2021年1月15日金曜日

2021.01.15 わが友に贈る

「一人」の友の声に
徹底して耳を傾けるのが
「励まし」の第一歩だ。
相手の状況に思いをはせ
心の扉を開く声掛けを!

御義口伝巻下 P758
『日蓮が云く一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし』

【通解】
一切衆生のさまざまな苦悩は、ことごとく日蓮一人の苦である。

名字の言 今、大切な三つの「つ」 2021年1月15日
今年の年賀状は例年より多かった。いつもは三が日を過ぎてから届く友も元日に届いた。ステイホームの年末だったからだろう▼「モゥー大変からモゥー安心の年に」などユーモラスなものもあれば、世界中で蔓延する新型コロナウイルスに憂いを抱きながら、「戦争を経験したからこそ、皆さまと心をつなぎ平和を祈りたい」と訴える90代の声楽家も▼目立ったのは「希望」の二文字。「この正月を希望に向かい続ける心の区切りとして素直に祝いたい」と記したのは、ある大学教授。間もなく東日本大震災から10年を迎えるが、心の復興に携わる岩手の友は「復興は道半ばです。何があろうとも全てを『希望』に変えます」と力強い▼先日、先輩が教えてくれた。今、大切なのは三つの「つ」——「つながる」「つたえる」「つづける」の実践。他者とつながり、励ましの心を伝える。この行動を続けることが「希望」になる、と。先が見えない不安の時だからこそ、孤絶した友を一人もつくってはならない。自分の悩みや悲しみなどを理解してくれる人がいないのが一番つらい▼直接会えなくても、電話や手紙、メールをはじめ、つながる手段は無数にある。人と人の距離が求められる中、心と心を結ぶ希望の行動を「今から」開始しよう。(側)

寸鉄 2021年1月15日
「一人もかけず仏に」御書題目を唱えれば、ありのままの生命が最高に輝く
中等部結成記念日。君の成長が未来の光。可能性は無限大。大樹と育て!
東京・新宿の日。常勝こそ本陣の使命!不屈の祈りで師弟勝利の歴史を綴れ
海洋プラごみ、生態系への影響深刻と。国境なき問題は国境超えた連帯で
防災とボランティア週間共助は社会の宝。地域の絆を強める貢献、地道に

〈社説〉 2021・1・15 地方版開始から65年
◇世界宗教を支える「地宝」の力
「"私たちの地方版"も、いよいよこれからが『本門』です」と、池田先生は昨秋の通信員大会にメッセージを寄せた。
常に「聖教魂」を燃やしながら奮闘する通信員と共に、創価家族の一人一人へ光を当てた記事を届けている地方版。
地区・ブロックの紹介や、未来部員の活躍、防災や防犯に貢献した友のエピソードなど、地域に根差したローカル性が魅力であり、強みでもある。
聖教新聞に地方版が新設されたのは、1956年、65年前のきょう。北日本・東京・西日本の3版からスタートし、各地の支社・支局の設置に伴い、各県版も次々と誕生。現在のような都道府県版・方面版になったのは78年からである。
今では、聖教電子版で、世界中の友が全ての地方版を読めるようになった。毎週金曜日の地方版から「わが地域・ふるさと」を感じる読者は多いだろう。
昨年、『池田大作研究——世界宗教への道を追う』(朝日新聞出版刊)を発刊した、元外交官で作家の佐藤優氏も、聖教電子版の愛読者の一人。
「電子版は地方版が全て読めるのがいい。世界宗教として、学会のグローバルな取り組みを紹介する一方で、最前線の会員さん一人一人の話題を各地から発信する。ここが大事なんです」と語っていた。
宝寿会(多宝会)メンバーが多い、第2総東京のある地区は、昨年、東京・山梨版に紹介記事が掲載されると決まり、「一丸となって折伏を頑張ろう」と皆で決意。元気に地域を歩く87歳の地区副婦人部長が掲載直前に弘教を実らせた。
地区の同志もさらに足取り軽く、本紙の購読推進に挑戦。幾重にも広布拡大の原動力となった。
宮崎版には、会場提供者への感謝を、写真に込めて紹介する連載がある。掲載された本人はもちろん、会場に集い合う多くの友にも喜びが広がる。
「わが地域の功労者」を宣揚する記事が、地道に信仰を貫く皆の希望につながっている。
池田先生は、かつて随筆につづった。
「『地方』とは、その土地の無数の宝がちりばめられて輝く、『地宝』ともいえようか。わが郷土が宝土であり、そこで共に生きる隣人が宝の人となるのだ」
世界宗教として飛翔を続ける創価学会。その学会を支えるのは、わが「地宝」を舞台に生き生きと広布に戦う、尊き同志の信心だ。
聖教の地方版は、その一人一人の人間革命のドラマをつづる、まさに「黄金の日記文書」といえよう。
世界各国の姉妹紙誌とも心を合わせ、"地域から地球へ"、勇気と希望を送り続けていきたい。それこそが、聖教新聞そして地方版の「本門」の使命であると確信して!

☆池田華陽会御書30編 阿仏房御書(宝塔御書)
◇前進の姿が友の希望に
さあ、誓願の学会創立100周年の勝利へ!——師匠の心と行動を受け継ぐ「新・人間革命」世代の誇りも高く、女子部は今月から、伝統の「池田華陽会御書30編」を心新たに学んでいきます。毎年10編ずつ、月ごとに掲げる「重点御書」の「読了・研さん」に挑戦し、3年間で全30編を学び深めていきましょう。
今月の重点御書は「阿仏房御書(宝塔御書)」です。池田先生は、本抄の講義につづられました。
「人間の尊厳を見る眼を、人類が持ち得たならば歴史は変わります。焦点は、一個の人間生命の尊厳に気づくことです。一人の存在がどれほど尊いか、目を開くことです」
"一人の尊さ"また"一人の無限の可能性"を心に刻み、「希望・勝利の年」を出発していきましょう。

◇本抄について
本抄は、日蓮大聖人が、佐渡の門下である阿仏房に宛てて認められたお手紙です。大聖人の佐渡流罪中の御執筆とされてきましたが、近年では、身延入山後の御著作と考えられています。
阿仏房は、大聖人が佐渡に流罪されていた時、妻の千日尼と共に、大聖人の生活を支え、懸命にお守りした門下です。
さらに、大聖人が身延に入山されてからも、阿仏房は高齢にもかかわらず幾度も大聖人のもとを訪れ、御供養の品々をお届けするなど、純粋な信心を貫きました。
本抄は、御供養への御礼であるとともに、法華経に説かれる「宝塔」や「多宝如来」とは、何を表しているのかとの阿仏房の問いに対する御返事です。

◇御文
『末法に入って法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり、若し然れば貴賤上下をえらばず南無妙法蓮華経と・となうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり、妙法蓮華経より外に宝塔なきなり、法華経の題目・宝塔なり宝塔又南無妙法蓮華経なり』(御書1304ページ6行目〜8行目)

◇通解
末法に入って、法華経を持つ男女の姿よりほかには宝塔はないのです。もしそうであるならば、貴賤上下にかかわらず、南無妙法蓮華経と唱える人は、わが身がそのまま宝塔であり、わが身がまた多宝如来なのです。
妙法蓮華経よりほかに宝塔はないのです。法華経の題目は宝塔であり、宝塔はまた南無妙法蓮華経です。

◇解説
一人の人が、どれほど尊く、偉大な存在であるか。そのことを示し切られたのが、日蓮大聖人の仏法です。
法華経見宝塔品第11には、突然、大地から巨大な宝塔が出現し、空中に浮かび上がる場面があります。
この宝塔は、大きさが地球の直径の3分の1にも及ぶとされ、金・銀・瑠璃などの七宝で飾られ、まばゆい輝きを放っています。
想像を絶するほどの、壮麗な姿をした宝塔。"これは一体、何を表しているのでしょうか"——。阿仏房は、そう大聖人にお尋ねせずにはいられなかったのでしょう。
阿仏房の問いに対し、大聖人は掲げた御文で"末法にあって、妙法を受持し、信心に励む人こそ、法華経に説かれる宝塔そのものである"と仰せです。
"偉大な宝塔とは、自分自身"——。この真実を知り、阿仏房は、驚きながらも、大きな感動に包まれたに違いありません。
法華経に説かれる宝塔は、その荘厳な姿をもって、一人の生命の限りない尊さを示し、その巨大さをもって、一人の生命に具わる無限の可能性を教えているのです。
大聖人は「すがたより外には宝塔なきなり」と、現実の「姿」を強調され、広布に前進する人の"ありのままの姿"こそ、輝く宝塔にほかならないことを示されています。
また「貴賤上下をえらばず」とも述べられ、題目を唱える人は、身分や社会的な立場にかかわらず、一人ももれなく尊い宝塔であり、さらに、法華経が真実であることを証明する多宝如来であると教えられています。
現実の悩みを抱えながらも、題目を唱え、負けずに前進する姿が、仏法の素晴らしさの証明であり、友に希望を送る光となるのです。
続いて大聖人は、宝塔とはまた「南無妙法蓮華経」であると仰せです。
宇宙の根源の法である「南無妙法蓮華経」を、大聖人は御本尊として顕されました。私たちは、御本尊を信じ、題目を唱えることで、本来具わる仏の生命を現し、自らを宝塔と輝かせていくことができます。
大事なことは、宝塔の涌現を"経文で説かれた話"あるいは"誰かに向けられた話"と捉えるのではなく、"自分自身のこと"であると知ることです。どんな時にも、自らの無限の可能性を信じ、"勇気の題目"を唱えるところから、私たちの「人間革命」の大いなる前進も始まります。
一人一人が尊い「宝塔」との確信で、友と励まし合いながら、希望の青春、負けない青春を歩んでいきましょう。

◇池田先生の指針から
一人の人間が「わが身」の真実の可能性を知った時に、一人の偉大な人間革命が始まります。自身の尊極にして偉大な可能性に目覚めた人は、他者の存在の尊さにも気づきます。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第10巻)
◇ ◆ ◇
妙法を持ち、信心に励む私たちの姿、振る舞いが、そのまま多宝如来としての行動となっていく。(中略)
悩んでいるなら、その姿のままで信心に励んでいけばいいのです。何があっても信心を貫き、断じて負けない生き方が、そのまま勝利の証であり、法華経の証明となるのです。(『調和と希望の仏法』)
◇ ◆ ◇
希望——それは、どこまでも「可能性を信じる意志」の異名です。この希望の最大の敵は、"どうせ自分なんて""自分は、こんなものだ"と「卑下する心」です。(中略)
信心とは、自分の可能性を信じ抜く戦いです。そして、題目は胸中の希望の力を強めてくれます。その挑戦の人が、幸福の宝塔、勝利の宝塔にならないわけがありません。(「未来ジャーナル」2019年8月号に掲載の「池田大作先生 誓いの明日へ——日蓮門下を語る」)

◇研さんのために
〇…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第10巻(聖教新聞社)
〇…『調和と希望の仏法』(同)