2021年12月20日月曜日

2021.12.20 わが友に贈る

◇今週のことば
年末年始のあいさつは
心の温もりを広げる。
「友に合うて礼あるべし」
近隣・親戚・友人・知人と
信頼と友情の深まりを!
2021年12月20日

御義口伝巻上 P751
『此の本法を受持するは信の一字なり、元品の無明を対治する利剣は信の一字なり』

【通解】
この本法(三大秘法の南無妙法蓮華経)を受持するのは信の一字による。元品の無明を対治する利剣は信の一字である。

名字の言 希有の師匠と同じ時代に生きる喜び 2021年12月20日
46億年の地球の歴史を「1年間」に当てはめると? モスクワ大学のログノフ総長が池田先生との対談の中で語っている▼地球の始まりを1月1日午前0時とすると約40億年前に"生命"が誕生したのは2月ごろ。大気に酸素が行き渡るのは7月ごろで、生物が大陸に上がる時代は11月になってしまう。人類の出現は12月31日の大晦日の夜で、約5000年前にエジプト文明などが現れたのは「午後11時59分26秒」だという▼21世紀の開幕もこの"宇宙歴"では、年明けのわずか1秒前になる。宇宙の誕生は138億年前といわれるから、人としてこの星に生まれたことがどれほど希少であり、意義深いことか。御書に「人身は受けがたし爪の上の土」(1173ページ)と仰せの通りだ▼いわんや仏法に縁することをや。法華経にこんな比喩がある。仏にあうことは、3000年に一度開花する優曇華を見ることや、1000年に一度海上に浮かび上がる一眼の亀が浮木にあうことくらい難しい。しかし仏との宿縁が深いゆえ、正法と巡り合うことができた——と▼日蓮大聖人の御聖誕から800年。最高無二の哲学を持ち、希有の師匠と同じ時代に生きる喜びを胸に、残り少ない一年の一日一日を無駄にするまい。

寸鉄 2021年12月20日
学会は前進の息吹が漲り後退という言葉がない—学者。青年の心で飛躍!
東京・多摩池田総区「師弟原点の日」。共に友好対話拡大。共に凱歌の歩みを
善に対し感激と熱意持つ人こそ教養の人—哲人。生命弾ませ今日も広布へ
コロナ禍で不登校が過去最多。寄り添う心を常に。小さなSOSをキャッチ
国連の「人間の連帯国際デー」。差異を超え人を結ぶ創価の対話。使命は大

☆子どもと学ぶ 日蓮大聖人の御生涯 第1回:誕生から立宗宣言へ
日蓮大聖人の御聖誕800年という意義深き年に当たり、「子どもと学ぶ 日蓮大聖人の御生涯」を連載します。末法の御本仏の崇高な御生涯から、全人類の幸福を願う慈悲と勇気を学んでいきましょう。

◇第1回:誕生から立宗宣言へ
今から800年ほど前の鎌倉時代のお話です。
安房国(現在の千葉県南部)の海辺の村で、一人の元気な男の子が生まれました。後の日蓮大聖人さまです。
幼い大聖人さまは、すくすく育ち、12歳になると、安房国にある清澄寺というお寺で勉強するようになりました。
「苦しむ人々を救うために仏法をたくさん学び、日本一の賢い者になろう」——若き大聖人さまの胸には、決意の炎が赤々と燃えていました。
16歳を迎えた時、大聖人さまは、清澄寺の道善房を師匠として、本格的に仏法を学ぶ道に入りました。
ある日、いつものようにお寺で仏法を学んでいると、不思議な感動を覚えました。
「ああ、仏法の教えは、なんてすごいのだろう! まるで、暗い夜空に明るく輝く星が、進むべき方向を示しているようだ」
やがて、もっと深く学びたいという思いが強くなった大聖人さまは、当時の政治の中心地であった鎌倉をはじめ、遠く離れた京都や奈良などにある大きなお寺を巡りながら、難しい勉強に挑戦していきました。
各地の大きなお寺には、数え切れないほどの仏さまの教えをまとめた本があり、大聖人さまは、それらを読み深める中で、一つの確信をつかみます。
「仏さまのあらゆる教えの中で、最も勝れているのは『法華経』である。そして、法華経の教えの全てが詰まった大事な法こそ、『南無妙法蓮華経』なのだ。この教えを全世界に弘めるのは、私しかいない」
こうして、生まれ故郷に戻った大聖人さまは、32歳の時、清澄寺に集まった人々の前で、南無妙法蓮華経の題目を高らかに唱えました。
そして、「未来にわたって、あらゆる人々を救う正しい法は、この妙法しかない」と力強く宣言したのです。(立宗宣言)
ところが、別の信仰をしていた人たちは、その話を聞いて、「俺たちが間違っているというのか!」と、カンカンに怒り、大聖人さまを襲おうとします。
なんとか危機を逃れた大聖人さまは、故郷を離れ、鎌倉に向かいました。
自ら「日蓮」と名乗るようになり、人々に正しい教えを弘めるため、勇気の一歩を踏み出したのです。

◇[道しるべ]誓願の宗教
日蓮大聖人が立宗宣言をされたのは1253年(建長5年)4月28日。そこに至るまでの御心境が、「開目抄」につづられています。
謗法の諸宗こそが民衆の苦悩の元凶であると明かして正法を説けば、必ず大難が起こる。しかし、言わなければ人々の成仏の道を閉ざし、無慈悲になってしまう——葛藤の末になされたのが"正法を弘めゆく"との烈々たる御決断でした。そして、さらに思索を重ねられた大聖人は、「今度・強盛の菩提心を・をこして退転せじと願じぬ」(御書200ページ)と、不退転の決意で民衆救済の道を歩み抜くことを強く誓われたのです。
宣言以来、大聖人が幾多の迫害を乗り越え、死身弘法を貫かれた原動力こそ、広宣流布の誓願です。大聖人は、門下に対しても、「願くは我が弟子等・大願ををこせ」(同1561ページ)と、自身と同じ誓願に生き抜くよう教えられています。
池田先生は述べています。
「(大聖人は)誓願を貫くことによって仏の心と一体化し、生命の奥底から仏界の無限の力を涌現することができることを示し、教えてくださったのである」
日蓮仏法は「誓願の宗教」です。広布の誓願に生き抜く人に行き詰まりはありません。一切の苦難を勝ち越え、必ず希望の人生を開いていけるのです。

[地図・略年表]
貞応元年(1222年)2月16日 御誕生(1歳)
天福元年(1233年)     清澄寺で修学を開始(12歳)
延応元年(1239年)     鎌倉などに遊学(18歳)
仁治3年(1242年)     比叡山などに遊学(21歳)
建長5年(1253年)4月28日 清澄寺で立宗宣言(32歳)
(聖寿は数え年)