新聞休刊日
生死一大事血脈 P1337
『所詮臨終只今にありと解りて信心を致して南無妙法蓮華経と唱うる人を「是人命終為千仏授手令不恐怖不堕悪趣」と説かれて候、悦ばしい哉一仏二仏に非ず百仏二百仏に非ず千仏まで来迎し手を取り給はん事歓喜の感涙押え難し』
【通解】
所詮、臨終只今にあると覚悟して信心に励み南無妙法蓮華経と唱える人を普賢菩薩勧発品には「是の人命終せば、千仏の手を授けて、恐怖せず悪趣に堕ちざらしめたもうことを為」と説かれている。よろこばしいことに、一仏二仏ではなく、また百仏二百仏ではなく千仏まで来迎し手を取ってくださるとは歓喜の涙、押えがたいことである。
☆不二の旅 第11回 池田先生と関東
◇恐れなき敢闘精神で威風も堂々と!
「不二の旅」の第11回は、関東を紹介。池田先生が"恐れなき敢闘精神で、威風も堂々と勇猛精進を"と望んだ関東最高協議会でのスピーチ(抜粋)とともに、各県での激励行を紹介する。
・1971年10月、埼玉・上尾市の上尾運動公園体育館で行われた記念撮影会。"大河の流れのような信仰を貫き、仲良く団結して前進を"と呼び掛けた
・1985年9月、第1回千葉青年平和文化祭で出演者を激励。"偉大な千葉県を君たちの手で"と、限りない期待を寄せた(成田市体育館で)
・「戦うべき時には断固戦う"誉れの信心"を」と訴えた第1回群馬県総会。総会に集った未来部の友にエールを送る(1991年8月、渋川平和会館<当時>で)
・1982年2月、先生は6日間にわたる「厳寒の茨城指導」へ。鹿島会館(当時)でピアノを弾き、不屈の信心を貫く一人一人に希望の灯をともした
・「成長、活躍をいつも祈っています」——栃木県の第1回「創価同窓の集い」に参加した友と記念のカメラに(1990年6月、栃木研修道場で)
◇関東の友に贈った指針
関東——その名を聞くと、私は何ともいえない「心強さ」を覚える。関東には、キラ星のごとく人材が輝いている。
関東が強くなれば、大東京も強くなる。関東が威光勢力を増すことは、日本全体、さらに全世界の広宣流布の威光勢力を増すことである。
関東こそ「創価の柱」であり、「学会の要」なのである。
◇
この関東に、殉教の師・牧口先生は、特高警察の監視の目が光るなか、折伏、指導の歩みを運ばれた。「人生においては、率先して実行することが大切である」——これは、先生の一貫した信念であった。
さらに、不二の弟子たる戸田先生は、戦後の広宣流布の率先の第一歩を、この関東の座談会から始められたのである。
戸田先生は厳しく言われた。
「大勇猛心と大闘争心なくしては、広宣流布はできぬ!」
権威の命令でもない。要領でもない。指導者の不惜身命、死身弘法の行動によって道は開かれた。それが、学会の勝利を可能にしたのである。
◇
どんな困難にぶつかっても、強く生きることだ。強いことは幸福である。そこに誇りが光る。
弱いのは、意気地なしである。人からも、ばかにされる。強く、強く生き抜くことだ。
今いるその場が、使命の舞台である。広布と人生の勝利のために、思いっきり、戦うことだ。そうでないと、自分が損をするからだ。
思いっきり戦えば、功徳も大きい。それが信心の世界、広宣流布の世界である。
◇
皆さまは、御本尊をたもち、広宣流布を担っておられる。人間として最も尊い生き方である。恐れるものは何もない。
どうか、勇気を持ち、誇りを持って、どんな立場の人に対しても、創価の正義を、人間主義の哲学を、堂々と語り抜いていただきたい。
(関東最高協議会<2003年8月>でのスピーチから抜粋)
☆心に刻む御書 2021年の要文� 百六箇抄
【御文】
『法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し』(百六箇抄、856ページ)
【通解】
法が自然と弘まっていくことはない。人が法を弘めていく故に、人も法もともに尊いのである。
【池田先生の指針】
「人」がいてこそ、対話が成り立つ。死身弘法の「人」がいてこそ、広布の大道は開かれる。ゆえに、「人」という存在が極めて重要な意義をもつことは、当然の理である。
(第2巻「勇舞」の章)