最も厳しくなるという。ガソリンや灯油の高値傾向も続いている。省エネルギーへの取り組みは、私たちの日々の暮らしを守るためであり、温室効果ガス排出削減につながって将来の人類を救う意義も持つ。身の回りでできることから、積極的に取り組んでいきたい。
家庭での節電の取り組みについて、経産省では、�減らす�ずらす�切り替えるの三つのポイントを挙げている。�は、電気製品の無駄な使用を減らすこと。�は、電気が多く使われる時間帯を避けた利用で、電力供給の安定化に寄与すること。�は、買い替えるときに省エネ型製品を選ぶこと——。特に電気を多く使うエアコンや洗濯機、電子レンジなどで、わが家に改善できることはないか、確認してみてはいかがだろう。ガスや灯油を使う給湯、暖房も、無駄のない活用を心掛けたい。
環境省が呼び掛けている「ウォームビズ」にも取り組みたい。暖房の室温を、20度を目安に抑えめに設定して、1枚多く羽織ったり、首、手首、足首を冷やさないよう、マフラーやレッグウオーマー等を活用したりするというものだ。
池田先生は、かつて「地球的問題群という『挑戦』に、人類が英知を尽くして『応答』するところに、新たな地球文明の地平を開きうる」と述べた。地球温暖化を防ぐための着実な実践を通し、新たな希望を開いていこう。

☆11月度「御書講義」(下) 寂日房御書
◇師と共に常楽我浄の人生を!
日蓮大聖人に連なり、生涯、師弟不二の大道を歩み抜く——。ここでは、森中教学部長の11月度「御書講義」(下)を掲載します。講義の動画はこちらから、11月30日まで視聴できます。

◇御文
『日蓮は此の上行菩薩の御使として日本国の一切衆生に法華経をうけたもてと勧めしは是なり、此の山にしてもをこたらず候なり、今の経文の次下に説いて云く「我が滅度の後に於て応に此の経を受持すべし是の人仏道に於て決定して疑い有ること無けん」と云云』(御書903ページ5行目〜7行目)

◇真の後継を願う
この段は、三つのポイントがあります。
最初のポイントは「日蓮は此の上行菩薩の御使として日本国の一切衆生に法華経をうけたもてと勧めしは是なり」との一節です。
ここで、大聖人は、御自身のことを「上行菩薩の御使」と仰せです。
この「使い」という表現は、"どこか別に上行菩薩がいて、自分は、その連絡係だ"などといった意味ではありません。
「使い」と表現しているその人自身が、現実に上行菩薩としての役割を果たし、悪世末法の中で全民衆救済の方途を確立された、ということです。
事実上、上行菩薩のなすべき役割を果たし切った。まさに、大聖人こそが上行菩薩その人であると宣言されていることは言うまでもありません。
その実践を端的に示された御文が「日本国の一切衆生に法華経をうけたもてと勧めし」との仰せです。
大難を覚悟して第一歩を踏み出し、また、事実、あらゆる大難を不惜身命の大闘争で乗り越え、勝利された——それが「うけたもてと勧めし」の内容です。
二つ目のポイントは、その大闘争は、終わることのない永遠の闘争だということです。
「此の山にしてもをこたらず候なり」と、大聖人は、民衆への妙法弘通の実践は、身延に入山されても怠ることなく続け、生涯にわたって貫いていることを示されています。
この不退転の覚悟が、仏法者の誉れです。
池田先生は、かつて、「仏とは、『永遠に戦い続ける人』の異名です」と語られました。
地涌の闘争は精進行です。三世永遠に戦い続ける中で常楽我浄の大境涯を示すことができる、ということです。
三つ目のポイントは、神力品の別の一節の引用です。
「今の経文の次下に説いて云く『我が滅度の後に於て応に此の経を受持すべし是の人仏道に於て決定して疑い有ること無けん』と云云」
この経文は、上行菩薩の弘通する法華経受持の実践によって、末法の万人の成仏が間違いないことを断言されています。
大聖人の実践が、万人を間違いなく仏にしていく上行の尊い振る舞いであり、それに連なって、妙法を受持し広布に励む私たちも必ず成仏できることを教えられています。
大聖人は、御自身と同じ戦いをする、真の後継の門下が出現することを願われていました。その思いが凝縮した一節が次の段です。

御文
かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり、法華経の行者といはれぬる事はや不祥なりまぬかれがたき身なり(御書903ページ7行目〜9行目)

宿縁深き門下
本抄の前半で、大聖人は、法華経の行者として、また、上行菩薩として戦い抜かれたことを示されています。
そして、「自解仏乗」で日蓮と名乗られたことが示されました。
その内容を受けて、「かかる者の弟子檀那とならん人人」以下は、大聖人に連なる宿縁深き門下が、覚悟の信仰を貫き、師弟不二の生涯を築いていくように教えられています。
「かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり」です。
大聖人との宿縁が深いということは、過去世において地涌の誓願に立ち、不二の決意に燃えて、今日、悪世に生まれてきた、ということです。
大聖人は、「生死一大事血脈抄」で、「過去の宿縁追い来って今度日蓮が弟子と成り給うか・釈迦多宝こそ御存知候らめ、『在在諸仏土常与師倶生』よも虚事候はじ」(御書1338ページ)と仰せです。
私たちは、この宿縁があって師弟の道を歩み、今世で広宣流布に集い合った同志です。
本抄の冒頭の「結句題目の行者となれり、まことにまことに過去十万億の諸仏を供養する者なり」(同902ページ)との仰せも、この師弟の宿縁を教えられていると拝することができます。
「日蓮と同じく」とは、いかなる難も恐れぬ勇気と、苦悩の衆生を救う慈悲と、あらゆる困難に立ち向かう智慧をもって、広宣流布に励んでいくように促されている一節です。
「法華経の行者といはれぬる事はや不祥なりまぬかれがたき身なり」——大難や宿命と戦うことは、世間的な眼から見れば苦労が多い「不祥」と映るかもしれません。しかし、そこにこそ真の成長と歓喜と、満足と充実の「使命」があります。
どこまでも「師弟」に生き抜く決意で、新たな挑戦を開始していきましょう。

結びに
「寂日房御書」の御書講義の範囲の続きの部分も確認しておきます。
最後に大聖人は、現在、未来にわたる御本尊の功徳力を強調され、大聖人を守り支える功徳によって、女性門下自身が荘厳されることは間違いないと示されています。
そして、信心を怠ることなく題目を唱えていきなさいと激励されて、お手紙を結ばれています。
「日蓮をたすけ給う事・今生の恥をかくし給う人なり後生は又日蓮御身のはぢをかくし申すべし、昨日は人の上・今日は我が身の上なり」(同903ページ)と仰せです。
「今生の恥」とは、今世で味わう恥、すなわち、現在の人生のさまざまな困難や苦しみを指しています。
大聖人に御供養し、身を助ければ、今度は、未来に大聖人があなたの身を助けることになるでしょう。昨日は他人の上、今日は我が身の上である、と教えられている一節です。
詳しくは分かりませんが、大聖人は、この御書を受け取った女性門下に対し、これまで大聖人に御供養し、大聖人の闘争をお守りしたことを、本当に深く感謝されています。それとともに、因果の功徳によって、この女性門下が今世も来世も、妙法の功力に包まれることは間違いないと示されています。
御供養をはじめ、広宣流布の一切の活動は、自身の生命を荘厳していきます。
すなわち、自分が、妙法の幸福の軌道に乗ることで、御本尊、そして、仏や菩薩、諸天善神に包まれ、守られていくことは絶対に間違いありません。
大聖人は、このお手紙を通じて、女性門下に"私と共に生きよ""広宣流布に生きよ""仏法のために生きよ"と仰せです。
決定した一念が、自分自身の幸福境涯を築き、大満足の人生を約束します。
創価学会創立100周年へ、次の一歩を踏み出し、力強く前進していきたいと思います。

☆学ぼう「黄金柱の誉れ」Q&A 第21回 病と闘う友に
病と闘う友の回復を皆で祈り、支えていく。それが創価の心です。病気と闘う心構えについて、壮年部指導集『黄金柱の誉れ』から池田先生の指導を紹介します(指導集135ページから137ページまでを抜粋)。

<報恩の信心で>
戸田先生は、病気の人の話を聞くと、その晩、その人の夢を見ることがあるくらい、一緒に苦しんであげていた。そのうえで、本気で信心しないで功徳だけ欲しがったり、少しでも良くなったのに「まだ全快しない」と愚痴を言うような人には、厳しく信心の姿勢を正しておられた。
「形式ではなく、命を打ち込んで、御本尊にすがりつくのです。命を御本尊に差し上げるくらいの、本当の決意をもった題目ならば、治らないわけがありません」(中略)
「少しでも良くなったならば、心から感謝することです。それなのに、まだ悪いところがある、まだ良くならないと、まるで御本尊様に貸しでもあるように考えているのではないですか。それではだめです。不知恩の行動に出ると、治ったものまで悪くなります。少しでも良くなったことを深く感謝して、感謝に満ちみちて信心をしなさい!」(中略)
まさに、薬王菩薩の「報恩」の信心を教えられたのです。この信心に立ったときに、己心の「薬王菩薩」が意気さかんに活動を始めるのです。自分の全細胞を一新させるくらいの決意で祈るのです。六十兆の全細胞一つ一つの薬王菩薩をたたき起こして、発動させるのです。私だって、三十歳までしか生きられないといわれた体で、ここまで働いて、ここまで長寿を勝ち取った。
(『池田大作全集』第31巻、「法華経の智慧」)

<幸福になり、勝利するための試練>
御聖訓には「この病は仏のお計らいだろうか。そのわけは、浄名経、涅槃経には病がある人は仏になると説かれている。病によって仏道を求める心は起こるものである」(御書1480ページ、通解)と御断言です。
病気という苦難を糧にして、自分の信心を強め、境涯を深め広げていくことができるのです。
病気との闘いは、妙法に照らして、永遠の次元から見れば、すべてが幸福になり、勝利するための試練です。病気だから、不健康なのではありません。他人や社会から決められるものでもない。
健康は、何があっても負けない自分自身の前向きな生き方の中にこそあるのです。
(本紙2012年7月26日付、「若き君へ」)

<「宿命を使命に変えるのです」>
戸田先生も、「初めから立派過ぎたのでは人々の中に入っていけないから、われわれは仏法を弘めるためにわざわざ貧乏や病気の姿をとって生まれてきたんだよ」「人生は芝居に出ているようなものだよ」と、しばしば言われていた。(中略)
自分の苦しみを「業」ととらえるだけでは、後ろ向きになる。それを、あえて「使命のために引き受けた悩みなのだ」「これを信心で克服することを自分が誓願したのだ」と、とらえるのです。
願兼於業は、この「一念の転換」を教えている。宿命を使命に変えるのです。自分の立てた誓願ゆえの悩みであるならば、絶対に乗り越えられないはずがない。
(『池田大作全集』第29巻、「法華経の智慧」)