2021年6月30日水曜日
2021.06.30 わが友に贈る
の一日の功徳に及ばず」
激戦に飛び込み戦う中に
無量の福徳は燦然と輝く。
勇猛果敢に前へ 前へ!
種種御振舞御書 P913
『日蓮申すやう不かくのとのばらかなこれほどの悦びをばわらへかし』
【通解】
(竜の口の法難の際、涙を流した四条金吾に対して)日蓮が、「不覚な殿方ではないか。これほどの喜びはないのだから笑いなさい」と言いました。
名字の言 心の火を友から友へ 2021年6月30日
先月末、ゲンジボタルの里を訪れた。1匹が光を放ち始めると、2匹、3匹と続き、やがて大きな光の集団になった。天空には、北斗七星などの無数の星がきらめいていた▼「蛍二十日に蟬三日」といわれるように、ホタルの盛りは短い。ゲンジボタルの成虫の寿命は、1週間から10日程度。この間、水以外のものは口にせず、雌と出あうまで毎晩、飛びながら発光を続ける。一つ一つの光は、ホタルが生命を燃やす輝きである▼蛍の光を「蛍火」というが、わずかに消え残った炭火を指すことも。御書に「千里の野の枯れたる草に螢火の如くなる火を一つ付けぬれば須臾に一草・二草・十・百・千・万草につきわたりてもゆれば十町・二十町の草木・一時にやけつきぬ」(1435ページ)と▼心の火も、友から友へ、心から心へ――。今月6日、30カ国を超える友が参加した欧州誓願総会では、ベートーベンの「歓喜の歌」を大合唱した。その動画を見ると、池田先生が送った希望の光が一人から一人へと着実に広がり、今日の欧州のSGIが築かれたことが友の歓喜と共に伝わってきた▼ベートーベンは晩年、「心より出ず、再び、心に至らんことを」と書いた。私たちの熱い思いを、一人から一人へと確実に届けたい。
寸鉄 2021年6月30日
男の生き方とはこうだというものを残せ―恩師。壮年よ本領発揮の時は今
大田が熾烈な競り合い。最後まで攻め込んだ方が勝つ。一丸で押し上げ!
立よここからが天王山さあ金星もぎ取る対話を庶民の底力は無敵なり!
荒川に常勝の旗を断じて―皆が応援。総当たりで敵をも味方にする拡大を
学生部結成記念日。君らの言論で民衆勝利の時代開け!そこに先駆の使命
〈社説〉 2021・6・30 きょう、学生部結成記念日
◇先駆の誇り胸に勇気の対話を
きょう6月30日は「学生部結成記念日」。1957年(昭和32年)の同日、500人の男女学生が戸田城聖先生のもとに集い、結成大会が行われた。
席上、戸田先生は"この中から半分は重役に、半分は博士に、一人ももれなく次代の指導者に!"と大きな期待を寄せた。
この日、池田先生は北海道・夕張の地から"新しき世紀を担う秀才たれ"と祝電を送った。「夕張炭労事件」――当時、権勢を誇った炭労組合の不当な人権弾圧事件に際し、学会員を守るために奔走する渦中であった。
3日後の7月3日、池田先生が事実無根の選挙違反容疑で大阪府警により不当逮捕される「大阪事件」が起こる。法廷闘争は4年半に及び、無罪判決を勝ち取った。
学会という新たな民衆勢力の台頭に対する既成勢力の無理解と恐れがあった。しかもそれが権力による迫害として顕在化した。
ここに、根源的な生命変革を説く仏法を流布する民衆運動が直面する困難さがある。また、迫害の背後に潜む権力の魔性は、民衆利用、民衆蔑視を本質とする。
この権力の魔性と、創価の民衆が戦う嵐の中に、わが学生部は誕生した。ゆえに、名もなき庶民を守るための智勇を磨き、社会を正しく照らすことこそ、その使命にほかならないと確信する。
コロナ禍の中、男女学生部は未曽有の試練に負けず、勉学に励んできた。そして「一人立つ! 正義の対話拡大月間」と掲げ、男子学生部は、新入生と共に、対話と友情を豊かに広げ、女子学生部は希望の励ましで福智のスクラムを強めてきた。
東京・調布市の学生寮に住むある学生部員は、対話拡大に挑戦することを決意するが、初めは思うように進まなかった。しかし、周りのメンバーの敢闘の姿を見て、奮起。「自分が相手を信頼して話せば、相手も自分を信頼してくれる」との先輩の言葉に励まされ、多くの友人と友情を深めることができた。今、自身の経験を後輩に語り抜き、勇気の対話の波動を起こしているという。
池田先生は「10代・20代の清新な英知の声が、社会を大きく変革します」と万感の期待を。男女学生部は"先駆の誇り"に燃え、若き普賢の声で目の前の一人の友との勇気の対話を広げ、青春の友情の絆を強く結んでいきたい。
☆ストーリーズ 師弟が紡ぐ広布史 第9回 「一瞬」に「永遠」を込めて 列車編
娘のサラさんをベビーカーに乗せ、母のエマヌエラ・ベルゴンゾーニさんは、ボローニャ中央駅へと急いだ。1992年7月1日のことである。
この日、イタリア訪問中の池田大作先生は、列車でフィレンツェからミラノへ向かった。その途中、列車はボローニャ中央駅に停車した。
ベルゴンゾーニさんが駅のホームに到着すると、車内に先生の姿が見えた。先生は集った友に「グラッチェ(ありがとう)!」と繰り返し感謝を伝え、カメラを向けた。
「その時に先生が撮影された写真は、私たちの宝物です」とベルゴンゾーニさん。
列車が動きだし、友の姿が見えなくなるまで、先生は手を振り続けた。ベルゴンゾーニさんも力いっぱい、手を振り返した。
この時、ベルゴンゾーニさんは、仕事を失っていた。宝石デザイナーとして働いていたが、契約先から解雇された。
だが、ベルゴンゾーニさんは試練を飛躍の転機に変えた。失職を機に、教員になるために大学進学を決意する。
それは、とてつもなく大きなチャレンジだった。ベルゴンゾーニさんには、「ディスレクシア」と呼ばれる、読み書きの障がいがあったからだ。
暗記には人一倍の時間を必要とした。大学進学など夢のまた夢。自分で自分を諦めていた。その心に、立ち向かい始めた。
2年後の94年、31歳でボローニャ国立美術学院の門をたたく。この年、先生は"世界最古の総合大学"と呼ばれるボローニャ大学を訪れ、記念講演を。ベルゴンゾーニさんは学生として聴講した。心の中で"先生、私は勝ちます!"と叫び続けた。
現実は育児、勉強、学会活動と、多忙な日々。何度もくじけそうになった。"もう大学をやめたい"と思う気持ちが込み上げるたび、先生のスピーチを読み、駅での師の励ましを思い返しては、心を奮い立たせた。
猛勉強の末、99年に彫刻学の学士を取得。現在、ボローニャ国立美術学院とラヴェンナ国立美術学院で講師を務める。
イタリア創価学会では、ボローニャ第1方面の方面副婦人部長として、夫のロマーノさんと共にイタリア広布に奔走。長女のサラさん、長男のアレッシオさんも後継の道を進む。
ベルゴンゾーニさんがボローニャ中央駅で、池田先生との絆を結んだ時、列車の停車時間はわずか4分。しかも、窓越しの出会いである。
だが、窓越しの4分は、一人の女性の胸中に、"何があっても負けない"との勇気の灯をともした。29年の時が流れた今も、その灯は、まばゆい輝きを放ち続けている。
◇信心の軌道を進め!
1973年6月5日、池田先生は滋賀・米原から急行「立山2号」に乗車し、福井の武生駅へ向かった。福井県幹部会に出席するためである。
この会合に鼓笛隊のメンバーも参加した。会場の武生市体育館(当時)に向かうため、敦賀にいた7人の鼓笛隊員は「立山2号」に乗車した。
急行が武生駅に到着し、7人は改札を出た。いつもとは違う駅の雰囲気。振り返ると、先生の姿が見えた。
先生は改札を出ると、その場にいた母子に声を掛けた。そして、7人を励まし、一人一人と握手を交わした。車に乗った後も窓を開け、手を振り続けた。
7人への激励は、まだ終わらなかった。福井県幹部会で、先生は「さっき駅で会った鼓笛隊の方、手を上げてください。ヨーロッパの絵はがきを差し上げたいと思います」と。
一回一回の出会いに精いっぱいの真心を込める――そこに創価の心があることを、先生は自らの行動で示した。
73年の福井県幹部会には、もう一つの"駅のドラマ"がある。
「昭和35年に、敦賀の駅で私を待っていてくださった方々は、いらっしゃいますか」――先生が呼び掛けると、会場のあちこちで手が上がった。
昭和35年2月8日、池田先生は敦賀を通って金沢に向かった。敦賀駅の到着は午前2時半ごろ。停車時間は6分である。
それでも、50人ほどの同志が敦賀駅に集まった。だが、先生がホームに降りることはなかった。深夜でもあり、周囲に迷惑がかかることを考慮してのことである。随行の幹部から、先生の伝言が伝えられた。どの顔にも寂しげな表情が浮かんだ。
当時、14歳だった婦人も肩を落として家路に就いた。"一目でも先生にお会いしたい"と両親と一緒に駆け付けていた。
"会えなかった思い出"は、幹部会での先生の呼び掛けによって、"歓喜の思い出"に変わった。13年が過ぎても、会えなかった人に心を砕き続ける師の慈愛が胸の奥深くまで染みた。
70年に義父が事業に失敗。婦人の一家は多額の負債を抱えた。夫は昼と夜、二つの仕事を掛け持ちし、働き続けた。
73年の幹部会の時も経済的な苦境の渦中にあったが、師の励ましを胸に、7年かかって借金を完済した。
幹部会の折、鼓笛隊のメンバーと同様、この婦人にも先生から一枚の絵はがきが贈られた。"自由に海外を行き来できるように"との思いが込められたものだ。経済苦の当時、海外旅行など想像もできなかった。しかし完済後、アメリカ、韓国の地を踏むことができた。
「海外へ行ける境涯を開くことができたのも、全て先生のおかげです」と婦人。
8年前、福井・敦賀から東京・八王子へ。広布一筋の76歳は今、調布、狛江、目黒、豊島、中野、荒川、大田など、東京各地を対話に走っている。
空に美しい虹が懸かっていた。第3代会長辞任から1年後の1980年4月29日。第5次訪中から帰国した池田先生は、長崎空港に降り立った。
先生は長崎文化会館(当時)へ向かい、長崎支部結成22周年記念の幹部会に臨んだ。その後、訪中報告の記者会見を行った。
翌30日付の聖教新聞1面。記者会見、幹部会の模様が掲載になった。さらに記事の最後に、「名誉会長は、長崎のあと福岡、関西、中部の会員の激励・指導に当たる予定になっている」と短く記されていた。
当時、宗門僧らが師弟分断の謀略の限りを尽くしていた。「第1次宗門事件」である。国内での先生の動向はほとんど報道されず、ましてや行動予定が掲載になることなどなかった。短い一文は、列島を歓喜で包んだ。
30日、先生は特急「かもめ」に乗り、長崎から福岡へ。長崎駅のホームには、長崎や佐賀からも友が集まった。
長崎の婦人は3歳の長女、母と駆け付けた。先生は母と長女の近くに歩み寄り、「大切に、大切に育てるんですよ」と語り、長女の頬を優しくなでた。
ところが、この出会いから4カ月後、長女に試練が襲う。日本脳炎にかかった。危篤状態が続き、医師は「命の保証はできません」と告げた。絶望のどん底に沈む婦人に、母は「先生の激励を忘れたらいかん」と、婦人の弱い心を叱り飛ばした。
家族で祈りに祈り、長女は奇跡的に回復。婦人は「先生の真心の一言によって、長女とわが家は救っていただきました。生涯、広布に戦い抜きます」と。
長女は今、白ゆり長として地域広布にまい進。次女は支部女性部長、三女は圏女子部主任部長として、自他共の幸福に尽くす生き方を受け継いでいる。
長崎駅を出発した特急は諫早駅に到着。ここにも、同志が駆け付けていた。
先生は窓越しから、一人一人に真剣なまなざしを向けた。その場にいた女性部の友は、「私たちのことを生命に刻まれていると感じました」と振り返る。
友は宗門の悪僧の暴言に紛動される同志に、師の正義を訴え抜いた。その攻防戦のさなかの先生との出会い。友は「頑張ります! 勝ちます!」と叫んだ。誓いの通り、諫早の女子部員を守り抜いた。
特急は肥前鹿島駅、肥前山口駅に停車した後、佐賀駅へ。各駅に求道の同志が待っていた。
先生は佐賀駅でも窓越しに手を振った。それは「負けるな!」「立ち上がれ!」との、佐賀の友への"無言の励まし"であった。
佐賀駅の後、特急は鳥栖駅に向かい、博多駅に到着した。
九州から始まった激励行は反転攻勢の助走だった。その後、学会は師弟分断の鉄鎖を断ち切り、大きな飛躍を遂げていく。第1次宗門事件の正邪の決着は厳然とついたのである。
列車は軌道を外れない。
山を越え、谷を越え、目的地を目指し、軌道を走り続ける。
広布の戦いは、師が示した信心の軌道を、誠実一路の軌道を、真っすぐに走ることだ。
その先に、立正安国の大理想の実現はある。
2021年6月29日火曜日
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2021.06.29 わが友に贈る
火を出し」御聖訓。
魂を込めた祈りと
不撓不屈の行動で
限界の壁を破ろう!
経王殿御返事 P1124
『師子王は前三後一と申してありの子を取らんとするにも又たけきものを取らんとする時もいきをひを出す事はただをなじき事なり』
【通解】
師子王は前三後一といって、蟻を捕ろうとする時にも、また猛々(たけだけ)しいものを捕ろうとする時も、勢いを出すことは全く同じである。
名字の言 牧口先生がたたえた社会慈善家・瓜生岩子 2021年6月29日
『人生地理学』が出版された1903年。その年頭、牧口先生は「澎湃子」のペンネームで、ある雑誌に寄稿した。福島県出身の社会慈善家・瓜生岩子についての伝記である▼岩子は家族との死別や生活苦に直面しながらも貧困層の救済、子女の教育に尽くした。医療の心得があり、戊辰戦争では戦場となった城下で、敵味方の区別なく負傷者の手当てに奔走。相手の隊長に見つかり、誰の許しを得ているのだと詰め寄られても、「怪我人の手当てに何の許可がいりましょうか」と、毅然と答えたという(『炎は消えず』文芸社)。その後も各地で災害や戦争が起こると、現地に駆け付け救援の手を打った▼牧口先生は先の寄稿で「女史の如きは、明治の吾等には、最も新しい亀鑑」とたたえた。苦闘の渦中にいる人を放っておかない。そのために今、何をなすべきか。岩子の"無私の心根"に新時代の規範を見たのだろう▼『人生地理学』では「他のためにし、他を益しつつ自己も益する」という人道的競争、すなわち「自他共の幸福」を目指す生き方が提唱されている▼最も大変な地域、大変な友のところへ飛び込み、勇んで希望の活路を切り開く。自他共に益する行動を貫く中に、最も崇高な人生の輝きがある。
寸鉄 2021年6月29日
百回語れば百倍の功徳となって返ってくる—恩師声仏事の聖業を今日も!
調布・狛江が猛追。民衆の大連帯こそ最強の力!栄光の頂へ皆で一直線に
目黒に対話拡大の大旋風全国の声援で勇気百倍!未来まで光る逆転劇必ず
高齢者の単身世帯が増加と。地域の絆の価値益々。社会の共助をさらに強く
宅配業者装う詐欺多し。再配達と偽るメールなど送付。警戒し絶対に無視
☆池田先生と共に 希望・勝利の師弟旅 「7・3」貫く地涌の闘魂 2021年6月21日
6月23日は沖縄の「慰霊の日」である。
愛する沖縄の天地で、私は平和を誓願し、小説『人間革命』を書き起こした。
"一人の偉大な人間革命は、全人類の宿命の転換をも可能にする"との主題を掲げた民衆運動の叙事詩は、1945年7月3日、恩師・戸田先生の出獄から始まる。
殉教の先師・牧口先生の不二の分身として、戸田先生は東京の焼け野原に一人立たれた。その胸奥には、法難の獄中で悟達された「われ地涌の菩薩なり」との大自覚が烈々と燃え盛っていた。
ここに、創価の広宣流布、立正安国の大行進の原点がある。この恩師の一念を思い起こせば、我らの命に何ものも恐れない地涌の闘魂が湧き上がってくるのだ。
◇ ◆ ◇
この秋に発刊される『日蓮大聖人御書全集 新版』には、妙一尼へ宛てられたと推察される御返事が新たに収められる。
妙一尼は「冬は必ず春となる」(御書1253ページ)の御金言を賜った女性である。
新収録の御文は、佐渡流罪の大難にも一歩も退かず真心の限りを尽くす妙一尼の信心を、釈尊の修行になぞらえて讃えておられる。
「これは末代の凡女、彼(釈尊)は上代の聖人なり。志既に彼に超過せり。来果何ぞ斉等ならざらんや、斉等ならざらんや」
釈尊をも超える信心の志を貫く女性が、仏と等しい大果報に包まれぬわけがない——この御本仏のお約束は、そのまま地涌の生命を躍動させて広布に走る、創価の女性部・女子部への御賞讃と拝されてならない。
草創の共戦の母たちが常に心に刻んでいた「幸福勝利の哲学」がある。
第一に、一人の友の幸せを願い切り、大切にする心。
第二に、目標を最後まで喜び勇んで、やり通す執念。
第三に、苦難に挑む友を守り支える異体同心の団結。
今も赫々と輝き光る太陽の心である。だからこそ、学会家族は負けない。「冬は必ず春」の凱歌を飾るのだ。
◇ ◆ ◇
恩師の出獄から12年後の7月3日、私は権力による冤罪で入獄した。
この直前の6月30日に、民衆厳護の使命を誓って誕生したのが学生部である。
御聖訓には、「今の世間を見るに人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をば・よくなしけるなり」(同917ページ)と仰せである。
真の地涌の闘士は、悪戦苦闘を越えてこそ育つ。
大闘争の中でこそ、師子王の心が継承されるのだ。
男子部・女子部の結成70周年の7月を迎える。
試練の逆境をはね返して、わが後継の若人たちが偉大なる人間革命の逆転劇を創りゆく英姿を、私は祈り見つめている。
共に勝ち進もう!
「地涌の闘魂」を燃え上がらせて!
☆御書カフェ 華陽姉妹の語らい 汝蘭室の友に交りて麻畝の性と成る 2021年6月13日
◇御文
『汝蘭室の友に交りて麻畝の性と成る』(立正安国論、31ページ)
◇通解
あなたは芳しい蘭室の友に交わって感化を受け、蓬のように曲がっていた邪信が麻畑の中で正されたように、真っすぐに正法を求めることができた。
◇教えて
対話することで、互いに成長でき、絆も強まると感じます。
◇池田先生の指導
いかなる境遇であれ、人々のため、社会のために尽くしながら、朗らかに、確信に満ちて力強く生きる姿は、相手の心を揺り動かさずにはおきません。
私たち一人一人は、妙法を持って広宣流布、立正安国の大願に生き抜く時、知らず知らずのうちに、尊貴な「蘭」の如き生命と薫っていきます。私たちの対話は、慈悲の祈りから始まります。妙法とともに生きる私たちが、一人また一人と対話を重ねて縁を結んでいけば、その人々もまた自身の内発の可能性を開いていくことができるのです。(『人間革命の宗教』)
◇ ◆ ◇
同じ時代を生きる仲間として現実社会の課題を率直に見つめ、相手の意見に誠実に耳を傾ける。反発にも笑顔で懐深く受け止めつつ、相手の仏性へ信頼を込めて、聡明に信念を語り切っていくのである。
この語らいから生まれる「蘭室の交わり」こそ、地域にも、世界にも、安穏と平和を創り開く力なのだ。(2019・3・5付、「池田先生と共に 新時代を築く」)
2021年6月28日月曜日
2021.06.28 わが友に贈る
「始より終りまで
弥信心をいたすべし」
正義は強気で征け!
攻め切った方が勝つ。
民衆の団結の勝ち鬨を!
2021年6月28日
乙御前母御書 P1222
『これはいかなるゆへぞとたづぬればせんしやうに千里ありしところをかよいて仏法を聴聞せしゆへなり』
【通解】
これは、いかなるゆえんかとたずねると、過去世に千里もあるところを通って、仏法を聴聞したゆえなのである。
名字の言 「臆病にては叶うべからず」 2021年6月28日
孔子の弟子に、政治の才能に優れながら、性格が消極的な冉求という人物がいた▼「先生のお説きになる道に心をひかれないのではありません」——ある日、冉求は孔子に訴えた。「ただ、何分にも私の力が足りませんので……」。すると孔子は「力が足りないかどうかは、根かぎり努力してみたうえでなければ、わかるものではない」と弟子を叱咤した(下村湖人訳『現代訳 論語』PHP研究所)▼どんなに高い能力を持っていても、行動しなければ、何も始まらない。弟子が"自分には無理だ"と挑戦もせずに諦めてしまえば、どんなに素晴らしい師匠の教えも"絵に描いた餅"に終わってしまう▼「有能の士はどんな足枷をはめられていようとも飛躍する」(大塚幸男訳)とは、本年で没後200年となるナポレオンの言。現実がいかに過酷でも知恵と勇気を振り絞り、なすべきことを積み重ねる。それでこそ本当の力が発揮され、人は大きく飛翔することができる▼何事も「臆病にては叶うべからず」(御書1193ページ)である。環境や状況がどうあれ、むしろ厳しければ厳しいほど、"負けてたまるか!"と闘争心を燃え上がらせるのが学会精神だ。胸中の臆病を打ち破り、一日また一日、勝利の自分史を。
寸鉄 2021年6月28日
学会は不撓不屈の庶民の団体—博士。さあ今こそ。我らの負けじ魂の見せ所
豊島が重大局面。全国で心一つに猛反撃を開始!あっと言わせる逆転劇を
中野の勝利で東京凱歌は決まる。一丸で最大級の押し上げを!全力で拡大
スピードが勝敗を決する—戸田先生。戦う息吹を素早く組織へ。連携密に
1時間ごとにコップ1杯の水分補給—これ熱中症を防ぐ基本と。油断せず
☆いのちの賛歌 心に刻む一節 介護に携わって 2021年6月15日
テーマ:介護に携わって
企画「いのちの賛歌 心に刻む一節」では、御聖訓を胸に、宿命に立ち向かってきた創価学会員の体験を紹介するとともに、池田先生の指導を掲載する。今回は「介護に携わって」をテーマに、兵庫県の婦人に話を聞いた。
◇御文
『深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり』(一生成仏抄、384ページ)
◇通解
深く信心を起こし、日夜朝暮に怠らず、わが心を磨くべきである。どのように磨くべきか。ただ南無妙法蓮華経と唱えることが磨くことになる。
◇負けないことが幸せ
2人の母がくれた"宝物"
厚生労働省によると、「介護保険制度」が始まった2000年以降、要介護(要支援)認定者は年々増加しており、ピークを迎える2040年には、およそ1000万人になると予想されている。高齢化が進む日本。支える側として、受ける側として、「介護」に関わる人は今後、増えるだろう。
谷幹子さん=西兵庫勇舞県総合女性部長=は、かつて実母と義母の介護を経験した。
◇
結婚を機に兵庫県赤穂市へ移り住み、夫・國雄さん(72)=同県、副本部長=の母と姉との同居が始まった。2人の子宝にも恵まれ、家族皆で広布の活動に励んでいた28歳の時だった。
「私の母が持病の高血圧を悪化させ、壊死した左足の指先を切断することになったんです」
谷さんの住居近くの病院で入院生活となったが、病状が進行したため大腿部から切断することになり、ほぼ寝たきり状態に。「父はすでに亡くなっていたので、食事や着替え、下の世話などを、私が全部やることになって」。まだ介護保険制度が始まる前のことだ。
当時、2人の息子は小学生と幼稚園児で子育て真っ最中。心の病と闘っていた義姉と向き合いながら、家事と育児をこなし、昼夜に病院へ走って母親の世話。病室で夜を明かし、早朝に帰宅する毎日。家族の支えはあったが、「母が亡くなるまでの4年間、その生活が続きました」と谷さん。
思うに任せぬ状況に、時には病室で母親に声を荒らげたこともあったという。
「"なんで分かってくれへんの?""なんで私だけ、こんな思いせなあかんの?"って、いら立ってしまって。そんな自分を、また反省する。その繰り返し」
いつ寝たのかも分からないような日々。その中、谷さんが握り締めてきたのが「信心」の二文字だった。
「ずっと題目をあげていました。御書に『深く信心を発して』『懈らず磨くべし』(384ページ)とある通り、強く信心を起こして、弛まず祈り抜くこと。それを怠った瞬間に、現実の激流に押し流されてしまうわけやから」
多忙の合間に学会活動にも挑み続けた。同志の温かな励ましに、何度も心が救われた。やがて母親は、69歳で霊山へ旅立った。
「慣れない介護に無力さも感じました。だけどある時、母がふと『いつも祈ってくれてありがとう』って言ってくれて。心は伝わってたんやと、胸が詰まりました」
その10年後、谷さんが42歳の時、今度は元気だった義母に、認知症の症状が現れ始めた。やがて、家族のことも分からなくなった義母は、病院と施設を行き来する生活に。身の回りの世話は谷さんが担った。
「毎日、分刻みでした。義母の世話に家事もろもろ。時間をこじ開け学会活動。ようやりましたわ」
義母が一時帰宅し、在宅にて介護していたある日。谷さんが外出から戻ると、家じゅうに排せつ物が散っていた。
「気丈だった義母のそんな姿を見るのが、つらくって。大変な時は、いつも優しくしてくれた義母への恩返しだと、自分に言い聞かせましたね」
母親の介護経験があったので、多少のことでは動じなかった。谷さんは「泣き言なんて言う暇なかった」と明るく笑う。
義母は90歳で永眠したが、最期まで覚えてくれていたのは谷さんの名前。「みっこさん、みっこさん」とうれしそうに呼んでくれたあの表情は、忘れられない。
「現実は"きれいごと"ばかりやないです。題目を唱え抜き、苦悩にまみれた自分の命を磨き続ける連続。そうやって一つ一つ乗り越えてきました。その経験があるから、今、同じことで悩む人に『お題目やで』という励ましの言葉を確信もって言える。介護という経験を通し、御本尊様の偉大さに気付くという最高の"宝物"をくれた2人の母には、感謝の思いでいっぱいです」
谷さんの原点は、かつて兵庫・姫路を訪れた池田先生の前で、合唱団の一員として「母の曲」を歌ったこと。"あの時"を思えば、今でも胸が熱くなる。
母親の介護を機に、師の指導を書き留めてきたノートは三十余年で62冊。
「戦ってきた証しやね。苦しい時はご指導を読んで、御本尊様に向かうんです。"こんなところで負けたらあかんのや"って」
日蓮大聖人は「決して、不信を抱いてはならない」(御書384ページ、通解)としたため、「一生成仏抄」を結んだ。成仏の要諦は何があっても信心を疑わないことだと。
実母の介護。病の義姉に認知症の義母。さらに、夫の3度にわたるがん。容赦なく襲いかかる宿命の嵐——。それでも谷さんが前に進んでくることができたのは、どんな時も師匠を信じ、師匠が築いた学会から離れなかったからだ。
池田先生は語っている。
「苦悩が何もないことが幸せなのではない。
負けないこと、耐えられることが、幸せである。
重圧を受け『あの人は大変だ』と周りから言われても、平然と、また悠然と、使命のわが道を歩み抜くことだ。そこにこそ『能忍』(能く忍ぶ)という、強い強い仏の生命の力がわいてくるのだ。
一番、苦労した人が、最後は一番、幸福を勝ち取れる。幸福は、忍耐という大地に咲く花であることを忘れまい」(池田先生の指導選集〈中〉『人間革命の実践』)
「介護」は決して楽なことではない。しかし谷さんは"恩返しのチャンス"と心に決めて、2人の母親に向き合った。貫いたのは、感謝の思いだった。
「この経験が、私を強くしてくれたんやと思います。全てが"心の財産"になっています。人生に無駄なことは何一つない。信心さえあれば絶対に乗り越えられる。そう確信するからこそ、私は何も恐れません」
[教学コンパス]
2020年版厚生労働白書。65歳以上の高齢者を対象とした調査で「日頃のちょっとした手助け」を頼れる人がいないとした世帯は、1990年で44万世帯だったのが2015年は160万世帯に。2040年には230万世帯になると予測される。
従来の地縁・血縁が希薄化する現代にあって注目されているのが、国家と個人の間にある「中間団体」の存在。社会起業家の駒崎弘樹氏は、「全国各地で地域に根差したコミュニティーを持つ創価学会は日本最大の中間団体」と評し、「苦しむ人に積極的に寄り添う"おせっかい力"が、今ほど求められている時はない」と語る(本紙2017年4月1日付)。
日蓮大聖人は「人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし」(御書1598ページ)と仰せになった。「誰か」のために行動することで、「自分自身」の人間性も輝きを増す。自他共の幸福という、自分も周囲も大切にする最高の生き方を、日々、黙々と実践する学会員の姿こそ、次代を照らす希望の光源だ。
2021年6月27日日曜日
2021.06.27 わが友に贈る
大きく広げた分だけ
人生も心も豊かになる。
会おう! 語ろう!
自他共の幸福のために!
聖愚問答抄上 P491
『知恩をもて最とし報恩をもて前とす世に四恩あり之を知るを人倫となづけ知らざるを畜生とす』
【通解】
(聖人は)恩を知ることを最高とし、恩を報ずることを第一とする。世の中には、四つの恩がある。これを知る者を人倫と名づけ、知らない者を畜生というのである。
名字の言 真剣勝負の主戦場は"今""ここ"にある 2021年6月27日
イソップ寓話の「法螺吹」から。古代ギリシャに成績の振るわない五種競技選手がいた。その彼が海外遠征から戻り、自慢話を始めた。「ロドス島ではオリンピックの優勝者も及ばない大跳躍をしてきた。島の人々が証人さ」と。すると居合わせた一人が言った。「ここがロドスだ、さあ跳んでみろ」▼「論より証拠」と教訓する寓話だが、こんな感想も抱いた。真剣勝負の主戦場は"いつか""どこか"ではなく、常に"今""ここ"なのだ、と▼思い出す壮年部員がいる。かつて家計の事情で大学を辞め、就職した会社は不況で倒産。不運続きの彼に知人は同情したが、学会の先輩は違った。「仏法は勝負。今の君は自分に負けている」——厳愛の励ましに彼は再起を誓った。先輩も日々、彼と共に唱題と学会活動に挑んだ▼以来、彼は"環境がこうなれば""あの人がこうしてくれれば"といった、周囲のあり方で自分の幸福が左右される考えを一掃し、強き一念で課題を克服していった。今や、起業した会社で目覚ましい実証を示す▼仏法の実践は、現実を離れて存在しない。仏道修行の道場は、現在の自分がいる場所である。"こここそが私の主戦場だ!"と心を定め、信心根本に「今」を勝ち進もう。
寸鉄 2021年6月27日
「五体を地に投げ偏身に汗を流せ」御書。いざ決戦だ!勇み激戦の最前線へ
目黒が大混戦。さあ全国で大逆転への追い風を!勝機つかみ取る拡大を今
調布・狛江よここからだ。日本中で勝利祈り声援!歴史に輝く大金星を皆で
若人は雄々しく戦うのだ—恩師。凱歌が君の使命。正義叫び、突破口を頼む
近所に相談し合える人がいる高齢者、わずか2割。我らは心結ぶ声掛け益々
☆ロータスラウンジ——法華経への旅 第26回 法師功徳品第十九
◇どんな悩みも価値と功徳に変える 大生命力が「法師功徳」
法華経について、皆で学び、深めよう——「ロータスラウンジ——法華経への旅」の第26回は、「法師功徳品第十九」です。
■大要
「五種の妙行」(受持・読・誦・解説・書写)を実践する人は、「六根」(眼・耳・鼻・舌・身・意の六つの感覚・認識器官)が清らかになる功徳を得られると説かれます。それでは内容を追ってみましょう。
●シーン1
その時、仏が、常精進菩薩に告げます。
「もし、善男子・善女人(法華経を信じる男女)が、この法華経を受持し、もしくは読み、もしくは誦し(経文を暗唱する)、もしくは解説し(人に法を説く)、もしくは書写するならば、この人は、八百の眼の功徳、千二百の耳の功徳、八百の鼻の功徳、千二百の舌の功徳、八百の身の功徳、千二百の意の功徳を得るであろう。これらの功徳によって、六根を荘厳して、清浄になるであろう」
——このように、「五種の妙行」に励む人に、六根清浄の功徳があることが説かれます。
続けて仏は、一つ一つの功徳の偉大さを示していきます。
●シーン2
「この善男子・善女人は、父母から生まれながら受けた清浄な肉眼で、三千大千世界の内外のあらゆる山や林や河や海を、下は阿鼻地獄から上は有頂天(天界の最高位)まで見ることができるであろう。
また、その中の一切衆生を見て、その業の因縁と果報を、全て見て知ることができるであろう」
●シーン3
「また次に常精進菩薩よ。この善男子・善女人は、五種の妙行に励むならば、千二百の耳の功徳を得るであろう」
「その清浄な耳で、三千大千世界の下は阿鼻地獄から上は有頂天までの、内外のあらゆる音声を聞くであろう」
ここでは具体的に、象の声から始まり、車の声、憂い悲しむ声、天の声、竜の声、火の声、地獄の声、仏の声など、ありとあらゆる音声が挙げられていきます。
そして、常精進菩薩に告げます。
「要は、三千大千世界の全てのあらゆる声を、父母から生まれながら受けた、いまだ神通力を得ていない耳で、全てを聞き、知ることができるであろう。
このように、さまざまな音声の本質を聞き分けても、その能力を壊されないであろう」
●シーン4
「また次に常精進菩薩よ。この善男子・善女人は、五種の妙行に励むならば、八百の鼻の功徳を成就するであろう」
「その清浄な鼻の働きで、三千大千世界の上下内外のさまざまな香を嗅ぐだろう」
ここでは具体的に、あらゆる香りが挙げられていきます。
続けて「香りを嗅ぐといっても、鼻の働きが壊されたり、間違ったりすることはないであろう。
それらを分別して人のために説こうとするなら、覚えていて誤らないであろう」と。
●シーン5
「また次に常精進菩薩よ。この善男子・善女人は、五種の妙行に励めば、千二百の舌の功徳を得るであろう」
「好みのもの、嫌いなもの、おいしいもの、まずいもの、苦くて渋いものでも、清浄なる舌に置けば、全て良い味となって、天の甘露のように感じ、おいしくないものはないであろう」
「もし、この舌で、大衆の中で演説するならば、深く妙なる声を出して、聞く人の心によく届き、皆を歓喜させ、気持ちよく、楽しくさせるであろう」
その人が法を説く声を聞いて、あらゆる諸天や衆生が、法を聞きに来集し、敬い、供養することが説かれていきます。
そして「その人のいる方面に向かって、諸仏は法を説くので、一切の仏法を受持するであろう。また、よく深く妙なる法を説く声を出すであろう」と。
●シーン6
「また次に常精進菩薩よ。この善男子・善女人は、五種の妙行に励めば、八百の身の功徳を得て、清浄なる身は瑠璃のように、見る衆生を喜ばせるようになるであろう」
さらに、三千大千世界の下は阿鼻地獄から上は有頂天まで、あらゆるものを身に映すと説かれます。
●シーン7
「また次に常精進菩薩よ。この善男子・善女人は、五種の妙行に励むならば、千二百の意の功徳を得るであろう」
「この清浄なる意の働きで、経文の一偈、一句を聞いただけで、『無量無辺の義』がわかるようになるであろう」
「その義をよく理解して、その一句、一偈の意義を演説すること、1カ月、4カ月、そして1年に至ろうとして、説くさまざまな法は、その意義に従って、皆、現実の姿と相いれないことはないであろう。
世俗のことについて語っても、全て正法にかなっているであろう。
三千大千世界の六趣(地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界)の衆生の心の働きを、全て知ることができるであろう。
いまだ完璧な智慧を得ていなくとも、意の働きは清浄であろう」
「この人がしっかりと考え抜き、説くことは、全て仏法であり、真実でないものはなく、過去の仏の経文に説かれていることであろう」
——このように「法師功徳品」では、全宇宙の森羅万象を正しく捉え、全ての振る舞いが妙法に合致していく、六根清浄の偉大な功徳が示されています。
【『法華経の智慧』から】 前進しきった人が勝つ
慈悲の一念が強ければ、相手が、どういう悩みを持っているのか、どこで行き詰まっているのかも、分かってくる。名医が患者の「急所」を分かるようなものです。これが「六根清浄の功徳」です。
◇
六根清浄とは「全身これ広宣流布の武器たれ」ということです。要領でなく、計算でなく、不惜身命で広布へ働いていく時、限りのない生命力が全身にしみわたってくる。智慧もわく。元気もわく。慈愛もわく。
◇
胸中に「戦う心」が燃えていることが大事です。その「信心」があれば、六根清浄です。どんな悩みがあっても、全部、「価値」に変えていける。「功徳」に変えていける。その大生命力を「法師功徳」というのです。
結論すれば、仏勅の創価学会とともに、広宣流布ひとすじに生きた人は必ず、「これ以上はない」という無上道の軌道に入っていくということです。
前進しきった人が、必ず勝つ。
題目を唱えきった人が、必ず最後は勝つのです。(普及版〈上〉「法師功徳品」)
【コラム】 耳根得道
日蓮大聖人は「此の娑婆世界は耳根得道の国(仏法を耳で聞くことによって成仏する国土)である」(御書415ページ、通解)と仰せです。ゆえに声の力で、広宣流布を進めていくことが大事です。
さらに大聖人は、「仏になる法華経を耳に触れるならば、これを種として必ず仏になる」(同552ページ、通解)と教えられています。大切なことは、仏法を力の限り語り、相手の耳に触れさせ、仏縁を結ぶことです。
また、「法師功徳品」には「其の耳は聡利なるが故に 悉く能く分別して知らん」(法華経534ページ)と、生命の境涯を聞き分けられると説かれています。
相手の声なき声に耳をそばだて、俊敏に聞き取っていけるようになれるのも「耳根清浄の功徳」の一つです。
語るといっても、一方通行ではなく、友の心の声に耳を傾け、仏法の素晴らしさを語っていくことが、自他共の成仏の道を開くことになるのです。
2021年6月26日土曜日
2021.06.26 わが友に贈る
「かしこへ・おしかけ・
ここへ・おしよせ」
「誠実」と「執念」の対話で
新たな広布の開拓を!
法蓮抄 P1044
『十号と申すは仏の十の御名なり十号を供養せんよりも末代の法華経の行者を供養せん功徳は勝るとかかれたり』
【通解】
十号というのは、仏の十の御名である。十号の仏を供養するよりも、末代の法華経の行者を供養する功徳は勝れると書かれたのである。
名字の言 過酷な条件がダイヤモンドを生み出す 2021年6月26日
宝石の王者・ダイヤモンドは「地下からの手紙」といわれる。同じ炭素でできた鉛筆の芯などは黒くてもろいのに、なぜあれほど美しく強い結晶になるのか▼ダイヤモンドは、地下100キロ以上の深いところで極めて高い温度と圧力によって生成される(砂川一郎著『宝石は語る』岩波新書)。その過酷な条件が、無上の輝きと、天然物質で最高級の硬さを生み出す▼仏典にも金剛(ダイヤモンド)という言葉がよく出てくる。例えば、仏の智慧のことを「金剛智」、仏身のことを「金剛身」、釈尊が己心に襲いかかる魔を打ち払って悟りを開いた場所は「金剛座」という。このように、何があっても壊されない尊極な生命や境地を最高の宝石に譬えている▼これまで取材に携わる中で、絶体絶命の"人生の難局"を乗り越えた友に何度もお会いしてきた。その多くが、過酷ともいえる苦闘時代をこう述懐する。「必死に戦ったあの日々が、一番充実していた」「あの時、強い自分に変われた」。そう語る友の表情は皆、一様に輝いていた▼苦難に挑み、乗り越えてこそ「苦労は宝」となる。それを身をもって実証し、幸福を勝ち取った友が、広布の庭のここかしこにいる。素晴らしき信行錬磨の結晶である。
寸鉄 2021年6月26日
「いよいよ信心をいたさせ給へ」御書。立正安国の誓い燃やして不退の前進
豊島が不屈の反転攻勢!日本中の同志が大声援!猛然と攻め込み大逆転へ
中野が疾風怒濤の勇進!我らの総攻撃の時は今!民衆の包囲網強め凱旋を
迅速に味方を集合し雷の如く—英雄の常勝哲学。戦いは先手必勝!心一つ
国際麻薬乱用撲滅デー。若者誑かす悪縁増。社会全体での対策強化が急務
☆不二の旅 第12回 池田先生と東海道
◇正義の心を燃やせ
池田先生が各方面の友に贈ったスピーチや指針を、各地での激励の写真と共に掲載する「不二の旅」。第12回は、正義の師子吼が脈打つ東海道を紹介する。
・「静岡は見事に勝ちました!」——第1回静岡合唱友好祭での"勝利宣言"は、破邪顕正に先駆する友を鼓舞した(1991年10月、浜松アリーナで)
・1979年1月、静岡文化会館(当時)での新年勤行会では、代表が前年11月に発表された「静岡健児の歌」を合唱。池田先生は「静岡はこの歌を歌って前進しよう!」と呼び掛けた
・伊豆広布40周年記念の集い。日蓮大聖人と日興上人、牧口先生と戸田先生が不惜身命の闘争を貫いた地で、"師弟の絆"について語った(1987年11月、伊東平和会館<当時>で)
・1980年12月、横浜の山下公園で未来部員と共に。「勉強、頑張るんだよ」「親孝行するんだよ」「21世紀は君たちの時代だよ。私は、待っているからね」——師の正義の魂は今、共戦の同志の胸に赤々と
・「正義」なるがゆえに、断じて勝たねばならないという、強靱なる不退の一念を——長編詩「正義の旗 平和の心」発表の2日後、第1回神奈川県支部長会で友を励ます(1988年6月12日、神奈川文化会館で)
・1991年12月、東京の大田池田文化会館で開催された第1回川崎文化音楽祭。"偉大なる目標に向かって、偉大なる人生を生きる、偉大なる幸福の人に"と望んだ
◇東海道の友に贈った指針
日蓮大聖人の仏法の真髄は「進まざるは退転」である。
広宣流布へ前進また前進——そのために、リーダーは心を砕くことだ。間断なく手を打ち続けていくことである。
戸田先生も、牧口先生も、一面から言えば、本当に、口やかましかった。
「こんなに細かいことまで」と皆が思うほど、神経をめぐらせた。
基本に徹し、よき伝統を守ることだ。それをないがしろにすると、あとで困る。崩れていく。
よき伝統というのは、皆が納得し、安心するものである。正しい指導をたもっていける。
◇
言葉が力である。言葉が心である。
しゃべることだ。黙っていてはいけない。
相手のことを知っていればいるほど、会話は弾む。ゆえに、相手を知る努力を惜しまないことである。
そのうえで、あとは自分らしく、誠実に語っていけばいいのである。
◇
私も、さまざまな人と対話を重ねてきた。イギリスのチャールズ皇太子、アン王女、アメリカのキッシンジャー国務長官、キューバのカストロ国家評議会議長、ゴルバチョフ元ソ連大統領、中国の周恩来総理……。
立場はどうあれ、皆、同じ人間である。こちらから心を開き、信義を尽くせば、必ず分かり合える。
その一点に立って、私は、懸命に、友情の橋を懸け、平和の礎を築いてきた。
「世界平和」といっても、一対一の人間と人間の信頼から始まる。それが私の変わらぬ信念である。
◇
皆さま方は、妙法という不滅の太陽を胸に抱いた、「善の中の大善」の闘士である。
ゆえに、いかなる悪も、不幸も、すべて打ち破って進んでいくことができる。
そのためにも、強盛に祈り抜いていくことだ。学会活動に励むことだ。
正義の心を燃やして、勇敢に戦い抜いていくことだ。
(「神奈川・静岡合同協議会」〈2006年1月〉での池田先生のスピーチから抜粋)
2021年6月25日金曜日
2021.06.25 わが友に贈る
神の守り則ち強し」
確信の祈りと行動が
諸天を揺り動かす。
勇猛心で壁を破ろう!
経王殿御返事 P1124
『日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ信じさせ給へ』
【通解】
(この御本尊は)日蓮が魂を墨に染めながして書き認めたのである。信じていきなさい。
名字の言 球史に残る逆転劇 2021年6月25日
勝負は最後の最後まで分からないものである。2014年7月、高校野球の石川県大会決勝戦は球史に残る逆転劇だった▼9回表で小松大谷高は8対0と、星稜高に大差をつけていた。ところが9回裏、星稜は9点を取ってサヨナラ勝ち。2年連続17回目の甲子園出場を決めた▼その試合を星稜高の在校生としてスタンドで応援したという青年に話を聞いたことがある。彼は開口一番、「勝敗を分けたのは『笑顔』でしたね」と言った。「必笑」が合言葉の星稜ナインは、ピンチの場面でも笑みを絶やさなかった。それが活気を生み、チームは勢いづいていった。一方、対戦相手は大量リードにもかかわらず、追い詰められたように見えたという▼当時、星稜野球部のメンタルコーチだった飯山晄朗氏は自著に記している——表情や動作は、身体に影響を及ぼす。特に笑顔をつくると、脳は"この状況は楽しいのだ"と感じ、能力を発揮しやすくなる、と(『いまどきの子のやる気に火をつけるメンタルトレーニング』秀和システム)▼これは私たちにも通じよう。偉大な広布史を築いていると思えば、逆境や試練はむしろ誉れである。"さあ、ここから本領発揮だ!"と挑む快活な心が、最後の大逆転勝利を引き寄せる。
寸鉄 2021年6月25日
「をもひ切りて申し始めし」御書。語らねば相手に届かぬ。さあ皆で全力
墨田が混戦突破へ大進撃師子は走る。師子は戦う。勝って庶民の都に万歳を
北区の勇者が怒濤の前進雄弁こそ我らの剣。首都の北の砦に大勝旗よ翻れ
町田が気迫の猛攻。特区の使命は常勝!ここから攻め抜き感激の凱歌共に
東村山・東大和・武蔵村山が勇戦!破邪顕正の声で次の10年の夜明けを断固
〈社説〉2021・6・25 カストロ議長との会見25周年
◇人間交流が真の平和を築く
池田先生とキューバ共和国のフィデル・カストロ国家評議会議長(当時)との会見から、きょうで四半世紀の節を刻む。
会見は1996年6月25日、首都ハバナの革命宮殿で行われた。その内容は、小説『新・人間革命』にこう記されている。
「話題は、後継者論、人材育成論、政治・人生哲学、世界観など多岐にわたった。だが、一貫して、『対話』と『文化』の力が二十一世紀の平和にとって、極めて大きな要素となることを確認する語らいとなった」(第30巻〈下〉「誓願」の章)
対話と文化——これこそ先生が"人間外交"の機軸とし、キューバとの友好の道をも大きく開いた二本の柱といってよい。
1点目の「対話」。当時のキューバは、ソ連崩壊後の深刻な経済危機に直面し、超大国アメリカとの長年の対立の中、国際社会でも孤立を強いられていた。しかし、池田先生は、"仏法者に反米も反キューバもない、「平和」追求の基本精神が一致するならば、人間として対話の可能性を断じて手離さない"と行動したのだ。
2点目は「文化」。人と人の心を結ぶ文化交流には、地道な歴史がある。民主音楽協会(民音)の招へいで、同国の音楽・芸術団体による日本公演が81年に実現。その後も交流は続く。カストロ議長との会見後には、東京富士美術館主催の「日本美術の名宝展」をキューバで、さらに「キューバ国立美術館名作展」を日本で開催した。
真の平和は、対話と文化に根差した、民衆と民衆の交流を進めていく中にこそある——国際社会で分断や対立が続く現在も、池田先生とカストロ議長の会見が示した視点は意義深い。
この人間交流を粘り強く推進してきたのがSGIである。先生はカストロ議長に"SGIの運動は、どこまでも平和を基調とし、体制を超えた、「人間」を根本とした国際的運動"と強調。議長もまた「今回のSGIの皆さまのキューバ訪問は、平和に貢献する人間主義を主張するうえで、重要なことと思っています」と語った。
平和のために、国家関係はもちろん大事だ。だが、主義や経済的利害、政治体制の違いも超えて、人間を結び、民衆を結ぶところに、最も強固な平和の基盤が築かれるのではないか。歴史的な会見の意義は、時と共に一段と輝きを増していくに違いない。
☆誓いをつなぐ 第6回 兵庫・尼崎総県
◇広布の電源地「世界の関西」の要
世界にその名が轟く「常勝関西」。なかでも、自他共に認める創価の牙城。それが兵庫の尼崎総県(三代総県長、田原女性部長)である。
大阪に隣接し、商都を"下支え"する工場街として発展してきたこの町に、足繁く通い、友を励まし、「庶民の王国」の誇りを与えたのは、若き日の池田先生だった。
初めて会合で訪れたのは1957年(昭和32年)12月2日。先生が不当逮捕された大阪事件の5カ月後のこと。以来、公判等のため関西を訪れるたびに足を伸ばし、"尼崎は尼崎らしく""ここから大人材が出る"と期待を寄せ続けた。
尼崎が、支部として出発したのは60年(同35年)5月3日。池田先生の会長就任式の席上である。同志が誇りとする歴史だ。
なぜ先生はこの地に力を注いだのか。
広宣流布には急所というものがある。大阪、神戸という大都市の間に位置する尼崎に一大民衆勢力を築けば、両都市を刺激し、関西全体、ひいては日本の広布が大きく進む。尼崎には、関西全体を大きく動かす「要」となる使命がある。
ゆえに先生は、尼崎に「広布の電源地」と指針を贈った。その期待に応えて、尼崎の同志は、強固な民衆城をつくり上げてきたのである。
◇「尼崎らしく」
尼崎の強さ。それは先生と一対一で結ばれた、学会ひとすじの分厚い庶民の陣列だ。牧平和子さん(総県女性部総合長)も、その一人である。
生まれも育ちも尼崎の牧平さんは60年(同35年)4月、一家で入会。小学校5年の時だった。
66年(同41年)、高等部の夏季講習会で、初めて師との出会いを結ぶ。
池田先生は「松野殿御返事」を通し、人間として生まれて大聖人の仏法を持ち、広宣流布に歩む人生が、どれほど福運に満ちているかを教えてくれた。
求道心を忘れず、「創価学会の後継ぎ」として成長してほしい——師の万感の期待に触れた牧平さんは生涯、先生と共にと誓った。以来、広布の庭にわが身を置き、どんな戦いにも率先してきた。
牧平和子さん
牧平さんは88年(同63年)3月26日、現・尼崎文化会館で行われた兵庫広布35周年記念の幹部会に出席。"尼崎は兵庫の心臓部""「世界の関西」の要"と語る先生の指導を胸に焼き付けた。
2000年(平成12年)2月、兵庫を訪問した先生は、尼崎の代表らと懇談。牧平さんもその一人として参加した。ここでも先生は"尼崎は尼崎らしくいくんだよ"と、草創の時代から変わらぬ期待を寄せた。
師の真心に応えようと、同志の訪問・激励、対話拡大にまい進してきた牧平さん。地域での信頼も厚く、現在は自治会長も務める。
「私たち尼崎の同志は、常に先生と共に、広布の戦いに"必ず勝利する"気概にあふれています。これまでも、これからも、日本一の勇気と団結で模範の前進を続けていきます!」
尼崎の同志が広布の戦に臨むたびに確認する「原点」がある。
1962年(昭和37年)1月24日、「大阪事件」の判決の前夜、池田先生は関西の男子部幹部会に出席した。会場は尼崎市体育会館(当時)。1万2千人の青年を前に先生は、"関西の男子部の諸君に申し上げます"と切り出した。
それまで公に語ってこなかった、大阪事件のえん罪の構図を詳細に語り、烈々と師子吼した。
「善良な市民を苦しめている権力とは、断固、一生涯戦う!」
「私たち地涌の菩薩は、日蓮大聖人の弟子として、その自覚と信念に立って、不幸な人びとの味方となっていくのです。そして本当に、全民衆が、すなわち日本国中の人びとが、安心して幸福に暮らしていける世の中を築き上げようではありませんか!」
そして翌日、無罪判決を勝ち取ったのである。
「先生の正義の魂を受け継ぎ、広布に突き進むのが尼崎男子部の使命です」と語るのは、菊地康仁さん(総県男子部書記長)。
菊地康仁さん
"学会二世"ながら一時、学会活動から遠ざかっていたが、粘り強く激励に訪ねてくる男子部の先輩の姿に、"ここまで人のために動く理由を知りたい"と思うようになる。
会合に行くとそこには、心の垣根なく、生き生きと信心を語り、励まし合う世界があった。"自分もこの中で成長したい"と活動に励むようになった。
折伏に奔走し、今年3月には17人目の友を入会に導いた。3年前に好待遇で転職し、社会での実証も勝ち取る。昨年には、母の病魔を一家の一丸の祈りで克服した。
菊地さんは、尼崎青年部の心意気を代弁する。「"真剣・誠実・一生懸命"を胸に、関西、全国を牽引する拡大に挑みます!」
これからも強い!
池田先生は歌った。
「尼崎 兵庫の王者と 勇みゆけ 同志の連帯 日本一かな」
「関西の 偉大な広布の 人材は ここに集えり 尼崎かな」
池田先生はつづった。
「兵庫は『兵の庫』だ。雄々しき戦士の宝庫だ。兵庫が勝てば、関西が勝つ。関西が勝てば、全国が完勝する。尼崎は、その関西の電源地であり、学会の心臓部である」
今再び、王者の証しを! 世間をあっと言わせる威風堂々の勝ちどきを!
「勝利が使命」と誓い進む同志の合言葉は、こうである。
「尼崎は昔も強い、今も強い、これからも絶対に強い!」
2021年6月24日木曜日
2021.06.24 わが友に贈る
あやぶむ事無かれ」
誰かではなく自分がやる。
広宣流布の責任者として
覚悟の信心に立とう!
衆生身心御書 P1595
『設いこうをいたせどもまことならぬ事を供養すれば大悪とはなれども善とならず』
【通解】
たとえ功を積んでも、真実でない人を供養すれば、大悪とはなっても善とはならない。
名字の言 目黒は古来、富士の展望地だった 2021年6月24日
「東京富士見坂」と呼ばれる、いくつかの坂がある。「関東の富士見百景」に選ばれていて、目黒、荒川、大田、世田谷、杉並の各区に存在する▼目黒駅付近にある富士見坂からは、裾野も含めた富士山全体が望めるという。高台の多い目黒は古来、富士の展望地だったようだ。江戸後期の浮世絵師・歌川広重も「目黒新富士」と題する一枚を描き残している▼1945年7月3日も、富士は見えていたのだろうか。この日の夜、軍部政府の弾圧と戦い抜いて出獄した戸田先生は自宅近くの目黒駅に降り立った。戦火の焼け野原に一人立った恩師は、学会再建への思いを自ら作詞した「同志の歌」に託している。「旗持つ若人 何処にか 富士の高嶺を 知らざるか 競うて来たれ 速やかに」▼若き日の池田先生は、目黒駅から戸田先生の自宅に何度も通った。雨の権之助坂を師と共に歩いたこともある。自身の肺病や師の事業の破綻など試練の風雨にも負けず、広布の高嶺を目指して青春の苦闘の坂を上り続けたのである▼目指す山が高ければ高いほど、その一歩一歩は苦しい自分との戦いだ。だが頂から望む絶景は、何ものにも代え難い心の宝となる。池田先生は詠んだ。「共々に 不二を見つめて 勝ち戦」
寸鉄 2021年6月24日
どんな嵐でも勇気は歩みを止めぬ—哲人。歴史を創るは前に進み続ける人
品川の友が大車輪の奮闘源流の誇りで拡大の旋風を。執念で勝ち上がれ!
新宿の猛攻が東京凱歌の決定打に。師子奮迅の大反撃!本陣に勝ち鬨必ず
江東が果敢に追い上げ。日本一の団結で凱旋を!渾身の対話が心の扉開く
コロナ禍で子育て相談の場の減少感じる—7割。孤立防ぐ語らいを地域に
〈社説〉 2021・6・24 25日は「団地部の日」
◇友情の絆で地域に幸福の連帯
あす25日は「団地部の日」。その淵源は1978年(昭和53年)6月25日、東京と大阪それぞれの会場で行われた第1回「団地部全国大会」にある。
日本の高度経済成長期から都市部を中心に建設されてきた団地。近年、大規模改修を経て、再び子育て世代からの注目が集まる一方、住民の超高齢化や外国人居住者の増加など"時代の最先端"を歩むゆえに、日本社会が抱える諸課題に直面している。コロナ禍にあっては高齢者の社会的孤立など、問題が顕著に表れている実情がある。
そうした中で団地部の友は「地域の幸福責任者」との自覚で、一人一人と絆を結び続けている。
東京・足立区のある団地で自治会長を務める友もその一人。日々、手紙や電話で励ましを送りながら、住民の"憩いの場"となってきた季節のイベントを新しい形で開催することに注力している。
"できない"と諦めるのではなく、コロナ禍だからこそ、"何ができるか"を考える——現在も来月の七夕飾りの準備の真っ最中。昨年は「皆が健康でありますように」「また一緒に笑ってお茶をしましょう」等と、住民がつづった短冊で互いに励まし合った。
また、希望者を募って広場の花壇で季節の花を育てたり、感染対策に留意しつつ、近隣の保育園の園児と交流したりと活発な活動を続けている。
団地部による、誰も置き去りにしない社会的包摂や、レジリエンス(困難を乗り越える力)の創出は、学術的にも注目されている。
創価学会団地部の地域との関わりについて研究している九州産業大学地域共創学部の小池高史准教授は、「人々を支えるコミュニティーの構築・継続を含め、世代を超えて同じ信念でつながる団地部の方々の団結があれば、団地が直面するさまざまな課題に立ち向かっていける」と期待を寄せる。
池田先生は、「部の日」の淵源となった78年6月の東京での集いに出席し、団地部に呼び掛けた。
——われわれこそ、理想的な人間の協調の社会をつくりあげている主体者との心意気で進もう、と。
常に時代を先駆し、人と人とのつながりを最も大切にする団地部の地道な実践は、コロナ禍にあって一段と希望の光を放っている。各地で信頼と友好の花々を爛漫と咲かせる友の模範の挑戦に心からの敬意を表したい。
☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第8回 諸葛孔明
〈諸葛孔明〉
努力の終着点が見えない時も
意志力を杖にして歩き続けるのだ。
戦は、最後に勝つ者が勝ち戦である。
諸葛亮、字は孔明。言わずと知れた「三国志」の英傑、希代の天才軍師である。
彼は断言する。「志さえあれば必ず成功する」「戦は、最後に勝つ者が勝ち戦である」と。勝機が見えぬ絶体絶命の難局を劇的に打開した戦歴は数多く、1800年の時を経た今も、その偉業が色あせることはない。
黄巾の乱に先立つこと約3年——181年、孔明は琅邪郡陽都(現在の山東省沂水)に生を受ける。時代は後漢末期。王朝は衰え、群雄が覇を競う、乱世の様相を呈し始めていた。
その人生は、青少年期から波瀾万丈だった。生活は貧しく、早くに両親と死別。頼りにした叔父も失った。しかし「苦労」こそを"師匠"とした彼は叔父を亡くした後、隆中という小さな村に居住。そこで刻苦勉励を重ね、「太平の世を開かん」との大志を育んでいく。
ある日、「臥龍(眠れる龍)」と称されるまでに万能の才を磨いた彼の噂を、一人の男が聞き付けた。後に蜀の国を興す劉備玄徳である。
207年、劉備は3度、孔明の草庵へ。軍師として迎えるために誠意の限りを尽くした。「断じて民を救いたい」との熱意に胸打たれた孔明は「天下三分の計」を説き、「三顧の礼」に応じる。この時、劉備の兵数は、わずか1万足らず。関羽、張飛などの豪傑がいたにもかかわらず、負け戦が続いていた。
曹操と孫権という巨大な勢力に対抗し、天下を治めるまでの道程は限りなく険しい。だが孔明には、悲嘆も悲観もなかった。
「努力の終着点が見えないときも、意志力を杖にして歩き続けるのだ。結果が見えてこなくても、努力し続けることが大事である。なぜなら、成功をつかむという決意を放棄しては、そもそも成功など得ることはできないのだから。苦しくても、歩き続けることだ」
彼は強靱な意志をもって、決然と立ち上がった。
劉備47歳、孔明27歳。歴史の歯車が、大きく回転を始めようとしていた。
〈諸葛孔明〉
勝負の分かれ目は、今日である。
座して待つよりも討って出るのだ。
それでこそ本陣の守りは盤石となる。
「時を逃すな!」。これが、諸葛孔明の人生哲学だった。
「好機を得たら見失うな。見失った好機は再び戻っては来ないのだから」——勝負どころを見極める彼の真骨頂は、三国志史上最大の合戦「赤壁の戦い」(208年)において、存分に発揮された。
この直前、劉備は曹操軍に追い詰められる。そこで孔明は劉備に、孫権との同盟を提案し、自らが使者となって赴いた。彼には、孫権の配下となる考えは毛頭なかった。対等の立場、否、それ以上の誇りをもって交渉をリード。「勝負の分かれ目は、今日にかかっている」と訴え、逡巡する相手の心を動かし、同盟締結を成功に導くのである。
敵をも味方に! 誠実と真剣に勝る外交なし——劉備と孫権の5万の連合軍は、80万ともいわれる曹操軍を「団結の力」で撃破。この痛快なる勝利劇が突破口となり、魏・呉・蜀の三国鼎立の時代が開かれていく。
221年には、国号を漢(蜀漢)として劉備が帝位に就き、孔明は丞相に任命される。
彼は「これに先んずるに身をもってし、これに後るるに人をもってすれば、士勇ならざるはなし」(指導者が率先して物事に当たれば、皆が勇気を奮い起こす)との信念を抱き、「水魚の思い」で結ばれた劉備の死後も、天下の安寧を実現するために奔走。虎視眈々と侵略の時をうかがう宿敵・魏に対し、"座して待つよりも、討って出るべし。それでこそ、本陣の守りは盤石となる"と、積極果敢な攻勢に転じた。
しかし、魏への第5次北伐の渦中、対峙する司馬懿仲達が持久戦を決め込む。夏が過ぎ、秋風が吹き始めても動かない。病に倒れた孔明は、ついに五丈原の陣中で没する(234年)。
蜀軍が退却するや、魏の軍勢は即座に追い打ちをかけた。すると彼の生前の指示に基づき、蜀は陣太鼓を鳴らして迎撃。司馬懿は慌てて軍を引き上げた。「死せる孔明、生ける仲達を走らす」。死してなお、孔明は戦いの指揮を執り続けたのである。
激流の時代を駆け抜けた彼の人生——それは、自身を見いだし、天下の命運を託した劉備への「報恩」のドラマであった。
〈諸葛孔明を語る池田先生〉
大切なのは「時」である。
「勢い」である。
あらゆる力を結集することだ。
広布へ戦えば健康になる。喜びがわく。
価値ある人生の向上がある。
恩師・戸田城聖先生は、孔明をこよなく愛した。池田大作先生をはじめとする愛弟子たちに小説『三国志』を読ませ、孔明の晩年の苦衷を詠じた「星落秋風五丈原」(土井晩翠作詞)を歌わせた逸話は有名である。
池田先生は、中国人民の父・周恩来総理を「20世紀の諸葛孔明」とたたえた。内憂外患が続く難局のかじ取りを迫られた総理は常々、「鞠躬尽瘁し、死して後已まん(心身を尽くして、死ぬまで戦い続ける)」との覚悟を口に。孔明が死を決意した出陣に際し、その心中をつづった「後出師の表」の一節である。
さらに池田先生は、折々に孔明の将軍学を語り伝えてきた。
「(赤壁の戦いは)孫権と劉備の同盟が、知略をもって、圧倒的な曹操の大軍を打ち破った戦いである。これにより、『天下三分の計』という諸葛孔明の展望へ、大きく時代が動いていった。『知恵』である。我らにとっては、偉大なる御仏智を引き出す『信心』『祈り』である。これこそ、最も強い力なのである」(2008年1月10日、新時代第14回本部幹部会でのスピーチ)
「劉備のもとには、希代の名軍師・諸葛孔明がいた。
戦いは、一人だけでは勝てない。衆知を集め、心を一つにして事に当たらなければ、インチキで邪悪な人間たちを打ち砕くことはできない。(中略)
学会で大事なことは、全員が『広布の責任者』との自覚に立つことだ。一人一人が、しっかりすることである。学会の根幹は『師弟』である。『信心』である。それさえ忘れなければ、恐れるものなど何もない」(06年8月16日、東京・関東・東海道合同研修会でのスピーチ)
「大切なのは、『時』である。『勢い』である。あらゆる力を結集することだ。広宣流布へ戦えば、健康になる。喜びがわく。価値ある人生の向上がある。全員が『広宣流布の諸葛孔明』となって、断じて勝利の名指揮を! つねに若々しく! 生き生きと! 生命力に満ち満ちて!」(01年4月11日、全国方面長会議でのスピーチ)
君よ、創価の諸葛孔明たれ!
人間主義の力によって民衆を守りゆく生き方——孔明が終生貫いた「王道」は、広宣流布即立正安国の戦いを勝ち開く我らが進むべき使命の大道である。
2021年6月23日水曜日
2021.06.23 わが友に贈る
愚者は退く」御聖訓。
試練に挑んでこそ
境涯は大きく広がる。
人間革命の勝利舞を!
法蓮抄 P1050
『法華経の自我偈を持つ人を敵とせんは三世の諸仏を敵とするになるべし』
【通解】
法華経の自我偈を持つ人を敵とする人は、三世の諸仏を敵とすることになるのである。
名字の言 生きる力を引き出す「麦踏み」 2021年6月23日
太陽の下、黄金に輝く麦が収穫期を迎えた。収穫量を左右する作業の一つが、麦が発芽した早春に行う「麦踏み」だと農家の人が教えてくれた▼昨今は機械を使うが、以前は足で踏んでいた。根張りが良くなり、霜による倒伏を防ぐ効果なども見込まれる。刺激を受けた麦は生きる力を引き出し、真っすぐ伸びていく。その姿は、苦難に負けない創価の友の雄姿とも重なる▼宮崎の壮年部員は5年前、腎がんを発症。医師が手術を見送る状態だった。肉牛の肥育に携わり四半世紀。後継者の次男夫婦と販路拡大に挑もうとする矢先だった▼壮年はかつてない唱題に励み、なえそうな心を真っすぐに奮い立たせた。家族も懸命に祈った。治療は今も続くが、がんは縮小。「病魔のおかげで信心の確信が深まりました」と地域活動に汗しながら、同じようにがんと闘う4人の友人と仏法対話を続ける▼試練は誰にでも起こり得る。だが試練に遭うことが不幸なのではない。大切なのは試練をバネに、信心の根を張り、いかなる風雪にも揺るがぬ自分をつくること。信心を貫けば「時とともに、『万事これで良かった』という所願満足の軌道に入っていく」と池田先生は教える。満々たる生命力で、今日も勇気の挑戦を!
寸鉄 2021年6月23日
沖縄「慰霊の日」。平和の世紀を築くのが立正安国の戦い。使命の道、堂々と
大田が炎となって猛追。大激戦制する鍵は執念!皆で金星掴み、押し上げ
荒川が大接戦。もう一歩総力挙げ!攻めの対話で庶民の都に常勝の歴史を
足立から東京凱歌の劇を—友が渾身の拡大。混戦突破へ力強い追い風を今
ワクチン職域接種が本格開始、これも公明の提言。口先だけの他党を圧倒!
〈社説〉 2021・6・23 きょう、沖縄「慰霊の日」
◇平和の心の継承を青年と共に
兄の名前を呼びながら、力尽きた少女。戦争の苦しみを絶とうと、愛するわが子の命を、その手にかけた母——。今までに取材した戦争体験者の証言である。
太平洋戦争末期、沖縄では国内最大の地上戦が行われた。約3カ月間、一般住民を巻き込んだ戦闘は、20万人を超える尊い命を奪った。きょう6月23日は、日本軍の組織的戦闘が終結したとされる沖縄「慰霊の日」。
全ての戦没者のご冥福を心から祈念したい。
戦争は絶対悪であることを"生の声"は聞く人の心に訴える。
だが、体験者の高齢化により、その声を直接聞く機会は減る一方だ。
戦後世代の「語り部」の育成も進むが、戦争体験を聞いても"遠い過去の歴史としか思えない"という子も多い。メディアでは、平和学習に悩む教育現場の様子も取り上げられてきた。
記録が残されていても、"平和への思い"が次世代に受け継がれなければ風化してしまう。
沖縄青年部では、この継承に取り組んできた。
1974年、池田先生は沖縄の中高生に語った。
「平和のために、"沖縄の心"を伝えるために、戦争体験の証言集を残してほしいというのが、私の願いです」
先生の提案を受け、当時の中高生のメンバーが取材した証言は、76年6月、反戦出版シリーズの1冊『血に染まるかりゆしの海』として結実した。
さらに昨年には、沖縄の未来部員が聞き取りをした新たな戦争証言集『私がつなぐ沖縄のククル(心)』が発刊された。
"私たちは戦争を体験していないけれど、教えてもらったことを、ずっと先の家族にも伝えていきたい"との未来部員の感想もつづられている。
若者自身も、次世代に平和の心を伝えゆく主体者なのだ。
戦争体験者が描き、青年部が集めた数々の「沖縄戦の絵」は、今月、県内の小・中・高等学校に貸し出され、平和学習に活用されている。
そして先日、沖縄青年部の手による「沖縄戦の絵の紙芝居」の完成が発表された。戦争体験者の話を基に作られたものだ。
制作に携わった友は語る。
「平和を願う魂の声を、何としても未来に届けたい——体験者と私たち青年の思いが詰まった紙芝居です」
きょう、沖縄青年部は不戦の誓いを胸に平和の集いを開催する。沖縄と共に、青年と共に、平和の心の継承を誓い合う日としたい。
☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第7回 エレノア・ルーズベルト
〈エレノア・ルーズベルト〉
恐れるよりは希望をもってやる方が
賢明である。「そんなことできない」
という人間からは何も生まれない。
2度の戦争の惨害から将来の世代を救うため、人類は国際連合(国連)を設立し、平和への道を模索し始めた。
その国連で「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準」として公布されたのが「世界人権宣言」である。
第一条で「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」とうたう宣言の起草に尽力した一人の女性がいる。
「アメリカの良心」とたたえられる第32代米大統領夫人、エレノア・ルーズベルトである。
宣言が採択されたのは、第2次大戦から3年を経た1948年12月10日。東西冷戦が始まっていた。あらゆる"差異の壁"を超克し、一つの宣言を作り上げることは不可能と思われた。
しかしエレノアの心には"もう同じ過ちは繰り返させない。必ず成し遂げてみせる"との誓いが赤々と燃えていた。
「歴史の光に照らしてみても、恐れるよりは希望をもつ方が、やらないよりはやる方が、より賢明なことは明らかである。それに、『そんなことできるわけがない』という人間からは何一つ生まれたためしがないということも、動かすことのできない事実なのである」
彼女は国連人権委員会の委員長として、各国の代表者と顔を突き合わせ、一つ一つの文言に平和への願いを込めていった。
草案作成の委員会議は実に85回。時には意見が衝突することもあったが、その信念はいささかも変わらなかった。
「この世界に平和を創造するためには、一人の人間との理解を深めることから始めなければなりません」
「新しい人に近づくとき、冒険心をもって接することにすれば、今までにない新しい人格、新しい経験、新しい考えの水脈を発見して、それに無限の魅力をおぼえることがきっとあるに違いない」
同じ人間であるゆえに、胸襟を開いて語れば、必ず分かり合える。互いの「相違点」ではなく「類似点」を見つめ、「眼前の一人」「新しい人」と心を結び続けたエレノアの熱誠によって、宣言は完成を見たのである。
〈エレノア・ルーズベルト〉
私たちが強く願い、その実現のために
行動するならば、変革できない
分野などないと確信しています。
エレノアの幼少期は決して幸福とはいえなかった。母から愛情を感じることができず、自身の容姿に強い劣等感を抱くように。10歳を迎える前に両親が他界。祖母に育てられた。
転機は、イギリスの学校に入学した15歳の時。一人の教師との出会いが、内気な性格を変えるきっかけになっていく。
「人間というのはだれもが、この世をよりよくするために生まれてきました」。地位や外見などは関係ない。物事を自分の目で見て考え、困っている人に手を差し伸べる——この恩師が示した「他者に尽くす生き方」が、人生の指標となった。
アメリカに帰国後、のちに政治家となるフランクリン・ルーズベルトと結婚。3人目の子どもを失う悲哀にも負けず、5人の子の母として、妻として、家庭を守りながら、女性の地位向上運動などに力を注いだ。
そんなある日、一家を苦難が襲う。夫がポリオを患い、歩けなくなったのだ。政治生命が危ぶまれる中、エレノアは懸命に夫を励まし続けた。代理として苦手な演説に立つこともあった。
"二人三脚"の支えもあり、病気の発症から7年後の1928年、フランクリンはニューヨーク州知事に選出。5年後には米大統領に就任し、大恐慌の嵐を打ち破る「ニューディール政策」に取り組んだ。彼女自身も夫に代わり、各地の人々の激励に飛び回った。
第2次大戦中の45年4月、大統領だった夫が病で急逝する。彼には「国連」の設立という大いなる夢があった。エレノアは深い悲しみを乗り越え、亡き夫の分まで平和のために生きることを決意する。その年の10月、念願の国連が発足。アメリカの国連代表に任命された。
彼女は語っている。
「女性というのは、さまざまな障害をはねのけて、一センチずつ前進するものなのです」
「一つが切り抜けられたら、次には何でも切り抜けられるはずではないか。立ち止って、恐怖と正面から対決する度に、人には力と勇気と自信がついてくる」
世界人権宣言の採択の後、エレノアは万人にこの宣言が用いられることを願い、つづった。
「普遍的な人権とは、どこからはじまるのでしょう。じつは、家の周囲など、小さな場所からなのです。あまりにも身近すぎて、世界地図などにはのっていません。ご近所の人、かよっている学校、働いている工場や農場、会社などの個人個人の世界こそ、はじまりの場なのです」
〈エレノア・ルーズベルトを語る池田先生〉
彼女は苦労を避けるのではなく
「挑戦を引き受けて立つ」ように
訴えてやまなかった。
何があっても粘り強く前へ!
ここに我ら創価の真骨頂がある。
宣言の採択から半世紀以上がたった2007年。エレノアの親戚から池田先生に、彼女の遺品が届けられた。「彼女が生きていれば、池田SGI会長とお知り合いになり、人間に内在する力や、さまざまなことについて対話したいと思ったでしょう」との言葉と共に——。
世界地図に載らない身近な場所から、庶民と共に平和への道なき道を切り開いてきた池田先生。「地球上から悲惨の二字をなくしたい」との恩師・戸田城聖先生の夢を実現するため、対話を重ねた識者の中には、エレノアと一緒に宣言の起草に携わったカナダのジョン・ハンフリー博士や、ブラジル文学アカデミーのA・アタイデ総裁も名を連ねる。
アタイデ総裁は、池田先生と編んだ対談集『21世紀の人権を語る』で、エレノアとの思い出を述懐。創価の人権闘争に強い共感を寄せ、「池田会長に引き継がれた思想——つまり、人間への差別を断じて許さないとする立場——が尊重されるとき、21世紀は輝かしい栄光の世紀となる」と断言した。
事実、池田先生は、国連を「人類の議会」として位置付け、歴代事務総長らと会見するとともに、その支援と強化を一貫して主張し、行動してきた。
SGIが国連経済社会理事会の協議資格を持つNGOとして登録された1983年からは毎年、「SGIの日」記念提言を発表。国連を中心とする平和構築のための具体的方途を発信し続けている。これらの貢献が高く評価され、「国連平和賞」などを受賞している。
エレノアの生涯を通して、先生が語り、記してきた指針にこうある。
「大統領夫人は、最晩年の著書に綴っている。『私たちが本当に強く願い、その願いに対して確信を持ち、その実現のために誠心誠意、行動するならば、人生において、願いどおりに変革できない分野など、何ひとつないと確信しています』
創価の女性の決心と通じ合う言葉である。いわんや私たちは、無上の妙法を持ち、広宣流布の大道を歩んでいる。不可能に思える困難が立ちはだかったとしても、すべてをよりよく変えていく力の源は、この信心である」(2009年6月4日、創価女子会館開館3周年記念協議会でのスピーチ)
「彼女は、『勇敢に、張り切って、夢をもって生きる』ように、さらに苦労を避けるのではなく『挑戦を引き受けて立つ』ように訴えてやまなかった。
人生の真髄は、生き生きとした『チャレンジ精神』の中にあるのだ。(中略)我らが勇気を奮った挑戦の一歩一歩は、自身の『人間革命』の完璧な栄光の足跡である。その着実な一歩一歩の中に、人類待望の『広宣流布』の未来図も描かれているのだ。何があっても前へ、粘り強く前へ!——ここに慈折広布を使命と定めた、我ら創価の真骨頂がある」(本紙13年8月1日付「随筆 我らの勝利の大道」)
新たな歴史は、常に勇気と挑戦の一歩から始まる。
それは、創価のヒロインたちの揺るがぬ確信でもある。
2021年6月22日火曜日
2021.06.22 わが友に贈る
「十」の反論を!
沈黙は悪を助長する。
勇敢なる言論戦で
正義を打ち立てよう!
乙御前御消息 P1220
『是は御ために申すぞ古への御心ざし申す計りなし其よりも今一重強盛に御志あるべし、其の時は弥弥十羅刹女の御まほりもつよかるべしとおぼすべし』
【通解】
これは、あなたのために言うのです。あなたの前々からのお志の深さについては、言い尽くせません。しかし、それよりもなおいっそう、強盛に信心をしていきなさい。その時は、いよいよ、(諸天善神である)十羅刹女の守りも強くなると思いなさい。
名字の言 あす沖縄「慰霊の日」。平和への誓いを新たに 2021年6月22日
那覇市で人気の栄町市場。その中に「ひめゆり同窓会館」があることはあまり知られていない▼戦前、この一帯には沖縄戦のひめゆり学徒隊の母校「沖縄師範学校女子部」「県立第一高等女学校」があった。終戦直後、学徒の生存者は焼け野原となった一帯に縄を張るなどして敷地を守ろうとした。戦場に駆り出され奪われた夢と誇りを取り戻す。懸命の行動は同会館、さらに糸満市の「ひめゆり平和祈念資料館」の開館へと結実し、沖縄戦の惨劇を今に伝えている▼1981年、学会の沖縄青年部は戦争体験者に「沖縄戦の絵」を描いてもらう運動に取り組んだ。胸が詰まり涙とともに絵筆を執った人。孫にクレヨンの使い方を教わりながら描いた人も。作品に込められた体験者の悲しみや怒りは、絵の巧拙を超えて見る者の心を揺さぶり続ける▼取り組みから40年——。今月、県内の小・中学校、高校16校で「沖縄戦の絵」を展示。授業で絵を活用する学校もある。ある中学生は「これまでも学んできたつもりでしたが、その悲惨さが絵を見てより強く伝わってきました」と▼体験者が残した"思い"を次世代へ伝える責任が、私たちにはある。あす23日は沖縄の「慰霊の日」。平和への誓いを新たにしたい。
寸鉄 2021年6月22日
巌窟王のように貫き通せ—恩師。嵐は誉れ。創価の師弟に無限の勇気あり
目黒よ、ここが正念場だ。知恵と勇気で更に開拓。総力を結集し大逆転へ!
調布・狛江が猛攻。執念で拡大した方が勝つ。連帯固く押しまくり勝利を!
奄美の日。あらゆる苦難越え、今輝く学会家族。地域広布の模範はここに
米ロ、核軍縮の協議開始で合意。核戦争に勝者なし。市民社会の叫び強く
☆御書の旭光を 第37回 心つながる"人間の絆"を
〈御文〉
『他人なれどもかたらひぬれば命にも替るぞかし』(呵責謗法滅罪抄、1132ページ)
〈通解〉
他人であっても、心から語り合えば、かけがえのない命にも替わりうるのである。
〈池田先生が贈る指針〉
苦難と戦う門下への御指導である。身近な人を、わが子のごとく慈しみ、大きく包容するよう教えておられる。真心と誠実で人を大切にすれば、自分も守られる。
乱世ゆえに、温かな心遣い、希望の声掛けが待ち望まれている。立正安国の対話は、最も深い生命の善性を結び合う。友情と信頼の尊き絆を我らの社会に!
☆「世界を照らす太陽の仏法」に学ぶ 第6回 広布の勝負所
◇弥三郎殿御返事
『構へて構へて所領を惜み妻子を顧りみ又人を憑みて・あやぶむ事無かれ但偏に思い切るべし、今年の世間を鏡とせよ若干の人の死ぬるに今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり、此れこそ宇治川を渡せし所よ・是こそ勢多を渡せし所よ・名を揚るか名をくだすかなり、人身は受け難く法華経は信じ難しとは是なり』(御書1451ページ10行目〜13行目)
◇池田先生の講義
同じ戦うのなら、「断じて勝つ」と腹を決めて戦い切るのです。人は敵と戦う前に、己心の弱さに負ける。何よりもまず、その心中の賊に勝たねばならない。とともに勇気と蛮勇は違う。現実と真正面から向き合うところに真の勇気があります。そこから今、何を為すべきか、明瞭に見えてくるのです。
◆◇◆
広宣流布の戦いにあっても、「ここが勝負」という急所がある。(中略)人生を懸けて悔いなき一戦に巡り合うことは幸福です。個人個人にあっても、日々の人生の戦いがあります。自身の人間革命の戦いと、広宣流布の戦いは決して別々ではない。
同志と共に、学会と共に、法のため、社会のため、私たちは大切な生命の時間を使い、その一つ一つを断固と勝ち切っていくのです。それが自他共に揺るぎない幸福の境涯を開きながら、人類の平和を築く立正安国の建設に生きることになるのです。
◆◇◆
仏法を持った民衆一人ひとりが、自らの人生を懸けて、生命の無限の可能性を証明していくのです。「私は勝った」「偉大な使命に生き抜いた」という旗を打ち立てていくのです。その人間の勝鬨が日本中、世界中のあの地この地で轟き、地球規模で広がり始めました。さあ、私たちが希望の世紀の夜明けを開くのです。誇りも高く創価の思想を掲げて!
(『信仰の基本「信行学」』から)
河合利子 総東京女性部長
◇本陣に師弟勝利の凱歌を!
"このことに巡り合うために、生まれてきたのだ!"——弟子の一念を、パッと転換されるような、日蓮大聖人の命を揺さぶる激励です。
「弥三郎殿御返事」のこの一節を拝するたび、今、私たちも、偉大な師匠と共に、広宣流布の未来を開く重要な時に巡り合っているという、感激が湧き上がってきます。
立正安国と人生の勝利を開く千載一遇の勝負所である今この時。使命の言論戦を戦い切ることを教えられた本抄と先生の講義を胸に、不可能を可能にする拡大に臨んでいきましょう。
◇一生、見ているからね
中等部の時、人材育成グループの集いで池田先生に懇談していただく機会がありました。先生は言われました。
"みんなは、日蓮大聖人の仏法という最高の哲学に、若くして縁している。この人生最極の生き方を生涯、貫いていきなさい"
当時、中学2年生。何も分からない私たちに、一人の大人として接してくださる先生に深く感動しました。その後、唱題に挑戦する中、"人間として生まれ、偉大な師匠に巡り合うことができた。自分は先生と共に広宣流布に生き抜くのだ"と深く決意することができました。
女子部となり、弘教に奔走する中で、再び池田先生との出会いが。あふれる決意を口にする私たちに先生は、「一生、見ているからね」と。
常に先生が、厳しくも温かく見守ってくださっている!——決意だけでなく、現実の上で師匠にお応えする報恩の人生を、との誓いのままに、さまざまな苦難を乗り越えてくることができました。
◇久遠からの縁
池田先生は講義の中で、「同志と共に、学会と共に、法のため、社会のため、私たちは大切な生命の時間を使い、その一つ一つを断固と勝ち切っていくのです」と語られ、その行動が自他共に揺るぎない幸福の境涯を開いていくのだと教えてくださっています。
この指針の通り、東京各地の友は、自他共の幸福のために、勇気の語らいに駆けています。
目黒総区のある80歳の婦人は本年の5月3日に一人の友を入会に導きました。その方とは10年ほど前に知り合い、聖教新聞の切り抜きを贈呈するなど、結んだ縁を大切に育んでこられました。
コロナ禍にあって、久しぶりに婦人と対話した友は、"私も学会の輪の中に加えてほしい!"と伝えました。実はこの友は、幼い頃に両親が離婚。二十歳の頃、母子の苦しい生活を見かねた学会員が折伏に訪れたのですが、母が首を縦に振らず、入会に至らなかったのです。
晴れて入会した友は見違えるように明るくなり、その姿に娘さんも入会を希望。"学会に出会えて本当によかった!"と、紹介者の婦人と共に、近隣に勇気の対話を拡大しています。まさに、今この時、久遠からの縁のように、二人して歓喜の語らいを広げる姿に大きな波動が広がっています。
◇現実の中にこそ
先生は、「自身の人間革命の戦いと、広宣流布の戦いは決して別々ではない」と述べられています。
目まぐるしい日々の生活の中で学会活動に励むことは、一見すると地味で、華々しいことではないかもしれません。しかし先生は、現実から逃げず、その真っただ中で自らの人間革命の戦いに勝利し切っていく中に、実は広宣流布の実像があるのだと教えてくださっています。
先生は昨年、「創立90周年から100周年への10年は、一人一人が『人間革命』の勝利の実証をいやまして打ち立て、いかなる『大悪』も『大善』に転じて、いよいよ人類の『宿命転換』を、断固として成し遂げていくべき勝負の時であります」とつづってくださいました。
社会が先の見通せない不安に覆われる中で、私たちが一日一日、目の前の立正安国の挑戦に勝利していくことは、わが地域の広宣流布のみならず、人類の宿命を転換し、地球社会の未来を開く壮大な勝利へとつながっていきます。
さあ、"師と共に、「大悪」を「大善」へと転じる感激のドラマを演じるために、今ここに集ってきたのだ!"と、地涌の使命に燃え、本陣・総東京に師弟勝利の凱歌を高らかに響かせていきましょう!
メモ
建治3年(1277年)8月、念仏者との法論に臨む門下の弥三郎に送られたお手紙である。ここまで生き永らえることのできた自らの使命を自覚し、この法論が人生の勝負の分かれ目であると心していきなさいと教えられている。
2021年6月21日月曜日
情報更新ヒント:お支払い方法の重要を更新
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2021.06.21 わが友に贈る
「竹の節を一つ破ぬれば
余の節亦破るるが如し」
一つの勇気の挑戦が
広布と人生の壁を破る。
さあ師子奮迅の力で!
2021年6月21日
曾谷入道殿許御書 P1033
『此等の大菩薩末法の衆生を利益したもうこと猶魚の水に練れ鳥の天に自在なるが如し、濁悪の衆生此の大士に遇つて仏種を殖うること例せば水精の月に向つて水を生じ孔雀の雷の声を聞いて懐妊するが如し』
【通解】
地涌の菩薩が末法の衆生を利益されることは、魚が水中を自由に泳ぎ、鳥が天空を自在に飛ぶようなものである。濁悪の(末法の)衆生が、
この菩薩に出会って仏種を植えることは、水晶が月光に照らされると水を生じ、孔雀が雷の音を聞いて懐妊するようなものである。
名字の言 絵はがきに描かれた「枯れたヒマワリ」 2021年6月21日
ホイットマンは詩集『草の葉』の表紙の色を何度も変えた。36歳で編んだ初版は緑、第3版は赤茶、臨終版は枯れ葉をイメージする褐色。本の装丁をもって人生の変遷を表した▼新緑や紅葉だけではない。冬枯れの葉にも生命の輝きを見たのだろう。詩集にこうある。「わたしは幸運を求めない、このわたし自身が幸運なのだ」(富田砕花訳)▼進行性筋ジストロフィーと闘う女性部の友から絵はがきを頂いた。描かれていたのは「枯れたヒマワリ」。"一人一人の心に平和の種をまきたい"と言葉が添えてあった▼入院生活45年。徐々に筋力が低下する苦悩の中で信心に出あい、生きる力を得た。窓から見たヒマワリは、枯れてもぎっしりと種を付け、大地を見つめて立っている。その姿に感動した彼女は人工呼吸器を鼻に当て、肘を支えてもらいながら絵はがきを描いた。それを友人らに送り、メールで対話。「ベッドの上でも学会活動はできます」と向上心を燃やし続ける▼仏法は「凡夫即極」を説く。今ここで、その身のままで仏の生命を顕すことができるとの教えだ。では、どうすれば自らが持つ生命の尊さに気付けるのか。彼女のメールに答えがあった。「命懸けで生きてこそ、本当の幸せが見えます」
寸鉄 2021年6月21日
「志有らん諸人は一処に聚集して」御書。団結こそ要。情報共有し、共に勇戦
東京・豊島の情勢緊迫。異体同心でもう一押し!皆で痛快なる大逆転劇を
中野よ断じて勝利を!—全国の友がエール。凱歌の歴史開く拡大ここから
激戦のあるところに私は身を置く—文豪。これが師子。突破口開く一人に
漫然・脇見・ながら運転…事故の多くは気の緩み。絶対無事故の意識を強く
☆御書の旭光を 第36回 題目に万行万善の功徳は厳然
〈御文〉
『此の法華経の本門の肝心・妙法蓮華経は三世の諸仏の万行万善の功徳を集めて五字と為せり、此の五字の内に豈万戒の功徳を納めざらんや』(教行証御書、1282ページ)
〈通解〉
この法華経の本門の肝心・妙法蓮華経は、三世の諸仏の万行万善の功徳を集めて五字としたものであるから、この五字のうちに、どうして万戒の功徳を納めていないことがあろうか。
〈池田先生が贈る指針〉
題目には、人を救い寂光土を築く、一切の仏の「万行万善」の功徳が納まっている。ゆえに妙法流布に励む地涌の生命は、全宇宙の仏界と一体となり、広大無辺の功力を発揮できるのだ。
恩師は「弾けるような題目で、どんな障魔も吹き飛ばせ!」と励まされた。世界が渇望する蘇生の妙音を響かせ、大善の行動を勇敢に!
☆池田華陽会御書30編 研さんのために 種種御振舞御書�
◇"さきがけ"の使命と福運
今月は「種種御振舞御書」の前半を学びます。池田先生はつづられました。
「日蓮仏法の魂は、『さきがけ』の勇気です。(中略)自分が、決然と立ち上がることです。思い切って行動を起こすことです」「若き生命には無限の可能性がある。一切の苦難や試練を乗り越えゆく勇気がある。誓願のスクラムを広げ抜く熱と力に満ちています。皆さんこそが『生命尊厳の世紀』の主人公です」
打ち続く大難に一歩も退くことなく、堂々と戦い、勝ち越えていかれた日蓮大聖人の振る舞いを学び、"広宣の華"池田華陽会が、平和と幸福の拡大に勇気凜々と先駆していきましょう!(拝読範囲は御書909ページ冒頭〜916ページ3行目「其の余はしげければかかず」です)
◇本抄について
本抄は、建治2年(1276年)に日蓮大聖人が身延で認められ、光日尼に与えられたとされていましたが、詳細は不明です。
本抄には、文永5年(1268年)から文永11年(1274年)までの、大聖人の御闘争が記されています。蒙古から日本へ国書が届いたことから書き起こされ、竜の口の法難、佐渡流罪、さらに、鎌倉に戻られてからの国主諫暁、身延入山に至るまでが、目に浮かぶような鮮烈な叙述でつづられています。
御執筆の年とされる建治2年ごろ、蒙古襲来の予言的中もあり、大聖人一門の勢いが増したことにより、門下の身に次々と障魔が競い起こりました。本抄は、法華経の行者の振る舞い、境涯とはいかなるものかを示し、何としても弟子を勝利させていこうとの、熱きお心が込められた御書であると拝されます。
◇御文
『仏滅後・二千二百二十余年が間・迦葉・阿難等・馬鳴・竜樹等・南岳・天台等・妙楽・伝教等だにも・いまだひろめ給わぬ法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり、わたうども二陣三陣つづきて迦葉・阿難にも勝ぐれ天台・伝教にもこへよかし』(910ページ17行目〜911ページ1行目)
◇通解
釈尊が亡くなられた後、二千二百二十年あまりの間、迦葉・阿難ら、馬鳴・竜樹ら、南岳・天台ら、妙楽・伝教らでさえ弘めることがなかった、法華経の肝心であり、仏たちの眼目である妙法蓮華経の五字が、末法の初めに全世界に広まっていく瑞相として、日蓮が先駆けしたのである。
わが一門のものたちは、二陣、三陣と続いて、迦葉・阿難にも勝れ、天台・伝教にも超えていくのだ。
◇解説
本抄の冒頭で大聖人は、「立正安国論」で予言された「他国侵逼難」という重大な危機が現実となったにもかかわらず、当時の為政者らが、大聖人の意見に耳を傾けず、かえって悪口するなど反発を強めたとつづられています。
それでも大聖人は、「名を惜しむこともなく、命をも捨てる覚悟で」(御書909ページ、趣意)、ますます力強く正法を語り抜かれました。
しかし権力者らは、いよいよ憎しみを顕わにし、大聖人を「処刑せよ」「追放せよ」「門下たちも懲らしめよ」などと謀議したと述べられています。
御自身の身に危険が迫る事態。しかし大聖人は、それを憂えるどころか「日蓮悦んで云く本より存知の旨なり」(同910ページ)——もとより承知していたことだ、うれしい限りだ、と言い切られます。
なぜなら、末法に妙法を弘める者が迫害されることも、自界叛逆・他国侵逼の現証が現れることも、すべて経文に説かれる通りだからです。
大聖人は「各各我が弟子となのらん人人は一人もをくしをもはるべからず」(同ページ)と述べ、成仏を決する大事な今こそ、共に恐れなく広布に生き抜くことを弟子に呼びかけられます。
そして、そのことがどれほど尊く、偉大な戦いであるかを明かされるのが今回の拝読御文です。
これまで誰も弘めることのなかった、法華経の真髄であり、あらゆる仏の成仏の根源である「南無妙法蓮華経」の大法を、全世界に弘めゆく"先陣"を切られたのが大聖人です。
この師に「二陣三陣」と続くならば、弟子もまた、誉れ高き"先陣"となります。さらに、最高の法を弘通するがゆえに、一人一人が、仏教の歴史に名を刻む迦葉や阿難、天台や伝教をも超えゆくほどの、偉大な妙法の勇者となっていくのです。
広宣流布とは、末法万年にわたり、全世界の人々の幸福を開く戦いです。ゆえに「二陣三陣つづきて」とは、大聖人が私たちに直接呼び掛け、世界広布の遠大な使命を託されている御金言にほかなりません。
私たちは日々、広宣流布の"さきがけ"として、立正安国の対話に挑む、偉大な使命と福運の青春を歩んでいます。
どんな時も、弾ける勢いで題目を唱え、不屈の「師子王の勇気」で、すべてを勝ち開いていきましょう。
◇池田先生の指針から
三代の師弟は「さきがけ」の勇気で勝ちました。そして、これからも、「二陣三陣」の後継の闘魂で永遠に勝ち続けていくのです。(中略)
大聖人の御在世と同じく、今、時代は乱気流の中に入っている。しかし、いかに社会が動揺していても、いな社会が動揺しているからこそ、自分の信心だけは微動だにしてはならない。"広布のため""学会のため"という心の操縦桿を握りしめていけば、必ず打開できる、勝利できる。こう確信して、師子奮迅の力を出し切っていくことです。(『御書と師弟』第2巻)
◇ ◆ ◇
末法万年の人類を救う広宣流布を成し遂げ、世界に根本的な寄与をする"さきがけの誇り"に胸を張ることです。その人を、三世十方の仏菩薩が守りに護らないわけがありません。
戦いを決するのは「真剣さ」と「粘り」です。「執念」と「勇気」です。「絶対に勝つ!」という「決意」と「祈り」である。「断じて勝つ!」と決めて、戦い抜いたほうが勝つ。勝つために、最大の努力を尽くし切っていくことです。(同)
◇研さんのために
○…「大白蓮華」2012年4・5月号「勝利の経典『御書』に学ぶ」(聖教新聞社)
○…『御書と師弟』第2巻(同)
2021年6月20日日曜日
2021.06.20 わが友に贈る
万歳悔ゆること勿れ」
今日という日を大切に!
広宣流布の大願のため
悔いを残さず全力で!
始聞仏乗義 P984
『末代の凡夫此の法門を聞かば唯我一人のみ成仏するに非ず父母も又即身成仏せん此れ第一の孝養なり』
【通解】
末代の凡夫がこの法門を聞くならば、唯我一人が成仏するばかりでなく、父母もまた即身成仏するのである。これが第一の孝養である。
名字の言 きょうは「父の日」——奮闘する壮年部の友 2021年6月20日
釈尊の時代の古代インドは、16もの有力国家が存在する乱世だった。その中でバッジという国は、侵略を企てる大国から常に狙われていた。しかし、バッジの人々は木の丸太を枕にする質素な暮らしぶりで、熱心に働き、自身を律していたので、他国が攻める隙が全くなかった▼その事実を引き、釈尊は弟子に説いた。安逸な日々に流されず、一心に修行に励む者は、競い起こった魔に付け入る隙を与えない、と▼自動車修理業を営む壮年部員は、地域に同業の大手企業が進出した影響で経営難に。工場を畳むことも考えたが、"蘇生の信心を証明してみせる!"と奮起した。利益に見合わない小さな仕事も迅速、誠実に対応し、着実に信頼を築いた▼死に物狂いで働く彼の健康と実証を、家族は祈りに祈った。その真心を力に、彼は仕事に加え、組織では地区部長、本紙配達員もやり抜いた。現在、整備士の息子も加わり、経営は軌道に乗った。必死の信心で一切の魔と試練をはね返した壮年は語る。「思えば、一番苦しかった時期が、一番充実していた」▼きょう20日は「父の日」。家族や同志の幸せのために奮闘する創価の父たち。その人知れぬ苦闘は、人格を鍛え、厳然たる実証と結実するに違いない。
寸鉄 2021年6月20日
「法華経を修行せん人人は日蓮が如くに」御書。立正安国の大誓願へ驀進
中野が総立ちで猛反撃。他を圧倒する対話で逆転を!全国の同志が大声援
荒川が大激走。徹底して攻め抜き金星もぎとれ!民衆勝利のドラマを必ず
大田の負けじ魂を見せる時は「今」だ!困難の巌を打ち砕く爆発的拡大皆で
孤独は不健康。自分から人と繋がる努力を—医師絆結ぶ学会活動こそ王道
☆四季の励まし 異体同心で前へ、前へ! 2021年6月13日
池田先生の言葉
何があろうと、
恐れることはない。
いざという時こそ、
もう一歩、
強盛なる執念で、
題目を
唱え抜いていくことだ。
大事なのは、
勇猛精進の祈りだ。
師子奮迅の戦いだ。
異体同心の前進である。
自分の「我」に
固執すればするほど、
人との溝が深まり、
世界は狭くなっていく。
地域の繁栄も、
広宣流布の伸展も、
皆が
進取の意気に燃え、
広い心で、
団結していく
なかにこそある。
ダイナミックな交流は
新たな創造を生む。
新たな勢いと
拡大の力となる。
自分の持ち場を
死守しつつ、
心広々と
打って出て、
励まし合い、
触発し合って、
共に成長し、
皆が
勝利していくのだ。
今、共に
信心に励んでいるのは、
決して偶然ではない。
過去遠遠劫からの
深い縁に結ばれ、
一緒に久遠の誓いを
果たすために
末法濁世に
出現したのだ。
その縁のうえに
今があることを
互いに自覚するならば、
強い絆が育まれ、
広布への
大きな
前進の力が生まれる。
団結は美しい。
団結は楽しい。
そして
団結こそ力だ。
「異体同心」こそ、
絶対勝利の法則である。
【写真説明】大東京の空に、鮮やかな虹が懸かった。自然が織り成す妙なる七彩が、かなたの東京タワーや高層ビルを包み込む。2002年(平成14年)5月、池田大作先生が新宿区内でシャッターを切った。
虹は、それぞれの色が調和して輝く。広宣流布もまた、多彩な人材が異体同心で、あらゆる人々と友情を結ぶ中で進んでいく。
日蓮大聖人は、十方の諸仏が法華経を「真実なり」とたたえた光景を、「無量無辺の虹の虚空に立ちたらんが如し」(御書359ページ)と表現された。
さあ、真実の声、勇気の声を高らかに、わが地域に「勝利の虹」を懸けよう!
2021年6月19日土曜日
2021.06.19 わが友に贈る
不可能を可能に転ずる
仏力・法力が涌現する。
「祈り」即「行動」で
広布拡大の突破口を!
諸法実相抄 P1359
『されば余りに人の我をほむる時は如何様にもなりたき意の出来し候なり、是ほむる処の言よりをこり候ぞかし』
【通解】
あまりに人が自分をほめる時は、「どんなふうにでもなろう」という心が出てくるものである。これは、ほめる言葉から起こるのである。
名字の言 先生と共に! 学会と共に! 2021年6月19日
友の激励に歩くと、こちらが学ぶことばかり。特に信仰の原点を聞くと、心が洗われる思いがする▼タクシー乗務員として30年間、奮闘する壮年宅へ。「昔は、やんちゃでね」と言う通り、短気な性格がたたって転職を繰り返すこと17回。だが男子部時代に会合の役員をしていた際、池田先生から激励を受けて変わった。"師匠とは、こんな陰の存在にまで心を砕かれるのか"。以来、性根が据わった。"先生と共に生き、弟子として恥じない人生を"と▼建築会社を営む壮年宅にも伺った。バブル絶頂期、夜遊びに溺れ、学会活動から離れた。"真面目にやってられるか"。しかし、バブル後に地獄を見た時、学会の同志だけが励ましに来てくれた。「君が誰に見捨てられても、俺たちは絶対に見放さないから」。その真心に涙し、再起を誓った。"学会と共に生き、同志に恩返しを"と▼「ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給うべし」(御書1360ページ)。何があろうと「先生と共に!」「学会と共に!」と、純真な心を貫いている友が、全国、いな全世界にどれほどたくさんいることか▼潔い信心で磨かれた人生に接すると、勇気百倍になる。そんな素晴らしい同志と共に歩める日々に感謝は尽きない。
寸鉄 2021年6月19日
戦えば戦うほど仏法の実証は早く出る—牧口先生学会活動に喜び勇んで!
調布・狛江が大激戦。ここから攻め続けた方が勝つ勇気と執念で逆転勝利へ
目黒が不屈の反転攻勢。師子となって走り抜け。せり上がり栄光の劇を!
豊島よ頑張れ。悪戦苦闘を突き抜け勝ち鬨断固!歴史的な凱旋を皆の力で
自粛生活で子どもの筋力低下の懸念。運動の習慣が重要と。家族で心掛け
☆学ぼう「黄金柱の誉れ」Q&A 第16回 この世に何を残すか
目指す頂点が、いかに高く、険しくても、自ら先頭に立ち、友を引き上げながら、厳然と活路を切り開くのが壮年部の使命です。壮年部指導集『黄金柱の誉れ』から池田先生の指導を紹介します(指導集145ページから148ページを抜粋)。
〈「男の生きざま」を残せ〉
わが壮年部が意気軒昂であれば、婦人部が喜んでくださる。青年部も快活に続く。未来部も強く元気に育つ。地域も社会も刮目する。
「黄金柱」とは、一切を黄金に変えゆく柱だ。(中略)
今、各地で頼もしい「勇士」の陣列が拡大し、ヤング壮年部が奮起している。法城を厳護してくださる王城会、さらに太陽会、敢闘会等の奮闘も、何とありがたいことか。
私も一生涯、戦う壮年部である。師の叫びを不二の盟友に贈りたい。
「広宣流布のために、"男の生きざまとはこうだ!"というものを、この世に残そうじゃないか!」
(「大白蓮華」2012年3月号、巻頭言)
〈「壮年部」即「青年部」の心意気〉
今、日本の国では青年が少なくなってきている。「壮年部」即「青年部」——それぐらいの心意気で進むことだ。
この点を先取りし、若々しい気概に燃える人は、勝っていける。団体も、国も、青年の心で勝利していける。
(本紙2009年3月9日付、本部幹部会でのスピーチ)
〈青年を励ませ〉
壮年は、青年を励ますのだ。
自分は「青年のために犠牲になっていこう」というくらいの謙虚な姿勢で、尊き仏道修行に励んでいく。
そこに偉大な功徳が生まれる。すべての労苦は宝となる。
(本紙2010年3月15日付、本部幹部会でのスピーチ)
〈柱は倒れてはならない〉
壮年部の先達ともいうべき四条金吾が、主君から"法華経を捨てよ"と責められ、所領を没収される危機にあった時、日蓮大聖人は、烈々たる気迫で指導された。
——もし、あなたが倒れたならば、敵はそれに乗じて、鎌倉の同志を皆、退転させてしまうだろう、と。
負けるな! 柱は、絶対に倒れてはならないのだ!
「一生はゆめ(夢)の上・明日をご(期)せず・いかなる乞食には・なるとも法華経にきずをつけ給うべからず」(御書1163ページ)
彼は勇敢に戦い抜いた。信心の究極は「人の振舞」なりと誠実を貫き、あらん限りの知恵を働かせた。身を慎み、周囲に細かい注意と配慮を怠らなかった。
そして、苦難を耐え抜き、蓮祖の指南通りに「法華宗の四条金吾・四条金吾」と、人びとに讃えられる勝利者となっていったのだ。
「仏法は勝負」である。
壮年部は、一家の柱、社会の柱、そして広宣流布の偉大なる黄金柱だ。皆様が厳然としているからこそ、婦人部も男女青年部も、安心して戦える。
(『池田大作全集』第133巻、「随筆 新・人間革命」)
2021年6月18日金曜日
2021.06.18 わが友に贈る
勇んで人と語り合う。
そこに「感激」が生まれ
皆の躍進の力となる。
共に歓喜のドラマを!
聖人御難事 P1189
『而るに日蓮二十七年が間弘長元年(辛酉)五月十二日には伊豆の国へ流罪、文永元年(甲子)十一月十一日頭にきずをかほり左の手を打ちをらる、同文永八年九月十二日佐渡の国へ配流又頭の座に望む』
【通解】
ところが、日蓮は二十七年間に、弘長元年五月十二日には伊豆の国へ流罪、文永元年十一月十一日には房州の小松原で念仏者東条景信のために、頭に疵を蒙り左の手を打ち折られた。同じく文永八年九月十二日佐渡の国へ流罪され、また竜口の頸の座にも臨んだのである。
名字の言 "カタツムリの歩み"のような努力を 2021年6月18日
文豪・幸田露伴は自分の家を「蝸牛庵(カタツムリの家)」と呼んだ。身一つでどこへでも行くという意味で、何度も住まいを替えた▼最も長く居を構えた地は東京・墨田区。旧居跡は今、カタツムリをかたどった遊具のある児童公園になっている▼露伴は幼少時代、病弱だった。経済苦で学校を中退もしている。それでも学びを止めず、読書に励み、漢詩や漢学にも親しんだ。それこそ"カタツムリの歩み"のような努力を積み重ねてきたといえよう。墨田で書き上げた『努力論』にこんなくだりがある。「努力より他に吾人の未来を善くするものはなく、努力より他に吾人の過去を美しくしたものはない」(岩波文庫)▼ガンジーは「善いことというものは、カタツムリの速度で動く」(坂本徳松訳)と言った。理想が大きいほど目的地は遠く、道は険しい。日々の歩みに歯がゆさを覚えることもあろう。しかし当たり前だが、止まってしまえば絶対に前には行けない▼「足元へ いつ来りしよ 蝸牛」(一茶)。池田先生はこの句を紹介し、「たとえ地味であっても、一歩一歩と着実に進むことが、偉大なる勝利の母となる」と訴えた。誰が見ていなくとも、善の勝利を仰ぎ見るその日まで、自らの努力の歩みを止めるまい。
寸鉄 2021年6月18日
仏法は「桜梅桃李」。友の長所生かすのが長の使命世界一の団結で全速前進
墨田が猛追。勇気と知恵で全てを味方に!民衆のパワー発揮し乱戦突破を
品川が不撓不屈の猛攻!徹底して攻めた方が勝つ歴史的逆転劇をここから
交通事故死が過去最少も高齢者の割合は増加と。多忙な時ほど安全運転で
感染終息へ最低で世界人口60%の接種必要—宣言国境なき連帯を強める時
☆紙上セミナー 仏法思想の輝き 東洋大学名誉教授・経済学博士 八巻節夫
◇充足した人生とは
東洋大学名誉教授・経済学博士 八巻節夫
【プロフィル】やまき・せつお 東洋大学名誉教授。経済学博士(財政学)。78歳。1967年(昭和42年)入会。相模原市在住。総区主事(総区太陽会議長兼任)。学術部参与。
◇「心の財」こそ無上の宝
私は50年以上、経済学を専門に研究してきました。「経済」と口にすると、"難しそう……"と敬遠されてしまうのが長年の悩みです。
「経済」という言葉は、「経世済民」に由来し、"世を治め、民を救う"ことを本義としています。かつて池田先生は、「『何のため』の経済か。庶民が、母と子が、幸福に暮らしていける経済か否か。これが肝要である」と語られました。私も「生きた人間を離れて経済はない」との信念で研究を重ねてきました。
ちなみに、わが家の経済は、常に妻が的確に回してくれています。おかげで安心して働いてくることができました。その意味で妻は"一流の経済学者"であり、無駄遣いを認めない鋭さは私も全く及びません(笑い)。
◇地球2.8個分
経済の成長とともに、私たちは便利な物に囲まれ、快適な生活を享受できるようになりました。しかし、人間の欲は、とどまるところを知りません。生活を豊かにするはずの"物"が、不満を拡大させる働きをもたらしました。
例えば、喉が渇いたときを想像してみてください。1杯目の水を飲んだときに得られる満足度は、2杯目以降、下がってしまいます。また、はやりの服を買ったとしても、流行が移り変われば、その服から得られる満足感は減ります。それによって不満を拡大させ、新しい服を買いたくなってしまうのです。こうして、新たに欲求を満たそうと消費が拡大されてきました。
欲望の肥大に伴い、経済発展を果たしてきた一方、公害問題をはじめ自然環境が破壊・汚染されてきた側面もあります。そうした反省から、日本では1970年代の後半から、「物の豊かさ」より「心の豊かさ」を求める、と答える割合が上回るようになりました。つまり、「経済の成長=幸福」は錯覚であり、目先の欲求を満たす消費行動は、決して真の幸福にはつながらないことに気付き始めたのです。
しかし、40年以上たった今もなお、物の豊かさを求めることで、地球環境へ負荷の掛かる消費は続いていると言わざるを得ません。
例えば、現代の日本人と同じ生活スタイルを、世界中の人がしたときに必要な地球の数は、2.8個分といわれています。当然ながら、地上の資源は有限であり、このままでは枯渇してしまいます。資源の奪い合いから、争いに発展することも懸念されます。資源を浪費する社会から、持続可能な社会にシフトしようと、国連が掲げるSDGs(持続可能な開発目標)の達成に向けた取り組みに、私はとても希望を感じています。何より、消費の在り方を変えていくために不可欠なのが、私たちの意識変革です。
◇経済の焦点は「生命」
仏法に巡り合って54年を迎えます。創価学会に入会した直後の学生時代、時間さえあれば研究に打ち込みたかったので、「祈る」という行為が釈然としませんでした。しかし、地域の学会員の温かな人間性に魅了され、信心に励む中で「自分さえよければいい」と考えてしまいがちな自身の小さな境涯に気付きました。
学会活動を通し、「自他共の幸福」こそが、本来、経済学が目指すべき幸福と一致すると分かると、それまで以上に研究に力がこもりました。利己にとらわれた小我から大我への転換でした。
日蓮大聖人の示された「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」(御書1173ページ)との一節は、人生において最も大切な価値を教えています。
「蔵の財」は経済的な富を、「身の財」は健康や身に付けた技術・知識等を指します。二つとも、生きる上で必要ではありますが、いずれも相対的なものなので、これだけでは真実の生命の充足は得られません。
対して、「心の財」とは、私たちの生命に刻まれた永遠の福運であり、崩れることのない心の豊かさを表しています。自他共の幸福を目指す大聖人の仏法の実践によって積まれた「心の財」こそ、人生の無上の宝なのです。心の豊かさを積みゆく人生に、本当の充実があるのではないでしょうか。
これからの時代、心の豊かさを得るために大切なのは、節度をもって生活することに誇りを持つ生き方です。そのためにも、欲求を調和的に充足させる経済の仕組みによって、人々は最大の満足を得られると考えます。これができるかどうかが、経済が今後、人々の幸福に貢献していくための課題です。
御書には「心の師とはなるとも心を師とせざれ」(1025ページ)との経文が引かれています。
生命に根源的に具わる煩悩(貪欲性や暴力性)に左右されず、支配されず、またそれを無理に消し去るのでもない。正法を「心の師」として、煩悩をも価値創造の方向へ導いていく智慧を教えています。欲望をコントロールする自身を築いていく——仏法の教えを、意識変革の根底に据えることが何より大切だと思います。
コロナ禍にあって、今後の経済の焦点が「生命」に移るといった議論があります。私も全くの同意見です。具体的には、地球環境の保全に加え、医療従事者やエッセンシャルワーカーを大切にし、生命そのものの価値を重視する経済の構築です。
池田先生は、「資源は有限であっても、人間の可能性は無限であり、人間が創造することのできる価値にも限りがない」と語られています。仏法が説く「生命尊厳」の哲理が希求される今、向学の志に燃え、価値創造していくことが私の生きがいです。
◇[視点]依正不二
仏法では、人間を取り巻く一切の環境を意味する「依報」と、生を営む主体(人間)を指す「正報」が「不二」、つまり、分かちがたく関連していると説きます。日蓮大聖人は、「正報なくば依報なし・又正報をば依報をもって此れをつくる」(御書1140ページ)と教えられています。人間は、自然と切り離されて生存することはできません。よって、あらゆる生命を尊び、自然と共生する生き方が大切になります。
創価学会は、地球環境の課題について啓発するために、展示活動などを行っています。その主題は、"一人の意識が変われば環境をも変えていける"というもの。「依正不二」に基づく希望のメッセージを発信し、変革の主体者の輪を広げています。
☆心に刻む御書 2021年の要文� 減劫御書
【御文】
『大悪は大善の来るべき瑞相なり、一閻浮提うちみだすならば閻浮提内広令流布はよも疑い候はじ』(減劫御書、1467ページ)
【通解】
大悪は大善が来る前兆である。一閻浮提(全世界)が打ち乱れるなら、「閻浮提の内に広く流布せしめる」との経文通りになることは、よもや疑いあるまい。
【池田先生の指針】
御本仏は、一切衆生が仏性という最極の生命を涌現する道を開いてくださった。どんな難も乗り越える信心である。その実証こそ、創価家族の「人間革命」だ。
一国も世界も、大悪を大善へ転ずるのが、一閻浮提広布である。地涌の若人の連帯は五大州に広がった。誓願の祈りで地球を包み、人類の「宿命転換」へ前進だ!
(聖教新聞2020年10月9日付「心に御書を」)
2021年6月17日木曜日
2021.06.17 わが友に贈る
広布の使命を自覚すれば
無限の力が湧き上がる。
地涌の誇りを分かち合う
信心の励ましを共に!
四信五品抄 P342
『罰を以て徳を推するに我が門人等は福過十号疑い無き者なり』
【通解】
一国の仏罰の厳しさをもって、われらの功徳の大きさを推察すれば、わが門下の人々が「十の尊称をもっておられる仏を供養するよりも、はるかに勝る福徳」を得ることは疑いない。
名字の言 「威服」ではなく「心服」させる 2021年6月17日
三国志に「七縦七擒」という言葉がある。諸葛孔明が反乱軍と戦い、敵将の孟獲を7回捕らえるが、そのたびに釈放。ついに孟獲は釈放されても孔明のもとを去らなかった――▼この故事から、相手を本当に従えるには心服させなければならないという意味に使われる。牧口常三郎先生は大著『人生地理学』で、権威をもって従わせる「威服」ではなく「心服」させる時代の到来を見つめていた▼法華経に説かれる「六難九易」。仏の滅後に法華経を受持し弘通することの困難さを、六つの難しいことと九つの易しいことを比べて示す。九易の一例を挙げると、枯れ草を背負って大火に入っても焼けないこと。無理難題だが、それよりも友の幸福を願って正しい教えを語り、相手の心を動かしていくことの方が難しい▼確かに至難だが、心は必ず変化する。相手の心を動かすのは、こちらの大誠実であり、相手を思う真心の対話である。そして、「一人」の心を動かすことが「万人」の心を動かすことになる。世界192カ国・地域に広がった創価の希望の連帯は、その証しにほかならない▼御聖訓に「一は万が母」(御書498ページ)と。私たちが「一対一の対話」を重ねた分だけ、広布の勢いは加速する。
寸鉄 2021年6月17日
肉声こそ最大の言論じゃないか―戸田先生。友の心揺さぶる信念の声強く
足立が反転攻勢!庶民の王者の底力示す時は今。断固攻め抜き勝ち鬨を!
北区の友が渾身の拡大戦執念で押し捲り大金星を堂々の凱旋を総立ちで!
茨城の日。立正安国の祈り深く前進。敢闘精神を発揮し正義の対話に全力
信号機ない横断歩道での事故注意。歩行者優先の運転を。思いやり忘れず
〈社説〉 2021・6・17 「人と会う」ことが持つ力
◇心に火ともす全人格的関わり
オンラインでの会議やリモートワークなど、コロナ禍にあって仕事の形態は大きく変わった。地方創生や働き方改革の観点からも、場所を問わずに仕事が進められる利点は大きい。一方で「会話の間合いが合わない」「一体感を抱きづらい」という声も少なくない。
仕事で高い業績を上げるチームには、どんな共通点があるのか――そんな視点から数多くの職種を分析した研究によると、高い業績を上げるチームでは、メンバー間に5~10分程度の短い会話が頻繁に起こる。また会話中、うなずきや身ぶり手ぶりで互いの体がよく動くのも特徴だという(矢野和男著『予測不能の時代』草思社)。
短い雑談や身ぶり手ぶりを交えるやりとりは、オンラインでは起こりづらい。一体感の薄さや会話の間合いへの違和感は、コミュニケーションにおいて、情報以外の伝達も大切であることの証左だ。
コロナ禍の中、これまで私たちは、感染症対策を徹底した上での訪問・激励や、オンラインを併用した活動の模索など、創意工夫を重ねてきた。"広布の歩みを止めてなるものか"との挑戦を通じてあらためて気付かされたのは「人が人と会う」ことが持つ、圧倒的な力だったのではないだろうか。
作家の佐藤優氏は著書で"生き方は、単なる知識ではなく、全人格的な関わりを通じて、初めて伝えられる"との池田先生の指針を紹介している(『地球時代の哲学』潮新書)。誰かに会う時、私たちは無意識に相手の表情や、一挙手一投足から思いをくみ取り、互いに敬意を届け、感動を分かち合う。再会までの相手の人生を想像することもあろう。会うこと、生命に触れることは、それだけで言葉を超える何かを伝える。それゆえに、心から理解し合える友情を育むような"全人格的交流"の発火点ともなるのだ。
「苦悩し、呻吟する庶民の心に、誰が希望の光を注ぐのか。誰が勇気の火をともすのか――その使命を担ってきたのが創価学会である」(小説『新・人間革命』第26巻)と池田先生は綴っている。
その使命に生きる時、いつの時代も私たちは「人と会う」ことを真っ先に思い浮かべる。人の心に火をともすのは人なのだ。人との身体的距離が広がり、心の触れ合いさえも失いかねない今こそ、自他共の心を変革する「会う」ことの力を、もう一度思い返したい。
☆誓いをつなぐ 第5回 兵庫・中央神戸総県
◇戦おう! 幸福になるために
屛風のような六甲の山並みが瀬戸内海に迫り、その間を帯のように、神戸の市街地が東西に伸びる。古来、ここは大輪田泊や福原京など、貿易の拠点や政治の中心地であり、近代以降、アジア有数の貿易港、西洋文化の玄関口として発展を遂げてきた。
中央神戸総県(大野木総県長、藤本女性部長)の広布の舞台は、市の中央と北部に位置する3区。兵庫総区、神戸北総区、長田総区である。
池田先生が神戸を初めて会合で訪れたのは1957年(昭和32年)3月16日。
以来、この港町を舞台に、幾たびも励ましのドラマが刻まれてきた。
66年(同41年)9月3日、市内で行われた記念撮影会。9000人の参加者との二十数回に及ぶ撮影だったが、先生は一回一回、マイクを手に取って励ました。その真情を後につづった。
「焦点は、同志一人ひとりである。私と一対一の、師弟の歴史を、決意の原点を、どれだけ一人ひとりの同志につくり、生命に残してあげられるかである。私は真剣であった。その一回一回、その一瞬一瞬、渾身の励ましを送り続けた」
"一対一の師弟の絆"――ここに関西の誇りがあり、神戸の魂がある。
◇長田文化会館へ
とりわけ、中央神戸総県の友が原点とする、忘れ得ぬ歴史がある。2000年(平成12年)2月29日。池田先生が長田文化会館を訪れた一日である。
香港への平和旅から、そのまま21日に大阪入りした池田先生は、続いて兵庫を訪問。名誉学位記の授与式や本部幹部会等に臨んだ。29日は、諸行事の最終日に当たっていた。
先生が、当初は予定になかった長田文化会館を訪れたのは午後3時半。そこには、婦人部の友が一連の行事の無事故・成功を祈念しようと集まっていた。
突然の訪問に驚き、沸き立つ同志に、先生は語り掛けた。「本当に大変でした。よくがんばってくださいました」
――さかのぼること5年。1995年(同7年)1月17日の阪神・淡路大震災で、最も甚大な被害にあった地域の一つが長田区であった。
先生は発災直後、兵庫の幹部に「リーダーが嘆いてはいけない」「最前線で激励するのだ」と伝言。海外訪問の出発を延期し、激励の指示を次々と送った。
師の励ましに奮起した同志は、自ら被災しながらも、救援物資の運搬に奔走するなど、不眠不休の救援活動を展開した。長田文化会館も発災直後から避難者を受け入れ、文字通り地域の「安心の灯台」となってきた。
◇大形京子さん
"あの長田に先生が"――感動が電撃のように全兵庫、いな全関西を駆け巡った。
当時、区の婦人部長として先生を迎えたのが大形京子さん(総県副女性部長)。
60年(昭和35年)、リウマチを患っていた母と共に入会した大形さんは70年(同45年)11月、教育部員として参加した神奈川研修道場での会合で、先生から直接、激励を受けていた。
「結婚したばかりだった私に、『夫婦共に信心を貫かなければ、君自身が苦労するよ』と厳愛のご指導でした。その言葉を指針として、夫婦で広布に歩んできました」
97年(平成9年)、長田区の婦人部長となり折伏に力走。復興への歩みの中、区で"ブロック1"の弘教も果たした。夫の好道さん(故人)は当時、副支部長として奮闘。5人の子どもも皆、後継の道を進んだ。
長田文化会館の3階へ階段を上る途中、先生は大形さんに言った。「御主人の役職は何になったの?」
30年前のことを覚えていたのである。
大形さんは「激務の合間を縫っての激励行の中で、ここまで一人のことに心を砕かれる先生のご慈愛に、感動が込み上げました」と振り返る。
あれから21年。師に直接、教えてもらった「一人を励ます」実践を続け、地域では自治会役員として信頼を広げる。「いくつになっても広布一筋で、苦しむ人々を救い続けます」
◇前田満晴さん
67年(昭和42年)3月29日、先生は六甲・有馬を車で訪問。「神戸北総区原点の日」となっている。
先生が魂魄をとどめた北区で活動する前田満晴さん(総区男子部書記長)は"学会2世"。両親ともに「重症筋無力症」と闘いながら、幼い満晴さんを連れて折伏に歩いた。
2007年(平成19年)10月、前田さんは第2回全国青年部幹部会に参加し、初めて先生との原点を刻む。感動を胸に仏法対話に挑戦し、翌月、弘教を実らせた。
仕事で行き詰まり、挫折を味わった時も、100万遍の題目に挑み、弘教を達成する中で、今の職場である障害者支援施設に再就職を果たす。
結婚後の妻の流産など、家族の宿命も題目と折伏で乗り越えてきた。「広布のため、先生のためにという誓願の祈りの偉大さを確信できました」
現在は施設でフロアリーダーを務め信頼を広げる。広布の庭では年間400回以上の訪問・激励を実践。一軒一軒のメンバーとの対話をノートに書き留め、徹底して友に寄り添う。
「常勝の誇りを胸に、師匠に応える新たな拡大の歴史を築きます!」
◇一緒に生きよう
震災復興のシンボル「鉄人28号」のモニュメント(神戸市長田区)
「湊川はどっち?」
2000年2月29日、長田文化会館3階の「常勝の間」に入った先生は、居合わせた友に聞いた。
湊川は楠木正成が最後の決戦に臨んだ地。正成の像は兵庫区の湊川公園に立つ。現在の新湊川は同会館のすぐ東を流れている。
正成と正行。父子の魂の継承をうたった"大楠公"は、恩師・戸田城聖先生が格別に愛し、青年に歌わせた思い出の曲である。
ピアノに向かった先生は、この曲を奏で始めた。
ゆったりと、しかし力強い響き。会場にはいつしか100人ほどの同志が駆け付けていた。
苦難を越えてきた友に、先生は語った。
「人生は戦いです。幸福になるための戦いです」
「どうか朗らかに! 朗らかな人には、だれもかなわない。そして忍耐をもって生き抜いていただきたい。一緒に人生を生きましょう!」
あの旋律、あの慈愛の声を思えば、限りない勇気が湧いてくる。
「先生と関西」の絆とは、すなわち「先生と私」の絆。こう決めた中央神戸の陣列から、新たな「常勝」の歴史は開かれる。
☆御書の旭光を 第35回 団結こそ無敵の力
〈御文〉
『今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱え奉る者は皆地涌の流類なり』(御義口伝、751ページ)
〈通解〉
今、日蓮とその弟子のように、南無妙法蓮華経と唱える者は、全て地涌の菩薩の流類なのである。
〈池田先生が贈る指針〉
創価の同志は、一人も残らず、偉大な使命を帯びて躍り出た地涌の菩薩だ。御本仏直系の我らの団結は、無敵の力で万事を成ずる。
この異体同心の要こそ経験豊かな副役職の宝友である。共に広布を誓い、不思議な宿縁で結ばれている。「自他彼此の心なく水魚の思を成して」、苦も楽も分かち合い、立正安国の共進を!
☆心に刻む御書 2021年の要文⑮ 三世諸仏総勘文教相廃立
【御文】
『言と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり』(三世諸仏総勘文教相廃立、563ページ)
【通解】
言葉というのは心の思いを響かせて、声に表したものをいうのである。
【池田先生の指針】
リーダーは、いかなる状況にあっても、富士のごとく雄大な心で、晴れ晴れと胸を張って、同志を包み、励ましていってもらいたい。
話し方ひとつとっても、若々しく、歌を歌うような、生き生きとした声で語るのだ。心のこもった声は必ず、相手の胸に入る。
(中略)
決して、一方的であってはならない。
「いい話が聞けてよかったな」と、皆が満足し、清新な決意で出発できるような工夫をお願いしたい。
(聖教新聞2009年12月4日付、代表幹部協議会での池田先生のスピーチ)
2021年6月16日水曜日
2021.06.16 わが友に贈る
多宝の皆さまに最敬礼!
広布の山を越えてきた
"幸福の達人"を模範に
皆が誓願を果たそう!
妙法尼御前御返事 P1402
『法華経一部の肝心は南無妙法蓮華経の題目にて候、朝夕御唱え候はば正く法華経一部を真読にあそばすにて候、二返唱うるは二部乃至百返は百部千返は千部加様に不退に御唱え候はば不退に法華経を読む人にて候べく候』
【通解】
法華経一部八巻二十八品の根本は南無妙法蓮華経の題目です。朝夕題目を唱えるならば、まさに二十八品のすべてを本当の意味で読まれたことになるのです。題目を二編唱えれば、法華経二十八品を二回読んだことになり、百遍であれば百回、千遍であれば千回読んだことになります。
このようにして、退転せずに題目を唱えていくならば、不退転に法華経を読む人になるのです。
名字の言 肉眼だけでなく、心に映る人まで励ます 2021年6月16日
身延におられる日蓮大聖人を、一人の女性門下が訪ねてきた。池上兄弟の弟・宗長が自分の大切な馬に乗せ、送り出したという。事情を知った大聖人は宗長の真心をたたえた。加えて"むしろ女房殿のお心づかいであろう"と宗長を陰で支える夫人を賛嘆した。これが御本仏のまなざしであられた▼さまざまな「もの」「こと」「人」を目の前にして、そこに何を見るか。それは、見る人の心の豊かさ、責任感、使命感など、境涯によって異なってくる▼65年前、池田先生は山口県に第一歩をしるした。以来、4カ月で計22日間、同志と対話に奔走。約10倍の広布拡大を成し遂げた。「山口開拓指導」である▼この活動に参加した友が、先生と顔を合わせた時のこと。具体的な取り組みの話があると思った友の予想に反し、先生は絵はがきの束を手に言った。「留守を預かる皆さんの家族に便りを出します」。各人の住所と家族の名前を聞き、その場で筆を走らせた▼表舞台で活躍する人。陰で支える人。それぞれが使命を果たしゆく時、ギアはかみ合い、2倍、3倍の力を発揮する。ゆえに肉眼に映る人だけでなく、心に映る人まで励ます——広宣流布の信心のなせるわざであり、受け継ぐべき法華経の将軍学である。
寸鉄 2021年6月16日
困難を避ける人には何もできぬ—戸田先生。勇み激戦の地へ。それが師子
中野の勝利が東京の勝利だ。さあ総力戦で拡大!あっと言わせる逆転劇を
荒川よ攻め上がれ。歴史開くのは庶民の大連帯!前進また前進で栄冠必ず
大田が乾坤一擲の猛攻。源流の天地に大勝旗を!スクラム固く混戦突破へ
福島女性の日。東北の要が立てば日本は変わる。不屈の心で幸の対話更に
〈社説〉 2021・6・16 「分散避難」など事前の検討を
◇豪雨災害への備えを万全に
コロナ禍の中で、再び本格的な大雨シーズンを迎えた。誰もが被災・避難の当事者になりうるとの前提に立つことが重要だ。
想像してみてほしい——外は横殴りの雨。行政からは「警戒レベル4」が発表された。このとき、誰かの指示を待たず、的確な避難行動が取れるだろうか。
災害時、人が取る行動について、イギリスの心理学者ジョン・リーチ氏が研究結果を示している。想定外の事態に直面した際、落ち着いて行動できる人は、わずか10〜15%。その他の人は、われを失ったり、当惑して動けなくなったりするという。
この心理傾向を人ごととしてはいけない。"自分は大丈夫だろう""いざとなったら考える"では、危険を回避できない。心構えと準備をしておくことが大切だ。
事前にハザードマップを見て、避難する場所や経路を検討しておきたい。多くの自治体で配布されているが、国土交通省の「ハザードマップポータルサイト」でも確認できる。
行政機関が発表する防災情報は、避難の目安となる。警戒レベルは5段階。「レベル3」の時点で、高齢者など移動に時間がかかる人は避難を始める。「4」は、危険な場所から全員が避難するタイミング。「5」は、すでに命の危険が迫っている。
避難の判断を鈍らせる一因が、新型コロナウイルス感染の懸念だろう。ただ、感染を心配するあまり、豪雨の被害に遭っては、本末転倒だ。行政による避難所の感染リスクの軽減策は不可欠だが、各自の備えも万全にしておきたい。
密集を避けるため、親戚や知人の家に身を寄せる、ホテルに泊まる「分散避難」も一つの手だ。ちゅうちょしないよう、普段から協力の確認をしておきたい。防災バッグには、マスクや消毒液、体温計も入っているだろうか。
中国の思想家・韓非子の格言に、「世異なれば則ち事異なる」「事異なれば則ち備え変ず」とある。つまり、「世の中が変化すれば、物事も異なってくる」「物事の変化に合わせ、その準備も変えなければならない」ということだ。
コロナ禍だけでなく、近年、豪雨被害が増えているのも明らかな変化だろう。かつての「異常気象」は、現在の「通常の気象」になったと認識を改め、命を守る、最善の行動を取っていきたい。
☆随筆「人間革命」光あれ 我らは「感激の同志」 2021年6月10日
◇喜び勝たなん 異体同心で前進!
御本仏・日蓮大聖人の御聖誕八百年に際し、改めて思い起こされる縁がある。
大聖人と「武蔵野」「武蔵国」との宿縁である。
無量の地涌の菩薩たちが末法の広宣流布を誓願する法華経の虚空会の会座を、大聖人は広大な武蔵野の天地になぞらえておられた。
そして御一代の総仕上げを武蔵国池上郷(現在の東京都大田区)で飾られ、この地で弟子に「立正安国論」を講義され、尽未来際への魂魄を留められたのである。
恩師・戸田城聖先生は、御本仏の遺業を継ぐ創価学会が、御在世から七百年のリズムで、不思議にも東京を起点に出現したことを、甚深の因縁とされていた。
今、この大東京を中心に地涌の誓友たちが法華経の会座さながらに勇み集い、立正安国の宝土を築きゆかんと奮闘している。それは、御本仏が展望された未来図通りのロマンの大絵巻といってよい。
◇牧口先生の実践
この六月六日、生誕百五十年を迎えた創立の師父・牧口常三郎先生が、「不惜身命」「死身弘法」を貫き、殉教されたのも、東京である。
牧口先生が所持する御書に、線を引いて大事にされた法華経の一節がある。
「能く竊に一人の為にも法華経を説かん、当に知るべし是の人は則ち如来の使なり乃至如来則ち衣を以て之れを覆い給うべし」(御書五八〇ページ)
ただ一人のためにも妙法を説く人は、まさに「仏の使い」であり、慈悲による仏の仕事を行う大切な存在なのだと示されている。
学会は創立以来、牧口・戸田両先生を先頭に、一人に向き合い、この仏の仕事を実践してきた。それが、互いの顔が見える少人数の座談会であり、胸襟を開いた一対一の対話である。
「屡談話を致さん」(同一七ページ)と「立正安国論」に仰せの通り、「さあ共に語り合おうではないか!」と皆の幸せと世の安穏を祈り、打って出てきたのだ。
牧口先生は戦時中の二年間にも、座談会を二百四十余回行ったと記録されている。さらに毎週、自宅などで会員と面談し、信心指導を積み重ねておられた。
軍部政府の圧迫下でも、徹底して民衆の中へ飛び込み、誠実に一対一の対話を何度も繰り返されたのだ。
牧口先生は、法難で囚われた獄中でも、身近に接した看守を折伏されていた。戸田先生もそうであった。
いかなる状況であれ、地涌の誓願に立って縁する「一人」と語らいゆくのだ。そこに、必ず「下種仏法」の幸の仏縁が結ばれ、勝利の道が開かれると、両先生は教えてくださっている。
我らの「東京の歌」にある如く、「仏の使いに誇りあり」と胸張り進むところに、「喜び勝たなん力」が満々と涌現するのだ。
◇女性活躍を願い
牧口先生は、当時、豊島の西巣鴨にあった東京拘置所から、豊島の目白にある自宅に手紙を送られている。
奥様はじめ、ご家族の女性方に宛ててである。今でいえば「女性部」であり、世代では"多宝会"と"華陽会"である後継に、一切を変毒為薬する「師子王の心」を綴り、託されていたのだ。
先生の生誕日を挟んで、六月四日は世界の華陽姉妹の記念日であり、きょう六月十日は婦人部の結成から七十年の記念日となる。
今、勇気凜々と躍動する女性部と女子部の一人ひとりの活躍を、先師もどれほど喜ばれていることか。
◇ここで一人立つ
師弟は不二なるゆえか、一九四四年(昭和十九年)の十一月、牧口先生が獄死された同時期、同じ拘置所の独房で、戸田先生は、「われ地涌の菩薩なり」と覚知され、広宣流布の大誓願を起こされていた。
翌年六月の末、先生は、中野の豊多摩刑務所に移送となり、七月三日の夕刻、鉄鎖を切った師子王の如く出獄された。そして自宅への帰途、降り立ったのが目黒駅である。周囲の目黒、品川を見渡せば、焼け野原が広がっていた。
先生は、ここから広布へ一人立ったのだ。私も、雨の中、目黒通りの権之助坂を歩む師にお供するなど、この地の思い出は尽きない。
戸田先生が戦後、学会再建へ最初の座談会を行われたのは、七十五年前、東京の蒲田区(当時)であった。
その翌年、先生が「立正安国論」を講義されていた大田区内の座談会で、私は師弟の契りを結べたのだ。
先生は、よく言われた。
——二人でも三人でもよい。信心の素晴らしさを語り合って、皆が感激に満ちて帰っていく。これが第一線の発展の力なんだ、と。
◇立正安国の朝へ 誠実の対話に誇りあり
勇敢なる青年と民衆の大城を築きゆけ!——友を励まし、見守り続けて(2008年6月、東京・八王子市内で)
◇爆発的な連鎖が
人の世を動かすものは「感激」にほかならない。
日本経済の黎明を開いた大実業家・渋沢栄一翁も、こんな言葉を残している。
「一朝、事に臨んで感激すれば、自ら意気の奮興するものである」
今日の学会の世界的な広がりも、恩師の獄中の悟達という、広布の使命に生きる感激が源流といえよう。
この感激の爆発的な連鎖を生んだ舞台の一つが墨田である。この地で戸田先生も私も会長に就任し、広布の大前進を開始したのだ。共戦の師弟には、随喜の感激があり、「元初の生命の曙」が燦然と輝いている。
渋沢翁に縁深き北区の飛鳥山公園の麓、王子駅前の会場で、戸田先生が出席されて草創の足立支部の総会が行われたことがある。
学会の組織が飛躍的に伸展した一九五三年(昭和二十八年)の五月であった。
足立区はもとより、北区、荒川区、板橋区などから、広布を誓って勇んで参集した健気な庶民の英雄たちに、先生は師子吼された。
「信心が深ければ生活は一変する。運命を転換できる。苦しんでいる人びとを救わんがため、仏の事業をする学会に、功徳がないわけがない」と。
四年後、荒川の夏季ブロック指導の折、私が随喜の心で共に戦った勇者には、この総会に参加していた方々も大勢おられた。
◇兄弟姉妹の絆で
思えば、大聖人を武蔵国にお迎えしたのは、池上兄弟の一家であった。悪僧に誑かされた父からの二度の勘当に屈せず、凱歌の実証で師恩に報いたのである。
「いよいよ・をづる心ねすがた・をはすべからず」「がうじゃう(強盛)にはがみ(切歯)をしてたゆ(弛)む心なかれ」(御書一〇八四ページ)との御指導に、兄弟は奮い立ち、苦難を乗り越えることができた。異体同心で勝ちゆくその姿を、大聖人は「未来までの物語」と讃えてくださったのである。
とりわけ、池上家においても、女性の信心の力が偉大であった。大聖人は兄弟の妻たちに「末代悪世の女人の成仏の手本と成り給うべし」(同一〇八八ページ)と記別を贈られている。
まさに三十年前、邪宗門の忘恩背信が吹き荒れた時、本陣・東京の母たち女性たちが「創価ルネサンス」の旗を高く掲げ、全世界の先頭に立って破邪顕正の声を上げてくれたことも、私と妻は決して忘れない。
ともあれ、我らの立正安国の前進も"異体を同心とする"団結から生まれる。
友が悪戦苦闘していると聞けば、我が事の如く祈り、応援する。「友の喜び友の歎き一つなり」(同九三四ページ)との御聖訓に違わず、兄弟姉妹の仲良きスクラムで、いかなる逆境をもはね返してきたのが、創価家族だ。
中野兄弟会はじめ、大田、目黒、豊島、墨田、江東、新宿、調布、狛江、町田、"村山"など各地に兄弟会があり、共戦の師子の連帯が大河の如く流れ通っている。
大聖人も渡られた多摩川に接する調布にゆかりの、作家・武者小路実篤翁は壮年の頃、試練の中で書いた。
「今が大事な時だ」
「我等はもう一歩進まなければならない。あらゆる方面で、決心強く働き出さなければならない」
大変であればあるほど、皆で励まし合える絆こそ、かけがえのない宝である。
日本中、さらに世界中の不二の宝友が、東京を「広宣流布」即「立正安国」の本陣として大切にし、心一つに前進と勝利を祈り、尽くしてくださる。何と有り難き「感激の同志」であろうか!
まさしく大東京は、創価の勇気が総結集した「大勇の城」そのものなのだ。
◇負けじ魂で挑め
江戸っ子の私にとって、東京は大恩ある故郷だ。
この天地に、地球社会を照らす幸福と安穏、平和と繁栄の「価値創造の花の都」を断固として築き開きたいと、祈り続けている。
青春時代から、「波浪は障害にあうごとに、その頑固の度を増す」を信条に、ここ東京を主戦場として、苦難にぶつかる度に、来るなら来いと、わが胸中の怒濤をたぎらせてきた。
「怒濤の人生」——これは、創価の師弟の覚悟だ。激しき波音が吼えるように、負けじ魂で頑強な巌をも打ち砕いていくのだ。
青年の七月、師弟の七月へ、我らは決然と進もう!
「感激の同志」のにぎやかな大行進で、立正安国の新たな朝へ、希望の鐘を打ち鳴らそうではないか!
☆心に刻む御書 2021年の要文� 法蓮抄
【御文】
『今法華経と申すは一切衆生を仏になす秘術まします御経なり、所謂地獄の一人・餓鬼の一人・乃至九界の一人を仏になせば一切衆生・皆仏になるべきことはり顕る、譬えば竹の節を一つ破ぬれば余の節亦破るるが如し』(法蓮抄、1046ページ)
【通解】
今、法華経というのは、一切衆生を仏にする秘術がある御経である。いわゆる地獄界の一人、餓鬼界の一人、そして九界の中の一人を仏にすることによって、一切衆生が皆、仏になることができるという道理が顕れたのである。たとえば、竹の節を一つ割れば、他の節もそれにしたがって割れるようなものである。
【池田先生の指針】
社会は激流である。強き生命力と、不動な信念と、豊かな智慧なくしては、渡り切っていくことはできない。その源泉は、信心しかないのだ。
彼(山本伸一=編集部注)は、日々、支部員の幸せを祈り抜いた。自らが弘教の先頭に立って戦い、慈折広布の実践を教え示した。それは、幸福になるための直道を伝えることでもあった。
(中略)自身が幸せになるための、信心であり、弘教であり、広宣流布である。伸一は、何よりも、そのことを、全支部員に知ってほしかった。そして、幸せの実証を示してほしかったのである。
(第26巻「法旗」の章)
2021年6月15日火曜日
2021.06.15 わが友に贈る
地区部長・女性部長を軸に
皆が広布の主体者たれ!
異体同心の団結固く
歓喜と幸福の大行進を!
聖人御難事 P1190
『月月日日につより給へすこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし』
【通解】
月々日々に信心を強めていきなさい。少しでもたゆむ心があれば、魔がそのすきにつけこんで襲ってくるであろう。
名字の言 諦めるのか、挑むのか 2021年6月15日
"ロケット開発の町工場"として有名な植松電機は元々、北海道の炭鉱で使うモーターの修理会社だった▼炭鉱閉鎖後は、車の部品修理業を営んだが、時代の変遷とともに仕事が減少。リサイクル業を手伝うことにした。それは大量のごみの山から鉄くずを分別する危険な作業だった▼現場で働く人々は"仕事だからしょうがない"と厳しい労働に耐え続けていた。だが同社の植松努氏は、これをチャンスと捉え、分別に使う強力マグネットを開発する。「やったことがないことをやってみれば、今までになかった知恵と経験を得られます」と氏。同社の事業は、後に宇宙にまで発展した(『空想教室』サンクチュアリ出版)▼"こんな状況だから仕方ない"と諦めるのか。"こんな状況だからこそ、できることがある"と挑むのか。厳しい現実の中でも新しい一歩を踏み出せば、希望の光が見えてくる▼仏法は煩悩即菩提を説く。それは苦しみをありのままに受け入れようという、安易な現状肯定の気休めではない。「即の一字は南無妙法蓮華経なり」(御書732ページ)。私たちには、運命を使命に、苦難を人間革命の糧に変えゆく妙法がある。この信心で乗り越えると一念を決めれば、無限の智慧が湧いてくる。
寸鉄 2021年6月15日
「言と云うは心の思いを響かして声を顕す」御書。たった一言も真心込めて
調布・狛江の大逆転こそ東京凱歌の決定打。総力の拡大で栄光のドラマを
目黒が緊迫!ここからが負けじ魂の見せ所。一丸となって勝利へ押し上げ
豊島よ反転攻勢今こそ!執念と粘りの対話で断固せり上がれ。皆で大応援
栃木女性部の日。敢えて闘う創価の太陽に福徳は燦然。立正安国へ颯爽と
☆6月度座談会拝読御書 祈祷抄
◇拝読御文
『大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず』(御書全集1351ページ18行目〜1352ページ1行目、編年体御書519ページ18行目〜520ページ1行目)
[池田先生の指針から]一切を揺り動かす祈り
大事なのは、力強い確信の祈り、必ずこうするという決意の祈りです。(中略)
「法華経の兵法」で祈り抜き、元品の無明を打ち破っていくのです。祈りを忘れ、いたずらに方法論ばかりに走ってしまえば、せっかくの行動も空転に終わりかねない。「法華経の行者の祈り」を貫いてこそ、最高の勝利が約束されるのです。
言うまでもなく、漠然と祈っているだけで、願いが叶うのではありません。信心しているからこそ、真剣に祈って智慧を出し、誰よりも勇敢に忍耐強く挑戦し抜いていくのです。
どこまでも、仏法は、道理を重視する宗教だからです。(「大白蓮華」2021年2月号「世界を照らす太陽の仏法」)
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
たとえ一遍の題目でも、全宇宙に通じます。いわんや「心」「一念」をこめた題目は、一切を揺り動かしていく。(中略)
ともあれ、「わが身が妙法の当体なのだ」と深く深く確信した題目、「私は、仏の使いとして、妙法を弘めるために生きるのだ」と一念を定めた題目が、御本尊に響かないはずはない。宇宙に届かないはずはない。必ず自在の境涯になっていく。
もちろん、何事においても、初めから"達人"にはなれません。さまざまな障壁を乗り越え、また乗り越え、進み続けてこそ、"達人"のごとき境涯が開いていく。
信心も同じです。自分に負けて、決意がうすれていく場合もある。思いどおりにいかず、あせる場合もある。けれども、ともかく唱題し続けていく。願いが叶おうが、すぐには叶うまいが、疑うことなく、題目を唱えぬいていく。
そうやって信心を持続した人は、最後には必ず、自分自身にとって"これがいちばん良かったのだ"という、価値ある「最高の道」「最高の峰」に到達できる。すべてが喜びであり、使命であると言いきれる、「所願満足の人生」を築くことができる。それが妙法であり、信仰の力です。(指導選集『幸福と平和を創る智慧』第1部[上])
◇信心を貫けば必ず最高の峰に
[キーワード�]所願満足の人生を
日蓮大聖人は本抄で、「法華経の行者」の祈りが叶わないことは絶対にないと教えられています。
とはいえ、現実はさまざまな困難の連続です。懸命に祈ったにもかかわらず、"願った通りの結果が出ない"と感じる時があるかもしれません。
御書には「蓮華と申す花は菓と花と同時なり」(1580ページ)と仰せです。仏法では、蓮華の花と実が同時に成長するのと同様に、仏の生命を開く原因と結果も、同時に具わるという「因果倶時」の法理を説きます。
祈った結果、功徳が目に見える形で「変化」としてあらわれるまでの時間は、人それぞれです。しかし、因果は「倶時」であるからこそ、祈った瞬間に、すでに自身の生命は変化しています。なかんずく、「法華経の行者」として、広宣流布のためにと祈り、行動する今の一念の「因」に、幸福という「果」も厳然と輝きます。すぐには願いが叶わないように見えても、最後に必ず、所願満足の人生を飾っていけるのが日蓮仏法の信心です。
池田先生は語っています。
「祈った瞬間に、生命の闇は消えるのです。因果倶時です。生命の奥底では、その瞬間に、もう祈りは叶っているのです」
私たちの信心に、行き詰まりはありません。
表面上は苦悩の渦中にいようとも、生命の次元では、「永遠の幸福」の軌道を歩んでいることは間違いない——。そう確信して、どこまでも強盛な信心を貫き、幸福境涯を勝ち開いていきましょう。
[キーワード�]創価の常勝の方程式
"祈りが叶う"といっても、漫然とした祈りでは、本当の意味で願いを叶えることは難しいでしょう。
御書には「叶ひ叶はぬは御信心により候べし」(1262ページ)、「神の護ると申すも人の心つよきによるとみえて候」(1186ページ)とあります。
日蓮大聖人の仏法は、自己を超越した存在に願いを叶えてもらう"おすがり信仰"ではなく、自分自身が強盛な信心で生命力を発揮し、大宇宙をも揺り動かし、不可能を可能にしていく信仰です。ゆえに、私たちの祈りの深さで、諸天善神の働きも決まります。
大事なことは、御本尊に向かう私たちの"祈りの姿勢"です。
目の前の一つ一つの課題に対して"必ず乗り越えてみせる"と一念を定めて強盛に祈る時、自身の秘めた力が開きあらわされ、諸天善神も力強く動きます。
何より、自己の無限の力を引き出す根本は、「師弟不二の祈り」にほかなりません。
池田先生はつづっています。
「真の師匠は、弟子に勝利の道を示してくださる。いな、師弟に徹し抜く中にこそ、『必勝の力』は、滾々と湧き出ずるのだ。仏・菩薩、諸天善神の絶対の加護も現れるのだ」
師と共に戦い、人生のあらゆる戦いに必ず勝利してみせる——。この祈りこそが"常勝の方程式"です。
大聖人は「磁石の鉄をすうがごとし」(御書1347ページ)と仰せです。広布を誓う「師弟不二の祈り」によって、磁石が鉄を吸い寄せるように、明確な"結果"を引き寄せることができるのです。
☆心に刻む御書 2021年の要文� 御義口伝
【御文】
『一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり』(御義口伝、790ページ)
【通解】
一念に億劫の辛労を尽くして、自行化他にわたる実践に励んでいくなら、本来わが身に具わっている仏の生命が瞬間瞬間に現れてくる。いわゆる南無妙法蓮華経は精進行である。
【池田先生の指針】
<山本伸一は、「御義口伝」の一節を胸に進んできた真情を語る>
「この御文は、苦難を恐れぬ、真剣勝負の戦いがあってこそ、自身の一生成仏、人間革命、境涯革命があることを教えられているんです。
私の日々は、ある意味で、大地にわが身を叩きつけるような、苦闘の連続だった。
涙も涸れるような悲痛な時を、何度も経験してきました。
そのなかで、この御文を心の支えに、わが心を燃え上がらせ、唱題に唱題を重ね、すべて乗り越えてきたんです。
私は勝ちました。
君も、広宣流布のため、人びとの幸せのため、自身の未来のために、勇んで辛労を尽くしていくんだよ」
(第26巻「厚田」の章)
☆御書の旭光を 第34回 「心こそ大切」の信仰の極意を
〈御文〉
『我等は穢土に候へども心は霊山に住べし、御面を見てはなにかせん心こそ大切に候へ』(千日尼御前御返事、1316ページ)
〈通解〉
我らは穢れた国土に住んではいるが、心は霊山浄土(仏国土)に住むことができる。お顔を見たからといって何になろう。心こそ大切である。
〈池田先生が贈る指針〉
「心こそ大切」とは仏法の極意である。いかなる逆境にも、我らの心は御本仏と共に、妙法と共にある。この心から無限の希望を生み出し、幸福の常寂光土を広げていけるのだ。
新生・女性部の友よ、ヤング白ゆり世代を先頭に、華陽姉妹と共々に、太陽の心を光らせ、家族へ友人へ、地域へ社会へ、勇気の笑顔を!
☆心に刻む御書 2021年の要文� 四条金吾殿御返事
【御文】
『なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし、「諸余怨敵・皆悉摧滅」の金言むなしかるべからず、兵法剣形の大事も此の妙法より出でたり、ふかく信心をとり給へ、あへて臆病にては叶うべからず候』(四条金吾殿御返事、1192ページ)
【通解】
どのような兵法よりも法華経の兵法を用いていきなさい。法華経薬王品第23に「諸余の怨敵は、皆悉摧滅せり」と説かれる金言は決して空しいはずがない。兵法剣形の大事もこの妙法から出たものである。深く信じていきなさい。臆病であっては何事も叶わないのである。
【池田先生の指針】
行き詰まったら原点に返ることだ。唱題から出発するのだ。妙法は宇宙の根源の法なるがゆえに、妙法への祈りこそ、一切を動かす原動力となるのだ。
(第22巻「潮流」の章)
2021年6月14日月曜日
2021.06.14 わが友に贈る
生死一大事血脈 P1337
『所詮臨終只今にありと解りて信心を致して南無妙法蓮華経と唱うる人を「是人命終為千仏授手令不恐怖不堕悪趣」と説かれて候、悦ばしい哉一仏二仏に非ず百仏二百仏に非ず千仏まで来迎し手を取り給はん事歓喜の感涙押え難し』
【通解】
所詮、臨終只今にあると覚悟して信心に励み南無妙法蓮華経と唱える人を普賢菩薩勧発品には「是の人命終せば、千仏の手を授けて、恐怖せず悪趣に堕ちざらしめたもうことを為」と説かれている。よろこばしいことに、一仏二仏ではなく、また百仏二百仏ではなく千仏まで来迎し手を取ってくださるとは歓喜の涙、押えがたいことである。
☆不二の旅 第11回 池田先生と関東
◇恐れなき敢闘精神で威風も堂々と!
「不二の旅」の第11回は、関東を紹介。池田先生が"恐れなき敢闘精神で、威風も堂々と勇猛精進を"と望んだ関東最高協議会でのスピーチ(抜粋)とともに、各県での激励行を紹介する。
・1971年10月、埼玉・上尾市の上尾運動公園体育館で行われた記念撮影会。"大河の流れのような信仰を貫き、仲良く団結して前進を"と呼び掛けた
・1985年9月、第1回千葉青年平和文化祭で出演者を激励。"偉大な千葉県を君たちの手で"と、限りない期待を寄せた(成田市体育館で)
・「戦うべき時には断固戦う"誉れの信心"を」と訴えた第1回群馬県総会。総会に集った未来部の友にエールを送る(1991年8月、渋川平和会館<当時>で)
・1982年2月、先生は6日間にわたる「厳寒の茨城指導」へ。鹿島会館(当時)でピアノを弾き、不屈の信心を貫く一人一人に希望の灯をともした
・「成長、活躍をいつも祈っています」——栃木県の第1回「創価同窓の集い」に参加した友と記念のカメラに(1990年6月、栃木研修道場で)
◇関東の友に贈った指針
関東——その名を聞くと、私は何ともいえない「心強さ」を覚える。関東には、キラ星のごとく人材が輝いている。
関東が強くなれば、大東京も強くなる。関東が威光勢力を増すことは、日本全体、さらに全世界の広宣流布の威光勢力を増すことである。
関東こそ「創価の柱」であり、「学会の要」なのである。
◇
この関東に、殉教の師・牧口先生は、特高警察の監視の目が光るなか、折伏、指導の歩みを運ばれた。「人生においては、率先して実行することが大切である」——これは、先生の一貫した信念であった。
さらに、不二の弟子たる戸田先生は、戦後の広宣流布の率先の第一歩を、この関東の座談会から始められたのである。
戸田先生は厳しく言われた。
「大勇猛心と大闘争心なくしては、広宣流布はできぬ!」
権威の命令でもない。要領でもない。指導者の不惜身命、死身弘法の行動によって道は開かれた。それが、学会の勝利を可能にしたのである。
◇
どんな困難にぶつかっても、強く生きることだ。強いことは幸福である。そこに誇りが光る。
弱いのは、意気地なしである。人からも、ばかにされる。強く、強く生き抜くことだ。
今いるその場が、使命の舞台である。広布と人生の勝利のために、思いっきり、戦うことだ。そうでないと、自分が損をするからだ。
思いっきり戦えば、功徳も大きい。それが信心の世界、広宣流布の世界である。
◇
皆さまは、御本尊をたもち、広宣流布を担っておられる。人間として最も尊い生き方である。恐れるものは何もない。
どうか、勇気を持ち、誇りを持って、どんな立場の人に対しても、創価の正義を、人間主義の哲学を、堂々と語り抜いていただきたい。
(関東最高協議会<2003年8月>でのスピーチから抜粋)
☆心に刻む御書 2021年の要文� 百六箇抄
【御文】
『法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し』(百六箇抄、856ページ)
【通解】
法が自然と弘まっていくことはない。人が法を弘めていく故に、人も法もともに尊いのである。
【池田先生の指針】
「人」がいてこそ、対話が成り立つ。死身弘法の「人」がいてこそ、広布の大道は開かれる。ゆえに、「人」という存在が極めて重要な意義をもつことは、当然の理である。
(第2巻「勇舞」の章)
2021年6月13日日曜日
2021.06.13 わが友に贈る
真実に勝る雄弁なし。
「弥よ申し聞かすべし」
胸を張り誠実に語ろう!
そこに幸の仏縁と
希望の宝土が広がる。
2021年6月13日
強仁状御返事 P184
『身命を仏神の宝前に捨棄して刀剣武家の責を恐れず昼は国主に奏し夜は弟子等に語る』
【通解】
日蓮は、わが身命を仏神の宝前に捧げて、刀剣をもって斬られることも、幕府から罰せられることも恐れず、昼は国主に訴え、夜は弟子たちに語り聞かせたのである。
名字の言 ハーリーの鉦が鳴ると梅雨が明ける 2021年6月13日
沖縄には「ハーリーの鉦が鳴ると梅雨が明ける」という言い伝えがある。「ハーリー」とは、ユッカヌヒー(旧暦5月4日)を中心に開催される爬竜船競漕。航海の安全と豊漁を願う催しだ。今年は、きょうがその日に当たる▼糸満では、船を転覆させて元に戻し、再び乗り込んで漕ぎ出す転覆競漕が行われてきた。命に危険が及ぶ荒海の漁でも逆境をはね返す、漕ぎ手の技術と力強さを競うもの▼荒れた高校時代を過ごした沖縄の男子部員は、就職後も周囲に流される生活に嫌気が差し、自暴自棄に。それでも学会の先輩に励まされ、前を向いた彼は創価大学への進学を決意する。その最中にがんが見つかった母への報恩を誓い、猛勉強の末、合格。母も病を乗り越えた▼創大を卒業し東京で就職した後、父の会社が倒産の危機に。帰郷した彼は父を支え、立て直しに奔走。やがて業績は最盛時にまで回復し、負債も完済した。"試練が人を強くする"——彼の確信に触れ、友が入会した▼きょうを経て夏至を迎え、「夏至南風」が吹くと、沖縄は一足先に梅雨が明ける。コロナ禍でハーリーは中止されたが、海の安全と感染の終息を心から願いたい。苦難の荒波を越えた先に"勝利の鉦"は鳴り響くと固く信じて。
寸鉄 2021年6月13日
真昼の太陽の如き功徳を受け切る信心—戸田先生この感激、全ての同志と
目黒よ勝負の時は今だ!火の玉となって壁を破る猛拡大を。皆で大逆転へ
中野が気迫の追い上げ。さあ東京凱歌の金星を!勇敢なる対話を総力戦で
青森の日。人材の森から民衆勝利の時代を。"何事も2倍"の心意気で挑戦
自粛生活の長期化で疲れ感じる—7割。爽やかな励ましで友の心に涼風を
☆【牧口先生生誕150周年記念特集�】 先生の名を冠した世界各地の「公園・通り」
牧口常三郎先生の名を冠した公園や通りなどが、世界各地に整備されている。「牧口先生生誕150周年記念特集�」では、主な公園・通りを紹介する。
◇正義と平和の実現にささげた"創価の父"の崇高な生涯を宣揚
「価値創造の教育学を確立し、軍国主義と戦い抜かれた生涯をたたえて」(ブラジルのサンジョゼ・ドス・カンポス市)
「第2次世界大戦中に平和の信念を貫かれた牧口初代会長。その信念を受け継ぎたい」(イタリアのカプライア・リミテ市)
「わが町のシンボルとして、青年たちが語り合い、創価の希望の哲学を学んでいくことを願っています」(パラグアイのルケ市)
各都市が、牧口先生の名を公園・通りに命名することで、市民の理想とする人物であることを示し、その功績を宣揚してきた。
1996年、ブラジルのクリチバ市に誕生したのが「牧口常三郎公園」である。同公園には99年、牧口先生の胸像が設置された。その除幕式で市長は語った。
「『正義』と『平和』の実現という尊い使命に生ききった、"創価の父"牧口会長の姿に私たちも学び、理想の人生を歩んでいかなければなりません。続いていかなければなりません。牧口公園は、『平和』と『幸福』へのシンボルとなると、確信しています!」
◇ブラジル クリチバ市
1996年6月、牧口先生の名を冠した公園として世界で最初に開園した「牧口常三郎公園」。胸像が市民らを見守る
◇ブラジル ヒベイロン・プレット市
2000年10月に行われた「牧口常三郎先生公園」の開園式。来賓は「この公園は、SGIの功績を永遠のものとする歴史的な事業」と賛辞を寄せた
◇ブラジル サンベルナルド・ド・カンポ市
2008年8月に誕生した「牧口常三郎公園」。開園式で市長は「この公園は、民衆の教育と平和、そして、繁栄の象徴」と語った
◇イタリア パッシニャーノ・スル・トラジメーノ市
「教育の目的は子どもの幸福」との牧口先生の教育理念に賛同し、2001年4月に開通した「牧口常三郎通り」。地元の小・中学生の通学コースにもなっている
◇イタリア カプライア・リミテ市
平和の信念を貫き通した生涯をたたえる「牧口常三郎平和公園」は、市民の憩いの場(2002年5月開園)。"花の都"フィレンツェの郊外に位置する
◇パラグアイ ルケ市
わが市に創価の希望の哲学を!——市民の強い要望によって命名された「牧口常三郎先生通り」。周辺には「池田大作博士公園」「戸田城聖先生通り」「SGI通り」も
〈主な公園・通りなど〉
【ブラジル】
◎イタペビ市「牧口常三郎先生通り」
◎クリチバ市「牧口常三郎公園」
◎サンジョゼ・ドス・カンポス市「牧口常三郎通り」
◎グアラチンゲタ市「牧口常三郎通り」
◎モンテ・アウト市「牧口常三郎先生庭園」
◎ヒベイロン・プレット市「牧口常三郎先生公園」
◎サンジョゼ・ドス・ピニャイス市「牧口常三郎通り」
◎カンピーナス市「牧口常三郎公園」
◎ソロカバ市「牧口常三郎通り」
◎フランカ市「牧口常三郎公園」
◎サンベルナルド・ド・カンポ市「牧口常三郎公園」
◎サンパウロ市「牧口先生公衆衛生技術学校」
◎タクアリチンガ市「牧口常三郎先生環境広場」
◎マリンガ市「牧口先生環境教育公園」
【イタリア】
◎パッシニャーノ・スル・トラジメーノ市「牧口常三郎通り」
◎カプライア・リミテ市「牧口常三郎平和公園」
◎チェチナ市「牧口広場通り」
【パラグアイ】
◎ルケ市「牧口常三郎先生通り」
2021年6月12日土曜日
2021.06.12 わが友に贈る
真っ先に駆け付ける!
一番苦闘している同志に
最大のエールを送る!
異体同心で進もう!
法門申さるべき様の事 P1271
『師子の中の虫師子をくらう、仏教をば外道はやぶりがたし内道の内に事いできたりて仏道を失うべし仏の遺言なり』
【通解】
師子の身中の虫が師子を食らうのであって、仏教を外道は破りがたい。仏教の内部に事が起こって仏教を滅ぼすであろう。これが仏の遺言である。
名字の言 強敵が人を成長させる 2021年6月12日
スポーツなどの勝負の世界で自陣の力量を的確に把握しているのは、自分よりもむしろ敵方かもしれない。自陣を評する場合、情が入り込む分、過大評価や過小評価をしがちだ。片や敵方はこちらを冷徹に分析し、弱点を突いてくる▼そんな手ごわい敵と相対することで、本物の力はつく。御書に「今の世間を見ると、人を良くするものは、味方よりも強敵が人をよく成長させる」(917ページ、通解)と。順風より、試練の逆風と向き合う中で、強い自分が鍛え上げられていく▼東北で寿司職人として働く壮年部員がいた。彼の腕の良さに店の客も増えた。一方で、先輩後輩の関係に厳しい修業の世界。いじめとも思える先輩の態度に苦しんだ▼それでも彼は"一流の職人になって、使命の道を歩み抜く"と黙々と精進を重ねた。信念を貫けば、本物の信用が残る。ある日、東京の一流店から「一番の職人をよこしてほしい」という申し入れが、店にあった。その際、彼を強く推したのは、かの先輩だった。厳しく接しながらも、その実力は認めていたのだ。壮年は新たな使命の舞台に進出した▼敵は憎悪では倒せない。相手をもうならせるほどの誠実と真剣の挑戦を重ねる中で、「勝利」への活路は開かれる。
寸鉄 2021年6月12日
「強言なれども人をたすくれば実語」御書。勇気の言は友の心に希望を灯す
調布・狛江が猛反撃!「まことの時」は今。電光石火の拡大で栄光の峰を登攀
豊島よ断じて勝ちゆけ!師子に恐れなし。攻めに攻めて痛快な大逆転劇を
昨年、保有国の核兵器への支出額増。感染禍でも。市民の監視と声絶やすな
接種予約代行などの詐欺続々。不安煽る嘘も多し。慌てずに公的情報を確認
〈社説〉 2021・6・12 苦難に光るユーモアの精神
◇笑いは人間関係の潤滑油
法華経の寿量品に、「未曽暫癈」と説かれている。仏は少しもたゆむことなく、人々を救い続けていくとの意味だ。
「未曽暫癈」について、戸田先生はこう語っている。「われわれに日曜日がありますが、御本尊様には日曜日がないんですよ。御本尊様が『今日は休みだ』なんていったら都合が悪いでしょう」
恩師の指導は分かりやすく、深く、ユーモアにあふれていた。
池田先生の識者との対話も、ユーモアに満ちた場面が多い。例えば、女性初の宇宙飛行士・テレシコワ氏との会見。旧ソ連時代で、国家体制の違いもあり、初対面の語らいは緊張が漂う時間もあった。
硬い雰囲気の中、先生は「一つ重大な質問をさせていただきます」と切り出した。身構える氏に、先生は、「(宇宙への)飛行中、恋人のことは考えましたか」と。すると、氏は「恋人を搭載せずに、地上に残したまま飛行してしまったにもかかわらず、私の心臓はいたって順調に鼓動していました」と応えた。このやりとりに、会見の場はどっと沸き、張り詰めた空気は和らいでいった。
笑いには冷笑やジョークなど、幾つかの種類がある。ユーモアは、人と人を結び合わせる、人間関係の潤滑油だ。それは、相手を包む広々とした心から生まれる生活の知恵であり、人格の力である。
哲学者アルフォンス・デーケンは、ドイツにおける「ユーモア」の定義は「にもかかわらず笑うこと」と述べている(『ユーモアは老いと死の妙薬』講談社)。彼によれば、自らが苦難の渦中にあっても、他者に少しでも喜んでもらおうと、ほほ笑みかける心遣いこそが、ユーモアの原点だという。
コロナ禍の今、日常生活で笑う機会が減少したといわれる。矛盾や分断を抱える時代だからこそ、「にもかかわらず」というユーモアの力強い精神が求められよう。
その根幹の力こそ宗教ではないか。日蓮大聖人は竜の口の法難の際、四条金吾に「これほどの悦びをば・わらへかし」(御書914ページ)と仰せになられた。苦難の極限すら笑い飛ばす大境涯を開いていく。危機の今こそ、人間革命の宗教の本領を発揮する時である。
社会の宿命転換のため、「未曽暫癈」の一念を燃やし、きょうも友と語り合おう。主客対話の書「立正安国論」の主人のように、柔和な笑顔をたたえつつ。
☆御書の旭光を 第33回 高等部こそ万代勝利の源流
〈御文〉
『根深ければ則ち条茂く源遠ければ則ち流長きが如し』(御義口伝、715ページ)
〈通解〉
根が深ければ、大木となって枝や葉は茂り、水源が遠ければ、川の流れが長いようなものである。
〈池田先生が贈る指針〉
若くして、妙法という最も深遠な哲理を持った生命は、必ず偉大な幸福勝利の大樹と育つ。今は地道に粘り強く努力の根を張り、未来へ英知の葉を、友情の花を、平和の実をもたらすのだ。
わが高等部の成長こそ、21世紀から22世紀までも潤す希望の源流である。ほとばしる生命力で試練の巌を越え、学び鍛えてくれ給え!
☆心に刻む御書 2021年の要文� 御義口伝
【御文】
『今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは生死の闇を照し晴して涅槃の智火明了なり(中略)煩悩の薪を焼いて菩提の慧火現前するなり』(御義口伝、710ページ)
【通解】
いま日蓮と門下が南無妙法蓮華経と唱え奉る時、生死の闇を照らし晴らして、涅槃(悟り)の智慧の火が明るく輝くのである。
(中略)煩悩という薪を焼いて、菩提(悟り)という智慧の火が現れるのである。
【池田先生の指針】
<伸一は、学生部への「御義口伝」講義で真実の仏法の哲理と学会精神を伝える>
「ここでは、その煩悩を燃やしていくなかに、仏の悟り、智慧があらわれると言われている。ここに大聖人の仏法の特質がある。真実の仏法は、決して、欲望を否定するものではないんです。
(中略)その欲望をバネにして、崩れざる幸福を確立していく道を説いているのが、大聖人の仏法です。
みんなが大学で立派な成績をとりたいと思うのも、よい生活をしたいというのも煩悩であり、欲望です。また、この日本の国を救いたい、世界を平和にしたいと熱願する。これも煩悩です。大煩悩です。煩悩は、信心が根底にあれば、いくらでも、燃やしていいんです。むしろ大煩悩ほど大菩提となる。それが本当の仏法です」
(第6巻「若鷲」の章、357〜358ページ)
☆みんなで学ぶ教学 第17回 下種仏法
◇自分らしく喜びを語り広げよう
今回の「みんなで学ぶ教学」は、「下種仏法」がテーマです。私たちが友人に妙法を語り聞かせることは、友の心に"幸福の種"をまく下種であり、仏の振る舞いを実践することです。どうやら、新入会者のリホさんが、友人との語らいが弾んだことを、地区女性部長のユリコさんに話しているようです。
リホ ユリコさん、こんにちは。多くの友人と触れ合う中で、最近、気が付いたことがあるんです。
ユリコ あら、リホさん、どうしたの?
リホ 学会活動で、元気をもらうことが多いので、友人にも自然と笑顔で接するようになっていたんです。そうしたら、いろんな友人から「話していると元気になる」と、感謝されるようになっていました。
学会の中で当たり前に実践していることは、すごいことなんだと思って。私が入会したことを知って、創価学会に興味を持つようになった友人もいるんです。
ユリコ すごいことね! リホさんの振る舞いや言葉は、そのまま友人を仏法に縁させる「下種」の実践にもなっているのね。
リホ 下種……。たしか友人に仏法の話をすることでしたっけ?
ユリコ そうね。仏法では、仏が人々を成仏へと導く過程を、稲などの植物の「種まき・育成・収穫」に譬えられているの。
日蓮大聖人は、万人成仏の根本法である、南無妙法蓮華経こそが「仏種」であると明かし、末法の民衆に妙法を弘められたの。全ての人々が妙法に縁することで、仏界の生命を開く道を築いたから、大聖人の仏法を「下種仏法」というのよ。
リホ なるほど。だから学会の会合では、下種という言葉をよく聞くんですね。
ユリコ 友人は、信心に励んでいるリホさんの"蘭の香り"のような人格に触れて、学会に興味を持ったんじゃないかしら。それも立派な下種になっていると思うわ。
リホ そ、そうなんでしょうか。
ユリコ 自信を持って! 大聖人は「仏種は縁によって起こるものです。ですから、一仏乗の法華経を説くのです」(御書1467ページ、通解)とつづられているの。だから、どんな形であれ、妙法に縁させていくことが大事なの。その実践が、"幸福の種"をまいていくこととも言えるわね。
リホ なるほど。でも、対話しても、なかなか聞いてもらえない場合もあるし……。
ユリコ もちろん、全く興味を持ってもらえないこともあるわ。だけど、御書に「仏になる法華経を耳に触れさせるならば、これを種にして必ず仏になる」(552ページ、通解)とあるように、一度でも仏法に縁することができたら、"幸福の種"がしっかりとまかれていて、必ず花開く時がくるの。
大聖人は「力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」(御書1361ページ)と、力の限り仏法の素晴らしさを語っていくよう呼び掛けられているのよ。
リホ でも、私はまだ勉強中で、よく分かっていないことも多いし、しっかりと語ることができるか、自信がないです……。
ユリコ 大丈夫よ。池田先生は「日蓮仏法は『下種仏法』である。一言一句でも仏縁を結ぶなら、友の胸には、何があろうと消えない成仏の種子が植えられる」と語られているわ。
自分に力があるから語るんじゃないのよ。たった一言でも、自分らしく信心の喜びを伝えていけばいいのよ。
リホ たった一言でもですか。それならできそうです。今度、自分が感動した小説『新・人間革命』の言葉を友人にも送ってみます。
ユリコ 偉い! 私もリホさんを見習って、友人に励ましを送っていくわ。
2021年6月11日金曜日
2021.06.11 わが友に贈る
御志あるべし」
"昨日の自分に勝つ!"
挑戦を貫き通す人が
最も偉大な勝利者だ。
四条金吾釈迦仏供養事 P1146
『日蓮も又此の天を恃みてたてまつり日本国にたてあひて数年なり、既に日蓮かちぬべき心地す利生のあらたなる事外にもとむべきにあらず』
【通解】
日蓮もまたこの日天子を恃み奉り、日本国とはりあって数年になるが、すでに日蓮が勝ったという心地がする。このように利生のはっきりしていることは、ほかに求められない。
名字の言 11代目の「ど根性ひまわり」 2021年6月11日
先日、福島文化会館(郡山市)の敷地内で「ど根性ひまわり」の種まきが行われた。東日本大震災の津波で「がんばろう! 石巻」の看板脇に流れ着き、泥とがれきの中で咲いた花から11代目。"先代"譲りの生命力で、たくましく芽を伸ばしている▼同会館をメイン会場に、5月30日に開催された東北青年部主催のオンライン証言会。原発事故で避難を強いられた夫妻が登壇した。現在進行形で変わる被災地の現実と格闘しながら、「今いる場所を常寂光土に!」と励ましの人生を貫いてきた▼終了後、多くの反響が。「人間とはここまで強く生きられるのかと感銘した」「"自分にできる復興とは何か"を主体的に考える機会になった」。夫妻の10年の歩みは"福光の種子"となって、友の心に植えられた▼御聖訓に「物だねと申すもの一なれども植えぬれば多くとなり」(御書971ページ)と。一つの種が育てば、やがて多くの実を結ぶ。人々の苦悩や痛みを"わが事"として受け止める"連帯の花"が咲き広がれば、未来はきっと明るくなるに違いない▼ヒマワリは"花の集合体"からなる。黄色い花弁を舌状花、中央部分を筒状花と呼び、その数は3000とも。"福光の大輪"も、皆の思いが重なって満開になる。
寸鉄 2021年6月11日
大変であるほど我らは楽しく戦おう—恩師。更に祈りを強め生命力満々と
大田が大攻勢。一人立つ勇者から拡大の万波が!怒濤の前進で勝ちどきを
墨田が師子奮迅の猛攻!庶民の大連帯で勝機開け栄光の金字塔築くのは今
外出自粛の影響で体が熱中症に弱く—医師。空調活用など早め早めに対策
夏は子どもの転落事故が増加。自宅の階段等、身近な所で。親は目を離さず
☆「世界池田華陽会の日」記念 池田先生ご夫妻のメッセージ
◇「人間革命」の青春を生き生きと
全国女子部の記念の大会、誠におめでとう!
創価の朝陽であり、広宣の華である皆さんが、困難な時代にも負けず、共に励まし合い、前進している。
この青春のスクラムそれ自体が、日本の光であり、世界の未来の希望です。
日蓮大聖人は、女性の門下に仰せになられました。
「仏と申す事も我等の心の内にをはします・譬へば石の中に火あり珠の中に財のあるがごとし」(御書1491ページ)と。
誰もが、仏の生命を持つ、最高に尊い存在です。誰もが、妙法によって、自身の仏の生命に具わる限りない勇気と智慧と慈悲を顕せるのです。
ゆえに、何があろうと、題目を唱えていくならば、必ず、より善い方向へ、幸福の方向へ、勝利の方向へと、ありのままの自分を輝かせていけます。
この自分自身の人間革命の前進の息吹で、友も変えていける。境遇も変えていける。地域も社会も変えられるのです。
どうか、この「人間革命」即「立正安国」の仏法を、生き生きと学び、自信満々と語り、粘り強く実践していってください。
そして、世界一明るく尊い華陽姉妹の友情を広げながら、一人一人が、幸と平和の勝利のヒロインとなっていただきたいのです。
私と妻の心は、いつも皆さんと一緒です。一人ももれなく健康で幸福であれ!と題目を送り続けます。
みんな仲良く、お元気で!
☆心に刻む御書 2021年の要文� 佐渡御書
【御文】
『外道・悪人は如来の正法を破りがたし仏弟子等・必ず仏法を破るべし師子身中の虫の師子を食等云云』(佐渡御書、957ページ)
【通解】
仏教以外の教えや悪人は、仏が説いた正法を破ることはできない。必ず、仏弟子等が仏法を破るのである。"師子身中の虫が、師子を内から食う"と言われるのはこれである。
【池田先生の指針】
<伸一は、学生部幹部らとの懇談会で、仏法を破る者の本質について教える>
「日蓮大聖人は、佐渡流罪のなかで、仏法を破る者は、外敵ではなく、『師子身中の虫』であり、『仏弟子』であると喝破されている。このことは、広宣流布を進めるうえで、絶対に忘れてはならない。そうした事態は、今後も起こるでしょう。その時に、決然と立って、悪と戦い抜くのが真の弟子です」
(第30巻<上>「雌伏」の章、180ページ)
2021年6月10日木曜日
2021.06.10 わが友に贈る
自らの限界をつくる。
わが胸中の殻を破れば
友情は幾重にも広がる。
勇気の語らいを今こそ!
さじき女房御返事 P1231
『たとへばはるの野の千里ばかりにくさのみちて候はんにすこしの豆ばかりの火をくさひとつにはなちたれば一時に無量無辺の火となる』
【通解】
たとえば春の野が千里ほどにも広がって草が生い茂っている所に、豆粒ほどの小さな火を一つの草に放てば、それはたちまちに燃え広がって無量無辺の火となります。
名字の言 婦人部結成70周年——尊き女性部に感謝 2021年6月10日
ある少女部員が地区婦人部長(当時)の母と楽しく学会活動する様子を作文に書いた。座談会で使うポスターの色塗りを手伝う少女を、母が「福運がつくよ」と励ます。そんな母は同志に贈る感謝状を手作りしている……。作文には心温まる場面が数々登場する▼会合で研究発表の大役を果たし、参加した友にほめられたこと。かわいくて仕方がない年下の未来部員のこと——学会と同志、そして皆の幸せのために奔走する母が大好きな少女は作文を結ぶ。「私は、しょう来、地区ふ人部長になってもいいなと思った」▼池田先生は語る。「お母さんの慈顔が心に生きている時、人間は決して大きく道を誤ることがない」。この言葉のままに成長した"少女"は現在、女子部のリーダーとして活躍する▼婦人部結成70周年を刻むきょう6月10日は、「時の記念日」でもある。無量義経に「悩みと戦う凡夫でありながら、一日を何億万年の長さにも広げて生き、また何億万年もの長遠な年数を一日に凝縮させ、あらゆる衆生を歓喜させる」(妙法蓮華経並開結50ページ、趣意)とある▼この文意を体現する女性部の皆さんの笑顔が何人も脳裏に浮かぶ。そんな無上の「時」を広布史に刻み続ける、尊き姿に感謝したい。
寸鉄 2021年6月10日
世界一の女性連帯、万歳。さあ"師弟の月"7月へ創価の太陽は益々明るく
中野が猛追。偉大な民衆の底力、満天下に示す時。総力の拡大で断固凱旋を
群馬の日。使命の天地から対話の旋風を!試練の時こそ敢闘精神燃やして
「悪は多けれども一善にかつ事なし」御書。団結が我らの宝剣。祈り一つに
気候変動対策で公明党が重要な役割—米代理大使地球環境を守る柱と光れ
〈社説〉 2021・6・10 師と共に歩んだ70星霜
◇新時代を開く女性の連帯
きょう6月10日は、「婦人部結成記念日」。
先月、「女性部」として新出発した友にとって、「6・10」は、師弟共戦の歴史を刻んできた「誓願の日」であり、永遠に変わらぬ「原点の日」である。
1951年(昭和26年)の5月3日、戸田城聖先生が第2代会長に就任。大きな弘教拡大のうねりが巻き起こり、広宣流布へ本格的な歩みが開始された。
当時、戦後まだ6年。敗戦の傷痕は深く、庶民は困窮にあえいでいた。その中にあって、未来を鋭く展望した戸田先生は、「民主主義の理想も、目覚めた婦人の高い意識と行動によって、初めて盤石なものとなり得る」と考えた。そして、社会の隅々に婦人の主張が生かされてこそ、行き詰まった社会を開くことができると確信し、各部に先駆けて結成したのが婦人部だったのである。
6月10日、戸田先生のもとで開催された"結成式"。妙法を持った尊き女性たちの幸福勝利の行進は、わずか52人から始まった。
以来、70星霜——恩師の心を、わが心として走り抜いてきた池田大作先生と共に、世界一の女性のスクラムが築かれてきたのだ。
20世紀は"戦争の世紀"であり、いわば"人類の嘆きの世紀"であった。その嘆きを決意に変え、宿命を使命へと転じ、友の幸福のため、世界の平和のためにと、師と同じ心で立ち上がった女性たち一人一人の人間革命のドラマこそが、そのまま、婦人部70年の歴史といえよう。
この70年で社会やライフスタイルの多様化は大きく進んだ。女性が担う役割も変化し、あらゆる次元で活躍の場も広がっている。
歌手のアグネス・チャンさんが新出発に際して、「さまざまな立場や年齢の女性たちが、お互いを尊重し、団結して行動していけば、視野は地球大へと広がり、素晴らしい未来を創り上げていけると思います」と期待を寄せたように、女性部の使命は限りなく大きい。
池田先生はつづっている。
「女性が生き生きと活躍し、その豊かな知恵と慈愛を発揮できる社会にこそ、希望があり、創造があり、平和がある」と。
コロナ禍という未聞の試練の中にあっても、無限の希望の光を放つ創価の太陽・女性部。新時代を切り開く勇気と挑戦の日々に、最大のエールを送りたい。
☆きょう「婦人部結成記念日」70周年 女性部は太陽の如く
◇師弟の月・7月へ! 対話の拡大に全力
きょう6月10日は「婦人部結成記念日」。創価の女性のスクラムの誕生から70周年を迎える。
1951年(昭和26年)同日、その前月に第2代会長に就任したばかりの戸田城聖先生のもとに代表52人が集い、婦人部は産声を上げた。席上、戸田先生は訴えた。「妙法受持の女性は、最も尊貴な女性であることを自覚してもらいたい。妙法の実践の証明が、未来にどう開花していくか、今後、私と共に、どこまでも戦ってもらいたいんです」
以来、70年。一波は万波となり、師弟共戦の女性の連帯は、今や世界の隅々にまで広がった。
本年の5月3日には、池田大作先生ご夫妻のもと、「女性部」として新出発。「6・10」結成70周年の佳節を目指し、皆で「希望の太陽 前進月間」を勇気凜々と進み、広布拡大に挑んできた。
東京の、ある区女性部長は20歳で入会。これまで12人の友に弘教を実らせてきた。
3年前、長男が突然倒れ、原因不明の脳梗塞と診断。御本尊を抱き締め、必死に祈り、さらなる勢いで広布に駆けた。先月の診察で医師から、"もう服薬の必要はなく、大丈夫"との太鼓判が。現在、自ら"ハッピーロード"と決めた自宅の近隣をはじめ東京中に、報恩の思いで、友好と信頼の対話を広げている。
大阪の、ある地区女性部長は昨年、夫が食道がんに。手術をしたものの、容体が急変し、昏睡状態に陥った。彼女は、「真実一切衆生・色心の留難を止むる秘術は唯南無妙法蓮華経なり」(御書1170ページ)との御聖訓を胸に、襲い来る不安と恐怖を、"今こそ、宿命転換の時!"との強き祈りに変え、徹底して折伏に挑戦した。18日後、夫は意識を回復。本年3月、職場への復帰を果たした。その直後、幾多の困難を乗り越えた彼女の姿を見て、題目の力を感じたという母が入会した。
◇今こそスクラムが輝く時
池田先生は今月号の「大白蓮華」の講義「世界を照らす太陽の仏法」で訴えた。
「『女性部』が誕生し、この清き、尊き師弟共戦の前進は、新たな段階を迎えました。『女性の世紀』の本舞台が開幕したのです」
試練の今こそ、創価の太陽・女性部のスクラムが輝く時! 結成70周年の喜びと感謝を胸に、誓願の祈りをさらに強め、師弟の月・7月へ、さっそうと進みゆく!
☆SUA卒業式 池田先生のメッセージ
◇21世紀文明の希望の旭光を放て!
一、宝の俊英と光る17期生の皆さん、ならびに大学院新教育プログラム6期生の皆さん、幾多の試練を踏み越えて、凱歌の卒業、誠におめでとう!
いつにもましてご苦労の絶えない中、共に栄冠を勝ち取られたご家族の方々に、心より感謝とお祝いを申し上げます。
大切な英才を温かく支え、育んでくださった教職員・スタッフ、全ての関係者の方々、本当にありがとうございます!
◇智慧・勇気・慈悲を備えた人類貢献の世界市民たれ
一、今日は、わが敬愛してやまない一人一人と心の握手を交わしながら、「君よ、21世紀文明の希望の旭光を放ちゆけ!」と、はなむけを贈りたい。
各国各地から勇み集ってSUAに学んでくれた皆さんは、一人ももれなく、21世紀の地球社会を照らす「希望の光」の当体たる世界市民です。
その光は、たゆまぬ誠実な探究によって、いよいよ深まる智慧の光です。
また、苦難を恐れぬ負けじ魂の挑戦によって、いよいよ強くなる勇気の光です。そして、他者に尽くしゆく貢献の行動によって、いよいよ大きくなる慈悲の光なのであります。
私たちの大切な友人に世界的な農学者のスワミナサン博士がいます。博士は、米や小麦などの品種改良の研究を通して、アジアの多くの人々を食糧危機から救い、祖国インドの「緑の革命」「持続可能な農業」の推進と発展に絶大なる貢献を果たされました。その原点は、学生時代に目の当たりにした1943年のベンガル大飢饉です。"何としても、民衆の飢餓の悲劇を無くすのだ"との決意に燃え、学び抜いていかれたのです。
博士は語られました。「他の人々の助けになりたい」という大目的を持てば、毎日が「新しい夜明け」になるのです——と。
今、アメリカをはじめ全世界を襲ったコロナ禍に屈せず、大いなる理想の炎を燃やして開拓の青春を進む皆さんは、一日一日、まさしく「新しい夜明け」をもたらしゆくことを、誇りとしていただきたいのです。
なかんずく皆さんには、苦楽を分かつ中で一段と堅固に結ばれ、卒業後も、一生涯、さらに輝きを増しゆく創価同窓の信頼の絆があります。
一、世界の善意の父母たちと共に、SUAに期待を寄せてくださっていたアメリカ公民権運動の母ローザ・パークスさんは"私たちがこの地球という星に生を受けたのは、ここで生き、成長して、全ての人々が自由を享受できる、よりよい世界を築くため"と呼び掛けられました。
どうか、何があっても朗らかな価値創造の前進を貫きながら、21世紀のこの星を限りない「希望の光」で明るく晴らしていってください。
私は、わが夢であり、わが命である皆さん一人一人の健康と幸福、勝利と栄光を、妻と日々、祈り抜いていきます。みんな、元気で!
☆「新・人間革命」は希望の光源 第8回
◇生涯、師と同じ志を貫く弟子に
〈1962年(昭和37年)2月11日、恩師・戸田城聖の誕生日をパキスタンで迎えた山本伸一は、かつて同地に至ったアレキサンダー大王の遠征に言及した〉
「大王と将兵たちの間には、遠征の目的に大きな違いがあった。アレキサンダーは、崇高な理想の実現のために、はるかなる遠路をめざしたが、将兵たちの心は保身にあったようだ。保身は人間を臆病にする。そして、ひとたび臆病になれば、戦いには勝てない。
信心の世界でも同じことがいえる。戸田先生の時代も、懸命に学会活動に励み、病苦や経済苦を克服してしまうと、活動に力が入らなくなる幹部がいた。もう功徳も受け、悩みも解決できたのだから、あくせく信心に励む必要はないというわけだ。
(中略)
先生の念願は、この地上から『悲惨』の二字をなくし、全人類を救済することであった。世界の永遠の平和を築くことにあった。しかし、悲しいかな、彼らは、その心が、本当にわかってはいなかったのだ」
◇
「(中略)人間は、環境が整い、年をとるにつれて、次第に保身に陥り、臆病になってしまう。若い時や一時期は、必死になって頑張ることができても、生涯、それを持続し、貫いていく人は少ないものだ。しかし、それでは、自分自身の完成もなければ、人類の幸福と平和の実現もありえない。それまでの努力も水の泡となってしまう。だから、私は、最後まで広布に走り抜こうと、厳しく言うのです。
ともあれ、アレキサンダーの将兵たちの心は、大王と同じではなくなっていた。そこに、アレキサンダーの限界の壁もあった。つまり、どんなに偉大な指導者がいても、皆がその本当の心を知り、力を合わせなければ、偉業の成功はない。真の同志とは、また弟子とは、同じ"志"を、生涯、もち続ける人だ」(第6巻「遠路」の章)
◇今こそ壮年が決然と立つ時!
〈1966年(昭和41年)3月5日、山本伸一は壮年部の結成に際して訴えた〉
壮年の「壮」は、本来、「盛ん」の意味である。ゆえに、壮年は、沈着、冷静ななかにも、大情熱を秘めた、勇気の人、活力の人、行動の人でなければならない。
(中略)
壮年がいれば、皆が安心する。壮年が立てば、皆が勇気を燃え上がらせる。
壮年の存在は重い。その力はあまりにも大きい。
◇
「壮年部は、各部の友にとって、信心の手本であります。さまざまな人生経験を経てきた壮年部がどうするかを、みんなが見ています。
(中略)壮年が不誠実で要領よく立ち回ったり、いい加減であったり、あるいは、退転してしまったりすれば、後輩の人たちは、目標を見失い、時には、信心への疑問をいだかせてしまうことになる。ゆえに、壮年部の皆さんの責任は重いといえます」
伸一は、このあと、一生涯、信心を貫くことの大切さを訴えようと思った。
青年時代は、懸命に活動に励み、広宣流布に生き抜くことを誓い合っても、壮年になると、情熱をなくしてしまう人が少なくないからだ。
(中略)
「壮年部の皆さんは、これからが、人生の総仕上げの時代です。
壮年には力がある。それをすべて、広宣流布のために生かしていくんです。
(中略)
一生は早い。しかも、元気に動き回れる時代は、限られています。壮年になれば、人生は、あっという間に過ぎていきます。
その壮年が、今、立たずして、いつ立ち上がるんですか! 今、戦わずして、いつ戦うんですか! いったい、何十年後に立ち上がるというんですか。そのころには、どうなっているか、わからないではありませんか。
今が黄金の時なんです。限りある命の時間ではないですか。悔いを残すようなことをさせたくないから、私は言うんです!」(第10巻「桂冠」の章)
◇勇気・誠実・根気が外交の要諦
〈1974年(昭和49年)1月、山本伸一は香港を訪問。その折、初代の渉外部長として広布の外交戦を繰り広げた日々を振り返り、質問に答えた〉
「外交を行ううえで重要なことは、まず、第一に『勇気』です。
難しそうだと思う相手であっても、勇気をもって会い、胸襟を開いて、率直に対話する。それが外交の第一歩です。臆病な人間は、直接、人と会って、対話することを避けようとするものです。そこからは、何も開けません。
次に大事なことは、どこまでも『誠実』であるということです。
外交といっても、相手に"この人なら人間として信じられる"と思わせることができるかどうかです。それは、社交上の小手先の技術などではなく、誠実さ、真剣さによって決まる。
また、『根気』『粘り強さ』が大切です。
こちらが対話を求めても、時には、拒絶されたり、たとえ会えても、誤解が解けずに終わることもあるでしょう。そうした場合には、根気強く挑戦を重ねていくことです。
本来、外交というのは、一度や二度で思い通りの結果が出るほど、甘いものではない。
壁が厚ければ、厚いほど、闘志を燃え上がらせて、粘り強く立ち向かっていくんです。心ある相手は、それを、じっと見ているものなんです」
(中略)
「もうひとつ大事なことは、外交を行う場合には、自分が全学会を担い立つのだという、"全権大使"の自覚がなければならない。つまり、全体観に立つことです。
そうでないと、部分的なことに目を奪われ、判断を誤ってしまうこともある。
私も、青年時代から、"自分は創価学会の代表なのだ""戸田先生の名代なのだ"という気持ちで、外交にあたってきました。そして、瞬間瞬間"戸田先生ならば、どうされるだろう"と考え、行動し、決断してきました。
外交といっても、そこには"師弟"の精神が脈打っていなければ、広宣流布のための渉外活動はできません」(第18巻「飛躍」の章)
☆心に刻む御書 2021年の要文� 諸法実相抄
【御文】
『いかにも今度・信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし、日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか』(諸法実相抄、1360ページ)
【通解】
なんとしてもこのたびは、信心を貫いて、法華経の行者として生き抜き、日蓮の一門となり通していきなさい。日蓮と同意であるならば、地涌の菩薩であろうか。
【池田先生の指針】
「地涌の菩薩」の使命の自覚とは、自分は、人びとの幸福に寄与する使命をもって生まれてきたという、人生の根源的な意味を知り、実践していくことである。
(中略)また、利己のみにとらわれた「小我」の生命を利他へと転じ、全民衆、全人類をも包み込む、「大我」の生命を確立する原動力である。いわば、この「地涌の菩薩」の使命に生き抜くなかに、人間革命の大道があるのだ。
(第23巻「勇気」の章、285ページ)