◇今週のことば
友人と「つながる」
真心を「伝える」
交流を「続ける」
どんな災禍にも負けない
創価のネットワークを!
2021年8月15日
御義口伝巻下 P761
『御義口伝に云く随とは事理に随順するを云うなり喜とは自他共に喜ぶ事なり』
【通解】
御義口伝には、次のように仰せである。随喜の随とは、事理に随順することをいう。喜とは、自他共に喜ぶことである。
名字の言 被爆した女性が"生きる希望"となった三つの出来事 2021年8月15日
終戦から76年を迎えた。8歳の時に広島の爆心地から2・4キロの自宅そばで被爆した女性が終戦後、平和を感じた三つの出来事を教えてくれた▼まず、家の中が明るくなったこと。「戦争中は灯火管制で、夜は敵の空襲に備えて消灯したり、電灯にかさを付けて暗くしたり。それが必要なくなり、何と明るく、幸せなんだろうと思いました」▼次に、原爆が投下された3日後の8月9日、全線不通だった路面電車が一部区間で運転を再開したこと。「死に絶えた街の中で電車が"動いた"のです」。そして、戦後5年目に市民球団として誕生したプロ野球球団・広島カープ。「『元気を出して皆で応援しよう』という雰囲気になり、心が少し明るくなりました」。この三つが"生きる希望"になったという▼「私たちの感情のなかでもっとも高貴なもの、それは、運命が私たちを完全な無へと押し流すように思われるときでも、なおかつ生きつづけようとする希望である」(木原武一訳)とは、文豪ゲーテの言葉。希望ある限り、どんな絶望的な状況に立たされても生き抜いていける▼仏典に「心は工なる画師の如し」とあるように、希望はわが心から生まれる。平和を創る最強の力は、この希望にほかならない。
寸鉄 2021年8月15日
終戦の日。戦争を起こすのは人間。故に人々の心に不戦の砦を!決意新た
日蓮仏法は常盆・常彼岸。広布の同志の唱題が最高の追善。各家庭で今日も
青年に読書習慣があれば未来はいかに明るいか—恩師。常に思索を忘れず
酒に強い人ほど糖尿病のリスク高い—研究。何事も節度を。後悔なきよう
活発な前線の停滞で各地に災害の恐れ—気象庁。命を守る行動を最優先で
☆Diamond College 「開目抄」に学ぶ 地道な信心の実践こそが負けない自分をつくる
◇背景と大意
本抄は、日蓮大聖人が佐渡流罪中に認められ、文永9年(1272年)2月、四条金吾を通じて門下一同に与えられました。
当時、大聖人の門下たちは、法華経の信仰を理由に所領没収や追放などの難に遭い、「大聖人が法華経の行者であるならば、なぜ諸天の加護がないのか」と疑いを起こして退転する者が続出しました。
大聖人は本抄で、法華経の経文通りに正しく実践すれば、「三類の強敵」による迫害が起こるというのが仏の教えであり、その通りの難に遭っている大聖人は真の法華経の行者であることを示されます。
そして、民衆の幸福のため、大難を覚悟で不惜身命の実践をしている大聖人こそ「主師親の三徳」を具備した末法の御本仏であることを明かされていきます。
◇御文
『我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし』(御書234ページ7行目〜9行目)
◇通解
私ならびに私の弟子は、諸難があっても、疑う心がなければ、自然に仏界に至ることができる。諸天の加護がないからといって、疑ってはいけない。現世が安穏でないことを嘆いてはいけない。私の弟子に朝夕、このことを教えてきたけれども、疑いを起こして皆、信心を捨ててしまったようである。拙い者の習性として、約束したことをいざという時には忘れてしまうものである。
解説
◇師弟不二の心で朗らかに前進を
掲げた御文の直前、日蓮大聖人は、涅槃経の「貧女の譬え」を引用されます。
子どもを抱いたある女性が、川に流されながらもわが子を最後まで手放さなかった功徳により、亡くなった後で梵天に生まれた——この譬えを通し大聖人は、妙法も「受持し抜く」ということにより、求めずとも成仏に至ることができるとの原理を示されました。
そして、続く御文で、何があっても疑ったり嘆いたりせず、強盛な信心を貫いていけば、必ず自らの仏界を開いて、成仏できると述べられます。
冒頭の「私ならびに私の弟子は」との呼びかけに、御自身と弟子を分け隔てることなく「共に、不惜身命の決意と実践で妙法流布に生き抜こう」と師弟一体の勝利を願われる大聖人のお心が拝されます。
ここで「疑いの心」や「嘆きの心」を戒められているのは、妙法を信じ切れない「無明」の生命が、成仏を妨げる根本の原因だからです。本来、誰人にも仏界の生命は具わっており、題目を唱えることによって、妙法の無限の力をわが生命に自在に現すことができます。
ゆえに、大事なことは「深き信」に立って唱題に励み、自らの「無明」を晴らす戦いをすることなのです。
本抄の御執筆当時、大聖人の門下にも迫害が及び、人々の心には"妙法を弘通する自分たちが現世安穏でないのはなぜか"との疑いや嘆きが広がっていました。
こうした迷いを打ち破るため、大聖人は本抄で、法華経の行者としての御自身の誓願のお心を「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」(御書232ページ)と明かされます。
諸天の加護があるかどうかに関わらず、身命をなげうつ覚悟で一切衆生の幸福のために戦ってこられたのが、広宣流布の師匠である創価の三代会長です。
この師と同じ決意で立ち上がり、広宣流布に進んでいくのが真の弟子であり、その前進の中に、人生の幸福勝利を開く道があります。
池田先生は「師と同じ決意で立ち上がり、広宣流布に邁進してこそ真の弟子です。誰人であろうと、大聖人と同じ心に立ち『日蓮が一門』(同1360ページ)となった時、実は、すでに成仏への道は広々と開かれているのです」(『開目抄講義』〈下〉)とつづられています。
無明を晴らす唱題の実践に励み、どんな困難にも負けない強い心を築きながら、進路や人間関係、自身の性格など、日々直面する一つ一つの課題を自分らしく勝ち開いていきましょう。
◇「まことの時」に戦う人が仏に
成仏の要諦は「信」を貫くことであると示された上で、大聖人は、大切な門下が「無明」との戦いに決して負けぬよう、さらなる励ましを送られます。
大聖人は、これまでも常日頃より、「法華経の行者」にはあらゆる難が起こることを、経文に照らしながら、門下に教えてきたと仰せです。
しかし、実際に自身の身に難が起きると、信仰を捨て退転してしまう門下が多くいました。
苦難に直面したならば、それは強盛な信心をおこすべき「まことの時」であり、難を乗り越えた先に最高の幸福を勝ち取っていくことができる——ゆえに大聖人は、そのことを忘れて退転などしては絶対にならないと、重ねて「不退の信心」を教えられました。
私たちの立場でも、日々の生活の中で悩みにぶつかり、「なぜ自分がこのような目に遭うのか」「どうすることもできないのではないか」等、時に自信をなくし、諦めの心に覆われてしまうことがあるかもしれません。
しかし、こうした時にこそ"何があっても絶対に負けない! 必ず打開してみせる!"と、疑うことなく信心を貫き通していくことが大切です。「まことの時」に、師弟不二の信心で立ち上がる自身の胸中には、何ものにも負けない「仏界」が輝きます。
池田先生は、小説『新・人間革命』第14巻「烈風」の章につづられています。
「『いざという時』にどうするか。実は、その時にこそ、日ごろの信心が表れるんです。しかし、いつも、いい加減な人が、いざという時にだけ、急に強信になれるわけがありません。柔道や剣道だってそうでしょう。稽古もせず、練習で負けてばかりいる人が、試合の時だけ達人になれるわけがない。
だから、普段の信心が大事なんです。日々、忍耐強く、黙々と、水の流れるように信心に励むことです。自分の生命を、磨き、鍛え抜いて、信心への絶対の確信を培っておくことです。それができてこそ、大事な時に、大きな力が出せるんです」
学会創立90周年から100周年へ! まずは広宣流布大誓堂完成10周年の2023年を目指し、一人一人が誓いの前進を開始していきましょう!