2021年12月8日水曜日

2021.12.08 わが友に贈る

友の胸に灯をともせば
わが心も輝きを増す。
"自分発"の励ましで
皆に勇気を 喜びを!
地域の灯台たれ!

富木殿御返事 P978
『若し悩乱する者は頭七分に破れ供養すること有らん者は福十号に過ぐ』

【通解】
もし悩まし乱す者は頭が七つに破れ、供養する者は福徳が仏に供養するよりもまさる。

名字の言 「壁」の見方を変えてみる 2021年12月8日
先日、友人から「この冬の初雪が降りました」と連絡をもらい、本格的な冬の到来を感じた。雪には、雪明かり、雪化粧、雪の華……と寒い中にも風情のある言葉が多い。ただ「雪辱」だけは"雪の辱め?"と不思議に思い、北国の雪で心身を鍛えられた経験を持つ身としては、何とも腑に落ちなかった▼だが正しくは「辱めや恥を雪ぐ(=除き払う)」の意である。信仰者の観点からすれば、白雪のような純粋な信心で変毒為薬を果たす、とも捉えられるだろう▼研究者のある壮年部員を思い出す。「一面の銀世界」と言えば聞こえはいいが、豪雪地に暮らす彼にとって"雪の壁"は、物心への制限を感じさせる「悩みの種」だった▼壮年はまず、その厄介ものを"克服できないものか"と考えた。さらには"何かに利用できないか、生かせないか"と思案した。その努力は雪冷房システムの実用化に結実した▼困難の壁を破る——そのためには前進を阻む"壁"が存在しなくてはならない。壁とは何か。「壁」には「夢」との意味もあるという。ならば避けがちな壁は、見方を変えれば夢、願望ともなる。壁を乗り越えるということは、夢をつかむために必要な過程であり、使命の大道への一歩前進なのだろう。

寸鉄 2021年12月8日
「返す返す此の書をつねによませて」御聖訓。御書と共に行学の二道を邁進
「北九州の日」。頼もしき先駆の宝友の陣列。拡大の火蓋は常に火の国から
厳寒に胸張る無冠の皆様ありがとう!希望届ける尊業。健康と無事故祈る
就寝前のスマホは不眠の一因。白内障リスクも増—医師。聡明な活用こそ
還付金等の詐欺が横行。「ATMへ」の誘導は要警戒。不審電話は必ず相談

〈社説〉 2021・12・8 太平洋戦争開戦から80年
◇真心の対話から平和な世界を
1941年12月8日、日本陸軍は英領マレー半島を、海軍はハワイ真珠湾を攻撃。米英と戦争状態に入った。この太平洋戦争の開戦から、きょうで80年となった。
中国大陸で日中戦争が泥沼化する中、日本は列強による植民地支配からの解放をうたい、一時は東南アジアから南太平洋までの広大な地域を制圧。
だが、やがて劣勢となり、敗戦の坂を転落していった。
無謀な戦争はアジアの民衆に甚大な被害と犠牲をもたらし、国民もまた塗炭の苦しみを味わった。
小説『新・人間革命』第3巻で、後にビルマ(現ミャンマー)で戦死した池田先生の長兄が、中国大陸から帰国した際、こう語る。
「戦争は、決して美談なんかじゃない。結局、人間が人間を殺す行為でしかない。そんなことが許されるものか。皆、同じ人間じゃないか」——正気の人には当然の感覚だが、戦時下の異常さで、公には口にできない言葉であった。
戦争ほど残酷かつ悲惨なものはない。人間の生命を奪い破壊するからだ。その真実を歴史から真摯に学ばなければ、未来は危うい。
翻って、創価の師弟は非暴力の「対話」を貫いてきた。それは戦争の対極にあるものだ。
牧口常三郎先生は戦時中、戦争を肯定する精神的支柱たる国家神道と対峙。治安維持法違反と不敬罪で逮捕された獄中でも、"戦争の原因は謗法国であるところから起きている"と軍国主義の根を断罪された。
師と共に入獄した戸田城聖先生は、殉教の牧口先生の遺志を継ぎ、戦後の混乱期に、苦悩に沈む民衆との徹底した対話で、「平和と幸福の哲学」を広げていかれた。
そして池田先生は、「地上から悲惨の二字をなくしたい」との恩師の願いを胸に、世界に対話の潮流を起こされた。
先生の励ましにより立ち上がった創価の"平和の闘士"の連帯は今、アジアをはじめ地球社会を結んでいる。
明年は、「第2の七つの鐘」の4番目の鐘が打ち鳴らされる年となる。
池田先生は「第2の七つの鐘」となる21世紀の前半の50年で、「アジアをはじめ世界の平和の基盤をつくってまいりたい」との遠大な展望を示されている。
私たちには、世界の人々と共に「平和の道」を開くという「希望の未来」がある。
"私は平和建設の主役"との誇りに燃え、友を励ます真心の対話から、笑顔あふれる平和な世界を共々に築こう。

☆御書の旭光を 第63回 極善の妙法で生命を染め抜け
〈御文〉
『雪至って白ければそむるにそめられず・漆至ってくろければしろくなる事なし、此れよりうつりやすきは人の心なり、善悪にそめられ候』(西山殿御返事、1474ページ)

〈通解〉
雪は、極めて白いものであるから、染めようにも染めることができない。漆は、極めて黒いものであるから、白くなることはない。雪や漆と違って、移りやすいものは人の心である。善にも悪にも染められるのである。

〈池田先生が贈る指針〉
心は移ろう。悪縁に染まれば濁り乱れる。だからこそ、御書の明鏡に照らして魔を魔と見破り、極善の妙法で生命を染め抜くのだ。
学会はどこまでも「御書根本」で進む。ゆえに何ものにも揺るがない。一切を変毒為薬し、価値創造の未来を力強く開いていける。いよいよ御書と共に「御信心をば雪漆のごとくに」!

☆VOD新番組に収録された池田先生の指針——さあ大歓喜の交響曲を!
◇真実の幸福は全てに勝つこと
◇苦悩を突き抜けて偉大な境涯を開け
ベートーベンがこの「よろこびの歌」で知られる「第九交響曲」を作曲したのは1824年。日本では江戸時代末期となるが、それは死の3年前、53歳の時である。完成した最後の交響曲となった。
「第九」は「合唱付」として有名だが、当時、合唱付きの交響曲は他に例がなかった。
いわばベートーベンの"新思考"によって、新しき挑戦によって、人類に贈られた作品である。
合唱部分で歌われる「歓喜の歌」は、ベートーベンと同時代を生きたドイツの大詩人シラーの詩「歓喜に寄す」に曲をつけたものである。
"人類愛"と"平和"と"喜び"にあふれる、この詩に曲をつけようと彼が決めたのは、22、23歳のころといわれる。
彼は、この夢をいだき続け、育て続けた。そして、約30年後に実現させた。
青春の決意を見事に結実させたのである。
よく知られているように、そのころベートーベンの耳は、ほとんど聞こえなくなっていた。
「第九」の初演の際、聴衆の万雷の拍手も彼の耳には届かず、教えられて、初めて人々の大歓声に気づき、お辞儀をした——という話も伝わっている。
フランスの文豪ロマン・ロランは、「第九」を、嵐の生涯に打ち勝ったベートーベンの「精神(エスプリ)の凱歌」と位置づけている。
「不幸な貧しい病身な孤独な一人の人間、まるで悩みそのもののような人間、世の中から歓喜を拒まれたその人間がみずから歓喜を造り出す——それを世界に贈りものとするために。彼は自分の不幸を用いて歓喜を鍛え出す」(「ベートーヴェンの生涯」片山敏彦訳、『ロマンロラン全集』14所収、みすず書房)と。
そして「悩みをつき抜けて歓喜にいたれ!」(同前)とのベートーベンの言葉に、彼の全生涯がこめられているとロランは結論している。
耳も聞こえない。保守的な旧社会の人々からの圧迫もある。妬みもある。病気や経済的・家庭的悩みも尽きない——しかし彼は負けなかった。
戦った。
そして勝った。
あらゆる苦悩の暗雲をつき抜けて、雲上の晴れわたる青空のごとき"歓喜の境涯"にまで自身を高めた。
「第九」は、そうした人間ベートーベンの人生最終章の勝利の証しである。
仏法もまた"勝負"である。勝負である以上、当然、敵もいる。
困難につぐ困難もある。
しかし、それら一切に勝ちきってこそ、真実にして永遠の幸福はある。
広宣流布もある。
ゆえに「断じて勝利を!」と、私は声を限りに訴えたい。

◇戸田先生"我らは最高に「富める者」"
さて、昭和18年(1943年)、軍部の弾圧により、牧口先生と戸田先生が投獄された東京拘置所は、東京戸田記念講堂が建つここ巣鴨にあった。
そして翌昭和19年11月18日、牧口先生が73歳で逝去されたのも、この地である。(=東京拘置所の病監)
昭和19年8月、当時44歳の戸田先生が、巣鴨の獄中から夫人のお父さまにあてた手紙に次の一節がある。
「どうか強く生きていて下さい。(中略)今どんなに苦しくても貧しくても、私の生きている限り、『富める者』との自信を失わずにいて下さい」
国全体が混乱の渦中にあった時代である。激しさを増す空襲。ご子息も疎開。ましてご自分は獄中の身である。
だが、先生のこのご確信はどうか。——"われ、永遠に富める者なり""われに連なる者も皆、富める者なり"と。
信仰こそ最高の「富」である。
信仰者は、苦難があるほど、より力を出せる。周囲をも幸福にしていける。絶対に動ずることがない。
皆さまもまた、仏勅をこうむった方々である。尊貴なる地涌の一門である。
「自分がいる限り、何の心配もいらない」「自分こそ、最高に『富める者』である」との気概で、この人生を強く、また強く生きぬいていただきたい。
私は毎日、大切な皆さま方のご健康、ご長寿、無事故を、そして幸福を、真剣にご祈念している。
どうかこれからも、来る日も来る日も生命力を満々とたたえながら、朗らかに、どこまでも朗らかに進んでいただきたい。
そして皆さま全員が堅実な信心の実践で大福運を積みつつ、壮大なる、また絢爛たる創立70周年(10年後)への歴史を飾っていかれんことを重ねてお願いしたい。
本日は本当におめでとう。ご苦労さま!

☆2030年へ 後継の正義の走者に贈る 青春勝利の山へ共に一歩を! 2021年12月1日
Together Take Another Step Forward in Climbing the Mountain to Youthful Victory!

12月になると、九州・大分で詩を発表した歴史が蘇ります。「青年よ 21世紀の広布の山を登れ」。会場には高等部の友の凜々しき姿もあった。40年前です。
皆さんの先輩方は、私と共に苦難の山を越え、世界に平和の鐘を、社会に正義の旗を打ち立ててくれました。次は君たちです。
青春の挑戦も登山に例えられる。勉強、スポーツ、読書、語学、人間関係など、直面する日々の現実の山があるでしょう。大変だけれども、挑み登り切った時の喜びは何ものにも代え難い。
登攀のコースは一つではない。ペースも焦らず、自分らしくでいい。苦しい坂も、題目を唱え、まず一歩、踏み出せば、それが青春勝利の宝になる。"生命の足腰"が鍛えられ、どんな山も楽しめる自分になれるのです。
2030年そして22世紀の山を目指し、来年も一緒に進もう!