2021年1月24日日曜日

2021.01.23 わが友に贈る

「御書」を開くことは
「境涯」を開くことだ。
行き詰まった時こそ
御聖訓を真剣に拝そう!
教学は希望の泉なり!

開目抄上 P200
『今度強盛の菩提心ををこして退転せじと願しぬ』

【通解】
今度こそ強い菩提心(悟りを求めて仏道修行する心のこと)を起こして、どんなことがあっても、絶対に退転しないと誓願したのです。

名字の言 病にあった壮年が物置で見つけた一枚の絵 2021年1月23日
ある商店街を歩いていると、通り沿いの街路灯一本一本に白い旗らしきものが掲げられていた。地元の小学生らが布地にしたためた書き初めだった▼「正月」「初夢」といった作品の中に、「へいわ」「春よ来い」という書も見つけた。一生懸命に書いた子どもの字には、大人がまねのできない味わいや温かみがある。その文字を見て"未来を託す子どもたちのためにも無事安穏の年にしたい"という思いが込み上げた▼健康に自信のあった壮年が、思いもかけない大病に倒れ、意気消沈の日々を送っていた。ある日、自宅の物置を整理していると、息子が小学生だった時、絵画展で入選した絵が出てきた。父である壮年と相撲を取っている場面を描いたものだった。タイトルは「負けるもんか!」▼これまで"試練の今"に翻弄され、"希望の未来"などないと嘆いていた。それが"私たち親子で未来を生きるため、今を勝ち開いてみせる"という一念に変わった。あの日のわが子の絵が、壮年を不屈の信心に立ち上がらせた。後年、彼は病魔を克服した▼仏法では、苦難の渦中でも御本尊に強く祈る信心があること自体が「安穏」なのだと説く。因果倶時の妙法である。必ず乗り越えると決めた瞬間、今の逆境も、未来の勝利を開く糧に変えられる。(城)

寸鉄 2021年1月23日
SGIは平和・相互理解・非暴力の文化を普及—会議会長。善の連帯更に
個人の成長なくして、より良い世界は築けない—科学者。今日も勇躍前進
「日輪と星との光くらべのごとし」御聖訓。太陽の仏法で地域社会を明るく
電子メールの日。添付を開き感染する事例多し。見知らぬ送信元は要警戒
症状悪化分かる測定器の配備進む。公明の尽力で。命を守る施策を最優先で

☆学ぼう「黄金柱の誉れ」Q&A 第12回 「師弟」の大切さ
学会創立100周年へ、新しい年がスタートしました。今年は、戸田先生の第2代会長就任70周年であり、婦人部・男子部・女子部の結成70周年、そして我ら壮年部は結成55周年の佳節を迎えます。この尊い広布の歴史を貫くのは「師弟」です。師弟の大切さについて、壮年部指導集『黄金柱の誉れ』から、池田先生の指導を紹介します(指導集72ページから73ページ、76ページを抜粋)。

●「師弟」の大切さ
〈成長への最高の「因」〉
仏法も人生も、成長への最高の「因」となるのが「師匠」の存在です。師と出会い、師に応え、師と共に戦い、師の勇気と智慧を生命に刻んでいく中で、自分の小さな境涯のカラを破ることができる。それこそが、大いなる未来の自己を築きゆく勝利の根源力となるのです。
(『御書と師弟』第1巻)

〈本当の底力が出せる〉
御聖訓には「よき師と・よき檀那(=弟子)と・よき法と此の三寄り合いて祈を成就し国土の大難をも払ふべき者なり」(御書550ページ)と説かれる。
「師弟不二ならば、一切を勝利できる」——これが、仏法の要諦であり、学会精神の真髄である。
「師と共に」戦うから、小さな自分の殻を破れる。
「師のために」戦うから、本当の底力が出せる。
「師弟不二」なればこそ、いかなる苦難も恐れず、生命の最極の軌道を進める。
(『池田大作全集』第139巻、「随筆 人間世紀の光」)

〈生命の大法を会得していくため〉
師弟という言葉に、何か時代錯誤的な、封建時代の遺物のような印象をいだく人も少なくない。しかし、いかなる道を極めるにも、師が必要である。ましてや、仏法という生命の大法を会得していくためには、それを感得し、自らを触発してくれる師の存在が不可欠となる。人間を育むものは、人間以外にない。
(小説『人間革命』第12巻「新・黎明」)

〈「先生だったらどうされるか」と〉
私はいつも、恩師・戸田先生だったらどうされるだろうか、を考えて生きてきた。
恩師なきあと、嵐の時も、ただ「戸田先生なら、どう思われるか。何を言われるか。どうされるだろうか」を己心にさぐり、胸中の先生と対話しながら生きてきた。
「革命には、弾圧も、非難もつきものだ。なにがあっても恐れるな。命をかければ、なにも怖いものはなくなるのだ」「二百年たったら、皆、わかるよ」
生命をふり絞るような先生の声であった。
「あとは頼むぞ」の一言が、私の人生となった。
(本紙1996年9月22日付、「世界の指導者と語る」)