日々 清新の息吹で
勇んで人と語り合う。
そこに「感激」が生まれ
皆の躍進の力となる。
共に歓喜のドラマを!
聖人御難事 P1189
『而るに日蓮二十七年が間弘長元年(辛酉)五月十二日には伊豆の国へ流罪、文永元年(甲子)十一月十一日頭にきずをかほり左の手を打ちをらる、同文永八年九月十二日佐渡の国へ配流又頭の座に望む』
【通解】
ところが、日蓮は二十七年間に、弘長元年五月十二日には伊豆の国へ流罪、文永元年十一月十一日には房州の小松原で念仏者東条景信のために、頭に疵を蒙り左の手を打ち折られた。同じく文永八年九月十二日佐渡の国へ流罪され、また竜口の頸の座にも臨んだのである。
名字の言 "カタツムリの歩み"のような努力を 2021年6月18日
文豪・幸田露伴は自分の家を「蝸牛庵(カタツムリの家)」と呼んだ。身一つでどこへでも行くという意味で、何度も住まいを替えた▼最も長く居を構えた地は東京・墨田区。旧居跡は今、カタツムリをかたどった遊具のある児童公園になっている▼露伴は幼少時代、病弱だった。経済苦で学校を中退もしている。それでも学びを止めず、読書に励み、漢詩や漢学にも親しんだ。それこそ"カタツムリの歩み"のような努力を積み重ねてきたといえよう。墨田で書き上げた『努力論』にこんなくだりがある。「努力より他に吾人の未来を善くするものはなく、努力より他に吾人の過去を美しくしたものはない」(岩波文庫)▼ガンジーは「善いことというものは、カタツムリの速度で動く」(坂本徳松訳)と言った。理想が大きいほど目的地は遠く、道は険しい。日々の歩みに歯がゆさを覚えることもあろう。しかし当たり前だが、止まってしまえば絶対に前には行けない▼「足元へ いつ来りしよ 蝸牛」(一茶)。池田先生はこの句を紹介し、「たとえ地味であっても、一歩一歩と着実に進むことが、偉大なる勝利の母となる」と訴えた。誰が見ていなくとも、善の勝利を仰ぎ見るその日まで、自らの努力の歩みを止めるまい。
寸鉄 2021年6月18日
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☆紙上セミナー 仏法思想の輝き 東洋大学名誉教授・経済学博士 八巻節夫
◇充足した人生とは
東洋大学名誉教授・経済学博士 八巻節夫
【プロフィル】やまき・せつお 東洋大学名誉教授。経済学博士(財政学)。78歳。1967年(昭和42年)入会。相模原市在住。総区主事(総区太陽会議長兼任)。学術部参与。
◇「心の財」こそ無上の宝
私は50年以上、経済学を専門に研究してきました。「経済」と口にすると、"難しそう……"と敬遠されてしまうのが長年の悩みです。
「経済」という言葉は、「経世済民」に由来し、"世を治め、民を救う"ことを本義としています。かつて池田先生は、「『何のため』の経済か。庶民が、母と子が、幸福に暮らしていける経済か否か。これが肝要である」と語られました。私も「生きた人間を離れて経済はない」との信念で研究を重ねてきました。
ちなみに、わが家の経済は、常に妻が的確に回してくれています。おかげで安心して働いてくることができました。その意味で妻は"一流の経済学者"であり、無駄遣いを認めない鋭さは私も全く及びません(笑い)。
◇地球2.8個分
経済の成長とともに、私たちは便利な物に囲まれ、快適な生活を享受できるようになりました。しかし、人間の欲は、とどまるところを知りません。生活を豊かにするはずの"物"が、不満を拡大させる働きをもたらしました。
例えば、喉が渇いたときを想像してみてください。1杯目の水を飲んだときに得られる満足度は、2杯目以降、下がってしまいます。また、はやりの服を買ったとしても、流行が移り変われば、その服から得られる満足感は減ります。それによって不満を拡大させ、新しい服を買いたくなってしまうのです。こうして、新たに欲求を満たそうと消費が拡大されてきました。
欲望の肥大に伴い、経済発展を果たしてきた一方、公害問題をはじめ自然環境が破壊・汚染されてきた側面もあります。そうした反省から、日本では1970年代の後半から、「物の豊かさ」より「心の豊かさ」を求める、と答える割合が上回るようになりました。つまり、「経済の成長=幸福」は錯覚であり、目先の欲求を満たす消費行動は、決して真の幸福にはつながらないことに気付き始めたのです。
しかし、40年以上たった今もなお、物の豊かさを求めることで、地球環境へ負荷の掛かる消費は続いていると言わざるを得ません。
例えば、現代の日本人と同じ生活スタイルを、世界中の人がしたときに必要な地球の数は、2.8個分といわれています。当然ながら、地上の資源は有限であり、このままでは枯渇してしまいます。資源の奪い合いから、争いに発展することも懸念されます。資源を浪費する社会から、持続可能な社会にシフトしようと、国連が掲げるSDGs(持続可能な開発目標)の達成に向けた取り組みに、私はとても希望を感じています。何より、消費の在り方を変えていくために不可欠なのが、私たちの意識変革です。
◇経済の焦点は「生命」
仏法に巡り合って54年を迎えます。創価学会に入会した直後の学生時代、時間さえあれば研究に打ち込みたかったので、「祈る」という行為が釈然としませんでした。しかし、地域の学会員の温かな人間性に魅了され、信心に励む中で「自分さえよければいい」と考えてしまいがちな自身の小さな境涯に気付きました。
学会活動を通し、「自他共の幸福」こそが、本来、経済学が目指すべき幸福と一致すると分かると、それまで以上に研究に力がこもりました。利己にとらわれた小我から大我への転換でした。
日蓮大聖人の示された「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」(御書1173ページ)との一節は、人生において最も大切な価値を教えています。
「蔵の財」は経済的な富を、「身の財」は健康や身に付けた技術・知識等を指します。二つとも、生きる上で必要ではありますが、いずれも相対的なものなので、これだけでは真実の生命の充足は得られません。
対して、「心の財」とは、私たちの生命に刻まれた永遠の福運であり、崩れることのない心の豊かさを表しています。自他共の幸福を目指す大聖人の仏法の実践によって積まれた「心の財」こそ、人生の無上の宝なのです。心の豊かさを積みゆく人生に、本当の充実があるのではないでしょうか。
これからの時代、心の豊かさを得るために大切なのは、節度をもって生活することに誇りを持つ生き方です。そのためにも、欲求を調和的に充足させる経済の仕組みによって、人々は最大の満足を得られると考えます。これができるかどうかが、経済が今後、人々の幸福に貢献していくための課題です。
御書には「心の師とはなるとも心を師とせざれ」(1025ページ)との経文が引かれています。
生命に根源的に具わる煩悩(貪欲性や暴力性)に左右されず、支配されず、またそれを無理に消し去るのでもない。正法を「心の師」として、煩悩をも価値創造の方向へ導いていく智慧を教えています。欲望をコントロールする自身を築いていく——仏法の教えを、意識変革の根底に据えることが何より大切だと思います。
コロナ禍にあって、今後の経済の焦点が「生命」に移るといった議論があります。私も全くの同意見です。具体的には、地球環境の保全に加え、医療従事者やエッセンシャルワーカーを大切にし、生命そのものの価値を重視する経済の構築です。
池田先生は、「資源は有限であっても、人間の可能性は無限であり、人間が創造することのできる価値にも限りがない」と語られています。仏法が説く「生命尊厳」の哲理が希求される今、向学の志に燃え、価値創造していくことが私の生きがいです。
◇[視点]依正不二
仏法では、人間を取り巻く一切の環境を意味する「依報」と、生を営む主体(人間)を指す「正報」が「不二」、つまり、分かちがたく関連していると説きます。日蓮大聖人は、「正報なくば依報なし・又正報をば依報をもって此れをつくる」(御書1140ページ)と教えられています。人間は、自然と切り離されて生存することはできません。よって、あらゆる生命を尊び、自然と共生する生き方が大切になります。
創価学会は、地球環境の課題について啓発するために、展示活動などを行っています。その主題は、"一人の意識が変われば環境をも変えていける"というもの。「依正不二」に基づく希望のメッセージを発信し、変革の主体者の輪を広げています。
☆心に刻む御書 2021年の要文� 減劫御書
【御文】
『大悪は大善の来るべき瑞相なり、一閻浮提うちみだすならば閻浮提内広令流布はよも疑い候はじ』(減劫御書、1467ページ)
【通解】
大悪は大善が来る前兆である。一閻浮提(全世界)が打ち乱れるなら、「閻浮提の内に広く流布せしめる」との経文通りになることは、よもや疑いあるまい。
【池田先生の指針】
御本仏は、一切衆生が仏性という最極の生命を涌現する道を開いてくださった。どんな難も乗り越える信心である。その実証こそ、創価家族の「人間革命」だ。
一国も世界も、大悪を大善へ転ずるのが、一閻浮提広布である。地涌の若人の連帯は五大州に広がった。誓願の祈りで地球を包み、人類の「宿命転換」へ前進だ!
(聖教新聞2020年10月9日付「心に御書を」)