「各各思い切り給へ」
労苦を惜しまず戦う中で
何事にも屈しない
偉大な境涯は築かれる。
一日一日 新たな決意で!
法華行者逢難事 P967
『一切の諸人之を見聞し志有らん人人は互に之を語れ』
【通解】
すべての人々が、この書を見聞きし、信心の志ある人々は、おたがいに語りあっていきなさい。
名字の言 当たり前を当たり前と思わない心 2021年6月4日
千葉の女子中等部員が「私の一番の幸せ」と題する詩を詠んだ。読売新聞朝刊5月13日付に掲載されたものだ▼「毎日笑える事 楽しくすごせる事 あたり前に思えるけど幸せな事」と彼女はうたう。文字の読み書きができること、きれいな水が飲める生活にも幸福を感じると続く。この詩を目にした新潟の婦人が地元紙に感想を寄せた。「『普通の生活』という ことばの ありがたみを 毎日感じて感謝しています」「あたりまえのことを書いてくれて 気づかせてくれて ありがとう」▼当たり前のことに感謝できる。それは「当たり前を当たり前と思わない心」ともいえる。世界に目を転じれば、読み書きができない15歳以上の人々は約8億人もいる。安全に管理された飲み水を使用できない人は22億人に上るという▼文字を使いこなせるようになるまでに、どれだけ多くの人の関わりがあったか。安心して水が飲める社会を支えるために、どれほどの人が汗しているか。思いをはせる想像力を失いたくない▼御書に「我等が心は器の如し」(1071ページ)と。"心の器"が大きいほど、人の気持ちを受け取れる。大きい分だけ、喜びも感動もその器の中にたくさん入る。感謝で心を満たせる人は幸せな人だ。
寸鉄 2021年6月4日
広布の闘士として歴史に名を残せ—恩師。共々に勝利の自分史を今こそ!
野が猛然と追い上げ。勢いでまさる方が勝つ!大逆転の劇はここからだ
「世界池田華陽会の日」。広布の花、未来の希望。さあ栄光の門開く対話へ
熱中症、高い湿度が最大の要因と。梅雨時、服装等賢く工夫し乗り越えよう
「途上国に接種を」。各国首脳が会議。誰も取り残さぬ—公明も後押し更に
〈社説〉 2021・6・4 きょう「世界池田華陽会の日」
◇女性の一歩が社会を開く
「百の説法も、百冊の本も、妙法を持った『一人の女性』の生き生きとした姿にはかなわない」
かつて第2代会長戸田城聖先生が女子部の使命の大きさを語った言葉である。コロナ禍によって不安感や閉塞感が増す中で一層、友の幸福を願い、懸命に題目を唱え、行動する池田華陽会の輝く姿こそ、社会を明るく照らしゆく希望の存在ではないだろうか。
きょう6月4日は「世界池田華陽会の日」。2009年6月4日、池田先生ご夫妻が、東京・信濃町の創価女子会館を初訪問した記念の日である。
この時、先生は、希望輝く「女子部 永遠の五指針」を贈った。「朗らかな幸福の太陽たれ」「世界一の生命哲学を学ぶ」「何があっても負けない青春」「正義と友情の華の対話を」「永遠に師弟勝利の門を開く」の五つである。
先生はこの日の会合で「失敗を恐れない——女子部は、これでいこう! 何があってもへこたれずに、前へ、前へと進むことだ。そして最後に勝てばいい」と呼び掛け、けなげに奮闘する創価の乙女たちに万感の励ましを送った。
各地の華陽会メンバーは、この指針を胸に、自らの使命の道を快活に進む。
福岡の大学院に学ぶ女子部員は、4年前のインド創価学会のメンバーとの出会いが信心の転機となった。"アイ アム シンイチ・ヤマモト(山本伸一)"と師に誓う燃えるような友の求道心に、自らの使命感を呼び覚まされた。"どこまでも師と共に。師の願う世界平和のために貢献できる人材に"と心が定まった。今、地球環境改善という大きな目標に向かって、異常気象などの研究に青春の全てを懸けて取り組んでいる。
カナダ・トロントのある支部は、全部員の約6割が女子部員という。「一対一」の励ましを大事に、師弟の精神あふれる人材育成に力を注ぐ。毎月の御書学習会で、女子部が研究発表を担当する。インドや米国から移住した女子部員が相次いで加わるなど、華陽の輝きは幾重にも広がる。
一人の女性がはつらつと立ち上がれば、今ある状況は変わる。私たちの一歩は社会を変え、世界へつながる。御聖訓には「女子は門をひらく」(御書1566ページ)と。華陽姉妹が"勝利の門"を開く青年の月・7月へ、朗らかな前進は続く。きょうも、あすも——。
☆「世界を照らす太陽の仏法」に学ぶ 第4回 不軽の実践
◇松野殿御返事
『過去の不軽菩薩は一切衆生に仏性あり法華経を持たば必ず成仏すべし、彼れを軽んじては仏を軽んずるになるべしとて礼拝の行をば立てさせ給いしなり、法華経を持たざる者をさへ若し持ちやせんずらん仏性ありとてかくの如く礼拝し給う』(御書1382ページ6行目〜8行目)
◇池田先生の講義
「一切衆生に仏性あり」——これが法華経の根本の視座です。生命は最極の宝です。誰一人、大切でない人などいません。この生命尊厳と人間尊敬の根源の視座を知れば、自分を見る目も、他者を見る目も、いな、自分と他者の関係も、根底から変わります。
不軽菩薩は知ったのです。誰かを軽んじることは仏を軽んじることであり、自分自身をも軽んじることになる、と。
◆◇◆
生命と生命は相互関係です。自分自身が大切であるということは、他者も大切な存在なのです。いな、他者の尊厳を知って大切にしてこそ、自身の尊厳も輝くのです。この"気づき"が、自他の共生の土台となるのです。
たとえ「法華経を持たざる者」であっても、その外面的なことによって排斥しない。いかなる人であれ、「もしかしたら持つかもしれない。本来、仏性があるのだから」と見るのが、不軽菩薩のまなざしです。
ここに、真の寛容を実現する依拠もあります。思想信条の違いを超えて、生命尊厳の真実に目覚める善の可能性において、人間を信じ抜ける視座があります。
(『人間革命の宗教』から)
石黒正司 第2総東京長
◇勇猛果敢に不屈の対話を
「万歳と/勝ち鬨送らむ/全世界/遂に立ちたり/緑の東京」
「第2東京大文化祭」(1998年12月)に出席された池田先生が詠んでくださったお歌です。
当時、第2東京(現・第2総東京)の青年部長だった私は、先生が何度も何度も立ち上がり、両手を掲げ、出演者一人一人を包み込むように渾身の励ましを送られる様子を目の当たりにしました。胸に手を当て、青年たちに温かなまなざしを注がれる先生の振る舞いから、一人の成長を信じ、待ってくださっていることを痛感しました。
文化祭に参加した友は、師との誓いの原点を胸に、社会と広布の中核の人材へと育ち、現在、第2総東京の各地で、正義と希望の対話拡大に奔走しています。
先生は今回学ぶ講義の中で、「『一切衆生に仏性あり』——これが法華経の根本の視座です。生命は最極の宝です。誰一人、大切でない人などいません」と教えてくださっています。
万人の仏性を信じ、礼拝し続けた不軽菩薩の実践を通し、あらゆる人と仏縁を結び広げる対話こそ、自他共の幸福の直道であり、立正安国の実践であることを学んでいきたい。
◇一切の差異を超えて
忘れられない出来事があります。
少年部長をしていた時、福島・会津の小学校から、池田先生宛てに手紙が届きました。差出人は6年生の女子児童3人。同校で開催する「図書館まつり」の「作家の手紙コーナー」に展示するため、池田先生に手紙を書いてほしいという内容でした。同校の少女部員が持参した先生の創作童話『太平洋にかける虹』を読み、感動した3人からの依頼でした。先生は、多忙を極める中、原稿用紙3枚に及ぶ返事を書かれたのです。
「おとぎの国からの、お便りのように、私は嬉しく 心に春の花が咲いたように 拝見いたしました……今の、皆さんにとって、読書は『心の、すばらしき旅』です……」
先生からの便りに、3人の児童は大喜びし、学校は大騒ぎになったそうです。
"真心には真心で応える"——先生の励ましには、大人であるとか、子どもであるといった表面的な差異や、学会員であるかどうかといった区別は全くないのです。
今回の講義の中で、いかなる人であれ、「本来、仏性がある」と見る不軽菩薩の視座を通し、ここに、「思想信条の違いを超えて、生命尊厳の真実に目覚める善の可能性において、人間を信じ抜ける視座があります」とつづられています。その通り、一切の差異を超えて一人の人間の尊厳性を信じ、心から励まし続ける先生の振る舞いに胸を熱くしました。
先生の行動に学び、私自身も地域に友情の連帯を広げる語らいに挑戦してきました。
第2総東京書記長をしていた時、壮年メンバーと共に地域友好活動を始めました。そのつながりで多くのかけがえのない友人と出会うことができました。誠実に交流を続ける中、今では、学会に深い信頼を寄せていただけるようになりました。
私が対話に臨むに当たって心にとどめていることは、不軽菩薩の実践です。語らいの好機が来るのをただ待つのではなく、不軽のように勇猛果敢に自分から相手の懐に飛び込んでいく"積極的な対話"です。そして、一度や二度で終わる関係ではなく、不軽が信念を貫いたように、何度も関わり続けていく"不屈の対話"です。
◇師と共に歓喜を胸に
先生は「生命と生命は相互関係です。自分自身が大切であるということは、他者も大切な存在なのです。いな、他者の尊厳を知って大切にしてこそ、自身の尊厳も輝くのです。この"気づき"が、自他の共生の土台となるのです」と講義されています。
自分が縁する人を信じ、敬い、声をかけ続けていけるかどうかという問題は、実は自分自身の仏性を信じ抜くことができるかどうかという問題と直結しています。
「あの人はいつも話を聞いてくれないから」「あの人とは久しく会っていないから」などと、いくら他者を"分析"してみても、立正安国は進みません。問われているのは相手ではなく、自分です。ゆえに"自分自身の戦いだ"と捉えたとき、人間革命と広宣流布の歯車は回り始めます。
さあ、第2総東京の一人一人を信じてくださる師匠のご期待に応える時は、「今」をおいてほかにありません。師と共に広布の大道を歩める歓喜を胸に、縁する全ての人に、希望と正義を語り広め、民衆勝利の新時代を開いていこうではありませんか!
その大切な主人公は誰でもない、私たち一人一人なのです。
日蓮大聖人は御書の至る所で、不軽菩薩について触れられている。建治2年(1276年)12月、松野六郎左衛門入道に与えられたお手紙である「松野殿御返事」では、法華経を持つ者を謗ってはならないと戒められた上で、法華経を持っていない者も含め、一切衆生に仏性があると信じ、礼拝行を貫いた不軽菩薩の実践について述べられている。