充実と納得の協議が
広布伸展の鍵だ。
事前の準備を入念に
皆が主役の語らいを!
心一つに進みゆこう!
生死一大事血脈抄 P1338
『相構え相構えて強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経臨終正念と祈念し給へ、生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ』
【通解】
心して強盛の大信力を出し、南無妙法蓮華経、臨終正念と祈念なさるがよい。生死一大事の血脈をこのことのほかに求めてはならない。
名字の言 団結でつかんだ20年ぶりの日本一 2021年12月3日
連日、白熱の勝負が繰り広げられたプロ野球の日本シリーズ。全6試合が2点差以内という大接戦を制し、ヤクルトが4勝2敗で日本一に輝いた▼息詰まる投手戦となった最終戦。ヤクルトは執念の継投でオリックス打線を封じ、最後の攻撃へ。延長の激闘に終止符を打ったのは代打の切り札・川端。値千金の決勝打でチームを勝利に導いた▼初戦を前に、高津監督は選手・スタッフに呼び掛けた。「我々の特長はつながり。全員が一つの輪になって、全力で四つ勝てるように努力していこう」。野球は9人の先発メンバーだけでするものではない。救援投手、代打、代走、守備固め……。ユニホームを着ない裏方もいる。20年ぶりの日本一は、それぞれが役割を果たしてつかんだ団結の栄冠だった▼どんな舞台も、表に立つ人と裏で支える人がいる。主役だけでは成り立たない。役回りは違っても、携わる全ての人が一つの輪となり、持ち味を発揮してこそ、成功と発展の道は開かれる▼信心の世界も同じだ。学会が「勝負の10年」の初陣と位置付けた本年の凱歌は、誰一人欠けてもなし得なかった。陰に陽に広布を支える同志に心からの感謝を伝え、新しい一年も「総合力」で、皆が輝くドラマをつづろう。
寸鉄 2021年12月3日
「成仏は持つにあり」御書 苦難の時こそ御本尊に強く祈り進む—勝利の要諦
「聖教公式ツイッター」が好評。更に幅広く取材・制作現場から生の声を発信
「人財」が国語辞典に初収録と。皆、無二の人材。共に成長との心で励ましを
変異株の拡大、接種格差が因の見方も。国際枠組で途上国支援の加速急務
詐欺に加担させる「闇バイト」がSNSで横行と。若者蝕む魔手。断固撃退
☆11月度「御書講義」(中) 寂日房御書
◇世界に広がる地涌の大行進
地涌の菩薩の使命を自覚した、創価学会の連帯は世界規模で展開する時代を迎えました。ここでは、森中教学部長の11月度「御書講義」�を掲載します。講義の動画はこちらから、11月30日まで視聴できます。(�は11月18日付5面に掲載。�は11月23日付5面に掲載の予定)
◇御文
『斯人行世間の五の文字は上行菩薩・末法の始の五百年に出現して南無妙法蓮華経の五字の光明をさしいだして無明煩悩の闇をてらすべしと云う事なり』(御書903ページ4行目〜5行目)
◇衆生を救うため
「斯人行世間」——斯の人は世間に行じて、の一節を強調されています。
あくまで、現実世間、娑婆世界というこの苦悩の現実の世界こそ、上行菩薩をはじめとする地涌の菩薩の本舞台だということです。
これは、法華経での付嘱の流れとも一貫しています。
法華経では徹頭徹尾、滅後悪世、つまり、末法にあって、一番苦しんでいる衆生を救うために、釈尊は菩薩たちに後継を呼び掛けました。
そして、釈尊から託された、いわば、"末法救済のエース"が地涌の菩薩です。反対にいえば、地涌の菩薩でなければ、悪世の現実の民衆を救うことはできません。
"立派な菩薩の外見を持った救済者"が、上から施すような取り組み方で出現したのでは、苦しんでいる末法の人々を本当の意味で救い切ることはできません。
民衆の海の真っただ中にあって、自らも民衆の一員として登場し、同じ目線に立ち、同苦という慈悲の境涯で、どこまでも一人の人間の偉大さを自ら示し、一個の人間の内面にあった無限大の可能性を開いていく。この民衆の中での闘争でのみ、末法の一切衆生を救済することができます。
この戦いができるのが、地涌の菩薩です。
その裏付けが、地涌の誓願です。現実に、地涌の菩薩は願兼於業の誓願で、自ら民衆の一員として、民衆の中に飛び込んでくるのです。
◇「無明」を晴らす
釈尊の時代から末法の時代への、この法華経に基づく救済者のバトンタッチが、付嘱の儀式です。
この意義が、「斯人行世間」の中に込められていると拝することができます。
繰り返しになりますが、上行菩薩を筆頭とした地涌の菩薩が、末法の衆生の苦悩を救うために、娑婆世界という世間、つまり、悪世末法の現実社会に出現して、仏法を行ずるということです。
それが、「上行菩薩・末法の始の五百年に出現して南無妙法蓮華経の五字の光明をさしいだして無明煩悩の闇をてらすべしと云う事なり」との一節です。
改めて、この上行菩薩というのは、不思議な菩薩だと思います。
法華経の中でも、涌出品第15から、嘱累品第22までの八品にしか登場しません。そして、正法・像法にも出現せず、末法の初めの五百年に出現するのです。
いわば、衆生の闇が最も深く、これまでの仏法の力が見失われている時にこそ、民衆を救うために勇んで登場するのが上行菩薩であり、地涌の菩薩です。
また、それが広宣流布を断絶させまいとする釈尊の願いでもありました。
日蓮大聖人は、悪世末法の謗法充満の時代に出現され、万年の全人類が幸福になるための仏法を確立されました。
それこそが、南無妙法蓮華経の大法にほかなりません。
この「五字の光明」を取り出すことこそが、上行菩薩の根本の役割であることを教えられているのです。
そして、この光明が末法の衆生の闇を照らすのです。その闇とは「無明煩悩」です。人々の一切の迷いと不幸の根源ともいえます。
「無明」とは、自身の生命への根本的な無知です。そして、その無明から「煩悩」が生まれ、人々を苦しめます。
あらゆる苦悩の根源の因となるこの無明を晴らす根本が、南無妙法蓮華経の光明です。南無妙法蓮華経こそが三世諸仏の成仏の根源であり、万人成仏の法です。
どこまでも現実世界の中にあって、この妙法という光源で人々を照らすのが地涌の菩薩なのです。
◇学会員の宿縁
題目を唱える学会員の使命がどれだけ大きいか。
一人一人が、太陽となって、地涌の菩薩の使命を果たし抜くことを、世界中の人が待ち望んでいることは、間違いありません。
今から750年前、この地涌の最初の一人として立ち上がられた大聖人は、後に続く地涌出現を願われていた。
今、その地涌の大道を学会が受け継ぎ、地涌の大行進が世界中で始まっているという大事な時を迎えています。
創価学会のごとく、地涌の菩薩の教団が形成されたことは、仏教史に燦然と輝く出来事であると確信します。
世界規模で、地球を舞台とした地涌の使命に生きる創価学会は、まさしく仏意仏勅の、大聖人直系の無二の教団です。
その学会の一員として存分に戦えることに、どれだけの宿縁があるのか。私たちは、本抄から、深き宿縁の絆を学ぶことができます。
そのことをしっかり刻んで、次の段で"大聖人こそが上行菩薩である"ことを学んでいきたいと思います。
☆学ぼう「黄金柱の誉れ」Q&A 第20回 「弟子が吼えるかどうか」
"師弟"が"不二"であるかどうか——そこに勝利を開く力の源泉があります。壮年部指導集『黄金柱の誉れ』から池田先生の指導を紹介します(指導集76ページから80ページを抜粋)。
〈師匠に報告できる実証を〉
師匠の総仕上げの戦いというのは、弟子の大成を見届けることなんです。つまり、弟子が、『先生! わが勝利を、ご覧ください!』と、師匠に胸を張って報告できる実証を示すことなんです。それが、師弟不二です。
私は、そう心を定めたからこそ、力が出せた。勇気と智慧を湧かせることができた。
"広宣流布の師匠に応えよう!"と、弟子が燃え立つ時、師匠の師子王の生命が、わが胸中に脈打つんです。つまり、師弟不二の自覚に立てば、師と共に広宣流布の大使命を担う、久遠の自身の生命が脈動する。そこに、最大の力がみなぎるんです。
(小説『新・人間革命』第26巻「奮迅」)
〈だれかに言われて、やるのではない〉
(法華経に説かれる「作師子吼」の「師」とは「師匠が授けるところの妙法」。「子」とは「弟子が受けるところの妙法」。「吼」とは「師と弟子がともに唱える音声」。そして、「作」とは「おこすと読むなり」〈御書748ページ、趣意〉)
「おこす」とは「能動」です。だれかに言われて、やるのではない。「受け身」では師子吼にならない。(中略)師匠は吼えている。あとは、弟子が吼えるかどうかです。それを師匠は、じっと見つめて待っている。
(『池田大作全集』第30巻、「法華経の智慧」)
〈生きて、師の偉大さを顕彰した弟子〉
戸田先生は、師匠の牧口先生とともに牢獄へ行ったとき、何と祈られたか。
「わたくしは若い、先生はご老体である。先生が一日も早く出られますように。わたくしはいつまで長くなってもよい。先生が、早く、早く出られますように」と、朝夕、祈られたのです。何と崇高な祈りか。
仏智の広大無辺でしょう。牧口先生は獄死されたが、不二の弟子は生きて、牧口先生の偉大さを顕彰した。牧口先生の死を賭しての国家主義との闘争が、今、アジアで、世界で、どれほど創価学会の信用になっているか、計り知れない。(中略)
牧口先生は勝った。戸田先生の祈りは勝った。生死を超えて、勝ったのです。島国根性で狭い心の日本は、偉人を狭い三畳間の独房に押しこめた。
しかし、牧口先生の偉大さは、そんな黒い鎖を断ち切って、全世界に広がっていったのです。戸田先生の一念によって——。これが本当の師弟の戦いです。
仏法は、どこまでも師弟なのです。
(『池田大作全集』第31巻、「法華経の智慧」)