2021年12月13日月曜日

2021.12.13 わが友に贈る

◇今週のことば
我らの座談会は
生命飛躍の滑走路なり。
健闘を労い希望の対話を。
会場のご家族に感謝し
勢いよく新年へ出発だ!
2021年12月12日

下山御消息 P350
『此等の経文の亀鏡をもて両火房が身に指し当て見よ少もくもりなからん、一には名は持戒ときこゆれども実には放逸なるか二には慳貪なるか三には嫉妬なるか四には邪見なるか五には婬乱なるか此の五にはすぐべからず』

【通解】
経文を鏡(規範)として、両火房(極楽寺良観のこと)の身に当てはめてみよ。少しの曇りもなく符合するではないか。一つには、名は持戒の僧と世に聞こえるけれども、実際は放逸であるか。二つには慳貪であるか。三つには嫉妬であるか。四つには邪見であるか。五つには婬乱であるか。この五事に尽きるではないか。

名字の言 創大駅伝部と共にラストスパート! 2021年12月12日
新春の箱根駅伝にエントリーする各チーム16人が決定した。本番を走るのは10人。ここからさらにチーム内で競い合うことになる▼選ばれる選手がいる一方、選ばれなかった多くの選手がいるのは、どの大学も同じだろう。前回大会直後、創価大学の榎木監督が語っていた。約3分の2の選手はエントリーから外れ、悔し涙をのんだ。その中でも"0区"と呼ばれる箱根直前の記録会で、選外になった選手の多くが自己新を出した。サポートに回ったメンバーの走りが箱根に挑む選手たちを勢いづけてくれた、と▼今回も創大は選手の約3分の2がサポートに回る。その中には直前の競技会で自己記録を更新したメンバーも、これが最後になる4年生もいる。ここに至るまで、どれほどの努力があり、挑戦があったことか。彼らの力走をたたえずにはいられない▼「走姿顕心」という言葉がある。「走る姿に心が顕れる」との意味だ。走りたくても走れない仲間の分まで——その心が映し出された走りには、見る人を感動させる力がある▼先の言葉には「走る人の心が結果に顕れる」という意味もあると榎木監督は言う。"心で走る"創大駅伝部の勇姿を楽しみに、私たちも一年の総仕上げへ悔いなきラストスパートを!

寸鉄 2021年12月12日
組織動かすのは信仰への確信と情熱—戸田先生。真剣の一人で地区は伸展
中部広布原点の日。皆の勇気の拡大で民衆凱歌を 新時代を開く一番星に!
庶民を通してものを眺めよ。そこに真理が—文豪。尊き同志と心合わせ前へ
掃除中の転落事故は師走に倍増。特に高齢者。高所作業は無理せず安全優先
厚労省装う変異株対応の偽メールが横行。添付やリンク等、安易に開かず

☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第14回 レイチェル・カーソン
〈レイチェル・カーソン〉
沈黙は私の心に安らぎを与えない。
目的を達成するためには、
大望を抱くことを恐れてはなりません。

"世界を変えた"と言われる一冊の書籍がある。
『沈黙の春』——農薬等に含まれる化学物質による環境汚染を告発し、自然破壊がもたらす生命の危機を訴えた本である。
著者は、アメリカの海洋生物学者で作家のレイチェル・カーソン。"20世紀の偉大な知性"の一人といわれる女性である。
執筆を開始したのは1958年。この頃、米国内ではDDTという有機塩素系殺虫剤が日常的に使われていた。安価でほぼ完全に害虫を駆除し、少量でも効果が長持ちするDDTを、人々は"奇跡の薬"と呼んだ。
生態系の平衡が崩れる危険性を叫ぶ専門家もいた。しかし、科学技術競争が激化する時代にあって「科学は正義」。経済至上主義の社会は"それくらい仕方がない"と耳を塞いだ。
そんなある日、友人から手紙が届く。そこには、殺虫剤が何の罪もない多くの生き物たちの命を奪った悲痛がつづられていた。カーソンは決意した。
「私が書くしかない!」
彼女は当時、『われらをめぐる海』『海辺』など、海の神秘や海洋生物の魅力を描いた本で知られるベストセラー作家。時代の流れに逆らう作品を出せば、理不尽な批判を浴びるだろう。それを覚悟した上での決断だった。「もしも私が沈黙をつづけるならば、私の心に安らぎはありえない」と。
『沈黙の春』は、そこから4年の歳月を経て出版された。彼女は科学技術を否定したいわけではなかった。生命の危機を差し置いてまで、自らの都合を優先し、自然を征服しようとする人間の傲慢さに警鐘を鳴らしたのだ。企業などからの非難は相次いだが、科学的根拠に基づいた訴えに世間は目を見張った。
「目的を達成するためには、人はみんな大きな夢を見なければならない、とずっと信じてきました。——大望を抱くことを恐れてはなりません」
一人の女性の勇気が、後のアメリカ環境保護庁創設の契機となり、新たな時代を切り開く力になっていったのである。

〈レイチェル・カーソン〉
過去よりも未来を見つめよう。
夜の後には必ず夜明けが訪れ、
冬の後には必ず春が来るのだから。

レイチェル・カーソンは1907年、アメリカ・ペンシルベニア州の小さな町に生まれた。
幼少から一日の大半を森や小川のほとりで過ごす。鳥や虫、草花を観察し、生命と生命の関わりを肌で感じながら育った。
読書が好きで、作家になりたいと思ったのは10歳の頃。だが、生まれつき病弱で家庭も貧しく、夢を実現するには困難な環境だった。事実、彼女が大学に通う際、両親は土地を担保に入れ、家財を売って学費を工面した。カーソンも食堂などで働きながら勉学に励んだ。
恩師との出会いをきっかけに生物学を志し、ジョンズ・ホプキンス大学大学院へ。修士号を取得し、大学で講師をしながら研究を続けるも父が急死。家族を養うために博士課程への進学を諦めた。
そこで始めたのが、海洋生物の魅力を伝えるラジオ番組の台本執筆だった。恩師に勧められた、このパートタイムの仕事から、作家への道が開けていく。
夢をかなえた後も苦悩は尽きなかったが、カーソンは強い信念をもって前へ進み続けた。
「大地や海が経てきた長い時の流れを思い、『百万年』や『10億年』の単位でものを考えるとき、そして、それにひきかえ人間は地上に生まれてまだ間もないのだと自覚するとき、私たちは自分がとらわれている不安や苦難のいくつかが、まったくささいなものであると悟ります」
『沈黙の春』を書いた4年間も例外ではない。母との死別に自身の闘病。リウマチ、心臓発作、虹彩炎、がん……。自らを"病気のカタログ"と称する状況でも、彼女は決して屈しなかった。寝たきりの状態になった時期もあった。それでも「私自身で原稿を見なければならないのです」と、一ページ一ページを入念に仕上げていった。
不屈の原動力は、どこからくるのか——。カーソンはたびたび、自然の美や神秘が、心に安らぎと勇気を与えてくれると述べた。また、著書にはこうも記している。
「夜のあとにはかならず夜明けが訪れ、冬のあとには春が来る」と。この不変の法則に照らした状況克服への確信こそが、生きる希望となったのだろう。
『沈黙の春』の発刊から2年後の1964年、カーソンは56年の生涯を閉じた。命を懸けて紡いだ言葉は、世代を超え、生命と環境を守る連帯を築いた。そして、自然の恩恵と脅威の両方を知る人類に、共生の未来を開く方途を示し続けている。

〈レイチェル・カーソンを語る池田先生〉
「より高い可能性を求めて進まない
人生に何の意味があるだろうか?」
いくつになっても青年の心で
生き生きと毎日を出発したい。
それが本因妙の仏法の生き方である。

レイチェル・カーソンの信念は、多くの人々の環境意識を啓発してきた。池田先生と対談集『地球対談 輝く女性の世紀へ』を発刊したアメリカの未来学者ヘイゼル・ヘンダーソン博士も、その一人である。
博士が『沈黙の春』を読んだのは、大気汚染防止の運動を始める少し前。「私を勇気づけ、立ち上がる一つのきっかけとなりました」と振り返る。
対談の中で先生は語った。
——政治も経済も、すべての根本を「生命」の価値に置く時代を目指さなければなりません。私が、「21世紀を『生命の世紀』に」と提唱してきたのも、その思いからでした——と。
博士は「生命の世紀」というビジョンに賛同を寄せ、「その新しい時代へと踏み出すためには、当たり前とされている常識や価値観、また権威といったものを、一人ひとりが見つめ直すことが大切になる」と訴えた。
池田先生のリーダーシップのもと、学会・SGIは環境問題を巡る草の根レベルの運動に取り組んできた。2002年には先生の環境提言をもとに、国連の「持続可能な開発のための教育の10年」の制定を提唱。日本政府が提案し、国連総会において満場一致で採択された。
また、その支援のための環境展を国内外で開催。近年は国連のSDGs(持続可能な開発目標)の達成と気候変動対策の活動に力を注ぎ続けている。
先生は1995年1月、ハワイを訪問。東西センターで「平和と人間のための安全保障」と題して講演し、カーソンの言葉に触れつつ、多様な文化、異質な価値観を認め合うことが、人類共生の道となると述べた。
彼女の生き方を通して、同志を励ましてきたこともある。
広宣のリーダーには——
「カーソンさんは言う。『人間は、より高い可能性を求めて進んでいかないなら、人生になんの意味があるだろうか?』
その通りである。『さあ、きょうも頑張ろう!』『あの人に会おう!』『この人と語ろう!』——いくつになっても、前向きな青年の心で、生き生きと毎日を出発したい。それが本因妙の仏法の生き方である。広宣流布に戦う人は、どこか光っている。生命が躍動している」(2003年8月3日、全国最高協議会でのスピーチ)
後継の友には——
「(カーソンは)真実のことを発表したにもかかわらず、でたらめな、ひどい悪口を言われました。けれども、彼女は自分の信念の正しさに自信をもっていました。だから、何を言われても恐れなかった。(中略)
どんな壁にぶつかっても、『負けない心』で、勇気をもって挑戦していくことです。挑戦した分だけ、皆さんの心が大きくなるからです。強くなるからです」(「少年少女きぼう新聞」02年1月号の新春メッセージ)
さらに創価の女性には、カーソンの次の言葉を贈った。
「私はいつも、すでにしたことよりも、これからしようとすることに興味があります」
今日よりも明日、今年よりも来年——さらなる高みへ、皆が青年の心で飛躍する時である。