◇今週のことば
「始より終りまで
弥信心をいたすべし」
正義は強気で征け!
攻め切った方が勝つ。
民衆の団結の勝ち鬨を!
2021年6月28日
乙御前母御書 P1222
『これはいかなるゆへぞとたづぬればせんしやうに千里ありしところをかよいて仏法を聴聞せしゆへなり』
【通解】
これは、いかなるゆえんかとたずねると、過去世に千里もあるところを通って、仏法を聴聞したゆえなのである。
名字の言 「臆病にては叶うべからず」 2021年6月28日
孔子の弟子に、政治の才能に優れながら、性格が消極的な冉求という人物がいた▼「先生のお説きになる道に心をひかれないのではありません」——ある日、冉求は孔子に訴えた。「ただ、何分にも私の力が足りませんので……」。すると孔子は「力が足りないかどうかは、根かぎり努力してみたうえでなければ、わかるものではない」と弟子を叱咤した(下村湖人訳『現代訳 論語』PHP研究所)▼どんなに高い能力を持っていても、行動しなければ、何も始まらない。弟子が"自分には無理だ"と挑戦もせずに諦めてしまえば、どんなに素晴らしい師匠の教えも"絵に描いた餅"に終わってしまう▼「有能の士はどんな足枷をはめられていようとも飛躍する」(大塚幸男訳)とは、本年で没後200年となるナポレオンの言。現実がいかに過酷でも知恵と勇気を振り絞り、なすべきことを積み重ねる。それでこそ本当の力が発揮され、人は大きく飛翔することができる▼何事も「臆病にては叶うべからず」(御書1193ページ)である。環境や状況がどうあれ、むしろ厳しければ厳しいほど、"負けてたまるか!"と闘争心を燃え上がらせるのが学会精神だ。胸中の臆病を打ち破り、一日また一日、勝利の自分史を。
寸鉄 2021年6月28日
学会は不撓不屈の庶民の団体—博士。さあ今こそ。我らの負けじ魂の見せ所
豊島が重大局面。全国で心一つに猛反撃を開始!あっと言わせる逆転劇を
中野の勝利で東京凱歌は決まる。一丸で最大級の押し上げを!全力で拡大
スピードが勝敗を決する—戸田先生。戦う息吹を素早く組織へ。連携密に
1時間ごとにコップ1杯の水分補給—これ熱中症を防ぐ基本と。油断せず
☆いのちの賛歌 心に刻む一節 介護に携わって 2021年6月15日
テーマ:介護に携わって
企画「いのちの賛歌 心に刻む一節」では、御聖訓を胸に、宿命に立ち向かってきた創価学会員の体験を紹介するとともに、池田先生の指導を掲載する。今回は「介護に携わって」をテーマに、兵庫県の婦人に話を聞いた。
◇御文
『深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり』(一生成仏抄、384ページ)
◇通解
深く信心を起こし、日夜朝暮に怠らず、わが心を磨くべきである。どのように磨くべきか。ただ南無妙法蓮華経と唱えることが磨くことになる。
◇負けないことが幸せ
2人の母がくれた"宝物"
厚生労働省によると、「介護保険制度」が始まった2000年以降、要介護(要支援)認定者は年々増加しており、ピークを迎える2040年には、およそ1000万人になると予想されている。高齢化が進む日本。支える側として、受ける側として、「介護」に関わる人は今後、増えるだろう。
谷幹子さん=西兵庫勇舞県総合女性部長=は、かつて実母と義母の介護を経験した。
◇
結婚を機に兵庫県赤穂市へ移り住み、夫・國雄さん(72)=同県、副本部長=の母と姉との同居が始まった。2人の子宝にも恵まれ、家族皆で広布の活動に励んでいた28歳の時だった。
「私の母が持病の高血圧を悪化させ、壊死した左足の指先を切断することになったんです」
谷さんの住居近くの病院で入院生活となったが、病状が進行したため大腿部から切断することになり、ほぼ寝たきり状態に。「父はすでに亡くなっていたので、食事や着替え、下の世話などを、私が全部やることになって」。まだ介護保険制度が始まる前のことだ。
当時、2人の息子は小学生と幼稚園児で子育て真っ最中。心の病と闘っていた義姉と向き合いながら、家事と育児をこなし、昼夜に病院へ走って母親の世話。病室で夜を明かし、早朝に帰宅する毎日。家族の支えはあったが、「母が亡くなるまでの4年間、その生活が続きました」と谷さん。
思うに任せぬ状況に、時には病室で母親に声を荒らげたこともあったという。
「"なんで分かってくれへんの?""なんで私だけ、こんな思いせなあかんの?"って、いら立ってしまって。そんな自分を、また反省する。その繰り返し」
いつ寝たのかも分からないような日々。その中、谷さんが握り締めてきたのが「信心」の二文字だった。
「ずっと題目をあげていました。御書に『深く信心を発して』『懈らず磨くべし』(384ページ)とある通り、強く信心を起こして、弛まず祈り抜くこと。それを怠った瞬間に、現実の激流に押し流されてしまうわけやから」
多忙の合間に学会活動にも挑み続けた。同志の温かな励ましに、何度も心が救われた。やがて母親は、69歳で霊山へ旅立った。
「慣れない介護に無力さも感じました。だけどある時、母がふと『いつも祈ってくれてありがとう』って言ってくれて。心は伝わってたんやと、胸が詰まりました」
その10年後、谷さんが42歳の時、今度は元気だった義母に、認知症の症状が現れ始めた。やがて、家族のことも分からなくなった義母は、病院と施設を行き来する生活に。身の回りの世話は谷さんが担った。
「毎日、分刻みでした。義母の世話に家事もろもろ。時間をこじ開け学会活動。ようやりましたわ」
義母が一時帰宅し、在宅にて介護していたある日。谷さんが外出から戻ると、家じゅうに排せつ物が散っていた。
「気丈だった義母のそんな姿を見るのが、つらくって。大変な時は、いつも優しくしてくれた義母への恩返しだと、自分に言い聞かせましたね」
母親の介護経験があったので、多少のことでは動じなかった。谷さんは「泣き言なんて言う暇なかった」と明るく笑う。
義母は90歳で永眠したが、最期まで覚えてくれていたのは谷さんの名前。「みっこさん、みっこさん」とうれしそうに呼んでくれたあの表情は、忘れられない。
「現実は"きれいごと"ばかりやないです。題目を唱え抜き、苦悩にまみれた自分の命を磨き続ける連続。そうやって一つ一つ乗り越えてきました。その経験があるから、今、同じことで悩む人に『お題目やで』という励ましの言葉を確信もって言える。介護という経験を通し、御本尊様の偉大さに気付くという最高の"宝物"をくれた2人の母には、感謝の思いでいっぱいです」
谷さんの原点は、かつて兵庫・姫路を訪れた池田先生の前で、合唱団の一員として「母の曲」を歌ったこと。"あの時"を思えば、今でも胸が熱くなる。
母親の介護を機に、師の指導を書き留めてきたノートは三十余年で62冊。
「戦ってきた証しやね。苦しい時はご指導を読んで、御本尊様に向かうんです。"こんなところで負けたらあかんのや"って」
日蓮大聖人は「決して、不信を抱いてはならない」(御書384ページ、通解)としたため、「一生成仏抄」を結んだ。成仏の要諦は何があっても信心を疑わないことだと。
実母の介護。病の義姉に認知症の義母。さらに、夫の3度にわたるがん。容赦なく襲いかかる宿命の嵐——。それでも谷さんが前に進んでくることができたのは、どんな時も師匠を信じ、師匠が築いた学会から離れなかったからだ。
池田先生は語っている。
「苦悩が何もないことが幸せなのではない。
負けないこと、耐えられることが、幸せである。
重圧を受け『あの人は大変だ』と周りから言われても、平然と、また悠然と、使命のわが道を歩み抜くことだ。そこにこそ『能忍』(能く忍ぶ)という、強い強い仏の生命の力がわいてくるのだ。
一番、苦労した人が、最後は一番、幸福を勝ち取れる。幸福は、忍耐という大地に咲く花であることを忘れまい」(池田先生の指導選集〈中〉『人間革命の実践』)
「介護」は決して楽なことではない。しかし谷さんは"恩返しのチャンス"と心に決めて、2人の母親に向き合った。貫いたのは、感謝の思いだった。
「この経験が、私を強くしてくれたんやと思います。全てが"心の財産"になっています。人生に無駄なことは何一つない。信心さえあれば絶対に乗り越えられる。そう確信するからこそ、私は何も恐れません」
[教学コンパス]
2020年版厚生労働白書。65歳以上の高齢者を対象とした調査で「日頃のちょっとした手助け」を頼れる人がいないとした世帯は、1990年で44万世帯だったのが2015年は160万世帯に。2040年には230万世帯になると予測される。
従来の地縁・血縁が希薄化する現代にあって注目されているのが、国家と個人の間にある「中間団体」の存在。社会起業家の駒崎弘樹氏は、「全国各地で地域に根差したコミュニティーを持つ創価学会は日本最大の中間団体」と評し、「苦しむ人に積極的に寄り添う"おせっかい力"が、今ほど求められている時はない」と語る(本紙2017年4月1日付)。
日蓮大聖人は「人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし」(御書1598ページ)と仰せになった。「誰か」のために行動することで、「自分自身」の人間性も輝きを増す。自他共の幸福という、自分も周囲も大切にする最高の生き方を、日々、黙々と実践する学会員の姿こそ、次代を照らす希望の光源だ。