誠実な心と明るい笑顔!
思いやりにあふれた
信念の振る舞いは
どんな雄弁にも勝る。
大情熱を燃やし進もう!
四条金吾殿女房御返事 P1135
『但し信心のよはきものをば法華経を持つ女人なれどもすつるとみえて候』
【通解】
ただし信心の弱い者は、法華経を受持する女性といえども、諸仏・諸天は捨てると書かれている。
名字の言 きょうの誕生花「サルスベリ」を見つめて 2021年8月29日
俳人・高浜虚子の随筆に「百日紅」がある。サルスベリの花の漢名だ。師と仰いだ正岡子規のもとで俳句を作り始めた時に、「はじめて百日紅という樹を見た」と述懐している▼その花を自宅の庭に植え、つぶさに観察し続けて気付いたことがあるという。夏の炎天に真っ赤な花を結ぶイメージが強いが、それはまだ"花の盛り"ではない。名に「百日」と冠するように花期が長く、「夏の末から秋にかけて咲くのであって、むしろ秋の部分が多い」と認識した(『定本 高浜虚子全集第9巻』毎日新聞社、現代表記に改めた)▼東京・信濃町駅前の外苑東通り沿いに並ぶサルスベリも、鮮やかさを増してきた。見上げるほどの背丈の木々に群生した葉の緑と花の紅のコントラストが美しい。かつて池田先生はうたった。「深緑に百日紅の花輝けり」▼サルスベリは8月29日の誕生花でもあるという。花言葉には「雄弁」「活動」「あなたを信じる」など、前向きなものが少なくない▼きょうは「座談会の週」の最終日。語らいの花を明るく咲かせる地域も多いだろう。「青天に咲きひろげゝり百日紅」(子規)。夏から秋へ、そして学会創立の「11・18」へ——わが心の空にも、紅に燃える情熱の花を大きく開花させていこう。
寸鉄 2021年8月29日
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☆誓いをつなぐ 第7回 東京・城北地域
◇「感激の同志」と凱歌の秋へ
創価三代の師弟が世界広布の指揮を執ってきた本陣・東京。池田先生は、その使命と誇りを、折に触れて示してきた。
「万年の創価の勝利を決せんは 本陣・東京の責務なり」
「師弟凱歌の旭日を元初の朝に示さんは 本陣・東京の使命なり」
「東京は、永遠に『広宣流布の本陣』である。本陣として、『立正安国』の大闘争を勝ち抜かねばならない使命と宿命がある。責任があり、名誉がある」
日本と世界の広布の指揮を執りながら、先生は寸暇を惜しんで、本陣の各地をくまなく巡り、「師弟の絆」を結んできた。
東京のあの地この地に、先生との原点を宝として、ひたぶるに立正安国に走る同志がいる。文京、荒川と共に「城北」と呼ばれる北、足立、豊島、板橋もまた同様である。
大東京の北の砦「城北池田記念講堂」の建設が進む北総区。「すばらしき 北区は喜多区と うたわなむ 大東京を 四方に見つめて」との和歌を同志は忘れない。1968年(昭和43年)10月の東十条での座談会、「北区の日」の淵源となった75年(同50年)9月の記念撮影をはじめ、激戦のたびに、先生は励ましを注いできた。
足立総区の原点は、「足立の日」の淵源となった71年(同46年)12月の記念撮影。81年(同56年)10月、先生出席のもと開かれた友好総会での反転攻勢の歴史は、「王者・足立」の広布史に厳然と刻まれる。
創価三代の会長が立正安国の闘争を貫いた有縁の豊島総区。本部幹部会をはじめ重要な会合の舞台となる東京戸田記念講堂に、先生は幾度も足を運んだ。「決めた戦いは 断じて勝つ! これぞ 豊島の伝統なり!」——先生が贈った長編詩を胸に、今再びの凱歌をと、友の決意は固い。
50年前の71年(同46年)10月、板橋は東京各区で行われる池田先生との記念撮影のトップバッターに。後年、先生が贈った"大東京と大関東の錦州城たれ"との指針は、板橋総区の前進の原動力となってきた。
◇師弟の魂を胸に
北総区の橋元和子さん(総区女性部総主事)には、池田先生との忘れられない出会いがある。
79年(同54年)6月2日。東京戸田記念講堂の落成を翌日に控え、北区の婦人部長だった橋元さんは北、豊島の同志と準備に当たっていた。先生の会長辞任から1カ月余り。第1次宗門事件の嵐が吹き荒れていた。
「戸田先生の魂を打ち込むために来たよ!」——温かくも力強い先生の声が聞こえた。講堂を初訪問した先生は、開館式のために練習をしていた合唱団とオーケストラの友がいる会場へ足を運び、ピアノで「月の沙漠」と"大楠公"を奏でてくれた。
「あの時の光景、一音一音に師弟の魂を注ぎ込むようなピアノ演奏を思い出すたびに胸が熱くなります」
それは、難病のベーチェット病と闘い、2人の子育てに奮闘しながらも、同志を励まし続けていた橋元さんに、勇気の光を届けた太陽の励ましそのものだった。
橋元さんは、同講堂を訪れた先生との懇談に、たびたび同席する機会があった。ある時の「生きるか死ぬか、その時に、"このために生きよう"と思えるのが『希望』だよ」との厳愛の指導が、橋元さんの人生の支えとなった。
「生涯、先生と共に、学会と共に生きようと誓いました。師の心を伝えようと広布に走る中で、病気を克服できたことは、私の信心の原点です」
夫や子ども、孫も広布と地域の第一線で活躍。明春に完成予定の城北池田記念講堂を「喜多区」の幸福拡大で飾ろうと、同志と共に奔走している。
◇王者の誇りで
"学会3世"の田中広治さん(区男子部長)は生まれも育ちも足立。両親共に同区で青年部時代を過ごし、池田先生との原点を刻んできた。
「幼い頃から、折に触れて先生との出会いの感動を聞かせてくれました。幼心に『王者・足立』に誇りを感じてきました」
田中さん自身が信心の原点を築いたのは大学3年の時。学生部の先輩の「信心の確信をつかむには、学会活動しかない」との励ましをきっかけに折伏に挑戦。
1人、2人と対話するが、なかなか相手は心を開いてくれない。「自分にとって池田先生とは」「学会の素晴らしさとは」——御本尊に向かい自問自答し、友の幸せを真剣に祈る中で、幼なじみに弘教が実った。
その翌年、学生部の代表として、ペルー国立ホルヘ・バサドレ・グロマン大学からの池田先生への名誉博士号授与式に出席した。
席上、先生は呼び掛けた。「戦う人生は美しい。希望に燃え、勇気を燃やして、この一生を戦おう!」
その言葉が、今も胸に響いているという田中さん。以来、広布の第一線で拡大に走り、職場では人材紹介会社で営業企画を担当。学会の薫陶で培った力を発揮し、信頼を広げている。
「『王者』の名にふさわしい人材の拡大と勝利の歴史を、青年の熱と力で開いてまいります!」
◇不敗の大広布城
8月は東京の歌「ああ感激の同志あり」が発表された月。78年(同53年)の発表から43年となる。
先生が歌詞に込めた東京への期待は、小説『新・人間革命』第28巻「大道」の章につづられている。
「『感激』は、受け身になり、義務的に信心に取り組んでいたのでは生まれません。率先して行動を起こし、真剣勝負でぶつかっていく、その実践のなかにある」
「皆が"東京は一つである"との自覚で、何かあれば、飛んで行って守り、協力、応援し合っていくことが重要です」「東京は、本来、力を出せば無敵です。だから、『汝の勝利は 確かなり』なんです」
「"大東京"の前進は、わが町、わが地域という"小東京"の勝利のうえにある。私と一緒に、不敗の東京をつくろう! 世界の同志が仰ぎ見る、永遠不滅の、栄光の大広布城を築こうよ!」
学会創立100周年への勝負の10年。その緒戦を勝ち飾った総東京は、連続勝利の「凱歌の秋」へ威風堂々と出発した。その先頭に立つのは、北、足立、豊島、板橋の「感激の同志」たちである。