友情は最高の宝だ。
大きく広げた分だけ
人生も心も豊かになる。
会おう! 語ろう!
自他共の幸福のために!
聖愚問答抄上 P491
『知恩をもて最とし報恩をもて前とす世に四恩あり之を知るを人倫となづけ知らざるを畜生とす』
【通解】
(聖人は)恩を知ることを最高とし、恩を報ずることを第一とする。世の中には、四つの恩がある。これを知る者を人倫と名づけ、知らない者を畜生というのである。
名字の言 真剣勝負の主戦場は"今""ここ"にある 2021年6月27日
イソップ寓話の「法螺吹」から。古代ギリシャに成績の振るわない五種競技選手がいた。その彼が海外遠征から戻り、自慢話を始めた。「ロドス島ではオリンピックの優勝者も及ばない大跳躍をしてきた。島の人々が証人さ」と。すると居合わせた一人が言った。「ここがロドスだ、さあ跳んでみろ」▼「論より証拠」と教訓する寓話だが、こんな感想も抱いた。真剣勝負の主戦場は"いつか""どこか"ではなく、常に"今""ここ"なのだ、と▼思い出す壮年部員がいる。かつて家計の事情で大学を辞め、就職した会社は不況で倒産。不運続きの彼に知人は同情したが、学会の先輩は違った。「仏法は勝負。今の君は自分に負けている」——厳愛の励ましに彼は再起を誓った。先輩も日々、彼と共に唱題と学会活動に挑んだ▼以来、彼は"環境がこうなれば""あの人がこうしてくれれば"といった、周囲のあり方で自分の幸福が左右される考えを一掃し、強き一念で課題を克服していった。今や、起業した会社で目覚ましい実証を示す▼仏法の実践は、現実を離れて存在しない。仏道修行の道場は、現在の自分がいる場所である。"こここそが私の主戦場だ!"と心を定め、信心根本に「今」を勝ち進もう。
寸鉄 2021年6月27日
「五体を地に投げ偏身に汗を流せ」御書。いざ決戦だ!勇み激戦の最前線へ
目黒が大混戦。さあ全国で大逆転への追い風を!勝機つかみ取る拡大を今
調布・狛江よここからだ。日本中で勝利祈り声援!歴史に輝く大金星を皆で
若人は雄々しく戦うのだ—恩師。凱歌が君の使命。正義叫び、突破口を頼む
近所に相談し合える人がいる高齢者、わずか2割。我らは心結ぶ声掛け益々
☆ロータスラウンジ——法華経への旅 第26回 法師功徳品第十九
◇どんな悩みも価値と功徳に変える 大生命力が「法師功徳」
法華経について、皆で学び、深めよう——「ロータスラウンジ——法華経への旅」の第26回は、「法師功徳品第十九」です。
■大要
「五種の妙行」(受持・読・誦・解説・書写)を実践する人は、「六根」(眼・耳・鼻・舌・身・意の六つの感覚・認識器官)が清らかになる功徳を得られると説かれます。それでは内容を追ってみましょう。
●シーン1
その時、仏が、常精進菩薩に告げます。
「もし、善男子・善女人(法華経を信じる男女)が、この法華経を受持し、もしくは読み、もしくは誦し(経文を暗唱する)、もしくは解説し(人に法を説く)、もしくは書写するならば、この人は、八百の眼の功徳、千二百の耳の功徳、八百の鼻の功徳、千二百の舌の功徳、八百の身の功徳、千二百の意の功徳を得るであろう。これらの功徳によって、六根を荘厳して、清浄になるであろう」
——このように、「五種の妙行」に励む人に、六根清浄の功徳があることが説かれます。
続けて仏は、一つ一つの功徳の偉大さを示していきます。
●シーン2
「この善男子・善女人は、父母から生まれながら受けた清浄な肉眼で、三千大千世界の内外のあらゆる山や林や河や海を、下は阿鼻地獄から上は有頂天(天界の最高位)まで見ることができるであろう。
また、その中の一切衆生を見て、その業の因縁と果報を、全て見て知ることができるであろう」
●シーン3
「また次に常精進菩薩よ。この善男子・善女人は、五種の妙行に励むならば、千二百の耳の功徳を得るであろう」
「その清浄な耳で、三千大千世界の下は阿鼻地獄から上は有頂天までの、内外のあらゆる音声を聞くであろう」
ここでは具体的に、象の声から始まり、車の声、憂い悲しむ声、天の声、竜の声、火の声、地獄の声、仏の声など、ありとあらゆる音声が挙げられていきます。
そして、常精進菩薩に告げます。
「要は、三千大千世界の全てのあらゆる声を、父母から生まれながら受けた、いまだ神通力を得ていない耳で、全てを聞き、知ることができるであろう。
このように、さまざまな音声の本質を聞き分けても、その能力を壊されないであろう」
●シーン4
「また次に常精進菩薩よ。この善男子・善女人は、五種の妙行に励むならば、八百の鼻の功徳を成就するであろう」
「その清浄な鼻の働きで、三千大千世界の上下内外のさまざまな香を嗅ぐだろう」
ここでは具体的に、あらゆる香りが挙げられていきます。
続けて「香りを嗅ぐといっても、鼻の働きが壊されたり、間違ったりすることはないであろう。
それらを分別して人のために説こうとするなら、覚えていて誤らないであろう」と。
●シーン5
「また次に常精進菩薩よ。この善男子・善女人は、五種の妙行に励めば、千二百の舌の功徳を得るであろう」
「好みのもの、嫌いなもの、おいしいもの、まずいもの、苦くて渋いものでも、清浄なる舌に置けば、全て良い味となって、天の甘露のように感じ、おいしくないものはないであろう」
「もし、この舌で、大衆の中で演説するならば、深く妙なる声を出して、聞く人の心によく届き、皆を歓喜させ、気持ちよく、楽しくさせるであろう」
その人が法を説く声を聞いて、あらゆる諸天や衆生が、法を聞きに来集し、敬い、供養することが説かれていきます。
そして「その人のいる方面に向かって、諸仏は法を説くので、一切の仏法を受持するであろう。また、よく深く妙なる法を説く声を出すであろう」と。
●シーン6
「また次に常精進菩薩よ。この善男子・善女人は、五種の妙行に励めば、八百の身の功徳を得て、清浄なる身は瑠璃のように、見る衆生を喜ばせるようになるであろう」
さらに、三千大千世界の下は阿鼻地獄から上は有頂天まで、あらゆるものを身に映すと説かれます。
●シーン7
「また次に常精進菩薩よ。この善男子・善女人は、五種の妙行に励むならば、千二百の意の功徳を得るであろう」
「この清浄なる意の働きで、経文の一偈、一句を聞いただけで、『無量無辺の義』がわかるようになるであろう」
「その義をよく理解して、その一句、一偈の意義を演説すること、1カ月、4カ月、そして1年に至ろうとして、説くさまざまな法は、その意義に従って、皆、現実の姿と相いれないことはないであろう。
世俗のことについて語っても、全て正法にかなっているであろう。
三千大千世界の六趣(地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界)の衆生の心の働きを、全て知ることができるであろう。
いまだ完璧な智慧を得ていなくとも、意の働きは清浄であろう」
「この人がしっかりと考え抜き、説くことは、全て仏法であり、真実でないものはなく、過去の仏の経文に説かれていることであろう」
——このように「法師功徳品」では、全宇宙の森羅万象を正しく捉え、全ての振る舞いが妙法に合致していく、六根清浄の偉大な功徳が示されています。
【『法華経の智慧』から】 前進しきった人が勝つ
慈悲の一念が強ければ、相手が、どういう悩みを持っているのか、どこで行き詰まっているのかも、分かってくる。名医が患者の「急所」を分かるようなものです。これが「六根清浄の功徳」です。
◇
六根清浄とは「全身これ広宣流布の武器たれ」ということです。要領でなく、計算でなく、不惜身命で広布へ働いていく時、限りのない生命力が全身にしみわたってくる。智慧もわく。元気もわく。慈愛もわく。
◇
胸中に「戦う心」が燃えていることが大事です。その「信心」があれば、六根清浄です。どんな悩みがあっても、全部、「価値」に変えていける。「功徳」に変えていける。その大生命力を「法師功徳」というのです。
結論すれば、仏勅の創価学会とともに、広宣流布ひとすじに生きた人は必ず、「これ以上はない」という無上道の軌道に入っていくということです。
前進しきった人が、必ず勝つ。
題目を唱えきった人が、必ず最後は勝つのです。(普及版〈上〉「法師功徳品」)
【コラム】 耳根得道
日蓮大聖人は「此の娑婆世界は耳根得道の国(仏法を耳で聞くことによって成仏する国土)である」(御書415ページ、通解)と仰せです。ゆえに声の力で、広宣流布を進めていくことが大事です。
さらに大聖人は、「仏になる法華経を耳に触れるならば、これを種として必ず仏になる」(同552ページ、通解)と教えられています。大切なことは、仏法を力の限り語り、相手の耳に触れさせ、仏縁を結ぶことです。
また、「法師功徳品」には「其の耳は聡利なるが故に 悉く能く分別して知らん」(法華経534ページ)と、生命の境涯を聞き分けられると説かれています。
相手の声なき声に耳をそばだて、俊敏に聞き取っていけるようになれるのも「耳根清浄の功徳」の一つです。
語るといっても、一方通行ではなく、友の心の声に耳を傾け、仏法の素晴らしさを語っていくことが、自他共の成仏の道を開くことになるのです。