未来を開く起点は
常に「今」「ここ」にあり!
日に日に新たに
勇猛精進の信心を!
みずみずしい息吹で!
富木殿御書 P969
『夫れ賢人は安きに居て危きを歎き佞人は危きに居て安きを歎く』
【通解】
賢人は安全な状態にあっても危険に備え、心の曲がった人は危険な状態にあっても、それに対処しようとせず安穏を願う。
名字の言 「暮しの手帖」編集長が大切にした「人間の手」 2021年1月31日
雑誌「暮しの手帖」の編集長・花森安治氏は、人間の手を大切にする人だった。編集者の仕事は、自ら事に当たらないと空論になる。それが彼の信念だった▼日用品や家電製品などの商品テストの記事では、機械による検証ではなく、人間の手で何百回と使った実感を読者に届けた。こうした検証は消費者の共感を得るだけでなく、生産者側に品質の向上を促した▼氏は語っている。手を地べたにつけず、泥にまみれることもない——「それで地にはいつくばって生きている人間の暮しが、どうしてわかる」「ひとからバカにされようと、いつもじぶんの手を地につけて、じぶんの手で現実をつかまえろ」と(唐澤平吉著『花森安治の編集室』晶文社)▼「池田先生の手のぬくもりは、今でも忘れません」。多くの同志が、先生と握手した時の「ぬくもり」を記憶している。友と握手を重ねた先生の手は、時に真っ赤に腫れ上がった。その手で、"ただ友のために"とペンを握ることもあった▼池田先生は「たゆみなく、一つ一つ励ましの手を打ち続けてきたからこそ、今日の人材山脈ができ上がった」と。地道に励ましを重ねることが、広布の未来を開く。手を、足を動かすことを厭うまい。その労作業が、わが地域に希望の連帯を広げる。(将)
寸鉄 2021年1月31日
会長の著作に「生命力」の源泉を見つけた—詩人。心に刻むほど勇気は凜々
良き友に守られた人生は絶対に負けない—恩師。我らは励ましの絆を強く
真の英雄とは不幸を乗り越える者—皇帝。嘆かず諦めず。宿命転換の劇を
在宅勤務狙うネット攻撃増加。対策ソフトは最新に。不明な文書も開くな
花粉飛散、昨年の2〜4倍と。早めの対応で症状は軽く。「前前の用心」で
〈社説〉 2021・1・31 あす牙城会結成50周年
◇希望を創造し師弟勝利の道を
あす2月1日で、牙城会は結成50周年を迎える。
1971年(昭和46年)、いわゆる言論問題に端を発した、学会への理不尽な非難・中傷の嵐が吹き荒れる中、牙城会は産声を上げた。
当時、「会館警備」「当番」と呼ばれ、各地で会館の自主警備を行っていたグループが全国組織として統一。
その際、名称については池田先生から、「広宣流布の牙城を守る人材育成の組織だから、『牙城会』は、どうか」との提案を受け、同年の2月1日に新しい体制で任務に就き、事実上の結成となった。
以来、学会の躍進とともに全国の会館も急増し、任務に就く牙城会員も増加。多彩な分野で活躍するメンバーを糾合する人材育成グループとなった。
しかし、昨年は、結成記念日の2月1日を迎えて間もなく、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて学会の会館の使用も自粛となり、牙城会は任務に就けない状況が続いた。
そんな中でも、牙城会の友は"新たな知恵と行動で広布の新たな道を開こう"と、いち早くオンラインを活用しながら対話拡大に挑戦し、小説『新・人間革命』の研さんなどにも取り組んできた。
また、夏以降は、会館の使用再開に伴って、「学会厳護」の誇りを胸に、新しい生活様式に合わせた任務の形を、真剣に協議を重ね、つくってきた。
いかなる状況になろうと、断じて広布を前へ進めていくとの牙城会魂で、社会の激浪に負けず苦境を打破する友は多い。
新時代1期生として奮闘する神奈川の牙城会メンバーは、かつて仕事での過労が重なりパニック障害とうつ病を発症。仕事で知り合った学会員の真心の励ましに触れて、自身の宿命を信心で乗り越えようと入会し、その後、牙城会にも志願した。病状も落ち着き始めた昨年、今度は新型コロナウイルスの影響で職を失ってしまった。
悩みのどん底の中でも、池田先生が結成45周年を記念して牙城会に贈った「君と我 共に師子王 恐れなく 勝って護れや 創価の大城をば」との和歌を胸に戦い抜いた彼は、11月には友人への弘教を実らせ、2度目の緊急事態宣言が出される中、不屈の心で再就職の道も切り開いてきた。
環境が厳しければ厳しいほど、多様なメンバーが新たな知恵と行動で、師弟勝利の道を開拓してきたのが牙城会の誉れの歴史である。
世界が未曽有の試練に直面する中、それぞれの場で、新たな希望を創造していく牙城会。今日も全国の宝城を厳護するメンバーに、改めて感謝とエールを送りたい。
☆御書の旭光を 第4回 祈りは「人間革命」のスイッチ
〈御文〉
『我等も無明の卵にして・あさましき身なれども南無妙法蓮華経の唱への母にあたためられ・まいらせて三十二相の觜出でて八十種好の鎧毛生そろひて実相真如の虚空にかけるべし』(新池御書、1443ページ)
〈通解〉
我らも無明(迷い)の卵で、あさましい身であるけれども、南無妙法蓮華経の唱題の母に温められて、三十二相の觜が出てきて、八十種好の鎧毛が生えそろい、実相真如の大空に飛ぶことができるのである。
〈池田先生が贈る指針〉
御本仏は、万人が「仏にやすやすと」なれる道を示してくださった。
いかに冷酷な宿命でも「南無妙法蓮華経の唱への母」に温められ、必ず旭日の如く蘇生できる。希望と勇気の翼を広げ、幸福勝利の大空へ羽ばたける。
唱題こそ無明の迷いを打ち破り、生命の可能性を全開させる「人間革命」のスイッチなのだ。
☆紙上セミナー 仏法思想の輝き 総群馬白樺会総合委員長 川島佐枝子
◇地域貢献の保健師として慈悲の心で関わり抜く
【プロフィル】かわしま・さえこ 群馬県内の保健所に保健師として定年まで33年間勤める。現在、群馬県在宅保健師の会員として活動。1962年(昭和37年)入会。群馬県桐生市在住。婦人部副本部長。
私は保健師として33年間、群馬県内にある11カ所の保健所で勤務してきました。
乳幼児から高齢者まで幅広い世代の方々が、住み慣れた地域でその人らしい生活を送れるよう、発病のリスクを減らすための予防的な関わりで、心身の健康を守るのが保健師の仕事です。
保健所の業務は、医師・薬剤師・臨床検査技師など、さまざまな分野の専門家と協力して、精神保健や難病の方への対応、母子保健や虐待予防、そして、今回のような新型コロナウイルスや結核といった感染症の対応など、多岐にわたります。
もともと看護師をしていましたが、病院で極低出生体重児への看護を経験する中、私自身の無力さを感じた時があり、また、母子が退院した後も地域で安心して子育てができるよう、より身近に支援していきたいと考えて、保健師になりました。
◇抜苦与楽の励まし
これまで多くの方と関わる中、私自身、一番に心掛けてきたことは、何があろうと「目の前の一人を大切にする」ということでした。
保健所には毎日、電話や窓口に、たくさんの相談が寄せられます。時には、難病の診断を受け、動揺と不安でいっぱいの方を目の前にして、どんな言葉を掛けたらいいか分からないこともありました。
そのたびに、相手のことを真剣に祈り、"つらい思いを抱える方々に、少しでも希望と安心を感じてもらえるよう尽力するのが、保健師である私自身の使命だ"と自らに言い聞かせ、相手の心に寄り添ってきました。
現在、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、在宅保健師である私にも要請があり、濃厚接触者の方々からの電話相談を受けています。私は、事務的に受け答えするのではなく、受話器の向こう側にある"不安の思い"を丁寧にくみ取るようにしています。そして、最後に必ず「お大事になさってください」と、祈りを込めた一言を添えています。
かつて池田先生が、白樺(女性看護者の集い)のメンバーに贈った指針に「病める人/心の傷ついている人を/私の使命感として/私は堕落させない」とあります。
病気になったことで不安になったり、悲嘆したりする方もいます。そうした方々に寄り添い、励まし、前に進めるよう、仏法が示す「抜苦与楽(苦を抜き楽を与える)」の慈悲の心で関わり抜いていくことが、医療に携わる私たちの使命なのだと確信します。
◇義母の介護を経験
3人の子育てをしながら保健師の仕事を続けてこられたのは、同居する義母が育児や家事の一切を引き受けてくれたおかげでした。はつらつと地域活動に励むほど元気だった義母に認知症の症状が出たのは、子どもたちが独立した頃から。次第に物忘れや被害妄想がひどくなり、日常生活も無気力になっていきました。
私自身、「元気だった義母が、なぜ」とショックを隠せませんでした。デイサービスを利用しながら自宅で介護をしましたが、毎日が"戦い"でした。
義母から「迷惑を掛けるので、早くお迎えが来るといいのに……」と言われた時は、胸を突かれました。
いろんなことがある中で、義母が毎日、食べきれないほどのお米を炊いてしまうことがありました。炊飯器のふたを開けては驚き、何度も注意しましたが、変わりません。
認知症を担当する保健師に相談すると「炊飯は、高度な頭脳の働きが必要です。素晴らしいと思います」とのこと。その日、帰宅するなり「お米を炊けるってすごいって褒められたわよ。お母さん、いつもありがとう」と伝えた時、義母が見せたうれしそうな表情は、今でも忘れられません。
義母にとって、家族が喜んで食べる姿を見ることが生きがいだったのだと実感し、胸が熱くなりました。不思議にも、その日以来、炊飯の量が適量に。その後も認知症状は続きましたが、私自身、義母への感謝の心を深くすることができました。
仏法には、生命と生命が互いに通じ合う「感応妙」の法理が説かれます。心からの尊敬と感謝をもって相手に接する時、こちらの生命は、必ず相手の生命の奥底に通じるのだと確信します。
日蓮大聖人は「命と申す物は一身第一の珍宝なり一日なりとも・これを延るならば千万両の金にもすぎたり」(御書986ページ)と仰せになり、限りない生命の尊さを教えられました。
私は、義母が好きだったこの御聖訓を拝しながら、「お母さんが今日一日、元気でいてくれてうれしいわ。ありがとう」と声を掛け続けました。義母は最晩年、いつも笑顔で周囲を明るくしてくれ、93歳の天寿を全うしました。
こうした経験も今では、同じように悩む人に寄り添う力になっていると実感します。
振り返れば、今日まで目標を持って歩んでくることができたのは、青春時代から、池田先生の限りない励ましがあったからです。現在、新型コロナウイルスの感染が広がり、医療従事者の方々も懸命に対応しています。感染拡大が一日も早く終息するよう、日々、祈らずにはいられません。
先生の振る舞いから学んだ「一人を大切にする」姿勢を忘れることなく、これからも生命を慈しむ"白樺の心"で、地域に尽くしてまいります。
[視点]希望社会を
長崎大学熱帯医学研究所の山本太郎教授は、昨年12月19日付本紙に掲載されたインタビューで「長期化するコロナ禍に対して心が折れないためにも、希望を持てる社会を築くことが必要」と述べています。
日蓮大聖人は「百千万年くらき所にも燈を入れぬればあかくなる」(御書1403ページ)と仰せです。いかに深い苦悩の闇に覆われていようとも、妙法を唱えることによって仏の生命を開き、自身の胸中に希望の太陽を昇らせることができるのです。
どんな状況でも、絶対に希望は生み出せる!——学会員はこの確信を胸に、日々、縁する友へ励ましを広げながら、地域社会を明るく照らす"希望のネットワーク"を世界中に築いています。