強烈な寒波接近に伴う
暴風雪・凍結に警戒を!
配達に携わる方など皆が
交通事故等に遭わぬよう
真剣に題目を送ります。
王日女殿御返事 P1263
『仏は真に尊くして物によらず、昔の得勝童子は沙の餅を仏に供養し奉りて阿育大王と生れて一閻浮提の主たりき、貧女の我がかしらをおろして油と成せしが須弥山を吹きぬきし風も此の火をけさず』
【通解】
仏はまことに尊く、供養の品物で真心を測ることはない。昔、得勝童子は砂の餅を仏に供養して阿育大王と生まれ、全世界の王となった。ある貧しい女性が自分の髪を剃って、その代価で油を求め、灯を供養したところ、須弥山を吹き抜いた強い風も、この灯を消すことはなかった。
名字の言 箱根駅伝中継を支える人々 2021年12月26日
来年で放送35年となる日本テレビの箱根駅伝中継には、延べ1000人以上の制作スタッフが携わる。選手一人一人のドラマを伝えるための事前取材は1年がかりで行うという▼当日は約80台ものカメラを使用するほか、各中継所などで70人を超えるスタッフが活躍。順位変動が起こりそうなポイントを予測し、先頭はもちろん、中位や下位争いも撮り逃さないよう注視する▼その中で、番組総合ディレクターの椿亮輔氏が悔しさをにじませながら振り返るのが前々回大会。最終10区で「シード権が変わる瞬間を撮れなかった」ことだ。シード圏内の10位から約1分遅れで出走した創価大学が予想外の速さで、前を走る中央学院大学を抜き去った場面である(「Number」2022年1月7日号)▼中継中、いつの間にか順位が入れ替わり、驚いたことを思い出した。同時に、視聴者に感動を届けようと奮闘する関係者の苦労を知り、深い感慨が込み上げた。どんな分野でも、一つのドラマの陰には、無数の人々の関わりがある。そこに思いを致す時、物事の見え方は重層的、多面的になる▼大会では約1800人の学生補助員も無事故の運営に当たる。多くの支えによって成り立つ"夢舞台"に熱い声援を送ろう。
寸鉄 2021年12月26日
妙法は上へ上へと向上しゆく法—戸田先生。新年の「飛躍」期し助走開始!
会長の青年の可能性への信頼が私を啓発—元次長 わが地域に後継の大河を
使命に目覚めた人はあらゆる悩みを解決—文豪。広布の大目的に生き抜け
創作四字熟語の最優秀作「七菌八起」に。長引く試練に"不屈の魂"で応戦
特殊詐欺が過去最多。被害者85%が65歳以上と—白書。慌てずに確認・相談
☆御書の旭光を 第66回 魔を寄せ付けぬ強盛な祈り
〈御文〉
『南無妙法蓮華経と御唱えつつしむべし・つつしむべし』(兵衛志殿御返事、1108ページ)
〈通解〉
南無妙法蓮華経と唱え、身を慎んでいきなさい。慎んでいきなさい。
〈池田先生が贈る指針〉
魔に付け入る隙を与えるなかれ——池上兄弟へ題目根本に同心で団結するよう戒められている。
信心は仏と魔の闘争である。油断や慢心、不和に魔は潜む。火災や交通事故など"絶対に起こさない。巻き込まれない"との強盛な祈りと聡明な振る舞いが要諦だ。
年末年始、「百千万億倍の用心」で幸福安穏の日々を!
☆「世界を照らす太陽の仏法」に学ぶ 第20回 善知識の連帯
◇三三蔵祈雨事
『夫れ木をうえ候には大風吹き候へどもつよきすけをかひぬれば・たうれず、本より生いて候木なれども根の弱きは・たうれぬ、甲斐無き者なれども・たすくる者強ければたうれず、すこし健の者も独なれば悪しきみちには・たうれぬ(中略)仏になるみちは善知識にはすぎず、わが智慧なににかせん、ただあつきつめたきばかりの智慧だにも候ならば善知識たいせちなり』(御書1468ページ1行目〜7行目)
◇池田先生の講義から
創価学会は、牧口先生、戸田先生の不惜身命の闘争から始まった大聖人直結の団体です。
御本仏の一切衆生救済の精神が横溢している、「民衆の安全地帯」です。善友が集い合い、誰も置き去りにしない「温かな人間主義の組織」です。
◆◇◆
今、多くの新会員が決意も新たに折伏・弘教に奮闘しています。青年部の共進、共戦も頼もしい限りです。
新たに立ち上がった友も多い。その陰には、共々に広布の大道を進んでいきたいと、共に励まし、共に祈り、共に学び、共に動き続けてくれた幾多の先輩や同志の奮闘があります。
先輩たちにとっても、そうした経験は、自身の境涯を開くきっかけとなっています。
また、成長した人材が、今度は後輩と一緒に前進する中で「心の財」(御書1173ページ)を積み上げていきます。こうした希望の連動の中でこそ、私たちは悩みを乗り越えて、自他共に大歓喜の人間革命を成し遂げていくことができるのです。
(『調和と希望の仏法——「人間の宗教」の時代へ』から)
石田幸司 男子部教学部長
◇自他共に歓喜の人間革命を!
御書根本に「青年・飛躍の年」へ!
男子部では、一人一人が生涯の指針となる御書の一節と出あうことを目指し、「ONE GOSHO運動」として、リーダー率先で会合や個人指導などで御聖訓を引く取り組みを続けています。
私も学生時代から御書に親しみ、多くの先輩や友に教えていただいた一節一節を、励みにしてきました。
今回、その中の一節で、特に男子部大学校生など、活動を始めて間もない友と学び合っている「三三蔵祈雨事」を拝していきたいと思います。
◇"仏道修行の全て?"
本抄の講義の冒頭で池田先生は、釈尊が弟子に語った、「善き友を持ち、善き友と一緒に進むということは、仏道の半ばではなく、仏道の全てなのである」という言葉を紹介されています。
この言葉を初めて知った学生の時、正直、"それは言い過ぎなのではないだろうか"と思いました。仏道修行には、自分の努力が、なによりも重要であると考えていたからです。
しかし、自身の過去を振り返ってみると、何一つとして自分一人だけで達成できたことはありません。どんな時にも必ず、共に祈り、共に悩み、共に戦う同志がいて、励まされてきたことに気付きました。
池田先生は、釈尊の言葉を通し、「ここに、仏道修行の本来の在り方が、端的に示されています。最後まで正しき信心を全うし、真実の勝利の人生を歩み抜くためには、自分を支えてくれる『善き友』、すなわち『善知識』の存在が絶対に必要なのです」と講義されています。私たちにとっての善知識とは、正しい仏法に導いてくれる師匠・池田先生と、善き同志の連帯を広げる創価学会にほかなりません。
「立正安国論」には、「汝蘭室の友に交りて麻畝の性と成る(中略)但し人の心は時に随って移り物の性は境に依って改まる」(御書31ページ)と仰せです。人の心は縁に紛動され、移ろいやすいものです。ゆえに、信心を貫くには、善知識を求め、触れ続けることが「絶対に必要」なのです。
◇関わる全ての方が
次に先生は、創価学会は「地位や名誉、財産も関係なく、老若男女を問わず、互いに飾らず、ありのままの人間として共に励まし合い、共々に成長し、幸福を勝ち取る『庶民の城』」であると述べられています。
その一員である私たちは、日常的に善知識に触れていると同時に、自分自身が誰かの善知識にもなれます。
池田先生は、「『共に』という心と行動のなかに、日蓮仏法の真髄があります。師弟の本質も『共戦』にあるのです」と強調されています。
師匠と同志と「共戦」する中に、大聖人が「日蓮が弘通する処の所詮是なり」(同1337ページ)と言われた「異体同心」が実現すると確信します。
私が男子部の部長時代、会合には参加するものの、消極的で寡黙な部員さんがいました。訪問・激励を重ね、共に題目を唱え、先生の指導を学ぶ"毎週の部の会合"に2年近く参加してもらったある日、突然、その彼が仕事についての決意を述べたのです。心の底から感動しました。そして彼は、その決意通りに仕事で結果を出すとともに、自分から他のメンバーに話し掛けたり、自主的に訪問・激励に挑戦したりするようにもなりました。その姿に、信心の素晴らしさ、仏縁に触れ続けることの大切さを教えてもらいました。
私は、"自分が善知識であろう"と思っていましたが、実はその彼は"私にとっての善知識"でもあるのだと実感しました。学会員であるなしにかかわらず、私に関わる全ての方が善知識であると心から感謝しています。
◇連鎖反応と相互作用
今回学ぶ御文は、善知識を求めることの大切さを教えられたものです。その上で、自身が誰かの善知識になっていく大切さを教えてくださっているとも拝せます。
その誰かがまた別の誰かにとっての善知識であり、自身にとっても善知識である——先の体験をはじめ、学会活動を通して、このことに気付かせていただきました。
善知識が善知識を呼ぶ"善知識の連鎖反応"、互いに善知識となる"善知識の相互作用"を次々と起こしているのが創価学会なのです。
私たちの日常の活動の中でも、さまざまな事情を抱えて、"思ったように頑張れていない"と、つらさを感じている方もいらっしゃると思います。しかし、どんな状況であっても、今を精いっぱい生きている姿が、誰かに希望と勇気を与えていることは間違いありません。
誰もが誰かの善知識——この創価の励ましの世界を築いてくださった池田先生への感謝は尽きません。
今、男子部では「共に動く」ことを活動のポイントに掲げています。明「青年・飛躍の年」を一人一人が勝利するため、御書根本に善知識の連帯を、さらに拡大していきます。
◇メモ
「三三蔵祈雨事」は、建治元年(1275年)、または、その翌年に身延で著され、駿河国(静岡県中央部)富士上方西山郷に住む門下・西山入道に与えられたお手紙とされる。「善知識」や現証の重要性が説かれている。善知識とは、良い友人・知人の意で、仏法を教え仏道に導いてくれる人。師匠や、仏道修行を励ましてくれる先輩・同志をいう。反対に誤った教えを説いて人々を迷わせ、仏道修行を妨げたり不幸に陥れる悪僧・悪人を「悪知識」という。