記録的大雨が続く。
土砂災害・河川氾濫等から
命を守る行動を!
「百千万億倍・
御用心あるべし」
兵衛志殿御返事 P1090
『此れより後もいかなる事ありともすこしもたゆむ事なかれ、いよいよはりあげてせむべし、設ひ命に及ぶともすこしもひるむ事なかれ』
【通解】
これから後も、どのようなことがあっても、少しも信心が弛(たゆ)んではならない。いよいよ声を張り上げて責めていきなさい。
たとえ命に及ぶことがあっても、少しもひるんではならない。
名字の言 人生を決定づける出会い 2021年8月14日
きょうは七夕である。と言っても旧暦の話で「伝統的七夕」のこと。今年は8月14日がその日に当たり、一年に一度、織り姫とひこ星が天の川を渡って会うと伝承されてきた▼人の一生も"星の数ほど"出会いはあるが、交流が続く人は限られる。まして人生を決定づける出会いはなおさらだ。そんな瞬間はいつ訪れるか分からない。ドイツの作家カロッサは"人生とは出会い"であり、「この招待は二度と再び繰り返されることはない」と記した(玉置保巳訳)。その時を逃しては、二度と出会えない人がいることも間違いない▼1947年8月14日。若き日の池田先生は友人に誘われて参加した座談会で恩師・戸田城聖先生との出会いを結んだ。池田青年はその感動を即興詩に託した。「日 いまだ昇らず/夜明け前の混沌に/光 もとめて/われ 進みゆく」▼語らいが尽きなかったのだろう。池田先生が会場を後にしたのは午後10時近くだったという。夜空を見上げながら家路に就いた先生は10日後、希望の光を求めて信仰の道へ進んだ▼この師弟の出会いなくして、今日の世界広布の伸展もない。会い難き師と出会えたなら「求めて師とすべし」(御書230ページ)。希有の師匠と共に生きる幸福と使命を忘れまい。
寸鉄 2021年8月14日
戸田先生と池田先生の出会いの日。峻厳な不二の広布の闘争に連なる誉れ
関西・師弟原点の日。試練の時ほど励ましを強く!常勝の新章を共に開こう
「南無妙法蓮華経は精進行」御書。祈りを根本に前へ。眼前の課題に挑め
広島・長崎の原爆展示が国連欧州本部で10年延長被爆の実相を広く人々に
ワクチンが行き渡るまで対策を強力に—専門家。「3密回避」など心して
〈社説〉 2021・8・14 男子部大学校生が奮闘
◇理想は高く 貢献の青春歩め
日本の近代経済の父・渋沢栄一を描いたNHKの大河ドラマ「青天を衝け」が東京五輪による放送休止を経て、15日から再開する。
ドラマでも触れられたが、27歳の栄一らを乗せた船が、万国博覧会が開かれるパリに向かう途中、エジプトのスエズに到着。この時、紅海と地中海を結ぶスエズ運河の開削工事が行われていた。
それを目の当たりにした栄一が感動したのは、工事の壮大さもさることながら、個人や国家の利益を超越して、世界のため、人類の利益のために事業が起こされたという点だった(鹿島茂著『渋沢栄一(上)』文春文庫)。すでに江戸末期に、栄一の眼は、国家を超え、世界に向けられていた。
また後年、栄一は語っている。「青年たる者は、博く学び篤く行い、其理想を高くして、以て倦まず撓まず、義利合一の実を挙げねばならぬ」(『青淵先生訓言集』富之日本社)と。義利合一の義とは倫理であり、利とは利益。つまり、自己の利益のみならず、他者の利益も考えてこそ、真の利益であり、自身も社会も豊かになることを示している。高い理想を胸に、自他共の幸福を目指す私たちの学会活動とも響き合う。
今、男子部大学校4期生が、大学校生大会へ向け奮闘している。
東京・北区在住のブラジル出身の大学校メンバーは、東京の大学院で博士号を取得。大学の研究所の研究員として生命情報の解析に励む一方、友の幸福を祈り、これまで8人を入会に導いた。「がん細胞などの研究データの解析を通し、健康や医療への貢献を目指します」と努力を重ねる。
広島・安佐南区のメンバーは、3歳の頃、自閉症と診断された。両親に支えられ、文字の読み書きや学校での振る舞いなど、一つ一つ具体的に目標を書き出しては真剣に祈り、挑戦していった。小学5年から普通学級に進み、やがて大学に進学。今年から社会人となった。「同じ障がいがある方やご家族の苦しみを理解し、支えていける人になります」と決意を語る。
コロナ禍で社会の分断や人々の孤立化が叫ばれる中、「苦しむ人を放っておけない」と信心根本に対話拡大に挑戦する創価の青年たち。ここに新時代をつくる確かな力と希望がある。「青天を衝く」(青空にこぶしを突き上げる)がごとく、困難の壁を打ち破りゆく友に心からエールを送りたい。
☆Diamond College 「開目抄」に学ぶ 広布の誓いに生き抜く青春を
●福ちゃん
元気で明るい大学1年生。韓流ドラマにはまっていて、ついつい夜更かしをしがち。大学生活は、いろいろなことに挑戦したいと決意している。
●智ちゃん
就職活動に奮闘中の大学4年生。勉強とアルバイトの両立にも挑戦してきた。学会活動を通して前向きになれたことを実感していて、御書を学ぶのが大好き。
●春さん
福ちゃんと智ちゃんがお世話になっている女子部のお姉さん。女子学生部出身で、御書や池田先生のご指導を通して励ましてくれる。
春さん 福ちゃん、入学おめでとう!
智ちゃん 女子学生部(以下、女学)にようこそ〜! 待っていたよ♪
福ちゃん ありがとうございます! 温かく迎えてくれて、うれしいです。まだ分からないことばかりですが、これからよろしくお願いします! ところで、女学ってどんな活動をしているんですか?
智ちゃん 互いに励まし合いながら、皆で池田先生のご指導や御書を学んだり、友人への仏法対話にも挑戦しているよ! ちなみに、今年の女子学生部の研さん御書は「開目抄」だよ。
福ちゃん 御書! 親が研さんしている姿をよく見ます。なんだか難しそうだなと思っていたので、皆と学べるなら、うれしいです! でも、たくさんある御書の中から、なんで今年は「開目抄」を学ぶんですか?
春さん 良い質問だね! 小説『新・人間革命』第22巻「波濤」の章に、「女子学生部の日」の淵源が描かれているの。1975年9月9日、女子学生の集いに出席された池田先生は、「開目抄」の御文を拝されながら、"崩れざる幸福のため、広宣流布の「誓願」に生き抜く人生を"と励ましてくださったんだ。だから女学では、最重要の御書として学んでいるよ!
福ちゃん そんなに大切な御書なんですね! 少し興味が湧いてきました!
智ちゃん いいね! 早速、一緒に研さんしようか!
春さん コロナ禍で迎えた新生活、きっと福ちゃんも悩みや不安が多いんじゃないかな?
福ちゃん はい。まだ慣れないことばかりで……。
春さん そうだよね。でも大丈夫。どんな悩みも祈りに変える中で、何があっても負けない青春を歩めるよ。「開目抄」の御文を拝しながら、創価の哲学を共に学んでいこう!
◇背景と大意
本抄は、日蓮大聖人が佐渡流罪中に認められ、文永9年(1272年)2月、四条金吾を通じて門下一同に与えられました。
当時、大聖人の門下たちは、法華経の信仰を理由に所領没収や追放などの難に遭い、「大聖人が法華経の行者であるならば、なぜ諸天の加護がないのか」と疑いを起こして退転する者が続出しました。
大聖人は本抄で、法華経の経文通りに正しく実践すれば、「三類の強敵」による迫害が起こるというのが仏の教えであり、その通りの難に遭っている大聖人は真の法華経の行者であることを示されます。そして、民衆の幸福のため、大難を覚悟で不惜身命の実践をしている大聖人こそ「主師親の三徳」を具備した末法の御本仏であることを明かされていきます。
◇御文
『九界も無始の仏界に具し仏界も無始の九界に備りて・真の十界互具・百界千如・一念三千なるべし』(御書197ページ16行目〜17行目)
◇通解
九界も無始無終の仏界に具わり、仏界も無始無終の九界に具わって、真の十界互具、百界千如、一念三千なのである。
◇開目とは
題号の「開目」とは、人々が誤った教えに執着し、大聖人こそが「主師親の三徳」を具えた末法の御本仏であることを知らない「心の盲目」を開かせよう、との意であると拝することができます。
池田先生は「開目」の意義について「『大聖人に目を開け』の呼びかけとともに、『人間に目を開け』『民衆に目を開け』との熱い呼びかけがあることを明言しておきたい」と語られています。
人々の心の盲目を開くための方途を示されたのが、日蓮大聖人なのです。
◇解説
日蓮大聖人は本抄で、釈尊の仏教こそ、人間の幸不幸を決める生命の因果を、正しく説き明かした教えであることを示されました。
釈尊は30歳で成道(覚りを開くこと)し、入滅までおよそ50年の間に、数多くの経を説きました。
重要なのは、釈尊が自ら、それまでに説いた「諸経(爾前経)」を指して「未だ真実を顕さず」(無量義経)と述べ、「法華経」を「要ず当に真実を説きたまうべし」(方便品)、つまり、唯一の真実の教えであると明かされていることです。
法華経前半の「迹門」では、初めて、十界の生命がことごとく"妙法の当体"であり、九界の衆生にも仏界が具わっていることが明かされます。これにより、爾前経で"永久に成仏できない"とされた「二乗(声聞・縁覚)」を含む、あらゆる衆生に、成仏の可能性があることが保証されました。
しかし、法理の上で成仏が保証されても、現実の上で成仏を叶えるには、結局、何度も生まれ変わり、仏道修行をくり返して九界を断じる以外ないのではないか——こうした人々の考え方を根底から打ち破るのが、法華経後半の「本門」です。
法華経如来寿量品第16で釈尊は"私は成仏してからすでに無量無辺百千万億那由他阿僧祇劫もたっている"と述べ、今世で初めて成道した(始成正覚)のではなく、計りしれない久遠の昔に成道し(久遠実成)、以来これまでの果てしない時間、衆生を救い続けていることを明かしました。
爾前・迹門では、釈尊の「始成正覚」の仏の境地が、修行において目指すべき「仏果」でした。しかし本門においてそれは打ち破られ、「久遠実成」という「仏果」(本果)と、それを成就するための「修行」(本因)が明かされたのです。
今回の研さん御文は、この久遠実成の成仏の因果、すなわち「本因本果の法門」の内容を示された一節です。
はじめに「九界も無始の仏界に具し」と仰せです。
「無始」とは「無始無終」を指します。始めも終わりもない、いわば「永遠」です。
寿量品では、釈尊が成就した仏界は、尽きることなく生命に常住していることが説かれ、御文では、この「無始の仏界」の生命にも、九界が具わっていることを強調されています。
次に「仏界も無始の九界に備りて」と仰せです。
同じく寿量品では、釈尊が成道した本因が「菩薩行」であると明かされ、この菩薩の生命は、成道後も尽きることなく生命に常住していると説かれています。
御文では、菩薩行を続ける「無始の九界」の生命にも、仏界が具わっていることを確認されました。
久遠実成の釈尊の生命に、仏界も九界も「常に」具わっている——このことから明らかになるのが、一人の生命には十界が具わっており、十界それぞれには、さらに十界が具わっているという「十界互具」の真実です。このことにより、「十界互具」を骨格とする「一念三千」の法門も真に成立したのです。
現実の中で苦悩する九界の生命にも、常に、そこから仏界を涌現する、大いなる可能性が具わっています。
また、仏界の生命といっても、九界の現実の葛藤と無縁ではありません。苦悩や悲しみも背負いながら、それでも力強く前へ進み、友のための行動を貫きます。
久遠実成の仏とは「永遠の仏界」を現し、「無限の菩薩道」を続ける人であるといえます。私たちの立場で拝すれば、仏界を涌現する具体的な実践こそ、日々の勤行・唱題、学会活動です。自他共の仏の生命を輝かせゆく、広布の使命の青春を歩んでいきましょう。
福ちゃん 御書って、なんだかとてもスケールの大きい話なんですね……。でも今回の御文を学んで、私たちの生命にも無限の可能性が秘められていて、お題目によって大きく境涯を開いていけることに感動しました! 新しい環境に焦りや不安もあったけど、この悩みにも意味があると捉えて、一つ一つ具体的に祈ってみようと思います!
春さん 福ちゃん、すばらしい! 御書は学べば学ぶほど、自身の生き方が深まっていくよ。これから一緒に研さんしていこうね!
智ちゃん 私もこの3年間、勉強やアルバイト、学会活動の両立に悩む時もあったけど、祈って挑戦する中で負けない自分に成長できたんだと実感しました。正直、就活で自信をなくすことも多いけど、お題目の確信を忘れず、使命の道を必ず開いていきます!
福ちゃん 智先輩すごい! 私も「成長した」と言える大学生活を送りたいです!
智ちゃん いいね! 福ちゃんが充実した日々を送れるよう、私も祈るね!
春さん 二人の姿に感動しちゃった!決意したその瞬間から、勝利の因が刻まれているのは間違いないよ。
池田先生は小説『新・人間革命』第6巻「宝土」の章で、こう教えてくださっているよ。
「真実の仏法は、やがていつか、どこかで幸福になることを教えているのではありません。今、この場所で幸福をつくり出していくための法です。その幸福を生み出していく力は、あなた自身の胸中にある。それを引き出していくのが信仰です」
自分の生命の中に幸福を生み出す力があることを信じて、お題目根本に、人生の土台を築く宝の女学時代を送っていこう!