2021年8月10日火曜日

2021.08.10 わが友に贈る

広宣流布に励む功徳を
故人に回らし向ける。
これが追善の本義だ。
信行学の錬磨に挑み
崩れぬ幸福の軌道を!

異体同心事 P1463
『日本国の人人は多人なれども体同異心なれば諸事成ぜん事かたし、日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし』

【通解】
日本国の人々は、大勢いるが、体同異心なので、何事もうまくいかない。日蓮の一門は、異体同心であるゆえに、人数は少ないけれども、大事を成し遂げ、必ず妙法が広まると確信する。悪は多くとも、一善に勝つことはない。

名字の言 困難の「壁」の向こうにあるもの 2021年8月10日
ある壮年部員から高校球児だった頃の思い出話を聞いた。彼が通った山あいの中学は在校生が少なく、野球部がなかった。高校から野球を始めたが、周囲との実力差は歴然だったという▼彼は日々の遠距離通学の傍ら、朝晩、自宅の塀を相手にしたキャッチボールや、素振りの練習を重ねた。だが結局、レギュラーにはなれず、3年生の夏を迎え、最後の大会に臨んだ▼初戦の最終回、彼は代打で出場。放ったヒットで逆転し、チームは1回戦を突破した。試合後、優勝したわけでもないのに、チームメートは彼を胴上げした。皆が陰の努力を知っていたのだ▼「恵まれない環境や自分の非力を嘆いたりせず、精いっぱい頑張り抜くと、どういうことが起こるか……非常に大事な経験となりました」と壮年は述懐した。自分を成長させた体験は忘れ難い。その後の人生で困難の「壁」に直面した際には、自身を奮い立たせ、背中を押す力にもなる▼広辞苑(第7版)で「壁」の音読みの「へき」の項目を引くと「壁」の次には「璧」が載っている。完璧、双璧、白璧などで使う「璧」の文字には、優れたもの、美しい玉といった意味がある。「壁」の向こうには「璧」がある——そう思うと、試練に挑む勇気が湧いてくる。

寸鉄 2021年8月10日
御書「法華経を持たば必ず成仏すべし」。揺るがぬ実践。ここに勝利開く道
創価の助け合いの連帯は社会を支える力—博士。孤立進む今、励まし強く
人格は厳しい状況のもとで測られる—闘士。青年よ広布の中で苦労求めよ
お盆の帰省を控える人が増加と。会えずとも電話や手紙で。心結ぶ工夫を
SNSが主な情報源の人ほど接種に拒否反応と。判断は公的情報をもとに

☆御書の旭光を 第47回 尊極なる宝塔を輝かせて
〈御文〉
『かかる宝塔も妙法蓮華経の五字より外は之れ無きなり妙法蓮華経を見れば宝塔即一切衆生・一切衆生即南無妙法蓮華経の全体なり』(御義口伝、797ページ)

〈通解〉
(法華経の見宝塔品第11で出現する)このような宝塔も妙法蓮華経の五字以外のなにものでもない。胸中の妙法蓮華経を見れば、宝塔は即、一切衆生であり、一切衆生は即、南無妙法蓮華経の全体なのである。

〈池田先生が贈る指針〉
"人類は皆が妙法の当体"との哲理を掲げ、我らは平和のために行動する。あらゆる差異を超え、一人また一人、尊極なる生命の宝塔を林立させていくことが、そのまま不戦への挑戦である。
わが地域から尊敬と信頼に満ちた宝処を広げゆこう! 地球上から「悲惨」の二字を除き、「核兵器廃絶」という恩師の遺訓の実現へ!

☆8月度座談会拝読御書 減劫御書
◇拝読御文
『法華経に云く「皆実相と相違背せず」等云云、天台之を承けて云く「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」等云云、智者とは世間の法より外に仏法を行ず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり』(御書全集1466ページ13行目〜15行目、編年体御書1434ページ1行目〜3行目)

[池田先生の指針から]人間の中へ
仏法は勝負である。生命は永遠に戦いである。強く、また強く、生きぬくことだ。
いずれの社会でも、現実は厳しいものだ。
その現実を勝ち抜いていくことが、仏法の力である。
さまざまな苦難は、だれ人も同じである。
なぜ信仰するのか。そこに深い意義があることを知らねばならない。
ともあれ、学会は、日蓮大聖人の仏法を広宣流布するためにある。その途上においての戦いは、当然、熾烈を極める時もあるだろう。
大聖人は、日本中から猛反撃を受けた。しかし、断じて屈せず、人類の希望の永遠の大道を開かれた。その大聖人の御精神を受け継いだのが、われわれである。
大聖人は仰せである。
「智者とは世間の法より外に仏法を行ず」(御書1466ページ)と。
仏法は虚栄の伽藍の中にあるのではない。観念でもなければ、おとぎ話でもない。現実社会の中にある。
大聖人の仏法は、人間の中へ向かっていく。牧口先生、戸田先生も、悩める民衆のまっただなかで弘教を貫かれた。
人に尽くし、喜びをあたえる。幸福と勝利の花を咲かせる。社会に「正義の旗」を打ち立てる。ここに仏法がある。学会の前進がある。(2001年8月、全国最高協議会でのスピーチ、『池田大作全集』第92巻所収)
◇ ◆ ◇
苦悩に充満したこの娑婆世界を、必ず幸福の楽土に転換していくことができる現実変革の誓願の宗教が、日蓮大聖人の仏法です。いわば「智者の闘争」があってこそ、閻浮提広宣流布は実現します。(中略)
「仏法即社会」の大道を歩み続ける創価の行動は、人類史に壮大な「立正安国」の希望の軌跡を光り輝かせていくのです。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第7巻)

◇現実社会で勝利の実証を
[キーワード�]誠実な振る舞い
日蓮大聖人は拝読御文で、真の「智者」とは「世間において世を治める法を十分に心得ている人」(趣意)と示されています。
仏法の智慧は、決して社会から遊離したものではありません。別の御書で、大聖人が「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(1174ページ)と仰せのように、妙法の偉大さは、社会の中で「人の振る舞い」となってあらわれるものです。
だからこそ、妙法を持つ私たち一人一人が、家庭、地域、職場において、常識豊かに「人を敬う振る舞い」を貫き、信頼を広げていくことが大切です。
いつも自分からあいさつする。朗らかな笑顔を忘れない。真心で感謝の言葉を伝える——こうした振る舞いを日頃から重ねていくことで、自然と友情が育まれ、仏縁が広がっていきます。また、その中で人格も磨かれ、誰からも信頼される自分自身へと大きく成長していくことができるのです。
池田先生は語っています。
「肩肘を張る必要などない。本有無作の自然の振る舞いの中で、学会の温かな励ましの世界を、信仰によって磨かれた人格の輝きを、伸び伸びと伝えていくことだ」
世界広宣流布といっても、「目の前の一人」に誠意を尽くして関わり、心の絆を結んでいくことから始まります。
いかなる状況であっても、創価の誇りを胸に「わが人間革命」に挑みながら、誠実に信頼を広げていくことが、私たちの「仏法即社会」の実践にほかならないのです。

[キーワード�]皆実相と相違背せず
法華経法師功徳品第19では、「法師」——つまり法華経を受持し、広宣流布に励む人は「六根清浄」の功徳を得ることができると説かれています。ここでいう「清浄」とは、感覚・知覚器官が清らかになり、物事を正しくありのままに捉えることができることをいいます。
六根のうちの、「意根清浄」の功徳の一つとして示されているのが、「諸の説く所の法は、其の義趣に随って、皆実相と相違背せじ。若し俗間の経書、治世の語言、資生の業等を説かんも、皆正法に順ぜん」(法華経549ページ)の文です。この趣旨は、法華経の受持によって「意根」すなわち心の働きが清浄になれば、その人が世間法のいかなることを説いても、全て妙法にかなった正しい言葉になっているということです。
この経文について、天台大師は「法華玄義」で「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」と述べました。すなわち、"社会や生活など現実のあらゆる営みが、妙法に背くものではない"と教えているのです。
現実のあらゆる事象が妙法のあらわれであると確信し、信心根本に挑戦を重ねる中で、智慧と勇気を発揮して現実社会で勝利の実証を示していけるのが、私たちの信仰です。
本抄では「大悪は大善の来るべき瑞相なり」(御書1467ページ)と仰せです。試練が打ち続く中だからこそ、立正安国の祈りも強く、今いる場所から「大善」のスクラムを一段と広げていきましょう。