仏法実践の要諦は
「自行化他」の祈りだ。
友に励ましを届け
地域に安心を広げる中で
「世界の安穏」が築かれる。
南条兵衛七郎殿御書 P1494
『いかなる大善をつくり法華経を千万部読み書写し一念三千の観道を得たる人なりとも法華経の敵をだにもせめざれば得道ありがたし』
【通解】
どのような大善をつくり、法華経を千万部も読み、書写し、一念三千の観念観法の道を得た人であっても、法華経の敵を責めなければ、それだけで成仏はないのである。
名字の言 平和創造の連帯を一段と強く――きょう広島の原爆忌 2021年8月6日
ある女性部員は14歳の時に広島で被爆し、重い後遺症、いわれなき差別や偏見と戦ってきた。「語り部」の活動をする中で転機になった出来事がある▼それはアメリカの少年少女と懇談した時のこと。「原爆の"きのこ雲"のことを聞かせてほしい」と一人が尋ねると、女性は込み上げる思いを抑えきれず、強い口調で語った。「"きのこ雲"と言うけど、その下は"火の海"の地獄じゃった。どれだけもがき苦しんだか分かりますか!」。何人かが怖がって泣き始めた▼戦争の実態を知るべくもない世代に感情をぶつけたことを女性は悔い、痛感した。"恨みや憎しみの心"で語っても"平和の尊さ"は伝わらない、と。以来、どんな国や世代の人と接する時も、相手の価値観や背景を尊重しながら、"信頼の絆を結ぼう"と祈り、体験を語るように。「自分自身が境涯を開いた分、平和の連帯は広がります」と、数十カ国の人々と確かな友情を結んできた▼「人間革命」運動とは、祈りを根本に、万人の仏性を信じ、自己の境涯を開きながら"心の差異"を超えて友情を結ぶ対話だ。それは、心の中に「平和の砦」を築く戦いでもある▼きょうは広島の原爆忌。平和創造の連帯を一段と強める「誓いの日」である。
寸鉄 2021年8月6日
広島原爆の日。被爆者の平均年齢は約84歳。青年が平和の心継承し明日へ
核兵器廃絶は短距離ではなく長距離走―事務局長市民社会の声結集さらに
信越師弟誓願の日。従藍而青の人材山脈は隆々!新たな広布勝利の歴史を
東北の歌「青葉の誓い」発表の日。福光の前進を共に。希望の歌声響かせ
日本の農産物輸出が過去最高。安全・美味で人気。作り手の努力と奮闘光る
〈社説〉 2021・8・6 きょう「広島原爆の日」
◇想像力が平和を発信する力に
きょう6日は「広島原爆の日」。原爆死没者慰霊碑がある広島の平和記念公園では、市民が祈りをささげる。この公園の下に一つの街があったことはあまり知られていない。「旧中島地区」――広島市内有数の繁華街だった。被爆死亡率が100%に迫った爆心地の500メートル圏内に大半が含まれ、街は壊滅。後に約70センチの土砂で埋められ、公園として整備された。
当時8歳だった女性部員は、親族を捜すために父と同地区に入った。原爆投下の翌日。馬も犬も人間も焼け焦げていた。広島県産業奨励館(現・原爆ドーム)の前を流れる元安川にも遺体が浮かんでいた。「平和公園の下には、今も多くの遺体が眠っています。その悲しみを想像してほしい」と語る。
「原爆による死者約14万人」といわれても、数字だけでは伝わらないものがある。そこで創価学会広島青年部では、被爆体験の聞き取りを行った。取材者は戦争を知らない若者ばかり。ある男子高等部員は、学校で平和教育を受けてきたが「受け身だった」と。だが、生々しい証言を聞き、「知識だけでなく、心を知ることが大切なのだと感じました」という。
被爆者との交流は、歴史を学ぶだけでなく、"自分だったら"と想像する力を育んだ。8人の被爆・戦争体験者へのインタビューは、被爆・戦争証言集『75――未来へつなぐヒロシマの心』(第三文明社刊)としてまとめられ、昨年10月に発刊された。
今月1日、広島青年部主催の第184回「広島学講座」が開催され、広島平和文化センターの小泉崇理事長が青年に語った。
「平和公園を歩きながら、私も想像します。600メートル上空でさく裂した原爆が罪のない人々を焦がし、多くの人が理不尽に家族を奪われたと。この想像力を持つことが、平和を発信する力になります」
現在、国内に限っても、47都道府県に12万7755人(本年3月末現在)の被爆者が生存されている。遠くで起こった、過去の出来事ではない。
核兵器廃絶への挑戦は、学会の平和運動の起点だ。本年1月に発効した「核兵器禁止条約」の前文には、「ヒバクシャの受け入れ難い苦しみに留意する」と明記されている。「留意」とは"心をとどめる"との意味がある。被爆者の心に寄り添い、核兵器廃絶への誓いを新たにする8月6日にしたい。
☆Switch――共育のまなざし 三重県伊賀市・名張市の創価家族
伊賀流忍者で有名な「伊賀国」は、三重県の伊賀市と名張市に当たります。両市を今回訪ねたのは「忍法」を学ぶため……ではありません。「仏法」の団体である学会の"共育のドラマ"を取材しました。(記事=大宮将之)
◇親が"心を開ける"地域で子どもの未来も開かれる
伊賀国に生まれた松尾芭蕉翁は「子ども等よ昼㒵咲きぬ瓜むかん」と詠んだ。ヒルガオの開花に夏の訪れを感じつつ、子どもたちと一緒に冷たい瓜をむく俳聖のまなざしの優しさが伝わる一句だろう。
伊賀市と名張市を広宣流布の舞台とする三重正義県(勝岡誠県長、本村和代女性部長)の創価家族が未来部に注ぐまなざしも温かい。毎年夏の「未来部躍進月間」では創価ファミリー大会で斬新な工夫を凝らしたり、各種コンクールの応募に一緒に汗を流したりと、地域を挙げて取り組むのが伝統だ。
子どもたちと共に考え、共に祈り、共に悩み、共に喜ぶ――この営みの中に大人たちの気づきや成長があり、信心の継承もあることを実感しているからである。
◇あなたの広宣流布
「私も、わが子のことで悩んだからこそ……」と冨山ひとみさん(県総合女性部長)は言う。12年前の2009年初夏。当時、創価大学4年生だった長女・光恵さんが心身のバランスを崩した。医師の診断は「適応障がい」だった。
「適応障がい」の原因はストレスだといわれる。光恵さんが発症したのは、教員免許を取得するために地元・伊賀市の母校で教育実習に励んでいたさなかのことだった。
眠れない。起き上がれない。会話もままならず、食事も喉を通らない。そんなわが子の姿を前にして、ひとみさんも、夫・弘幸さん(副圏長)も祈ることしかできず、どうしたらいいか分からない。
駆け付けてくれたのは、中部女性部のリーダーだった。当時、圏婦人部長を務めていたひとみさんの話に耳を傾けた後、こう語ってくれたのである。
「"学会のリーダーとして、活動を通して乗り越えた姿を見せなければ!"と思う気持ちはよく分かる。けれど今は娘さんに寄り添うことがあなたにとっての広宣流布! それが一家と地域の未来を開くことにもつながるから。大丈夫! みんなで支え合うのが創価家族でしょう」
どれほど心が軽くなったことだろう。事実、三重正義県の同志は温かかった。学会の教育部やドクター部の友も親身に相談に乗ってくれた。その中で、ひとみさんは気付く。「娘は、幼い頃からずっと、親にとっての"いい子"でいようと頑張ってきたんだ……」
家族や周囲の期待に一心に応えようとするあまり、甘えることも反発することもなかった。しかし心は"パンク"寸前だったのだ。
今からでも遅くはない。思い切り甘えさせてあげること。心地よい言葉をシャワーのように掛けてあげること――それが教育部の友からのアドバイスだった。
ひとみさんは、「娘が赤ちゃんだった時代からやり直す思い」で実践した。一日3食の介助をはじめ、布団から起き上がれず言葉も発しない光恵さんに絵本を読み、夜は子守歌を聞かせながら添い寝をした。1カ月、2カ月、3カ月……半年後、光恵さんは抗うつ剤の服用も必要がなくなるほどに回復した。創価大学側からの配慮で授業をオンラインで受講し、卒業単位を取得。その後、創大通信教育部にも学び、小学校教諭になることができたのである。
◇子育てで悩んでいない人などいない
学会活動に復帰したひとみさんは「苦楽を共にしてくれる創価家族の温かさを伝えたい」と、一段と対話に、友の励ましにと奔走。訪問・激励や座談会の場で、自らの子育ての反省を赤裸々に語りながら、悩んだからこそ得られた学びと喜びや家族の絆を伝えた。
すると、どうだろう。一人また一人と「実は、うちの子が……」「実はうちも」「実は」と、悩みを打ち明けてくれるようになったのである。内容は不登校や非行、成人になってからの引きこもりなど多岐にわたった。それは社会全体の課題でもあり、原因を親だけに求める問題では決してあるまい。しかし真面目で責任感のある人ほど、一人で抱え込んでしまいがちともいえる。
子育てで悩んでいない人などいない。2011年夏に県婦人部長に就任したひとみさんは未来本部や教育部の力を借り、親が安心して"心を開ける"地域づくりに駆けた。
◇信じて待つこと
当時、地区婦人部長をしていた内原敦子さん(支部女性部長)は、長男・智志さんが中学3年の時に不登校となった際、「"こんな私が学会のリーダーでいいのだろうか"って、引け目を感じてしまった」という。
それを地域の同志に打ち明けると、「実は私もね」と自らの悩んだ経験とともに、信心で苦難を乗り越えてきた体験を語ってくれた。「だから、大丈夫。大丈夫だよ」と笑顔を添えて。
智志さんから「俺の気持ちなんて分かってへんやんか!」と激高されたこともある。どう答えていいか、分からない。分からないから、夫婦して御本尊に向かった。"どうか、わが子の苦しみが分かる親にしてください"――と。
「学校に行けない時は、飛躍する力をためている時」と、教えてくれた友がいた。大事なことは、それを「信じて待つ」こと。その心は親の姿を通して必ず伝わる。
智志さんは定時制高校を経て、地元で就職。男子部の先輩たちに恵まれて学会活動にも励むようになり、4世帯の弘教を果たした。現在は部長を務めている。
敦子さんは振り返る。「私が待つことができたのは、わが子の可能性を共に信じ、関わり続けてくれた学会家族がいたからです」
◇この子たちがいたから
吉岡愛美さん(白ゆり長)の長男・瑛人さん(高校1年)と長女・花梨さん(中学1年)は、共に「強迫性障がい」と診断され、瑛人さんは中学校の時に不登校を経験している。花梨さんは重度の食物アレルギーがあり、アナフィラキシーショック時に症状を緩和する自己注射薬「エピペン」を手放すことができない。
"どうしてわが子が!?"と思ったことはない――と言えばウソになる。だが今は違う。「信心をしている人に起きる苦難は大きな使命がある証拠」と確信し、支えてくれる同志がいるからだ。愛美さんの明るさに照らされて、2人の子どもたちも自らの経験を"他者を思いやる優しさ"と"苦難に負けない強さ"に変えていった。
「花梨ちゃんと一緒に勉強したり、給食を食べたりしたい」と望む友人が多く現れて、教育現場のアレルギー対応も進んだ。それによって救われたのは、花梨さんだけではない。同じような課題を抱えている他の親子にも喜ばれた。何より、「多様性とは?」「共生とは?」という問いについて、子どもたちが自ら深く考える機会にもつながったのである。
「この子たちがいたから、私も人間として大切なことを学べたんです」と愛美さんは笑顔で言う。
◇皆が使命の子
東構圭子さん(地区女性部長)の長男・祐豪さんは中学時代、非行に走ったことがある。"なぜ、こんな子に!?"と、母を落胆させた子が数年後、まさか創価大学に進学することになるとは「全く思いもしませんでした」。
何が息子を変えたのか。圭子さんは「親である私の祈りが変わったからでしょうか」と振り返る。きっかけとなった同志の言葉がある。「息子さんは『使命の子』です。一緒にワルさをしている子たちだって、みんな未来のある子どもたちです。この子たち全員を幸せにしようと祈りませんか」
祈りが変われば行動も変わる。ワル仲間たちをわが子同様に大切にするようになった。困っていることはないか、おなかをすかせてはいないかと心を砕き、自宅に招いて話も聞いた。仲間たちは祐豪さんに尋ねた。「なんでお前の母ちゃん、あんなに優しいんだ?」
いつしか祐豪さんも落ち着きを取り戻し、勉強に励むようになったのである。創大時代には学生部のリーダーとして活躍し、創立者・池田先生との原点も築いた。
◇能く忍ぶ人
仏法では仏の異名を「能忍」という。「最も忍耐強い人」の意味だ。"忍者の里"である伊賀市と名張市で出会ったあの友この友は「忍びの者」ではなく、どんな困難も「能く忍ぶ人」たちだった。
皆で支え合えば、耐える力も、乗り越える勇気も湧いてくる。子どもの未来を開く鍵は、親が心を開いて相談できる"励ましの世界"にこそあるのだろう。