2021年8月17日火曜日

2021.08.17 わが友に贈る

御聖訓「ちかいし願
やぶるべからず」
自らの誓願を果たしゆく
真剣な祈りを根本に
立正安国の秋へ進もう!

日興遺誡置文 P1618
『一、当門流に於ては御書を心肝に染め極理を師伝して若し間有らば台家を聞く可き事。』

【通解】
日興門流においては、御書を肝心に染め、極理を師から受け伝えて、その上で、もしいとまがあるならば、天台の法門を学ぶべきである。

名字の言 雑踏の中でも聞き分けられる「声」 2021年8月17日
雑踏の中にいても聞き分けられる「声」がある。それは声の主が身近な家族や親しい友人の場合が多い。耳にさまざまな音が飛び込んできても、その声に反応し、意識が向くのはなぜか▼"聞き慣れた声"ということも重要な要素だろう。だがそれ以上に、声を発した人の人間性を含めた自分との関係が大きく影響しているように思う。人には忘れられない瞬間がある。自分が励まされたり、勇気づけられたりした時のことを思い出すと、心によみがえるのは、活字化された言葉ではなく、相手の"声"である▼大雨による各地の被害に心を痛め、テレビから目が離せない日が続いている。あるアナウンサーが視聴者に呼び掛けていた。「離れて住む家族などの声掛けで助かった例もあります」▼報道では「どこで災害が起きてもおかしくない。最大級の警戒を」と繰り返し訴えている。その上で、私たちの声で救い、守れる人がきっといる▼池田先生は、こう述べる。「人の『生きる力』を引き出した分だけ、自分の『生きる力』も増していく。人の生命を拡大してあげた分だけ、自分の生命も拡大する。これが菩薩道の妙です。『利他』と『自利』の一致です」と。自分の命と、大切な人の命を守ることは同じだ。

寸鉄 2021年8月17日
SUAに21期生が入学。21世紀は君の舞台。学び抜き人類貢献の指導者と
文芸部結成の日。正義の為、民衆の為に!勇気の言論で混迷社会に希望を
妙法で人間革命できる。故に決意と実践だ—戸田先生。今日も地道に前へ
各地で長引く大雨被害。被災された皆様に心からお見舞い。引き続き警戒
社会的孤立は認知症や鬱の一因と。進んで絆結ぶ学会こそ地域の安全地帯

☆桂冠詩人40周年 勇気の舞 凱歌の行進 第1回 東北
本年は、「桂冠詩人」の称号が池田先生に贈られてから40周年。連載企画「勇気の舞 凱歌の行進」では、先生がつづった長編詩を紹介します。第1回は、東北の同志に詠んだ「みちのくの幸の光彩」(1988年)です。

◇雄弁は「金」 沈黙は「銀」
私は詠んだ
「人材の城を築けと決意ます
恩師の去りし青葉に立つれば」
東北に贈った指針も
恩師の心を東北の地に
刻んでおきたかったからだ
"広布の総仕上げは東北健児の手で"
また
"人材の牙城・東北たれ"と

◆◇◆

あなたたちは
持ち前の粘りと忍耐で
「冬は必ず春」の御金言を抱きしめ
あらゆる障害を幸福への試練とし
雄々しく乗り越えてきた
それら無名の庶民の
信仰凱歌の無数の軌跡
それは まさに
民衆の
民衆による
民衆のための時代を開く
地を這うが如き尊き戦いであった

ああ——
愛する君たちよ
尊い みちのくの友
かけがえのない我が同志よ

◆◇◆

君たちよ
明朗の人は
愚痴と悲哀から踵を返し
常に 太陽を仰ぎゆく
向日性こそ 彼の誇るべき象徴だ

明朗の人の周りには
いつも 喜びと笑いの輪が
幾重にも 幾次元にも
広がり 連なっていく
そして 明朗の人は
涌き出ずる歓喜をば言葉に託し
降魔伏惑の大言論戦の
先駆の栄誉を担い 進む
雄弁は金 沈黙は銀なりと

◆◇◆

明るく 愉快に
そして一歩 また一歩と
"さあ すばらしき光彩を見たまえ"と
朗らかに 朗らかに
スクラムも固く
前進を開始してもらいたい

私は 君たちを信じている
私は 君たちを待っている

いま 世界の人々が
東北を見つめている
東北にあこがれている
東北には
真の「平和」がある
真の「人間」がいる
真の厚き「友情」があると
東北の発展を
世界の人々が祈っている

☆Switch——共育のまなざし 「思春期」の子どもとどう向き合うか
7月24日付の「Switch——共育のまなざし」では、三重県の伊賀市、名張市の創価家族を紹介しました。取材の際、「子育てで一番悩んだのは、いつでしたか」との質問に、「わが子が思春期に入った時でした」と振り返った保護者は少なくありません。そこで今回は、かつて池田先生が創価の教育者や女性リーダーと「思春期」を巡って語り合った内容から、励ましの言葉を抜粋して紹介します。(編集・構成=大宮将之)

◇"一人の大人"と見る
<親から見て「素直」で「かわいい」と思っていたわが子が突然、言うことを聞かなくなる。「うるさいな!」と口答えをしたり、イライラした気持ちをぶつけてきたり、普段の会話すらままならなくなったりする——そんな"大きな変化"に直面した時、親としてどう向き合えばいいのか。池田先生は語ります>

思春期は「第2の誕生」とも言われるほど、人生の重要な局面と言える。子どもから大人へと「自立」していく「親離れ」の時期です。子どもたちが自我の独立を求めて、いわば"独立宣言"をする第2次反抗期の時でもある。
感受性はひときわ強くなる。自意識が強くなって周囲に敏感になる。容赦のない批判力で大人を観察し(笑い)、失望や不満をいだく。親にはあまり心を開かなくなる(笑い)。こうした時期に大切なことは、思春期や反抗期の特徴を、親や周囲の人がよく理解したうえで、いたずらに紛動されないで、見守ってあげることです。
また、子どもを「一人の大人」として認め、"人生の先輩"として接していくことです。間違っても、「子ども」と見るようなことがあってはならない。反抗期は、あって当然なのです。

◇親も教師も「勇気をもって耐える期間」
いずれにしても、反抗するのは、子どもが健全に成長している証拠です。だれもが必ず通らねばならない、いわば"はしか"のようなものです。大人と子どもが同居している複雑さもある。一時的で、衝動的な反抗も多い。
今までのわが子と急に違ってしまうと、親は戸惑って右往左往してしまいがちです。慌ててしまう。反抗期だからといって、腫れ物にさわるような特別扱いもよくない。
それよりも、こうした経験をした子のほうが、人間としては太くたくましくなっていくのだ、ととらえるくらいの大らかさがあっていい。反抗期を経験しない。怒鳴られたり怒鳴ったり、失敗の経験もない。これでは、社会に出てから思いどおりにいかない状況に直面したり、荒波を受けた時に、立ち直れないような深刻なダメージを受けかねません。
その意味では反抗期は、親も教師も「勇気をもって耐える期間」ですね。

◇等身大の愛情で
<思春期の子どもたちは周囲の友達やメディアから新しい情報をどんどん吸収し、価値観も大きく変化していきます。価値観の違いで親とぶつかる場面も増えるでしょう>

子どもの発達段階をよく知って大きく包む——。教師や親の価値観が狭くて古いものに縛られていれば、子どもも縛られてしまう。現実を、ありのまま見つめ、まず受け入れてあげることが先決です。
仏法には、「実の如く知見す」(「如実知見」)とあります。これは、三世の因果に通達した「如来(仏)」が世間の事象を「ありのままに見る」、すなわち真実の相を正しく捉える仏の智慧について言われたものですが、私たちが生きていくうえでも大事な視点です。
親が自分の基準にこだわるのではなく、ありのままにわが子の現実を見つめて、その現実から出発し、わが子のよい面を発見し、伸ばしていくことです。
子どものよって立つ基盤は、何といっても家庭です。その大地を潤していこう、子どもにとって居心地のよい場所にしていこう、と努力してあげることです。
子どもを、本当に叱らなければいけないようなことは、一年に、そう何遍もあるものではない。しょっちゅう怒ってばかりでは、子どもとしては、うるさくてしょうがない(笑い)。叱る効果もない。たとえば、宿題をしようとしていた、まさにその時に、"宿題したの!?"と母親から言われる(笑い)。"つぶしのタイミング"というのか(笑い)、その一言で、子どものやる気はしぼんでしまう。
子どもも一歩、外に出たら一生懸命、頑張っている。家に帰って、足を投げ出して休む。すると途端に、お母さんから「だらしないわね。ちゃんとしなさい」と小言が飛んでくる。そこに、親と子のミスマッチ(すれちがい)がある。
子どもは、甘やかされることを欲しているのではない。叱る親をうとんじているわけでもない。ただ、同じ叱責であっても、それが親のヒステリックな一時の感情からなのか、深い愛情によるものなのか、鋭く感じとっているのです。
ゆえに、叱るべき時は、本気で叱ればよい。その等身大の愛情が、揺れる子どもたちの心の世界に、人間としての一本の道筋を築いていく支えとなるのではないだろうか。

◇性教育は生命の尊さを伝えて
<思春期は恋愛感情や性的関心が高まる時期でもあります。日本には今も、"隠さなくてはいけないこと"といった風土が残っている実情もあるでしょう。しかし「性」について語ることは決して恥ずかしいことでも、隠すべきことでもありません。家庭においても父親や母親が、それぞれの立場から正しい知識を率直に語っていく必要があります。池田先生は訴えました>

性に関心を持つのは、青春の特権です。年ごろの子どもたちを正しく育てるために、性教育は必要不可欠です。エイズの対策も、当然あるでしょう。女性を大切にするという視点も、必要でしょう。ごく自然に、当たり前のことを、当たり前に教え、学んでいくのだという気持ちで行っていけばよい。
何よりも、生命の尊厳が根本です。生命はいかにすばらしいか、いかに尊いかを教えていくことです。単に好奇心をそそるだけで終わってしまうわけがない。「性」を大事にすることは、「生」、つまり「生命の尊厳」と「自らの人生」を輝かせていく。その「心」と「行動」を大事にすることに通じます。

◇同じ人間として共に悩み共に成長を
<思春期の子どもたちは、大人たちがどこまで真剣に向き合ってくれるかを見ています。問われているのは大人の側に「どう生きるべきか」についての信念があるかどうか、子どもたちをどんな人間に育てたいかという明確な目標があるかどうか——とも言えるかもしれません>

親や教師の子どもへの接し方が定まらなければ、鋭敏な思春期の子どもたちは、大人の矛盾を感じるだけです。
家庭には、子どもを社会の荒波から守る面と、社会に適応できるように子どもを育んでいく側面がありますが、守ってばかりでは過保護となって、社会化できない。反対に「こうしなければいけない」と社会化にばかり傾けば、個としての自立がそこなわれますし、時には反発さえ買いかねない。
大事なことは、子どもと共に、親も成長していくことです。同じ人間として、悩み苦しみながらも、困難を乗り越えていこうと挑戦している親の生きざまを、率直に示していくことです。そうすれば、子どもも安心して伸びていける。「挑戦の心」が伝染します。
◆◇◆
子どもたちの生命の宮殿を開き、心の強さ、体力、知力、そして何よりも生命力を引き出す——教育の重要性もここにあります。
人類の希望の未来を考え、正義の人生を歩み、後世に何を残し、何を贈るかと考えれば、教育しかない。この、いわば、生命の大地に人材の種を蒔き、慈愛の滴を注ぐ労作業に全力で取り組んでいく以外に、「未来の創造」はないことを、最後に確認し合いたいと思います。