新聞休刊日
さじき女房御返事 P1231
『ひとつのかたびらなれども法華経の一切の文字の仏にたてまつるべし』
【通解】
一枚の帷子ですけれども、法華経の一切の文字の仏に供養したことになるのです。
☆Diamond College 「開目抄」に学ぶ 不退の信心で幸福の土台を
●福ちゃん
元気で明るい大学1年生。韓流ドラマにはまっていて、ついつい夜更かしをしがち。大学生活は、いろいろなことに挑戦したいと決意している。
●智ちゃん
就職活動に奮闘中の大学4年生。勉強とアルバイトの両立にも挑戦してきた。学会活動を通して前向きになれたことを実感していて、御書を学ぶのが大好き。
●春さん
福ちゃんと智ちゃんがお世話になっている女子部のお姉さん。女子学生部出身で、御書や池田先生のご指導を通して励ましてくれる。
春さん 福ちゃん、智ちゃん、久しぶりだね! 元気にしていたかな?
福ちゃん お久しぶりです! あれから、気の合う友人もできて、充実した毎日を過ごしています! 「開目抄」を拝して、どんな悩みも祈って乗り越えようと決意させてもらったおかげです!
智ちゃん 福ちゃんのお題目で立ち上がった姿がまぶしい! 私は今、就職活動が思うように進まなくて。自分は何をしたいのか、どう生きていきたいのか、分からなくなってきました……。
春さん 決意した通りに実践し前進する福ちゃんも、自身の悩みに真っ正面から向き合っている智ちゃんも、本当に偉いね! 私も就活でものすごく悩んだから、智ちゃんの気持ち、よく分かるよ。
智ちゃん 春さんはどうやって乗り越えたんですか?
春さん 先輩に相談したり、御書や池田先生のご指導を研さんしたりする中で、祈り方が変わったんだ。
"縁する人に希望を送れる存在になろう。広布のために自身の使命を果たしたい"と心が定まったら、祈りも深まり、最終的には願った通りの進路を開くことができたの。
今日は、大聖人の「誓願」の生き方を通して、私たちの使命について一緒に考えてみよう!
◇背景と大意
本抄は、日蓮大聖人が佐渡流罪中に認められ、文永9年(1272年)2月、四条金吾を通じて門下一同に与えられました。
当時、大聖人の門下たちは、法華経の信仰を理由に所領没収や追放などの難に遭い、「大聖人が法華経の行者であるならば、なぜ諸天の加護がないのか」と疑いを起こして退転する者が続出しました。
大聖人は本抄で、法華経の経文通りに正しく実践すれば、「三類の強敵」による迫害が起こるというのが仏の教えであり、その通りの難に遭っている大聖人は真の法華経の行者であることを示されます。そして、民衆の幸福のため、大難を覚悟で不惜身命の実践をしている大聖人こそ「主師親の三徳」を具備した末法の御本仏であることを明かされていきます。
◇御文
『詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん』(御書232ページ1行目)
◇通解
結局のところは、天も私を捨てるがよい。いかなる難にも遭おう。身命をなげうつ覚悟である。
◇解説
日蓮大聖人は、人々の幸福のために、悪世末法で法華経を説き弘め、度重なる激しい大難に遭われました。
本抄で大聖人は、それがことごとく、経文に説かれる「三類の強敵」の迫害の様相と、符合していることを確認されます。そして、大聖人こそ、真の「法華経の行者」であり、その不惜身命の戦いによって、法華経の正しさも証明されたことを述べられました。
さらに、大聖人は、世間の人々や門下の"法華経の行者には諸天善神の加護があるはずではないのか"との疑問について、「此の疑は此の書の肝心・一期の大事」(御書203ページ)と述べ、重ねて経文による緻密な検証を加えられます。
そして、法華経の行者を"迫害する側"に現罰がない理由として、�法華経の行者自身の過去世に謗法の罪がある場合、�迫害者が地獄に堕ちることが定まっている場合、�国中の人々が謗法に陥り諸天善神が国を去った場合、との3点をあげ、道理と文証をもって、人々の疑問に対する明快な答えを示されました。
そのうえで、掲げた御文では、人々の心に潜む根源的な迷いを打ち破るため、大聖人御自身の揺るがぬ「誓願」の生き方を、次のように明かされています。
「詮ずるところは」——これまで法華経の行者の難について説明してきたが、最も大事なことをこれから述べよう。
「天もすて給え」——諸天善神が私を捨てるのであれば捨てるがよい。
「諸難にもあえ」——多くの難に遭わなければならないのであれば遭ってもかまわない。
「身命を期とせん」——わが身命をなげうって戦うのみである。
すなわち、世間の人々や門下たちの"諸天の加護がほしい""難に遭いたくない"などの思惑を超え、"諸天の加護があろうがなかろうが、仏の大願である「万人の成仏」を、何があっても成し遂げていく"というのが、大聖人の御覚悟であり、この透徹した広宣流布への「誓願」こそ、「法華経の行者」の魂の真髄なのです。
本抄で大聖人は、この直後に「身子」(舎利弗)の退転の事例をあげ、広宣流布の誓願に生き抜くため、最も大切なのは「不退の心」であることを教えられています。
——舎利弗は、過去世において、六十劫という長遠な期間、菩薩道を修め、人に物を施す布施行に励んでいました。
そこに婆羅門の一人が現れ、舎利弗に「眼をくれ」と乞います。舎利弗は自分の片方の眼を抜いて与えますが、婆羅門は「いやな臭いだ!」と言って眼を投げ捨て、踏みつけたのです。
それを見た舎利弗は"こんな輩を救うことは無理だ! もう自分の悟りだけを考えて生きよう"と、長いあいだ重ねてきた菩薩行を捨てて、小乗の教えに堕し、退転してしまいました。
婆羅門の正体は、舎利弗を退転させようと近づいてきた「魔」であり、実はこの時、婆羅門によって、舎利弗の心は試されていました。
舎利弗は、悪縁に触れ、「無明」という迷いの生命が湧き起こり、究極のところで、すべての人に仏性があると説く「万人成仏の仏法」を信じ抜くことができなかったのです。
◇
いかなる障魔にも負けず、「不退の心」で広布の使命を果たしていくなかに、人生の幸福勝利があります。
女子学生部の私たちには、これから先、さまざまな人生の転機や環境の変化がありますが、大事なことは、何があっても信心、学会から離れず、自他共の幸福を築く"創価の師弟の道"を歩み抜いていくことです。
そのためにも、良き仲間とともに行学に励み、信心の確信を深め、自分らしく"広布の使命を果たそう!"との「誓願」を打ち立てていく最重要の時が、人生の土台を築く"女学時代"にほかなりません。
私たちが日々、心を磨き、無明を晴らしゆく「勤行・唱題」に励み、"あの人にも仏性がある""あの人の仏界に届け"と、勇気の対話に挑戦することは、自らの境涯を大きく広げ、自分と友の生命に限りない福運を積みゆく、何よりも尊い行動です。
創価の女子学生部の「誓願」のスクラムから、あらゆる友に希望の励ましを広げ、平和と幸福の門を開いていきましょう。
福ちゃん 大聖人は一切衆生の幸福のために、命がけの闘争を生涯貫かれたんですね! 感動しました!
智ちゃん 本当だね! 大聖人のご境涯の大きさに触れて、自分のことだけではなく、人のために祈り、行動できる自分になりたいと思いました。
悩みは尽きないけど、何があっても負けないと心に決めて、お題目根本に自身の使命を開いていきます!
福ちゃん 私もアルバイト先に人間関係で悩んでいる友達がいるので、一緒に乗り越えていけるようにお題目を送りながら、真心の対話に挑戦していきます!
春さん 二人ともすばらしいね!
池田先生は「いかなる大難をも恐れない。いかなる苦難にも怯えない。その勇気を生み出す根源の力が、広宣流布の誓願です。誓願に生きれば、どのような障魔が出来しても、悠然たる王者の魂が光ります。どのような宿命が襲来しても、毅然たる勇者の魂が輝きます。そして『わが誓願の心』が破られることがなければ、あらゆる障魔にも宿命にも負けることは断じてありません」と励ましてくださっているよ。
皆で励まし合いながら、誓いに生きゆく「勝利の青春」を、朗らかに歩んでいこう!