"広宣流布の突破口を
私が開いてみせる!"
そう誓いを立てた時に
「仏の力」は湧き出る。
率先垂範の大前進を!
南条殿御返事 P1578
『法妙なるが故に人貴し人貴きが故に所尊しと申すは是なり』
【通解】
法が妙であるがゆえに、その法を持った人は貴い。人が貴いがゆえに、その人がいる所も尊い。
名字の言 失明した友と弘教に歩いた思い出 2021年8月31日
東京パラリンピックの開幕から1週間。困難に負けず、大舞台で躍動する選手を見ると胸が熱くなる▼目の不自由なマラソンランナーと共に走る伴走者を経験した人が語っていた。「選手を助けようと始めた伴走ですが、思い違いでした」。障がいに屈せず、必死に練習する情熱、執念、ひたむきさ……。そばで走り、どれほど勇気づけられたか。「私の方が助けられました」▼以前、目の病で失明した友と弘教に歩いた。サングラスに白杖を突く友。反対の手を肩にのせ、彼の知人宅へ。いざ仏法対話を始めると、学会嫌いだった相手から「自分の病気を治してから来いよ」と言われた▼帰り道、気落ちしていないか心配で励まそうとすると、逆に励まされた。「おかげで腹が決まった。あの人を感動させる実証を示すから!」。その言葉通り、後にあん摩マッサージ指圧師として自立した彼の活躍に感動し、先の知人も「人生を勝ちたい」と入会した。あの痛烈な批判さえ成長の糧にした友の姿を思い出すと、力が湧く▼強い立場の人だから弱い立場の人を支えられるのではない。苦難のただ中にある人が負けずに戦う姿こそ人を勇気づける。励まし励まされながら前進する人間の絆ほど尊いものはない。
寸鉄 2021年8月31日
御書「猛者の進んで大陣を破る」。青年よ勇気と智慧で拡大の先頭を走れ
学生部の日。存分に学び語れ。それが君達の特権。新時代のリーダーよ堂々
勇敢とは危機において挫けない事—哲人。今すべき事に全力!師子ならば
冷房下の部屋も2時間に1回程度換気を—専門家場などでも強力に対策
若い女性の「やせすぎ」が深刻と。バランスのよい食が健康の基本。聡明に
☆四季の励まし 幸福の地図を朗らかに 2021年8月29日
◇池田先生の言葉
人間は、対話の中でこそ、
真の人間に成長する。
対話とは、
相手から学ぶことである。
そこには
相手への尊敬がある。
相手から学べば、
自分も豊かになる。
だから豊かな対話には
喜びがある。幸福がある。
平和がある。
対話それ自体が、
人間の勝利の証しなのだ。
人間として
爽やかな好感を
広げていくことだ。
そこから、対話がはずみ、
友情が生まれ、
仏縁が結ばれる。
御本尊に
「皆と仲良くできる自分、
信頼される自分に
成長させてください」と
祈るのだ。
困難であればあるほど、
舞を舞うごとく、
喜び勇んで進むのだ。
民衆のために——
この一点を
忘れてはならない。
人に尽くす人こそが
真実の王者だ。
広宣流布のために、
動いた分、走った分、
語った分、
真の友情の道が開ける。
自他共の
幸福の地図が広がる。
これ以上、充実した、
悔いなき歴史はない。
向かい風であっても、
泥沼であっても、
友と手を携え、前へ前へ
進み抜いていけば、
崩れざる「異体同心」の
スクラムができあがる。
対話には納得がある。
信頼がある。知恵がある。
生き生きとした対話は、
民主主義の基盤である。
対話で民衆を励まし、
民衆の心と心を結べ!
これが、
広宣流布の不変の軌道だ。
皆が力を出し切ろう!
胸を張り、声も惜しまず、
わが信念を語ろう!
朗らかに伸び伸びと、
笑みを湛えて、
友情を結ぼう!
【写真説明】白、ピンク、赤——。色鮮やかに咲き誇るコスモスの花が、秋の訪れを告げる。池田大作先生が昨年9月、都内で撮影した。
コスモスは、可憐で繊細な姿からは想像できないほど、力強い生命力を秘めている。風や雨で倒されても、茎の途中から根を出し、たくましく起き上がる。
御書には「地にたうれたる人は・かへりて地よりをく」(1586ページ)と。試練や逆境に打ち勝つ強靱な生命力を、わが胸中に湧き出していけるのが信心である。
さあ、心を結ぶ語らいの秋へ! 希望の哲学を朗らかに語り抜き、わが地域から友情の花、信頼の花を爛漫と咲かせよう。
2021年8月31日火曜日
2021年8月30日月曜日
2021.08.30 わが友に贈る
◇今週のことば
「一身一念法界に遍し」
題目の力は無限大なり。
誓願の祈りは無敵なり。
諸天を揺り動かして
勇気と希望の拡大を!
2021年8月30日
日女御前御返事 P1244
『日蓮が弟子檀那等正直捨方便不受余経一偈と無二に信ずる故によつて此の御本尊の宝塔の中へ入るべきなりたのもしたのもし』
【通解】
日蓮が弟子檀那等は「正直に方便を捨てて」の文や「余経の一偈をも受持してはならない」の文の通り、法華経のみを唯一無二に信ずることによって、この御本尊の宝塔の中へ入ることができるのである。まことに頼もしいことである。
名字の言 「変毒為薬」の人生を勝ち開いた創価の友 2021年8月30日
数式で「10×10」は100である。マイナス10にマイナス10を掛けても100となる。数学的には同じ数値だが、負の数同士を掛けて導き出された「100」の方が、心情的には"味わい深い"と感じてしまう▼それは「変毒為薬」の人生を勝ち開いた創価の友に学んできたからに違いない。マイナスとも思える試練から逃げず、本来であれば、しなくてよかったかもしれない苦労を積み重ねた結果、以前にも増す幸福の境涯を築いた多くの友がいる▼ある壮年部員は、サッカーざんまいの青春を送った。大学も強豪校に進み、夢の舞台を広げていった。だが、度重なるけがに泣いた。仲間の活躍を尻目に基礎練習の日々。"いっそ、別の道を"と心が揺れた▼それでも「これまでの歩みを帳消しにして、ゼロにしてしまえば、何を掛けてもゼロのままだ」と踏みとどまった。後に彼は自身の経験も生かし、スポーツに関する学術の道に進んだ。努力を重ね、データ分析だけでなく、個々人の感情や精神状態などの視点も取り入れた運動学の研究分野で才能を開花。現在、大学教授として活躍している▼成功ばかりで、終始、順風満帆とはいかない。波瀾万丈を乗り越えた人生行路にこそ、歓喜の凱歌は響き渡る。
寸鉄 2021年8月30日
私は進むぞ。君も進め—恩師。さあ共に決意固く。下半期の勝利へダッシュ
人間革命の実践こそ社会を調和と安定に導く光—博士。皆が変革の主役と
男子部が各地で大学校生大会。君の双肩に広布の未来あり。対話に先駆!
優しさが人の心を暖かくする—詩人。友の悩みに同苦し、真心の励ましを
熱中症による死亡は夜間に多し。就寝前にも水分補給を。エアコンも活用
〈社説〉 2021・8・30 きょうから「防災週間」
◇地域の安全祈り意識を高めよう
先日、消防署に勤務する男子部員と懇談する機会があった。立て続く大雨や熱中症の搬送など、相次ぐ災害や救急対応に追われる日々が続いたという。報道で被災状況を知ることはできるが、現場で任務に徹する人の声を聞いて、想像以上の苦労を実感した。
きょうから9月5日まで「防災週間」。1923年9月1日に発生した関東大震災、59年9月に襲来した伊勢湾台風などをきっかけに、60年に「防災の日」(9月1日)が制定。82年には、全国的に防災の行事を展開するための「防災週間」が決定された。日本は、地震や台風など災害の多い国。今月も、線状降水帯の発生で広い地域に大雨が降り、被害が出ている。災害から命を守る行動をとるように警戒レベル5の「緊急安全確保」が発令された地域もあった。
政府は、高い警戒レベルが発令された地域では、周囲に声を掛け合い、安全・確実な避難を呼び掛けている。また、ハザードマップで地域の災害リスクを知り、避難場所はどこか、安全な避難経路はどこかなどを確認するように訴えている(首相官邸ホームページ)。新型コロナウイルスの感染拡大を受け、避難所の開設にも、いかに感染防止の工夫ができるかなど新たな課題も生まれている。地域の最新の対応に関して、正確な情報を得ることも大切だ。
本年3月、東日本大震災から10年を迎えた。復興庁が7月に発表した避難者数は今なお約4万人に及ぶ。3月21日、災害の教訓を生かすために創価学会青年部の主催で「青年福光サミット」がオンラインで開催された。災害発生直後、学会の会館を一時的な避難所として開放したことや「かたし隊」として被災地域の片付けを行ったことなどを報告。会合に出席した開沼博氏(現・東京大学大学院准教授)は「大規模災害時は、政府や行政が地域の細かい問題まで対処することは難しい。ですから、行政と個人の間に入る"繋がり"のような存在が重要です。こぼれ落ちてしまう人々を支える役割を学会が担ったことは、非常に価値があると思います」と講評を寄せた。
「立正安国論」には、「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を嘘らん者か」(御書31ページ)と仰せである。地域の安穏と繁栄を祈りつつ、「防災週間」を契機に防災を"わが事"と捉えて、自他共の安全への意識を高めたい。
☆ストーリーズ 師弟が紡ぐ広布史 第11回 「一瞬」に「永遠」を込めて 記念撮影編�
◇勝ち鬨をあげよ!
本州付近に停滞した梅雨前線の活発な活動が、10日以上も続いた。
1972年(昭和47年)7月に降り続けた雨は、全国各地で甚大な被害を及ぼした。この「昭和47年7月豪雨」によって、島根県では宍道湖の水があふれた。約1万2000棟の住宅が床上浸水し、被災者は13万人を超えた。
7月11日、秋田にいた池田大作先生は、松江会館(当時)に電報を打った。「集中豪雨の報に接し、心配しております。同志の皆さんのご無事を祈るとともに、被災者に対しては、心からの激励をお願いいたします」
その後、豪雨災害で大きな被害を受けた地域の同志を励ますため、記念撮影会を行うことが発表された。島根では9月に開催されることが決まった。
前日までの雨はやみ、島根の友の喜びを表すかのような青空が広がった。72年9月17日、松江市立体育館に約4200人が集った。
会場に到着すると、先生は「晴れわたる 同志の瞳の 功徳かな」などの句を詠み、代表に贈った。そして、場内に入ると、「皆さん、まめでございますか」と呼び掛けた。
「まめ」は出雲地方の言葉ともいわれ、「元気」を意味する。先生のユーモアたっぷりの挨拶に、参加者の笑顔が広がる。
撮影の折、先生は青年に「粘り強く、20年、30年、50年先を目指して戦っていく人が、本物です」と強調。婦人には「お母さんはいつも明るくて、健康でいてください。母は一家の太陽です」と語った。
駐車場で整理・誘導役員に就いていた壮年。ワイシャツの袖をまくり、励ましを送り続ける先生の姿に、"師と同じ心で、友を励まそう"と決めた。その誓いの通り、島根の創価班初代委員長を務めた時も、同志の激励に駆けた。
高校卒業後から、総合建設業の会社で住宅設計の仕事に従事した。2001年(平成13年)、"力を貸してほしい"と請われ、54歳で別の会社に移った。74歳の今も、リフォーム部の部長として活躍する。
7年前、前立腺がんが見つかった。手術は6時間半に及んだが、無事に成功。大病を患ったからこそ、"日々を悔いなく"と仕事と活動に全力を注ぐ。
その姿には、「やらこいや!(さあ、やろう!)」との島根伝統の気風が脈打っている。
撮影会の終了後、先生は車中で詠んだ。「いつまでも いつまでも交う 目と目かな」
池田先生と島根の友の視線の交わり——。それは、師弟の語らいであった。友の胸中にともった誓いの炎は、今も赤く燃え続けている。
1981年(昭和56年)12月12日、池田先生は大分・竹田市の岡城址を訪問。本丸跡に集まった友と記念のカメラに納まった。
「西の大分」「東の秋田」といわれるほど、77年(同52年)ごろから、大分では宗門僧が悪辣な学会攻撃に狂奔した。その嵐の渦中、友は対話に駆け、80年(同55年)から2年連続で九州一の弘教を成し遂げた。
師と同じ心で立ち上がる真正の勇者がいれば、広布を阻む障魔は必ず勝ち越えることができることを、大分の友は証明したのである。
撮影が終了し、皆で「荒城の月」を合唱。池田先生は、大分の友をたたえるように、両手を「V」の字に高く掲げた。
「万歳! 万歳! 万歳!」
師と友の唱和は、師弟の「勝ち鬨」にほかならなかった。
ある婦人は「池田先生と一緒に万歳をし、長編詩『青年よ 21世紀の広布の山を登れ』が発表された大分県青年部幹部会に参加したことが原点です」と。
看護師として働く中、誰もが人生の最後を穏やかに迎えることの大切さを心から感じた。その時間を少しでも提供したいと、2012年(平成24年)に老人ホームを開設した。
81年の師との出会いで、"大分の地で戦い抜く"と誓った。以来、40星霜。婦人は学会同志に尽くし、入居者に尽くす、貢献の人生を歩む。
竹田を出発した先生は、熊本・阿蘇町(現・阿蘇市)にある白菊講堂(当時)へ。自由勤行会に出席した後、地元の代表メンバーと記念撮影を行った。
翌13日、南九州婦人会館(現・熊本会館)を視察し、熊本文化会館に戻ると、会館を訪れた友と相次ぎ記念撮影を。また、熊本文化会館の落成5周年記念の県幹部会に出席した。14日には、福岡の久留米・八女などで、渾身の激励を重ねた。
15日午後、熊本文化会館で、八代・人吉・水俣などの城南地域の友と、天草の友との自由勤行会が開催された。終了後、参加者が会館近くの壱町畑公園へ。先生の提案で、記念撮影が行われることになった。
「田原坂」の力強い歌声が響いた。凱歌の合唱が終わると、皆、両手を大きく振り上げた。
「万歳! 万歳! 万歳!」
大分に続き、熊本にも師弟の「勝ち鬨」が轟いた。
熊本広布史に永遠に刻まれる場面にいた婦人。潰瘍性大腸炎や骨粗鬆症など、数々の病を患った。しかし、「小さな坂で、へこたれては、絶対になりません」との勤行会での師の指導を励みに、宿命の坂を一つ一つ乗り越えてきた。
信心で乗り越えられない坂などない——その確信を、婦人は縁する人に語り続けている。
81年12月22日、池田先生と神奈川・小田原、静岡・御殿場の友との記念撮影が開催された。
撮影会では、皆で「ふじの山」を合唱し、勝利の万歳を。この日、先生は詠んだ。
「白雪の 鎧まばゆき 富士の山 仰ぎてわれらも かくぞありけり」「限りなく また限りなく 広宣に 天下の嶮も いざや恐るな」
翌82年(同57年)1月10日、先生は秋田へ。秋田文化会館(当時)に着くと、"玄関前の広場に命名を"との要請があった。先生は「晴天広場」と提案した。
「昭和47年7月豪雨」の際、秋田では先生との記念撮影が中止に。秋田の友にとって、「晴天」は豪雨の試練を勝ち越えた象徴であり、宗門僧の謀略を打ち破った歓喜の象徴でもあった。
13日の午前、2回にわたって「自由勤行会」が開催された。勤行会の後、会場に隣接する広場で記念撮影が行われた。降りしきる雪の中、参加者が「人間革命の歌」を合唱。皆で右腕を突き上げ、「勝ち鬨」が轟いた。
午後、3回目の「自由勤行会」が開かれ、記念撮影も行われた。先生は午前の友に「吹雪グループ」、午後の友に「嵐舞グループ」との名を贈った。
吹雪の中を2時間、車を走らせて駆け付けた壮年がいた。翌14日の県青年部総会にも参加。「自分が思うと思わざるとにかかわらず、諸君は池田門下生である」との師の期待に、"必ず信心の実証を"と誓った。
92年(平成4年)、念願だった歯科技工所を開所。多忙な中、学会活動も一歩も引かなかった。現在も地区部長として、秋田広布の最前線で奮闘を重ねる。25年間、配達員も務めた。
2人の子どもは創価大学を卒業。長男は区男子部長、次男は男子地区リーダーとして、後継の道を進んでいる。
反転攻勢の激励行の中、82年2月11日には、茨城で記念撮影が行われた。大分、熊本、神奈川・静岡、秋田に続いて、本紙で大きく掲載された。
池田先生との記念撮影——。その一葉一葉には、師と共に戦う友の歓喜が、学会と共に歩む友の誓いが、同志と共に前進する友の誇りが、刻まれている。
「一身一念法界に遍し」
題目の力は無限大なり。
誓願の祈りは無敵なり。
諸天を揺り動かして
勇気と希望の拡大を!
2021年8月30日
日女御前御返事 P1244
『日蓮が弟子檀那等正直捨方便不受余経一偈と無二に信ずる故によつて此の御本尊の宝塔の中へ入るべきなりたのもしたのもし』
【通解】
日蓮が弟子檀那等は「正直に方便を捨てて」の文や「余経の一偈をも受持してはならない」の文の通り、法華経のみを唯一無二に信ずることによって、この御本尊の宝塔の中へ入ることができるのである。まことに頼もしいことである。
名字の言 「変毒為薬」の人生を勝ち開いた創価の友 2021年8月30日
数式で「10×10」は100である。マイナス10にマイナス10を掛けても100となる。数学的には同じ数値だが、負の数同士を掛けて導き出された「100」の方が、心情的には"味わい深い"と感じてしまう▼それは「変毒為薬」の人生を勝ち開いた創価の友に学んできたからに違いない。マイナスとも思える試練から逃げず、本来であれば、しなくてよかったかもしれない苦労を積み重ねた結果、以前にも増す幸福の境涯を築いた多くの友がいる▼ある壮年部員は、サッカーざんまいの青春を送った。大学も強豪校に進み、夢の舞台を広げていった。だが、度重なるけがに泣いた。仲間の活躍を尻目に基礎練習の日々。"いっそ、別の道を"と心が揺れた▼それでも「これまでの歩みを帳消しにして、ゼロにしてしまえば、何を掛けてもゼロのままだ」と踏みとどまった。後に彼は自身の経験も生かし、スポーツに関する学術の道に進んだ。努力を重ね、データ分析だけでなく、個々人の感情や精神状態などの視点も取り入れた運動学の研究分野で才能を開花。現在、大学教授として活躍している▼成功ばかりで、終始、順風満帆とはいかない。波瀾万丈を乗り越えた人生行路にこそ、歓喜の凱歌は響き渡る。
寸鉄 2021年8月30日
私は進むぞ。君も進め—恩師。さあ共に決意固く。下半期の勝利へダッシュ
人間革命の実践こそ社会を調和と安定に導く光—博士。皆が変革の主役と
男子部が各地で大学校生大会。君の双肩に広布の未来あり。対話に先駆!
優しさが人の心を暖かくする—詩人。友の悩みに同苦し、真心の励ましを
熱中症による死亡は夜間に多し。就寝前にも水分補給を。エアコンも活用
〈社説〉 2021・8・30 きょうから「防災週間」
◇地域の安全祈り意識を高めよう
先日、消防署に勤務する男子部員と懇談する機会があった。立て続く大雨や熱中症の搬送など、相次ぐ災害や救急対応に追われる日々が続いたという。報道で被災状況を知ることはできるが、現場で任務に徹する人の声を聞いて、想像以上の苦労を実感した。
きょうから9月5日まで「防災週間」。1923年9月1日に発生した関東大震災、59年9月に襲来した伊勢湾台風などをきっかけに、60年に「防災の日」(9月1日)が制定。82年には、全国的に防災の行事を展開するための「防災週間」が決定された。日本は、地震や台風など災害の多い国。今月も、線状降水帯の発生で広い地域に大雨が降り、被害が出ている。災害から命を守る行動をとるように警戒レベル5の「緊急安全確保」が発令された地域もあった。
政府は、高い警戒レベルが発令された地域では、周囲に声を掛け合い、安全・確実な避難を呼び掛けている。また、ハザードマップで地域の災害リスクを知り、避難場所はどこか、安全な避難経路はどこかなどを確認するように訴えている(首相官邸ホームページ)。新型コロナウイルスの感染拡大を受け、避難所の開設にも、いかに感染防止の工夫ができるかなど新たな課題も生まれている。地域の最新の対応に関して、正確な情報を得ることも大切だ。
本年3月、東日本大震災から10年を迎えた。復興庁が7月に発表した避難者数は今なお約4万人に及ぶ。3月21日、災害の教訓を生かすために創価学会青年部の主催で「青年福光サミット」がオンラインで開催された。災害発生直後、学会の会館を一時的な避難所として開放したことや「かたし隊」として被災地域の片付けを行ったことなどを報告。会合に出席した開沼博氏(現・東京大学大学院准教授)は「大規模災害時は、政府や行政が地域の細かい問題まで対処することは難しい。ですから、行政と個人の間に入る"繋がり"のような存在が重要です。こぼれ落ちてしまう人々を支える役割を学会が担ったことは、非常に価値があると思います」と講評を寄せた。
「立正安国論」には、「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を嘘らん者か」(御書31ページ)と仰せである。地域の安穏と繁栄を祈りつつ、「防災週間」を契機に防災を"わが事"と捉えて、自他共の安全への意識を高めたい。
☆ストーリーズ 師弟が紡ぐ広布史 第11回 「一瞬」に「永遠」を込めて 記念撮影編�
◇勝ち鬨をあげよ!
本州付近に停滞した梅雨前線の活発な活動が、10日以上も続いた。
1972年(昭和47年)7月に降り続けた雨は、全国各地で甚大な被害を及ぼした。この「昭和47年7月豪雨」によって、島根県では宍道湖の水があふれた。約1万2000棟の住宅が床上浸水し、被災者は13万人を超えた。
7月11日、秋田にいた池田大作先生は、松江会館(当時)に電報を打った。「集中豪雨の報に接し、心配しております。同志の皆さんのご無事を祈るとともに、被災者に対しては、心からの激励をお願いいたします」
その後、豪雨災害で大きな被害を受けた地域の同志を励ますため、記念撮影会を行うことが発表された。島根では9月に開催されることが決まった。
前日までの雨はやみ、島根の友の喜びを表すかのような青空が広がった。72年9月17日、松江市立体育館に約4200人が集った。
会場に到着すると、先生は「晴れわたる 同志の瞳の 功徳かな」などの句を詠み、代表に贈った。そして、場内に入ると、「皆さん、まめでございますか」と呼び掛けた。
「まめ」は出雲地方の言葉ともいわれ、「元気」を意味する。先生のユーモアたっぷりの挨拶に、参加者の笑顔が広がる。
撮影の折、先生は青年に「粘り強く、20年、30年、50年先を目指して戦っていく人が、本物です」と強調。婦人には「お母さんはいつも明るくて、健康でいてください。母は一家の太陽です」と語った。
駐車場で整理・誘導役員に就いていた壮年。ワイシャツの袖をまくり、励ましを送り続ける先生の姿に、"師と同じ心で、友を励まそう"と決めた。その誓いの通り、島根の創価班初代委員長を務めた時も、同志の激励に駆けた。
高校卒業後から、総合建設業の会社で住宅設計の仕事に従事した。2001年(平成13年)、"力を貸してほしい"と請われ、54歳で別の会社に移った。74歳の今も、リフォーム部の部長として活躍する。
7年前、前立腺がんが見つかった。手術は6時間半に及んだが、無事に成功。大病を患ったからこそ、"日々を悔いなく"と仕事と活動に全力を注ぐ。
その姿には、「やらこいや!(さあ、やろう!)」との島根伝統の気風が脈打っている。
撮影会の終了後、先生は車中で詠んだ。「いつまでも いつまでも交う 目と目かな」
池田先生と島根の友の視線の交わり——。それは、師弟の語らいであった。友の胸中にともった誓いの炎は、今も赤く燃え続けている。
1981年(昭和56年)12月12日、池田先生は大分・竹田市の岡城址を訪問。本丸跡に集まった友と記念のカメラに納まった。
「西の大分」「東の秋田」といわれるほど、77年(同52年)ごろから、大分では宗門僧が悪辣な学会攻撃に狂奔した。その嵐の渦中、友は対話に駆け、80年(同55年)から2年連続で九州一の弘教を成し遂げた。
師と同じ心で立ち上がる真正の勇者がいれば、広布を阻む障魔は必ず勝ち越えることができることを、大分の友は証明したのである。
撮影が終了し、皆で「荒城の月」を合唱。池田先生は、大分の友をたたえるように、両手を「V」の字に高く掲げた。
「万歳! 万歳! 万歳!」
師と友の唱和は、師弟の「勝ち鬨」にほかならなかった。
ある婦人は「池田先生と一緒に万歳をし、長編詩『青年よ 21世紀の広布の山を登れ』が発表された大分県青年部幹部会に参加したことが原点です」と。
看護師として働く中、誰もが人生の最後を穏やかに迎えることの大切さを心から感じた。その時間を少しでも提供したいと、2012年(平成24年)に老人ホームを開設した。
81年の師との出会いで、"大分の地で戦い抜く"と誓った。以来、40星霜。婦人は学会同志に尽くし、入居者に尽くす、貢献の人生を歩む。
竹田を出発した先生は、熊本・阿蘇町(現・阿蘇市)にある白菊講堂(当時)へ。自由勤行会に出席した後、地元の代表メンバーと記念撮影を行った。
翌13日、南九州婦人会館(現・熊本会館)を視察し、熊本文化会館に戻ると、会館を訪れた友と相次ぎ記念撮影を。また、熊本文化会館の落成5周年記念の県幹部会に出席した。14日には、福岡の久留米・八女などで、渾身の激励を重ねた。
15日午後、熊本文化会館で、八代・人吉・水俣などの城南地域の友と、天草の友との自由勤行会が開催された。終了後、参加者が会館近くの壱町畑公園へ。先生の提案で、記念撮影が行われることになった。
「田原坂」の力強い歌声が響いた。凱歌の合唱が終わると、皆、両手を大きく振り上げた。
「万歳! 万歳! 万歳!」
大分に続き、熊本にも師弟の「勝ち鬨」が轟いた。
熊本広布史に永遠に刻まれる場面にいた婦人。潰瘍性大腸炎や骨粗鬆症など、数々の病を患った。しかし、「小さな坂で、へこたれては、絶対になりません」との勤行会での師の指導を励みに、宿命の坂を一つ一つ乗り越えてきた。
信心で乗り越えられない坂などない——その確信を、婦人は縁する人に語り続けている。
81年12月22日、池田先生と神奈川・小田原、静岡・御殿場の友との記念撮影が開催された。
撮影会では、皆で「ふじの山」を合唱し、勝利の万歳を。この日、先生は詠んだ。
「白雪の 鎧まばゆき 富士の山 仰ぎてわれらも かくぞありけり」「限りなく また限りなく 広宣に 天下の嶮も いざや恐るな」
翌82年(同57年)1月10日、先生は秋田へ。秋田文化会館(当時)に着くと、"玄関前の広場に命名を"との要請があった。先生は「晴天広場」と提案した。
「昭和47年7月豪雨」の際、秋田では先生との記念撮影が中止に。秋田の友にとって、「晴天」は豪雨の試練を勝ち越えた象徴であり、宗門僧の謀略を打ち破った歓喜の象徴でもあった。
13日の午前、2回にわたって「自由勤行会」が開催された。勤行会の後、会場に隣接する広場で記念撮影が行われた。降りしきる雪の中、参加者が「人間革命の歌」を合唱。皆で右腕を突き上げ、「勝ち鬨」が轟いた。
午後、3回目の「自由勤行会」が開かれ、記念撮影も行われた。先生は午前の友に「吹雪グループ」、午後の友に「嵐舞グループ」との名を贈った。
吹雪の中を2時間、車を走らせて駆け付けた壮年がいた。翌14日の県青年部総会にも参加。「自分が思うと思わざるとにかかわらず、諸君は池田門下生である」との師の期待に、"必ず信心の実証を"と誓った。
92年(平成4年)、念願だった歯科技工所を開所。多忙な中、学会活動も一歩も引かなかった。現在も地区部長として、秋田広布の最前線で奮闘を重ねる。25年間、配達員も務めた。
2人の子どもは創価大学を卒業。長男は区男子部長、次男は男子地区リーダーとして、後継の道を進んでいる。
反転攻勢の激励行の中、82年2月11日には、茨城で記念撮影が行われた。大分、熊本、神奈川・静岡、秋田に続いて、本紙で大きく掲載された。
池田先生との記念撮影——。その一葉一葉には、師と共に戦う友の歓喜が、学会と共に歩む友の誓いが、同志と共に前進する友の誇りが、刻まれている。
2021年8月29日日曜日
2021.08.29 わが友に贈る
誠実な心と明るい笑顔!
思いやりにあふれた
信念の振る舞いは
どんな雄弁にも勝る。
大情熱を燃やし進もう!
四条金吾殿女房御返事 P1135
『但し信心のよはきものをば法華経を持つ女人なれどもすつるとみえて候』
【通解】
ただし信心の弱い者は、法華経を受持する女性といえども、諸仏・諸天は捨てると書かれている。
名字の言 きょうの誕生花「サルスベリ」を見つめて 2021年8月29日
俳人・高浜虚子の随筆に「百日紅」がある。サルスベリの花の漢名だ。師と仰いだ正岡子規のもとで俳句を作り始めた時に、「はじめて百日紅という樹を見た」と述懐している▼その花を自宅の庭に植え、つぶさに観察し続けて気付いたことがあるという。夏の炎天に真っ赤な花を結ぶイメージが強いが、それはまだ"花の盛り"ではない。名に「百日」と冠するように花期が長く、「夏の末から秋にかけて咲くのであって、むしろ秋の部分が多い」と認識した(『定本 高浜虚子全集第9巻』毎日新聞社、現代表記に改めた)▼東京・信濃町駅前の外苑東通り沿いに並ぶサルスベリも、鮮やかさを増してきた。見上げるほどの背丈の木々に群生した葉の緑と花の紅のコントラストが美しい。かつて池田先生はうたった。「深緑に百日紅の花輝けり」▼サルスベリは8月29日の誕生花でもあるという。花言葉には「雄弁」「活動」「あなたを信じる」など、前向きなものが少なくない▼きょうは「座談会の週」の最終日。語らいの花を明るく咲かせる地域も多いだろう。「青天に咲きひろげゝり百日紅」(子規)。夏から秋へ、そして学会創立の「11・18」へ——わが心の空にも、紅に燃える情熱の花を大きく開花させていこう。
寸鉄 2021年8月29日
御書「二人一同の儀は車の二つのわの如し」。団結こそ躍進の要。連携強く
国際部の日。語学の翼で国籍超えて励まし拡大。世界市民の模範はここに
学生部が教学実力試験。生命尊厳の哲理刻む俊英頼もし。最後まで全力で
マスクなしの場面で感染目立つ—医師。今は油断なく。着用等の基本徹底
国連「核実験に反対する国際デー」。時代変える力は民衆の声!足元で結集
☆誓いをつなぐ 第7回 東京・城北地域
◇「感激の同志」と凱歌の秋へ
創価三代の師弟が世界広布の指揮を執ってきた本陣・東京。池田先生は、その使命と誇りを、折に触れて示してきた。
「万年の創価の勝利を決せんは 本陣・東京の責務なり」
「師弟凱歌の旭日を元初の朝に示さんは 本陣・東京の使命なり」
「東京は、永遠に『広宣流布の本陣』である。本陣として、『立正安国』の大闘争を勝ち抜かねばならない使命と宿命がある。責任があり、名誉がある」
日本と世界の広布の指揮を執りながら、先生は寸暇を惜しんで、本陣の各地をくまなく巡り、「師弟の絆」を結んできた。
東京のあの地この地に、先生との原点を宝として、ひたぶるに立正安国に走る同志がいる。文京、荒川と共に「城北」と呼ばれる北、足立、豊島、板橋もまた同様である。
大東京の北の砦「城北池田記念講堂」の建設が進む北総区。「すばらしき 北区は喜多区と うたわなむ 大東京を 四方に見つめて」との和歌を同志は忘れない。1968年(昭和43年)10月の東十条での座談会、「北区の日」の淵源となった75年(同50年)9月の記念撮影をはじめ、激戦のたびに、先生は励ましを注いできた。
足立総区の原点は、「足立の日」の淵源となった71年(同46年)12月の記念撮影。81年(同56年)10月、先生出席のもと開かれた友好総会での反転攻勢の歴史は、「王者・足立」の広布史に厳然と刻まれる。
創価三代の会長が立正安国の闘争を貫いた有縁の豊島総区。本部幹部会をはじめ重要な会合の舞台となる東京戸田記念講堂に、先生は幾度も足を運んだ。「決めた戦いは 断じて勝つ! これぞ 豊島の伝統なり!」——先生が贈った長編詩を胸に、今再びの凱歌をと、友の決意は固い。
50年前の71年(同46年)10月、板橋は東京各区で行われる池田先生との記念撮影のトップバッターに。後年、先生が贈った"大東京と大関東の錦州城たれ"との指針は、板橋総区の前進の原動力となってきた。
◇師弟の魂を胸に
北総区の橋元和子さん(総区女性部総主事)には、池田先生との忘れられない出会いがある。
79年(同54年)6月2日。東京戸田記念講堂の落成を翌日に控え、北区の婦人部長だった橋元さんは北、豊島の同志と準備に当たっていた。先生の会長辞任から1カ月余り。第1次宗門事件の嵐が吹き荒れていた。
「戸田先生の魂を打ち込むために来たよ!」——温かくも力強い先生の声が聞こえた。講堂を初訪問した先生は、開館式のために練習をしていた合唱団とオーケストラの友がいる会場へ足を運び、ピアノで「月の沙漠」と"大楠公"を奏でてくれた。
「あの時の光景、一音一音に師弟の魂を注ぎ込むようなピアノ演奏を思い出すたびに胸が熱くなります」
それは、難病のベーチェット病と闘い、2人の子育てに奮闘しながらも、同志を励まし続けていた橋元さんに、勇気の光を届けた太陽の励ましそのものだった。
橋元さんは、同講堂を訪れた先生との懇談に、たびたび同席する機会があった。ある時の「生きるか死ぬか、その時に、"このために生きよう"と思えるのが『希望』だよ」との厳愛の指導が、橋元さんの人生の支えとなった。
「生涯、先生と共に、学会と共に生きようと誓いました。師の心を伝えようと広布に走る中で、病気を克服できたことは、私の信心の原点です」
夫や子ども、孫も広布と地域の第一線で活躍。明春に完成予定の城北池田記念講堂を「喜多区」の幸福拡大で飾ろうと、同志と共に奔走している。
◇王者の誇りで
"学会3世"の田中広治さん(区男子部長)は生まれも育ちも足立。両親共に同区で青年部時代を過ごし、池田先生との原点を刻んできた。
「幼い頃から、折に触れて先生との出会いの感動を聞かせてくれました。幼心に『王者・足立』に誇りを感じてきました」
田中さん自身が信心の原点を築いたのは大学3年の時。学生部の先輩の「信心の確信をつかむには、学会活動しかない」との励ましをきっかけに折伏に挑戦。
1人、2人と対話するが、なかなか相手は心を開いてくれない。「自分にとって池田先生とは」「学会の素晴らしさとは」——御本尊に向かい自問自答し、友の幸せを真剣に祈る中で、幼なじみに弘教が実った。
その翌年、学生部の代表として、ペルー国立ホルヘ・バサドレ・グロマン大学からの池田先生への名誉博士号授与式に出席した。
席上、先生は呼び掛けた。「戦う人生は美しい。希望に燃え、勇気を燃やして、この一生を戦おう!」
その言葉が、今も胸に響いているという田中さん。以来、広布の第一線で拡大に走り、職場では人材紹介会社で営業企画を担当。学会の薫陶で培った力を発揮し、信頼を広げている。
「『王者』の名にふさわしい人材の拡大と勝利の歴史を、青年の熱と力で開いてまいります!」
◇不敗の大広布城
8月は東京の歌「ああ感激の同志あり」が発表された月。78年(同53年)の発表から43年となる。
先生が歌詞に込めた東京への期待は、小説『新・人間革命』第28巻「大道」の章につづられている。
「『感激』は、受け身になり、義務的に信心に取り組んでいたのでは生まれません。率先して行動を起こし、真剣勝負でぶつかっていく、その実践のなかにある」
「皆が"東京は一つである"との自覚で、何かあれば、飛んで行って守り、協力、応援し合っていくことが重要です」「東京は、本来、力を出せば無敵です。だから、『汝の勝利は 確かなり』なんです」
「"大東京"の前進は、わが町、わが地域という"小東京"の勝利のうえにある。私と一緒に、不敗の東京をつくろう! 世界の同志が仰ぎ見る、永遠不滅の、栄光の大広布城を築こうよ!」
学会創立100周年への勝負の10年。その緒戦を勝ち飾った総東京は、連続勝利の「凱歌の秋」へ威風堂々と出発した。その先頭に立つのは、北、足立、豊島、板橋の「感激の同志」たちである。
思いやりにあふれた
信念の振る舞いは
どんな雄弁にも勝る。
大情熱を燃やし進もう!
四条金吾殿女房御返事 P1135
『但し信心のよはきものをば法華経を持つ女人なれどもすつるとみえて候』
【通解】
ただし信心の弱い者は、法華経を受持する女性といえども、諸仏・諸天は捨てると書かれている。
名字の言 きょうの誕生花「サルスベリ」を見つめて 2021年8月29日
俳人・高浜虚子の随筆に「百日紅」がある。サルスベリの花の漢名だ。師と仰いだ正岡子規のもとで俳句を作り始めた時に、「はじめて百日紅という樹を見た」と述懐している▼その花を自宅の庭に植え、つぶさに観察し続けて気付いたことがあるという。夏の炎天に真っ赤な花を結ぶイメージが強いが、それはまだ"花の盛り"ではない。名に「百日」と冠するように花期が長く、「夏の末から秋にかけて咲くのであって、むしろ秋の部分が多い」と認識した(『定本 高浜虚子全集第9巻』毎日新聞社、現代表記に改めた)▼東京・信濃町駅前の外苑東通り沿いに並ぶサルスベリも、鮮やかさを増してきた。見上げるほどの背丈の木々に群生した葉の緑と花の紅のコントラストが美しい。かつて池田先生はうたった。「深緑に百日紅の花輝けり」▼サルスベリは8月29日の誕生花でもあるという。花言葉には「雄弁」「活動」「あなたを信じる」など、前向きなものが少なくない▼きょうは「座談会の週」の最終日。語らいの花を明るく咲かせる地域も多いだろう。「青天に咲きひろげゝり百日紅」(子規)。夏から秋へ、そして学会創立の「11・18」へ——わが心の空にも、紅に燃える情熱の花を大きく開花させていこう。
寸鉄 2021年8月29日
御書「二人一同の儀は車の二つのわの如し」。団結こそ躍進の要。連携強く
国際部の日。語学の翼で国籍超えて励まし拡大。世界市民の模範はここに
学生部が教学実力試験。生命尊厳の哲理刻む俊英頼もし。最後まで全力で
マスクなしの場面で感染目立つ—医師。今は油断なく。着用等の基本徹底
国連「核実験に反対する国際デー」。時代変える力は民衆の声!足元で結集
☆誓いをつなぐ 第7回 東京・城北地域
◇「感激の同志」と凱歌の秋へ
創価三代の師弟が世界広布の指揮を執ってきた本陣・東京。池田先生は、その使命と誇りを、折に触れて示してきた。
「万年の創価の勝利を決せんは 本陣・東京の責務なり」
「師弟凱歌の旭日を元初の朝に示さんは 本陣・東京の使命なり」
「東京は、永遠に『広宣流布の本陣』である。本陣として、『立正安国』の大闘争を勝ち抜かねばならない使命と宿命がある。責任があり、名誉がある」
日本と世界の広布の指揮を執りながら、先生は寸暇を惜しんで、本陣の各地をくまなく巡り、「師弟の絆」を結んできた。
東京のあの地この地に、先生との原点を宝として、ひたぶるに立正安国に走る同志がいる。文京、荒川と共に「城北」と呼ばれる北、足立、豊島、板橋もまた同様である。
大東京の北の砦「城北池田記念講堂」の建設が進む北総区。「すばらしき 北区は喜多区と うたわなむ 大東京を 四方に見つめて」との和歌を同志は忘れない。1968年(昭和43年)10月の東十条での座談会、「北区の日」の淵源となった75年(同50年)9月の記念撮影をはじめ、激戦のたびに、先生は励ましを注いできた。
足立総区の原点は、「足立の日」の淵源となった71年(同46年)12月の記念撮影。81年(同56年)10月、先生出席のもと開かれた友好総会での反転攻勢の歴史は、「王者・足立」の広布史に厳然と刻まれる。
創価三代の会長が立正安国の闘争を貫いた有縁の豊島総区。本部幹部会をはじめ重要な会合の舞台となる東京戸田記念講堂に、先生は幾度も足を運んだ。「決めた戦いは 断じて勝つ! これぞ 豊島の伝統なり!」——先生が贈った長編詩を胸に、今再びの凱歌をと、友の決意は固い。
50年前の71年(同46年)10月、板橋は東京各区で行われる池田先生との記念撮影のトップバッターに。後年、先生が贈った"大東京と大関東の錦州城たれ"との指針は、板橋総区の前進の原動力となってきた。
◇師弟の魂を胸に
北総区の橋元和子さん(総区女性部総主事)には、池田先生との忘れられない出会いがある。
79年(同54年)6月2日。東京戸田記念講堂の落成を翌日に控え、北区の婦人部長だった橋元さんは北、豊島の同志と準備に当たっていた。先生の会長辞任から1カ月余り。第1次宗門事件の嵐が吹き荒れていた。
「戸田先生の魂を打ち込むために来たよ!」——温かくも力強い先生の声が聞こえた。講堂を初訪問した先生は、開館式のために練習をしていた合唱団とオーケストラの友がいる会場へ足を運び、ピアノで「月の沙漠」と"大楠公"を奏でてくれた。
「あの時の光景、一音一音に師弟の魂を注ぎ込むようなピアノ演奏を思い出すたびに胸が熱くなります」
それは、難病のベーチェット病と闘い、2人の子育てに奮闘しながらも、同志を励まし続けていた橋元さんに、勇気の光を届けた太陽の励ましそのものだった。
橋元さんは、同講堂を訪れた先生との懇談に、たびたび同席する機会があった。ある時の「生きるか死ぬか、その時に、"このために生きよう"と思えるのが『希望』だよ」との厳愛の指導が、橋元さんの人生の支えとなった。
「生涯、先生と共に、学会と共に生きようと誓いました。師の心を伝えようと広布に走る中で、病気を克服できたことは、私の信心の原点です」
夫や子ども、孫も広布と地域の第一線で活躍。明春に完成予定の城北池田記念講堂を「喜多区」の幸福拡大で飾ろうと、同志と共に奔走している。
◇王者の誇りで
"学会3世"の田中広治さん(区男子部長)は生まれも育ちも足立。両親共に同区で青年部時代を過ごし、池田先生との原点を刻んできた。
「幼い頃から、折に触れて先生との出会いの感動を聞かせてくれました。幼心に『王者・足立』に誇りを感じてきました」
田中さん自身が信心の原点を築いたのは大学3年の時。学生部の先輩の「信心の確信をつかむには、学会活動しかない」との励ましをきっかけに折伏に挑戦。
1人、2人と対話するが、なかなか相手は心を開いてくれない。「自分にとって池田先生とは」「学会の素晴らしさとは」——御本尊に向かい自問自答し、友の幸せを真剣に祈る中で、幼なじみに弘教が実った。
その翌年、学生部の代表として、ペルー国立ホルヘ・バサドレ・グロマン大学からの池田先生への名誉博士号授与式に出席した。
席上、先生は呼び掛けた。「戦う人生は美しい。希望に燃え、勇気を燃やして、この一生を戦おう!」
その言葉が、今も胸に響いているという田中さん。以来、広布の第一線で拡大に走り、職場では人材紹介会社で営業企画を担当。学会の薫陶で培った力を発揮し、信頼を広げている。
「『王者』の名にふさわしい人材の拡大と勝利の歴史を、青年の熱と力で開いてまいります!」
◇不敗の大広布城
8月は東京の歌「ああ感激の同志あり」が発表された月。78年(同53年)の発表から43年となる。
先生が歌詞に込めた東京への期待は、小説『新・人間革命』第28巻「大道」の章につづられている。
「『感激』は、受け身になり、義務的に信心に取り組んでいたのでは生まれません。率先して行動を起こし、真剣勝負でぶつかっていく、その実践のなかにある」
「皆が"東京は一つである"との自覚で、何かあれば、飛んで行って守り、協力、応援し合っていくことが重要です」「東京は、本来、力を出せば無敵です。だから、『汝の勝利は 確かなり』なんです」
「"大東京"の前進は、わが町、わが地域という"小東京"の勝利のうえにある。私と一緒に、不敗の東京をつくろう! 世界の同志が仰ぎ見る、永遠不滅の、栄光の大広布城を築こうよ!」
学会創立100周年への勝負の10年。その緒戦を勝ち飾った総東京は、連続勝利の「凱歌の秋」へ威風堂々と出発した。その先頭に立つのは、北、足立、豊島、板橋の「感激の同志」たちである。
2021年8月28日土曜日
2021.08.28 わが友に贈る
引き続く残暑に警戒。
水分補給や冷房活用など
熱中症対策を怠らず。
困難を乗り切る活力も
賢明な体調管理から!
船守弥三郎許御書 P1445
『法華経を行ぜん者をば諸天善神等或はをとことなり或は女となり形をかへさまざまに供養してたすくべし』
【通解】
法華経を行ずる者を、諸天善神等は、あるいは男性となり、あるいは女性となり、形を変えて、さまざまに供養して助ける。
名字の言 東京五輪——柔道躍進の立役者・井上康生男子監督 2021年8月28日
過去最多となる58個のメダルを獲得した東京五輪の日本選手団。とりわけ活躍が光った競技が、男女共に金メダルを量産した柔道だろう▼躍進の立役者は、井上康生男子監督だ。9年前、男子が史上初めて金メダルゼロに終わったロンドン大会の後、"お家芸"の再建を託され、34歳の若さで監督に就任。旧来の精神論頼りではなく、データ分析に基づいた練習を取り入れるなど、柔軟な発想で「自立した選手の育成」を目指した▼"自分の時はこうだった"と現役時代の経験を押し付けず、一人一人に合った指導を心掛けたとも。勝てば選手の手柄、負ければ監督の責任——この"共に戦う姿勢"が自立心と信頼を育み、日本柔道の復活は成し遂げられた▼スポーツの世界に限らず、いかなる事業も現状や過去の成功に安住したままでは、時代の波に取り残される。中心者の意識変革はもとより、一人一人が主体者となって行動を起こしてこそ、新たな前進の渦が生まれよう▼「何事も受け身で、人に言われて動いていれば、つまらないし、勢いも出ない」「能動か、受動かによって、心の燃焼度、充実度は、全く異なる」と池田先生はつづる。変化を待つ傍観者ではなく、変化をつくる価値創造の人でありたい。
寸鉄 2021年8月28日
座談会は全員が主役だ。不思議な縁の同志と称え合い立正安国の誓い固く
葛飾・広布師弟原点の日。試練の今こそ本領発揮。鉄壁の団結で勝ち進め!
「人生のゴールは50代からだ。愉快に忍耐強く」恩師。誉れの使命の道を
災害時の冷静な対応、日頃の訓練が重要と。避難経路歩くなど体で覚えて
高血圧症、30年で倍増と。減塩等、食生活見直しを。健康は努力の積み重ねに
〈社説〉 2021・8・28 あす「国際部の日」
◇危機に輝く英知と哲学の連帯
国内で2回目の新型コロナワクチン接種を終えた人が、全体の4割を超えた。
先日、職域接種で2回目を済ませた在日外国人の友が、「自分は幸運だったが、職域接種がなく日本語が不得手な外国人は苦労している」と語っていた。
自治体によって対応は異なるが、基本的に接種券は日本語であり、医療機関や保健所との連絡も日本語。異国での感染拡大の中で不安を感じている人も多いはずだ。
そうした中、首都圏在住で英語を話す海外メンバーの集い「東京インタナショナル・グループ(TIG)」の友が、青年部の国際部員と連携し、ワクチン接種予約のサポートを始めた。
未曽有の危機にあって、創価の励ましのネットワークがここでも光っている。
国際部の友はあす29日、「部の日」53周年を迎える。
淵源は、1968年(昭和43年)8月29日、池田先生が通訳・翻訳に携わる友を激励したことにある。
3年後に国際部が結成され、現在、通訳翻訳部、国際ボランティア部、国際交流部、在日外国人部からなる国際本部へと発展。世界広布の使命を胸に、国内外で活躍する。
神奈川県のある男子部国際部の友は、世界の識者と対談を重ねる池田先生の姿に感銘を受け、国際分野での仕事を目指すように。
大手電機メーカーの国際部門で世界各国を飛び回る多忙な日々でも、男子部大学校の分区団長として大学校生の育成に心を尽くした。
信心根本に製品開発に挑んだ結果、発表した電気自動車を世界中のメディアが紹介。その後、国家資格である技術士試験に合格し、仕事と博士課程での研究の両立に挑戦する。
「先生の著作を学び学会活動に全力で取り組めば、自信と生命力がみなぎり、何をやりたいかが明確になります」と。
池田先生は小説『新・人間革命』第7巻「早春」の章に、学会員こそ「本当の意味での国際人」であり、「国際人として最も大事なポイントは、利己主義に陥ることなく、人びとを幸福にする哲学をもち、実践し、人間として尊敬されているかどうかである」とつづる。
グローバル化する社会にあって語学が大切なのは当然だが、差異を超え、他者に思いを寄せる人間力が最重要であろう。
その英知と哲学を兼ね備えた国際本部の友を先頭に、周囲に励ましを送る真の国際人の連帯をさらに広げ、危機の時代を乗り越えていきたい。
☆いのちの賛歌 心に刻む一節 世雄と光る 2021年8月17日
テーマ:世雄と光る
企画「いのちの賛歌 心に刻む一節」では、御聖訓を胸に、宿命に立ち向かってきた創価学会員の体験を紹介するとともに、池田先生の指導を掲載する。今回は「世雄と光る」をテーマに、岐阜県の壮年に話を聞いた。
◇御文
『御みやづかいを法華経とをぼしめせ、「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」とは此れなり』(檀越某御返事、1295ページ)
◇通解
宮仕えを法華経の修行と思いなさい。「一切世間の治生産業は皆、実相と違背しない」と説かれているのは、このことである。
◇信心を自らのど真ん中に
4坪から県内有数企業へ
平光勝治さん(79)=岐阜大勝県主事=は、岐阜県内で、建築金物や精密板金の設計・製作・販売などを手掛ける会社を創業。水害や経済危機などの幾多の荒波を乗り越えて、県内有数の企業へと発展させた。
◇
「子どもの頃は、絵に描いたような貧乏暮らしでね」
平光さんが15歳の時に父親が他界。中学校卒業後、地元の金属加工会社で見習工として働き始めた。信心に巡り合ったのは、18歳の時だった。
「先に入会していた母親と、地域の男子部員の熱意に心を動かされたんだ」
20歳になると、長兄が営んでいた牛乳販売店の一隅を借りて、腕一本で独立した。胸にあったのは、「御みやづかいを法華経とをぼしめせ」(御書1295ページ)の一節。自らの職場こそが、仏法勝負の舞台——そこに職人魂を熱くした。
「俺の仕事で、この信心の偉大さを世に示してみせるぞって」
中途半端を嫌う職人かたぎ。仕事も学会活動も"やる"と決めたからには、とことん打ち込んだ。
わずか4坪の工場で、主に看板やステンレスの流し台を製作する下請けからのスタート。損得勘定は二の次で仕事に真剣に向き合い、多忙の合間を縫うように、広布の活動にも駆けた。
誠実な働きぶりは評判を呼び、注文が次々と舞い込んだ。
結婚と同時に自宅兼工場を新築し、従業員を雇用。その後も業績は堅調に伸展し、1973年(昭和48年)、現在の本社所在地に工場を新設した。
しかし、思いもよらない試練が平光さんを襲う。
76年(同51年)9月。台風17号の影響で岐阜県内でも豪雨が続き、長良川の堤防が決壊。濁流が街をのみ込んだのだ。
当時、平光さんは男子部のリーダーとして同志の救援活動に当たっていた。家人や従業員は避難していて無事だったものの、数日後、水に漬かりながら工場へ行くと、機械は全て水没していた。
「これでは工場は稼働できない。会社をどうするか。従業員たちの生活をどうするか……」。泥水の中で立ち尽くすしかなかった。
"いや、創価学会の看板を背負った俺が、こんなことで負けてはだめだ!"。拳を握り締めて顔を上げた。
水が引いた後、黙々と機械を洗浄して修理を重ね、数カ月後に工場を再開。遅れを挽回しようと、従業員たちと心一つに、できる仕事に力を注いだ。
そうした地道な姿に、人知れず、信頼は付いてきた。
それまで受けていた下請けの仕事から、徐々に元請けへ。新たな機械も導入でき、経営を水害前よりも安定した軌道に乗せることができた。
ところが水害から3年後、平光さんの会社を再び困難が襲う。
第2次オイルショックのあおりを受けて、受注が激減したのだ。社長の平光さんを先頭に、従業員総出で営業に駆けた。しかし、肩を落として帰社する日々が続く。
「"もうだめだ"という土俵際までいった」。会社の帳簿をにらみ、唇をかんだ。打開の知恵を絞ろうと仏壇の前に座り、しんしんと題目を唱えた。
ふと浮かぶ、従業員一人一人の顔。"ここで会社をつぶすわけにはいかない。もう一度、顧客へ誠意を尽くそう"。平光さんの心に、不屈の灯がともった。
後日、交渉を続けていた取引先の態度が軟化。「平光さんに全て任す」と言ってくれ、受注が増えたことで活路が開け、窮地を脱することができた。
諸天の加護を確信せずにはいられなかった。
平光さんの会社は、その後、バブル崩壊後の不況にも揺らぐことなく業績を伸ばし、現在、息子が受け継いでいる。
「仕事も人生も、変化の連続。だけど、心のど真ん中に信心を据えていれば、現実の変化に右往左往する必要はない。策や要領ではなく、迷わず信心で挑んでいけば、最後に必ず勝てる。それが、私がつかんだこの信仰の真髄です」
日蓮大聖人は、生活や社会の事象は「皆実相と相違背せず」(御書1295ページ)、すなわち、全て仏法そのものであることを教えられている。
「仕事も学会活動も、誰にも負けないぞと胸を張るくらい、常に情熱を込めてきた」と平光さんは頬を紅潮させる。
「御書にある通り、仕事や生活と信心とは、本来、切っても切り離せないもの。どちらかを頑張ればいいというものではないんです。むしろ、仕事や生活を"仏道修行"と捉えて、困難に粘り強く挑んでいく原動力が信心です。そして、苦労して道を開いてきた努力は全て、自身の境涯を開く糧にもなる。だから、仏法に無駄は何一つないんです」
ぶれない強さ。平光さんの、透徹した信心根本の生きざまに、その感を抱いた。
池田先生は語っている。
「長い人生である。その間には、自分の思ったようにいかないときもあるかもしれない。
しかし、私たちは『法華経に勝る兵法なし』の妙法を持っている。
途中の勝ち負けはどうであれ、最後は、法華経を持った人が、必ず勝つ。信心根本で生き抜いた人が、必ず勝つのである。それが仏法の大法則である。何の心配もいらない」
「仕事の姿勢には、その人の人生観も人間観も表れる。『何のために』生きるのかという一念が表れる。その最も深く、最も強く、最も正しい一念こそが、信心です。(中略)
『広宣流布』という世界一の大願に立って、自らの日々の仕事に全力で挑むこと——それが『御みやづかいを法華経』の心です」(池田大作先生の指導選集〈中〉『人間革命の実践』)
人は誰しも、世間から離れて生きることはできない。しかし、世間に翻弄される人生では不幸である。
現実の世の中において、雄々しく困難を乗り越え、勝利の姿を示していく——仏の異名は「世雄」である。
[教学コンパス]
IBMやウォルト・ディズニーなど「時代を超えて発展し続ける企業」を分析した米国の名著『ビジョナリー・カンパニー』(日経BP出版センター、山岡洋一訳)。同書で挙げられている項目の一つが、「決して満足しない」。永続する企業は「常に改善を進め、将来のために投資する終わりのない過程の結果、自然に成果が生まれてくる」と。成長への不断の挑戦に、不朽の組織を築く鍵がある。
御書には「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」(1190ページ)とある。成仏とは、己心の魔との絶えざる闘争にある。自らの弱い生命に挑み続けることで、苦難に負けない力強い仏界の生命をあらわしていけるのが、日蓮仏法だ。
「もう無理」という諦めや、「これくらいでいいだろう」という甘えを排し、前進し続けていけるかどうか。昨日より今日、今日より明日へ——常に原点を忘れず、「いよいよこれから!」と信心を貫き通す人の胸中にこそ、"わが人間革命"の不滅の勝利劇は刻まれる。
水分補給や冷房活用など
熱中症対策を怠らず。
困難を乗り切る活力も
賢明な体調管理から!
船守弥三郎許御書 P1445
『法華経を行ぜん者をば諸天善神等或はをとことなり或は女となり形をかへさまざまに供養してたすくべし』
【通解】
法華経を行ずる者を、諸天善神等は、あるいは男性となり、あるいは女性となり、形を変えて、さまざまに供養して助ける。
名字の言 東京五輪——柔道躍進の立役者・井上康生男子監督 2021年8月28日
過去最多となる58個のメダルを獲得した東京五輪の日本選手団。とりわけ活躍が光った競技が、男女共に金メダルを量産した柔道だろう▼躍進の立役者は、井上康生男子監督だ。9年前、男子が史上初めて金メダルゼロに終わったロンドン大会の後、"お家芸"の再建を託され、34歳の若さで監督に就任。旧来の精神論頼りではなく、データ分析に基づいた練習を取り入れるなど、柔軟な発想で「自立した選手の育成」を目指した▼"自分の時はこうだった"と現役時代の経験を押し付けず、一人一人に合った指導を心掛けたとも。勝てば選手の手柄、負ければ監督の責任——この"共に戦う姿勢"が自立心と信頼を育み、日本柔道の復活は成し遂げられた▼スポーツの世界に限らず、いかなる事業も現状や過去の成功に安住したままでは、時代の波に取り残される。中心者の意識変革はもとより、一人一人が主体者となって行動を起こしてこそ、新たな前進の渦が生まれよう▼「何事も受け身で、人に言われて動いていれば、つまらないし、勢いも出ない」「能動か、受動かによって、心の燃焼度、充実度は、全く異なる」と池田先生はつづる。変化を待つ傍観者ではなく、変化をつくる価値創造の人でありたい。
寸鉄 2021年8月28日
座談会は全員が主役だ。不思議な縁の同志と称え合い立正安国の誓い固く
葛飾・広布師弟原点の日。試練の今こそ本領発揮。鉄壁の団結で勝ち進め!
「人生のゴールは50代からだ。愉快に忍耐強く」恩師。誉れの使命の道を
災害時の冷静な対応、日頃の訓練が重要と。避難経路歩くなど体で覚えて
高血圧症、30年で倍増と。減塩等、食生活見直しを。健康は努力の積み重ねに
〈社説〉 2021・8・28 あす「国際部の日」
◇危機に輝く英知と哲学の連帯
国内で2回目の新型コロナワクチン接種を終えた人が、全体の4割を超えた。
先日、職域接種で2回目を済ませた在日外国人の友が、「自分は幸運だったが、職域接種がなく日本語が不得手な外国人は苦労している」と語っていた。
自治体によって対応は異なるが、基本的に接種券は日本語であり、医療機関や保健所との連絡も日本語。異国での感染拡大の中で不安を感じている人も多いはずだ。
そうした中、首都圏在住で英語を話す海外メンバーの集い「東京インタナショナル・グループ(TIG)」の友が、青年部の国際部員と連携し、ワクチン接種予約のサポートを始めた。
未曽有の危機にあって、創価の励ましのネットワークがここでも光っている。
国際部の友はあす29日、「部の日」53周年を迎える。
淵源は、1968年(昭和43年)8月29日、池田先生が通訳・翻訳に携わる友を激励したことにある。
3年後に国際部が結成され、現在、通訳翻訳部、国際ボランティア部、国際交流部、在日外国人部からなる国際本部へと発展。世界広布の使命を胸に、国内外で活躍する。
神奈川県のある男子部国際部の友は、世界の識者と対談を重ねる池田先生の姿に感銘を受け、国際分野での仕事を目指すように。
大手電機メーカーの国際部門で世界各国を飛び回る多忙な日々でも、男子部大学校の分区団長として大学校生の育成に心を尽くした。
信心根本に製品開発に挑んだ結果、発表した電気自動車を世界中のメディアが紹介。その後、国家資格である技術士試験に合格し、仕事と博士課程での研究の両立に挑戦する。
「先生の著作を学び学会活動に全力で取り組めば、自信と生命力がみなぎり、何をやりたいかが明確になります」と。
池田先生は小説『新・人間革命』第7巻「早春」の章に、学会員こそ「本当の意味での国際人」であり、「国際人として最も大事なポイントは、利己主義に陥ることなく、人びとを幸福にする哲学をもち、実践し、人間として尊敬されているかどうかである」とつづる。
グローバル化する社会にあって語学が大切なのは当然だが、差異を超え、他者に思いを寄せる人間力が最重要であろう。
その英知と哲学を兼ね備えた国際本部の友を先頭に、周囲に励ましを送る真の国際人の連帯をさらに広げ、危機の時代を乗り越えていきたい。
☆いのちの賛歌 心に刻む一節 世雄と光る 2021年8月17日
テーマ:世雄と光る
企画「いのちの賛歌 心に刻む一節」では、御聖訓を胸に、宿命に立ち向かってきた創価学会員の体験を紹介するとともに、池田先生の指導を掲載する。今回は「世雄と光る」をテーマに、岐阜県の壮年に話を聞いた。
◇御文
『御みやづかいを法華経とをぼしめせ、「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」とは此れなり』(檀越某御返事、1295ページ)
◇通解
宮仕えを法華経の修行と思いなさい。「一切世間の治生産業は皆、実相と違背しない」と説かれているのは、このことである。
◇信心を自らのど真ん中に
4坪から県内有数企業へ
平光勝治さん(79)=岐阜大勝県主事=は、岐阜県内で、建築金物や精密板金の設計・製作・販売などを手掛ける会社を創業。水害や経済危機などの幾多の荒波を乗り越えて、県内有数の企業へと発展させた。
◇
「子どもの頃は、絵に描いたような貧乏暮らしでね」
平光さんが15歳の時に父親が他界。中学校卒業後、地元の金属加工会社で見習工として働き始めた。信心に巡り合ったのは、18歳の時だった。
「先に入会していた母親と、地域の男子部員の熱意に心を動かされたんだ」
20歳になると、長兄が営んでいた牛乳販売店の一隅を借りて、腕一本で独立した。胸にあったのは、「御みやづかいを法華経とをぼしめせ」(御書1295ページ)の一節。自らの職場こそが、仏法勝負の舞台——そこに職人魂を熱くした。
「俺の仕事で、この信心の偉大さを世に示してみせるぞって」
中途半端を嫌う職人かたぎ。仕事も学会活動も"やる"と決めたからには、とことん打ち込んだ。
わずか4坪の工場で、主に看板やステンレスの流し台を製作する下請けからのスタート。損得勘定は二の次で仕事に真剣に向き合い、多忙の合間を縫うように、広布の活動にも駆けた。
誠実な働きぶりは評判を呼び、注文が次々と舞い込んだ。
結婚と同時に自宅兼工場を新築し、従業員を雇用。その後も業績は堅調に伸展し、1973年(昭和48年)、現在の本社所在地に工場を新設した。
しかし、思いもよらない試練が平光さんを襲う。
76年(同51年)9月。台風17号の影響で岐阜県内でも豪雨が続き、長良川の堤防が決壊。濁流が街をのみ込んだのだ。
当時、平光さんは男子部のリーダーとして同志の救援活動に当たっていた。家人や従業員は避難していて無事だったものの、数日後、水に漬かりながら工場へ行くと、機械は全て水没していた。
「これでは工場は稼働できない。会社をどうするか。従業員たちの生活をどうするか……」。泥水の中で立ち尽くすしかなかった。
"いや、創価学会の看板を背負った俺が、こんなことで負けてはだめだ!"。拳を握り締めて顔を上げた。
水が引いた後、黙々と機械を洗浄して修理を重ね、数カ月後に工場を再開。遅れを挽回しようと、従業員たちと心一つに、できる仕事に力を注いだ。
そうした地道な姿に、人知れず、信頼は付いてきた。
それまで受けていた下請けの仕事から、徐々に元請けへ。新たな機械も導入でき、経営を水害前よりも安定した軌道に乗せることができた。
ところが水害から3年後、平光さんの会社を再び困難が襲う。
第2次オイルショックのあおりを受けて、受注が激減したのだ。社長の平光さんを先頭に、従業員総出で営業に駆けた。しかし、肩を落として帰社する日々が続く。
「"もうだめだ"という土俵際までいった」。会社の帳簿をにらみ、唇をかんだ。打開の知恵を絞ろうと仏壇の前に座り、しんしんと題目を唱えた。
ふと浮かぶ、従業員一人一人の顔。"ここで会社をつぶすわけにはいかない。もう一度、顧客へ誠意を尽くそう"。平光さんの心に、不屈の灯がともった。
後日、交渉を続けていた取引先の態度が軟化。「平光さんに全て任す」と言ってくれ、受注が増えたことで活路が開け、窮地を脱することができた。
諸天の加護を確信せずにはいられなかった。
平光さんの会社は、その後、バブル崩壊後の不況にも揺らぐことなく業績を伸ばし、現在、息子が受け継いでいる。
「仕事も人生も、変化の連続。だけど、心のど真ん中に信心を据えていれば、現実の変化に右往左往する必要はない。策や要領ではなく、迷わず信心で挑んでいけば、最後に必ず勝てる。それが、私がつかんだこの信仰の真髄です」
日蓮大聖人は、生活や社会の事象は「皆実相と相違背せず」(御書1295ページ)、すなわち、全て仏法そのものであることを教えられている。
「仕事も学会活動も、誰にも負けないぞと胸を張るくらい、常に情熱を込めてきた」と平光さんは頬を紅潮させる。
「御書にある通り、仕事や生活と信心とは、本来、切っても切り離せないもの。どちらかを頑張ればいいというものではないんです。むしろ、仕事や生活を"仏道修行"と捉えて、困難に粘り強く挑んでいく原動力が信心です。そして、苦労して道を開いてきた努力は全て、自身の境涯を開く糧にもなる。だから、仏法に無駄は何一つないんです」
ぶれない強さ。平光さんの、透徹した信心根本の生きざまに、その感を抱いた。
池田先生は語っている。
「長い人生である。その間には、自分の思ったようにいかないときもあるかもしれない。
しかし、私たちは『法華経に勝る兵法なし』の妙法を持っている。
途中の勝ち負けはどうであれ、最後は、法華経を持った人が、必ず勝つ。信心根本で生き抜いた人が、必ず勝つのである。それが仏法の大法則である。何の心配もいらない」
「仕事の姿勢には、その人の人生観も人間観も表れる。『何のために』生きるのかという一念が表れる。その最も深く、最も強く、最も正しい一念こそが、信心です。(中略)
『広宣流布』という世界一の大願に立って、自らの日々の仕事に全力で挑むこと——それが『御みやづかいを法華経』の心です」(池田大作先生の指導選集〈中〉『人間革命の実践』)
人は誰しも、世間から離れて生きることはできない。しかし、世間に翻弄される人生では不幸である。
現実の世の中において、雄々しく困難を乗り越え、勝利の姿を示していく——仏の異名は「世雄」である。
[教学コンパス]
IBMやウォルト・ディズニーなど「時代を超えて発展し続ける企業」を分析した米国の名著『ビジョナリー・カンパニー』(日経BP出版センター、山岡洋一訳)。同書で挙げられている項目の一つが、「決して満足しない」。永続する企業は「常に改善を進め、将来のために投資する終わりのない過程の結果、自然に成果が生まれてくる」と。成長への不断の挑戦に、不朽の組織を築く鍵がある。
御書には「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」(1190ページ)とある。成仏とは、己心の魔との絶えざる闘争にある。自らの弱い生命に挑み続けることで、苦難に負けない力強い仏界の生命をあらわしていけるのが、日蓮仏法だ。
「もう無理」という諦めや、「これくらいでいいだろう」という甘えを排し、前進し続けていけるかどうか。昨日より今日、今日より明日へ——常に原点を忘れず、「いよいよこれから!」と信心を貫き通す人の胸中にこそ、"わが人間革命"の不滅の勝利劇は刻まれる。
2021年8月27日金曜日
2021.08.27 わが友に贈る
栄光の峰への出発は
学会伝統の座談会から!
感染防止策を徹底し
創意工夫を凝らしながら
希望あふれる集いを!
経王殿御返事 P1124
『此の曼荼羅能く能く信ぜさせ給うべし、南無妙法蓮華経は師子吼の如しいかなる病さはりをなすべきや』
【通解】
この曼陀羅をよくよく信じなさい。南無妙法蓮華経は師子吼のようなものである。どのような病が、障りをなすことができようか。
名字の言 最も虐げられている人に同苦して生きていく 2021年8月27日
釈尊には"家"がなかった。悟りを求めて出家して以来、粗末な服を着て、食べ物を分けてもらいつつ、各地を説法に歩いた▼「チャンダーラ」といわれた人々がいる。古代インド社会において最下層の身分とされていた。王家に生まれた釈尊は、あえてその恵まれた立場を捨て、チャンダーラと同じ境遇に身を置いたのである。財産や名誉など必要ない。最も虐げられている人に同苦して生きていく——それが仏教であり、そこに仏道修行があることを示したのだ▼日蓮大聖人も自らを「旃陀羅が子なり」(御書891ページ)と仰せである。「旃陀羅」とは「チャンダーラ」の音写であり、最も身分の低い者を指す。たとえいかなる人であっても、そのままの姿で仏の境涯を開いていけるとの「人権宣言」とも拝せよう▼創価学会はかつて"貧乏人と病人の集まり"と揶揄された。だがそれこそ、さまざまな苦しみを抱える人々と支え合って進んできた証左であり、宗教団体としての無上の誇りにほかならない▼英語の「HOME」には「家」の他に、"安心できる場所"といった意味合いも含まれる。誰一人置き去りにしない。全ての人に"心のホーム"を——永遠に変わらぬ学会の使命が、ここにある。
寸鉄 2021年8月27日
青年の財産は信頼—恩師広布の戦いは有言実行。青春凱歌の歩みを確固と
総秋田女性の日。桜梅桃李の人華光る人材の大城今こそ安心と喜びを友へ
「法華経の行者をば一切の諸天・不退に守護」御書揺り動かす強盛な祈りを
いじめの低学年化顕著、小学1・2年生に激増と。親は小さな変化見逃さず
厳しい残暑。水分・塩分補給や空調利用—熱中症対策の呼び掛けは具体的に
〈社説〉 2021・8・27 今月31日は「学生部の日」
◇先駆の誇り高く突き進もう
今月31日は「学生部の日」。1962年8月31日、池田先生は学生部の代表に「御義口伝」の講義を開始した。約5年間にわたって続けられた講義は、学生部の教学研さん運動の淵源になった。
伝統の「学生部教学実力試験」が今年も全国で実施される。新型コロナウイルスの感染拡大が進む中でも、画面共有機能などオンラインを活用して、メンバーが少しでも分かりやすく学べるよう、工夫を重ねながら、研さんを続けている。
コロナ禍の中で大学に入学した現1、2年生は、当初からオンラインでの活動が中心だった。中には、対面での会合に一度も参加したことのないメンバーすらいる。
学生部では、SNSなどを駆使した新たな形の人材育成に全力を挙げて取り組んできた。
ある1年生のメンバーは、入学当初から講義がオンラインに切り替わり、キャンパスに通うこともなく自宅で過ごす日々を余儀なくされた。講義が終わると、パソコンの画面が"プツン"と消える。そんな毎日に、徐々にむなしさと孤独を感じていった。そんな彼に初めて優しく声を掛けてくれたのが、地元の学生部の先輩だった。
画面越しでの顔合わせとなったが、「分からないことがあったら何でも聞いてね!」と、不安を抱える自分を温かく迎え入れてくれた。学生部の活動に前向きだったわけではなかったが、先輩から真心の励ましをもらった彼は発心し、少しずつ学会活動に挑戦するようになっていった。
日蓮大聖人は、遠く離れた地にいる一人の弟子へ、何度も真心のお手紙を送られた。直接会える、会えないではない。相手を思う真心は物理的な距離を超える。大切なことは"目の前の一人を徹底して励ます"菩薩の行動であろう。
学生部の使命は「先駆」といわれる。時代の変化の波頭を、真っ先に越えるのが学生部だともいえよう。コロナ禍で悩みも多いが、何のために学び、実力を磨くのか。未来を見つめた応戦は、必ず成長の種となるはずだ。
池田先生は「不思議にも、世界広布新時代の今この時に、願って生まれ合わせた学生部だ。一人ももれなく、計り知れない地涌の大力がある」と期待を寄せる。
"先駆の誇り"に燃え、激動の時代に希望の光を放つ、学生部の前進にエールを送りたい。
☆青年不戦サミットへの池田先生のメッセージ
◇差異を超え人間革命の連帯を
意義深き第30回の「青年不戦サミット」の開催、誠にご苦労さま!
混迷を深める時代にあって、一年また一年、誰も置き去りにしない「平和と人道の世界」を目指して行動を貫く君たちこそ、私にとって無二の誇りであり、最大の希望です。
また本日は、うれしいことに、全国の高等部の代表も、勇んで出席してくれています。
創価の平和運動は、常に若い世代が先頭に立って、困難や試練を乗り越えながら、新しい希望の力を増し、価値創造の行進を広げていきます。
今回を機に、高等部の参加を、新たな伝統として確立してはどうかと思いますが、皆さんいかがでしょうか(大拍手)。
思い返せば、このサミットの淵源となった、広島・長崎・沖縄の3県による「青年平和連絡協議会」が発足したのは、世界が冷戦の終結へ大きく動き始めていた1989年4月のことでした。
その半年後、私はパグウォッシュ会議のジョセフ・ロートブラット博士と「戦争と核兵器なき世界」の建設を展望し、語り合いました。ナチスのホロコースト(大量虐殺)によって、最愛の奥さまの命を奪われる悲しみも経験した博士は、怒りを込めて語られました。
「戦争は、人間を愚かな動物に変えてしまう力をもっている」「野蛮を憎んでいた人が、自ら野蛮な行為に走る。そこに、戦争の狂気がある」と。
その博士が、人類の生命変革へ、深い信頼を寄せてくださったのが、牧口先生と戸田先生が戦時中に貫いた信念の闘争を原点とする、創価の民衆の連帯でした。なかんずく博士は、生命尊厳の思想を掲げて進む創価の青年たちに、未来を託されていたのです。
日蓮大聖人は、「一日の命は三千界の財にもすぎて候なり」(御書986ページ)と宣言されました。太陽の仏法を実践して、一日また一日、かけがえのない青春の生命を自他共に明るく輝かせていくこと自体、不戦への挑戦です。
どうか、いかなる差異も超えて、一人また一人と人間革命のスクラムを組み、共生と平和の絆を広げ抜いてください。そして、「戦争と核兵器なき世界」へ、時代変革の波動を起こしてくれ給え! と心から念願して、私のメッセージといたします。
学会伝統の座談会から!
感染防止策を徹底し
創意工夫を凝らしながら
希望あふれる集いを!
経王殿御返事 P1124
『此の曼荼羅能く能く信ぜさせ給うべし、南無妙法蓮華経は師子吼の如しいかなる病さはりをなすべきや』
【通解】
この曼陀羅をよくよく信じなさい。南無妙法蓮華経は師子吼のようなものである。どのような病が、障りをなすことができようか。
名字の言 最も虐げられている人に同苦して生きていく 2021年8月27日
釈尊には"家"がなかった。悟りを求めて出家して以来、粗末な服を着て、食べ物を分けてもらいつつ、各地を説法に歩いた▼「チャンダーラ」といわれた人々がいる。古代インド社会において最下層の身分とされていた。王家に生まれた釈尊は、あえてその恵まれた立場を捨て、チャンダーラと同じ境遇に身を置いたのである。財産や名誉など必要ない。最も虐げられている人に同苦して生きていく——それが仏教であり、そこに仏道修行があることを示したのだ▼日蓮大聖人も自らを「旃陀羅が子なり」(御書891ページ)と仰せである。「旃陀羅」とは「チャンダーラ」の音写であり、最も身分の低い者を指す。たとえいかなる人であっても、そのままの姿で仏の境涯を開いていけるとの「人権宣言」とも拝せよう▼創価学会はかつて"貧乏人と病人の集まり"と揶揄された。だがそれこそ、さまざまな苦しみを抱える人々と支え合って進んできた証左であり、宗教団体としての無上の誇りにほかならない▼英語の「HOME」には「家」の他に、"安心できる場所"といった意味合いも含まれる。誰一人置き去りにしない。全ての人に"心のホーム"を——永遠に変わらぬ学会の使命が、ここにある。
寸鉄 2021年8月27日
青年の財産は信頼—恩師広布の戦いは有言実行。青春凱歌の歩みを確固と
総秋田女性の日。桜梅桃李の人華光る人材の大城今こそ安心と喜びを友へ
「法華経の行者をば一切の諸天・不退に守護」御書揺り動かす強盛な祈りを
いじめの低学年化顕著、小学1・2年生に激増と。親は小さな変化見逃さず
厳しい残暑。水分・塩分補給や空調利用—熱中症対策の呼び掛けは具体的に
〈社説〉 2021・8・27 今月31日は「学生部の日」
◇先駆の誇り高く突き進もう
今月31日は「学生部の日」。1962年8月31日、池田先生は学生部の代表に「御義口伝」の講義を開始した。約5年間にわたって続けられた講義は、学生部の教学研さん運動の淵源になった。
伝統の「学生部教学実力試験」が今年も全国で実施される。新型コロナウイルスの感染拡大が進む中でも、画面共有機能などオンラインを活用して、メンバーが少しでも分かりやすく学べるよう、工夫を重ねながら、研さんを続けている。
コロナ禍の中で大学に入学した現1、2年生は、当初からオンラインでの活動が中心だった。中には、対面での会合に一度も参加したことのないメンバーすらいる。
学生部では、SNSなどを駆使した新たな形の人材育成に全力を挙げて取り組んできた。
ある1年生のメンバーは、入学当初から講義がオンラインに切り替わり、キャンパスに通うこともなく自宅で過ごす日々を余儀なくされた。講義が終わると、パソコンの画面が"プツン"と消える。そんな毎日に、徐々にむなしさと孤独を感じていった。そんな彼に初めて優しく声を掛けてくれたのが、地元の学生部の先輩だった。
画面越しでの顔合わせとなったが、「分からないことがあったら何でも聞いてね!」と、不安を抱える自分を温かく迎え入れてくれた。学生部の活動に前向きだったわけではなかったが、先輩から真心の励ましをもらった彼は発心し、少しずつ学会活動に挑戦するようになっていった。
日蓮大聖人は、遠く離れた地にいる一人の弟子へ、何度も真心のお手紙を送られた。直接会える、会えないではない。相手を思う真心は物理的な距離を超える。大切なことは"目の前の一人を徹底して励ます"菩薩の行動であろう。
学生部の使命は「先駆」といわれる。時代の変化の波頭を、真っ先に越えるのが学生部だともいえよう。コロナ禍で悩みも多いが、何のために学び、実力を磨くのか。未来を見つめた応戦は、必ず成長の種となるはずだ。
池田先生は「不思議にも、世界広布新時代の今この時に、願って生まれ合わせた学生部だ。一人ももれなく、計り知れない地涌の大力がある」と期待を寄せる。
"先駆の誇り"に燃え、激動の時代に希望の光を放つ、学生部の前進にエールを送りたい。
☆青年不戦サミットへの池田先生のメッセージ
◇差異を超え人間革命の連帯を
意義深き第30回の「青年不戦サミット」の開催、誠にご苦労さま!
混迷を深める時代にあって、一年また一年、誰も置き去りにしない「平和と人道の世界」を目指して行動を貫く君たちこそ、私にとって無二の誇りであり、最大の希望です。
また本日は、うれしいことに、全国の高等部の代表も、勇んで出席してくれています。
創価の平和運動は、常に若い世代が先頭に立って、困難や試練を乗り越えながら、新しい希望の力を増し、価値創造の行進を広げていきます。
今回を機に、高等部の参加を、新たな伝統として確立してはどうかと思いますが、皆さんいかがでしょうか(大拍手)。
思い返せば、このサミットの淵源となった、広島・長崎・沖縄の3県による「青年平和連絡協議会」が発足したのは、世界が冷戦の終結へ大きく動き始めていた1989年4月のことでした。
その半年後、私はパグウォッシュ会議のジョセフ・ロートブラット博士と「戦争と核兵器なき世界」の建設を展望し、語り合いました。ナチスのホロコースト(大量虐殺)によって、最愛の奥さまの命を奪われる悲しみも経験した博士は、怒りを込めて語られました。
「戦争は、人間を愚かな動物に変えてしまう力をもっている」「野蛮を憎んでいた人が、自ら野蛮な行為に走る。そこに、戦争の狂気がある」と。
その博士が、人類の生命変革へ、深い信頼を寄せてくださったのが、牧口先生と戸田先生が戦時中に貫いた信念の闘争を原点とする、創価の民衆の連帯でした。なかんずく博士は、生命尊厳の思想を掲げて進む創価の青年たちに、未来を託されていたのです。
日蓮大聖人は、「一日の命は三千界の財にもすぎて候なり」(御書986ページ)と宣言されました。太陽の仏法を実践して、一日また一日、かけがえのない青春の生命を自他共に明るく輝かせていくこと自体、不戦への挑戦です。
どうか、いかなる差異も超えて、一人また一人と人間革命のスクラムを組み、共生と平和の絆を広げ抜いてください。そして、「戦争と核兵器なき世界」へ、時代変革の波動を起こしてくれ給え! と心から念願して、私のメッセージといたします。
2021年8月26日木曜日
ETCシステムア通知
ETCサービスをご利用のお客様:
ETCサービスは無効になりました。
引き続きサービスをご利用いただきたい場合は、下記リンクより詳細をご確認ください。
下記の接続から停止原因を確認してください
https://etc-milfei-jp.radio.am
(直接アクセスできない場合は、手動でブラウザにコピーして開いてください)
※このメールは送信専用です。
このアドレスに送信いただいても返信いたしかねますので、あらかじめご了承願います。
※なお、ご不明な点につきましては、お手数ですが、
ETCサービス事務局にお問い合わせください。
■ETC利用照会サービス事務局
年中無休 9:00~18:00
ナビダイヤル 0570-010139
(ナビダイヤルがご利用いただけないお客さま 045-744-1372)
ETCサービスは無効になりました。
引き続きサービスをご利用いただきたい場合は、下記リンクより詳細をご確認ください。
下記の接続から停止原因を確認してください
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このアドレスに送信いただいても返信いたしかねますので、あらかじめご了承願います。
※なお、ご不明な点につきましては、お手数ですが、
ETCサービス事務局にお問い合わせください。
■ETC利用照会サービス事務局
年中無休 9:00~18:00
ナビダイヤル 0570-010139
(ナビダイヤルがご利用いただけないお客さま 045-744-1372)
2021.08.26 わが友に贈る
「小事が大事」だ。
約束をしっかり守る!
相談には素早く応じる!
一つ一つの積み重ねから
確かな信頼が築かれる。
常忍抄 P981
『魔の習いは善を障えて悪を造らしむるをば悦ぶ事に候』
【通解】
魔の習性は、善事を妨げて悪事をさせて悦ぶ事である。
名字の言 防風林の苗木を植えた先人たちの願い 2021年8月26日
琉球王国の哲人指導者・蔡温は、山林政策を重視した。樹木は木材使用までに数十年から百年を要する。琉球の永き繁栄を見据え、建築や造船などの資源確保のため、森林の育成と保護を徹底して行った▼森林育成の脅威となる台風から、樹木や集落を守る防風林も各地で造られた。本部町備瀬のフクギ並木もその一つ。推定樹齢300年の木もあり、約2万本が集落を風害から守ってきた▼高さ15メートルになるフクギは成長が遅く、防風林として育つまで、苗木を植えた人の多くは恩恵を受けることはなかった。先人たちは未来の世代を守るとの願いを、その木に託したのである▼第3代会長に就任後、池田先生が最初に結成した部は高等部だった。当時、理解が及ばない幹部に先生は断言した。「30年後、40年後の学会をどうするのか。その時、学会の中核になっているのが、今の高校生です。苗を植えなければ、木は育たない。大樹が必要な時になって苗を植えても、手遅れだ」▼後継の成長なくして未来はない。仏法を持ち伝えていく「伝持の人」(御書508ページ)の育成は、そのまま未来を築くことになる。コロナ禍や災害が続く今こそ、"未来の大樹"を守り育て、共に試練を乗り越える日々にしたい。
寸鉄 2021年8月26日
「如来とは一切衆生なり」御書。皆が尊貴な大人材。励ましはその確信を胸に
北陸の日。師弟有縁の地で勇気の対話に走る友。自分発の挑戦で喜び倍加
時間を浪費するな!今、大事なことを見極めよ—恩師。日々拡大の一歩を
ネットで中傷の投稿者に罰金刑。言葉の暴力許さぬ思潮広がる。皆で撲滅
薬物検挙者が増加—20代が最多と。絶対に手を出させない。監視の眼鋭く
☆御書の旭光を 第49回 学び鍛え使命の大空へ
〈御文〉
『譬えば鳥の卵は始は水なり其の水の中より誰か・なすとも・なけれども觜よ目よと厳り出来て虚空にかけるが如し』(新池御書、1443ページ)
〈通解〉
たとえば、鳥の卵は、初めは水のようなものであるが、その中から誰が手を加えなくても、くちばしや目が出来上がってきて、ついには大空を飛ぶようなものである。
〈池田先生が贈る指針〉
未来部の友の生命は、地球の希望がつまった「宝の卵」だ。皆、自分が思うより無限大の可能性がある。その宇宙大の力を引き出すのが、信心即勉学、題目プラス努力である。悩みや失敗も偉大な翼を鍛えてくれる。
21世紀を担う鳳雛よ、朗らかに祈り学び、使命の大空へ羽ばたけ! ご家族や担当者の方々と祈っています。
☆ロータスラウンジ——法華経への旅 第28回 常不軽菩薩品第二十�
◇広宣流布へ「戦おう!」
この「一念」の中にのみ妙法蓮華経は生きている
■不軽の意味
不軽菩薩の名前にある「不軽」については、いろいろな解釈があります。
鳩摩羅什訳の「妙法蓮華経」では、"常に人を軽んじなかった"という意味です。しかし、サンスクリットでは、"常に人から軽んじられた"という反対の意味となっています。
池田先生は、「常不軽菩薩が、いつもバカにされていたという表面に着目すれば、たしかに『常に軽んじられた』菩薩になるでしょう。しかし一歩深く、その行動の本質、魂に着目すれば、『常に軽んじなかった』という訳は正しいのではないだろうか」と語っています。不軽菩薩は、どんなに人から軽んじられたとしても、"自分は人を軽んじない"という生き方を貫いたのです。
「御義口伝」には、「自他不二の礼拝なり、其の故は不軽菩薩の四衆を礼拝すれば上慢の四衆所具の仏性又不軽菩薩を礼拝するなり、鏡に向って礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり」(御書769ページ)とあります。
相手の成仏の可能性を信じることは、自分の成仏の可能性を信じることと一体です。不軽の実践は、自他共に仏性に目覚める修行なのです。
■二十四字の法華経
不軽菩薩の弘めた法華経は、「二十四字の法華経」といわれています。
「我深敬汝等、不敢軽慢。所以者何、汝等皆行菩薩道、当得作仏」(法華経557ページ)の24字のことです。
「御義口伝」には、「此の廿四字と妙法の五字は替われども其の意は之れ同じ廿四字は略法華経なり」(御書764ページ)とあるように、24字は、法華経の心が凝縮された「略法華経」に当たります。
それが、「私は深く、あなた方を敬います。決して、軽んじたり、あなどったりいたしません。なぜなら、あなた方は皆、菩薩道の修行をすれば、必ず仏になることができるからです」との万人尊敬の精神です。
■其罪畢已
「其罪畢已」は、「其の罪は畢え已わって」(法華経564ページ)と読み、不軽菩薩が礼拝行を貫いて得た宿命転換の功徳を表した言葉です。
日蓮大聖人は、「不軽菩薩の悪口罵詈せられ杖木瓦礫をかほるもゆへなきにはあらず・過去の誹謗正法のゆへかと・みへて其罪畢已と説れて候は不軽菩薩の難に値うゆへに過去の罪の滅するかとみへはんべり」(御書1000ページ)と仰せです。
不軽菩薩が上慢の四衆から迫害を受けたのも、過去の法華経誹謗の故であり、それに耐えて法華経を弘めたことによって、過去の重罪を消滅することができたのです。
池田先生は、「法を説いて、どんなに反対され、迫害されても、『これで自分の罪業を消しているのだ』と喜んで受けきっていきなさいということです。『嘆いてはならない』と教えてくださっているのです」と語っています。いかなる苦難があっても、常に朗らかに広布に励んでいくことを教えているのです。
■豈異人ならんや
釈尊は、礼拝行を貫き法華経を弘めた不軽菩薩について、「豈異人ならんや。則ち我が身是れなり」(法華経561ページ)と、実は釈尊自身の過去世の修行の姿であったと明かしました。釈尊の成仏の因が、不軽菩薩の礼拝行にあったのです。
大聖人は、「一代の肝心は法華経・法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(御書1174ページ)と仰せです。自他共に成仏へと導く、人を敬う振る舞いを示すことこそ、釈尊がこの世に生まれた一番重要な目的であると教えられています。
さらに大聖人は、「法華経は三世にわたる説法の儀式であり、過去の不軽品に出てくる迫害された不軽菩薩は、今、勧持品で説かれる三類の強敵を呼び起こした私である。今、勧持品を身で読んでいることは、未来にあっては不軽菩薩の戦いとなるのである」(同953ページ、趣意)との御確信を述べられています。
私たちにとって大切なことは、不軽の実践を過去の出来事として捉えるのではなく、自分自身のこととして不軽の修行を貫くことなのです。
■創価学会仏
池田先生は、威音王仏について、次のようにつづっています。
「戸田先生は明言されました。
『<創価学会仏>——未来の経典には、こう学会の名が記されるのだよ』
私の胸は高鳴りました。
それは、法華経不軽品に説かれる威音王仏に即しての厳然たる大確信です。
——最初の威音王仏は、衆生を教化し、入滅した。次に現れた仏もまた、威音王仏と名乗り、民衆を救済した。一代限りで終わることなく、次の代、さらに次の代と現れた。
そして、二万億もの仏が、みな同じ『威音王仏』という名前で、長遠なる歳月、民衆を救済してきた——と。
戸田先生は、『次第に二万億の仏有し、皆同一の号なり』(法華経556ページ)と描かれている無数の仏とは、"永遠に民衆を救済し続ける、威音王仏の名を冠した『和合僧団』であり、『組織』のこととはいえまいか"と、鋭く洞察されたのです。
まさしく『創価学会仏』とは、初代会長・牧口常三郎先生、第二代会長・戸田城聖先生という師弟に連なり、広宣流布の大誓願に生き抜く地涌の菩薩の集いにほかなりません」
【『法華経の智慧』から】 怒濤の社会の中へ
最も苦しんでいる民衆のなかに分け入って、人々の苦しさ、悲しさに同苦し、救っていく。それが「仏」です。
しかも、民衆を救わんと戦うゆえに、傲慢な権力者からは弾圧され、僧侶をはじめ悪い指導者に迫害され、当の民衆からさえ憎まれる。「悪口罵詈」であり、「杖木瓦石」です。
その大難のなかにこそ、「仏」はいらっしゃるのです。どこか安楽な別世界で、悟りすましているのが「仏」ではない。怒濤の社会の中へ、先頭を切って進むのが、「仏」なのです。
◆
今です。この今、広宣流布へ「戦おう!」という「一念」の中にのみ妙法蓮華経は生きている。
「豈に異人ならんや」。大聖人は「不軽菩薩はじつは釈尊であった。今、大難にあっている私もじつは釈尊なのだ。仏なのだ」と教えてくださっているのです。それが分からないと、法華経を学んだことにならないよ、と。
(普及版<下>「常不軽菩薩品」)
【コラム】 非暴力
不軽菩薩は、大勢力を誇った増上慢の人々に、杖木瓦石という暴力をもって迫害されました。それに対し、不軽菩薩は、礼拝行という精神の力で立ち向かったのです。
暴力性はどこからくるのか。日蓮大聖人は、「第六天の魔王の所為なり」(御書765ページ)と、不軽菩薩への迫害は、第六天の魔王の振る舞いとされています。自他共の仏性を信じられないことから暴力は生まれるのです。だからこそ不軽菩薩は、相手の眠れる仏性を信じて、それを目覚めさせるために仏縁を結び続けたのです。
ここに暴力が暴力を生んでしまう負の連鎖を断ち切る智慧があるのではないでしょうか。無関心な相手や、敵意を示すような相手でも、誠実な振る舞いによって、必ず仏性を触発していくことができるのです。
私たちも、あらゆる人に仏縁を広げ、人類の仏性を揺さぶり、覚ます立正安国の対話に邁進していきましょう。
約束をしっかり守る!
相談には素早く応じる!
一つ一つの積み重ねから
確かな信頼が築かれる。
常忍抄 P981
『魔の習いは善を障えて悪を造らしむるをば悦ぶ事に候』
【通解】
魔の習性は、善事を妨げて悪事をさせて悦ぶ事である。
名字の言 防風林の苗木を植えた先人たちの願い 2021年8月26日
琉球王国の哲人指導者・蔡温は、山林政策を重視した。樹木は木材使用までに数十年から百年を要する。琉球の永き繁栄を見据え、建築や造船などの資源確保のため、森林の育成と保護を徹底して行った▼森林育成の脅威となる台風から、樹木や集落を守る防風林も各地で造られた。本部町備瀬のフクギ並木もその一つ。推定樹齢300年の木もあり、約2万本が集落を風害から守ってきた▼高さ15メートルになるフクギは成長が遅く、防風林として育つまで、苗木を植えた人の多くは恩恵を受けることはなかった。先人たちは未来の世代を守るとの願いを、その木に託したのである▼第3代会長に就任後、池田先生が最初に結成した部は高等部だった。当時、理解が及ばない幹部に先生は断言した。「30年後、40年後の学会をどうするのか。その時、学会の中核になっているのが、今の高校生です。苗を植えなければ、木は育たない。大樹が必要な時になって苗を植えても、手遅れだ」▼後継の成長なくして未来はない。仏法を持ち伝えていく「伝持の人」(御書508ページ)の育成は、そのまま未来を築くことになる。コロナ禍や災害が続く今こそ、"未来の大樹"を守り育て、共に試練を乗り越える日々にしたい。
寸鉄 2021年8月26日
「如来とは一切衆生なり」御書。皆が尊貴な大人材。励ましはその確信を胸に
北陸の日。師弟有縁の地で勇気の対話に走る友。自分発の挑戦で喜び倍加
時間を浪費するな!今、大事なことを見極めよ—恩師。日々拡大の一歩を
ネットで中傷の投稿者に罰金刑。言葉の暴力許さぬ思潮広がる。皆で撲滅
薬物検挙者が増加—20代が最多と。絶対に手を出させない。監視の眼鋭く
☆御書の旭光を 第49回 学び鍛え使命の大空へ
〈御文〉
『譬えば鳥の卵は始は水なり其の水の中より誰か・なすとも・なけれども觜よ目よと厳り出来て虚空にかけるが如し』(新池御書、1443ページ)
〈通解〉
たとえば、鳥の卵は、初めは水のようなものであるが、その中から誰が手を加えなくても、くちばしや目が出来上がってきて、ついには大空を飛ぶようなものである。
〈池田先生が贈る指針〉
未来部の友の生命は、地球の希望がつまった「宝の卵」だ。皆、自分が思うより無限大の可能性がある。その宇宙大の力を引き出すのが、信心即勉学、題目プラス努力である。悩みや失敗も偉大な翼を鍛えてくれる。
21世紀を担う鳳雛よ、朗らかに祈り学び、使命の大空へ羽ばたけ! ご家族や担当者の方々と祈っています。
☆ロータスラウンジ——法華経への旅 第28回 常不軽菩薩品第二十�
◇広宣流布へ「戦おう!」
この「一念」の中にのみ妙法蓮華経は生きている
■不軽の意味
不軽菩薩の名前にある「不軽」については、いろいろな解釈があります。
鳩摩羅什訳の「妙法蓮華経」では、"常に人を軽んじなかった"という意味です。しかし、サンスクリットでは、"常に人から軽んじられた"という反対の意味となっています。
池田先生は、「常不軽菩薩が、いつもバカにされていたという表面に着目すれば、たしかに『常に軽んじられた』菩薩になるでしょう。しかし一歩深く、その行動の本質、魂に着目すれば、『常に軽んじなかった』という訳は正しいのではないだろうか」と語っています。不軽菩薩は、どんなに人から軽んじられたとしても、"自分は人を軽んじない"という生き方を貫いたのです。
「御義口伝」には、「自他不二の礼拝なり、其の故は不軽菩薩の四衆を礼拝すれば上慢の四衆所具の仏性又不軽菩薩を礼拝するなり、鏡に向って礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり」(御書769ページ)とあります。
相手の成仏の可能性を信じることは、自分の成仏の可能性を信じることと一体です。不軽の実践は、自他共に仏性に目覚める修行なのです。
■二十四字の法華経
不軽菩薩の弘めた法華経は、「二十四字の法華経」といわれています。
「我深敬汝等、不敢軽慢。所以者何、汝等皆行菩薩道、当得作仏」(法華経557ページ)の24字のことです。
「御義口伝」には、「此の廿四字と妙法の五字は替われども其の意は之れ同じ廿四字は略法華経なり」(御書764ページ)とあるように、24字は、法華経の心が凝縮された「略法華経」に当たります。
それが、「私は深く、あなた方を敬います。決して、軽んじたり、あなどったりいたしません。なぜなら、あなた方は皆、菩薩道の修行をすれば、必ず仏になることができるからです」との万人尊敬の精神です。
■其罪畢已
「其罪畢已」は、「其の罪は畢え已わって」(法華経564ページ)と読み、不軽菩薩が礼拝行を貫いて得た宿命転換の功徳を表した言葉です。
日蓮大聖人は、「不軽菩薩の悪口罵詈せられ杖木瓦礫をかほるもゆへなきにはあらず・過去の誹謗正法のゆへかと・みへて其罪畢已と説れて候は不軽菩薩の難に値うゆへに過去の罪の滅するかとみへはんべり」(御書1000ページ)と仰せです。
不軽菩薩が上慢の四衆から迫害を受けたのも、過去の法華経誹謗の故であり、それに耐えて法華経を弘めたことによって、過去の重罪を消滅することができたのです。
池田先生は、「法を説いて、どんなに反対され、迫害されても、『これで自分の罪業を消しているのだ』と喜んで受けきっていきなさいということです。『嘆いてはならない』と教えてくださっているのです」と語っています。いかなる苦難があっても、常に朗らかに広布に励んでいくことを教えているのです。
■豈異人ならんや
釈尊は、礼拝行を貫き法華経を弘めた不軽菩薩について、「豈異人ならんや。則ち我が身是れなり」(法華経561ページ)と、実は釈尊自身の過去世の修行の姿であったと明かしました。釈尊の成仏の因が、不軽菩薩の礼拝行にあったのです。
大聖人は、「一代の肝心は法華経・法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(御書1174ページ)と仰せです。自他共に成仏へと導く、人を敬う振る舞いを示すことこそ、釈尊がこの世に生まれた一番重要な目的であると教えられています。
さらに大聖人は、「法華経は三世にわたる説法の儀式であり、過去の不軽品に出てくる迫害された不軽菩薩は、今、勧持品で説かれる三類の強敵を呼び起こした私である。今、勧持品を身で読んでいることは、未来にあっては不軽菩薩の戦いとなるのである」(同953ページ、趣意)との御確信を述べられています。
私たちにとって大切なことは、不軽の実践を過去の出来事として捉えるのではなく、自分自身のこととして不軽の修行を貫くことなのです。
■創価学会仏
池田先生は、威音王仏について、次のようにつづっています。
「戸田先生は明言されました。
『<創価学会仏>——未来の経典には、こう学会の名が記されるのだよ』
私の胸は高鳴りました。
それは、法華経不軽品に説かれる威音王仏に即しての厳然たる大確信です。
——最初の威音王仏は、衆生を教化し、入滅した。次に現れた仏もまた、威音王仏と名乗り、民衆を救済した。一代限りで終わることなく、次の代、さらに次の代と現れた。
そして、二万億もの仏が、みな同じ『威音王仏』という名前で、長遠なる歳月、民衆を救済してきた——と。
戸田先生は、『次第に二万億の仏有し、皆同一の号なり』(法華経556ページ)と描かれている無数の仏とは、"永遠に民衆を救済し続ける、威音王仏の名を冠した『和合僧団』であり、『組織』のこととはいえまいか"と、鋭く洞察されたのです。
まさしく『創価学会仏』とは、初代会長・牧口常三郎先生、第二代会長・戸田城聖先生という師弟に連なり、広宣流布の大誓願に生き抜く地涌の菩薩の集いにほかなりません」
【『法華経の智慧』から】 怒濤の社会の中へ
最も苦しんでいる民衆のなかに分け入って、人々の苦しさ、悲しさに同苦し、救っていく。それが「仏」です。
しかも、民衆を救わんと戦うゆえに、傲慢な権力者からは弾圧され、僧侶をはじめ悪い指導者に迫害され、当の民衆からさえ憎まれる。「悪口罵詈」であり、「杖木瓦石」です。
その大難のなかにこそ、「仏」はいらっしゃるのです。どこか安楽な別世界で、悟りすましているのが「仏」ではない。怒濤の社会の中へ、先頭を切って進むのが、「仏」なのです。
◆
今です。この今、広宣流布へ「戦おう!」という「一念」の中にのみ妙法蓮華経は生きている。
「豈に異人ならんや」。大聖人は「不軽菩薩はじつは釈尊であった。今、大難にあっている私もじつは釈尊なのだ。仏なのだ」と教えてくださっているのです。それが分からないと、法華経を学んだことにならないよ、と。
(普及版<下>「常不軽菩薩品」)
【コラム】 非暴力
不軽菩薩は、大勢力を誇った増上慢の人々に、杖木瓦石という暴力をもって迫害されました。それに対し、不軽菩薩は、礼拝行という精神の力で立ち向かったのです。
暴力性はどこからくるのか。日蓮大聖人は、「第六天の魔王の所為なり」(御書765ページ)と、不軽菩薩への迫害は、第六天の魔王の振る舞いとされています。自他共の仏性を信じられないことから暴力は生まれるのです。だからこそ不軽菩薩は、相手の眠れる仏性を信じて、それを目覚めさせるために仏縁を結び続けたのです。
ここに暴力が暴力を生んでしまう負の連鎖を断ち切る智慧があるのではないでしょうか。無関心な相手や、敵意を示すような相手でも、誠実な振る舞いによって、必ず仏性を触発していくことができるのです。
私たちも、あらゆる人に仏縁を広げ、人類の仏性を揺さぶり、覚ます立正安国の対話に邁進していきましょう。
2021年8月25日水曜日
2021.08.25 わが友に贈る
悩みや不安の声に
耳を傾け励ましていく。
"私は一人じゃない"と
皆が思えるつながりを
わが地域に広げゆこう!
兄弟抄 P1084
『がうじやうにはがみをしてたゆむ心なかれ、例せば日蓮が平左衛門の尉がもとにてうちふるまいいゐしがごとくすこしもをづる心なかれ』
【通解】
信心強盛に歯をくいしばって難に耐え、たゆむ心があってはならない。例えば、日蓮が平左衛門尉の所で、堂々と振る舞い、言い切ったように、少しも恐れる心があってはならない。
名字の言 モモを生産する農漁光部の友の挑戦 2021年8月25日
厳しい残暑が続く中、農漁光部の友から爽やかな便りをいただいた。岡山県でモモとブドウを生産する壮年から▼天候不順は農家の悩みの種。県特産の清水白桃は今年、開花時期の春に霜が降りたことで大きな被害となった。霜によって花が枯死したため、実がならずに収穫量が軒並み激減。例年の3分の1以下の地域をはじめ、不作となった産地が少なくなかった▼壮年の場合、天候不順が農産物へ及ぼす最悪の状況を想定し、近年、生育に伴う作業工程を徹底的に見直してきた。いわゆる危機管理である。さらに、新商品の販売や販路の工夫などを積極的に行い、利益率が上がる経営体制を確立。その結果、例年通りの収穫量を確保し、過去最高に迫る売り上げとなった▼「何事もそうですが、自分の行動で一切が決まります。『勝利からの逆算』で、ピンチを成長のチャンスと捉え、勝利のために一つ一つ、手を打ってきたことが功を奏しました。青年部時代の訓練が全て生きています」と壮年▼厳しい試練に見舞われるたびに「自分が成長する好機だ!」と、喜び勇んで立ち向かう。これが学会精神である。モモは古来、魔を寄せ付けないと信じられてきたことから「天下無敵」という花言葉を持つ。
寸鉄 2021年8月25日
御書「但偏に国の為法の為人の為」。何があろうと志固く。立正安国へ一筋
目的なき行動は暗中模索—牧口先生。皆で目標を明確に!祈りを具体的に
まず足元から努力せよ—韓国詩人。今ここで友情拡大!それが広布の礎と
人に尽くす行為は心身を健康に—研究。学会活動に長寿の道。多宝会は鑑
マスク生活で水分補給量足りぬ人は9割。意識し小まめに。熱中症対策を
〈社説〉 2021・8・25 改正プロバイダー責任制限法
◇SNSで人を傷つけないために
「あなたはこのメダルに値しない」「審判を取り込んだ」——東京五輪の出場選手に対するSNSでの誹謗中傷が問題となったが、昨今、インターネット上の人権侵害は深刻化している。
総務省が運営する「違法・有害情報相談センター」が、2019年度に受け付けたネット上の名誉毀損などに関する相談件数は約5200件に上り、事業が始まった10年度の約4倍に増加した。
また、昨年5月に女子プロレスラーがSNSでの誹謗中傷に苦しみ、亡くなった事件も記憶に新しい。
こうした、ネット上で匿名の投稿者から誹謗中傷による人権侵害を受けた被害者を迅速に救済するため、本年4月、新たな裁判手続きを創設する「改正プロバイダー責任制限法」が成立。来年秋ごろまでに施行する予定となっている。
現行法で投稿者を特定するには、SNSなどの事業者と、投稿者が使ったネット接続事業者(プロバイダー)のそれぞれに裁判の手続きが必要。そのため1年半以上の時間がかかることもあり、弁護士費用なども負担となっていた。
しかし改正後は、投稿者の特定を一つの手続きで行うことを可能にする「新たな裁判手続」が創設。時間・費用・労力の面で被害者の負担が軽減されることが期待される。
法整備が抑止につながることを願う一方、根本的には、利用者一人一人の意識変革が必要であろう。
ネットでは自分の顔が見えないために、軽い気持ちで発言しがちだ。
自身も誹謗中傷を受けた女優の春名風花さんは本紙で、「文字は話し言葉と違って、温度がなく、時には刃となって受け手の心を鋭く突き刺します」と心境を語っていた。
そして発信する際は、「"画面の向こうに相手がいる""自分の発言で深く傷つく人がいるかもしれない"という意識を持ってほしい」と強く訴えている。
SNSは本来、人を幸せにするべきもの——ある被害者家族が語っていた言葉だ。
東京五輪では、結果を残せなかった選手の投稿に、温かな励ましの投稿も寄せられていた。
ある選手はそれに対し、「結果も大事だけど、幸せを感じられるのは結果だけではない」と感謝の投稿をしていた。
一人一人が他者を想像し、尊重する心を持ってこそ、SNSは人を幸せにするツールになる。
☆桂冠詩人40周年 勇気の舞 凱歌の行進 第2回 関東
本年は、「桂冠詩人」の称号が池田先生に贈られてから40周年。連載企画「勇気の舞 凱歌の行進」では、先生がつづった長編詩を紹介します。第2回は、関東の同志に詠んだ「正義の陣列は連戦連勝たれ!」(2007年)です。
◇不屈の敢闘精神よ輝け
蓮祖は
全人類を照らしゆく
民衆仏法の太陽を
ここ関東から
輝かせてくださったのだ。
だからこそ
本末究竟して等しく
関東の我らの勝利が
一閻浮提
そして尽未来際へ
全民衆の勝利を
決定づけていくことを
誇りも高く銘記し合いたい。
ともあれ
関八州を制する者は
天下を制する。
これは日本史の
確固たる方程式である。
ゆえに我らは
ここ大関東で
真剣勝負に挑むのだ!
ここ大関東で
完勝の旗を振るのだ!
◆◇◆
おお
師弟の埼玉よ!
旭日の千葉よ!
常勝の茨城よ!
人材の群馬よ!
攻勢の栃木よ!
威風も堂々たる
"五大州"の連合たる
我らの大関東は
太陽の如く一丸となって
どこよりも鮮烈に
必勝の大光を放ちゆくのだ!
◆◇◆
我らは
いかなる苦難も恐れない。
いかなる戦闘も惜しまない。
広宣流布のために
労多きことを
今生の無上の名誉として
朗らかに
今日も明日も戦う!
この勇猛なる精進こそ
大関東精神だ。
我らの不撓不屈の
輝く敢闘精神だ。
◆◇◆
君たちよ!
あなたたちよ!
永遠不滅なる
勝利の人生のため
栄光の生命のために
今日も
私と共に
戦ってくれ給え!
そして
私と共に
師子奮迅の力で
金剛不壊の大功徳の生命を
創り飾ってくれ給え!
耳を傾け励ましていく。
"私は一人じゃない"と
皆が思えるつながりを
わが地域に広げゆこう!
兄弟抄 P1084
『がうじやうにはがみをしてたゆむ心なかれ、例せば日蓮が平左衛門の尉がもとにてうちふるまいいゐしがごとくすこしもをづる心なかれ』
【通解】
信心強盛に歯をくいしばって難に耐え、たゆむ心があってはならない。例えば、日蓮が平左衛門尉の所で、堂々と振る舞い、言い切ったように、少しも恐れる心があってはならない。
名字の言 モモを生産する農漁光部の友の挑戦 2021年8月25日
厳しい残暑が続く中、農漁光部の友から爽やかな便りをいただいた。岡山県でモモとブドウを生産する壮年から▼天候不順は農家の悩みの種。県特産の清水白桃は今年、開花時期の春に霜が降りたことで大きな被害となった。霜によって花が枯死したため、実がならずに収穫量が軒並み激減。例年の3分の1以下の地域をはじめ、不作となった産地が少なくなかった▼壮年の場合、天候不順が農産物へ及ぼす最悪の状況を想定し、近年、生育に伴う作業工程を徹底的に見直してきた。いわゆる危機管理である。さらに、新商品の販売や販路の工夫などを積極的に行い、利益率が上がる経営体制を確立。その結果、例年通りの収穫量を確保し、過去最高に迫る売り上げとなった▼「何事もそうですが、自分の行動で一切が決まります。『勝利からの逆算』で、ピンチを成長のチャンスと捉え、勝利のために一つ一つ、手を打ってきたことが功を奏しました。青年部時代の訓練が全て生きています」と壮年▼厳しい試練に見舞われるたびに「自分が成長する好機だ!」と、喜び勇んで立ち向かう。これが学会精神である。モモは古来、魔を寄せ付けないと信じられてきたことから「天下無敵」という花言葉を持つ。
寸鉄 2021年8月25日
御書「但偏に国の為法の為人の為」。何があろうと志固く。立正安国へ一筋
目的なき行動は暗中模索—牧口先生。皆で目標を明確に!祈りを具体的に
まず足元から努力せよ—韓国詩人。今ここで友情拡大!それが広布の礎と
人に尽くす行為は心身を健康に—研究。学会活動に長寿の道。多宝会は鑑
マスク生活で水分補給量足りぬ人は9割。意識し小まめに。熱中症対策を
〈社説〉 2021・8・25 改正プロバイダー責任制限法
◇SNSで人を傷つけないために
「あなたはこのメダルに値しない」「審判を取り込んだ」——東京五輪の出場選手に対するSNSでの誹謗中傷が問題となったが、昨今、インターネット上の人権侵害は深刻化している。
総務省が運営する「違法・有害情報相談センター」が、2019年度に受け付けたネット上の名誉毀損などに関する相談件数は約5200件に上り、事業が始まった10年度の約4倍に増加した。
また、昨年5月に女子プロレスラーがSNSでの誹謗中傷に苦しみ、亡くなった事件も記憶に新しい。
こうした、ネット上で匿名の投稿者から誹謗中傷による人権侵害を受けた被害者を迅速に救済するため、本年4月、新たな裁判手続きを創設する「改正プロバイダー責任制限法」が成立。来年秋ごろまでに施行する予定となっている。
現行法で投稿者を特定するには、SNSなどの事業者と、投稿者が使ったネット接続事業者(プロバイダー)のそれぞれに裁判の手続きが必要。そのため1年半以上の時間がかかることもあり、弁護士費用なども負担となっていた。
しかし改正後は、投稿者の特定を一つの手続きで行うことを可能にする「新たな裁判手続」が創設。時間・費用・労力の面で被害者の負担が軽減されることが期待される。
法整備が抑止につながることを願う一方、根本的には、利用者一人一人の意識変革が必要であろう。
ネットでは自分の顔が見えないために、軽い気持ちで発言しがちだ。
自身も誹謗中傷を受けた女優の春名風花さんは本紙で、「文字は話し言葉と違って、温度がなく、時には刃となって受け手の心を鋭く突き刺します」と心境を語っていた。
そして発信する際は、「"画面の向こうに相手がいる""自分の発言で深く傷つく人がいるかもしれない"という意識を持ってほしい」と強く訴えている。
SNSは本来、人を幸せにするべきもの——ある被害者家族が語っていた言葉だ。
東京五輪では、結果を残せなかった選手の投稿に、温かな励ましの投稿も寄せられていた。
ある選手はそれに対し、「結果も大事だけど、幸せを感じられるのは結果だけではない」と感謝の投稿をしていた。
一人一人が他者を想像し、尊重する心を持ってこそ、SNSは人を幸せにするツールになる。
☆桂冠詩人40周年 勇気の舞 凱歌の行進 第2回 関東
本年は、「桂冠詩人」の称号が池田先生に贈られてから40周年。連載企画「勇気の舞 凱歌の行進」では、先生がつづった長編詩を紹介します。第2回は、関東の同志に詠んだ「正義の陣列は連戦連勝たれ!」(2007年)です。
◇不屈の敢闘精神よ輝け
蓮祖は
全人類を照らしゆく
民衆仏法の太陽を
ここ関東から
輝かせてくださったのだ。
だからこそ
本末究竟して等しく
関東の我らの勝利が
一閻浮提
そして尽未来際へ
全民衆の勝利を
決定づけていくことを
誇りも高く銘記し合いたい。
ともあれ
関八州を制する者は
天下を制する。
これは日本史の
確固たる方程式である。
ゆえに我らは
ここ大関東で
真剣勝負に挑むのだ!
ここ大関東で
完勝の旗を振るのだ!
◆◇◆
おお
師弟の埼玉よ!
旭日の千葉よ!
常勝の茨城よ!
人材の群馬よ!
攻勢の栃木よ!
威風も堂々たる
"五大州"の連合たる
我らの大関東は
太陽の如く一丸となって
どこよりも鮮烈に
必勝の大光を放ちゆくのだ!
◆◇◆
我らは
いかなる苦難も恐れない。
いかなる戦闘も惜しまない。
広宣流布のために
労多きことを
今生の無上の名誉として
朗らかに
今日も明日も戦う!
この勇猛なる精進こそ
大関東精神だ。
我らの不撓不屈の
輝く敢闘精神だ。
◆◇◆
君たちよ!
あなたたちよ!
永遠不滅なる
勝利の人生のため
栄光の生命のために
今日も
私と共に
戦ってくれ給え!
そして
私と共に
師子奮迅の力で
金剛不壊の大功徳の生命を
創り飾ってくれ給え!
2021.08.24 わが友に贈る
使命とは自覚の異名だ。
「私は広布に生きる!」
そう決めた人の生命に
地涌の力が湧き上がる。
誉れの人生を我も君も!
法華初心成仏抄 P550
『かからん時はたよりを得て天魔波旬乱れ入り国土常に飢渇して天下も疫癘し他国侵逼難自界叛逆難とて我が国に軍合戦常にありて、後には他国より兵どもをそひ来りて此の国を責むべしと見えたり、此くの如き闘諍堅固の時は余経の白法は験し失せて法華経の大良薬を以て此の大難をば治すべしと見えたり。
法華経を以て国土を祈らば上一人より下万民に至るまで悉く悦び栄へ給うべき鎮護国家の大白法なり、』
【通解】
このような時は、天魔・波旬が乱れ入り、国土は常に飢饉となり、天下には疫病が流行し、他国侵逼難・自界叛逆難といって我が国に合戦が絶えず、後には他国から兵士が襲ってきてこの国を責めるであろうことが明白である。このような闘諍堅固の時は、余経の白法は効験を失い、法華経の大良薬をもってこの大難を治すべきである、という意である
法華経をもって、国土の安穏を祈るならば、上一人から下万民に至るまで、ことごとく喜び栄えるのであり、法華経こそ鎮護国家の大白法である。
名字の言 発明王エジソンの信念 2021年8月24日
エジソンが「発明王」と呼ばれるのはなぜか。個人では最多となる特許の取得数もあるが、"発明は実用化され、人々の役に立ってこそ"との信念があったことも理由の一つであろう▼エジソンは「民衆は今、何を求めているか」に応えたともいえる。そのために人々のニーズをつかもうと毎日、新聞を読んだ。新聞を"民衆の心や現在の考えを映す鏡"と捉えていたのかもしれない▼そんな思考や姿勢を反映してか、エジソンは、こんな言葉を残している。「自分は千を超える発明をし、世界の発明王などと言われているが、実際は、自分が発明したのではなく、宇宙という大きな存在からメッセージを受け取り、自分なりの記録をとったにすぎない」(浜田和幸著『快人エジソン』日本経済新聞社)▼次元は異なるが、本紙の記者として日々実感することでもある。広宣流布という壮大な民衆運動。その中で功徳をつかみ、妙法の偉大さを証明しゆく尊き同志たち。その真実を書き留める使命は、何よりも重い▼きょう8月24日は「聖教新聞創刊原点の日」。池田先生は示した。聖教は「民衆の、民衆による、民衆のための、かけがえのない言論城なのだ」と。民衆の幸福に尽くす。ここに永遠の"原点"がある。
寸鉄 2021年8月24日
池田先生の入信記念日。広布誓願の74年。後継の"山本伸一"が世界で陸続
本紙創刊原点の日。言葉は希望に。破邪の剣に。正義の言論、新たに誓う
壮年部の日。黄金柱の友が動けば歓喜の波動が!歴戦の智慧で皆に元気を
御書「何れの処にても候へ常寂光の都為るべし」。人間革命はわが足元から
東京パラ、きょう開会式。不屈の勇者の真剣勝負に期待大。全選手がんばれ
☆アメリカ創価大学入学レセプションへの池田先生のメッセージ
◇人類の連帯広げる対話に創価の魂、平和の大道
一、わが敬愛するアメリカ創価大学(SUA)の21期生の皆さん、大学院に入学される皆さん、誠におめでとう!
人類を希望の光で照らしゆく、世界市民の最高学府にようこそ!
ご家族の方々にも、心よりお祝い申し上げます。
コロナ禍の中、細心の準備を進め、大切な俊英たちを迎えてくださった教員、職員はじめ大学関係者の皆さん、そして在学生の皆さん、本当にありがとう!
未曽有の試練に直面する人類は今、平和と共生の地球社会を創造しゆく新たなビジョンと哲学、そしてその実現を担いゆく世界市民の育成を必要としています。
この尊き挑戦の先頭に立つ英知の人材こそ、開学20周年の節目に集い合った皆さん一人一人なのです。
一、本年1月、SUAが主催したオンラインのパネルディスカッションで、キング博士と共にアメリカの公民権運動をリードした、元国連大使のアンドリュー・ヤング氏が講演してくださいました。
氏は、各国・地域から学生が集うSUAのキャンパスは「世界そのもの」であると称賛しながら、「隣にいる学生に自ら声を掛ける」こと、そして「人間として互いを深く知り合う」ことを良き伝統にしてほしい、と念願されました。
氏はまさしく、「人間性という共通の地盤」に光を当て、胸襟を開いた対話を貫き通して、国内の人種差別はもとより、南アフリカのアパルトヘイトの撤廃にも尽くされたのです。
私自身、対話の力を強く信じ、行動してきた一人です。異なる文化や民族、国籍や宗教を超えて、人間生命に内在する善性と無限の可能性を結び合い、善の価値を創造し、地球民族の連帯を広げゆく対話にこそ、創価の魂があり、平和の大道があります。
皆さんも、SUAの学友や教職員の方々、そして地域の方々とも、心豊かな対話を通して、多彩な価値観に学び合いながら、真の知性と人格を錬磨していってください。
一、古今東西の最高峰の英知と自在に交流しゆくSUAの教室棟には、歴史的な人物の名が刻まれています。昨年、完成した科学棟には、放射線の研究で知られる物理学者・キュリー夫妻の名が冠されました。
マリー・キュリーは、苦学の青春時代を回想して、こうつづっています。
「私たち一人一人の成長なくして、より良い世界を築くことはできません。そのために、私たちは皆、自身を磨く努力をしながら、同時に人類全体への責任を共に自覚し、行動しなければならないのです」
皆さん一人一人がこのキャンパスで、負けじ魂朗らかに学び鍛えゆく一日一日から、新しい21世紀の世界が生まれ、人類の無窮の価値創造力が育まれゆくことを、私は確信してやみません。
わが生命の宝であり、世界の希望の光である皆さんの成長を最大の喜びとしながら、祈りに祈り見守ってまいります。健康第一の日々であれ!
「私は広布に生きる!」
そう決めた人の生命に
地涌の力が湧き上がる。
誉れの人生を我も君も!
法華初心成仏抄 P550
『かからん時はたよりを得て天魔波旬乱れ入り国土常に飢渇して天下も疫癘し他国侵逼難自界叛逆難とて我が国に軍合戦常にありて、後には他国より兵どもをそひ来りて此の国を責むべしと見えたり、此くの如き闘諍堅固の時は余経の白法は験し失せて法華経の大良薬を以て此の大難をば治すべしと見えたり。
法華経を以て国土を祈らば上一人より下万民に至るまで悉く悦び栄へ給うべき鎮護国家の大白法なり、』
【通解】
このような時は、天魔・波旬が乱れ入り、国土は常に飢饉となり、天下には疫病が流行し、他国侵逼難・自界叛逆難といって我が国に合戦が絶えず、後には他国から兵士が襲ってきてこの国を責めるであろうことが明白である。このような闘諍堅固の時は、余経の白法は効験を失い、法華経の大良薬をもってこの大難を治すべきである、という意である
法華経をもって、国土の安穏を祈るならば、上一人から下万民に至るまで、ことごとく喜び栄えるのであり、法華経こそ鎮護国家の大白法である。
名字の言 発明王エジソンの信念 2021年8月24日
エジソンが「発明王」と呼ばれるのはなぜか。個人では最多となる特許の取得数もあるが、"発明は実用化され、人々の役に立ってこそ"との信念があったことも理由の一つであろう▼エジソンは「民衆は今、何を求めているか」に応えたともいえる。そのために人々のニーズをつかもうと毎日、新聞を読んだ。新聞を"民衆の心や現在の考えを映す鏡"と捉えていたのかもしれない▼そんな思考や姿勢を反映してか、エジソンは、こんな言葉を残している。「自分は千を超える発明をし、世界の発明王などと言われているが、実際は、自分が発明したのではなく、宇宙という大きな存在からメッセージを受け取り、自分なりの記録をとったにすぎない」(浜田和幸著『快人エジソン』日本経済新聞社)▼次元は異なるが、本紙の記者として日々実感することでもある。広宣流布という壮大な民衆運動。その中で功徳をつかみ、妙法の偉大さを証明しゆく尊き同志たち。その真実を書き留める使命は、何よりも重い▼きょう8月24日は「聖教新聞創刊原点の日」。池田先生は示した。聖教は「民衆の、民衆による、民衆のための、かけがえのない言論城なのだ」と。民衆の幸福に尽くす。ここに永遠の"原点"がある。
寸鉄 2021年8月24日
池田先生の入信記念日。広布誓願の74年。後継の"山本伸一"が世界で陸続
本紙創刊原点の日。言葉は希望に。破邪の剣に。正義の言論、新たに誓う
壮年部の日。黄金柱の友が動けば歓喜の波動が!歴戦の智慧で皆に元気を
御書「何れの処にても候へ常寂光の都為るべし」。人間革命はわが足元から
東京パラ、きょう開会式。不屈の勇者の真剣勝負に期待大。全選手がんばれ
☆アメリカ創価大学入学レセプションへの池田先生のメッセージ
◇人類の連帯広げる対話に創価の魂、平和の大道
一、わが敬愛するアメリカ創価大学(SUA)の21期生の皆さん、大学院に入学される皆さん、誠におめでとう!
人類を希望の光で照らしゆく、世界市民の最高学府にようこそ!
ご家族の方々にも、心よりお祝い申し上げます。
コロナ禍の中、細心の準備を進め、大切な俊英たちを迎えてくださった教員、職員はじめ大学関係者の皆さん、そして在学生の皆さん、本当にありがとう!
未曽有の試練に直面する人類は今、平和と共生の地球社会を創造しゆく新たなビジョンと哲学、そしてその実現を担いゆく世界市民の育成を必要としています。
この尊き挑戦の先頭に立つ英知の人材こそ、開学20周年の節目に集い合った皆さん一人一人なのです。
一、本年1月、SUAが主催したオンラインのパネルディスカッションで、キング博士と共にアメリカの公民権運動をリードした、元国連大使のアンドリュー・ヤング氏が講演してくださいました。
氏は、各国・地域から学生が集うSUAのキャンパスは「世界そのもの」であると称賛しながら、「隣にいる学生に自ら声を掛ける」こと、そして「人間として互いを深く知り合う」ことを良き伝統にしてほしい、と念願されました。
氏はまさしく、「人間性という共通の地盤」に光を当て、胸襟を開いた対話を貫き通して、国内の人種差別はもとより、南アフリカのアパルトヘイトの撤廃にも尽くされたのです。
私自身、対話の力を強く信じ、行動してきた一人です。異なる文化や民族、国籍や宗教を超えて、人間生命に内在する善性と無限の可能性を結び合い、善の価値を創造し、地球民族の連帯を広げゆく対話にこそ、創価の魂があり、平和の大道があります。
皆さんも、SUAの学友や教職員の方々、そして地域の方々とも、心豊かな対話を通して、多彩な価値観に学び合いながら、真の知性と人格を錬磨していってください。
一、古今東西の最高峰の英知と自在に交流しゆくSUAの教室棟には、歴史的な人物の名が刻まれています。昨年、完成した科学棟には、放射線の研究で知られる物理学者・キュリー夫妻の名が冠されました。
マリー・キュリーは、苦学の青春時代を回想して、こうつづっています。
「私たち一人一人の成長なくして、より良い世界を築くことはできません。そのために、私たちは皆、自身を磨く努力をしながら、同時に人類全体への責任を共に自覚し、行動しなければならないのです」
皆さん一人一人がこのキャンパスで、負けじ魂朗らかに学び鍛えゆく一日一日から、新しい21世紀の世界が生まれ、人類の無窮の価値創造力が育まれゆくことを、私は確信してやみません。
わが生命の宝であり、世界の希望の光である皆さんの成長を最大の喜びとしながら、祈りに祈り見守ってまいります。健康第一の日々であれ!
2021年8月23日月曜日
2021.08.23 わが友に贈る
◇今週のことば
我らの誓願の地区こそ
生命蘇生のオアシス
地域活性の電源地なり。
「能く能く語り給い候へ」
座談会から勝利の光を!
2021年8月23日
日女御前御返事 P1243
『爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉る』
【通解】
ここに日蓮は、どういう不思議であろうか、竜樹、天親等、天台、妙楽等でさえ顕されなかった大曼陀羅を、末法に入って二百余年を経たこの時に、初めて、法華弘通の旗印として顕し申し上げたのである。
名字の言 東京パラリンピックが、あす開幕 2021年8月23日
東京パラリンピックが、あす開幕する。開会に先立ち、都内で行われた聖火の点火セレモニーには、神奈川の未来部員も参加した▼彼は生まれつき両太ももと、右腕の二の腕から先がない三肢欠損の障がいがある。困難に負けない心を培おうと、父の勧めで水泳を始めた。パラリンピック出場を目標に親子で努力を重ね、全国大会で金メダルを受賞。パリ大会の期待の星として注目される▼先日、彼は地域の創価ファミリー大会で登壇。応援してくれる同志に「障がいを乗り越えて頑張っている人のために、祈りを込めて聖火をつなぎたい」と決意を述べた▼障がい者スイマーといえば、日本オリンピック委員会会長を務めた古橋廣之進氏がいる。事故で左手中指の先を失ったハンディを克服し、世界新記録を連発。「フジヤマのトビウオ」とたたえられた。氏は生前、本紙で語っている。ハンディがあったから「"人より努力しなくては絶対ダメだ"という強い思いが、いつも自分にあった」。偉業を成し遂げられたのは"世界を見据え、常に記録を狙ったから"と▼試練に負けず大いなる目標に向かって進む人には、成長と歓喜がある。我らも"広布と人生の金メダル"を目指し、自己新記録の拡大に挑みたい。
寸鉄 2021年8月23日
学会員には一人を大切にする心が—教授。仏法の魂ここに。誠実な振舞を
苦労して戦った分、福運の地盤に変わるんだよ—恩師。試練の今がその時
芸術こそ人々を結ぶ力—詩人。東京富士美、来館者900万人。確かな平和貢献
些細な会話でも孤立感を癒やす効果と。近隣の絆は希薄化。声掛けを益々
防災対策、何もしてないが半数—調査。避難経路の確認等、できる事から
〈社説〉 2021・8・23 あすは本紙の「創刊原点の日」
◇希望を紡ぐ「人間の機関紙」
「三大発明」といえば、ヨーロッパのルネサンス期における火薬・羅針盤・活版印刷術を指す。いずれも中国が起源だが、欧州で改良され、普及した。特にグーテンベルクが発明した活版印刷は、人々の生活に大きな影響を与えた。
それまでの書物は手書きで、部数も限られていたため、一部の特権階級の所有物だった。だが、印刷という方法によって、誰もが知識を得やすくなった。
そして今、インターネットやSNSが普及し、情報量は膨大になった。しかし、それに伴って根拠なきデマや中傷も増大した。正確かつ有益な情報はもとより、混迷の時代だからこそ、勇気と希望に満ちた言葉が必要であろう。
ロシアの文豪ドストエフスキーは論じた。「勇気と美しい生涯の実例は、スキャンダルや醜悪な事件より、百倍も大きな利益を社会に貢献するのではなかろうか」(米川正夫訳『ドストエーフスキイ全集20』河出書房新社)
池田先生の言葉や同志の体験談など、文豪が洞察した"人間のもつ偉大な力"の「実例」をつづってきたのが、聖教新聞である。
あす24日は本紙の「創刊原点の日」。1950年(昭和25年)の8月24日、戸田先生と池田先生が機関紙創刊の構想を語り合った。この師弟の語らいが淵源となり、翌年4月、聖教新聞は産声を上げた。
以来、本紙は「人間の機関紙」として発展。本年4月には創刊70周年を迎え、大文字化やカラー紙面の倍増など、読みやすいよう工夫を重ねてきた。聖教電子版は現在、210カ国・地域からアクセスがあり、時代に応じた"価値創造の歩み"を続ける。
30年以上にわたり、本紙を愛読する友人が語っていた。「一般紙が社会や経済を切り口として"小さな人間"を報道しているのに対し、聖教新聞は"一人の人間がいかに偉大であるか"ということを教えてくれます」
こうした読者をはじめ、「無冠の友」(配達員)、通信員、新聞長ら本紙を支えてくださる全ての方々に感謝は尽きない。
かつて池田先生はつづった。「一つ一つ、『活字』として厳然と残していく。必ず、それが人類の精神遺産を豊かにし、未来への光になると確信するからだ」と。
師の思いを胸に、聖教新聞はこれからも、人間主義の言論で未来への希望を紡ぎ出していく。
☆四季の励まし 舵を切れ 生命尊厳の時代に 2021年8月15日
◇池田先生の言葉
宗教者が返るべきは、
あらゆる差異を払った
「人間」「生命」という
原点であり、
この普遍の共通項に
立脚した対話こそ、
迂遠のようであるが、
相互不信から相互理解へ、
分断から結合へ、
反目から友情へと
大きく舵を切る
平和創造の力となる。
胸襟を開いた
語らいによって、
核兵器の廃絶を願う、
素朴な人々の
思いを汲み上げ、
結集していってこそ、
時代を動かす
大きな平和の潮流が
つくられる。
世界の平和とは、
お母さんが
幸福になることである。
一日また一日、
まじめに生き抜く女性が、
一番、幸福を勝ち取って
いくことである。
そのように、
文明の中心軸を
変えていくことが、
広宣流布であり、
立正安国である。
一人一人が、
全世界の平和と
民衆の幸福を成し遂げゆく
「主体者」であり、
「責任者」である。
さあ、共に出発しよう!
我らこそ、
世界平和の先導者なり!
人間と社会の現実に
どこまでも関わり、
人間生命そのものを
変革し、
内なる智慧と慈悲を
開発していく以外に、
真実の平和はない。
そのためにも、
人間革命の宗教が
絶対に必要なのだ。
我らの人間革命の前進が、
戦争と決別し、
生命尊厳の世紀を開く
確かな光明だ。
この大情熱で、
「地涌の陣列」即
「平和の陣列」を
幾重にも拡大して
いこうではないか!
【写真説明】陽光きらめく大海原を、一隻の船が白波を立てて疾走する。1999年(平成11年)2月、池田大作先生が、東京と沖縄間の機内からシャッターを切った。
太平洋戦争で国内最大の地上戦が行われ、多くの尊い命が奪われた沖縄。先生は同月、本部町の沖縄平和記念墓地公園を初訪問し、「永遠平和の碑」の除幕式へ。同碑の前で厳粛に題目を唱え、力強く語った。「もう二度と、沖縄に戦争はない」と。それは"戦争で苦しんだ地を、断じて平和の楽土に"との師子吼であった。
きょうは76回目の「終戦の日」。全ての戦没者に祈りをささげ、不戦の誓いを深める日である。
我らの誓願の地区こそ
生命蘇生のオアシス
地域活性の電源地なり。
「能く能く語り給い候へ」
座談会から勝利の光を!
2021年8月23日
日女御前御返事 P1243
『爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉る』
【通解】
ここに日蓮は、どういう不思議であろうか、竜樹、天親等、天台、妙楽等でさえ顕されなかった大曼陀羅を、末法に入って二百余年を経たこの時に、初めて、法華弘通の旗印として顕し申し上げたのである。
名字の言 東京パラリンピックが、あす開幕 2021年8月23日
東京パラリンピックが、あす開幕する。開会に先立ち、都内で行われた聖火の点火セレモニーには、神奈川の未来部員も参加した▼彼は生まれつき両太ももと、右腕の二の腕から先がない三肢欠損の障がいがある。困難に負けない心を培おうと、父の勧めで水泳を始めた。パラリンピック出場を目標に親子で努力を重ね、全国大会で金メダルを受賞。パリ大会の期待の星として注目される▼先日、彼は地域の創価ファミリー大会で登壇。応援してくれる同志に「障がいを乗り越えて頑張っている人のために、祈りを込めて聖火をつなぎたい」と決意を述べた▼障がい者スイマーといえば、日本オリンピック委員会会長を務めた古橋廣之進氏がいる。事故で左手中指の先を失ったハンディを克服し、世界新記録を連発。「フジヤマのトビウオ」とたたえられた。氏は生前、本紙で語っている。ハンディがあったから「"人より努力しなくては絶対ダメだ"という強い思いが、いつも自分にあった」。偉業を成し遂げられたのは"世界を見据え、常に記録を狙ったから"と▼試練に負けず大いなる目標に向かって進む人には、成長と歓喜がある。我らも"広布と人生の金メダル"を目指し、自己新記録の拡大に挑みたい。
寸鉄 2021年8月23日
学会員には一人を大切にする心が—教授。仏法の魂ここに。誠実な振舞を
苦労して戦った分、福運の地盤に変わるんだよ—恩師。試練の今がその時
芸術こそ人々を結ぶ力—詩人。東京富士美、来館者900万人。確かな平和貢献
些細な会話でも孤立感を癒やす効果と。近隣の絆は希薄化。声掛けを益々
防災対策、何もしてないが半数—調査。避難経路の確認等、できる事から
〈社説〉 2021・8・23 あすは本紙の「創刊原点の日」
◇希望を紡ぐ「人間の機関紙」
「三大発明」といえば、ヨーロッパのルネサンス期における火薬・羅針盤・活版印刷術を指す。いずれも中国が起源だが、欧州で改良され、普及した。特にグーテンベルクが発明した活版印刷は、人々の生活に大きな影響を与えた。
それまでの書物は手書きで、部数も限られていたため、一部の特権階級の所有物だった。だが、印刷という方法によって、誰もが知識を得やすくなった。
そして今、インターネットやSNSが普及し、情報量は膨大になった。しかし、それに伴って根拠なきデマや中傷も増大した。正確かつ有益な情報はもとより、混迷の時代だからこそ、勇気と希望に満ちた言葉が必要であろう。
ロシアの文豪ドストエフスキーは論じた。「勇気と美しい生涯の実例は、スキャンダルや醜悪な事件より、百倍も大きな利益を社会に貢献するのではなかろうか」(米川正夫訳『ドストエーフスキイ全集20』河出書房新社)
池田先生の言葉や同志の体験談など、文豪が洞察した"人間のもつ偉大な力"の「実例」をつづってきたのが、聖教新聞である。
あす24日は本紙の「創刊原点の日」。1950年(昭和25年)の8月24日、戸田先生と池田先生が機関紙創刊の構想を語り合った。この師弟の語らいが淵源となり、翌年4月、聖教新聞は産声を上げた。
以来、本紙は「人間の機関紙」として発展。本年4月には創刊70周年を迎え、大文字化やカラー紙面の倍増など、読みやすいよう工夫を重ねてきた。聖教電子版は現在、210カ国・地域からアクセスがあり、時代に応じた"価値創造の歩み"を続ける。
30年以上にわたり、本紙を愛読する友人が語っていた。「一般紙が社会や経済を切り口として"小さな人間"を報道しているのに対し、聖教新聞は"一人の人間がいかに偉大であるか"ということを教えてくれます」
こうした読者をはじめ、「無冠の友」(配達員)、通信員、新聞長ら本紙を支えてくださる全ての方々に感謝は尽きない。
かつて池田先生はつづった。「一つ一つ、『活字』として厳然と残していく。必ず、それが人類の精神遺産を豊かにし、未来への光になると確信するからだ」と。
師の思いを胸に、聖教新聞はこれからも、人間主義の言論で未来への希望を紡ぎ出していく。
☆四季の励まし 舵を切れ 生命尊厳の時代に 2021年8月15日
◇池田先生の言葉
宗教者が返るべきは、
あらゆる差異を払った
「人間」「生命」という
原点であり、
この普遍の共通項に
立脚した対話こそ、
迂遠のようであるが、
相互不信から相互理解へ、
分断から結合へ、
反目から友情へと
大きく舵を切る
平和創造の力となる。
胸襟を開いた
語らいによって、
核兵器の廃絶を願う、
素朴な人々の
思いを汲み上げ、
結集していってこそ、
時代を動かす
大きな平和の潮流が
つくられる。
世界の平和とは、
お母さんが
幸福になることである。
一日また一日、
まじめに生き抜く女性が、
一番、幸福を勝ち取って
いくことである。
そのように、
文明の中心軸を
変えていくことが、
広宣流布であり、
立正安国である。
一人一人が、
全世界の平和と
民衆の幸福を成し遂げゆく
「主体者」であり、
「責任者」である。
さあ、共に出発しよう!
我らこそ、
世界平和の先導者なり!
人間と社会の現実に
どこまでも関わり、
人間生命そのものを
変革し、
内なる智慧と慈悲を
開発していく以外に、
真実の平和はない。
そのためにも、
人間革命の宗教が
絶対に必要なのだ。
我らの人間革命の前進が、
戦争と決別し、
生命尊厳の世紀を開く
確かな光明だ。
この大情熱で、
「地涌の陣列」即
「平和の陣列」を
幾重にも拡大して
いこうではないか!
【写真説明】陽光きらめく大海原を、一隻の船が白波を立てて疾走する。1999年(平成11年)2月、池田大作先生が、東京と沖縄間の機内からシャッターを切った。
太平洋戦争で国内最大の地上戦が行われ、多くの尊い命が奪われた沖縄。先生は同月、本部町の沖縄平和記念墓地公園を初訪問し、「永遠平和の碑」の除幕式へ。同碑の前で厳粛に題目を唱え、力強く語った。「もう二度と、沖縄に戦争はない」と。それは"戦争で苦しんだ地を、断じて平和の楽土に"との師子吼であった。
きょうは76回目の「終戦の日」。全ての戦没者に祈りをささげ、不戦の誓いを深める日である。
2021年8月22日日曜日
2021.08.22 わが友に贈る
未来部は一人ももれなく
「法華経の命を継ぐ人」。
君にしか果たせない
偉大な使命がある!
信心根本に勉学第一で!
法門申さるべき様の事 P1268
『総じて日蓮が弟子は京にのぼりぬれば始はわすれぬやうにて後には天魔つきて物にくるうせう房がごとし、わ御房もそれていになりて天のにくまれかほるな。のぼりていくばくもなきに実名をかうるでう物くるわし、定めてことばつき音なんども京なめりになりたるらん、ねずみがかわほりになりたるやうに鳥にもあらずねずみにもあらず田舎法師にもあらず京法師にもにずせう房がやうになりぬとをぼゆ、言をば但いなかことばにてあるべしなかなかあしきやうにて有るなり』
【通解】
総じて日蓮の弟子は京に上ると、初めのうちは(初心を)忘れないようであるが、後になると天魔がついて正気を失ってしまう。少輔房のようなものである。三位房、あなたもそのような姿になって諸天に憎まれないようになさい。京に上って、いくらも経ってないのに、実名を変えたということであるが、狂っている。きっと言葉つきや発音なども、京なまりになったことであろう。ねずみがこうもりになったように、鳥でもなくねずみでもなく、田舎法師でもなく京(みやこ)法師にも似ていず、少輔房のようになってしまったと思われる。言葉は、ただ田舎言葉でいるがよい。(どっちつかずなのは)かえって見苦しいものである。
名字の言 徹底して"猫の立場"に立つ動物写真家 2021年8月22日
自分も猫になったような気分になる。東京富士美術館で開催中の写真展「岩合光昭の世界ネコ歩き」を見た▼動物写真家の岩合さんは、徹底して"猫の立場"に立つ。猫が嫌がることは決してしない。猫と目線を合わせるため、地べたに這いつくばってカメラを向ける。「ネコが主人公なのだから、ネコの立場になって考える」ことが信条という(『ネコを撮る』朝日新書)。同じ目線に立つことの重要性は人間同士も同じ。まして上下関係になりがちな大人と子どもであれば、なおさらだ▼本紙を愛読してくださるある教育者は、池田先生が子どもと向き合う姿を収めた写真を見るたびに感銘を深くするという。「膝を折って子どもの目の高さに合わせておられる。子どもより低い時もある。子どもを尊敬しているからこそ、自然とあのような振る舞いになるのでしょう」▼御書には「鏡に向って礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり」(769ページ)と。尊敬は尊敬を生み、軽蔑は軽蔑を生む。子どもと思って下に見てはならない。後継者の育成といっても、その根本は相手を「宝の人」と見ることだろう▼「未来部躍進月間」(31日まで)も大詰め。学会創立100周年の主人公たちと成長の夏の総仕上げを!
寸鉄 2021年8月22日
まず勝つと決める事だよ—戸田先生。さあ下半期。皆で必勝の祈り合わせて
御書「弱兵を先んずれば強敵倍力を得る」。幹部が勇敢に拡大へ!範示す時
一日を短き一生と見よ—内村鑑三。栄光の未来は今の勝利に。挑戦の魂で
心の健康保つ鍵は人との交流—研究。会えずとも電話・オンライン上手に
妊婦の接種は時期問わず勧めると医学会。命守る選択を。嘘に惑わされず
☆学ぼう「黄金柱の誉れ」Q&A 第18回 率先垂範の使命
今月24日は、池田先生の入信74周年の記念日であり、「壮年部の日」です。私たち壮年部の使命について、壮年部指導集『黄金柱の誉れ』から池田先生の指導を紹介します(指導集140ページから143ページを抜粋)。
●率先垂範の使命
〈広宣流布の「柱」〉
広宣流布という壮大なる建築の柱は壮年であると、伸一は確信していた。日蓮大聖人の時代、在家の中心となって活躍していたのは、いずれも壮年信徒であるからだ。
たとえば、鎌倉の中心人物であった四条金吾が、竜の口の法難で、殉死の覚悟で大聖人のお供をしたのは、四十歳ごろである。そして、極楽寺良観の信奉者であった主君の江間氏を折伏し、所領を没収されるなどの迫害が打ち続くなか、果敢に戦い抜いたのは、四十代半ばからである。(中略)
この壮年たちが、今こそ立ち上がろうと、勇猛果敢に戦い、同志を励ましていったからこそ、大法難のなかでも確信の柱を得て、多くの人びとが、信仰を貫き通せたにちがいない。
壮年がいれば、皆が安心する。壮年が立てば、皆が勇気を燃え上がらせる。
壮年の存在は重い。その力はあまりにも大きい。
(小説『新・人間革命』第10巻「桂冠」)
〈笑顔と安心を届ける存在〉
我ら創価家族には、世界一の太陽の母たちと共に、何と頼もしい「おやじさん」「おじさん」が光っていることか。
大切な同志のため、宿縁の地域の方々のため、仕事で疲れていても、一軒また一軒と歩き、笑顔と安心を届けてくれる。
とりわけ、支部長、地区部長、ブロック長をはじめ、最前線の壮年リーダーたちが、広宣流布という民衆の安全地帯の拡大をいかに担い、支えてくださっているか。(中略)
万事において体当たりで苦難と戦い、「信心即生活」「仏法即社会」の道を切り開いているのが、わが壮年部の戦友たちなのである。
(『随筆 民衆凱歌の大行進』)
〈地域に励ましのネットワークを〉
壮年は、一家の大黒柱である。社会の黄金柱である。人生経験が豊富で、社会の信頼を勝ち取ってきた壮年が、地域建設に立ち上がる時、広宣流布は大きく加速していく。
日蓮大聖人御在世当時を見ても、富木常忍、大田乗明、曾谷教信らの壮年信徒が、門下の中心となり、地域広布を担ってきた。
壮年が、率先垂範で広宣流布を推進していってこそ、学会の重厚な力が発揮され、社会に深く根差した運動を展開していくことができるのだ。たとえば、学会の最前線組織である各ブロックに壮年の精鋭五人が集い、団結のスクラムを築くならば、地域を支える堅固な新しい柱が立つ。その柱が林立すれば、地域社会に、未来を開く創造と励ましのネットワークを広げることができよう。
(小説『新・人間革命』第28巻「広宣譜」)
「法華経の命を継ぐ人」。
君にしか果たせない
偉大な使命がある!
信心根本に勉学第一で!
法門申さるべき様の事 P1268
『総じて日蓮が弟子は京にのぼりぬれば始はわすれぬやうにて後には天魔つきて物にくるうせう房がごとし、わ御房もそれていになりて天のにくまれかほるな。のぼりていくばくもなきに実名をかうるでう物くるわし、定めてことばつき音なんども京なめりになりたるらん、ねずみがかわほりになりたるやうに鳥にもあらずねずみにもあらず田舎法師にもあらず京法師にもにずせう房がやうになりぬとをぼゆ、言をば但いなかことばにてあるべしなかなかあしきやうにて有るなり』
【通解】
総じて日蓮の弟子は京に上ると、初めのうちは(初心を)忘れないようであるが、後になると天魔がついて正気を失ってしまう。少輔房のようなものである。三位房、あなたもそのような姿になって諸天に憎まれないようになさい。京に上って、いくらも経ってないのに、実名を変えたということであるが、狂っている。きっと言葉つきや発音なども、京なまりになったことであろう。ねずみがこうもりになったように、鳥でもなくねずみでもなく、田舎法師でもなく京(みやこ)法師にも似ていず、少輔房のようになってしまったと思われる。言葉は、ただ田舎言葉でいるがよい。(どっちつかずなのは)かえって見苦しいものである。
名字の言 徹底して"猫の立場"に立つ動物写真家 2021年8月22日
自分も猫になったような気分になる。東京富士美術館で開催中の写真展「岩合光昭の世界ネコ歩き」を見た▼動物写真家の岩合さんは、徹底して"猫の立場"に立つ。猫が嫌がることは決してしない。猫と目線を合わせるため、地べたに這いつくばってカメラを向ける。「ネコが主人公なのだから、ネコの立場になって考える」ことが信条という(『ネコを撮る』朝日新書)。同じ目線に立つことの重要性は人間同士も同じ。まして上下関係になりがちな大人と子どもであれば、なおさらだ▼本紙を愛読してくださるある教育者は、池田先生が子どもと向き合う姿を収めた写真を見るたびに感銘を深くするという。「膝を折って子どもの目の高さに合わせておられる。子どもより低い時もある。子どもを尊敬しているからこそ、自然とあのような振る舞いになるのでしょう」▼御書には「鏡に向って礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり」(769ページ)と。尊敬は尊敬を生み、軽蔑は軽蔑を生む。子どもと思って下に見てはならない。後継者の育成といっても、その根本は相手を「宝の人」と見ることだろう▼「未来部躍進月間」(31日まで)も大詰め。学会創立100周年の主人公たちと成長の夏の総仕上げを!
寸鉄 2021年8月22日
まず勝つと決める事だよ—戸田先生。さあ下半期。皆で必勝の祈り合わせて
御書「弱兵を先んずれば強敵倍力を得る」。幹部が勇敢に拡大へ!範示す時
一日を短き一生と見よ—内村鑑三。栄光の未来は今の勝利に。挑戦の魂で
心の健康保つ鍵は人との交流—研究。会えずとも電話・オンライン上手に
妊婦の接種は時期問わず勧めると医学会。命守る選択を。嘘に惑わされず
☆学ぼう「黄金柱の誉れ」Q&A 第18回 率先垂範の使命
今月24日は、池田先生の入信74周年の記念日であり、「壮年部の日」です。私たち壮年部の使命について、壮年部指導集『黄金柱の誉れ』から池田先生の指導を紹介します(指導集140ページから143ページを抜粋)。
●率先垂範の使命
〈広宣流布の「柱」〉
広宣流布という壮大なる建築の柱は壮年であると、伸一は確信していた。日蓮大聖人の時代、在家の中心となって活躍していたのは、いずれも壮年信徒であるからだ。
たとえば、鎌倉の中心人物であった四条金吾が、竜の口の法難で、殉死の覚悟で大聖人のお供をしたのは、四十歳ごろである。そして、極楽寺良観の信奉者であった主君の江間氏を折伏し、所領を没収されるなどの迫害が打ち続くなか、果敢に戦い抜いたのは、四十代半ばからである。(中略)
この壮年たちが、今こそ立ち上がろうと、勇猛果敢に戦い、同志を励ましていったからこそ、大法難のなかでも確信の柱を得て、多くの人びとが、信仰を貫き通せたにちがいない。
壮年がいれば、皆が安心する。壮年が立てば、皆が勇気を燃え上がらせる。
壮年の存在は重い。その力はあまりにも大きい。
(小説『新・人間革命』第10巻「桂冠」)
〈笑顔と安心を届ける存在〉
我ら創価家族には、世界一の太陽の母たちと共に、何と頼もしい「おやじさん」「おじさん」が光っていることか。
大切な同志のため、宿縁の地域の方々のため、仕事で疲れていても、一軒また一軒と歩き、笑顔と安心を届けてくれる。
とりわけ、支部長、地区部長、ブロック長をはじめ、最前線の壮年リーダーたちが、広宣流布という民衆の安全地帯の拡大をいかに担い、支えてくださっているか。(中略)
万事において体当たりで苦難と戦い、「信心即生活」「仏法即社会」の道を切り開いているのが、わが壮年部の戦友たちなのである。
(『随筆 民衆凱歌の大行進』)
〈地域に励ましのネットワークを〉
壮年は、一家の大黒柱である。社会の黄金柱である。人生経験が豊富で、社会の信頼を勝ち取ってきた壮年が、地域建設に立ち上がる時、広宣流布は大きく加速していく。
日蓮大聖人御在世当時を見ても、富木常忍、大田乗明、曾谷教信らの壮年信徒が、門下の中心となり、地域広布を担ってきた。
壮年が、率先垂範で広宣流布を推進していってこそ、学会の重厚な力が発揮され、社会に深く根差した運動を展開していくことができるのだ。たとえば、学会の最前線組織である各ブロックに壮年の精鋭五人が集い、団結のスクラムを築くならば、地域を支える堅固な新しい柱が立つ。その柱が林立すれば、地域社会に、未来を開く創造と励ましのネットワークを広げることができよう。
(小説『新・人間革命』第28巻「広宣譜」)
2021年8月21日土曜日
2021.08.21 わが友に贈る
「陰徳あれば陽報あり」
人知れぬ労苦を重ね
わが責任を果たし抜く。
この地道な実践に
大福運が積まれる!
妙心尼御前御返事 P1480
『一切の病の中には五逆罪と一闡提と謗法をこそおもき病とは仏はいたませ給へ今の日本国の人は一人もなく極大重病あり所謂大謗法の重病なり』
【通解】
また一切の病のなかでは、五逆罪と一闡提と謗法をこそ重病であると仏は心を痛められています。今の日本国の人は、一人も残らず、極大重病の人です。いわゆる大謗法の重病です。
名字の言 「寝ていても団扇の動く親心」——親子の縁に思う 2021年8月21日
江戸川柳に「寝ていても団扇の動く親心」と。酷暑でエアコンが欠かせない現代人にも響くものがあるに違いない。疲れて体は寝入っても"寝苦しくないか""虫に刺されはしまいか"と、心が子から離れることはない。親とはそういうものだろう▼ある研究によると、西暦2000年までに生まれた人間の総数は、試算で1120億人余りだという。ならば、その中で親子になるという出来事は"奇跡"ともいえよう▼ある女性部員は、長女がダウン症と診断された。当初、母となった彼女は悲嘆に暮れる月日だった。だが、ゆっくりでも確かな成長を刻み、生きる手応えを伝えてくる娘の姿に強く誓った。"大切な命を守り抜く。その尊い行為に自分の命を使う"と▼あれから40年。この間、彼女は娘を立派に育てながら、学会のリーダーを務めた。さらに数々のボランティア活動を国内外で展開した。わが子の命を守ると決めた使命は、周囲や世界の人々を守り支えるまでに広がった▼池田先生は「子どもが、自分に、そしてまた家族に、最高の生き方へと進むきっかけを与えてくれるのです」と語る。ならば、親子の縁は奇跡や偶然と言うだけでは片付けられない。幸福の人生を築くための深い宿縁である。
寸鉄 2021年8月21日
確信のあるところ必ず勇気に満ちる—恩師。今日も勝つとの祈りから出発
副役職者が元気な地区は広布が伸展。一人立つ友の結合が最強の団結なり
「四表の静謐を祷らん者か」御書。社会の安穏へ立正安国の対話に邁進!
変異株、職場でも窓を開け送風機での換気等を—医師。更に念入りに対策
川の事故、複数人でいる時に多数発生。「誰かが見ている」との油断は禁物
〈社説〉 2021・8・21 "育自日記"ポエム編から
◇子育ての日常に幸せを再発見
"育児は育自"をテーマにした読者投稿コーナーが、本紙教育欄で20年を超え続いている。
子育ては大人が子どもに一方的に教える関係ではなく、大人が子どもから教わることもたくさんある。育児は大人自身を育てる"育自"にもつながっている。その気付きを得た読者からの投稿は、切り取る日常が変わっても、昔も今も本質は変わらない。
先日、同欄の新企画として、子どもや家族との触れ合いを詠んだ「詩」を募集したところ、担当者の予想を超える数の作品が届いた。詩を作ろうと意識することで、子どもの言動の面白さに敏感になり、ともすれば密着した親子関係で起こりがちなイライラが軽減されることもある。出来上がった作品は、将来、子どもに贈るプレゼントにもなろう。
すでに紹介された作品には——「もっとしゃべることができたら/私は不安にならずにすむの?/もっと寝てくれたら/私は自由になれるの?」と子育ての葛藤の「渦中」をつぶさに表現したもの。「『ごめんねは?』/小さなあなたに/何回叱って/何回言わせた言葉でしょう/そんな私を許してくれていたのは/あなただったことに/今ごろ気付いているのです」と、子どもへの感謝が綴られたものもあった。
早速、読者から「世界中、暗いニュースばかりの中、心の汚れを落としてくれるすてきな詩だった」などの感想が寄せられた。
子育て真っ最中は無我夢中。一刻も早く手が掛からなくなってほしい、もっと自由な時間がほしいと願うこともある。けれども、「後で振り返ると、大変と思う時が、一番充実していた」との視点を自らの言葉で綴った読者の投稿は多い。改めて幸せとは、遠い先にあるのではなく、懸命に励む日々の中にこそあると教えられる。
育児の周辺にいる大人の言葉育てに携わってきた詩人・エッセイストの浜文子さんは、「聖教新聞の読者は、人生の意味を自身に問い掛け、真剣に生きている方が多いからこそ、日常の生活から表現のもととなるたくさんの気付きを得られるのでしょう」と語っていた。
詩の素材と同じように、幸せのもとは、普段の日常に無数に隠れているもの。その"財宝"を言葉の力で見つけ出す一助を本紙で担えれば幸いだ。
☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第10回 ジョセフ・ロートブラット
〈ロートブラット〉
使命を果たすには、あまりにも
なすべきことが多くありすぎて
とても疲れている暇はない。
1945年8月、世界は第2次大戦の終戦を迎えた。だが、その後も軍拡競争が続き、人類の危機は続いていた。
こうした流れに警鐘を鳴らすため、57年、核兵器と戦争の廃絶を目指す科学者の組織「パグウォッシュ会議」が発足する。その中心者の一人が「行動する科学者」として名高いジョセフ・ロートブラット博士である。
「使命を果たすには、あまりにもなすべきことが多くありすぎて、とても疲れている暇などなかったのです」
そう語る博士が、96年の生涯の大半を「平和闘争」に捧げるきっかけとなったのは、幼少期の戦争体験である。
生まれはポーランドのワルシャワ。比較的裕福な家庭で育ったが、その生活は5歳の時に起きた第1次世界大戦によって一変してしまう。家業が壊滅的な打撃を受け、一家は日々の食事にも事欠くほど、苦しい状況に追い込まれた。悲惨な現実を前に「戦争は絶対悪」との気持ちを強く刻み付けたという。
幼い心に希望の光を与えたのは空想科学小説だった。月旅行や海底旅行など、本の中に広がる、夢のような別世界。科学への興味をかき立てられたロートブラット少年は思った。"もし科学に力があるなら、なぜこの空想小説が作り話で終わる必要があるのだろうか。科学者になって、人々の苦しみを解決し、戦争なき世界をつくりたい"
しかし科学者になる道は、容易ではなかった。高校に行く必要があっても、家庭には学費を払う余裕がない。それでも逆境に屈せず、昼は電気技師として働き、夜は本を読み、物理学の勉強に励んだ。その努力が実を結び、夜間コースのあるポーランド自由大学に入学する。
そこで師となるヴェルテンステイン博士と出会い、物理学・核物理学の知識や、科学に対する基本的な考え方を学ぶ。「人間として尊敬できる師を持てたことは、本当に幸せなことでした」
やがて学位を取得。ここから本格的な「科学の旅」「平和の旅」が開始されたのである。
〈ロートブラット〉
池に小石を投げれば波紋が
広がるように、どんな人にも
社会や物事を変えていく力がある。
1939年、ロートブラット博士はトーラ夫人をワルシャワに残し、イギリスのリバプール大学に留学する。語学などの苦労は多かったが、核物理学の研究が評価され、新たな奨学金の支給が決定。夫人を呼び寄せるために一時帰国した。
ところが、夫婦で出国しようとした矢先、夫人が虫垂炎に。博士だけが先にイギリスに戻った。ナチス・ドイツがポーランドに侵攻したのは、その2日後のことである。夫人はホロコーストの犠牲となり、再び二人が出会うことはなかった。
長く、深い悲しみが博士を襲った。その中でも増していく戦争の脅威。やがて博士は、核物理学に詳しい一人として、アメリカの原子爆弾開発を目的とした「マンハッタン計画」に参加する。"もしもドイツが先に原爆を持てば、恐ろしいことになる"。葛藤の末の結論だった。
その後、ドイツが製造しないことが分かり、目的がソ連を抑え込むことであるとの情報を得た博士は、ただ一人、計画を離脱する。"ソ連のスパイ"と疑われ、事実無根の中傷を浴びても、自らの良心に従った。
しかし、残る科学者たちによってマンハッタン計画は進められ、45年8月、広島と長崎に原爆が投下されてしまう。
「私の心をその時、占めていたものは、『絶望』でした」
一報を聞いた博士は、言葉に尽くせぬ衝撃を受けた。同時に「核兵器の開発競争」が始まるとの危機感を抱く。責任を痛感し、誓った。「人生の残りを核爆弾が二度と使われないようにすることに捧げよう」
科学者が連帯し、人類の滅亡をもたらす兵器の開発を防がねばならないとの強い使命感で、46年に「原子力科学者協会」を設立。また、核の恐怖を伝える展示会の開催に精力を注いだ。自身の研究も核物理学から放射線医療へと転向している。
55年には、核兵器の禁止を訴える「ラッセル=アインシュタイン宣言」に、著名な科学者らの一人として署名。この2年後、宣言に基づき「パグウォッシュ会議」が創設された。
博士は、人生の最後の瞬間まで平和のために戦い続けた。その理由を次のように語る。
「私は民衆が、社会に影響を与える力を持っていると信じます。どんな努力も無駄にはならない。池に小石を投げれば波紋が広がります」「そして、どんな人にも、社会を変えていく、この波紋を生み出す力がある。私たち一人ひとりには、ものごとを変える力があります」
〈ロートブラット博士を語る池田先生〉
巨大な凶器を根絶するための
武器は「言葉」だけだった。
仏法も「声仏事を為す」と説く。
我らも「声」「言葉」「対話」で
正義と幸福を拡大していくのだ。
ロートブラット博士がマンハッタン計画を離脱した1944年の11月。日本では、創価の先師・牧口常三郎先生が獄中で正義の殉教を遂げた。
パグウォッシュ会議が発足された57年は、くしくも恩師・戸田城聖先生が「原水爆禁止宣言」を発表した年でもある。
初代・2代の平和の精神を受け継ぐ池田大作先生と博士が最初の出会いを結んだのは、89年10月11日。場所は、池田先生が若き日に権力との人権闘争を貫いた大阪の地であった。
2度目の語らいは2000年2月10日、悲惨な地上戦の舞台となった沖縄で。翌日は、戸田先生の生誕100周年。その佳節に当たり、池田先生が創立した戸田記念国際平和研究所から博士に「戸田記念平和学賞」が授与された。
この折、博士は語っている。「私は疲れることを、自分に許さないのです」と。平和の松明を赤々と燃やし、翌年には開学間もないアメリカ創価大学で記念講演を実施。「9・11」のテロ事件の余波が続く中、青年たちの未来に心から期待を寄せた。
さらに、池田先生と博士は往復書簡を通じて対話を重ね、対談集『地球平和への探究』(潮出版社)を発刊。その推敲作業の一切を終えた05年8月、「行動する科学者」は96年の尊い生涯を閉じた。それは、広島・長崎への原爆投下から60年という節目の時でもあった。
「世界平和」という大目的で結ばれた博士との親交を振り返り、先生は広布へ戦う同志の魂を鼓舞してきた。
「博士は、みずからも製造にいったんはかかわった『核兵器』という巨大な凶器の根絶のために戦い続けた。その戦う"武器"は、何であったか。博士は述懐しておられた。(中略)
『私たちの武器は、人間同士の理性に基づく討議によって導かれる「言葉」だけでした。その言葉をもって相手を説得する。それが、私たちが続けてきた平和運動の根幹だったのです』
仏法でも、『声仏事を為す』(御書708ページ)と説かれる。『声』の力で、『言葉』の力で、『対話』の力で、正義と幸福を拡大していくのだ」(05年9月12日、各部代表協議会でのスピーチ)
「博士は、私にこう語ってくださった。『楽観主義は、私の倫理です。それは宗教ではありませんが、あなたの宗教に似ているかもしれません。私と池田会長は、異なる立場から出発して、同じ結論に達しました』
人類の幸福と平和への戦いは、暗く悲壮なものでは絶対にない。ここには、正義を行っているという不動の信念と輝く希望があるからだ。(中略)
険難の峰に挑んで流した、苦闘の汗も涙も、すべて充実の喜びと変わる。見よ! 広宣流布の栄光の未来は、燦たる光に包まれ、洋々と広がっている。
さあ、新たな快進撃だ! 朗らかに進もう! どこまでも、またいつまでも!」(本紙05年9月27日付「随筆 人間世紀の光」)
終戦から76年となる夏。平和原点の地・広島をはじめ、創価の友が流す労苦の汗は、全てが未来の幸福勝利の因となる。
人知れぬ労苦を重ね
わが責任を果たし抜く。
この地道な実践に
大福運が積まれる!
妙心尼御前御返事 P1480
『一切の病の中には五逆罪と一闡提と謗法をこそおもき病とは仏はいたませ給へ今の日本国の人は一人もなく極大重病あり所謂大謗法の重病なり』
【通解】
また一切の病のなかでは、五逆罪と一闡提と謗法をこそ重病であると仏は心を痛められています。今の日本国の人は、一人も残らず、極大重病の人です。いわゆる大謗法の重病です。
名字の言 「寝ていても団扇の動く親心」——親子の縁に思う 2021年8月21日
江戸川柳に「寝ていても団扇の動く親心」と。酷暑でエアコンが欠かせない現代人にも響くものがあるに違いない。疲れて体は寝入っても"寝苦しくないか""虫に刺されはしまいか"と、心が子から離れることはない。親とはそういうものだろう▼ある研究によると、西暦2000年までに生まれた人間の総数は、試算で1120億人余りだという。ならば、その中で親子になるという出来事は"奇跡"ともいえよう▼ある女性部員は、長女がダウン症と診断された。当初、母となった彼女は悲嘆に暮れる月日だった。だが、ゆっくりでも確かな成長を刻み、生きる手応えを伝えてくる娘の姿に強く誓った。"大切な命を守り抜く。その尊い行為に自分の命を使う"と▼あれから40年。この間、彼女は娘を立派に育てながら、学会のリーダーを務めた。さらに数々のボランティア活動を国内外で展開した。わが子の命を守ると決めた使命は、周囲や世界の人々を守り支えるまでに広がった▼池田先生は「子どもが、自分に、そしてまた家族に、最高の生き方へと進むきっかけを与えてくれるのです」と語る。ならば、親子の縁は奇跡や偶然と言うだけでは片付けられない。幸福の人生を築くための深い宿縁である。
寸鉄 2021年8月21日
確信のあるところ必ず勇気に満ちる—恩師。今日も勝つとの祈りから出発
副役職者が元気な地区は広布が伸展。一人立つ友の結合が最強の団結なり
「四表の静謐を祷らん者か」御書。社会の安穏へ立正安国の対話に邁進!
変異株、職場でも窓を開け送風機での換気等を—医師。更に念入りに対策
川の事故、複数人でいる時に多数発生。「誰かが見ている」との油断は禁物
〈社説〉 2021・8・21 "育自日記"ポエム編から
◇子育ての日常に幸せを再発見
"育児は育自"をテーマにした読者投稿コーナーが、本紙教育欄で20年を超え続いている。
子育ては大人が子どもに一方的に教える関係ではなく、大人が子どもから教わることもたくさんある。育児は大人自身を育てる"育自"にもつながっている。その気付きを得た読者からの投稿は、切り取る日常が変わっても、昔も今も本質は変わらない。
先日、同欄の新企画として、子どもや家族との触れ合いを詠んだ「詩」を募集したところ、担当者の予想を超える数の作品が届いた。詩を作ろうと意識することで、子どもの言動の面白さに敏感になり、ともすれば密着した親子関係で起こりがちなイライラが軽減されることもある。出来上がった作品は、将来、子どもに贈るプレゼントにもなろう。
すでに紹介された作品には——「もっとしゃべることができたら/私は不安にならずにすむの?/もっと寝てくれたら/私は自由になれるの?」と子育ての葛藤の「渦中」をつぶさに表現したもの。「『ごめんねは?』/小さなあなたに/何回叱って/何回言わせた言葉でしょう/そんな私を許してくれていたのは/あなただったことに/今ごろ気付いているのです」と、子どもへの感謝が綴られたものもあった。
早速、読者から「世界中、暗いニュースばかりの中、心の汚れを落としてくれるすてきな詩だった」などの感想が寄せられた。
子育て真っ最中は無我夢中。一刻も早く手が掛からなくなってほしい、もっと自由な時間がほしいと願うこともある。けれども、「後で振り返ると、大変と思う時が、一番充実していた」との視点を自らの言葉で綴った読者の投稿は多い。改めて幸せとは、遠い先にあるのではなく、懸命に励む日々の中にこそあると教えられる。
育児の周辺にいる大人の言葉育てに携わってきた詩人・エッセイストの浜文子さんは、「聖教新聞の読者は、人生の意味を自身に問い掛け、真剣に生きている方が多いからこそ、日常の生活から表現のもととなるたくさんの気付きを得られるのでしょう」と語っていた。
詩の素材と同じように、幸せのもとは、普段の日常に無数に隠れているもの。その"財宝"を言葉の力で見つけ出す一助を本紙で担えれば幸いだ。
☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第10回 ジョセフ・ロートブラット
〈ロートブラット〉
使命を果たすには、あまりにも
なすべきことが多くありすぎて
とても疲れている暇はない。
1945年8月、世界は第2次大戦の終戦を迎えた。だが、その後も軍拡競争が続き、人類の危機は続いていた。
こうした流れに警鐘を鳴らすため、57年、核兵器と戦争の廃絶を目指す科学者の組織「パグウォッシュ会議」が発足する。その中心者の一人が「行動する科学者」として名高いジョセフ・ロートブラット博士である。
「使命を果たすには、あまりにもなすべきことが多くありすぎて、とても疲れている暇などなかったのです」
そう語る博士が、96年の生涯の大半を「平和闘争」に捧げるきっかけとなったのは、幼少期の戦争体験である。
生まれはポーランドのワルシャワ。比較的裕福な家庭で育ったが、その生活は5歳の時に起きた第1次世界大戦によって一変してしまう。家業が壊滅的な打撃を受け、一家は日々の食事にも事欠くほど、苦しい状況に追い込まれた。悲惨な現実を前に「戦争は絶対悪」との気持ちを強く刻み付けたという。
幼い心に希望の光を与えたのは空想科学小説だった。月旅行や海底旅行など、本の中に広がる、夢のような別世界。科学への興味をかき立てられたロートブラット少年は思った。"もし科学に力があるなら、なぜこの空想小説が作り話で終わる必要があるのだろうか。科学者になって、人々の苦しみを解決し、戦争なき世界をつくりたい"
しかし科学者になる道は、容易ではなかった。高校に行く必要があっても、家庭には学費を払う余裕がない。それでも逆境に屈せず、昼は電気技師として働き、夜は本を読み、物理学の勉強に励んだ。その努力が実を結び、夜間コースのあるポーランド自由大学に入学する。
そこで師となるヴェルテンステイン博士と出会い、物理学・核物理学の知識や、科学に対する基本的な考え方を学ぶ。「人間として尊敬できる師を持てたことは、本当に幸せなことでした」
やがて学位を取得。ここから本格的な「科学の旅」「平和の旅」が開始されたのである。
〈ロートブラット〉
池に小石を投げれば波紋が
広がるように、どんな人にも
社会や物事を変えていく力がある。
1939年、ロートブラット博士はトーラ夫人をワルシャワに残し、イギリスのリバプール大学に留学する。語学などの苦労は多かったが、核物理学の研究が評価され、新たな奨学金の支給が決定。夫人を呼び寄せるために一時帰国した。
ところが、夫婦で出国しようとした矢先、夫人が虫垂炎に。博士だけが先にイギリスに戻った。ナチス・ドイツがポーランドに侵攻したのは、その2日後のことである。夫人はホロコーストの犠牲となり、再び二人が出会うことはなかった。
長く、深い悲しみが博士を襲った。その中でも増していく戦争の脅威。やがて博士は、核物理学に詳しい一人として、アメリカの原子爆弾開発を目的とした「マンハッタン計画」に参加する。"もしもドイツが先に原爆を持てば、恐ろしいことになる"。葛藤の末の結論だった。
その後、ドイツが製造しないことが分かり、目的がソ連を抑え込むことであるとの情報を得た博士は、ただ一人、計画を離脱する。"ソ連のスパイ"と疑われ、事実無根の中傷を浴びても、自らの良心に従った。
しかし、残る科学者たちによってマンハッタン計画は進められ、45年8月、広島と長崎に原爆が投下されてしまう。
「私の心をその時、占めていたものは、『絶望』でした」
一報を聞いた博士は、言葉に尽くせぬ衝撃を受けた。同時に「核兵器の開発競争」が始まるとの危機感を抱く。責任を痛感し、誓った。「人生の残りを核爆弾が二度と使われないようにすることに捧げよう」
科学者が連帯し、人類の滅亡をもたらす兵器の開発を防がねばならないとの強い使命感で、46年に「原子力科学者協会」を設立。また、核の恐怖を伝える展示会の開催に精力を注いだ。自身の研究も核物理学から放射線医療へと転向している。
55年には、核兵器の禁止を訴える「ラッセル=アインシュタイン宣言」に、著名な科学者らの一人として署名。この2年後、宣言に基づき「パグウォッシュ会議」が創設された。
博士は、人生の最後の瞬間まで平和のために戦い続けた。その理由を次のように語る。
「私は民衆が、社会に影響を与える力を持っていると信じます。どんな努力も無駄にはならない。池に小石を投げれば波紋が広がります」「そして、どんな人にも、社会を変えていく、この波紋を生み出す力がある。私たち一人ひとりには、ものごとを変える力があります」
〈ロートブラット博士を語る池田先生〉
巨大な凶器を根絶するための
武器は「言葉」だけだった。
仏法も「声仏事を為す」と説く。
我らも「声」「言葉」「対話」で
正義と幸福を拡大していくのだ。
ロートブラット博士がマンハッタン計画を離脱した1944年の11月。日本では、創価の先師・牧口常三郎先生が獄中で正義の殉教を遂げた。
パグウォッシュ会議が発足された57年は、くしくも恩師・戸田城聖先生が「原水爆禁止宣言」を発表した年でもある。
初代・2代の平和の精神を受け継ぐ池田大作先生と博士が最初の出会いを結んだのは、89年10月11日。場所は、池田先生が若き日に権力との人権闘争を貫いた大阪の地であった。
2度目の語らいは2000年2月10日、悲惨な地上戦の舞台となった沖縄で。翌日は、戸田先生の生誕100周年。その佳節に当たり、池田先生が創立した戸田記念国際平和研究所から博士に「戸田記念平和学賞」が授与された。
この折、博士は語っている。「私は疲れることを、自分に許さないのです」と。平和の松明を赤々と燃やし、翌年には開学間もないアメリカ創価大学で記念講演を実施。「9・11」のテロ事件の余波が続く中、青年たちの未来に心から期待を寄せた。
さらに、池田先生と博士は往復書簡を通じて対話を重ね、対談集『地球平和への探究』(潮出版社)を発刊。その推敲作業の一切を終えた05年8月、「行動する科学者」は96年の尊い生涯を閉じた。それは、広島・長崎への原爆投下から60年という節目の時でもあった。
「世界平和」という大目的で結ばれた博士との親交を振り返り、先生は広布へ戦う同志の魂を鼓舞してきた。
「博士は、みずからも製造にいったんはかかわった『核兵器』という巨大な凶器の根絶のために戦い続けた。その戦う"武器"は、何であったか。博士は述懐しておられた。(中略)
『私たちの武器は、人間同士の理性に基づく討議によって導かれる「言葉」だけでした。その言葉をもって相手を説得する。それが、私たちが続けてきた平和運動の根幹だったのです』
仏法でも、『声仏事を為す』(御書708ページ)と説かれる。『声』の力で、『言葉』の力で、『対話』の力で、正義と幸福を拡大していくのだ」(05年9月12日、各部代表協議会でのスピーチ)
「博士は、私にこう語ってくださった。『楽観主義は、私の倫理です。それは宗教ではありませんが、あなたの宗教に似ているかもしれません。私と池田会長は、異なる立場から出発して、同じ結論に達しました』
人類の幸福と平和への戦いは、暗く悲壮なものでは絶対にない。ここには、正義を行っているという不動の信念と輝く希望があるからだ。(中略)
険難の峰に挑んで流した、苦闘の汗も涙も、すべて充実の喜びと変わる。見よ! 広宣流布の栄光の未来は、燦たる光に包まれ、洋々と広がっている。
さあ、新たな快進撃だ! 朗らかに進もう! どこまでも、またいつまでも!」(本紙05年9月27日付「随筆 人間世紀の光」)
終戦から76年となる夏。平和原点の地・広島をはじめ、創価の友が流す労苦の汗は、全てが未来の幸福勝利の因となる。
2021年8月20日金曜日
2021.08.20 わが友に贈る
5教学実力試験に挑戦する
智勇兼備の学生部よ!
剣豪の修行の如き鍛錬で
「行学の二道」を邁進!
民衆を守る英知の人に。
椎地四郎殿御書 P1448
『僧も俗も尼も女も一句をも人にかたらん人は如来の使と見えたり』
【通解】
僧も俗も尼も女も、一句でも他人に語る人は如来の使いである。
名字の言 どこで人と「差」がつくのか——男子マラソン・大迫選手 2021年8月20日
「誇れるレースができた。そのことが僕にとっては何事にもかえがたい勝利」とは、東京五輪の男子マラソンで6位入賞を果たした大迫傑選手の言葉。終盤の激走に、胸を熱くした人も多かっただろう▼長年、トップランナーとして活躍するが"僕よりも速い選手はいくらでもいた"と大迫選手。では、どこで差がつくのか。その理由を"自分がダメな時に頑張れるかどうか"と語る▼ライバル同士で互いに頑張っている時は、差はつきにくい。違いが生まれるのは、故障や不調の時。彼はどんな状態であっても"練習しない日"をつくらなかったという。「いつもと同じことはできないかもしれない。でもその中で、今の自分ができる範囲の努力をし続けること」と記す(『走って、悩んで、見つけたこと。』文藝春秋)▼感染症の再拡大や、長引く豪雨への警戒が続く。マラソンでいえば、霧で先の見えない中を走っているようなもの。だがそんな時こそ、足元を見つめ、知恵を湧かせ、自らの歩みを止めないことが大切だろう▼仏法は「現当二世」と説く。「今」の生き方が「過去」を意味あるものにし、「未来」を決定づける。「月月・日日に」(御書1190ページ)との心で、今日なすべきことに全力を尽くしたい。
寸鉄 2021年8月20日
「一流は皆、迅速だ」恩師。戦いは先手必勝。幹部率先で走り激励の大波を!
「意が声とあらはる」御書祈りを込めた声は必ず届く。粘り強い語らいこそ
夏休み明けは子の不登校増加。休み中も小さなSOS見逃さぬよう傾聴を
歩きスマホの危険性は想像以上—識者。重大事故多し。少しだけが命取り
首都圏の感染者の95%がデルタ株と。侮らず"しく"恐れ基本対策順守
☆池田華陽会御書30編 研さんのために 乙御前御消息
◇「勇気」が青春勝利を開く
今月は「乙御前御消息」を学びます。池田先生はつづられました。
「『乙御前の母』が、どれほど真剣に信心に励んできたか。それは、大聖人が全て御照覧です。しかし、幼き乙御前を抱え、逆境の中にいることは変わりません。そこで、大聖人は励まされています」「今こそ、もう一重、深く、強く、勇気を奮い起こしなさい。必ず大きく打開できるのです、との大激励です。この今一重深きに就く勇気の継承者こそ、わが『従藍而青』の青年たちであります」
日蓮大聖人が、乱世を生き抜く女性門下に示された「今一重」との勇気の信心を学び、日々、自分らしく「人間革命」の勝利劇をつづっていきましょう。
◇本抄について
本抄は、建治元年(1275年)8月、日蓮大聖人が身延で認められました。あて名は「乙御前」ですが、内容は乙御前の母に対して送られたものです。
乙御前の母は鎌倉の門下で、夫と離別し、幼い娘を一人で育てながら、純粋な信心を貫きました。大聖人の佐渡流罪中には、遠路はるばる佐渡へ足を運び、大聖人から「日妙聖人」という最高の称号を贈られています。
本抄の御執筆当時、再びの蒙古襲来の可能性に世間は騒然としていました。しかしこの時も、乙御前の母は求道の心で大聖人のおられる身延を訪れます。
本抄は、大聖人が、一点の迷いもなく師弟共戦を貫く、女性門下の「幸福」と「勝利」を心から願い、いよいよ強盛に信心に励むよう呼び掛けられたお手紙です。
◇御文
『是は御ために申すぞ古への御心ざし申す計りなし・其よりも今一重強盛に御志あるべし、其の時は弥弥十羅刹女の御まほりも・つよかるべしと・おぼすべし、例には他を引くべからず、日蓮をば日本国の上一人より下万民に至るまで一人もなくあやまたんと・せしかども・今までかうて候事は一人なれども心のつよき故なるべしと・おぼすべし』(1220ページ10行目〜13行目)
◇通解
これは、あなたのために申すのである。あなたの前々からの御志は立派であり、とても言い尽くせない。しかし今、それよりもなお一重強盛な信心の御志に立ちなさい。その時はいよいよ十羅刹女の守りも強くなるのだと思いなさい。
その例は他から引くには及ばない。この日蓮を日本国の上一人より下万民に至るまで、一切の人々が害しようとしたが、今までこうして無事に生きていられることは、日蓮は一人であっても、法華経を信ずる心が強いゆえである(だから諸天の守りも強い)と確信していきなさい。
◇解説
妙法には、計り知れない力があります。それを最大に引き出すものは、自らの強き「信心」です。
日蓮大聖人は本抄で、佐渡へ、身延へと、師匠を求めて訪れた、乙御前の母の信心を称賛され、「必ず諸天善神もお守りになり、十羅刹女も心をかけてくださることでしょう」(御書1220ページ、通解)と励まされます。
さらに、目の前の一人の女性門下を心から尊び、語り掛けるように「法華経は女性のためには、暗い所で灯火となり、海を渡る時に船となり、恐ろしい所では守りとなることを誓っています」(同ページ、通解)とつづられました。
この一節に、大聖人の"あなたが幸せになることは、経文に照らして絶対に間違いない"との大激励のお心が拝されます。仏法は、苦しんでいる人の最大の味方なのです。
続いて、人が生まれた時から左右の肩に付き添い、常にその行動を、交互に天に報告するといわれる「同生天・同名天」の働きを通し、誠実で真面目な信心の実践を、誰が見ていなくとも、諸天善神がすべて承知していることを示されます。
さらに妙楽大師の言葉を引用され、「心の固き」(同ページ)、すなわち、信心の強い人、広宣流布への心が固い人に、諸天善神の守護は、必ず強く現れることを述べられました。
そして掲げた御文では、"これはあなたのために申し上げるのです"と前置きをされ、まず、これまでの乙御前の母の信心を、改めて心からたたえられます。
その上で、あえて「今一重強盛に御志あるべし」と仰せです。いかなる時にも"もう一重"と、深き誓いを込めて祈り、前進する「勇気の信心」に、諸天善神の守護は、いよいよ厳然と現れるのです。
続く「例には他を引くべからず」では、「心の固き」信心で、妙法を実践してきたのは、大聖人御自身であることを教えられています。
そして、これまで命に及ぶ大難に遭われながらも、全て勝ち越えてこられた理由を「心のつよき故なるべし」と仰せです。
すなわち、"信心が強かったゆえである"と明かされ、門下にも、師と同じ「勇気の信心」で、断じて幸福になり、勝利していくことを呼び掛けられました。
私たちは「信行学」の実践を根本に、師弟不二の信心を磨き、青春勝利を開いていきましょう!
◇池田先生の指針から
因果の理法は厳正です。
仏法の世界に、小才や要領は通用しません。地道に取り組んだことは全部、わが身の福徳の果報となって戻ります。真面目に戦った人は、絶対に守られます。真剣な人は、必ず報われます。(中略)
私自身、戸田先生のもとで一切の陰の戦いをやり抜きました。(中略)
現在の私の一切は、戸田先生をお護りし抜いた福徳の果報であると、断言できます。これが仏法の世界です。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第3巻)
◇ ◆ ◇
大聖人は、たった一人であっても、こうして堂々と勝ってきたのは、「心の強き」ゆえであると結論されています。
この「心の強き」の対極が、「臆病」です。(中略)
臆病に勝ち、深き信心の志に立つことが勇気です。偉大な人生の勇者の道です。(中略)
「勇気ある信心」、それ自体が、仏界に通じます。我ら創価の師弟は、永遠に、この「勇気の力」をもって戦い、勝っていくのです。(『わが愛する青年に贈る』)
研さんのために
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第3巻(聖教新聞社)
○…『わが愛する青年に贈る』(同)
智勇兼備の学生部よ!
剣豪の修行の如き鍛錬で
「行学の二道」を邁進!
民衆を守る英知の人に。
椎地四郎殿御書 P1448
『僧も俗も尼も女も一句をも人にかたらん人は如来の使と見えたり』
【通解】
僧も俗も尼も女も、一句でも他人に語る人は如来の使いである。
名字の言 どこで人と「差」がつくのか——男子マラソン・大迫選手 2021年8月20日
「誇れるレースができた。そのことが僕にとっては何事にもかえがたい勝利」とは、東京五輪の男子マラソンで6位入賞を果たした大迫傑選手の言葉。終盤の激走に、胸を熱くした人も多かっただろう▼長年、トップランナーとして活躍するが"僕よりも速い選手はいくらでもいた"と大迫選手。では、どこで差がつくのか。その理由を"自分がダメな時に頑張れるかどうか"と語る▼ライバル同士で互いに頑張っている時は、差はつきにくい。違いが生まれるのは、故障や不調の時。彼はどんな状態であっても"練習しない日"をつくらなかったという。「いつもと同じことはできないかもしれない。でもその中で、今の自分ができる範囲の努力をし続けること」と記す(『走って、悩んで、見つけたこと。』文藝春秋)▼感染症の再拡大や、長引く豪雨への警戒が続く。マラソンでいえば、霧で先の見えない中を走っているようなもの。だがそんな時こそ、足元を見つめ、知恵を湧かせ、自らの歩みを止めないことが大切だろう▼仏法は「現当二世」と説く。「今」の生き方が「過去」を意味あるものにし、「未来」を決定づける。「月月・日日に」(御書1190ページ)との心で、今日なすべきことに全力を尽くしたい。
寸鉄 2021年8月20日
「一流は皆、迅速だ」恩師。戦いは先手必勝。幹部率先で走り激励の大波を!
「意が声とあらはる」御書祈りを込めた声は必ず届く。粘り強い語らいこそ
夏休み明けは子の不登校増加。休み中も小さなSOS見逃さぬよう傾聴を
歩きスマホの危険性は想像以上—識者。重大事故多し。少しだけが命取り
首都圏の感染者の95%がデルタ株と。侮らず"しく"恐れ基本対策順守
☆池田華陽会御書30編 研さんのために 乙御前御消息
◇「勇気」が青春勝利を開く
今月は「乙御前御消息」を学びます。池田先生はつづられました。
「『乙御前の母』が、どれほど真剣に信心に励んできたか。それは、大聖人が全て御照覧です。しかし、幼き乙御前を抱え、逆境の中にいることは変わりません。そこで、大聖人は励まされています」「今こそ、もう一重、深く、強く、勇気を奮い起こしなさい。必ず大きく打開できるのです、との大激励です。この今一重深きに就く勇気の継承者こそ、わが『従藍而青』の青年たちであります」
日蓮大聖人が、乱世を生き抜く女性門下に示された「今一重」との勇気の信心を学び、日々、自分らしく「人間革命」の勝利劇をつづっていきましょう。
◇本抄について
本抄は、建治元年(1275年)8月、日蓮大聖人が身延で認められました。あて名は「乙御前」ですが、内容は乙御前の母に対して送られたものです。
乙御前の母は鎌倉の門下で、夫と離別し、幼い娘を一人で育てながら、純粋な信心を貫きました。大聖人の佐渡流罪中には、遠路はるばる佐渡へ足を運び、大聖人から「日妙聖人」という最高の称号を贈られています。
本抄の御執筆当時、再びの蒙古襲来の可能性に世間は騒然としていました。しかしこの時も、乙御前の母は求道の心で大聖人のおられる身延を訪れます。
本抄は、大聖人が、一点の迷いもなく師弟共戦を貫く、女性門下の「幸福」と「勝利」を心から願い、いよいよ強盛に信心に励むよう呼び掛けられたお手紙です。
◇御文
『是は御ために申すぞ古への御心ざし申す計りなし・其よりも今一重強盛に御志あるべし、其の時は弥弥十羅刹女の御まほりも・つよかるべしと・おぼすべし、例には他を引くべからず、日蓮をば日本国の上一人より下万民に至るまで一人もなくあやまたんと・せしかども・今までかうて候事は一人なれども心のつよき故なるべしと・おぼすべし』(1220ページ10行目〜13行目)
◇通解
これは、あなたのために申すのである。あなたの前々からの御志は立派であり、とても言い尽くせない。しかし今、それよりもなお一重強盛な信心の御志に立ちなさい。その時はいよいよ十羅刹女の守りも強くなるのだと思いなさい。
その例は他から引くには及ばない。この日蓮を日本国の上一人より下万民に至るまで、一切の人々が害しようとしたが、今までこうして無事に生きていられることは、日蓮は一人であっても、法華経を信ずる心が強いゆえである(だから諸天の守りも強い)と確信していきなさい。
◇解説
妙法には、計り知れない力があります。それを最大に引き出すものは、自らの強き「信心」です。
日蓮大聖人は本抄で、佐渡へ、身延へと、師匠を求めて訪れた、乙御前の母の信心を称賛され、「必ず諸天善神もお守りになり、十羅刹女も心をかけてくださることでしょう」(御書1220ページ、通解)と励まされます。
さらに、目の前の一人の女性門下を心から尊び、語り掛けるように「法華経は女性のためには、暗い所で灯火となり、海を渡る時に船となり、恐ろしい所では守りとなることを誓っています」(同ページ、通解)とつづられました。
この一節に、大聖人の"あなたが幸せになることは、経文に照らして絶対に間違いない"との大激励のお心が拝されます。仏法は、苦しんでいる人の最大の味方なのです。
続いて、人が生まれた時から左右の肩に付き添い、常にその行動を、交互に天に報告するといわれる「同生天・同名天」の働きを通し、誠実で真面目な信心の実践を、誰が見ていなくとも、諸天善神がすべて承知していることを示されます。
さらに妙楽大師の言葉を引用され、「心の固き」(同ページ)、すなわち、信心の強い人、広宣流布への心が固い人に、諸天善神の守護は、必ず強く現れることを述べられました。
そして掲げた御文では、"これはあなたのために申し上げるのです"と前置きをされ、まず、これまでの乙御前の母の信心を、改めて心からたたえられます。
その上で、あえて「今一重強盛に御志あるべし」と仰せです。いかなる時にも"もう一重"と、深き誓いを込めて祈り、前進する「勇気の信心」に、諸天善神の守護は、いよいよ厳然と現れるのです。
続く「例には他を引くべからず」では、「心の固き」信心で、妙法を実践してきたのは、大聖人御自身であることを教えられています。
そして、これまで命に及ぶ大難に遭われながらも、全て勝ち越えてこられた理由を「心のつよき故なるべし」と仰せです。
すなわち、"信心が強かったゆえである"と明かされ、門下にも、師と同じ「勇気の信心」で、断じて幸福になり、勝利していくことを呼び掛けられました。
私たちは「信行学」の実践を根本に、師弟不二の信心を磨き、青春勝利を開いていきましょう!
◇池田先生の指針から
因果の理法は厳正です。
仏法の世界に、小才や要領は通用しません。地道に取り組んだことは全部、わが身の福徳の果報となって戻ります。真面目に戦った人は、絶対に守られます。真剣な人は、必ず報われます。(中略)
私自身、戸田先生のもとで一切の陰の戦いをやり抜きました。(中略)
現在の私の一切は、戸田先生をお護りし抜いた福徳の果報であると、断言できます。これが仏法の世界です。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第3巻)
◇ ◆ ◇
大聖人は、たった一人であっても、こうして堂々と勝ってきたのは、「心の強き」ゆえであると結論されています。
この「心の強き」の対極が、「臆病」です。(中略)
臆病に勝ち、深き信心の志に立つことが勇気です。偉大な人生の勇者の道です。(中略)
「勇気ある信心」、それ自体が、仏界に通じます。我ら創価の師弟は、永遠に、この「勇気の力」をもって戦い、勝っていくのです。(『わが愛する青年に贈る』)
研さんのために
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第3巻(聖教新聞社)
○…『わが愛する青年に贈る』(同)
2021年8月19日木曜日
2021.08.19 わが友に贈る
相手の声に耳を傾け
心ゆくまで語り合う。
この納得と共感から
広布への決意が生まれる。
目の前の一人を大切に!
蓮盛抄 P153
『止観に云く「師に値わざれば邪慧日に増し生死月に甚し稠林に曲木を曵くが如く出づる期有こと無けん」云云』
【通解】
摩訶止観に「師にあわなければ邪な智慧が日ごとに増し、生死の苦しみは月ごとに甚だしい。密林に曲がった木を曳くように、生死の苦しみから出る時期がない」とある。
名字の言 励ましの"時"を逃さず 2021年8月19日
広島県内で高速道路を走行していると、突然の豪雨に見舞われた。13日朝のことだ。サービスエリアに避難した後、道路は封鎖された▼途方に暮れていた時、近くの店の従業員が声を掛けてくれた。「大丈夫ですか」。東京の友人からもSNSで連絡が届いた。「ニュースを見ました。題目を送ります!」。励ましには、直接・間接を問わず"時"こそ肝心なのだと、感謝が込み上げた▼小説『新・人間革命』第16巻「羽ばたき」の章には「昭和四十七年七月豪雨」の場面が描かれている。秋田県では、山本伸一が出席予定だった記念撮影会が安全を考慮して中止に。空いたスケジュールの使い方を幹部が問うと、伸一は答えた。「記念撮影会はなくなったが、私は、秋田へは行きます!」▼「何事にも、時がある。今こそ、生命を削る思いで、秋田の同志を激励すべき時なんです」。44歳の伸一は現地で陣頭指揮を執り、被災した他県の同志にも電報を打った。電光石火の激励に、友は再起を誓った▼各地で観測史上最多の大雨による被害が出ている。直接会いに行くことは危険を伴う場合も。ならば電話やメール、SNSなどで励ましを送りたい。その真心が被災者の勇気を呼び覚まし、復興への一歩となる。
寸鉄 2021年8月19日
「声もをしまず唱うるなり」御書。苦難の時こそ題目。変毒為薬の祈りを
人材は見つけ育てるもの—戸田先生。人材は必ずいる。今日も激励、地道に
未来部の各種コンクール締切迫る。挑戦の心育む夏に。宝の友を皆で応援
高齢者は屋内でも熱中症に注意。水分・塩分補給と空調活用。周囲で声掛け
世界人道デー。生命尊厳、万人平等の思潮を今こ拡大。一対一の対話更に
☆御書カフェ 華陽姉妹の語らい 今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり 2021年8月8日
◇御文
『今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり』(弥三郎殿御返事、1451ページ)
◇通解
自分が今まで生きながらえてきたのは、このことに遭うためである。
◇教えて
大事な「今」を、悔いなく頑張り抜きたいです。
◇池田先生の指導
青春にも、人生にも、正念場があります。勝負所があります。
その時に、負けじ魂を明々と燃やして戦えば、大きな未来が開かれます。勇気があれば、自分で希望を創り出せるのです。
強く朗らかに友と励まし合い、「心の財」を積みながら、勝利の劇を綴りゆこう!(2020・7・15付、「創価新報」掲載の「池田先生が語る青年への指針〈勝ちゆく君へ〉」)
◇ ◆ ◇
私は、恩師・戸田城聖先生の誓いと戦いを、すべて受け継ぎ、一人立ち上がった。
どんな広宣流布の闘争でも、常に先陣を切った。大変なところや、皆が避けるところに、勇んで飛び込んで、勝利の実証を示してきた。ゆえに、何も恐れるものはない。後悔もない。
青年部の諸君は、この誇り高き後継の道を、胸を張って晴れ晴れと進んでいただきたい。そして、「私は勝った! 我らは勝った!」と満天下に言いきれる青春を、勇敢に走りきっていただきたいのだ。(『勝利の人間学』)
☆紙上セミナー 仏法思想の輝き 四国ドクター部長 橋口淑夫
◇地元密着の開業医
四国ドクター部長 橋口淑夫
【プロフィル】はしぐち・よしお 徳島大学医学部を卒業。徳島市内で「橋口内科クリニック」を開業。66歳。1964年(昭和39年)入会。徳島市在住。副圏長。
◇心のこもった医療を
もうすぐ、お盆の時期を迎え、お休みをとる方もいると思います。
しかし、私たちの命を支える心臓には、"休み"がありません。心臓は、1分間に約60〜80回、1日に約10万回、拍動を繰り返して血液を全身に送り続けています。1日に送り出す血液量は、ドラム缶約40本分。重さ200〜300グラム、握りこぶし大の心臓は、とても働きものなのです。
心臓は繊細でもあります。初恋の時のドキドキ感。妻に怒られると分かった時の恐怖感(笑い)——緊張することで自律神経が働くため、鼓動が激しくなります。
そんな心臓にとって、夏の暑さは大敵です。脱水症状によって血栓ができ、心筋梗塞を発症する事例が見受けられます。尿量が少なくなったり、尿の色が濃くなったりしたら、脱水の疑いがあります。
新型コロナウイルスの感染が続く今夏も、マスクを着用するので、熱中症のリスクも高まります。日傘や帽子を積極的に使ったり、水分と塩分を小まめに補給したりするなど、暑さ対策を行いながら、健やかな生活リズムを整えてください。
◇蘇生する力
私が"町のお医者さん"として、生まれ育った地元にクリニックを開業して本年12月で30年。医師を志すきっかけとなったのは、ある開業医の存在でした。
1962年(昭和37年)、自宅で就寝中だった父の容体が急変。深夜にもかかわらず、近所の医師が駆け付けて、懸命に父の治療に当たってくれました。しかし、父は息を引き取ります。享年37。私が7歳の時でした。
その後、父の姉が、弟を亡くした悲しみに暮れる中、創価学会に入会。伯母から折伏されて、私たち一家も信心を始めました。後に母は肝臓を悪くしますが、信心をしていたおかげで明るい家庭に。子どもながらに私は、父の死や母の病もあって、医学に関心をもつようになりました。
そして、父をみとってくれた医師に倣って、"患者さんに寄り添う医師を目指そう"と生きる道を決め、題目を唱えるようになりました。
日蓮大聖人は、「妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり」(御書947ページ)と仰せです。仏法には、人生の苦難を乗り越え、蘇生していく力が脈打っています。病苦と死苦、経済苦にも悩んだわが家でしたが、信心で全てを乗り越え、今があります。
3年前もそうでした。ある冬の朝、妻と一緒に週1日の聖教新聞の配達を終えた時、妻から「車の運転がおかしいよ」と指摘されました。自覚症状はなかったものの、すぐ救急病院を受診すると、脳梗塞が見つかったのです。入院翌日には右手がしびれ、字も書けず、箸も持てなくなるように。
しかし、信心していたからこそ悲観することなく、病に立ち向かえました。同志の励ましもあって、入院を10日間で終え、診療に復帰。受診が遅れていたら、後遺症をもたらしていたかもしれません。
患者の側に立ったことで、医療関係者への感謝を深めるとともに、"心を込めて患者さんに向き合おう"と決意を深める転機になりました。
◇人の輪の中へ
かつて池田先生は、ドクター部へ次の御文を贈ってくださいました。
「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ」(御書1361ページ)
日蓮仏法では、信心の具体的な実践の「行」と、仏法哲理を研さんする「学」を、仏道修行の「両輪」として重んじています。
仏道修行に励むことで、苦しんでいる人の心に寄り添い、励ましを送ることができる——そんな思いでこの御文を拝し、時間をこじ開けるように創価学会の活動に挑戦してきました。
学会の座談会など、人の輪の中に飛び込んで感じるのは、人生の苦悩は多面的ということです。診察室だけでは知り得ない、発見ばかりでした。病を抱えながらも、喜々として「行学の二道」に励む方の信心に触れるたびに、私も勇気づけられました。
中学生だった長男が不登校になった時は、妻と共に真剣に題目を唱え、活動に挑戦。「一番苦しんでいるのは息子なんだ」——そう気付かされ、親として成長することで打開しようと祈りを深めました。乗り越えるまで歩んだ月日は、信心の原点です。
これまでの経験を通して、診察の際は、会話に「間」を置くようにしています。なぜなら患者さんは、言い残したり、聞きそびれたりすることがあるからです。
そして、患者さんが診察室を出る直前の、励ましの一言を大切にしています。たとえ大変な病でも、少しでも明るい気持ちで帰ってもらいたい——そんな思いで診察に励んでいます。
これからも、愛する地域の皆さんが「生きていて良かった」と安心してもらえるよう、心のこもった医療に全力を注いでいきます。
◇[視点]妙法は良薬
創価学会では、条件や環境に左右されることのない、幸福境涯を得ることを信仰の目的にしています。
橋口さんは、「学会員さんは、闘病中も前向きな方が多く、治療経過も良いと感じます」と語っていました。仏法は医学を重んじ、医学を生かしながら病気を治癒しようと考えます。治療の効果を引き出す上で大切なのは、患者自身の生命力です。
日蓮大聖人は、「法華経と申す御経は身心の諸病の良薬なり」(御書1015ページ)と仰せです。「病魔に打ち勝つ」と一念を定めて題目を唱えることで、豊かな生命力をみなぎらせ、病に負けない境涯を築くことができます。"妙法は最高の良薬"なのです。ゆえに、病をも自身の人生を輝かせる宝にしていけるのです。
心ゆくまで語り合う。
この納得と共感から
広布への決意が生まれる。
目の前の一人を大切に!
蓮盛抄 P153
『止観に云く「師に値わざれば邪慧日に増し生死月に甚し稠林に曲木を曵くが如く出づる期有こと無けん」云云』
【通解】
摩訶止観に「師にあわなければ邪な智慧が日ごとに増し、生死の苦しみは月ごとに甚だしい。密林に曲がった木を曳くように、生死の苦しみから出る時期がない」とある。
名字の言 励ましの"時"を逃さず 2021年8月19日
広島県内で高速道路を走行していると、突然の豪雨に見舞われた。13日朝のことだ。サービスエリアに避難した後、道路は封鎖された▼途方に暮れていた時、近くの店の従業員が声を掛けてくれた。「大丈夫ですか」。東京の友人からもSNSで連絡が届いた。「ニュースを見ました。題目を送ります!」。励ましには、直接・間接を問わず"時"こそ肝心なのだと、感謝が込み上げた▼小説『新・人間革命』第16巻「羽ばたき」の章には「昭和四十七年七月豪雨」の場面が描かれている。秋田県では、山本伸一が出席予定だった記念撮影会が安全を考慮して中止に。空いたスケジュールの使い方を幹部が問うと、伸一は答えた。「記念撮影会はなくなったが、私は、秋田へは行きます!」▼「何事にも、時がある。今こそ、生命を削る思いで、秋田の同志を激励すべき時なんです」。44歳の伸一は現地で陣頭指揮を執り、被災した他県の同志にも電報を打った。電光石火の激励に、友は再起を誓った▼各地で観測史上最多の大雨による被害が出ている。直接会いに行くことは危険を伴う場合も。ならば電話やメール、SNSなどで励ましを送りたい。その真心が被災者の勇気を呼び覚まし、復興への一歩となる。
寸鉄 2021年8月19日
「声もをしまず唱うるなり」御書。苦難の時こそ題目。変毒為薬の祈りを
人材は見つけ育てるもの—戸田先生。人材は必ずいる。今日も激励、地道に
未来部の各種コンクール締切迫る。挑戦の心育む夏に。宝の友を皆で応援
高齢者は屋内でも熱中症に注意。水分・塩分補給と空調活用。周囲で声掛け
世界人道デー。生命尊厳、万人平等の思潮を今こ拡大。一対一の対話更に
☆御書カフェ 華陽姉妹の語らい 今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり 2021年8月8日
◇御文
『今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり』(弥三郎殿御返事、1451ページ)
◇通解
自分が今まで生きながらえてきたのは、このことに遭うためである。
◇教えて
大事な「今」を、悔いなく頑張り抜きたいです。
◇池田先生の指導
青春にも、人生にも、正念場があります。勝負所があります。
その時に、負けじ魂を明々と燃やして戦えば、大きな未来が開かれます。勇気があれば、自分で希望を創り出せるのです。
強く朗らかに友と励まし合い、「心の財」を積みながら、勝利の劇を綴りゆこう!(2020・7・15付、「創価新報」掲載の「池田先生が語る青年への指針〈勝ちゆく君へ〉」)
◇ ◆ ◇
私は、恩師・戸田城聖先生の誓いと戦いを、すべて受け継ぎ、一人立ち上がった。
どんな広宣流布の闘争でも、常に先陣を切った。大変なところや、皆が避けるところに、勇んで飛び込んで、勝利の実証を示してきた。ゆえに、何も恐れるものはない。後悔もない。
青年部の諸君は、この誇り高き後継の道を、胸を張って晴れ晴れと進んでいただきたい。そして、「私は勝った! 我らは勝った!」と満天下に言いきれる青春を、勇敢に走りきっていただきたいのだ。(『勝利の人間学』)
☆紙上セミナー 仏法思想の輝き 四国ドクター部長 橋口淑夫
◇地元密着の開業医
四国ドクター部長 橋口淑夫
【プロフィル】はしぐち・よしお 徳島大学医学部を卒業。徳島市内で「橋口内科クリニック」を開業。66歳。1964年(昭和39年)入会。徳島市在住。副圏長。
◇心のこもった医療を
もうすぐ、お盆の時期を迎え、お休みをとる方もいると思います。
しかし、私たちの命を支える心臓には、"休み"がありません。心臓は、1分間に約60〜80回、1日に約10万回、拍動を繰り返して血液を全身に送り続けています。1日に送り出す血液量は、ドラム缶約40本分。重さ200〜300グラム、握りこぶし大の心臓は、とても働きものなのです。
心臓は繊細でもあります。初恋の時のドキドキ感。妻に怒られると分かった時の恐怖感(笑い)——緊張することで自律神経が働くため、鼓動が激しくなります。
そんな心臓にとって、夏の暑さは大敵です。脱水症状によって血栓ができ、心筋梗塞を発症する事例が見受けられます。尿量が少なくなったり、尿の色が濃くなったりしたら、脱水の疑いがあります。
新型コロナウイルスの感染が続く今夏も、マスクを着用するので、熱中症のリスクも高まります。日傘や帽子を積極的に使ったり、水分と塩分を小まめに補給したりするなど、暑さ対策を行いながら、健やかな生活リズムを整えてください。
◇蘇生する力
私が"町のお医者さん"として、生まれ育った地元にクリニックを開業して本年12月で30年。医師を志すきっかけとなったのは、ある開業医の存在でした。
1962年(昭和37年)、自宅で就寝中だった父の容体が急変。深夜にもかかわらず、近所の医師が駆け付けて、懸命に父の治療に当たってくれました。しかし、父は息を引き取ります。享年37。私が7歳の時でした。
その後、父の姉が、弟を亡くした悲しみに暮れる中、創価学会に入会。伯母から折伏されて、私たち一家も信心を始めました。後に母は肝臓を悪くしますが、信心をしていたおかげで明るい家庭に。子どもながらに私は、父の死や母の病もあって、医学に関心をもつようになりました。
そして、父をみとってくれた医師に倣って、"患者さんに寄り添う医師を目指そう"と生きる道を決め、題目を唱えるようになりました。
日蓮大聖人は、「妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり」(御書947ページ)と仰せです。仏法には、人生の苦難を乗り越え、蘇生していく力が脈打っています。病苦と死苦、経済苦にも悩んだわが家でしたが、信心で全てを乗り越え、今があります。
3年前もそうでした。ある冬の朝、妻と一緒に週1日の聖教新聞の配達を終えた時、妻から「車の運転がおかしいよ」と指摘されました。自覚症状はなかったものの、すぐ救急病院を受診すると、脳梗塞が見つかったのです。入院翌日には右手がしびれ、字も書けず、箸も持てなくなるように。
しかし、信心していたからこそ悲観することなく、病に立ち向かえました。同志の励ましもあって、入院を10日間で終え、診療に復帰。受診が遅れていたら、後遺症をもたらしていたかもしれません。
患者の側に立ったことで、医療関係者への感謝を深めるとともに、"心を込めて患者さんに向き合おう"と決意を深める転機になりました。
◇人の輪の中へ
かつて池田先生は、ドクター部へ次の御文を贈ってくださいました。
「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ」(御書1361ページ)
日蓮仏法では、信心の具体的な実践の「行」と、仏法哲理を研さんする「学」を、仏道修行の「両輪」として重んじています。
仏道修行に励むことで、苦しんでいる人の心に寄り添い、励ましを送ることができる——そんな思いでこの御文を拝し、時間をこじ開けるように創価学会の活動に挑戦してきました。
学会の座談会など、人の輪の中に飛び込んで感じるのは、人生の苦悩は多面的ということです。診察室だけでは知り得ない、発見ばかりでした。病を抱えながらも、喜々として「行学の二道」に励む方の信心に触れるたびに、私も勇気づけられました。
中学生だった長男が不登校になった時は、妻と共に真剣に題目を唱え、活動に挑戦。「一番苦しんでいるのは息子なんだ」——そう気付かされ、親として成長することで打開しようと祈りを深めました。乗り越えるまで歩んだ月日は、信心の原点です。
これまでの経験を通して、診察の際は、会話に「間」を置くようにしています。なぜなら患者さんは、言い残したり、聞きそびれたりすることがあるからです。
そして、患者さんが診察室を出る直前の、励ましの一言を大切にしています。たとえ大変な病でも、少しでも明るい気持ちで帰ってもらいたい——そんな思いで診察に励んでいます。
これからも、愛する地域の皆さんが「生きていて良かった」と安心してもらえるよう、心のこもった医療に全力を注いでいきます。
◇[視点]妙法は良薬
創価学会では、条件や環境に左右されることのない、幸福境涯を得ることを信仰の目的にしています。
橋口さんは、「学会員さんは、闘病中も前向きな方が多く、治療経過も良いと感じます」と語っていました。仏法は医学を重んじ、医学を生かしながら病気を治癒しようと考えます。治療の効果を引き出す上で大切なのは、患者自身の生命力です。
日蓮大聖人は、「法華経と申す御経は身心の諸病の良薬なり」(御書1015ページ)と仰せです。「病魔に打ち勝つ」と一念を定めて題目を唱えることで、豊かな生命力をみなぎらせ、病に負けない境涯を築くことができます。"妙法は最高の良薬"なのです。ゆえに、病をも自身の人生を輝かせる宝にしていけるのです。
2021年8月18日水曜日
2021.08.18 わが友に贈る
わが地区を世界一に!
こう心に決めた一人から
広布の大前進は始まる。
皆が主体者の自覚で
大いなる理想へ出発!
法華初心成仏抄 P556
『人に吉と思はれ人の心に随いて貴しと思はれん僧をば法華経のかたき世間の悪知識なりと思うべし』
【通解】
人によく思われ、人の心に従って、皆から貴いと思われているような僧は、法華経の敵であり、世間の悪知識であると思いなさい。
名字の言 学会伝統の人材育成 2021年8月18日
「創価ファミリー大会」が各地で行われている。今月は「未来部躍進月間」。家庭や地域で後継の友を温かく育んでいきたい▼東京・板橋区の集いでは、創価大学1年の男子学生部員が、高等部員時代からの体験を発表した。彼は21歳。高校1年の時に引きこもりになり、通信制高校に転入した。卒業後、公務員試験に挑むも失敗。今年2月、創大を受験するが不合格だった。しかし後日、追加合格の通知が届く▼彼には、創大で学ぶ明確な目的があるわけではなかった。"辞退した方がいいのではないか……"。葛藤する彼の背中を押したのは、地域の壮年部員。「君には使命がある。絶対に行くべきだ」。この一言に勇気を得た彼は今、感謝を胸にはつらつと学業に励む▼使命のない人はいない。誰もが無限の可能性を秘めている。だが、それを自分で信じ切るのは難しい。悩み多き年代であれば、なおさらだ。その心に寄り添い、不安を払う確信の言葉がどれほど大きな力になるか▼池田先生が創大生に贈った指針に「労苦と使命の中にのみ 人生の価値は生まれる」と。苦悩の先に使命の道は必ず見えてくる。それを知る先輩が後輩の成長を祈り、エールを送る。ここに学会の人材育成の伝統がある。
寸鉄 2021年8月18日
人の心を動かすのは誠実と熱意—恩師。電話一本、一瞬の出会いも真心込め
栃木県青年部の日。後継の胸に敢闘精神は赤々。勇敢に正義拡大の先駆を
御書「いかなる病さはりをなすべきや」。闘病の友よ負けるな!祈りを強く
やろうと思ったら今すぐ実行せよ—詩人。決意即行動。ここに成長の劇も
夏休みは子どものゲーム依存に注意。親子で規則決めを。話し合い大切に
〈社説〉 2021・8・18 "札幌・夏の陣"から66年
◇立正安国は目の前の一人から
東京五輪では、札幌市の大通公園を発着点にマラソンと競歩が行われた。この札幌を舞台に、66年前の1955年8月、学会史に輝く広布拡大の歴史が創られた。
若き池田先生と共に、10日間で388世帯という全国一の弘教を成し遂げた"札幌・夏の陣"だ。全国45都市で行われた夏季地方指導で結実した弘教は平均100世帯。その4倍に迫る快挙だった。
先生は友が運転するスクーターの後ろに乗り、市内を走った。走行中、"出会う人が、皆、仏法に縁できるように"と願い、小声で題目を唱え続けた。「弘教は、もうできません」という友には、「弘教は相手への慈悲なのだから、"もうできない"ということはありえません」と励ました。
後に「慈悲の人は、あの人のために何をしてあげたらいいかと、常に心を砕きに砕く。ゆえに、誰も気づかないところにも気づき、皆がうっかり見過ごしてしまうようなところまで、自然に見えてくる」と述懐。未曽有の広布拡大は、どこまでも一人を大切にした、深い慈悲の結実だったのだ。
"388世帯目の入会者"となった女性部の友は当時、多額の借金と病に苦しみ、人生に絶望していた。彼女は、参加した会場で先生の渾身の激励に触れた。「この信心を実践していけば、絶対に幸せになりますよ。一緒にやりましょう」。その揺るぎない確信に胸を打たれ入会。翌年、借金を返済し、病も乗り越えた。以来、「皆にも幸せになってほしい」と、実らせた弘教は77世帯にのぼる。
"目の前の一人を幸せに"と祈り走ったあの夏から66星霜。その魂は今、青年に受け継がれている。札幌の男子部リーダーは、3年前から友人に仏法対話を重ねてきたが、なかなか入会には至らなかった。そんな彼を、先輩が励ました。「本気になって相手の幸福を祈ろう!」。奮起した彼は長年、闘病を続けてきた友人に心から寄り添えるよう真剣に祈り、「一緒に人間革命しよう」と率直に語った。熱い思いは友の心を開き、晴れて入会へ。その後、友人の病状は好転。喜びは大きく広がっている。
御書に「世間のことわざにも一は万が母といへり」(498ページ)と。自らが一人立ち、目の前の一人に誠実に語ることが、社会の変革と世界の平和につながる。
今いる場所から、立正安国へ、希望の号砲を響かせよう。
☆創大通教 夏期スクーリング開講への池田先生のメッセージ
◇皆さんは新時代の先頭を走りゆく価値創造の走者
学問に挑む喜びと誇りに満ちた夏期スクーリング、誠にご苦労さまです。
打ち続く試練にいやまして燃え上がる"学光スピリット"に、私は喝采を送りながら、日本全国、全世界から勇み参加される尊き皆さんの学業成就と健康安穏、全日程の無事進行を真剣に祈念しております。
どうか聡明に、体調や生活リズムを整え、信頼する教員の先生方、職員の方々とともに、最高に充実した向学の夏を勝ち飾ってください。
思えば1976年、わが創大が通信教育部を創設した当時、日本で通教を行っている大学は10校ほどでありました。45年を経て、現在は約80大学・大学院にまで増加しています。
人生100年時代を迎え、たゆまず、しなやかに学び続けながら、激動の社会に価値を創造しゆく英知を、皆がいよいよ求めています。
わが創大通教の皆さんこそ、民衆の連帯に立脚しつつ、新時代の先頭を走りゆく、価値創造の走者なりと胸を張っていただきたいのであります。
世界で最大級となるインドの通信制大学では、優に300万人を超える方々が学んでいます。
"教育の力"で伸びゆく精神の大国・インド——その基礎を築いた哲人指導者が、ジャワハルラル・ネルー初代首相です。
ネルー首相は独立闘争の中で、9回、延べ約9年の月日の投獄を耐え抜いた闘士です。その間、愛娘に手紙を通し、人類の歴史を教え励ましています。それは、さながら父からの"通信教育"でありました。
その手紙にはつづられています。「知恵がどこにやどっているにしろ、まだそこにはもっと多くの知恵をいれるすきまがあり、それ以上もう場所がないなどということがあるはずはない」そして「勇敢でありなさい。そうすればほかのことは、それにつれて自然に道がひらけてくるものだ」と(J・ネルー『父が子に語る世界歴史』大山聰訳、みすず書房)。
人間の知恵に限界はありません。勇気をもって磨けば磨くほどに、「学の光」は一段と輝きを放ち、混迷を深める社会の闇を赫々と照らし晴らしていくことでありましょう。
わが恩師・戸田先生は「強き生命力と、たくましき智慧とによって、わが人生を自在にリードして、自他共の幸福を創りゆけ」と叫ばれました。
無限の使命と可能性を抱いた"学光王者"である皆さんが、生き生きと栄光勝利の峰へ、前進されゆくことを心から願ってやみません。
猛暑の折、無理なく水分と休憩、睡眠を十分に取りながらの探究であってください。ご家族の方々にも、どうかくれぐれもよろしくお伝えください。
こう心に決めた一人から
広布の大前進は始まる。
皆が主体者の自覚で
大いなる理想へ出発!
法華初心成仏抄 P556
『人に吉と思はれ人の心に随いて貴しと思はれん僧をば法華経のかたき世間の悪知識なりと思うべし』
【通解】
人によく思われ、人の心に従って、皆から貴いと思われているような僧は、法華経の敵であり、世間の悪知識であると思いなさい。
名字の言 学会伝統の人材育成 2021年8月18日
「創価ファミリー大会」が各地で行われている。今月は「未来部躍進月間」。家庭や地域で後継の友を温かく育んでいきたい▼東京・板橋区の集いでは、創価大学1年の男子学生部員が、高等部員時代からの体験を発表した。彼は21歳。高校1年の時に引きこもりになり、通信制高校に転入した。卒業後、公務員試験に挑むも失敗。今年2月、創大を受験するが不合格だった。しかし後日、追加合格の通知が届く▼彼には、創大で学ぶ明確な目的があるわけではなかった。"辞退した方がいいのではないか……"。葛藤する彼の背中を押したのは、地域の壮年部員。「君には使命がある。絶対に行くべきだ」。この一言に勇気を得た彼は今、感謝を胸にはつらつと学業に励む▼使命のない人はいない。誰もが無限の可能性を秘めている。だが、それを自分で信じ切るのは難しい。悩み多き年代であれば、なおさらだ。その心に寄り添い、不安を払う確信の言葉がどれほど大きな力になるか▼池田先生が創大生に贈った指針に「労苦と使命の中にのみ 人生の価値は生まれる」と。苦悩の先に使命の道は必ず見えてくる。それを知る先輩が後輩の成長を祈り、エールを送る。ここに学会の人材育成の伝統がある。
寸鉄 2021年8月18日
人の心を動かすのは誠実と熱意—恩師。電話一本、一瞬の出会いも真心込め
栃木県青年部の日。後継の胸に敢闘精神は赤々。勇敢に正義拡大の先駆を
御書「いかなる病さはりをなすべきや」。闘病の友よ負けるな!祈りを強く
やろうと思ったら今すぐ実行せよ—詩人。決意即行動。ここに成長の劇も
夏休みは子どものゲーム依存に注意。親子で規則決めを。話し合い大切に
〈社説〉 2021・8・18 "札幌・夏の陣"から66年
◇立正安国は目の前の一人から
東京五輪では、札幌市の大通公園を発着点にマラソンと競歩が行われた。この札幌を舞台に、66年前の1955年8月、学会史に輝く広布拡大の歴史が創られた。
若き池田先生と共に、10日間で388世帯という全国一の弘教を成し遂げた"札幌・夏の陣"だ。全国45都市で行われた夏季地方指導で結実した弘教は平均100世帯。その4倍に迫る快挙だった。
先生は友が運転するスクーターの後ろに乗り、市内を走った。走行中、"出会う人が、皆、仏法に縁できるように"と願い、小声で題目を唱え続けた。「弘教は、もうできません」という友には、「弘教は相手への慈悲なのだから、"もうできない"ということはありえません」と励ました。
後に「慈悲の人は、あの人のために何をしてあげたらいいかと、常に心を砕きに砕く。ゆえに、誰も気づかないところにも気づき、皆がうっかり見過ごしてしまうようなところまで、自然に見えてくる」と述懐。未曽有の広布拡大は、どこまでも一人を大切にした、深い慈悲の結実だったのだ。
"388世帯目の入会者"となった女性部の友は当時、多額の借金と病に苦しみ、人生に絶望していた。彼女は、参加した会場で先生の渾身の激励に触れた。「この信心を実践していけば、絶対に幸せになりますよ。一緒にやりましょう」。その揺るぎない確信に胸を打たれ入会。翌年、借金を返済し、病も乗り越えた。以来、「皆にも幸せになってほしい」と、実らせた弘教は77世帯にのぼる。
"目の前の一人を幸せに"と祈り走ったあの夏から66星霜。その魂は今、青年に受け継がれている。札幌の男子部リーダーは、3年前から友人に仏法対話を重ねてきたが、なかなか入会には至らなかった。そんな彼を、先輩が励ました。「本気になって相手の幸福を祈ろう!」。奮起した彼は長年、闘病を続けてきた友人に心から寄り添えるよう真剣に祈り、「一緒に人間革命しよう」と率直に語った。熱い思いは友の心を開き、晴れて入会へ。その後、友人の病状は好転。喜びは大きく広がっている。
御書に「世間のことわざにも一は万が母といへり」(498ページ)と。自らが一人立ち、目の前の一人に誠実に語ることが、社会の変革と世界の平和につながる。
今いる場所から、立正安国へ、希望の号砲を響かせよう。
☆創大通教 夏期スクーリング開講への池田先生のメッセージ
◇皆さんは新時代の先頭を走りゆく価値創造の走者
学問に挑む喜びと誇りに満ちた夏期スクーリング、誠にご苦労さまです。
打ち続く試練にいやまして燃え上がる"学光スピリット"に、私は喝采を送りながら、日本全国、全世界から勇み参加される尊き皆さんの学業成就と健康安穏、全日程の無事進行を真剣に祈念しております。
どうか聡明に、体調や生活リズムを整え、信頼する教員の先生方、職員の方々とともに、最高に充実した向学の夏を勝ち飾ってください。
思えば1976年、わが創大が通信教育部を創設した当時、日本で通教を行っている大学は10校ほどでありました。45年を経て、現在は約80大学・大学院にまで増加しています。
人生100年時代を迎え、たゆまず、しなやかに学び続けながら、激動の社会に価値を創造しゆく英知を、皆がいよいよ求めています。
わが創大通教の皆さんこそ、民衆の連帯に立脚しつつ、新時代の先頭を走りゆく、価値創造の走者なりと胸を張っていただきたいのであります。
世界で最大級となるインドの通信制大学では、優に300万人を超える方々が学んでいます。
"教育の力"で伸びゆく精神の大国・インド——その基礎を築いた哲人指導者が、ジャワハルラル・ネルー初代首相です。
ネルー首相は独立闘争の中で、9回、延べ約9年の月日の投獄を耐え抜いた闘士です。その間、愛娘に手紙を通し、人類の歴史を教え励ましています。それは、さながら父からの"通信教育"でありました。
その手紙にはつづられています。「知恵がどこにやどっているにしろ、まだそこにはもっと多くの知恵をいれるすきまがあり、それ以上もう場所がないなどということがあるはずはない」そして「勇敢でありなさい。そうすればほかのことは、それにつれて自然に道がひらけてくるものだ」と(J・ネルー『父が子に語る世界歴史』大山聰訳、みすず書房)。
人間の知恵に限界はありません。勇気をもって磨けば磨くほどに、「学の光」は一段と輝きを放ち、混迷を深める社会の闇を赫々と照らし晴らしていくことでありましょう。
わが恩師・戸田先生は「強き生命力と、たくましき智慧とによって、わが人生を自在にリードして、自他共の幸福を創りゆけ」と叫ばれました。
無限の使命と可能性を抱いた"学光王者"である皆さんが、生き生きと栄光勝利の峰へ、前進されゆくことを心から願ってやみません。
猛暑の折、無理なく水分と休憩、睡眠を十分に取りながらの探究であってください。ご家族の方々にも、どうかくれぐれもよろしくお伝えください。
2021年8月17日火曜日
2021.08.17 わが友に贈る
御聖訓「ちかいし願
やぶるべからず」
自らの誓願を果たしゆく
真剣な祈りを根本に
立正安国の秋へ進もう!
日興遺誡置文 P1618
『一、当門流に於ては御書を心肝に染め極理を師伝して若し間有らば台家を聞く可き事。』
【通解】
日興門流においては、御書を肝心に染め、極理を師から受け伝えて、その上で、もしいとまがあるならば、天台の法門を学ぶべきである。
名字の言 雑踏の中でも聞き分けられる「声」 2021年8月17日
雑踏の中にいても聞き分けられる「声」がある。それは声の主が身近な家族や親しい友人の場合が多い。耳にさまざまな音が飛び込んできても、その声に反応し、意識が向くのはなぜか▼"聞き慣れた声"ということも重要な要素だろう。だがそれ以上に、声を発した人の人間性を含めた自分との関係が大きく影響しているように思う。人には忘れられない瞬間がある。自分が励まされたり、勇気づけられたりした時のことを思い出すと、心によみがえるのは、活字化された言葉ではなく、相手の"声"である▼大雨による各地の被害に心を痛め、テレビから目が離せない日が続いている。あるアナウンサーが視聴者に呼び掛けていた。「離れて住む家族などの声掛けで助かった例もあります」▼報道では「どこで災害が起きてもおかしくない。最大級の警戒を」と繰り返し訴えている。その上で、私たちの声で救い、守れる人がきっといる▼池田先生は、こう述べる。「人の『生きる力』を引き出した分だけ、自分の『生きる力』も増していく。人の生命を拡大してあげた分だけ、自分の生命も拡大する。これが菩薩道の妙です。『利他』と『自利』の一致です」と。自分の命と、大切な人の命を守ることは同じだ。
寸鉄 2021年8月17日
SUAに21期生が入学。21世紀は君の舞台。学び抜き人類貢献の指導者と
文芸部結成の日。正義の為、民衆の為に!勇気の言論で混迷社会に希望を
妙法で人間革命できる。故に決意と実践だ—戸田先生。今日も地道に前へ
各地で長引く大雨被害。被災された皆様に心からお見舞い。引き続き警戒
社会的孤立は認知症や鬱の一因と。進んで絆結ぶ学会こそ地域の安全地帯
☆桂冠詩人40周年 勇気の舞 凱歌の行進 第1回 東北
本年は、「桂冠詩人」の称号が池田先生に贈られてから40周年。連載企画「勇気の舞 凱歌の行進」では、先生がつづった長編詩を紹介します。第1回は、東北の同志に詠んだ「みちのくの幸の光彩」(1988年)です。
◇雄弁は「金」 沈黙は「銀」
私は詠んだ
「人材の城を築けと決意ます
恩師の去りし青葉に立つれば」
東北に贈った指針も
恩師の心を東北の地に
刻んでおきたかったからだ
"広布の総仕上げは東北健児の手で"
また
"人材の牙城・東北たれ"と
◆◇◆
あなたたちは
持ち前の粘りと忍耐で
「冬は必ず春」の御金言を抱きしめ
あらゆる障害を幸福への試練とし
雄々しく乗り越えてきた
それら無名の庶民の
信仰凱歌の無数の軌跡
それは まさに
民衆の
民衆による
民衆のための時代を開く
地を這うが如き尊き戦いであった
ああ——
愛する君たちよ
尊い みちのくの友
かけがえのない我が同志よ
◆◇◆
君たちよ
明朗の人は
愚痴と悲哀から踵を返し
常に 太陽を仰ぎゆく
向日性こそ 彼の誇るべき象徴だ
明朗の人の周りには
いつも 喜びと笑いの輪が
幾重にも 幾次元にも
広がり 連なっていく
そして 明朗の人は
涌き出ずる歓喜をば言葉に託し
降魔伏惑の大言論戦の
先駆の栄誉を担い 進む
雄弁は金 沈黙は銀なりと
◆◇◆
明るく 愉快に
そして一歩 また一歩と
"さあ すばらしき光彩を見たまえ"と
朗らかに 朗らかに
スクラムも固く
前進を開始してもらいたい
私は 君たちを信じている
私は 君たちを待っている
いま 世界の人々が
東北を見つめている
東北にあこがれている
東北には
真の「平和」がある
真の「人間」がいる
真の厚き「友情」があると
東北の発展を
世界の人々が祈っている
☆Switch——共育のまなざし 「思春期」の子どもとどう向き合うか
7月24日付の「Switch——共育のまなざし」では、三重県の伊賀市、名張市の創価家族を紹介しました。取材の際、「子育てで一番悩んだのは、いつでしたか」との質問に、「わが子が思春期に入った時でした」と振り返った保護者は少なくありません。そこで今回は、かつて池田先生が創価の教育者や女性リーダーと「思春期」を巡って語り合った内容から、励ましの言葉を抜粋して紹介します。(編集・構成=大宮将之)
◇"一人の大人"と見る
<親から見て「素直」で「かわいい」と思っていたわが子が突然、言うことを聞かなくなる。「うるさいな!」と口答えをしたり、イライラした気持ちをぶつけてきたり、普段の会話すらままならなくなったりする——そんな"大きな変化"に直面した時、親としてどう向き合えばいいのか。池田先生は語ります>
思春期は「第2の誕生」とも言われるほど、人生の重要な局面と言える。子どもから大人へと「自立」していく「親離れ」の時期です。子どもたちが自我の独立を求めて、いわば"独立宣言"をする第2次反抗期の時でもある。
感受性はひときわ強くなる。自意識が強くなって周囲に敏感になる。容赦のない批判力で大人を観察し(笑い)、失望や不満をいだく。親にはあまり心を開かなくなる(笑い)。こうした時期に大切なことは、思春期や反抗期の特徴を、親や周囲の人がよく理解したうえで、いたずらに紛動されないで、見守ってあげることです。
また、子どもを「一人の大人」として認め、"人生の先輩"として接していくことです。間違っても、「子ども」と見るようなことがあってはならない。反抗期は、あって当然なのです。
◇親も教師も「勇気をもって耐える期間」
いずれにしても、反抗するのは、子どもが健全に成長している証拠です。だれもが必ず通らねばならない、いわば"はしか"のようなものです。大人と子どもが同居している複雑さもある。一時的で、衝動的な反抗も多い。
今までのわが子と急に違ってしまうと、親は戸惑って右往左往してしまいがちです。慌ててしまう。反抗期だからといって、腫れ物にさわるような特別扱いもよくない。
それよりも、こうした経験をした子のほうが、人間としては太くたくましくなっていくのだ、ととらえるくらいの大らかさがあっていい。反抗期を経験しない。怒鳴られたり怒鳴ったり、失敗の経験もない。これでは、社会に出てから思いどおりにいかない状況に直面したり、荒波を受けた時に、立ち直れないような深刻なダメージを受けかねません。
その意味では反抗期は、親も教師も「勇気をもって耐える期間」ですね。
◇等身大の愛情で
<思春期の子どもたちは周囲の友達やメディアから新しい情報をどんどん吸収し、価値観も大きく変化していきます。価値観の違いで親とぶつかる場面も増えるでしょう>
子どもの発達段階をよく知って大きく包む——。教師や親の価値観が狭くて古いものに縛られていれば、子どもも縛られてしまう。現実を、ありのまま見つめ、まず受け入れてあげることが先決です。
仏法には、「実の如く知見す」(「如実知見」)とあります。これは、三世の因果に通達した「如来(仏)」が世間の事象を「ありのままに見る」、すなわち真実の相を正しく捉える仏の智慧について言われたものですが、私たちが生きていくうえでも大事な視点です。
親が自分の基準にこだわるのではなく、ありのままにわが子の現実を見つめて、その現実から出発し、わが子のよい面を発見し、伸ばしていくことです。
子どものよって立つ基盤は、何といっても家庭です。その大地を潤していこう、子どもにとって居心地のよい場所にしていこう、と努力してあげることです。
子どもを、本当に叱らなければいけないようなことは、一年に、そう何遍もあるものではない。しょっちゅう怒ってばかりでは、子どもとしては、うるさくてしょうがない(笑い)。叱る効果もない。たとえば、宿題をしようとしていた、まさにその時に、"宿題したの!?"と母親から言われる(笑い)。"つぶしのタイミング"というのか(笑い)、その一言で、子どものやる気はしぼんでしまう。
子どもも一歩、外に出たら一生懸命、頑張っている。家に帰って、足を投げ出して休む。すると途端に、お母さんから「だらしないわね。ちゃんとしなさい」と小言が飛んでくる。そこに、親と子のミスマッチ(すれちがい)がある。
子どもは、甘やかされることを欲しているのではない。叱る親をうとんじているわけでもない。ただ、同じ叱責であっても、それが親のヒステリックな一時の感情からなのか、深い愛情によるものなのか、鋭く感じとっているのです。
ゆえに、叱るべき時は、本気で叱ればよい。その等身大の愛情が、揺れる子どもたちの心の世界に、人間としての一本の道筋を築いていく支えとなるのではないだろうか。
◇性教育は生命の尊さを伝えて
<思春期は恋愛感情や性的関心が高まる時期でもあります。日本には今も、"隠さなくてはいけないこと"といった風土が残っている実情もあるでしょう。しかし「性」について語ることは決して恥ずかしいことでも、隠すべきことでもありません。家庭においても父親や母親が、それぞれの立場から正しい知識を率直に語っていく必要があります。池田先生は訴えました>
性に関心を持つのは、青春の特権です。年ごろの子どもたちを正しく育てるために、性教育は必要不可欠です。エイズの対策も、当然あるでしょう。女性を大切にするという視点も、必要でしょう。ごく自然に、当たり前のことを、当たり前に教え、学んでいくのだという気持ちで行っていけばよい。
何よりも、生命の尊厳が根本です。生命はいかにすばらしいか、いかに尊いかを教えていくことです。単に好奇心をそそるだけで終わってしまうわけがない。「性」を大事にすることは、「生」、つまり「生命の尊厳」と「自らの人生」を輝かせていく。その「心」と「行動」を大事にすることに通じます。
◇同じ人間として共に悩み共に成長を
<思春期の子どもたちは、大人たちがどこまで真剣に向き合ってくれるかを見ています。問われているのは大人の側に「どう生きるべきか」についての信念があるかどうか、子どもたちをどんな人間に育てたいかという明確な目標があるかどうか——とも言えるかもしれません>
親や教師の子どもへの接し方が定まらなければ、鋭敏な思春期の子どもたちは、大人の矛盾を感じるだけです。
家庭には、子どもを社会の荒波から守る面と、社会に適応できるように子どもを育んでいく側面がありますが、守ってばかりでは過保護となって、社会化できない。反対に「こうしなければいけない」と社会化にばかり傾けば、個としての自立がそこなわれますし、時には反発さえ買いかねない。
大事なことは、子どもと共に、親も成長していくことです。同じ人間として、悩み苦しみながらも、困難を乗り越えていこうと挑戦している親の生きざまを、率直に示していくことです。そうすれば、子どもも安心して伸びていける。「挑戦の心」が伝染します。
◆◇◆
子どもたちの生命の宮殿を開き、心の強さ、体力、知力、そして何よりも生命力を引き出す——教育の重要性もここにあります。
人類の希望の未来を考え、正義の人生を歩み、後世に何を残し、何を贈るかと考えれば、教育しかない。この、いわば、生命の大地に人材の種を蒔き、慈愛の滴を注ぐ労作業に全力で取り組んでいく以外に、「未来の創造」はないことを、最後に確認し合いたいと思います。
やぶるべからず」
自らの誓願を果たしゆく
真剣な祈りを根本に
立正安国の秋へ進もう!
日興遺誡置文 P1618
『一、当門流に於ては御書を心肝に染め極理を師伝して若し間有らば台家を聞く可き事。』
【通解】
日興門流においては、御書を肝心に染め、極理を師から受け伝えて、その上で、もしいとまがあるならば、天台の法門を学ぶべきである。
名字の言 雑踏の中でも聞き分けられる「声」 2021年8月17日
雑踏の中にいても聞き分けられる「声」がある。それは声の主が身近な家族や親しい友人の場合が多い。耳にさまざまな音が飛び込んできても、その声に反応し、意識が向くのはなぜか▼"聞き慣れた声"ということも重要な要素だろう。だがそれ以上に、声を発した人の人間性を含めた自分との関係が大きく影響しているように思う。人には忘れられない瞬間がある。自分が励まされたり、勇気づけられたりした時のことを思い出すと、心によみがえるのは、活字化された言葉ではなく、相手の"声"である▼大雨による各地の被害に心を痛め、テレビから目が離せない日が続いている。あるアナウンサーが視聴者に呼び掛けていた。「離れて住む家族などの声掛けで助かった例もあります」▼報道では「どこで災害が起きてもおかしくない。最大級の警戒を」と繰り返し訴えている。その上で、私たちの声で救い、守れる人がきっといる▼池田先生は、こう述べる。「人の『生きる力』を引き出した分だけ、自分の『生きる力』も増していく。人の生命を拡大してあげた分だけ、自分の生命も拡大する。これが菩薩道の妙です。『利他』と『自利』の一致です」と。自分の命と、大切な人の命を守ることは同じだ。
寸鉄 2021年8月17日
SUAに21期生が入学。21世紀は君の舞台。学び抜き人類貢献の指導者と
文芸部結成の日。正義の為、民衆の為に!勇気の言論で混迷社会に希望を
妙法で人間革命できる。故に決意と実践だ—戸田先生。今日も地道に前へ
各地で長引く大雨被害。被災された皆様に心からお見舞い。引き続き警戒
社会的孤立は認知症や鬱の一因と。進んで絆結ぶ学会こそ地域の安全地帯
☆桂冠詩人40周年 勇気の舞 凱歌の行進 第1回 東北
本年は、「桂冠詩人」の称号が池田先生に贈られてから40周年。連載企画「勇気の舞 凱歌の行進」では、先生がつづった長編詩を紹介します。第1回は、東北の同志に詠んだ「みちのくの幸の光彩」(1988年)です。
◇雄弁は「金」 沈黙は「銀」
私は詠んだ
「人材の城を築けと決意ます
恩師の去りし青葉に立つれば」
東北に贈った指針も
恩師の心を東北の地に
刻んでおきたかったからだ
"広布の総仕上げは東北健児の手で"
また
"人材の牙城・東北たれ"と
◆◇◆
あなたたちは
持ち前の粘りと忍耐で
「冬は必ず春」の御金言を抱きしめ
あらゆる障害を幸福への試練とし
雄々しく乗り越えてきた
それら無名の庶民の
信仰凱歌の無数の軌跡
それは まさに
民衆の
民衆による
民衆のための時代を開く
地を這うが如き尊き戦いであった
ああ——
愛する君たちよ
尊い みちのくの友
かけがえのない我が同志よ
◆◇◆
君たちよ
明朗の人は
愚痴と悲哀から踵を返し
常に 太陽を仰ぎゆく
向日性こそ 彼の誇るべき象徴だ
明朗の人の周りには
いつも 喜びと笑いの輪が
幾重にも 幾次元にも
広がり 連なっていく
そして 明朗の人は
涌き出ずる歓喜をば言葉に託し
降魔伏惑の大言論戦の
先駆の栄誉を担い 進む
雄弁は金 沈黙は銀なりと
◆◇◆
明るく 愉快に
そして一歩 また一歩と
"さあ すばらしき光彩を見たまえ"と
朗らかに 朗らかに
スクラムも固く
前進を開始してもらいたい
私は 君たちを信じている
私は 君たちを待っている
いま 世界の人々が
東北を見つめている
東北にあこがれている
東北には
真の「平和」がある
真の「人間」がいる
真の厚き「友情」があると
東北の発展を
世界の人々が祈っている
☆Switch——共育のまなざし 「思春期」の子どもとどう向き合うか
7月24日付の「Switch——共育のまなざし」では、三重県の伊賀市、名張市の創価家族を紹介しました。取材の際、「子育てで一番悩んだのは、いつでしたか」との質問に、「わが子が思春期に入った時でした」と振り返った保護者は少なくありません。そこで今回は、かつて池田先生が創価の教育者や女性リーダーと「思春期」を巡って語り合った内容から、励ましの言葉を抜粋して紹介します。(編集・構成=大宮将之)
◇"一人の大人"と見る
<親から見て「素直」で「かわいい」と思っていたわが子が突然、言うことを聞かなくなる。「うるさいな!」と口答えをしたり、イライラした気持ちをぶつけてきたり、普段の会話すらままならなくなったりする——そんな"大きな変化"に直面した時、親としてどう向き合えばいいのか。池田先生は語ります>
思春期は「第2の誕生」とも言われるほど、人生の重要な局面と言える。子どもから大人へと「自立」していく「親離れ」の時期です。子どもたちが自我の独立を求めて、いわば"独立宣言"をする第2次反抗期の時でもある。
感受性はひときわ強くなる。自意識が強くなって周囲に敏感になる。容赦のない批判力で大人を観察し(笑い)、失望や不満をいだく。親にはあまり心を開かなくなる(笑い)。こうした時期に大切なことは、思春期や反抗期の特徴を、親や周囲の人がよく理解したうえで、いたずらに紛動されないで、見守ってあげることです。
また、子どもを「一人の大人」として認め、"人生の先輩"として接していくことです。間違っても、「子ども」と見るようなことがあってはならない。反抗期は、あって当然なのです。
◇親も教師も「勇気をもって耐える期間」
いずれにしても、反抗するのは、子どもが健全に成長している証拠です。だれもが必ず通らねばならない、いわば"はしか"のようなものです。大人と子どもが同居している複雑さもある。一時的で、衝動的な反抗も多い。
今までのわが子と急に違ってしまうと、親は戸惑って右往左往してしまいがちです。慌ててしまう。反抗期だからといって、腫れ物にさわるような特別扱いもよくない。
それよりも、こうした経験をした子のほうが、人間としては太くたくましくなっていくのだ、ととらえるくらいの大らかさがあっていい。反抗期を経験しない。怒鳴られたり怒鳴ったり、失敗の経験もない。これでは、社会に出てから思いどおりにいかない状況に直面したり、荒波を受けた時に、立ち直れないような深刻なダメージを受けかねません。
その意味では反抗期は、親も教師も「勇気をもって耐える期間」ですね。
◇等身大の愛情で
<思春期の子どもたちは周囲の友達やメディアから新しい情報をどんどん吸収し、価値観も大きく変化していきます。価値観の違いで親とぶつかる場面も増えるでしょう>
子どもの発達段階をよく知って大きく包む——。教師や親の価値観が狭くて古いものに縛られていれば、子どもも縛られてしまう。現実を、ありのまま見つめ、まず受け入れてあげることが先決です。
仏法には、「実の如く知見す」(「如実知見」)とあります。これは、三世の因果に通達した「如来(仏)」が世間の事象を「ありのままに見る」、すなわち真実の相を正しく捉える仏の智慧について言われたものですが、私たちが生きていくうえでも大事な視点です。
親が自分の基準にこだわるのではなく、ありのままにわが子の現実を見つめて、その現実から出発し、わが子のよい面を発見し、伸ばしていくことです。
子どものよって立つ基盤は、何といっても家庭です。その大地を潤していこう、子どもにとって居心地のよい場所にしていこう、と努力してあげることです。
子どもを、本当に叱らなければいけないようなことは、一年に、そう何遍もあるものではない。しょっちゅう怒ってばかりでは、子どもとしては、うるさくてしょうがない(笑い)。叱る効果もない。たとえば、宿題をしようとしていた、まさにその時に、"宿題したの!?"と母親から言われる(笑い)。"つぶしのタイミング"というのか(笑い)、その一言で、子どものやる気はしぼんでしまう。
子どもも一歩、外に出たら一生懸命、頑張っている。家に帰って、足を投げ出して休む。すると途端に、お母さんから「だらしないわね。ちゃんとしなさい」と小言が飛んでくる。そこに、親と子のミスマッチ(すれちがい)がある。
子どもは、甘やかされることを欲しているのではない。叱る親をうとんじているわけでもない。ただ、同じ叱責であっても、それが親のヒステリックな一時の感情からなのか、深い愛情によるものなのか、鋭く感じとっているのです。
ゆえに、叱るべき時は、本気で叱ればよい。その等身大の愛情が、揺れる子どもたちの心の世界に、人間としての一本の道筋を築いていく支えとなるのではないだろうか。
◇性教育は生命の尊さを伝えて
<思春期は恋愛感情や性的関心が高まる時期でもあります。日本には今も、"隠さなくてはいけないこと"といった風土が残っている実情もあるでしょう。しかし「性」について語ることは決して恥ずかしいことでも、隠すべきことでもありません。家庭においても父親や母親が、それぞれの立場から正しい知識を率直に語っていく必要があります。池田先生は訴えました>
性に関心を持つのは、青春の特権です。年ごろの子どもたちを正しく育てるために、性教育は必要不可欠です。エイズの対策も、当然あるでしょう。女性を大切にするという視点も、必要でしょう。ごく自然に、当たり前のことを、当たり前に教え、学んでいくのだという気持ちで行っていけばよい。
何よりも、生命の尊厳が根本です。生命はいかにすばらしいか、いかに尊いかを教えていくことです。単に好奇心をそそるだけで終わってしまうわけがない。「性」を大事にすることは、「生」、つまり「生命の尊厳」と「自らの人生」を輝かせていく。その「心」と「行動」を大事にすることに通じます。
◇同じ人間として共に悩み共に成長を
<思春期の子どもたちは、大人たちがどこまで真剣に向き合ってくれるかを見ています。問われているのは大人の側に「どう生きるべきか」についての信念があるかどうか、子どもたちをどんな人間に育てたいかという明確な目標があるかどうか——とも言えるかもしれません>
親や教師の子どもへの接し方が定まらなければ、鋭敏な思春期の子どもたちは、大人の矛盾を感じるだけです。
家庭には、子どもを社会の荒波から守る面と、社会に適応できるように子どもを育んでいく側面がありますが、守ってばかりでは過保護となって、社会化できない。反対に「こうしなければいけない」と社会化にばかり傾けば、個としての自立がそこなわれますし、時には反発さえ買いかねない。
大事なことは、子どもと共に、親も成長していくことです。同じ人間として、悩み苦しみながらも、困難を乗り越えていこうと挑戦している親の生きざまを、率直に示していくことです。そうすれば、子どもも安心して伸びていける。「挑戦の心」が伝染します。
◆◇◆
子どもたちの生命の宮殿を開き、心の強さ、体力、知力、そして何よりも生命力を引き出す——教育の重要性もここにあります。
人類の希望の未来を考え、正義の人生を歩み、後世に何を残し、何を贈るかと考えれば、教育しかない。この、いわば、生命の大地に人材の種を蒔き、慈愛の滴を注ぐ労作業に全力で取り組んでいく以外に、「未来の創造」はないことを、最後に確認し合いたいと思います。
2021年8月16日月曜日
2021.08.16 わが友に贈る
新聞休刊日
さじき女房御返事 P1231
『ひとつのかたびらなれども法華経の一切の文字の仏にたてまつるべし』
【通解】
一枚の帷子ですけれども、法華経の一切の文字の仏に供養したことになるのです。
☆Diamond College 「開目抄」に学ぶ 不退の信心で幸福の土台を
●福ちゃん
元気で明るい大学1年生。韓流ドラマにはまっていて、ついつい夜更かしをしがち。大学生活は、いろいろなことに挑戦したいと決意している。
●智ちゃん
就職活動に奮闘中の大学4年生。勉強とアルバイトの両立にも挑戦してきた。学会活動を通して前向きになれたことを実感していて、御書を学ぶのが大好き。
●春さん
福ちゃんと智ちゃんがお世話になっている女子部のお姉さん。女子学生部出身で、御書や池田先生のご指導を通して励ましてくれる。
春さん 福ちゃん、智ちゃん、久しぶりだね! 元気にしていたかな?
福ちゃん お久しぶりです! あれから、気の合う友人もできて、充実した毎日を過ごしています! 「開目抄」を拝して、どんな悩みも祈って乗り越えようと決意させてもらったおかげです!
智ちゃん 福ちゃんのお題目で立ち上がった姿がまぶしい! 私は今、就職活動が思うように進まなくて。自分は何をしたいのか、どう生きていきたいのか、分からなくなってきました……。
春さん 決意した通りに実践し前進する福ちゃんも、自身の悩みに真っ正面から向き合っている智ちゃんも、本当に偉いね! 私も就活でものすごく悩んだから、智ちゃんの気持ち、よく分かるよ。
智ちゃん 春さんはどうやって乗り越えたんですか?
春さん 先輩に相談したり、御書や池田先生のご指導を研さんしたりする中で、祈り方が変わったんだ。
"縁する人に希望を送れる存在になろう。広布のために自身の使命を果たしたい"と心が定まったら、祈りも深まり、最終的には願った通りの進路を開くことができたの。
今日は、大聖人の「誓願」の生き方を通して、私たちの使命について一緒に考えてみよう!
◇背景と大意
本抄は、日蓮大聖人が佐渡流罪中に認められ、文永9年(1272年)2月、四条金吾を通じて門下一同に与えられました。
当時、大聖人の門下たちは、法華経の信仰を理由に所領没収や追放などの難に遭い、「大聖人が法華経の行者であるならば、なぜ諸天の加護がないのか」と疑いを起こして退転する者が続出しました。
大聖人は本抄で、法華経の経文通りに正しく実践すれば、「三類の強敵」による迫害が起こるというのが仏の教えであり、その通りの難に遭っている大聖人は真の法華経の行者であることを示されます。そして、民衆の幸福のため、大難を覚悟で不惜身命の実践をしている大聖人こそ「主師親の三徳」を具備した末法の御本仏であることを明かされていきます。
◇御文
『詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん』(御書232ページ1行目)
◇通解
結局のところは、天も私を捨てるがよい。いかなる難にも遭おう。身命をなげうつ覚悟である。
◇解説
日蓮大聖人は、人々の幸福のために、悪世末法で法華経を説き弘め、度重なる激しい大難に遭われました。
本抄で大聖人は、それがことごとく、経文に説かれる「三類の強敵」の迫害の様相と、符合していることを確認されます。そして、大聖人こそ、真の「法華経の行者」であり、その不惜身命の戦いによって、法華経の正しさも証明されたことを述べられました。
さらに、大聖人は、世間の人々や門下の"法華経の行者には諸天善神の加護があるはずではないのか"との疑問について、「此の疑は此の書の肝心・一期の大事」(御書203ページ)と述べ、重ねて経文による緻密な検証を加えられます。
そして、法華経の行者を"迫害する側"に現罰がない理由として、�法華経の行者自身の過去世に謗法の罪がある場合、�迫害者が地獄に堕ちることが定まっている場合、�国中の人々が謗法に陥り諸天善神が国を去った場合、との3点をあげ、道理と文証をもって、人々の疑問に対する明快な答えを示されました。
そのうえで、掲げた御文では、人々の心に潜む根源的な迷いを打ち破るため、大聖人御自身の揺るがぬ「誓願」の生き方を、次のように明かされています。
「詮ずるところは」——これまで法華経の行者の難について説明してきたが、最も大事なことをこれから述べよう。
「天もすて給え」——諸天善神が私を捨てるのであれば捨てるがよい。
「諸難にもあえ」——多くの難に遭わなければならないのであれば遭ってもかまわない。
「身命を期とせん」——わが身命をなげうって戦うのみである。
すなわち、世間の人々や門下たちの"諸天の加護がほしい""難に遭いたくない"などの思惑を超え、"諸天の加護があろうがなかろうが、仏の大願である「万人の成仏」を、何があっても成し遂げていく"というのが、大聖人の御覚悟であり、この透徹した広宣流布への「誓願」こそ、「法華経の行者」の魂の真髄なのです。
本抄で大聖人は、この直後に「身子」(舎利弗)の退転の事例をあげ、広宣流布の誓願に生き抜くため、最も大切なのは「不退の心」であることを教えられています。
——舎利弗は、過去世において、六十劫という長遠な期間、菩薩道を修め、人に物を施す布施行に励んでいました。
そこに婆羅門の一人が現れ、舎利弗に「眼をくれ」と乞います。舎利弗は自分の片方の眼を抜いて与えますが、婆羅門は「いやな臭いだ!」と言って眼を投げ捨て、踏みつけたのです。
それを見た舎利弗は"こんな輩を救うことは無理だ! もう自分の悟りだけを考えて生きよう"と、長いあいだ重ねてきた菩薩行を捨てて、小乗の教えに堕し、退転してしまいました。
婆羅門の正体は、舎利弗を退転させようと近づいてきた「魔」であり、実はこの時、婆羅門によって、舎利弗の心は試されていました。
舎利弗は、悪縁に触れ、「無明」という迷いの生命が湧き起こり、究極のところで、すべての人に仏性があると説く「万人成仏の仏法」を信じ抜くことができなかったのです。
◇
いかなる障魔にも負けず、「不退の心」で広布の使命を果たしていくなかに、人生の幸福勝利があります。
女子学生部の私たちには、これから先、さまざまな人生の転機や環境の変化がありますが、大事なことは、何があっても信心、学会から離れず、自他共の幸福を築く"創価の師弟の道"を歩み抜いていくことです。
そのためにも、良き仲間とともに行学に励み、信心の確信を深め、自分らしく"広布の使命を果たそう!"との「誓願」を打ち立てていく最重要の時が、人生の土台を築く"女学時代"にほかなりません。
私たちが日々、心を磨き、無明を晴らしゆく「勤行・唱題」に励み、"あの人にも仏性がある""あの人の仏界に届け"と、勇気の対話に挑戦することは、自らの境涯を大きく広げ、自分と友の生命に限りない福運を積みゆく、何よりも尊い行動です。
創価の女子学生部の「誓願」のスクラムから、あらゆる友に希望の励ましを広げ、平和と幸福の門を開いていきましょう。
福ちゃん 大聖人は一切衆生の幸福のために、命がけの闘争を生涯貫かれたんですね! 感動しました!
智ちゃん 本当だね! 大聖人のご境涯の大きさに触れて、自分のことだけではなく、人のために祈り、行動できる自分になりたいと思いました。
悩みは尽きないけど、何があっても負けないと心に決めて、お題目根本に自身の使命を開いていきます!
福ちゃん 私もアルバイト先に人間関係で悩んでいる友達がいるので、一緒に乗り越えていけるようにお題目を送りながら、真心の対話に挑戦していきます!
春さん 二人ともすばらしいね!
池田先生は「いかなる大難をも恐れない。いかなる苦難にも怯えない。その勇気を生み出す根源の力が、広宣流布の誓願です。誓願に生きれば、どのような障魔が出来しても、悠然たる王者の魂が光ります。どのような宿命が襲来しても、毅然たる勇者の魂が輝きます。そして『わが誓願の心』が破られることがなければ、あらゆる障魔にも宿命にも負けることは断じてありません」と励ましてくださっているよ。
皆で励まし合いながら、誓いに生きゆく「勝利の青春」を、朗らかに歩んでいこう!
さじき女房御返事 P1231
『ひとつのかたびらなれども法華経の一切の文字の仏にたてまつるべし』
【通解】
一枚の帷子ですけれども、法華経の一切の文字の仏に供養したことになるのです。
☆Diamond College 「開目抄」に学ぶ 不退の信心で幸福の土台を
●福ちゃん
元気で明るい大学1年生。韓流ドラマにはまっていて、ついつい夜更かしをしがち。大学生活は、いろいろなことに挑戦したいと決意している。
●智ちゃん
就職活動に奮闘中の大学4年生。勉強とアルバイトの両立にも挑戦してきた。学会活動を通して前向きになれたことを実感していて、御書を学ぶのが大好き。
●春さん
福ちゃんと智ちゃんがお世話になっている女子部のお姉さん。女子学生部出身で、御書や池田先生のご指導を通して励ましてくれる。
春さん 福ちゃん、智ちゃん、久しぶりだね! 元気にしていたかな?
福ちゃん お久しぶりです! あれから、気の合う友人もできて、充実した毎日を過ごしています! 「開目抄」を拝して、どんな悩みも祈って乗り越えようと決意させてもらったおかげです!
智ちゃん 福ちゃんのお題目で立ち上がった姿がまぶしい! 私は今、就職活動が思うように進まなくて。自分は何をしたいのか、どう生きていきたいのか、分からなくなってきました……。
春さん 決意した通りに実践し前進する福ちゃんも、自身の悩みに真っ正面から向き合っている智ちゃんも、本当に偉いね! 私も就活でものすごく悩んだから、智ちゃんの気持ち、よく分かるよ。
智ちゃん 春さんはどうやって乗り越えたんですか?
春さん 先輩に相談したり、御書や池田先生のご指導を研さんしたりする中で、祈り方が変わったんだ。
"縁する人に希望を送れる存在になろう。広布のために自身の使命を果たしたい"と心が定まったら、祈りも深まり、最終的には願った通りの進路を開くことができたの。
今日は、大聖人の「誓願」の生き方を通して、私たちの使命について一緒に考えてみよう!
◇背景と大意
本抄は、日蓮大聖人が佐渡流罪中に認められ、文永9年(1272年)2月、四条金吾を通じて門下一同に与えられました。
当時、大聖人の門下たちは、法華経の信仰を理由に所領没収や追放などの難に遭い、「大聖人が法華経の行者であるならば、なぜ諸天の加護がないのか」と疑いを起こして退転する者が続出しました。
大聖人は本抄で、法華経の経文通りに正しく実践すれば、「三類の強敵」による迫害が起こるというのが仏の教えであり、その通りの難に遭っている大聖人は真の法華経の行者であることを示されます。そして、民衆の幸福のため、大難を覚悟で不惜身命の実践をしている大聖人こそ「主師親の三徳」を具備した末法の御本仏であることを明かされていきます。
◇御文
『詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん』(御書232ページ1行目)
◇通解
結局のところは、天も私を捨てるがよい。いかなる難にも遭おう。身命をなげうつ覚悟である。
◇解説
日蓮大聖人は、人々の幸福のために、悪世末法で法華経を説き弘め、度重なる激しい大難に遭われました。
本抄で大聖人は、それがことごとく、経文に説かれる「三類の強敵」の迫害の様相と、符合していることを確認されます。そして、大聖人こそ、真の「法華経の行者」であり、その不惜身命の戦いによって、法華経の正しさも証明されたことを述べられました。
さらに、大聖人は、世間の人々や門下の"法華経の行者には諸天善神の加護があるはずではないのか"との疑問について、「此の疑は此の書の肝心・一期の大事」(御書203ページ)と述べ、重ねて経文による緻密な検証を加えられます。
そして、法華経の行者を"迫害する側"に現罰がない理由として、�法華経の行者自身の過去世に謗法の罪がある場合、�迫害者が地獄に堕ちることが定まっている場合、�国中の人々が謗法に陥り諸天善神が国を去った場合、との3点をあげ、道理と文証をもって、人々の疑問に対する明快な答えを示されました。
そのうえで、掲げた御文では、人々の心に潜む根源的な迷いを打ち破るため、大聖人御自身の揺るがぬ「誓願」の生き方を、次のように明かされています。
「詮ずるところは」——これまで法華経の行者の難について説明してきたが、最も大事なことをこれから述べよう。
「天もすて給え」——諸天善神が私を捨てるのであれば捨てるがよい。
「諸難にもあえ」——多くの難に遭わなければならないのであれば遭ってもかまわない。
「身命を期とせん」——わが身命をなげうって戦うのみである。
すなわち、世間の人々や門下たちの"諸天の加護がほしい""難に遭いたくない"などの思惑を超え、"諸天の加護があろうがなかろうが、仏の大願である「万人の成仏」を、何があっても成し遂げていく"というのが、大聖人の御覚悟であり、この透徹した広宣流布への「誓願」こそ、「法華経の行者」の魂の真髄なのです。
本抄で大聖人は、この直後に「身子」(舎利弗)の退転の事例をあげ、広宣流布の誓願に生き抜くため、最も大切なのは「不退の心」であることを教えられています。
——舎利弗は、過去世において、六十劫という長遠な期間、菩薩道を修め、人に物を施す布施行に励んでいました。
そこに婆羅門の一人が現れ、舎利弗に「眼をくれ」と乞います。舎利弗は自分の片方の眼を抜いて与えますが、婆羅門は「いやな臭いだ!」と言って眼を投げ捨て、踏みつけたのです。
それを見た舎利弗は"こんな輩を救うことは無理だ! もう自分の悟りだけを考えて生きよう"と、長いあいだ重ねてきた菩薩行を捨てて、小乗の教えに堕し、退転してしまいました。
婆羅門の正体は、舎利弗を退転させようと近づいてきた「魔」であり、実はこの時、婆羅門によって、舎利弗の心は試されていました。
舎利弗は、悪縁に触れ、「無明」という迷いの生命が湧き起こり、究極のところで、すべての人に仏性があると説く「万人成仏の仏法」を信じ抜くことができなかったのです。
◇
いかなる障魔にも負けず、「不退の心」で広布の使命を果たしていくなかに、人生の幸福勝利があります。
女子学生部の私たちには、これから先、さまざまな人生の転機や環境の変化がありますが、大事なことは、何があっても信心、学会から離れず、自他共の幸福を築く"創価の師弟の道"を歩み抜いていくことです。
そのためにも、良き仲間とともに行学に励み、信心の確信を深め、自分らしく"広布の使命を果たそう!"との「誓願」を打ち立てていく最重要の時が、人生の土台を築く"女学時代"にほかなりません。
私たちが日々、心を磨き、無明を晴らしゆく「勤行・唱題」に励み、"あの人にも仏性がある""あの人の仏界に届け"と、勇気の対話に挑戦することは、自らの境涯を大きく広げ、自分と友の生命に限りない福運を積みゆく、何よりも尊い行動です。
創価の女子学生部の「誓願」のスクラムから、あらゆる友に希望の励ましを広げ、平和と幸福の門を開いていきましょう。
福ちゃん 大聖人は一切衆生の幸福のために、命がけの闘争を生涯貫かれたんですね! 感動しました!
智ちゃん 本当だね! 大聖人のご境涯の大きさに触れて、自分のことだけではなく、人のために祈り、行動できる自分になりたいと思いました。
悩みは尽きないけど、何があっても負けないと心に決めて、お題目根本に自身の使命を開いていきます!
福ちゃん 私もアルバイト先に人間関係で悩んでいる友達がいるので、一緒に乗り越えていけるようにお題目を送りながら、真心の対話に挑戦していきます!
春さん 二人ともすばらしいね!
池田先生は「いかなる大難をも恐れない。いかなる苦難にも怯えない。その勇気を生み出す根源の力が、広宣流布の誓願です。誓願に生きれば、どのような障魔が出来しても、悠然たる王者の魂が光ります。どのような宿命が襲来しても、毅然たる勇者の魂が輝きます。そして『わが誓願の心』が破られることがなければ、あらゆる障魔にも宿命にも負けることは断じてありません」と励ましてくださっているよ。
皆で励まし合いながら、誓いに生きゆく「勝利の青春」を、朗らかに歩んでいこう!
2021年8月15日日曜日
2021.08.15 わが友に贈る
◇今週のことば
友人と「つながる」
真心を「伝える」
交流を「続ける」
どんな災禍にも負けない
創価のネットワークを!
2021年8月15日
御義口伝巻下 P761
『御義口伝に云く随とは事理に随順するを云うなり喜とは自他共に喜ぶ事なり』
【通解】
御義口伝には、次のように仰せである。随喜の随とは、事理に随順することをいう。喜とは、自他共に喜ぶことである。
名字の言 被爆した女性が"生きる希望"となった三つの出来事 2021年8月15日
終戦から76年を迎えた。8歳の時に広島の爆心地から2・4キロの自宅そばで被爆した女性が終戦後、平和を感じた三つの出来事を教えてくれた▼まず、家の中が明るくなったこと。「戦争中は灯火管制で、夜は敵の空襲に備えて消灯したり、電灯にかさを付けて暗くしたり。それが必要なくなり、何と明るく、幸せなんだろうと思いました」▼次に、原爆が投下された3日後の8月9日、全線不通だった路面電車が一部区間で運転を再開したこと。「死に絶えた街の中で電車が"動いた"のです」。そして、戦後5年目に市民球団として誕生したプロ野球球団・広島カープ。「『元気を出して皆で応援しよう』という雰囲気になり、心が少し明るくなりました」。この三つが"生きる希望"になったという▼「私たちの感情のなかでもっとも高貴なもの、それは、運命が私たちを完全な無へと押し流すように思われるときでも、なおかつ生きつづけようとする希望である」(木原武一訳)とは、文豪ゲーテの言葉。希望ある限り、どんな絶望的な状況に立たされても生き抜いていける▼仏典に「心は工なる画師の如し」とあるように、希望はわが心から生まれる。平和を創る最強の力は、この希望にほかならない。
寸鉄 2021年8月15日
終戦の日。戦争を起こすのは人間。故に人々の心に不戦の砦を!決意新た
日蓮仏法は常盆・常彼岸。広布の同志の唱題が最高の追善。各家庭で今日も
青年に読書習慣があれば未来はいかに明るいか—恩師。常に思索を忘れず
酒に強い人ほど糖尿病のリスク高い—研究。何事も節度を。後悔なきよう
活発な前線の停滞で各地に災害の恐れ—気象庁。命を守る行動を最優先で
☆Diamond College 「開目抄」に学ぶ 地道な信心の実践こそが負けない自分をつくる
◇背景と大意
本抄は、日蓮大聖人が佐渡流罪中に認められ、文永9年(1272年)2月、四条金吾を通じて門下一同に与えられました。
当時、大聖人の門下たちは、法華経の信仰を理由に所領没収や追放などの難に遭い、「大聖人が法華経の行者であるならば、なぜ諸天の加護がないのか」と疑いを起こして退転する者が続出しました。
大聖人は本抄で、法華経の経文通りに正しく実践すれば、「三類の強敵」による迫害が起こるというのが仏の教えであり、その通りの難に遭っている大聖人は真の法華経の行者であることを示されます。
そして、民衆の幸福のため、大難を覚悟で不惜身命の実践をしている大聖人こそ「主師親の三徳」を具備した末法の御本仏であることを明かされていきます。
◇御文
『我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし』(御書234ページ7行目〜9行目)
◇通解
私ならびに私の弟子は、諸難があっても、疑う心がなければ、自然に仏界に至ることができる。諸天の加護がないからといって、疑ってはいけない。現世が安穏でないことを嘆いてはいけない。私の弟子に朝夕、このことを教えてきたけれども、疑いを起こして皆、信心を捨ててしまったようである。拙い者の習性として、約束したことをいざという時には忘れてしまうものである。
解説
◇師弟不二の心で朗らかに前進を
掲げた御文の直前、日蓮大聖人は、涅槃経の「貧女の譬え」を引用されます。
子どもを抱いたある女性が、川に流されながらもわが子を最後まで手放さなかった功徳により、亡くなった後で梵天に生まれた——この譬えを通し大聖人は、妙法も「受持し抜く」ということにより、求めずとも成仏に至ることができるとの原理を示されました。
そして、続く御文で、何があっても疑ったり嘆いたりせず、強盛な信心を貫いていけば、必ず自らの仏界を開いて、成仏できると述べられます。
冒頭の「私ならびに私の弟子は」との呼びかけに、御自身と弟子を分け隔てることなく「共に、不惜身命の決意と実践で妙法流布に生き抜こう」と師弟一体の勝利を願われる大聖人のお心が拝されます。
ここで「疑いの心」や「嘆きの心」を戒められているのは、妙法を信じ切れない「無明」の生命が、成仏を妨げる根本の原因だからです。本来、誰人にも仏界の生命は具わっており、題目を唱えることによって、妙法の無限の力をわが生命に自在に現すことができます。
ゆえに、大事なことは「深き信」に立って唱題に励み、自らの「無明」を晴らす戦いをすることなのです。
本抄の御執筆当時、大聖人の門下にも迫害が及び、人々の心には"妙法を弘通する自分たちが現世安穏でないのはなぜか"との疑いや嘆きが広がっていました。
こうした迷いを打ち破るため、大聖人は本抄で、法華経の行者としての御自身の誓願のお心を「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」(御書232ページ)と明かされます。
諸天の加護があるかどうかに関わらず、身命をなげうつ覚悟で一切衆生の幸福のために戦ってこられたのが、広宣流布の師匠である創価の三代会長です。
この師と同じ決意で立ち上がり、広宣流布に進んでいくのが真の弟子であり、その前進の中に、人生の幸福勝利を開く道があります。
池田先生は「師と同じ決意で立ち上がり、広宣流布に邁進してこそ真の弟子です。誰人であろうと、大聖人と同じ心に立ち『日蓮が一門』(同1360ページ)となった時、実は、すでに成仏への道は広々と開かれているのです」(『開目抄講義』〈下〉)とつづられています。
無明を晴らす唱題の実践に励み、どんな困難にも負けない強い心を築きながら、進路や人間関係、自身の性格など、日々直面する一つ一つの課題を自分らしく勝ち開いていきましょう。
◇「まことの時」に戦う人が仏に
成仏の要諦は「信」を貫くことであると示された上で、大聖人は、大切な門下が「無明」との戦いに決して負けぬよう、さらなる励ましを送られます。
大聖人は、これまでも常日頃より、「法華経の行者」にはあらゆる難が起こることを、経文に照らしながら、門下に教えてきたと仰せです。
しかし、実際に自身の身に難が起きると、信仰を捨て退転してしまう門下が多くいました。
苦難に直面したならば、それは強盛な信心をおこすべき「まことの時」であり、難を乗り越えた先に最高の幸福を勝ち取っていくことができる——ゆえに大聖人は、そのことを忘れて退転などしては絶対にならないと、重ねて「不退の信心」を教えられました。
私たちの立場でも、日々の生活の中で悩みにぶつかり、「なぜ自分がこのような目に遭うのか」「どうすることもできないのではないか」等、時に自信をなくし、諦めの心に覆われてしまうことがあるかもしれません。
しかし、こうした時にこそ"何があっても絶対に負けない! 必ず打開してみせる!"と、疑うことなく信心を貫き通していくことが大切です。「まことの時」に、師弟不二の信心で立ち上がる自身の胸中には、何ものにも負けない「仏界」が輝きます。
池田先生は、小説『新・人間革命』第14巻「烈風」の章につづられています。
「『いざという時』にどうするか。実は、その時にこそ、日ごろの信心が表れるんです。しかし、いつも、いい加減な人が、いざという時にだけ、急に強信になれるわけがありません。柔道や剣道だってそうでしょう。稽古もせず、練習で負けてばかりいる人が、試合の時だけ達人になれるわけがない。
だから、普段の信心が大事なんです。日々、忍耐強く、黙々と、水の流れるように信心に励むことです。自分の生命を、磨き、鍛え抜いて、信心への絶対の確信を培っておくことです。それができてこそ、大事な時に、大きな力が出せるんです」
学会創立90周年から100周年へ! まずは広宣流布大誓堂完成10周年の2023年を目指し、一人一人が誓いの前進を開始していきましょう!
友人と「つながる」
真心を「伝える」
交流を「続ける」
どんな災禍にも負けない
創価のネットワークを!
2021年8月15日
御義口伝巻下 P761
『御義口伝に云く随とは事理に随順するを云うなり喜とは自他共に喜ぶ事なり』
【通解】
御義口伝には、次のように仰せである。随喜の随とは、事理に随順することをいう。喜とは、自他共に喜ぶことである。
名字の言 被爆した女性が"生きる希望"となった三つの出来事 2021年8月15日
終戦から76年を迎えた。8歳の時に広島の爆心地から2・4キロの自宅そばで被爆した女性が終戦後、平和を感じた三つの出来事を教えてくれた▼まず、家の中が明るくなったこと。「戦争中は灯火管制で、夜は敵の空襲に備えて消灯したり、電灯にかさを付けて暗くしたり。それが必要なくなり、何と明るく、幸せなんだろうと思いました」▼次に、原爆が投下された3日後の8月9日、全線不通だった路面電車が一部区間で運転を再開したこと。「死に絶えた街の中で電車が"動いた"のです」。そして、戦後5年目に市民球団として誕生したプロ野球球団・広島カープ。「『元気を出して皆で応援しよう』という雰囲気になり、心が少し明るくなりました」。この三つが"生きる希望"になったという▼「私たちの感情のなかでもっとも高貴なもの、それは、運命が私たちを完全な無へと押し流すように思われるときでも、なおかつ生きつづけようとする希望である」(木原武一訳)とは、文豪ゲーテの言葉。希望ある限り、どんな絶望的な状況に立たされても生き抜いていける▼仏典に「心は工なる画師の如し」とあるように、希望はわが心から生まれる。平和を創る最強の力は、この希望にほかならない。
寸鉄 2021年8月15日
終戦の日。戦争を起こすのは人間。故に人々の心に不戦の砦を!決意新た
日蓮仏法は常盆・常彼岸。広布の同志の唱題が最高の追善。各家庭で今日も
青年に読書習慣があれば未来はいかに明るいか—恩師。常に思索を忘れず
酒に強い人ほど糖尿病のリスク高い—研究。何事も節度を。後悔なきよう
活発な前線の停滞で各地に災害の恐れ—気象庁。命を守る行動を最優先で
☆Diamond College 「開目抄」に学ぶ 地道な信心の実践こそが負けない自分をつくる
◇背景と大意
本抄は、日蓮大聖人が佐渡流罪中に認められ、文永9年(1272年)2月、四条金吾を通じて門下一同に与えられました。
当時、大聖人の門下たちは、法華経の信仰を理由に所領没収や追放などの難に遭い、「大聖人が法華経の行者であるならば、なぜ諸天の加護がないのか」と疑いを起こして退転する者が続出しました。
大聖人は本抄で、法華経の経文通りに正しく実践すれば、「三類の強敵」による迫害が起こるというのが仏の教えであり、その通りの難に遭っている大聖人は真の法華経の行者であることを示されます。
そして、民衆の幸福のため、大難を覚悟で不惜身命の実践をしている大聖人こそ「主師親の三徳」を具備した末法の御本仏であることを明かされていきます。
◇御文
『我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし』(御書234ページ7行目〜9行目)
◇通解
私ならびに私の弟子は、諸難があっても、疑う心がなければ、自然に仏界に至ることができる。諸天の加護がないからといって、疑ってはいけない。現世が安穏でないことを嘆いてはいけない。私の弟子に朝夕、このことを教えてきたけれども、疑いを起こして皆、信心を捨ててしまったようである。拙い者の習性として、約束したことをいざという時には忘れてしまうものである。
解説
◇師弟不二の心で朗らかに前進を
掲げた御文の直前、日蓮大聖人は、涅槃経の「貧女の譬え」を引用されます。
子どもを抱いたある女性が、川に流されながらもわが子を最後まで手放さなかった功徳により、亡くなった後で梵天に生まれた——この譬えを通し大聖人は、妙法も「受持し抜く」ということにより、求めずとも成仏に至ることができるとの原理を示されました。
そして、続く御文で、何があっても疑ったり嘆いたりせず、強盛な信心を貫いていけば、必ず自らの仏界を開いて、成仏できると述べられます。
冒頭の「私ならびに私の弟子は」との呼びかけに、御自身と弟子を分け隔てることなく「共に、不惜身命の決意と実践で妙法流布に生き抜こう」と師弟一体の勝利を願われる大聖人のお心が拝されます。
ここで「疑いの心」や「嘆きの心」を戒められているのは、妙法を信じ切れない「無明」の生命が、成仏を妨げる根本の原因だからです。本来、誰人にも仏界の生命は具わっており、題目を唱えることによって、妙法の無限の力をわが生命に自在に現すことができます。
ゆえに、大事なことは「深き信」に立って唱題に励み、自らの「無明」を晴らす戦いをすることなのです。
本抄の御執筆当時、大聖人の門下にも迫害が及び、人々の心には"妙法を弘通する自分たちが現世安穏でないのはなぜか"との疑いや嘆きが広がっていました。
こうした迷いを打ち破るため、大聖人は本抄で、法華経の行者としての御自身の誓願のお心を「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」(御書232ページ)と明かされます。
諸天の加護があるかどうかに関わらず、身命をなげうつ覚悟で一切衆生の幸福のために戦ってこられたのが、広宣流布の師匠である創価の三代会長です。
この師と同じ決意で立ち上がり、広宣流布に進んでいくのが真の弟子であり、その前進の中に、人生の幸福勝利を開く道があります。
池田先生は「師と同じ決意で立ち上がり、広宣流布に邁進してこそ真の弟子です。誰人であろうと、大聖人と同じ心に立ち『日蓮が一門』(同1360ページ)となった時、実は、すでに成仏への道は広々と開かれているのです」(『開目抄講義』〈下〉)とつづられています。
無明を晴らす唱題の実践に励み、どんな困難にも負けない強い心を築きながら、進路や人間関係、自身の性格など、日々直面する一つ一つの課題を自分らしく勝ち開いていきましょう。
◇「まことの時」に戦う人が仏に
成仏の要諦は「信」を貫くことであると示された上で、大聖人は、大切な門下が「無明」との戦いに決して負けぬよう、さらなる励ましを送られます。
大聖人は、これまでも常日頃より、「法華経の行者」にはあらゆる難が起こることを、経文に照らしながら、門下に教えてきたと仰せです。
しかし、実際に自身の身に難が起きると、信仰を捨て退転してしまう門下が多くいました。
苦難に直面したならば、それは強盛な信心をおこすべき「まことの時」であり、難を乗り越えた先に最高の幸福を勝ち取っていくことができる——ゆえに大聖人は、そのことを忘れて退転などしては絶対にならないと、重ねて「不退の信心」を教えられました。
私たちの立場でも、日々の生活の中で悩みにぶつかり、「なぜ自分がこのような目に遭うのか」「どうすることもできないのではないか」等、時に自信をなくし、諦めの心に覆われてしまうことがあるかもしれません。
しかし、こうした時にこそ"何があっても絶対に負けない! 必ず打開してみせる!"と、疑うことなく信心を貫き通していくことが大切です。「まことの時」に、師弟不二の信心で立ち上がる自身の胸中には、何ものにも負けない「仏界」が輝きます。
池田先生は、小説『新・人間革命』第14巻「烈風」の章につづられています。
「『いざという時』にどうするか。実は、その時にこそ、日ごろの信心が表れるんです。しかし、いつも、いい加減な人が、いざという時にだけ、急に強信になれるわけがありません。柔道や剣道だってそうでしょう。稽古もせず、練習で負けてばかりいる人が、試合の時だけ達人になれるわけがない。
だから、普段の信心が大事なんです。日々、忍耐強く、黙々と、水の流れるように信心に励むことです。自分の生命を、磨き、鍛え抜いて、信心への絶対の確信を培っておくことです。それができてこそ、大事な時に、大きな力が出せるんです」
学会創立90周年から100周年へ! まずは広宣流布大誓堂完成10周年の2023年を目指し、一人一人が誓いの前進を開始していきましょう!
2021年8月14日土曜日
2021.08.14 わが友に贈る
記録的大雨が続く。
土砂災害・河川氾濫等から
命を守る行動を!
「百千万億倍・
御用心あるべし」
兵衛志殿御返事 P1090
『此れより後もいかなる事ありともすこしもたゆむ事なかれ、いよいよはりあげてせむべし、設ひ命に及ぶともすこしもひるむ事なかれ』
【通解】
これから後も、どのようなことがあっても、少しも信心が弛(たゆ)んではならない。いよいよ声を張り上げて責めていきなさい。
たとえ命に及ぶことがあっても、少しもひるんではならない。
名字の言 人生を決定づける出会い 2021年8月14日
きょうは七夕である。と言っても旧暦の話で「伝統的七夕」のこと。今年は8月14日がその日に当たり、一年に一度、織り姫とひこ星が天の川を渡って会うと伝承されてきた▼人の一生も"星の数ほど"出会いはあるが、交流が続く人は限られる。まして人生を決定づける出会いはなおさらだ。そんな瞬間はいつ訪れるか分からない。ドイツの作家カロッサは"人生とは出会い"であり、「この招待は二度と再び繰り返されることはない」と記した(玉置保巳訳)。その時を逃しては、二度と出会えない人がいることも間違いない▼1947年8月14日。若き日の池田先生は友人に誘われて参加した座談会で恩師・戸田城聖先生との出会いを結んだ。池田青年はその感動を即興詩に託した。「日 いまだ昇らず/夜明け前の混沌に/光 もとめて/われ 進みゆく」▼語らいが尽きなかったのだろう。池田先生が会場を後にしたのは午後10時近くだったという。夜空を見上げながら家路に就いた先生は10日後、希望の光を求めて信仰の道へ進んだ▼この師弟の出会いなくして、今日の世界広布の伸展もない。会い難き師と出会えたなら「求めて師とすべし」(御書230ページ)。希有の師匠と共に生きる幸福と使命を忘れまい。
寸鉄 2021年8月14日
戸田先生と池田先生の出会いの日。峻厳な不二の広布の闘争に連なる誉れ
関西・師弟原点の日。試練の時ほど励ましを強く!常勝の新章を共に開こう
「南無妙法蓮華経は精進行」御書。祈りを根本に前へ。眼前の課題に挑め
広島・長崎の原爆展示が国連欧州本部で10年延長被爆の実相を広く人々に
ワクチンが行き渡るまで対策を強力に—専門家。「3密回避」など心して
〈社説〉 2021・8・14 男子部大学校生が奮闘
◇理想は高く 貢献の青春歩め
日本の近代経済の父・渋沢栄一を描いたNHKの大河ドラマ「青天を衝け」が東京五輪による放送休止を経て、15日から再開する。
ドラマでも触れられたが、27歳の栄一らを乗せた船が、万国博覧会が開かれるパリに向かう途中、エジプトのスエズに到着。この時、紅海と地中海を結ぶスエズ運河の開削工事が行われていた。
それを目の当たりにした栄一が感動したのは、工事の壮大さもさることながら、個人や国家の利益を超越して、世界のため、人類の利益のために事業が起こされたという点だった(鹿島茂著『渋沢栄一(上)』文春文庫)。すでに江戸末期に、栄一の眼は、国家を超え、世界に向けられていた。
また後年、栄一は語っている。「青年たる者は、博く学び篤く行い、其理想を高くして、以て倦まず撓まず、義利合一の実を挙げねばならぬ」(『青淵先生訓言集』富之日本社)と。義利合一の義とは倫理であり、利とは利益。つまり、自己の利益のみならず、他者の利益も考えてこそ、真の利益であり、自身も社会も豊かになることを示している。高い理想を胸に、自他共の幸福を目指す私たちの学会活動とも響き合う。
今、男子部大学校4期生が、大学校生大会へ向け奮闘している。
東京・北区在住のブラジル出身の大学校メンバーは、東京の大学院で博士号を取得。大学の研究所の研究員として生命情報の解析に励む一方、友の幸福を祈り、これまで8人を入会に導いた。「がん細胞などの研究データの解析を通し、健康や医療への貢献を目指します」と努力を重ねる。
広島・安佐南区のメンバーは、3歳の頃、自閉症と診断された。両親に支えられ、文字の読み書きや学校での振る舞いなど、一つ一つ具体的に目標を書き出しては真剣に祈り、挑戦していった。小学5年から普通学級に進み、やがて大学に進学。今年から社会人となった。「同じ障がいがある方やご家族の苦しみを理解し、支えていける人になります」と決意を語る。
コロナ禍で社会の分断や人々の孤立化が叫ばれる中、「苦しむ人を放っておけない」と信心根本に対話拡大に挑戦する創価の青年たち。ここに新時代をつくる確かな力と希望がある。「青天を衝く」(青空にこぶしを突き上げる)がごとく、困難の壁を打ち破りゆく友に心からエールを送りたい。
☆Diamond College 「開目抄」に学ぶ 広布の誓いに生き抜く青春を
●福ちゃん
元気で明るい大学1年生。韓流ドラマにはまっていて、ついつい夜更かしをしがち。大学生活は、いろいろなことに挑戦したいと決意している。
●智ちゃん
就職活動に奮闘中の大学4年生。勉強とアルバイトの両立にも挑戦してきた。学会活動を通して前向きになれたことを実感していて、御書を学ぶのが大好き。
●春さん
福ちゃんと智ちゃんがお世話になっている女子部のお姉さん。女子学生部出身で、御書や池田先生のご指導を通して励ましてくれる。
春さん 福ちゃん、入学おめでとう!
智ちゃん 女子学生部(以下、女学)にようこそ〜! 待っていたよ♪
福ちゃん ありがとうございます! 温かく迎えてくれて、うれしいです。まだ分からないことばかりですが、これからよろしくお願いします! ところで、女学ってどんな活動をしているんですか?
智ちゃん 互いに励まし合いながら、皆で池田先生のご指導や御書を学んだり、友人への仏法対話にも挑戦しているよ! ちなみに、今年の女子学生部の研さん御書は「開目抄」だよ。
福ちゃん 御書! 親が研さんしている姿をよく見ます。なんだか難しそうだなと思っていたので、皆と学べるなら、うれしいです! でも、たくさんある御書の中から、なんで今年は「開目抄」を学ぶんですか?
春さん 良い質問だね! 小説『新・人間革命』第22巻「波濤」の章に、「女子学生部の日」の淵源が描かれているの。1975年9月9日、女子学生の集いに出席された池田先生は、「開目抄」の御文を拝されながら、"崩れざる幸福のため、広宣流布の「誓願」に生き抜く人生を"と励ましてくださったんだ。だから女学では、最重要の御書として学んでいるよ!
福ちゃん そんなに大切な御書なんですね! 少し興味が湧いてきました!
智ちゃん いいね! 早速、一緒に研さんしようか!
春さん コロナ禍で迎えた新生活、きっと福ちゃんも悩みや不安が多いんじゃないかな?
福ちゃん はい。まだ慣れないことばかりで……。
春さん そうだよね。でも大丈夫。どんな悩みも祈りに変える中で、何があっても負けない青春を歩めるよ。「開目抄」の御文を拝しながら、創価の哲学を共に学んでいこう!
◇背景と大意
本抄は、日蓮大聖人が佐渡流罪中に認められ、文永9年(1272年)2月、四条金吾を通じて門下一同に与えられました。
当時、大聖人の門下たちは、法華経の信仰を理由に所領没収や追放などの難に遭い、「大聖人が法華経の行者であるならば、なぜ諸天の加護がないのか」と疑いを起こして退転する者が続出しました。
大聖人は本抄で、法華経の経文通りに正しく実践すれば、「三類の強敵」による迫害が起こるというのが仏の教えであり、その通りの難に遭っている大聖人は真の法華経の行者であることを示されます。そして、民衆の幸福のため、大難を覚悟で不惜身命の実践をしている大聖人こそ「主師親の三徳」を具備した末法の御本仏であることを明かされていきます。
◇御文
『九界も無始の仏界に具し仏界も無始の九界に備りて・真の十界互具・百界千如・一念三千なるべし』(御書197ページ16行目〜17行目)
◇通解
九界も無始無終の仏界に具わり、仏界も無始無終の九界に具わって、真の十界互具、百界千如、一念三千なのである。
◇開目とは
題号の「開目」とは、人々が誤った教えに執着し、大聖人こそが「主師親の三徳」を具えた末法の御本仏であることを知らない「心の盲目」を開かせよう、との意であると拝することができます。
池田先生は「開目」の意義について「『大聖人に目を開け』の呼びかけとともに、『人間に目を開け』『民衆に目を開け』との熱い呼びかけがあることを明言しておきたい」と語られています。
人々の心の盲目を開くための方途を示されたのが、日蓮大聖人なのです。
◇解説
日蓮大聖人は本抄で、釈尊の仏教こそ、人間の幸不幸を決める生命の因果を、正しく説き明かした教えであることを示されました。
釈尊は30歳で成道(覚りを開くこと)し、入滅までおよそ50年の間に、数多くの経を説きました。
重要なのは、釈尊が自ら、それまでに説いた「諸経(爾前経)」を指して「未だ真実を顕さず」(無量義経)と述べ、「法華経」を「要ず当に真実を説きたまうべし」(方便品)、つまり、唯一の真実の教えであると明かされていることです。
法華経前半の「迹門」では、初めて、十界の生命がことごとく"妙法の当体"であり、九界の衆生にも仏界が具わっていることが明かされます。これにより、爾前経で"永久に成仏できない"とされた「二乗(声聞・縁覚)」を含む、あらゆる衆生に、成仏の可能性があることが保証されました。
しかし、法理の上で成仏が保証されても、現実の上で成仏を叶えるには、結局、何度も生まれ変わり、仏道修行をくり返して九界を断じる以外ないのではないか——こうした人々の考え方を根底から打ち破るのが、法華経後半の「本門」です。
法華経如来寿量品第16で釈尊は"私は成仏してからすでに無量無辺百千万億那由他阿僧祇劫もたっている"と述べ、今世で初めて成道した(始成正覚)のではなく、計りしれない久遠の昔に成道し(久遠実成)、以来これまでの果てしない時間、衆生を救い続けていることを明かしました。
爾前・迹門では、釈尊の「始成正覚」の仏の境地が、修行において目指すべき「仏果」でした。しかし本門においてそれは打ち破られ、「久遠実成」という「仏果」(本果)と、それを成就するための「修行」(本因)が明かされたのです。
今回の研さん御文は、この久遠実成の成仏の因果、すなわち「本因本果の法門」の内容を示された一節です。
はじめに「九界も無始の仏界に具し」と仰せです。
「無始」とは「無始無終」を指します。始めも終わりもない、いわば「永遠」です。
寿量品では、釈尊が成就した仏界は、尽きることなく生命に常住していることが説かれ、御文では、この「無始の仏界」の生命にも、九界が具わっていることを強調されています。
次に「仏界も無始の九界に備りて」と仰せです。
同じく寿量品では、釈尊が成道した本因が「菩薩行」であると明かされ、この菩薩の生命は、成道後も尽きることなく生命に常住していると説かれています。
御文では、菩薩行を続ける「無始の九界」の生命にも、仏界が具わっていることを確認されました。
久遠実成の釈尊の生命に、仏界も九界も「常に」具わっている——このことから明らかになるのが、一人の生命には十界が具わっており、十界それぞれには、さらに十界が具わっているという「十界互具」の真実です。このことにより、「十界互具」を骨格とする「一念三千」の法門も真に成立したのです。
現実の中で苦悩する九界の生命にも、常に、そこから仏界を涌現する、大いなる可能性が具わっています。
また、仏界の生命といっても、九界の現実の葛藤と無縁ではありません。苦悩や悲しみも背負いながら、それでも力強く前へ進み、友のための行動を貫きます。
久遠実成の仏とは「永遠の仏界」を現し、「無限の菩薩道」を続ける人であるといえます。私たちの立場で拝すれば、仏界を涌現する具体的な実践こそ、日々の勤行・唱題、学会活動です。自他共の仏の生命を輝かせゆく、広布の使命の青春を歩んでいきましょう。
福ちゃん 御書って、なんだかとてもスケールの大きい話なんですね……。でも今回の御文を学んで、私たちの生命にも無限の可能性が秘められていて、お題目によって大きく境涯を開いていけることに感動しました! 新しい環境に焦りや不安もあったけど、この悩みにも意味があると捉えて、一つ一つ具体的に祈ってみようと思います!
春さん 福ちゃん、すばらしい! 御書は学べば学ぶほど、自身の生き方が深まっていくよ。これから一緒に研さんしていこうね!
智ちゃん 私もこの3年間、勉強やアルバイト、学会活動の両立に悩む時もあったけど、祈って挑戦する中で負けない自分に成長できたんだと実感しました。正直、就活で自信をなくすことも多いけど、お題目の確信を忘れず、使命の道を必ず開いていきます!
福ちゃん 智先輩すごい! 私も「成長した」と言える大学生活を送りたいです!
智ちゃん いいね! 福ちゃんが充実した日々を送れるよう、私も祈るね!
春さん 二人の姿に感動しちゃった!決意したその瞬間から、勝利の因が刻まれているのは間違いないよ。
池田先生は小説『新・人間革命』第6巻「宝土」の章で、こう教えてくださっているよ。
「真実の仏法は、やがていつか、どこかで幸福になることを教えているのではありません。今、この場所で幸福をつくり出していくための法です。その幸福を生み出していく力は、あなた自身の胸中にある。それを引き出していくのが信仰です」
自分の生命の中に幸福を生み出す力があることを信じて、お題目根本に、人生の土台を築く宝の女学時代を送っていこう!
土砂災害・河川氾濫等から
命を守る行動を!
「百千万億倍・
御用心あるべし」
兵衛志殿御返事 P1090
『此れより後もいかなる事ありともすこしもたゆむ事なかれ、いよいよはりあげてせむべし、設ひ命に及ぶともすこしもひるむ事なかれ』
【通解】
これから後も、どのようなことがあっても、少しも信心が弛(たゆ)んではならない。いよいよ声を張り上げて責めていきなさい。
たとえ命に及ぶことがあっても、少しもひるんではならない。
名字の言 人生を決定づける出会い 2021年8月14日
きょうは七夕である。と言っても旧暦の話で「伝統的七夕」のこと。今年は8月14日がその日に当たり、一年に一度、織り姫とひこ星が天の川を渡って会うと伝承されてきた▼人の一生も"星の数ほど"出会いはあるが、交流が続く人は限られる。まして人生を決定づける出会いはなおさらだ。そんな瞬間はいつ訪れるか分からない。ドイツの作家カロッサは"人生とは出会い"であり、「この招待は二度と再び繰り返されることはない」と記した(玉置保巳訳)。その時を逃しては、二度と出会えない人がいることも間違いない▼1947年8月14日。若き日の池田先生は友人に誘われて参加した座談会で恩師・戸田城聖先生との出会いを結んだ。池田青年はその感動を即興詩に託した。「日 いまだ昇らず/夜明け前の混沌に/光 もとめて/われ 進みゆく」▼語らいが尽きなかったのだろう。池田先生が会場を後にしたのは午後10時近くだったという。夜空を見上げながら家路に就いた先生は10日後、希望の光を求めて信仰の道へ進んだ▼この師弟の出会いなくして、今日の世界広布の伸展もない。会い難き師と出会えたなら「求めて師とすべし」(御書230ページ)。希有の師匠と共に生きる幸福と使命を忘れまい。
寸鉄 2021年8月14日
戸田先生と池田先生の出会いの日。峻厳な不二の広布の闘争に連なる誉れ
関西・師弟原点の日。試練の時ほど励ましを強く!常勝の新章を共に開こう
「南無妙法蓮華経は精進行」御書。祈りを根本に前へ。眼前の課題に挑め
広島・長崎の原爆展示が国連欧州本部で10年延長被爆の実相を広く人々に
ワクチンが行き渡るまで対策を強力に—専門家。「3密回避」など心して
〈社説〉 2021・8・14 男子部大学校生が奮闘
◇理想は高く 貢献の青春歩め
日本の近代経済の父・渋沢栄一を描いたNHKの大河ドラマ「青天を衝け」が東京五輪による放送休止を経て、15日から再開する。
ドラマでも触れられたが、27歳の栄一らを乗せた船が、万国博覧会が開かれるパリに向かう途中、エジプトのスエズに到着。この時、紅海と地中海を結ぶスエズ運河の開削工事が行われていた。
それを目の当たりにした栄一が感動したのは、工事の壮大さもさることながら、個人や国家の利益を超越して、世界のため、人類の利益のために事業が起こされたという点だった(鹿島茂著『渋沢栄一(上)』文春文庫)。すでに江戸末期に、栄一の眼は、国家を超え、世界に向けられていた。
また後年、栄一は語っている。「青年たる者は、博く学び篤く行い、其理想を高くして、以て倦まず撓まず、義利合一の実を挙げねばならぬ」(『青淵先生訓言集』富之日本社)と。義利合一の義とは倫理であり、利とは利益。つまり、自己の利益のみならず、他者の利益も考えてこそ、真の利益であり、自身も社会も豊かになることを示している。高い理想を胸に、自他共の幸福を目指す私たちの学会活動とも響き合う。
今、男子部大学校4期生が、大学校生大会へ向け奮闘している。
東京・北区在住のブラジル出身の大学校メンバーは、東京の大学院で博士号を取得。大学の研究所の研究員として生命情報の解析に励む一方、友の幸福を祈り、これまで8人を入会に導いた。「がん細胞などの研究データの解析を通し、健康や医療への貢献を目指します」と努力を重ねる。
広島・安佐南区のメンバーは、3歳の頃、自閉症と診断された。両親に支えられ、文字の読み書きや学校での振る舞いなど、一つ一つ具体的に目標を書き出しては真剣に祈り、挑戦していった。小学5年から普通学級に進み、やがて大学に進学。今年から社会人となった。「同じ障がいがある方やご家族の苦しみを理解し、支えていける人になります」と決意を語る。
コロナ禍で社会の分断や人々の孤立化が叫ばれる中、「苦しむ人を放っておけない」と信心根本に対話拡大に挑戦する創価の青年たち。ここに新時代をつくる確かな力と希望がある。「青天を衝く」(青空にこぶしを突き上げる)がごとく、困難の壁を打ち破りゆく友に心からエールを送りたい。
☆Diamond College 「開目抄」に学ぶ 広布の誓いに生き抜く青春を
●福ちゃん
元気で明るい大学1年生。韓流ドラマにはまっていて、ついつい夜更かしをしがち。大学生活は、いろいろなことに挑戦したいと決意している。
●智ちゃん
就職活動に奮闘中の大学4年生。勉強とアルバイトの両立にも挑戦してきた。学会活動を通して前向きになれたことを実感していて、御書を学ぶのが大好き。
●春さん
福ちゃんと智ちゃんがお世話になっている女子部のお姉さん。女子学生部出身で、御書や池田先生のご指導を通して励ましてくれる。
春さん 福ちゃん、入学おめでとう!
智ちゃん 女子学生部(以下、女学)にようこそ〜! 待っていたよ♪
福ちゃん ありがとうございます! 温かく迎えてくれて、うれしいです。まだ分からないことばかりですが、これからよろしくお願いします! ところで、女学ってどんな活動をしているんですか?
智ちゃん 互いに励まし合いながら、皆で池田先生のご指導や御書を学んだり、友人への仏法対話にも挑戦しているよ! ちなみに、今年の女子学生部の研さん御書は「開目抄」だよ。
福ちゃん 御書! 親が研さんしている姿をよく見ます。なんだか難しそうだなと思っていたので、皆と学べるなら、うれしいです! でも、たくさんある御書の中から、なんで今年は「開目抄」を学ぶんですか?
春さん 良い質問だね! 小説『新・人間革命』第22巻「波濤」の章に、「女子学生部の日」の淵源が描かれているの。1975年9月9日、女子学生の集いに出席された池田先生は、「開目抄」の御文を拝されながら、"崩れざる幸福のため、広宣流布の「誓願」に生き抜く人生を"と励ましてくださったんだ。だから女学では、最重要の御書として学んでいるよ!
福ちゃん そんなに大切な御書なんですね! 少し興味が湧いてきました!
智ちゃん いいね! 早速、一緒に研さんしようか!
春さん コロナ禍で迎えた新生活、きっと福ちゃんも悩みや不安が多いんじゃないかな?
福ちゃん はい。まだ慣れないことばかりで……。
春さん そうだよね。でも大丈夫。どんな悩みも祈りに変える中で、何があっても負けない青春を歩めるよ。「開目抄」の御文を拝しながら、創価の哲学を共に学んでいこう!
◇背景と大意
本抄は、日蓮大聖人が佐渡流罪中に認められ、文永9年(1272年)2月、四条金吾を通じて門下一同に与えられました。
当時、大聖人の門下たちは、法華経の信仰を理由に所領没収や追放などの難に遭い、「大聖人が法華経の行者であるならば、なぜ諸天の加護がないのか」と疑いを起こして退転する者が続出しました。
大聖人は本抄で、法華経の経文通りに正しく実践すれば、「三類の強敵」による迫害が起こるというのが仏の教えであり、その通りの難に遭っている大聖人は真の法華経の行者であることを示されます。そして、民衆の幸福のため、大難を覚悟で不惜身命の実践をしている大聖人こそ「主師親の三徳」を具備した末法の御本仏であることを明かされていきます。
◇御文
『九界も無始の仏界に具し仏界も無始の九界に備りて・真の十界互具・百界千如・一念三千なるべし』(御書197ページ16行目〜17行目)
◇通解
九界も無始無終の仏界に具わり、仏界も無始無終の九界に具わって、真の十界互具、百界千如、一念三千なのである。
◇開目とは
題号の「開目」とは、人々が誤った教えに執着し、大聖人こそが「主師親の三徳」を具えた末法の御本仏であることを知らない「心の盲目」を開かせよう、との意であると拝することができます。
池田先生は「開目」の意義について「『大聖人に目を開け』の呼びかけとともに、『人間に目を開け』『民衆に目を開け』との熱い呼びかけがあることを明言しておきたい」と語られています。
人々の心の盲目を開くための方途を示されたのが、日蓮大聖人なのです。
◇解説
日蓮大聖人は本抄で、釈尊の仏教こそ、人間の幸不幸を決める生命の因果を、正しく説き明かした教えであることを示されました。
釈尊は30歳で成道(覚りを開くこと)し、入滅までおよそ50年の間に、数多くの経を説きました。
重要なのは、釈尊が自ら、それまでに説いた「諸経(爾前経)」を指して「未だ真実を顕さず」(無量義経)と述べ、「法華経」を「要ず当に真実を説きたまうべし」(方便品)、つまり、唯一の真実の教えであると明かされていることです。
法華経前半の「迹門」では、初めて、十界の生命がことごとく"妙法の当体"であり、九界の衆生にも仏界が具わっていることが明かされます。これにより、爾前経で"永久に成仏できない"とされた「二乗(声聞・縁覚)」を含む、あらゆる衆生に、成仏の可能性があることが保証されました。
しかし、法理の上で成仏が保証されても、現実の上で成仏を叶えるには、結局、何度も生まれ変わり、仏道修行をくり返して九界を断じる以外ないのではないか——こうした人々の考え方を根底から打ち破るのが、法華経後半の「本門」です。
法華経如来寿量品第16で釈尊は"私は成仏してからすでに無量無辺百千万億那由他阿僧祇劫もたっている"と述べ、今世で初めて成道した(始成正覚)のではなく、計りしれない久遠の昔に成道し(久遠実成)、以来これまでの果てしない時間、衆生を救い続けていることを明かしました。
爾前・迹門では、釈尊の「始成正覚」の仏の境地が、修行において目指すべき「仏果」でした。しかし本門においてそれは打ち破られ、「久遠実成」という「仏果」(本果)と、それを成就するための「修行」(本因)が明かされたのです。
今回の研さん御文は、この久遠実成の成仏の因果、すなわち「本因本果の法門」の内容を示された一節です。
はじめに「九界も無始の仏界に具し」と仰せです。
「無始」とは「無始無終」を指します。始めも終わりもない、いわば「永遠」です。
寿量品では、釈尊が成就した仏界は、尽きることなく生命に常住していることが説かれ、御文では、この「無始の仏界」の生命にも、九界が具わっていることを強調されています。
次に「仏界も無始の九界に備りて」と仰せです。
同じく寿量品では、釈尊が成道した本因が「菩薩行」であると明かされ、この菩薩の生命は、成道後も尽きることなく生命に常住していると説かれています。
御文では、菩薩行を続ける「無始の九界」の生命にも、仏界が具わっていることを確認されました。
久遠実成の釈尊の生命に、仏界も九界も「常に」具わっている——このことから明らかになるのが、一人の生命には十界が具わっており、十界それぞれには、さらに十界が具わっているという「十界互具」の真実です。このことにより、「十界互具」を骨格とする「一念三千」の法門も真に成立したのです。
現実の中で苦悩する九界の生命にも、常に、そこから仏界を涌現する、大いなる可能性が具わっています。
また、仏界の生命といっても、九界の現実の葛藤と無縁ではありません。苦悩や悲しみも背負いながら、それでも力強く前へ進み、友のための行動を貫きます。
久遠実成の仏とは「永遠の仏界」を現し、「無限の菩薩道」を続ける人であるといえます。私たちの立場で拝すれば、仏界を涌現する具体的な実践こそ、日々の勤行・唱題、学会活動です。自他共の仏の生命を輝かせゆく、広布の使命の青春を歩んでいきましょう。
福ちゃん 御書って、なんだかとてもスケールの大きい話なんですね……。でも今回の御文を学んで、私たちの生命にも無限の可能性が秘められていて、お題目によって大きく境涯を開いていけることに感動しました! 新しい環境に焦りや不安もあったけど、この悩みにも意味があると捉えて、一つ一つ具体的に祈ってみようと思います!
春さん 福ちゃん、すばらしい! 御書は学べば学ぶほど、自身の生き方が深まっていくよ。これから一緒に研さんしていこうね!
智ちゃん 私もこの3年間、勉強やアルバイト、学会活動の両立に悩む時もあったけど、祈って挑戦する中で負けない自分に成長できたんだと実感しました。正直、就活で自信をなくすことも多いけど、お題目の確信を忘れず、使命の道を必ず開いていきます!
福ちゃん 智先輩すごい! 私も「成長した」と言える大学生活を送りたいです!
智ちゃん いいね! 福ちゃんが充実した日々を送れるよう、私も祈るね!
春さん 二人の姿に感動しちゃった!決意したその瞬間から、勝利の因が刻まれているのは間違いないよ。
池田先生は小説『新・人間革命』第6巻「宝土」の章で、こう教えてくださっているよ。
「真実の仏法は、やがていつか、どこかで幸福になることを教えているのではありません。今、この場所で幸福をつくり出していくための法です。その幸福を生み出していく力は、あなた自身の胸中にある。それを引き出していくのが信仰です」
自分の生命の中に幸福を生み出す力があることを信じて、お題目根本に、人生の土台を築く宝の女学時代を送っていこう!
2021年8月13日金曜日
2021.08.13 わが友に贈る
「法華経を持つ人は
父と母との恩を報ずる」
広布に生き抜くことは
最高の報恩の道だ。
青年よ親孝行で光れ!
開目抄上 P188
『外典外道の四聖三仙其の名は聖なりといえども実には三惑未断の凡夫其の名は賢なりといえども実に因果を弁ざる事嬰児のごとし』
【通解】
儒教の師たる四人の聖人や、外道の三仙は、その名は聖人であるとはいえ、実には見思惑・塵沙惑・無明惑の一つさえも末だ絶ちきれない、迷いの凡夫であり、その名は賢人とはいえ実には因果の道理を弁えないことは赤児のごとき状態である。
名字の言 作家・井上靖氏が涙した理由 2021年8月13日
作家の井上靖氏は金沢の旧制第四高等学校時代、柔道に明け暮れた。青春の汗が染み込んだ道場「無声堂」は後年、愛知県犬山市の明治村に移築されることとなり、氏もその場に臨んだ▼壁に掛かった当時のままの名札を読んだ氏は、「あいつも、あいつも」と声を詰まらせ、涙した。戦死した仲間の名前だった——氏の次女・黒田佳子さんが、以前、本紙で紹介した話である▼1975年夏、氏は静岡県の伊豆の実家で池田先生の詩集を読んだ。自身の人生をつくり上げることの大切さをうたった詩「主題」の感想を手紙にしたためた。8月13日のことである。「人生というものは、己が自画像を未来という白紙に描く盛んな営みに他ならないでありましょう」と▼そのあまたの未来ある人生を奪ったのが戦争である。先生は同19日付の返信で平和への思いをつづった。「明日を信じ、未来を信ずることは、決してたんなるオプティミスト(楽観主義者)の空想であるとは思いません。それは困難な課題であるとしても、どうしても実現しなければならない目標ではないでしょうか」と▼「8月15日」を挟んで、平和の雁書が交わされ、46年がたつ。"平和な未来を"との師の心を必ず実現する。それが弟子の道である。
寸鉄 2021年8月13日
「時代遅れの幹部になるな。自ら学び成長を」恩師人間革命の姿に友は続く
葛飾女性の日。新時代の師弟勝利の歴史を共に!太陽の連帯で対話を拡大
「此の経をきく人は一人もかけず仏に」御書。仏種蒔く真心の励まし今日も
お盆期間、各地で大雨の恐れ。情報のアンテナを鋭敏に。「前前の用心」で
後部座席のベルト着用率は約4割と。命守るため全席着用を。法令を順守
☆人間主義の哲学の視座 第10回 対談集「太平洋の旭日」に学ぶ�
◇テーマ:安心と安全
池田大作先生の著作から、現代に求められる視点を学ぶ「人間主義の哲学の視座」。前回に引き続き、「安心と安全」をテーマに、チリ共和国のパトリシオ・エイルウィン元大統領との対談集『太平洋の旭日』をひもとく。
【池田先生】
一人の「生命」を徹底して掘り下げ
透徹した平等観、尊厳観の確立を
【エイルウィン元大統領】
対話は人間同士の間に創造的かつ
平和な共存関係を築くための手段
「オリンピズムの目的は、人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てることである」(オリンピック憲章)
同憲章に掲げられた精神に沿い、国連総会は、今回のオリンピック・パラリンピック期間中のあらゆる紛争の休戦を決議している。
グテーレス国連事務総長は、開会式に寄せたメッセージで語った。「東京に集うすべての選手は、障壁を克服し、決意を示してきました。同じエネルギーを世界規模の課題に向ければ、いかなることも達成できるでしょう」
紛争、気候変動、コロナ禍——世界規模の危機のさなかで開催されているオリンピックは、連帯への意志を互いに示す大会である。
もとより、平和と安穏を目指す過程は、理想が大きいからこそ困難の連続だ。現下の課題と向き合いながら、最善の一手を尽くしていく——この「理想と現実のせめぎ合い」に立ち向かう姿勢と心構えを、対談から考えてみたい。
◇可能なことの芸術
チリの民主化を成し遂げ、大統領として同国の経済発展などに手腕を発揮したエイルウィン氏。
池田先生は、氏の平和・人権を目指す"理想主義"と、その実現の手段としての"現実主義"の絶妙なバランスをたたえた。
氏は、「政治家を奮いたたせる理想と、自分が行動すべき現実との間の関係は、どうあるべきでしょうか?」との問いを示した上で自らの信念を語った。
「私は長年の公的生活から、政治家の行動はみずからめざす理想や価値観や目標と、自分を制限する現実の状況そのものとの兼ねあいの結果である、ということを学びました。ですから統治するということは、やりたいことをやるということではなくて、やりたいことのなかからやれることをやるということなのです。
昔から言われているように、『政治は可能なことの芸術である』ということです」
◇閉じた心の社会
理想と現実——自分だけの閉ざされた世界に生きるなら、自由に理想だけを追い求めていける。
しかし、エイルウィン氏が「生きることは共存することである」と指摘するように、私たちの人生は、他者との関係なくしては成り立たない。
自分とは異なる主義や主張をもつ人と、調和を育んでいく——この現実の格闘の中でこそ、新たな価値は生まれる。
「人類の本質は共同体的であるのみではなく、創造的でもある」とも、氏は述べている。
他者との差異を完全になくすことはできない。であれば、他者との差異をどう捉えるかが、調和を育めるか分断に終始するかの分岐点となろう。そこにこそ、人間の創造性が試されるといえる。
氏は、自らの利益と理想のみに正当性を認める姿勢に立ってしまえば、他者は「自身の意志を妨げる手段や障害」となり、支配や排除につながると指摘。人間の本質的な意見の相違を尊重し、受け入れることが、差異の克服につながると訴える。
対して、池田先生は、スペインの哲学者オルテガ・イ・ガセットが「自分の道徳的、知的資産は立派で完璧であるという(中略)この自己満足の結果、彼は、外部からのいっさいの示唆に対して自己を閉ざしてしまい、他人の言葉に耳を貸さず、自分の見解になんら疑問を抱こうとせず、また自分以外の人の存在を考慮に入れようとはしなくなるのである」(神吉敬三訳『大衆の反逆』角川文庫)と述べたことに言及。
こうした「自己中心性」「非寛容」といった「閉じた心」こそが、他者との対話の場を奪い去り、現代文明の深い病理になっていると洞察する。
だからこそ、対談において両氏は、人間への信頼を手放さず、理想と現実を調和させゆく「対話」の重要性を強調する。
エイルウィン 私ははっきり申し上げたいと思います。対話は人間同士のあいだに創造的かつ平和な共存関係を築くためにかけがえのない手段である——と。
池田 「対話」とは、もちろん、たんなる「話しあい」を意味するのではありません。たがいの存在を賭けた信念と信念の応酬であり、死をも覚悟した精神と精神のぶつかりあいであります。
人間とは、対話のなかで初めて自己を知り、他者を知る「人間」へと鍛えられていくのです。
◇
私は、時として対立を生み、差異を際立たせたとしても、対話こそ「閉じた心」を開かせ、人々の心を結んでいく唯一の手段であると考えています。
◇内在的普遍
池田 「閉じた心」とは、みずからを狭いカラに閉じ込めて独り善しとし、「自」と「他」の間を分断させ、民族と民族を対立させていく悪の働きであります。
エイルウィン 民族紛争のもっとも大きな原因は、あなたが「閉じた心の病理」と呼んでいるものに根ざしている、とするあなたの意見に、私も同意いたします。
多様性を恐れる人々は、異なった生き方や習慣や伝統をもつ人々を排除しようとします。自分たち以外に真実は存在しないと狂信し、他の信条を攻撃するのです。私は意見の不一致は恐れませんが、教条主義を恐れます。私は、人生の理想を確信し戦う人を恐れるのではなくて、理想の名のもとに他の人々を殺したり攻撃したりする人を恐れるのです。
文化や民族の多様性こそ人類の豊かさの反映であり、尊重し、保護しなければならない遺産なのであると述べるエイルウィン氏に対し、池田先生は、「歴史的に見ても、異なる民族同士の共存、共生の事例をあげることは容易であり、むしろ、そのほうが常態であるといっても言いすぎではない」と指摘する。
そして、かつて「SGIの日」記念提言(1989年)でグローバリズムの時代を開くための方法論として、「内在的普遍」——「一人の人間の生命を徹底して掘り下げていったところに立ち現れる透徹した平等観であり、尊厳観」という指標を示したことを述べ、それは「一人を手本として一切衆生平等」との日蓮仏法の哲理に基づくものであると語る。
池田 まず個々の人間の内面に肉薄し、そこから人類的な"共通項"を探っていくべきであるというのが、この「内在的普遍」にこめた心です。
エイルウィン このような認識は、結局のところ、あらゆる人間の本質的な平等という認識の、不可欠かつ当然の結果なのです。
あなたが提示されたあらゆる人間の本質的平等に関する日蓮仏法の哲理は、キリスト教の概念といちじるしく一致しております。キリスト教の概念によれば、私たちすべての男女は同じ父から生まれた子どもなのですから。
◇
池田 (そういった哲理の実践は)時間のかかる難事ではありますが、決して不可能なことではありません。
私がかねてから国連による世界市民教育の推進の必要性を訴えているのも、そうした信念からのものです。
エイルウィン この意味において、私は楽観的です。
私は、人間の能力はたえず拡大していけるものであり、人間はそれによってより人間的になれると信じております。
【編集後記】理想と現実がせめぎ合い、最良の選択肢を探り続けなければならない状況を、エイルウィン氏は「試練」と呼ぶ。その試練において、最も必要な態度は「慎重さ」であり、勇気を要する道であると強調する。理想と現実の葛藤は政治の場にとどまらない。コロナ禍の中、日々の生活や学会活動の場にあって、誰しもがそのジレンマに直面している。そうした試練の連続にも、学会員は誰一人置き去りにしないと、相手の側に立った対話の中で一歩一歩を積み重ねてきた。試練で磨き上げる人格と行動が、社会の「閉じた心」を開く、安心と安全の礎となる。
父と母との恩を報ずる」
広布に生き抜くことは
最高の報恩の道だ。
青年よ親孝行で光れ!
開目抄上 P188
『外典外道の四聖三仙其の名は聖なりといえども実には三惑未断の凡夫其の名は賢なりといえども実に因果を弁ざる事嬰児のごとし』
【通解】
儒教の師たる四人の聖人や、外道の三仙は、その名は聖人であるとはいえ、実には見思惑・塵沙惑・無明惑の一つさえも末だ絶ちきれない、迷いの凡夫であり、その名は賢人とはいえ実には因果の道理を弁えないことは赤児のごとき状態である。
名字の言 作家・井上靖氏が涙した理由 2021年8月13日
作家の井上靖氏は金沢の旧制第四高等学校時代、柔道に明け暮れた。青春の汗が染み込んだ道場「無声堂」は後年、愛知県犬山市の明治村に移築されることとなり、氏もその場に臨んだ▼壁に掛かった当時のままの名札を読んだ氏は、「あいつも、あいつも」と声を詰まらせ、涙した。戦死した仲間の名前だった——氏の次女・黒田佳子さんが、以前、本紙で紹介した話である▼1975年夏、氏は静岡県の伊豆の実家で池田先生の詩集を読んだ。自身の人生をつくり上げることの大切さをうたった詩「主題」の感想を手紙にしたためた。8月13日のことである。「人生というものは、己が自画像を未来という白紙に描く盛んな営みに他ならないでありましょう」と▼そのあまたの未来ある人生を奪ったのが戦争である。先生は同19日付の返信で平和への思いをつづった。「明日を信じ、未来を信ずることは、決してたんなるオプティミスト(楽観主義者)の空想であるとは思いません。それは困難な課題であるとしても、どうしても実現しなければならない目標ではないでしょうか」と▼「8月15日」を挟んで、平和の雁書が交わされ、46年がたつ。"平和な未来を"との師の心を必ず実現する。それが弟子の道である。
寸鉄 2021年8月13日
「時代遅れの幹部になるな。自ら学び成長を」恩師人間革命の姿に友は続く
葛飾女性の日。新時代の師弟勝利の歴史を共に!太陽の連帯で対話を拡大
「此の経をきく人は一人もかけず仏に」御書。仏種蒔く真心の励まし今日も
お盆期間、各地で大雨の恐れ。情報のアンテナを鋭敏に。「前前の用心」で
後部座席のベルト着用率は約4割と。命守るため全席着用を。法令を順守
☆人間主義の哲学の視座 第10回 対談集「太平洋の旭日」に学ぶ�
◇テーマ:安心と安全
池田大作先生の著作から、現代に求められる視点を学ぶ「人間主義の哲学の視座」。前回に引き続き、「安心と安全」をテーマに、チリ共和国のパトリシオ・エイルウィン元大統領との対談集『太平洋の旭日』をひもとく。
【池田先生】
一人の「生命」を徹底して掘り下げ
透徹した平等観、尊厳観の確立を
【エイルウィン元大統領】
対話は人間同士の間に創造的かつ
平和な共存関係を築くための手段
「オリンピズムの目的は、人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てることである」(オリンピック憲章)
同憲章に掲げられた精神に沿い、国連総会は、今回のオリンピック・パラリンピック期間中のあらゆる紛争の休戦を決議している。
グテーレス国連事務総長は、開会式に寄せたメッセージで語った。「東京に集うすべての選手は、障壁を克服し、決意を示してきました。同じエネルギーを世界規模の課題に向ければ、いかなることも達成できるでしょう」
紛争、気候変動、コロナ禍——世界規模の危機のさなかで開催されているオリンピックは、連帯への意志を互いに示す大会である。
もとより、平和と安穏を目指す過程は、理想が大きいからこそ困難の連続だ。現下の課題と向き合いながら、最善の一手を尽くしていく——この「理想と現実のせめぎ合い」に立ち向かう姿勢と心構えを、対談から考えてみたい。
◇可能なことの芸術
チリの民主化を成し遂げ、大統領として同国の経済発展などに手腕を発揮したエイルウィン氏。
池田先生は、氏の平和・人権を目指す"理想主義"と、その実現の手段としての"現実主義"の絶妙なバランスをたたえた。
氏は、「政治家を奮いたたせる理想と、自分が行動すべき現実との間の関係は、どうあるべきでしょうか?」との問いを示した上で自らの信念を語った。
「私は長年の公的生活から、政治家の行動はみずからめざす理想や価値観や目標と、自分を制限する現実の状況そのものとの兼ねあいの結果である、ということを学びました。ですから統治するということは、やりたいことをやるということではなくて、やりたいことのなかからやれることをやるということなのです。
昔から言われているように、『政治は可能なことの芸術である』ということです」
◇閉じた心の社会
理想と現実——自分だけの閉ざされた世界に生きるなら、自由に理想だけを追い求めていける。
しかし、エイルウィン氏が「生きることは共存することである」と指摘するように、私たちの人生は、他者との関係なくしては成り立たない。
自分とは異なる主義や主張をもつ人と、調和を育んでいく——この現実の格闘の中でこそ、新たな価値は生まれる。
「人類の本質は共同体的であるのみではなく、創造的でもある」とも、氏は述べている。
他者との差異を完全になくすことはできない。であれば、他者との差異をどう捉えるかが、調和を育めるか分断に終始するかの分岐点となろう。そこにこそ、人間の創造性が試されるといえる。
氏は、自らの利益と理想のみに正当性を認める姿勢に立ってしまえば、他者は「自身の意志を妨げる手段や障害」となり、支配や排除につながると指摘。人間の本質的な意見の相違を尊重し、受け入れることが、差異の克服につながると訴える。
対して、池田先生は、スペインの哲学者オルテガ・イ・ガセットが「自分の道徳的、知的資産は立派で完璧であるという(中略)この自己満足の結果、彼は、外部からのいっさいの示唆に対して自己を閉ざしてしまい、他人の言葉に耳を貸さず、自分の見解になんら疑問を抱こうとせず、また自分以外の人の存在を考慮に入れようとはしなくなるのである」(神吉敬三訳『大衆の反逆』角川文庫)と述べたことに言及。
こうした「自己中心性」「非寛容」といった「閉じた心」こそが、他者との対話の場を奪い去り、現代文明の深い病理になっていると洞察する。
だからこそ、対談において両氏は、人間への信頼を手放さず、理想と現実を調和させゆく「対話」の重要性を強調する。
エイルウィン 私ははっきり申し上げたいと思います。対話は人間同士のあいだに創造的かつ平和な共存関係を築くためにかけがえのない手段である——と。
池田 「対話」とは、もちろん、たんなる「話しあい」を意味するのではありません。たがいの存在を賭けた信念と信念の応酬であり、死をも覚悟した精神と精神のぶつかりあいであります。
人間とは、対話のなかで初めて自己を知り、他者を知る「人間」へと鍛えられていくのです。
◇
私は、時として対立を生み、差異を際立たせたとしても、対話こそ「閉じた心」を開かせ、人々の心を結んでいく唯一の手段であると考えています。
◇内在的普遍
池田 「閉じた心」とは、みずからを狭いカラに閉じ込めて独り善しとし、「自」と「他」の間を分断させ、民族と民族を対立させていく悪の働きであります。
エイルウィン 民族紛争のもっとも大きな原因は、あなたが「閉じた心の病理」と呼んでいるものに根ざしている、とするあなたの意見に、私も同意いたします。
多様性を恐れる人々は、異なった生き方や習慣や伝統をもつ人々を排除しようとします。自分たち以外に真実は存在しないと狂信し、他の信条を攻撃するのです。私は意見の不一致は恐れませんが、教条主義を恐れます。私は、人生の理想を確信し戦う人を恐れるのではなくて、理想の名のもとに他の人々を殺したり攻撃したりする人を恐れるのです。
文化や民族の多様性こそ人類の豊かさの反映であり、尊重し、保護しなければならない遺産なのであると述べるエイルウィン氏に対し、池田先生は、「歴史的に見ても、異なる民族同士の共存、共生の事例をあげることは容易であり、むしろ、そのほうが常態であるといっても言いすぎではない」と指摘する。
そして、かつて「SGIの日」記念提言(1989年)でグローバリズムの時代を開くための方法論として、「内在的普遍」——「一人の人間の生命を徹底して掘り下げていったところに立ち現れる透徹した平等観であり、尊厳観」という指標を示したことを述べ、それは「一人を手本として一切衆生平等」との日蓮仏法の哲理に基づくものであると語る。
池田 まず個々の人間の内面に肉薄し、そこから人類的な"共通項"を探っていくべきであるというのが、この「内在的普遍」にこめた心です。
エイルウィン このような認識は、結局のところ、あらゆる人間の本質的な平等という認識の、不可欠かつ当然の結果なのです。
あなたが提示されたあらゆる人間の本質的平等に関する日蓮仏法の哲理は、キリスト教の概念といちじるしく一致しております。キリスト教の概念によれば、私たちすべての男女は同じ父から生まれた子どもなのですから。
◇
池田 (そういった哲理の実践は)時間のかかる難事ではありますが、決して不可能なことではありません。
私がかねてから国連による世界市民教育の推進の必要性を訴えているのも、そうした信念からのものです。
エイルウィン この意味において、私は楽観的です。
私は、人間の能力はたえず拡大していけるものであり、人間はそれによってより人間的になれると信じております。
【編集後記】理想と現実がせめぎ合い、最良の選択肢を探り続けなければならない状況を、エイルウィン氏は「試練」と呼ぶ。その試練において、最も必要な態度は「慎重さ」であり、勇気を要する道であると強調する。理想と現実の葛藤は政治の場にとどまらない。コロナ禍の中、日々の生活や学会活動の場にあって、誰しもがそのジレンマに直面している。そうした試練の連続にも、学会員は誰一人置き去りにしないと、相手の側に立った対話の中で一歩一歩を積み重ねてきた。試練で磨き上げる人格と行動が、社会の「閉じた心」を開く、安心と安全の礎となる。
2021年8月12日木曜日
2021.08.12 わが友に贈る
他者を思いやる想像力が
同苦への第一歩となる。
自身の境涯も広がる。
真心の振る舞いで
温かな共生の社会を!
佐渡御書 P958
『心は法華経を信ずる故に梵天帝釈をも猶恐しと思はず』
【通解】
心は、法華経を信ずるがゆえに、梵天・帝釈をも、恐ろしいとは思わない。
名字の言 一枚の絵、一つの言葉に込められた被爆者の思い 2021年8月12日
広島平和記念資料館に展示された一枚の絵に来館者が見入っていた。赤く焼けただれた死体の山。左隅に添え書きがある。"絵に描いても話をしても万分の一も表すことはできません"▼作者は被爆当時41歳、作画年齢は70歳だった。その間、29年。「過去」の惨劇を顧み、「未来」のために絵筆を握ったのだろう。被爆者の心に触れ、「現在」を生きる来館者は何を思っただろうか▼広島の男子高等部員が、真剣に勤行するようになった。きっかけは被爆証言の聞き取りをしたこと。「二度と思い出したくない。でも……」と、被爆した女性部員が重い口を開いてくれた▼爆心地から3キロの場所で被爆。人々がずるむけた皮膚をぶら下げながら歩く光景は、地獄のようだった。最後に婦人は「平和が一番ですよ」と。その心を知った彼は感想を記した。「平和のために、自分自身が変わっていこうと思います」。婦人の証言と彼の感想は『75——未来へつなぐヒロシマの心』(第三文明社)に収録されている▼未来に希望を託すため、慟哭の記憶と向き合った被爆者。一枚の絵、一つの言葉に込められた思いを「想像」することが、新たな自身を「創造」する力となる。心が変われば、時代を超えて平和への誓いは生き続ける。
寸鉄 2021年8月12日
法華経を信ずる人は幸いを万里の外より集むべし—御書。題目の人は強し
教育本部原点の日。未来の宝育む友の使命は大。どこまでも子の幸福願い
学会は平和求める民衆の連帯を対話で広げてきた—学長。草の根運動益々
世界の気温上昇、想定より10年前倒しと。人類の協調と取り組み加速更に
花火でのやけどに注意。消毒液使用直後は引火の恐れも。互いに声掛けを
☆「世界を照らす太陽の仏法」に学ぶ 第10回 挑戦と応戦
◇聖人御難事
『彼のあつわらの愚癡の者ども・いゐはげまして・をどす事なかれ、彼等にはただ一えんにおもい切れ・よからんは不思議わるからんは一定とをもへ、ひだるしとをもわば餓鬼道ををしへよ、さむしといわば八かん地獄ををしへよ、をそろししと・いわばたかにあへるきじねこにあえるねずみを他人とをもう事なかれ』(御書1190ページ18行目〜1191ページ2行目)
◇池田先生の講義から
妙法を正しく実践すれば、難が起きます。だが、広布ゆえの大難は、成仏という境涯を勝ち取るためである。(中略)
功徳は、さまざまな形で表れます。その時には理不尽としか思えない試練でも、後になってみれば、それが幸福の道を開く契機となっている場合もある。絶体絶命の窮地に思えても、強盛なる信心に立てば、それによって真実の大功徳をつかむことができる。この甚深の法理を大聖人は教えられているのです。
◆◇◆
状況がどうあれ、怯まない。自ら決めた道を断じて進む。この強き一念の信心に立つとき、無限の智慧と勇気がわき、一切の勝利が切り開かれていく。悩みや宿命を、断固として転換できるのです。
◆◇◆
苦難が、自身を成長させるのです。宿命を転換し、幸福と勝利の大空ヘと自身を上昇させていく「向かい風」になるのです。
◆◇◆
新たな「時」が来ました。
「師子王の仏法」を世界が待っています。
「創価の師弟」の本舞台の開幕です。
さあ、一人一人が、いやまして「師子王の心」を取り出し、幸福と勝利の師弟の大陣列を、さらに強く、さらに大きく、さらに重層的に、威風も堂々と築き上げていこうではありませんか!
(「大白蓮華」2015年11月号から)
広崎 高司 総兵庫長
◇強盛な信心で常勝の大陣列を!
兵庫が勝てば 関西が勝つ!
関西が勝てば 世界が勝つ!
かつて池田先生が兵庫に贈ってくださった万感込もる長編詩の一節です。
1991年(平成3年)10月15日、先生が開館間もない兵庫池田文化会館を初訪問されました。
翌16日の兵庫県総会で、先生は、「聖人御難事」の一節を拝し、人間の真価は苦難の中で明らかになることを教えてくださいました。
以来、本年で30周年となる10・15「兵庫の日」の佳節を、立正安国の凱歌で勝ち飾るべく、どのような状況となっても、強き信心の一念に立つことを教えられた、先生の講義を胸に刻み、勇んで打って出てまいりましょう。
◇最悪の状況の中で
「聖人御難事」は、「熱原の法難」の渦中に認められました。権力の不当な迫害と戦う農民門下に対し、決定した信心を貫くよう、最大の激励がつづられています。
先生は本抄の講義の中で、「絶体絶命の窮地に思えても、強盛なる信心に立てば、それによって真実の大功徳をつかむことができる」と記されています。
困難な戦いの中でこそ、深い信心の原点を築くことができる。そのことを教えていただいたのが、阪神・淡路大震災での救援活動でした。
1995年(平成7年)1月17日。あの日の朝に見た光景は忘れられません。道の真ん中に倒れた高層マンション。ガラスが割れて、くの字に曲がったビル。道路はうねり、底の見えない亀裂がいくつも走っている。まるで映画のワンシーンのような情景の中で、兵庫池田文化会館は厳然とそびえ立っていました。
当時、兵庫県の男子部長だった私は、駆けつけてくれた男子部員と共に、混乱の中、同会館を拠点として救援物資の仕分けや発送に取り組みました。心の中では"これからどうなってしまうんや""なんで兵庫だけがこんな目に"と、さまざまな思いが交錯していました。
発災から2日目の朝だったと記憶しています。
幹部の方から、池田先生の"できることは何でもしてあげたい"との、同志を思う熱き思いを伺いました。
その時、思ったのです。
"ああ、先生が兵庫の同志と一緒に戦ってくださっている。これで絶対に勝ち越えられる!"と。
一気に視界が開けるような思いでした。以来、関西をはじめ、全国・全世界の同志から応援をいただきながら、救援活動に当たりました。
当時はただ無我夢中で復興のために動いていましたが、今思い返すと、最悪の状況の中で、峻厳な師弟の魂を生命の奥底に刻み込ませていただいたのだと思います。
いかなる状況にあろうとも、師弟不二の一念さえあれば、必ず勝利を開いていけると確信します。
◇真髄の生き方
日蓮大聖人は、「聖人御難事」の中で、「各各師子王の心を取り出して」(御書1190ページ)、「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」(同)と仰せです。
コロナ禍の今、世界中の同志が師子王の心を取り出し、不屈の信心で試練に立ち向かっています。
世界の同志と共に、励ましの絆を強めながら、立正安国・立正安世界の実現へ、さらに力強く進んでいきたい。
講義ではさらに、「厳しい試練が襲い来るたびに、『自分が強くなるチャンスだ!』と、喜び勇んで立ち向かっていく——これが学会精神です。仏法の真髄の生き方です」と教えてくださっています。
この「真髄の生き方」を一人一人が体現していく時は今です。
"環境が人間に試練を与える時、その挑戦に屈服せず、雄々しく応戦しゆく、たくましき社会から、新しい文明が生み出される"——震災の年の10月、世界中の同志が神戸に集って開催された「21世紀兵庫希望総会」で、池田先生が教えてくださった、トインビー博士の洞察です。
環境が変化を続けるからこそ、題目を根本に、変化に翻弄されない生命力を満々とたたえることが大切です。そして、縁する友と絆を結び、強めていく。そうやって不屈の挑戦を貫く時、一人一人が人間革命し、自身の宿命転換を成し遂げ、かつてない新たな広布と立正安国の勝利が築かれると確信します。
さあ、「仏縁拡大の夏」です。
「『常勝』とは、苦難に屈せず、逆境に打ち勝ち続ける生命に輝く栄冠である」との兵庫に対する師匠の熱きご期待に応え、どんな困難にも喜び勇んで立ち向かい、新たな常勝のドラマをつづってまいりましょう!
◇メモ
「聖人御難事」では、苦境に置かれた門下に対し、大聖人のように、「師子王の心」を取り出し、月々日々に強盛な信心を貫いていくよう励まされている。
同苦への第一歩となる。
自身の境涯も広がる。
真心の振る舞いで
温かな共生の社会を!
佐渡御書 P958
『心は法華経を信ずる故に梵天帝釈をも猶恐しと思はず』
【通解】
心は、法華経を信ずるがゆえに、梵天・帝釈をも、恐ろしいとは思わない。
名字の言 一枚の絵、一つの言葉に込められた被爆者の思い 2021年8月12日
広島平和記念資料館に展示された一枚の絵に来館者が見入っていた。赤く焼けただれた死体の山。左隅に添え書きがある。"絵に描いても話をしても万分の一も表すことはできません"▼作者は被爆当時41歳、作画年齢は70歳だった。その間、29年。「過去」の惨劇を顧み、「未来」のために絵筆を握ったのだろう。被爆者の心に触れ、「現在」を生きる来館者は何を思っただろうか▼広島の男子高等部員が、真剣に勤行するようになった。きっかけは被爆証言の聞き取りをしたこと。「二度と思い出したくない。でも……」と、被爆した女性部員が重い口を開いてくれた▼爆心地から3キロの場所で被爆。人々がずるむけた皮膚をぶら下げながら歩く光景は、地獄のようだった。最後に婦人は「平和が一番ですよ」と。その心を知った彼は感想を記した。「平和のために、自分自身が変わっていこうと思います」。婦人の証言と彼の感想は『75——未来へつなぐヒロシマの心』(第三文明社)に収録されている▼未来に希望を託すため、慟哭の記憶と向き合った被爆者。一枚の絵、一つの言葉に込められた思いを「想像」することが、新たな自身を「創造」する力となる。心が変われば、時代を超えて平和への誓いは生き続ける。
寸鉄 2021年8月12日
法華経を信ずる人は幸いを万里の外より集むべし—御書。題目の人は強し
教育本部原点の日。未来の宝育む友の使命は大。どこまでも子の幸福願い
学会は平和求める民衆の連帯を対話で広げてきた—学長。草の根運動益々
世界の気温上昇、想定より10年前倒しと。人類の協調と取り組み加速更に
花火でのやけどに注意。消毒液使用直後は引火の恐れも。互いに声掛けを
☆「世界を照らす太陽の仏法」に学ぶ 第10回 挑戦と応戦
◇聖人御難事
『彼のあつわらの愚癡の者ども・いゐはげまして・をどす事なかれ、彼等にはただ一えんにおもい切れ・よからんは不思議わるからんは一定とをもへ、ひだるしとをもわば餓鬼道ををしへよ、さむしといわば八かん地獄ををしへよ、をそろししと・いわばたかにあへるきじねこにあえるねずみを他人とをもう事なかれ』(御書1190ページ18行目〜1191ページ2行目)
◇池田先生の講義から
妙法を正しく実践すれば、難が起きます。だが、広布ゆえの大難は、成仏という境涯を勝ち取るためである。(中略)
功徳は、さまざまな形で表れます。その時には理不尽としか思えない試練でも、後になってみれば、それが幸福の道を開く契機となっている場合もある。絶体絶命の窮地に思えても、強盛なる信心に立てば、それによって真実の大功徳をつかむことができる。この甚深の法理を大聖人は教えられているのです。
◆◇◆
状況がどうあれ、怯まない。自ら決めた道を断じて進む。この強き一念の信心に立つとき、無限の智慧と勇気がわき、一切の勝利が切り開かれていく。悩みや宿命を、断固として転換できるのです。
◆◇◆
苦難が、自身を成長させるのです。宿命を転換し、幸福と勝利の大空ヘと自身を上昇させていく「向かい風」になるのです。
◆◇◆
新たな「時」が来ました。
「師子王の仏法」を世界が待っています。
「創価の師弟」の本舞台の開幕です。
さあ、一人一人が、いやまして「師子王の心」を取り出し、幸福と勝利の師弟の大陣列を、さらに強く、さらに大きく、さらに重層的に、威風も堂々と築き上げていこうではありませんか!
(「大白蓮華」2015年11月号から)
広崎 高司 総兵庫長
◇強盛な信心で常勝の大陣列を!
兵庫が勝てば 関西が勝つ!
関西が勝てば 世界が勝つ!
かつて池田先生が兵庫に贈ってくださった万感込もる長編詩の一節です。
1991年(平成3年)10月15日、先生が開館間もない兵庫池田文化会館を初訪問されました。
翌16日の兵庫県総会で、先生は、「聖人御難事」の一節を拝し、人間の真価は苦難の中で明らかになることを教えてくださいました。
以来、本年で30周年となる10・15「兵庫の日」の佳節を、立正安国の凱歌で勝ち飾るべく、どのような状況となっても、強き信心の一念に立つことを教えられた、先生の講義を胸に刻み、勇んで打って出てまいりましょう。
◇最悪の状況の中で
「聖人御難事」は、「熱原の法難」の渦中に認められました。権力の不当な迫害と戦う農民門下に対し、決定した信心を貫くよう、最大の激励がつづられています。
先生は本抄の講義の中で、「絶体絶命の窮地に思えても、強盛なる信心に立てば、それによって真実の大功徳をつかむことができる」と記されています。
困難な戦いの中でこそ、深い信心の原点を築くことができる。そのことを教えていただいたのが、阪神・淡路大震災での救援活動でした。
1995年(平成7年)1月17日。あの日の朝に見た光景は忘れられません。道の真ん中に倒れた高層マンション。ガラスが割れて、くの字に曲がったビル。道路はうねり、底の見えない亀裂がいくつも走っている。まるで映画のワンシーンのような情景の中で、兵庫池田文化会館は厳然とそびえ立っていました。
当時、兵庫県の男子部長だった私は、駆けつけてくれた男子部員と共に、混乱の中、同会館を拠点として救援物資の仕分けや発送に取り組みました。心の中では"これからどうなってしまうんや""なんで兵庫だけがこんな目に"と、さまざまな思いが交錯していました。
発災から2日目の朝だったと記憶しています。
幹部の方から、池田先生の"できることは何でもしてあげたい"との、同志を思う熱き思いを伺いました。
その時、思ったのです。
"ああ、先生が兵庫の同志と一緒に戦ってくださっている。これで絶対に勝ち越えられる!"と。
一気に視界が開けるような思いでした。以来、関西をはじめ、全国・全世界の同志から応援をいただきながら、救援活動に当たりました。
当時はただ無我夢中で復興のために動いていましたが、今思い返すと、最悪の状況の中で、峻厳な師弟の魂を生命の奥底に刻み込ませていただいたのだと思います。
いかなる状況にあろうとも、師弟不二の一念さえあれば、必ず勝利を開いていけると確信します。
◇真髄の生き方
日蓮大聖人は、「聖人御難事」の中で、「各各師子王の心を取り出して」(御書1190ページ)、「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」(同)と仰せです。
コロナ禍の今、世界中の同志が師子王の心を取り出し、不屈の信心で試練に立ち向かっています。
世界の同志と共に、励ましの絆を強めながら、立正安国・立正安世界の実現へ、さらに力強く進んでいきたい。
講義ではさらに、「厳しい試練が襲い来るたびに、『自分が強くなるチャンスだ!』と、喜び勇んで立ち向かっていく——これが学会精神です。仏法の真髄の生き方です」と教えてくださっています。
この「真髄の生き方」を一人一人が体現していく時は今です。
"環境が人間に試練を与える時、その挑戦に屈服せず、雄々しく応戦しゆく、たくましき社会から、新しい文明が生み出される"——震災の年の10月、世界中の同志が神戸に集って開催された「21世紀兵庫希望総会」で、池田先生が教えてくださった、トインビー博士の洞察です。
環境が変化を続けるからこそ、題目を根本に、変化に翻弄されない生命力を満々とたたえることが大切です。そして、縁する友と絆を結び、強めていく。そうやって不屈の挑戦を貫く時、一人一人が人間革命し、自身の宿命転換を成し遂げ、かつてない新たな広布と立正安国の勝利が築かれると確信します。
さあ、「仏縁拡大の夏」です。
「『常勝』とは、苦難に屈せず、逆境に打ち勝ち続ける生命に輝く栄冠である」との兵庫に対する師匠の熱きご期待に応え、どんな困難にも喜び勇んで立ち向かい、新たな常勝のドラマをつづってまいりましょう!
◇メモ
「聖人御難事」では、苦境に置かれた門下に対し、大聖人のように、「師子王の心」を取り出し、月々日々に強盛な信心を貫いていくよう励まされている。
2021年8月11日水曜日
2021.08.11 わが友に贈る
対話拡大の先頭に立つ
わが地域の青年部を
大切にし讃えていこう!
自らの壁を破った体験は
必ず人生の土台となる。
曾谷殿御返事 P1056
『此法門を日蓮申す故に忠言耳に逆う道理なるが故に流罪せられ命にも及びしなり、然どもいまだこりず候』
【通解】
この法門を日蓮が申す故に、忠言は耳に逆うの道理であるから、流罪にされたり命にも及んだのである。しかしながら、いまだ、懲りてはいない。
名字の言 教師が成長するためには? 2021年8月11日
"教師が成長するために学び続けることは、子どもと同じ床に立ち、同じ世界にいること"とは、教育者の大村はま氏の言葉だ▼戦前から戦後の半世紀以上にわたり教壇に立ち続けた氏は、子どもが安心して授業に臨めるように教師の「新鮮さ」「謙虚さ」を大切にしてきた。同じ資料を使って授業をすることがなかったという▼氏は断言する。「昨日よりも今日というふうに、何か気づいたり工夫したりして、教師自身に成長の実感がなくては、いきいきと指導にあたる力、子どもを動かす迫力が、出てこない」と(『日本の教師に伝えたいこと』ちくま学芸文庫)▼ある教育部員は、児童の健康状態の確認、秋の運動会での実施競技や運営方法の検討など、2度目の"コロナ禍の夏"も去年と同様、忙しい毎日を送る。だが、「一つだけ違います」と彼は語る。それは「子どもたちの学校生活を"去年より絶対によくしてみせる"という、私自身の決意です」▼池田先生は「教育とは子どもたちのために何ができるかという、自らの生き方をかけた、大人たちの挑戦にほかならない」と語っている。あす12日は教育本部の「原点の日」。未来創造という聖業に奮闘する友に、真心のエールを送りたい。
寸鉄 2021年8月11日
創大通教生が夏期授業。人は学び続ける限り永遠に向上。社会照らす光と
人生の一番大事なことは目的観—牧口先生。広布のため!そこに真の充実
「一日に二三度えみて向へとなり」御書。親孝行も心遣い一つ。感謝込めて
達成感の積み重ねで幸福度は高まる—医師。今も自分史に前進の一頁を
都内の感染者、約7割が30代以下。3密回避徹底。重症化リスクを甘く見ず
〈社説〉 2021・8・11 感動の東京五輪が閉幕
◇挑戦の先に「人生の金メダル」が
205カ国・地域から約1万1000人の選手が参加した、第32回夏季オリンピック東京大会が閉幕した。東京では新型コロナウイルスの感染拡大による緊急事態宣言が続く中で、ほぼ無観客という異例の開催となったが、17日間にわたる熱戦は、想像を超える喜びと感動を私たちに与えてくれた。
近代五輪の父・クーベルタンが提案した「より速く、より高く、より強く」という五輪のモットーに、今回の五輪から「共に」という言葉が加わった。人類の団結でパンデミック(世界的大流行)の試練を共に乗り越えるとのメッセージが含まれているという。
大会の実施には、かつてない困難な状況下で助け合い、アスリートが輝く舞台を支えたボランティアをはじめとする関係者の献身と尽力があった。「復興五輪」の理念の下で、東日本大震災の被災地は野球、ソフトボールなどの開催地となったほか、メダリストに贈られた「ビクトリーブーケ」には岩手、宮城、福島3県の花が使用されるなど貢献をした。
一方、競技が終われば共に寄り添い、国境を超えてたたえ合うアスリートの清々しい姿には特に感銘を受けた。逆境の中での東京五輪は、共に団結して挑めば困難を乗り越えることができるとの「希望のメッセージ」を世界中の人々に送ったのではないだろうか。
また、競技を終えた直後のインタビューで、「感謝」の気持ちを伝える選手が多かったことも象徴的だった。そこに至る苦闘のドラマを物語っているといえよう。
開会式では、一人の女性アスリートが移ろう季節の中、黙々とランニングマシンでトレーニングするパフォーマンスがあった。
五輪の1年延期、コロナ禍の孤独や不安、中止への恐れなど、アスリートは複雑な心の葛藤を抱きながらも諦めず、未来の勝利を信じて練習を重ねてきた。圧倒的な「陰の努力」の積み重ねは、五輪という"ひのき舞台"へとつながり、私たちに大きな希望と勇気を与えてくれた。
先日の「わが友に贈る」には、「眼前の山を越えゆく/挑戦の一日一日の先に/人生の金メダルは輝く。/『やり切った』と誇れる/大満足の日々を歩もう!」と。
五輪アスリートの躍動を胸に、世界の平和と安穏のため、「人生の金メダル」を目指し、共に「挑戦の夏」のドラマをつづりたい。
☆質問BOX 次から次へと目標に挑み続けるのはなぜでしょうか?
◇回答
自らの人間革命を懸けて、学会活動に挑み続けていく中に、人生の充実と幸福があるからです。
日蓮大聖人は、「法華経はあいのごとし修行のふかきは・いよいよあをきがごとし」(御書1505ページ)と仰せです。法華経は、万人成仏を説く偉大な経典ですが、その真価を発揮できるかどうかは「修行のふかき」つまり実践する私たちの信心に懸かっています。何度も染め上げるように、信仰を深め、実践を重ねていくことで、仏界の生命が開かれていくと教えられているのです。
池田先生は「いよいよ戦い続ける信心が、日蓮仏法の真髄である。たゆまぬ発心、そして挑戦の繰り返しこそ、わが生命を永遠に輝く仏界に染め抜いていくのだ」と語っています。順調な時も、大変な時も"いよいよ"との心で戦いを起こしていくことで、揺るぎない幸福境涯が築かれていくのです。
☆みんなで学ぶ教学 第19回 従藍而青
◇後継の友を自分以上の人材に
今回の「みんなで学ぶ教学」は、「従藍而青」がテーマです。大聖人直結の創価学会に脈打つ、後継者育成の精神について学んでいきましょう。新入会者のリホさんは、座談会に参加していた支部女性部長のユリコさんの長女・サユリちゃん(高校2年)の姿に感動しているようです。
リホ サユリちゃん、素晴らしい決意発表でしたね! 感動しちゃいました。
ユリコ 私もびっくり!
子どもは、いつのまにか成長しているものね。
激励してくれている、青年部と未来本部をはじめとする、壮年部・女性部の皆さんのおかげだわ。
リホ 私も、いつも支えてくれる"学会家族"の皆さんに、心から感謝しています。
そういえば、創価学会では青年部・未来部をとても大切にしていますよね。
ユリコ もちろんよ! 一人一人が偉大な後継者よ。「従藍而青」の大人材だと思っているわ。
リホ 「従藍而青」……。どこかで聞いたような気がします。「染め物」に関連する言葉でしたっけ?
ユリコ そうね。中国の思想家・荀子の「青はこれを藍より取りて、しかも藍より青し」との言葉を踏まえたものよ。
「藍染め」という伝統工芸では、「藍」という植物を絞った染料を使うの。それは鮮明な青色ではないのだけれど、何度も重ねて染めることによって、濃くて鮮やかな青色になっていくのよ。
リホ 「藍染め」のことなんですね。
でも、それが後継者に関係しているのでしょうか?
ユリコ 「従藍而青」は、藍染めと同じように、学び続けることの大切さを教えているの。そこから、教えを受けた人が教えた人よりも優れること、弟子が師匠をも超えた人物に成長していくことを譬えるようになったのよ。
リホ なるほど。
ユリコ 日蓮大聖人は、青年門下・南条時光が、幼い頃に亡くした父の遺志を継ぎ、富士方面の門下の中心者として成長した姿を、次のようにたたえられているの。
「亡くなられた南条兵衛七郎殿(=時光の父)こそ、情けに厚い人といわれていたが、(時光は)そのご子息であるから、父君の優れた素質を受け継がれたのでしょう。青は藍より出でて藍より青く、氷は水より出でて水より冷たいようであると感嘆しています」(御書1554ページ、通解)
見守り続けた時光が、立派な後継者として成長したことを喜ばれているのね。
リホ お父さんの兵衛七郎を「藍」に、時光を「青」に譬えられているんですね。
大聖人の深い御慈愛の心を感じて、なんだか感動しました。
ユリコ 創価学会では、この大聖人の御精神のままに、"後輩を、自分以上の人材に"という伝統を大切にしているわ。
それに、誰よりも池田先生が私たち後継者に期待してくださっているの。
先生は「若くして妙法を持った皆さんは、かけがえのない青春を、どんな苦難があろうとも、ますます希望に燃え、勇気に燃えて、必ず勝利で輝かせることができます。ゆえに、『〈後継〉とは無限の希望なり』と私は申し上げたいのです」と語っているのよ。
リホ 無限の希望……。そこまで期待してくださっているんですね。
ユリコ 学会では、皆がその思いに立っているから、未来を担う青年や子どもたちに積極的に声を掛け、励ましを重ねていくのよ。それが心の滋養になっていくの。だから、リホさんみたいに次々と素晴らしい後継の人材が育つのね。
リホ 私もサユリちゃんに追い付けるように頑張ります!
わが地域の青年部を
大切にし讃えていこう!
自らの壁を破った体験は
必ず人生の土台となる。
曾谷殿御返事 P1056
『此法門を日蓮申す故に忠言耳に逆う道理なるが故に流罪せられ命にも及びしなり、然どもいまだこりず候』
【通解】
この法門を日蓮が申す故に、忠言は耳に逆うの道理であるから、流罪にされたり命にも及んだのである。しかしながら、いまだ、懲りてはいない。
名字の言 教師が成長するためには? 2021年8月11日
"教師が成長するために学び続けることは、子どもと同じ床に立ち、同じ世界にいること"とは、教育者の大村はま氏の言葉だ▼戦前から戦後の半世紀以上にわたり教壇に立ち続けた氏は、子どもが安心して授業に臨めるように教師の「新鮮さ」「謙虚さ」を大切にしてきた。同じ資料を使って授業をすることがなかったという▼氏は断言する。「昨日よりも今日というふうに、何か気づいたり工夫したりして、教師自身に成長の実感がなくては、いきいきと指導にあたる力、子どもを動かす迫力が、出てこない」と(『日本の教師に伝えたいこと』ちくま学芸文庫)▼ある教育部員は、児童の健康状態の確認、秋の運動会での実施競技や運営方法の検討など、2度目の"コロナ禍の夏"も去年と同様、忙しい毎日を送る。だが、「一つだけ違います」と彼は語る。それは「子どもたちの学校生活を"去年より絶対によくしてみせる"という、私自身の決意です」▼池田先生は「教育とは子どもたちのために何ができるかという、自らの生き方をかけた、大人たちの挑戦にほかならない」と語っている。あす12日は教育本部の「原点の日」。未来創造という聖業に奮闘する友に、真心のエールを送りたい。
寸鉄 2021年8月11日
創大通教生が夏期授業。人は学び続ける限り永遠に向上。社会照らす光と
人生の一番大事なことは目的観—牧口先生。広布のため!そこに真の充実
「一日に二三度えみて向へとなり」御書。親孝行も心遣い一つ。感謝込めて
達成感の積み重ねで幸福度は高まる—医師。今も自分史に前進の一頁を
都内の感染者、約7割が30代以下。3密回避徹底。重症化リスクを甘く見ず
〈社説〉 2021・8・11 感動の東京五輪が閉幕
◇挑戦の先に「人生の金メダル」が
205カ国・地域から約1万1000人の選手が参加した、第32回夏季オリンピック東京大会が閉幕した。東京では新型コロナウイルスの感染拡大による緊急事態宣言が続く中で、ほぼ無観客という異例の開催となったが、17日間にわたる熱戦は、想像を超える喜びと感動を私たちに与えてくれた。
近代五輪の父・クーベルタンが提案した「より速く、より高く、より強く」という五輪のモットーに、今回の五輪から「共に」という言葉が加わった。人類の団結でパンデミック(世界的大流行)の試練を共に乗り越えるとのメッセージが含まれているという。
大会の実施には、かつてない困難な状況下で助け合い、アスリートが輝く舞台を支えたボランティアをはじめとする関係者の献身と尽力があった。「復興五輪」の理念の下で、東日本大震災の被災地は野球、ソフトボールなどの開催地となったほか、メダリストに贈られた「ビクトリーブーケ」には岩手、宮城、福島3県の花が使用されるなど貢献をした。
一方、競技が終われば共に寄り添い、国境を超えてたたえ合うアスリートの清々しい姿には特に感銘を受けた。逆境の中での東京五輪は、共に団結して挑めば困難を乗り越えることができるとの「希望のメッセージ」を世界中の人々に送ったのではないだろうか。
また、競技を終えた直後のインタビューで、「感謝」の気持ちを伝える選手が多かったことも象徴的だった。そこに至る苦闘のドラマを物語っているといえよう。
開会式では、一人の女性アスリートが移ろう季節の中、黙々とランニングマシンでトレーニングするパフォーマンスがあった。
五輪の1年延期、コロナ禍の孤独や不安、中止への恐れなど、アスリートは複雑な心の葛藤を抱きながらも諦めず、未来の勝利を信じて練習を重ねてきた。圧倒的な「陰の努力」の積み重ねは、五輪という"ひのき舞台"へとつながり、私たちに大きな希望と勇気を与えてくれた。
先日の「わが友に贈る」には、「眼前の山を越えゆく/挑戦の一日一日の先に/人生の金メダルは輝く。/『やり切った』と誇れる/大満足の日々を歩もう!」と。
五輪アスリートの躍動を胸に、世界の平和と安穏のため、「人生の金メダル」を目指し、共に「挑戦の夏」のドラマをつづりたい。
☆質問BOX 次から次へと目標に挑み続けるのはなぜでしょうか?
◇回答
自らの人間革命を懸けて、学会活動に挑み続けていく中に、人生の充実と幸福があるからです。
日蓮大聖人は、「法華経はあいのごとし修行のふかきは・いよいよあをきがごとし」(御書1505ページ)と仰せです。法華経は、万人成仏を説く偉大な経典ですが、その真価を発揮できるかどうかは「修行のふかき」つまり実践する私たちの信心に懸かっています。何度も染め上げるように、信仰を深め、実践を重ねていくことで、仏界の生命が開かれていくと教えられているのです。
池田先生は「いよいよ戦い続ける信心が、日蓮仏法の真髄である。たゆまぬ発心、そして挑戦の繰り返しこそ、わが生命を永遠に輝く仏界に染め抜いていくのだ」と語っています。順調な時も、大変な時も"いよいよ"との心で戦いを起こしていくことで、揺るぎない幸福境涯が築かれていくのです。
☆みんなで学ぶ教学 第19回 従藍而青
◇後継の友を自分以上の人材に
今回の「みんなで学ぶ教学」は、「従藍而青」がテーマです。大聖人直結の創価学会に脈打つ、後継者育成の精神について学んでいきましょう。新入会者のリホさんは、座談会に参加していた支部女性部長のユリコさんの長女・サユリちゃん(高校2年)の姿に感動しているようです。
リホ サユリちゃん、素晴らしい決意発表でしたね! 感動しちゃいました。
ユリコ 私もびっくり!
子どもは、いつのまにか成長しているものね。
激励してくれている、青年部と未来本部をはじめとする、壮年部・女性部の皆さんのおかげだわ。
リホ 私も、いつも支えてくれる"学会家族"の皆さんに、心から感謝しています。
そういえば、創価学会では青年部・未来部をとても大切にしていますよね。
ユリコ もちろんよ! 一人一人が偉大な後継者よ。「従藍而青」の大人材だと思っているわ。
リホ 「従藍而青」……。どこかで聞いたような気がします。「染め物」に関連する言葉でしたっけ?
ユリコ そうね。中国の思想家・荀子の「青はこれを藍より取りて、しかも藍より青し」との言葉を踏まえたものよ。
「藍染め」という伝統工芸では、「藍」という植物を絞った染料を使うの。それは鮮明な青色ではないのだけれど、何度も重ねて染めることによって、濃くて鮮やかな青色になっていくのよ。
リホ 「藍染め」のことなんですね。
でも、それが後継者に関係しているのでしょうか?
ユリコ 「従藍而青」は、藍染めと同じように、学び続けることの大切さを教えているの。そこから、教えを受けた人が教えた人よりも優れること、弟子が師匠をも超えた人物に成長していくことを譬えるようになったのよ。
リホ なるほど。
ユリコ 日蓮大聖人は、青年門下・南条時光が、幼い頃に亡くした父の遺志を継ぎ、富士方面の門下の中心者として成長した姿を、次のようにたたえられているの。
「亡くなられた南条兵衛七郎殿(=時光の父)こそ、情けに厚い人といわれていたが、(時光は)そのご子息であるから、父君の優れた素質を受け継がれたのでしょう。青は藍より出でて藍より青く、氷は水より出でて水より冷たいようであると感嘆しています」(御書1554ページ、通解)
見守り続けた時光が、立派な後継者として成長したことを喜ばれているのね。
リホ お父さんの兵衛七郎を「藍」に、時光を「青」に譬えられているんですね。
大聖人の深い御慈愛の心を感じて、なんだか感動しました。
ユリコ 創価学会では、この大聖人の御精神のままに、"後輩を、自分以上の人材に"という伝統を大切にしているわ。
それに、誰よりも池田先生が私たち後継者に期待してくださっているの。
先生は「若くして妙法を持った皆さんは、かけがえのない青春を、どんな苦難があろうとも、ますます希望に燃え、勇気に燃えて、必ず勝利で輝かせることができます。ゆえに、『〈後継〉とは無限の希望なり』と私は申し上げたいのです」と語っているのよ。
リホ 無限の希望……。そこまで期待してくださっているんですね。
ユリコ 学会では、皆がその思いに立っているから、未来を担う青年や子どもたちに積極的に声を掛け、励ましを重ねていくのよ。それが心の滋養になっていくの。だから、リホさんみたいに次々と素晴らしい後継の人材が育つのね。
リホ 私もサユリちゃんに追い付けるように頑張ります!
2021年8月10日火曜日
2021.08.10 わが友に贈る
広宣流布に励む功徳を
故人に回らし向ける。
これが追善の本義だ。
信行学の錬磨に挑み
崩れぬ幸福の軌道を!
異体同心事 P1463
『日本国の人人は多人なれども体同異心なれば諸事成ぜん事かたし、日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし』
【通解】
日本国の人々は、大勢いるが、体同異心なので、何事もうまくいかない。日蓮の一門は、異体同心であるゆえに、人数は少ないけれども、大事を成し遂げ、必ず妙法が広まると確信する。悪は多くとも、一善に勝つことはない。
名字の言 困難の「壁」の向こうにあるもの 2021年8月10日
ある壮年部員から高校球児だった頃の思い出話を聞いた。彼が通った山あいの中学は在校生が少なく、野球部がなかった。高校から野球を始めたが、周囲との実力差は歴然だったという▼彼は日々の遠距離通学の傍ら、朝晩、自宅の塀を相手にしたキャッチボールや、素振りの練習を重ねた。だが結局、レギュラーにはなれず、3年生の夏を迎え、最後の大会に臨んだ▼初戦の最終回、彼は代打で出場。放ったヒットで逆転し、チームは1回戦を突破した。試合後、優勝したわけでもないのに、チームメートは彼を胴上げした。皆が陰の努力を知っていたのだ▼「恵まれない環境や自分の非力を嘆いたりせず、精いっぱい頑張り抜くと、どういうことが起こるか……非常に大事な経験となりました」と壮年は述懐した。自分を成長させた体験は忘れ難い。その後の人生で困難の「壁」に直面した際には、自身を奮い立たせ、背中を押す力にもなる▼広辞苑(第7版)で「壁」の音読みの「へき」の項目を引くと「壁」の次には「璧」が載っている。完璧、双璧、白璧などで使う「璧」の文字には、優れたもの、美しい玉といった意味がある。「壁」の向こうには「璧」がある——そう思うと、試練に挑む勇気が湧いてくる。
寸鉄 2021年8月10日
御書「法華経を持たば必ず成仏すべし」。揺るがぬ実践。ここに勝利開く道
創価の助け合いの連帯は社会を支える力—博士。孤立進む今、励まし強く
人格は厳しい状況のもとで測られる—闘士。青年よ広布の中で苦労求めよ
お盆の帰省を控える人が増加と。会えずとも電話や手紙で。心結ぶ工夫を
SNSが主な情報源の人ほど接種に拒否反応と。判断は公的情報をもとに
☆御書の旭光を 第47回 尊極なる宝塔を輝かせて
〈御文〉
『かかる宝塔も妙法蓮華経の五字より外は之れ無きなり妙法蓮華経を見れば宝塔即一切衆生・一切衆生即南無妙法蓮華経の全体なり』(御義口伝、797ページ)
〈通解〉
(法華経の見宝塔品第11で出現する)このような宝塔も妙法蓮華経の五字以外のなにものでもない。胸中の妙法蓮華経を見れば、宝塔は即、一切衆生であり、一切衆生は即、南無妙法蓮華経の全体なのである。
〈池田先生が贈る指針〉
"人類は皆が妙法の当体"との哲理を掲げ、我らは平和のために行動する。あらゆる差異を超え、一人また一人、尊極なる生命の宝塔を林立させていくことが、そのまま不戦への挑戦である。
わが地域から尊敬と信頼に満ちた宝処を広げゆこう! 地球上から「悲惨」の二字を除き、「核兵器廃絶」という恩師の遺訓の実現へ!
☆8月度座談会拝読御書 減劫御書
◇拝読御文
『法華経に云く「皆実相と相違背せず」等云云、天台之を承けて云く「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」等云云、智者とは世間の法より外に仏法を行ず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり』(御書全集1466ページ13行目〜15行目、編年体御書1434ページ1行目〜3行目)
[池田先生の指針から]人間の中へ
仏法は勝負である。生命は永遠に戦いである。強く、また強く、生きぬくことだ。
いずれの社会でも、現実は厳しいものだ。
その現実を勝ち抜いていくことが、仏法の力である。
さまざまな苦難は、だれ人も同じである。
なぜ信仰するのか。そこに深い意義があることを知らねばならない。
ともあれ、学会は、日蓮大聖人の仏法を広宣流布するためにある。その途上においての戦いは、当然、熾烈を極める時もあるだろう。
大聖人は、日本中から猛反撃を受けた。しかし、断じて屈せず、人類の希望の永遠の大道を開かれた。その大聖人の御精神を受け継いだのが、われわれである。
大聖人は仰せである。
「智者とは世間の法より外に仏法を行ず」(御書1466ページ)と。
仏法は虚栄の伽藍の中にあるのではない。観念でもなければ、おとぎ話でもない。現実社会の中にある。
大聖人の仏法は、人間の中へ向かっていく。牧口先生、戸田先生も、悩める民衆のまっただなかで弘教を貫かれた。
人に尽くし、喜びをあたえる。幸福と勝利の花を咲かせる。社会に「正義の旗」を打ち立てる。ここに仏法がある。学会の前進がある。(2001年8月、全国最高協議会でのスピーチ、『池田大作全集』第92巻所収)
◇ ◆ ◇
苦悩に充満したこの娑婆世界を、必ず幸福の楽土に転換していくことができる現実変革の誓願の宗教が、日蓮大聖人の仏法です。いわば「智者の闘争」があってこそ、閻浮提広宣流布は実現します。(中略)
「仏法即社会」の大道を歩み続ける創価の行動は、人類史に壮大な「立正安国」の希望の軌跡を光り輝かせていくのです。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第7巻)
◇現実社会で勝利の実証を
[キーワード�]誠実な振る舞い
日蓮大聖人は拝読御文で、真の「智者」とは「世間において世を治める法を十分に心得ている人」(趣意)と示されています。
仏法の智慧は、決して社会から遊離したものではありません。別の御書で、大聖人が「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(1174ページ)と仰せのように、妙法の偉大さは、社会の中で「人の振る舞い」となってあらわれるものです。
だからこそ、妙法を持つ私たち一人一人が、家庭、地域、職場において、常識豊かに「人を敬う振る舞い」を貫き、信頼を広げていくことが大切です。
いつも自分からあいさつする。朗らかな笑顔を忘れない。真心で感謝の言葉を伝える——こうした振る舞いを日頃から重ねていくことで、自然と友情が育まれ、仏縁が広がっていきます。また、その中で人格も磨かれ、誰からも信頼される自分自身へと大きく成長していくことができるのです。
池田先生は語っています。
「肩肘を張る必要などない。本有無作の自然の振る舞いの中で、学会の温かな励ましの世界を、信仰によって磨かれた人格の輝きを、伸び伸びと伝えていくことだ」
世界広宣流布といっても、「目の前の一人」に誠意を尽くして関わり、心の絆を結んでいくことから始まります。
いかなる状況であっても、創価の誇りを胸に「わが人間革命」に挑みながら、誠実に信頼を広げていくことが、私たちの「仏法即社会」の実践にほかならないのです。
[キーワード�]皆実相と相違背せず
法華経法師功徳品第19では、「法師」——つまり法華経を受持し、広宣流布に励む人は「六根清浄」の功徳を得ることができると説かれています。ここでいう「清浄」とは、感覚・知覚器官が清らかになり、物事を正しくありのままに捉えることができることをいいます。
六根のうちの、「意根清浄」の功徳の一つとして示されているのが、「諸の説く所の法は、其の義趣に随って、皆実相と相違背せじ。若し俗間の経書、治世の語言、資生の業等を説かんも、皆正法に順ぜん」(法華経549ページ)の文です。この趣旨は、法華経の受持によって「意根」すなわち心の働きが清浄になれば、その人が世間法のいかなることを説いても、全て妙法にかなった正しい言葉になっているということです。
この経文について、天台大師は「法華玄義」で「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」と述べました。すなわち、"社会や生活など現実のあらゆる営みが、妙法に背くものではない"と教えているのです。
現実のあらゆる事象が妙法のあらわれであると確信し、信心根本に挑戦を重ねる中で、智慧と勇気を発揮して現実社会で勝利の実証を示していけるのが、私たちの信仰です。
本抄では「大悪は大善の来るべき瑞相なり」(御書1467ページ)と仰せです。試練が打ち続く中だからこそ、立正安国の祈りも強く、今いる場所から「大善」のスクラムを一段と広げていきましょう。
故人に回らし向ける。
これが追善の本義だ。
信行学の錬磨に挑み
崩れぬ幸福の軌道を!
異体同心事 P1463
『日本国の人人は多人なれども体同異心なれば諸事成ぜん事かたし、日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし』
【通解】
日本国の人々は、大勢いるが、体同異心なので、何事もうまくいかない。日蓮の一門は、異体同心であるゆえに、人数は少ないけれども、大事を成し遂げ、必ず妙法が広まると確信する。悪は多くとも、一善に勝つことはない。
名字の言 困難の「壁」の向こうにあるもの 2021年8月10日
ある壮年部員から高校球児だった頃の思い出話を聞いた。彼が通った山あいの中学は在校生が少なく、野球部がなかった。高校から野球を始めたが、周囲との実力差は歴然だったという▼彼は日々の遠距離通学の傍ら、朝晩、自宅の塀を相手にしたキャッチボールや、素振りの練習を重ねた。だが結局、レギュラーにはなれず、3年生の夏を迎え、最後の大会に臨んだ▼初戦の最終回、彼は代打で出場。放ったヒットで逆転し、チームは1回戦を突破した。試合後、優勝したわけでもないのに、チームメートは彼を胴上げした。皆が陰の努力を知っていたのだ▼「恵まれない環境や自分の非力を嘆いたりせず、精いっぱい頑張り抜くと、どういうことが起こるか……非常に大事な経験となりました」と壮年は述懐した。自分を成長させた体験は忘れ難い。その後の人生で困難の「壁」に直面した際には、自身を奮い立たせ、背中を押す力にもなる▼広辞苑(第7版)で「壁」の音読みの「へき」の項目を引くと「壁」の次には「璧」が載っている。完璧、双璧、白璧などで使う「璧」の文字には、優れたもの、美しい玉といった意味がある。「壁」の向こうには「璧」がある——そう思うと、試練に挑む勇気が湧いてくる。
寸鉄 2021年8月10日
御書「法華経を持たば必ず成仏すべし」。揺るがぬ実践。ここに勝利開く道
創価の助け合いの連帯は社会を支える力—博士。孤立進む今、励まし強く
人格は厳しい状況のもとで測られる—闘士。青年よ広布の中で苦労求めよ
お盆の帰省を控える人が増加と。会えずとも電話や手紙で。心結ぶ工夫を
SNSが主な情報源の人ほど接種に拒否反応と。判断は公的情報をもとに
☆御書の旭光を 第47回 尊極なる宝塔を輝かせて
〈御文〉
『かかる宝塔も妙法蓮華経の五字より外は之れ無きなり妙法蓮華経を見れば宝塔即一切衆生・一切衆生即南無妙法蓮華経の全体なり』(御義口伝、797ページ)
〈通解〉
(法華経の見宝塔品第11で出現する)このような宝塔も妙法蓮華経の五字以外のなにものでもない。胸中の妙法蓮華経を見れば、宝塔は即、一切衆生であり、一切衆生は即、南無妙法蓮華経の全体なのである。
〈池田先生が贈る指針〉
"人類は皆が妙法の当体"との哲理を掲げ、我らは平和のために行動する。あらゆる差異を超え、一人また一人、尊極なる生命の宝塔を林立させていくことが、そのまま不戦への挑戦である。
わが地域から尊敬と信頼に満ちた宝処を広げゆこう! 地球上から「悲惨」の二字を除き、「核兵器廃絶」という恩師の遺訓の実現へ!
☆8月度座談会拝読御書 減劫御書
◇拝読御文
『法華経に云く「皆実相と相違背せず」等云云、天台之を承けて云く「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」等云云、智者とは世間の法より外に仏法を行ず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり』(御書全集1466ページ13行目〜15行目、編年体御書1434ページ1行目〜3行目)
[池田先生の指針から]人間の中へ
仏法は勝負である。生命は永遠に戦いである。強く、また強く、生きぬくことだ。
いずれの社会でも、現実は厳しいものだ。
その現実を勝ち抜いていくことが、仏法の力である。
さまざまな苦難は、だれ人も同じである。
なぜ信仰するのか。そこに深い意義があることを知らねばならない。
ともあれ、学会は、日蓮大聖人の仏法を広宣流布するためにある。その途上においての戦いは、当然、熾烈を極める時もあるだろう。
大聖人は、日本中から猛反撃を受けた。しかし、断じて屈せず、人類の希望の永遠の大道を開かれた。その大聖人の御精神を受け継いだのが、われわれである。
大聖人は仰せである。
「智者とは世間の法より外に仏法を行ず」(御書1466ページ)と。
仏法は虚栄の伽藍の中にあるのではない。観念でもなければ、おとぎ話でもない。現実社会の中にある。
大聖人の仏法は、人間の中へ向かっていく。牧口先生、戸田先生も、悩める民衆のまっただなかで弘教を貫かれた。
人に尽くし、喜びをあたえる。幸福と勝利の花を咲かせる。社会に「正義の旗」を打ち立てる。ここに仏法がある。学会の前進がある。(2001年8月、全国最高協議会でのスピーチ、『池田大作全集』第92巻所収)
◇ ◆ ◇
苦悩に充満したこの娑婆世界を、必ず幸福の楽土に転換していくことができる現実変革の誓願の宗教が、日蓮大聖人の仏法です。いわば「智者の闘争」があってこそ、閻浮提広宣流布は実現します。(中略)
「仏法即社会」の大道を歩み続ける創価の行動は、人類史に壮大な「立正安国」の希望の軌跡を光り輝かせていくのです。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第7巻)
◇現実社会で勝利の実証を
[キーワード�]誠実な振る舞い
日蓮大聖人は拝読御文で、真の「智者」とは「世間において世を治める法を十分に心得ている人」(趣意)と示されています。
仏法の智慧は、決して社会から遊離したものではありません。別の御書で、大聖人が「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(1174ページ)と仰せのように、妙法の偉大さは、社会の中で「人の振る舞い」となってあらわれるものです。
だからこそ、妙法を持つ私たち一人一人が、家庭、地域、職場において、常識豊かに「人を敬う振る舞い」を貫き、信頼を広げていくことが大切です。
いつも自分からあいさつする。朗らかな笑顔を忘れない。真心で感謝の言葉を伝える——こうした振る舞いを日頃から重ねていくことで、自然と友情が育まれ、仏縁が広がっていきます。また、その中で人格も磨かれ、誰からも信頼される自分自身へと大きく成長していくことができるのです。
池田先生は語っています。
「肩肘を張る必要などない。本有無作の自然の振る舞いの中で、学会の温かな励ましの世界を、信仰によって磨かれた人格の輝きを、伸び伸びと伝えていくことだ」
世界広宣流布といっても、「目の前の一人」に誠意を尽くして関わり、心の絆を結んでいくことから始まります。
いかなる状況であっても、創価の誇りを胸に「わが人間革命」に挑みながら、誠実に信頼を広げていくことが、私たちの「仏法即社会」の実践にほかならないのです。
[キーワード�]皆実相と相違背せず
法華経法師功徳品第19では、「法師」——つまり法華経を受持し、広宣流布に励む人は「六根清浄」の功徳を得ることができると説かれています。ここでいう「清浄」とは、感覚・知覚器官が清らかになり、物事を正しくありのままに捉えることができることをいいます。
六根のうちの、「意根清浄」の功徳の一つとして示されているのが、「諸の説く所の法は、其の義趣に随って、皆実相と相違背せじ。若し俗間の経書、治世の語言、資生の業等を説かんも、皆正法に順ぜん」(法華経549ページ)の文です。この趣旨は、法華経の受持によって「意根」すなわち心の働きが清浄になれば、その人が世間法のいかなることを説いても、全て妙法にかなった正しい言葉になっているということです。
この経文について、天台大師は「法華玄義」で「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」と述べました。すなわち、"社会や生活など現実のあらゆる営みが、妙法に背くものではない"と教えているのです。
現実のあらゆる事象が妙法のあらわれであると確信し、信心根本に挑戦を重ねる中で、智慧と勇気を発揮して現実社会で勝利の実証を示していけるのが、私たちの信仰です。
本抄では「大悪は大善の来るべき瑞相なり」(御書1467ページ)と仰せです。試練が打ち続く中だからこそ、立正安国の祈りも強く、今いる場所から「大善」のスクラムを一段と広げていきましょう。
2021年8月9日月曜日
2021.08.09 わが友に贈る
◇今週のことば
賑やかな活気に満ちた
少年少女たちの声こそ
核兵器を抑える希望だ。
わが未来部の輝く命を
励まし伸ばしゆこう!
2021年8月9日
四条金吾殿女房御返事 P1134
『此の世の中の男女僧尼は嫌うべからず法華経を持たせ給う人は一切衆生のしうとこそ仏は御らん候らめ、梵王帝釈はあをがせ給うらめとうれしさ申すばかりなし』
【通解】
この世の中の男であれ女であれ、僧であれ尼であれ、法華経を受持された人は、すべての人の「主人」の立場であると仏は見ておられるであろう。(この人を)梵天・帝釈は仰いで尊敬されるであろうと思い、うれしさは言いようもない。
名字の言 暑中見舞いで広がる友好の輪 2021年8月9日
コロナ禍が長引くからだろうか。今年は、暑中見舞いのはがきを出した方からの返事が多かった。わざわざ電話で元気な声を聞かせてくれる友も。一枚のはがきで、一本の電話で、心がつながるのがうれしい▼東京の婦人からは、真っ赤なトマトが描かれた絵手紙が届いた。「リコピンで 元気もりもり 越・猛暑!」と力強い。早速、連絡を取ると、暑中見舞いを書いているさなかという。「友好活動しながら暑さを乗り切ります」と頼もしい▼地域の壮年は、LINEで動画による暑中見舞いを送ってくれた。青空に湧き立つ入道雲、せみ時雨、風鈴の音などが流れ、「新型コロナに負けずに この暑い夏を乗り切りましょう」と。最後に花火が上がり、心に涼風が吹き抜けた▼真心の交流を広げる中で人生は豊かになる。誠実な出会いを重ねる中で境涯は拡大する。御書に「一日でも私の味方となって、心を寄せてくれた人を、どうして、ないがしろにできるだろうか」(1460ページ、通解)と。縁ある一人一人を大切にするのが日蓮大聖人のお心である▼これまで絆を結んだ友人を大切にしながら、新たな絆を結んでいきたい。年齢とともに友好の輪が広がり、境涯も大きくなる自分自身でありたい。
寸鉄 2021年8月9日
長崎原爆の日。悲劇繰り返さぬために平和勢力の拡大を。草の根対話益々
信心すれば苦しみ自体がだんだん浅くなる—恩師宿命転換の道を粘り強く
力を発揮することが喜びなのだ—詩人。今できる挑戦を地道に!日々前進
熱中症の救急搬送、前年同時期の1・7倍と。水分補給、空調使用等、早めに
身体的距離の確保、取れないならマスク—これが感染防ぐ基本。油断せず
☆「世界を照らす太陽の仏法」に学ぶ 第9回 堅塁の人材城
◇生死一大事血脈抄
『総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か』(御書1337ページ12行目〜14行目)
◇池田先生の講義
日蓮仏法の根幹はどこまでいっても「師弟不二の信心」にあります。「師弟不二」という縦糸と「異体同心」という横糸によって、世界へ「広宣流布」という平和と幸福の多彩な旗が織り成されていくのです。
この御文で「生死一大事の血脈」、つまり万人成仏の血脈を一切衆生に受け継がせるための三点の要諦を教えられています。
まず「自他彼此の心なく」です。自分や他人という分け隔てや対立、エゴの心をなくしていくことです。
続いて「水魚の思を成して」とあります。水と魚が互いに、かけがえのない存在であるように、尊敬し合い、理解し合い、助け合っていくということです。
さらに「異体同心」と仰せです。個性や立場が異なっていても、同じ目的や価値観に立つということです。
◆◇◆
今、仏法の人間主義の大潮流が、世界中に広がっています。私たちの創価の対話を、人類が求めているのです。頼もしき後継の青年たちと共に、勇気と確信に満ちて、一人一人の宝塔を開きながら、この地球に生きる民衆の連帯を拡大していきたい。
(『人間革命の宗教』から)
松波利子 中部女性部長
◇異体同心で立正安国の凱歌へ
7・27「中部の日」45周年をかつてない対話と正義の拡大で勝ち飾り、中部の同志は、いや増して意気軒高です。今月、各地で記念の座談会を開催。互いの健闘をたたえ合い、"勝利の夏"へ、力強く出発しました。
「中部の日」の淵源は1976年(昭和51年)7月27日に行われた記念幹部会です。その席上、池田先生は、団結の旗印である「中部旗」を託し、苦難を勝ち越えてきた同志を大激励してくださったのです。
2年後の「7・27」には、先生ご自身が作詞された中部歌「この道の歌」が発表されるなど、師弟共戦の歴史を幾重にも刻んでくださいました。
◇縦糸と横糸
先生は、今回学ぶ「生死一大事血脈抄」の講義で、「広宣流布」という平和と幸福の多彩な旗は、「師弟不二」という縦糸と「異体同心」という横糸によって織り成されていくと教えてくださっています。
中部広布の歩みも、まさにこの通りの歴史です。
私自身、第1次宗門事件の嵐が吹き荒れた時、岐阜の垂井で壮年・婦人の本部長をしていた両親が、同志を守るため、必死で極悪と戦う姿を目の当たりにしました。後年、岐阜を訪れた先生は両親をたたえてくださいました。「ご一家は勝ちに勝ちました。生々世々、幸福の大長者ですよ」——万感の励ましを送られる師匠のお姿を忘れることはできません。
嵐を勝ち越えるたびに、先生と中部の同志の師弟の絆はますます強固になり、決して崩れない堅塁の団結が築かれてきたのです。
◇新しい自分へ
この「生死一大事血脈抄」の一節は、45年前の記念幹部会で、先生が同志と拝してくださった、中部にとって大事な御書です。
この時、先生は、"後輩は先輩を尊敬し、また先輩は後輩を大事にし、共々に守り合っていくという異体を同心とする善知識の団結で、広宣流布の大願に進もう"と指導されました。
昨年の2月、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、さまざまな学会活動が自粛になりました。未曽有の事態に戸惑いもありましたが、"本当に新しい自分へと生まれ変わる時!"と決意しました。
以来、祈りに祈り、一歩でも広布を前進させていこうと、同志を励ましてきました。日々、重ねた題目が今月で700万遍を超え、気が付いた自身の変化があります。
同志と懇談していると、目の前の方が、師匠へのどれほどの思いと戦いを重ねて今があるのかと、その方の奥にある広布の闘争が胸に迫り、一層、尊敬の念が湧いてくるのです。
また、青年は、先生が期待を寄せる後継の宝です。未来部・青年部を育てることなくして、師匠にお応えする道はないのだと、より強く感じるようにもなりました。
「自他彼此の心なく」と御文にありますが、それは形式や単なる心の持ち方ではなく、自らの信心の挑戦、人間革命から始まります。
師弟を根本に、「水魚の思」でたたえ合う時、堅固な異体同心の団結が生まれるのだと、改めて確信することができました。
◇「堅」の字の意義
先生はかつて、「堅塁」の「堅」の一字には、"どんな試練にも揺るがぬ「堅固」""どんな苦難をも耐え抜く「堅忍」""どんな変化にも勝ち抜く「堅実」"という意義がある、と教えてくださいました。
試練の時こそ、堅塁の人材城が強く輝く時です。中部女性部では、コロナ禍にあっても、堅忍の心で小単位のグループの集いを、堅実に開催。堅固な励ましの連帯を隅々にまで広げてきました。スマホやタブレットを上手に使い、オンラインで活躍される80代・90代の先輩方も数多くおられます。
先生は講義の中で、「創価の異体同心の『調和』の世界には、信心という『心』で結ばれた、最も強く最も深く最も美しい『人間の絆』があります。この麗しき人間共和の世界を築き広げることは、二十一世紀の宗教の何よりの証明といえるでしょう」とつづられています。師の心を心として、一人でも多くの同志や友人へ真心の対話を広げ、一人一人が"広布の一番星"と勝ち光っていきたいと思います。
創立100周年までの「勝負の10年」を決する本年。ヤング白ゆり世代から多宝会の先輩まで、全ての中部女性部の異体同心の団結で、立正安国の凱歌の秋を勝ち開く!——この心で、大きく動き、語り、"堅塁"中部から、新たな広布拡大のうねりを起こしていきましょう!
◇メモ
「生死一大事血脈抄」は文永9年(1272年)、佐渡・塚原で認められ、同じく佐渡に流罪中の最蓮房に与えられたとされる。「生死一大事」とは、生死を繰り返して流転する私たちの生命における根本の大事を指す。「血脈」とは、親から子へ血筋が受け継がれるように、法が仏から衆生へ伝えられていくことを譬えた表現である。したがって、「生死一大事の血脈」とは、仏から衆生に伝えられる、生命の究極の大事——すなわち、"万人成仏の大法"を意味する。
賑やかな活気に満ちた
少年少女たちの声こそ
核兵器を抑える希望だ。
わが未来部の輝く命を
励まし伸ばしゆこう!
2021年8月9日
四条金吾殿女房御返事 P1134
『此の世の中の男女僧尼は嫌うべからず法華経を持たせ給う人は一切衆生のしうとこそ仏は御らん候らめ、梵王帝釈はあをがせ給うらめとうれしさ申すばかりなし』
【通解】
この世の中の男であれ女であれ、僧であれ尼であれ、法華経を受持された人は、すべての人の「主人」の立場であると仏は見ておられるであろう。(この人を)梵天・帝釈は仰いで尊敬されるであろうと思い、うれしさは言いようもない。
名字の言 暑中見舞いで広がる友好の輪 2021年8月9日
コロナ禍が長引くからだろうか。今年は、暑中見舞いのはがきを出した方からの返事が多かった。わざわざ電話で元気な声を聞かせてくれる友も。一枚のはがきで、一本の電話で、心がつながるのがうれしい▼東京の婦人からは、真っ赤なトマトが描かれた絵手紙が届いた。「リコピンで 元気もりもり 越・猛暑!」と力強い。早速、連絡を取ると、暑中見舞いを書いているさなかという。「友好活動しながら暑さを乗り切ります」と頼もしい▼地域の壮年は、LINEで動画による暑中見舞いを送ってくれた。青空に湧き立つ入道雲、せみ時雨、風鈴の音などが流れ、「新型コロナに負けずに この暑い夏を乗り切りましょう」と。最後に花火が上がり、心に涼風が吹き抜けた▼真心の交流を広げる中で人生は豊かになる。誠実な出会いを重ねる中で境涯は拡大する。御書に「一日でも私の味方となって、心を寄せてくれた人を、どうして、ないがしろにできるだろうか」(1460ページ、通解)と。縁ある一人一人を大切にするのが日蓮大聖人のお心である▼これまで絆を結んだ友人を大切にしながら、新たな絆を結んでいきたい。年齢とともに友好の輪が広がり、境涯も大きくなる自分自身でありたい。
寸鉄 2021年8月9日
長崎原爆の日。悲劇繰り返さぬために平和勢力の拡大を。草の根対話益々
信心すれば苦しみ自体がだんだん浅くなる—恩師宿命転換の道を粘り強く
力を発揮することが喜びなのだ—詩人。今できる挑戦を地道に!日々前進
熱中症の救急搬送、前年同時期の1・7倍と。水分補給、空調使用等、早めに
身体的距離の確保、取れないならマスク—これが感染防ぐ基本。油断せず
☆「世界を照らす太陽の仏法」に学ぶ 第9回 堅塁の人材城
◇生死一大事血脈抄
『総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か』(御書1337ページ12行目〜14行目)
◇池田先生の講義
日蓮仏法の根幹はどこまでいっても「師弟不二の信心」にあります。「師弟不二」という縦糸と「異体同心」という横糸によって、世界へ「広宣流布」という平和と幸福の多彩な旗が織り成されていくのです。
この御文で「生死一大事の血脈」、つまり万人成仏の血脈を一切衆生に受け継がせるための三点の要諦を教えられています。
まず「自他彼此の心なく」です。自分や他人という分け隔てや対立、エゴの心をなくしていくことです。
続いて「水魚の思を成して」とあります。水と魚が互いに、かけがえのない存在であるように、尊敬し合い、理解し合い、助け合っていくということです。
さらに「異体同心」と仰せです。個性や立場が異なっていても、同じ目的や価値観に立つということです。
◆◇◆
今、仏法の人間主義の大潮流が、世界中に広がっています。私たちの創価の対話を、人類が求めているのです。頼もしき後継の青年たちと共に、勇気と確信に満ちて、一人一人の宝塔を開きながら、この地球に生きる民衆の連帯を拡大していきたい。
(『人間革命の宗教』から)
松波利子 中部女性部長
◇異体同心で立正安国の凱歌へ
7・27「中部の日」45周年をかつてない対話と正義の拡大で勝ち飾り、中部の同志は、いや増して意気軒高です。今月、各地で記念の座談会を開催。互いの健闘をたたえ合い、"勝利の夏"へ、力強く出発しました。
「中部の日」の淵源は1976年(昭和51年)7月27日に行われた記念幹部会です。その席上、池田先生は、団結の旗印である「中部旗」を託し、苦難を勝ち越えてきた同志を大激励してくださったのです。
2年後の「7・27」には、先生ご自身が作詞された中部歌「この道の歌」が発表されるなど、師弟共戦の歴史を幾重にも刻んでくださいました。
◇縦糸と横糸
先生は、今回学ぶ「生死一大事血脈抄」の講義で、「広宣流布」という平和と幸福の多彩な旗は、「師弟不二」という縦糸と「異体同心」という横糸によって織り成されていくと教えてくださっています。
中部広布の歩みも、まさにこの通りの歴史です。
私自身、第1次宗門事件の嵐が吹き荒れた時、岐阜の垂井で壮年・婦人の本部長をしていた両親が、同志を守るため、必死で極悪と戦う姿を目の当たりにしました。後年、岐阜を訪れた先生は両親をたたえてくださいました。「ご一家は勝ちに勝ちました。生々世々、幸福の大長者ですよ」——万感の励ましを送られる師匠のお姿を忘れることはできません。
嵐を勝ち越えるたびに、先生と中部の同志の師弟の絆はますます強固になり、決して崩れない堅塁の団結が築かれてきたのです。
◇新しい自分へ
この「生死一大事血脈抄」の一節は、45年前の記念幹部会で、先生が同志と拝してくださった、中部にとって大事な御書です。
この時、先生は、"後輩は先輩を尊敬し、また先輩は後輩を大事にし、共々に守り合っていくという異体を同心とする善知識の団結で、広宣流布の大願に進もう"と指導されました。
昨年の2月、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、さまざまな学会活動が自粛になりました。未曽有の事態に戸惑いもありましたが、"本当に新しい自分へと生まれ変わる時!"と決意しました。
以来、祈りに祈り、一歩でも広布を前進させていこうと、同志を励ましてきました。日々、重ねた題目が今月で700万遍を超え、気が付いた自身の変化があります。
同志と懇談していると、目の前の方が、師匠へのどれほどの思いと戦いを重ねて今があるのかと、その方の奥にある広布の闘争が胸に迫り、一層、尊敬の念が湧いてくるのです。
また、青年は、先生が期待を寄せる後継の宝です。未来部・青年部を育てることなくして、師匠にお応えする道はないのだと、より強く感じるようにもなりました。
「自他彼此の心なく」と御文にありますが、それは形式や単なる心の持ち方ではなく、自らの信心の挑戦、人間革命から始まります。
師弟を根本に、「水魚の思」でたたえ合う時、堅固な異体同心の団結が生まれるのだと、改めて確信することができました。
◇「堅」の字の意義
先生はかつて、「堅塁」の「堅」の一字には、"どんな試練にも揺るがぬ「堅固」""どんな苦難をも耐え抜く「堅忍」""どんな変化にも勝ち抜く「堅実」"という意義がある、と教えてくださいました。
試練の時こそ、堅塁の人材城が強く輝く時です。中部女性部では、コロナ禍にあっても、堅忍の心で小単位のグループの集いを、堅実に開催。堅固な励ましの連帯を隅々にまで広げてきました。スマホやタブレットを上手に使い、オンラインで活躍される80代・90代の先輩方も数多くおられます。
先生は講義の中で、「創価の異体同心の『調和』の世界には、信心という『心』で結ばれた、最も強く最も深く最も美しい『人間の絆』があります。この麗しき人間共和の世界を築き広げることは、二十一世紀の宗教の何よりの証明といえるでしょう」とつづられています。師の心を心として、一人でも多くの同志や友人へ真心の対話を広げ、一人一人が"広布の一番星"と勝ち光っていきたいと思います。
創立100周年までの「勝負の10年」を決する本年。ヤング白ゆり世代から多宝会の先輩まで、全ての中部女性部の異体同心の団結で、立正安国の凱歌の秋を勝ち開く!——この心で、大きく動き、語り、"堅塁"中部から、新たな広布拡大のうねりを起こしていきましょう!
◇メモ
「生死一大事血脈抄」は文永9年(1272年)、佐渡・塚原で認められ、同じく佐渡に流罪中の最蓮房に与えられたとされる。「生死一大事」とは、生死を繰り返して流転する私たちの生命における根本の大事を指す。「血脈」とは、親から子へ血筋が受け継がれるように、法が仏から衆生へ伝えられていくことを譬えた表現である。したがって、「生死一大事の血脈」とは、仏から衆生に伝えられる、生命の究極の大事——すなわち、"万人成仏の大法"を意味する。
2021年8月8日日曜日
2021.08.08 わが友に贈る
台風に伴う強雨や災害
通過後の急な気温上昇に
十分な注意を!
常に最新の情報を確認し
どうか安全第一で!
四条金吾殿女房御返事 P1135
『一切の人はにくまばにくめ、釈迦仏多宝仏十方の諸仏乃至梵王帝釈日月等にだにもふびんとをもはれまいらせなばなにかくるしかるべき、法華経にだにもほめられたてまつりなばなにかくるしかるべき』
【通解】
一切の人が憎むならば憎めばよい。釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏をはじめとして、梵天・帝釈・日天・月天等にさえ、いとおしく思っていただけるならば、何が苦しいことがあるでしょうか。法華経にさえ、ほめていただけるならば、何が苦しいことがあるでしょうか。
名字の言 東京五輪で選手たちが口々に発した言葉 2021年8月8日
東京オリンピックが、きょう閉幕を迎える。白熱の展開の数々に、普段はスポーツを見る機会が少ない人も、テレビの前にくぎ付けになったのではないか▼心を打たれたのは、プレーだけではない。試合を終えて選手たちが口々に発した「感謝」の二字に、何度も胸が熱くなった▼世界がコロナ禍と戦う中での大会。今回ほど、「感謝」という言葉を聞いた五輪はなかった。この5年間、限界に挑み、苦闘を勝ち越えたアスリートが思いを伝えた相手は、家族や友人、練習パートナー、ライバル、恩師など、接する人々だけでなく、大会実現を陰で支えた全ての人たちだった。感動を届けてもらった私たちも、全オリンピアンに感謝と称賛の拍手を送りたい▼感謝は新たな感謝を生む。前例のない状況下での開催となったからこそ、この"感謝の連鎖"を、「平和な社会」「安穏な世界」を築く大きな力にしたいものだ▼池田先生は小説『新・人間革命』につづった。「感謝の心は、歓喜をもたらし、その生命の躍動が、大生命力を涌現させる」(第29巻「力走」の章)と。私たちも、支えてくれる身近な人に改めて感謝を伝えよう。そして燃え立つ歓喜の生命で、地域に家庭に"幸の連鎖"を広げていきたい。
寸鉄 2021年8月8日
御書「穢土に候へども心は霊山に住べし」。環境は一念で変わる。祈り強く
東京・荒川広布原点の日。常勝の王者が立てば歴史が動く。勇んで友情拡大
悔いを残さぬ事が幸福感を高める鍵—心理学者。故に今を全力。今を勝つ
生活習慣の乱れは心身に影響。親子で規則正しく。共に朝の爽快な勤行から
東京五輪の閉会式。限界突破の熱戦に拍手。我らも負けじ魂で挑戦の夏を
☆不二の旅 第15回 池田先生と中部 「師弟の道」を共々に!
池田先生と各方面の同志の絆を紹介する「不二の旅」。最終回となる第16回の舞台は、きょう7月27日を師弟の原点とする中部。1976年7月27日、池田先生は中部旗を授与し、2年後の78年7月27日、中部歌「この道の歌」が発表された。中部の友への指針と共に掲載する。
・堅塁の象徴「中部旗」。中央には3県の団結を表す中部の頭文字「C」と、「堅塁」の金文字が輝く
・中部記念幹部会の席上、池田先生が中部旗を授与。この不滅の原点「中部の日」から45周年を刻む(1976年7月27日、名古屋文化会館<当時>で)
・堅塁・中部には、強き「祈り」がある。強き「行動」がある。この「祈り」と「行動」で、わが大中部は晴れ晴れと、また堂々と、勝ちに勝った——第17回中部総会で、同志をたたえる池田先生ご夫妻(1998年11月、中部池田記念講堂で)
・第1回愛知県総会。「愚人にほめられたるは第一のはぢなり」との御金言のままに、広宣の大道を堂々と進んでほしいと望んだ(1983年4月、中部文化会館<当時>で)
・池田先生が三重の地でしたためた「道」の書。先生は「道が大事だ。真っ直ぐに進むんだ。道を間違えては駄目だ」と(1985年10月)
・♪先生 先生 われらの先生——宗門事件の嵐の中、「今日も元気で」を高らかに歌った三重文化合唱祭。先生はピアノの演奏で応えた(1978年4月、三重研修道場で)
・岐阜池田講堂(現・岐阜平和講堂)で行われた第16回本部幹部会。"勇気をもち、朗らかに、そして団結の信心で、この大切な一生を飾ってほしい"と訴えた(1989年4月)
◇中部の友に贈った指針
「中部」と聞くと、私の胸は強く高鳴る。
「中部」を思うと、私の心は熱く燃える。
わが大中部には、何ものをも恐れぬ「破邪顕正」の魂がある。
わが大中部には、絶対に信じ合える「異体同心」の同志がいる。
わが大中部こそ、広宣流布のため、私と共に断固として勝ち進みゆく「師弟勝利」の堅塁城なのだ。
◇
「この道」は、君と私が誇り高く決めた道だ。
信念の道であり、正義の道であり、共戦の道だ。
求道の道であり、明朗の道であり、和楽の道だ。
何があろうと、我らは立ち止まらない。振り返らない。ひとたび決めた「この道」を、ひとすじに、前へ、また前へ、歩み通していくのみである。
◇
法華経には、仏の異名をば、「知道者」(道を知る人)、「開道者」(道を開く人)、「説道者」(道を説く人)と説かれる。我ら中部の「この道」こそ、仏の真髄の道であり、妙法の極致の道なのである。
そのたゆみなき一歩また一歩の積み重ねのなかで、わが生命それ自体が金剛不壊の堅塁と聳え立つのだ。
◇
「この道」は、師弟を根本に異体を同心とする道だ。
同志の道であり、友情の道であり、常楽の道だ。
師弟の道であり、不二の道であり、勝利の道だ。
堅塁の堅塁たる所以は、何か。それは、絶対の同志の信頼があり、金城鉄壁の団結があるゆえである。
◇
最も大切な中部の真の愛弟子たちよ!
いつも、そして、いつまでも、どこまでも——
「この道」を悠然と!
「この道」を愉快に!
「この道」を共々に!
一生涯、永遠に歩み抜いていこう!
(指導集『「この道」師弟勝利の堅塁城』巻頭言から抜粋)
通過後の急な気温上昇に
十分な注意を!
常に最新の情報を確認し
どうか安全第一で!
四条金吾殿女房御返事 P1135
『一切の人はにくまばにくめ、釈迦仏多宝仏十方の諸仏乃至梵王帝釈日月等にだにもふびんとをもはれまいらせなばなにかくるしかるべき、法華経にだにもほめられたてまつりなばなにかくるしかるべき』
【通解】
一切の人が憎むならば憎めばよい。釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏をはじめとして、梵天・帝釈・日天・月天等にさえ、いとおしく思っていただけるならば、何が苦しいことがあるでしょうか。法華経にさえ、ほめていただけるならば、何が苦しいことがあるでしょうか。
名字の言 東京五輪で選手たちが口々に発した言葉 2021年8月8日
東京オリンピックが、きょう閉幕を迎える。白熱の展開の数々に、普段はスポーツを見る機会が少ない人も、テレビの前にくぎ付けになったのではないか▼心を打たれたのは、プレーだけではない。試合を終えて選手たちが口々に発した「感謝」の二字に、何度も胸が熱くなった▼世界がコロナ禍と戦う中での大会。今回ほど、「感謝」という言葉を聞いた五輪はなかった。この5年間、限界に挑み、苦闘を勝ち越えたアスリートが思いを伝えた相手は、家族や友人、練習パートナー、ライバル、恩師など、接する人々だけでなく、大会実現を陰で支えた全ての人たちだった。感動を届けてもらった私たちも、全オリンピアンに感謝と称賛の拍手を送りたい▼感謝は新たな感謝を生む。前例のない状況下での開催となったからこそ、この"感謝の連鎖"を、「平和な社会」「安穏な世界」を築く大きな力にしたいものだ▼池田先生は小説『新・人間革命』につづった。「感謝の心は、歓喜をもたらし、その生命の躍動が、大生命力を涌現させる」(第29巻「力走」の章)と。私たちも、支えてくれる身近な人に改めて感謝を伝えよう。そして燃え立つ歓喜の生命で、地域に家庭に"幸の連鎖"を広げていきたい。
寸鉄 2021年8月8日
御書「穢土に候へども心は霊山に住べし」。環境は一念で変わる。祈り強く
東京・荒川広布原点の日。常勝の王者が立てば歴史が動く。勇んで友情拡大
悔いを残さぬ事が幸福感を高める鍵—心理学者。故に今を全力。今を勝つ
生活習慣の乱れは心身に影響。親子で規則正しく。共に朝の爽快な勤行から
東京五輪の閉会式。限界突破の熱戦に拍手。我らも負けじ魂で挑戦の夏を
☆不二の旅 第15回 池田先生と中部 「師弟の道」を共々に!
池田先生と各方面の同志の絆を紹介する「不二の旅」。最終回となる第16回の舞台は、きょう7月27日を師弟の原点とする中部。1976年7月27日、池田先生は中部旗を授与し、2年後の78年7月27日、中部歌「この道の歌」が発表された。中部の友への指針と共に掲載する。
・堅塁の象徴「中部旗」。中央には3県の団結を表す中部の頭文字「C」と、「堅塁」の金文字が輝く
・中部記念幹部会の席上、池田先生が中部旗を授与。この不滅の原点「中部の日」から45周年を刻む(1976年7月27日、名古屋文化会館<当時>で)
・堅塁・中部には、強き「祈り」がある。強き「行動」がある。この「祈り」と「行動」で、わが大中部は晴れ晴れと、また堂々と、勝ちに勝った——第17回中部総会で、同志をたたえる池田先生ご夫妻(1998年11月、中部池田記念講堂で)
・第1回愛知県総会。「愚人にほめられたるは第一のはぢなり」との御金言のままに、広宣の大道を堂々と進んでほしいと望んだ(1983年4月、中部文化会館<当時>で)
・池田先生が三重の地でしたためた「道」の書。先生は「道が大事だ。真っ直ぐに進むんだ。道を間違えては駄目だ」と(1985年10月)
・♪先生 先生 われらの先生——宗門事件の嵐の中、「今日も元気で」を高らかに歌った三重文化合唱祭。先生はピアノの演奏で応えた(1978年4月、三重研修道場で)
・岐阜池田講堂(現・岐阜平和講堂)で行われた第16回本部幹部会。"勇気をもち、朗らかに、そして団結の信心で、この大切な一生を飾ってほしい"と訴えた(1989年4月)
◇中部の友に贈った指針
「中部」と聞くと、私の胸は強く高鳴る。
「中部」を思うと、私の心は熱く燃える。
わが大中部には、何ものをも恐れぬ「破邪顕正」の魂がある。
わが大中部には、絶対に信じ合える「異体同心」の同志がいる。
わが大中部こそ、広宣流布のため、私と共に断固として勝ち進みゆく「師弟勝利」の堅塁城なのだ。
◇
「この道」は、君と私が誇り高く決めた道だ。
信念の道であり、正義の道であり、共戦の道だ。
求道の道であり、明朗の道であり、和楽の道だ。
何があろうと、我らは立ち止まらない。振り返らない。ひとたび決めた「この道」を、ひとすじに、前へ、また前へ、歩み通していくのみである。
◇
法華経には、仏の異名をば、「知道者」(道を知る人)、「開道者」(道を開く人)、「説道者」(道を説く人)と説かれる。我ら中部の「この道」こそ、仏の真髄の道であり、妙法の極致の道なのである。
そのたゆみなき一歩また一歩の積み重ねのなかで、わが生命それ自体が金剛不壊の堅塁と聳え立つのだ。
◇
「この道」は、師弟を根本に異体を同心とする道だ。
同志の道であり、友情の道であり、常楽の道だ。
師弟の道であり、不二の道であり、勝利の道だ。
堅塁の堅塁たる所以は、何か。それは、絶対の同志の信頼があり、金城鉄壁の団結があるゆえである。
◇
最も大切な中部の真の愛弟子たちよ!
いつも、そして、いつまでも、どこまでも——
「この道」を悠然と!
「この道」を愉快に!
「この道」を共々に!
一生涯、永遠に歩み抜いていこう!
(指導集『「この道」師弟勝利の堅塁城』巻頭言から抜粋)
2021年8月7日土曜日
2021.08.07 わが友に贈る
眼前の山を越えゆく
挑戦の一日一日の先に
人生の金メダルは輝く。
「やり切った」と誇れる
大満足の日々を歩もう!
日女御前御返事 P1245
『石に矢のたつ是れ又父のかたきと思いし至信の故なり、何に況や仏法においてをや』
【通解】
中国の李広(りこう)将軍が放った矢が石に立ったというのも、(石を父親を殺した虎と思い)父親の仇と信じ抜いた一念の強さゆえである。まして、仏法においては、なおさらのことである。
名字の言 「山」をつくり、乗り越える——あすは「山の日」 2021年8月7日
戦国時代の武将・武田信玄が掲げた軍旗は「風林火山」と呼ばれる。『孫子』の一節「其の疾きこと風の如く、其の徐なること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如く」に由来する▼例年8月11日の「山の日」が、今年は東京五輪の閉会式が行われるあす8日に移動した。友と「山は動かざるなのに……」と談笑していると、「それは少し違うかも」と言われた。学生時代、登山部だった彼は「動かない山でも、見える姿や意味は、いかようにも変幻します」と▼山を前に、怯めば"畏怖の巨像"。挑めば"やりがいの頂"——彼の人生も同様であった。大学院博士課程の時、体調を崩して中退。それでも、学問の世界で身を立てる志を燃やし続け、現在、大学教員をしながら、社会人大学院の博士課程で学ぶ。今も挑戦の歩みを進める日々だ▼池田先生は「山」を引いて、語っている。「自分で、挑戦すべき『山』をつくり、『山』を乗り越え、また次の『山』をつくって乗り越えていく。乗り越えるたびに、もっと強く、もっと大きな自分へと人間革命していく」と▼「山」とは、築くべき"気高い自分自身"なのかもしれない。人生は「自分づくり」の連続闘争。ゆえに、人は"山"に挑み続ける。
寸鉄 2021年8月7日
万年の幸福確立が学会の使命—戸田先生。大目的胸に己の人間革命へ益々
「声仏事を為す之を名けて経と為す」御書。青年よ壁破り対話拡大へ勇躍
時ほど速く過ぎるものはない—詩人。充実の夏を着実に。まず朝に勝とう
各地で"危険な暑さ"と。室内でも熱中症の恐れ。健康守る対策ぬかりなく
歯磨き時はできるだけ口を閉じると飛沫少なく。予防は小さな工夫重ねて
〈社説〉 2021・8・7 「山」に人間性の輝きを重ねて
◇悠々たる不動の自己を
「仁者は山を楽しむ」——『論語』に出てくる一節である。徳が高い人の、欲に動かされず、自然を楽しむ心境を、山の動じない様子に例えた言葉だ。
遠くから眺めて美しい山も、実際は強い日差しが照りつけ、暴風が吹き荒れる。
それでも、山は動かない。ゆえに、人は昔から、山を"何があっても揺れ動かない姿"に重ねたのだろう。
それは、芸術にも反映されてきた。
東京牧口記念会館の1階ロビーに、絵画「チョモランマ峰」が飾られている。縦316センチ、横528センチの大作である。
作者は「敦煌の守り人」として著名な常書鴻画伯と李承仙夫人。「チョモランマ」は、エベレストの中国名である。
作品を描いた当時、文化大革命が起こっていた。夫妻は"人民を毒殺する元凶"などと激しく罵倒された。
その苦難の渦中に、"最高峰の作品を創ろう""全ての艱難を乗り越えて進もう"と筆を執ったのである。
1990年(平成2年)11月、画伯は池田先生との対談の折、切り出した。
「池田先生はこれまで、多くの人々に『希望』を与えてこられた方です。ですから、この絵は、先生にお贈りすることが、最もふさわしいと思うのです」
先生と夫妻は、中国と日本で出会いを重ね、友情を深めてきた。画伯は先生に、魂を注いだ自らの作品を贈呈して悔いのない、人間性の輝きを見たのである。
「わが運命 かくもあるかと 決意せば 惑うことなし 恐れることなし」——先生は第3代会長に就任して以来、この和歌を執務室に掲げた。
言論・出版問題や第1次・第2次宗門事件など、大難が競い起こるたび、先生の指揮によって、学会は発展を遂げてきた。
苦難に負けず、それを勝ち越えた時、人も団体も強く、大きくなる。試練は"大山"へと鍛え上げる魂の溶鉱炉である。
小説『新・人間革命』第30巻<上>「大山」の章に、「妙法は永遠不滅である。その妙法と共に、広宣流布に生き抜くわれらには、無限の希望がある。いかなる烈風にも、大山のごとく不動であらねばならない。何を恐れる必要があろうか!」と。
コロナ禍の今、さまざまな感情が社会にあふれる。不安が色濃く影を落とす時代だからこそ、信心根本に、ヒマラヤのごとく悠々たる自己を築くことを忘れまい。
☆ストーリーズ 師弟が紡ぐ広布史 第10回 「一瞬」に「永遠」を込めて 記念撮影編�
◇わが友に喜んでもらいたい
その日、池田大作先生の手は赤く腫れ上がった。1965年(昭和40年)3月22日、宮城・仙台市で東北第1本部の地区部長会が終わった後のこと。先生は約600人の参加者全員と握手した。
「勝利の年」と名付けられたこの年、先生は聖教新聞で小説『人間革命』の連載を開始。年頭から九州、関西、中国、中部と全国を駆け巡った。
行く先々で出会った友に声を掛け、握手も交わす。激励に次ぐ激励は、広布の伸展を加速させていった。
握手の時、喜びいっぱいに、師の手を力強く握り締める友もいた。東北の地区部長会でも、600人の誓いを込めた握手が、次々と交わされた。
先生の手に痛みが走った。万年筆を握ることすらできなくなった。8日後の30日には、長野本部の地区部長会が予定されていた。
生涯の原点となる出会いをつくってあげたい——その一心で握手に代わる激励として考えられたのが、記念撮影だった。
65年3月30日、先生は長野会館(当時)の庭にヒマラヤ杉を記念植樹。地区部長会では、勤行と折伏をたゆまず、繰り返し実践していくところに信仰の本義があると強調し、どこまでも「持続の信心」で進んでいくことを訴えた。
その後、先生は休む間もなく撮影会に臨んだ。参加した婦人は、「先生と一緒に撮影した写真は、かけがえのない"宝の一枚"です」と語る。
撮影会から2年が過ぎた67年(同42年)1月、婦人は松代支部の支部婦人部長に。当時、松代地域は群発地震が続き、多くの人が不安を抱えて、生活していた。"今こそ、地域に希望を広げよう"と、支部の同志と共に対話に歩いた。翌2月、松代支部は全国をリードする弘教を成し遂げた。
82年(同57年)、夫が勤めていた印刷会社が倒産。経済苦の中、池田先生との懇談会があった。先生は、じっと婦人の目を見つめ、語った。
「決して退いてはいけない」
たった一言だった。しかし、その一言が婦人から弱気をたたき出した。"悩みがあるから、信心で立ち上がり、前に進む。それが弟子だ"と心を一変させた。その後、夫は新しい仕事に就くことができた。
翌83年(同58年)、長野県婦人部長に。正役職を離れた後は、長野市女性団体連絡会の会長を務めるなど、地域活動に率先してきた。
現在、夫と共に長野市の俳句連盟に所属し、地域に対話の花を咲かせる。その心には、励ましを送り続けてくれた師への感謝があふれている。
撮影会の後、先生は別室に移ると、色紙に揮毫し始めた。友が家路に就いてからも、励ましの"戦い"は、寸暇を惜しんで続けられた。
前夜から降り続いた雨はやみ、早春の爽やかな風がそよいでいた。1969年(昭和44年)3月9日、広島市内で池田先生と約5700人の友との記念撮影会が行われた。
3台の撮影台が準備され、14グループに分かれて、撮影が進められた。壮年部、婦人部、女子部と続き、316人の男女高等部の撮影の後、先生は後継の友に万感の思いを語り始めた。
「私は君たちの成長を待っている。諸君たちは、実質的な学会の跡継ぎだ」
「一人も残らず、石にかじりついても勉強し抜いてほしい。この中から、やがて大政治家も、大学者も、大科学者も出てほしい」
撮影会に参加した一人の男子メンバーは、専門学校を卒業後、電気関係の仕事に従事した。38歳で独立。設備関連の会社を立ち上げた。
売り上げは日ごとに伸びた。事務所を構え、従業員を雇うまでに。だが、"増上慢の命"が顔をのぞかせた。次第に、学会活動から遠ざかる。
ある日、保証人になっていた知人が行方をくらます。投資話の詐欺被害にも遭った。莫大な負債を抱え、瞬く間にどん底に落ちた。
会社は倒産。生きる気力すら失いかけた。その時、先輩が一緒に祈ってくれた。撮影の原点を思い返し、宿命転換を懸けて対話に挑んだ。
当時、壮年は地区部長だった。地区では20世帯の弘教が実った。壮年自身も友人を入会に導いた。その後、新たな設備関連の会社を立ち上げる。誠実な仕事ぶりが評判を呼び、窮地を脱することができた。
壮年は今、安佐北区可部の地域で活動に励む。「可部から『壁』を破る戦いを」と友好拡大に走っている。
撮影会の時、会場の外に鼓笛隊が集っていた。撮影の予定はなかったが、先生は「鼓笛隊の皆さんとも撮影しよう」と。メンバーから歓声が上がる。
婦人は「高等部員」「鼓笛隊員」として、1日に2回、師とカメラに納まった。その喜びは今も胸に鮮やかだ。
後年、先生と岡山文化会館で懇談する機会に恵まれた。婦人は「広島で撮影をしてくださった高等部のメンバーは皆、頑張っています」と報告した。
ところが、先生は強い語調で、「あなたが頑張ればいいんだよ」と。他の誰かではなく、自分がどうか——厳しい響きに、婦人は「一人立つ信心」の大切さを心の奥深くに刻んだ。
2012年(平成24年)、広島市は被爆体験の"伝承者"養成の取り組みを開始した。被爆2世の婦人は、母の被爆体験を伝えようと決めた。
3年の研修課程を修了し、伝承者の1期生に。国内だけではなく、海外でも核兵器の"悪魔性"を訴えてきた。
忘れられないのは、オランダでのこと。講演終了後、核兵器の存在を容認してきたオランダの与党議員が婦人のもとに歩み寄り、「私は核兵器禁止条約の成立に力を尽くします」と決意を述べてくれた。
実際、2016年に「核兵器禁止条約」制定への交渉開始を求める決議の採択を巡り、北大西洋条約機構(NATO)の加盟国が軒並み決議案に反対を示す中、オランダだけが唯一、反対を回避して棄権に回った。
「被爆体験を草の根で語っていくことが大きな力になる——そのことを確信する出来事でした」
今年2月にはインドのデリー大学、4月にはオランダのライデン大学で、それぞれオンラインの講演を。撮影会で師が寄せた期待を胸に、婦人は平和のために戦う"ヒロシマの心"を語り続ける。
撮影会には、入会半年の男子高等部員もいた。「大学者」との師の言葉に、彼は"博士になろう"と決意。大学卒業後、会社で研究を続けながら、工学博士の学位を取得した。
造花で彩られた会場の設営に、「歓喜」の文字が大きく掲げられた。その二字が象徴するように、東京・板橋の友の喜びがはじけた。
1971年(昭和46年)10月17日。この日、池田先生と板橋の友との記念撮影会が開催された。「板橋の日」の淵源である。
前年、言論・出版問題が起こった。広布の未来を展望する上で、本陣・東京の強化が急務だった。先生は東京各区の友との記念撮影を開始した。その1番手が板橋であった。
場内の垂れ幕には、「板橋は仲良く地域社会を開発してまいります」。学会は翌72年(同47年)の年間テーマを「地域の年」と掲げていた。
撮影は約4000人の同志が、17のグループに分かれて行われた。その合間に、先生は励ましを送った。
壮年・婦人には、「不動の幸福境涯を築いていく根源の法が信仰であり、皆さん方一人一人が功徳に満ちあふれ、子孫末代まで栄え、幸福であることが最大の喜びである」と。
青年部には、「現在はどのような境遇であっても、10年、20年と純粋な信仰を全うしていくならば、想像を絶する栄光の人生を切り開いていけることは間違いない」と強調した。
撮影会では、鼓笛隊の演奏や少年部員のリズム体操、中・高等部の創作舞踊"義経"が披露され、最後に婦人部が「板橋音頭」を踊った。
"池田先生に喜んでいただける最高の踊りをしよう"との思いで撮影会に臨んだ婦人。1歳の長女を抱えながら練習に駆け付けた。練習を終え、自宅に戻ると御本尊の前に座った。
長女にはぜんそくがあった。撮影会を終えた頃から快方に向かい始めた。"師匠を心のど真ん中に置いて、信心の戦いに徹する時、必ず変毒為薬することができる"との確信になった。
以来、婦人はどんな時も、胸中に師を抱いて進んだ。長年にわたり地域行事に関わるなど、地域貢献にも力を注いできた。
2019年(令和元年)、夫が亡くなった。婦人は「夫の分まで広布に尽くし、師恩に報いてまいります」と。3人の娘も信心を継承している。
壮年は場外で整理・誘導の役員に就いた。師の指導を聞くこともできなかった。だが、板橋の原点となる歴史的な行事で、"陰の戦い"ができることを誇りに感じ、任務に徹した。
中学を卒業してから働き始めた。17歳の時に参加した座談会で、「人間革命」という言葉を耳にした。"信仰で自分が変われるなら"と入会を決めた。
先輩から「信心は"片足を突っ込む"ような中途半端ではいけない」と学んだ。撮影会は、信心根本の人生を歩む誓いを深くする原点となった。
先生は撮影会で、「名実共に『地域の年』の第一歩となるにふさわしい歴史的な行事であり、まさに全東京の模範となる記念撮影であった」と。
1972年、壮年は町会に入り、防犯・防火活動に尽力。地域に根を張り、地道に信頼を広げた。
その年の年末、壮年のもとに池田先生から一冊の書籍が届いた。「来る日も 来る年も 共に 智道の道 開道の舞を 逞しく南無し歩もう」と揮毫されていた。
"来る日、来る年、師と共に進もう"と決めた。その誓いのまま、壮年は板橋広布の最前線を駆けている。
——撮影会の折、先生は"きょう、板橋に来させてもらって分かったことがあります"と語り、こう続けた。「板橋は東京で一番いい街であります」
今年は「板橋の日」50周年。栄光の佳節を荘厳する、東京の模範・板橋の新たな勝利の幕が開く。
1回の記念撮影会で、池田先生は何回もフラッシュを浴び、目を痛めることもあった。撮影会に臨む思いを、先生はこう記している。
「わが友が少しでも喜んでくれれば、なんでもするのが私の使命である」
挑戦の一日一日の先に
人生の金メダルは輝く。
「やり切った」と誇れる
大満足の日々を歩もう!
日女御前御返事 P1245
『石に矢のたつ是れ又父のかたきと思いし至信の故なり、何に況や仏法においてをや』
【通解】
中国の李広(りこう)将軍が放った矢が石に立ったというのも、(石を父親を殺した虎と思い)父親の仇と信じ抜いた一念の強さゆえである。まして、仏法においては、なおさらのことである。
名字の言 「山」をつくり、乗り越える——あすは「山の日」 2021年8月7日
戦国時代の武将・武田信玄が掲げた軍旗は「風林火山」と呼ばれる。『孫子』の一節「其の疾きこと風の如く、其の徐なること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如く」に由来する▼例年8月11日の「山の日」が、今年は東京五輪の閉会式が行われるあす8日に移動した。友と「山は動かざるなのに……」と談笑していると、「それは少し違うかも」と言われた。学生時代、登山部だった彼は「動かない山でも、見える姿や意味は、いかようにも変幻します」と▼山を前に、怯めば"畏怖の巨像"。挑めば"やりがいの頂"——彼の人生も同様であった。大学院博士課程の時、体調を崩して中退。それでも、学問の世界で身を立てる志を燃やし続け、現在、大学教員をしながら、社会人大学院の博士課程で学ぶ。今も挑戦の歩みを進める日々だ▼池田先生は「山」を引いて、語っている。「自分で、挑戦すべき『山』をつくり、『山』を乗り越え、また次の『山』をつくって乗り越えていく。乗り越えるたびに、もっと強く、もっと大きな自分へと人間革命していく」と▼「山」とは、築くべき"気高い自分自身"なのかもしれない。人生は「自分づくり」の連続闘争。ゆえに、人は"山"に挑み続ける。
寸鉄 2021年8月7日
万年の幸福確立が学会の使命—戸田先生。大目的胸に己の人間革命へ益々
「声仏事を為す之を名けて経と為す」御書。青年よ壁破り対話拡大へ勇躍
時ほど速く過ぎるものはない—詩人。充実の夏を着実に。まず朝に勝とう
各地で"危険な暑さ"と。室内でも熱中症の恐れ。健康守る対策ぬかりなく
歯磨き時はできるだけ口を閉じると飛沫少なく。予防は小さな工夫重ねて
〈社説〉 2021・8・7 「山」に人間性の輝きを重ねて
◇悠々たる不動の自己を
「仁者は山を楽しむ」——『論語』に出てくる一節である。徳が高い人の、欲に動かされず、自然を楽しむ心境を、山の動じない様子に例えた言葉だ。
遠くから眺めて美しい山も、実際は強い日差しが照りつけ、暴風が吹き荒れる。
それでも、山は動かない。ゆえに、人は昔から、山を"何があっても揺れ動かない姿"に重ねたのだろう。
それは、芸術にも反映されてきた。
東京牧口記念会館の1階ロビーに、絵画「チョモランマ峰」が飾られている。縦316センチ、横528センチの大作である。
作者は「敦煌の守り人」として著名な常書鴻画伯と李承仙夫人。「チョモランマ」は、エベレストの中国名である。
作品を描いた当時、文化大革命が起こっていた。夫妻は"人民を毒殺する元凶"などと激しく罵倒された。
その苦難の渦中に、"最高峰の作品を創ろう""全ての艱難を乗り越えて進もう"と筆を執ったのである。
1990年(平成2年)11月、画伯は池田先生との対談の折、切り出した。
「池田先生はこれまで、多くの人々に『希望』を与えてこられた方です。ですから、この絵は、先生にお贈りすることが、最もふさわしいと思うのです」
先生と夫妻は、中国と日本で出会いを重ね、友情を深めてきた。画伯は先生に、魂を注いだ自らの作品を贈呈して悔いのない、人間性の輝きを見たのである。
「わが運命 かくもあるかと 決意せば 惑うことなし 恐れることなし」——先生は第3代会長に就任して以来、この和歌を執務室に掲げた。
言論・出版問題や第1次・第2次宗門事件など、大難が競い起こるたび、先生の指揮によって、学会は発展を遂げてきた。
苦難に負けず、それを勝ち越えた時、人も団体も強く、大きくなる。試練は"大山"へと鍛え上げる魂の溶鉱炉である。
小説『新・人間革命』第30巻<上>「大山」の章に、「妙法は永遠不滅である。その妙法と共に、広宣流布に生き抜くわれらには、無限の希望がある。いかなる烈風にも、大山のごとく不動であらねばならない。何を恐れる必要があろうか!」と。
コロナ禍の今、さまざまな感情が社会にあふれる。不安が色濃く影を落とす時代だからこそ、信心根本に、ヒマラヤのごとく悠々たる自己を築くことを忘れまい。
☆ストーリーズ 師弟が紡ぐ広布史 第10回 「一瞬」に「永遠」を込めて 記念撮影編�
◇わが友に喜んでもらいたい
その日、池田大作先生の手は赤く腫れ上がった。1965年(昭和40年)3月22日、宮城・仙台市で東北第1本部の地区部長会が終わった後のこと。先生は約600人の参加者全員と握手した。
「勝利の年」と名付けられたこの年、先生は聖教新聞で小説『人間革命』の連載を開始。年頭から九州、関西、中国、中部と全国を駆け巡った。
行く先々で出会った友に声を掛け、握手も交わす。激励に次ぐ激励は、広布の伸展を加速させていった。
握手の時、喜びいっぱいに、師の手を力強く握り締める友もいた。東北の地区部長会でも、600人の誓いを込めた握手が、次々と交わされた。
先生の手に痛みが走った。万年筆を握ることすらできなくなった。8日後の30日には、長野本部の地区部長会が予定されていた。
生涯の原点となる出会いをつくってあげたい——その一心で握手に代わる激励として考えられたのが、記念撮影だった。
65年3月30日、先生は長野会館(当時)の庭にヒマラヤ杉を記念植樹。地区部長会では、勤行と折伏をたゆまず、繰り返し実践していくところに信仰の本義があると強調し、どこまでも「持続の信心」で進んでいくことを訴えた。
その後、先生は休む間もなく撮影会に臨んだ。参加した婦人は、「先生と一緒に撮影した写真は、かけがえのない"宝の一枚"です」と語る。
撮影会から2年が過ぎた67年(同42年)1月、婦人は松代支部の支部婦人部長に。当時、松代地域は群発地震が続き、多くの人が不安を抱えて、生活していた。"今こそ、地域に希望を広げよう"と、支部の同志と共に対話に歩いた。翌2月、松代支部は全国をリードする弘教を成し遂げた。
82年(同57年)、夫が勤めていた印刷会社が倒産。経済苦の中、池田先生との懇談会があった。先生は、じっと婦人の目を見つめ、語った。
「決して退いてはいけない」
たった一言だった。しかし、その一言が婦人から弱気をたたき出した。"悩みがあるから、信心で立ち上がり、前に進む。それが弟子だ"と心を一変させた。その後、夫は新しい仕事に就くことができた。
翌83年(同58年)、長野県婦人部長に。正役職を離れた後は、長野市女性団体連絡会の会長を務めるなど、地域活動に率先してきた。
現在、夫と共に長野市の俳句連盟に所属し、地域に対話の花を咲かせる。その心には、励ましを送り続けてくれた師への感謝があふれている。
撮影会の後、先生は別室に移ると、色紙に揮毫し始めた。友が家路に就いてからも、励ましの"戦い"は、寸暇を惜しんで続けられた。
前夜から降り続いた雨はやみ、早春の爽やかな風がそよいでいた。1969年(昭和44年)3月9日、広島市内で池田先生と約5700人の友との記念撮影会が行われた。
3台の撮影台が準備され、14グループに分かれて、撮影が進められた。壮年部、婦人部、女子部と続き、316人の男女高等部の撮影の後、先生は後継の友に万感の思いを語り始めた。
「私は君たちの成長を待っている。諸君たちは、実質的な学会の跡継ぎだ」
「一人も残らず、石にかじりついても勉強し抜いてほしい。この中から、やがて大政治家も、大学者も、大科学者も出てほしい」
撮影会に参加した一人の男子メンバーは、専門学校を卒業後、電気関係の仕事に従事した。38歳で独立。設備関連の会社を立ち上げた。
売り上げは日ごとに伸びた。事務所を構え、従業員を雇うまでに。だが、"増上慢の命"が顔をのぞかせた。次第に、学会活動から遠ざかる。
ある日、保証人になっていた知人が行方をくらます。投資話の詐欺被害にも遭った。莫大な負債を抱え、瞬く間にどん底に落ちた。
会社は倒産。生きる気力すら失いかけた。その時、先輩が一緒に祈ってくれた。撮影の原点を思い返し、宿命転換を懸けて対話に挑んだ。
当時、壮年は地区部長だった。地区では20世帯の弘教が実った。壮年自身も友人を入会に導いた。その後、新たな設備関連の会社を立ち上げる。誠実な仕事ぶりが評判を呼び、窮地を脱することができた。
壮年は今、安佐北区可部の地域で活動に励む。「可部から『壁』を破る戦いを」と友好拡大に走っている。
撮影会の時、会場の外に鼓笛隊が集っていた。撮影の予定はなかったが、先生は「鼓笛隊の皆さんとも撮影しよう」と。メンバーから歓声が上がる。
婦人は「高等部員」「鼓笛隊員」として、1日に2回、師とカメラに納まった。その喜びは今も胸に鮮やかだ。
後年、先生と岡山文化会館で懇談する機会に恵まれた。婦人は「広島で撮影をしてくださった高等部のメンバーは皆、頑張っています」と報告した。
ところが、先生は強い語調で、「あなたが頑張ればいいんだよ」と。他の誰かではなく、自分がどうか——厳しい響きに、婦人は「一人立つ信心」の大切さを心の奥深くに刻んだ。
2012年(平成24年)、広島市は被爆体験の"伝承者"養成の取り組みを開始した。被爆2世の婦人は、母の被爆体験を伝えようと決めた。
3年の研修課程を修了し、伝承者の1期生に。国内だけではなく、海外でも核兵器の"悪魔性"を訴えてきた。
忘れられないのは、オランダでのこと。講演終了後、核兵器の存在を容認してきたオランダの与党議員が婦人のもとに歩み寄り、「私は核兵器禁止条約の成立に力を尽くします」と決意を述べてくれた。
実際、2016年に「核兵器禁止条約」制定への交渉開始を求める決議の採択を巡り、北大西洋条約機構(NATO)の加盟国が軒並み決議案に反対を示す中、オランダだけが唯一、反対を回避して棄権に回った。
「被爆体験を草の根で語っていくことが大きな力になる——そのことを確信する出来事でした」
今年2月にはインドのデリー大学、4月にはオランダのライデン大学で、それぞれオンラインの講演を。撮影会で師が寄せた期待を胸に、婦人は平和のために戦う"ヒロシマの心"を語り続ける。
撮影会には、入会半年の男子高等部員もいた。「大学者」との師の言葉に、彼は"博士になろう"と決意。大学卒業後、会社で研究を続けながら、工学博士の学位を取得した。
造花で彩られた会場の設営に、「歓喜」の文字が大きく掲げられた。その二字が象徴するように、東京・板橋の友の喜びがはじけた。
1971年(昭和46年)10月17日。この日、池田先生と板橋の友との記念撮影会が開催された。「板橋の日」の淵源である。
前年、言論・出版問題が起こった。広布の未来を展望する上で、本陣・東京の強化が急務だった。先生は東京各区の友との記念撮影を開始した。その1番手が板橋であった。
場内の垂れ幕には、「板橋は仲良く地域社会を開発してまいります」。学会は翌72年(同47年)の年間テーマを「地域の年」と掲げていた。
撮影は約4000人の同志が、17のグループに分かれて行われた。その合間に、先生は励ましを送った。
壮年・婦人には、「不動の幸福境涯を築いていく根源の法が信仰であり、皆さん方一人一人が功徳に満ちあふれ、子孫末代まで栄え、幸福であることが最大の喜びである」と。
青年部には、「現在はどのような境遇であっても、10年、20年と純粋な信仰を全うしていくならば、想像を絶する栄光の人生を切り開いていけることは間違いない」と強調した。
撮影会では、鼓笛隊の演奏や少年部員のリズム体操、中・高等部の創作舞踊"義経"が披露され、最後に婦人部が「板橋音頭」を踊った。
"池田先生に喜んでいただける最高の踊りをしよう"との思いで撮影会に臨んだ婦人。1歳の長女を抱えながら練習に駆け付けた。練習を終え、自宅に戻ると御本尊の前に座った。
長女にはぜんそくがあった。撮影会を終えた頃から快方に向かい始めた。"師匠を心のど真ん中に置いて、信心の戦いに徹する時、必ず変毒為薬することができる"との確信になった。
以来、婦人はどんな時も、胸中に師を抱いて進んだ。長年にわたり地域行事に関わるなど、地域貢献にも力を注いできた。
2019年(令和元年)、夫が亡くなった。婦人は「夫の分まで広布に尽くし、師恩に報いてまいります」と。3人の娘も信心を継承している。
壮年は場外で整理・誘導の役員に就いた。師の指導を聞くこともできなかった。だが、板橋の原点となる歴史的な行事で、"陰の戦い"ができることを誇りに感じ、任務に徹した。
中学を卒業してから働き始めた。17歳の時に参加した座談会で、「人間革命」という言葉を耳にした。"信仰で自分が変われるなら"と入会を決めた。
先輩から「信心は"片足を突っ込む"ような中途半端ではいけない」と学んだ。撮影会は、信心根本の人生を歩む誓いを深くする原点となった。
先生は撮影会で、「名実共に『地域の年』の第一歩となるにふさわしい歴史的な行事であり、まさに全東京の模範となる記念撮影であった」と。
1972年、壮年は町会に入り、防犯・防火活動に尽力。地域に根を張り、地道に信頼を広げた。
その年の年末、壮年のもとに池田先生から一冊の書籍が届いた。「来る日も 来る年も 共に 智道の道 開道の舞を 逞しく南無し歩もう」と揮毫されていた。
"来る日、来る年、師と共に進もう"と決めた。その誓いのまま、壮年は板橋広布の最前線を駆けている。
——撮影会の折、先生は"きょう、板橋に来させてもらって分かったことがあります"と語り、こう続けた。「板橋は東京で一番いい街であります」
今年は「板橋の日」50周年。栄光の佳節を荘厳する、東京の模範・板橋の新たな勝利の幕が開く。
1回の記念撮影会で、池田先生は何回もフラッシュを浴び、目を痛めることもあった。撮影会に臨む思いを、先生はこう記している。
「わが友が少しでも喜んでくれれば、なんでもするのが私の使命である」
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