◇今週のことば
「竹の節を一つ破ぬれば
余の節亦破るるが如し」
一つの勇気の挑戦が
広布と人生の壁を破る。
さあ師子奮迅の力で!
2021年6月21日
曾谷入道殿許御書 P1033
『此等の大菩薩末法の衆生を利益したもうこと猶魚の水に練れ鳥の天に自在なるが如し、濁悪の衆生此の大士に遇つて仏種を殖うること例せば水精の月に向つて水を生じ孔雀の雷の声を聞いて懐妊するが如し』
【通解】
地涌の菩薩が末法の衆生を利益されることは、魚が水中を自由に泳ぎ、鳥が天空を自在に飛ぶようなものである。濁悪の(末法の)衆生が、
この菩薩に出会って仏種を植えることは、水晶が月光に照らされると水を生じ、孔雀が雷の音を聞いて懐妊するようなものである。
名字の言 絵はがきに描かれた「枯れたヒマワリ」 2021年6月21日
ホイットマンは詩集『草の葉』の表紙の色を何度も変えた。36歳で編んだ初版は緑、第3版は赤茶、臨終版は枯れ葉をイメージする褐色。本の装丁をもって人生の変遷を表した▼新緑や紅葉だけではない。冬枯れの葉にも生命の輝きを見たのだろう。詩集にこうある。「わたしは幸運を求めない、このわたし自身が幸運なのだ」(富田砕花訳)▼進行性筋ジストロフィーと闘う女性部の友から絵はがきを頂いた。描かれていたのは「枯れたヒマワリ」。"一人一人の心に平和の種をまきたい"と言葉が添えてあった▼入院生活45年。徐々に筋力が低下する苦悩の中で信心に出あい、生きる力を得た。窓から見たヒマワリは、枯れてもぎっしりと種を付け、大地を見つめて立っている。その姿に感動した彼女は人工呼吸器を鼻に当て、肘を支えてもらいながら絵はがきを描いた。それを友人らに送り、メールで対話。「ベッドの上でも学会活動はできます」と向上心を燃やし続ける▼仏法は「凡夫即極」を説く。今ここで、その身のままで仏の生命を顕すことができるとの教えだ。では、どうすれば自らが持つ生命の尊さに気付けるのか。彼女のメールに答えがあった。「命懸けで生きてこそ、本当の幸せが見えます」
寸鉄 2021年6月21日
「志有らん諸人は一処に聚集して」御書。団結こそ要。情報共有し、共に勇戦
東京・豊島の情勢緊迫。異体同心でもう一押し!皆で痛快なる大逆転劇を
中野よ断じて勝利を!—全国の友がエール。凱歌の歴史開く拡大ここから
激戦のあるところに私は身を置く—文豪。これが師子。突破口開く一人に
漫然・脇見・ながら運転…事故の多くは気の緩み。絶対無事故の意識を強く
☆御書の旭光を 第36回 題目に万行万善の功徳は厳然
〈御文〉
『此の法華経の本門の肝心・妙法蓮華経は三世の諸仏の万行万善の功徳を集めて五字と為せり、此の五字の内に豈万戒の功徳を納めざらんや』(教行証御書、1282ページ)
〈通解〉
この法華経の本門の肝心・妙法蓮華経は、三世の諸仏の万行万善の功徳を集めて五字としたものであるから、この五字のうちに、どうして万戒の功徳を納めていないことがあろうか。
〈池田先生が贈る指針〉
題目には、人を救い寂光土を築く、一切の仏の「万行万善」の功徳が納まっている。ゆえに妙法流布に励む地涌の生命は、全宇宙の仏界と一体となり、広大無辺の功力を発揮できるのだ。
恩師は「弾けるような題目で、どんな障魔も吹き飛ばせ!」と励まされた。世界が渇望する蘇生の妙音を響かせ、大善の行動を勇敢に!
☆池田華陽会御書30編 研さんのために 種種御振舞御書�
◇"さきがけ"の使命と福運
今月は「種種御振舞御書」の前半を学びます。池田先生はつづられました。
「日蓮仏法の魂は、『さきがけ』の勇気です。(中略)自分が、決然と立ち上がることです。思い切って行動を起こすことです」「若き生命には無限の可能性がある。一切の苦難や試練を乗り越えゆく勇気がある。誓願のスクラムを広げ抜く熱と力に満ちています。皆さんこそが『生命尊厳の世紀』の主人公です」
打ち続く大難に一歩も退くことなく、堂々と戦い、勝ち越えていかれた日蓮大聖人の振る舞いを学び、"広宣の華"池田華陽会が、平和と幸福の拡大に勇気凜々と先駆していきましょう!(拝読範囲は御書909ページ冒頭〜916ページ3行目「其の余はしげければかかず」です)
◇本抄について
本抄は、建治2年(1276年)に日蓮大聖人が身延で認められ、光日尼に与えられたとされていましたが、詳細は不明です。
本抄には、文永5年(1268年)から文永11年(1274年)までの、大聖人の御闘争が記されています。蒙古から日本へ国書が届いたことから書き起こされ、竜の口の法難、佐渡流罪、さらに、鎌倉に戻られてからの国主諫暁、身延入山に至るまでが、目に浮かぶような鮮烈な叙述でつづられています。
御執筆の年とされる建治2年ごろ、蒙古襲来の予言的中もあり、大聖人一門の勢いが増したことにより、門下の身に次々と障魔が競い起こりました。本抄は、法華経の行者の振る舞い、境涯とはいかなるものかを示し、何としても弟子を勝利させていこうとの、熱きお心が込められた御書であると拝されます。
◇御文
『仏滅後・二千二百二十余年が間・迦葉・阿難等・馬鳴・竜樹等・南岳・天台等・妙楽・伝教等だにも・いまだひろめ給わぬ法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり、わたうども二陣三陣つづきて迦葉・阿難にも勝ぐれ天台・伝教にもこへよかし』(910ページ17行目〜911ページ1行目)
◇通解
釈尊が亡くなられた後、二千二百二十年あまりの間、迦葉・阿難ら、馬鳴・竜樹ら、南岳・天台ら、妙楽・伝教らでさえ弘めることがなかった、法華経の肝心であり、仏たちの眼目である妙法蓮華経の五字が、末法の初めに全世界に広まっていく瑞相として、日蓮が先駆けしたのである。
わが一門のものたちは、二陣、三陣と続いて、迦葉・阿難にも勝れ、天台・伝教にも超えていくのだ。
◇解説
本抄の冒頭で大聖人は、「立正安国論」で予言された「他国侵逼難」という重大な危機が現実となったにもかかわらず、当時の為政者らが、大聖人の意見に耳を傾けず、かえって悪口するなど反発を強めたとつづられています。
それでも大聖人は、「名を惜しむこともなく、命をも捨てる覚悟で」(御書909ページ、趣意)、ますます力強く正法を語り抜かれました。
しかし権力者らは、いよいよ憎しみを顕わにし、大聖人を「処刑せよ」「追放せよ」「門下たちも懲らしめよ」などと謀議したと述べられています。
御自身の身に危険が迫る事態。しかし大聖人は、それを憂えるどころか「日蓮悦んで云く本より存知の旨なり」(同910ページ)——もとより承知していたことだ、うれしい限りだ、と言い切られます。
なぜなら、末法に妙法を弘める者が迫害されることも、自界叛逆・他国侵逼の現証が現れることも、すべて経文に説かれる通りだからです。
大聖人は「各各我が弟子となのらん人人は一人もをくしをもはるべからず」(同ページ)と述べ、成仏を決する大事な今こそ、共に恐れなく広布に生き抜くことを弟子に呼びかけられます。
そして、そのことがどれほど尊く、偉大な戦いであるかを明かされるのが今回の拝読御文です。
これまで誰も弘めることのなかった、法華経の真髄であり、あらゆる仏の成仏の根源である「南無妙法蓮華経」の大法を、全世界に弘めゆく"先陣"を切られたのが大聖人です。
この師に「二陣三陣」と続くならば、弟子もまた、誉れ高き"先陣"となります。さらに、最高の法を弘通するがゆえに、一人一人が、仏教の歴史に名を刻む迦葉や阿難、天台や伝教をも超えゆくほどの、偉大な妙法の勇者となっていくのです。
広宣流布とは、末法万年にわたり、全世界の人々の幸福を開く戦いです。ゆえに「二陣三陣つづきて」とは、大聖人が私たちに直接呼び掛け、世界広布の遠大な使命を託されている御金言にほかなりません。
私たちは日々、広宣流布の"さきがけ"として、立正安国の対話に挑む、偉大な使命と福運の青春を歩んでいます。
どんな時も、弾ける勢いで題目を唱え、不屈の「師子王の勇気」で、すべてを勝ち開いていきましょう。
◇池田先生の指針から
三代の師弟は「さきがけ」の勇気で勝ちました。そして、これからも、「二陣三陣」の後継の闘魂で永遠に勝ち続けていくのです。(中略)
大聖人の御在世と同じく、今、時代は乱気流の中に入っている。しかし、いかに社会が動揺していても、いな社会が動揺しているからこそ、自分の信心だけは微動だにしてはならない。"広布のため""学会のため"という心の操縦桿を握りしめていけば、必ず打開できる、勝利できる。こう確信して、師子奮迅の力を出し切っていくことです。(『御書と師弟』第2巻)
◇ ◆ ◇
末法万年の人類を救う広宣流布を成し遂げ、世界に根本的な寄与をする"さきがけの誇り"に胸を張ることです。その人を、三世十方の仏菩薩が守りに護らないわけがありません。
戦いを決するのは「真剣さ」と「粘り」です。「執念」と「勇気」です。「絶対に勝つ!」という「決意」と「祈り」である。「断じて勝つ!」と決めて、戦い抜いたほうが勝つ。勝つために、最大の努力を尽くし切っていくことです。(同)
◇研さんのために
○…「大白蓮華」2012年4・5月号「勝利の経典『御書』に学ぶ」(聖教新聞社)
○…『御書と師弟』第2巻(同)