2021年12月24日金曜日

2021.12.24 わが友に贈る

家族の語らいを大切に。
わが子の思いを受け止め
その頑張りを称えよう!
冬休みの関わりを通して
親子の絆をさらに強く!

法蓮抄 P1044
『戯論に一言継母の継子をほむるが如く心ざしなくとも末代の法華経の行者を讃め供養せん功徳は彼の三業相応の信心にて一劫が間生身の仏を供養し奉るには百千万億倍すぐべし』

【通解】
戯れに一言でも、継母が継子をほめるように、志がなくても、末代の法華経の行者をほめ、供養する功徳は、かの三業相応の信心によって一劫の間、生身の仏を供養することよりも百千万億倍すぐれている。

名字の言 「節目は成長の軌跡であると同時に再出発の拠点」 2021年12月24日
各地で雪のニュースが聞かれるようになった。札幌・函館の両市では、路面電車の軌道に積もった雪を払う「ササラ電車」が走る。車両に取り付けられた「ササラ」は細い竹を束ねたブラシで、回転させて雪を吹き飛ばす▼節のある竹はしなやかさがあり、簡単には折れない。畑の雑草であるメヒシバやツユクサも同様に節をもつそうだ▼節目を作る営みは、植物の成長からすれば、一休みしているようにも見える。だが、節目があることで、たとえ刈られても、そこから再び芽を出すことができる。「雑草にとって、節目は成長の軌跡であると同時に再出発の拠点となります」と植物学者の稲垣栄洋氏は語る(『大事なことは植物が教えてくれる』マガジンハウス)▼人間も、立ちはだかる苦難の壁を乗り越えた時、人生の節ができると言えるかもしれない。その体験が原点とも転機ともなって、人生の風雪にも折れることなく、生涯、青年の心で伸びやかに成長していける▼年末年始は一年の来し方を振り返り、新たな"飛躍の節"を刻もうと決意する好機。「願くは我が弟子等・大願ををこせ」(御書1561ページ)の一節を深く拝し、清新な息吹で出発しよう。そこから、明年の"破竹の勢い"が生まれる。

寸鉄 2021年12月24日
「須弥山の始を尋ぬれば一塵」御聖訓。今日の一歩前進が次なる飛躍の因に
「会館守る会」「宝城会」に感謝!令法久住のための尊き献身に功徳は厳たり
青年は夢が大きすぎる位でいい—戸田先生。目標は高く!勢いよく挑戦を
健康寿命さらに延びる。今世の命を何に使うか—"生き方"が問われる時代
列島に寒波。大雪の恐れ。雪下ろしは命綱使う等、落下に注意。安全最優先

〈社説〉 2021・12・24 地域の宝の受験生にエール
◇若き可能性を信じる励ましを
「この季節になると3度の大学受験を思い出すんです」と、ある学生部のリーダーが語ってくれた。
彼の受験の挑戦は、中学校の勉強の復習から始まった。浪人1年目は勉強することに慣れるので精いっぱい。2年目は、それまでに何通もの不合格通知を見ていたこともあり、模試で良い判定が出ても、なかなか不安を拭い去ることはできなかった。
それでも諦めずに頑張れたのは、浪人1年目に亡くなった祖母の励ましの言葉があったからだ。祖母は、彼の1度目の受験当日に、メールを送ってくれた。体調への気遣い、そして"自分のやってきたことに自信をもって、堂々と胸を張って受験すれば、あなたなら大丈夫!"との、彼の可能性を信じ抜く内容だったそうだ。
彼は、心が折れてしまいそうになるたびに、「自分の可能性を信じてくれている人がいたじゃないか」と、メールを見返し、自身を鼓舞し続けたという。
昨年に続き、今年の受験生たちも、コロナ禍の影響で登校できず、授業がオンラインになるなど、かつてとは異なる学校生活を過ごしてきた。ある生命保険会社の調査(2021年)では、コロナ禍が進路や志望校の選択に影響を与えたと回答した中高生は約7割。うち半数は「不安が増した」と。制限の多い中、未来に向かって挑戦する友も多い。
池田先生は「励ましとは、安心と希望と勇気を与えることである。相手の生命を燃え上がらせ、何ものにも負けない力を引き出す、精神の触発作業である」とつづっている(『新・人間革命』第21巻「共鳴音」の章)。
周囲は、"地域の宝"である受験生の負担にならないように、気を配ることが大切だ。その上で電話や手紙なども活用しながら、会う場合は短い時間でも、丁寧な励ましに徹しよう。
彼らの不安や悩みを完全に取り去ることは難しいかもしれない。それでも同苦の精神で励ませば、相手の心は軽くなる。友に、苦難に負けない希望や勇気を届けたい。「ほかの誰でもない、あなた自身の可能性を信じ抜こう! 私たちも祈っているから」と、真心のエールを送ろう。
創価の「精神の触発」によって、若き彼らの人生と私たち自身の人生に、黄金の勝利の歴史を刻んでいきたい。

☆桂冠詩人40周年 勇気の舞 凱歌の行進 第20回 多宝の友へ
本年は、「桂冠詩人」の称号が池田先生に贈られてから40周年。連載企画「勇気の舞 凱歌の行進」では、先生がつづった長編詩を紹介します。第20回は、多宝の友に詠んだ「広宣の勝利者に贈る」(2001年)です。

◇君は宇宙と共に三世に永遠!
おお
偉大なる多宝の友よ!
広宣流布に戦い抜いた
尊き多宝の友よ!

皆さまは戦った。
そして
皆さまは勝った。
真っ赤な太陽と共に
生き抜き
戦い抜き
偉大にして荘厳なる
人生を飾られた。

後悔なく
人生の前進
また前進をし抜いて
最高に尊貴な宝冠を
胸に抱きながら
悠然として
未来を高々と見つめながら
あなたは勝った!
人間の英雄である。

君よ
今日も
歓びを認める日であれ!
そして今日も
いかに苦しくても
美しく朗らかに
足跡を残しゆく日であれ!

◆◇◆

自身の勝利は
人生の最終章の時に
決定される。
自身の幸福もまた
その最終章で決まる。
若くしての成功も
若くしての幸福も
幻である。

勝ち誇った人生の
今際の時の境涯が
永遠の合図となる。
「人生の勝負は
死の数年前で決まる」とは
著名な哲学者の言葉であった。

◆◇◆

君の一生は
自分を感動させながら
無数の人々まで
感動させ抜いた。

卑劣な者たちまでも
今となっては
あなたの強き信念を
見上げ
自身の中傷・批判を
覆しながら
最敬礼をしている姿よ。

あなたは勝った!
あなたの人生は
生ある限り 尊き仏天が
行く道を荘厳する。
さらに眠る時が来ても
無数の鳥が
舞い出でて歌い
君のいるところ一帯は
あらゆる国々の名曲が
轟き響きわたって
聞こえる。

君には
世の果てはない。
宇宙と共に
三世に永遠!
わが一族も
これまた
三世に永遠!

◆◇◆

おお
生き抜こう!
おお
戦い抜こう!

君も
人生を躍れ!
私も
勝って人生を躍る。

御聖訓には
「上行菩薩の大地より
いで給いしには
をどりてこそ
いで給いしか」と。

優しく そして
燃える忍耐で武装した
壮麗なる わが友よ!

無数に飛び交う
あの白鳥を見つめながら
堂々たる
偉大な人生の勝利を
金星の勝利を
見せつけ給え!

☆いのちの賛歌 心に刻む一節 テーマ:世雄と光る
企画「いのちの賛歌 心に刻む一節」では、御聖訓を胸に、宿命に立ち向かってきた創価学会員の体験を紹介するとともに、池田先生の指導を掲載する。今回は「世雄と光る」をテーマに、福島県の壮年に話を聞いた。

テーマ:世雄と光る
◇御文
『聖人の唱えさせ給う題目の功徳と我れ等が唱へ申す題目の功徳と何程の多少候べきやと云云、更に勝劣あるべからず候』(松野殿御返事、御書1381ページ)

◇通解
聖人の唱えられる題目の功徳と我々が唱える題目の功徳に、どれほどの相違があるのかとの質問であるが、題目の功徳にはまったく勝劣はない。

◇決定した祈りで道を開く
◇会社の経営危機を乗り越えて
2007年(平成19年)の春先。福島市にある建設会社の代表取締役に就任したばかりの佐藤敏清さん(63)=福島・伊達常勝県長=は、事務所で一人、腕組みをして目をつむっていた。折からの不況のあおりを受け、経営はすでに傾いていた。多額の負債もあった。「どうするか……」。小さくうめいた。
     ◇
佐藤さんは高校を卒業後、職を転々とし、23歳の頃、友人の父親が役員を務めていた現在の建設会社に誘われて入った。
建築現場で汗を流しながら、学会では男子部として求道の炎を燃やした。折伏にも地道に挑み、師との原点を築いてきた。
会社の前代表取締役から後継の打診を受けたのは06年ごろ。50歳を目前にした時だった。佐藤さんは、恩義も思い入れもある会社だけに、悩んだ。そして、恩返しの思いもあって、引き受けることにしたという。
「その時点で、会社の経営が厳しいことは分かっていました。けれど、『信心してっから、何とかなっぺ』という、負けん気の方が強かったんです」
会社は、佐藤さんの就任前から赤字が続いていた。
その後、世界的な経済危機や、公共事業の削減などの影響によって、福島市内の建設業界もじわじわと体力を奪われる中、佐藤さんの会社も土俵の際に追い込まれていく。毎年積み重なる債務は、いつしか数千万円規模にまで膨らんでいた。
「周りの同業者たちもバタバタと倒れていった。つぶれずとも、経営は"瀕死の状態"という会社ばかり。うちも、いつ倒産してもおかしくないような状況でした」
社員と共に佐藤さんも営業に動いたが、新たな受注はほとんど無かった。社員への給料の遅配や、リストラも余儀なくされる。去っていく社員の背中を見るのは、つらかった。
当時、学会では支部長を務めていた佐藤さん。「どうしたらいいんだって、悩みに悩みました。自分がここで負ければ、学会に泥を塗ることになると思って」と振り返る。
この時に拝した御書が、「聖人の唱えさせ給う題目の功徳と我れ等が唱へ申す題目の功徳」には「更に勝劣あるべからず候」(1381ページ)との一節だった。
師匠と弟子が唱える祈りの功力は、全く同じである——題目の深義を示された御本仏の仰せに、胸を打たれた。
"そうだ! 創価の祈りに不可能は断じてないはずだ。俺の姿で、それを証明してみせる!"
御書に線を引き、命にたたき込むように、佐藤さんは何度も何度も拝した。
「とにかく、祈りました。寝ても覚めても題目しかなかった」
祈るほど、抱いていた焦りや不安が小さくなっていった。「まず、目の前のことに全力を尽くそう!」。心が前を向いた。
営業先では、顧客のどんな要望にも真摯に耳を傾けた。引き受けた仕事は、たとえ規模が小さくても誠心誠意、取り組んだ。
また、どんなに苦しい状況でも、学会活動には一歩も引かなかった。自らの命を磨く唯一の道は、そこにしかないと覚悟を決めていたのだ。
やがて、丁寧な仕事ぶりが評価され、工事の受注数は少しずつ伸びていった。
この間、東日本大震災にも見舞われたが、地域の復興に尽くす中で経営状況は徐々に上向いていく。数年後、数千万円の負債を完済し、会社を安定した軌道に乗せることができた。かつてリストラした社員たちも、呼び戻せた。
「師弟の祈りが合致していった時に、師と同じ不屈の力を湧き出せるんです。"どん底"を経験したからこそ、私はその確信を深めることができました」
今では、県や市の公共事業に元請けとして携われるまでに。これまで、福島市からの2度の優良工事表彰にも輝いた。
「祈って自らの心を定めれば、ぶれなくなる。何があっても右往左往しなくなる。そうなれば、人生で負けることは絶対にありません」

佐藤さんが大切にしている箱の中には、池田先生の指導が掲載された、本紙の過去紙面などがしまってある。
「苦しい時はそれを引っ張り出してきて、何度も読み返す。すると"こんなことで負けてらんねえな!"って気合が入る。常に根本は師弟です」
振り返れば、佐藤さんの人生は「挑戦」の連続だった。
35歳で結婚。第2子が生まれた翌年、39歳で福島大学の経済学部(当時)に社会人枠で入学した。「信心している自分がどこまでやれるのか、試してみたかった」と佐藤さんは笑う。
日中は建築現場で働き、夜は大学に通って授業を受ける日々。当時、学会では地区部長を務めていた。激務が重なり、体調を崩したこともあった。
行き詰まるたび、師の指導を読み返しては、自らの「心」を奮い立たせた。その後、同大学大学院に進み、経済学研究科修士課程を修了している。
経営の厳しい会社を受け継いだのも、ある意味で「挑戦」だった。その横に、いつも笑顔で支え続けてくれた妻がいたからこそ、挑み抜けたことは言うまでもない。
佐藤さんは話す。
「人生、真っすぐな一本道はありえない。紆余曲折は必ずある。挑戦の連続だから、何があっても命をビシッと真っすぐにしてくれる"哲学"が必要なんです。それが、創価の師弟です」
池田先生は語っている。
「『法華経の信心』とは、観念論でも抽象論でもない。現実の社会で勝利するための具体的な智慧を発揮しゆくものでなくてはなりません。
大聖人御自身が、師子王の心で、勝利また勝利の大闘争を続けてこられた。決定した一念にこそ諸天善神も動くのです」(池田大作先生の指導選集〈中〉『人間革命の実践』)
全てに祈り、勝つ!——不屈の信念を貫く佐藤さんの姿に、社会のいかなる激流をも乗り越えていく智慧と情熱が脈打っている。

[教学コンパス]
主に働く世代を対象に実施した、あるアンケート結果によると、「仕事でのやりがい」を感じるために取り組んだこととして、最も多かった回答が、「目の前の仕事に一生懸命取り組む」ということだった。仕事も人生も、眼前の現実に真正面から向き合い、勇気をもって挑んでいく中でこそ、自らが果たすべき使命を見いだしていけるのだろう。
日蓮大聖人は「一丈の堀を越えられない者が、どうして十丈・二十丈もの堀を越えることができるだろうか」(御書912ページ、通解)と仰せだ。私たちの活動もまた、地道な挑戦の連続である。どこまでも信心根本に、まず、目の前のことに粘り強く挑戦する。勇気の歩みを、一歩また一歩と重ねていく。その弛まぬ前進の先に、自らが思ってもみないような幸福境涯が開けることは、御書に照らして間違いないのだ。
明年は「青年・飛躍の年」。偉大な飛躍も、その始まりは「一歩」を踏み出すことから。自身の境涯をさらに開いていく挑戦を、ここから開始したい。(優)