新聞休刊日
兄弟抄 P1081
『此の世界は第六天の魔王の所領なり一切衆生は無始已来彼の魔王の眷属なり、六道の中に二十五有と申すろうをかまへて一切衆生を入るるのみならず妻子と申すほだしをうち父母主君と申すあみをそらにはり貪瞋癡の酒をのませて仏性の本心をたぼらかす、但あくのさかなのみをすすめて三悪道の大地に伏臥せしむ、たまたま善の心あれば障碍をなす』
【通解】
そもそも、この娑婆世界は、第六天の魔王の所領です。そして、一切衆生は、無始已来、第六天の魔王の眷属です。第六天の魔王は、六道の中 に、二十五有(注、欲界の四悪趣・四州・六欲天、色界の大梵天・四禅天・無想 天・五浄居天、無色界の四空処天)という牢を構えて、その牢の中に一切衆生を 入れるだけでなく、妻子という足かせを打ち、父母・主君という網を天に張り、 三毒の酒を飲ませて、仏性の本心を狂わせるのです。第六天の魔王は、ただ、悪の肴ばかりを勧めて、三悪道の大地に倒れさせます。そして、たまたま、善心を持っている者に対しては、妨害を行います。
☆四季の励まし 大勝利の一年に「ありがとう」 2021年12月26日
◇池田先生の言葉
感謝の心から歓喜が湧く。
歓喜は意欲と活力と
創造の源となる。
ゆえに、
人生の勝利もまた、
感謝から生まれる。
今の自分があるのは、
多くの人々の
おかげであることを知り、
感謝の心を持って、
今度は自分が人々のために
尽くしていく。
この行為こそが、
「知恩」であり
「報恩」である。
報恩は、人間性の証明だ。
「心こそ大切」——
ここに信仰の極意がある。
人に真心を尽くす。
受けた真心は大切にする。
私はそれを、
厳格に実行し抜いてきた。
私は、お世話になった
方々のことは
絶対に忘れない。
御礼と
感謝の言葉によって、
信頼と友好の絆は
強まっていく。
人に対して、どれだけ
「ありがとう」と言えるか、
感謝の言葉を語れるか——
実は、そこに
人徳が表れるといっても
過言ではない。
我ら創価家族は、
この一年も大いに動き、
大いに語って、
広宣流布の前進を
成し遂げた。
希望を広げた。
未来を開いた。
夏の炎暑にも、
冬の寒風にも負けず、
堂々たる
完勝の一年を飾った。
わが弟子、
わが同志の大勝利が、
本当に嬉しい。
誰が知らなくとも、
誰が誉めなくとも、
仏天は全て
お見通しである。
陰の献身は、
一切合切が
自らの福徳となり、
命の輝きとなる。
「陰徳陽報」という、
生命の究極の栄光が
ここにあるのだ。
【写真説明】東京牧口記念会館(八王子市)から、真白き王者の富士が山並みの彼方に厳とそびえていた。池田大作先生が今月に撮影した一葉である。この気高き富士を仰いだ感慨を、先生は「この一年、広布と人生の見事な凱歌を飾った全同志を労い讃える英姿なり」とつづっている。
あらゆる困難を乗り越えて、創価の凱歌を轟かせたこの一年。大勝利は、立正安国の地涌の使命を燃やした、全ての同志の総合力の結晶である。年末年始は、家族や親戚、友人などと心を通わせる好機。報恩・感謝を真心の言葉で伝えつつ、「青年・飛躍」の明年へ走りゆこう。
☆忘れ得ぬ旅 太陽の心で 第17回 滋賀
月刊誌「パンプキン」誌上の池田先生の連載エッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」を紹介する本企画。今回は「滋賀——喜び育む湖国の恵み」〈2014年9月号〉を掲載する(潮出版社刊の同名のエッセー集から抜粋)。かつて「近江を制するものは天下を制する」といわれ、天下人らが堅固な城を築いた歴史の舞台・滋賀。日本最大の湖があり、豊かな文化が花開いた。400を超える河川の流れを受け入れる琵琶湖のように、多くの友と交流しながら、心を大きく豊かに広げていきたい。
移りゆく
歴史を見つめし
琵琶湖かな
未来を映せよ
滋賀の勝利の
人類の多様な文明を見つめ、世界中を旅してこられたイギリスの歴史家トインビー博士が、私に懐かしそうに語ってくださったことがあります。
「私がこれまでの人生で見た、最も美しい風景の一つは、琵琶湖のほとりの、黄金色に輝いた刈り入れ時の稲田の風景でしょう。湖水は陽光に映えて碧々と輝いていました」と。
ロンドンの博士のご自宅には、その時に撮った写真が大切に飾られていました。
日本一なる琵琶湖は、世界の知性から深く愛される地球の美の宝です。
それは、命を育み、大地を潤す水の宝庫です。
そこには、天を巡る太陽も、月光も、星々も、四季折々の地上の草木や生きものたちの営みも、明鏡のように映じています。
さらに、琵琶湖の恵みを活かしながら、暮らしてきた人々の生活も、詩情豊かに映し出されてきました。
澄んだ湖のように心の鏡を磨くなら、けなげに生きゆく命の美しさが明らかに映ってきます。
大きな湖のように心の鏡を広げるなら、皆が見落としている世界の素晴らしさも鮮やかに見えてくるにちがいありません。
◇日々に新たに
〈池田先生は、四季折々に装いを変える琵琶湖畔を散策したことや、地域貢献に励む友と語り合った思い出を述懐。湖国の美景が人々の心を感化し、「創造の力」を育んだと語り、この地に育まれた文化に光を当てる〉
「文化財の宝庫」と言われる滋賀の心を継承された女性・小倉遊亀画伯(大津市生まれ)の名作を、わが東京富士美術館で展示させていただいたことがあります。
画伯は、何を描いても同じようになってしまうと悩んでいた時、恩師から「自分の型を破る」ようアドバイスを受けたといいます。以来、「日々に新たに」、すなわち「生れ替りたい、そして新しく出直したい」と、新しい挑戦を繰り返していきました。挑戦の勇気があってこそ、自身の殻を破り、向上できるのでしょう。
画伯が描きたかったのは、「明るく、温かく、楽しいもの。/草にも木にも雲にも動物にも、通い合う愛のこころ。/生きることの喜びを感じ合うすこやかさ」にあふれた世界でした。
まさに、私たちが敬愛する滋賀の天地です。
田園の農道に咲き誇る、あの明るい菜の花、レンゲ草の畑。近江富士の優美な姿、白銀や霞をまとう伊吹山の幽玄、悠然たる瀬田川の流れ……。
それぞれが、生きる喜びと、生き抜く崇高さを謳い上げているようです。
歴史上、日本三大商人に挙げられる「近江商人」は、全国で行商に励みました。この近江商人に継承されたのが「三方よし(売手によし・買手によし・世間によし)」の信念でした。売り手と買い手だけでなく、その地の世間の人々にとっても、利益となることを目指したのです。
行商と言えば、私は、東近江市の友人家族のお宅に伺ったことを思い起こします。
そのご一家の婦人は、不慮の事故で夫を亡くしました。幼い三人のお子さんを抱え、多額の借金を背負いました。店も家も手放して、家畜小屋を改造して住んだといいます。婦人は、泣くような思いで、何度も何度も近江盆地から峠を越え、京都の街を行商に歩きました。
その絶望の淵にあって、希望の生命哲学と出あい、「もう一度人生に挑戦してみよう」と立ち上がったのです。一家の生活革命のため、同じように悩みに苦しむ友のため、必死に働き、活動しました。心ない人々の嘲笑にも断じて負けない。婦人は当時を「歯くいしばってナ」「"頑張るんや"って、自分に言い聞かせながら戦ってきたんですワ」と振り返っていました。
その母の姿を見て育ったお子さんたちは皆、立派に成長して、母を助けました。そして、ご一家は、人々の誇りとなるお店を築いて、胸を張って、地域に社会に貢献しています。
婦人がアメリカで、人々のために自身の人間革命の体験を語ると、皆が涙を流して聞いてくれたそうです。その姿に感銘した婦人は「さらに力の限り幸福の楽土の建設に取り組んでいきます」と誓っていました。
一人の人生、一つの地域における勝利の劇は、世界の友を勇気づける励ましとなるのです。
「近江聖人」と称えられた十七世紀の思想家・中江藤樹(高島出身)は、身近な家族、地域、職場の人々に対する「愛敬の二字」を強調しました。
「人を愛しうやまうは、すなわちおのれを愛しうやまうところなり」と。
ここに、自分も他者も、共に生き、共に繁栄していくべき原理があります。
◇喜びを育む
〈結びに、池田先生は、青年を育む滋賀の希望の未来を見つめた〉
滋賀の「滋」の字には「そだつ」「やしなう」の意味があります。あわせて「賀」の字は「よろこび」の意味を持っています。滋賀の名には、言わば、自他共の「喜びを育む」、青年を「育てる喜び」など、希望に満ちた意義が重なるのです。
若き友の心に「希望の種」を蒔く。それは、滋賀の県木モミジのように、美しい「幸福の樹」「繁栄の樹」「平和の樹」へと伸びゆくことでしょう。そして、琵琶湖の鏡に、明るい未来となって映し出されるでありましょう。
永遠に
家族と薫らむ
滋賀の友
幸と心で
この世かざれや
(『忘れ得ぬ旅 太陽の心で』第3巻所収)
◎本年も、わが友メールをご愛読いただき、誠にありがとうございました (^^♪
2021年12月31日金曜日
2021年12月30日木曜日
2021.12.30 わが友に贈る
新聞休刊日
諸法実相抄 P1358
『釈迦仏は我れ等衆生のためには主師親の三徳を備へ給うと思ひしに、さにては候はず返つて仏に三徳をかふらせ奉るは凡夫なり』
【通解】
釈迦仏は我ら衆生のために主師親の三徳を備えられていると思っていたが、そうではなくて、かえって仏に三徳をこうむらせているのは凡夫なのである。
☆Switch——共育のまなざし 池田先生の励ましの言葉から
◇子どもを叱るとき
子どもは褒めて伸ばすもの。それを前提とした上で、子育て中には、どうしてもわが子を叱らなければならない場面もあるでしょう。しかし、「子どもをどう叱ってよいのか、分かりません」といった悩みを抱えている方も少なくありません。池田先生が女性リーダーや創価の教育者と語り合ったてい談『21世紀への母と子を語る』(『池田大作全集』第62巻所収)の中から先生の励ましの言葉を抜粋して紹介します。(編集・構成=大宮将之)
◇わが子の未来を見すえ 祈りを根本に
◇確固たる価値観を
<「上手な叱り方は、あるのでしょうか」——子育て中の母親たちから多く寄せられた質問に、池田先生が答えます>
「上手な叱り方」ですか。難問ですね。「叱り方」といっても、根本は親の生き方が問われる。親が、自分の人生に対する信念、生き方を確立することが第一です。
親自身が、確固たる価値観をもつことです。そうでないと、結局、環境に振りまわされたり、育児書に振りまわされたり、子どもに振りまわされてしまう。それでは、子どももかわいそうです。
<確かに、叱る側の大人自身に自信がなく、子どもに毅然とした態度がとれずに悩んでいる場合があります。先生は「よく分かります。悩むこと自体が尊いのです」と受け止めつつ、"生命尊厳を基本に、大人自身がまず正しい価値観を確立しなければならない"と訴えながら、言葉を継ぎました>
性別、性格、家庭環境など、子どもによってそれぞれ違いがある。だから、いちがいに「こういう時は叱ってよい」とか、「これが上手な叱り方だ」とは、言えないでしょう。ただ、「ここぞ」という時に、きちんと叱れるかどうか。心が大切です。"たとえ嫌われても"叱ってあげられるのが、母親なのです。
本当に自分のためを思って叱ってくれる親を、子どもは嫌ったりしない。生命の奥で、愛情を感じ取っていく。逆に、子どもだって叱ってほしい時がある。親が自分と向きあい、真剣にかかわってくれるよう求めていることもあるのです。「いざ」という時に、あえて言ってあげるのが「慈悲」です。
日蓮大聖人は、仰せです。
「たとえ強い言葉であっても、人を助ければ、真実の言葉であり、穏やかな言葉である。たとえ穏やかな言葉であっても、人を誤らせてしまうのなら、偽りの言葉であり、強い言葉である」(御書890ページ、趣意)
お母さんが、どんなに優しい言葉で話しても、それで子どもをダメにしてしまえば、それは「偽りの言葉」です。たとえ、きつく子どもを叱ったとしても、子どものためを思い、子どもを救うならば、それは「真実の優しい言葉」なのです。
大事なのは、ふだんから子どもの成長を祈っているかどうかです。祈りがあれば、たとえその時には分からなくとも、親の思いが子どもにちゃんと伝わっていくのです。
◇「創造家族」で!
<叱れない親が増えている一方で、自分の感情をコントロールできず、ついカッとなって叱ってしまうことで悩んでいる人もいます。感情を抑えきれず、つい手が出てしまうという親も……>
叱るといっても、親が理由も言わずに、怒りにまかせて叱ってばかりいると、子どもがおびえます。そして、とにかく「怒られないように」「叱られないように」と、一種の「ずるさ」を身につけてしまうこともある。そんなことを繰り返しているうちに、大事な時にも親の言うことに耳をかたむけなくなってしまう。
◆ ◇ ◆
感情で叱らないといっても、なかなかかんたんにできることではない。ただ、その時の気分にまかせて、手を出すことは、あってはならない。また、しぜんな感情を押し殺すのがふしぜんな場合もある。ときに感情的になることがあっても、根底に愛情があれば、大丈夫。大事なのは、ふだんの親子の信頼関係です。
<児童虐待も問題になっています。親自身が虐げられて育った分、子どもにも同じように向かってしまうというケースもあるようです。そうした中、「子育てに自信がない」と語る親も少なくありません>
子育てといっても、初めは皆、「初心者」です。自信がなくて、当たり前です。家庭、家族というのは、千差万別であり、決してマニュアルどおりにはいかない。自分なりに、自分の家庭の教育を創りだしていくしかない。試行錯誤でいい。失敗を恐れる必要もない。「創造家族」です。
◇知恵は慈悲から
<「完璧な親」などいないのですね>
欠点も長所もあるから、人間なのです。そこに人間らしさがある。
だからこそ、子どもも安心できるのです。自慢話ばかりする親よりも、自分の失敗談を話してくれる親のほうが、子どもも相談しやすいといいます。
「賢明な母親になろう」と努力するのは大事です。しかし、格好だけ「よい母親」を装うなら、かえって子どもを苦しめるだけで、自分も苦しみます。自分らしくてよいのです。
◆ ◇ ◆
「子どもはかんたんに言うことを聞かないもの」——そう割り切ることです。「覚悟」を決める(笑い)。そして、心を広々と大きく持つことです。戸田先生も、よく言われていた。「境涯を大きく持ちなさい」と。「子どもとしょっちゅうケンカしているのは、境涯が低いんだぞ」とも。
子どもが駄々をこねる。言うことを聞かない。かんしゃくを起こす——それには、何か原因がある。子どもは言葉でうまく言い表せないから、そうやって気持ちを表しているのです。子どもが今、何を欲しているか。何が言いたいのか——子どもの「心」に目を向けるのです。
<親の側に「心のゆとり」がなければ、なかなかそうはいきません。先生は語りました>
親の生命力です。子どもとかかわっていくのは、本当に命を使うものです。そして「知恵」です。知恵は、慈悲から出るのです。仏は、ときに巧みな「たとえ」を用い、ときに厳しく叱咤し、ときにあたたかく包容しながら、衆生を導きます。それは、すべて衆生を思う慈悲から出ているのです。親も同じです。
◇「誓い」があれば
<立派な親といっても、学識や教養が必要なわけではありません。平凡にして、偉大な母や父はたくさんいます。偉大な親であるか否かは「『子どもを思う心』の深さ、大きさで決まります」と先生は語りました。それはまた、わが子の幸せを真剣に祈るとともに、子どもを社会に貢献する人に育てようという心、そしてその「誓い」の深さでもあると訴えます>
「過保護」の親、「放任」の親、いずれもよくないが、もとをただせば、親のエゴです。子どもを「自分の所有物」のように考えるところから、両極端が生まれるのです。
子どもを「広宣流布」という社会貢献の人材に——この「誓い」があれば、エゴにおちいらない。また、子どもがどのようになろうとも、決してあきらめたりできない。私がここまでやってこられたのも、戸田先生との「誓い」があったからです。
◆ ◇ ◆
師との誓いを胸に、これまで、必死の思いで走りぬいてきました。嵐の中も、猛吹雪の中も、ただ「誓い」を果たそうと。世界じゅうのあらゆるところで、飛行機の中でも、ホテルにいても、車中にあっても、題目をあげながら。「師との誓い」であるがゆえに、「あきらめる」などということは、考えもしなかった。次元は違うけれども、子育てにも、同じことが言えるのではないだろうか。
<池田先生は、広島の中国平和記念墓地公園に立つ「世界平和祈願の碑」の像に言及しました。世界的な彫刻家であるフランスのルイ・デルブレ氏が制作したもので「建設」「寛容」「勇気」「希望」「後継」「歓喜」の"六体の像"からなっています。そのうちの「後継」の像は、座った母親が小さな子どもを両手で抱き上げ、前の方へと掲げる姿をしています>
この像について、デルブレ氏は、こう言っている。
「子どもを産み育てる根源的な存在としての母親。そして、未来世紀を担い、大いなる希望をもって成長していく姿を、母親にかざされた幼児として表現しています。
母親にとって子どもは、自分の所有物でも、付属物でもありません。未来を開くため、世界の平和のために捧げ、送り出していくのです。幼児も一人の人間として、きりっとした表情をしています。後継の使命を決意し、自覚していることを、両手を横に広げて表現しているのです」
◆ ◇ ◆
「親のエゴ」ではなく、「子どもの未来」を子育ての基準にしていかなければなりません。
子育ては、長い目でみなければ分からない。「子どもの今」を満足させるだけでなく、「子どもの未来」をしっかりと見すえていくのです。そうすれば、「叱るべきとき」も、おのずと分かるのではないか。
子どもは、自分を映す鏡です。子育ては、子どもも、自分もともに成長していく崇高な作業なのです。
諸法実相抄 P1358
『釈迦仏は我れ等衆生のためには主師親の三徳を備へ給うと思ひしに、さにては候はず返つて仏に三徳をかふらせ奉るは凡夫なり』
【通解】
釈迦仏は我ら衆生のために主師親の三徳を備えられていると思っていたが、そうではなくて、かえって仏に三徳をこうむらせているのは凡夫なのである。
☆Switch——共育のまなざし 池田先生の励ましの言葉から
◇子どもを叱るとき
子どもは褒めて伸ばすもの。それを前提とした上で、子育て中には、どうしてもわが子を叱らなければならない場面もあるでしょう。しかし、「子どもをどう叱ってよいのか、分かりません」といった悩みを抱えている方も少なくありません。池田先生が女性リーダーや創価の教育者と語り合ったてい談『21世紀への母と子を語る』(『池田大作全集』第62巻所収)の中から先生の励ましの言葉を抜粋して紹介します。(編集・構成=大宮将之)
◇わが子の未来を見すえ 祈りを根本に
◇確固たる価値観を
<「上手な叱り方は、あるのでしょうか」——子育て中の母親たちから多く寄せられた質問に、池田先生が答えます>
「上手な叱り方」ですか。難問ですね。「叱り方」といっても、根本は親の生き方が問われる。親が、自分の人生に対する信念、生き方を確立することが第一です。
親自身が、確固たる価値観をもつことです。そうでないと、結局、環境に振りまわされたり、育児書に振りまわされたり、子どもに振りまわされてしまう。それでは、子どももかわいそうです。
<確かに、叱る側の大人自身に自信がなく、子どもに毅然とした態度がとれずに悩んでいる場合があります。先生は「よく分かります。悩むこと自体が尊いのです」と受け止めつつ、"生命尊厳を基本に、大人自身がまず正しい価値観を確立しなければならない"と訴えながら、言葉を継ぎました>
性別、性格、家庭環境など、子どもによってそれぞれ違いがある。だから、いちがいに「こういう時は叱ってよい」とか、「これが上手な叱り方だ」とは、言えないでしょう。ただ、「ここぞ」という時に、きちんと叱れるかどうか。心が大切です。"たとえ嫌われても"叱ってあげられるのが、母親なのです。
本当に自分のためを思って叱ってくれる親を、子どもは嫌ったりしない。生命の奥で、愛情を感じ取っていく。逆に、子どもだって叱ってほしい時がある。親が自分と向きあい、真剣にかかわってくれるよう求めていることもあるのです。「いざ」という時に、あえて言ってあげるのが「慈悲」です。
日蓮大聖人は、仰せです。
「たとえ強い言葉であっても、人を助ければ、真実の言葉であり、穏やかな言葉である。たとえ穏やかな言葉であっても、人を誤らせてしまうのなら、偽りの言葉であり、強い言葉である」(御書890ページ、趣意)
お母さんが、どんなに優しい言葉で話しても、それで子どもをダメにしてしまえば、それは「偽りの言葉」です。たとえ、きつく子どもを叱ったとしても、子どものためを思い、子どもを救うならば、それは「真実の優しい言葉」なのです。
大事なのは、ふだんから子どもの成長を祈っているかどうかです。祈りがあれば、たとえその時には分からなくとも、親の思いが子どもにちゃんと伝わっていくのです。
◇「創造家族」で!
<叱れない親が増えている一方で、自分の感情をコントロールできず、ついカッとなって叱ってしまうことで悩んでいる人もいます。感情を抑えきれず、つい手が出てしまうという親も……>
叱るといっても、親が理由も言わずに、怒りにまかせて叱ってばかりいると、子どもがおびえます。そして、とにかく「怒られないように」「叱られないように」と、一種の「ずるさ」を身につけてしまうこともある。そんなことを繰り返しているうちに、大事な時にも親の言うことに耳をかたむけなくなってしまう。
◆ ◇ ◆
感情で叱らないといっても、なかなかかんたんにできることではない。ただ、その時の気分にまかせて、手を出すことは、あってはならない。また、しぜんな感情を押し殺すのがふしぜんな場合もある。ときに感情的になることがあっても、根底に愛情があれば、大丈夫。大事なのは、ふだんの親子の信頼関係です。
<児童虐待も問題になっています。親自身が虐げられて育った分、子どもにも同じように向かってしまうというケースもあるようです。そうした中、「子育てに自信がない」と語る親も少なくありません>
子育てといっても、初めは皆、「初心者」です。自信がなくて、当たり前です。家庭、家族というのは、千差万別であり、決してマニュアルどおりにはいかない。自分なりに、自分の家庭の教育を創りだしていくしかない。試行錯誤でいい。失敗を恐れる必要もない。「創造家族」です。
◇知恵は慈悲から
<「完璧な親」などいないのですね>
欠点も長所もあるから、人間なのです。そこに人間らしさがある。
だからこそ、子どもも安心できるのです。自慢話ばかりする親よりも、自分の失敗談を話してくれる親のほうが、子どもも相談しやすいといいます。
「賢明な母親になろう」と努力するのは大事です。しかし、格好だけ「よい母親」を装うなら、かえって子どもを苦しめるだけで、自分も苦しみます。自分らしくてよいのです。
◆ ◇ ◆
「子どもはかんたんに言うことを聞かないもの」——そう割り切ることです。「覚悟」を決める(笑い)。そして、心を広々と大きく持つことです。戸田先生も、よく言われていた。「境涯を大きく持ちなさい」と。「子どもとしょっちゅうケンカしているのは、境涯が低いんだぞ」とも。
子どもが駄々をこねる。言うことを聞かない。かんしゃくを起こす——それには、何か原因がある。子どもは言葉でうまく言い表せないから、そうやって気持ちを表しているのです。子どもが今、何を欲しているか。何が言いたいのか——子どもの「心」に目を向けるのです。
<親の側に「心のゆとり」がなければ、なかなかそうはいきません。先生は語りました>
親の生命力です。子どもとかかわっていくのは、本当に命を使うものです。そして「知恵」です。知恵は、慈悲から出るのです。仏は、ときに巧みな「たとえ」を用い、ときに厳しく叱咤し、ときにあたたかく包容しながら、衆生を導きます。それは、すべて衆生を思う慈悲から出ているのです。親も同じです。
◇「誓い」があれば
<立派な親といっても、学識や教養が必要なわけではありません。平凡にして、偉大な母や父はたくさんいます。偉大な親であるか否かは「『子どもを思う心』の深さ、大きさで決まります」と先生は語りました。それはまた、わが子の幸せを真剣に祈るとともに、子どもを社会に貢献する人に育てようという心、そしてその「誓い」の深さでもあると訴えます>
「過保護」の親、「放任」の親、いずれもよくないが、もとをただせば、親のエゴです。子どもを「自分の所有物」のように考えるところから、両極端が生まれるのです。
子どもを「広宣流布」という社会貢献の人材に——この「誓い」があれば、エゴにおちいらない。また、子どもがどのようになろうとも、決してあきらめたりできない。私がここまでやってこられたのも、戸田先生との「誓い」があったからです。
◆ ◇ ◆
師との誓いを胸に、これまで、必死の思いで走りぬいてきました。嵐の中も、猛吹雪の中も、ただ「誓い」を果たそうと。世界じゅうのあらゆるところで、飛行機の中でも、ホテルにいても、車中にあっても、題目をあげながら。「師との誓い」であるがゆえに、「あきらめる」などということは、考えもしなかった。次元は違うけれども、子育てにも、同じことが言えるのではないだろうか。
<池田先生は、広島の中国平和記念墓地公園に立つ「世界平和祈願の碑」の像に言及しました。世界的な彫刻家であるフランスのルイ・デルブレ氏が制作したもので「建設」「寛容」「勇気」「希望」「後継」「歓喜」の"六体の像"からなっています。そのうちの「後継」の像は、座った母親が小さな子どもを両手で抱き上げ、前の方へと掲げる姿をしています>
この像について、デルブレ氏は、こう言っている。
「子どもを産み育てる根源的な存在としての母親。そして、未来世紀を担い、大いなる希望をもって成長していく姿を、母親にかざされた幼児として表現しています。
母親にとって子どもは、自分の所有物でも、付属物でもありません。未来を開くため、世界の平和のために捧げ、送り出していくのです。幼児も一人の人間として、きりっとした表情をしています。後継の使命を決意し、自覚していることを、両手を横に広げて表現しているのです」
◆ ◇ ◆
「親のエゴ」ではなく、「子どもの未来」を子育ての基準にしていかなければなりません。
子育ては、長い目でみなければ分からない。「子どもの今」を満足させるだけでなく、「子どもの未来」をしっかりと見すえていくのです。そうすれば、「叱るべきとき」も、おのずと分かるのではないか。
子どもは、自分を映す鏡です。子育ては、子どもも、自分もともに成長していく崇高な作業なのです。
2021年12月29日水曜日
2021.12.29 わが友に贈る
本紙の配達に関わる皆様
通信員・新聞長をはじめ
聖教を支えてくださる
全ての方々に大感謝!
幸福安穏の新年を!
富木殿御返事 P962
『但生涯本より思い切て候今に飜返ること無く其の上又遺恨無し諸の悪人は又善知識なり』
【通解】
ただ私の生涯は、もとより覚悟のうえである。今になって、翻ることはないし、そのうえまた遺恨もない。多くの悪人はまた善知識である。
名字の言 苦悩の闇を破る太陽に 2021年12月29日
地球上には「極夜」という沈んだ太陽が姿を見せない現象がある。外は漆黒の闇だ。極夜の果てに昇る太陽を見れば"真の光と闇"が分かるのでは——探検家の角幡唯介氏は冬の北極で数カ月にわたり極夜を体験した▼極寒の闇の中、獣の襲来や暴風雪などで幾度も死に直面した。氏は、極夜の本質は外界ではなく、闇に支配された心理状態にあると言う。恐怖と絶望に屈せず、ついに現れた闇を破る太陽を「出生以来二度目の本物の光」と生命の誕生に重ねた(『極夜行』文藝春秋)▼8年前、100万人に数人の難病と診断された女性部員がいる。術後、意識不明の重体に陥るが、家族の祈りと同志の励ましで死の宣告を覆し蘇生。その後襲ったがんにも負けず、広布に励む姿が皆の希望となった▼法華経に「日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く 斯の人は世間に行じて 能く衆生の闇を滅し」(妙法蓮華経並開結575ページ)と。仏法を持ち弘める地涌の菩薩は、太陽や月の光のように人々の苦悩の闇を晴らすことができると仰せだ▼試練の暗夜が明けきらぬ一年。苦難を希望へと転ずる原動力は、わが一念にある。朗々たる勤行・唱題で胸中に元初の太陽を昇らせ、共々に新年の飛躍を誓い合いたい。
寸鉄 2021年12月29日
創価の凱歌轟いた一年。同志の大奮闘に最敬礼!共に「青年・飛躍の年」へ
我々はこれからを考えて生きるのだ—牧口先生。歴史を開く本因妙の前進
根ふかければ葉かれず—御書。混迷の今、信心根本に。不屈の祈りと行動で
社会的な孤立感じる人が増加—調査。年末に知人に電話一本。真心は通ず
火災に警戒。建物周囲の可燃物整頓、電気配線の再点検。心の守りを固く
☆ストーリーズ 師弟が紡ぐ広布史 第15回 楽聖の魂の調べは鳴り響く
◇わが道を歓喜をもって走れ!
日本の師走を彩る風物詩の一つに、ベートーベン作曲の「交響曲第9番ニ短調」の演奏がある。今年も列島各地で「第九」が高らかに鳴り響く年末を迎えた。
ベートーベンは「極めて優れた作曲家・音楽家」を意味する「楽聖」といわれる。交響曲第5番「運命」や第6番「田園」など、彼が残した作品の数々は、今も多くの人を魅了する。
池田大作先生は若き日から、楽聖の伝記などを読み、その生涯に強く共感した。友人たちから、"ベートーベン博士"と呼ばれ、近所の中学校の夏季学校に招かれて、楽聖に関する講義をしたこともあった。
1949年1月3日、池田先生は戸田城聖先生が経営する出版社に初めて出社した。少年雑誌の編集に携わり、この年の5月には編集長となった。
だが、不況に加えて、戦前からの大手出版社が雑誌の復刊などに乗り出した。出版物は過剰生産に陥り、同年12月、少年雑誌は休刊を余儀なくされる。
戸田先生は新たな事業を開始したものの、暗礁に乗り上げた。翌50年8月には、業務停止が決定した。
この窮地の時、池田先生が手回しの蓄音機で繰り返し聴いたレコードが、ベートーベンの「運命」だった。
「ベートーベンの『運命』が、狭い一室に轟然と響きわたった時、その力強く厚い音の真っ只中に陶然として聴き入った感動は、今も鮮やかである」
肺病による発熱。給料は遅配が続いた。絶体絶命の中で、レコードがすりきれるほど聴いた「運命」は、若き先生の魂を鼓舞したのである。
53年1月2日、先生は25歳の誕生日を迎えたその日、男子部の第1部隊長に就任した。
年末までに部隊1000人の達成へ向けて驀進していたある日、第1部隊の会合終了後、一人の青年が池田先生のもとへ来た。"男子部の役職をやめたい"という相談だった。
青年は弱気になっていた。先生は、「逃げるんですか!」と一喝し、「一つ一つあきらめずに、力の限り挑戦していけば、すべてに勝利することができるものだ。私が応援するよ」と。
それでも、青年は自信が持てず、意を決して、池田先生のアパートへ向かった。先生はその青年と銭湯に行った後、アパートでレコードを2曲かけた。スッペの「軽騎兵」序曲と、ベートーベンの「運命」である。レコードを聴くと、青年に語った。
「悔しくとも、悲しくとも、また、どんなに大変でも、前へ、前へと進むんだ」
青年は後に長野広布のリーダーとなる。この時の先生の励ましについて、「現在も私の心の中に生きている」と手記に残した。音楽を通した激励は、青年の心をいつまでも温め続けた。
音楽家にとって、聴覚は命そのものである。その聴覚の異常を、ベートーベンが自覚するようになったのは、1798年ごろといわれる。
ベートーベンは主治医の勧めで、1802年の半年間ほど、オーストリアのウィーン郊外に位置するハイリゲンシュタットに居を構えた。そこで、彼は幾つもの名曲を生み出した。
ハイリゲンシュタットの建物は現在、ベートーベンの記念館に。1981年5月27日、オーストリア訪問の折、池田先生は記念館に足を運んだ。
楽譜や手紙、肖像画など、先生は一つ一つを丹念に見学。記念館の関係者から一筆を求められると快く応じ、ペンを走らせた。
「正義/青年時代に憧れの/大作曲家の家に来たる/ベートーベンと/常に生き語りし想い出を/思い出しながら/しばし、この地にたたずむ」
この日、先生に同行したヨシオ・ナカムラさん。2年前の79年4月10日、次男のケイジさんが生後6カ月で亡くなった。すぐに東京から電報が届いた。池田先生からだった。
「ダイショウニンノブッポウハ(大聖人の仏法は) シュクメイテンカンノブッポウデス(宿命転換の仏法です)」
「フドウノシンジンニタチ(不動の信心に立ち) スベテヲヘンドクイヤクシテ(全てを変毒為薬して)……」
同年4月24日、先生は第3代会長を辞任。ヨシオさんは、「最も大変な時に、日本から遠く離れた私と妻のヤスエのことを心配して電報を打たれた。先生が一人のために、どれほど心を砕かれてきたか。そのことを示しているのではないでしょうか」と振り返る。
師の励ましは続いた。2003年10月5日、聖教新聞にベートーベンの記念館を訪れた思い出をつづったエッセーが掲載された。
ヨシオさんとヤスエさんは目を真っ赤にしながら、紙面を読んだ。10月5日が、ケイジさんの25歳の誕生日だったからである。
「生きよう。もう数えるな。自分に何ができなくなったかを。もう数えるな。自分の手からこぼれてしまった幸福の数々を。むしろ、自分にもまだできることがある。それだけを考えて生きよう」——エッセーの一文一文を胸に刻み、ナカムラさん夫妻は、オーストリア広布に突き進んだ。
しかし、再び過酷な運命が待ち受けていた。2007年、創価大学に学び、オーストリアのテレビ局で働いていた長男のシンイチさんが、急性白血病で倒れた。先生は病床のシンイチさんに伝言を贈った。
「シンイチ君。断じて生き抜け。皆が待っている。創大生が、学会員が世界中で待っている。絶対負けるな。笑顔で会おう」
ステロイドの副作用で骨はもろくなり、両足にチタンを入れた。重度の貧血にも苦しめられた。それでも、生きることを諦めなかった。壮絶な闘病生活を続けて8年。シンイチさんはついに、社会復帰を果たした。
長女のカヨコさんも、創価大学を卒業し、オーストリアの地で自他共の幸福の輪を広げる。
難聴に苦しむベートーベンは、「僕は運命の喉元を締めつけてやりたい。どんなことがあっても運命に打ち負かされきりになってはやらない」(片山敏彦訳)と記した。
師の激励を生きる力に変え、蘇生の階段を一歩また一歩と上ってきた、ナカムラさん一家。楽聖のような不屈の歩みを、現在も続けている。
ベートーベンの肖像画を一度でも見たことがある人は多いだろう。バッハやモーツァルトなどの肖像画はかつらを着けているが、楽聖のそれは地毛である。
音楽家はかつて、王侯・貴族の支援によって生計を立てていた。かつらは宮廷の仕事場において必需品だった。
ベートーベンは王侯・貴族から自立した生活を望んだ。権力・財力など"力を持つ人間"にへつらうことを嫌った。楽聖は、自らの音楽は貧しい人々にささげられなければならない、と考えていた。
1990年11月16日、学会創立60周年を祝賀する本部幹部会が開催された。席上、富士交響楽団と創価合唱団によるベートーベンの交響曲第9番「歓喜の歌」の演奏・合唱が行われた。
先生はスピーチで、「歓喜の歌」に言及し、いかなる苦悩も突き抜けて、人生の勝利と歓喜を勝ち開いていこうと訴えた。さらに、創立65周年には5万人、創立70周年には10万人で「第九」の合唱を提案。"ドイツ語でもやろう"と呼び掛けた。
1カ月後の12月16日、宗門から「お尋ね」と題する文書が学会に送付されてきた。ドイツ語で「歓喜の歌」を歌うことは、キリスト教の神を賛嘆することであり、「外道礼讃」であるという的外れなものだった。そこには、宗門の「文化否定」の体質が如実に表れていた。
宗門が文書を送り付けてきた12月16日は、くしくも、ベートーベンの生誕の日である。この日、一年の掉尾を飾る本部幹部会が行われた。
先生は、ベートーベンが難聴という絶望の中で、作曲を続けた理由について、自らがつかんだ歓喜の境涯を、未来の人々のために分け与えたかったからであると語った。
この年、世界では、東西に分断されていたドイツが統一。その前夜、東ドイツで行われた式典で「歓喜の歌」が合唱された。ドイツ語では「神々」との表現があるが、それは特定の宗教を示したものではない。哲学者の河端春雄氏は、「人間の内なる精神の極致、理想」と指摘している。
「第九」は、宗派を超越し、人類の融和と勝利の象徴として、世界で歌われてきた。その普遍性を「外道礼讃」と否定した宗門は、閉鎖的な教団であることを自ら"逆証明"したのである。
創立65周年に5万人、創立70周年に10万人で「第九」の合唱を——この師の提案を実現したのが、九州青年部だった。しかも、ドイツ語である。
94年11月23日、福岡ドーム(当時)での「アジア青年平和音楽祭」で、5万人が「歓喜の歌」を合唱。2001年12月2日には、マリンメッセ福岡と九州の116会場、さらに東京の学会本部を生中継で結び、「アジア青年平和文化総会」が行われ、10万人の「歓喜の歌」が響き渡った。
「5万人の第九」が決定した後、幾つもの課題が出てきた。なかでも、"5万人の混声合唱が一つになれるか"は最大のものだった。
5万人がオーケストラの音を同時に聞くために、全員がレシーバーを耳に着けた。また、ロイヤルボックスから均等の距離で、合唱メンバーが扇形に並ぶようにした。さらに、各パートの歌声を一つにするために、合唱メンバーの指揮者を配置した。青年たちは、できる全てのことをやり抜いた。
本番数日前に初めて行われた5万人のリハーサル。ロイヤルボックスで、歌声は見事に一つに溶け合った。本番は、より力強く、より崇高な響きをたたえた。
音楽祭の終了後、先生は「数万の 若き歌声 世界へと 胸を貫き 飛びゆく美事さ」など3首の和歌を詠んだ。空はあかね色に染まっていた。先生は「この50年で、一番素晴らしい夕日だ」と。夕焼けは、九州青年部の勝利を現していた。
「歓喜の歌」に、「走れ、兄弟たちよ、汝らの道を/凱旋の英雄のように歓びをもって」(渡辺護訳)と。
2022年は、7年ごとの前進を期す「第2の七つの鐘」の4番目の鐘を打ち鳴らす出発の時である。
進もう。師と共に、同志と共に。
わが使命の道を、歓喜をもって。
【アナザーストーリー】
1957年8月30日、本紙に「運命の人 ベートーヴェン」と題する記事が掲載になった。執筆したのは池田先生である。
先生は、聴覚を奪われた中で、不朽の名作を残したこと自体が、楽聖の偉大さを物語っているとつづった。
執筆1カ月前の7月3日、先生は権力の横暴によって、無実の罪で逮捕・勾留された。過酷な獄中闘争は17日まで続いた。
8月上旬には、東京・荒川区で広布の指揮を執り、わずか1週間で区の会員世帯の1割を超える拡大を成し遂げた。
激闘に次ぐ激闘の中で、先生は原稿を書き、紙面を通して同志に勇気を届けた。
ベートーベンは、「おお、生命を千倍生きることはまったくすばらしい!」(片山敏彦訳)と書き残した。この言葉を通して、先生は述べている。
「わが友は、その使命と責任の大きさゆえ、来る日も来る日も、忙しい。労苦も多い。しかし、だからこそ、幾百倍、幾千倍も充実した人生を生きている。この生命を最大に輝かせているのだ。
この一年も『私は勝った!』『我らは勝った!』と、万歳の歓呼を共々に送り合おうではないか」
通信員・新聞長をはじめ
聖教を支えてくださる
全ての方々に大感謝!
幸福安穏の新年を!
富木殿御返事 P962
『但生涯本より思い切て候今に飜返ること無く其の上又遺恨無し諸の悪人は又善知識なり』
【通解】
ただ私の生涯は、もとより覚悟のうえである。今になって、翻ることはないし、そのうえまた遺恨もない。多くの悪人はまた善知識である。
名字の言 苦悩の闇を破る太陽に 2021年12月29日
地球上には「極夜」という沈んだ太陽が姿を見せない現象がある。外は漆黒の闇だ。極夜の果てに昇る太陽を見れば"真の光と闇"が分かるのでは——探検家の角幡唯介氏は冬の北極で数カ月にわたり極夜を体験した▼極寒の闇の中、獣の襲来や暴風雪などで幾度も死に直面した。氏は、極夜の本質は外界ではなく、闇に支配された心理状態にあると言う。恐怖と絶望に屈せず、ついに現れた闇を破る太陽を「出生以来二度目の本物の光」と生命の誕生に重ねた(『極夜行』文藝春秋)▼8年前、100万人に数人の難病と診断された女性部員がいる。術後、意識不明の重体に陥るが、家族の祈りと同志の励ましで死の宣告を覆し蘇生。その後襲ったがんにも負けず、広布に励む姿が皆の希望となった▼法華経に「日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く 斯の人は世間に行じて 能く衆生の闇を滅し」(妙法蓮華経並開結575ページ)と。仏法を持ち弘める地涌の菩薩は、太陽や月の光のように人々の苦悩の闇を晴らすことができると仰せだ▼試練の暗夜が明けきらぬ一年。苦難を希望へと転ずる原動力は、わが一念にある。朗々たる勤行・唱題で胸中に元初の太陽を昇らせ、共々に新年の飛躍を誓い合いたい。
寸鉄 2021年12月29日
創価の凱歌轟いた一年。同志の大奮闘に最敬礼!共に「青年・飛躍の年」へ
我々はこれからを考えて生きるのだ—牧口先生。歴史を開く本因妙の前進
根ふかければ葉かれず—御書。混迷の今、信心根本に。不屈の祈りと行動で
社会的な孤立感じる人が増加—調査。年末に知人に電話一本。真心は通ず
火災に警戒。建物周囲の可燃物整頓、電気配線の再点検。心の守りを固く
☆ストーリーズ 師弟が紡ぐ広布史 第15回 楽聖の魂の調べは鳴り響く
◇わが道を歓喜をもって走れ!
日本の師走を彩る風物詩の一つに、ベートーベン作曲の「交響曲第9番ニ短調」の演奏がある。今年も列島各地で「第九」が高らかに鳴り響く年末を迎えた。
ベートーベンは「極めて優れた作曲家・音楽家」を意味する「楽聖」といわれる。交響曲第5番「運命」や第6番「田園」など、彼が残した作品の数々は、今も多くの人を魅了する。
池田大作先生は若き日から、楽聖の伝記などを読み、その生涯に強く共感した。友人たちから、"ベートーベン博士"と呼ばれ、近所の中学校の夏季学校に招かれて、楽聖に関する講義をしたこともあった。
1949年1月3日、池田先生は戸田城聖先生が経営する出版社に初めて出社した。少年雑誌の編集に携わり、この年の5月には編集長となった。
だが、不況に加えて、戦前からの大手出版社が雑誌の復刊などに乗り出した。出版物は過剰生産に陥り、同年12月、少年雑誌は休刊を余儀なくされる。
戸田先生は新たな事業を開始したものの、暗礁に乗り上げた。翌50年8月には、業務停止が決定した。
この窮地の時、池田先生が手回しの蓄音機で繰り返し聴いたレコードが、ベートーベンの「運命」だった。
「ベートーベンの『運命』が、狭い一室に轟然と響きわたった時、その力強く厚い音の真っ只中に陶然として聴き入った感動は、今も鮮やかである」
肺病による発熱。給料は遅配が続いた。絶体絶命の中で、レコードがすりきれるほど聴いた「運命」は、若き先生の魂を鼓舞したのである。
53年1月2日、先生は25歳の誕生日を迎えたその日、男子部の第1部隊長に就任した。
年末までに部隊1000人の達成へ向けて驀進していたある日、第1部隊の会合終了後、一人の青年が池田先生のもとへ来た。"男子部の役職をやめたい"という相談だった。
青年は弱気になっていた。先生は、「逃げるんですか!」と一喝し、「一つ一つあきらめずに、力の限り挑戦していけば、すべてに勝利することができるものだ。私が応援するよ」と。
それでも、青年は自信が持てず、意を決して、池田先生のアパートへ向かった。先生はその青年と銭湯に行った後、アパートでレコードを2曲かけた。スッペの「軽騎兵」序曲と、ベートーベンの「運命」である。レコードを聴くと、青年に語った。
「悔しくとも、悲しくとも、また、どんなに大変でも、前へ、前へと進むんだ」
青年は後に長野広布のリーダーとなる。この時の先生の励ましについて、「現在も私の心の中に生きている」と手記に残した。音楽を通した激励は、青年の心をいつまでも温め続けた。
音楽家にとって、聴覚は命そのものである。その聴覚の異常を、ベートーベンが自覚するようになったのは、1798年ごろといわれる。
ベートーベンは主治医の勧めで、1802年の半年間ほど、オーストリアのウィーン郊外に位置するハイリゲンシュタットに居を構えた。そこで、彼は幾つもの名曲を生み出した。
ハイリゲンシュタットの建物は現在、ベートーベンの記念館に。1981年5月27日、オーストリア訪問の折、池田先生は記念館に足を運んだ。
楽譜や手紙、肖像画など、先生は一つ一つを丹念に見学。記念館の関係者から一筆を求められると快く応じ、ペンを走らせた。
「正義/青年時代に憧れの/大作曲家の家に来たる/ベートーベンと/常に生き語りし想い出を/思い出しながら/しばし、この地にたたずむ」
この日、先生に同行したヨシオ・ナカムラさん。2年前の79年4月10日、次男のケイジさんが生後6カ月で亡くなった。すぐに東京から電報が届いた。池田先生からだった。
「ダイショウニンノブッポウハ(大聖人の仏法は) シュクメイテンカンノブッポウデス(宿命転換の仏法です)」
「フドウノシンジンニタチ(不動の信心に立ち) スベテヲヘンドクイヤクシテ(全てを変毒為薬して)……」
同年4月24日、先生は第3代会長を辞任。ヨシオさんは、「最も大変な時に、日本から遠く離れた私と妻のヤスエのことを心配して電報を打たれた。先生が一人のために、どれほど心を砕かれてきたか。そのことを示しているのではないでしょうか」と振り返る。
師の励ましは続いた。2003年10月5日、聖教新聞にベートーベンの記念館を訪れた思い出をつづったエッセーが掲載された。
ヨシオさんとヤスエさんは目を真っ赤にしながら、紙面を読んだ。10月5日が、ケイジさんの25歳の誕生日だったからである。
「生きよう。もう数えるな。自分に何ができなくなったかを。もう数えるな。自分の手からこぼれてしまった幸福の数々を。むしろ、自分にもまだできることがある。それだけを考えて生きよう」——エッセーの一文一文を胸に刻み、ナカムラさん夫妻は、オーストリア広布に突き進んだ。
しかし、再び過酷な運命が待ち受けていた。2007年、創価大学に学び、オーストリアのテレビ局で働いていた長男のシンイチさんが、急性白血病で倒れた。先生は病床のシンイチさんに伝言を贈った。
「シンイチ君。断じて生き抜け。皆が待っている。創大生が、学会員が世界中で待っている。絶対負けるな。笑顔で会おう」
ステロイドの副作用で骨はもろくなり、両足にチタンを入れた。重度の貧血にも苦しめられた。それでも、生きることを諦めなかった。壮絶な闘病生活を続けて8年。シンイチさんはついに、社会復帰を果たした。
長女のカヨコさんも、創価大学を卒業し、オーストリアの地で自他共の幸福の輪を広げる。
難聴に苦しむベートーベンは、「僕は運命の喉元を締めつけてやりたい。どんなことがあっても運命に打ち負かされきりになってはやらない」(片山敏彦訳)と記した。
師の激励を生きる力に変え、蘇生の階段を一歩また一歩と上ってきた、ナカムラさん一家。楽聖のような不屈の歩みを、現在も続けている。
ベートーベンの肖像画を一度でも見たことがある人は多いだろう。バッハやモーツァルトなどの肖像画はかつらを着けているが、楽聖のそれは地毛である。
音楽家はかつて、王侯・貴族の支援によって生計を立てていた。かつらは宮廷の仕事場において必需品だった。
ベートーベンは王侯・貴族から自立した生活を望んだ。権力・財力など"力を持つ人間"にへつらうことを嫌った。楽聖は、自らの音楽は貧しい人々にささげられなければならない、と考えていた。
1990年11月16日、学会創立60周年を祝賀する本部幹部会が開催された。席上、富士交響楽団と創価合唱団によるベートーベンの交響曲第9番「歓喜の歌」の演奏・合唱が行われた。
先生はスピーチで、「歓喜の歌」に言及し、いかなる苦悩も突き抜けて、人生の勝利と歓喜を勝ち開いていこうと訴えた。さらに、創立65周年には5万人、創立70周年には10万人で「第九」の合唱を提案。"ドイツ語でもやろう"と呼び掛けた。
1カ月後の12月16日、宗門から「お尋ね」と題する文書が学会に送付されてきた。ドイツ語で「歓喜の歌」を歌うことは、キリスト教の神を賛嘆することであり、「外道礼讃」であるという的外れなものだった。そこには、宗門の「文化否定」の体質が如実に表れていた。
宗門が文書を送り付けてきた12月16日は、くしくも、ベートーベンの生誕の日である。この日、一年の掉尾を飾る本部幹部会が行われた。
先生は、ベートーベンが難聴という絶望の中で、作曲を続けた理由について、自らがつかんだ歓喜の境涯を、未来の人々のために分け与えたかったからであると語った。
この年、世界では、東西に分断されていたドイツが統一。その前夜、東ドイツで行われた式典で「歓喜の歌」が合唱された。ドイツ語では「神々」との表現があるが、それは特定の宗教を示したものではない。哲学者の河端春雄氏は、「人間の内なる精神の極致、理想」と指摘している。
「第九」は、宗派を超越し、人類の融和と勝利の象徴として、世界で歌われてきた。その普遍性を「外道礼讃」と否定した宗門は、閉鎖的な教団であることを自ら"逆証明"したのである。
創立65周年に5万人、創立70周年に10万人で「第九」の合唱を——この師の提案を実現したのが、九州青年部だった。しかも、ドイツ語である。
94年11月23日、福岡ドーム(当時)での「アジア青年平和音楽祭」で、5万人が「歓喜の歌」を合唱。2001年12月2日には、マリンメッセ福岡と九州の116会場、さらに東京の学会本部を生中継で結び、「アジア青年平和文化総会」が行われ、10万人の「歓喜の歌」が響き渡った。
「5万人の第九」が決定した後、幾つもの課題が出てきた。なかでも、"5万人の混声合唱が一つになれるか"は最大のものだった。
5万人がオーケストラの音を同時に聞くために、全員がレシーバーを耳に着けた。また、ロイヤルボックスから均等の距離で、合唱メンバーが扇形に並ぶようにした。さらに、各パートの歌声を一つにするために、合唱メンバーの指揮者を配置した。青年たちは、できる全てのことをやり抜いた。
本番数日前に初めて行われた5万人のリハーサル。ロイヤルボックスで、歌声は見事に一つに溶け合った。本番は、より力強く、より崇高な響きをたたえた。
音楽祭の終了後、先生は「数万の 若き歌声 世界へと 胸を貫き 飛びゆく美事さ」など3首の和歌を詠んだ。空はあかね色に染まっていた。先生は「この50年で、一番素晴らしい夕日だ」と。夕焼けは、九州青年部の勝利を現していた。
「歓喜の歌」に、「走れ、兄弟たちよ、汝らの道を/凱旋の英雄のように歓びをもって」(渡辺護訳)と。
2022年は、7年ごとの前進を期す「第2の七つの鐘」の4番目の鐘を打ち鳴らす出発の時である。
進もう。師と共に、同志と共に。
わが使命の道を、歓喜をもって。
【アナザーストーリー】
1957年8月30日、本紙に「運命の人 ベートーヴェン」と題する記事が掲載になった。執筆したのは池田先生である。
先生は、聴覚を奪われた中で、不朽の名作を残したこと自体が、楽聖の偉大さを物語っているとつづった。
執筆1カ月前の7月3日、先生は権力の横暴によって、無実の罪で逮捕・勾留された。過酷な獄中闘争は17日まで続いた。
8月上旬には、東京・荒川区で広布の指揮を執り、わずか1週間で区の会員世帯の1割を超える拡大を成し遂げた。
激闘に次ぐ激闘の中で、先生は原稿を書き、紙面を通して同志に勇気を届けた。
ベートーベンは、「おお、生命を千倍生きることはまったくすばらしい!」(片山敏彦訳)と書き残した。この言葉を通して、先生は述べている。
「わが友は、その使命と責任の大きさゆえ、来る日も来る日も、忙しい。労苦も多い。しかし、だからこそ、幾百倍、幾千倍も充実した人生を生きている。この生命を最大に輝かせているのだ。
この一年も『私は勝った!』『我らは勝った!』と、万歳の歓呼を共々に送り合おうではないか」
2021年12月28日火曜日
2021.12.28 わが友に贈る
変化の時代だからこそ
必ず現状を打開するとの
決定した一念が大切だ。
不屈の魂を燃やして
希望の未来を開こう!
千日尼御前御返事 P1312
『たすけんとする日蓮かへりて大怨敵とをもわるるゆへに女人こぞりて国主に讒言して伊豆の国へながせし上又佐渡の国へながされぬ』
【通解】
(一切の女性を救おうとしている)日蓮を、かえって大怨敵と思われるゆえに、女性たちが、こぞって国主に讒言をして、伊豆の国に流罪したうえ、また佐渡の国にも流罪したのである。
名字の言 人にあげればあげるほど増えるものは? 2021年12月28日
タイには、こんな"なぞなぞ"がある。「いくら振りまいてもなくならないものはなんだ?」▼答えは「笑顔」。なるほど、"ほほ笑みの国"らしい発想である。さらにもう一つ。「人にあげればあげるほど増えるものは?」。正解は「幸福」だという。今から20年前、池田先生が同国の「文化芸術貢献賞」を受賞した際、謝辞で紹介したものである。アメリカの同時多発テロから間もない頃だっただけに「平和とは? 幸せとは?」と問いながら、胸にとどめたことを覚えている▼御書に「喜とは自他共に喜ぶ事なり」(761ページ)と。苦しみや悲しみの多くは人間関係の中で生じる。同じように、本当の喜びも他者との関係性の中で育まれていくものである▼仏法では、人も国土も「一つの生命体」と捉え、不可分であると説く。全ての生命は互いに支え合い、大いなる生命の輪を織り成していると見るのだ。ゆえに池田先生は訴える。「人を幸福にした分、自分も幸福になるし、だれか一人でも不幸な人がいるかぎり、自分の幸福も完全ではない」▼笑顔と幸福を友に惜しみなく送り、平和と友情を広げた世界の同志に、感謝と敬意を表したい。地涌の勇者こそ真の「富める者」であり「心の長者」である。
寸鉄 2021年12月28日
「いよいよ」と御書に幾度も。現当二世の信心だ。挑戦やめぬ人は皆、青年
男子部大学校生が年末から仏法対話。気概頼もし。青春の原点を断じて築け
良友にまさる財宝はない—哲人。友情の輪を広げる大充実の交流期間を!
"久しぶりの長距離運転"増える時。呉々も無事故で。焦らず、賢く休憩取り
水で膨らむ玩具を幼児が誤飲する事故多発。遊ぶ時は一緒に。目を離さず
☆桂冠詩人40周年 勇気の舞 凱歌の行進 第21回 未来部の友へ
本年は、「桂冠詩人」の称号が池田先生に贈られてから40周年。連載企画「勇気の舞 凱歌の行進」では、先生がつづった長編詩を紹介します。第21回は、未来部の友に詠んだ「若き君よ 勝ちまくれ! 青春は人生の 一生の土台」(2002年)です。
◇君の使命は君しか持てない
未来は無限だ。
未来は希望だ。
未来は夢だ。
未来は大活躍の劇場だ。
「未来部」は
なんと無限の意味をはらんだ
名前であろうか。
◆◇◆
若き生命の持ち主は
皆が
その魂は
閃光を放っているのだ。
気取る必要もない。
失敗に臆する必要もない。
愚かと言われようが
貧しいと言われようが
そんなことは
弱々しい風が
吹いていると思え!
君の夢は
君しか持てない。
君の宝は
君しか持てない。
君の使命は
君しか持てない。
だから
不思議にして偉大なる
生命の鍵を
持っているのが
君なのだ!
◆◇◆
君の長い生涯の中に
決して希望を
死滅させてはならない。
感情で
逃走してはならない。
邪険な人々の罵りに
人生を
奪われてもならない。
胸を張って
北風に進むのだ。
断固として
自分自身の人生を
勝利するのだ。
父のために
母のために
自分自身のために
平和のために
友情のために
そして
永遠のために!
そこにこそ
幾千人に
痛めつけられても
すべてが
勝ち抜いた君の
長い生涯を飾りゆく
大勲章と光るのだ!
君よ
君の名前を呼ぶ人が
いなくとも
君は君らしく
生きるのだ。
有名になる必要などない。
狂った人間の世界で
褒められる必要もない。
狂乱した嫉妬の世界で
悩む必要もない。
君は君らしく
確かなる人生観を持って
残酷なこの社会を
切り開いていくのだ。
人生は劇だ。
若さは名優だ。
◆◇◆
友よ
不安に行き詰まるような
弱々しい青春であるな!
すべてが
私の人生の
転機ととらえて
偉大なる
正義の目標に向かって
勝利の坂を
勇敢に登っていくのだ!
青春よ
勝ちまくれ!
若き君よ
希望の未来に舞いゆけ!
未来部 万歳!
未来部の成長が
広宣流布だ。
未来部の勝利が
創価の勝利だ。
未来部に
栄光あれ!
勝利あれ!
☆ロータスラウンジ——法華経への旅 第31回 薬王菩薩本事品第二十三
◇末法広宣流布の戦士よ! 薬王菩薩のごとく、命を燃やせ!
■大要
薬王菩薩が一切衆生憙見菩薩だった時、日月浄明徳仏の入滅後に、報恩のため自分の臂(腕)を焼いて灯明として供養したという故事が説かれます。そして、仏滅後に法華経を弘める功徳は、この焼身の供養より大きいことが述べられます。それでは内容を追ってみましょう。
◇
その時、宿王華菩薩が、釈尊に言います。
「薬王菩薩は、どうしてこの娑婆世界を巡り歩くのでしょうか。どれほどの百千万億那由他の難行苦行があったのでしょうか。どうか説明してください。その話を聞いて皆、歓喜するでしょう」
——ここから質問に答える形で、薬王菩薩が一切衆生憙見菩薩だった時代の難行苦行の話が始まります。
その時、釈尊は宿王華菩薩に告げます。
「無量恒河沙劫の昔、日月浄明徳仏がいた……」と、その仏や菩薩たちの寿命、そして国土の様子などが示されます。続いて、「その時、日月浄明徳仏は、一切衆生憙見菩薩、そして多くの菩薩や声聞たちのために、法華経を説かれた」と語ります。
一切衆生憙見菩薩は、願って苦行を習い、精進し、仏を一心に求めること一万二千年を満たして、「現一切色身三昧」の境涯(十界の一切衆生の姿を自在に現せる境涯)を得ます。そこで一切衆生憙見菩薩は、大いに歓喜して思います。
「私が現一切色身三昧を得られたのは、全て法華経を聞くことができた力によるのである。今、日月浄明徳仏および法華経を供養しよう」
そして、一切衆生憙見菩薩は、さまざまな香を降らせるなどして、仏を供養して、さらに思います。
「神通力をもって仏を供養したとしても、私の身をもって供養するのには及ばない」
そこで、一切衆生憙見菩薩は、多くの香や香油を、千二百年にわたって飲み、さらに香油を身に塗るなどして、日月浄明徳仏の前で自分自身の体を燃やします。その光明は、八十億恒河沙の世界を照らします。
多くの仏が、一切衆生憙見菩薩を同時に褒めたたえます。
「これこそ真の精進である。これを『第一の布施』と名づける。多くの布施の中で、最も尊く、最も優れている。法をもって多くの仏を供養するからである」
一切衆生憙見菩薩の身体を燃やす火は、千二百年に及ぶまで続き、燃え尽きます。
一切衆生憙見菩薩は、このように法の供養をなし終わって、命が終わり、また日月浄明徳仏の国の中、浄徳王の家に生まれます。そして再び、仏を供養します。
日月浄明徳仏は、一切衆生憙見菩薩に告げます。
「入滅する時がやってきた」
そして、一切衆生憙見菩薩に命じます。
「仏法を、あなたに付嘱します。一切の弟子、阿耨多羅三藐三菩提(完全な覚り)の法、一切の宝などを付嘱する」
日月浄明徳仏が入滅すると、一切衆生憙見菩薩は悲しみ、仏を恋慕し、その舎利(聖骨)を八万四千の塔を造って供養します。そして思います。
「自分の心はまだ満足しない。さらに供養しよう」
そして、八万四千の塔の前で、自分の臂(腕)を、七万二千年にわたって燃やして供養します。その光景を見ていた声聞を求める人々らは、覚りを求める心を起こします。
多くの菩薩たちは、一切衆生憙見菩薩の臂がないのを見て、憂い、悩み、悲しみ、言います。
「一切衆生憙見菩薩は、私たちの師です。今、臂を焼いて無くしてしまった」
一切衆生憙見菩薩は、誓います。
「私は両方の臂を失ったが、必ず仏の金色の身を得るだろう。それが嘘でない証拠として、私の臂は元通りになるだろう」
臂は元通りになり、世界は六種に振動し、天から宝の花が降り、人々はいまだかつてない思いを得ます。
釈尊は、宿王華菩薩に告げます。
「あなたは、この話を聞いてどう思うか。一切衆生憙見菩薩は、どうして他の人のことであろう。今の薬王菩薩のことなのだ」
そして、法華経、またその中の一つの四句からなる偈(詩の形の経文)を受持する功徳は、計り知れないことを示します。
続いて、具体的に十の譬喩を通して功徳の偉大さを表現します。一切の川の流れなど、多くの水の中で海が第一であるように、この法華経も、多くの仏が説く経の中で最も深く、大きい……。
さらに、十二の譬喩を用いて、法華経が一切衆生を利益し、その願いを満足させることを示します。清涼の池が渇望している者を満たすように、寒い人が火を得るように……。
もし法華経を聞くことができ、もしくは書き、もしくは他の人に書かせるならば、その功徳は仏の智慧をもってしても計り知れない。
続いて、薬王菩薩本事品を聞き、受持する功徳を述べ、付嘱します。
「我滅度して後、後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して、断絶して悪魔・魔民・諸天・竜・夜叉・鳩槃荼等に其の便を得しむること無かれ」「此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なればなり。若し人病有らんに、是の経を聞くことを得ば、病は即ち消滅して、不老不死ならん」等と語ります。
最後に多宝如来が、「あなたは、不可思議の功徳を成就して、釈尊に問い掛け、計り知れない一切衆生を利益した」と、宿王華菩薩を称えます。
このように「薬王品」では、師弟の報恩のドラマを通して、法華経の功徳が賛嘆されています。
【『法華経の智慧』から】 全人類に「癒しの光明」を
法華経はすべて「己心の儀式」です。経文を向こう側においていては、肝心なことは分からない。我が生命の薬王菩薩とは、名前の通り、心身の病気を治し、生命を「健康」にする力用と言ってよい。その本体は「妙法」であり「仏界」です。仏界の大生命力が生命の苦しみを癒す働きを「薬王」と名づける。
ゆえに御本尊に向かって唱題するとき、己心の薬王菩薩が働くのです。
◇
「健康」を象徴する薬王は、信念に「殉教」した菩薩であった。「戦う生命」それが「健康な生命」です。
◇
薬王品も、まさに「末法広宣流布の戦士よ! 薬王菩薩のごとく、命を燃やせ!」と教えているのではないだろうか。そういう青年が陸続と現れたとき、創価学会全体が永遠化される。「不老不死の教団」になっていくのです。
そうなって初めて、永遠の未来にわたって、全人類に「癒しの光明」を燦然と送り続けることができるのです。(普及版〈下〉「薬王菩薩本事品」)
【コラム】 本化と迹化
「薬王品」以降の6品には、迹化・他方の菩薩に弘通を託す意義が込められています。
広宣流布の主役は、あくまでも「本化」の菩薩である「地涌の菩薩」です。その上で、「迹化」の菩薩は、迹仏に化導された菩薩のことで、主役を助ける立場と言えます。つまり、「薬王品」からの6品は、「地涌の使命を助ける」働きを明かしていると考えることができます。
池田先生は語っています。
「『本化』として自行化他に励んで開拓した『仏界』の生命力を、『迹化』としての社会面、生活面で生かしていく。生かし、活躍していこうと努力するなかで、さらに『信心』が深まり『仏界』が固まっていく。この往復作業です。本化→迹化、迹化→本化という、粘り強い往復作業によって、自分の生命を限りなく向上させ、広宣流布を限りなく広げていくのです」
広宣流布へ、それぞれの舞台で、「さすがだ」と、実証輝く活躍をしていきたい。
必ず現状を打開するとの
決定した一念が大切だ。
不屈の魂を燃やして
希望の未来を開こう!
千日尼御前御返事 P1312
『たすけんとする日蓮かへりて大怨敵とをもわるるゆへに女人こぞりて国主に讒言して伊豆の国へながせし上又佐渡の国へながされぬ』
【通解】
(一切の女性を救おうとしている)日蓮を、かえって大怨敵と思われるゆえに、女性たちが、こぞって国主に讒言をして、伊豆の国に流罪したうえ、また佐渡の国にも流罪したのである。
名字の言 人にあげればあげるほど増えるものは? 2021年12月28日
タイには、こんな"なぞなぞ"がある。「いくら振りまいてもなくならないものはなんだ?」▼答えは「笑顔」。なるほど、"ほほ笑みの国"らしい発想である。さらにもう一つ。「人にあげればあげるほど増えるものは?」。正解は「幸福」だという。今から20年前、池田先生が同国の「文化芸術貢献賞」を受賞した際、謝辞で紹介したものである。アメリカの同時多発テロから間もない頃だっただけに「平和とは? 幸せとは?」と問いながら、胸にとどめたことを覚えている▼御書に「喜とは自他共に喜ぶ事なり」(761ページ)と。苦しみや悲しみの多くは人間関係の中で生じる。同じように、本当の喜びも他者との関係性の中で育まれていくものである▼仏法では、人も国土も「一つの生命体」と捉え、不可分であると説く。全ての生命は互いに支え合い、大いなる生命の輪を織り成していると見るのだ。ゆえに池田先生は訴える。「人を幸福にした分、自分も幸福になるし、だれか一人でも不幸な人がいるかぎり、自分の幸福も完全ではない」▼笑顔と幸福を友に惜しみなく送り、平和と友情を広げた世界の同志に、感謝と敬意を表したい。地涌の勇者こそ真の「富める者」であり「心の長者」である。
寸鉄 2021年12月28日
「いよいよ」と御書に幾度も。現当二世の信心だ。挑戦やめぬ人は皆、青年
男子部大学校生が年末から仏法対話。気概頼もし。青春の原点を断じて築け
良友にまさる財宝はない—哲人。友情の輪を広げる大充実の交流期間を!
"久しぶりの長距離運転"増える時。呉々も無事故で。焦らず、賢く休憩取り
水で膨らむ玩具を幼児が誤飲する事故多発。遊ぶ時は一緒に。目を離さず
☆桂冠詩人40周年 勇気の舞 凱歌の行進 第21回 未来部の友へ
本年は、「桂冠詩人」の称号が池田先生に贈られてから40周年。連載企画「勇気の舞 凱歌の行進」では、先生がつづった長編詩を紹介します。第21回は、未来部の友に詠んだ「若き君よ 勝ちまくれ! 青春は人生の 一生の土台」(2002年)です。
◇君の使命は君しか持てない
未来は無限だ。
未来は希望だ。
未来は夢だ。
未来は大活躍の劇場だ。
「未来部」は
なんと無限の意味をはらんだ
名前であろうか。
◆◇◆
若き生命の持ち主は
皆が
その魂は
閃光を放っているのだ。
気取る必要もない。
失敗に臆する必要もない。
愚かと言われようが
貧しいと言われようが
そんなことは
弱々しい風が
吹いていると思え!
君の夢は
君しか持てない。
君の宝は
君しか持てない。
君の使命は
君しか持てない。
だから
不思議にして偉大なる
生命の鍵を
持っているのが
君なのだ!
◆◇◆
君の長い生涯の中に
決して希望を
死滅させてはならない。
感情で
逃走してはならない。
邪険な人々の罵りに
人生を
奪われてもならない。
胸を張って
北風に進むのだ。
断固として
自分自身の人生を
勝利するのだ。
父のために
母のために
自分自身のために
平和のために
友情のために
そして
永遠のために!
そこにこそ
幾千人に
痛めつけられても
すべてが
勝ち抜いた君の
長い生涯を飾りゆく
大勲章と光るのだ!
君よ
君の名前を呼ぶ人が
いなくとも
君は君らしく
生きるのだ。
有名になる必要などない。
狂った人間の世界で
褒められる必要もない。
狂乱した嫉妬の世界で
悩む必要もない。
君は君らしく
確かなる人生観を持って
残酷なこの社会を
切り開いていくのだ。
人生は劇だ。
若さは名優だ。
◆◇◆
友よ
不安に行き詰まるような
弱々しい青春であるな!
すべてが
私の人生の
転機ととらえて
偉大なる
正義の目標に向かって
勝利の坂を
勇敢に登っていくのだ!
青春よ
勝ちまくれ!
若き君よ
希望の未来に舞いゆけ!
未来部 万歳!
未来部の成長が
広宣流布だ。
未来部の勝利が
創価の勝利だ。
未来部に
栄光あれ!
勝利あれ!
☆ロータスラウンジ——法華経への旅 第31回 薬王菩薩本事品第二十三
◇末法広宣流布の戦士よ! 薬王菩薩のごとく、命を燃やせ!
■大要
薬王菩薩が一切衆生憙見菩薩だった時、日月浄明徳仏の入滅後に、報恩のため自分の臂(腕)を焼いて灯明として供養したという故事が説かれます。そして、仏滅後に法華経を弘める功徳は、この焼身の供養より大きいことが述べられます。それでは内容を追ってみましょう。
◇
その時、宿王華菩薩が、釈尊に言います。
「薬王菩薩は、どうしてこの娑婆世界を巡り歩くのでしょうか。どれほどの百千万億那由他の難行苦行があったのでしょうか。どうか説明してください。その話を聞いて皆、歓喜するでしょう」
——ここから質問に答える形で、薬王菩薩が一切衆生憙見菩薩だった時代の難行苦行の話が始まります。
その時、釈尊は宿王華菩薩に告げます。
「無量恒河沙劫の昔、日月浄明徳仏がいた……」と、その仏や菩薩たちの寿命、そして国土の様子などが示されます。続いて、「その時、日月浄明徳仏は、一切衆生憙見菩薩、そして多くの菩薩や声聞たちのために、法華経を説かれた」と語ります。
一切衆生憙見菩薩は、願って苦行を習い、精進し、仏を一心に求めること一万二千年を満たして、「現一切色身三昧」の境涯(十界の一切衆生の姿を自在に現せる境涯)を得ます。そこで一切衆生憙見菩薩は、大いに歓喜して思います。
「私が現一切色身三昧を得られたのは、全て法華経を聞くことができた力によるのである。今、日月浄明徳仏および法華経を供養しよう」
そして、一切衆生憙見菩薩は、さまざまな香を降らせるなどして、仏を供養して、さらに思います。
「神通力をもって仏を供養したとしても、私の身をもって供養するのには及ばない」
そこで、一切衆生憙見菩薩は、多くの香や香油を、千二百年にわたって飲み、さらに香油を身に塗るなどして、日月浄明徳仏の前で自分自身の体を燃やします。その光明は、八十億恒河沙の世界を照らします。
多くの仏が、一切衆生憙見菩薩を同時に褒めたたえます。
「これこそ真の精進である。これを『第一の布施』と名づける。多くの布施の中で、最も尊く、最も優れている。法をもって多くの仏を供養するからである」
一切衆生憙見菩薩の身体を燃やす火は、千二百年に及ぶまで続き、燃え尽きます。
一切衆生憙見菩薩は、このように法の供養をなし終わって、命が終わり、また日月浄明徳仏の国の中、浄徳王の家に生まれます。そして再び、仏を供養します。
日月浄明徳仏は、一切衆生憙見菩薩に告げます。
「入滅する時がやってきた」
そして、一切衆生憙見菩薩に命じます。
「仏法を、あなたに付嘱します。一切の弟子、阿耨多羅三藐三菩提(完全な覚り)の法、一切の宝などを付嘱する」
日月浄明徳仏が入滅すると、一切衆生憙見菩薩は悲しみ、仏を恋慕し、その舎利(聖骨)を八万四千の塔を造って供養します。そして思います。
「自分の心はまだ満足しない。さらに供養しよう」
そして、八万四千の塔の前で、自分の臂(腕)を、七万二千年にわたって燃やして供養します。その光景を見ていた声聞を求める人々らは、覚りを求める心を起こします。
多くの菩薩たちは、一切衆生憙見菩薩の臂がないのを見て、憂い、悩み、悲しみ、言います。
「一切衆生憙見菩薩は、私たちの師です。今、臂を焼いて無くしてしまった」
一切衆生憙見菩薩は、誓います。
「私は両方の臂を失ったが、必ず仏の金色の身を得るだろう。それが嘘でない証拠として、私の臂は元通りになるだろう」
臂は元通りになり、世界は六種に振動し、天から宝の花が降り、人々はいまだかつてない思いを得ます。
釈尊は、宿王華菩薩に告げます。
「あなたは、この話を聞いてどう思うか。一切衆生憙見菩薩は、どうして他の人のことであろう。今の薬王菩薩のことなのだ」
そして、法華経、またその中の一つの四句からなる偈(詩の形の経文)を受持する功徳は、計り知れないことを示します。
続いて、具体的に十の譬喩を通して功徳の偉大さを表現します。一切の川の流れなど、多くの水の中で海が第一であるように、この法華経も、多くの仏が説く経の中で最も深く、大きい……。
さらに、十二の譬喩を用いて、法華経が一切衆生を利益し、その願いを満足させることを示します。清涼の池が渇望している者を満たすように、寒い人が火を得るように……。
もし法華経を聞くことができ、もしくは書き、もしくは他の人に書かせるならば、その功徳は仏の智慧をもってしても計り知れない。
続いて、薬王菩薩本事品を聞き、受持する功徳を述べ、付嘱します。
「我滅度して後、後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して、断絶して悪魔・魔民・諸天・竜・夜叉・鳩槃荼等に其の便を得しむること無かれ」「此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なればなり。若し人病有らんに、是の経を聞くことを得ば、病は即ち消滅して、不老不死ならん」等と語ります。
最後に多宝如来が、「あなたは、不可思議の功徳を成就して、釈尊に問い掛け、計り知れない一切衆生を利益した」と、宿王華菩薩を称えます。
このように「薬王品」では、師弟の報恩のドラマを通して、法華経の功徳が賛嘆されています。
【『法華経の智慧』から】 全人類に「癒しの光明」を
法華経はすべて「己心の儀式」です。経文を向こう側においていては、肝心なことは分からない。我が生命の薬王菩薩とは、名前の通り、心身の病気を治し、生命を「健康」にする力用と言ってよい。その本体は「妙法」であり「仏界」です。仏界の大生命力が生命の苦しみを癒す働きを「薬王」と名づける。
ゆえに御本尊に向かって唱題するとき、己心の薬王菩薩が働くのです。
◇
「健康」を象徴する薬王は、信念に「殉教」した菩薩であった。「戦う生命」それが「健康な生命」です。
◇
薬王品も、まさに「末法広宣流布の戦士よ! 薬王菩薩のごとく、命を燃やせ!」と教えているのではないだろうか。そういう青年が陸続と現れたとき、創価学会全体が永遠化される。「不老不死の教団」になっていくのです。
そうなって初めて、永遠の未来にわたって、全人類に「癒しの光明」を燦然と送り続けることができるのです。(普及版〈下〉「薬王菩薩本事品」)
【コラム】 本化と迹化
「薬王品」以降の6品には、迹化・他方の菩薩に弘通を託す意義が込められています。
広宣流布の主役は、あくまでも「本化」の菩薩である「地涌の菩薩」です。その上で、「迹化」の菩薩は、迹仏に化導された菩薩のことで、主役を助ける立場と言えます。つまり、「薬王品」からの6品は、「地涌の使命を助ける」働きを明かしていると考えることができます。
池田先生は語っています。
「『本化』として自行化他に励んで開拓した『仏界』の生命力を、『迹化』としての社会面、生活面で生かしていく。生かし、活躍していこうと努力するなかで、さらに『信心』が深まり『仏界』が固まっていく。この往復作業です。本化→迹化、迹化→本化という、粘り強い往復作業によって、自分の生命を限りなく向上させ、広宣流布を限りなく広げていくのです」
広宣流布へ、それぞれの舞台で、「さすがだ」と、実証輝く活躍をしていきたい。
2021年12月27日月曜日
2021.12.27 わが友に贈る
◇今週のことば
「希望」の大連帯を築いた
「勝利」の全宝友、万歳!
福徳は無量無辺なり。
みなが「青年」の翼を広げ
「飛躍」の新春を爽快に!
2021年12月27日
日興遺誡置文 P1618
『未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事』
【通解】
未だ広宣流布が成就しない間は、身命を捨て、力の限り妙法を弘めていくべきである。
名字の言 「いのち」を脅かす三つの危機 2021年12月27日
批評家の若松英輔氏が「現代における『いのち』の危機は、必ずしも迫害というかたちをとらない」とつづっている。さらに「いのち」の危機として、次の三つを挙げている▼まず、自ら選び取ったわけではない強いられた「孤独」。次に、希望を絶たれた状態である「絶望」。最後に、誰の目にも触れずに孤独と絶望を抱えるほかない「孤立」である▼反対に「他者とのあいだにあるとき、『いのち』はその輝きを増す」と氏は指摘する。他者のために全身で何かに参与することで「『いのち』は強められる」と(『沈黙のちから』亜紀書房)▼長引くコロナ禍にあって、孤独や孤立の深刻化が危惧されている。会いたくても、周囲の状況がそれを許さない場合もある。福岡出身のある壮年は、今年も年末の帰省を断念した。その代わりに、元日は親族をオンラインでつなぎ"ファミリー勤行会"を行う予定だ。「勤行の後は、皆で新年の抱負を語り合い、にぎやかに出発します」と▼池田先生は、「たとえ会えなくても、電話の一言で、目の前の壁が破れることもある。一通の置き手紙が、その人の人生を変える場合だってある」と。知恵を絞り、工夫を重ねて、他者と心を通わせる年末年始としたい。
寸鉄 2021年12月27日
「一日もいきてをはせば功徳つもるべし」御聖訓。感謝の祈りで本年を完走
深く偉大な信心に立てば全てが開ける—戸田先生 誓願に生きる人生は無敵
創価大学が一般入試出願受付。受験生よ頑張れ!悔いなき挑戦の冬休みを
除雪中の事故に注意。作業時は家族、近隣の方等、複数人で。命綱の装着も
宗門の謀略で学会は団結し大発展—学者。C作戦から31年。正邪は明白に
☆通信員指導集「輝く創価の言論城」 池田先生の「発刊に寄せて」
◇希望の言葉を世界まで! 我らの聖教魂は永遠に
本紙創刊70周年の本年、通信員指導集『輝く創価の言論城』(非売品)が発刊された。ここでは、池田先生の「発刊に寄せて」の全文を掲載する。
◇
わが通信員こそ、陰徳陽報の「言論の闘士」であります。
わが通信員こそ、普く賢い「民衆の英雄」であります。
そして、我ら通信員こそ、生涯創造の「共戦の同志」なのであります。
この宿縁深き通信員の方々と心一つに、聖教新聞創刊七十周年の佳節を勝ち飾り、創価学会創立百周年へ従藍而青の言論戦を開始できることは、この上ない喜びであり、希望であります。
いまだかつてなき「民衆の機関紙」「人間の機関紙」たる聖教新聞を、飛躍させゆく鍵は何か。恩師・戸田城聖先生と私の真剣なる祈りと思索の結晶として、一九五四年(昭和二十九年)、誉れある通信員制度はスタートしました。
聖教の草創期にあって、最も献身的に支えてくださったのは、まぎれもなく通信員の皆様でありました。広宣流布の最前線の息吹をいち早く掴み、共に企画を練り、取材に走り、記事を書き、写真を撮る。その勇敢にして誠実な挑戦の積み重ねこそ、何ものにも代え難い聖教の熱となり、力となり、宝となってきたのであります。
聖教新聞は、通信員の不撓不屈の闘争なくして発展することは、決してありませんでした。これは、同じ通信員の誇り高き自負を持って執筆を続けてきた私が断言できる厳然たる事実であります。
家庭、地域、仕事、学会活動……多忙を極める毎日の中で、通信員の誓願を貫きゆくことが、いかに崇高な修行であるか。
まさしく、人知れぬ労苦と血のにじむような努力をいとわぬ「言論の闘士」たちの偉大な「陰徳」があればこそ、今日の世界的な聖教新聞の興隆という「陽報」があるのであります。そして、この「陰徳」は、皆様方の生命と一家眷属を三世永遠に包む「陽報」となって輝きわたることも、また間違いありません。
通信員が果たす使命は、時と共に、いや増して大きくなっております。電子版の充実もあり、現在、「世界聖教会館」を中心として全国の支社・支局が団結し、聖教新聞は五大州の隅々まで発信されています。皆様が懸命に取り組む一編の文章、一葉の写真、一本の動画が、希望の光、幸福の光、平和の光を、全世界へ放っていくのです。その一つ一つに触れ、「地方版の柱」であると同時に「世界に広がるセイキョウの柱」である皆様の尊き名前を拝するたび、私の心には尽きせぬ感動と感謝が込み上げてまいります。
聖教を「日本中、世界中の人に読ませたい」と熱願され、通信員の活躍を心から期待されていた戸田先生が、いかばかりお喜びでありましょうか。
「御義口伝」に、「此の法華経を閻浮提に行ずることは普賢菩薩の威神の力に依るなり、此の経の広宣流布することは普賢菩薩の守護なるべきなり」(御書七八〇ページ)と仰せの通り、世界広布は「普く賢い」菩薩の働きによって進みます。愛する郷土を照らす普く賢い「民衆の英雄」の英知が、そのまま地球社会の未来を晴らしていく時代に入っております。
とともに、普賢菩薩は「当起遠迎、当如敬仏」(法華経六七七ページ)という最上第一の相伝を託されます。「必ず仏の如くに法華経の行者を敬う可し」(御書七八一ページ)との御聖訓を聖教紙面で果たされゆく通信員の福徳は計り知れません。
御本仏・日蓮大聖人は打ち続く大難を、「山に山をかさね波に波をたたみ」(同二〇二ページ)と仰せです。我ら師弟は、この忍難弘通の道に連なり、「言論」と「対話」と「励まし」を武器として、幾多の難を共々に勝ち越えてきました。
御聖誕八百年を慶祝して発刊される『日蓮大聖人御書全集 新版』に、池上兄弟に送られた「兵衛志殿御返事」(一族末代栄えの事)が新たに収録されます。
その中で、賢者の信心と団結で乗り越え、凱歌の実証を示した兄弟と一族を最大に讃えられ、「このことは一代聖教をも引いて、百千まいにかくとも、つくべしとはおもわねども」と仰せになられています。
どれほど書いても書き尽くせない。どれほど讃えても讃え尽くせない——この御本仏のお心を拝しつつ、私たちはさらに、聖教の信念の一文字一文字を綴ってまいりたいと思うのであります。
末法万年尽未来際への世界広宣流布を展望するとき、私たちの言論闘争は、「いよいよ、これから」が本門の戦いであります。六十五歳で小説『新・人間革命』を書き起こした私も、ますます師弟不二の炎を燃え上がらせ、生涯創造の「共戦の同志」である皆様と共々に、黄金の日記文書を記し残していく決心であります。
日蓮仏法は地球の恒久平和への根本思想であり、実現への実践の方途を示しています。その「教科書」とも言うべき言論紙こそ、我らの聖教新聞です。正しき仏法を根本に、生命力満々と、人々の不安を打ち破る希望の言葉で、「安国」の実現へ、「安世界」の構築へ、今こそ力強く大前進しようではありませんか!
皆様には、気高き先輩から受け継いできた無敵の伝統と連帯があり、頼もしき後輩が限りなく明日へ続いています。
「正義の太陽たる通信員の聖教魂がある限り、創価の言論城は未来永劫に輝き続ける」——そう強く深く念じつつ、記念の句を贈り、発刊へのメッセージといたします。
通信員ありて
創価と聖教
輝けり
言論の
師弟共戦
金の日日
通信員こそ
人間革命
勝ち戦
二〇二一年八月二十四日 「聖教新聞創刊原点の日」に
「希望」の大連帯を築いた
「勝利」の全宝友、万歳!
福徳は無量無辺なり。
みなが「青年」の翼を広げ
「飛躍」の新春を爽快に!
2021年12月27日
日興遺誡置文 P1618
『未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事』
【通解】
未だ広宣流布が成就しない間は、身命を捨て、力の限り妙法を弘めていくべきである。
名字の言 「いのち」を脅かす三つの危機 2021年12月27日
批評家の若松英輔氏が「現代における『いのち』の危機は、必ずしも迫害というかたちをとらない」とつづっている。さらに「いのち」の危機として、次の三つを挙げている▼まず、自ら選び取ったわけではない強いられた「孤独」。次に、希望を絶たれた状態である「絶望」。最後に、誰の目にも触れずに孤独と絶望を抱えるほかない「孤立」である▼反対に「他者とのあいだにあるとき、『いのち』はその輝きを増す」と氏は指摘する。他者のために全身で何かに参与することで「『いのち』は強められる」と(『沈黙のちから』亜紀書房)▼長引くコロナ禍にあって、孤独や孤立の深刻化が危惧されている。会いたくても、周囲の状況がそれを許さない場合もある。福岡出身のある壮年は、今年も年末の帰省を断念した。その代わりに、元日は親族をオンラインでつなぎ"ファミリー勤行会"を行う予定だ。「勤行の後は、皆で新年の抱負を語り合い、にぎやかに出発します」と▼池田先生は、「たとえ会えなくても、電話の一言で、目の前の壁が破れることもある。一通の置き手紙が、その人の人生を変える場合だってある」と。知恵を絞り、工夫を重ねて、他者と心を通わせる年末年始としたい。
寸鉄 2021年12月27日
「一日もいきてをはせば功徳つもるべし」御聖訓。感謝の祈りで本年を完走
深く偉大な信心に立てば全てが開ける—戸田先生 誓願に生きる人生は無敵
創価大学が一般入試出願受付。受験生よ頑張れ!悔いなき挑戦の冬休みを
除雪中の事故に注意。作業時は家族、近隣の方等、複数人で。命綱の装着も
宗門の謀略で学会は団結し大発展—学者。C作戦から31年。正邪は明白に
☆通信員指導集「輝く創価の言論城」 池田先生の「発刊に寄せて」
◇希望の言葉を世界まで! 我らの聖教魂は永遠に
本紙創刊70周年の本年、通信員指導集『輝く創価の言論城』(非売品)が発刊された。ここでは、池田先生の「発刊に寄せて」の全文を掲載する。
◇
わが通信員こそ、陰徳陽報の「言論の闘士」であります。
わが通信員こそ、普く賢い「民衆の英雄」であります。
そして、我ら通信員こそ、生涯創造の「共戦の同志」なのであります。
この宿縁深き通信員の方々と心一つに、聖教新聞創刊七十周年の佳節を勝ち飾り、創価学会創立百周年へ従藍而青の言論戦を開始できることは、この上ない喜びであり、希望であります。
いまだかつてなき「民衆の機関紙」「人間の機関紙」たる聖教新聞を、飛躍させゆく鍵は何か。恩師・戸田城聖先生と私の真剣なる祈りと思索の結晶として、一九五四年(昭和二十九年)、誉れある通信員制度はスタートしました。
聖教の草創期にあって、最も献身的に支えてくださったのは、まぎれもなく通信員の皆様でありました。広宣流布の最前線の息吹をいち早く掴み、共に企画を練り、取材に走り、記事を書き、写真を撮る。その勇敢にして誠実な挑戦の積み重ねこそ、何ものにも代え難い聖教の熱となり、力となり、宝となってきたのであります。
聖教新聞は、通信員の不撓不屈の闘争なくして発展することは、決してありませんでした。これは、同じ通信員の誇り高き自負を持って執筆を続けてきた私が断言できる厳然たる事実であります。
家庭、地域、仕事、学会活動……多忙を極める毎日の中で、通信員の誓願を貫きゆくことが、いかに崇高な修行であるか。
まさしく、人知れぬ労苦と血のにじむような努力をいとわぬ「言論の闘士」たちの偉大な「陰徳」があればこそ、今日の世界的な聖教新聞の興隆という「陽報」があるのであります。そして、この「陰徳」は、皆様方の生命と一家眷属を三世永遠に包む「陽報」となって輝きわたることも、また間違いありません。
通信員が果たす使命は、時と共に、いや増して大きくなっております。電子版の充実もあり、現在、「世界聖教会館」を中心として全国の支社・支局が団結し、聖教新聞は五大州の隅々まで発信されています。皆様が懸命に取り組む一編の文章、一葉の写真、一本の動画が、希望の光、幸福の光、平和の光を、全世界へ放っていくのです。その一つ一つに触れ、「地方版の柱」であると同時に「世界に広がるセイキョウの柱」である皆様の尊き名前を拝するたび、私の心には尽きせぬ感動と感謝が込み上げてまいります。
聖教を「日本中、世界中の人に読ませたい」と熱願され、通信員の活躍を心から期待されていた戸田先生が、いかばかりお喜びでありましょうか。
「御義口伝」に、「此の法華経を閻浮提に行ずることは普賢菩薩の威神の力に依るなり、此の経の広宣流布することは普賢菩薩の守護なるべきなり」(御書七八〇ページ)と仰せの通り、世界広布は「普く賢い」菩薩の働きによって進みます。愛する郷土を照らす普く賢い「民衆の英雄」の英知が、そのまま地球社会の未来を晴らしていく時代に入っております。
とともに、普賢菩薩は「当起遠迎、当如敬仏」(法華経六七七ページ)という最上第一の相伝を託されます。「必ず仏の如くに法華経の行者を敬う可し」(御書七八一ページ)との御聖訓を聖教紙面で果たされゆく通信員の福徳は計り知れません。
御本仏・日蓮大聖人は打ち続く大難を、「山に山をかさね波に波をたたみ」(同二〇二ページ)と仰せです。我ら師弟は、この忍難弘通の道に連なり、「言論」と「対話」と「励まし」を武器として、幾多の難を共々に勝ち越えてきました。
御聖誕八百年を慶祝して発刊される『日蓮大聖人御書全集 新版』に、池上兄弟に送られた「兵衛志殿御返事」(一族末代栄えの事)が新たに収録されます。
その中で、賢者の信心と団結で乗り越え、凱歌の実証を示した兄弟と一族を最大に讃えられ、「このことは一代聖教をも引いて、百千まいにかくとも、つくべしとはおもわねども」と仰せになられています。
どれほど書いても書き尽くせない。どれほど讃えても讃え尽くせない——この御本仏のお心を拝しつつ、私たちはさらに、聖教の信念の一文字一文字を綴ってまいりたいと思うのであります。
末法万年尽未来際への世界広宣流布を展望するとき、私たちの言論闘争は、「いよいよ、これから」が本門の戦いであります。六十五歳で小説『新・人間革命』を書き起こした私も、ますます師弟不二の炎を燃え上がらせ、生涯創造の「共戦の同志」である皆様と共々に、黄金の日記文書を記し残していく決心であります。
日蓮仏法は地球の恒久平和への根本思想であり、実現への実践の方途を示しています。その「教科書」とも言うべき言論紙こそ、我らの聖教新聞です。正しき仏法を根本に、生命力満々と、人々の不安を打ち破る希望の言葉で、「安国」の実現へ、「安世界」の構築へ、今こそ力強く大前進しようではありませんか!
皆様には、気高き先輩から受け継いできた無敵の伝統と連帯があり、頼もしき後輩が限りなく明日へ続いています。
「正義の太陽たる通信員の聖教魂がある限り、創価の言論城は未来永劫に輝き続ける」——そう強く深く念じつつ、記念の句を贈り、発刊へのメッセージといたします。
通信員ありて
創価と聖教
輝けり
言論の
師弟共戦
金の日日
通信員こそ
人間革命
勝ち戦
二〇二一年八月二十四日 「聖教新聞創刊原点の日」に
2021年12月26日日曜日
2021.12.26 わが友に贈る
強烈な寒波接近に伴う
暴風雪・凍結に警戒を!
配達に携わる方など皆が
交通事故等に遭わぬよう
真剣に題目を送ります。
王日女殿御返事 P1263
『仏は真に尊くして物によらず、昔の得勝童子は沙の餅を仏に供養し奉りて阿育大王と生れて一閻浮提の主たりき、貧女の我がかしらをおろして油と成せしが須弥山を吹きぬきし風も此の火をけさず』
【通解】
仏はまことに尊く、供養の品物で真心を測ることはない。昔、得勝童子は砂の餅を仏に供養して阿育大王と生まれ、全世界の王となった。ある貧しい女性が自分の髪を剃って、その代価で油を求め、灯を供養したところ、須弥山を吹き抜いた強い風も、この灯を消すことはなかった。
名字の言 箱根駅伝中継を支える人々 2021年12月26日
来年で放送35年となる日本テレビの箱根駅伝中継には、延べ1000人以上の制作スタッフが携わる。選手一人一人のドラマを伝えるための事前取材は1年がかりで行うという▼当日は約80台ものカメラを使用するほか、各中継所などで70人を超えるスタッフが活躍。順位変動が起こりそうなポイントを予測し、先頭はもちろん、中位や下位争いも撮り逃さないよう注視する▼その中で、番組総合ディレクターの椿亮輔氏が悔しさをにじませながら振り返るのが前々回大会。最終10区で「シード権が変わる瞬間を撮れなかった」ことだ。シード圏内の10位から約1分遅れで出走した創価大学が予想外の速さで、前を走る中央学院大学を抜き去った場面である(「Number」2022年1月7日号)▼中継中、いつの間にか順位が入れ替わり、驚いたことを思い出した。同時に、視聴者に感動を届けようと奮闘する関係者の苦労を知り、深い感慨が込み上げた。どんな分野でも、一つのドラマの陰には、無数の人々の関わりがある。そこに思いを致す時、物事の見え方は重層的、多面的になる▼大会では約1800人の学生補助員も無事故の運営に当たる。多くの支えによって成り立つ"夢舞台"に熱い声援を送ろう。
寸鉄 2021年12月26日
妙法は上へ上へと向上しゆく法—戸田先生。新年の「飛躍」期し助走開始!
会長の青年の可能性への信頼が私を啓発—元次長 わが地域に後継の大河を
使命に目覚めた人はあらゆる悩みを解決—文豪。広布の大目的に生き抜け
創作四字熟語の最優秀作「七菌八起」に。長引く試練に"不屈の魂"で応戦
特殊詐欺が過去最多。被害者85%が65歳以上と—白書。慌てずに確認・相談
☆御書の旭光を 第66回 魔を寄せ付けぬ強盛な祈り
〈御文〉
『南無妙法蓮華経と御唱えつつしむべし・つつしむべし』(兵衛志殿御返事、1108ページ)
〈通解〉
南無妙法蓮華経と唱え、身を慎んでいきなさい。慎んでいきなさい。
〈池田先生が贈る指針〉
魔に付け入る隙を与えるなかれ——池上兄弟へ題目根本に同心で団結するよう戒められている。
信心は仏と魔の闘争である。油断や慢心、不和に魔は潜む。火災や交通事故など"絶対に起こさない。巻き込まれない"との強盛な祈りと聡明な振る舞いが要諦だ。
年末年始、「百千万億倍の用心」で幸福安穏の日々を!
☆「世界を照らす太陽の仏法」に学ぶ 第20回 善知識の連帯
◇三三蔵祈雨事
『夫れ木をうえ候には大風吹き候へどもつよきすけをかひぬれば・たうれず、本より生いて候木なれども根の弱きは・たうれぬ、甲斐無き者なれども・たすくる者強ければたうれず、すこし健の者も独なれば悪しきみちには・たうれぬ(中略)仏になるみちは善知識にはすぎず、わが智慧なににかせん、ただあつきつめたきばかりの智慧だにも候ならば善知識たいせちなり』(御書1468ページ1行目〜7行目)
◇池田先生の講義から
創価学会は、牧口先生、戸田先生の不惜身命の闘争から始まった大聖人直結の団体です。
御本仏の一切衆生救済の精神が横溢している、「民衆の安全地帯」です。善友が集い合い、誰も置き去りにしない「温かな人間主義の組織」です。
◆◇◆
今、多くの新会員が決意も新たに折伏・弘教に奮闘しています。青年部の共進、共戦も頼もしい限りです。
新たに立ち上がった友も多い。その陰には、共々に広布の大道を進んでいきたいと、共に励まし、共に祈り、共に学び、共に動き続けてくれた幾多の先輩や同志の奮闘があります。
先輩たちにとっても、そうした経験は、自身の境涯を開くきっかけとなっています。
また、成長した人材が、今度は後輩と一緒に前進する中で「心の財」(御書1173ページ)を積み上げていきます。こうした希望の連動の中でこそ、私たちは悩みを乗り越えて、自他共に大歓喜の人間革命を成し遂げていくことができるのです。
(『調和と希望の仏法——「人間の宗教」の時代へ』から)
石田幸司 男子部教学部長
◇自他共に歓喜の人間革命を!
御書根本に「青年・飛躍の年」へ!
男子部では、一人一人が生涯の指針となる御書の一節と出あうことを目指し、「ONE GOSHO運動」として、リーダー率先で会合や個人指導などで御聖訓を引く取り組みを続けています。
私も学生時代から御書に親しみ、多くの先輩や友に教えていただいた一節一節を、励みにしてきました。
今回、その中の一節で、特に男子部大学校生など、活動を始めて間もない友と学び合っている「三三蔵祈雨事」を拝していきたいと思います。
◇"仏道修行の全て?"
本抄の講義の冒頭で池田先生は、釈尊が弟子に語った、「善き友を持ち、善き友と一緒に進むということは、仏道の半ばではなく、仏道の全てなのである」という言葉を紹介されています。
この言葉を初めて知った学生の時、正直、"それは言い過ぎなのではないだろうか"と思いました。仏道修行には、自分の努力が、なによりも重要であると考えていたからです。
しかし、自身の過去を振り返ってみると、何一つとして自分一人だけで達成できたことはありません。どんな時にも必ず、共に祈り、共に悩み、共に戦う同志がいて、励まされてきたことに気付きました。
池田先生は、釈尊の言葉を通し、「ここに、仏道修行の本来の在り方が、端的に示されています。最後まで正しき信心を全うし、真実の勝利の人生を歩み抜くためには、自分を支えてくれる『善き友』、すなわち『善知識』の存在が絶対に必要なのです」と講義されています。私たちにとっての善知識とは、正しい仏法に導いてくれる師匠・池田先生と、善き同志の連帯を広げる創価学会にほかなりません。
「立正安国論」には、「汝蘭室の友に交りて麻畝の性と成る(中略)但し人の心は時に随って移り物の性は境に依って改まる」(御書31ページ)と仰せです。人の心は縁に紛動され、移ろいやすいものです。ゆえに、信心を貫くには、善知識を求め、触れ続けることが「絶対に必要」なのです。
◇関わる全ての方が
次に先生は、創価学会は「地位や名誉、財産も関係なく、老若男女を問わず、互いに飾らず、ありのままの人間として共に励まし合い、共々に成長し、幸福を勝ち取る『庶民の城』」であると述べられています。
その一員である私たちは、日常的に善知識に触れていると同時に、自分自身が誰かの善知識にもなれます。
池田先生は、「『共に』という心と行動のなかに、日蓮仏法の真髄があります。師弟の本質も『共戦』にあるのです」と強調されています。
師匠と同志と「共戦」する中に、大聖人が「日蓮が弘通する処の所詮是なり」(同1337ページ)と言われた「異体同心」が実現すると確信します。
私が男子部の部長時代、会合には参加するものの、消極的で寡黙な部員さんがいました。訪問・激励を重ね、共に題目を唱え、先生の指導を学ぶ"毎週の部の会合"に2年近く参加してもらったある日、突然、その彼が仕事についての決意を述べたのです。心の底から感動しました。そして彼は、その決意通りに仕事で結果を出すとともに、自分から他のメンバーに話し掛けたり、自主的に訪問・激励に挑戦したりするようにもなりました。その姿に、信心の素晴らしさ、仏縁に触れ続けることの大切さを教えてもらいました。
私は、"自分が善知識であろう"と思っていましたが、実はその彼は"私にとっての善知識"でもあるのだと実感しました。学会員であるなしにかかわらず、私に関わる全ての方が善知識であると心から感謝しています。
◇連鎖反応と相互作用
今回学ぶ御文は、善知識を求めることの大切さを教えられたものです。その上で、自身が誰かの善知識になっていく大切さを教えてくださっているとも拝せます。
その誰かがまた別の誰かにとっての善知識であり、自身にとっても善知識である——先の体験をはじめ、学会活動を通して、このことに気付かせていただきました。
善知識が善知識を呼ぶ"善知識の連鎖反応"、互いに善知識となる"善知識の相互作用"を次々と起こしているのが創価学会なのです。
私たちの日常の活動の中でも、さまざまな事情を抱えて、"思ったように頑張れていない"と、つらさを感じている方もいらっしゃると思います。しかし、どんな状況であっても、今を精いっぱい生きている姿が、誰かに希望と勇気を与えていることは間違いありません。
誰もが誰かの善知識——この創価の励ましの世界を築いてくださった池田先生への感謝は尽きません。
今、男子部では「共に動く」ことを活動のポイントに掲げています。明「青年・飛躍の年」を一人一人が勝利するため、御書根本に善知識の連帯を、さらに拡大していきます。
◇メモ
「三三蔵祈雨事」は、建治元年(1275年)、または、その翌年に身延で著され、駿河国(静岡県中央部)富士上方西山郷に住む門下・西山入道に与えられたお手紙とされる。「善知識」や現証の重要性が説かれている。善知識とは、良い友人・知人の意で、仏法を教え仏道に導いてくれる人。師匠や、仏道修行を励ましてくれる先輩・同志をいう。反対に誤った教えを説いて人々を迷わせ、仏道修行を妨げたり不幸に陥れる悪僧・悪人を「悪知識」という。
暴風雪・凍結に警戒を!
配達に携わる方など皆が
交通事故等に遭わぬよう
真剣に題目を送ります。
王日女殿御返事 P1263
『仏は真に尊くして物によらず、昔の得勝童子は沙の餅を仏に供養し奉りて阿育大王と生れて一閻浮提の主たりき、貧女の我がかしらをおろして油と成せしが須弥山を吹きぬきし風も此の火をけさず』
【通解】
仏はまことに尊く、供養の品物で真心を測ることはない。昔、得勝童子は砂の餅を仏に供養して阿育大王と生まれ、全世界の王となった。ある貧しい女性が自分の髪を剃って、その代価で油を求め、灯を供養したところ、須弥山を吹き抜いた強い風も、この灯を消すことはなかった。
名字の言 箱根駅伝中継を支える人々 2021年12月26日
来年で放送35年となる日本テレビの箱根駅伝中継には、延べ1000人以上の制作スタッフが携わる。選手一人一人のドラマを伝えるための事前取材は1年がかりで行うという▼当日は約80台ものカメラを使用するほか、各中継所などで70人を超えるスタッフが活躍。順位変動が起こりそうなポイントを予測し、先頭はもちろん、中位や下位争いも撮り逃さないよう注視する▼その中で、番組総合ディレクターの椿亮輔氏が悔しさをにじませながら振り返るのが前々回大会。最終10区で「シード権が変わる瞬間を撮れなかった」ことだ。シード圏内の10位から約1分遅れで出走した創価大学が予想外の速さで、前を走る中央学院大学を抜き去った場面である(「Number」2022年1月7日号)▼中継中、いつの間にか順位が入れ替わり、驚いたことを思い出した。同時に、視聴者に感動を届けようと奮闘する関係者の苦労を知り、深い感慨が込み上げた。どんな分野でも、一つのドラマの陰には、無数の人々の関わりがある。そこに思いを致す時、物事の見え方は重層的、多面的になる▼大会では約1800人の学生補助員も無事故の運営に当たる。多くの支えによって成り立つ"夢舞台"に熱い声援を送ろう。
寸鉄 2021年12月26日
妙法は上へ上へと向上しゆく法—戸田先生。新年の「飛躍」期し助走開始!
会長の青年の可能性への信頼が私を啓発—元次長 わが地域に後継の大河を
使命に目覚めた人はあらゆる悩みを解決—文豪。広布の大目的に生き抜け
創作四字熟語の最優秀作「七菌八起」に。長引く試練に"不屈の魂"で応戦
特殊詐欺が過去最多。被害者85%が65歳以上と—白書。慌てずに確認・相談
☆御書の旭光を 第66回 魔を寄せ付けぬ強盛な祈り
〈御文〉
『南無妙法蓮華経と御唱えつつしむべし・つつしむべし』(兵衛志殿御返事、1108ページ)
〈通解〉
南無妙法蓮華経と唱え、身を慎んでいきなさい。慎んでいきなさい。
〈池田先生が贈る指針〉
魔に付け入る隙を与えるなかれ——池上兄弟へ題目根本に同心で団結するよう戒められている。
信心は仏と魔の闘争である。油断や慢心、不和に魔は潜む。火災や交通事故など"絶対に起こさない。巻き込まれない"との強盛な祈りと聡明な振る舞いが要諦だ。
年末年始、「百千万億倍の用心」で幸福安穏の日々を!
☆「世界を照らす太陽の仏法」に学ぶ 第20回 善知識の連帯
◇三三蔵祈雨事
『夫れ木をうえ候には大風吹き候へどもつよきすけをかひぬれば・たうれず、本より生いて候木なれども根の弱きは・たうれぬ、甲斐無き者なれども・たすくる者強ければたうれず、すこし健の者も独なれば悪しきみちには・たうれぬ(中略)仏になるみちは善知識にはすぎず、わが智慧なににかせん、ただあつきつめたきばかりの智慧だにも候ならば善知識たいせちなり』(御書1468ページ1行目〜7行目)
◇池田先生の講義から
創価学会は、牧口先生、戸田先生の不惜身命の闘争から始まった大聖人直結の団体です。
御本仏の一切衆生救済の精神が横溢している、「民衆の安全地帯」です。善友が集い合い、誰も置き去りにしない「温かな人間主義の組織」です。
◆◇◆
今、多くの新会員が決意も新たに折伏・弘教に奮闘しています。青年部の共進、共戦も頼もしい限りです。
新たに立ち上がった友も多い。その陰には、共々に広布の大道を進んでいきたいと、共に励まし、共に祈り、共に学び、共に動き続けてくれた幾多の先輩や同志の奮闘があります。
先輩たちにとっても、そうした経験は、自身の境涯を開くきっかけとなっています。
また、成長した人材が、今度は後輩と一緒に前進する中で「心の財」(御書1173ページ)を積み上げていきます。こうした希望の連動の中でこそ、私たちは悩みを乗り越えて、自他共に大歓喜の人間革命を成し遂げていくことができるのです。
(『調和と希望の仏法——「人間の宗教」の時代へ』から)
石田幸司 男子部教学部長
◇自他共に歓喜の人間革命を!
御書根本に「青年・飛躍の年」へ!
男子部では、一人一人が生涯の指針となる御書の一節と出あうことを目指し、「ONE GOSHO運動」として、リーダー率先で会合や個人指導などで御聖訓を引く取り組みを続けています。
私も学生時代から御書に親しみ、多くの先輩や友に教えていただいた一節一節を、励みにしてきました。
今回、その中の一節で、特に男子部大学校生など、活動を始めて間もない友と学び合っている「三三蔵祈雨事」を拝していきたいと思います。
◇"仏道修行の全て?"
本抄の講義の冒頭で池田先生は、釈尊が弟子に語った、「善き友を持ち、善き友と一緒に進むということは、仏道の半ばではなく、仏道の全てなのである」という言葉を紹介されています。
この言葉を初めて知った学生の時、正直、"それは言い過ぎなのではないだろうか"と思いました。仏道修行には、自分の努力が、なによりも重要であると考えていたからです。
しかし、自身の過去を振り返ってみると、何一つとして自分一人だけで達成できたことはありません。どんな時にも必ず、共に祈り、共に悩み、共に戦う同志がいて、励まされてきたことに気付きました。
池田先生は、釈尊の言葉を通し、「ここに、仏道修行の本来の在り方が、端的に示されています。最後まで正しき信心を全うし、真実の勝利の人生を歩み抜くためには、自分を支えてくれる『善き友』、すなわち『善知識』の存在が絶対に必要なのです」と講義されています。私たちにとっての善知識とは、正しい仏法に導いてくれる師匠・池田先生と、善き同志の連帯を広げる創価学会にほかなりません。
「立正安国論」には、「汝蘭室の友に交りて麻畝の性と成る(中略)但し人の心は時に随って移り物の性は境に依って改まる」(御書31ページ)と仰せです。人の心は縁に紛動され、移ろいやすいものです。ゆえに、信心を貫くには、善知識を求め、触れ続けることが「絶対に必要」なのです。
◇関わる全ての方が
次に先生は、創価学会は「地位や名誉、財産も関係なく、老若男女を問わず、互いに飾らず、ありのままの人間として共に励まし合い、共々に成長し、幸福を勝ち取る『庶民の城』」であると述べられています。
その一員である私たちは、日常的に善知識に触れていると同時に、自分自身が誰かの善知識にもなれます。
池田先生は、「『共に』という心と行動のなかに、日蓮仏法の真髄があります。師弟の本質も『共戦』にあるのです」と強調されています。
師匠と同志と「共戦」する中に、大聖人が「日蓮が弘通する処の所詮是なり」(同1337ページ)と言われた「異体同心」が実現すると確信します。
私が男子部の部長時代、会合には参加するものの、消極的で寡黙な部員さんがいました。訪問・激励を重ね、共に題目を唱え、先生の指導を学ぶ"毎週の部の会合"に2年近く参加してもらったある日、突然、その彼が仕事についての決意を述べたのです。心の底から感動しました。そして彼は、その決意通りに仕事で結果を出すとともに、自分から他のメンバーに話し掛けたり、自主的に訪問・激励に挑戦したりするようにもなりました。その姿に、信心の素晴らしさ、仏縁に触れ続けることの大切さを教えてもらいました。
私は、"自分が善知識であろう"と思っていましたが、実はその彼は"私にとっての善知識"でもあるのだと実感しました。学会員であるなしにかかわらず、私に関わる全ての方が善知識であると心から感謝しています。
◇連鎖反応と相互作用
今回学ぶ御文は、善知識を求めることの大切さを教えられたものです。その上で、自身が誰かの善知識になっていく大切さを教えてくださっているとも拝せます。
その誰かがまた別の誰かにとっての善知識であり、自身にとっても善知識である——先の体験をはじめ、学会活動を通して、このことに気付かせていただきました。
善知識が善知識を呼ぶ"善知識の連鎖反応"、互いに善知識となる"善知識の相互作用"を次々と起こしているのが創価学会なのです。
私たちの日常の活動の中でも、さまざまな事情を抱えて、"思ったように頑張れていない"と、つらさを感じている方もいらっしゃると思います。しかし、どんな状況であっても、今を精いっぱい生きている姿が、誰かに希望と勇気を与えていることは間違いありません。
誰もが誰かの善知識——この創価の励ましの世界を築いてくださった池田先生への感謝は尽きません。
今、男子部では「共に動く」ことを活動のポイントに掲げています。明「青年・飛躍の年」を一人一人が勝利するため、御書根本に善知識の連帯を、さらに拡大していきます。
◇メモ
「三三蔵祈雨事」は、建治元年(1275年)、または、その翌年に身延で著され、駿河国(静岡県中央部)富士上方西山郷に住む門下・西山入道に与えられたお手紙とされる。「善知識」や現証の重要性が説かれている。善知識とは、良い友人・知人の意で、仏法を教え仏道に導いてくれる人。師匠や、仏道修行を励ましてくれる先輩・同志をいう。反対に誤った教えを説いて人々を迷わせ、仏道修行を妨げたり不幸に陥れる悪僧・悪人を「悪知識」という。
2021年12月25日土曜日
2021.12.25 わが友に贈る
会合運営・会館警備など
広布を陰で支える皆さま
この一年 ありがとう!
「かくれての信」に
無量の福徳は燦然と輝く。
一生成仏抄 P384
『衆生の心けがるれば土もけがれ心清ければ土も清しとて浄土と云ひ穢土と云うも土に二の隔なし只我等が心の善悪によると見えたり』
【通解】衆生の心がけがれれば、その住む国土もけがれ、心が清ければ国土も清いと説かれるように、浄土といい穢土といっても、国土に二つの隔てがあるわけではない。ただ我らが心の善悪によって浄土とも穢土ともなるのである。
名字の言 目には見えないサンタの贈り物 2021年12月25日
独りぼっちのねずみがいた。12月24日の夜、家の外には迷子になったサンタの姿が見えた。一緒にプレゼントを配った別れ際、「おまえさんのねがいごと、かなえてやらんとな」と2組のスケート靴と地図をくれた。絵本『クリスマス・イブのねがいごと』(岩崎書店)で描かれた一シーンである▼地図をたどった先に、小鳥の家があった。「ひょっとして、ぼくがおほしさまにおねがいしたともだちって、きみ?」と小鳥もびっくり。ねずみと小鳥は仲良くスケートで遊んだ。サンタの贈り物は、目には見えない「友情」だった▼広島県の男子中等部員に警察署から「感謝状」が贈られた。今月11日、塾の帰りに「道に迷った」という認知症の高齢者と遭遇。小まめに休憩を取りながら、寒い中、警察署まで同行した▼「これまで"目に見えないもの"を、たくさん教えてもらいましたから」と彼。周囲に励ましを広げる両親、友の幸福を祈る祖母——家族の生き方から学んだ"思いやりの心"が今回の行動につながったと、朗らかに語った▼日蓮大聖人は「心の一法より国土世間も出来する事なり」(御書563ページ)と仰せだ。心は見えない。だが、支え励まし合う心と心の交流から、自他共の笑顔輝く社会は築かれる。
寸鉄 2021年12月25日
「経を持つ人を捨て給う仏あるべしや」御書。苦境の友よ絶対勝利の祈りで
中大阪の日。一人への励ましから飛躍は始まる!常勝源流の友よ先陣頼む
歴史を学び史観を養え—恩師。民衆が時代を創る。青年は最前線で光る将に
変異株防ぐため基本対策徹底を—専門家。決して甘く見ず。食事の場でも
家庭での食中毒増加。流行の低温調理で不十分な加熱多し。推奨時間厳守
〈社説〉 2021・12・25 コロナ禍の中で奮闘する妙護G
◇共生の世紀を築く"先頭走者"
新型コロナが猛威を振るう中、最も対応に苦慮してきた職種の一つが介護・福祉業界だろう。
施設には、重症化リスクの高い高齢者や基礎疾患がある利用者が集う。日頃の業務では食事や排せつ、入浴の介助などがあり、接触を避けるのは難しい。
多くの利用者が共同生活を送る施設では、クラスター(感染者集団)の発生を防ごうと、さまざまな対策を講じてきた。マスク着用や消毒、換気などの基本的な感染対策に加え、面会の制限や定期的なPCR検査に加え、防護服着用などを実施する施設もある。
その渦中でも「一人一人の幸福のために」と、男子部の妙護グループをはじめ、介護・福祉に携わるメンバーは奮闘している。
大阪の特別養護老人ホームで働く男子部員は、少しでも感染リスクを減らすため、家族とも食事を別にするなど、対策に努めてきた。
「日々変化する状況の中、『命』をお預かりする仕事。だからこそ今という時を大切にしたい」と、入所者の表情や食事の取り方など、細かな変化を見逃さず、ケアマネジャーを通じて家族に伝える。感染状況が落ち着いてきた秋ごろには、対策を徹底した上での対面の面会を提案。入所者と家族が久しぶりの再会を果たし、喜ぶ姿に安堵した。
東京の知的障がい児・者福祉施設で働く男子部員は、うまく自己表現ができずに暴れてしまう利用者への対応で悩んだ。祈って考えると、"生きづらさや寂しさ、周囲への不信感を抱えているのではないか"と気付く。
利用者の心に寄り添い続けると、次第に信頼関係が深まった。暴れることがなくなって笑顔が増えていった。「"困っている人"を誰も置き去りにしたくない。"私が一番の理解者になろう"と心掛けています」
池田先生は語っている。「人を支えることによって、自らの生きる力も増していくのです。どこまでも"共に生きる"ことです。介護とは"命で命を支える"究極の人間性の振る舞いではないでしょうか」
「支援する側」と「支援される側」が固定された一方通行の関係性ではなく、共に前を向くなかで人生を学び、喜ぶ笑顔に感謝の心で寄り添う妙護グループの友。共生の世紀を築く"先頭走者"に心からのエールを送りたい。
☆希望の指針——池田先生の指導に学ぶ 女性部(下)
◇幸せを生み出す泉はあなたの中にある
連載「希望の指針——池田先生の指導に学ぶ」では、女性部の新出発を祝して、指導・激励を掲載します。今回は小説『新・人間革命』から、珠玉の言葉を紹介します。
◇幸福
真実の仏法は、やがていつか、どこかで幸福になることを教えているのではありません。今、この場所で幸福をつくり出していくための法です。その幸福を生み出していく力は、あなた自身の胸中にある。それを引き出していくのが信仰です。
(第6巻「宝土」の章、38ページ)
◇唱題の力
御本尊は、大慈悲の仏様です。自分自身が願っていること、悩んでいること、希望することを、ありのまま祈っていくことです。
苦しい時、悲しい時、辛い時には、子どもが母の腕に身を投げ出し、すがりつくように、「御本尊様!」と言って、無心にぶつかっていけばいいんです。御本尊は、なんでも聞いてくださる。思いのたけを打ち明けるように、対話するように、唱題を重ねていくんです。やがて、地獄の苦しみであっても、嘘のように、露のごとく消え去ります。
(第11巻「開墾」の章、138ページ)
◇体験
人生の波浪を乗り越えた体験は、人間の凱歌の証である。それは、広宣流布の確かなる軌道を進みゆく人の、頭上に輝く栄冠といえる。ゆえに、常に広布の大道をわが行路と定め、一つ一つの活動に、宿命の転換をかけ、全力で挑戦していくことだ。
(第7巻「萌芽」の章、150ページ)
◇知恵
人間が社会で生き抜くうえで大切なのは知恵だよ。
広宣流布も、人生も、勝利していくためには知恵が必要だ。知恵を出すには、旺盛な責任感、使命感をもって、題目を唱え、強い生命力を涌現しながら、考え抜いていくことだ。
(第7巻「早春」の章、248ページ)
◇時代とともに
学会の根本精神は、どんなに時代が変化しても、変わってはなりません。その根本精神とは、万人の幸福を実現するために、生涯、何があろうが、学会から離れず、広宣流布の尊き使命を果たし抜いていく心です。しかし、活動形態などは、時代とともに、また、世代によって、当然、変化していかなくてはならない。時代も、人の感性も変わってきているんですから。
(第25巻「人材城」の章、318ページ)
◇女性が主役
女性は、常に戦争の最大の被害者であった。女性の幸福なくして、人類の平和はない。女性が輝けば、家庭も、地域も、社会も輝く。ゆえに二十一世紀は、女性が主役となる「女性の世紀」に、しなくてはならない。
(第13巻「北斗」の章、160ページ)
◇親の姿
子どもは、日々、親の姿、生き方を見て、信仰への理解と共感を深めていく。ゆえに、親自身が、いかなる困難にも負けない強さや明るさ、人への思いやりなど、人格の輝きを増していくことが大切であり、それが、仏法の偉大さの証明となる。
(第12巻「新緑」の章、91ページ)
◇人生哲学
生きることは、宿命との戦いです。宿命の問題を解決していく道は、生命の大法である仏法による以外にない。その意味からも、教学を学び、幸福への人生哲学を、しっかりと身につけていただきたい。
(第29巻「常楽」の章、116ページ)
◇人材の育成
先輩と後輩が共に活動するなかで、後輩は、折伏・弘教、個人指導などを習得していく。"共戦"という実践なくして、本当の人材の育成はない。
(第27巻「求道」の章、337ページ)
◇誓願の祈り
広宣流布のために、"健康になります。健康にしてください""経済革命します。経済苦を乗り越えさせてください""和楽の家庭を築きます。築かせてください"と祈りに祈り、学会活動していくのである。広布誓願の祈りは、仏、地涌の菩薩の祈りであり、それゆえに諸天を、宇宙の一切を動かしていく。
(第29巻「常楽」の章、35ページ)
◇鍛えの青春
自分を不幸にするものは、他者ではない。時流でも、運命でもない。自身の弱さである。
希望をいだけず、勇気を奮い起こさず、あきらめてしまう。そして、無気力や自暴自棄に陥り、他人を恨み、自分をも嫌悪する魂の脆弱さが、自身を不幸にしてしまうのである。
ゆえに、幸福の人生を歩みゆくためには、青春時代に、徹して自身の魂を鍛え上げることが、何にも増して重要になるのである。
(第14巻「使命」の章、160ページ)
◇今日より明日
どこまでも御聖訓に照らして自己を見つめ、昨日の自分より今日の自分を、今日の自分より明日の自分を、一歩でも磨き高めようと挑戦していくなかに、人間革命の道があるのだ。そこにのみ無量の功徳があり、福運を積みゆくことができるのだ。
(第2巻「勇舞」の章、185ページ)
☆「人間革命」の希望の大航路へ——各部代表者会議 原田会長が出席
第11回各部代表者会議が22日、原田会長を中心に、東京・信濃町の広宣会館(学会本部別館内)で行われた。
池田大作先生はメッセージを贈り、大勝利の1年を飾った各部・各グループ、なかでも12・22「統監部の日」を迎えた同部の緻密な広布推進の労に感謝。御本仏は常に「かくれての信」を御照覧であるとたたえた。
さらに、創価大学の建設に携わった友と"船の機関部は人目につかないが、機関が止まれば船は動かない。誰が見ていようがいまいが、頑張って最高の大学を創ろう"と語り合った思い出を述懐。
学会においても、創価の運動を陰で支え担う同志は「広宣流布」即「立正安国」の大船の機関部であり、日本と世界の平和・文化・教育の大船の機関部であると力説した。
そして、明「青年・飛躍の年」へ、一人一人が地涌の菩薩の本領をいよいよ発揮し、御書根本のチームワークで、「人間革命」「一生成仏」という希望の大航路を、一段と力強く人類に示していこうと呼び掛けた。
最後に、御書新版に新たに収録された富木殿への御聖訓を拝読。
「あなたの真心のほどは、全て法華経に申し上げました。必ず十羅刹があなたを守護されることは疑いのないことでしょう。尼御前(富木殿の夫人)の健康のことを、私(大聖人)が案じていると、お伝え申し上げてください」(御書新版1343ページ、通解)
この一節を同志とその家族に贈りたいと述べ、「明年も心一つに、創価の大船は勝ち進もう!」と呼び掛け、メッセージを結んだ。
原田会長は、「勝負の10年」の緒戦を勝ち抜いた全同志の奮闘に重ねて感謝するとともに、1、2月のスタートダッシュが明年の勝利を決すると強調。池田先生が「二月闘争」で示された通り、「明確な目標の設定」「リーダー率先の行動」「一対一の励まし」で、広布の水かさを増していこうと訴えた。
また長谷川理事長、谷川主任副会長、佐口牙城会委員長、石田創価班委員長があいさつした。
広布を陰で支える皆さま
この一年 ありがとう!
「かくれての信」に
無量の福徳は燦然と輝く。
一生成仏抄 P384
『衆生の心けがるれば土もけがれ心清ければ土も清しとて浄土と云ひ穢土と云うも土に二の隔なし只我等が心の善悪によると見えたり』
【通解】衆生の心がけがれれば、その住む国土もけがれ、心が清ければ国土も清いと説かれるように、浄土といい穢土といっても、国土に二つの隔てがあるわけではない。ただ我らが心の善悪によって浄土とも穢土ともなるのである。
名字の言 目には見えないサンタの贈り物 2021年12月25日
独りぼっちのねずみがいた。12月24日の夜、家の外には迷子になったサンタの姿が見えた。一緒にプレゼントを配った別れ際、「おまえさんのねがいごと、かなえてやらんとな」と2組のスケート靴と地図をくれた。絵本『クリスマス・イブのねがいごと』(岩崎書店)で描かれた一シーンである▼地図をたどった先に、小鳥の家があった。「ひょっとして、ぼくがおほしさまにおねがいしたともだちって、きみ?」と小鳥もびっくり。ねずみと小鳥は仲良くスケートで遊んだ。サンタの贈り物は、目には見えない「友情」だった▼広島県の男子中等部員に警察署から「感謝状」が贈られた。今月11日、塾の帰りに「道に迷った」という認知症の高齢者と遭遇。小まめに休憩を取りながら、寒い中、警察署まで同行した▼「これまで"目に見えないもの"を、たくさん教えてもらいましたから」と彼。周囲に励ましを広げる両親、友の幸福を祈る祖母——家族の生き方から学んだ"思いやりの心"が今回の行動につながったと、朗らかに語った▼日蓮大聖人は「心の一法より国土世間も出来する事なり」(御書563ページ)と仰せだ。心は見えない。だが、支え励まし合う心と心の交流から、自他共の笑顔輝く社会は築かれる。
寸鉄 2021年12月25日
「経を持つ人を捨て給う仏あるべしや」御書。苦境の友よ絶対勝利の祈りで
中大阪の日。一人への励ましから飛躍は始まる!常勝源流の友よ先陣頼む
歴史を学び史観を養え—恩師。民衆が時代を創る。青年は最前線で光る将に
変異株防ぐため基本対策徹底を—専門家。決して甘く見ず。食事の場でも
家庭での食中毒増加。流行の低温調理で不十分な加熱多し。推奨時間厳守
〈社説〉 2021・12・25 コロナ禍の中で奮闘する妙護G
◇共生の世紀を築く"先頭走者"
新型コロナが猛威を振るう中、最も対応に苦慮してきた職種の一つが介護・福祉業界だろう。
施設には、重症化リスクの高い高齢者や基礎疾患がある利用者が集う。日頃の業務では食事や排せつ、入浴の介助などがあり、接触を避けるのは難しい。
多くの利用者が共同生活を送る施設では、クラスター(感染者集団)の発生を防ごうと、さまざまな対策を講じてきた。マスク着用や消毒、換気などの基本的な感染対策に加え、面会の制限や定期的なPCR検査に加え、防護服着用などを実施する施設もある。
その渦中でも「一人一人の幸福のために」と、男子部の妙護グループをはじめ、介護・福祉に携わるメンバーは奮闘している。
大阪の特別養護老人ホームで働く男子部員は、少しでも感染リスクを減らすため、家族とも食事を別にするなど、対策に努めてきた。
「日々変化する状況の中、『命』をお預かりする仕事。だからこそ今という時を大切にしたい」と、入所者の表情や食事の取り方など、細かな変化を見逃さず、ケアマネジャーを通じて家族に伝える。感染状況が落ち着いてきた秋ごろには、対策を徹底した上での対面の面会を提案。入所者と家族が久しぶりの再会を果たし、喜ぶ姿に安堵した。
東京の知的障がい児・者福祉施設で働く男子部員は、うまく自己表現ができずに暴れてしまう利用者への対応で悩んだ。祈って考えると、"生きづらさや寂しさ、周囲への不信感を抱えているのではないか"と気付く。
利用者の心に寄り添い続けると、次第に信頼関係が深まった。暴れることがなくなって笑顔が増えていった。「"困っている人"を誰も置き去りにしたくない。"私が一番の理解者になろう"と心掛けています」
池田先生は語っている。「人を支えることによって、自らの生きる力も増していくのです。どこまでも"共に生きる"ことです。介護とは"命で命を支える"究極の人間性の振る舞いではないでしょうか」
「支援する側」と「支援される側」が固定された一方通行の関係性ではなく、共に前を向くなかで人生を学び、喜ぶ笑顔に感謝の心で寄り添う妙護グループの友。共生の世紀を築く"先頭走者"に心からのエールを送りたい。
☆希望の指針——池田先生の指導に学ぶ 女性部(下)
◇幸せを生み出す泉はあなたの中にある
連載「希望の指針——池田先生の指導に学ぶ」では、女性部の新出発を祝して、指導・激励を掲載します。今回は小説『新・人間革命』から、珠玉の言葉を紹介します。
◇幸福
真実の仏法は、やがていつか、どこかで幸福になることを教えているのではありません。今、この場所で幸福をつくり出していくための法です。その幸福を生み出していく力は、あなた自身の胸中にある。それを引き出していくのが信仰です。
(第6巻「宝土」の章、38ページ)
◇唱題の力
御本尊は、大慈悲の仏様です。自分自身が願っていること、悩んでいること、希望することを、ありのまま祈っていくことです。
苦しい時、悲しい時、辛い時には、子どもが母の腕に身を投げ出し、すがりつくように、「御本尊様!」と言って、無心にぶつかっていけばいいんです。御本尊は、なんでも聞いてくださる。思いのたけを打ち明けるように、対話するように、唱題を重ねていくんです。やがて、地獄の苦しみであっても、嘘のように、露のごとく消え去ります。
(第11巻「開墾」の章、138ページ)
◇体験
人生の波浪を乗り越えた体験は、人間の凱歌の証である。それは、広宣流布の確かなる軌道を進みゆく人の、頭上に輝く栄冠といえる。ゆえに、常に広布の大道をわが行路と定め、一つ一つの活動に、宿命の転換をかけ、全力で挑戦していくことだ。
(第7巻「萌芽」の章、150ページ)
◇知恵
人間が社会で生き抜くうえで大切なのは知恵だよ。
広宣流布も、人生も、勝利していくためには知恵が必要だ。知恵を出すには、旺盛な責任感、使命感をもって、題目を唱え、強い生命力を涌現しながら、考え抜いていくことだ。
(第7巻「早春」の章、248ページ)
◇時代とともに
学会の根本精神は、どんなに時代が変化しても、変わってはなりません。その根本精神とは、万人の幸福を実現するために、生涯、何があろうが、学会から離れず、広宣流布の尊き使命を果たし抜いていく心です。しかし、活動形態などは、時代とともに、また、世代によって、当然、変化していかなくてはならない。時代も、人の感性も変わってきているんですから。
(第25巻「人材城」の章、318ページ)
◇女性が主役
女性は、常に戦争の最大の被害者であった。女性の幸福なくして、人類の平和はない。女性が輝けば、家庭も、地域も、社会も輝く。ゆえに二十一世紀は、女性が主役となる「女性の世紀」に、しなくてはならない。
(第13巻「北斗」の章、160ページ)
◇親の姿
子どもは、日々、親の姿、生き方を見て、信仰への理解と共感を深めていく。ゆえに、親自身が、いかなる困難にも負けない強さや明るさ、人への思いやりなど、人格の輝きを増していくことが大切であり、それが、仏法の偉大さの証明となる。
(第12巻「新緑」の章、91ページ)
◇人生哲学
生きることは、宿命との戦いです。宿命の問題を解決していく道は、生命の大法である仏法による以外にない。その意味からも、教学を学び、幸福への人生哲学を、しっかりと身につけていただきたい。
(第29巻「常楽」の章、116ページ)
◇人材の育成
先輩と後輩が共に活動するなかで、後輩は、折伏・弘教、個人指導などを習得していく。"共戦"という実践なくして、本当の人材の育成はない。
(第27巻「求道」の章、337ページ)
◇誓願の祈り
広宣流布のために、"健康になります。健康にしてください""経済革命します。経済苦を乗り越えさせてください""和楽の家庭を築きます。築かせてください"と祈りに祈り、学会活動していくのである。広布誓願の祈りは、仏、地涌の菩薩の祈りであり、それゆえに諸天を、宇宙の一切を動かしていく。
(第29巻「常楽」の章、35ページ)
◇鍛えの青春
自分を不幸にするものは、他者ではない。時流でも、運命でもない。自身の弱さである。
希望をいだけず、勇気を奮い起こさず、あきらめてしまう。そして、無気力や自暴自棄に陥り、他人を恨み、自分をも嫌悪する魂の脆弱さが、自身を不幸にしてしまうのである。
ゆえに、幸福の人生を歩みゆくためには、青春時代に、徹して自身の魂を鍛え上げることが、何にも増して重要になるのである。
(第14巻「使命」の章、160ページ)
◇今日より明日
どこまでも御聖訓に照らして自己を見つめ、昨日の自分より今日の自分を、今日の自分より明日の自分を、一歩でも磨き高めようと挑戦していくなかに、人間革命の道があるのだ。そこにのみ無量の功徳があり、福運を積みゆくことができるのだ。
(第2巻「勇舞」の章、185ページ)
☆「人間革命」の希望の大航路へ——各部代表者会議 原田会長が出席
第11回各部代表者会議が22日、原田会長を中心に、東京・信濃町の広宣会館(学会本部別館内)で行われた。
池田大作先生はメッセージを贈り、大勝利の1年を飾った各部・各グループ、なかでも12・22「統監部の日」を迎えた同部の緻密な広布推進の労に感謝。御本仏は常に「かくれての信」を御照覧であるとたたえた。
さらに、創価大学の建設に携わった友と"船の機関部は人目につかないが、機関が止まれば船は動かない。誰が見ていようがいまいが、頑張って最高の大学を創ろう"と語り合った思い出を述懐。
学会においても、創価の運動を陰で支え担う同志は「広宣流布」即「立正安国」の大船の機関部であり、日本と世界の平和・文化・教育の大船の機関部であると力説した。
そして、明「青年・飛躍の年」へ、一人一人が地涌の菩薩の本領をいよいよ発揮し、御書根本のチームワークで、「人間革命」「一生成仏」という希望の大航路を、一段と力強く人類に示していこうと呼び掛けた。
最後に、御書新版に新たに収録された富木殿への御聖訓を拝読。
「あなたの真心のほどは、全て法華経に申し上げました。必ず十羅刹があなたを守護されることは疑いのないことでしょう。尼御前(富木殿の夫人)の健康のことを、私(大聖人)が案じていると、お伝え申し上げてください」(御書新版1343ページ、通解)
この一節を同志とその家族に贈りたいと述べ、「明年も心一つに、創価の大船は勝ち進もう!」と呼び掛け、メッセージを結んだ。
原田会長は、「勝負の10年」の緒戦を勝ち抜いた全同志の奮闘に重ねて感謝するとともに、1、2月のスタートダッシュが明年の勝利を決すると強調。池田先生が「二月闘争」で示された通り、「明確な目標の設定」「リーダー率先の行動」「一対一の励まし」で、広布の水かさを増していこうと訴えた。
また長谷川理事長、谷川主任副会長、佐口牙城会委員長、石田創価班委員長があいさつした。
2021年12月24日金曜日
2021.12.24 わが友に贈る
家族の語らいを大切に。
わが子の思いを受け止め
その頑張りを称えよう!
冬休みの関わりを通して
親子の絆をさらに強く!
法蓮抄 P1044
『戯論に一言継母の継子をほむるが如く心ざしなくとも末代の法華経の行者を讃め供養せん功徳は彼の三業相応の信心にて一劫が間生身の仏を供養し奉るには百千万億倍すぐべし』
【通解】
戯れに一言でも、継母が継子をほめるように、志がなくても、末代の法華経の行者をほめ、供養する功徳は、かの三業相応の信心によって一劫の間、生身の仏を供養することよりも百千万億倍すぐれている。
名字の言 「節目は成長の軌跡であると同時に再出発の拠点」 2021年12月24日
各地で雪のニュースが聞かれるようになった。札幌・函館の両市では、路面電車の軌道に積もった雪を払う「ササラ電車」が走る。車両に取り付けられた「ササラ」は細い竹を束ねたブラシで、回転させて雪を吹き飛ばす▼節のある竹はしなやかさがあり、簡単には折れない。畑の雑草であるメヒシバやツユクサも同様に節をもつそうだ▼節目を作る営みは、植物の成長からすれば、一休みしているようにも見える。だが、節目があることで、たとえ刈られても、そこから再び芽を出すことができる。「雑草にとって、節目は成長の軌跡であると同時に再出発の拠点となります」と植物学者の稲垣栄洋氏は語る(『大事なことは植物が教えてくれる』マガジンハウス)▼人間も、立ちはだかる苦難の壁を乗り越えた時、人生の節ができると言えるかもしれない。その体験が原点とも転機ともなって、人生の風雪にも折れることなく、生涯、青年の心で伸びやかに成長していける▼年末年始は一年の来し方を振り返り、新たな"飛躍の節"を刻もうと決意する好機。「願くは我が弟子等・大願ををこせ」(御書1561ページ)の一節を深く拝し、清新な息吹で出発しよう。そこから、明年の"破竹の勢い"が生まれる。
寸鉄 2021年12月24日
「須弥山の始を尋ぬれば一塵」御聖訓。今日の一歩前進が次なる飛躍の因に
「会館守る会」「宝城会」に感謝!令法久住のための尊き献身に功徳は厳たり
青年は夢が大きすぎる位でいい—戸田先生。目標は高く!勢いよく挑戦を
健康寿命さらに延びる。今世の命を何に使うか—"生き方"が問われる時代
列島に寒波。大雪の恐れ。雪下ろしは命綱使う等、落下に注意。安全最優先
〈社説〉 2021・12・24 地域の宝の受験生にエール
◇若き可能性を信じる励ましを
「この季節になると3度の大学受験を思い出すんです」と、ある学生部のリーダーが語ってくれた。
彼の受験の挑戦は、中学校の勉強の復習から始まった。浪人1年目は勉強することに慣れるので精いっぱい。2年目は、それまでに何通もの不合格通知を見ていたこともあり、模試で良い判定が出ても、なかなか不安を拭い去ることはできなかった。
それでも諦めずに頑張れたのは、浪人1年目に亡くなった祖母の励ましの言葉があったからだ。祖母は、彼の1度目の受験当日に、メールを送ってくれた。体調への気遣い、そして"自分のやってきたことに自信をもって、堂々と胸を張って受験すれば、あなたなら大丈夫!"との、彼の可能性を信じ抜く内容だったそうだ。
彼は、心が折れてしまいそうになるたびに、「自分の可能性を信じてくれている人がいたじゃないか」と、メールを見返し、自身を鼓舞し続けたという。
昨年に続き、今年の受験生たちも、コロナ禍の影響で登校できず、授業がオンラインになるなど、かつてとは異なる学校生活を過ごしてきた。ある生命保険会社の調査(2021年)では、コロナ禍が進路や志望校の選択に影響を与えたと回答した中高生は約7割。うち半数は「不安が増した」と。制限の多い中、未来に向かって挑戦する友も多い。
池田先生は「励ましとは、安心と希望と勇気を与えることである。相手の生命を燃え上がらせ、何ものにも負けない力を引き出す、精神の触発作業である」とつづっている(『新・人間革命』第21巻「共鳴音」の章)。
周囲は、"地域の宝"である受験生の負担にならないように、気を配ることが大切だ。その上で電話や手紙なども活用しながら、会う場合は短い時間でも、丁寧な励ましに徹しよう。
彼らの不安や悩みを完全に取り去ることは難しいかもしれない。それでも同苦の精神で励ませば、相手の心は軽くなる。友に、苦難に負けない希望や勇気を届けたい。「ほかの誰でもない、あなた自身の可能性を信じ抜こう! 私たちも祈っているから」と、真心のエールを送ろう。
創価の「精神の触発」によって、若き彼らの人生と私たち自身の人生に、黄金の勝利の歴史を刻んでいきたい。
☆桂冠詩人40周年 勇気の舞 凱歌の行進 第20回 多宝の友へ
本年は、「桂冠詩人」の称号が池田先生に贈られてから40周年。連載企画「勇気の舞 凱歌の行進」では、先生がつづった長編詩を紹介します。第20回は、多宝の友に詠んだ「広宣の勝利者に贈る」(2001年)です。
◇君は宇宙と共に三世に永遠!
おお
偉大なる多宝の友よ!
広宣流布に戦い抜いた
尊き多宝の友よ!
皆さまは戦った。
そして
皆さまは勝った。
真っ赤な太陽と共に
生き抜き
戦い抜き
偉大にして荘厳なる
人生を飾られた。
後悔なく
人生の前進
また前進をし抜いて
最高に尊貴な宝冠を
胸に抱きながら
悠然として
未来を高々と見つめながら
あなたは勝った!
人間の英雄である。
君よ
今日も
歓びを認める日であれ!
そして今日も
いかに苦しくても
美しく朗らかに
足跡を残しゆく日であれ!
◆◇◆
自身の勝利は
人生の最終章の時に
決定される。
自身の幸福もまた
その最終章で決まる。
若くしての成功も
若くしての幸福も
幻である。
勝ち誇った人生の
今際の時の境涯が
永遠の合図となる。
「人生の勝負は
死の数年前で決まる」とは
著名な哲学者の言葉であった。
◆◇◆
君の一生は
自分を感動させながら
無数の人々まで
感動させ抜いた。
卑劣な者たちまでも
今となっては
あなたの強き信念を
見上げ
自身の中傷・批判を
覆しながら
最敬礼をしている姿よ。
あなたは勝った!
あなたの人生は
生ある限り 尊き仏天が
行く道を荘厳する。
さらに眠る時が来ても
無数の鳥が
舞い出でて歌い
君のいるところ一帯は
あらゆる国々の名曲が
轟き響きわたって
聞こえる。
君には
世の果てはない。
宇宙と共に
三世に永遠!
わが一族も
これまた
三世に永遠!
◆◇◆
おお
生き抜こう!
おお
戦い抜こう!
君も
人生を躍れ!
私も
勝って人生を躍る。
御聖訓には
「上行菩薩の大地より
いで給いしには
をどりてこそ
いで給いしか」と。
優しく そして
燃える忍耐で武装した
壮麗なる わが友よ!
無数に飛び交う
あの白鳥を見つめながら
堂々たる
偉大な人生の勝利を
金星の勝利を
見せつけ給え!
☆いのちの賛歌 心に刻む一節 テーマ:世雄と光る
企画「いのちの賛歌 心に刻む一節」では、御聖訓を胸に、宿命に立ち向かってきた創価学会員の体験を紹介するとともに、池田先生の指導を掲載する。今回は「世雄と光る」をテーマに、福島県の壮年に話を聞いた。
テーマ:世雄と光る
◇御文
『聖人の唱えさせ給う題目の功徳と我れ等が唱へ申す題目の功徳と何程の多少候べきやと云云、更に勝劣あるべからず候』(松野殿御返事、御書1381ページ)
◇通解
聖人の唱えられる題目の功徳と我々が唱える題目の功徳に、どれほどの相違があるのかとの質問であるが、題目の功徳にはまったく勝劣はない。
◇決定した祈りで道を開く
◇会社の経営危機を乗り越えて
2007年(平成19年)の春先。福島市にある建設会社の代表取締役に就任したばかりの佐藤敏清さん(63)=福島・伊達常勝県長=は、事務所で一人、腕組みをして目をつむっていた。折からの不況のあおりを受け、経営はすでに傾いていた。多額の負債もあった。「どうするか……」。小さくうめいた。
◇
佐藤さんは高校を卒業後、職を転々とし、23歳の頃、友人の父親が役員を務めていた現在の建設会社に誘われて入った。
建築現場で汗を流しながら、学会では男子部として求道の炎を燃やした。折伏にも地道に挑み、師との原点を築いてきた。
会社の前代表取締役から後継の打診を受けたのは06年ごろ。50歳を目前にした時だった。佐藤さんは、恩義も思い入れもある会社だけに、悩んだ。そして、恩返しの思いもあって、引き受けることにしたという。
「その時点で、会社の経営が厳しいことは分かっていました。けれど、『信心してっから、何とかなっぺ』という、負けん気の方が強かったんです」
会社は、佐藤さんの就任前から赤字が続いていた。
その後、世界的な経済危機や、公共事業の削減などの影響によって、福島市内の建設業界もじわじわと体力を奪われる中、佐藤さんの会社も土俵の際に追い込まれていく。毎年積み重なる債務は、いつしか数千万円規模にまで膨らんでいた。
「周りの同業者たちもバタバタと倒れていった。つぶれずとも、経営は"瀕死の状態"という会社ばかり。うちも、いつ倒産してもおかしくないような状況でした」
社員と共に佐藤さんも営業に動いたが、新たな受注はほとんど無かった。社員への給料の遅配や、リストラも余儀なくされる。去っていく社員の背中を見るのは、つらかった。
当時、学会では支部長を務めていた佐藤さん。「どうしたらいいんだって、悩みに悩みました。自分がここで負ければ、学会に泥を塗ることになると思って」と振り返る。
この時に拝した御書が、「聖人の唱えさせ給う題目の功徳と我れ等が唱へ申す題目の功徳」には「更に勝劣あるべからず候」(1381ページ)との一節だった。
師匠と弟子が唱える祈りの功力は、全く同じである——題目の深義を示された御本仏の仰せに、胸を打たれた。
"そうだ! 創価の祈りに不可能は断じてないはずだ。俺の姿で、それを証明してみせる!"
御書に線を引き、命にたたき込むように、佐藤さんは何度も何度も拝した。
「とにかく、祈りました。寝ても覚めても題目しかなかった」
祈るほど、抱いていた焦りや不安が小さくなっていった。「まず、目の前のことに全力を尽くそう!」。心が前を向いた。
営業先では、顧客のどんな要望にも真摯に耳を傾けた。引き受けた仕事は、たとえ規模が小さくても誠心誠意、取り組んだ。
また、どんなに苦しい状況でも、学会活動には一歩も引かなかった。自らの命を磨く唯一の道は、そこにしかないと覚悟を決めていたのだ。
やがて、丁寧な仕事ぶりが評価され、工事の受注数は少しずつ伸びていった。
この間、東日本大震災にも見舞われたが、地域の復興に尽くす中で経営状況は徐々に上向いていく。数年後、数千万円の負債を完済し、会社を安定した軌道に乗せることができた。かつてリストラした社員たちも、呼び戻せた。
「師弟の祈りが合致していった時に、師と同じ不屈の力を湧き出せるんです。"どん底"を経験したからこそ、私はその確信を深めることができました」
今では、県や市の公共事業に元請けとして携われるまでに。これまで、福島市からの2度の優良工事表彰にも輝いた。
「祈って自らの心を定めれば、ぶれなくなる。何があっても右往左往しなくなる。そうなれば、人生で負けることは絶対にありません」
佐藤さんが大切にしている箱の中には、池田先生の指導が掲載された、本紙の過去紙面などがしまってある。
「苦しい時はそれを引っ張り出してきて、何度も読み返す。すると"こんなことで負けてらんねえな!"って気合が入る。常に根本は師弟です」
振り返れば、佐藤さんの人生は「挑戦」の連続だった。
35歳で結婚。第2子が生まれた翌年、39歳で福島大学の経済学部(当時)に社会人枠で入学した。「信心している自分がどこまでやれるのか、試してみたかった」と佐藤さんは笑う。
日中は建築現場で働き、夜は大学に通って授業を受ける日々。当時、学会では地区部長を務めていた。激務が重なり、体調を崩したこともあった。
行き詰まるたび、師の指導を読み返しては、自らの「心」を奮い立たせた。その後、同大学大学院に進み、経済学研究科修士課程を修了している。
経営の厳しい会社を受け継いだのも、ある意味で「挑戦」だった。その横に、いつも笑顔で支え続けてくれた妻がいたからこそ、挑み抜けたことは言うまでもない。
佐藤さんは話す。
「人生、真っすぐな一本道はありえない。紆余曲折は必ずある。挑戦の連続だから、何があっても命をビシッと真っすぐにしてくれる"哲学"が必要なんです。それが、創価の師弟です」
池田先生は語っている。
「『法華経の信心』とは、観念論でも抽象論でもない。現実の社会で勝利するための具体的な智慧を発揮しゆくものでなくてはなりません。
大聖人御自身が、師子王の心で、勝利また勝利の大闘争を続けてこられた。決定した一念にこそ諸天善神も動くのです」(池田大作先生の指導選集〈中〉『人間革命の実践』)
全てに祈り、勝つ!——不屈の信念を貫く佐藤さんの姿に、社会のいかなる激流をも乗り越えていく智慧と情熱が脈打っている。
[教学コンパス]
主に働く世代を対象に実施した、あるアンケート結果によると、「仕事でのやりがい」を感じるために取り組んだこととして、最も多かった回答が、「目の前の仕事に一生懸命取り組む」ということだった。仕事も人生も、眼前の現実に真正面から向き合い、勇気をもって挑んでいく中でこそ、自らが果たすべき使命を見いだしていけるのだろう。
日蓮大聖人は「一丈の堀を越えられない者が、どうして十丈・二十丈もの堀を越えることができるだろうか」(御書912ページ、通解)と仰せだ。私たちの活動もまた、地道な挑戦の連続である。どこまでも信心根本に、まず、目の前のことに粘り強く挑戦する。勇気の歩みを、一歩また一歩と重ねていく。その弛まぬ前進の先に、自らが思ってもみないような幸福境涯が開けることは、御書に照らして間違いないのだ。
明年は「青年・飛躍の年」。偉大な飛躍も、その始まりは「一歩」を踏み出すことから。自身の境涯をさらに開いていく挑戦を、ここから開始したい。(優)
わが子の思いを受け止め
その頑張りを称えよう!
冬休みの関わりを通して
親子の絆をさらに強く!
法蓮抄 P1044
『戯論に一言継母の継子をほむるが如く心ざしなくとも末代の法華経の行者を讃め供養せん功徳は彼の三業相応の信心にて一劫が間生身の仏を供養し奉るには百千万億倍すぐべし』
【通解】
戯れに一言でも、継母が継子をほめるように、志がなくても、末代の法華経の行者をほめ、供養する功徳は、かの三業相応の信心によって一劫の間、生身の仏を供養することよりも百千万億倍すぐれている。
名字の言 「節目は成長の軌跡であると同時に再出発の拠点」 2021年12月24日
各地で雪のニュースが聞かれるようになった。札幌・函館の両市では、路面電車の軌道に積もった雪を払う「ササラ電車」が走る。車両に取り付けられた「ササラ」は細い竹を束ねたブラシで、回転させて雪を吹き飛ばす▼節のある竹はしなやかさがあり、簡単には折れない。畑の雑草であるメヒシバやツユクサも同様に節をもつそうだ▼節目を作る営みは、植物の成長からすれば、一休みしているようにも見える。だが、節目があることで、たとえ刈られても、そこから再び芽を出すことができる。「雑草にとって、節目は成長の軌跡であると同時に再出発の拠点となります」と植物学者の稲垣栄洋氏は語る(『大事なことは植物が教えてくれる』マガジンハウス)▼人間も、立ちはだかる苦難の壁を乗り越えた時、人生の節ができると言えるかもしれない。その体験が原点とも転機ともなって、人生の風雪にも折れることなく、生涯、青年の心で伸びやかに成長していける▼年末年始は一年の来し方を振り返り、新たな"飛躍の節"を刻もうと決意する好機。「願くは我が弟子等・大願ををこせ」(御書1561ページ)の一節を深く拝し、清新な息吹で出発しよう。そこから、明年の"破竹の勢い"が生まれる。
寸鉄 2021年12月24日
「須弥山の始を尋ぬれば一塵」御聖訓。今日の一歩前進が次なる飛躍の因に
「会館守る会」「宝城会」に感謝!令法久住のための尊き献身に功徳は厳たり
青年は夢が大きすぎる位でいい—戸田先生。目標は高く!勢いよく挑戦を
健康寿命さらに延びる。今世の命を何に使うか—"生き方"が問われる時代
列島に寒波。大雪の恐れ。雪下ろしは命綱使う等、落下に注意。安全最優先
〈社説〉 2021・12・24 地域の宝の受験生にエール
◇若き可能性を信じる励ましを
「この季節になると3度の大学受験を思い出すんです」と、ある学生部のリーダーが語ってくれた。
彼の受験の挑戦は、中学校の勉強の復習から始まった。浪人1年目は勉強することに慣れるので精いっぱい。2年目は、それまでに何通もの不合格通知を見ていたこともあり、模試で良い判定が出ても、なかなか不安を拭い去ることはできなかった。
それでも諦めずに頑張れたのは、浪人1年目に亡くなった祖母の励ましの言葉があったからだ。祖母は、彼の1度目の受験当日に、メールを送ってくれた。体調への気遣い、そして"自分のやってきたことに自信をもって、堂々と胸を張って受験すれば、あなたなら大丈夫!"との、彼の可能性を信じ抜く内容だったそうだ。
彼は、心が折れてしまいそうになるたびに、「自分の可能性を信じてくれている人がいたじゃないか」と、メールを見返し、自身を鼓舞し続けたという。
昨年に続き、今年の受験生たちも、コロナ禍の影響で登校できず、授業がオンラインになるなど、かつてとは異なる学校生活を過ごしてきた。ある生命保険会社の調査(2021年)では、コロナ禍が進路や志望校の選択に影響を与えたと回答した中高生は約7割。うち半数は「不安が増した」と。制限の多い中、未来に向かって挑戦する友も多い。
池田先生は「励ましとは、安心と希望と勇気を与えることである。相手の生命を燃え上がらせ、何ものにも負けない力を引き出す、精神の触発作業である」とつづっている(『新・人間革命』第21巻「共鳴音」の章)。
周囲は、"地域の宝"である受験生の負担にならないように、気を配ることが大切だ。その上で電話や手紙なども活用しながら、会う場合は短い時間でも、丁寧な励ましに徹しよう。
彼らの不安や悩みを完全に取り去ることは難しいかもしれない。それでも同苦の精神で励ませば、相手の心は軽くなる。友に、苦難に負けない希望や勇気を届けたい。「ほかの誰でもない、あなた自身の可能性を信じ抜こう! 私たちも祈っているから」と、真心のエールを送ろう。
創価の「精神の触発」によって、若き彼らの人生と私たち自身の人生に、黄金の勝利の歴史を刻んでいきたい。
☆桂冠詩人40周年 勇気の舞 凱歌の行進 第20回 多宝の友へ
本年は、「桂冠詩人」の称号が池田先生に贈られてから40周年。連載企画「勇気の舞 凱歌の行進」では、先生がつづった長編詩を紹介します。第20回は、多宝の友に詠んだ「広宣の勝利者に贈る」(2001年)です。
◇君は宇宙と共に三世に永遠!
おお
偉大なる多宝の友よ!
広宣流布に戦い抜いた
尊き多宝の友よ!
皆さまは戦った。
そして
皆さまは勝った。
真っ赤な太陽と共に
生き抜き
戦い抜き
偉大にして荘厳なる
人生を飾られた。
後悔なく
人生の前進
また前進をし抜いて
最高に尊貴な宝冠を
胸に抱きながら
悠然として
未来を高々と見つめながら
あなたは勝った!
人間の英雄である。
君よ
今日も
歓びを認める日であれ!
そして今日も
いかに苦しくても
美しく朗らかに
足跡を残しゆく日であれ!
◆◇◆
自身の勝利は
人生の最終章の時に
決定される。
自身の幸福もまた
その最終章で決まる。
若くしての成功も
若くしての幸福も
幻である。
勝ち誇った人生の
今際の時の境涯が
永遠の合図となる。
「人生の勝負は
死の数年前で決まる」とは
著名な哲学者の言葉であった。
◆◇◆
君の一生は
自分を感動させながら
無数の人々まで
感動させ抜いた。
卑劣な者たちまでも
今となっては
あなたの強き信念を
見上げ
自身の中傷・批判を
覆しながら
最敬礼をしている姿よ。
あなたは勝った!
あなたの人生は
生ある限り 尊き仏天が
行く道を荘厳する。
さらに眠る時が来ても
無数の鳥が
舞い出でて歌い
君のいるところ一帯は
あらゆる国々の名曲が
轟き響きわたって
聞こえる。
君には
世の果てはない。
宇宙と共に
三世に永遠!
わが一族も
これまた
三世に永遠!
◆◇◆
おお
生き抜こう!
おお
戦い抜こう!
君も
人生を躍れ!
私も
勝って人生を躍る。
御聖訓には
「上行菩薩の大地より
いで給いしには
をどりてこそ
いで給いしか」と。
優しく そして
燃える忍耐で武装した
壮麗なる わが友よ!
無数に飛び交う
あの白鳥を見つめながら
堂々たる
偉大な人生の勝利を
金星の勝利を
見せつけ給え!
☆いのちの賛歌 心に刻む一節 テーマ:世雄と光る
企画「いのちの賛歌 心に刻む一節」では、御聖訓を胸に、宿命に立ち向かってきた創価学会員の体験を紹介するとともに、池田先生の指導を掲載する。今回は「世雄と光る」をテーマに、福島県の壮年に話を聞いた。
テーマ:世雄と光る
◇御文
『聖人の唱えさせ給う題目の功徳と我れ等が唱へ申す題目の功徳と何程の多少候べきやと云云、更に勝劣あるべからず候』(松野殿御返事、御書1381ページ)
◇通解
聖人の唱えられる題目の功徳と我々が唱える題目の功徳に、どれほどの相違があるのかとの質問であるが、題目の功徳にはまったく勝劣はない。
◇決定した祈りで道を開く
◇会社の経営危機を乗り越えて
2007年(平成19年)の春先。福島市にある建設会社の代表取締役に就任したばかりの佐藤敏清さん(63)=福島・伊達常勝県長=は、事務所で一人、腕組みをして目をつむっていた。折からの不況のあおりを受け、経営はすでに傾いていた。多額の負債もあった。「どうするか……」。小さくうめいた。
◇
佐藤さんは高校を卒業後、職を転々とし、23歳の頃、友人の父親が役員を務めていた現在の建設会社に誘われて入った。
建築現場で汗を流しながら、学会では男子部として求道の炎を燃やした。折伏にも地道に挑み、師との原点を築いてきた。
会社の前代表取締役から後継の打診を受けたのは06年ごろ。50歳を目前にした時だった。佐藤さんは、恩義も思い入れもある会社だけに、悩んだ。そして、恩返しの思いもあって、引き受けることにしたという。
「その時点で、会社の経営が厳しいことは分かっていました。けれど、『信心してっから、何とかなっぺ』という、負けん気の方が強かったんです」
会社は、佐藤さんの就任前から赤字が続いていた。
その後、世界的な経済危機や、公共事業の削減などの影響によって、福島市内の建設業界もじわじわと体力を奪われる中、佐藤さんの会社も土俵の際に追い込まれていく。毎年積み重なる債務は、いつしか数千万円規模にまで膨らんでいた。
「周りの同業者たちもバタバタと倒れていった。つぶれずとも、経営は"瀕死の状態"という会社ばかり。うちも、いつ倒産してもおかしくないような状況でした」
社員と共に佐藤さんも営業に動いたが、新たな受注はほとんど無かった。社員への給料の遅配や、リストラも余儀なくされる。去っていく社員の背中を見るのは、つらかった。
当時、学会では支部長を務めていた佐藤さん。「どうしたらいいんだって、悩みに悩みました。自分がここで負ければ、学会に泥を塗ることになると思って」と振り返る。
この時に拝した御書が、「聖人の唱えさせ給う題目の功徳と我れ等が唱へ申す題目の功徳」には「更に勝劣あるべからず候」(1381ページ)との一節だった。
師匠と弟子が唱える祈りの功力は、全く同じである——題目の深義を示された御本仏の仰せに、胸を打たれた。
"そうだ! 創価の祈りに不可能は断じてないはずだ。俺の姿で、それを証明してみせる!"
御書に線を引き、命にたたき込むように、佐藤さんは何度も何度も拝した。
「とにかく、祈りました。寝ても覚めても題目しかなかった」
祈るほど、抱いていた焦りや不安が小さくなっていった。「まず、目の前のことに全力を尽くそう!」。心が前を向いた。
営業先では、顧客のどんな要望にも真摯に耳を傾けた。引き受けた仕事は、たとえ規模が小さくても誠心誠意、取り組んだ。
また、どんなに苦しい状況でも、学会活動には一歩も引かなかった。自らの命を磨く唯一の道は、そこにしかないと覚悟を決めていたのだ。
やがて、丁寧な仕事ぶりが評価され、工事の受注数は少しずつ伸びていった。
この間、東日本大震災にも見舞われたが、地域の復興に尽くす中で経営状況は徐々に上向いていく。数年後、数千万円の負債を完済し、会社を安定した軌道に乗せることができた。かつてリストラした社員たちも、呼び戻せた。
「師弟の祈りが合致していった時に、師と同じ不屈の力を湧き出せるんです。"どん底"を経験したからこそ、私はその確信を深めることができました」
今では、県や市の公共事業に元請けとして携われるまでに。これまで、福島市からの2度の優良工事表彰にも輝いた。
「祈って自らの心を定めれば、ぶれなくなる。何があっても右往左往しなくなる。そうなれば、人生で負けることは絶対にありません」
佐藤さんが大切にしている箱の中には、池田先生の指導が掲載された、本紙の過去紙面などがしまってある。
「苦しい時はそれを引っ張り出してきて、何度も読み返す。すると"こんなことで負けてらんねえな!"って気合が入る。常に根本は師弟です」
振り返れば、佐藤さんの人生は「挑戦」の連続だった。
35歳で結婚。第2子が生まれた翌年、39歳で福島大学の経済学部(当時)に社会人枠で入学した。「信心している自分がどこまでやれるのか、試してみたかった」と佐藤さんは笑う。
日中は建築現場で働き、夜は大学に通って授業を受ける日々。当時、学会では地区部長を務めていた。激務が重なり、体調を崩したこともあった。
行き詰まるたび、師の指導を読み返しては、自らの「心」を奮い立たせた。その後、同大学大学院に進み、経済学研究科修士課程を修了している。
経営の厳しい会社を受け継いだのも、ある意味で「挑戦」だった。その横に、いつも笑顔で支え続けてくれた妻がいたからこそ、挑み抜けたことは言うまでもない。
佐藤さんは話す。
「人生、真っすぐな一本道はありえない。紆余曲折は必ずある。挑戦の連続だから、何があっても命をビシッと真っすぐにしてくれる"哲学"が必要なんです。それが、創価の師弟です」
池田先生は語っている。
「『法華経の信心』とは、観念論でも抽象論でもない。現実の社会で勝利するための具体的な智慧を発揮しゆくものでなくてはなりません。
大聖人御自身が、師子王の心で、勝利また勝利の大闘争を続けてこられた。決定した一念にこそ諸天善神も動くのです」(池田大作先生の指導選集〈中〉『人間革命の実践』)
全てに祈り、勝つ!——不屈の信念を貫く佐藤さんの姿に、社会のいかなる激流をも乗り越えていく智慧と情熱が脈打っている。
[教学コンパス]
主に働く世代を対象に実施した、あるアンケート結果によると、「仕事でのやりがい」を感じるために取り組んだこととして、最も多かった回答が、「目の前の仕事に一生懸命取り組む」ということだった。仕事も人生も、眼前の現実に真正面から向き合い、勇気をもって挑んでいく中でこそ、自らが果たすべき使命を見いだしていけるのだろう。
日蓮大聖人は「一丈の堀を越えられない者が、どうして十丈・二十丈もの堀を越えることができるだろうか」(御書912ページ、通解)と仰せだ。私たちの活動もまた、地道な挑戦の連続である。どこまでも信心根本に、まず、目の前のことに粘り強く挑戦する。勇気の歩みを、一歩また一歩と重ねていく。その弛まぬ前進の先に、自らが思ってもみないような幸福境涯が開けることは、御書に照らして間違いないのだ。
明年は「青年・飛躍の年」。偉大な飛躍も、その始まりは「一歩」を踏み出すことから。自身の境涯をさらに開いていく挑戦を、ここから開始したい。(優)
2021年12月23日木曜日
2021.12.23 わが友に贈る
学会は同苦の心で進む
励ましのオアシスだ。
つらい時 苦しい時は
周囲に伝えることも大切。
希望の未来を共に!
立正安国論 P31
『国土乱れん時は先ず鬼神乱る鬼神乱るるが故に万民乱る』
【通解】
国土の乱れるときは、まず鬼神が乱れる。(鬼神すなわち思想が乱れる)思想が乱れるがゆえに万民が乱れる。
名字の言 毎月、座談会で体験発表する多宝会の女性 2021年12月23日
御聖訓の「はたらかさず・つくろわず・もとの儘」(御書759ページ)のごとく純粋な信心を貫く多宝会の女性がいる。その人の振る舞いに毎月の座談会で触れ、心が洗われる1年だった▼彼女は思わぬ悩みに直面した近況を友に報告しては「いやあ、弱りました」とこぼす。だが少しも困っているようには見えない。「悩みが大きい分、題目があがります」と逆境のわが身を全く悲観しない。落胆どころか「変毒為薬の仏法ですから、これからどんなことになるのか、今からドキドキです」と頬を紅潮させるのだ▼こうなると周囲も気になって仕方がない。同志は日々の勤行で彼女の勝利を祈り、エールを送った。そして迎えた翌月の座談会で、彼女が「こんな功徳を頂きました!」と意気軒高に体験発表するのがお決まりだった▼御書に「年は若返り、福は重なるであろう」(1135ページ、通解)とある。池田先生は語る。「若さとは、『動く』ことである。知恵を振り絞り、心を働かせ、何かを為すことだ。どんな境遇にあっても、何とかしようという挑戦の心を忘れないことだ。その人の生命は若い」と▼数え年では毎年正月、年齢に1歳を加える。それでも心はますます若く、信心で前進を期す新年を迎えたい。
寸鉄 2021年12月23日
「是を耳に触るる一切衆生は功徳を得る」御書。勇敢に語れば必ず仏縁に
ふるさと交流期間。顔を合わせれば会話も弾む。友や親戚と絆強める好機
東京・荒川師弟勝利の日。常勝不敗の闘魂は赤々。庶民の連帯で広布拡大!
新立川が師弟原点の日。輝く創価の凱歌の電源地 対話の大旋風をここから
飲酒運転の摘発増加と。「自分は大丈夫」の慢心排して。声掛け合い根絶
〈社説〉 2021・12・23 「岩倉使節団」の出港から150年
◇多様性の時代を開く主体者に
今から150年前の1871年(明治4年)12月23日、不平等条約の改正交渉や欧米諸国の制度・文化の調査を目的とした遣外使節団が横浜を出港した。
正使に岩倉具視、副使に木戸孝允・大久保利通・伊藤博文らと、明治新政府の要人を中心に構成された「岩倉使節団」である。彼らは米国を第一歩として、2年近くかけて12カ国を歴訪し、政治・経済・教育・社会等を視察した。
公式記録や使節団員の手紙等には、先進諸国の発展への驚きがうかがえるとともに、その原動力に冷静な目も向ける。"自主自治の精神"にあふれたある国では、豊かな「民力」から価値を生み出す土壌として「普通の教育」に着目し、別の国では、世界に進出する旺盛な「営業力」に学ぼうとしている(『米欧回覧実記』)。
教員など職業に就く女性が多いことに注目したり、男女同権や婦人参政権を巡る動きに言及したりした記述もある(前掲書)。ただ、その後の日本は、欧米先進国を手本に近代化を急ぐが、男女平等の実現は遅れ続けたといえる。
2024年度から発行予定の新5000円札の"顔"になる津田梅子は、使節団と共に海を渡った留学生の一人だ。7歳で渡米した彼女は、約11年にわたり現地で教育を受けた。帰国後、日本の女子教育の乏しさを憂い、再度の留学を経た後に女子英学塾(後の津田塾大学)を設立。日本の女子高等教育の充実に尽力した。
かつて池田先生は"人類の半分は女性である。その女性の地位が向上し、すぐれた教育を受けられなければ、国際社会で日本が真に重要な地位を得ることはできない。また、日本の真の発展もない"との彼女の先見を紹介した。
翻って本年、世界経済フォーラム(WEF)が公表した「男女格差報告」によると、日本は156カ国中120位。長年の課題とされながら格差が埋まらない。多様な一人一人を大切にする社会の建設へ、本気でかじを切る時だ。
仏法は「桜梅桃李」の多彩な個性の開花を促す哲学である。先月に施行した「創価学会社会憲章」にも「ジェンダー(=社会的性差)平等の実現と女性のエンパワーメント(=内発の力の開花)の推進に貢献」が明記された。
私たちは"多様性の時代を開く主体者"との自覚で、励ましの対話に挑みたい。
☆Switch——共育のまなざし 脳科学から見る「家庭教育」 小児科医・成田奈緒子さんに聞く
◇自分で考え生き抜く力は何歳からでも鍛え直せる」
子育てや教育の視点をスイッチ(転換)する意味を考える企画「Switch——共育のまなざし」。今回は、小児科医で脳科学者の成田奈緒子さんに、「家庭教育」の意義を伺いました。"研究者"の枠を超え、子育てや学校生活に悩む親子の声に耳を傾け、エールを送ってきた成田さん。脳の成長という観点から語る、「これさえ頑張れば大丈夫」という極意とは——。(聞き手=橋本良太)
◇「助けて」と言える
〈成田さんは最近、神戸大学医学部の同窓生で、ノーベル医学・生理学賞受賞者の山中伸弥教授との共著を出版されました。子育てをテーマに対談され、主要な話題の一つとして「レジリエンス」(乗り越える力)について論じられています〉
卒業以来、約30年ぶりにじっくり語り合いをさせていただきました。"飾るところがなく、ユーモアあふれる山中君"の人柄は、大学時代のままでした。子育てや社会のことについて論じ、多くの共通点を見いだせたことは驚きであり、うれしくもありました。
私は、発達障がいがある人の脳の研究を行っています。「レジリエンス」は、「自己肯定感」、周囲の人との関係を保つ「社会性」、周囲の人から助けられている実感「ソーシャルサポート」の3要素から成り立ちます。脳のトレーニングを重ね、脳波の分布を測定すると、ソーシャルサポートの点数が、最も上がりやすいことが分かりました。三つのうちの一つでも向上すれば、合計点としてのレジリエンスも上がる。発達障がいのある人が、社会での生きづらさを解消することにつながればと思い、研究を続けてきました。
このレジリエンス、特に「ソーシャルサポート」は"障がいのない人にも重要な意味をもつ"ということが、私と山中先生が一致したところです。ソーシャルサポートは、周りに対して「おかげさまと思える力」であり、それは、誰かに「『助けて』と言える力」でもあります。
山中先生とは研究者の世界を例に語り合ったのですが、"自分で考え、問いを立て、周りの助けも得ながら、何かを生み出していく"こと。それは、生きること全般に通じる力だと思います。そうした力を養うには、家庭教育から変えていくしかないと私は感じています。
◇早寝・早起き・朝ごはん
〈脳科学の観点から「家庭教育」が果たす役割とは何でしょうか〉
人間の機能の大部分は脳が担っており、子どもの発達を、ほぼ「脳の育ち」と考えても間違いではありません。「脳育て」には守るべき順番とバランスがあります。
最初にきちんと育てるべきなのは、寝ること、起きること、食べること、体を動かすことをつかさどる"からだの脳"(間脳や脳幹など)です。これは、生まれてから、5年くらいをかけて育っていきます。
次に1歳ごろから"おりこうさんの脳"(大脳新皮質)が成長し始めます。言語機能や細かな運動、思考などをつかさどり、18歳くらいまでの時間をかけて育ちます。
最後に育つのが、"こころの脳"です。大脳新皮質の中でも最も高度な働きをもつ「前頭葉」を用いて論理的思考を行います。人間の脳はだいたい10歳を過ぎたころから"からだの脳"で起こる欲求や情動を前頭葉までつなぐ神経回路が構築されていきます。
この順番を知った上で、バランスよく「脳育て」を行うことが大切です。例えば"からだの脳"を育てるべき時に、塾や習い事にたくさんの時間を使って夜更かしをしては、本末転倒です。「脳育て」のやり方は多岐にわたりますが、基本は「早寝・早起きをさせて、しっかり朝ごはんを食べさせる」。この生活習慣を確立することが家庭教育の担う一番重要なところで、それができれば、全てうまくいくといっても言い過ぎではありません。
〈共著では山中教授が「そこ、言い切るんですね」と述べています〉
はい、断言します(笑い)。私は2014年に"専門家集団による親子支援の場"として「子育て科学アクシス」を立ち上げました。正しい知識を得ていた親御さんの子どもたちは、「早寝・早起き・朝ごはん」を継続していたことで、コロナ禍の生活環境の変化にも影響されないばかりか、それを実践する以前に抱えていた心身の不調をも解消することができました。私自身が目にしてきた実例が多くあります。
◇親の不安が子どもに
〈成田さんは児童相談所や発達障がい者支援センターの嘱託医も務め、多くの親子に助言を送ってこられました。子どもたちは何に悩み、さらにコロナ禍の中、どのようなストレスを感じているのでしょうか〉
コロナ禍の前から多く見られたのは、学校で"荒れている子"が、家では別人のように従順でおとなしいケース。親に見捨てられるのが不安で、家では絶対に暴れないし、親の言いなりになっている。そのストレスが学校で爆発するのです。
私が接する親御さんには「『ええかっこしい』をやめよう」と伝えてきました。日本では長年、多くの親が「世間体」を気にし、わが子に対して「こうなってほしい」というレールを敷いてきたように思います。そのレールから外れることが心配で世話を焼く。それでは、子どもたちは自分の本音を言えません。
子どもが学校でストレスにさらされることもあります。学校は社会の在りようを伝える場でもあり、どうしても指示が多くなる。私が見学した特別支援学校でも、まず「おはようございます」と言えるまでは、それ以降の授業を開始しないということがありました。
そしてコロナ禍の中で、学校での指示は、さらに拡大し、顕著になりました。マスクの着用や、手洗いうがい、ご飯を食べる時は「黙食」(黙って食べる)等です。昨年春の一斉休校の時には、大量の自習教材用のプリントが配布され、外にも遊びに行けない事態も発生しました。
一方で、そうした制約に由来するように見える「ストレスの本質」は何かと考えた時、子どもの不安は、実は大人(親)の不安を体現しているということを感じます。新学期になれば学校に行かせておけばよいという"当たり前"が突然なくなった不安、子どもの自習(学力)に親が責任を持たされるという不安、リモートワークの場合には、働きながらそれを行うという不安も生まれる。
不安になると眠れなくなるので、親が寝る時刻が遅くなり、睡眠不足になります。するとイライラして、つい子どもに当たり、子どももイライラが募り、眠れなくなる——この悪循環です。
先ほど、「早寝・早起き・朝ごはん」を確立できていた家庭が、コロナ禍でも影響を受けなかったとお話ししたのは、そうした理由からです。
◇一人の幸福を皆で
〈幼児期からの生活習慣の確立が大切になりますね〉
脳の成長の目安となる年齢は先ほど述べた通りです。しかし、同時に強調したいのは「子どもの脳は、何歳からでも育て直せます」ということです。生活習慣の確立は、脳に確実に良い変化をもたらします。
親御さんも何かと忙しい現代社会です。「子どもの年齢に合った十分な睡眠時間を取らせる」。その一点を、何とか頑張ってもらえたらと思います。
また、最近の親御さんは真面目です。いろいろな子育ての情報や知識を収集して、"できるだけ早く""完璧に""良い子に"育てたいと思う。しかし、脳が18歳までに育ちあがることを考えると、成果もそれ以降に感じられるようになることが多いはずです。長い目で見守ることも必要です。
今は、親が若い世代であるほど、地域と交流することへの心理的ハードルが高いように思います。ある親御さんは、近隣の方と一度も話をしたことがない中で子育てをしていました。子どもは歌が大好きで、放課後、帰ってくると大声で歌う。親からすると、子どもの声が"ご近所の怒りを買っているのでは?"と不安で、「やめなさい」と、子どもを毎日怒っていたんですね。
私はそのお母さんに、「一度ご近所さんへ、『うちの子がうるさくてご迷惑をお掛けしています』って、あなたから言ってみてください」とお伝えしたんです。数週間後、結果を教えてくれました。「数軒お訪ねしましたが、どの家も、『全然気にしてないわよ』って。むしろ『元気でいいわね』『今はコロナで誰かとお話をすることも少なかったから、訪ねてきてくれてうれしかったわ』って言ってくれました」と。そして「子どものことを怒らなくて済むようになりました」と、笑顔で言っておられました。
ちょっとした触れ合いで、親の不安は減るんですね。地域の中で、道ですれ違った際のあいさつ一つからでも、ご近所の方から声を掛けていただけるといいなと思います。
そして、子どもとの関係性の密度にもよると思いますが、子どもに対しては「いつでも助けるよ。大丈夫だよ」と周囲から伝えることが重要だと思います。冒頭にお話しした「『助けて』と言える力」を育てるには、それを言える環境が大切です。
子どもたちが、"SOSは恥ずかしいことじゃない。あなたは一人で生きているのではない"というメッセージを親から、さらには地域の大人からも感じることができたなら、素晴らしいことです。
少子化が進む今だからこそ、子どもの一人一人に焦点を当て、その幸福を追求することが、社会の未来を豊かにすると思います。
【プロフィル】なりた・なおこ 小児科医・医学博士・公認心理師。神戸大学医学部卒業。米国セントルイスワシントン大学医学部、獨協医科大学、筑波大学基礎医学系を経て、2009年から文教大学教育学部教授。2014年に「子育て科学アクシス」を立ち上げ、代表を務める。『山中教授、同級生の小児脳科学者と子育てを語る』(講談社+α新書、共著)『子どもにいいこと大全』(主婦の友社、監修)『子どもの脳を発達させるペアレンティング・トレーニング 育てにくい子ほどよく伸びる』(合同出版、共著)ほか著作多数。
励ましのオアシスだ。
つらい時 苦しい時は
周囲に伝えることも大切。
希望の未来を共に!
立正安国論 P31
『国土乱れん時は先ず鬼神乱る鬼神乱るるが故に万民乱る』
【通解】
国土の乱れるときは、まず鬼神が乱れる。(鬼神すなわち思想が乱れる)思想が乱れるがゆえに万民が乱れる。
名字の言 毎月、座談会で体験発表する多宝会の女性 2021年12月23日
御聖訓の「はたらかさず・つくろわず・もとの儘」(御書759ページ)のごとく純粋な信心を貫く多宝会の女性がいる。その人の振る舞いに毎月の座談会で触れ、心が洗われる1年だった▼彼女は思わぬ悩みに直面した近況を友に報告しては「いやあ、弱りました」とこぼす。だが少しも困っているようには見えない。「悩みが大きい分、題目があがります」と逆境のわが身を全く悲観しない。落胆どころか「変毒為薬の仏法ですから、これからどんなことになるのか、今からドキドキです」と頬を紅潮させるのだ▼こうなると周囲も気になって仕方がない。同志は日々の勤行で彼女の勝利を祈り、エールを送った。そして迎えた翌月の座談会で、彼女が「こんな功徳を頂きました!」と意気軒高に体験発表するのがお決まりだった▼御書に「年は若返り、福は重なるであろう」(1135ページ、通解)とある。池田先生は語る。「若さとは、『動く』ことである。知恵を振り絞り、心を働かせ、何かを為すことだ。どんな境遇にあっても、何とかしようという挑戦の心を忘れないことだ。その人の生命は若い」と▼数え年では毎年正月、年齢に1歳を加える。それでも心はますます若く、信心で前進を期す新年を迎えたい。
寸鉄 2021年12月23日
「是を耳に触るる一切衆生は功徳を得る」御書。勇敢に語れば必ず仏縁に
ふるさと交流期間。顔を合わせれば会話も弾む。友や親戚と絆強める好機
東京・荒川師弟勝利の日。常勝不敗の闘魂は赤々。庶民の連帯で広布拡大!
新立川が師弟原点の日。輝く創価の凱歌の電源地 対話の大旋風をここから
飲酒運転の摘発増加と。「自分は大丈夫」の慢心排して。声掛け合い根絶
〈社説〉 2021・12・23 「岩倉使節団」の出港から150年
◇多様性の時代を開く主体者に
今から150年前の1871年(明治4年)12月23日、不平等条約の改正交渉や欧米諸国の制度・文化の調査を目的とした遣外使節団が横浜を出港した。
正使に岩倉具視、副使に木戸孝允・大久保利通・伊藤博文らと、明治新政府の要人を中心に構成された「岩倉使節団」である。彼らは米国を第一歩として、2年近くかけて12カ国を歴訪し、政治・経済・教育・社会等を視察した。
公式記録や使節団員の手紙等には、先進諸国の発展への驚きがうかがえるとともに、その原動力に冷静な目も向ける。"自主自治の精神"にあふれたある国では、豊かな「民力」から価値を生み出す土壌として「普通の教育」に着目し、別の国では、世界に進出する旺盛な「営業力」に学ぼうとしている(『米欧回覧実記』)。
教員など職業に就く女性が多いことに注目したり、男女同権や婦人参政権を巡る動きに言及したりした記述もある(前掲書)。ただ、その後の日本は、欧米先進国を手本に近代化を急ぐが、男女平等の実現は遅れ続けたといえる。
2024年度から発行予定の新5000円札の"顔"になる津田梅子は、使節団と共に海を渡った留学生の一人だ。7歳で渡米した彼女は、約11年にわたり現地で教育を受けた。帰国後、日本の女子教育の乏しさを憂い、再度の留学を経た後に女子英学塾(後の津田塾大学)を設立。日本の女子高等教育の充実に尽力した。
かつて池田先生は"人類の半分は女性である。その女性の地位が向上し、すぐれた教育を受けられなければ、国際社会で日本が真に重要な地位を得ることはできない。また、日本の真の発展もない"との彼女の先見を紹介した。
翻って本年、世界経済フォーラム(WEF)が公表した「男女格差報告」によると、日本は156カ国中120位。長年の課題とされながら格差が埋まらない。多様な一人一人を大切にする社会の建設へ、本気でかじを切る時だ。
仏法は「桜梅桃李」の多彩な個性の開花を促す哲学である。先月に施行した「創価学会社会憲章」にも「ジェンダー(=社会的性差)平等の実現と女性のエンパワーメント(=内発の力の開花)の推進に貢献」が明記された。
私たちは"多様性の時代を開く主体者"との自覚で、励ましの対話に挑みたい。
☆Switch——共育のまなざし 脳科学から見る「家庭教育」 小児科医・成田奈緒子さんに聞く
◇自分で考え生き抜く力は何歳からでも鍛え直せる」
子育てや教育の視点をスイッチ(転換)する意味を考える企画「Switch——共育のまなざし」。今回は、小児科医で脳科学者の成田奈緒子さんに、「家庭教育」の意義を伺いました。"研究者"の枠を超え、子育てや学校生活に悩む親子の声に耳を傾け、エールを送ってきた成田さん。脳の成長という観点から語る、「これさえ頑張れば大丈夫」という極意とは——。(聞き手=橋本良太)
◇「助けて」と言える
〈成田さんは最近、神戸大学医学部の同窓生で、ノーベル医学・生理学賞受賞者の山中伸弥教授との共著を出版されました。子育てをテーマに対談され、主要な話題の一つとして「レジリエンス」(乗り越える力)について論じられています〉
卒業以来、約30年ぶりにじっくり語り合いをさせていただきました。"飾るところがなく、ユーモアあふれる山中君"の人柄は、大学時代のままでした。子育てや社会のことについて論じ、多くの共通点を見いだせたことは驚きであり、うれしくもありました。
私は、発達障がいがある人の脳の研究を行っています。「レジリエンス」は、「自己肯定感」、周囲の人との関係を保つ「社会性」、周囲の人から助けられている実感「ソーシャルサポート」の3要素から成り立ちます。脳のトレーニングを重ね、脳波の分布を測定すると、ソーシャルサポートの点数が、最も上がりやすいことが分かりました。三つのうちの一つでも向上すれば、合計点としてのレジリエンスも上がる。発達障がいのある人が、社会での生きづらさを解消することにつながればと思い、研究を続けてきました。
このレジリエンス、特に「ソーシャルサポート」は"障がいのない人にも重要な意味をもつ"ということが、私と山中先生が一致したところです。ソーシャルサポートは、周りに対して「おかげさまと思える力」であり、それは、誰かに「『助けて』と言える力」でもあります。
山中先生とは研究者の世界を例に語り合ったのですが、"自分で考え、問いを立て、周りの助けも得ながら、何かを生み出していく"こと。それは、生きること全般に通じる力だと思います。そうした力を養うには、家庭教育から変えていくしかないと私は感じています。
◇早寝・早起き・朝ごはん
〈脳科学の観点から「家庭教育」が果たす役割とは何でしょうか〉
人間の機能の大部分は脳が担っており、子どもの発達を、ほぼ「脳の育ち」と考えても間違いではありません。「脳育て」には守るべき順番とバランスがあります。
最初にきちんと育てるべきなのは、寝ること、起きること、食べること、体を動かすことをつかさどる"からだの脳"(間脳や脳幹など)です。これは、生まれてから、5年くらいをかけて育っていきます。
次に1歳ごろから"おりこうさんの脳"(大脳新皮質)が成長し始めます。言語機能や細かな運動、思考などをつかさどり、18歳くらいまでの時間をかけて育ちます。
最後に育つのが、"こころの脳"です。大脳新皮質の中でも最も高度な働きをもつ「前頭葉」を用いて論理的思考を行います。人間の脳はだいたい10歳を過ぎたころから"からだの脳"で起こる欲求や情動を前頭葉までつなぐ神経回路が構築されていきます。
この順番を知った上で、バランスよく「脳育て」を行うことが大切です。例えば"からだの脳"を育てるべき時に、塾や習い事にたくさんの時間を使って夜更かしをしては、本末転倒です。「脳育て」のやり方は多岐にわたりますが、基本は「早寝・早起きをさせて、しっかり朝ごはんを食べさせる」。この生活習慣を確立することが家庭教育の担う一番重要なところで、それができれば、全てうまくいくといっても言い過ぎではありません。
〈共著では山中教授が「そこ、言い切るんですね」と述べています〉
はい、断言します(笑い)。私は2014年に"専門家集団による親子支援の場"として「子育て科学アクシス」を立ち上げました。正しい知識を得ていた親御さんの子どもたちは、「早寝・早起き・朝ごはん」を継続していたことで、コロナ禍の生活環境の変化にも影響されないばかりか、それを実践する以前に抱えていた心身の不調をも解消することができました。私自身が目にしてきた実例が多くあります。
◇親の不安が子どもに
〈成田さんは児童相談所や発達障がい者支援センターの嘱託医も務め、多くの親子に助言を送ってこられました。子どもたちは何に悩み、さらにコロナ禍の中、どのようなストレスを感じているのでしょうか〉
コロナ禍の前から多く見られたのは、学校で"荒れている子"が、家では別人のように従順でおとなしいケース。親に見捨てられるのが不安で、家では絶対に暴れないし、親の言いなりになっている。そのストレスが学校で爆発するのです。
私が接する親御さんには「『ええかっこしい』をやめよう」と伝えてきました。日本では長年、多くの親が「世間体」を気にし、わが子に対して「こうなってほしい」というレールを敷いてきたように思います。そのレールから外れることが心配で世話を焼く。それでは、子どもたちは自分の本音を言えません。
子どもが学校でストレスにさらされることもあります。学校は社会の在りようを伝える場でもあり、どうしても指示が多くなる。私が見学した特別支援学校でも、まず「おはようございます」と言えるまでは、それ以降の授業を開始しないということがありました。
そしてコロナ禍の中で、学校での指示は、さらに拡大し、顕著になりました。マスクの着用や、手洗いうがい、ご飯を食べる時は「黙食」(黙って食べる)等です。昨年春の一斉休校の時には、大量の自習教材用のプリントが配布され、外にも遊びに行けない事態も発生しました。
一方で、そうした制約に由来するように見える「ストレスの本質」は何かと考えた時、子どもの不安は、実は大人(親)の不安を体現しているということを感じます。新学期になれば学校に行かせておけばよいという"当たり前"が突然なくなった不安、子どもの自習(学力)に親が責任を持たされるという不安、リモートワークの場合には、働きながらそれを行うという不安も生まれる。
不安になると眠れなくなるので、親が寝る時刻が遅くなり、睡眠不足になります。するとイライラして、つい子どもに当たり、子どももイライラが募り、眠れなくなる——この悪循環です。
先ほど、「早寝・早起き・朝ごはん」を確立できていた家庭が、コロナ禍でも影響を受けなかったとお話ししたのは、そうした理由からです。
◇一人の幸福を皆で
〈幼児期からの生活習慣の確立が大切になりますね〉
脳の成長の目安となる年齢は先ほど述べた通りです。しかし、同時に強調したいのは「子どもの脳は、何歳からでも育て直せます」ということです。生活習慣の確立は、脳に確実に良い変化をもたらします。
親御さんも何かと忙しい現代社会です。「子どもの年齢に合った十分な睡眠時間を取らせる」。その一点を、何とか頑張ってもらえたらと思います。
また、最近の親御さんは真面目です。いろいろな子育ての情報や知識を収集して、"できるだけ早く""完璧に""良い子に"育てたいと思う。しかし、脳が18歳までに育ちあがることを考えると、成果もそれ以降に感じられるようになることが多いはずです。長い目で見守ることも必要です。
今は、親が若い世代であるほど、地域と交流することへの心理的ハードルが高いように思います。ある親御さんは、近隣の方と一度も話をしたことがない中で子育てをしていました。子どもは歌が大好きで、放課後、帰ってくると大声で歌う。親からすると、子どもの声が"ご近所の怒りを買っているのでは?"と不安で、「やめなさい」と、子どもを毎日怒っていたんですね。
私はそのお母さんに、「一度ご近所さんへ、『うちの子がうるさくてご迷惑をお掛けしています』って、あなたから言ってみてください」とお伝えしたんです。数週間後、結果を教えてくれました。「数軒お訪ねしましたが、どの家も、『全然気にしてないわよ』って。むしろ『元気でいいわね』『今はコロナで誰かとお話をすることも少なかったから、訪ねてきてくれてうれしかったわ』って言ってくれました」と。そして「子どものことを怒らなくて済むようになりました」と、笑顔で言っておられました。
ちょっとした触れ合いで、親の不安は減るんですね。地域の中で、道ですれ違った際のあいさつ一つからでも、ご近所の方から声を掛けていただけるといいなと思います。
そして、子どもとの関係性の密度にもよると思いますが、子どもに対しては「いつでも助けるよ。大丈夫だよ」と周囲から伝えることが重要だと思います。冒頭にお話しした「『助けて』と言える力」を育てるには、それを言える環境が大切です。
子どもたちが、"SOSは恥ずかしいことじゃない。あなたは一人で生きているのではない"というメッセージを親から、さらには地域の大人からも感じることができたなら、素晴らしいことです。
少子化が進む今だからこそ、子どもの一人一人に焦点を当て、その幸福を追求することが、社会の未来を豊かにすると思います。
【プロフィル】なりた・なおこ 小児科医・医学博士・公認心理師。神戸大学医学部卒業。米国セントルイスワシントン大学医学部、獨協医科大学、筑波大学基礎医学系を経て、2009年から文教大学教育学部教授。2014年に「子育て科学アクシス」を立ち上げ、代表を務める。『山中教授、同級生の小児脳科学者と子育てを語る』(講談社+α新書、共著)『子どもにいいこと大全』(主婦の友社、監修)『子どもの脳を発達させるペアレンティング・トレーニング 育てにくい子ほどよく伸びる』(合同出版、共著)ほか著作多数。
2021年12月22日水曜日
2021.12.22 わが友に贈る
リーダーはいかなる時も
会員のプライバシーを
絶対に厳守すること!
同志からの信頼こそ
揺るがぬ発展の礎だ。
聖愚問答抄上 P499
『大智舎利弗も法華経には信を以て入る其の智分の力にはあらず況や自余の声聞をや』
【通解】
大智慧の舎利弗も、法華経には、信によって入ることができたのである。その智慧の力によってではない。まして、その他の声聞はいうまでもない。
名字の言 冬至から春に向かって 2021年12月22日
きょうは冬至。昼が最も短く、夜が最も長い日。昼が最も長い夏至と日照時間を比べると、冬至の方が約5時間も短い▼「新聞配達を始めてから四季の変化を実感します。今の時季は、夜明け前の星空がとても美しいんです」。こう語るのは、本紙を配達する壮年。吐く息は白く、身も震える冬の朝だが、「一軒一軒、聖教新聞をポストに入れる時、言葉では言い表せない喜びに満たされます」▼雨の日もある。雪の日もある。風の強い日もある。毎朝が自分との戦いである。新聞配達を経験した、池田先生の呼び掛けがよみがえる。「皆が 祈る。/皆が祈らなくてはならない。/大切な大切な/使命ある広布の走者の/無事故と健康を!/家族ぐるみで/支えてくださっている/御一家の御多幸を!」(長編詩「希望の道 栄光の朝」)▼長年、病気と闘う山口県の読者から手紙を頂いた。「日々、聖教新聞から勇気と希望をもらい、前に前に進むことができています。毎日、励ましの声が聞こえてきます。必ず勝利の実証を示します」。この言葉を聞いた先の壮年は、使命を新たにした▼冬至の日から春に向かい、日脚は確実に伸びていく。「冬は必ず春となる」(御書1253ページ)。われらの人生の軌道である。
寸鉄 2021年12月22日
試練の山を一つ切り抜ける度に成仏の境涯となる—恩師。全て飛躍の糧と
統監部の日。広布支える陰の献身に感謝。一人を大切にする組織は大発展
不得意に挑む中で自分の価値が発揮—牧口先生。己に勝つのが成長の王道
割引・値引謳う「ふるさと納税」偽サイトに注意を。事前に自治体のHP確認
きょう冬至。厳寒の今こそ適度な睡眠心掛け体調管理。祈り根本で聡明に
〈社説〉 2021・12・22 きょう「統監部の日」
◇広布の飛躍を支える聖業
きょう22日は「統監部の日」。1952年(昭和27年)の同日、第2代会長・戸田城聖先生のもとで地方統監部が設置されたことが淵源である。若き池田先生が蒲田支部幹事として当時の弘教の限界を打ち破った「二月闘争」もこの年。戸田先生の願業75万世帯達成へと飛躍的に発展する学会にあって、その実勢を常に正確に把握し、広布推進の基盤となりゆく使命を担ったのが「統監部」であった。
小説『人間革命』には、「大阪の戦い」の中で、統監作業に励む友を山本伸一が激励する場面がつづられている。
「このような縁の下の仕事こそ、まさに、陰徳を積む仕事です。誰に知られなくとも、広宣流布の中枢の仕事であることは、間違いありません。陰徳は、必ず陽報となって顕れます」(第10巻「一念」の章)
師と心を合わせて、「正確・明確」「基本を大切に」「広布伸展を支える」の3モットーを貫いてきた同部の友。繁多な作業を、人知れず積み重ねてきた労苦ありて今日の世界広布がある。
明「青年・飛躍の年」は統監部結成70周年の節を刻む。2月の統監作業から「新システム」が導入される。地区統監シートも改訂され、各地の会館から同シートをファクス送信していた従来の作業から、スマートフォン等の専用アプリでシートを撮影して送信できるよう、大幅にリニューアルされることになっている。
池田先生は、「日本国の四十九億九万四千八百二十八人の男女各父母有りといへども其の詮を尋ぬれば教主釈尊の御子なり」(御書1369ページ。当時の「1億」は現在の「10万」に当たる)を拝し、日蓮大聖人が当時の総人口や男女別の人数、郡や郷の数などを詳細に把握されていたことに言及しつつ、統監部の友に指針を贈った。
「一つ一つの数字に一人一人の人生がある。一人ももれなく断じて幸福に、との御本仏の祈りが拝される。このお心に連なる聖業を、統監部の皆さまは担い立たれている。一枚の統監カードは『一人の生命』なり。地道にして労多き陰徳に、勝利の陽報を確信してやまない」と。
広布拡大を支える尊き同志の聖業に心から感謝しつつ、皆が青年の心意気で、眼前の一人に希望と勇気を送る励ましの対話に、いや増して勢いよく打って出たい。
☆Switch——共育のまなざし わが子の不登校と病を経て 2021年12月8日
◇「生まれてきた」それだけで素晴らしい
その母子に初めてお会いしたのは、2016年1月7日。中部の未来部育成の現場を取材しようと名古屋市の中部平和会館を訪れた折のことでした。「みんなを笑顔にする"明るい不登校の子"がいます」と紹介されたのが、谷俊太さんです。当時16歳。隣には、優しく笑みをたたえる母・千恵美さん(白ゆり長)の姿もありました。俊太さんが脳腫瘍を発症したのは18年12月。昨年の春に二十歳でその生涯を閉じる瞬間まで、皆に希望を送る俊太さんの生き方は全く変わりませんでした。不登校、そして病の意味さえも転換する姿を通して「わが子が教えてくれたこと、残してくれたものがあるんです」。そう千恵美さんは変わらぬほほ笑みで語ります。愛知・稲沢市のご自宅を訪ね、母子の歩みを振り返っていただきました。(記事=大宮将之)
◇使命の子ども
「お母さんを苦しめて、本当にごめんね」
小学6年の5月に不登校になって以来、俊太さんはそんな思いにずっと、さいなまれていたという。行けなくなった理由は"学校に対する恐怖心"だった。
学級担任が"説得"しようと自宅まで来たことがある。「みんながとても心配しているんだぞ!」。うつむいたままの俊太さんの隣で、千恵美さんは頭を下げ続けた。俊太さんは中学校に入学しても、通うことはできなかった。
登校するのは当たり前。不登校は不幸なこと——社会に根付く同調圧力が、母と子に重くのしかかる。学会の婦人部(当時)の先輩が中部平和会館で開かれている教育本部の「相談室」を勧めてくれたのは2012年の秋だった。
千恵美さんは躊躇した。一家の中で学会員は自分だけ。俊太さんも、長男の祐樹さんも夫も、信心をしていない。「それでも大丈夫よ。全ての子どもたちの幸せのために学会はあるんだから!」と先輩から背中を押され、千恵美さんはわが子を連れて相談室を訪れた。
教育本部の友は温かく迎えてくれた。「不登校は未来の可能性を左右するものではありません。むしろ俊太君は、旧来の価値観にとらわれている学校や社会を変えていける"使命の子"なんです」
俊太さんにとって、学会は"安心の居場所"となった。
ある晩、自宅の御本尊に題目を唱えていた千恵美さんの隣に、そっと俊太さんが座った。「僕もやってみたい」
その唱題の声が次第に大きくなっていく。感じるものがあったのだろう。ほおを紅潮させながら彼が放った言葉は「こんなにすごい"秘密兵器"を、どうして早く教えてくれなかったの!?」。
別に秘密にしていたわけでは……母は思わず、笑ってしまった。
◇会館での写真展
中部平和会館で、千恵美さんは多くの出会いを結んだ。教育本部の友や、俊太さんと同じ不登校の子たちである。
共感してくれる人の輪の中で、俊太さんも元気を取り戻していく。本来はおしゃべり好きな彼の朗らかさが、周囲にも笑顔を広げた。
彼がカメラを得意とすることを知った同志が「この会館で俊太君の写真展をやろう」と提案したのは、2013年3月のこと。千恵美さんは未入会の夫や長男、親戚をはじめ、俊太さんが籍を置く中学校の教員を招待した。
会館に足を運んだ皆が感嘆した。俊太さんの優しいまなざしが伝わる一葉一葉に、そして彼が生き生きと案内をしてくれる、その姿に——。
以来、彼は創価家族との日々もカメラで切り取るようになる。写真展も回を重ねた。
「僕、学会に入りたい」。俊太さんは母に申し出た。彼の成長する姿に触れ、兄の祐樹さんも続いた。
俊太さんは"明るい不登校の子"として中学生活を終えて通信制の高校へ。記者が彼と出会ったのは、その頃である。大好きなアニメ「機動戦士ガンダム」の話や趣味の落語の小噺を、うれしそうにしてくれた姿が忘れられない。
千恵美さんは語っていた。「何年も学校に行けないわが子を信じて待ち続けるのは、難しいものです。親がブレてはダメだと頭で分かってはいても、ささいなことに一喜一憂してしまう……」
そんな時、いつも「大丈夫だよ」と信じ、励まし続けてくれたのが、学会の同志だった。「皆さんに大きく包んでもらうことで、俊太が安心して伸び伸びと成長していく姿を見ていると、変わらなきゃいけないのは親の私の方だ」と気付いたという。
「うちも悩みは同じだよー」と、一緒に泣いたり笑ったりできる学会のお母さん仲間たち。人の心に敏感で、優しさに満ちた不登校の未来部員たち——俊太さんが"普通"に学校に通っていたら、出会うこともなかったに違いない。そう思うと、わが子への感謝があふれてくる。
2018年4月2日、俊太さんは創価大学の通信教育部に入学した。爛漫の桜花に包まれるキャンパスで、母と子は一枚の写真に納まった。
◇「幸せだなあ」
その同じ年に俊太さんが病に侵されることを、誰が想像しただろう。
12月に脳腫瘍を発症し、入院生活へ。検査の結果は絶望的。千恵美さんは足元が崩れ落ちるような衝撃に襲われ、不安で夜も眠れない。
俊太さんと一緒に手紙を書いた。彼が、便箋いっぱいに大きく記した言葉は「池田先生、絶対に負けません!」。わが子が固めた師への誓い。母も共戦の決意が定まった。"冬を必ず春にする"。その一心で唱題を重ねた。長男の祐樹さんも、地域の同志も、皆が真剣に祈ってくれた。
2019年4月5日、迎えた手術日の朝。俊太さんは目を覚ますや、「なんか幸せだなあ。生きてるって素晴らしい。皆さんに感謝」と言って手を合わせたという。14時間に及ぶ大手術は成功した。
順調に回復していくかと思われた時、恐れていた再発が分かる。動揺する千恵美さんを鼓舞したのは、むしろ俊太さんの姿だった。抗がん剤治療の影響で髪の毛が全て抜け落ち、日に日に体が衰弱して歩けなくなっても全く嘆くことがない。見舞いに来る人たちに冗談を飛ばし、笑顔で励ましてさえいる。医師や看護師にも感謝の言葉を掛けた。主治医から「説明がつかない」と言われるほどの回復の兆しを、何度も見せた。
「この時ほど、題目の力を実感したことはありません」と千恵美さんは言う。病室で俊太さんと共に題目を唱えていると、彼を知る何百人という中部の同志と"唱題会"をしているような感覚を覚えた。連日届く励ましのメールにも、どれほど勇気をもらったか。
御聖訓に「植えた木であっても、強い支柱で支えれば、大風が吹いても倒れない」(御書1468ページ、通解)とある。千恵美さんがそれまでイメージしていたのは2、3本の柱で木を支えている姿だったという。しかし「闘病中の実感は、とてつもなく太い支柱で何重にも囲まれて、倒れる隙間もない。これなら絶対に倒れるわけがない——そんな感じでした」。
それは、俊太さんの実感でもあったに違いない。病床で「なんかよく分からないけれど、幸せだなあ」という言葉を幾たびも口にした。思えば小学6年で不登校になった頃に、「死のう」とさえ思っていた彼である。それが、心から信じられる創価家族と出会い、「生まれてきたこと、生きていること、それがどれほど素晴らしいことか」と学んだ。病との闘いの中にあっても、そのことを生命の底から実感していた。
——満開の桜が輝いていた2020年4月2日、俊太さんは緩和ケア病棟へ。同月18日の朝、大好きな両親と兄に見守られながら、安らかに霊山へと旅立った。
◇未来に開く宝箱
闘病中の俊太さんが、母と病室で毎日、していたことがある。それは「ありがとう合戦」。俊太さんが「お母さんは、世界一のお母さんだよ。ありがとう」と言うと、千恵美さんは「こちらこそ。俊太は世界一の子だよ。ありがとう」と応える。すると、「いやいや、こちらこそありがとう」と返され、「いやいやいや、こちらこそありがとうだよ」と続くのである。
俊太さんに「ありがとう」を伝えたのは、母だけではない。同志の善意でまとめられた彼への追悼集が、四十九日の折に家族のもとに届けられた。言葉を寄せた友は120人余。不登校の時代を共にした仲間や、がんとの闘病中だという同志からのメッセージもあった。誰もが俊太さんから「生きる希望をもらった」という人ばかりだ。
今も千恵美さんは俊太さんの写真を見つめると、ほおをぬらすことがある。だがそれは、悲しみの涙ではなく「温かいもの」だという。もちろん寂しくないと言えばウソになる。それでもわが子の生命の輝きを思い出すたび、胸にあふれるのは「ありがとう」の言葉にほかならない。
「俊太は私の未来に『出会い』や『感動』という"宝箱"を散りばめ、残してくれたんだと思います」。不登校の中で悩みを共に乗り越えた未来部員の活躍を聞くたび、俊太さんの体験談が縁となって新たな出会いを結ぶたび、宝箱が一つまた一つと開いたような気持ちになる。
◇わが子よ、ありがとう!
池田先生は語っている。
「親子の縁は不思議です。三世の生命観から見れば、どれほどの深い絆で結ばれていることか。その子どもが、自分に、そしてまた家族に、最高の生き方へと進むきっかけを与えてくれるのです。それを親が、どう受けとめるかで、親も子どもも、大きく人生が変わってくる。どんな苦しみがあっても、どんな試練があっても、『わが子よ、生まれてきてくれて、ありがとう』——こう、心から言えるようになった時、親子はともに、幸福の方向へ進んでいけるのではないでしょうか」
わが子は何のために生まれてきたのか。今もなお、たくさんの人たちから俊太さんに寄せられる「ありがとう」の言葉を大切にしながら、千恵美さんは心に期している。
「これからも、いろいろな場面で"俊太の使命は、これだったのか"と感じることがあるはず。私が成長した分だけ、もっと深い俊太の使命を感じられるようになるかもしれません。そう思うと私にとって、心の中で生きる俊太と共に歩み、共に育つ"共育"はずっと続いていくんです」
会員のプライバシーを
絶対に厳守すること!
同志からの信頼こそ
揺るがぬ発展の礎だ。
聖愚問答抄上 P499
『大智舎利弗も法華経には信を以て入る其の智分の力にはあらず況や自余の声聞をや』
【通解】
大智慧の舎利弗も、法華経には、信によって入ることができたのである。その智慧の力によってではない。まして、その他の声聞はいうまでもない。
名字の言 冬至から春に向かって 2021年12月22日
きょうは冬至。昼が最も短く、夜が最も長い日。昼が最も長い夏至と日照時間を比べると、冬至の方が約5時間も短い▼「新聞配達を始めてから四季の変化を実感します。今の時季は、夜明け前の星空がとても美しいんです」。こう語るのは、本紙を配達する壮年。吐く息は白く、身も震える冬の朝だが、「一軒一軒、聖教新聞をポストに入れる時、言葉では言い表せない喜びに満たされます」▼雨の日もある。雪の日もある。風の強い日もある。毎朝が自分との戦いである。新聞配達を経験した、池田先生の呼び掛けがよみがえる。「皆が 祈る。/皆が祈らなくてはならない。/大切な大切な/使命ある広布の走者の/無事故と健康を!/家族ぐるみで/支えてくださっている/御一家の御多幸を!」(長編詩「希望の道 栄光の朝」)▼長年、病気と闘う山口県の読者から手紙を頂いた。「日々、聖教新聞から勇気と希望をもらい、前に前に進むことができています。毎日、励ましの声が聞こえてきます。必ず勝利の実証を示します」。この言葉を聞いた先の壮年は、使命を新たにした▼冬至の日から春に向かい、日脚は確実に伸びていく。「冬は必ず春となる」(御書1253ページ)。われらの人生の軌道である。
寸鉄 2021年12月22日
試練の山を一つ切り抜ける度に成仏の境涯となる—恩師。全て飛躍の糧と
統監部の日。広布支える陰の献身に感謝。一人を大切にする組織は大発展
不得意に挑む中で自分の価値が発揮—牧口先生。己に勝つのが成長の王道
割引・値引謳う「ふるさと納税」偽サイトに注意を。事前に自治体のHP確認
きょう冬至。厳寒の今こそ適度な睡眠心掛け体調管理。祈り根本で聡明に
〈社説〉 2021・12・22 きょう「統監部の日」
◇広布の飛躍を支える聖業
きょう22日は「統監部の日」。1952年(昭和27年)の同日、第2代会長・戸田城聖先生のもとで地方統監部が設置されたことが淵源である。若き池田先生が蒲田支部幹事として当時の弘教の限界を打ち破った「二月闘争」もこの年。戸田先生の願業75万世帯達成へと飛躍的に発展する学会にあって、その実勢を常に正確に把握し、広布推進の基盤となりゆく使命を担ったのが「統監部」であった。
小説『人間革命』には、「大阪の戦い」の中で、統監作業に励む友を山本伸一が激励する場面がつづられている。
「このような縁の下の仕事こそ、まさに、陰徳を積む仕事です。誰に知られなくとも、広宣流布の中枢の仕事であることは、間違いありません。陰徳は、必ず陽報となって顕れます」(第10巻「一念」の章)
師と心を合わせて、「正確・明確」「基本を大切に」「広布伸展を支える」の3モットーを貫いてきた同部の友。繁多な作業を、人知れず積み重ねてきた労苦ありて今日の世界広布がある。
明「青年・飛躍の年」は統監部結成70周年の節を刻む。2月の統監作業から「新システム」が導入される。地区統監シートも改訂され、各地の会館から同シートをファクス送信していた従来の作業から、スマートフォン等の専用アプリでシートを撮影して送信できるよう、大幅にリニューアルされることになっている。
池田先生は、「日本国の四十九億九万四千八百二十八人の男女各父母有りといへども其の詮を尋ぬれば教主釈尊の御子なり」(御書1369ページ。当時の「1億」は現在の「10万」に当たる)を拝し、日蓮大聖人が当時の総人口や男女別の人数、郡や郷の数などを詳細に把握されていたことに言及しつつ、統監部の友に指針を贈った。
「一つ一つの数字に一人一人の人生がある。一人ももれなく断じて幸福に、との御本仏の祈りが拝される。このお心に連なる聖業を、統監部の皆さまは担い立たれている。一枚の統監カードは『一人の生命』なり。地道にして労多き陰徳に、勝利の陽報を確信してやまない」と。
広布拡大を支える尊き同志の聖業に心から感謝しつつ、皆が青年の心意気で、眼前の一人に希望と勇気を送る励ましの対話に、いや増して勢いよく打って出たい。
☆Switch——共育のまなざし わが子の不登校と病を経て 2021年12月8日
◇「生まれてきた」それだけで素晴らしい
その母子に初めてお会いしたのは、2016年1月7日。中部の未来部育成の現場を取材しようと名古屋市の中部平和会館を訪れた折のことでした。「みんなを笑顔にする"明るい不登校の子"がいます」と紹介されたのが、谷俊太さんです。当時16歳。隣には、優しく笑みをたたえる母・千恵美さん(白ゆり長)の姿もありました。俊太さんが脳腫瘍を発症したのは18年12月。昨年の春に二十歳でその生涯を閉じる瞬間まで、皆に希望を送る俊太さんの生き方は全く変わりませんでした。不登校、そして病の意味さえも転換する姿を通して「わが子が教えてくれたこと、残してくれたものがあるんです」。そう千恵美さんは変わらぬほほ笑みで語ります。愛知・稲沢市のご自宅を訪ね、母子の歩みを振り返っていただきました。(記事=大宮将之)
◇使命の子ども
「お母さんを苦しめて、本当にごめんね」
小学6年の5月に不登校になって以来、俊太さんはそんな思いにずっと、さいなまれていたという。行けなくなった理由は"学校に対する恐怖心"だった。
学級担任が"説得"しようと自宅まで来たことがある。「みんながとても心配しているんだぞ!」。うつむいたままの俊太さんの隣で、千恵美さんは頭を下げ続けた。俊太さんは中学校に入学しても、通うことはできなかった。
登校するのは当たり前。不登校は不幸なこと——社会に根付く同調圧力が、母と子に重くのしかかる。学会の婦人部(当時)の先輩が中部平和会館で開かれている教育本部の「相談室」を勧めてくれたのは2012年の秋だった。
千恵美さんは躊躇した。一家の中で学会員は自分だけ。俊太さんも、長男の祐樹さんも夫も、信心をしていない。「それでも大丈夫よ。全ての子どもたちの幸せのために学会はあるんだから!」と先輩から背中を押され、千恵美さんはわが子を連れて相談室を訪れた。
教育本部の友は温かく迎えてくれた。「不登校は未来の可能性を左右するものではありません。むしろ俊太君は、旧来の価値観にとらわれている学校や社会を変えていける"使命の子"なんです」
俊太さんにとって、学会は"安心の居場所"となった。
ある晩、自宅の御本尊に題目を唱えていた千恵美さんの隣に、そっと俊太さんが座った。「僕もやってみたい」
その唱題の声が次第に大きくなっていく。感じるものがあったのだろう。ほおを紅潮させながら彼が放った言葉は「こんなにすごい"秘密兵器"を、どうして早く教えてくれなかったの!?」。
別に秘密にしていたわけでは……母は思わず、笑ってしまった。
◇会館での写真展
中部平和会館で、千恵美さんは多くの出会いを結んだ。教育本部の友や、俊太さんと同じ不登校の子たちである。
共感してくれる人の輪の中で、俊太さんも元気を取り戻していく。本来はおしゃべり好きな彼の朗らかさが、周囲にも笑顔を広げた。
彼がカメラを得意とすることを知った同志が「この会館で俊太君の写真展をやろう」と提案したのは、2013年3月のこと。千恵美さんは未入会の夫や長男、親戚をはじめ、俊太さんが籍を置く中学校の教員を招待した。
会館に足を運んだ皆が感嘆した。俊太さんの優しいまなざしが伝わる一葉一葉に、そして彼が生き生きと案内をしてくれる、その姿に——。
以来、彼は創価家族との日々もカメラで切り取るようになる。写真展も回を重ねた。
「僕、学会に入りたい」。俊太さんは母に申し出た。彼の成長する姿に触れ、兄の祐樹さんも続いた。
俊太さんは"明るい不登校の子"として中学生活を終えて通信制の高校へ。記者が彼と出会ったのは、その頃である。大好きなアニメ「機動戦士ガンダム」の話や趣味の落語の小噺を、うれしそうにしてくれた姿が忘れられない。
千恵美さんは語っていた。「何年も学校に行けないわが子を信じて待ち続けるのは、難しいものです。親がブレてはダメだと頭で分かってはいても、ささいなことに一喜一憂してしまう……」
そんな時、いつも「大丈夫だよ」と信じ、励まし続けてくれたのが、学会の同志だった。「皆さんに大きく包んでもらうことで、俊太が安心して伸び伸びと成長していく姿を見ていると、変わらなきゃいけないのは親の私の方だ」と気付いたという。
「うちも悩みは同じだよー」と、一緒に泣いたり笑ったりできる学会のお母さん仲間たち。人の心に敏感で、優しさに満ちた不登校の未来部員たち——俊太さんが"普通"に学校に通っていたら、出会うこともなかったに違いない。そう思うと、わが子への感謝があふれてくる。
2018年4月2日、俊太さんは創価大学の通信教育部に入学した。爛漫の桜花に包まれるキャンパスで、母と子は一枚の写真に納まった。
◇「幸せだなあ」
その同じ年に俊太さんが病に侵されることを、誰が想像しただろう。
12月に脳腫瘍を発症し、入院生活へ。検査の結果は絶望的。千恵美さんは足元が崩れ落ちるような衝撃に襲われ、不安で夜も眠れない。
俊太さんと一緒に手紙を書いた。彼が、便箋いっぱいに大きく記した言葉は「池田先生、絶対に負けません!」。わが子が固めた師への誓い。母も共戦の決意が定まった。"冬を必ず春にする"。その一心で唱題を重ねた。長男の祐樹さんも、地域の同志も、皆が真剣に祈ってくれた。
2019年4月5日、迎えた手術日の朝。俊太さんは目を覚ますや、「なんか幸せだなあ。生きてるって素晴らしい。皆さんに感謝」と言って手を合わせたという。14時間に及ぶ大手術は成功した。
順調に回復していくかと思われた時、恐れていた再発が分かる。動揺する千恵美さんを鼓舞したのは、むしろ俊太さんの姿だった。抗がん剤治療の影響で髪の毛が全て抜け落ち、日に日に体が衰弱して歩けなくなっても全く嘆くことがない。見舞いに来る人たちに冗談を飛ばし、笑顔で励ましてさえいる。医師や看護師にも感謝の言葉を掛けた。主治医から「説明がつかない」と言われるほどの回復の兆しを、何度も見せた。
「この時ほど、題目の力を実感したことはありません」と千恵美さんは言う。病室で俊太さんと共に題目を唱えていると、彼を知る何百人という中部の同志と"唱題会"をしているような感覚を覚えた。連日届く励ましのメールにも、どれほど勇気をもらったか。
御聖訓に「植えた木であっても、強い支柱で支えれば、大風が吹いても倒れない」(御書1468ページ、通解)とある。千恵美さんがそれまでイメージしていたのは2、3本の柱で木を支えている姿だったという。しかし「闘病中の実感は、とてつもなく太い支柱で何重にも囲まれて、倒れる隙間もない。これなら絶対に倒れるわけがない——そんな感じでした」。
それは、俊太さんの実感でもあったに違いない。病床で「なんかよく分からないけれど、幸せだなあ」という言葉を幾たびも口にした。思えば小学6年で不登校になった頃に、「死のう」とさえ思っていた彼である。それが、心から信じられる創価家族と出会い、「生まれてきたこと、生きていること、それがどれほど素晴らしいことか」と学んだ。病との闘いの中にあっても、そのことを生命の底から実感していた。
——満開の桜が輝いていた2020年4月2日、俊太さんは緩和ケア病棟へ。同月18日の朝、大好きな両親と兄に見守られながら、安らかに霊山へと旅立った。
◇未来に開く宝箱
闘病中の俊太さんが、母と病室で毎日、していたことがある。それは「ありがとう合戦」。俊太さんが「お母さんは、世界一のお母さんだよ。ありがとう」と言うと、千恵美さんは「こちらこそ。俊太は世界一の子だよ。ありがとう」と応える。すると、「いやいや、こちらこそありがとう」と返され、「いやいやいや、こちらこそありがとうだよ」と続くのである。
俊太さんに「ありがとう」を伝えたのは、母だけではない。同志の善意でまとめられた彼への追悼集が、四十九日の折に家族のもとに届けられた。言葉を寄せた友は120人余。不登校の時代を共にした仲間や、がんとの闘病中だという同志からのメッセージもあった。誰もが俊太さんから「生きる希望をもらった」という人ばかりだ。
今も千恵美さんは俊太さんの写真を見つめると、ほおをぬらすことがある。だがそれは、悲しみの涙ではなく「温かいもの」だという。もちろん寂しくないと言えばウソになる。それでもわが子の生命の輝きを思い出すたび、胸にあふれるのは「ありがとう」の言葉にほかならない。
「俊太は私の未来に『出会い』や『感動』という"宝箱"を散りばめ、残してくれたんだと思います」。不登校の中で悩みを共に乗り越えた未来部員の活躍を聞くたび、俊太さんの体験談が縁となって新たな出会いを結ぶたび、宝箱が一つまた一つと開いたような気持ちになる。
◇わが子よ、ありがとう!
池田先生は語っている。
「親子の縁は不思議です。三世の生命観から見れば、どれほどの深い絆で結ばれていることか。その子どもが、自分に、そしてまた家族に、最高の生き方へと進むきっかけを与えてくれるのです。それを親が、どう受けとめるかで、親も子どもも、大きく人生が変わってくる。どんな苦しみがあっても、どんな試練があっても、『わが子よ、生まれてきてくれて、ありがとう』——こう、心から言えるようになった時、親子はともに、幸福の方向へ進んでいけるのではないでしょうか」
わが子は何のために生まれてきたのか。今もなお、たくさんの人たちから俊太さんに寄せられる「ありがとう」の言葉を大切にしながら、千恵美さんは心に期している。
「これからも、いろいろな場面で"俊太の使命は、これだったのか"と感じることがあるはず。私が成長した分だけ、もっと深い俊太の使命を感じられるようになるかもしれません。そう思うと私にとって、心の中で生きる俊太と共に歩み、共に育つ"共育"はずっと続いていくんです」
2021年12月21日火曜日
2021.12.21 わが友に贈る
空気が乾燥する時期。
火災に厳重警戒!
燃えやすい物の放置や
たこ足配線等がないか
後回しにせず点検しよう。
教行証御書 P1279
『一切は現証には如かず』
【通解】
一切は現証にすぎるものではない。
名字の言 聴覚障がいのある写真家が大切にしていること 2021年12月21日
今、注目される写真家の一人である齋藤陽道さんは聴覚に障がいがあり、会話は手話か筆談で行う。相手の言葉を理解するのが容易でないからこそ、「こちらから心身すべてを開け放した無類の歓待の姿勢」を大切にする▼その思いが深くなったのは、自閉症の少年を撮影した時。少年の表情は硬く、呼び掛けに対する反応も薄いと感じた。だが、わずかに上がった口角は、少年にとって立派なほほ笑みだった▼表情や動作、言葉に、その人の内面がすべて表れるわけではない。それを読み取れるかどうかは、自分の器の問題であり、「語り得ないものを抱える存在」ほど、実は内面に「豊穣を抱えている」と思えるようになったという(『声めぐり』晶文社)▼同じ相手でも、受け止める側の姿勢によって、関係は大きく変わる。"苦手だな"と思う存在も、自分を成長させてくれると捉えれば、感謝さえ生まれる。御聖訓に「餓鬼は恒河を火と見る・人は水と見・天人は甘露と見る」(御書1050ページ)と仰せの通りである▼池田先生は「祈りには、どんな人間関係も、幸福の『仏縁』へ、勝利の『善知識』へと変える力がある」と教える。自身を磨き、境涯を広げた分だけ、信頼と友情の輪は広がっていく。
寸鉄 2021年12月21日
広宣流布は最高の善行だ—恩師。自他共の幸開く価値創造の歩みを今日も
和歌山の日。烈風魂で築きし常勝の民衆城!勇気の対話で飛躍の年を先駆
法華経の題目は「大光を備へ給へる」御書。我らの祈りは闇晴らす希望の源
新しい人と繋がる努力が脳を活性化と。地域友好に励む多宝の同志が証明
座りすぎ解消へ"30分に1度立ち上がり少しだけ歩く"が有効と。小事重ね
☆子どもと学ぶ 日蓮大聖人の御生涯 第2回 「立正安国論」提出
鎌倉で、若き日蓮大聖人さまが目にしたのは、病気で弱っている人々や食べ物がなくて苦しむ人々、また、大風や洪水などで、家や家族を失って悲しむ人々でした。
「この国では、仏教が広く信じられている。それなのに、どうして苦しむ人が、これほどたくさんいるのだろうか」
ある時、とても大きな地震が起こりました。家は倒れ、火の手が上がり、たくさんの人々が逃げまどいました。
心を痛めた大聖人さまは、「今こそ、人々の苦しみの原因を見つけ、救わなければならない!」と強く思いました。
仏さまの教えが書かれた、たくさんの本を読み、考え抜いた末、一つの書物を書き上げました。それが「立正安国論」です。
——誤った教えを信じていることで、人々の生きる力が弱まっている。これが苦しみの根本原因だ。すぐに、正しい教えを弘めなくてはならない。
ただ自分の幸せを願うだけではなく、周りの人々を幸せにするために、頑張っていくべきである。一人一人が本当の教えを信じ、実践していくことで、平和な世界がつくられることは間違いない——。
大聖人さまは、「国中の苦しむ人々を救いたい」との真剣な思いで、この「立正安国論」を、鎌倉幕府(武家の政府)で最も力を持つリーダーに送り届けました。
ところが、幕府の人たちは、これを無視しました。それどころか、何も悪いことをしていない大聖人さまに、迫害を加えてきたのです。
ある日、大聖人さまを憎む人たちが武器を手に、大聖人さまの鎌倉の住まいを襲ってきました。(松葉ケ谷の法難)
この時は、なんとか逃げることができましたが、その翌年、大聖人さまは幕府によって無実の罪で捕まり、遠く離れた伊豆という所へ送られてしまいました。
幕府から許されて、鎌倉に戻ったのは2年後でした。(伊豆流罪)
次の年、大聖人さまは病気のお母さまを見舞うため、故郷の安房国を訪れました。ところが、その地で、待ち伏せしていた武士たちに襲われたのです。
大聖人さまは額を刀で斬りつけられ、手の骨を折られました。
大聖人さまを守ろうとした弟子たちも斬られ、命を落としました。(小松原の法難)
どうにか命だけは助かった大聖人さま。どんなことがあっても正しい教えを弘めなくてはならないと、決意をいっそう深くするのでした。
◇[道しるべ]一念の変革
相次ぐ自然災害や深刻な飢饉、疫病の流行。塗炭の苦しみにあえぐ民衆を救わんと、日蓮大聖人が著されたのが「立正安国論」です。
文応元年(1260年)7月16日、大聖人は本書を、実質的な最高権力者・北条時頼に提出されました。
本書で大聖人は、不幸の根本原因は人々が正法に背き、悪法を信じていることにあると述べ、災厄の元凶として念仏思想を鋭く破折。速やかに妙法に帰依するように促されています。
その当時、現世の安穏を諦め、死後の安楽を願う念仏思想がまん延し、人々から生きる意欲を奪い去っていました。そうした誤った思想を打破して、人々の生きる力を呼び覚ますべく、大聖人は、妙法弘通の大闘争に挑まれたのです。
池田先生はつづっています。
「大聖人は、念仏破折をもって、あきらめ、現実逃避、無気力といった、人間の生命に内在し、結果的に人を不幸にしていく"弱さ"の根を絶とうとされたのである」
大聖人は「立正安国論」の結びで「汝早く信仰の寸心を改めて」(御書32ページ)と仰せです。
自身の「心」、信仰の「一念」が変われば、いかなる状況も必ず変えていくことができる——日蓮仏法は"一人の人間の無限の可能性"を示す、希望の哲理なのです。
[地図・略年表]
正嘉元年(1257年)8月(36歳)
鎌倉で大地震
文応元年(1260年)7月16日(39歳)
「立正安国論」を北条時頼に提出
その後、松葉ケ谷の法難
弘長元年(1261年)5月12日(40歳)
伊豆流罪
文永元年(1264年)11月11日(43歳)
小松原の法難
(聖寿は数え年)
火災に厳重警戒!
燃えやすい物の放置や
たこ足配線等がないか
後回しにせず点検しよう。
教行証御書 P1279
『一切は現証には如かず』
【通解】
一切は現証にすぎるものではない。
名字の言 聴覚障がいのある写真家が大切にしていること 2021年12月21日
今、注目される写真家の一人である齋藤陽道さんは聴覚に障がいがあり、会話は手話か筆談で行う。相手の言葉を理解するのが容易でないからこそ、「こちらから心身すべてを開け放した無類の歓待の姿勢」を大切にする▼その思いが深くなったのは、自閉症の少年を撮影した時。少年の表情は硬く、呼び掛けに対する反応も薄いと感じた。だが、わずかに上がった口角は、少年にとって立派なほほ笑みだった▼表情や動作、言葉に、その人の内面がすべて表れるわけではない。それを読み取れるかどうかは、自分の器の問題であり、「語り得ないものを抱える存在」ほど、実は内面に「豊穣を抱えている」と思えるようになったという(『声めぐり』晶文社)▼同じ相手でも、受け止める側の姿勢によって、関係は大きく変わる。"苦手だな"と思う存在も、自分を成長させてくれると捉えれば、感謝さえ生まれる。御聖訓に「餓鬼は恒河を火と見る・人は水と見・天人は甘露と見る」(御書1050ページ)と仰せの通りである▼池田先生は「祈りには、どんな人間関係も、幸福の『仏縁』へ、勝利の『善知識』へと変える力がある」と教える。自身を磨き、境涯を広げた分だけ、信頼と友情の輪は広がっていく。
寸鉄 2021年12月21日
広宣流布は最高の善行だ—恩師。自他共の幸開く価値創造の歩みを今日も
和歌山の日。烈風魂で築きし常勝の民衆城!勇気の対話で飛躍の年を先駆
法華経の題目は「大光を備へ給へる」御書。我らの祈りは闇晴らす希望の源
新しい人と繋がる努力が脳を活性化と。地域友好に励む多宝の同志が証明
座りすぎ解消へ"30分に1度立ち上がり少しだけ歩く"が有効と。小事重ね
☆子どもと学ぶ 日蓮大聖人の御生涯 第2回 「立正安国論」提出
鎌倉で、若き日蓮大聖人さまが目にしたのは、病気で弱っている人々や食べ物がなくて苦しむ人々、また、大風や洪水などで、家や家族を失って悲しむ人々でした。
「この国では、仏教が広く信じられている。それなのに、どうして苦しむ人が、これほどたくさんいるのだろうか」
ある時、とても大きな地震が起こりました。家は倒れ、火の手が上がり、たくさんの人々が逃げまどいました。
心を痛めた大聖人さまは、「今こそ、人々の苦しみの原因を見つけ、救わなければならない!」と強く思いました。
仏さまの教えが書かれた、たくさんの本を読み、考え抜いた末、一つの書物を書き上げました。それが「立正安国論」です。
——誤った教えを信じていることで、人々の生きる力が弱まっている。これが苦しみの根本原因だ。すぐに、正しい教えを弘めなくてはならない。
ただ自分の幸せを願うだけではなく、周りの人々を幸せにするために、頑張っていくべきである。一人一人が本当の教えを信じ、実践していくことで、平和な世界がつくられることは間違いない——。
大聖人さまは、「国中の苦しむ人々を救いたい」との真剣な思いで、この「立正安国論」を、鎌倉幕府(武家の政府)で最も力を持つリーダーに送り届けました。
ところが、幕府の人たちは、これを無視しました。それどころか、何も悪いことをしていない大聖人さまに、迫害を加えてきたのです。
ある日、大聖人さまを憎む人たちが武器を手に、大聖人さまの鎌倉の住まいを襲ってきました。(松葉ケ谷の法難)
この時は、なんとか逃げることができましたが、その翌年、大聖人さまは幕府によって無実の罪で捕まり、遠く離れた伊豆という所へ送られてしまいました。
幕府から許されて、鎌倉に戻ったのは2年後でした。(伊豆流罪)
次の年、大聖人さまは病気のお母さまを見舞うため、故郷の安房国を訪れました。ところが、その地で、待ち伏せしていた武士たちに襲われたのです。
大聖人さまは額を刀で斬りつけられ、手の骨を折られました。
大聖人さまを守ろうとした弟子たちも斬られ、命を落としました。(小松原の法難)
どうにか命だけは助かった大聖人さま。どんなことがあっても正しい教えを弘めなくてはならないと、決意をいっそう深くするのでした。
◇[道しるべ]一念の変革
相次ぐ自然災害や深刻な飢饉、疫病の流行。塗炭の苦しみにあえぐ民衆を救わんと、日蓮大聖人が著されたのが「立正安国論」です。
文応元年(1260年)7月16日、大聖人は本書を、実質的な最高権力者・北条時頼に提出されました。
本書で大聖人は、不幸の根本原因は人々が正法に背き、悪法を信じていることにあると述べ、災厄の元凶として念仏思想を鋭く破折。速やかに妙法に帰依するように促されています。
その当時、現世の安穏を諦め、死後の安楽を願う念仏思想がまん延し、人々から生きる意欲を奪い去っていました。そうした誤った思想を打破して、人々の生きる力を呼び覚ますべく、大聖人は、妙法弘通の大闘争に挑まれたのです。
池田先生はつづっています。
「大聖人は、念仏破折をもって、あきらめ、現実逃避、無気力といった、人間の生命に内在し、結果的に人を不幸にしていく"弱さ"の根を絶とうとされたのである」
大聖人は「立正安国論」の結びで「汝早く信仰の寸心を改めて」(御書32ページ)と仰せです。
自身の「心」、信仰の「一念」が変われば、いかなる状況も必ず変えていくことができる——日蓮仏法は"一人の人間の無限の可能性"を示す、希望の哲理なのです。
[地図・略年表]
正嘉元年(1257年)8月(36歳)
鎌倉で大地震
文応元年(1260年)7月16日(39歳)
「立正安国論」を北条時頼に提出
その後、松葉ケ谷の法難
弘長元年(1261年)5月12日(40歳)
伊豆流罪
文永元年(1264年)11月11日(43歳)
小松原の法難
(聖寿は数え年)
2021年12月20日月曜日
2021.12.20 わが友に贈る
◇今週のことば
年末年始のあいさつは
心の温もりを広げる。
「友に合うて礼あるべし」
近隣・親戚・友人・知人と
信頼と友情の深まりを!
2021年12月20日
御義口伝巻上 P751
『此の本法を受持するは信の一字なり、元品の無明を対治する利剣は信の一字なり』
【通解】
この本法(三大秘法の南無妙法蓮華経)を受持するのは信の一字による。元品の無明を対治する利剣は信の一字である。
名字の言 希有の師匠と同じ時代に生きる喜び 2021年12月20日
46億年の地球の歴史を「1年間」に当てはめると? モスクワ大学のログノフ総長が池田先生との対談の中で語っている▼地球の始まりを1月1日午前0時とすると約40億年前に"生命"が誕生したのは2月ごろ。大気に酸素が行き渡るのは7月ごろで、生物が大陸に上がる時代は11月になってしまう。人類の出現は12月31日の大晦日の夜で、約5000年前にエジプト文明などが現れたのは「午後11時59分26秒」だという▼21世紀の開幕もこの"宇宙歴"では、年明けのわずか1秒前になる。宇宙の誕生は138億年前といわれるから、人としてこの星に生まれたことがどれほど希少であり、意義深いことか。御書に「人身は受けがたし爪の上の土」(1173ページ)と仰せの通りだ▼いわんや仏法に縁することをや。法華経にこんな比喩がある。仏にあうことは、3000年に一度開花する優曇華を見ることや、1000年に一度海上に浮かび上がる一眼の亀が浮木にあうことくらい難しい。しかし仏との宿縁が深いゆえ、正法と巡り合うことができた——と▼日蓮大聖人の御聖誕から800年。最高無二の哲学を持ち、希有の師匠と同じ時代に生きる喜びを胸に、残り少ない一年の一日一日を無駄にするまい。
寸鉄 2021年12月20日
学会は前進の息吹が漲り後退という言葉がない—学者。青年の心で飛躍!
東京・多摩池田総区「師弟原点の日」。共に友好対話拡大。共に凱歌の歩みを
善に対し感激と熱意持つ人こそ教養の人—哲人。生命弾ませ今日も広布へ
コロナ禍で不登校が過去最多。寄り添う心を常に。小さなSOSをキャッチ
国連の「人間の連帯国際デー」。差異を超え人を結ぶ創価の対話。使命は大
☆子どもと学ぶ 日蓮大聖人の御生涯 第1回:誕生から立宗宣言へ
日蓮大聖人の御聖誕800年という意義深き年に当たり、「子どもと学ぶ 日蓮大聖人の御生涯」を連載します。末法の御本仏の崇高な御生涯から、全人類の幸福を願う慈悲と勇気を学んでいきましょう。
◇第1回:誕生から立宗宣言へ
今から800年ほど前の鎌倉時代のお話です。
安房国(現在の千葉県南部)の海辺の村で、一人の元気な男の子が生まれました。後の日蓮大聖人さまです。
幼い大聖人さまは、すくすく育ち、12歳になると、安房国にある清澄寺というお寺で勉強するようになりました。
「苦しむ人々を救うために仏法をたくさん学び、日本一の賢い者になろう」——若き大聖人さまの胸には、決意の炎が赤々と燃えていました。
16歳を迎えた時、大聖人さまは、清澄寺の道善房を師匠として、本格的に仏法を学ぶ道に入りました。
ある日、いつものようにお寺で仏法を学んでいると、不思議な感動を覚えました。
「ああ、仏法の教えは、なんてすごいのだろう! まるで、暗い夜空に明るく輝く星が、進むべき方向を示しているようだ」
やがて、もっと深く学びたいという思いが強くなった大聖人さまは、当時の政治の中心地であった鎌倉をはじめ、遠く離れた京都や奈良などにある大きなお寺を巡りながら、難しい勉強に挑戦していきました。
各地の大きなお寺には、数え切れないほどの仏さまの教えをまとめた本があり、大聖人さまは、それらを読み深める中で、一つの確信をつかみます。
「仏さまのあらゆる教えの中で、最も勝れているのは『法華経』である。そして、法華経の教えの全てが詰まった大事な法こそ、『南無妙法蓮華経』なのだ。この教えを全世界に弘めるのは、私しかいない」
こうして、生まれ故郷に戻った大聖人さまは、32歳の時、清澄寺に集まった人々の前で、南無妙法蓮華経の題目を高らかに唱えました。
そして、「未来にわたって、あらゆる人々を救う正しい法は、この妙法しかない」と力強く宣言したのです。(立宗宣言)
ところが、別の信仰をしていた人たちは、その話を聞いて、「俺たちが間違っているというのか!」と、カンカンに怒り、大聖人さまを襲おうとします。
なんとか危機を逃れた大聖人さまは、故郷を離れ、鎌倉に向かいました。
自ら「日蓮」と名乗るようになり、人々に正しい教えを弘めるため、勇気の一歩を踏み出したのです。
◇[道しるべ]誓願の宗教
日蓮大聖人が立宗宣言をされたのは1253年(建長5年)4月28日。そこに至るまでの御心境が、「開目抄」につづられています。
謗法の諸宗こそが民衆の苦悩の元凶であると明かして正法を説けば、必ず大難が起こる。しかし、言わなければ人々の成仏の道を閉ざし、無慈悲になってしまう——葛藤の末になされたのが"正法を弘めゆく"との烈々たる御決断でした。そして、さらに思索を重ねられた大聖人は、「今度・強盛の菩提心を・をこして退転せじと願じぬ」(御書200ページ)と、不退転の決意で民衆救済の道を歩み抜くことを強く誓われたのです。
宣言以来、大聖人が幾多の迫害を乗り越え、死身弘法を貫かれた原動力こそ、広宣流布の誓願です。大聖人は、門下に対しても、「願くは我が弟子等・大願ををこせ」(同1561ページ)と、自身と同じ誓願に生き抜くよう教えられています。
池田先生は述べています。
「(大聖人は)誓願を貫くことによって仏の心と一体化し、生命の奥底から仏界の無限の力を涌現することができることを示し、教えてくださったのである」
日蓮仏法は「誓願の宗教」です。広布の誓願に生き抜く人に行き詰まりはありません。一切の苦難を勝ち越え、必ず希望の人生を開いていけるのです。
[地図・略年表]
貞応元年(1222年)2月16日 御誕生(1歳)
天福元年(1233年) 清澄寺で修学を開始(12歳)
延応元年(1239年) 鎌倉などに遊学(18歳)
仁治3年(1242年) 比叡山などに遊学(21歳)
建長5年(1253年)4月28日 清澄寺で立宗宣言(32歳)
(聖寿は数え年)
年末年始のあいさつは
心の温もりを広げる。
「友に合うて礼あるべし」
近隣・親戚・友人・知人と
信頼と友情の深まりを!
2021年12月20日
御義口伝巻上 P751
『此の本法を受持するは信の一字なり、元品の無明を対治する利剣は信の一字なり』
【通解】
この本法(三大秘法の南無妙法蓮華経)を受持するのは信の一字による。元品の無明を対治する利剣は信の一字である。
名字の言 希有の師匠と同じ時代に生きる喜び 2021年12月20日
46億年の地球の歴史を「1年間」に当てはめると? モスクワ大学のログノフ総長が池田先生との対談の中で語っている▼地球の始まりを1月1日午前0時とすると約40億年前に"生命"が誕生したのは2月ごろ。大気に酸素が行き渡るのは7月ごろで、生物が大陸に上がる時代は11月になってしまう。人類の出現は12月31日の大晦日の夜で、約5000年前にエジプト文明などが現れたのは「午後11時59分26秒」だという▼21世紀の開幕もこの"宇宙歴"では、年明けのわずか1秒前になる。宇宙の誕生は138億年前といわれるから、人としてこの星に生まれたことがどれほど希少であり、意義深いことか。御書に「人身は受けがたし爪の上の土」(1173ページ)と仰せの通りだ▼いわんや仏法に縁することをや。法華経にこんな比喩がある。仏にあうことは、3000年に一度開花する優曇華を見ることや、1000年に一度海上に浮かび上がる一眼の亀が浮木にあうことくらい難しい。しかし仏との宿縁が深いゆえ、正法と巡り合うことができた——と▼日蓮大聖人の御聖誕から800年。最高無二の哲学を持ち、希有の師匠と同じ時代に生きる喜びを胸に、残り少ない一年の一日一日を無駄にするまい。
寸鉄 2021年12月20日
学会は前進の息吹が漲り後退という言葉がない—学者。青年の心で飛躍!
東京・多摩池田総区「師弟原点の日」。共に友好対話拡大。共に凱歌の歩みを
善に対し感激と熱意持つ人こそ教養の人—哲人。生命弾ませ今日も広布へ
コロナ禍で不登校が過去最多。寄り添う心を常に。小さなSOSをキャッチ
国連の「人間の連帯国際デー」。差異を超え人を結ぶ創価の対話。使命は大
☆子どもと学ぶ 日蓮大聖人の御生涯 第1回:誕生から立宗宣言へ
日蓮大聖人の御聖誕800年という意義深き年に当たり、「子どもと学ぶ 日蓮大聖人の御生涯」を連載します。末法の御本仏の崇高な御生涯から、全人類の幸福を願う慈悲と勇気を学んでいきましょう。
◇第1回:誕生から立宗宣言へ
今から800年ほど前の鎌倉時代のお話です。
安房国(現在の千葉県南部)の海辺の村で、一人の元気な男の子が生まれました。後の日蓮大聖人さまです。
幼い大聖人さまは、すくすく育ち、12歳になると、安房国にある清澄寺というお寺で勉強するようになりました。
「苦しむ人々を救うために仏法をたくさん学び、日本一の賢い者になろう」——若き大聖人さまの胸には、決意の炎が赤々と燃えていました。
16歳を迎えた時、大聖人さまは、清澄寺の道善房を師匠として、本格的に仏法を学ぶ道に入りました。
ある日、いつものようにお寺で仏法を学んでいると、不思議な感動を覚えました。
「ああ、仏法の教えは、なんてすごいのだろう! まるで、暗い夜空に明るく輝く星が、進むべき方向を示しているようだ」
やがて、もっと深く学びたいという思いが強くなった大聖人さまは、当時の政治の中心地であった鎌倉をはじめ、遠く離れた京都や奈良などにある大きなお寺を巡りながら、難しい勉強に挑戦していきました。
各地の大きなお寺には、数え切れないほどの仏さまの教えをまとめた本があり、大聖人さまは、それらを読み深める中で、一つの確信をつかみます。
「仏さまのあらゆる教えの中で、最も勝れているのは『法華経』である。そして、法華経の教えの全てが詰まった大事な法こそ、『南無妙法蓮華経』なのだ。この教えを全世界に弘めるのは、私しかいない」
こうして、生まれ故郷に戻った大聖人さまは、32歳の時、清澄寺に集まった人々の前で、南無妙法蓮華経の題目を高らかに唱えました。
そして、「未来にわたって、あらゆる人々を救う正しい法は、この妙法しかない」と力強く宣言したのです。(立宗宣言)
ところが、別の信仰をしていた人たちは、その話を聞いて、「俺たちが間違っているというのか!」と、カンカンに怒り、大聖人さまを襲おうとします。
なんとか危機を逃れた大聖人さまは、故郷を離れ、鎌倉に向かいました。
自ら「日蓮」と名乗るようになり、人々に正しい教えを弘めるため、勇気の一歩を踏み出したのです。
◇[道しるべ]誓願の宗教
日蓮大聖人が立宗宣言をされたのは1253年(建長5年)4月28日。そこに至るまでの御心境が、「開目抄」につづられています。
謗法の諸宗こそが民衆の苦悩の元凶であると明かして正法を説けば、必ず大難が起こる。しかし、言わなければ人々の成仏の道を閉ざし、無慈悲になってしまう——葛藤の末になされたのが"正法を弘めゆく"との烈々たる御決断でした。そして、さらに思索を重ねられた大聖人は、「今度・強盛の菩提心を・をこして退転せじと願じぬ」(御書200ページ)と、不退転の決意で民衆救済の道を歩み抜くことを強く誓われたのです。
宣言以来、大聖人が幾多の迫害を乗り越え、死身弘法を貫かれた原動力こそ、広宣流布の誓願です。大聖人は、門下に対しても、「願くは我が弟子等・大願ををこせ」(同1561ページ)と、自身と同じ誓願に生き抜くよう教えられています。
池田先生は述べています。
「(大聖人は)誓願を貫くことによって仏の心と一体化し、生命の奥底から仏界の無限の力を涌現することができることを示し、教えてくださったのである」
日蓮仏法は「誓願の宗教」です。広布の誓願に生き抜く人に行き詰まりはありません。一切の苦難を勝ち越え、必ず希望の人生を開いていけるのです。
[地図・略年表]
貞応元年(1222年)2月16日 御誕生(1歳)
天福元年(1233年) 清澄寺で修学を開始(12歳)
延応元年(1239年) 鎌倉などに遊学(18歳)
仁治3年(1242年) 比叡山などに遊学(21歳)
建長5年(1253年)4月28日 清澄寺で立宗宣言(32歳)
(聖寿は数え年)
2021.12.19 わが友に贈る
宝の未来部にエールを!
子育てに励む家族への
サポートも大切だ。
後継の友を育む聖業を
地域で力を合わせて!
十章抄 P1274
『日本国の在家の者には但一向に南無妙法蓮華経ととなへさすべし、名は必ず体にいたる徳あり』
【通解】
日本国の在家の者は、ただ一向に南無妙法蓮華経と唱えるべきである。名は必ず体にいたる徳がある。
名字の言 似顔絵入りの名刺 2021年12月19日
彼の名刺には、名前と共に自身の似顔絵が印刷されていた。絵が得意な友人に描いてもらったという▼彼が少年部を担当していた時に作った名刺だった。訪問・激励などの折、初めて会う未来部員に手渡した。「この似顔絵、似ている?」と言うと、ほとんどの子が顔を上げた。「子どもたちと目を合わせ、同じ目線で会話することを、とにかく心掛けました。似顔絵は、そのきっかけです」▼「子どもたちが顔を上げないので、話が伝わったかどうか分からない」——。未来部担当者に共通する悩みを解決するため、祈り、試行錯誤し、たどり着いた知恵の結晶が"似顔絵の名刺"だった。数十年たったが、彼は「あの時に絆を結んだ未来部員が、立派に成長して再会できることが何よりもうれしい」と語る▼「目は心の窓」と言うように、その人のありのままの心の状態が表れる。相手の目を見て「この人は信頼できる」と感じるからこそ、相手の話に耳を傾けるのだ。目を合わせて会話することは信頼関係を築く第一歩である▼文豪ビクトル・ユゴーは小説『九十三年』で、子どもは誰のものかとの問いを立て、最後に「偉大な祖母である人類のもの」(辻昶訳)とつづった。この心で未来の使者と接したい。
寸鉄 2021年12月19日
青年の意気と力は歴史を変える—戸田先生。自分らしく青春の勝利史築け
御書「法華経を耳にふれぬれば是を種として必ず仏に」。仏縁広げる師走に
希望抱き続ければ世界は住みやすい場所へ—偉人立正安国の大理想へ邁進
ドクター部・白樺の皆様、本年も有難う!創価の薬王菩薩の健康と福徳祈る
感染性胃腸炎が昨年より増加。小まめな手洗い・嗽励行。食品加熱も怠らず
☆四季の励まし 新たな山へ 使命の大空へ 2021年12月12日
◇池田先生の言葉
一つの山を制覇したら、
新たな山の踏破を!
前進し、戦い続ける中に
人間としての成長がある。
人生の醍醐味がある。
世界に平和と幸福の大道を
広げゆく広宣流布は、
人間として最極の聖業である。
苦難の烈風に向かい、
決してたじろぐことなく、
高らかに飛翔を遂げていく——
これこそが、学会精神だ。
その心意気を忘れぬところに、
発展と勝利がある。
広宣流布に生きるとは、
大きく利他の翼を広げることだ。
そして、
使命の大空に羽ばたく時、
自身の境涯の飛躍があるのだ。
民衆を、
宿命や苦悩の鎖から解き放ち、
自らの翼で使命の大空に
羽ばたかせていく。
それを可能ならしめるのは、
一人一人への励ましの力だ。
ゆえに、
我らは民衆の中に飛び込み、
人類を照らす
希望と正義の哲理を
語っていくのである。
我らには、
異体同心の信心がある。
あらゆる壁を打ち破る、
不屈の負けじ魂がある。
無限の価値創造の大空を飛ぶ、
慈悲と智慧の翼がある。
さあ常勝のスクラムを
さらに強く、
勇気の前進、また前進だ!
さあ、出発しよう!
わが胸に
広布の誓いを燃やせば、
誰もが永遠の青年だ。
その本因妙の生命で
戦おうではないか。
皆で"歓喜の凱歌"を
高らかに歌いながら、
金色に染まる
新たな希望の大山に向かって!
【写真説明】白雪をまとった峰がどこまでも続く。眼下に連なるアルプスの4000メートル級の山々に、池田大作先生はカメラを向けた。1994年(平成6年)5月、先生はドイツから空路、イタリアへ向かっていた。宗門の弾圧を堂々と勝ち越えて、平和行動の翼を広げ、縦横に世界を駆け巡っていた。
今年の12月は、先生が九州・大分の地で長編詩「青年よ 21世紀の広布の山を登れ」を発表して40周年。2030年の学会創立100周年へ、その第一歩を勝利で踏み出した私たちの前には今、「新たな広布の山」が広がっている。
さあ、私の飛躍、創価の飛躍を期して、師と共に登攀を開始しよう!
☆紙上セミナー 仏法思想の輝き 白樺会副委員長 善浪正子
◇病と闘う友に寄り添う
【プロフィル】ぜんなみ・しょうこ 公立の総合病院に看護師として39年勤務した後、がん相談員を務める。1955年(昭和30年)入会。千葉県在住。女性部副本部長。
◇心の思いを声に響かせ
「がんは、万が一じゃなく二分の一」——これは、がん検診の受診率向上を促すキャッチコピーです。かつては、万が一の備えとしてのがん検診でしたが、今では日本人の2人に1人が、がんになる時代です。悪いことに、コロナ禍の影響で、昨年の受診者は対前年比で30・5%も減少しました(日本対がん協会)。
がん検診を見送るうちに未発見のがんが進行し、治療の選択の幅を狭めてしまいかねません。各検診機関は、国の指針にのっとった感染防止対策が徹底されているので、定期的ながん検診が推奨されています。
また、健康への不安があると、インターネットで検索し、さまざまな情報に触れることで、かえって心配になったり、間違った判断を下したりしてしまう方も増えています。無責任なネットの情報に惑わされないことも大切です。
がん治療は日進月歩。早期発見、早期治療で多くが治る時代です。とはいえ、がんは、日本人の死因のトップで、亡くなる方の約4人に1人を占めていますから、依然として死の影が付きまとうのも事実です。
病気そのものの苦痛を抱えながら、胸が裂かれるような不安を抱く方に、どのような言葉を掛けるべきか——。私も真剣に悩みながら、看護の道を歩んできました。
◇「希望カルテ」から
私は公立病院を定年退職し、一昨年から、がん患者やそのご家族の電話相談に携わっています。これまで、約1500人の相談を受けました。相談件数で最も多いのは「不安などの心の問題」です。相手の顔が見えない分、一言の重みをかみ締めながら言葉を紡いでいます。
がん相談員として従事できるのも、白樺会(女性看護者の集い)で培った経験のおかげです。病と闘う学会員の方々との出会いを重ねるうちに、その方の病状や治療法、悩みや家族の状況などを記した「希望カルテ」を作成するようになりました。それは、寄り添い続けることが自身の使命だと感じたからです。
この「希望カルテ」から、Aさんの闘病体験を紹介します。Aさんと出会った時、Aさんは3度目の卵巣がんが再発し、医師から「これ以上の治療は期待できない」と告げられ、激しく動揺していました。当時、息子さんは中学生。「諦めない。今は死ねない……」と、絞り出すようなAさんの声の響きが忘れられません。
Aさんは、新たな抗がん剤を試すも、病状は一進一退を繰り返しました。検査や治療のたびに連絡を取り合い、希望となることを見つけて、励まし続けました。
がんとの闘いは壮絶でしたが、"妙法と共に生き切る"と決めたAさんの生命力は、驚くほど豊かでした。Aさんからは、"病院のラウンジで、同じ病の方に体験を話してきたよ""祈ることができてうらやましい、と言われたの"と、喜びの報告が届くのです。
日蓮大聖人は、「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや」(御書1124ページ)と仰せです。Aさんは、病を人生の妨げとはせず、励ます側にいたのです。
前向きに闘病を続けるAさんご一家に触れ、近隣の壮年が入会。さらにAさんは、遠方で暮らすご両親への長年にわたる祈りが実を結び、ご両親も晴れて御本尊を頂きました。Aさんの信心根本の生き方が、周囲に"真の幸福とは何か"を教えたのだと思います。
Aさんは更賜寿命して、息子さんが成人になるのを見届け、61歳の人生に幕を閉じました。最期まで、はつらつとした心で生き抜いた姿は、私や多くのがん患者の勇気と希望になりました。Aさんのご主人と息子さんの「少しも悔いはありません」との言葉は、彼女の人生勝利を物語るものではないでしょうか。
◇安心する存在に
看護師の道を歩み始めてから、池田先生が白樺の友に贈られた指針「病める人/心の傷ついている人を/私の使命感として/私は堕落させない」を、心に刻んできました。
東日本大震災の被災地では、白樺会の一員として健康相談に加わりました。現地の状況はあまりに厳しく、"何を言っても届かないのでは"と思うほど。そのなかで心掛けたのは、一人一人の生命に具わる力を信じて、声を掛けることでした。
ある時、一人の壮年から、「家族を亡くした方に、どう接すればいいか」と質問が。私は、「無理に励ます必要はありません。抱き合って、会えたことを喜び、一緒に追善の題目を送ってください」と答えるしかありませんでした。
その時、そばにいた方が、「そうです! その通りです!」と立ち上がりました。その方もまた、ご家族を亡くされていたのです。
被災地での経験は、私自身の看護人生にとって大きな節目になりました。価値観や生死観が真正面から問われる場で、創価学会の信仰の奥深さ、人間の強さを学びました。
大聖人は、「言と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり」(同563ページ)と教えられています。言葉には、心の思いが表れます。苦悩する方と同じ目線に立ち、同じ方向を見て語れば、真心はきっと通じるものです。
励ましに、策や方法は必要ありません。そばにいるだけで安心する存在——そう感じ合える絆を、これからも育んでいきたいと思います。
[視点]更賜寿命
日蓮大聖人は、すでに定まった寿命でさえも、妙法の功徳力で延ばすことができると仰せです。これを、「更賜寿命」の功徳といいます。
大聖人は御入滅の7カ月前、闘病中の門下・南条時光を救わんと、「鬼神めらめ」(御書1587ページ)と病魔を叱咤し、烈々たる気迫でお手紙を認められました。こう記される直前、大聖人も病で筆を執ることさえ困難な中、全魂を込められたのです。時光は大聖人の渾身の激励に応え、病に打ち勝ち、その後、約50年も寿命を延ばしました。
戸田先生は、"寿命とは生命力を意味する"と言われています。妙法を唱え抜き、旺盛な生命力を引き出して、敢然と病に立ち向かう姿そのものが、信心の偉大な功徳なのです。
子育てに励む家族への
サポートも大切だ。
後継の友を育む聖業を
地域で力を合わせて!
十章抄 P1274
『日本国の在家の者には但一向に南無妙法蓮華経ととなへさすべし、名は必ず体にいたる徳あり』
【通解】
日本国の在家の者は、ただ一向に南無妙法蓮華経と唱えるべきである。名は必ず体にいたる徳がある。
名字の言 似顔絵入りの名刺 2021年12月19日
彼の名刺には、名前と共に自身の似顔絵が印刷されていた。絵が得意な友人に描いてもらったという▼彼が少年部を担当していた時に作った名刺だった。訪問・激励などの折、初めて会う未来部員に手渡した。「この似顔絵、似ている?」と言うと、ほとんどの子が顔を上げた。「子どもたちと目を合わせ、同じ目線で会話することを、とにかく心掛けました。似顔絵は、そのきっかけです」▼「子どもたちが顔を上げないので、話が伝わったかどうか分からない」——。未来部担当者に共通する悩みを解決するため、祈り、試行錯誤し、たどり着いた知恵の結晶が"似顔絵の名刺"だった。数十年たったが、彼は「あの時に絆を結んだ未来部員が、立派に成長して再会できることが何よりもうれしい」と語る▼「目は心の窓」と言うように、その人のありのままの心の状態が表れる。相手の目を見て「この人は信頼できる」と感じるからこそ、相手の話に耳を傾けるのだ。目を合わせて会話することは信頼関係を築く第一歩である▼文豪ビクトル・ユゴーは小説『九十三年』で、子どもは誰のものかとの問いを立て、最後に「偉大な祖母である人類のもの」(辻昶訳)とつづった。この心で未来の使者と接したい。
寸鉄 2021年12月19日
青年の意気と力は歴史を変える—戸田先生。自分らしく青春の勝利史築け
御書「法華経を耳にふれぬれば是を種として必ず仏に」。仏縁広げる師走に
希望抱き続ければ世界は住みやすい場所へ—偉人立正安国の大理想へ邁進
ドクター部・白樺の皆様、本年も有難う!創価の薬王菩薩の健康と福徳祈る
感染性胃腸炎が昨年より増加。小まめな手洗い・嗽励行。食品加熱も怠らず
☆四季の励まし 新たな山へ 使命の大空へ 2021年12月12日
◇池田先生の言葉
一つの山を制覇したら、
新たな山の踏破を!
前進し、戦い続ける中に
人間としての成長がある。
人生の醍醐味がある。
世界に平和と幸福の大道を
広げゆく広宣流布は、
人間として最極の聖業である。
苦難の烈風に向かい、
決してたじろぐことなく、
高らかに飛翔を遂げていく——
これこそが、学会精神だ。
その心意気を忘れぬところに、
発展と勝利がある。
広宣流布に生きるとは、
大きく利他の翼を広げることだ。
そして、
使命の大空に羽ばたく時、
自身の境涯の飛躍があるのだ。
民衆を、
宿命や苦悩の鎖から解き放ち、
自らの翼で使命の大空に
羽ばたかせていく。
それを可能ならしめるのは、
一人一人への励ましの力だ。
ゆえに、
我らは民衆の中に飛び込み、
人類を照らす
希望と正義の哲理を
語っていくのである。
我らには、
異体同心の信心がある。
あらゆる壁を打ち破る、
不屈の負けじ魂がある。
無限の価値創造の大空を飛ぶ、
慈悲と智慧の翼がある。
さあ常勝のスクラムを
さらに強く、
勇気の前進、また前進だ!
さあ、出発しよう!
わが胸に
広布の誓いを燃やせば、
誰もが永遠の青年だ。
その本因妙の生命で
戦おうではないか。
皆で"歓喜の凱歌"を
高らかに歌いながら、
金色に染まる
新たな希望の大山に向かって!
【写真説明】白雪をまとった峰がどこまでも続く。眼下に連なるアルプスの4000メートル級の山々に、池田大作先生はカメラを向けた。1994年(平成6年)5月、先生はドイツから空路、イタリアへ向かっていた。宗門の弾圧を堂々と勝ち越えて、平和行動の翼を広げ、縦横に世界を駆け巡っていた。
今年の12月は、先生が九州・大分の地で長編詩「青年よ 21世紀の広布の山を登れ」を発表して40周年。2030年の学会創立100周年へ、その第一歩を勝利で踏み出した私たちの前には今、「新たな広布の山」が広がっている。
さあ、私の飛躍、創価の飛躍を期して、師と共に登攀を開始しよう!
☆紙上セミナー 仏法思想の輝き 白樺会副委員長 善浪正子
◇病と闘う友に寄り添う
【プロフィル】ぜんなみ・しょうこ 公立の総合病院に看護師として39年勤務した後、がん相談員を務める。1955年(昭和30年)入会。千葉県在住。女性部副本部長。
◇心の思いを声に響かせ
「がんは、万が一じゃなく二分の一」——これは、がん検診の受診率向上を促すキャッチコピーです。かつては、万が一の備えとしてのがん検診でしたが、今では日本人の2人に1人が、がんになる時代です。悪いことに、コロナ禍の影響で、昨年の受診者は対前年比で30・5%も減少しました(日本対がん協会)。
がん検診を見送るうちに未発見のがんが進行し、治療の選択の幅を狭めてしまいかねません。各検診機関は、国の指針にのっとった感染防止対策が徹底されているので、定期的ながん検診が推奨されています。
また、健康への不安があると、インターネットで検索し、さまざまな情報に触れることで、かえって心配になったり、間違った判断を下したりしてしまう方も増えています。無責任なネットの情報に惑わされないことも大切です。
がん治療は日進月歩。早期発見、早期治療で多くが治る時代です。とはいえ、がんは、日本人の死因のトップで、亡くなる方の約4人に1人を占めていますから、依然として死の影が付きまとうのも事実です。
病気そのものの苦痛を抱えながら、胸が裂かれるような不安を抱く方に、どのような言葉を掛けるべきか——。私も真剣に悩みながら、看護の道を歩んできました。
◇「希望カルテ」から
私は公立病院を定年退職し、一昨年から、がん患者やそのご家族の電話相談に携わっています。これまで、約1500人の相談を受けました。相談件数で最も多いのは「不安などの心の問題」です。相手の顔が見えない分、一言の重みをかみ締めながら言葉を紡いでいます。
がん相談員として従事できるのも、白樺会(女性看護者の集い)で培った経験のおかげです。病と闘う学会員の方々との出会いを重ねるうちに、その方の病状や治療法、悩みや家族の状況などを記した「希望カルテ」を作成するようになりました。それは、寄り添い続けることが自身の使命だと感じたからです。
この「希望カルテ」から、Aさんの闘病体験を紹介します。Aさんと出会った時、Aさんは3度目の卵巣がんが再発し、医師から「これ以上の治療は期待できない」と告げられ、激しく動揺していました。当時、息子さんは中学生。「諦めない。今は死ねない……」と、絞り出すようなAさんの声の響きが忘れられません。
Aさんは、新たな抗がん剤を試すも、病状は一進一退を繰り返しました。検査や治療のたびに連絡を取り合い、希望となることを見つけて、励まし続けました。
がんとの闘いは壮絶でしたが、"妙法と共に生き切る"と決めたAさんの生命力は、驚くほど豊かでした。Aさんからは、"病院のラウンジで、同じ病の方に体験を話してきたよ""祈ることができてうらやましい、と言われたの"と、喜びの報告が届くのです。
日蓮大聖人は、「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや」(御書1124ページ)と仰せです。Aさんは、病を人生の妨げとはせず、励ます側にいたのです。
前向きに闘病を続けるAさんご一家に触れ、近隣の壮年が入会。さらにAさんは、遠方で暮らすご両親への長年にわたる祈りが実を結び、ご両親も晴れて御本尊を頂きました。Aさんの信心根本の生き方が、周囲に"真の幸福とは何か"を教えたのだと思います。
Aさんは更賜寿命して、息子さんが成人になるのを見届け、61歳の人生に幕を閉じました。最期まで、はつらつとした心で生き抜いた姿は、私や多くのがん患者の勇気と希望になりました。Aさんのご主人と息子さんの「少しも悔いはありません」との言葉は、彼女の人生勝利を物語るものではないでしょうか。
◇安心する存在に
看護師の道を歩み始めてから、池田先生が白樺の友に贈られた指針「病める人/心の傷ついている人を/私の使命感として/私は堕落させない」を、心に刻んできました。
東日本大震災の被災地では、白樺会の一員として健康相談に加わりました。現地の状況はあまりに厳しく、"何を言っても届かないのでは"と思うほど。そのなかで心掛けたのは、一人一人の生命に具わる力を信じて、声を掛けることでした。
ある時、一人の壮年から、「家族を亡くした方に、どう接すればいいか」と質問が。私は、「無理に励ます必要はありません。抱き合って、会えたことを喜び、一緒に追善の題目を送ってください」と答えるしかありませんでした。
その時、そばにいた方が、「そうです! その通りです!」と立ち上がりました。その方もまた、ご家族を亡くされていたのです。
被災地での経験は、私自身の看護人生にとって大きな節目になりました。価値観や生死観が真正面から問われる場で、創価学会の信仰の奥深さ、人間の強さを学びました。
大聖人は、「言と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり」(同563ページ)と教えられています。言葉には、心の思いが表れます。苦悩する方と同じ目線に立ち、同じ方向を見て語れば、真心はきっと通じるものです。
励ましに、策や方法は必要ありません。そばにいるだけで安心する存在——そう感じ合える絆を、これからも育んでいきたいと思います。
[視点]更賜寿命
日蓮大聖人は、すでに定まった寿命でさえも、妙法の功徳力で延ばすことができると仰せです。これを、「更賜寿命」の功徳といいます。
大聖人は御入滅の7カ月前、闘病中の門下・南条時光を救わんと、「鬼神めらめ」(御書1587ページ)と病魔を叱咤し、烈々たる気迫でお手紙を認められました。こう記される直前、大聖人も病で筆を執ることさえ困難な中、全魂を込められたのです。時光は大聖人の渾身の激励に応え、病に打ち勝ち、その後、約50年も寿命を延ばしました。
戸田先生は、"寿命とは生命力を意味する"と言われています。妙法を唱え抜き、旺盛な生命力を引き出して、敢然と病に立ち向かう姿そのものが、信心の偉大な功徳なのです。
2021年12月18日土曜日
2021.12.18 わが友に贈る
今季一番の寒気が到来。
強風・積雪・路面凍結等に
十分に注意しよう!
事前の準備を怠らず
無事故第一の行動を!
光日上人御返事 P934
『松栄れば柏悦ぶ芝かるれば蘭なく情無き草木すら友の喜び友の歎き一つなり』
【通解】
松が栄えれば柏は悦ぶ。芝が枯れれば蘭は泣くといわれる。非情の草木すら友の喜び、友の嘆きは一体である。
名字の言 朗らかな創価家族と共に前進! 2021年12月18日
一年の掉尾を飾る座談会が各地で活発だ。世代や立場を超えて皆が和気あいあいと語り合う姿が麗しい▼ある地区会場の一こま。野球部で甲子園を目指す高等部員が決意発表した。「地区のおじちゃん、おばちゃんにパワーをもらっています。『エース投手になれよ!』『負けてもいいからケガしちゃだめ!』って。だけど僕は捕手だし、試合には勝ちたいんですけど……。でも、めっちゃうれしかった。必ず勝利を報告します!」▼営業職で伸び悩んでいた男子部員は、地区スローガン「昨日より今日、今日より明日へ、自分の新記録を!」を指さし、「この言葉の通り人と比べず、自分らしく頑張ります」と。それを聞いた壮年が「じゃあ俺もマイペースでゆっくり」とつぶやくと、横にいた夫人が「あなたはもっとハイペースで!」とぴしゃり▼笑顔と決意あふれる座談会に元気をもらった。そして実感した。活力に満ちた人の輪に入ると活力が湧くし、明るい連帯に加われば自分も明るくなる、と▼心が弾めば、生活が躍動し、人生が飛躍する。ゆえに朗らかな創価家族と共に前進! 思想家エマソンの言葉にこうある。「友人と共にあるとき、私たちは容易に偉大な人間になれる」(小泉一郎訳)。
寸鉄 2021年12月18日
「一人もかけず仏に成る」御書。一遍の題目に尽きせぬ功徳。倦まず弛まず
東京・足立の日。庶民の王者の使命は連戦連勝!対話と人材の拡大に先駆
「偉大な魂は高い山嶺のよう」作家。青年は崇高な理想を抱き苦難に挑め!
日本の国連加盟記念日。人類の議会に市民の声を更に。人道競争の時代を
孤独は心身に負担、自分から仲間広げる工夫を—医師。人間の絆こそ財宝
〈社説〉 2021・12・18 日本の国連加盟65周年
◇民衆の力で平和の潮流を
日本が国際連合に加盟したのは1956年12月18日である。欠席を除く77カ国の全会一致で決定。時の外相は演説で、国連の目的に誠実に奉仕すると誓った。65周年の節目に、改めて、核廃絶へのリーダーシップをはじめ、日本の国連における貢献を期待したい。
国連は今日、193の加盟国を擁し、他に替わるもののない、最も普遍的な機関となった。国家だけではない。多くのNGO(非政府組織)もパートナーとして参加している。学会は81年から、国連のNGOとして活動してきた。
池田先生は、市民社会の参加の意義をつづっている。「国連には、直接、その活動を支える"国民"がいない。ここに世界市民というグローバルな意識で、国連を支える民間の活動が必須となる」
気候変動や感染症をはじめ、人類は、これまで以上の国際協調を要する問題群に直面している。にもかかわらず、各国は「狭量なナショナリズム」と「利益至上主義のグローバリズム」の間で揺れ動いているのが実情だ。そのどちらでもない"人類益の追求"へ——かじ取りを担う国連の使命は大きい。
一方で、国連創設以来、一部の国の利害により、人類的立場での意思決定が度々、左右されてきたことも事実である。ゆえに、国家の枠組みに縛られない市民社会の側から、国連を後押しする国際世論を形成することが重要だ。そして、世論形成の鍵となるのは、「世界市民の育成」である。
世界市民といっても、特別な人間ではない。国連の前身である国際連盟で事務次長を務めた新渡戸稲造はつづっている。「他山の石以て玉を磨くべしという教が世に伝えられているが、僕は各国人と交わり、各国人の長所を学びたい」(『新渡戸稲造論集』岩波文庫)。自分とは異なる背景を持つ他者と、尊敬の念をもって、積極的に交わり、学んでいく——。この"開かれた精神"こそ、世界市民の大切な要件ではないだろうか。
96年、先生は当時のブトロス=ガリ国連事務総長と会見。「民衆は、まじめです。民衆は正直です。民衆は真剣に平和を願っています。(中略)民衆の善意こそ国連の本当の力になるはずです」と語り、その善意を結集することの重要性を確認し合った。私たちは地道に、誠実に平和の潮流をつくり上げよう。一つ一つの"開かれた対話"が、やがて大河になると信じつつ。
☆御書の旭光を 第65回 地区を支える同志に最敬礼
〈御文〉
『法華経の一偈一句をも説かん者をば「当に起ちて遠く迎えて当に仏を敬うが如くすべし」の道理なれば仏の如く互に敬うべし』(松野殿御返事、1383ページ)
〈通解〉
法華経の一偈、一句でも説く者は、「まさに立って遠来の友のように迎え、まさに仏を敬うようにしなさい」(普賢菩薩勧発品第28)という道理があるので、仏のように互いに敬いなさい。
〈池田先生が贈る指針〉
御本仏の仰せ通り、「仏の如く互に敬う」最極の人間尊敬の連帯は我らの地区にこそある。地域社会の安穏と信頼のオアシスだ。
その要たる地区部長、地区女性部長をはじめ尊き宝友の奮闘に、冥の照覧は間違いない。
皆で仲良く讃え合い、いよいよ功徳を増しながら、希望のスクラムに新たな地涌の友を!
☆みんなで学ぶ教学 第23回 桜梅桃李
◇"ありのまま"で光り輝く
今回の「みんなで学ぶ教学」は、「桜梅桃李」がテーマです。"ありのまま"の自分を最大に輝かせゆく、仏法の法理を学んでいきましょう。デパートに買い物に来た新入会者のリホさんは、支部女性部長のユリコさんに声を掛けられたようです。
ユリコ あら、なんだかぼーっとして、どうしたのかしら?
リホ ユリコさん! デパートに来ると、すてきな人が多くて"私もあんなふうになれたらいいな"と思っていました。
ユリコ 私は、リホさんのことを、とてもすてきな女性だと思っているわ。
リホ そうですかねえ……。もっと身長が高くて、すらっとした人になりたかったんです。
ユリコ そういう気持ちは分かるけどね。自分の良さを引き出していくことが大事だと思うわ。リホさんは"桜梅桃李"って言葉、知っているかしら?
リホ 聞いたことはあります。
ユリコ 御義口伝には、「桜梅桃李の己己の当体を改めずして」(御書784ページ)とつづられているの。桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李の良さがあるわ。同じように、私たちも、容姿や性格などが異なっていても、それぞれ自分にしかない良さを持っているわよね。この本来持っている良さをお互いに尊重しながら、一人一人が最大に輝いていくのが"桜梅桃李"の仏法なのよ。
リホ すてきな譬えですね。でも、私は優柔不断だし、自分のことが嫌になる時もあります。
ユリコ 自分のことは、自分が一番分かっているから、そういう時もあるわよね。私も、せっかちなところがあって、焦って失敗したりして悩んでいたことがあるの。でも、仕事や家事を先送りにできない性格のおかげで、夜にしっかり唱題する時間をつくることができているわ。たとえ自分の欠点に思えることだって、その人にしかない良さとして生きていくのよ。
リホ なるほど。
ユリコ 自分のことが嫌になったとしても、違う"誰か"になることはできないわ。御書には「はたらかさず・つくろわず・もとの儘」(同759ページ)ともつづられているのよ。"ありのまま"の自分を大切にして、輝かせていくことが大事なの。
リホ じゃあ、このままでいいのかな……。
ユリコ もちろん、"そのまま、何もしなくていい"という意味ではないわ。日々の課題や悩みに向き合いながら、信心に励む中で乗り越えていく——。その人間革命の実践を続けていくことで、長所も短所も、全てが生かされ、磨かれて、自然と"自分だけが持つ輝き"となっていくのよ。
リホ "自分だけが持つ輝き"ですか。そういうふうになれたらうれしいです。
ユリコ あら、リホさんはすでに輝いているわよ。いつも座談会の企画を考えてくれたり、未来部員をどうしたら励ませるか、工夫してくれたりしているわよね。リホさんだからこそ思いつくアイデアにあふれていて、いつも地区の皆さんは感謝してるのよ。
リホ お世話になっている地区の皆さんに、少しでも貢献したくて。そう思ってもらえたら、うれしいです。
ユリコ 梅は春の訪れを感じさせ、満開の桜は人々の心を明るくするように、"自分だけが持つ輝き"は"自分にしか果たせない使命"にもなっていくのよ。
リホ そうなんですね。だから、創価学会では年齢や性別など、異なる一人一人の輝きが集まって、"桜梅桃李のスクラム"が広がっているんですね。
ユリコ その通りね。
池田先生は「万人がそれぞれに輝き、互いに照らし合っていくのです。一切の出発点は、どこまでも、自分の可能性を信頼することから始まります。仏法は、全ての人の味方です。そして誰もが、世界を照らす希望の太陽となれるのです」とつづられているのよ。
私は、リホさんが今以上にすてきな女性になっていくと確信しているわ。
リホ そう言ってくださると、うれしいです。私も、"太陽のような女性"を目指してがんばります!
ユリコ じゃあ、お互いに輝いて、照らし合っていきましょう!
強風・積雪・路面凍結等に
十分に注意しよう!
事前の準備を怠らず
無事故第一の行動を!
光日上人御返事 P934
『松栄れば柏悦ぶ芝かるれば蘭なく情無き草木すら友の喜び友の歎き一つなり』
【通解】
松が栄えれば柏は悦ぶ。芝が枯れれば蘭は泣くといわれる。非情の草木すら友の喜び、友の嘆きは一体である。
名字の言 朗らかな創価家族と共に前進! 2021年12月18日
一年の掉尾を飾る座談会が各地で活発だ。世代や立場を超えて皆が和気あいあいと語り合う姿が麗しい▼ある地区会場の一こま。野球部で甲子園を目指す高等部員が決意発表した。「地区のおじちゃん、おばちゃんにパワーをもらっています。『エース投手になれよ!』『負けてもいいからケガしちゃだめ!』って。だけど僕は捕手だし、試合には勝ちたいんですけど……。でも、めっちゃうれしかった。必ず勝利を報告します!」▼営業職で伸び悩んでいた男子部員は、地区スローガン「昨日より今日、今日より明日へ、自分の新記録を!」を指さし、「この言葉の通り人と比べず、自分らしく頑張ります」と。それを聞いた壮年が「じゃあ俺もマイペースでゆっくり」とつぶやくと、横にいた夫人が「あなたはもっとハイペースで!」とぴしゃり▼笑顔と決意あふれる座談会に元気をもらった。そして実感した。活力に満ちた人の輪に入ると活力が湧くし、明るい連帯に加われば自分も明るくなる、と▼心が弾めば、生活が躍動し、人生が飛躍する。ゆえに朗らかな創価家族と共に前進! 思想家エマソンの言葉にこうある。「友人と共にあるとき、私たちは容易に偉大な人間になれる」(小泉一郎訳)。
寸鉄 2021年12月18日
「一人もかけず仏に成る」御書。一遍の題目に尽きせぬ功徳。倦まず弛まず
東京・足立の日。庶民の王者の使命は連戦連勝!対話と人材の拡大に先駆
「偉大な魂は高い山嶺のよう」作家。青年は崇高な理想を抱き苦難に挑め!
日本の国連加盟記念日。人類の議会に市民の声を更に。人道競争の時代を
孤独は心身に負担、自分から仲間広げる工夫を—医師。人間の絆こそ財宝
〈社説〉 2021・12・18 日本の国連加盟65周年
◇民衆の力で平和の潮流を
日本が国際連合に加盟したのは1956年12月18日である。欠席を除く77カ国の全会一致で決定。時の外相は演説で、国連の目的に誠実に奉仕すると誓った。65周年の節目に、改めて、核廃絶へのリーダーシップをはじめ、日本の国連における貢献を期待したい。
国連は今日、193の加盟国を擁し、他に替わるもののない、最も普遍的な機関となった。国家だけではない。多くのNGO(非政府組織)もパートナーとして参加している。学会は81年から、国連のNGOとして活動してきた。
池田先生は、市民社会の参加の意義をつづっている。「国連には、直接、その活動を支える"国民"がいない。ここに世界市民というグローバルな意識で、国連を支える民間の活動が必須となる」
気候変動や感染症をはじめ、人類は、これまで以上の国際協調を要する問題群に直面している。にもかかわらず、各国は「狭量なナショナリズム」と「利益至上主義のグローバリズム」の間で揺れ動いているのが実情だ。そのどちらでもない"人類益の追求"へ——かじ取りを担う国連の使命は大きい。
一方で、国連創設以来、一部の国の利害により、人類的立場での意思決定が度々、左右されてきたことも事実である。ゆえに、国家の枠組みに縛られない市民社会の側から、国連を後押しする国際世論を形成することが重要だ。そして、世論形成の鍵となるのは、「世界市民の育成」である。
世界市民といっても、特別な人間ではない。国連の前身である国際連盟で事務次長を務めた新渡戸稲造はつづっている。「他山の石以て玉を磨くべしという教が世に伝えられているが、僕は各国人と交わり、各国人の長所を学びたい」(『新渡戸稲造論集』岩波文庫)。自分とは異なる背景を持つ他者と、尊敬の念をもって、積極的に交わり、学んでいく——。この"開かれた精神"こそ、世界市民の大切な要件ではないだろうか。
96年、先生は当時のブトロス=ガリ国連事務総長と会見。「民衆は、まじめです。民衆は正直です。民衆は真剣に平和を願っています。(中略)民衆の善意こそ国連の本当の力になるはずです」と語り、その善意を結集することの重要性を確認し合った。私たちは地道に、誠実に平和の潮流をつくり上げよう。一つ一つの"開かれた対話"が、やがて大河になると信じつつ。
☆御書の旭光を 第65回 地区を支える同志に最敬礼
〈御文〉
『法華経の一偈一句をも説かん者をば「当に起ちて遠く迎えて当に仏を敬うが如くすべし」の道理なれば仏の如く互に敬うべし』(松野殿御返事、1383ページ)
〈通解〉
法華経の一偈、一句でも説く者は、「まさに立って遠来の友のように迎え、まさに仏を敬うようにしなさい」(普賢菩薩勧発品第28)という道理があるので、仏のように互いに敬いなさい。
〈池田先生が贈る指針〉
御本仏の仰せ通り、「仏の如く互に敬う」最極の人間尊敬の連帯は我らの地区にこそある。地域社会の安穏と信頼のオアシスだ。
その要たる地区部長、地区女性部長をはじめ尊き宝友の奮闘に、冥の照覧は間違いない。
皆で仲良く讃え合い、いよいよ功徳を増しながら、希望のスクラムに新たな地涌の友を!
☆みんなで学ぶ教学 第23回 桜梅桃李
◇"ありのまま"で光り輝く
今回の「みんなで学ぶ教学」は、「桜梅桃李」がテーマです。"ありのまま"の自分を最大に輝かせゆく、仏法の法理を学んでいきましょう。デパートに買い物に来た新入会者のリホさんは、支部女性部長のユリコさんに声を掛けられたようです。
ユリコ あら、なんだかぼーっとして、どうしたのかしら?
リホ ユリコさん! デパートに来ると、すてきな人が多くて"私もあんなふうになれたらいいな"と思っていました。
ユリコ 私は、リホさんのことを、とてもすてきな女性だと思っているわ。
リホ そうですかねえ……。もっと身長が高くて、すらっとした人になりたかったんです。
ユリコ そういう気持ちは分かるけどね。自分の良さを引き出していくことが大事だと思うわ。リホさんは"桜梅桃李"って言葉、知っているかしら?
リホ 聞いたことはあります。
ユリコ 御義口伝には、「桜梅桃李の己己の当体を改めずして」(御書784ページ)とつづられているの。桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李の良さがあるわ。同じように、私たちも、容姿や性格などが異なっていても、それぞれ自分にしかない良さを持っているわよね。この本来持っている良さをお互いに尊重しながら、一人一人が最大に輝いていくのが"桜梅桃李"の仏法なのよ。
リホ すてきな譬えですね。でも、私は優柔不断だし、自分のことが嫌になる時もあります。
ユリコ 自分のことは、自分が一番分かっているから、そういう時もあるわよね。私も、せっかちなところがあって、焦って失敗したりして悩んでいたことがあるの。でも、仕事や家事を先送りにできない性格のおかげで、夜にしっかり唱題する時間をつくることができているわ。たとえ自分の欠点に思えることだって、その人にしかない良さとして生きていくのよ。
リホ なるほど。
ユリコ 自分のことが嫌になったとしても、違う"誰か"になることはできないわ。御書には「はたらかさず・つくろわず・もとの儘」(同759ページ)ともつづられているのよ。"ありのまま"の自分を大切にして、輝かせていくことが大事なの。
リホ じゃあ、このままでいいのかな……。
ユリコ もちろん、"そのまま、何もしなくていい"という意味ではないわ。日々の課題や悩みに向き合いながら、信心に励む中で乗り越えていく——。その人間革命の実践を続けていくことで、長所も短所も、全てが生かされ、磨かれて、自然と"自分だけが持つ輝き"となっていくのよ。
リホ "自分だけが持つ輝き"ですか。そういうふうになれたらうれしいです。
ユリコ あら、リホさんはすでに輝いているわよ。いつも座談会の企画を考えてくれたり、未来部員をどうしたら励ませるか、工夫してくれたりしているわよね。リホさんだからこそ思いつくアイデアにあふれていて、いつも地区の皆さんは感謝してるのよ。
リホ お世話になっている地区の皆さんに、少しでも貢献したくて。そう思ってもらえたら、うれしいです。
ユリコ 梅は春の訪れを感じさせ、満開の桜は人々の心を明るくするように、"自分だけが持つ輝き"は"自分にしか果たせない使命"にもなっていくのよ。
リホ そうなんですね。だから、創価学会では年齢や性別など、異なる一人一人の輝きが集まって、"桜梅桃李のスクラム"が広がっているんですね。
ユリコ その通りね。
池田先生は「万人がそれぞれに輝き、互いに照らし合っていくのです。一切の出発点は、どこまでも、自分の可能性を信頼することから始まります。仏法は、全ての人の味方です。そして誰もが、世界を照らす希望の太陽となれるのです」とつづられているのよ。
私は、リホさんが今以上にすてきな女性になっていくと確信しているわ。
リホ そう言ってくださると、うれしいです。私も、"太陽のような女性"を目指してがんばります!
ユリコ じゃあ、お互いに輝いて、照らし合っていきましょう!
2021年12月17日金曜日
2021.12.17 わが友に贈る
皆が主役の座談会。
全ての人に光を当て
陰の努力を称え合おう!
苦楽を分かち合う同志と
笑顔の花咲く語らいを!
報恩抄 P319
『何れの月何れの日何れの夜の何れの時に日出ずるという公家諸家叡山等の日記あるならばすこし信ずるへんもや』
【通解】
いずれの月・いずれの日・いずれの夜、いずれの時間に、太陽が出現したという、公家・諸家・叡山等の日記があるならば、少しは信ずることもできようが、それにも、ぜんぜんないではないか。
名字の言 不動の信念でしなやかに"時代の乱気流"を捉える 2021年12月17日
飛行機に乗っていた時、乱気流に遭遇したことがある。機内から見える翼がうねうねと揺れ、"折れてしまうのでは?"と不安になった▼後で調べてみて分かった。主翼は軽量化され、あえて"しなる"ようになっている。その上で強度を保つために、翼内部の骨組みにストリンガー(縦通材)が張られていた。風による抗力をしなやかに受け、揚力を得る——そこには、強固な構造設計に基づく柔軟性があった▼今月5日、広島で開催された第4回「全国青年教育者実践報告大会」。過剰な校務、児童の暴言や同級生とのトラブル、さまざまな要望への対応……。登壇者は皆、思いもよらぬ試練に直面していた▼しかし、彼らは努力と挑戦を粘り強く積み重ね、試練を価値創造のバネへと転換していった。"子どもの幸福"という目的地を目指す——飛躍の源には「教師こそ最大の教育環境なり」との創価教育の理念があった▼118年前のきょう17日、ライト兄弟は人類初の有人動力飛行に成功した。不可能の通説を覆したのは、"必ず飛ぶ"との執念が生んだ"風を利用する"という柔軟な発想だった。不動の信念でしなやかに"時代の乱気流"を捉える。そこに新たな創造があり、発展があり、飛躍がある。
寸鉄 2021年12月17日
「煩悩即菩提」の仏法だ。必ず苦悩は乗り越えられる。"戦う信心"で前進!
青年が責任を持ち理想の学会を建設せよ—恩師。"今"の行動が未来を創る
変化する社会、学び直す人が増加。遅すぎる事はない。挑戦は若さの源泉
冬場の入浴時は温度差による血圧変動の危険が。脱衣所を暖める等工夫を
年末は空き巣・ひったくり被害が多く。短時間の外出も油断なく戸締まり
〈社説〉 2021・12・17 年末年始 交通事故・火災に注意
◇過信を排した"深き用心"を
"車に乗る時は「信号よーし」「いったんてーし」と呼称運転で発進。停止を自らに言い聞かせながら確認"——先日、本紙に掲載された「みんなの投稿」には、読者の皆さまから、無事故のための心掛けとしてさまざまな知恵と工夫が寄せられた。
この一年も、数々の痛ましい交通事故や火災があった。多くは予期せぬところで、突発的に起きている。
過去の記録では、12月は年間で最も交通事故の死者数が多い時期である。警察庁によると、昨年12月に交通事故で亡くなった方の数は全国で298人に上る。
なぜ12月に事故が多いのか。要因の一つは、年末にかけて「忙しさ」が増すことにあろう。
旅行や帰省、年末のあいさつといった人の動きに加え、お歳暮やセール、クリスマスやお正月に合わせた物流に伴い、交通量が増加する。
渋滞や強引な割り込み、クラクションにも過剰反応を起こしがち。気ぜわしい空気が事故を誘発している。
さらに、日没時刻の前後1時間に当たる薄暮時間帯は、死亡事故が特に多く発生している。
冬は日が落ちるのも早いため、早めのヘッドライトの点灯で、周囲からも存在を認識してもらえるようにしたい。
歩行者や自転車に乗る人も冬は暗めの服になりがちだが、明るい服装や反射材の装備など、自分を守る工夫をしよう。
火災にも注意したい。緊急事態宣言下にあった都内では、ガスコンロが原因の住宅火災が増加。寒さをしのぐ暖房器具はもちろん、たばこ・たき火が原因の火災も多い。
たとえ電話や呼び鈴が鳴っても"火を付けたまま、その場を離れない"など基本の習慣から見直し、火災を防ぐための整理整頓や、消火器や避難経路の確認など万が一に備えておきたい。
心理学者のリンダ・パーロフ氏とバーバラ・フェッツァー氏は、ある調査を通して指摘する。
人は日常生活の悪い出来事が自分たちに振りかかるリスクを平均以下に見積もり、自分や身内に限ってありえないと思っているという(マリア・コニコヴァ著『信頼と説得の心理学』ダイレクト出版)。
過信を退け、世間のニュースからも自身を振り返りたい。
「心にふかき・えうじん(用心)」(御書1176ページ)をたもち、無事故で希望・勝利の一年を締めくくろう!
☆桂冠詩人40周年 勇気の舞 凱歌の行進 第19回 壮年部の友へ
◇皆に希望を届ける人間王者たれ
先師 牧口先生も
恩師 戸田先生も
誉れある壮年部の年齢であられた
王冠もなく 名声もなく
非難中傷を
わが身に受けながら
蓮祖の御聖訓どおりの
法戦 また法戦に進んだ
よく わが師
戸田城聖先生は
臆病者は去れ!
去る者は去れ!
批判する者は 勝手にせよ! と
我らの燃えゆく生命体は
大聖人に 直結して
広布の魂に直結しゆく
我らには慈悲の涙がある
真昼の光の強さがある
暗き困難なときにも
美しき また尊き心がある
ともあれ
信心という 宇宙の宝石で
包まれている
◆◇◆
新中国の建設に身を捧げ
革命に生きた周恩来総理も
「勝利とは
座して待つものでなく
戦い取るものである」と
年を重ねても
心は壮んなり!
常に闘争の先頭に立ちて
自ら勝利の原動力となった
広宣流布という
人類最高の偉業に進む我らは
断じて 臆してはならない!
断じて 負けてはならない!
我らが歩みを止めれば
大聖人が悲しむ
人類が 野蛮に破壊される
つまり
人類が 永遠の闇に包まれ
不幸の流転と苦悩を
さまよい続ける
御聖訓にいわく
「今 日蓮等の類い
南無妙法蓮華経と唱え奉るは
大風の吹くが如くなり」
「南無妙法蓮華経は師子吼の如し」
なんと 悠然たる
御聖訓であろうか!
◆◇◆
君の心も 私の心も
燃え続けながら
高邁なる 来る年 来る年を
また一日 また一日と
生命の歴史を 綴っていくのだ
最も この世で美しいものを
見ながら 感じながら
歌いながら!
これだけ多くの宝友と
心と心で交わった私たちは
死後も 三世にわたって
賑やかにして 楽しかろう!
この生命の航路を僚友たちと
ともどもに生き抜き
両手を高々と挙げながら
麗しき月に照らされゆくは
なんと優美な
なんと不滅な
名誉なる足跡か!
◆◇◆
壮年の方々は
社会で勝たねばならない!
職場で勝たねばならない!
多くの人々と 信頼ある
親交を持たねばならない!
一家を 朗らかに大きく包む
城でなければならない!
頑健な身体で
頑健な現実闘争に
勝たねばならない!
自己の生命は
三世永遠に
自己自身なのである
ゆえに 自己自身を
いかに鍛えるか
向上させるか
幸福にさせるか
ここに
人間革命の課題がある
◆◇◆
心の広い人に!
心の深い人に!
心の温かい人に!
心の強い人に!
ここに 仏道修行の
勝利の旗がある
何処に行っても
皆を安心させゆく柱たれ!
皆に希望を持たせゆく 大人たれ!
今いる わが場所が
宝塔と輝きをもつ
人間王者たれ!
☆質問BOX 使命が分かりません。
◇回答
たしかに、"あなたの使命は?"と聞かれても、なかなか明確に答えることは難しいかもしれません。「使命」とは、あらかじめ決められた「運命」のようなものではありません。"自分はこのために「命」を「使う」"と、決めて進む「道」であるといえます。
それは、草の根を分けるように、信心根本に、眼前の一つ一つの課題に全力で取り組む中で見えてくるのです。
池田先生は「人生の道は、人それぞれであり、さまざまな生き方がある。しかし、広宣流布の大使命に生き抜くならば、いかなる道を進もうが、最も自身を輝かせ、人生の勝者となることは絶対に間違いない」とつづられています。
信心に励む中で磨かれる"生命の輝き"が、自分にしか果たすことのできない、使命の道を照らしていくのです。
全ての人に光を当て
陰の努力を称え合おう!
苦楽を分かち合う同志と
笑顔の花咲く語らいを!
報恩抄 P319
『何れの月何れの日何れの夜の何れの時に日出ずるという公家諸家叡山等の日記あるならばすこし信ずるへんもや』
【通解】
いずれの月・いずれの日・いずれの夜、いずれの時間に、太陽が出現したという、公家・諸家・叡山等の日記があるならば、少しは信ずることもできようが、それにも、ぜんぜんないではないか。
名字の言 不動の信念でしなやかに"時代の乱気流"を捉える 2021年12月17日
飛行機に乗っていた時、乱気流に遭遇したことがある。機内から見える翼がうねうねと揺れ、"折れてしまうのでは?"と不安になった▼後で調べてみて分かった。主翼は軽量化され、あえて"しなる"ようになっている。その上で強度を保つために、翼内部の骨組みにストリンガー(縦通材)が張られていた。風による抗力をしなやかに受け、揚力を得る——そこには、強固な構造設計に基づく柔軟性があった▼今月5日、広島で開催された第4回「全国青年教育者実践報告大会」。過剰な校務、児童の暴言や同級生とのトラブル、さまざまな要望への対応……。登壇者は皆、思いもよらぬ試練に直面していた▼しかし、彼らは努力と挑戦を粘り強く積み重ね、試練を価値創造のバネへと転換していった。"子どもの幸福"という目的地を目指す——飛躍の源には「教師こそ最大の教育環境なり」との創価教育の理念があった▼118年前のきょう17日、ライト兄弟は人類初の有人動力飛行に成功した。不可能の通説を覆したのは、"必ず飛ぶ"との執念が生んだ"風を利用する"という柔軟な発想だった。不動の信念でしなやかに"時代の乱気流"を捉える。そこに新たな創造があり、発展があり、飛躍がある。
寸鉄 2021年12月17日
「煩悩即菩提」の仏法だ。必ず苦悩は乗り越えられる。"戦う信心"で前進!
青年が責任を持ち理想の学会を建設せよ—恩師。"今"の行動が未来を創る
変化する社会、学び直す人が増加。遅すぎる事はない。挑戦は若さの源泉
冬場の入浴時は温度差による血圧変動の危険が。脱衣所を暖める等工夫を
年末は空き巣・ひったくり被害が多く。短時間の外出も油断なく戸締まり
〈社説〉 2021・12・17 年末年始 交通事故・火災に注意
◇過信を排した"深き用心"を
"車に乗る時は「信号よーし」「いったんてーし」と呼称運転で発進。停止を自らに言い聞かせながら確認"——先日、本紙に掲載された「みんなの投稿」には、読者の皆さまから、無事故のための心掛けとしてさまざまな知恵と工夫が寄せられた。
この一年も、数々の痛ましい交通事故や火災があった。多くは予期せぬところで、突発的に起きている。
過去の記録では、12月は年間で最も交通事故の死者数が多い時期である。警察庁によると、昨年12月に交通事故で亡くなった方の数は全国で298人に上る。
なぜ12月に事故が多いのか。要因の一つは、年末にかけて「忙しさ」が増すことにあろう。
旅行や帰省、年末のあいさつといった人の動きに加え、お歳暮やセール、クリスマスやお正月に合わせた物流に伴い、交通量が増加する。
渋滞や強引な割り込み、クラクションにも過剰反応を起こしがち。気ぜわしい空気が事故を誘発している。
さらに、日没時刻の前後1時間に当たる薄暮時間帯は、死亡事故が特に多く発生している。
冬は日が落ちるのも早いため、早めのヘッドライトの点灯で、周囲からも存在を認識してもらえるようにしたい。
歩行者や自転車に乗る人も冬は暗めの服になりがちだが、明るい服装や反射材の装備など、自分を守る工夫をしよう。
火災にも注意したい。緊急事態宣言下にあった都内では、ガスコンロが原因の住宅火災が増加。寒さをしのぐ暖房器具はもちろん、たばこ・たき火が原因の火災も多い。
たとえ電話や呼び鈴が鳴っても"火を付けたまま、その場を離れない"など基本の習慣から見直し、火災を防ぐための整理整頓や、消火器や避難経路の確認など万が一に備えておきたい。
心理学者のリンダ・パーロフ氏とバーバラ・フェッツァー氏は、ある調査を通して指摘する。
人は日常生活の悪い出来事が自分たちに振りかかるリスクを平均以下に見積もり、自分や身内に限ってありえないと思っているという(マリア・コニコヴァ著『信頼と説得の心理学』ダイレクト出版)。
過信を退け、世間のニュースからも自身を振り返りたい。
「心にふかき・えうじん(用心)」(御書1176ページ)をたもち、無事故で希望・勝利の一年を締めくくろう!
☆桂冠詩人40周年 勇気の舞 凱歌の行進 第19回 壮年部の友へ
◇皆に希望を届ける人間王者たれ
先師 牧口先生も
恩師 戸田先生も
誉れある壮年部の年齢であられた
王冠もなく 名声もなく
非難中傷を
わが身に受けながら
蓮祖の御聖訓どおりの
法戦 また法戦に進んだ
よく わが師
戸田城聖先生は
臆病者は去れ!
去る者は去れ!
批判する者は 勝手にせよ! と
我らの燃えゆく生命体は
大聖人に 直結して
広布の魂に直結しゆく
我らには慈悲の涙がある
真昼の光の強さがある
暗き困難なときにも
美しき また尊き心がある
ともあれ
信心という 宇宙の宝石で
包まれている
◆◇◆
新中国の建設に身を捧げ
革命に生きた周恩来総理も
「勝利とは
座して待つものでなく
戦い取るものである」と
年を重ねても
心は壮んなり!
常に闘争の先頭に立ちて
自ら勝利の原動力となった
広宣流布という
人類最高の偉業に進む我らは
断じて 臆してはならない!
断じて 負けてはならない!
我らが歩みを止めれば
大聖人が悲しむ
人類が 野蛮に破壊される
つまり
人類が 永遠の闇に包まれ
不幸の流転と苦悩を
さまよい続ける
御聖訓にいわく
「今 日蓮等の類い
南無妙法蓮華経と唱え奉るは
大風の吹くが如くなり」
「南無妙法蓮華経は師子吼の如し」
なんと 悠然たる
御聖訓であろうか!
◆◇◆
君の心も 私の心も
燃え続けながら
高邁なる 来る年 来る年を
また一日 また一日と
生命の歴史を 綴っていくのだ
最も この世で美しいものを
見ながら 感じながら
歌いながら!
これだけ多くの宝友と
心と心で交わった私たちは
死後も 三世にわたって
賑やかにして 楽しかろう!
この生命の航路を僚友たちと
ともどもに生き抜き
両手を高々と挙げながら
麗しき月に照らされゆくは
なんと優美な
なんと不滅な
名誉なる足跡か!
◆◇◆
壮年の方々は
社会で勝たねばならない!
職場で勝たねばならない!
多くの人々と 信頼ある
親交を持たねばならない!
一家を 朗らかに大きく包む
城でなければならない!
頑健な身体で
頑健な現実闘争に
勝たねばならない!
自己の生命は
三世永遠に
自己自身なのである
ゆえに 自己自身を
いかに鍛えるか
向上させるか
幸福にさせるか
ここに
人間革命の課題がある
◆◇◆
心の広い人に!
心の深い人に!
心の温かい人に!
心の強い人に!
ここに 仏道修行の
勝利の旗がある
何処に行っても
皆を安心させゆく柱たれ!
皆に希望を持たせゆく 大人たれ!
今いる わが場所が
宝塔と輝きをもつ
人間王者たれ!
☆質問BOX 使命が分かりません。
◇回答
たしかに、"あなたの使命は?"と聞かれても、なかなか明確に答えることは難しいかもしれません。「使命」とは、あらかじめ決められた「運命」のようなものではありません。"自分はこのために「命」を「使う」"と、決めて進む「道」であるといえます。
それは、草の根を分けるように、信心根本に、眼前の一つ一つの課題に全力で取り組む中で見えてくるのです。
池田先生は「人生の道は、人それぞれであり、さまざまな生き方がある。しかし、広宣流布の大使命に生き抜くならば、いかなる道を進もうが、最も自身を輝かせ、人生の勝者となることは絶対に間違いない」とつづられています。
信心に励む中で磨かれる"生命の輝き"が、自分にしか果たすことのできない、使命の道を照らしていくのです。
2021年12月16日木曜日
2021.12.16 わが友に贈る
誰もが尊き使命の人だ。
一人一人の長所を見つけ
信頼して励まし抜こう!
桜梅桃李の人材城を
わが地域 わが地区に!
妙心尼御前御返事 P1479
『病あれば死ぬべしといふ事不定なり』
【通解】
病になったから必ず死ぬとは限りません。
名字の言 今年を象徴する漢字一字 2021年12月16日
年の瀬が近づくと、一年を振り返るテレビ番組や新聞紙面などが増える。年末恒例ともなった"今年を象徴する漢字一字"に「金」が選ばれたとのニュースもあった▼東京オリンピック・パラリンピックでは日本のメダルラッシュに沸いた。米大リーグの大谷翔平選手はMVP獲得、将棋界では藤井聡太棋士が最年少4冠達成……。数々の金字塔が打ち立てられたことが「金」の理由である▼御書には「信の一字」という言葉が数多く見られる。「一念三千も信の一字より起り三世の諸仏の成道も信の一字より起るなり」(725ページ)、「元品の無明を対治する利剣は信の一字なり」(751ページ)……。日蓮大聖人は「信は仏道の源であり、功徳の母である」(97ページ、通解)と教える▼いわば今年の漢字一字は、世相が"どう見えたか"という表れである。一方、仏法の「信の一字」は、信心の眼で世相を"どう見るか"というまなざしである。さらには、そこに見いだした意味をどのように周囲や環境に連動させ、変革していくか、という意思にも昇華していく▼時代も社会も、人間の生命を映し出していると仏法では見る。ならば、わが人間革命を起点に、いかようにも開いていけると捉え、新しい年に臨みたい。
寸鉄 2021年12月16日
感激し合って帰る座談会に—戸田先生。健闘称え合い、明年へダッシュ!
御書「今日蓮が時に感じて此の法門広宣流布するなり」。青年が先駆し拡大
朝ごとに世界は新しく生まれ変わる—作家。一日の勝利は爽快な祈りから
がんは早期発見が重要—医師。感染落ち着く今が検診の時。先延ばしせず
ごみ収集車の火災多発。スプレー缶や充電池等が原因と。ルール守り廃棄
☆ペルナンブコ連邦大学「名誉博士号」授与式から——池田先生の謝辞
◇価値創造の英知で人類を結べ
一、はじめに、貴・ペルナンブコ連邦大学の栄光の創立75周年、誠におめでとうございます。
「人類の変革と発展」という遠大なビジョンを掲げ、長年にわたり、民衆に英知と希望の光を送ってこられた、偉大なる最高学府の晴れの佳節を、世界192カ国・地域のSGIの友を代表して、心よりお祝い申し上げます。
とともに、ひときわ厳しいコロナ禍の中で、地域の医療に多大なる貢献を果たされ、未曽有の試練を越えて、大学の再開に尽力された、全ての皆さま方の尊き奮闘に、満腔の敬意を表するものであります。
さらに、本年は、貴大学の誉れの卒業生であり、20世紀を代表する偉大な教育思想家である、パウロ・フレイレ博士の生誕100周年でもあります。
この祝賀の折に、博士の名を冠した記念の野外音楽堂で、貴大学からの名誉博士号を賜りますことは、この上ない光栄であります。
私は、この栄誉を、地元ペルナンブコ州はじめ貴国の発展に長年にわたり、誠実に献身を続けてきた、敬愛するブラジルSGIの同志、また、わがブラジル創価学園に学ぶ英才をはじめ後継の若人たちと心一つに、謹んで拝受させていただきます。ゴメス総長はじめ諸先生方、誠に誠に、ありがとうございます。
◇他者と手を携え
一、本日ここに、栄えある貴大学の一員とさせていただいた私は、紋章にある「獅子」と「松明」、そしてラテン語で印された「恐れなき美徳」とのモットーを胸に刻みつつ、先生方と共に、また青年たちと共に、教育ルネサンスの新たな飛躍をと、期しております。
その飛躍への翼は、第一に「民衆へのたゆまぬ貢献」であります。
「教育の獅子」であられたフレイレ博士は、「たゆまぬ正義のたたかいによって、献身的で倦むことを知らぬ闘争によって、世界をつくりかえることが可能だ」(パウロ・フレイレ著『希望の教育学』里見実訳、太郎次郎社エディタス)と叫ばれました。
この獅子吼は、私の恩師であり、民衆教育の大指導者であった戸田城聖先生の教えと響き合っております。
第2次世界大戦中、日本の軍部政府の弾圧による2年の投獄を厳然と勝ち越えた恩師は、私たち青年に「人間革命」という希望の哲理とともに、民衆の幸福勝利のための闘争を示されたのであります。
私が恩師に初めて出会ったのは、奇しくも貴大学が創立された翌年であり、このたゆまぬ師弟旅も、明年で75星霜となります。
私が感嘆してやまないのは、貴大学が常に民衆の側に立ち、世界が抱える社会格差や貧困や環境破壊など、難題の解決に向けて、力強く「持続可能なブラジルの発展」をリードされてきた伝統であります。
フレイレ博士が体現されていた通り、教育は知識の詰め込みではなく、この世界を人々と共に見つめ、「他者と手をたずさえ」、そして「希望と共に闘う」ことによって、「人間としての尊厳」を勝ち光らせていく営みでありましょう。
青年のエンパワーメント(内発的な力の開花)は、民衆奉仕の実践の中で、深く成し遂げられていきます。
その意味において、今、さまざまな苦難を耐え忍びながら懸命に学び抜き、民衆への貢献に挑んでいる、貴国をはじめ世界の若人たちが、必ずや逞しく飛躍を遂げ、人類史の新章節をもたらしてくれることを、私は確信してやまないのであります。
◇多様性こそ
一、次に、第二の翼は「多様性の尊重から生まれる価値創造力」であります。
「多様性なくして、多様な視点もなし。多様な視点なくして、卓越した発展もなし」——このゴメス総長の断固たる信念とリーダーシップのもと、社会の幅広い層の若者に差別なく教育の機会を広げる「アファーマティブ・アクション」(積極的格差是正措置)を推進されてきたのが、貴大学であります。
わがブラジルの誉れの友人たちも、いずこにもまして多様性に富む社会にあって、「桜梅桃李」という、それぞれの個性を最大に尊重し、生かし合っていく、人間共和と万物共生の連帯を織り成しています。
この大らかにして、麗しい寛容の大地ブラジルから、多彩なる価値創造の英知と力が尽きることなく、湧き出ずることでしょう。ここにこそ、人類を結び、自然環境とも調和しゆく地球文明の希望を、私は見いだす一人であります。
さらに、第三の翼は「対話によって共に学ぶ喜び」であります。
「対話は人間の存在の根幹にかかわる希求である」(同著『被抑圧者の教育学』三砂ちづる訳、亜紀書房)とは、フレイレ博士の鋭き洞察でありました。
実は、私たちの創価教育の創始者であり、戦時中、平和と正義の信念に殉じて獄死した牧口常三郎先生はフレイレ博士に先立つこと半世紀の1871年生まれで、今年が生誕150周年となります。
「教師は、自身が尊敬の的となる王座をくだって、王座に向かう者を指導する公僕となり、手本を示す主人ではなくて、手本に導く伴侶となるべきである」
この信念に立つ牧口先生が重視したのも、フレイレ博士と同じく、一方的な知識の伝達ではなく、対話によって学び合う知恵の啓発でありました。
◇互いを敬う
「鏡に向かって礼拝をなす時、浮かべる影また我を礼拝するなり」(御書新版1071ページ・御書全集769ページ)という仏典の美しい譬喩があります。
人間教育の真髄の喜びも、互いに尊厳なる生命を敬い、共に語らい、学び合う中にこそ、あるのではないでしょうか。
この喜びを、老若男女を問わず向学の世界市民が漲らせながら、牧口先生もフレイレ博士も志向された「教育の世紀」へ、貴大学の誇り高き校歌の一節さながらに、共々に飛躍していきたいと思うのであります。
「信念を貫き そして高みを目指すのだ!
我らも 変わらぬ青年の息吹で!
到来する光彩を 我が魂に一層輝かせ!
天空の青は その明るさを増し 生命は 太陽に向かって 幸の微笑みを送るのだ」
ご列席の皆さま方の益々のご健勝と貴大学の限りなき栄光、そして敬愛するペルナンブコ州はじめ、ブラジル連邦共和国の永遠の安穏と繁栄を心より祈って、私の謝辞とさせていただきます。
ムイト・オブリガード!(ポルトガル語で「大変に、ありがとうございました!」)
☆池田先生と共に 希望・勝利の師弟旅 心の財を 富士のごとく 2021年12月6日
白雪の
富士も讃えむ
凱歌かな
晴れわたる師走の青空を衝いて、白雪の富士が王者の風格で、ひときわ堂々と聳え立っていた。
この一年、広布と人生の見事な凱歌を飾った全同志を労い讃える英姿なりと、総本部から八王子市の東京牧口記念会館へ向かう車中、仰ぎ見た(12月2日)。
57年前、沖縄で小説『人間革命』を書き起こした日でもあり、平和への共戦譜を綴ってきた愛する沖縄の宝友の大健闘が偲ばれた。
◇ ◆ ◇
東京牧口記念会館には、殉教の牧口先生が常に拝されていた御書(霊艮閣版)が保管されている。私は、このほど完成した「新版」の御書全集を御宝前に供え、報恩謝徳の祈りを捧げた。
今日に至るまで牧口共栄会をはじめ地元の方々の真心で、会館は美しく整備されている。
日本全国、世界の各国・各地の広宣の法城を守り、荘厳してくださっている尊き同志へ、感謝は尽きない。
◇ ◆ ◇
邪宗門の鉄鎖を断ち切った1991年11月28日。この日を期して、日本中、世界中から燃え上がる地涌の誓願の署名簿などが、多数、届いたことが蘇る。
その一つに、私は贈った。
「独立記念日、万歳!
皆様の幸福記念日、万歳!」と。
日蓮大聖人は「妙法受持の人を賞め讃える者は、福を須弥山のごとく積み」(御書新版209ページ・御書全集291ページ、趣意)と引いておられる。
この三十星霜、創価家族の「心の財」は、いやまして須弥山のごとく、富士のごとく、高く揺るぎなく積み上げられているではないか。
まさしく「魂の独立記念日」は、正義を貫く学会員の「幸福記念日」なのである。
戸田先生は、よく言われた。「自分が幸福になるぐらいは、なんでもない。他人まで幸福にしていこうというのが信心の根底です」と。
女性部の新出発とともに、一段と「桜梅桃李」の多彩なスクラムで明るく楽しく、人間革命の幸と歓喜の波動を起こしていただきたい。
◇ ◆ ◇
富士仰ぎ
富士のごとくの
学びたれ
創立50周年を迎えて、ますます発展しゆく創価大学のキャンパスが本当にうれしかった。
紅葉が冴え彩る構内を巡った。
コロナ禍でも、力を合わせ、工夫して、探究と価値創造の挑戦を止めなかった誇りが伝わってくる。
教職員と関係の方々のたゆまぬ尽力に深謝したい。
使命深き創大生、短大生、そして留学生の健康と成長を心から祈った。ご家族をはじめ、送り出してくれている全ての方々に、安穏と幸福と勝利あれと念願せずにはいられない。
建設中の駅伝部の新「学生寮」も視察できた。
深き友情と信頼で結ばれた、わが"創価のメロス"たちよ、一人ももれなく、栄光凱歌の青春を走りゆけ!
一人一人の長所を見つけ
信頼して励まし抜こう!
桜梅桃李の人材城を
わが地域 わが地区に!
妙心尼御前御返事 P1479
『病あれば死ぬべしといふ事不定なり』
【通解】
病になったから必ず死ぬとは限りません。
名字の言 今年を象徴する漢字一字 2021年12月16日
年の瀬が近づくと、一年を振り返るテレビ番組や新聞紙面などが増える。年末恒例ともなった"今年を象徴する漢字一字"に「金」が選ばれたとのニュースもあった▼東京オリンピック・パラリンピックでは日本のメダルラッシュに沸いた。米大リーグの大谷翔平選手はMVP獲得、将棋界では藤井聡太棋士が最年少4冠達成……。数々の金字塔が打ち立てられたことが「金」の理由である▼御書には「信の一字」という言葉が数多く見られる。「一念三千も信の一字より起り三世の諸仏の成道も信の一字より起るなり」(725ページ)、「元品の無明を対治する利剣は信の一字なり」(751ページ)……。日蓮大聖人は「信は仏道の源であり、功徳の母である」(97ページ、通解)と教える▼いわば今年の漢字一字は、世相が"どう見えたか"という表れである。一方、仏法の「信の一字」は、信心の眼で世相を"どう見るか"というまなざしである。さらには、そこに見いだした意味をどのように周囲や環境に連動させ、変革していくか、という意思にも昇華していく▼時代も社会も、人間の生命を映し出していると仏法では見る。ならば、わが人間革命を起点に、いかようにも開いていけると捉え、新しい年に臨みたい。
寸鉄 2021年12月16日
感激し合って帰る座談会に—戸田先生。健闘称え合い、明年へダッシュ!
御書「今日蓮が時に感じて此の法門広宣流布するなり」。青年が先駆し拡大
朝ごとに世界は新しく生まれ変わる—作家。一日の勝利は爽快な祈りから
がんは早期発見が重要—医師。感染落ち着く今が検診の時。先延ばしせず
ごみ収集車の火災多発。スプレー缶や充電池等が原因と。ルール守り廃棄
☆ペルナンブコ連邦大学「名誉博士号」授与式から——池田先生の謝辞
◇価値創造の英知で人類を結べ
一、はじめに、貴・ペルナンブコ連邦大学の栄光の創立75周年、誠におめでとうございます。
「人類の変革と発展」という遠大なビジョンを掲げ、長年にわたり、民衆に英知と希望の光を送ってこられた、偉大なる最高学府の晴れの佳節を、世界192カ国・地域のSGIの友を代表して、心よりお祝い申し上げます。
とともに、ひときわ厳しいコロナ禍の中で、地域の医療に多大なる貢献を果たされ、未曽有の試練を越えて、大学の再開に尽力された、全ての皆さま方の尊き奮闘に、満腔の敬意を表するものであります。
さらに、本年は、貴大学の誉れの卒業生であり、20世紀を代表する偉大な教育思想家である、パウロ・フレイレ博士の生誕100周年でもあります。
この祝賀の折に、博士の名を冠した記念の野外音楽堂で、貴大学からの名誉博士号を賜りますことは、この上ない光栄であります。
私は、この栄誉を、地元ペルナンブコ州はじめ貴国の発展に長年にわたり、誠実に献身を続けてきた、敬愛するブラジルSGIの同志、また、わがブラジル創価学園に学ぶ英才をはじめ後継の若人たちと心一つに、謹んで拝受させていただきます。ゴメス総長はじめ諸先生方、誠に誠に、ありがとうございます。
◇他者と手を携え
一、本日ここに、栄えある貴大学の一員とさせていただいた私は、紋章にある「獅子」と「松明」、そしてラテン語で印された「恐れなき美徳」とのモットーを胸に刻みつつ、先生方と共に、また青年たちと共に、教育ルネサンスの新たな飛躍をと、期しております。
その飛躍への翼は、第一に「民衆へのたゆまぬ貢献」であります。
「教育の獅子」であられたフレイレ博士は、「たゆまぬ正義のたたかいによって、献身的で倦むことを知らぬ闘争によって、世界をつくりかえることが可能だ」(パウロ・フレイレ著『希望の教育学』里見実訳、太郎次郎社エディタス)と叫ばれました。
この獅子吼は、私の恩師であり、民衆教育の大指導者であった戸田城聖先生の教えと響き合っております。
第2次世界大戦中、日本の軍部政府の弾圧による2年の投獄を厳然と勝ち越えた恩師は、私たち青年に「人間革命」という希望の哲理とともに、民衆の幸福勝利のための闘争を示されたのであります。
私が恩師に初めて出会ったのは、奇しくも貴大学が創立された翌年であり、このたゆまぬ師弟旅も、明年で75星霜となります。
私が感嘆してやまないのは、貴大学が常に民衆の側に立ち、世界が抱える社会格差や貧困や環境破壊など、難題の解決に向けて、力強く「持続可能なブラジルの発展」をリードされてきた伝統であります。
フレイレ博士が体現されていた通り、教育は知識の詰め込みではなく、この世界を人々と共に見つめ、「他者と手をたずさえ」、そして「希望と共に闘う」ことによって、「人間としての尊厳」を勝ち光らせていく営みでありましょう。
青年のエンパワーメント(内発的な力の開花)は、民衆奉仕の実践の中で、深く成し遂げられていきます。
その意味において、今、さまざまな苦難を耐え忍びながら懸命に学び抜き、民衆への貢献に挑んでいる、貴国をはじめ世界の若人たちが、必ずや逞しく飛躍を遂げ、人類史の新章節をもたらしてくれることを、私は確信してやまないのであります。
◇多様性こそ
一、次に、第二の翼は「多様性の尊重から生まれる価値創造力」であります。
「多様性なくして、多様な視点もなし。多様な視点なくして、卓越した発展もなし」——このゴメス総長の断固たる信念とリーダーシップのもと、社会の幅広い層の若者に差別なく教育の機会を広げる「アファーマティブ・アクション」(積極的格差是正措置)を推進されてきたのが、貴大学であります。
わがブラジルの誉れの友人たちも、いずこにもまして多様性に富む社会にあって、「桜梅桃李」という、それぞれの個性を最大に尊重し、生かし合っていく、人間共和と万物共生の連帯を織り成しています。
この大らかにして、麗しい寛容の大地ブラジルから、多彩なる価値創造の英知と力が尽きることなく、湧き出ずることでしょう。ここにこそ、人類を結び、自然環境とも調和しゆく地球文明の希望を、私は見いだす一人であります。
さらに、第三の翼は「対話によって共に学ぶ喜び」であります。
「対話は人間の存在の根幹にかかわる希求である」(同著『被抑圧者の教育学』三砂ちづる訳、亜紀書房)とは、フレイレ博士の鋭き洞察でありました。
実は、私たちの創価教育の創始者であり、戦時中、平和と正義の信念に殉じて獄死した牧口常三郎先生はフレイレ博士に先立つこと半世紀の1871年生まれで、今年が生誕150周年となります。
「教師は、自身が尊敬の的となる王座をくだって、王座に向かう者を指導する公僕となり、手本を示す主人ではなくて、手本に導く伴侶となるべきである」
この信念に立つ牧口先生が重視したのも、フレイレ博士と同じく、一方的な知識の伝達ではなく、対話によって学び合う知恵の啓発でありました。
◇互いを敬う
「鏡に向かって礼拝をなす時、浮かべる影また我を礼拝するなり」(御書新版1071ページ・御書全集769ページ)という仏典の美しい譬喩があります。
人間教育の真髄の喜びも、互いに尊厳なる生命を敬い、共に語らい、学び合う中にこそ、あるのではないでしょうか。
この喜びを、老若男女を問わず向学の世界市民が漲らせながら、牧口先生もフレイレ博士も志向された「教育の世紀」へ、貴大学の誇り高き校歌の一節さながらに、共々に飛躍していきたいと思うのであります。
「信念を貫き そして高みを目指すのだ!
我らも 変わらぬ青年の息吹で!
到来する光彩を 我が魂に一層輝かせ!
天空の青は その明るさを増し 生命は 太陽に向かって 幸の微笑みを送るのだ」
ご列席の皆さま方の益々のご健勝と貴大学の限りなき栄光、そして敬愛するペルナンブコ州はじめ、ブラジル連邦共和国の永遠の安穏と繁栄を心より祈って、私の謝辞とさせていただきます。
ムイト・オブリガード!(ポルトガル語で「大変に、ありがとうございました!」)
☆池田先生と共に 希望・勝利の師弟旅 心の財を 富士のごとく 2021年12月6日
白雪の
富士も讃えむ
凱歌かな
晴れわたる師走の青空を衝いて、白雪の富士が王者の風格で、ひときわ堂々と聳え立っていた。
この一年、広布と人生の見事な凱歌を飾った全同志を労い讃える英姿なりと、総本部から八王子市の東京牧口記念会館へ向かう車中、仰ぎ見た(12月2日)。
57年前、沖縄で小説『人間革命』を書き起こした日でもあり、平和への共戦譜を綴ってきた愛する沖縄の宝友の大健闘が偲ばれた。
◇ ◆ ◇
東京牧口記念会館には、殉教の牧口先生が常に拝されていた御書(霊艮閣版)が保管されている。私は、このほど完成した「新版」の御書全集を御宝前に供え、報恩謝徳の祈りを捧げた。
今日に至るまで牧口共栄会をはじめ地元の方々の真心で、会館は美しく整備されている。
日本全国、世界の各国・各地の広宣の法城を守り、荘厳してくださっている尊き同志へ、感謝は尽きない。
◇ ◆ ◇
邪宗門の鉄鎖を断ち切った1991年11月28日。この日を期して、日本中、世界中から燃え上がる地涌の誓願の署名簿などが、多数、届いたことが蘇る。
その一つに、私は贈った。
「独立記念日、万歳!
皆様の幸福記念日、万歳!」と。
日蓮大聖人は「妙法受持の人を賞め讃える者は、福を須弥山のごとく積み」(御書新版209ページ・御書全集291ページ、趣意)と引いておられる。
この三十星霜、創価家族の「心の財」は、いやまして須弥山のごとく、富士のごとく、高く揺るぎなく積み上げられているではないか。
まさしく「魂の独立記念日」は、正義を貫く学会員の「幸福記念日」なのである。
戸田先生は、よく言われた。「自分が幸福になるぐらいは、なんでもない。他人まで幸福にしていこうというのが信心の根底です」と。
女性部の新出発とともに、一段と「桜梅桃李」の多彩なスクラムで明るく楽しく、人間革命の幸と歓喜の波動を起こしていただきたい。
◇ ◆ ◇
富士仰ぎ
富士のごとくの
学びたれ
創立50周年を迎えて、ますます発展しゆく創価大学のキャンパスが本当にうれしかった。
紅葉が冴え彩る構内を巡った。
コロナ禍でも、力を合わせ、工夫して、探究と価値創造の挑戦を止めなかった誇りが伝わってくる。
教職員と関係の方々のたゆまぬ尽力に深謝したい。
使命深き創大生、短大生、そして留学生の健康と成長を心から祈った。ご家族をはじめ、送り出してくれている全ての方々に、安穏と幸福と勝利あれと念願せずにはいられない。
建設中の駅伝部の新「学生寮」も視察できた。
深き友情と信頼で結ばれた、わが"創価のメロス"たちよ、一人ももれなく、栄光凱歌の青春を走りゆけ!
2021年12月15日水曜日
2021.12.15 わが友に贈る
情報を伝えるだけでは
納得は生まれない。
丁寧な訪問・激励で
相手の思いに耳を傾け
共に決意の一歩を!
治病大小権実違目 P998
『結句は勝負を決せざらん外は此の災難止み難かるべし』
【通解】
結局は、仏法の正邪についての勝負を決する以外には、この災難はやまない。
名字の言 石垣島の気象観測の礎を築いた岩崎卓爾氏 2021年12月15日
100年以上、同じ場所で気象観測を続ける「百年観測所」に、国内で初めて世界気象機関から認定されたのが沖縄・石垣島地方気象台である。そこには、島の気象観測の礎を築いた岩崎卓爾氏の胸像が立つ▼赴任当初は苦難の連続だった。荒天や日照りで被害が出ると、気象観測を理由に住民から非難された。台風の観測中、飛んできた石が当たり右目を失明する。試練に遭うたび、氏は挑戦の心を燃やした▼気象観測の精度向上に努める一方、台風に強い住宅建築の推奨やハブの被害対策を実施。島の案内記や童謡集を著す郷土研究のほか、図書館の創設等にも尽力した。氏の情熱は人々の心に届き、気象観測の発展につながった▼石垣島を中心とした八重山に妙法の火がともった1955年。無理解の壁に苦しみながらも、草創の友は島の繁栄を祈り、対話に歩いた。広布の裾野を広げる中、74年に池田先生が石垣島へ。全国初の中学校への図書贈呈や、地元の名士らを招いての諸精霊追善法要が行われ、学会理解は大きく拡大した▼先生は、仏法を社会に開くのは「"地域のために尽くそう。社会に貢献しよう"という強い一念」と訴える。その確信と行動こそが、万代にわたる信頼と友情の礎となる。
寸鉄 2021年12月15日
「強盛の信力こそありがたく候へ」御書。題目の人は無敵。今日も祈り強く
神奈川・川崎の日。広布の心臓部から拡大の先陣を 師子王の心取り出し前進
「人材を発掘せよ」戸田先生。地道な励ましで人は育つ。皆に宝の使命が
暖房器具が原因の火災増える時季。消毒液の引火も注意。「前前の用心」で
コロナも流感もマスク着用・手洗い・嗽が予防の基本。換気も小まめに励行
☆世界を照らす太陽の仏法」に学ぶ 第19回 師弟直結の教学
◇上野殿後家尼御返事
『法華経の法門をきくにつけて・なをなを信心をはげむを・まことの道心者とは申すなり、天台云く「従藍而青」云云、此の釈の心はあいは葉のときよりも・なをそむれば・いよいよあをし、法華経はあいのごとし修行のふかきは・いよいよあをきがごとし』(御書1505ページ8行目〜10行目)
◇池田先生の講義から
教学を深めることで、疑問が納得に変わり、「そういうことだったのか」と分かれば、さらに強盛な祈りとなります。
「本当にすごい仏法だ」と感じれば、祈りに感謝が生まれます。
「叶わないわけがない」と腹が決まれば、祈りは歓喜に包まれます。
「学」によって「信」が強くなれば、歓喜と感謝の祈りが生まれ、御本尊の功徳力を存分に強く引き出していくことができるのです。
◆◇◆
「学」の道にゴールはありません。
学べば学ぶほど、「学」が深まり、「信」も「行」も深まるのです。永遠に前進し、向上していく健気な信心の人こそ、本当の求道者として、自由自在の境涯に生ききっていける。
学会活動もそのためにあるのです。
悩みや困難に直面した時など、会合へ向かう足が重い場合もあるでしょう。しかし、そういう時こそ、仏の集いである学会の会合に足を運び、教学を学び、体験を聞くことで、生命が躍動します。信心が磨かれ、境涯を開いて、足取りも軽く前進していけるのです。
(『信仰の基本「信行学」』から)
小泊摂 女性部教学部長
◇永遠に前進する求道者に!
「女性部の皆さんは、何があっても題目を唱え抜き、一人も残らず『幸福の天使』として、また『平和の天女』として、『歓喜の中の大歓喜』の舞を、楽しく仲良く伸びやかに繰り広げていってください」
過日の本部幹部会へのメッセージで、池田先生は女性部の新出発を最大に祝福してくださいました。時を同じくして、『日蓮大聖人御書全集 新版』が発刊され、誰よりも深く身読していく使命が女性部にあると襟を正す思いです。
各地の同志からは「現代仮名遣いが用いられていて理解しやすい」「自分に頂いたお手紙のように感じられる」など、早速喜びの声が届いています。
これまで、女性部では「グループ学習・懇談」で御書の一節を拝し、励まし合う中で、実践の教学を心肝に染め、女子部では"教学で立て"との永遠の指針のもと「池田華陽会御書30編」の読了に挑戦し、共に幸福勝利の軌道を歩んできました。
「この一書とともに、『立正安国』『立正安世界』へ、『万年の外未来までも』、地涌の宝友が師弟誓願の不二の旅を歓喜踊躍して進みゆかれることを、私は心から願うものである」——先生が御書新版に寄せられた序文を心に刻み、より多くのメンバーが御書を開き"師弟直結の教学"を身に付けていけるよう、研さん運動の新たな波を起こしてまいります。今回は、「上野殿後家尼御返事」を拝し、「信行学」の「学」についてつづられた先生の講義を学び合っていきましょう。
◇仏界で染め上げる
大聖人は本抄で、藍を何度も重ねて染めれば鮮やかな青となるように、信心をどこまでも深めていくよう、御教示されています。このことについて先生は次のように講義されています。
「信心も、日々、自身の願いや目標に向かって、実践に励み、努力していくからこそ、祈りが強くなり、信心が深まるのです。御書を拝していく意義も同じです。戦いの中で何度も何度も拝していくことによって、自身の生命に、大聖人の勇気と正義のお振る舞い、弟子を思う大慈悲、何より妙法流布への大情熱を焼き付けるのです。そして、わが生命を仏界で染め上げるのです」
尼御前は、困難に遭遇したからこそ、御指導が命に響き、信心を深めていったと考えられます。それは私たちにも通じる原理ではないでしょうか。
コロナ禍により生活は一変し、それぞれが思いがけない苦悩を抱えました。対面が制限される中、私たちは、オンラインで御書を拝読したり、先生の講義を学んだりと、工夫を凝らして励まし合ってきました。これまで親しんできた御書を読み返し"この御文は今の自分への指針だ""今こそ自身の発迹顕本を"など、新たな感動と決意が湧いてきた人も少なくないと思います。
こうした触発のネットワークが一人一人の地涌の底力を呼び覚まし、対話の大波となって、民衆勝利の歴史を開くことができたのです。
わが家も、昨年夏、夫が突然の病で倒れ、救急搬送されて、九死に一生を得ました。同時期に、同居している姑の老化が急激に進み、日常生活に支障を来すように。葛藤の日々が続きました。「開目抄」の「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし」(御書234ページ)を何度も口ずさみ、必ず変毒為薬してみせると祈り、戦いました。
その結果、夫は1カ月で職場に復帰し、食生活などを見直して健康管理に気を配っています。姑は周囲の方々の応援も得て介護施設に通い始めたことで元気になり、卒寿(90歳)を晴れやかに迎えることができました。今、広布に全力投球できる日々に感謝でいっぱいです。
◇"1期生"の誇り高く
「一流の学者を凌駕する深き研さんと、みずからの成長をはかりゆくものであってほしい」——1987年(昭和62年)、先生のお心を体して、男女青年部による御書研さん運動が全国で巻き起こりました。各地で一つの御書を徹底して学び、"真の人間主義とは?""真の幸福とは?"と時のたつのも忘れて語り合いました。この時、十大部を始め、各地の研究論文が先生のご監修をいただいて、聖教新聞や「大白蓮華」等に掲載されていったのです。
運動の女子部の責任者として、各地の研さんメンバーと、懸命に学び抜いたことが、自身の信心の土台となっています。"青春の誓いを果たす時は今!"との決意で、女性部の教学運動に全力で取り組んでまいります。
新出発した女性部は、年齢の幅が広がり、ライフスタイルもさまざまです。だからこそ学び合えることがたくさんあります。池田華陽会、ヤング白ゆり世代、そして、多宝会の先輩も、皆、地涌の使命に生きる池田門下生です。
「此文を心ざしあらん人人は寄合て御覧じ料簡候て心なぐさませ給へ」(同961ページ)の通り、嬉しい時も、苦しい時も、師に心を合わせて、共に御書を拝し「行学の二道」を朗らかに歩んでいこうではありませんか。"女性部1期生"の誇りも高く、学び、語り、幸のスクラムを幾重にも広げていきましょう。
◇メモ
「上野殿後家尼御返事」は、南条時光の母・上野尼御前に与えられたお手紙。日蓮大聖人は本抄で、夫・南条兵衛七郎を若くして病気で失い、悲しみに耐えながら子どもたちを育てる尼御前を、抱きかかえるように励まされている。法華経の行者であった夫は必ず成仏しており、妙法で結ばれた夫婦は、死によって隔てられることなく、いつも一緒であると強調される。孤軍奮闘する尼御前は、師の一言一言を真っすぐに受け止めて立ち上がり、子どもたちに信心を伝えていった。
納得は生まれない。
丁寧な訪問・激励で
相手の思いに耳を傾け
共に決意の一歩を!
治病大小権実違目 P998
『結句は勝負を決せざらん外は此の災難止み難かるべし』
【通解】
結局は、仏法の正邪についての勝負を決する以外には、この災難はやまない。
名字の言 石垣島の気象観測の礎を築いた岩崎卓爾氏 2021年12月15日
100年以上、同じ場所で気象観測を続ける「百年観測所」に、国内で初めて世界気象機関から認定されたのが沖縄・石垣島地方気象台である。そこには、島の気象観測の礎を築いた岩崎卓爾氏の胸像が立つ▼赴任当初は苦難の連続だった。荒天や日照りで被害が出ると、気象観測を理由に住民から非難された。台風の観測中、飛んできた石が当たり右目を失明する。試練に遭うたび、氏は挑戦の心を燃やした▼気象観測の精度向上に努める一方、台風に強い住宅建築の推奨やハブの被害対策を実施。島の案内記や童謡集を著す郷土研究のほか、図書館の創設等にも尽力した。氏の情熱は人々の心に届き、気象観測の発展につながった▼石垣島を中心とした八重山に妙法の火がともった1955年。無理解の壁に苦しみながらも、草創の友は島の繁栄を祈り、対話に歩いた。広布の裾野を広げる中、74年に池田先生が石垣島へ。全国初の中学校への図書贈呈や、地元の名士らを招いての諸精霊追善法要が行われ、学会理解は大きく拡大した▼先生は、仏法を社会に開くのは「"地域のために尽くそう。社会に貢献しよう"という強い一念」と訴える。その確信と行動こそが、万代にわたる信頼と友情の礎となる。
寸鉄 2021年12月15日
「強盛の信力こそありがたく候へ」御書。題目の人は無敵。今日も祈り強く
神奈川・川崎の日。広布の心臓部から拡大の先陣を 師子王の心取り出し前進
「人材を発掘せよ」戸田先生。地道な励ましで人は育つ。皆に宝の使命が
暖房器具が原因の火災増える時季。消毒液の引火も注意。「前前の用心」で
コロナも流感もマスク着用・手洗い・嗽が予防の基本。換気も小まめに励行
☆世界を照らす太陽の仏法」に学ぶ 第19回 師弟直結の教学
◇上野殿後家尼御返事
『法華経の法門をきくにつけて・なをなを信心をはげむを・まことの道心者とは申すなり、天台云く「従藍而青」云云、此の釈の心はあいは葉のときよりも・なをそむれば・いよいよあをし、法華経はあいのごとし修行のふかきは・いよいよあをきがごとし』(御書1505ページ8行目〜10行目)
◇池田先生の講義から
教学を深めることで、疑問が納得に変わり、「そういうことだったのか」と分かれば、さらに強盛な祈りとなります。
「本当にすごい仏法だ」と感じれば、祈りに感謝が生まれます。
「叶わないわけがない」と腹が決まれば、祈りは歓喜に包まれます。
「学」によって「信」が強くなれば、歓喜と感謝の祈りが生まれ、御本尊の功徳力を存分に強く引き出していくことができるのです。
◆◇◆
「学」の道にゴールはありません。
学べば学ぶほど、「学」が深まり、「信」も「行」も深まるのです。永遠に前進し、向上していく健気な信心の人こそ、本当の求道者として、自由自在の境涯に生ききっていける。
学会活動もそのためにあるのです。
悩みや困難に直面した時など、会合へ向かう足が重い場合もあるでしょう。しかし、そういう時こそ、仏の集いである学会の会合に足を運び、教学を学び、体験を聞くことで、生命が躍動します。信心が磨かれ、境涯を開いて、足取りも軽く前進していけるのです。
(『信仰の基本「信行学」』から)
小泊摂 女性部教学部長
◇永遠に前進する求道者に!
「女性部の皆さんは、何があっても題目を唱え抜き、一人も残らず『幸福の天使』として、また『平和の天女』として、『歓喜の中の大歓喜』の舞を、楽しく仲良く伸びやかに繰り広げていってください」
過日の本部幹部会へのメッセージで、池田先生は女性部の新出発を最大に祝福してくださいました。時を同じくして、『日蓮大聖人御書全集 新版』が発刊され、誰よりも深く身読していく使命が女性部にあると襟を正す思いです。
各地の同志からは「現代仮名遣いが用いられていて理解しやすい」「自分に頂いたお手紙のように感じられる」など、早速喜びの声が届いています。
これまで、女性部では「グループ学習・懇談」で御書の一節を拝し、励まし合う中で、実践の教学を心肝に染め、女子部では"教学で立て"との永遠の指針のもと「池田華陽会御書30編」の読了に挑戦し、共に幸福勝利の軌道を歩んできました。
「この一書とともに、『立正安国』『立正安世界』へ、『万年の外未来までも』、地涌の宝友が師弟誓願の不二の旅を歓喜踊躍して進みゆかれることを、私は心から願うものである」——先生が御書新版に寄せられた序文を心に刻み、より多くのメンバーが御書を開き"師弟直結の教学"を身に付けていけるよう、研さん運動の新たな波を起こしてまいります。今回は、「上野殿後家尼御返事」を拝し、「信行学」の「学」についてつづられた先生の講義を学び合っていきましょう。
◇仏界で染め上げる
大聖人は本抄で、藍を何度も重ねて染めれば鮮やかな青となるように、信心をどこまでも深めていくよう、御教示されています。このことについて先生は次のように講義されています。
「信心も、日々、自身の願いや目標に向かって、実践に励み、努力していくからこそ、祈りが強くなり、信心が深まるのです。御書を拝していく意義も同じです。戦いの中で何度も何度も拝していくことによって、自身の生命に、大聖人の勇気と正義のお振る舞い、弟子を思う大慈悲、何より妙法流布への大情熱を焼き付けるのです。そして、わが生命を仏界で染め上げるのです」
尼御前は、困難に遭遇したからこそ、御指導が命に響き、信心を深めていったと考えられます。それは私たちにも通じる原理ではないでしょうか。
コロナ禍により生活は一変し、それぞれが思いがけない苦悩を抱えました。対面が制限される中、私たちは、オンラインで御書を拝読したり、先生の講義を学んだりと、工夫を凝らして励まし合ってきました。これまで親しんできた御書を読み返し"この御文は今の自分への指針だ""今こそ自身の発迹顕本を"など、新たな感動と決意が湧いてきた人も少なくないと思います。
こうした触発のネットワークが一人一人の地涌の底力を呼び覚まし、対話の大波となって、民衆勝利の歴史を開くことができたのです。
わが家も、昨年夏、夫が突然の病で倒れ、救急搬送されて、九死に一生を得ました。同時期に、同居している姑の老化が急激に進み、日常生活に支障を来すように。葛藤の日々が続きました。「開目抄」の「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし」(御書234ページ)を何度も口ずさみ、必ず変毒為薬してみせると祈り、戦いました。
その結果、夫は1カ月で職場に復帰し、食生活などを見直して健康管理に気を配っています。姑は周囲の方々の応援も得て介護施設に通い始めたことで元気になり、卒寿(90歳)を晴れやかに迎えることができました。今、広布に全力投球できる日々に感謝でいっぱいです。
◇"1期生"の誇り高く
「一流の学者を凌駕する深き研さんと、みずからの成長をはかりゆくものであってほしい」——1987年(昭和62年)、先生のお心を体して、男女青年部による御書研さん運動が全国で巻き起こりました。各地で一つの御書を徹底して学び、"真の人間主義とは?""真の幸福とは?"と時のたつのも忘れて語り合いました。この時、十大部を始め、各地の研究論文が先生のご監修をいただいて、聖教新聞や「大白蓮華」等に掲載されていったのです。
運動の女子部の責任者として、各地の研さんメンバーと、懸命に学び抜いたことが、自身の信心の土台となっています。"青春の誓いを果たす時は今!"との決意で、女性部の教学運動に全力で取り組んでまいります。
新出発した女性部は、年齢の幅が広がり、ライフスタイルもさまざまです。だからこそ学び合えることがたくさんあります。池田華陽会、ヤング白ゆり世代、そして、多宝会の先輩も、皆、地涌の使命に生きる池田門下生です。
「此文を心ざしあらん人人は寄合て御覧じ料簡候て心なぐさませ給へ」(同961ページ)の通り、嬉しい時も、苦しい時も、師に心を合わせて、共に御書を拝し「行学の二道」を朗らかに歩んでいこうではありませんか。"女性部1期生"の誇りも高く、学び、語り、幸のスクラムを幾重にも広げていきましょう。
◇メモ
「上野殿後家尼御返事」は、南条時光の母・上野尼御前に与えられたお手紙。日蓮大聖人は本抄で、夫・南条兵衛七郎を若くして病気で失い、悲しみに耐えながら子どもたちを育てる尼御前を、抱きかかえるように励まされている。法華経の行者であった夫は必ず成仏しており、妙法で結ばれた夫婦は、死によって隔てられることなく、いつも一緒であると強調される。孤軍奮闘する尼御前は、師の一言一言を真っすぐに受け止めて立ち上がり、子どもたちに信心を伝えていった。
2021年12月14日火曜日
2021.12.14 わが友に贈る
人知れぬ地道な挑戦が
勝利への確かな道だ。
「十年一剣を磨く」
この信念で粘り強く
自身を鍛えよう!
四条金吾殿御返事 P1192
『夫れ運きはまりぬれば兵法もいらず果報つきぬれば所従もしたがはず』
【通解】
福運がなくなれば、どんな兵法も役に立たなくなり、果報が尽きてしまえば、従うべき人も従わなくなる。
53名字の言 感謝を伝えたい——ある壮年部員の実践 2021年12月14日
師走になると、各地の友人に電話をかける壮年部員がいる。先日、その彼から連絡が来た。「今年のうちにお礼が言いたくて!」。年始に年賀状をもらい、新鮮な気持ちで一年を出発するのもいいが、年末にこうして年を締めくくるのもまたいい▼彼は日頃、人から声を掛けられたり、手紙をもらったりする中で「心に残った言葉」をノートに書きとどめている。その言葉をくれた人への感謝を"年内に肉声でじかに伝えよう"と電話をしているのだという▼彼の話を聞きながら、二つのことを思った。一つは内容が具体的であること。"何月何日に、これをしていた時、こう言ってくれたことが、とてもうれしかった"と。抽象的表現や単なる美辞麗句では胸に響くまい▼もう一つは、他の方からの「心に残った言葉」も聞いたが、どれも彼の頑張りをたたえる真心に満ちたものだった。御書に「あまりに人が自分を褒める時は、『どんなふうにでもなろう』という心が出てくるものである」(1359ページ、通解)と。心根の良い同志に囲まれて信心に励んだからこそ、彼の大成長の一年があったのだと納得できた▼悩む友が奮い立つ励ましの声。広布前進を加速させる希望の声——真実の言葉を惜しむまい。]
寸鉄 2021年12月14日
学会員の生き方と行動が仏教の慈悲を体現—教授 創価の運動こそ未来創る
「関西女性の日」制定20周年。「常勝の門」開く太陽。福徳広げる語らい今日も
埼玉女性部の日。誉れの師弟共戦の連帯。地域に希望と励ましの対話拡大
「ながらスマホ」事故が後を絶たず。ちょっとだけが命取り。油断を排して
国内の温室効果ガス排出量が過去最少と。地球を守る意識変革と努力更に
☆ONE GOSHO この一節とともに! 妙密上人御消息
◇賛嘆の心に福徳輝く
学会活動における日々の励ましは、妙法を賛嘆し、功徳を広げる実践である——。青年が飛躍する明年への出発に際し、「たたえる心」に功徳が満ちる法理を学ぶ。
◇御文
『金はやけば弥色まさり剣はとげば弥利くなる・法華経の功徳はほむれば弥功徳まさる、二十八品は正き事はわずかなり讃むる言こそ多く候へと思食すべし』(御書1241ページ)
◇通解
金は、焼けばいよいよ色が良くなり、剣は、研げばいよいよよく切れるようになる。
(同じように)法華経の功徳をたたえるなら、ますます功徳が勝っていく。
(法華経)28品は、法理の真髄を説くところは、わずかであるが、たたえる言葉こそ多くあることを、心得ていきなさい。
◇背景
本抄は建治2年(1276年)閏3月、日蓮大聖人が身延で著され、妙密上人に送られたお手紙である。妙密上人について詳しくは明らかになっていないが、信心強盛な門下であったと考えられている。また、本抄の内容から、夫妻で信心に励み、折あるごとに大聖人に御供養を届けた、功労の弟子であることがうかがえる。
本抄では、大聖人をお守りする妙密上人の志自体が、日本国に法華経の題目を弘めていることに等しく、その功徳は妙密上人の身に集まり、諸天善神から必ず守護されると仰せになっている。
◇解説
金が輝きを増し、剣がより鋭くなる。この二つの例えを日蓮大聖人は、「功徳が勝る」ことに重ねられている。
金が輝くには精錬が必要であり、剣が鋭さを増すには「研ぐ」ことが欠かせない。同じように、妙法を実践する功徳がますます豊かになるのは、法華経の功徳を「たたえる」からであると、大聖人は教えられている。
この「たたえる」ことの意義を御教示されているのが、「二十八品は正き事はわずかなり讃むる言こそ多く候へと思食すべし」との一節である。
「二十八品」は、法華経28品を指す。法華経には、28品全体を通じて、仏や法華経そのものを賛嘆する言葉が数多くつづられている。一方で、「正き事」、すなわち法理の真髄が述べられた箇所はわずかである。
これは、万人成仏の法理が法華経の文底に秘められているからである。そして、その肝要を南無妙法蓮華経として顕されたのが大聖人である。
ゆえに、法華経は、南無妙法蓮華経の偉大さをたたえる経典だと言える。法華経の真髄である南無妙法蓮華経を称賛する心に、無量の福徳があふれるのである。
それでは、私たちにとって「法華経の功徳をたたえる」実践とは何であろうか。具体的には、信心の喜びや功徳の体験を周囲の友に語っていくことである。
友人に対話することで、福徳が積まれていく。相手がどんな反応をしようとも、積まれる功徳は全く同じである。そして、下種仏法であるがゆえに、相手の生命にまかれた妙法の種が、必ず幸福の大輪を咲かせていくことは間違いない。
また、広布に生きる同志を尊敬し、励ましていくことも「法華経の功徳をたたえる」ことに通じる実践である。皆が互いにたたえ合い、励まし合っていく——。そこから、生きる希望と困難に挑む勇気が湧き出ることは、多くの学会員が体験してきた事実である。
今回の拝読御文に照らせば、そうした「たたえる」実践の一つ一つが、法華経の真実を伝え広げていくことであると言えよう。
池田先生は語っている。
「頑張っている人を、たたえればたたえるほど、自身にも組織にも『福運』と『勢い』がつく。仏子を『ほめたたえる心が強い』ことが、『仏界が強い』証拠でもある。『御本尊をたたえ、広宣流布の勇者をたたえることのできる人』が『仏界の強い人』である」
学会創立100周年への"初陣"となった本年、私たちはコロナ禍の中、険難の峰を勝ち越え、民衆勝利の正義の実証を打ち立てた。そこには、一人一人が自分自身の壁に挑み、広布のために奮闘してきた、それぞれのドラマがある。
互いの挑戦を心からたたえ合いながら、明「青年・飛躍の年」へ決意を新たにしていきたい。
☆大学校生とナットクTALK テーマ:弘教
男子部大学校生からの質問に答える連載「大学校生とナットクTALK」。今回は「弘教」について。折伏に悩む木邑ニュー・リーダーが中村団長に相談します。
◇テーマ:弘教
登場人物
中村区男子部大学校団長 20歳の時に入会。情熱に燃える新進気鋭のリーダー。34歳。
木邑ニュー・リーダー 男子部大学校4期生。アパレル店で働く24歳。
Q体験がありません
Aありのまま率直に語ることが大切
中村区男子部大学校団長 先週の指導会は皆の熱意がすごかったね。僕も大学校生と一緒に頑張ろうと改めて決意したよ。木邑君は仏法対話に挑戦したって言ってたね!
木邑ニュー・リーダー 初めて友達に学会の話をして、会合に誘ってみたんですけど、断られちゃいました。学会が世界中に広がっているとか、池田先生が各界の一流の方々と対話をしてこられたとか、"すごいね"とは言ってくれたんですけど、"信心する気はない"と言われてしまって……。
中村 でも、勇気を出して対話したこと自体、すごいことだよ! 相手が信心する「発心下種」も、信心しない「聞法下種」も、妙法を伝えた功徳は同じだからね。
木邑 僕には"大病を乗り越えた"とか"経済革命した"とか、大きな信心の体験がないから、折伏がうまくいかないんじゃないかと思うんですが……。
中村 その気持ち、分かる! 僕も大学校時代に折伏を始めた時に、同じように悩んだよ。その時、先輩から「立派な話をしようと肩肘を張る必要はないんだ。自分が"信心して良かった"と感じた率直な気持ちを、ありのまま友人に語ることが大切じゃないかな。"立派な誰か"の話より、"身近な中村君"の等身大の思いこそが、友人の心に最も響くと思うよ」ってアドバイスされたんだ。
木邑 そうだったんですね。
中村 折伏は「難事中の難事」だからね。池田先生も若い頃は、弘教がなかなか実らず悩まれていたそうだよ。当時を振り返った先生の随筆には「自分が不甲斐なく、どう語ればよいのか、必死に研究もした。そして、祈りに祈り、"もう一人""もう一人"との思いで、折伏行を重ねた。それが、どれほど大きな自身の力となっていったか計り知れない」とあるよ。
木邑 池田先生もですか!?
中村 そう。僕がかつて対話が実らずに悩んでいた時、当時の団長から「大事なのは諦めない心だよ」って言われたんだ。「いまだこりず候法華経は種の如く仏はうへての如く衆生は田の如くなり」(御書1056ページ)との御文を拝して、「いつ芽が出るか分からないけど、『いまだこりず候』との思いで、種をまき続けよう!」って激励してくれたんだよ。大変だった分、初めて弘教が実った時は、めちゃくちゃうれしかった。その大学校時代の折伏が、信心の大きな原点なんだ。
木邑 僕も諦めずに挑戦していきます!
中村 すごいね! 一緒に頑張ろう!
勝利への確かな道だ。
「十年一剣を磨く」
この信念で粘り強く
自身を鍛えよう!
四条金吾殿御返事 P1192
『夫れ運きはまりぬれば兵法もいらず果報つきぬれば所従もしたがはず』
【通解】
福運がなくなれば、どんな兵法も役に立たなくなり、果報が尽きてしまえば、従うべき人も従わなくなる。
53名字の言 感謝を伝えたい——ある壮年部員の実践 2021年12月14日
師走になると、各地の友人に電話をかける壮年部員がいる。先日、その彼から連絡が来た。「今年のうちにお礼が言いたくて!」。年始に年賀状をもらい、新鮮な気持ちで一年を出発するのもいいが、年末にこうして年を締めくくるのもまたいい▼彼は日頃、人から声を掛けられたり、手紙をもらったりする中で「心に残った言葉」をノートに書きとどめている。その言葉をくれた人への感謝を"年内に肉声でじかに伝えよう"と電話をしているのだという▼彼の話を聞きながら、二つのことを思った。一つは内容が具体的であること。"何月何日に、これをしていた時、こう言ってくれたことが、とてもうれしかった"と。抽象的表現や単なる美辞麗句では胸に響くまい▼もう一つは、他の方からの「心に残った言葉」も聞いたが、どれも彼の頑張りをたたえる真心に満ちたものだった。御書に「あまりに人が自分を褒める時は、『どんなふうにでもなろう』という心が出てくるものである」(1359ページ、通解)と。心根の良い同志に囲まれて信心に励んだからこそ、彼の大成長の一年があったのだと納得できた▼悩む友が奮い立つ励ましの声。広布前進を加速させる希望の声——真実の言葉を惜しむまい。]
寸鉄 2021年12月14日
学会員の生き方と行動が仏教の慈悲を体現—教授 創価の運動こそ未来創る
「関西女性の日」制定20周年。「常勝の門」開く太陽。福徳広げる語らい今日も
埼玉女性部の日。誉れの師弟共戦の連帯。地域に希望と励ましの対話拡大
「ながらスマホ」事故が後を絶たず。ちょっとだけが命取り。油断を排して
国内の温室効果ガス排出量が過去最少と。地球を守る意識変革と努力更に
☆ONE GOSHO この一節とともに! 妙密上人御消息
◇賛嘆の心に福徳輝く
学会活動における日々の励ましは、妙法を賛嘆し、功徳を広げる実践である——。青年が飛躍する明年への出発に際し、「たたえる心」に功徳が満ちる法理を学ぶ。
◇御文
『金はやけば弥色まさり剣はとげば弥利くなる・法華経の功徳はほむれば弥功徳まさる、二十八品は正き事はわずかなり讃むる言こそ多く候へと思食すべし』(御書1241ページ)
◇通解
金は、焼けばいよいよ色が良くなり、剣は、研げばいよいよよく切れるようになる。
(同じように)法華経の功徳をたたえるなら、ますます功徳が勝っていく。
(法華経)28品は、法理の真髄を説くところは、わずかであるが、たたえる言葉こそ多くあることを、心得ていきなさい。
◇背景
本抄は建治2年(1276年)閏3月、日蓮大聖人が身延で著され、妙密上人に送られたお手紙である。妙密上人について詳しくは明らかになっていないが、信心強盛な門下であったと考えられている。また、本抄の内容から、夫妻で信心に励み、折あるごとに大聖人に御供養を届けた、功労の弟子であることがうかがえる。
本抄では、大聖人をお守りする妙密上人の志自体が、日本国に法華経の題目を弘めていることに等しく、その功徳は妙密上人の身に集まり、諸天善神から必ず守護されると仰せになっている。
◇解説
金が輝きを増し、剣がより鋭くなる。この二つの例えを日蓮大聖人は、「功徳が勝る」ことに重ねられている。
金が輝くには精錬が必要であり、剣が鋭さを増すには「研ぐ」ことが欠かせない。同じように、妙法を実践する功徳がますます豊かになるのは、法華経の功徳を「たたえる」からであると、大聖人は教えられている。
この「たたえる」ことの意義を御教示されているのが、「二十八品は正き事はわずかなり讃むる言こそ多く候へと思食すべし」との一節である。
「二十八品」は、法華経28品を指す。法華経には、28品全体を通じて、仏や法華経そのものを賛嘆する言葉が数多くつづられている。一方で、「正き事」、すなわち法理の真髄が述べられた箇所はわずかである。
これは、万人成仏の法理が法華経の文底に秘められているからである。そして、その肝要を南無妙法蓮華経として顕されたのが大聖人である。
ゆえに、法華経は、南無妙法蓮華経の偉大さをたたえる経典だと言える。法華経の真髄である南無妙法蓮華経を称賛する心に、無量の福徳があふれるのである。
それでは、私たちにとって「法華経の功徳をたたえる」実践とは何であろうか。具体的には、信心の喜びや功徳の体験を周囲の友に語っていくことである。
友人に対話することで、福徳が積まれていく。相手がどんな反応をしようとも、積まれる功徳は全く同じである。そして、下種仏法であるがゆえに、相手の生命にまかれた妙法の種が、必ず幸福の大輪を咲かせていくことは間違いない。
また、広布に生きる同志を尊敬し、励ましていくことも「法華経の功徳をたたえる」ことに通じる実践である。皆が互いにたたえ合い、励まし合っていく——。そこから、生きる希望と困難に挑む勇気が湧き出ることは、多くの学会員が体験してきた事実である。
今回の拝読御文に照らせば、そうした「たたえる」実践の一つ一つが、法華経の真実を伝え広げていくことであると言えよう。
池田先生は語っている。
「頑張っている人を、たたえればたたえるほど、自身にも組織にも『福運』と『勢い』がつく。仏子を『ほめたたえる心が強い』ことが、『仏界が強い』証拠でもある。『御本尊をたたえ、広宣流布の勇者をたたえることのできる人』が『仏界の強い人』である」
学会創立100周年への"初陣"となった本年、私たちはコロナ禍の中、険難の峰を勝ち越え、民衆勝利の正義の実証を打ち立てた。そこには、一人一人が自分自身の壁に挑み、広布のために奮闘してきた、それぞれのドラマがある。
互いの挑戦を心からたたえ合いながら、明「青年・飛躍の年」へ決意を新たにしていきたい。
☆大学校生とナットクTALK テーマ:弘教
男子部大学校生からの質問に答える連載「大学校生とナットクTALK」。今回は「弘教」について。折伏に悩む木邑ニュー・リーダーが中村団長に相談します。
◇テーマ:弘教
登場人物
中村区男子部大学校団長 20歳の時に入会。情熱に燃える新進気鋭のリーダー。34歳。
木邑ニュー・リーダー 男子部大学校4期生。アパレル店で働く24歳。
Q体験がありません
Aありのまま率直に語ることが大切
中村区男子部大学校団長 先週の指導会は皆の熱意がすごかったね。僕も大学校生と一緒に頑張ろうと改めて決意したよ。木邑君は仏法対話に挑戦したって言ってたね!
木邑ニュー・リーダー 初めて友達に学会の話をして、会合に誘ってみたんですけど、断られちゃいました。学会が世界中に広がっているとか、池田先生が各界の一流の方々と対話をしてこられたとか、"すごいね"とは言ってくれたんですけど、"信心する気はない"と言われてしまって……。
中村 でも、勇気を出して対話したこと自体、すごいことだよ! 相手が信心する「発心下種」も、信心しない「聞法下種」も、妙法を伝えた功徳は同じだからね。
木邑 僕には"大病を乗り越えた"とか"経済革命した"とか、大きな信心の体験がないから、折伏がうまくいかないんじゃないかと思うんですが……。
中村 その気持ち、分かる! 僕も大学校時代に折伏を始めた時に、同じように悩んだよ。その時、先輩から「立派な話をしようと肩肘を張る必要はないんだ。自分が"信心して良かった"と感じた率直な気持ちを、ありのまま友人に語ることが大切じゃないかな。"立派な誰か"の話より、"身近な中村君"の等身大の思いこそが、友人の心に最も響くと思うよ」ってアドバイスされたんだ。
木邑 そうだったんですね。
中村 折伏は「難事中の難事」だからね。池田先生も若い頃は、弘教がなかなか実らず悩まれていたそうだよ。当時を振り返った先生の随筆には「自分が不甲斐なく、どう語ればよいのか、必死に研究もした。そして、祈りに祈り、"もう一人""もう一人"との思いで、折伏行を重ねた。それが、どれほど大きな自身の力となっていったか計り知れない」とあるよ。
木邑 池田先生もですか!?
中村 そう。僕がかつて対話が実らずに悩んでいた時、当時の団長から「大事なのは諦めない心だよ」って言われたんだ。「いまだこりず候法華経は種の如く仏はうへての如く衆生は田の如くなり」(御書1056ページ)との御文を拝して、「いつ芽が出るか分からないけど、『いまだこりず候』との思いで、種をまき続けよう!」って激励してくれたんだよ。大変だった分、初めて弘教が実った時は、めちゃくちゃうれしかった。その大学校時代の折伏が、信心の大きな原点なんだ。
木邑 僕も諦めずに挑戦していきます!
中村 すごいね! 一緒に頑張ろう!
2021年12月13日月曜日
2021.12.13 わが友に贈る
◇今週のことば
我らの座談会は
生命飛躍の滑走路なり。
健闘を労い希望の対話を。
会場のご家族に感謝し
勢いよく新年へ出発だ!
2021年12月12日
下山御消息 P350
『此等の経文の亀鏡をもて両火房が身に指し当て見よ少もくもりなからん、一には名は持戒ときこゆれども実には放逸なるか二には慳貪なるか三には嫉妬なるか四には邪見なるか五には婬乱なるか此の五にはすぐべからず』
【通解】
経文を鏡(規範)として、両火房(極楽寺良観のこと)の身に当てはめてみよ。少しの曇りもなく符合するではないか。一つには、名は持戒の僧と世に聞こえるけれども、実際は放逸であるか。二つには慳貪であるか。三つには嫉妬であるか。四つには邪見であるか。五つには婬乱であるか。この五事に尽きるではないか。
名字の言 創大駅伝部と共にラストスパート! 2021年12月12日
新春の箱根駅伝にエントリーする各チーム16人が決定した。本番を走るのは10人。ここからさらにチーム内で競い合うことになる▼選ばれる選手がいる一方、選ばれなかった多くの選手がいるのは、どの大学も同じだろう。前回大会直後、創価大学の榎木監督が語っていた。約3分の2の選手はエントリーから外れ、悔し涙をのんだ。その中でも"0区"と呼ばれる箱根直前の記録会で、選外になった選手の多くが自己新を出した。サポートに回ったメンバーの走りが箱根に挑む選手たちを勢いづけてくれた、と▼今回も創大は選手の約3分の2がサポートに回る。その中には直前の競技会で自己記録を更新したメンバーも、これが最後になる4年生もいる。ここに至るまで、どれほどの努力があり、挑戦があったことか。彼らの力走をたたえずにはいられない▼「走姿顕心」という言葉がある。「走る姿に心が顕れる」との意味だ。走りたくても走れない仲間の分まで——その心が映し出された走りには、見る人を感動させる力がある▼先の言葉には「走る人の心が結果に顕れる」という意味もあると榎木監督は言う。"心で走る"創大駅伝部の勇姿を楽しみに、私たちも一年の総仕上げへ悔いなきラストスパートを!
寸鉄 2021年12月12日
組織動かすのは信仰への確信と情熱—戸田先生。真剣の一人で地区は伸展
中部広布原点の日。皆の勇気の拡大で民衆凱歌を 新時代を開く一番星に!
庶民を通してものを眺めよ。そこに真理が—文豪。尊き同志と心合わせ前へ
掃除中の転落事故は師走に倍増。特に高齢者。高所作業は無理せず安全優先
厚労省装う変異株対応の偽メールが横行。添付やリンク等、安易に開かず
☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第14回 レイチェル・カーソン
〈レイチェル・カーソン〉
沈黙は私の心に安らぎを与えない。
目的を達成するためには、
大望を抱くことを恐れてはなりません。
"世界を変えた"と言われる一冊の書籍がある。
『沈黙の春』——農薬等に含まれる化学物質による環境汚染を告発し、自然破壊がもたらす生命の危機を訴えた本である。
著者は、アメリカの海洋生物学者で作家のレイチェル・カーソン。"20世紀の偉大な知性"の一人といわれる女性である。
執筆を開始したのは1958年。この頃、米国内ではDDTという有機塩素系殺虫剤が日常的に使われていた。安価でほぼ完全に害虫を駆除し、少量でも効果が長持ちするDDTを、人々は"奇跡の薬"と呼んだ。
生態系の平衡が崩れる危険性を叫ぶ専門家もいた。しかし、科学技術競争が激化する時代にあって「科学は正義」。経済至上主義の社会は"それくらい仕方がない"と耳を塞いだ。
そんなある日、友人から手紙が届く。そこには、殺虫剤が何の罪もない多くの生き物たちの命を奪った悲痛がつづられていた。カーソンは決意した。
「私が書くしかない!」
彼女は当時、『われらをめぐる海』『海辺』など、海の神秘や海洋生物の魅力を描いた本で知られるベストセラー作家。時代の流れに逆らう作品を出せば、理不尽な批判を浴びるだろう。それを覚悟した上での決断だった。「もしも私が沈黙をつづけるならば、私の心に安らぎはありえない」と。
『沈黙の春』は、そこから4年の歳月を経て出版された。彼女は科学技術を否定したいわけではなかった。生命の危機を差し置いてまで、自らの都合を優先し、自然を征服しようとする人間の傲慢さに警鐘を鳴らしたのだ。企業などからの非難は相次いだが、科学的根拠に基づいた訴えに世間は目を見張った。
「目的を達成するためには、人はみんな大きな夢を見なければならない、とずっと信じてきました。——大望を抱くことを恐れてはなりません」
一人の女性の勇気が、後のアメリカ環境保護庁創設の契機となり、新たな時代を切り開く力になっていったのである。
〈レイチェル・カーソン〉
過去よりも未来を見つめよう。
夜の後には必ず夜明けが訪れ、
冬の後には必ず春が来るのだから。
レイチェル・カーソンは1907年、アメリカ・ペンシルベニア州の小さな町に生まれた。
幼少から一日の大半を森や小川のほとりで過ごす。鳥や虫、草花を観察し、生命と生命の関わりを肌で感じながら育った。
読書が好きで、作家になりたいと思ったのは10歳の頃。だが、生まれつき病弱で家庭も貧しく、夢を実現するには困難な環境だった。事実、彼女が大学に通う際、両親は土地を担保に入れ、家財を売って学費を工面した。カーソンも食堂などで働きながら勉学に励んだ。
恩師との出会いをきっかけに生物学を志し、ジョンズ・ホプキンス大学大学院へ。修士号を取得し、大学で講師をしながら研究を続けるも父が急死。家族を養うために博士課程への進学を諦めた。
そこで始めたのが、海洋生物の魅力を伝えるラジオ番組の台本執筆だった。恩師に勧められた、このパートタイムの仕事から、作家への道が開けていく。
夢をかなえた後も苦悩は尽きなかったが、カーソンは強い信念をもって前へ進み続けた。
「大地や海が経てきた長い時の流れを思い、『百万年』や『10億年』の単位でものを考えるとき、そして、それにひきかえ人間は地上に生まれてまだ間もないのだと自覚するとき、私たちは自分がとらわれている不安や苦難のいくつかが、まったくささいなものであると悟ります」
『沈黙の春』を書いた4年間も例外ではない。母との死別に自身の闘病。リウマチ、心臓発作、虹彩炎、がん……。自らを"病気のカタログ"と称する状況でも、彼女は決して屈しなかった。寝たきりの状態になった時期もあった。それでも「私自身で原稿を見なければならないのです」と、一ページ一ページを入念に仕上げていった。
不屈の原動力は、どこからくるのか——。カーソンはたびたび、自然の美や神秘が、心に安らぎと勇気を与えてくれると述べた。また、著書にはこうも記している。
「夜のあとにはかならず夜明けが訪れ、冬のあとには春が来る」と。この不変の法則に照らした状況克服への確信こそが、生きる希望となったのだろう。
『沈黙の春』の発刊から2年後の1964年、カーソンは56年の生涯を閉じた。命を懸けて紡いだ言葉は、世代を超え、生命と環境を守る連帯を築いた。そして、自然の恩恵と脅威の両方を知る人類に、共生の未来を開く方途を示し続けている。
〈レイチェル・カーソンを語る池田先生〉
「より高い可能性を求めて進まない
人生に何の意味があるだろうか?」
いくつになっても青年の心で
生き生きと毎日を出発したい。
それが本因妙の仏法の生き方である。
レイチェル・カーソンの信念は、多くの人々の環境意識を啓発してきた。池田先生と対談集『地球対談 輝く女性の世紀へ』を発刊したアメリカの未来学者ヘイゼル・ヘンダーソン博士も、その一人である。
博士が『沈黙の春』を読んだのは、大気汚染防止の運動を始める少し前。「私を勇気づけ、立ち上がる一つのきっかけとなりました」と振り返る。
対談の中で先生は語った。
——政治も経済も、すべての根本を「生命」の価値に置く時代を目指さなければなりません。私が、「21世紀を『生命の世紀』に」と提唱してきたのも、その思いからでした——と。
博士は「生命の世紀」というビジョンに賛同を寄せ、「その新しい時代へと踏み出すためには、当たり前とされている常識や価値観、また権威といったものを、一人ひとりが見つめ直すことが大切になる」と訴えた。
池田先生のリーダーシップのもと、学会・SGIは環境問題を巡る草の根レベルの運動に取り組んできた。2002年には先生の環境提言をもとに、国連の「持続可能な開発のための教育の10年」の制定を提唱。日本政府が提案し、国連総会において満場一致で採択された。
また、その支援のための環境展を国内外で開催。近年は国連のSDGs(持続可能な開発目標)の達成と気候変動対策の活動に力を注ぎ続けている。
先生は1995年1月、ハワイを訪問。東西センターで「平和と人間のための安全保障」と題して講演し、カーソンの言葉に触れつつ、多様な文化、異質な価値観を認め合うことが、人類共生の道となると述べた。
彼女の生き方を通して、同志を励ましてきたこともある。
広宣のリーダーには——
「カーソンさんは言う。『人間は、より高い可能性を求めて進んでいかないなら、人生になんの意味があるだろうか?』
その通りである。『さあ、きょうも頑張ろう!』『あの人に会おう!』『この人と語ろう!』——いくつになっても、前向きな青年の心で、生き生きと毎日を出発したい。それが本因妙の仏法の生き方である。広宣流布に戦う人は、どこか光っている。生命が躍動している」(2003年8月3日、全国最高協議会でのスピーチ)
後継の友には——
「(カーソンは)真実のことを発表したにもかかわらず、でたらめな、ひどい悪口を言われました。けれども、彼女は自分の信念の正しさに自信をもっていました。だから、何を言われても恐れなかった。(中略)
どんな壁にぶつかっても、『負けない心』で、勇気をもって挑戦していくことです。挑戦した分だけ、皆さんの心が大きくなるからです。強くなるからです」(「少年少女きぼう新聞」02年1月号の新春メッセージ)
さらに創価の女性には、カーソンの次の言葉を贈った。
「私はいつも、すでにしたことよりも、これからしようとすることに興味があります」
今日よりも明日、今年よりも来年——さらなる高みへ、皆が青年の心で飛躍する時である。
我らの座談会は
生命飛躍の滑走路なり。
健闘を労い希望の対話を。
会場のご家族に感謝し
勢いよく新年へ出発だ!
2021年12月12日
下山御消息 P350
『此等の経文の亀鏡をもて両火房が身に指し当て見よ少もくもりなからん、一には名は持戒ときこゆれども実には放逸なるか二には慳貪なるか三には嫉妬なるか四には邪見なるか五には婬乱なるか此の五にはすぐべからず』
【通解】
経文を鏡(規範)として、両火房(極楽寺良観のこと)の身に当てはめてみよ。少しの曇りもなく符合するではないか。一つには、名は持戒の僧と世に聞こえるけれども、実際は放逸であるか。二つには慳貪であるか。三つには嫉妬であるか。四つには邪見であるか。五つには婬乱であるか。この五事に尽きるではないか。
名字の言 創大駅伝部と共にラストスパート! 2021年12月12日
新春の箱根駅伝にエントリーする各チーム16人が決定した。本番を走るのは10人。ここからさらにチーム内で競い合うことになる▼選ばれる選手がいる一方、選ばれなかった多くの選手がいるのは、どの大学も同じだろう。前回大会直後、創価大学の榎木監督が語っていた。約3分の2の選手はエントリーから外れ、悔し涙をのんだ。その中でも"0区"と呼ばれる箱根直前の記録会で、選外になった選手の多くが自己新を出した。サポートに回ったメンバーの走りが箱根に挑む選手たちを勢いづけてくれた、と▼今回も創大は選手の約3分の2がサポートに回る。その中には直前の競技会で自己記録を更新したメンバーも、これが最後になる4年生もいる。ここに至るまで、どれほどの努力があり、挑戦があったことか。彼らの力走をたたえずにはいられない▼「走姿顕心」という言葉がある。「走る姿に心が顕れる」との意味だ。走りたくても走れない仲間の分まで——その心が映し出された走りには、見る人を感動させる力がある▼先の言葉には「走る人の心が結果に顕れる」という意味もあると榎木監督は言う。"心で走る"創大駅伝部の勇姿を楽しみに、私たちも一年の総仕上げへ悔いなきラストスパートを!
寸鉄 2021年12月12日
組織動かすのは信仰への確信と情熱—戸田先生。真剣の一人で地区は伸展
中部広布原点の日。皆の勇気の拡大で民衆凱歌を 新時代を開く一番星に!
庶民を通してものを眺めよ。そこに真理が—文豪。尊き同志と心合わせ前へ
掃除中の転落事故は師走に倍増。特に高齢者。高所作業は無理せず安全優先
厚労省装う変異株対応の偽メールが横行。添付やリンク等、安易に開かず
☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第14回 レイチェル・カーソン
〈レイチェル・カーソン〉
沈黙は私の心に安らぎを与えない。
目的を達成するためには、
大望を抱くことを恐れてはなりません。
"世界を変えた"と言われる一冊の書籍がある。
『沈黙の春』——農薬等に含まれる化学物質による環境汚染を告発し、自然破壊がもたらす生命の危機を訴えた本である。
著者は、アメリカの海洋生物学者で作家のレイチェル・カーソン。"20世紀の偉大な知性"の一人といわれる女性である。
執筆を開始したのは1958年。この頃、米国内ではDDTという有機塩素系殺虫剤が日常的に使われていた。安価でほぼ完全に害虫を駆除し、少量でも効果が長持ちするDDTを、人々は"奇跡の薬"と呼んだ。
生態系の平衡が崩れる危険性を叫ぶ専門家もいた。しかし、科学技術競争が激化する時代にあって「科学は正義」。経済至上主義の社会は"それくらい仕方がない"と耳を塞いだ。
そんなある日、友人から手紙が届く。そこには、殺虫剤が何の罪もない多くの生き物たちの命を奪った悲痛がつづられていた。カーソンは決意した。
「私が書くしかない!」
彼女は当時、『われらをめぐる海』『海辺』など、海の神秘や海洋生物の魅力を描いた本で知られるベストセラー作家。時代の流れに逆らう作品を出せば、理不尽な批判を浴びるだろう。それを覚悟した上での決断だった。「もしも私が沈黙をつづけるならば、私の心に安らぎはありえない」と。
『沈黙の春』は、そこから4年の歳月を経て出版された。彼女は科学技術を否定したいわけではなかった。生命の危機を差し置いてまで、自らの都合を優先し、自然を征服しようとする人間の傲慢さに警鐘を鳴らしたのだ。企業などからの非難は相次いだが、科学的根拠に基づいた訴えに世間は目を見張った。
「目的を達成するためには、人はみんな大きな夢を見なければならない、とずっと信じてきました。——大望を抱くことを恐れてはなりません」
一人の女性の勇気が、後のアメリカ環境保護庁創設の契機となり、新たな時代を切り開く力になっていったのである。
〈レイチェル・カーソン〉
過去よりも未来を見つめよう。
夜の後には必ず夜明けが訪れ、
冬の後には必ず春が来るのだから。
レイチェル・カーソンは1907年、アメリカ・ペンシルベニア州の小さな町に生まれた。
幼少から一日の大半を森や小川のほとりで過ごす。鳥や虫、草花を観察し、生命と生命の関わりを肌で感じながら育った。
読書が好きで、作家になりたいと思ったのは10歳の頃。だが、生まれつき病弱で家庭も貧しく、夢を実現するには困難な環境だった。事実、彼女が大学に通う際、両親は土地を担保に入れ、家財を売って学費を工面した。カーソンも食堂などで働きながら勉学に励んだ。
恩師との出会いをきっかけに生物学を志し、ジョンズ・ホプキンス大学大学院へ。修士号を取得し、大学で講師をしながら研究を続けるも父が急死。家族を養うために博士課程への進学を諦めた。
そこで始めたのが、海洋生物の魅力を伝えるラジオ番組の台本執筆だった。恩師に勧められた、このパートタイムの仕事から、作家への道が開けていく。
夢をかなえた後も苦悩は尽きなかったが、カーソンは強い信念をもって前へ進み続けた。
「大地や海が経てきた長い時の流れを思い、『百万年』や『10億年』の単位でものを考えるとき、そして、それにひきかえ人間は地上に生まれてまだ間もないのだと自覚するとき、私たちは自分がとらわれている不安や苦難のいくつかが、まったくささいなものであると悟ります」
『沈黙の春』を書いた4年間も例外ではない。母との死別に自身の闘病。リウマチ、心臓発作、虹彩炎、がん……。自らを"病気のカタログ"と称する状況でも、彼女は決して屈しなかった。寝たきりの状態になった時期もあった。それでも「私自身で原稿を見なければならないのです」と、一ページ一ページを入念に仕上げていった。
不屈の原動力は、どこからくるのか——。カーソンはたびたび、自然の美や神秘が、心に安らぎと勇気を与えてくれると述べた。また、著書にはこうも記している。
「夜のあとにはかならず夜明けが訪れ、冬のあとには春が来る」と。この不変の法則に照らした状況克服への確信こそが、生きる希望となったのだろう。
『沈黙の春』の発刊から2年後の1964年、カーソンは56年の生涯を閉じた。命を懸けて紡いだ言葉は、世代を超え、生命と環境を守る連帯を築いた。そして、自然の恩恵と脅威の両方を知る人類に、共生の未来を開く方途を示し続けている。
〈レイチェル・カーソンを語る池田先生〉
「より高い可能性を求めて進まない
人生に何の意味があるだろうか?」
いくつになっても青年の心で
生き生きと毎日を出発したい。
それが本因妙の仏法の生き方である。
レイチェル・カーソンの信念は、多くの人々の環境意識を啓発してきた。池田先生と対談集『地球対談 輝く女性の世紀へ』を発刊したアメリカの未来学者ヘイゼル・ヘンダーソン博士も、その一人である。
博士が『沈黙の春』を読んだのは、大気汚染防止の運動を始める少し前。「私を勇気づけ、立ち上がる一つのきっかけとなりました」と振り返る。
対談の中で先生は語った。
——政治も経済も、すべての根本を「生命」の価値に置く時代を目指さなければなりません。私が、「21世紀を『生命の世紀』に」と提唱してきたのも、その思いからでした——と。
博士は「生命の世紀」というビジョンに賛同を寄せ、「その新しい時代へと踏み出すためには、当たり前とされている常識や価値観、また権威といったものを、一人ひとりが見つめ直すことが大切になる」と訴えた。
池田先生のリーダーシップのもと、学会・SGIは環境問題を巡る草の根レベルの運動に取り組んできた。2002年には先生の環境提言をもとに、国連の「持続可能な開発のための教育の10年」の制定を提唱。日本政府が提案し、国連総会において満場一致で採択された。
また、その支援のための環境展を国内外で開催。近年は国連のSDGs(持続可能な開発目標)の達成と気候変動対策の活動に力を注ぎ続けている。
先生は1995年1月、ハワイを訪問。東西センターで「平和と人間のための安全保障」と題して講演し、カーソンの言葉に触れつつ、多様な文化、異質な価値観を認め合うことが、人類共生の道となると述べた。
彼女の生き方を通して、同志を励ましてきたこともある。
広宣のリーダーには——
「カーソンさんは言う。『人間は、より高い可能性を求めて進んでいかないなら、人生になんの意味があるだろうか?』
その通りである。『さあ、きょうも頑張ろう!』『あの人に会おう!』『この人と語ろう!』——いくつになっても、前向きな青年の心で、生き生きと毎日を出発したい。それが本因妙の仏法の生き方である。広宣流布に戦う人は、どこか光っている。生命が躍動している」(2003年8月3日、全国最高協議会でのスピーチ)
後継の友には——
「(カーソンは)真実のことを発表したにもかかわらず、でたらめな、ひどい悪口を言われました。けれども、彼女は自分の信念の正しさに自信をもっていました。だから、何を言われても恐れなかった。(中略)
どんな壁にぶつかっても、『負けない心』で、勇気をもって挑戦していくことです。挑戦した分だけ、皆さんの心が大きくなるからです。強くなるからです」(「少年少女きぼう新聞」02年1月号の新春メッセージ)
さらに創価の女性には、カーソンの次の言葉を贈った。
「私はいつも、すでにしたことよりも、これからしようとすることに興味があります」
今日よりも明日、今年よりも来年——さらなる高みへ、皆が青年の心で飛躍する時である。
2021年12月12日日曜日
2021.12.12 わが友に贈る
我らの座談会は
生命飛躍の滑走路なり。
健闘を労い希望の対話を。
会場のご家族に感謝し
勢いよく新年へ出発だ!
四条金吾殿御返事 P1136
『火にたきぎを加える時はさかんなり、大風吹けば求羅は倍増するなり、松は万年のよはひを持つ故に枝をまげらる、法華経の行者は火と求羅との如し薪と風とは大難の如し、法華経の行者は久遠長寿の如来なり、修行の枝をきられまげられん事疑なかるべし、此れより後は此経難持の四字を暫時もわすれず案じ給うべし』
【通解】
火に薪を加える時には火は盛んに燃えます。大風が吹けば求羅という虫は大きくなります。松は万年の長寿を持つゆえに枝を曲げられるのです。法華経の行者は火と求羅のようなものであり、薪と風は大難のようなものです。法華経の行者は久遠長寿の如来です。修行の枝を切られ、曲げられることは疑いないのです。これより以後は「此経難持」の四字をしばらくも忘れず思索していきなさい。
名字の言 創大駅伝部と共にラストスパート! 2021年12月12日
新春の箱根駅伝にエントリーする各チーム16人が決定した。本番を走るのは10人。ここからさらにチーム内で競い合うことになる▼選ばれる選手がいる一方、選ばれなかった多くの選手がいるのは、どの大学も同じだろう。前回大会直後、創価大学の榎木監督が語っていた。約3分の2の選手はエントリーから外れ、悔し涙をのんだ。その中でも"0区"と呼ばれる箱根直前の記録会で、選外になった選手の多くが自己新を出した。サポートに回ったメンバーの走りが箱根に挑む選手たちを勢いづけてくれた、と▼今回も創大は選手の約3分の2がサポートに回る。その中には直前の競技会で自己記録を更新したメンバーも、これが最後になる4年生もいる。ここに至るまで、どれほどの努力があり、挑戦があったことか。彼らの力走をたたえずにはいられない▼「走姿顕心」という言葉がある。「走る姿に心が顕れる」との意味だ。走りたくても走れない仲間の分まで――その心が映し出された走りには、見る人を感動させる力がある▼先の言葉には「走る人の心が結果に顕れる」という意味もあると榎木監督は言う。"心で走る"創大駅伝部の勇姿を楽しみに、私たちも一年の総仕上げへ悔いなきラストスパートを!
寸鉄 2021年12月12日
組織動かすのは信仰への確信と情熱―戸田先生。真剣の一人で地区は伸展
中部広布原点の日。皆の勇気の拡大で民衆凱歌を 新時代を開く一番星に!
庶民を通してものを眺めよ。そこに真理が―文豪。尊き同志と心合わせ前へ
掃除中の転落事故は師走に倍増。特に高齢者。高所作業は無理せず安全優先
厚労省装う変異株対応の偽メールが横行。添付やリンク等、安易に開かず
☆御書の旭光を 第64回 学会の大恩人・多宝の友に感謝
〈御文〉
『阿仏房にひつを・しおわせ夜中に度度・御わたりありし事いつの世にか・わすらむ』(千日尼御前御返事、1313ページ)
〈通解〉
(あなた〈千日尼〉が)阿仏房に櫃(食料等を入れる箱)を背負わせて、夜中に度々、訪ねてこられたことを、いつの世にか、忘れられようか。
〈池田先生が贈る指針〉
真心の功労を忘れない――御本仏の絶対の御照覧に、我らの広布の人生は包まれている。
幾多の大難を越えて、忘恩の悪侶らの背信にも打ち勝った多宝の父母の福徳は不滅である。この一人一人の尊き勝利劇が妙法の大功力の証明だ。
燃え上がる"永遠の学会青年"の心意気を継承し、皆が若々しく、いよいよの飛躍を!
☆教学随想 日蓮仏法の視座 「新・人間革命」世代の使命
志賀昭靖 青年部長
◇11・28「魂の独立記念日」 後継の"山本伸一"の連帯を拡大
11月28日、創価学会が日顕宗から"魂の独立"を果たしてから30周年の佳節を迎える。学会は世界宗教へと飛翔した。ここでは志賀青年部長の教学随想を掲載する。
◇師弟の種子
「池田先生はすごい方なんだよ」
「世界の指導者なんだよ」
物心ついた頃から、両親や地域の同志は口々に先生の偉大さを教えてくれた。
私は第1次宗門事件の震源地の一つである大分・竹田で生まれ育った。
1981年(昭和56年)の12月12日、岡城址での先生と竹田の同志との記念撮影に、祖母に抱かれた2歳の私も加わることができた。もちろん当時は、邪宗門の悪辣な振る舞いなど、知る由もない。
温かな創価家族によって私の心に下ろされ、育まれた創価の師弟の種子は、学生部となって芽吹いたように思う。主体的に学会活動を開始し、弘教に挑み、同志を励ます中で、師匠の闘争を肌で感じたからだ。
夏休みに帰省した際には、宗門事件についても、親に積極的に尋ねた。悪侶らの耳を疑うような、非道な仕打ちの数々に、邪宗門の極悪を知った。と同時に、仏敵と戦い、学会を護ってくれた両親をはじめ、地域の同志へ深い尊敬の念がわき上がった。
男子部長の大任を拝した2016年(平成28年)、悪と戦い、師匠の正義を叫び抜く男子部の構築を心に期した。
「仏と提婆とは身と影とのごとし」(御書230ページ)である。御聖訓に照らせば、広宣流布の途上において、悪との戦いは避けて通れない。池田先生の闘争、学会の歴史にも、それは明らかだ。であるならば、広布の大道を征く学会の前進を阻み、師弟の絆の分断を図る輩が出てきたならば、男子部が打ち破る――男子部がこの決意を忘れてはならないと、竹田に生まれた一人として、体験を語りに語り、拡大に走った。
◇嵐すら飛躍台に
しかし、心から師匠の偉大さを実感したのは、小説『新・人間革命』につづられた宗門事件のことを学んだときである。第30巻〈上〉「大山」の章には、次のように記されている。
「"荒波がなんだ! 私は師子だ。広宣流布の大指導者・戸田先生の直弟子だ。
新しい青年たちを育て、もう一度、新たな決意で、永遠不滅の創価学会をつくろう!"」
創価の師弟の分断を図ろうとする魔の手から全同志を護り、さらに、宗門事件という嵐すらも、"世界平和への対話行"と、"新たな人材育成"への飛躍台として奔走する山本伸一の師子王の闘争が描かれていた。また、苦難の時こそ、青年が立ち上がれとの万感のご期待がつづられていた。
一節一節に魂が揺さぶられ、目を見開かされる思いがした。
そして、「誓願」の章に記されている通り、先生の獅子奮迅の戦いによって師弟の絆を強靱にした学会は、第2次宗門事件という再びの魔の策謀に、微動だにしなかった。邪宗門の浅はかな策略を悠然と見破り、創価ルネサンスの大行進を開始したのである。
読み深める中で、偉大な師匠である先生と共に、学会と共に歩める喜びがふつふつと込み上げてきた。改めて、両親や竹田の同志が語っていた「先生の偉大さ」が胸に迫ってきたのである。
◇誓いを共有
昨年来、新型コロナウイルスの猛威が世界を覆っている。いわば、全世界が同時に同じ苦しみを分かち合っている。
次元は異なるかもしれないが、「立正安国論」の冒頭、主人と客が「主人の曰く独り此の事を愁いて胸臆に憤悱す客来って共に嘆く屢談話を致さん」(同17ページ)と語り合ったように、全世界の池田門下の青年たちが"憂い"を共有した。そして、小説『新・人間革命』を学び、立ち上がった。さまざまな制約の中でも知恵を絞り、広布の歩みをいや増して加速させた。オンラインを駆使し、130万の友が、「世界青年部総会」に集い合った。安国論の結びに、客が主人に決意を披歴したように、全世界の池田門下が"誓いを共有"したのである。
魂の独立から30年。この間、学会は世界宗教へと飛翔した。そして、その勇壮な離陸と時を同じくして先生が執筆され、完結させてくださった書こそ、小説『新・人間革命』にほかならない。全世界の同志が永遠に規範とすべき、学会の「精神の正史」である。広布拡大の要諦も、破邪顕正の闘争も、徹底して一人を大切にする振る舞いも、全ては、そこに凝縮されている。
2030年、そして万年の広布の未来を展望し、今、世界で躍動する青年の誓願のスクラムを、さらに力強く発展させていけるか。それはひとえに、次代を担う私たち青年が、この学会の精神の正史たる『新・人間革命』を心肝に染め、実践の規範とし、自らの血肉とできるか。さらには、時代精神として定着させることができるか否かにかかっているといっても過言ではない。
◇人間のための宗教
今、青年部では、小説『新・人間革命』を心肝に染めて戦う、青年部の新たな広布拡大と人材育成の取り組みである「新・人間革命」世代プロジェクトを推進している。各地で小説を胸に活躍する友の様子が聖教新聞等で紹介されている。
妻を襲った病魔を題目と折伏ではね返し、職場では全国1300人を超える社員の中でトップの営業成績を収めた友。また、学会活動に励み、『新・人間革命』を月に1冊読み深める中、11度目となる挑戦で教員採用試験に合格を果たし、教師として使命にひた走る友もいる。
一人一人、人間勝利のドラマは多彩で異なるものの、皆の歩みには、共通項があるように感じる。
それは、小説につづられる同志の体験や山本伸一の指導を糧として、自身が直面する試練や逆境から逃げず、正面から見据え、人間革命と宿命転換への「跳躍台」へと捉え返していることである。そして、「自分も必ず、この苦難を勝ち越えることができる」との確信を得て、自らの"反転攻勢の行動"を力強く開始しているように感じるのである。
宗門事件で嫉妬に駆られた邪宗門が企んだのは、結局、師弟の分断だった。しかし今、私たちは小説『新・人間革命』を通して、何の介在物もなく、時間も場所も超えて、池田先生と直結していくことができる。そして幸福と勝利を開いていける。
いかなる障魔が襲い掛かろうとも、創価の師弟の絆は絶対に絶ち切れない。今を生きる私たちは、自らの人生を通してそれを証明していく世代だ。その挑戦の中に、あらゆる差異を超える"人間のための宗教"の真価が輝くのではないだろうか。
"新時代の山本伸一"との自覚で立ち上がる、青年の陣列の拡大こそ、"一人の人間における偉大な人間革命が全人類の宿命を転換する"との池田先生の思想と行動を継承することにほかならない。
小説『新・人間革命』を自らの確固不動の信念へ、そして世界の思潮へ。これこそ、次なる未来を生きる私たち、まさに「『新・人間革命』世代」に託された重大な使命である。
生命飛躍の滑走路なり。
健闘を労い希望の対話を。
会場のご家族に感謝し
勢いよく新年へ出発だ!
四条金吾殿御返事 P1136
『火にたきぎを加える時はさかんなり、大風吹けば求羅は倍増するなり、松は万年のよはひを持つ故に枝をまげらる、法華経の行者は火と求羅との如し薪と風とは大難の如し、法華経の行者は久遠長寿の如来なり、修行の枝をきられまげられん事疑なかるべし、此れより後は此経難持の四字を暫時もわすれず案じ給うべし』
【通解】
火に薪を加える時には火は盛んに燃えます。大風が吹けば求羅という虫は大きくなります。松は万年の長寿を持つゆえに枝を曲げられるのです。法華経の行者は火と求羅のようなものであり、薪と風は大難のようなものです。法華経の行者は久遠長寿の如来です。修行の枝を切られ、曲げられることは疑いないのです。これより以後は「此経難持」の四字をしばらくも忘れず思索していきなさい。
名字の言 創大駅伝部と共にラストスパート! 2021年12月12日
新春の箱根駅伝にエントリーする各チーム16人が決定した。本番を走るのは10人。ここからさらにチーム内で競い合うことになる▼選ばれる選手がいる一方、選ばれなかった多くの選手がいるのは、どの大学も同じだろう。前回大会直後、創価大学の榎木監督が語っていた。約3分の2の選手はエントリーから外れ、悔し涙をのんだ。その中でも"0区"と呼ばれる箱根直前の記録会で、選外になった選手の多くが自己新を出した。サポートに回ったメンバーの走りが箱根に挑む選手たちを勢いづけてくれた、と▼今回も創大は選手の約3分の2がサポートに回る。その中には直前の競技会で自己記録を更新したメンバーも、これが最後になる4年生もいる。ここに至るまで、どれほどの努力があり、挑戦があったことか。彼らの力走をたたえずにはいられない▼「走姿顕心」という言葉がある。「走る姿に心が顕れる」との意味だ。走りたくても走れない仲間の分まで――その心が映し出された走りには、見る人を感動させる力がある▼先の言葉には「走る人の心が結果に顕れる」という意味もあると榎木監督は言う。"心で走る"創大駅伝部の勇姿を楽しみに、私たちも一年の総仕上げへ悔いなきラストスパートを!
寸鉄 2021年12月12日
組織動かすのは信仰への確信と情熱―戸田先生。真剣の一人で地区は伸展
中部広布原点の日。皆の勇気の拡大で民衆凱歌を 新時代を開く一番星に!
庶民を通してものを眺めよ。そこに真理が―文豪。尊き同志と心合わせ前へ
掃除中の転落事故は師走に倍増。特に高齢者。高所作業は無理せず安全優先
厚労省装う変異株対応の偽メールが横行。添付やリンク等、安易に開かず
☆御書の旭光を 第64回 学会の大恩人・多宝の友に感謝
〈御文〉
『阿仏房にひつを・しおわせ夜中に度度・御わたりありし事いつの世にか・わすらむ』(千日尼御前御返事、1313ページ)
〈通解〉
(あなた〈千日尼〉が)阿仏房に櫃(食料等を入れる箱)を背負わせて、夜中に度々、訪ねてこられたことを、いつの世にか、忘れられようか。
〈池田先生が贈る指針〉
真心の功労を忘れない――御本仏の絶対の御照覧に、我らの広布の人生は包まれている。
幾多の大難を越えて、忘恩の悪侶らの背信にも打ち勝った多宝の父母の福徳は不滅である。この一人一人の尊き勝利劇が妙法の大功力の証明だ。
燃え上がる"永遠の学会青年"の心意気を継承し、皆が若々しく、いよいよの飛躍を!
☆教学随想 日蓮仏法の視座 「新・人間革命」世代の使命
志賀昭靖 青年部長
◇11・28「魂の独立記念日」 後継の"山本伸一"の連帯を拡大
11月28日、創価学会が日顕宗から"魂の独立"を果たしてから30周年の佳節を迎える。学会は世界宗教へと飛翔した。ここでは志賀青年部長の教学随想を掲載する。
◇師弟の種子
「池田先生はすごい方なんだよ」
「世界の指導者なんだよ」
物心ついた頃から、両親や地域の同志は口々に先生の偉大さを教えてくれた。
私は第1次宗門事件の震源地の一つである大分・竹田で生まれ育った。
1981年(昭和56年)の12月12日、岡城址での先生と竹田の同志との記念撮影に、祖母に抱かれた2歳の私も加わることができた。もちろん当時は、邪宗門の悪辣な振る舞いなど、知る由もない。
温かな創価家族によって私の心に下ろされ、育まれた創価の師弟の種子は、学生部となって芽吹いたように思う。主体的に学会活動を開始し、弘教に挑み、同志を励ます中で、師匠の闘争を肌で感じたからだ。
夏休みに帰省した際には、宗門事件についても、親に積極的に尋ねた。悪侶らの耳を疑うような、非道な仕打ちの数々に、邪宗門の極悪を知った。と同時に、仏敵と戦い、学会を護ってくれた両親をはじめ、地域の同志へ深い尊敬の念がわき上がった。
男子部長の大任を拝した2016年(平成28年)、悪と戦い、師匠の正義を叫び抜く男子部の構築を心に期した。
「仏と提婆とは身と影とのごとし」(御書230ページ)である。御聖訓に照らせば、広宣流布の途上において、悪との戦いは避けて通れない。池田先生の闘争、学会の歴史にも、それは明らかだ。であるならば、広布の大道を征く学会の前進を阻み、師弟の絆の分断を図る輩が出てきたならば、男子部が打ち破る――男子部がこの決意を忘れてはならないと、竹田に生まれた一人として、体験を語りに語り、拡大に走った。
◇嵐すら飛躍台に
しかし、心から師匠の偉大さを実感したのは、小説『新・人間革命』につづられた宗門事件のことを学んだときである。第30巻〈上〉「大山」の章には、次のように記されている。
「"荒波がなんだ! 私は師子だ。広宣流布の大指導者・戸田先生の直弟子だ。
新しい青年たちを育て、もう一度、新たな決意で、永遠不滅の創価学会をつくろう!"」
創価の師弟の分断を図ろうとする魔の手から全同志を護り、さらに、宗門事件という嵐すらも、"世界平和への対話行"と、"新たな人材育成"への飛躍台として奔走する山本伸一の師子王の闘争が描かれていた。また、苦難の時こそ、青年が立ち上がれとの万感のご期待がつづられていた。
一節一節に魂が揺さぶられ、目を見開かされる思いがした。
そして、「誓願」の章に記されている通り、先生の獅子奮迅の戦いによって師弟の絆を強靱にした学会は、第2次宗門事件という再びの魔の策謀に、微動だにしなかった。邪宗門の浅はかな策略を悠然と見破り、創価ルネサンスの大行進を開始したのである。
読み深める中で、偉大な師匠である先生と共に、学会と共に歩める喜びがふつふつと込み上げてきた。改めて、両親や竹田の同志が語っていた「先生の偉大さ」が胸に迫ってきたのである。
◇誓いを共有
昨年来、新型コロナウイルスの猛威が世界を覆っている。いわば、全世界が同時に同じ苦しみを分かち合っている。
次元は異なるかもしれないが、「立正安国論」の冒頭、主人と客が「主人の曰く独り此の事を愁いて胸臆に憤悱す客来って共に嘆く屢談話を致さん」(同17ページ)と語り合ったように、全世界の池田門下の青年たちが"憂い"を共有した。そして、小説『新・人間革命』を学び、立ち上がった。さまざまな制約の中でも知恵を絞り、広布の歩みをいや増して加速させた。オンラインを駆使し、130万の友が、「世界青年部総会」に集い合った。安国論の結びに、客が主人に決意を披歴したように、全世界の池田門下が"誓いを共有"したのである。
魂の独立から30年。この間、学会は世界宗教へと飛翔した。そして、その勇壮な離陸と時を同じくして先生が執筆され、完結させてくださった書こそ、小説『新・人間革命』にほかならない。全世界の同志が永遠に規範とすべき、学会の「精神の正史」である。広布拡大の要諦も、破邪顕正の闘争も、徹底して一人を大切にする振る舞いも、全ては、そこに凝縮されている。
2030年、そして万年の広布の未来を展望し、今、世界で躍動する青年の誓願のスクラムを、さらに力強く発展させていけるか。それはひとえに、次代を担う私たち青年が、この学会の精神の正史たる『新・人間革命』を心肝に染め、実践の規範とし、自らの血肉とできるか。さらには、時代精神として定着させることができるか否かにかかっているといっても過言ではない。
◇人間のための宗教
今、青年部では、小説『新・人間革命』を心肝に染めて戦う、青年部の新たな広布拡大と人材育成の取り組みである「新・人間革命」世代プロジェクトを推進している。各地で小説を胸に活躍する友の様子が聖教新聞等で紹介されている。
妻を襲った病魔を題目と折伏ではね返し、職場では全国1300人を超える社員の中でトップの営業成績を収めた友。また、学会活動に励み、『新・人間革命』を月に1冊読み深める中、11度目となる挑戦で教員採用試験に合格を果たし、教師として使命にひた走る友もいる。
一人一人、人間勝利のドラマは多彩で異なるものの、皆の歩みには、共通項があるように感じる。
それは、小説につづられる同志の体験や山本伸一の指導を糧として、自身が直面する試練や逆境から逃げず、正面から見据え、人間革命と宿命転換への「跳躍台」へと捉え返していることである。そして、「自分も必ず、この苦難を勝ち越えることができる」との確信を得て、自らの"反転攻勢の行動"を力強く開始しているように感じるのである。
宗門事件で嫉妬に駆られた邪宗門が企んだのは、結局、師弟の分断だった。しかし今、私たちは小説『新・人間革命』を通して、何の介在物もなく、時間も場所も超えて、池田先生と直結していくことができる。そして幸福と勝利を開いていける。
いかなる障魔が襲い掛かろうとも、創価の師弟の絆は絶対に絶ち切れない。今を生きる私たちは、自らの人生を通してそれを証明していく世代だ。その挑戦の中に、あらゆる差異を超える"人間のための宗教"の真価が輝くのではないだろうか。
"新時代の山本伸一"との自覚で立ち上がる、青年の陣列の拡大こそ、"一人の人間における偉大な人間革命が全人類の宿命を転換する"との池田先生の思想と行動を継承することにほかならない。
小説『新・人間革命』を自らの確固不動の信念へ、そして世界の思潮へ。これこそ、次なる未来を生きる私たち、まさに「『新・人間革命』世代」に託された重大な使命である。
2021年12月11日土曜日
2021.12.11 わが友に贈る
スピードが大事。
何事も先手を打つことだ。
友のため 勝利のため
鋭敏に 真剣に動こう!
そこに歓喜が生まれる。
南条兵衛七郎殿御書 P1494
『たとへば朝につかふる人の十年二十年の奉公あれども君の敵をしりながら奏もせず私にもあだまずば奉公皆うせて還つてとがに行はれんが如し』
【通解】
たとえば、朝廷に仕える人が、十年、二十年と奉公しても、主君の敵を知りながら、主君に報告もせず、個人としても敵として怒ることがなければ、長年の奉公の功績も、みな消えてしまい、かえって罪に問われるようなものである。
名字の言 勝負の行方は25人のテストジャンパーに託された 2021年12月11日
1998年の長野冬季五輪のスキージャンプ・ラージヒル団体。ひどい吹雪で競技は一時中断された。1本目を終えて日本は4位。中止か、再開か——25人のテストジャンパーが試験飛躍することになった▼続行の条件は全員がジャンプを決めること。誰かが失敗すれば、日本は4位でメダルを逃す。勝負の行方が委ねられる中、恐怖と戦いながら飛んだ彼らは次々と着地に成功。メンバーの一人は「目に見えない"タスキ"のようなものが伝わってくる感覚があった」と。無事に2本目が再開され、日本は大逆転で金メダルに輝いた▼山口県の壮年は、母が信心していたものの「自分は関係ない」と25年以上も入会を拒んでいた。そんなある日、母が介護施設に入るため、部屋を整理することに。仏壇の引き出しの中で見つけたのは、30通もの手紙だった▼書かれた年月も差出人も違う。だが、どの文面にも母の幸福を願う言葉がつづられていた。目頭を熱くした壮年は、昨年1月に入会。入会記念勤行会には手紙の送り主たちの笑顔があった▼表面には見えない"つながり"が、人の心を変え、幸のドラマを生むことがある。明日まで本年最後の「励まし週間」。未来へ希望の松明をつなぐ励ましを広げよう。
寸鉄 2021年12月11日
「題目計りを唱うる福計るべからず」御書。日々の真剣な祈りが幸福の源泉
墨田の日。師弟の縁深き庶民の王国。わが地域に模範の友情の大連帯築け
高齢者の孤立が益々大きな課題と。日々、語らいを広げる多宝会は社会の宝
大掃除は防災対策の機会にも。倒れ易い家具、頭上の収納、可燃物等を点検
パワハラの根底には価値観の違いや対話不足があると。意識変革の潮流を
☆桂冠詩人40周年 勇気の舞 凱歌の行進 第18回 女性部の友へ〈下〉
新しき女性の世紀は来りぬ!
壮大に生き抜く
未来のある信仰の人には
わが道の彼方に
香気が漂いゆく
わが城が待っている。
貴女の永遠の生命が
そして優しさと
純粋な信仰の生命が
正義の善の風を浴びながら
病める魂の人びとを
偉大な妙法の力で
包容する姿は
まさしく人間の天使だ。
◆◇◆
私たちは
魂の壮麗なる
幸福と勝利の金字塔を
一日また一日と
築いているのだ。
そこには
歓喜の歌が流れ
私自身が栄えゆく
永遠の芸術の生活が並ぶ。
快活に
来る日も また来る日も
日光が輝き
星の光が
我を飾ってくれる。
胸が燃ゆる
躍り進んでゆく
私の彼方には
あの陽光に包まれた
青春の日々を走り切り
戦い勝った喜びの満足が
そして生き抜く力が
希望の中に込み上げてくる。
私は
いかなる苦難の
宿命があったとしても
断じて
私の道から逃げない。
それが
人間としての
正しい歩みであるからだ。
あのデンマークの作家
アンデルセンの童話にも
「気を落としてはいけません!」
「うなだれていたって
何にもなりゃしません」と
語られている通りである。
満月の夜
そうだ!
三日月の日も
あるではないか。
常に常に
同じ姿ではない。
同じ幸福ではない。
すべての不幸を
すべての幸福に
変えゆく法理が
仏法だ。
私の人生は
自分自身への
最高の贈り物と
思っている。
◆◇◆
ああ あまりにも
大きな天の仕事を続けゆく
刻一刻の あの姿!
なんと涙が溢れんや。
そこに
永遠の心乱れぬ美があり
人として無限の
恐ろしいほどの美がある。
新しき太陽とともに
新しき女性の世紀は来りぬ。
女性の世紀とは
女性の幸福と
平和の権利を
勝ち取りゆく
生活の勝利だ。
運動の勝利だ。
活動の勝利だ。
前進の勝利だ。
生き抜く勝利だ。
一家の勝利だ。
仏の御聖訓の通りに
絶対に間違いのない
その正道を歩みゆく
私たちの前途は
幸福と勝利に
充ち満ちているのだ。
☆希望の指針——池田先生の指導に学ぶ 女性部(上)
◇あなたにしか歩めない人生の道がある
連載「希望の指針——池田先生の指導に学ぶ」では、女性部の新出発を祝して、指導・激励を掲載します(全2回)。今回は『女性に贈る 100文字の幸福抄』(主婦と生活社、2012年刊)から、珠玉の言葉を紹介します。
◇あいさつ
人を傷つける心ない言葉が
氾濫している現代だからこそ、
思いやりのある言葉を
かけ合うことを大切にしたい。
その第一歩は、「あいさつ」である。
始めは硬い表情でも、あいさつから笑顔が生まれ、
心の通った対話が広がる。
◇笑顔
「笑う」という言葉は、
古くは「咲う」とも書いたという。
笑顔は、人間が咲かせることのできる花である。
お金があってもなくても、
家族にも、友人にも、
惜しみなく贈ることのできる
幸せの花が笑顔である。
◇ありのまま
どんな時代を生きようとも、
その人には、その人にしか歩めない
人生の道がある。
ありのままの心の発露でいい。
ささやかに見える目標でも、
そこに近づこうと努力することが、
自分にしか歩めない充実の道となる。
◇母への感謝
「母への感謝」を忘れた時、
人は傲慢になる。
大切な「何か」を見失ってしまう。
そのままではやがて、
不幸の方向へと進んでいくことになる。
「母への感謝」をもち続ける人は、
正しく、心豊かな人生を歩んでいける。
◇鏡
心は不思議である。心は微妙である。
こちらが悪い感情を抱いていると、
相手にもそれが伝わっている。
こちらが笑顔の思いで接すれば、
相手にも微笑みの心が宿る。
相手はいわば、
自分にとっての鏡のような存在である。
◇新たな活力
新たな社会の希望の活力は、
女性のソフト・パワーである。
女性の知恵が発揮されれば、
職場であれ、地域であれ、
創造性が漲り、調和が図られていく。
女性が安心して伸びやかに働ける社会を
皆で作っていくことが大切である。
◇春遠からじ
長い人生、体調を崩して一休みする時もある。
思うようにいかぬことが幾つも重なる時もある。
それでも少しずつ前へ、
「春遠からじ」と自分自身を信じて進む。
一歩また一歩と!
その地道にして不屈の歩みそのものが
「幸福の道」である。
◇喜び
愚痴は「心のさび」といえるかもしれない。
心がさびつくと、
生命の回転が鈍くなり、固まってしまう。
本来ならば、できるようなことも、
できなくなってしまう。
喜びこそが、生命を回転させる
「心の潤滑油」である。
◇友情
この人生、友情をこそ、私は信ずる。
友情をこそ、誇りとする。
相手を人間として、
心から「好きだ」という感情は、
いわば魂と魂の交響であり、
人間性の精髄に通じる。
そこには他の何ものも介在する余地がない。
◇桜梅桃李
桜は桜、梅は梅と、
そのままの姿で最高に美しい。
人間も同じで、誰一人として使命のない人はいない。
希望さえ失わなければ、
その人でしか、もちえない、
最高の輝きを放ちながら、
自分らしい人生を送ることができる。
◇女性の力
命を慈しむ心、
愛する家族を守ろうとする時に発揮する
女性の力は偉大である。
女性の慈愛が賢明な勇気となって、
家庭だけでなく、広く社会に開かれていった時、
世界の平和構築は
必ず大きく前進するであろう。
◇一生涯の美
自分の個性を鍛え上げた人は美しい。
すぐ消えてしまう「一時の美」ではなく
ずっと続く「一生涯の美」である。
その人は他人をうらやまない。
他人を妬まない。
その人自身の心が
夏の高原の青空のように晴ればれとしている。
◇結婚
結婚したら幸せで、
結婚しないと不幸なのか。
決して、そうとは言えない。
急き立てられたり、あせる必要もない。
結婚するかしないか、いくつで結婚するか。
それで、人生が決まるのではない。
幸福を決めるのは「心」である。
◇慈悲
自分が縁する人を、
心から慈しみ大事にしていく。
この現実生活での振る舞いに、
本当の慈悲は光ってくる。
どれだけの人から慕われ希望を贈り、
どれだけの人の心に深く刻まれていくか。
人生の真価は、ここにあるといってよい。
◇太陽
太陽は毎日、
自らの軌道を繰り返し昇る。正確に進む。
そして、生きとし生けるものすべてに
慈光を贈り育んでいる。
日々の生活も、同じ行動の繰り返しかもしれない。
しかし、その中にのみ、
真実の幸福は創り上げられていくのである。
◇聞き上手
聞き上手は、人間関係を円滑にする。
そのコツは、相づちである。
まず「うんうんと、うなずく」こと。
そして「最後まで話をさえぎらない」こと。
「私の気持ちをわかってくれている」
その信頼感こそが、
心を開かせるからだ。
何事も先手を打つことだ。
友のため 勝利のため
鋭敏に 真剣に動こう!
そこに歓喜が生まれる。
南条兵衛七郎殿御書 P1494
『たとへば朝につかふる人の十年二十年の奉公あれども君の敵をしりながら奏もせず私にもあだまずば奉公皆うせて還つてとがに行はれんが如し』
【通解】
たとえば、朝廷に仕える人が、十年、二十年と奉公しても、主君の敵を知りながら、主君に報告もせず、個人としても敵として怒ることがなければ、長年の奉公の功績も、みな消えてしまい、かえって罪に問われるようなものである。
名字の言 勝負の行方は25人のテストジャンパーに託された 2021年12月11日
1998年の長野冬季五輪のスキージャンプ・ラージヒル団体。ひどい吹雪で競技は一時中断された。1本目を終えて日本は4位。中止か、再開か——25人のテストジャンパーが試験飛躍することになった▼続行の条件は全員がジャンプを決めること。誰かが失敗すれば、日本は4位でメダルを逃す。勝負の行方が委ねられる中、恐怖と戦いながら飛んだ彼らは次々と着地に成功。メンバーの一人は「目に見えない"タスキ"のようなものが伝わってくる感覚があった」と。無事に2本目が再開され、日本は大逆転で金メダルに輝いた▼山口県の壮年は、母が信心していたものの「自分は関係ない」と25年以上も入会を拒んでいた。そんなある日、母が介護施設に入るため、部屋を整理することに。仏壇の引き出しの中で見つけたのは、30通もの手紙だった▼書かれた年月も差出人も違う。だが、どの文面にも母の幸福を願う言葉がつづられていた。目頭を熱くした壮年は、昨年1月に入会。入会記念勤行会には手紙の送り主たちの笑顔があった▼表面には見えない"つながり"が、人の心を変え、幸のドラマを生むことがある。明日まで本年最後の「励まし週間」。未来へ希望の松明をつなぐ励ましを広げよう。
寸鉄 2021年12月11日
「題目計りを唱うる福計るべからず」御書。日々の真剣な祈りが幸福の源泉
墨田の日。師弟の縁深き庶民の王国。わが地域に模範の友情の大連帯築け
高齢者の孤立が益々大きな課題と。日々、語らいを広げる多宝会は社会の宝
大掃除は防災対策の機会にも。倒れ易い家具、頭上の収納、可燃物等を点検
パワハラの根底には価値観の違いや対話不足があると。意識変革の潮流を
☆桂冠詩人40周年 勇気の舞 凱歌の行進 第18回 女性部の友へ〈下〉
新しき女性の世紀は来りぬ!
壮大に生き抜く
未来のある信仰の人には
わが道の彼方に
香気が漂いゆく
わが城が待っている。
貴女の永遠の生命が
そして優しさと
純粋な信仰の生命が
正義の善の風を浴びながら
病める魂の人びとを
偉大な妙法の力で
包容する姿は
まさしく人間の天使だ。
◆◇◆
私たちは
魂の壮麗なる
幸福と勝利の金字塔を
一日また一日と
築いているのだ。
そこには
歓喜の歌が流れ
私自身が栄えゆく
永遠の芸術の生活が並ぶ。
快活に
来る日も また来る日も
日光が輝き
星の光が
我を飾ってくれる。
胸が燃ゆる
躍り進んでゆく
私の彼方には
あの陽光に包まれた
青春の日々を走り切り
戦い勝った喜びの満足が
そして生き抜く力が
希望の中に込み上げてくる。
私は
いかなる苦難の
宿命があったとしても
断じて
私の道から逃げない。
それが
人間としての
正しい歩みであるからだ。
あのデンマークの作家
アンデルセンの童話にも
「気を落としてはいけません!」
「うなだれていたって
何にもなりゃしません」と
語られている通りである。
満月の夜
そうだ!
三日月の日も
あるではないか。
常に常に
同じ姿ではない。
同じ幸福ではない。
すべての不幸を
すべての幸福に
変えゆく法理が
仏法だ。
私の人生は
自分自身への
最高の贈り物と
思っている。
◆◇◆
ああ あまりにも
大きな天の仕事を続けゆく
刻一刻の あの姿!
なんと涙が溢れんや。
そこに
永遠の心乱れぬ美があり
人として無限の
恐ろしいほどの美がある。
新しき太陽とともに
新しき女性の世紀は来りぬ。
女性の世紀とは
女性の幸福と
平和の権利を
勝ち取りゆく
生活の勝利だ。
運動の勝利だ。
活動の勝利だ。
前進の勝利だ。
生き抜く勝利だ。
一家の勝利だ。
仏の御聖訓の通りに
絶対に間違いのない
その正道を歩みゆく
私たちの前途は
幸福と勝利に
充ち満ちているのだ。
☆希望の指針——池田先生の指導に学ぶ 女性部(上)
◇あなたにしか歩めない人生の道がある
連載「希望の指針——池田先生の指導に学ぶ」では、女性部の新出発を祝して、指導・激励を掲載します(全2回)。今回は『女性に贈る 100文字の幸福抄』(主婦と生活社、2012年刊)から、珠玉の言葉を紹介します。
◇あいさつ
人を傷つける心ない言葉が
氾濫している現代だからこそ、
思いやりのある言葉を
かけ合うことを大切にしたい。
その第一歩は、「あいさつ」である。
始めは硬い表情でも、あいさつから笑顔が生まれ、
心の通った対話が広がる。
◇笑顔
「笑う」という言葉は、
古くは「咲う」とも書いたという。
笑顔は、人間が咲かせることのできる花である。
お金があってもなくても、
家族にも、友人にも、
惜しみなく贈ることのできる
幸せの花が笑顔である。
◇ありのまま
どんな時代を生きようとも、
その人には、その人にしか歩めない
人生の道がある。
ありのままの心の発露でいい。
ささやかに見える目標でも、
そこに近づこうと努力することが、
自分にしか歩めない充実の道となる。
◇母への感謝
「母への感謝」を忘れた時、
人は傲慢になる。
大切な「何か」を見失ってしまう。
そのままではやがて、
不幸の方向へと進んでいくことになる。
「母への感謝」をもち続ける人は、
正しく、心豊かな人生を歩んでいける。
◇鏡
心は不思議である。心は微妙である。
こちらが悪い感情を抱いていると、
相手にもそれが伝わっている。
こちらが笑顔の思いで接すれば、
相手にも微笑みの心が宿る。
相手はいわば、
自分にとっての鏡のような存在である。
◇新たな活力
新たな社会の希望の活力は、
女性のソフト・パワーである。
女性の知恵が発揮されれば、
職場であれ、地域であれ、
創造性が漲り、調和が図られていく。
女性が安心して伸びやかに働ける社会を
皆で作っていくことが大切である。
◇春遠からじ
長い人生、体調を崩して一休みする時もある。
思うようにいかぬことが幾つも重なる時もある。
それでも少しずつ前へ、
「春遠からじ」と自分自身を信じて進む。
一歩また一歩と!
その地道にして不屈の歩みそのものが
「幸福の道」である。
◇喜び
愚痴は「心のさび」といえるかもしれない。
心がさびつくと、
生命の回転が鈍くなり、固まってしまう。
本来ならば、できるようなことも、
できなくなってしまう。
喜びこそが、生命を回転させる
「心の潤滑油」である。
◇友情
この人生、友情をこそ、私は信ずる。
友情をこそ、誇りとする。
相手を人間として、
心から「好きだ」という感情は、
いわば魂と魂の交響であり、
人間性の精髄に通じる。
そこには他の何ものも介在する余地がない。
◇桜梅桃李
桜は桜、梅は梅と、
そのままの姿で最高に美しい。
人間も同じで、誰一人として使命のない人はいない。
希望さえ失わなければ、
その人でしか、もちえない、
最高の輝きを放ちながら、
自分らしい人生を送ることができる。
◇女性の力
命を慈しむ心、
愛する家族を守ろうとする時に発揮する
女性の力は偉大である。
女性の慈愛が賢明な勇気となって、
家庭だけでなく、広く社会に開かれていった時、
世界の平和構築は
必ず大きく前進するであろう。
◇一生涯の美
自分の個性を鍛え上げた人は美しい。
すぐ消えてしまう「一時の美」ではなく
ずっと続く「一生涯の美」である。
その人は他人をうらやまない。
他人を妬まない。
その人自身の心が
夏の高原の青空のように晴ればれとしている。
◇結婚
結婚したら幸せで、
結婚しないと不幸なのか。
決して、そうとは言えない。
急き立てられたり、あせる必要もない。
結婚するかしないか、いくつで結婚するか。
それで、人生が決まるのではない。
幸福を決めるのは「心」である。
◇慈悲
自分が縁する人を、
心から慈しみ大事にしていく。
この現実生活での振る舞いに、
本当の慈悲は光ってくる。
どれだけの人から慕われ希望を贈り、
どれだけの人の心に深く刻まれていくか。
人生の真価は、ここにあるといってよい。
◇太陽
太陽は毎日、
自らの軌道を繰り返し昇る。正確に進む。
そして、生きとし生けるものすべてに
慈光を贈り育んでいる。
日々の生活も、同じ行動の繰り返しかもしれない。
しかし、その中にのみ、
真実の幸福は創り上げられていくのである。
◇聞き上手
聞き上手は、人間関係を円滑にする。
そのコツは、相づちである。
まず「うんうんと、うなずく」こと。
そして「最後まで話をさえぎらない」こと。
「私の気持ちをわかってくれている」
その信頼感こそが、
心を開かせるからだ。
2021年12月10日金曜日
2021.12.10 わが友に贈る
「変毒為薬」の信心だ。
仕事で逆境に挑む友よ
労苦の中で培った体験は
人生勝利の礎となる。
忍耐強く朗らかに前へ!
妙密上人御消息 P1237
『人に食を施すに三の功徳あり一には命をつぎ二には色をまし三には力を授く』
【通解】
人に食物を施すことには三つの功徳があります。一には生命をたもつことができます。二には色艶を増します。三には力を与えるのです。
名字の言 横綱・照ノ富士が心に決めたこと 2021年12月10日
大相撲九州場所で全勝優勝を飾った横綱・照ノ富士。新横綱になってから2場所連続の優勝は大鵬以来、59年ぶりの快挙である▼23歳で大関に昇進するも、ひざのケガや内臓疾患などで休場が続き、一昨年には序二段まで番付を下げた。大関経験者が幕下以下に陥落するのは、昭和以降で初めてのこと。引退を考えたこともあった。それでも「一人でも『頑張っているな』と思ってくれる人がいるのならば、その人のために、もう一度土俵に立とう」と決めた▼復帰後は序二段や三段目、幕下、十両で負けることもあった。そのたびに敗因を分析し、課題を見つけては「その分、自分はまだまだ強くなれる」と、稽古を重ねた末の快進撃だった(『奈落の底から見上げた明日』日本写真企画)▼苦難に直面すると、人は往々にして"なぜ自分だけが"と思いがちだ。自分のことしか見えなくなり、心も小さく縮こまってしまう。"自分以外の誰かのために"と行動を起こせば、心は大きく広がり、新しい可能性が開けてくる▼池田先生は「人の『生きる力』を引き出した分だけ、自分の『生きる力』も増していく」と。あの友のために——きょうも挑戦の一歩を。自他共の幸福に生きる中に、人生勝利の道がある。
寸鉄 2021年12月10日
「青年よ 21世紀の広布の山を登れ」発表40周年。後継の誓いも新たに前進
青年教育など会長の行動に人類の方途が—教授。平和創造の確かな羅針盤
行動の奥に慈悲の心があれば必ず相手に通じる—恩師。強き祈りを根本に
世界人権デー。全ての生命が宝。人間主義の哲学を語り広げゆく使命は大
この1年で受動喫煙を経験—55%。路上での被害多く。配慮忘れぬ社会へ
〈社説〉 2021・12・10 きょう「世界人権デー」
◇一人を大切にする人権闘争こそ
本年、東京で開催されたオリンピック・パラリンピック大会で、競技種目を表す「ピクトグラム(絵文字)」が話題になった。起源は諸説あるが、1964年の東京での同大会をきっかけに広く普及したといわれ、言語的制約を超えた情報伝達手段として、現在も非常口やトイレの標識など身の回りで使用されている。あらゆる人に優しい先人の知恵である。
この"人への優しさ"の対極にあるのが、ヘイトスピーチ(憎悪表現)や移民排斥、新型コロナウイルスの感染者や医療従事者らへの差別など、人権を脅かす事例だ。対面では抑制される暴言が、容易にネット上に出る時代でもある。総務省によれば、昨年度のインターネット上の違法・有害情報は、相談だけでも5407件。2年連続で増えた。社会の分断は深い。亀裂を埋めるには、人権意識を高める努力が必要だ。
アムネスティ・インターナショナル日本の中川英明事務局長はかつて本紙で語った。「人権を守ることは、自分自身を大切にし、同じように他の人を大切にすること。人間はそれ自体が尊いのだという考えに立った時、日常の中でも、人権の大切さを実感できるようになるのではないでしょうか」
"人間は皆が尊極の存在"との仏法の視点に立って行動してきたのが、創価学会である。先月18日に施行された「創価学会社会憲章」。「目的及び行動規範」には、「創価学会は、人権を擁護し促進する。誰一人差別せず、あらゆる形態の差別に対し反対する」と明記されている。
学会はこれまで「人権教育ウェブサイト」の開設や展示の巡回などとともに、草の根の人権啓発を続けてきた。広布草創期から、苦悩にあえぐ"一人"を、徹底して励ましてきた。人権を、自分とはかけ離れた遠い場所にあるものではなく、身近なこととして捉え、人権意識の向上に貢献している。
池田先生は『青春対話』で「制度や法律で保障されていても、人権闘争を続けなければ空洞化してしまう」「『一人の人を大切にする』人権闘争です」と述べた。学びのみに終わらない実際の行動こそ、学会の魂である。
きょうは世界人権宣言の採択(1948年12月10日)を記念した「世界人権デー」。「人権の世紀」をつくる主体者との誇りを胸に、勇気の対話に一層励みたい。
☆四季の励まし 魂の独立から30年——「人間革命の宗教」の道を 2021年11月28日
◇池田先生の言葉
一人の人間の
蘇生と歓喜の人生こそ、
宗教本来の目的であり、
根本である。
したがって、
真に求められるのは、
生命の尊厳を説き明かし、
一人の人間を強く、
賢くする宗教である。
そこに、
「宗教のための宗教」
ではない、
「人間のための宗教」の
機軸がある。
日蓮仏法は、徹頭徹尾、
「人間のための宗教」だ。
一番重視すべきは、
どこまでも
眼前の一人を救い、
幸福にしていく実践だ。
苦しみ、悩んでいる人を
助けようとする、
慈愛の奉仕に徹する
「行動」にこそ、
宗教の価値がある。
悩みや苦しみを抱え、
いつも「救われる側」にいた
民衆が、
いつしか人々を支え、
「救う側」に回り、
「柱」「眼目」「大船」と
なっていく宗教である。
世界中に、
「民衆の柱」
「幸福の眼目」
「希望の大船」たる
人材を生み出しているのが
創価学会なのだ。
ここに
「人間革命の宗教」の
一大実証がある。
わが創価学会には——
民衆の苦悩の暗闇を破り、
勇気と希望を与えゆく
慈悲の大光がある。
敢然と邪悪を打倒し、
正義を叫び抜く
師子吼がある。
宿命を転換し、
自他共の幸福を築きゆく、
信心の大確信がある。
広宣流布という
末法万年にわたる大願の
戦いに終わりはない。
それは、全人類を
平和へと導いていく
間断なき行動と対話の
連続闘争であるからだ。
この粘り強き勇猛精進に、
私たち自身の
人間革命があり、
宿命転換がある。
【写真説明】赤、黄、青の鮮やかなバラに目を奪われる。2010年(平成22年)11月、創立記念日を寿ぐ「三色」の花々に、池田大作先生がレンズを向けた(都内で)。
きょう11月28日で邪宗門と決別した「魂の独立」から30年。人間を隷属させる宗門の呪縛を断って、創価学会は世界宗教へ飛躍した。地涌のスクラムは192カ国・地域に広がり、あの国、この地域に三色旗が翻る。
人間の可能性を開花させ、民衆を結び、地球文明の存続を可能にする新たな哲学を、世界は求めている。嫉妬や中傷など見下ろし、「世界広布」即「世界平和」の道を、威風も堂々と歩み抜こう。
☆12月度座談会拝読御書 聖愚問答抄
『されば一遍此の首題を唱へ奉れば一切衆生の仏性が皆よばれて爰に集まる時我が身の法性の法報応の三身ともに・ひかれて顕れ出ずる是を成仏とは申すなり、例せば籠の内にある鳥の鳴く時・空を飛ぶ衆鳥の同時に集まる是を見て籠の内の鳥も出でんとするが如し』(御書全集498ページ8行目〜10行目、編年体御書292ページ5行目〜7行目)
◇[池田先生の指針から]己心の御本尊を讃嘆
南無妙法蓮華経と唱えることは、日蓮大聖人の顕された御本尊を最高に讃嘆することです。
それは同時に、わが己心の御本尊を讃嘆することであり、わが仏界の生命を讃嘆することです。そうすれば、みずからの名を呼んで讃えられた仏界の生命が、顕れて出てくるのです。
「よびよばれて」と仰せです。呼ぶ側も自身、呼ばれる側も自身です。外から与えられるのではない。自分のなかから呼び覚ますのです。御本尊との感応です。
その声の響きに応じて、全宇宙の諸天善神が動くのです。そして、われわれの生命を守ってくれるのです。
また、あらゆる仏も菩薩も歓喜するのです。「歓喜とは法界同時の歓喜なり」(御書735ページ)です。宇宙全体が歓喜に満ちあふれるのです。(『池田大作全集』第32巻所収、「御書の世界」)
◇ ◇ ◇
唱題に励むとき、大宇宙の根本の法則である妙法と、わが生命が融合する。小宇宙である自身の生命の扉が大宇宙に向かって全開し、全宇宙の頂点から一切を広々と見わたすことができる。宇宙に包まれていた小宇宙が、大宇宙を包みかえしていく——これが我らの祈りです。
悠々と大宇宙を旅しながら、生命を浄化できる。そして十界のあらゆる衆生の境涯を深く知って、幸福に導く「慈悲」と「智慧」が、こんこんと湧き上がってくるのです。
この祈りの大きさこそが、広宣流布の真髄です。(中略)
なかんずく、広宣流布の師匠と心のギアを合わせ、師弟の魂に燃える祈りを貫くならば、わが生命の奥底から、仏の力が発光していくことは間違いありません。(『御書と師弟』第2巻)
◇広布の祈りこそ 一切の原動力
[キーワード�]題目の偉大な功力
私たち学会員が日々、御本尊に向かって実践する一遍の祈りに、どれほど偉大な功力があるか。本抄で日蓮大聖人は、その題目の力用について、"妙法を唱えることで、自他共の仏性を呼び顕していくことができる"と教えられています。
拝読御文の後段で「法華一部の功徳は只妙法等の五字の内に籠れり」(御書498ページ)と仰せの通り、妙法蓮華経の五字の内に、法華経28品の一切の功徳が納まっています。
だからこそ、妙法を唱える功徳は無量無辺であり、ありとあらゆる衆生の仏の生命を呼び覚ますことができます。たとえ一遍の題目であっても、計り知れない功徳があるのです。
ほかにも、題目の偉大な功徳については、御書の随所で示されています。
「妙法蓮華経の五字を唱うる功徳莫大なり」(同13ページ)
「一度妙法蓮華経と唱うれば一切の仏・一切の法・一切の菩薩(中略)一切衆生の心中の仏性を唯一音に喚び顕し奉る功徳・無量無辺なり」(同557ページ)
題目を唱え抜き、仏の大生命力を湧き出す人に、断じて行き詰まりはありません。いかなる苦難に直面しようと、全てを悠々と乗り越えていくことができるのです。
偉大な妙法と、世界一の師匠に巡り合い、思う存分、御本尊に題目を唱えることができる——。人間として、これ以上の幸福はありません。そのことへの感謝の心を原動力に、自分自身と広布のさらなる飛躍を、共々に成し遂げていきましょう。
[キーワード�]わが生命の変革から
偉大な功徳のある妙法の題目であっても、その功力を十全に引き出していけるかどうかは、御本尊に向かう私たちの信心によって決まります。
第2代会長・戸田城聖先生は、そのことを、分かりやすく次のように教えられました。
「釣鐘を、楊枝でたたくのと、箸でたたくのと、撞木(鐘を鳴らす棒)でつくのとでは、音が違うだろう。同じ釣鐘だが、強く打てば強く響き、弱く打てば弱く響く。御本尊も同じだ。こちらの信力(信じる力)・行力(行じる力)の強弱によって、功徳に違いがあるのだよ」
日蓮仏法は、「おすがり信仰」でも「他力本願の祈り」でもありません。自ら誓い、願いを立て、戦いを起こす「誓願の宗教」です。わが目標を率先して定め、"必ず成し遂げてみせる"と御本尊に強盛に祈る時、不可能を可能にする無限の力を涌現することができます。
そして、私たちの祈りには、自らの生命の変革だけにとどまらず、あらゆる人々の仏性を呼び覚まし、周囲の人々の生命をもダイナミックに変革していける偉大な力があります。
真剣な祈りを根本に、自らが人間革命し、その連帯を広げることで、地域社会を明るく照らしていく——。これこそ永遠不変の世界広布の方程式です。
本年の総仕上げに当たり、私たちは広布の誓願を一段と燃やして、自他共の幸福を強く祈りながら、一人また一人と仏縁を結び、人間革命の連帯を大きく広げていこうではありませんか。
仕事で逆境に挑む友よ
労苦の中で培った体験は
人生勝利の礎となる。
忍耐強く朗らかに前へ!
妙密上人御消息 P1237
『人に食を施すに三の功徳あり一には命をつぎ二には色をまし三には力を授く』
【通解】
人に食物を施すことには三つの功徳があります。一には生命をたもつことができます。二には色艶を増します。三には力を与えるのです。
名字の言 横綱・照ノ富士が心に決めたこと 2021年12月10日
大相撲九州場所で全勝優勝を飾った横綱・照ノ富士。新横綱になってから2場所連続の優勝は大鵬以来、59年ぶりの快挙である▼23歳で大関に昇進するも、ひざのケガや内臓疾患などで休場が続き、一昨年には序二段まで番付を下げた。大関経験者が幕下以下に陥落するのは、昭和以降で初めてのこと。引退を考えたこともあった。それでも「一人でも『頑張っているな』と思ってくれる人がいるのならば、その人のために、もう一度土俵に立とう」と決めた▼復帰後は序二段や三段目、幕下、十両で負けることもあった。そのたびに敗因を分析し、課題を見つけては「その分、自分はまだまだ強くなれる」と、稽古を重ねた末の快進撃だった(『奈落の底から見上げた明日』日本写真企画)▼苦難に直面すると、人は往々にして"なぜ自分だけが"と思いがちだ。自分のことしか見えなくなり、心も小さく縮こまってしまう。"自分以外の誰かのために"と行動を起こせば、心は大きく広がり、新しい可能性が開けてくる▼池田先生は「人の『生きる力』を引き出した分だけ、自分の『生きる力』も増していく」と。あの友のために——きょうも挑戦の一歩を。自他共の幸福に生きる中に、人生勝利の道がある。
寸鉄 2021年12月10日
「青年よ 21世紀の広布の山を登れ」発表40周年。後継の誓いも新たに前進
青年教育など会長の行動に人類の方途が—教授。平和創造の確かな羅針盤
行動の奥に慈悲の心があれば必ず相手に通じる—恩師。強き祈りを根本に
世界人権デー。全ての生命が宝。人間主義の哲学を語り広げゆく使命は大
この1年で受動喫煙を経験—55%。路上での被害多く。配慮忘れぬ社会へ
〈社説〉 2021・12・10 きょう「世界人権デー」
◇一人を大切にする人権闘争こそ
本年、東京で開催されたオリンピック・パラリンピック大会で、競技種目を表す「ピクトグラム(絵文字)」が話題になった。起源は諸説あるが、1964年の東京での同大会をきっかけに広く普及したといわれ、言語的制約を超えた情報伝達手段として、現在も非常口やトイレの標識など身の回りで使用されている。あらゆる人に優しい先人の知恵である。
この"人への優しさ"の対極にあるのが、ヘイトスピーチ(憎悪表現)や移民排斥、新型コロナウイルスの感染者や医療従事者らへの差別など、人権を脅かす事例だ。対面では抑制される暴言が、容易にネット上に出る時代でもある。総務省によれば、昨年度のインターネット上の違法・有害情報は、相談だけでも5407件。2年連続で増えた。社会の分断は深い。亀裂を埋めるには、人権意識を高める努力が必要だ。
アムネスティ・インターナショナル日本の中川英明事務局長はかつて本紙で語った。「人権を守ることは、自分自身を大切にし、同じように他の人を大切にすること。人間はそれ自体が尊いのだという考えに立った時、日常の中でも、人権の大切さを実感できるようになるのではないでしょうか」
"人間は皆が尊極の存在"との仏法の視点に立って行動してきたのが、創価学会である。先月18日に施行された「創価学会社会憲章」。「目的及び行動規範」には、「創価学会は、人権を擁護し促進する。誰一人差別せず、あらゆる形態の差別に対し反対する」と明記されている。
学会はこれまで「人権教育ウェブサイト」の開設や展示の巡回などとともに、草の根の人権啓発を続けてきた。広布草創期から、苦悩にあえぐ"一人"を、徹底して励ましてきた。人権を、自分とはかけ離れた遠い場所にあるものではなく、身近なこととして捉え、人権意識の向上に貢献している。
池田先生は『青春対話』で「制度や法律で保障されていても、人権闘争を続けなければ空洞化してしまう」「『一人の人を大切にする』人権闘争です」と述べた。学びのみに終わらない実際の行動こそ、学会の魂である。
きょうは世界人権宣言の採択(1948年12月10日)を記念した「世界人権デー」。「人権の世紀」をつくる主体者との誇りを胸に、勇気の対話に一層励みたい。
☆四季の励まし 魂の独立から30年——「人間革命の宗教」の道を 2021年11月28日
◇池田先生の言葉
一人の人間の
蘇生と歓喜の人生こそ、
宗教本来の目的であり、
根本である。
したがって、
真に求められるのは、
生命の尊厳を説き明かし、
一人の人間を強く、
賢くする宗教である。
そこに、
「宗教のための宗教」
ではない、
「人間のための宗教」の
機軸がある。
日蓮仏法は、徹頭徹尾、
「人間のための宗教」だ。
一番重視すべきは、
どこまでも
眼前の一人を救い、
幸福にしていく実践だ。
苦しみ、悩んでいる人を
助けようとする、
慈愛の奉仕に徹する
「行動」にこそ、
宗教の価値がある。
悩みや苦しみを抱え、
いつも「救われる側」にいた
民衆が、
いつしか人々を支え、
「救う側」に回り、
「柱」「眼目」「大船」と
なっていく宗教である。
世界中に、
「民衆の柱」
「幸福の眼目」
「希望の大船」たる
人材を生み出しているのが
創価学会なのだ。
ここに
「人間革命の宗教」の
一大実証がある。
わが創価学会には——
民衆の苦悩の暗闇を破り、
勇気と希望を与えゆく
慈悲の大光がある。
敢然と邪悪を打倒し、
正義を叫び抜く
師子吼がある。
宿命を転換し、
自他共の幸福を築きゆく、
信心の大確信がある。
広宣流布という
末法万年にわたる大願の
戦いに終わりはない。
それは、全人類を
平和へと導いていく
間断なき行動と対話の
連続闘争であるからだ。
この粘り強き勇猛精進に、
私たち自身の
人間革命があり、
宿命転換がある。
【写真説明】赤、黄、青の鮮やかなバラに目を奪われる。2010年(平成22年)11月、創立記念日を寿ぐ「三色」の花々に、池田大作先生がレンズを向けた(都内で)。
きょう11月28日で邪宗門と決別した「魂の独立」から30年。人間を隷属させる宗門の呪縛を断って、創価学会は世界宗教へ飛躍した。地涌のスクラムは192カ国・地域に広がり、あの国、この地域に三色旗が翻る。
人間の可能性を開花させ、民衆を結び、地球文明の存続を可能にする新たな哲学を、世界は求めている。嫉妬や中傷など見下ろし、「世界広布」即「世界平和」の道を、威風も堂々と歩み抜こう。
☆12月度座談会拝読御書 聖愚問答抄
『されば一遍此の首題を唱へ奉れば一切衆生の仏性が皆よばれて爰に集まる時我が身の法性の法報応の三身ともに・ひかれて顕れ出ずる是を成仏とは申すなり、例せば籠の内にある鳥の鳴く時・空を飛ぶ衆鳥の同時に集まる是を見て籠の内の鳥も出でんとするが如し』(御書全集498ページ8行目〜10行目、編年体御書292ページ5行目〜7行目)
◇[池田先生の指針から]己心の御本尊を讃嘆
南無妙法蓮華経と唱えることは、日蓮大聖人の顕された御本尊を最高に讃嘆することです。
それは同時に、わが己心の御本尊を讃嘆することであり、わが仏界の生命を讃嘆することです。そうすれば、みずからの名を呼んで讃えられた仏界の生命が、顕れて出てくるのです。
「よびよばれて」と仰せです。呼ぶ側も自身、呼ばれる側も自身です。外から与えられるのではない。自分のなかから呼び覚ますのです。御本尊との感応です。
その声の響きに応じて、全宇宙の諸天善神が動くのです。そして、われわれの生命を守ってくれるのです。
また、あらゆる仏も菩薩も歓喜するのです。「歓喜とは法界同時の歓喜なり」(御書735ページ)です。宇宙全体が歓喜に満ちあふれるのです。(『池田大作全集』第32巻所収、「御書の世界」)
◇ ◇ ◇
唱題に励むとき、大宇宙の根本の法則である妙法と、わが生命が融合する。小宇宙である自身の生命の扉が大宇宙に向かって全開し、全宇宙の頂点から一切を広々と見わたすことができる。宇宙に包まれていた小宇宙が、大宇宙を包みかえしていく——これが我らの祈りです。
悠々と大宇宙を旅しながら、生命を浄化できる。そして十界のあらゆる衆生の境涯を深く知って、幸福に導く「慈悲」と「智慧」が、こんこんと湧き上がってくるのです。
この祈りの大きさこそが、広宣流布の真髄です。(中略)
なかんずく、広宣流布の師匠と心のギアを合わせ、師弟の魂に燃える祈りを貫くならば、わが生命の奥底から、仏の力が発光していくことは間違いありません。(『御書と師弟』第2巻)
◇広布の祈りこそ 一切の原動力
[キーワード�]題目の偉大な功力
私たち学会員が日々、御本尊に向かって実践する一遍の祈りに、どれほど偉大な功力があるか。本抄で日蓮大聖人は、その題目の力用について、"妙法を唱えることで、自他共の仏性を呼び顕していくことができる"と教えられています。
拝読御文の後段で「法華一部の功徳は只妙法等の五字の内に籠れり」(御書498ページ)と仰せの通り、妙法蓮華経の五字の内に、法華経28品の一切の功徳が納まっています。
だからこそ、妙法を唱える功徳は無量無辺であり、ありとあらゆる衆生の仏の生命を呼び覚ますことができます。たとえ一遍の題目であっても、計り知れない功徳があるのです。
ほかにも、題目の偉大な功徳については、御書の随所で示されています。
「妙法蓮華経の五字を唱うる功徳莫大なり」(同13ページ)
「一度妙法蓮華経と唱うれば一切の仏・一切の法・一切の菩薩(中略)一切衆生の心中の仏性を唯一音に喚び顕し奉る功徳・無量無辺なり」(同557ページ)
題目を唱え抜き、仏の大生命力を湧き出す人に、断じて行き詰まりはありません。いかなる苦難に直面しようと、全てを悠々と乗り越えていくことができるのです。
偉大な妙法と、世界一の師匠に巡り合い、思う存分、御本尊に題目を唱えることができる——。人間として、これ以上の幸福はありません。そのことへの感謝の心を原動力に、自分自身と広布のさらなる飛躍を、共々に成し遂げていきましょう。
[キーワード�]わが生命の変革から
偉大な功徳のある妙法の題目であっても、その功力を十全に引き出していけるかどうかは、御本尊に向かう私たちの信心によって決まります。
第2代会長・戸田城聖先生は、そのことを、分かりやすく次のように教えられました。
「釣鐘を、楊枝でたたくのと、箸でたたくのと、撞木(鐘を鳴らす棒)でつくのとでは、音が違うだろう。同じ釣鐘だが、強く打てば強く響き、弱く打てば弱く響く。御本尊も同じだ。こちらの信力(信じる力)・行力(行じる力)の強弱によって、功徳に違いがあるのだよ」
日蓮仏法は、「おすがり信仰」でも「他力本願の祈り」でもありません。自ら誓い、願いを立て、戦いを起こす「誓願の宗教」です。わが目標を率先して定め、"必ず成し遂げてみせる"と御本尊に強盛に祈る時、不可能を可能にする無限の力を涌現することができます。
そして、私たちの祈りには、自らの生命の変革だけにとどまらず、あらゆる人々の仏性を呼び覚まし、周囲の人々の生命をもダイナミックに変革していける偉大な力があります。
真剣な祈りを根本に、自らが人間革命し、その連帯を広げることで、地域社会を明るく照らしていく——。これこそ永遠不変の世界広布の方程式です。
本年の総仕上げに当たり、私たちは広布の誓願を一段と燃やして、自他共の幸福を強く祈りながら、一人また一人と仏縁を結び、人間革命の連帯を大きく広げていこうではありませんか。
登録:
投稿 (Atom)