「納得」は力だ。
不安や疑問の声に
誠実に耳を傾け
丁寧に語っていこう!
そこから大きな波動が。
日興遺誡置文 P1618
『下劣の者為りと雖も我より智勝れたる者をば仰いで師匠とす可き事』
【通解】
たとえ位の低い者であっても、自分より智慧がすぐれている人を、師匠と仰いで仏法を学ぶべきである。
名字の言 明るい未来を信じて疑わない 2021年6月2日
近所に住む男の子が自宅の玄関前に立っていた。遊ぶ約束をした小学生の兄の帰りを待っているという。なかなか兄が現れないことに、そわそわする男の子は、家の花壇から1本の花を抜き、花占いを始めた▼"今も、こうする子がいるんだ"とほほ笑ましく感じた。さらに、花びらをつまみながら発した男の子の言葉がよかった。「来る。絶対来る。来る……」。信じて疑わない純粋な心が通じたのか、程なく兄が駆け足で帰宅。男の子は笑顔で迎えていた▼仙台市在住のプロカメラマンである壮年部員の写真展に足を運んだ。タイトルは「未来へつなぐ千年桜」。東日本大震災のあった2011年から10年間、春に東北各地で咲いた桜を撮った作品が並ぶ▼震災直後の桜の写真は、人の背丈よりも高い位置の枝にカキの養殖で使う筏が絡み付いていた。背景も津波のすさまじさを物語る荒野だった。それが年を経るほどに、作品には桜の木の周りで農作業をする人の姿などが写るようになっていった▼"必ず復興できる! 東北の未来を信じて疑わない! だから今年も咲く!"という強烈なメッセージが全作品から伝わってきた。「咲く」には「わらう」の意味もある。会場の鑑賞者にも笑顔が咲いていた。
寸鉄 2021年6月2日
学会は師子の団体—戸田先生。堂々と正義を叫べ。確信と誠実の声は伝わる
まだ勝負はこれからだ—詩人。さあ執念で前へ!"まさか"が実現の劇皆で
他人ではなく過去の自分と比べる人は確実に成長と。昨日より今日と挑戦
「他者への親切」は認知症リスクを抑える—調査。利他の道は健康人生の力
接種の案内で偽サイトに誘導するメールに注意。安易に開かず。用心重ね
〈社説〉 2021・6・2 梅雨期に考える健康
◇免疫とカビとコロナと
「健康な状態とか、病気の状態というものは、環境からの挑戦に適応しようと対処する努力に、生物が成功したか失敗したかの表現である」(木原弘二訳『人間と適応』みすず書房)——世界的な細菌学者であるルネ・デュボス博士の遺した言葉である。
博士と対談した池田先生は、後にエッセーでこの言を紹介し、こう述べている。
「すなわち健康とは、決して問題のない安息な状態を指すものではない。むしろ、気温の上下、ウイルスや細菌の流行など、険しい環境の変化に対応しようとする力だというのだ」
梅雨の季節に入った。カビ、細菌が繁殖しやすく、食中毒も起きやすい時期である。環境の変化に対応しようとする賢明な行動を重ね、健康を保ちたい。
菌は、水分、温度、栄養の三つがそろえば増殖する。丹念な掃除や換気で、カビが好むホコリなどの栄養を除いたり、湿度を下げたりすることが肝要である。エアコンも上手に活用したい。
食中毒にも注意。菌が増えても、色や味、においが変わらない事例は多い。生ものは極力加熱し、調理後も室温で長時間放置しない。冷蔵庫を過信しない警戒心も必要だ。国民的な慣習になりつつある「小まめな手洗い・うがい」も続けたい。
今、細菌より極小なウイルスが猛威を振るっている。感染症に立ち向かうには、免疫細胞の7割が作られ、「免疫の最前線」たる「腸」の環境を良くすることが肝心だと、学術部の友が語っている(本紙2月3日付)。
また日々の心掛けとして、天台大師が挙げた、�調食(食べ物の質と量を調整する)�調身(散歩、体操、運動をする)�調息(呼吸を調える)�調眠(睡眠、生活のリズムを調える)�調心(心を調える)の5点は、腸内環境を調える実践に通ずるという。
池田先生は先のエッセーで、こう呼び掛けている。「人間の眠れる能力は、与えられた環境を甘受していては発揮できない。ゆえに戦え! たゆまぬ努力をもって、才能の沃野を開拓し、使命の舞台を生き生きと広げよ!」と。
未曽有のコロナ禍からさえも学び、前進する能力が、私たちにはある。感染症などをより深く理解し、免疫力を高めておく日頃の努力や注意も、その一つではないだろうか。
☆御書の旭光を 第31回 華陽姉妹は仲良く朗らかに!
〈御文〉
『教主釈尊と申す大人にゆきあはせ給いてこそ仏にはならせ給いしか、されば仏になるみちは善知識にはすぎず』(三三蔵祈雨事、1468ページ)
〈通解〉
(一切衆生は)教主釈尊という偉大な人に行きあえたからこそ、仏になることができたのである。それゆえ、仏になる道は、善知識に勝るものはないのである。
〈池田先生が贈る指針〉
広宣流布へ生き抜く友情ほど、尊貴なものはない。世界一の生命哲学を広めゆく連帯ほど、偉大なものはない。
わが女子部の「心大歓喜(心は大いに歓喜す)」の絆こそ、地球民族の和楽と繁栄の門を開く希望である。
最高の善知識である学会家族と共に幸福勝利の舞を! 全世界の華陽姉妹と仲良く朗らかに!
☆ONE GOSHO この一節とともに! 弥三郎殿御返事
◇勝負の時は「今」!
「人生を懸けて悔いなき一戦に巡り合うことは幸福」——池田先生は語っている。今回は、法論に臨む門下に対する日蓮大聖人の御指南を学ぶ。
◇御文
『今年の世間を鏡とせよ若干の人の死ぬるに今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり、此れこそ宇治川を渡せし所よ・是こそ勢多を渡せし所よ・名を揚るか名をくだすかなり』(御書1451ページ)
◇通解
今年の世間の様子を鏡としなさい。多くの人が死んだのに、自分が今まで生きながらえてきたのは、このこと(法華経ゆえの難)に遭うためである。今この時こそ(歴史上の戦の勝負所として有名な)宇治川を渡す所だ、今この時こそ勢多川を渡す所だと思いなさい。名を上げるか、名を下すかの勝負所である。
◇背景
本抄は建治3年(1277年)、日蓮大聖人が56歳の時に身延でしたためられ、門下の弥三郎に宛てられたお手紙である。何らかの事情によって公の場で出家の念仏者と法論を行うことになった弥三郎に対し、準備と心構えを示されている。
前半では法論の際に主張するべき内容について述べられ、後半では、破折の仕方について具体的に御指南されている。
そして、所領を惜しんだり、他人を頼みにしたりすることなく、迷いや恐れを排して堂々と法論に挑むよう励まされている。
◇解説
本抄が執筆された当時、日本では度重なる飢饉に加え疫病が猛威を振るい、多くの命が失われていた。また、3年前に襲来した蒙古が再び侵略してくるのではないかとの不安も広がり、世相は騒然としていた。
そうした過酷な環境を踏まえ、日蓮大聖人は弥三郎に対し、これまで生きてくることができた使命を深く自覚するよう教えられている。
法論への対応について指導を受けた弥三郎は、少なからず不安を抱いていたかもしれない。大聖人は主張すべき内容を細かく御教示された上で、今回の拝読範囲の直前で「但偏に思い切るべし」(御書1451ページ)と、覚悟を決めるよう励まされる。
そして法論の意義について大聖人は、"宇治川・勢多川(瀬田川)を渡る戦い"と仰せである。瀬田川とは、琵琶湖から流れ出る唯一の河川のこと。現在、上流の滋賀では瀬田川、途中の京都では宇治川と呼ばれ、淀川となって大阪湾に注ぐ。
古来、この川にかかる瀬田橋と宇治橋は、攻防の勝負所とされてきた。実際に、1184年の宇治川の合戦では、宇治川を渡りきった源義経の軍勢が木曽義仲の軍勢を破り、1221年の承久の乱では、北条泰時率いる幕府の軍勢が朝廷方の攻撃をしのいで渡河し、勝利している。
まさに、"勝負を決する舞台"となってきたのである。
時代を決する要所と重ねての、"今この時こそ勝負所なのだ"との御指南からは、大聖人の、勝利への峻厳な一念が拝される。そしてこの深い覚悟に立つことこそが、大聖人御自身が一切の戦いにおいて貫かれた姿勢であり、広布の戦いに臨む私たちが範とすべき姿勢である。
広布の戦いにおいては"名を上げるか下すか"——勝つか、負けるかしかないと心に決めるからこそ、逡巡や臆病の心を絶ち、本来の力を出し切ることができる。
弥三郎への大聖人の励ましを通して、池田先生は語られている。
「同じ戦うのなら、『断じて勝つ』と腹を決めて戦い切るのです。人は敵と戦う前に、己心の弱さに負ける。何よりもまず、その心中の賊に勝たねばならない。とともに勇気と蛮勇は違う。現実と真正面から向き合うところに真の勇気があります。そこから今、何を為すべきか、明瞭に見えてくるのです」
拝読範囲の直後で大聖人は、「釈迦仏・多宝仏・十方の仏たちよ! 集い来って、わが身に入りかわり、私を助け給え」(同ページ、趣意)と心に念じることを呼び掛けられている。いざ戦いに挑むにあたり、強き祈りで仏界を開き、生命力と智慧を涌現させていくことが肝要である。
広布の戦いに弟子を送り出す師匠の思いは、限りなく深い。その期待に応えようと決めて立つ時、思ってもみなかった力を発揮することができる。
立正安国の月・7月へ——師弟勝利の誓いを胸に、一つ一つの戦いに挑み抜き、自身と社会の宿命転換を成し遂げていきたい。