支部長・女性部長の
奮闘に心から感謝!
広布への情熱の炎を
全同志に灯しゆく
勇敢なる名指揮を!
諌暁八幡抄 P587
『此れを日蓮此に大に見ながらいつわりをろかにして申さずば倶に堕地獄の者となつて一分の科なき身が十方の大阿鼻獄を経めぐるべしいかでか身命をすててよばわらざるべき』
【通解】
(謗法の邪師によって、多くの人々が地獄に堕ちているのを)日蓮が大いに見ながら、自らを偽り、おろかであるために、これを言わなければ、ともに堕地獄の者となって、一分の科もない身が十方の大阿鼻地獄を経巡(へめぐ)ることになるであろう。どうして身命を捨て、謗法を責めずにいられようか。
名字の言 「一人立つ」勇者がいれば 2021年6月9日
12棟のマンション群を舞台に活動し、「元気の配達人!」と評判の壮年がいる。近くて遠くなりがちな住人同士の人間関係。加えて、このコロナ禍。「心を結び合うために自分ができることを」と続けてきたのが同志に手紙を書き、一軒一軒届けることだった▼"あの人には池田先生の言葉を""この人には御書の一節を"と、友の状況に思いを巡らせ、心を込めてつづった手紙の数は600通にのぼる▼その真心が伝わり、次第に「夫が題目三唱するように」「息子が先生の指導を読み始めたんです」などの声が聞かれ始めた。先日は学会活動から離れていた友が一人で会合に駆け付け、「いつも手紙をありがとう」とぽつり。壮年は言う。「こんな喜びを味わえるんだから、広布の挑戦はやめられません!」▼御書には「日蓮一人」との言葉が三十数カ所もある。「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦」(758ページ)、「地涌の菩薩のさきがけ日蓮一人なり」(1359ページ)……。民衆救済に一人戦われた大聖人の烈々たる御精神が脈打っている▼どんな状況であれ、"できない"ではなく、"できる"ことを見つけ、挑む。「一人立つ」勇者がいれば、広布は進み、喜びが広がる。停滞などない。
寸鉄 2021年6月9日
会長は対話で平和築く鑑—市長。さあ立正安国へ。友情育む語らい、我らも
目黒が激闘。総立ちして拡大の押し上げを!劣勢跳ね返す大逆転劇を皆で
御書「火をきるに・やすみぬれば火をえず」。挑戦また挑戦!これ勝利の鍵
人間の本性は逆境の時にはっきり現れる—作家。師子が立ち上がる時は今
簡単に稼げる—悪徳商法に騙される若者多しと。甘い話は罠。信じるな!
☆6・6 牧口先生生誕150周年——ゆかりの地を巡る
略年表
◆1871年(明治4年)
柏崎県刈羽郡荒浜村(現・新潟県柏崎市内)に生まれる
13歳の頃に北海道・小樽へ移住。その後、小樽警察署の給仕として働く
牧口先生が故郷・荒浜から移住した小樽
◆1889年(明治22年)
北海道尋常師範学校(現・札幌市内)に入学
◆1893年(明治26年)
北海道尋常師範学校を卒業。附属小学校の訓導となる
◆1900年(明治33年)
北海道師範学校(北海道尋常師範学校から改称)の教諭に任命
小学校の教員として、教え子と一緒に登山した藻岩山から札幌市街を望む
◆1901年(明治34年)
北海道師範学校を退職。東京へ
◆1902年(明治35年)
少女雑誌の編集などに携わる
◆1903年(明治36年)
『人生地理学』を出版
◆1904年(明治37年)
弘文学院(後に宏文学院と改称)の講師となり、中国からの留学生に地理を教える
私立東亜女学校の講師となる
◆1905年(明治38年)
女性のための通信教育を行う「大日本高等女学会」を設立
◆1909年(明治42年)
富士見尋常小学校(現・千代田区内)の首席訓導となる
◆1910年(明治43年)
文部省(現・文部科学省)に勤務し、地理教科書の編纂等に従事
◆1912年(大正元年)
『教授の統合中心としての郷土科研究』を出版
◆1913年(大正2年)
東盛尋常小学校(現・台東区立東泉小学校)の校長に就任。併設の下谷第一夜学校の校長も兼任
◆1916年(大正5年)
大正尋常小学校(現・台東区立大正小学校)の校長に就任
『地理教授の方法及内容の研究』を出版
◆1918年(大正7年)
大正尋常夜学校が付設され、同校の校長を兼任する
◆1919年(大正8年)
西町尋常小学校(現・台東区内)の校長に就任
◆1920年(大正9年)
戸田甚一(後の戸田城聖先生)の訪問を受ける
三笠尋常小学校(現・墨田区内)の校長に就任。同夜学校の校長も兼任
◆1922年(大正11年)
白金尋常小学校(現・港区立白金小学校)の校長に就任
戸田先生と共に慶応義塾大学の三田の大講堂で行われたアインシュタイン博士の講演会を聴講
◆1928年(昭和3年)
日蓮仏法の研究を始める
◆1930年(昭和5年)
『創価教育学体系』第1巻を出版
◆1931年(昭和6年)
『創価教育学体系』第2巻(価値論)を出版
麻布新堀尋常小学校(現・港区内)の校長への転任の辞令が下る
◆1932年(昭和7年)
麻布新堀尋常小学校の廃校に伴い教職から離れる
『創価教育学体系』第3巻を出版
◆1934年(昭和9年)
『創価教育学体系』第4巻を出版
◆1939年(昭和14年)
福岡の八女方面を初訪問する
創価教育学会の第1回総会を開催
◆1940年(昭和15年)
創価教育学会の本部を神田区錦町(現・千代田区内)に開設
◆1941年(昭和16年)
創価教育学会の機関紙「価値創造」を創刊
◆1943年(昭和18年)
治安維持法違反ならびに不敬罪の容疑により、現在の静岡県下田市内で身柄を拘束。警視庁に移送された後、豊島区西巣鴨(現・豊島区東池袋)の東京拘置所に収監される
◆1944年(昭和19年)
東京拘置所の病監で逝去(享年73歳)
☆御書の旭光を 第32回 "唱題の人"に恐れなし
〈御文〉
『一念無明の迷心は磨かざる鏡なり是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし』(一生成仏抄、384ページ)
〈通解〉
(私たち凡夫の)無明という根本の迷いに覆われた命は、磨かない鏡のようなものである。これを磨くなら、必ず真実の悟りの智慧の明鏡となるのである。
〈池田先生が贈る指針〉
牧口先生が線を引き、実践された一節である。法難の獄中でも"朝夕は怠ることなかれ。何の不安もない。必ず「変毒為薬」となる"と記された。
"唱題の人"に恐れなし。題目で無明の迷いを破り、生命を明鏡と輝かせるのだ。
創価の父の生誕150周年——。勇気の一念で「百発百中」の勝利をつかみ、報恩の実証を!
☆「世界を照らす太陽の仏法」に学ぶ 第5回 女性部発足特別編
今回の「『世界を照らす太陽の仏法』に学ぶ」は、「女性部」発足の特別編。永石女性部長が、女性部の使命について語ります。
◇祈祷抄
『大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず』(御書1351ページ18行目〜1352ページ1行目)
◇高橋殿御返事
『其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ、仏種は縁に従って起る是の故に一乗を説くなるべし』(御書1467ページ5行目)
◇池田先生の講義
私たちにとって大切になるのは、"わが誓願を必ず成就させよ"と、諸天善神を揺り動かす思いで、強盛に祈る姿勢です。(中略)「一身一念法界に遍し」(御書247ページ等)とある如く、わが一念が三千法界に広がるのです。いわば、悪鬼や魔民も含めて全宇宙が味方となる。これが、妙法の無窮なる力用なのです。
◆◇◆
妙法の祈りによって、私たちは、宇宙の最極の「力」と「智慧」と「慈悲」の生命をわが身に顕現することができるのです。だからこそ常に大聖人が教えられているのは、弟子の側である私たちの祈りの姿勢です。願いを成就していくうえで心すべきことは、祈りが叶うまで何度でも「勇気」を奮い起こして、信心を貫き通していくことです。
◆◇◆
自分にしか切り開くことのできない広布の曠野が必ずあります。その使命の舞台を「あなたにお任せいたします」と、大聖人は述べられています。ここで最も重要なことは、この地域の広布を担うのは、誰かではなく自分なりと、深く自覚することです。
◆◇◆
「友情の開拓」が「広布の開拓」です。「励ましの拡大」が「善縁の拡大」です。
勇敢に、朗らかに語り抜き、友のことを祈り、行動すれば、互いの生命に「幸福の花」が必ず咲き薫っていくのです。
◆◇◆
どうか、「一家を照らす太陽」「後継の人材を照らす太陽」「地域を照らす太陽」、何より、「女性の世紀」「生命尊厳の世紀」「平和の世紀」を照らしゆく太陽として、共々に使命の大道を歩み通していってください。
(『わが「共戦の友」——各部の皆さんに贈る』から)
永石貴美子 女性部長
◇師弟誓願の祈りで幸福・勝利の大輪を
◇和楽の連帯広げ 明るく前進
今、全国各地の友は、「女性部」新出発の喜びに心を弾ませ、対話拡大に駆けています。
女性部の魂は何か。それは池田先生との金剛不壊の絆です。
1978年(昭和53年)6月7日、東京・信濃町に創価婦人会館(現・信濃文化会館)が落成し、池田先生・奥さまが開館記念勤行会に参加してくださいました。
当時、第1次宗門事件が起こり、先生と会員との師弟の絆を分断しようとする障魔の嵐が吹き荒れました。しかし、先生は泰然と、師弟の魂を打ち込むかのように、幾たびも同会館を訪問されました。同会館での会合のみならず、少人数での懇談をはじめ、メンバーと直接会い、抱きかかえるかのように一人一人に励ましを送ってくださったのです。
先生自らが行くことができない時には、奥さまが代わりに参加してくださいました。時には居合わせた友と、障魔を打ち破るように一緒に祈ってくださったこともあります。実際、先生は50回、奥さまは実に607回も同会館に足を運ばれています。
先生・奥さまの励ましと、心を合わせた女性たちの祈りがあってこそ、今日の麗しい団結の学会があるのです。
弟子である私たちも、コロナ禍の中で皆が苦しんでいる今だからこそ、友のもとに足を運び、直接会い、話に耳を傾け、勇気と希望を送る対話に打って出ていきたい。「『女性の世紀』を照らす主役へ」と題して贈ってくださった「祈祷抄」「高橋殿御返事」の講義を学び合い、立正安国の対話へ、池田先生の魂を受け継ぐ女性部が、先頭に立って走り抜いていきましょう。
◇広宣流布の信心
池田先生は、「祈祷抄」を拝し、次のように教えてくださっています。
「妙法の祈りとは、『誓願』です。最も強靱な精神の力です。祈りが心に満ち満ちているところ、いかなる臆病も、あきらめも、弱音も、入り込む隙などありません。祈りとは、『必ず成し遂げる!』という信念です。『絶対に負けない!』という確信です。自分には無理だという不信の壁を打ち破り、『断じて戦い勝つ!』という究極の勇気なのです」
さらに次のようにも語ってくださっています。「一番の根本は、『広宣流布の信心』であるかどうかです」「広布のために真剣に祈り、一つ一つの学会活動に励んでこそ、自身の祈りも叶っていくのです」
この「誓願の祈り」「広宣流布の信心」を教えられ、全世界へと広めてくださったのが池田先生です。この師匠の祈りに心を合致させていく時、自他共の幸福を開く広宣流布のリズムに則り、喜びと勝利の人生を勝ち取っていくことができるのです。
仏の慈悲に連なる師弟不二の祈りは、決して"こうあらねばならない"といった、人間を枠にはめようとするような狭い祈りではありません。全民衆を包む慈悲の祈りであり、自身の可能性を解き放ち、最も自分らしく輝いていく祈りなのです。
私自身、創価大学の学生時代、原因不明の微熱が続き、通院を続ける時期がありました。また、学会活動にも受け身で、どこか真剣になれない自分と葛藤していました。"このままではいけない"と「今日も元気で、先生と同じ心で活動ができますように」と日々の祈りの一念を定めました。
そして、誓願の題目を唱え、広布拡大に戦い切る中で、病を克服できたのです。何より"池田先生と共に"との一念が一切を開く要諦であると気付けたことが、最高の財産となりました。
◇"今いる場所"で輝く
価値観やライフスタイルがますます多様化する中で、仕事や子育て、介護、病などの理由から、活動になかなか参加できない方もいらっしゃると思います。大切なことは、会合に出られる、出られないといった表面的な事柄にとらわれてはならないということです。誰もが、広宣流布を誓い、今この時を選んで集ってきた縁深き同志です。
ゆえに、それぞれの地域で、知恵を発揮し、誰も置き去りにすることなく、安全地帯である創価の連帯の中に包み込んでいくことです。
池田先生は、「『其の国』の『国』とは、門下の住む地域一帯のことです。また、現代でいえば、自身が居住する地域や職場、家庭など、自分自身の関わる場所全般と拝することができます」と、教えてくださっています。
つまり、自分自身が使命に目覚めれば、"今いる場所"が、自分を最高に輝かせていく広布の舞台となるのです。広布の旗を高く掲げ、折伏精神を燃え上がらせ、自身の姿を通して、仏縁を広げていくことです。
女性部の一人一人が、生命力を満々とたたえ、"あの女性は素敵だな""あの方は何か違うな"と職場や地域、家庭で輝いていくことが広宣流布、立正安国の一歩前進に直結していくのです。
"祈ることが力だ"
使命の天地で、師弟の誓願に生き抜く創価の女性の生き方は、各地で地域を明るく照らしています。最近も、先生の故郷である東京・大田で広布に励む方の体験を伺いました。
その方は、父親の大反対の中、母親と共に信心を貫いてきました。女子部のリーダーをしていた時、思いがけず先生が悩みを聞いてくださる機会が。「お父さんに感謝していくんだよ」「あなたが一人、信心に励めば、家族皆を幸せにできるんだから」との先生の温かな言葉に、それまで自分には広布を推進する力がないと、自信が持てずにいた心の内を思わず吐露しました。すると先生は急に峻厳な表情になり、"祈ることが力だ"と言われたのです。
信仰の力とは「同志の幸福を祈ること」だと感動し、必ず先生にお応えできる人間に成長しようと決意。家庭においては先生のご指導通り、お父様と食事を共にするなど、感謝の思いを伝えていきました。やがてお父様は驚くほど変わり、彼女が代配で行っていた聖教新聞の配達も手伝ってくれるようになり、「二月闘争」60周年の折、ついに入会されたのです。彼女はその後、両親の介護も担い、「どうしたら、あなたの家族みたいに、お互いを思いやれるのかしら」と介護ヘルパーや地域の方から羨まれる和楽の家庭を築くことができました。
彼女は翻訳の仕事が多忙を極める中でも、地域を使命の舞台と定め、近隣に信頼を大きく拡大。喜々として対話を広げる姿を通して、ヤング白ゆり世代の多くのメンバーにも、広布に戦う歓喜が広がっています。
先生は、「一人一人の仏の生命を触発する人間主義の対話こそ、私たちが大聖人から直接、託された大聖業であるとの大確信で進んでいきたい。わが使命を晴れやかに自覚し、地域の人々の繁栄を願って、勇んで足を運んでいきたい」と講義されています。この指針を胸に、友情の対話に勇躍挑んでいきたいと思います。
◇桜梅桃李のスクラム
全国の同志が対話拡大に駆けていた2016年6月、池田先生・奥さまが創価世界女性会館を訪問され、勤行・唱題してくださいました。
このとき先生は、「創価の女性のスクラムは希望の太陽であり、慈愛の月光である。その拡大とともに、社会も世界も明るく平和に栄えゆけ!」との願いを託して、ピアノで「母」と"大楠公"を奏でてくださったのです。あまりにも深い師のご慈愛に、今こそ、女性部の一人一人がお応えしていきたい。
いよいよ、創価の師弟を永遠ならしめる時代の幕開けです。先生は過日、「挙一例諸と申して竜女が成仏は末代の女人の成仏往生の道をふみあけたるなるべし」(御書223ページ)を拝し、女性部のパイオニアである一人一人の人間革命の実証と桜梅桃李のスクラムこそが、21世紀の女性の「幸福勝利」と「平和連帯」の道を大きく踏み開けていくと期待を寄せてくださいました。
さあ、立正安国の誓願の祈りを根本に、世界中が仰ぎ見る仲良き女性部のスクラムで、希望・勝利の大輪を咲かせていこうではありませんか!
◇メモ
「祈祷抄」は、文永9年(1272年)、佐渡で著され、最蓮房に与えられたとされる。諸宗の祈りと法華経による祈りを比較され、法華経の行者の祈りが叶わないことは絶対にないと断言されている。
「高橋殿御返事」は、日蓮大聖人が、駿河国(静岡県中央部)の富士方面で、門下の中心的な役割を担っていた弟子に与えられた、お手紙の一部(断簡)と考えられている。地域広布の主体者としての使命と誇りを教えられている。